はてなキーワード: 大学とは
割りのいい大学の実験バイト(ただし他校)(治験じゃないよ、心理学の実験っぽい)があって応募したら採用された
嬉々として親に言ったら「割りが良すぎる(言うても7000円)から怪しい」「どうして学内で募集しないんだ?(知るかよ…校外の意見が聞きたいんじゃないのか)」「闇バイトじゃないのか、本当にその大学のバイトじゃないのか、嘘じゃないのか(インディードのように無法地帯ではなく、ちゃんとしたバイトサイトで審査があるって聞いても聞きやしない、恥を忍んで採用担当の人に聞いてもちゃんと大学から依頼受けてますと言ってくれたと言っても嘘だ!と言って聞きやしない)」「もしきちんとしたバイトだったとしても、増田が今後割りのいいバイトを探すうちに闇バイトに引っかかりそうだからやめろ(もはやいちゃもん)」
粘ってるうちに「3万でも2万でも出す!だから辞退してくれ!」と言われて、もう採用決まってるのに迷惑をかけて泣く泣く辞退した
辞退したその日、万単位でくれるって言ったよな?と話持ちかけたら「うちは今赤字なんだ」と言われた
「は?あんなに仕事辞めろって言ったから辞めたんだろうが!赤字だって知ってたら這いつくばってでも仕事行ってたわ!仕事を辞めさせて退路封じてから赤字だって言うの辞めろよ!!!」と怒鳴ってしまった
そしたらしぶしぶ7000円くれることになった、米代の5000円を引いた金額で…(つまり2000円)
例えば1行が25文字でこれを16行でB5一枚の文書とする、それを4枚まで・・など。
(https://tk-univ-seitoku.jp/sy/2025/reporting_precautions/)
さらに改行空白や指定されている1行の空白まで含めての場合、どのように文章を作成するのだろうか。
レポートの文字数については、レポート用紙の最初の課題No.、設題No.記入と本文までの1行分の空白、必要な句読点、改行の空白を含めカウントします。
このやり方を見ていこう
LibreOffice writerで作成しようと思ったがGoogle ドキュメントも合わせて使用することにした。LibreOffice writerでB5の文書を作成したところどうも文書が大きく感じられたので、LibreOffice writerで文章だけを作成し、Google ドキュメントへ貼り付ける形とする。
もっといいソフトウェアがあるかもしれないし、私が知らないだけでもっといい機能があるかもしれない、2025年11月現在にいい機能がなくても今後追加される可能性はある。
課題Noとか、改行の空白を含むというところで、行の中心の課題Noと左右の空白も数えるのか?、改行したら後ろの空白を全部数えるのかと思うかもしれないが、実際は単純である。
(1)1行を25文字設定にする
本当は25文字×16行で書きたかったが、両方の同時の設定は何故か出来なかった。縦横比率の制限??
[一文字の最大サイズ]を小さくし、1行の文字数を25に設定。(一文字の最大サイズは、1行の文字数が25が入るだけの大きさまで下げる)
(2)行番号を表示する
ツール→行番号付けを設定する。
ここでは一枚あたりの行数(16行)が守られないが気にしなくて良い。
何ページになってもいいので、16行×4(64行)になるまで文章を作成する。
課題No.、設題No.記入と本文までの1行分の空白も普通の文字入力と同じで入力する。字下げや改行も気にせずに通常通り行って良い。
(1)ページ設定でB5のサイズとする。
(2)余白の大きさを設定する。
(3)文字サイズは大学指定の10〜12ポイント、フォントも合わせる。
(4)[ツール] → [行番号] で行数表示する。
(5)設題Noなどもここで入れておく
(6)ページ番号も入れておく
(7)罫線表示(リンク先の書式では罫線が表示されているため)。CTRL+Aでファイル全体を選択し、表示形式→段落スタイル→罫線の網かけで上、下、真ん中に罫線設定。
