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はてなキーワード: 大学とは

2025-11-21

anond:20251121232243

中学受験させるのは、基本的には、大学合格実績が良くて生徒の毛並みも良い中高一貫校合格させるためだよ。それ以外の理由なんておまけだ。

anond:20251121131218

横だが、元増田氏はそういう連中の存在を知らないと言ってるわけではなかろう。むしろ逆で、そういう連中のことは十分理解できるのだが、という話だろう。

だいたい大学受験でやっとこさ入れ大学に無理矢理でも入ろうとするって意味ないよね。入ってから苦労するのが目に見えてる。

実家暮らし学生増田

割りのいい大学実験バイト(ただし他校)(治験じゃないよ、心理学実験っぽい)があって応募したら採用された

嬉々として親に言ったら「割りが良すぎる(言うても7000円)から怪しい」「どうして学内募集しないんだ?(知るかよ…校外の意見が聞きたいんじゃないのか)」「闇バイトじゃないのか、本当にその大学バイトじゃないのか、嘘じゃないのか(インディードのように無法地帯ではなく、ちゃんとしたバイトサイト審査があるって聞いても聞きやしない、恥を忍んで採用担当の人に聞いてもちゃん大学から依頼受けてますと言ってくれたと言っても嘘だ!と言って聞きやしない)」「もしきちんとしたバイトだったとしても、増田が今後割りのいいバイトを探すうちに闇バイトに引っかかりそうだからやめろ(もはやいちゃもん)」

粘ってるうちに「3万でも2万でも出す!だから辞退してくれ!」と言われて、もう採用決まってるのに迷惑をかけて泣く泣く辞退した

辞退したその日、万単位でくれるって言ったよな?と話持ちかけたら「うちは今赤字なんだ」と言われた

「は?あんなに仕事辞めろって言ったから辞めたんだろうが!赤字だって知ってたら這いつくばってでも仕事行ってたわ!仕事を辞めさせて退路封じてから赤字だって言うの辞めろよ!!!」と怒鳴ってしまった

そしたらしぶしぶ7000円くれることになった、米代の5000円を引いた金額で…(つまり2000円)

赤字だ、赤字だと実の子メソメソ言いながら根拠のない妄想仕事を奪うってあり得ないだろ

偏屈妄想老人との同居生活理不尽なことばかり起きる

これから割りのいいバイトがあったらぜっったい親には言わない!

文書作成で例えば文字数は25字×16行でそれを4枚など

はじめに

PCを使った文書作成文字数や行数に指定がある場合の手順。

大学レポートなどの指定がある場合作成方法である

例えば1行が25文字でこれを16行でB5一枚の文書とする、それを4枚まで・・など。

https://tk-univ-seitoku.jp/sy/2025/reporting_precautions/

さらに改行空白や指定されている1行の空白まで含めての場合、どのように文章作成するのだろうか。

レポート文字数については、レポート用紙の最初課題No.、設題No.記入と本文までの1行分の空白、必要句読点、改行の空白を含めカウントします。

このやり方を見ていこう

ソフトウェア

LibreOffice writer作成しようと思ったがGoogle ドキュメントも合わせて使用することにした。LibreOffice writerでB5の文書作成したところどうも文書が大きく感じられたので、LibreOffice writer文章だけを作成し、Google ドキュメントへ貼り付ける形とする。

どちらも無料である

もっといいソフトウェアがあるかもしれないし、私が知らないだけでもっといい機能があるかもしれない、2025年11月現在にいい機能がなくても今後追加される可能性はある。

考え方

課題Noとか、改行の空白を含むというところで、行の中心の課題Noと左右の空白も数えるのか?、改行したら後ろの空白を全部数えるのかと思うかもしれないが、実際は単純である

1行が25文字なので、1行の文字制限を25文字にしてから入力しそれが16行ずつあればいいのである
空白も数える(つまり見える文字と空白も同じ扱い)のだから文字制限が25文字状態で見える文字だろうが空白だろうが入力して、16行ずつあればいいのである


手順

前述の通りLibreOffice writer文章作成し、Google ドキュメントへ貼り付ける形とする。
LibreOffice writer文章作成する。

(1)1行を25文字設定にする

本当は25文字×16行で書きたかったが、両方の同時の設定は何故か出来なかった。縦横比率制限??

書式→ページスタイル→行数と文字数指定(行罫線のみ)を設定

[一文字の最大サイズ]を小さくし、1行の文字数を25に設定。(一文字の最大サイズは、1行の文字数が25が入るだけの大きさまで下げる)

(2)行番号を表示する

ツール→行番号付けを設定する。

(3)16行×4枚になるまで文書作成する。

ここでは一枚あたりの行数(16行)が守られないが気にしなくて良い。

何ページになってもいいので、16行×4(64行)になるまで文章作成する。

課題No.、設題No.記入と本文までの1行分の空白も普通文字入力と同じで入力する。字下げや改行も気にせずに通常通り行って良い。

Google ドキュメント文書ファイルの準備を行う。

(1)ページ設定でB5のサイズとする。

(2)余白の大きさを設定する。

(3)文字サイズ大学指定の10〜12ポイントフォントも合わせる。

(4)[ツール] → [行番号] で行数表示する。

(5)設題Noなどもここで入れておく

(6)ページ番号も入れておく

(7)罫線表示(リンク先の書式では罫線が表示されているため)。CTRL+Aでファイル全体を選択し、表示形式段落スタイル→罫線の網かけで上、下、真ん中に罫線設定。

罫線が何故か二重になる部分があるだろうが、個別選択し(全体を選択ではない)表示形式段落スタイル→罫線の網かけで二重部分から一本消す。

(8)文字の間隔を調整し、1ページに16行がぴったり収まるサイズとする。これが面倒くさい。

手順は文書内を全選択し(Ctrl+A)行間隔と段落の間隔で行指定(1行とか、1.15行とか、カスタムとか)で微調整し1ページに16行がぴったり収まるサイズとする

LibreOffice writer作成した文章Google ドキュメント作成された文書ファイルに1行(25文字)ずつ貼り付ける。

1行は空白も含め25文字だった。LibreOffice writer作成した文章は1ページ16行になっておらずばらばら、Google ドキュメント作成された文書ファイルは1ページの行数は16行ぴったりに固定した。

