はてなキーワード: 多民族国家とは
中国政府奨学生(国費留学生)として中国に留学した。あまり知られていないが、中国は世界各国から留学生を呼び込んでいる。
中国政府留学生は学費と寮費と医療保険料は無料で、少ないが生活費も支給される。私が留学したときは寮の定員が満員だったので近くのアパートに入居したため、代わりに居住費を支給してもらえた。
この中国政府奨学生の倍率は国によるが意外と低い。例えば日本に留学している留学生のうち、日本政府の国費留学生はわずか3%に満たず、ほとんど私費留学。しかし中国の大学に留学する留学生の大半が中国政府の国費留学生である。
世界の大学ランキングトップ50に入るような中国の名門大学に入学できるのは、現地の中国人だとごく一部のエリート。学歴社会の中国では幼少期から親が多額の教育投資をして塾に通い血反吐を吐くような努力をしている。しかし同じレベルの大学に入学しようと思えば、留学生ならもっと簡単だ。私が日本で通っていた大学はマーチ以下の私学だったが、第ニ志望の名門大学に留学できた。
ウイグル族やチベット族などの少数民族受験生は留学生枠にはならないが、大学入試で少数民族加点される制度がある。中国の大学入試は1点が明暗を分ける。そのため漢民族の学生の親が何とかして我が子のために少数民族に改族して戸籍を変えようと画策するケースもある。
このようなこともあり「外国人留学生や少数民族は優遇されていてずるい!」という論調があった。
例えばほとんど中国語の読み書きができないレベルの留学生(アフリカ出身)が北京大学医学部に入り、中国語研修まで無料で受講しているというのが中国のネットで話題になり「自分もアフリカに帰化したあとに中国に留学したい」という書き込みがあふれた。
アフリカなど中国よりも貧しい国の留学生だと中国政府から支給される生活費を本国の家族に送金してるなどもよくある。
イスラム教徒の留学生やウイグル族学生への忌避や嫌悪もこうした「優遇イメージ」への反発から来るものだ。日本の北九州の小学校のハラール給食がネットで批判を浴びたが、中国ではかなり前からイスラム教徒に配慮したハラール(中国では清真料理とよばれる)が普及している。
中国では漢民族がマジョリティだが、50を超える少数民族がいる多民族国家だ。そのうちウイグル族やカザフ族などイスラム教を信仰する民族も多い。
私の通っていた大学の食堂でも清真専用食堂があり、イスラム教徒の少数民族学生や留学生が多く利用していたし、大学の近くにハラール食品のスーパーやモスクが沢山あった。
近年の中国政府は「宗教の中国化」の方針のもと、イスラム教やキリスト教の管理を厳しくしようとしている。この理由のひとつは国民の間に「少数民族や外国人は優遇されている」「特権を与えられている」「イスラム教に中国が乗っ取られる」というような不安や不満が広がったことも大きい。
ウイグル族などの少数民族は、中国が一人っ子政策をしていたときも子どもを3人まで持つことが許されていた。その結果中国国内で少数民族が増えていったことも、近年の少数民族の締め付けにつながった感じがする。
中国の若者の外国人に対する考え方は、最近の日本の若者によく似ていると感じている。
「政府は発展途上国にお金をばらまいてる」「他国に貸し付けしても踏み倒される」
「移民や少数民族が増えるのが怖い。外国人が増えると治安が悪くなる」「イスラム教徒が増えてほしくない」「外国人の高度人材受け入れより中国の若者の就職を優先してほしい」
表立ってネットで政府を批判しにくいところが日本との違いだが、本音はよく似ている。
中国政府がアフリカや南アジアに投資するのは中国の利益のためだが、国民から見ると「中国人は就職も結婚もできず生活が苦しいのに他国にお金をばらまいている」ように見える。
台湾に関しても「中国が統治しなければアメリカに侵略されてしまう」と主張する中国人を初めて見たときは驚いたが、同じように考えている若者が沢山いる。
中国に留学していたときは、中国の他宗教や少数民族への締め付けは厳しすぎるのでは?と感じていた。しかし帰国してみると日本の選挙の「日本人ファースト」や「違法外国人ゼロ」など、漂う反外国人の空気感が中国と似てきていることにとても驚いた。
カナダ:稀だが存在。地域や状況によっては人種的暴力が発生することもある。
---
日本:多い。「外国人」「外人」などの言葉や、陰口・排他的な発言が日常的にある。
カナダ:ある。直接的な差別語は少ないが、偏見を感じる発言は依然として残っている。
---
【③ 視線・態度】
日本:非常に多い。見られる、睨まれる、避けられるなどの無言の圧力を感じやすい。
カナダ:ある。露骨ではないが、潜在的な偏見や距離感を感じることがある。
---
日本:存在する。就職、婚活、住宅契約、永住手続きなどで外国籍、日本国籍でも家族が外国籍、見た目が日本人ではない人は不利に扱われるケースがある。