罫線が何故か二重になる部分があるだろうが、個別に選択し(全体を選択ではない)表示形式→段落スタイル→罫線の網かけで二重部分から一本消す。
(8)文字の間隔を調整し、1ページに16行がぴったり収まるサイズとする。これが面倒くさい。
手順は文書内を全選択し(Ctrl+A)行間隔と段落の間隔で行指定(1行とか、1.15行とか、カスタムとか)で微調整し1ページに16行がぴったり収まるサイズとする
1行は空白も含め25文字だった。LibreOffice writerで作成した文章は1ページ16行になっておらずばらばら、Google ドキュメントで作成された文書ファイルは1ページの行数は16行ぴったりに固定した。
LibreOffice writerで作成した文章の1行1行(25文字)を、Google ドキュメントで作成された文書ファイルに貼り付けていく。
設題Noとその下の空白を除けば64−2で62回コピペ(62行分)コピペすることになるはずだ
そうだよ不公平だよ
幼少期にドキドキ土器の収録された巻を買ってもらって、いつも読んでましたよ…😟
藤子F先生は、ああいう夢追い人というか、夢を追い続けて大人になれない大人、みたいなの描くの好きですよね…😟
同じものをA氏が描くと、黒服のセールスマンがやってきてドーン!する、露悪趣味のウシジマくんみたいな話になっちゃいますけど、
F先生の描く話は、どこか慈悲があったり、あの可愛い絵柄だからこそ、救いようのないオチとの落差で恐怖感が増すとか、
A先生は、魔太郎、笑うセールスマン、ハットリくん、とかですよね…😟
藤子F絵もいいよなあ…😟
子供の頃はコロコロコミック読んでて、でも途中でガンプラブームになって、再放送のガンダムに夢中になって、
そこで藤子F先生の絵が、正直幼稚というか、ビッグコミックで大人向けのSF短編読んでも、子供は理解できないというか、共感できないというか、
大人になってから、抱け!抱け!とか理解できるようになるわけで…😟
企業の研究所だとか新規事業みたいなの大半がPoCのお遊びすぎて害悪なのに
それが素晴らしいみたいに本気で思っててマジで終わってる人間しかいない
やたら金をかけて実験とかやってるんだけど結果を社内で共有して「可能性を感じた」とかで終わり
私は東大卒である。現役で東大に合格し、その後大学院まで出てから就職した。
東大と言うと、難関中高一貫校出身とか、ずっと塾や予備校通いで凄く先取りして勉強してたとかイメージされることも多いと思うが、私は全く違った。
私は地方の一般的な家庭出身(両親はどちらも大学に行ってない)で、中学は普通に地元の公立だった。というより先輩にも同級生にも中学受験をするなんていう人は一人もいなかったので、小学生当時の自分は中学受験というものの存在すら知らなかった。
高校も普通の公立高校だった。実家から自転車で通える距離で進学校というだけの理由だった。別に県内トップでもなくいわゆる「自称進学校」で、文武両道を掲げるけどどっちも中途半端みたいな地方によくある公立校だ。
だから有名な進学校のように高3までの内容が高2のうちに終わるみたいなのは全く無くて、むしろ科目によってはセンター試験が終わってもまだ全範囲が終わってないというレベルだった。
高校時代も1年生の間は勉強なんてせず部活ばかりやってた。別にレベルが高い部活じゃなくて(むしろ地区予選1回戦を勝てたらラッキーレベル)ただ友達と単に楽しくてやってただけで、テスト前の部活禁止期間でも隠れて練習してたり部室で駄弁ってたりしてた。
高2の夏になって急に勉強したくなってやり始めたが、それでも家ではやる気が出なかったので平日は放課後に学校に残って下校時刻まで1日2,3時間程度、土曜は学校の自習室で半日程度勉強してただけだった。日曜はリフレッシュ日として受験期までずっと勉強しない日に設定していた(なんだかんだ最後の方は模試とかで潰れたけど)。