LibreOffice writer作成した文章の1行1行(25文字)を、Google ドキュメント作成された文書ファイルに貼り付けていく。

設題Noとその下の空白を除けば64−2で62回コピペ(62行分)コピペすることになるはずだ

一応この手順で指定フォーマットでの作成可能だと思う。

anond:20251121210157

ノンノ

今はみんな大学に在籍中に見つけて

2、3年目でその人と結婚してまんがな

anond:20251121205744

そうだよ不公平だよ

俺は高校とき親が死んで大学に行けなくなった

奨学金制度自体を知らなかった

学校は俺の情報自衛隊に流したらしく自衛隊スカウトは来たが奨学金のことは教えてくれなかった

anond:20251121105600

分かるんだがとか言いつつ、なんも分かってないあたりが勉強だけできる人って感じ。

大学でも大学院でも浮いてただろうな。

東大でも、この手の奴が浮いてるのよく見たわ。

アンケート系の卒論

これ見ると毎回文めっちゃ楽そう〜って思う。実際楽だと思う。

適当Twitter100人くらいアンケートって集計して、適当蘊蓄並べておけば卒業できるんだし。

本当にこんなんで○○大学社会△△学部卒って名乗っていいってマジ??毎秒卒業するわ

名前の縁っていうのはあるものだと思う

わたし大学同期で仲良かったグループ4人は、みんな同じ名前の男と結婚たか付き合ってるからな(現在進行形

もし全員同じ名前の男と結婚したら、何らかの力が働いたとしか思えない

anond:20251121140024

男子校あがりは、勘のいい子は大学チューニングできるんだけど、男女いる環境で苦労する子は多いよね...

anond:20251120192403

幼少期にドキド土器の収録された巻を買ってもらって、いつも読んでましたよ…😟

藤子F先生は、ああいう夢追い人というか、夢を追い続けて大人になれない大人、みたいなの描くの好きですよね…😟

同じものをA氏が描くと、黒服セールスマンがやってきてドーン!する、露悪趣味のウシジマくんみたいな話になっちゃますけど、

F先生の描く話は、どこか慈悲があったり、あの可愛い絵柄だからこそ、救いようのないオチとの落差で恐怖感が増すとか、

自分は断然F先生派です、ドラえもんオバQもそうだし…

A先生は、魔太郎笑うセールスマンハットリくん、とかですよね…😟

藤子F絵もいいよなあ…😟

子供の頃はコロコロコミック読んでて、でも途中でガンプラブームになって、再放送ガンダムに夢中になって、

そこで藤子F先生の絵が、正直幼稚というか、ビッグコミック大人向けのSF短編読んでも、子供理解できないというか、共感できないというか、

大人になってから、抱け!抱け!とか理解できるようになるわけで…😟

でも、リアルロボットだっていつかは冷めるわけで、中高で大友士郎正宗マイブームになって、

大学入ったら、また藤子F読むようになったんですよね、不思議ものです…😟

企業研究所はろくなもんじゃ無いな

大学研究論文提出とかでまだ頑張ってる感があるんだけど

企業研究所だとか新規事業みたいなの大半がPoCのお遊びすぎて害悪なのに

それが素晴らしいみたいに本気で思っててマジで終わってる人間しかいない

やたら金をかけて実験とかやってるんだけど結果を社内で共有して「可能性を感じた」とかで終わり

せめて企業知名度アップを狙って広報するとかYoutubeに上げるとかやれよ

マジで会社の金で遊ぶだけ遊んで定期人事でどっかに異動になって終わりとかふざけてるわ

関大に行くために小中学生の内から勉強というのに違和感がある

私は東大卒である。現役で東大合格し、その後大学院まで出てから就職した。

東大と言うと、難関中高一貫校出身とか、ずっと塾や予備校通いで凄く先取りして勉強してたとかイメージされることも多いと思うが、私は全く違った。

私は地方一般的な家庭出身(両親はどちらも大学に行ってない)で、中学普通に地元公立だった。というより先輩にも同級生にも中学受験をするなんていう人は一人もいなかったので、小学生当時の自分中学受験というもの存在すら知らなかった。

高校普通公立高校だった。実家から自転車で通える距離進学校というだけの理由だった。別に県内トップでもなくいわゆる「自称進学校」で、文武両道を掲げるけどどっちも中途半端みたいな地方によくある公立校だ。

から有名な進学校のように高3までの内容が高2のうちに終わるみたいなのは全く無くて、むしろ科目によってはセンター試験が終わってもまだ全範囲が終わってないというレベルだった。

高校時代も1年生の間は勉強なんてせず部活ばかりやってた。別にレベルが高い部活じゃなくて(むしろ地区予選1回戦を勝てたらラッキーレベル)ただ友達と単に楽しくてやってただけで、テスト前の部活禁止期間でも隠れて練習してたり部室で駄弁ってたりしてた。

高2の夏になって急に勉強したくなってやり始めたが、それでも家ではやる気が出なかったので平日は放課後学校に残って下校時刻まで1日2,3時間程度、土曜は学校自習室半日程度勉強してただけだった。日曜はリフレッシュ日として受験期までずっと勉強しない日に設定していた(なんだかんだ最後の方は模試とかで潰れたけど)。

予備校には模試を受けに行った以外は一度も通っていない。通信教育家庭教師も無し。自分情報を得て自分市販の教材を買って勉強してた。

それでも現役で東大に受かった。点数も合格者の平均点を超えていたので結果的には余裕だったと言えるのだろう。

自慢とかマウントとか取られても別に良いけど、これが私から見た事実だし、私にとって「普通」の人生だった。

中学校の勉強なんて授業さえ聞いていればテストで満点取れるのが当たり前、高校だって授業聞いて教科書読めば理解できないことなんて一つもないし、ネット上に転がっている勉強法や受験指南情報を参考に勉強すれば誰に教わる必要もなかった。

から小学生のころから毎日塾に通って寝る間も惜しんで勉強して中高一貫に進み、そこから予備校に通ってずっと勉強・・・なんて本当に必要か?と思う。

とりあえず授業だけ真面目に聞いて普通について行けてさえいれば高校から自分意思勉強したって難関大ぐらい入れるし、むしろ子供の頃なんて沢山遊んで経験を積んだり体力を付けたりする方が受験の面でも得なんじゃないかな。

・・・いやまぁ実際は分かってるんだよ。世の中の人たちって別にみんな私と同じぐらい勉強ができるわけじゃないということは。

授業だけ聞いていればテストで満点を取れるというのが当たり前じゃないことも分かってる。真面目に勉強してても中々成績が伸びない子がいるもの分かってる。

それでも私は私の人生しか経験していないので、そうでない人の気持ち本質的にはどうしてもわからない。分からいから、子供のうちから勉強勉強受験戦争に巻き込まれる子たちが可哀想だなぁと素朴に思う。ただそれだけの話。

大学群 順当に講義きつくバカが苦戦よここ

じゅん 順天堂大

とう 東京大

に 新潟

こう 神戸

ぎ 岐阜薬科大

き 京都

つくば 筑波

かがく 東京科学

せん 千葉大

よここ 横浜国立大

今更だけど、予備校のノリで学ぶ「大学数学物理」、

これ、面白いね…😟

深夜に目が覚めちゃって、Sabatonでも弾くか、みたいに思って、

YouTubeカラオケになる動画探そうとしたら、オススメにあったんで観てしまった…😟

2025-11-20

学校勉強運動も苦手な息子(小五)が将来独り立ちできるようになるため、親は何をするべきか

小五の息子。

学校テストはいつも40~60点の間をウロウロしており、悪いとき20点代もある。俺(父親)が自宅で勉強を見てやっても分かるが余り勉強が得意な方ではない。

運動も苦手で、小学校入学と同時に入ったサッカークラブは全く着いていけず半年で辞めてしまった。学校の体育も、補講を受けるほどではないが芳しい活躍はしていないようだ。