カナダ:少ない。法律で差別が禁止されており、被害を訴える仕組みが整っている。多民族国家なのでマイノリティーでも同国に仲間が沢山居る。
---
日本:非常に強い。人間関係を築きにくく、孤独や疎外感を抱きやすい。
カナダ:中程度。文化の違いはあるが、社会的な交流や受け入れの機会は比較的多い。
---
【まとめ】
原発が各地でメルトスルーとかしない限りは、日本列島に人は住み続けると思うけど、今の日本国という国家は、近い将来(四半世紀以内に)、別のものになるんじゃないかと思ってる。米中露のいずれかが単独で併合するか、それら各国が分け合うか、代理戦争の舞台となって東西に分裂するなどしそう。日本が最大限に健闘した場合でも国土が今より減っていそう。
中国なり、それが沈んだら次に出てくるアジアの覇権国家の航路上にある微妙に貧しい多民族国家として
今とは全く違う形でやっていくし滅亡はしないだろう
だがそれがどれくらいの期間なのかが変わるだけで
だから後はもう民意に従って、ひたすらインフラと介護と医療が崩れていく撤退戦をしながら
資産を食いつぶしつつ、インバウンドと、だんだん売れなくなる製造業輸出でなんとか小銭稼ぎして
微妙な規模のAIやロボ投資でお茶を濁し、労働力の急減に必死に対処してる間に時は流れ
とはいえ幸か不幸か、日本は地政学的に非常に重要な位置にあるので
中国なり、それが沈んだら次に出てくるアジアの覇権国家の航路上にある微妙に貧しい多民族国家として
今とは全く違う形でやっていくし滅亡はしないだろう
だがそれがどれくらいの期間なのかが変わるだけで
日本人マジョリティの、なんとなく続いてきたこの日本社会は終わる
これは間違いない
詰んでます
もう結論が出ている
30年間の猶予の間に、ソフトランディング的な計画的移民体制をつくるほどの能力は官僚にはなかった
無理だったと結論が出たので、無理です
今の政変でどっちが勝っても同じこと
対自民で左派がうまく団結できて政変もむしろ社保の放漫支出は強化され
それを補うために場当たり的に移民を増加させて、体制変更が早まるだけだろう
例えばイスラム系移民は日本の左派に世話になったからと言ってその背後にあるロジックを受け継ぐわけではない
それはそれ、これはこれで社会のイスラム化をそれなりの強度で求めていくはずである
逆に自民右派と維新やら参政党が糾合して右派大連立したところで
日本の予算をデッドロックしている社保に手を付ける云々はすぐに口だけになるだろう
わざわざ地獄の苦しみを味わってまで体制変更する気概なんてあるわけがない
まあ合法移民やら技能実習の枠を減らすぐらいはやるかもしれないが
そうしたら地方警察は維持できなくなり、不法移民を排除できなくなる臨界点はすぐに来る
ただでさえ日本の地方公務員の実質待遇はインフレで急速に悪化しているのだ
まあそれをスケープゴートに右派の政治権力は増大するかもしれないが
マジョリティに強権があったところでマジョリティ自身を根本的に変えたり罰したりすることはできないのだから
意味がない
とはいえそこまで悲観するような話ではないのだ
なんとなく皆違って皆が仲悪い
そんなのが普通な国々で、しかも高所得国家入りする前に何となく少子化が爆裂で加速している
それを見れば日本は
地政学的な運の良さがあったとしても、製造業爆裂ブーストに成功して何度も世界を席巻したのだから
まあ調子に乗って無茶な戦争しちゃったりバブルって壊したりしたのも御愛嬌というもので
アメリカでは商品の選択肢が無い:アメリカを例に見る資本主義による寡占化の弊害に関する経済社会学的考察|inpostarrr
https://note.com/impostor4545/n/n07f8454c34b5
20年前に食品関係の会社時代に勉強かねて旅行したことあるんだけど
このブログは商品の選択肢という点で描かれているけど、自分は食文化で似たような感想を思った
3億人もいるのに
多民族国家なのに
アメリカの食文化が貧弱な理由なんだけど自分なりに理由をリストにしたことある
これだよね
よく言われることではあるんだけど、日本人の食に対するこだわりが異常だよな
アメリカというかアングロサクソンは食べ物にたいしてそこまで気を配ってない
しらべるサイトによって違うけど、まぁ人口がいろいろ変動あるからね
とにかくアメリカは北海道よりも人口密度が低いってのは間違いない
お店なんて気軽にできない
これもよく言われる
ウォルマートみたいなでかいスーパーがドンとあって、ピンポイントに買い物するだけで終わる
夜中に街歩きなんて無理
劉仲敬は中国出身の歴史学者、思想家、作家であり、東アジアの歴史・民族問題、政治思想に関する独自の視点で知られています。特に「中国史の再解釈」や「民族・国家のあり方」に関する論考で注目されており、中国の体制批判や分裂論、地域主義的な思想を持つことで話題を集めています。
活動拠点:主に海外(日本やアメリカなど)、インターネット上でも発言多数