予備校には模試を受けに行った以外は一度も通っていない。通信教育や家庭教師も無し。自分で情報を得て自分で市販の教材を買って勉強してた。
それでも現役で東大に受かった。点数も合格者の平均点を超えていたので結果的には余裕だったと言えるのだろう。
自慢とかマウントとか取られても別に良いけど、これが私から見た事実だし、私にとって「普通」の人生だった。
小中学校の勉強なんて授業さえ聞いていればテストで満点取れるのが当たり前、高校だって授業聞いて教科書読めば理解できないことなんて一つもないし、ネット上に転がっている勉強法や受験指南の情報を参考に勉強すれば誰に教わる必要もなかった。
だから小学生のころから毎日塾に通って寝る間も惜しんで勉強して中高一貫に進み、そこからも予備校に通ってずっと勉強・・・なんて本当に必要か?と思う。
とりあえず授業だけ真面目に聞いて普通について行けてさえいれば高校から自分の意思で勉強したって難関大ぐらい入れるし、むしろ子供の頃なんて沢山遊んで経験を積んだり体力を付けたりする方が受験の面でも得なんじゃないかな。
・・・いやまぁ実際は分かってるんだよ。世の中の人たちって別にみんな私と同じぐらい勉強ができるわけじゃないということは。
授業だけ聞いていればテストで満点を取れるというのが当たり前じゃないことも分かってる。真面目に勉強してても中々成績が伸びない子がいるもの分かってる。
それでも私は私の人生しか経験していないので、そうでない人の気持ちは本質的にはどうしてもわからない。分からないから、子供のうちから勉強勉強で受験戦争に巻き込まれる子たちが可哀想だなぁと素朴に思う。ただそれだけの話。
小五の息子。
学校のテストはいつも40~60点の間をウロウロしており、悪いときは20点代もある。俺(父親)が自宅で勉強を見てやっても分かるが余り勉強が得意な方ではない。
運動も苦手で、小学校入学と同時に入ったサッカークラブは全く着いていけず半年で辞めてしまった。学校の体育も、補講を受けるほどではないが芳しい活躍はしていないようだ。
実は念のため幼児の時から発達検査などを受けていたが、全てシロ。なんの診断も降りなかった。
実際、学校の態度で何か言われたこともなく、サッカークラブを辞めたころ多少反抗期は有ったが基本的に優しい子だ。
要するにちょっとだけ要領が悪くて奥手なだけで、普通のゲーム好きな可愛い息子である。
顔も、ゲーム好きなところも、ちょっと生意気な性格も全部俺に似ている。
勉強以外は。
俺は公立の小中高を経て、実家から通える京大の工学部に入った。特に勉強を頑張った記憶はないし塾にも行っていない。体育や音楽の実技はてんでダメだったが、五教科は学校の授業をなんとなく聞いていたらそれで十分だったからだ。陰キャ友達と徹夜でスマブラしたりしていたことの方がよく覚えている。
大学でもゲームサークルみたいなところに入ってポケモンとモンハンにはまり、バイトもあんまりせずゲームばかり修士までの6年間続けて、学科の推薦で今のメーカー研究職に収まった。
こう書くと嫌みにしか聞こえないが、俺は学校の勉強で苦労したことがないから、今息子に本当の意味で寄り添えている自信はない。
息子が小学校のテストでつまづくとは正直思わなかった。彼は何が分からないのかが俺には分からない。教科書読んだらテストの準備なんてそれで終わりと思っていた。
妻は今からでも中学受験に切り替えればとか言っているが、正直今からでは間に合わないと思う。
それに、多分息子本人のためにもならないと思う。無理やり中受の勉強をさせても身が入らないだろうし。
でも、学校の勉強で良い点を取って良い大学に受かって良い会社に入る、という昭和臭全開の人生しか俺は経験していないから、その勉強が出来ないとなったときに、将来息子が独り立ちするにはどうすれば良いかが分からない。勉強が苦手で、今のところ他に得意なことも見つけられていない我が子に対して、親は何をしてやれば良いのか分からない。
長くなったので読みにくいかもしれません