実は念のため幼児の時から発達検査などを受けていたが、全てシロ。なんの診断も降りなかった。

実際、学校の態度で何か言われたこともなく、サッカークラブを辞めたころ多少反抗期は有ったが基本的に優しい子だ。

要するにちょっとだけ要領が悪くて奥手なだけで、普通ゲーム好きな可愛い息子である

顔も、ゲーム好きなところも、ちょっと生意気性格も全部俺に似ている。

勉強以外は。

俺は公立の小中高を経て、実家から通える京大工学部に入った。特に勉強を頑張った記憶はないし塾にも行っていない。体育や音楽の実技はてんでダメだったが、五教科は学校の授業をなんとなく聞いていたらそれで十分だったからだ。陰キャ友達徹夜スマブラしたりしていたことの方がよく覚えている。

大学でもゲームサークルみたいなところに入ってポケモンモンハンにはまりバイトあんまりせずゲームばかり修士までの6年間続けて、学科の推薦で今のメーカー研究職に収まった。

こう書くと嫌みにしか聞こえないが、俺は学校勉強で苦労したことがないから、今息子に本当の意味で寄り添えている自信はない。

息子が小学校テストでつまづくとは正直思わなかった。彼は何が分からないのかが俺には分からない。教科書読んだらテストの準備なんてそれで終わりと思っていた。

妻は今からでも中学受験に切り替えればとか言っているが、正直今からでは間に合わないと思う。

それに、多分息子本人のためにもならないと思う。無理やり中受の勉強をさせても身が入らないだろうし。

でも、学校勉強で良い点を取って良い大学に受かって良い会社に入る、という昭和臭全開の人生しか俺は経験していないから、その勉強が出来ないとなったときに、将来息子が独り立ちするにはどうすれば良いかが分からない。勉強が苦手で、今のところ他に得意なことも見つけられていない我が子に対して、親は何をしてやれば良いのか分からない。

机に縛り付けて勉強させた方が良いんだろうか。金をかけて色々な習い事をさせた方が良いんだろうか。

山上被告報道を見ていて思ったこ

長くなったので読みにくいかもしれません

あと、あまりここの空気感理解できていないかもしれません

半年ROMれてませんが匿名性が必要だったのでここに書かせていただきます

乱文ご容赦ください

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

テレビ山上被告裁判報道が流れてくるたびに

援護が無さすぎるのではないかと思い、やっぱり納得がいかないと感じたので

ここに書きにきた

 

 

 

以前から何度も書こうと思っていたけれど

どうしても書けないまま 何年も過ぎてしまったが

まり社会の様子は変わらず、

まり山上被告裁判報道を見るのが辛かったので

なんとか書き始めた

 

 

ーーーここからは私が統一教会にいた頃の話が出てきます

フラッシュバックなど、読むのが嫌だと感じる場合スルーしてくださいーーー

 

 

 

 

 

あの日の銃撃の報道は今も忘れられない

呆然とした

 

正直なところ

ショックとか 人が亡くなったということ以上に

 

「どうして今になって」と思った

 

 

 

私が統一教会から逃げ出して10年は経っていて、

ようやく悪夢を見て、ドキドキしながら目覚めることが無くなってきていた頃だった

 

 

 

逃げ出した後も燃え尽き症候群のようになり

ベッドから起き上がれなくなる日が続いて

一度は「こんなに辛いならもう死のう」と思ったけれど

 

死ぬ元気があるならそれで好きなことしようぜ…死にたいなら

いつでもそのボタン自分が持ってるんだから もう私は誰にも縛られてないんだから」と思い

 

 

 

誰にも助けてもらえないので(親に話したが困惑されて流されただけだったので)

自ら自立支援センターにかかり、カウンセリングを受け、

それでもなかなか人への恐怖や組織へ入る恐怖を克服できなかったので

バイトもできず

 

ニートを経て、なんとかフリーランスを細々始めて

それでも人が怖くて怖くて

いつも人の顔が見れず震えて汗をかいたり

人と会ったあとは部屋で寝て起き上がれなかったり

遠出ができなかったり

 

 

そういうことがようやくひと段落つき始めていた頃

「ようやく最近少しずつ人と話せるようになってきたな」

「ようやく教団の元仲間から説得のメールが来ることも無くなってきたな」

と思っていた頃に

 

その事件報道で流れた

 

 

 

なんだかバカバカしくなってしまった

 

 

誰にも言えなくて

から付き合いのある友人にも言えなくて

両親に言っても「よく出てきたな」と言われるだけで

具体的なケアは何もしてもらえない中で

自分で考えて一歩一歩、精神ケアに励んだ10年間

 

宗教施設で共同生活をしていて就活タイミングを逃しました」

「経歴に書けることがありません」

宗教施設生活していた影響で人が怖くてしょうがなくてバイトすらできません」

燃え尽き症候群のようになって社会生活を人並みに送ることがどうしても難しいです」

 

そんなことの説明をしようがなく

 

ただひたすら周りからの、

「この人どうして朝起きれないんだろう」「なんか付き合い悪いな」

学生時代の話してくれないな」「この人いっつも何してるんだろう 無職?」

「なんで結婚しないの」「なんでハロワ行かないの」「なんでもっと営業しないの」

「なんでいっつもお金が無いの」

あらゆる なんで? に耐えながら

 

ひたすら自分の足で立つことができるようになるように

 

一生懸命もう一度歩く練習をし続けた10年間

 

 

 

1発の銃声で 毎日のように統一教会名前テレビで聞くようになってしまった

 

 

 

 

ずっと社会から可視だった存在が 透明人間だった自分

無かったことになっている自分の在籍期間6年とリハビリ生活10年間が

 

突然色を与えられたような感覚

 

 

しかった

 

その行為自体賞賛はできるはずもないけれど 思いは複雑だった

ただ悲しかった

 

 

山上被告はとても辛かったんじゃないだろうかとは思った

 

 

 

 

あれは叫びだと私には感じられた

それくらい 中にいると社会生活している人とは隔絶され 外の声は届かないし

中の声もまた外には届かなくなる

 

 

そこには長らく透明な分厚い分厚い壁があって中と外は隔絶されていた

 

 

あの1発の弾がそれを壊した

尊い人命と共に

 

 

その重大さを社会にどこまで理解してもらえているのか 分からない

 

 

 

 

 

その苦しみは 多分本気であの中で一生懸命やった人にしかからないだろうと思う

 

 

 

 

それでもそこから私が逃げ出せたのは

ある程度、状況を俯瞰して見る(ある種冷笑的な)感覚を身につけていたからで

そこに関しては、私は自分漫画アニメ好きのオタクでよかったなと思っている

 

マジで漫画みたいなこと言うやんw」という茶化しが自分の中でできていたこと、

不真面目だったため、外の読み物やテレビは見てはいけないことになっていたが

隠れてコンビニ漫画立ち読みしていたこと、

伝道(いわゆる勧誘)もこっそりトイレに隠れてサボりまくっていたことなど

 

中の人からすると酷い不真面目、規律違反的なことをやっていたために

最後の一歩(あ、ここにいたら私の人生、誰も保証してくれないんじゃないか?)