主な思想・特徴
劉仲敬は、中国共産党や中華思想が唱える「中華民族=一体的な統一民族」という見方を強く批判しています。彼は、現代中国の「中華民族」という概念は後付けの政治的な神話であり、実際には多民族国家である中国は複数の異なる民族・文化圏の集合体だと考えています。
中国の広大な領域を複数の地域に分け、それぞれが独立や自治を持つべきだという考え方を支持しています。歴史的には、元・明・清などの王朝も「多民族連合体」であり、単一民族国家ではなかったと強調します。
3. 「諸夏(しょか)」論
彼が提唱する「諸夏主義」とは、中国全体を「複数の夏(文明圏や文化単位)」の集合体とみなし、これらが連合してきたという概念です。これにより、漢民族中心の大中華主義を相対化しています。
国家や民族は歴史的・文化的に流動的なものであり、固定的・普遍的なものではないと考えます。そのため、現在の国境や民族単位も時代と共に変わっていくものだという視点を持っています。
日本人にとって注目される点
日本の歴史教育では、中国は連綿と続く一つの大国というイメージが一般的ですが、劉仲敬はそれを「作られた神話」とみなします。これは、日本の歴史認識や中国理解を見直すきっかけになるかもしれません。
劉仲敬は、中国の中でも特に少数民族や独自文化を持つ地域の独立・自治問題に関心が深いです。たとえば琉球(沖縄)を「独自の民族圏」としてとらえ、中華民族の範囲に含める中国の主張を批判しています。これにより、日本の安全保障や地域情勢への示唆を与えています。
彼の思想は中国共産党の一党支配体制に対する批判も含み、中国の未来や分裂可能性についての議論を促しています。中国理解の深化に役立つ視点です。
発信方法と影響力
劉仲敬は動画やブログ、SNSを通じて思想を発信し、特に中国語圏や日本、台湾、香港の知識層に影響を与えています。
学問的には異端ともされますが、彼の自由な発想と大胆な主張は、若い世代やネットユーザーの間で支持を集めています。
簡単なまとめ
ポイント 内容
ワイはムスリムにも理解を示したい。彼らが土葬をしたいという訴えをするのも自由だ。それを国がこれからの舵取りをする上でどう答えるか。労働人口が激減してインフラや社会保障から崩壊していくのを防ぐために、これから彼ら様々な宗教的バックグラウンドを持つ労働移民たちを受け入れるために法整備するのか。
それとも、ここは譲れないよ日本に来たら日本のやり方しかない、労働者が一千万人二千万人レベルで足らなくなっても国民に我慢させるよと答えるのか。
シンガポールがお手本になると思う。シンガポールは多民族国家で移民をずっと受け入れまくってるが治安は悪いか?侵略されたか?文化は破壊されたか?全然そうじゃないのは歴史と現実が証明している。
シンガポールは宗教の自由が保障されていて、そして多民族国家、多宗教国家としてうまくやってる。仏教、キリスト教、イスラム教、道教、ヒンズー教。そして無宗教者もそこそこいる。
シンガポールは常に経済成長を維持するため積極的に労働移民を受け入れてきた。移民政策として労働環境ガッチリ枠組みを作ってきたし(エリートから底辺まで)、それぞれのバックグラウンドである宗教慣習も尊重し寛容に制度設計したことで、労働移民に選ばれる国として成功している。
ムスリムにもハラル飯を提供し、土葬も認め、モスクまで建ててる。シンガポール政府は軋轢や差別が起きないよう宗教の調和を最重要としていて、宗教調整法という法律まで定めている。
そうして受け入れた移民たちは土建清掃造船製造介護家政婦(夫)という下支えから、ITやエンジニア医者に看護師金融や不動産や教育者といった中流からエリートまで集まり国家運営に成功している。
では課題は無かったのかといえばある。が、それを小さい問題に抑え込むことに成功しているのでそこもやはり学ぶところ。意外にもシンガポール国民側の不満は少ない。国土の小さい国のため住宅価格が上がって困るとか、職業の競争が激しくなるとか、あとはムスリムの祈りが1日に何回もあってウザいとか、家政労働者がモノを盗むんじゃないかとか。逆に言えばそれぐらいのもので、国民感情をその程度に抑え込めている。むしろ移民側の衣食住や賃金に対する不満が大きい。
基本的に労働移民に対して寛容な反面で厳格な制度(そもそも法律が厳しいし、軽微な犯罪でも帰国させられるし、底辺労働者は活動がある程度制限されたり)を作ることで国民の感情を守っている。そもそも、シンガポール人は幼い頃から異文化理解と共生、宗教的多様性についてインストールされる。そういった土台もあることで成功をおさめている。
移民を入れると治安が心配だ!ってよく言われるけどシンガポールは治安がいい国として知られている。どうしてそれが成立するのかと言うと、