半年ROMれてませんが匿名性が必要だったのでここに書かせていただきます
乱文ご容赦ください
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援護が無さすぎるのではないかと思い、やっぱり納得がいかないと感じたので
ここに書きにきた
以前から何度も書こうと思っていたけれど
どうしても書けないまま 何年も過ぎてしまったが
なんとか書き始めた
フラッシュバックなど、読むのが嫌だと感じる場合はスルーしてくださいーーー
呆然とした
正直なところ
ショックとか 人が亡くなったということ以上に
「どうして今になって」と思った
ようやく悪夢を見て、ドキドキしながら目覚めることが無くなってきていた頃だった
逃げ出した後も燃え尽き症候群のようになり
ベッドから起き上がれなくなる日が続いて
一度は「こんなに辛いならもう死のう」と思ったけれど
いつでもそのボタンは自分が持ってるんだから もう私は誰にも縛られてないんだから」と思い
誰にも助けてもらえないので(親に話したが困惑されて流されただけだったので)
それでもなかなか人への恐怖や組織へ入る恐怖を克服できなかったので
バイトもできず
それでも人が怖くて怖くて
いつも人の顔が見れず震えて汗をかいたり
人と会ったあとは部屋で寝て起き上がれなかったり
遠出ができなかったり
そういうことがようやくひと段落つき始めていた頃
「ようやく最近少しずつ人と話せるようになってきたな」
「ようやく教団の元仲間から説得のメールが来ることも無くなってきたな」
と思っていた頃に
誰にも言えなくて
昔から付き合いのある友人にも言えなくて
両親に言っても「よく出てきたな」と言われるだけで
具体的なケアは何もしてもらえない中で
「宗教施設で共同生活をしていて就活のタイミングを逃しました」
「経歴に書けることがありません」
「宗教施設で生活していた影響で人が怖くてしょうがなくてバイトすらできません」
「燃え尽き症候群のようになって社会生活を人並みに送ることがどうしても難しいです」
そんなことの説明をしようがなく
ただひたすら周りからの、
「この人どうして朝起きれないんだろう」「なんか付き合い悪いな」
「学生時代の話してくれないな」「この人いっつも何してるんだろう 無職?」
「なんで結婚しないの」「なんでハロワ行かないの」「なんでもっと営業しないの」
「なんでいっつもお金が無いの」
あらゆる なんで? に耐えながら
ひたすら自分の足で立つことができるようになるように
1発の銃声で 毎日のように統一教会の名前をテレビで聞くようになってしまった
無かったことになっている自分の在籍期間6年とリハビリ生活10年間が
突然色を与えられたような感覚で
苦しかった
その行為自体を賞賛はできるはずもないけれど 思いは複雑だった
ただ悲しかった
あれは叫びだと私には感じられた
それくらい 中にいると社会で生活している人とは隔絶され 外の声は届かないし
中の声もまた外には届かなくなる
そこには長らく透明な分厚い分厚い壁があって中と外は隔絶されていた
あの1発の弾がそれを壊した
尊い人命と共に
その重大さを社会にどこまで理解してもらえているのか 分からない
その苦しみは 多分本気であの中で一生懸命やった人にしか分からないだろうと思う
それでもそこから私が逃げ出せたのは
ある程度、状況を俯瞰して見る(ある種冷笑的な)感覚を身につけていたからで
そこに関しては、私は自分が漫画アニメ好きのオタクでよかったなと思っている
「マジで漫画みたいなこと言うやんw」という茶化しが自分の中でできていたこと、
不真面目だったため、外の読み物やテレビは見てはいけないことになっていたが
伝道(いわゆる勧誘)もこっそりトイレに隠れてサボりまくっていたことなど
中の人からすると酷い不真面目、規律違反的なことをやっていたために
最後の一歩(あ、ここにいたら私の人生、誰も保証してくれないんじゃないか?)