という感覚に至れた、というところがある

 

 

 

しかし、そんな不真面目な私であっても

逃げ出すことが良いことなのか悪いことなのか、その時点では判別はできていなかった

 

 

神や、いわゆるお父様お母様(教祖)に背くことになるわけなので

正直ここから出てその後どんなことが訪れても覚悟を決めようというような気持ちはあった

 

 

なぜならいわゆる統一教会が言うところの「神のみ旨」を放棄することになるわけなので、

そうなった時に自分に何かよくないことが起きるかも、私だけじゃなく家族も何かよくないことが起きるかも、

という感覚が強く自分支配していて そこに対して否定できる確証はなかったからだ

私が死ななくても 私の代わりに誰かが死ぬかも、と本気で思っていた

 

不真面目な信者であってもこのくらいにはどっぷり浸かっていた

 

 

 

 

それでも私は「本当に神様がいて 神様が私を愛しているとしたら

私のこの選択も祝福してくれるんじゃないか」という気持ちも微かに持っていた

それを信じたい、という気持ちだったと思う

 

そうであったらいいな、という感じで

 

もちろん確証も何もない

 

 

こんなふうになったか

今だからそんなふうに言えているだけで

その時には全く確証がなかった

 

 

 

 

 

ただ今言えるのは「神様がいるとすれば 統一教会にいる人も愛していると思うし

私のことも愛しているんじゃないかと思う」ということだ

 

これは信仰心ではなく

私が少しずつ回復して自分を取り戻す過程でたどり着いた

今の段階での結論というか、

信念的なものではあると思う

確証はないけれど「そうなんじゃないか?」と思っている、というようなことだ

 

「そうでなきゃやってられるか」というような思いでもある

 

 

 

 

 

神がいようがいまいが関係なく日々は続くし

私の場合 立ち止まっていても誰かが

大丈夫?私がなんとかしてあげる 任せて」と

手を引いてくれるような状況は皆無だったか

自分の足で一歩ずつ歩くしかなかった

 

(唯一打ち明けたカウンセラーの人も宗教的な苦しみまでは理解してケアしてくれなかったし 

かといって宗教的ものに再度頼るのはもう懲り懲りだった

被害者コミュニティもあったかもしれないがまたそこから出られなくなるのではと思い、

組織に属するのが怖かった

両親は受け身なので私が動かない限り私の状況は好転するわけがなかった)

 

 

ただ言えるのは、自分で少しずつ歩く過程で人に支えてもらえることはあった、ということだ

理解できないなりに 両親は私の過去を酷くなじることはなかったし、生活支援してくれた

「よく出てきたな それはなかなかできないことだぞ」と肯定はしてくれた

自立支援センターも、電話をかけたものの一人で行くのが怖かったので着いてきてもらった

 

理解してくれていようがしてくれなかろうが 都度都度助けてくれる人はい

 

 

 

カウンセラーの人が言ってくれたことのいくつかは今も自分を支えてくれている

 

(私は自分の中に宗教施設にいたという負い目があったので、とにかく人に疑われるということが怖かった

自分の話をするのが怖く、いつボロを出しておかしなことを話してしまわないかと怖かった

そのせいか言葉がなかなか出てこなかったけど「ペラペラ話す人よりちょっとずつ一言一言話す人の方が信頼感があるよ」と言ってもらえたので 今は辿々しくても少しずつ言葉を並べられるようになった

だいぶ人と話すことが怖くなくなった)

 

 

 

 

神がいようがいまいが 関係なく日々は続いていく、というのはそういう感覚

 

 

 

 

 

 

私がいたのは学生寮のようなところで

信者に向け講義をするような人材を育てることを目的としている寮だった

世話役夫婦が1組

20〜25人くらいの規模で

マンションの3部屋(うち1部屋は夫婦の家)を借りて男女別れて住んでいた

 

みんな割と若かったと思う

20歳後半〜大学生くらいが所属していた

 

私は2世ではない

勧誘されて大学1年生で所属した

 

 

まだ規制が緩かったので大学内でも駅のコンコースでも勧誘を行なっていた

 

声をかけられた時も怪しいなとは思っていたが 半ば分かっていてついていった

最初から開示されていたわけではないが

いわゆるビデオセンターでの履修がひと段落した頃に

統一教会だと開示を受けた上で「寮に入らないか」というような打診を受けたので

なんとなく流れで、面白そうなので入ることにした

あと、みんな、人が良い人たちだった、というのがあった

 

 

でも入教したキッカケには結局、自分の中に将来自分が働いているビジョンが湧かなかったり

将来に対する漠然とした逃げのような気持ちがあったのだと思う

 

社会一般基準で勤めることは難しいんじゃないかという漠然とした不安があった

 

 

この時このような逃げの姿勢でいなければ

こんなに長く苦しむことはなかったなと今になってみれば思う

 

 

 

 

施設での生活としては

朝早くから起きて

原理講論を音読したり、勉強会をしたり、祈りをしたり、敬拝をしたりする

 

 

学生なので献金は求められなかったが

仕送りは全て世話役夫婦に預ける形になっていて自由には使えなかった

お金は全て「聖別」といって、清められ

そういう清められたお金は「神様とお父様お母様のお金」と言い含められる

 

そうして外から買ってきたものも塩と祈りで毎回清めていて、

清められていないものは手をつけてはいけない

 

お金はとにかく厳しく管理されていて好きなものは買えなかった

 

 

大学内ではあまり交遊を持たないように言われていたので

友人と遊びに行く、呑みに行くなどの経験も皆無だ

もちろん遊びにお金を使うことができないので 自由な交遊はできない、と言っていい

 

学校から帰ってきたら即駅のコンコースや他大学伝道という名の勧誘に行く

 

 

長期休暇は県外へ、車中泊をしながら1日中歩いてフキンの訪問販売をする

これも教会からすれば宗教活動の一環のようなもの

当然ながらより多く売れた方が良いわけだが私はいつもほとんど売れなかった

そんなことをしながら公園などで車の中で寝泊まりをする

1ヶ月寮には帰れない 

 

家族には内部のことは言えないことになっていて

帰省も数日しかできなかった

 

 

 

これらを聞いて楽しそう、と思うだろうか?