でも現状の日本国は何故かそもそも移民を入れようと積極的ではないし、治安安定や差別解消のためのこれらシンガポールの実践に目を向けることもなく、結果としてXで見られるような少数外国人のマナー違反や軽犯罪を引き起こさせ、多くの日本人の外国人アレルギーを過剰に増大させる結果になっている。
在日外国人の極少数の悪さも日本人の差別煽動も政府の無策の結果引き起こされているものということに気付くことが最初の一歩だと思う。俺は外国人とよく接するがわざわざこんな極東まで来てくれるやつらに悪いやつは一人もいなかったよ。歴史認識の違いはよくあるし、文化の違いに慣れないことはあれど。SNSの差別煽動に流されず、これからの日本がどう沈まずにいられるか意識を持ち政治家を動かす世論を形成する一員となるべきだ。給付金が立ち消えになったように世論が政治を動かすことは証明された。
欧米と日本のルッキズム観が大きく異なる背景には、いくつかの要因が考えられます。主なポイントを挙げてみましょう。
アメリカなど多民族国家では、民族や肌の色、人種的背景など“見た目”に関わる要素が多彩です。また、暴力や犯罪から身を守るために「身体的な強さ」や「自分を主張する力」が重視される歴史的・社会的背景もあります。一方、日本は比較的同質な民族構成であるがゆえに、他民族間の衝突や生存戦略としての“強さ”という視点が表に出にくい。代わりに、より細部の顔パーツ(目や鼻、口元など)の美醜が「優位性を示す指標」として機能しやすくなっています。
日本ではアイドルや芸能人のビジュアル(特に顔のパーツ)が強調される傾向が長く続いてきました。テレビや雑誌、広告などで顔アップの写真やパーツごとの美醜に注目が集まることで、人々も自然と「顔こそが魅力の最大要素」と捉えがちになる。一方、欧米のメディアではモデルや俳優が身体全体のバランスや筋肉美を披露したり、アクティブに動く映像が多かったりと、体格やフィジカルの存在感が強調されやすい傾向があります。
たとえばヨーロッパやアメリカでは、伝統的に「自立した個人」としての生き方が尊重され、公共の場でも「自分がしっかり立っている」という姿勢が重要視されます。政治的・社会的な議論の場で、自信をもって主張できることは“強さ”と結びつき、それが「魅力的」な要素のひとつとして評価される。一方、日本は農耕民族の歴史が長く、集団調和を重んじるため、声高に主張し合うという文化が育ちにくい。その結果、「対立よりも調和を好む態度」が社会の基本となり、見た目の美しさにおいても「物静かだけど美しい顔」「華奢で繊細な顔立ち」といった、身体的強さとは別の方向の優位性が注目されがちです。
欧米の個人主義では、自分自身を周囲に示すことが生存戦略上も重要でした。ルックスの評価も「堂々とした振る舞い」や「自分の意見を表明する力」が含まれ、その延長で身長や体格の良さなどが「説得力」と結びつきやすい。一方、日本の集団主義的な文化では、外見も含めて周囲と調和することが大切とされ、全体の中で浮かない穏やかな顔つきや、洗練されたパーツのバランスなどが評価されやすい風潮があります。
インターネットやSNSの発達により、近年は日本でも身体的魅力をアピールするフィットネス系インフルエンサーが増えていますが、長らく続いた「顔こそが大切」という価値観をひっくり返すほどの大きなうねりはまだ限定的です。欧米のほうが社会の多様性や“セルフブランディング”への意識が先行して広まりやすい土壌があったため、顔のパーツよりも「全体的な自己表現」を重視する流れが根付きやすい側面があります。
まとめると、欧米では複雑な社会事情や個人主義的価値観のもと、身長や体格、自己主張力など総合的な強さが「ルッキズム」に深く関わってきたのに対して、日本は同質な社会環境やメディアの影響、そして調和を重んじる文化によって「顔パーツの美醜」へ注目が集まりやすい歴史を歩んできたと言えます。その結果、両者のルッキズム観には大きな隔たりが生まれているのです。
F・スコット・フィッツジェラルドの小説、「The Great Gatsby」は次のイントロで始まる。
In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice that I’ve been turning over in my mind ever since.
“Whenever you feel like criticizing any one,” he told me, “just remember that all the people in this world haven’t had the advantages that you’ve had.”
He didn’t say any more, but we’ve always been unusually communicative in a reserved way, and I understood that he meant a great deal more than that.