という感覚に至れた、というところがある
しかし、そんな不真面目な私であっても
逃げ出すことが良いことなのか悪いことなのか、その時点では判別はできていなかった
神や、いわゆるお父様お母様(教祖)に背くことになるわけなので
正直ここから出てその後どんなことが訪れても覚悟を決めようというような気持ちはあった
なぜならいわゆる統一教会が言うところの「神のみ旨」を放棄することになるわけなので、
そうなった時に自分に何かよくないことが起きるかも、私だけじゃなく家族も何かよくないことが起きるかも、
という感覚が強く自分を支配していて そこに対して否定できる確証はなかったからだ
私が死ななくても 私の代わりに誰かが死ぬかも、と本気で思っていた
不真面目な信者であってもこのくらいにはどっぷり浸かっていた
それでも私は「本当に神様がいて 神様が私を愛しているとしたら
私のこの選択も祝福してくれるんじゃないか」という気持ちも微かに持っていた
それを信じたい、という気持ちだったと思う
そうであったらいいな、という感じで
もちろん確証も何もない
こんなふうになったから
今だからそんなふうに言えているだけで
その時には全く確証がなかった
ただ今言えるのは「神様がいるとすれば 統一教会にいる人も愛していると思うし
私のことも愛しているんじゃないかと思う」ということだ
これは信仰心ではなく
今の段階での結論というか、
信念的なものではあると思う
確証はないけれど「そうなんじゃないか?」と思っている、というようなことだ
「そうでなきゃやってられるか」というような思いでもある
神がいようがいまいが関係なく日々は続くし
私の場合 立ち止まっていても誰かが
「大丈夫?私がなんとかしてあげる 任せて」と
手を引いてくれるような状況は皆無だったから
(唯一打ち明けたカウンセラーの人も宗教的な苦しみまでは理解してケアしてくれなかったし
被害者コミュニティもあったかもしれないがまたそこから出られなくなるのではと思い、
組織に属するのが怖かった
両親は受け身なので私が動かない限り私の状況は好転するわけがなかった)
ただ言えるのは、自分で少しずつ歩く過程で人に支えてもらえることはあった、ということだ
理解できないなりに 両親は私の過去を酷くなじることはなかったし、生活も支援してくれた
「よく出てきたな それはなかなかできないことだぞ」と肯定はしてくれた
自立支援センターも、電話をかけたものの一人で行くのが怖かったので着いてきてもらった
理解してくれていようがしてくれなかろうが 都度都度助けてくれる人はいる
カウンセラーの人が言ってくれたことのいくつかは今も自分を支えてくれている
(私は自分の中に宗教施設にいたという負い目があったので、とにかく人に疑われるということが怖かった
自分の話をするのが怖く、いつボロを出しておかしなことを話してしまわないかと怖かった
そのせいか言葉がなかなか出てこなかったけど「ペラペラ話す人よりちょっとずつ一言一言話す人の方が信頼感があるよ」と言ってもらえたので 今は辿々しくても少しずつ言葉を並べられるようになった
だいぶ人と話すことが怖くなくなった)
神がいようがいまいが 関係なく日々は続いていく、というのはそういう感覚だ
私がいたのは学生寮のようなところで
信者に向け講義をするような人材を育てることを目的としている寮だった
20〜25人くらいの規模で
マンションの3部屋(うち1部屋は夫婦の家)を借りて男女別れて住んでいた
みんな割と若かったと思う
私は2世ではない
まだ規制が緩かったので大学内でも駅のコンコースでも勧誘を行なっていた
声をかけられた時も怪しいなとは思っていたが 半ば分かっていてついていった
統一教会だと開示を受けた上で「寮に入らないか」というような打診を受けたので
なんとなく流れで、面白そうなので入ることにした
あと、みんな、人が良い人たちだった、というのがあった
でも入教したキッカケには結局、自分の中に将来自分が働いているビジョンが湧かなかったり
社会一般の基準で勤めることは難しいんじゃないかという漠然とした不安があった
この時このような逃げの姿勢でいなければ
こんなに長く苦しむことはなかったなと今になってみれば思う
朝早くから起きて
原理講論を音読したり、勉強会をしたり、祈りをしたり、敬拝をしたりする
仕送りは全て世話役の夫婦に預ける形になっていて自由には使えなかった
お金は全て「聖別」といって、清められ
そういう清められたお金は「神様とお父様お母様のお金」と言い含められる
友人と遊びに行く、呑みに行くなどの経験も皆無だ
もちろん遊びにお金を使うことができないので 自由な交遊はできない、と言っていい
学校から帰ってきたら即駅のコンコースや他大学へ伝道という名の勧誘に行く
長期休暇は県外へ、車中泊をしながら1日中歩いてフキンの訪問販売をする
当然ながらより多く売れた方が良いわけだが私はいつもほとんど売れなかった
1ヶ月寮には帰れない
家族には内部のことは言えないことになっていて
これらを聞いて楽しそう、と思うだろうか?