こういう生活が性に合っている人がいるのは事実

 

けれど楽しいと思うことを排除し、自分否定し、自分の望むもの否定して、

それを全てみ旨に捧げるというのが信仰の道だった

 

苦しければ苦しいほど条件になる、そういう発想なのだ

(そういう発想が多額の献金要求にも繋がったのかもしれない が その要求正当性は無いと思う)

 

 

私が寮内で大きな声で笑っていたら先輩に

あなたが来てから、こんな大きな声で笑ってもいいんだなって 初めて思ったの」と言われた

そういう場所だったのだ

聞いた時はドン引きした

 

 

 

 

それでもやっている時は一生懸命だった

けれど これは本当に人を幸せにするような活動なのか?という疑問がずっとあった

 

(そういった活動などが条件となり積み重ねられ、

その条件が満ちると間接的に人を幸せにする、という考え方なので

目の前の相手を即幸せ気持ちにさせたかどうかはあまり重要ではない)

(どれだけ苦労を重ねるか 自分の欲や怠惰否定できるかの方が

より大きな条件になるという考え方になる)

(親が子を置いて宗教活動邁進することになるのは、そういう仕組みゆえだ)

 

 

 

 

そうして大学からの6年間を

人になかなか言うことができないような生活で費やしてしまたことは

勿体ないことだったと素直に思っている

 

 

勿体なかったと言うと「でもあなたのその過去も今に繋がっているじゃない?」

というような返しを親からされることがあるが

 

 

 

これを言われると いつも胸が詰まり

説明のできないいろんな思いが去来して胸がぐるぐるする

 

 

しなくてもいい苦労というのはある、ということで

誰も「統一教会が許せない」とも「あなたが失ったものを思うと本当に悲しい」とも

言ってくれる人はいなかった

 

私の、誰にも相談できなかった日々、1人苦しんだ日々を

肯定しろ」と暗に言われているような気がするのだ

 

 

私が逃げ出すことによって自分家族も不幸な目に遭って死ぬかもしれない

もしひどい事が起こるなら私に起こしてくださいと

恐怖とプレッシャーに押し潰されながら綱渡りしていた日々を

誰にも相談できなかった日々を

 

 

肯定しないといけないのだろうか?

 

 

 

 

 

 

山上被告統一教会否定してくれたのだ

 

 

 

この状況になるまで誰もそれをすることができなかった

 

 

その事実はとても重いと思う

 

 

 

 

 

 

世間自助自助と言うが

 

 

それは助ける力がない人たちが口を揃えて言う言葉のようにも思える

 

 

 

自助とはそんなに簡単にできることではない

 

 

とても、とても苦しいもの

 

 

  

  

 

山上被告は 自助をする以外になかった

 

それがこの方法だったのだ

 

この方法以外で彼が救われることもなかっただろうと思う

 

 

 

それくらい救いの手が届かない場所なのだ

 

 

 

 

山上被告自分自分を救うしかなかった結果がこれだったのではないだろうかと思う

 

 

 

 

  

 

私が入教して実感したことは、宗教に関わっている人は意外と多い、ということだ

私のいた寮の中にも、親が創価学会だったがそれに反発して統一教会に来た人もいた

(その人は非常に熱心な人だったが その後心身を崩して入院されたりしていた)

 

気になったのは、世話役夫婦奥さんの方はいつも病気がちで寝てばかりだったことだ

いつも辛そうだなと思っていた

断食をしたり敬拝をしたり長時間伝道をしたり 体を酷使することも多かったので

体を悪くしている人も多かった

 

2世の子に会ったこともある

 

 

みんな普通の人たちだ

 

 

ただ 社会では可視化されていなかっただけだ

 

 

 

そこにいる人たちは みんなそれぞれがんばって生きている

 

 

 

 

それを食い物にする、というのがおかしな話で

 

どんな宗教であっても「献金しなければ救われない」というのはおかしいことだと思う

 

 

 

 

 

正直に言えば 宗教法人は本当に好き放題するところは好き放題やっていると思う

人の気持ちは弱いので それで救われるなら払ってしまうわけだけど

 

その人が人生を構築する大切なお金

 

 

なんとかもう少し規制ができてほしい

 

 

 

 

少なくともその行き過ぎた状態が、あのような悲惨事件帰結したのだということを思うと

そこをきちんと、法なりなんなりで整備しないというのは、単純に理解に苦しむ

 

 

 

状況がもう少し良くなってくれることを願う

 

 

 

山上被告がやったことを私は責めることができない

あの事件が無ければ少なくとも私の16年は社会の中では意味を持たず透明なままだったし

こんな話は絶対にできなかっただろうと思う

 

 

 

誰も助けてくれなかったのだ

山上被告も、誰も助けてくれなかったんだろうと思う

 

それを思うと本当に胸が苦しい

 

 

何度も書くが

誰かが助けてくれるはずがないのだ

 

からも気付かれない、社会から気付かれないようになっている

そういう構造になっているのだ

 

 

 

 

本来なら自分のために使われていたであろうはずのお金

楽しい家族旅行、欲しかったおもちゃ勉強するための本、服、車

普通の人が当たり前に経験する友人との時間家族と過ごせた時間

そういうものに付随する思い出全てが

目の前でそのまま宗教団体に手渡されていってしま

 

 

その悔しさ 悲しさ 苦しみを思うと計り知れない

 

 

 

 

私の失った16年  いや、それでは比較にならないほどの苦しみと絶望だと思う

 

 

 

それらは 決して帰ってはこない

 

 

 

 

泡になって 帰ってこない

 

 

 

 

 

 

 

 

私に限って言えば自業自得だったと自分を納得させられる

けれど山上被告に関してはそうではなかったと思う

親が宗教活動にハマるなんていうのは交通事故のようで あまりにも避けようがない

加えてそれを身内がどうにかするなんていうのはほぼ不可能だと言っていい

なんなら母親被害を受けた側、交通事故に遭った側だとも感じられる

 

 

 

内情を知る人の弁護がなさすぎる気がする

法廷ではもしかしたらあるのかもしれないが

 

宗教にどっぷりハマっている身内がいる状況」

宗教にどっぷりハマっているとはどういう状態なのか」

をどれくらいの人がリアル想像できるだろうか

 

 

 

私は最後、逃げ出す前に

世話役夫婦相談をしていた

もしこの人たちがもう少し私に向き合ってくれていたら

私はまだ教会にいたかもしれない

 

けれど最終的な結論として

「ああ この人たちは神に祈りお父様お母様に祈る以上のことはしてくれないんだ」と思った

 

話が一方通行でこれ以上話してもしょうがないと感じられた

 

 

彼らは「神のみ旨」という大義によって動いていて

お父様の言葉、お母様の言葉に終始帰結する

 

それが最終的な答えになるので話ができないのだ

 

「こうこうこういうことで悩んでいる」

と悩みを打ち明けても

「では祈りだ 敬拝だ 献金だ 聖地に行こう」

神のみ旨はこうだ」「お父様お母様はこう言っている」

その堂々巡りになる

 

そこを信じて同じことを繰り返せばいいのだ

それが信仰なのだという教えなので

他の話は通じない

 

 

一切だ 一切通じない

 

 

その虚しさは 本気で話をしようとした人間しかからないだろうと思う

 

皆良い人たちなのだ

信頼もしていた

個人で見れば仲間や世話になった人たちだ 頭が悪いわけでもおかしいわけでもない

 

けれどそうであればあるほど ある一定のところから会話ができなくなることが辛い

 

 

 

逃げた後、私は入教前に元々住んでいたアパートに帰った

入寮時にそこを解約すると家族おかしく思われるのでそのまま残しておく慣わしなの

ただその鍵は世話役夫婦に預ける形になっていて

入教すると元の家には特別なことでもない限り入ることはできなくなる

 