訳:
彼はこう言うた「誰かを批判しそうになったら、、、思い出しなさい、みんながキミと同じ境遇、能力、優位性を兼ね備えているわけではないことを」
普段あんまり細かいことごちゃごちゃ言う人や無かったけど、これがなんか頭に残ってるねん、ワイまだ若くて繊細やったしな。
このセンテンスは日本人で言えば
「吾輩は猫である」
レベルの著名なフレーズで、同書はアメリカ高校生は必読で頻繁に引用もされるので知らないアメリカ人はいない
トランプ大統領はコモンセンスをぶっ壊すというてるが、こいつは無理だろうってレベルでアメリカ人に共有されたコモンセンスの一つである
(多民族国家だから日本ほどの普及率ではないがマトモな教育を受けたミドルクラスならほぼ100%だろう)
で重要なのは「haven’t had the advantages that you’ve had.」だわね
教育者は「人の能力は生まれ持って同じ」と定義し戦後教育の再設計をした。
日本ではしばし炎上暴走が起きる、ブレーキがかからず対象者が死ぬか没落するか、土下座するまで止まらない
その様を観察してて、おれはいつもグレート・ギャッツビーのこの一節を思い出すわけです
2022-11-16 https://anond.hatelabo.jp/20221116085229#
↓
ワイ
Twitterでも本気で言ってそうなの見た
ウクライナが戦える体力があるわけないではなくロシアが無いんだと
それはともかく、ウクライナかもと言われていて出所は確定では無いらしいが
ロシアだったら最悪の事態だよな。無責任にウクライナの支援なんかするからこうなる
マジで落とし所なんかないでしょ、これ許しちゃったらポーランドの政治家は次の選挙で勝てないし、
ワイ
バカの認識はこんなもんだからバカみたいな西側プロパガンダって意味あるんだな
防衛費は買えってアメさんに言われてるだけでは?
とりあえず防衛費どうたらやってる暇があったら北朝鮮のミサイルなんとかした方がいい気がする
まぁフツーにウクライナのポーランドにミサイル着弾みたいな事故は起こり得るわけで、
やっぱアカンでしょ
で、それ止められないのに防衛も何もないでしょ
2022-11-13 https://anond.hatelabo.jp/20221113122956#
ロシア人キャラクターを肯定的に描く作品や、ハロウィンを楽しむ作品、クルーズを楽しむ作品なども配慮してもらえないだろうか。
↓
ワイ
震えるほどバカだな
2022-11-16 https://anond.hatelabo.jp/20221116001518#
↓
ワイ
ワイ 2022-04-08 https://anond.hatelabo.jp/20220408233013#
この世界には知的障害は無いのに日本が円安だってこと知らない生き物がいるらしいからすごいよな
いざという時は世界中でエネルギー争奪戦になることに微塵も想像も及ばない生き物もいるらしい
さらにいえばロシアとウクライナは小麦の輸出大国であり、合計すると世界の輸出量の3割だってことも知らない生き物がいるらしい
日本はロシア産小麦の輸入国ではないが当然小麦争奪戦になるので物価は上がる
そもそもコロナによる生産コストや海運運賃の上昇で元から上がってるところにトンガ噴火で冷夏が警戒されている
なんていう常識がないとか天然とか情報をシャットアウトしているとかの次元に無いよな
COVID-19の時も同じことを思ったけどさ
ワイ 2022-04-07 https://anond.hatelabo.jp/20220407131311#
人命が失われること・故郷を追われることに対しては
『残念』『あってはならない事』と世界中の誰もがサイコパスじゃなきゃ思ってるでしょうけど
人命が失われること・故郷を追われること以外に対しては
いつもの欧米とそれ以外のエネルギー戦争で終わる話だと思ってます
つかこのルーブル以上の下落のセルフ制裁円安・物価高の中、欧米に追随してロシアと日本のエネルギー協力を無に返すのかよ・・・って思ってます
油輸入の中東依存は約9割にのぼります。ロシアは地理的に近いのにあのさぁ・・・って思ってます
あ、ガスは言うまでもなく大打撃ですね
私は30代前半だが、子供の頃と比べて、今は何もかもが変わったように感じる。特に目立つ変化は、外国人の比率だ。私は90年代を子供として過ごし、2000年代に学生時代を送ったが、当時は外国人は非常に珍しい存在だった。40人のクラスに、外国にルーツを持つ人が一人いるかどうかという状況で、街を歩けば日本人ばかり。外国人を見かけるのは、東京に行ったときぐらいだった。
それから約20年が経ち、この国は大きく変わった。特に、第2次安倍内閣では経済界からの要請を受け、東南アジアから技能実習生として多くの外国人を受け入れる政策が取られた。当時私は20代で、上の世代の「氷河期世代」が政府の失策により就職できない状況にあったのに、労働力が不足すれば低賃金で外国人を雇うという流れに、うんざりしたのを覚えている。
企業は利益を最優先にし、国の将来についての長期的な視点は考慮されず、短期的な合理性から外国人労働者を採用するようになったのだろう。