けれど楽しいと思うことを排除し、自分を否定し、自分の望むものを否定して、
それを全てみ旨に捧げるというのが信仰の道だった
苦しければ苦しいほど条件になる、そういう発想なのだ
(そういう発想が多額の献金の要求にも繋がったのかもしれない が その要求に正当性は無いと思う)
私が寮内で大きな声で笑っていたら先輩に
「あなたが来てから、こんな大きな声で笑ってもいいんだなって 初めて思ったの」と言われた
そういう場所だったのだ
聞いた時はドン引きした
それでもやっている時は一生懸命だった
けれど これは本当に人を幸せにするような活動なのか?という疑問がずっとあった
(そういった活動などが条件となり積み重ねられ、
その条件が満ちると間接的に人を幸せにする、という考え方なので
目の前の相手を即幸せな気持ちにさせたかどうかはあまり重要ではない)
(どれだけ苦労を重ねるか 自分の欲や怠惰を否定できるかの方が
より大きな条件になるという考え方になる)
(親が子を置いて宗教活動に邁進することになるのは、そういう仕組みゆえだ)
人になかなか言うことができないような生活で費やしてしまったことは
勿体ないことだったと素直に思っている
勿体なかったと言うと「でもあなたのその過去も今に繋がっているじゃない?」
というような返しを親からされることがあるが
これを言われると いつも胸が詰まり
説明のできないいろんな思いが去来して胸がぐるぐるする
しなくてもいい苦労というのはある、ということで
誰も「統一教会が許せない」とも「あなたが失ったものを思うと本当に悲しい」とも
言ってくれる人はいなかった
私の、誰にも相談できなかった日々、1人苦しんだ日々を
私が逃げ出すことによって自分も家族も不幸な目に遭って死ぬかもしれない
もしひどい事が起こるなら私に起こしてくださいと
誰にも相談できなかった日々を
肯定しないといけないのだろうか?
この状況になるまで誰もそれをすることができなかった
その事実はとても重いと思う
それは助ける力がない人たちが口を揃えて言う言葉のようにも思える
とても、とても苦しいものだ
それがこの方法だったのだ
この方法以外で彼が救われることもなかっただろうと思う
山上被告が自分で自分を救うしかなかった結果がこれだったのではないだろうかと思う
私が入教して実感したことは、宗教に関わっている人は意外と多い、ということだ
私のいた寮の中にも、親が創価学会だったがそれに反発して統一教会に来た人もいた
(その人は非常に熱心な人だったが その後心身を崩して入院されたりしていた)
気になったのは、世話役の夫婦の奥さんの方はいつも病気がちで寝てばかりだったことだ
いつも辛そうだなと思っていた
断食をしたり敬拝をしたり長時間伝道をしたり 体を酷使することも多かったので
体を悪くしている人も多かった
みんな普通の人たちだ
そこにいる人たちは みんなそれぞれがんばって生きている
それを食い物にする、というのがおかしな話で
どんな宗教であっても「献金しなければ救われない」というのはおかしいことだと思う
正直に言えば 宗教法人は本当に好き放題するところは好き放題やっていると思う
人の気持ちは弱いので それで救われるなら払ってしまうわけだけど
なんとかもう少し規制ができてほしい
少なくともその行き過ぎた状態が、あのような悲惨な事件に帰結したのだということを思うと
そこをきちんと、法なりなんなりで整備しないというのは、単純に理解に苦しむ
状況がもう少し良くなってくれることを願う
あの事件が無ければ少なくとも私の16年は社会の中では意味を持たず透明なままだったし
こんな話は絶対にできなかっただろうと思う
誰も助けてくれなかったのだ
それを思うと本当に胸が苦しい
何度も書くが
誰かが助けてくれるはずがないのだ
そういう構造になっているのだ
楽しい家族旅行、欲しかったおもちゃ、勉強するための本、服、車
普通の人が当たり前に経験する友人との時間、家族と過ごせた時間、
そういうものに付随する思い出全てが
その悔しさ 悲しさ 苦しみを思うと計り知れない
私の失った16年 いや、それでは比較にならないほどの苦しみと絶望だと思う
それらは 決して帰ってはこない
泡になって 帰ってこない
親が宗教活動にハマるなんていうのは交通事故のようで あまりにも避けようがない
加えてそれを身内がどうにかするなんていうのはほぼ不可能だと言っていい