記憶が薄いが、そこに帰れたということは

私はもしかしたらスペアキーを持っていたのかもしれない

 

 

しばらくその部屋には仲間が何度も説得に訪れた

手紙が置いてあったり食べ物がドアの取っ手にかかっていたりした

 

無視をし続けていたところ

ある時、眠っていて目を覚ましたら目の前に女性の仲間(先輩)がいて、私を覗き込んでいた

預けたままになっていた鍵を使って勝手に部屋の中に入ってきていたのだ

心臓が止まりそうなほど驚いたし実際叫んだと思う

 

その人に悪気はなかった

 

けれど、「神のためならそれができる」そういう思考回路になってしまうのだ

「神のために、この人を救わないといけない」

神のみ旨であればこの行いは許される」

そういう思考回路で人の気持ち簡単に踏み躙ってしま

 

 

私は何度も何度も「あなたたちを見ると色んなことを思い出して怖くて震えて辛いので何も送らないでほしい 会いにこないでほしい」と伝えた

 

やがて手紙が来たり食べ物が置いてあるということは無くなった

 

私はその後、1度体を完全に壊したのでその Permalink | 記事への反応(3) | 22:48

日本語訳中国環球時報社説:「琉球学」研究はなぜ非常に必要なのか

わーくにの高市早苗首相台湾有事の関する国会答弁に端を発し、中国意趣返しして来た

【速報】中国主要紙、社説沖縄日本帰属疑問視|47NEWS(よんななニュース

https://www.47news.jp/13477637.html

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.47news.jp/13477637.html

中国主要紙、社説」とやらを中国語→日本語訳しておいた。

【原文】:社评:“琉球学”研究为什么很有必要環球時報

https://opinion.huanqiu.com/article/4PCD9cRy1Gx

最近、福建師範大学が創設した先駆的な中国の「琉球学」学科プロジェクト国家承認を受け、正式始動した。国内外で広く注目を集めている。沖縄諸島の地政学位置戦略的選択、そして将来の進路は、琉球自身運命に関わるだけでなく、周辺諸国地域安全保障上の懸念にも直結する。近年、中国国内外の学界で琉球沖縄問題への関心が高まり続けており、研究成果も次々と現れている。そして今や学科体系の構築へと発展し、「琉球学」の成立は自然な流れである

沖縄諸島は中国台湾島日本九州島の間に位置し、中国福建省と海を隔てて向かい合う。1372年、明朝琉球正式に宗藩(冊封関係確認し、琉球中国を正統と仰ぎ、中国は「厚往薄来」 (訳注:持っていかせる贈り物は多くし、持ってくる贈り物は少なくする。中国からの賞賜は厚くし、琉球から進貢物は薄くすること) の政策琉球厚遇した。1609年、日本薩摩藩が侵攻し領属に組み込んだが、琉球一定程度、中国との冊封関係を維持した。1872年日本明治政府一方的に「琉球藩」を設置し、併合への第一歩を踏み出した。1879年には武力による脅迫琉球藩を廃止し、沖縄県を設置、琉球王国は日本正式併合された。1945年日本敗戦後、米軍沖縄諸島を占領し、行政機関公式文書で「琉球」という名称使用した。1972年、米日間の私的な授受によって琉球施政権移譲完了。その後、沖縄諸島は日本管轄下に置かれ、「沖縄県」と改称された。1879年以降今日まで、沖縄諸島の主権帰属をめぐる歴史的・法理的争いは常に存在している。

琉球学」とは、琉球地理政治文化、中琉関係史、琉球東アジア関係史などを総合的に研究する学科であり、中国学、韓国学、日本学と並列されるもので、単なる区分ではない。その核心は琉球歴史文化、対外交流など多角的研究にある。歴史面では、琉球起源、明清との冊封関係日本による併合過程などを含む。文化面では、琉球語、服飾、建築音楽宗教信仰などを扱う。対外交流面では、経済往来、朝貢貿易周辺国との相互作用などを含む。さらに近現代の「琉球問題研究にも重要な意義があり、琉球地位社会現状、米軍基地など現実的課題議論を支える。

琉球学」は「スクラップ・アンド・ビルド」を兼ね備えた研究である。「建造」とは、中国琉球冊封関係歴史的実相を体系的に構築し、東アジア伝統外交体制研究を補完・充実させること。「破壊」とは、日本一方的に行ってきた併合史観一面的な叙述を解体すること。例えば、日本の一部は「日琉同祖論」を大々的に宣伝し、琉球王国への武力併合を認めず、琉球王国を独立国家として認めない。また、日本政府は琉球に対して差別同化を併行して進め、琉球日本のために払った犠牲を「制度化」「正当化」しようとする。こうした誤った叙述こそが、日本琉球同化政策実施する論理的基盤となっている。

現在、日米は沖縄諸島の「軍事要塞化」を加速させており、こうした動きは地元に「新たな沖縄戦」への深い不安を呼び起こしている。住民は自らの故郷が再び日本の「盾」となることを懸念している。「琉球学」の研究現実的意義を一層増している。近年、中国日本双方で琉球問題をめぐる重要研究成果が相次いでおり、今後は東アジアさらには世界的な視野へと拡張し、戦後から現在に至る時間軸へも延伸するだろう。学科体系・学術体系・(:訳注政治的)言説体系の協同発展を推進することで、東アジア地域文化共生・包容に新たな意味を注入する。

琉球学」が「絶学(訳注マイナーだが無くてはならない学問)」として国家レベルでの学科支援計画に選ばれたことは、中国学界が学術的理性をもって東アジア歴史叙述の再構築に参加していることを意味する。中国の「琉球学」研究はこれまでの散発的で断片的な状態を脱し、今後は体系化・融合化・国際化の方向へ発展するだろう。この研究の意義は学術拡張にとどまらず、地域平和の持続的維持、歴史的正義の伸張、中国が複雑な地政学的構図の中で、(訳注政治的)言説体系を構築することにも関わる。歴史脈絡を深く掘り下げることで、未来に向けてより包容的で持続可能共存の道を見出すことができる。

岸田が総理提言した内容について

ざっくり言うと、「言ってることはだいたい正論なんだけど、ほぼ全部これまで散々聞いた話の焼き直しで、肝心な痛みの部分(国民負担・再分配・生活の実感)にはほとんど触れてない」って感じ

全体の印象

・5本柱(複数年度の視点/ヒト/カネ/マネジメント/国際連携)は、経済政策教科書どおりで、構成としてはきれい

・「AI半導体・量子・造船など17分野への官民連携投資」「責任ある積極財政」ってワードも、今の与党テンプレを丁寧に並べた感じ。

・一方で、社会保険料消費税を含む国民負担の重さ、実質賃金マイナスの長期化、格差貧困少子化みたいな、いま多くの人が一番しんどいと感じている部分への踏み込みはほぼゼロ