それから10年が経ち、外国人は街中で普通に見かける存在となった。2023年10月末には、外国人の比率が過去最高の2.5%を超えた。このままのペースで進めば、2067年には10人に1人が外国人となる時代が訪れると予想されている。
私は20代前半の頃、アメリカに住むことを夢見て、実際に2年半ほど留学した。その時に感じたのは、アメリカが多民族国家として、世界で最も早くその課題に直面している国だということだった。かつてアメリカは「人種のるつぼ」と言われていたが、実際は人種ごとに生活が分かれており、今では「人種のサラダボウル」と呼ばれることが多い。富裕層の白人やアジア人は、貧困層が立ち入れない「ゲーテッド・コミュニティ」に住み、黒人などの低所得者層は治安の悪い地域で暮らしている。
アメリカで私が考えたのは、「日本という国が多文化共生に耐えうるのだろうか?」という疑問だった。よく日本人は「日本は治安が良い、宗教がないからだ」と言うが、私から見ればそれは誤りだ。日本が平和である理由は、日本人という単一民族が、共有された価値観を持つ社会を形成しているからだ。日本人はこれまで、異なる価値観を持つ民族集団と対立し、それを解決する経験をほとんど積んできていない。
ネット上でも、中国人や韓国人といった比較的似た価値観を持つ集団に対してさえ、批判的な意見が多い。似通った集団に対してもこうであるならば、全く異なる慣習や宗教を持つ中東の人々を受け入れた場合、一体どうなるのだろうか。また、多くの日本人はまだ知らないが、ヨーロッパでは多くのイスラム教徒が現地のヨーロッパ人との間で文化的な摩擦が生まれている。日本人はそれを受け入れ、多文化共生することができるのだろうか。日々、そんなことを考えながら生活している。
キーワードは「一貫して右派・民族主義」 「ウクライナの第二戦線を回避」
ジョージア(旧グルジア)はソ連から独立したグルジア人主導の国家である。
当然ながら多民族国家であるものの、民族主義の影響が強く少数民族のオセット人とアブハジア人は中央政府からの弾圧に反発して独立と同時に武装蜂起し、現在も実効支配が及んでいない。
1993年には国際連合グルジア監視団(UNOMIG)の国連平和維持部隊が派兵されている。
その後もオセット人自治州(南オセチア:ソ連時代からグルジア共産党と距離のある地域で100年以上融和できていない)では電気や水道を止められるなどしていた。
2008年、ジョージアのサーカシヴィリ政権は南オセチアとUNOMIGの警察活動を攻撃した。
ロシア人に死者が出たことからロシア軍が介入し、5日間で首都を攻撃され、和平し戦争は終結した。
ここら辺で反ロシア感情が一時的に強まったものの、そもそも「米英に踊らされて戦争に突っ込んでしかも負けた」という批判も強く、民族右派も割れていた。
以降の流れ
ここまでの流れでグルジアの民族主義者の100人に99人はサーカシヴィリを米英の犬扱いするようになり、
サーカシヴィリ一派を復権させることでウクライナ戦争の第二戦線をコーカサス地方に作られるのではないか?と安全保障上の懸念が生まれた。
https://web.archive.org/web/20240901055940/https://anond.hatelabo.jp/20240831230120
https://anond.hatelabo.jp/20240831230120
探す機能で場所を検索してみると、本日訪れた大型スーパーの周辺にあるらしい。
恐らくセルフレジでポイントを登録したときに操作したまま置き忘れたようだ。
私「すいません、店内でスマートフォンを忘れてしまったのですが。今日の12時から13時です」
男「あ、13時。はい。少々お待ちください。」
その後5分ぐらいでスマートフォンは戻ってきた。ロックを解除して私の所有物だと証明する。お礼をいう。ここまでは良かった。むしろ私のスマートフォンを拾ってくれた店員には感謝しかない。
男「それではちょっと書いてもらいたい書類があるのですが。日本語は書けますか?」
私「はっ?」
それまでのスマホが無事に見つかったときの安堵感。ちゃんと拾ってくれて店内のバックヤードなりで預かってくれたスーパーの店員に対する感謝の気持ち。
それらの安らかなプラスな感情が全てひっくり返って、一瞬でズブ黒い負の感情に差し替わった。
男の店員から差し出されたのはボールペンと何かの受取証みたいなもの。
多分、遺失物として警察に届けていたからその手続きの関係で書くのだろう。
私の過失でわざわざ警察にまで何か連絡させてしまったのは痛み入るが、とにかく、そこにあったのは、私の名前と住所と電話番号だけを書くだけの1枚のペラペラの書類。
もちろん他にも色々と書いてあったとは思うが、とにかくこの時点で脳溢血するほど憤死しそうな感じで怒りの感情で支配されていたので、書類の中身は知らない。
男「あ、そうでしたか」
私「・・・拾ってくれた手前感謝はしてるけど、すごく気分が悪いですね」
男「すいません」
私「なんでそんなことを?」
男「外国の方かと思ったので」
私の外見から言うと髪の色は黒。肌の色は黄色で少し焼けてる。背丈も低い方。メガネはかけておらずマスク着用。
くたびれた中年の日本人にしか見えないと思う。韓国人みたいなサラサラの髪型やメイク、中国人みたいなツヤツヤの肌やメガネはしていない。