「成長はするから、あとは自動的にみんな幸せになりますよね?」という古い発想から抜け出せてない。

1. 複数年度の視点・取組

言ってること:企業投資判断やすいように、政府予算税制を数年単位コミットしましょう。

官庁事業会社が、複数年度にわたる支援規制改革ロードマップを出すべき。

評価これは普通に良い。投資って1年ごとにコロコロ制度が変わると誰もリスク取らないから、「複数年度で見通しを示せ」はまっとう。

ただ、日本予算制度財政審の文化の中で、本当に複数年度コミットができるのかはかなり怪しい。毎年「やっぱ財政再建が~」って言い出して縮小される未来が容易に想像できる。

ここをやるなら、「中期財政フレーム自体を作り替える」「将来の支出法律レベルで拘束する」くらいの話がいるけど、そこまでは踏み込んでない。

スローガンとしては◎、実行可能性は△。

2. 成長を支える人材結集(ヒト)

言ってること:リスキリン支援大学での人材育成強化。医療介護処遇改善報酬改定を前倒し)、働き方改革を含む労働市場改革

評価:「医療介護賃上げちゃんとやれ」と明記してるのは、ここ数年の文書よりはマシな点。現場悲鳴はそれなりに意識してる。

ただし、全体としては人材の質を上げて成長分野に移動させたいという供給目線が強くて、「非正規をどう減らすか」「低所得層社会保険料負担をどうするか」みたいな、足元の生活のしんどさはスルー

リスキリングも、これまでの政府プログラムを見る限り、実効性はかなり微妙。「講座を作って自己満現場待遇はそのまま」の危険が高い。

方向性は悪くないけど、きれいな人材政策の作文の域を出てない。

3. 成長を支える資金(カネ)

言ってること:NISA企業DCを軸に「資産運用立国」を続ける。成長投資に向かう資金の流れを作る、地域金融も含めて成長資金供給

債券市場活性化投資チェーンの強化。

評価:完全に「貯蓄から投資へ」「資産所得倍増」の延長線。すでにそこそこ資産を持ってる層にはプラスだけど、そもそも投資に回せるお金がない層にはほぼ恩恵なし。

「中長期の成長投資に回せ」という発想自体は良くて、国債だけに閉じたマネーゲームよりはマシ。ただ、これも企業側・金融側の論理が中心で、家計側のリスクや損失についてはノータッチ

今の国民負担感(社会保険料消費税物価高)に対して、「じゃあ負担軽くしましょう」とは一言も書いてないのがポイント

金融市場大企業には優しいけど、手取り万年ギリギリな人にはほぼ無関係

4. 企業経営力向上(マネジメント

言ってること:設備投資の即時償却研究開発減税など、投資税制を大胆に。コーポレートガバナンス・コード見直し人材資本情報開示強化。

事業再編・再構築、M&A・企業結合を促進して企業規律を高める。

評価典型的投資インセンティブガバナンス改革M&A推進セット。株主大企業経営層が大好きなパッケージ

これをやると、確かに設備投資や再編は増えやすくなるけど、その裏側で「地方中小企業大企業に飲み込まれて、雇用が整理される」パターンも増える。

内部留保を人や設備研究に回せ」という狙いはわかるけど、そこを税制だけで変え切れるかはかなり疑問。結局、需要(売上)が伸びる見込みがないと企業は動かない。

労働者側へのセーフティネット失業保険の手厚さ、転職支援最低賃金社会保険料の軽減など)をセットで書いてないのが怖い。

資本市場目線では◎、労働者地域経済目線だと「うまくやらないと切られる側が増えるよね?」という不安が強い。

5. 国際連携アライアンス

言ってること:国内だけ見てても成長は限界サプライチェーン強化やエコシステム構築を同盟国・同志国と連携してやる。

特にグローバルサウスでの新市開拓を重視し、ビジネス展開を予算で後押し。

評価:これも方向性妥当中国一極依存からの脱却や、物流リスク分散を考えるなら必須視点

ただ、ここでも企業海外展開支援しますで終わっていて、「海外生産移して、国内雇用賃金はどうするの?」という視点がない。

グローバルサウスでのビジネス展開は、うまくやればプラスだけど、失敗するとお金技術だけ出して現地での利益は薄い国内産業空洞化だけ進むパターンもありうる。

外交安全保障の流れとしては自然だけど、内需地方雇用まで含めての設計図が見えない。

政治的な読みどころ

文面に「高市内閣」とわざわざ書いてあるのが、かなり露骨メッセージ

「将来、高市政権になったとき経済運営はこの路線で行きます」と宣言しつつ、現政権にもプレッシャーをかけている感じ。

中身は安倍政権以降のアベノミクス資産運用立国+リスキリングの言い換えなので、路線変更というより「これまでをもっとちゃんとやります」という話。

まり、「今のしんどさは路線が間違ってたからではなく、アクセルが足りなかったから」という前提に立っている。

ここに同意できるかどうかで、この文書への評価はガラッと変わると思う。

結論:点数をつけるなら

経済のお行儀の良い作文としては 70点くらい。

ちゃんと整理されてるし、投資人材金融・国際連携のツボは押さえてる。

でも、「国民負担の重さ」「実質賃金の落ち込み」「生活防衛」という、いま一番ホット火事場に水をかける気はほぼないので、生活目線では 40点ぐらい。

感想

読んでて「うんうん…で、具体的に何する気なん?」ってなるね

1. 名詞スローガンだけで終わってる

文書主語がほぼ全部これなんだよね:「投資を促進することが必要である」「支援を強化することが必要である」「国際連携を強化することが重要である

で、続きが「…よう検討すること」「…よう推進すること」「…にコミットすること」

みたいな動詞が全部ふんわり系。

例えば本気でやる気なら、

AI半導体関連の公的研究開発費を、5年間で現在の○倍にする」

介護職の平均賃金を3年で月○万円引き上げる。そのため診療報酬を○%上げる」

NISADCへの年間新規資金流入を○兆円、5年で○兆円の残高増加」

とか、少なくとも数字+期限を1個は書けるはずなんだよね。

この提言はそこを徹底的に避けてるから、読んだ側が結局、どのくらいの規模でやる気なのかが全く見えない。

2. 「何を」じゃなく「方向性しか」書いてない

各項目で一番で?って思うのはここ。

ヒトのところ リスキリン支援 医療介護支援パッケージ 働き方改革労働市場改革

って並んでるけど、どんなスキルを、誰に、どのくらいのコストで?

医療介護パッケージって具体的に「基本給+何%」なのか、「処遇改善加算をこういじる」のか?

労働市場改革って「解雇規制を緩めたい」のか「社会保険料を軽くしたい」のか、それとも「非正規処遇改善」なのか?

肝心な中身の選択を全部ぼかしてるから、読んでも立場が見えないんだよね。

カネのところ「NISADCを通じた家計から成長投資への流れの加速」「資本市場機能の強化」

これも、NISA課税枠をまた拡大したいのかDCの加入を半ば義務化したいのか年金資金株式比率もっと上げたいのか

どこに突っ込む気なのか書いてない。

運用立国やります!とだけ言って、リスク側の話(損したとき誰が死ぬのか)には触れてないから、どう評価していいか決めようがない。

3. 一番争いになる論点意図的に避けてる

具体性がないの、たぶん「無能から」じゃなくてケンカを避けるためにわざとって側面が強いと思う。

この文書で本当は踏み込まなきゃいけないのって、社会保険料消費税をどうするか(特に低所得層負担

財政拡張をどこまでやってもいいと考えるのか、労働市場改革企業側をどこまで自由にするか、中国依存をどのスピードでどこまで減らすか

あたりなんだけど、ここを数字制度名まで書いた瞬間に党内の財政タカ派、経団連高齢者票、中国との外交

ぜんぶと利害がぶつかる。

から方向性だけ書いて、後は官僚次の内閣に丸投げ」みたいな文章になってるんだと思う。

4. もしちゃんとしたプランなら、このくらいまでは書く

対比として、例えば同じ項目でも、「社会保険料について、年収300万円以下の本人負担を5年間で○%軽減する。その代替財源として○税を○%引き上げる」

介護離職ゼロに向け、介護職の賃金水準を全産業平均比▲○%から▲○%まで縮小する」

「対中輸入比率10年で△%→□%に低減する。そのために半導体レアアースなど5品目については…」

くらい書いてあれば、「やる気と覚悟はあるな。中身に賛成かは別として。」って評価になるんだけど、今回のはそこに踏み込まない安全運転提言

5. まとめると

フレーム(5本柱)はそれなりに整ってる

でも、中で一番えぐい論点は全部「検討」「推進」「強化」に逃がしてる

から読んでる側からすると「具体的な制度金額・痛み」が見えず、ふわふわして感じるって構造だと思う。

この文書を眺めるときは、「何が書いてあるか」より

「何が意図的に書かれていないか」を見ると、逆に色々透けて見えておもしろいかもね。

ササラタコツボ」の比喩

丸山眞男の『日本思想』(1961年岩波新書)所収の有名な「ササラタコツボ」の比喩は、主に第3章「『である』ことと『する』こと」の後半(特に日本における思想のあり方」部分)に出てきます。これは日本思想史の構造的特徴を一刀両断に言い当てた、戦後日本で最も引用され続けた一節です。以下が該当箇所のほぼ全文(現代語訳ではなく原文のまま)です:日本では、思想学問が、個々の学者思想家の頭の中で、あるいは特定の学派・門派の内部で、極度に細分化され、孤立化してしまっている。

それはまるで笹ら(竹の皮を細く裂いて作った掃除道具)のように、一本一本は細く、しかも先がバラバラに裂けていて、全体としてまとまりがない。

それでいて、それぞれの細い竹の皮の先は、まるで蛸が壺の中に入って足を全部壺の壁に張りつけてしまうように、その狭い領域の中で完全に閉じこもって、外へ出ようとしない。

したがって、思想学問の諸領域の間には、ほとんど交流がなく、相互批判もなければ、総合も行なわれない。

その結果、日本における思想は、全体として見た場合、無構造であり、無基底であり、無底渓の状態にあると言わざるを得ない。

(『日本思想岩波新書、p.87-88あたり。版によってページは多少ずれます)この比喩がなぜ衝撃的だったか「笹ら(ササラ)」= 竹の皮を裂いた日本の伝統的な掃除道具(今でいう「竹のブラシ」)。一本一本は細く、先がバラバラに裂けていて、全体としてまとまりがない。

「蛸壺(タコツボ)」= 蛸が壺に入ると足を全部壁に吸盤で張りつけて動かなくなるように、各学派・各学者自分の狭い専門領域に閉じこもり、外に出ない。

まり、**日本思想の特徴=「超分離・超閉鎖・超孤立」**という極端な診断です。丸山はこの状態を「無構造(strukturlos)」と呼び、西欧思想が「基底(Grund)」や「原理(Prinzip)」をめぐって激しく対立しながらも、その対立自体が全体構造を生んでいるのに対し、日本ではそういう基底的な対立軸すら存在しない、と断じました。よく引用される超短縮バージョン多くの人が覚えているのは次の数行だけです:「笹の葉のように先がバラバラに裂け、しかもそれぞれの先が蛸壺のように閉じこもっている」

これだけで「ああ、あの話か!」と通じるくらい、戦後思想史・学界批評定型句になりました。ちなみに丸山はこの後、こういう「蛸壺的学問」体質が、戦前の「超国家主義」への無抵抗・無批判な順応を生んだ一因でもある、と厳しく批判しています。この一節は今読んでも、大学学会の「セクショナリズム」を突く痛烈さがありますね。1961年文章とは到底思えない鮮烈さです。

地元に帰りたくない

大学で出るまで育った地元は寂れた片田舎って感じで、特に荒れているとか治安が悪いとかは聞いたことが無かった

そこで平凡に育っていたんだけど、ある時友人らと捨て猫を見つけ、興味半分で友人達と一緒にご飯を上げたり、段ボール簡単寝床を作ったりしていた


ある時、猫がいるであろう寝床に行くと、その猫が血塗れで殺されていた

わずビビって逃げ出してしまったんだけど、当然猫が死んでいることは、狭い町だからすぐ事件になって分かったし

目撃証言から自分のこともわかり、警察事情聴取に家にきた


正直に、怖くなって逃げ出した事、見られたと思って犯人だと疑われると思うと怖くて言えなかったと正直に言った

それで納得してくれたのかどうかは分からないけど、以降警察の人は来る事は無かった


逮捕こそされなかったが、警察が家に来たという事もあり、

俺はすっかり猫殺し野郎という噂が学校中に出回って、無視され、イジメられる様になった


ある時、学校からの帰り道に同級生の数人に囲まれ、その中には殺された猫を一緒に育てていた奴もいて

猫の仇って事で今までに無くボコボコにされた

その時に棒で強く殴られた片目は今でも悪く、失明こそしてないが極端に視力は悪い

同じく複雑骨折状態になった片足も、今でも軽く障害が残って、日常生活を送れない程では無いが早く走ったりは不可能


どっちも中途半端状態から免許は取れないし足の問題で体を使った仕事も出来ず、日常生活から職業選択まで

かなりの制限があって苦労しているけど、障害認定はされず、不便な体で不便に生きている状態


そんな地元には嫌な思い出しか無くなったから、地元を出て以降はロクに近づかず、帰りもしなかったんだけど

先日、体を悪くした母がいよいよ危ない状態で、すぐ帰って来いって連絡が入った


連絡を受けた時、率直に「帰りたくない…」って思ってしまった

そんな事を思った自分に驚いた

俺は帰らなければならない筈なのに

地元には苦い思い出しか無いけど、母親大事にすら帰るのと躊躇する程の苦手意識が強烈だった事に、我ながら驚いた


結局新幹線切符だけは買ったけど、まだ帰れずにいる

苦い思い出が地元への足を遠ざけている

さすがに帰らない訳にはいかないのだけれども……

フェミニストの言う通り女子枠を即刻撤廃したい

大学女子枠なんて作ったら高市さんレベル学力の持ち主が大量に受かっちゃうよ…。

最近の惨憺たる政治の有様を見てよ。

ナンシーフレイザーも言ってたけど、女性なら誰でもいい訳じゃないと思う。

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