少なくとも容姿からは外国人を想起させる要素はどこにもないし、スマホだって別に外国人のものと感じさせるようなアクセサリーなどは一切ないはず。
なぜ、この男は私を外国人と決めつけた。別に外国人が多い地域ではないし、外国人が多く利用するスーパーでもないだろう。
たとえば預かってもらったスマホに外国語のメッセージが表示されていたとかなら分かるが、そんなのは普段からOSレベルでもう100%純粋の日本語一択だ。英語すら怪しいから。
しかもだ。
店員から提示された書類は、名前と住所と電話番号を書くだけのもの。
たとえ外国人であっても日本に来て半年から1年ぐらいあればすぐに書けるレベルのものではないか。
逆に言うと、そのレベルの識字能力もない外国人の人間だと決めつけられた。
自分の 名 前 と 住 所 を 日 本 語 で 書 け な い レ ベ ル の外国人と決めつけられた。
自分の 名 前 と 住 所 を 日 本 語 で 書 け な い レ ベ ル の外国人と決めつけられた。
自分の 名 前 と 住 所 を 日 本 語 で 書 け な い レ ベ ル の外国人と決めつけられた。
心の底から、腸の底から煮えくり返るような憤怒。もう頭に血が登ってカンカンと何か煮え滾るほどの沸騰が今起きている。
それと同時に感じているのは、これを侮辱と感じるのは私だけなんだろうかという冷静な気持ちもある。
川口のクルド人も話題だが、日本は日本人だけの国ではなくなってきており、差別的な言動を行う人はネトウヨなどの扱いを受けつつある。
だからこそ「お前は外国人ですか?」と尋ねられただけで憤怒する人は、影では外国人のことを下に見ているというそしりは免れないだろう。
むしろ多民族国家の国であればルーツについて語るのは挨拶程度なのではないだろうか。
しかし、ともあれ私の心は荒波のように揺れており、もう腸が煮えくり返っている。怒髪天だ。
私は決してネトウヨではない。なのに外国人扱いをされたことを最大級の侮辱だと感じて、この店員ひいてはこの会社の上司に鬼電して罵声を浴びせないととても心が収まらないほどの屈辱を受けて大きく心が傷ついている。
これは恐らく数年いや10年は引っ張るだろう。もっとか。それぐらいの心がえぐられた。
置き忘れたスマホを拾ってくれた手前、そう大っぴらに怒ることもできない。
しかし怒りのあまり、その場にあった段ボールを蹴っ飛ばすぐらいのことをして退店した。
それだけでは収まらない。
帰宅した直後にそのスーパーの会社のサイトを開き、問い合わせフォームにスマホを拾ってくれたことの感謝と軽い顛末を書いた上で、どうして憤怒しているかについて述べて、責任者と直接電話で話したいから至急連絡をくれと書いて送信した。
そのときにまだ憤怒していればの話だが、恐らくこの怒りは寝たら倍増して明日にはもうとんでもないレベルに達すると思う。
しかし、こんなに怒るのは私だけなんだろうか、という疑問も依然としてあるのだ。
日本在住ン十年、先祖代々からの日本人が「自分の名前と住所を書けないレベルの外国人」に間違えられることは、果たして侮辱なのだろうか。
探す機能で場所を検索してみると、本日訪れた大型スーパーの周辺にあるらしい。
恐らくセルフレジでポイントを登録したときに操作したまま置き忘れたようだ。
私「すいません、店内でスマートフォンを忘れてしまったのですが。今日の12時から13時です」
男「あ、13時。はい。少々お待ちください。」
その後5分ぐらいでスマートフォンは戻ってきた。ロックを解除して私の所有物だと証明する。お礼をいう。ここまでは良かった。むしろ私のスマートフォンを拾ってくれた店員には感謝しかない。
男「それではちょっと書いてもらいたい書類があるのですが。日本語は書けますか?」
私「はっ?」
それまでのスマホが無事に見つかったときの安堵感。ちゃんと拾ってくれて店内のバックヤードなりで預かってくれたスーパーの店員に対する感謝の気持ち。
それらの安らかなプラスな感情が全てひっくり返って、一瞬でズブ黒い負の感情に差し替わった。
男の店員から差し出されたのはボールペンと何かの受取証みたいなもの。
多分、遺失物として警察に届けていたからその手続きの関係で書くのだろう。
私の過失でわざわざ警察にまで何か連絡させてしまったのは痛み入るが、とにかく、そこにあったのは、私の名前と住所と電話番号だけを書くだけの1枚のペラペラの書類。
もちろん他にも色々と書いてあったとは思うが、とにかくこの時点で脳溢血するほど憤死しそうな感じで怒りの感情で支配されていたので、書類の中身は知らない。
男「あ、そうでしたか」
私「・・・拾ってくれた手前感謝はしてるけど、すごく気分が悪いですね」
男「すいません」
私「なんでそんなことを?」
男「外国の方かと思ったので」
私の外見から言うと髪の色は黒。肌の色は黄色で少し焼けてる。背丈も低い方。メガネはかけておらずマスク着用。
くたびれた中年の日本人にしか見えないと思う。韓国人みたいなサラサラの髪型やメイク、中国人みたいなツヤツヤの肌やメガネはしていない。
少なくとも容姿からは外国人を想起させる要素はどこにもないし、スマホだって別に外国人のものと感じさせるようなアクセサリーなどは一切ないはず。
なぜ、この男は私を外国人と決めつけた。別に外国人が多い地域ではないし、外国人が多く利用するスーパーでもないだろう。
たとえば預かってもらったスマホに外国語のメッセージが表示されていたとかなら分かるが、そんなのは普段からOSレベルでもう100%純粋の日本語一択だ。英語すら怪しいから。
しかもだ。
店員から提示された書類は、名前と住所と電話番号を書くだけのもの。
たとえ外国人であっても日本に来て半年から1年ぐらいあればすぐに書けるレベルのものではないか。
逆に言うと、そのレベルの識字能力もない外国人の人間だと決めつけられた。
自分の 名 前 と 住 所 を 日 本 語 で 書 け な い レ ベ ル の外国人と決めつけられた。
自分の 名 前 と 住 所 を 日 本 語 で 書 け な い レ ベ ル の外国人と決めつけられた。
自分の 名 前 と 住 所 を 日 本 語 で 書 け な い レ ベ ル の外国人と決めつけられた。
心の底から、腸の底から煮えくり返るような憤怒。もう頭に血が登ってカンカンと何か煮え滾るほどの沸騰が今起きている。
それと同時に感じているのは、これを侮辱と感じるのは私だけなんだろうかという冷静な気持ちもある。
川口のクルド人も話題だが、日本は日本人だけの国ではなくなってきており、差別的な言動を行う人はネトウヨなどの扱いを受けつつある。
だからこそ「お前は外国人ですか?」と尋ねられただけで憤怒する人は、影では外国人のことを下に見ているというそしりは免れないだろう。
むしろ多民族国家の国であればルーツについて語るのは挨拶程度なのではないだろうか。
しかし、ともあれ私の心は荒波のように揺れており、もう腸が煮えくり返っている。怒髪天だ。
私は決してネトウヨではない。なのに外国人扱いをされたことを最大級の侮辱だと感じて、この店員ひいてはこの会社の上司に鬼電して罵声を浴びせないととても心が収まらないほどの屈辱を受けて大きく心が傷ついている。
これは恐らく数年いや10年は引っ張るだろう。もっとか。それぐらいの心がえぐられた。
置き忘れたスマホを拾ってくれた手前、そう大っぴらに怒ることもできない。
しかし怒りのあまり、その場にあった段ボールを蹴っ飛ばすぐらいのことをして退店した。
それだけでは収まらない。
帰宅した直後にそのスーパーの会社のサイトを開き、問い合わせフォームにスマホを拾ってくれたことの感謝と軽い顛末を書いた上で、どうして憤怒しているかについて述べて、責任者と直接電話で話したいから至急連絡をくれと書いて送信した。
そのときにまだ憤怒していればの話だが、恐らくこの怒りは寝たら倍増して明日にはもうとんでもないレベルに達すると思う。
しかし、こんなに怒るのは私だけなんだろうか、という疑問も依然としてあるのだ。
日本在住ン十年、先祖代々からの日本人が「自分の名前と住所を書けないレベルの外国人」に間違えられることは、果たして侮辱なのだろうか。
2023年に帰化したばかりで血筋は純外国人のモデルやってるだけの女がミス日本になっちゃう我が国ってなんなの
金髪碧眼の白人であり、美貌を持ちつつ「強い女」「戦う女」である
Caressa Cameronのように黒人がミス・アメリカになった例もある
それはそれで「アメリカらしさ」がある
2014年はミスのNina Davuluriはインド系、準ミスの李万晴は中国系である
金髪碧眼はアメリカらしいし黒人もアメリカらしいしアジア系でもアメリカらしい
多民族国家はなんでもらしさになる
5歳から日本で暮らし、両親離婚後に母親が再婚した相手は日本人なので、本人のアイデンティティは日本にあるのだろうけど
剣道や柔道で段持ってるとか、「白人の美貌」を活かしたモデル業以外にも「日本っぽい」技能があればホルホルできるんだが
背景に持つ「物語」が弱い
https://www.pen-online.jp/article/015094.html
マディソン・マーシュ(22歳)は米空軍の少尉だ。パイロットの免許を取り、宇宙飛行士になるという夢を抱きながら、4年前に士官候補生として米空軍士官学校に入学した。現在は、名門ハーバード大学ケネディスクールで公共政策についての研究も行っている。
そんな彼女は、2023年5月にコロラド州でミス・コロラドに選ばれ、「ミス・アメリカ」の出場権を手にした。「ミス・アメリカ」に現役の米軍隊員が出場するのは初めてのことだ。そして現地時間1月14日、フロリダ州オーランドで開催された「ミス・アメリカ」で見事優勝したのだ。
https://madamefigaro.jp/society-business/240114-miss-america.html
彼女の考えでは、軍隊とミスアメリカ組織の間には、「地域社会への奉仕の重要性」を強調するなど、共通の価値観が存在するからだ。その一方で、人々とのつながりを築き、優れたリーダーになるために、「輝かしい履歴書を用意すること」と「人前で話す方法を知ること」も重要である。彼女はまた、ミスであっても筋肉質になれることを示すことで、「先入観や固定観念」を払拭するつもりだ。彼女はまた、女性がスポーツを始めるきっかけになり、多くの若い女の子たちがパイロットや宇宙飛行士になるきっかけになることを望んでいる。