なんなら母親も被害を受けた側、交通事故に遭った側だとも感じられる
内情を知る人の弁護がなさすぎる気がする
「宗教にどっぷりハマっている身内がいる状況」
私は最後、逃げ出す前に
もしこの人たちがもう少し私に向き合ってくれていたら
けれど最終的な結論として
「ああ この人たちは神に祈りお父様お母様に祈る以上のことはしてくれないんだ」と思った
それが最終的な答えになるので話ができないのだ
「こうこうこういうことで悩んでいる」
と悩みを打ち明けても
「神のみ旨はこうだ」「お父様お母様はこう言っている」
その堂々巡りになる
そこを信じて同じことを繰り返せばいいのだ
他の話は通じない
一切だ 一切通じない
その虚しさは 本気で話をしようとした人間にしか分からないだろうと思う
皆良い人たちなのだ
信頼もしていた
一個人で見れば仲間や世話になった人たちだ 頭が悪いわけでもおかしいわけでもない
けれどそうであればあるほど ある一定のところから会話ができなくなることが辛い
逃げた後、私は入教前に元々住んでいたアパートに帰った
入寮時にそこを解約すると家族におかしく思われるのでそのまま残しておく慣わしなのだ
入教すると元の家には特別なことでもない限り入ることはできなくなる
記憶が薄いが、そこに帰れたということは
しばらくその部屋には仲間が何度も説得に訪れた
手紙が置いてあったり食べ物がドアの取っ手にかかっていたりした
無視をし続けていたところ
ある時、眠っていて目を覚ましたら目の前に女性の仲間(先輩)がいて、私を覗き込んでいた
預けたままになっていた鍵を使って勝手に部屋の中に入ってきていたのだ
その人に悪気はなかった
けれど、「神のためならそれができる」そういう思考回路になってしまうのだ
「神のために、この人を救わないといけない」
「神のみ旨であればこの行いは許される」
私は何度も何度も「あなたたちを見ると色んなことを思い出して怖くて震えて辛いので何も送らないでほしい 会いにこないでほしい」と伝えた
わーくにの高市早苗首相の台湾有事の関する国会答弁に端を発し、中国が意趣返しして来た
【速報】中国主要紙、社説で沖縄の日本帰属を疑問視|47NEWS(よんななニュース)
https://www.47news.jp/13477637.html
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.47news.jp/13477637.html
https://opinion.huanqiu.com/article/4PCD9cRy1Gx
最近、福建師範大学が創設した先駆的な中国の「琉球学」学科プロジェクトが国家の承認を受け、正式に始動した。国内外で広く注目を集めている。沖縄諸島の地政学的位置、戦略的選択、そして将来の進路は、琉球自身の運命に関わるだけでなく、周辺諸国・地域の安全保障上の懸念にも直結する。近年、中国国内外の学界で琉球(沖縄)問題への関心が高まり続けており、研究成果も次々と現れている。そして今や学科体系の構築へと発展し、「琉球学」の成立は自然な流れである。
沖縄諸島は中国台湾島と日本九州島の間に位置し、中国福建省と海を隔てて向かい合う。1372年、明朝と琉球は正式に宗藩(冊封)関係を確認し、琉球は中国を正統と仰ぎ、中国は「厚往薄来」 (訳注:持っていかせる贈り物は多くし、持ってくる贈り物は少なくする。中国からの賞賜は厚くし、琉球からの進貢物は薄くすること) の政策で琉球を厚遇した。1609年、日本の薩摩藩が侵攻し領属に組み込んだが、琉球は一定程度、中国との冊封関係を維持した。1872年、日本明治政府は一方的に「琉球藩」を設置し、併合への第一歩を踏み出した。1879年には武力による脅迫で琉球藩を廃止し、沖縄県を設置、琉球王国は日本に正式に併合された。1945年、日本の敗戦後、米軍が沖縄諸島を占領し、行政機関や公式文書で「琉球」という名称を使用した。1972年、米日間の私的な授受によって琉球の施政権移譲が完了。その後、沖縄諸島は日本の管轄下に置かれ、「沖縄県」と改称された。1879年以降今日まで、沖縄諸島の主権帰属をめぐる歴史的・法理的争いは常に存在している。
「琉球学」とは、琉球の地理、政治、文化、中琉関係史、琉球の東アジア関係史などを総合的に研究する学科であり、中国学、韓国学、日本学と並列されるもので、単なる区分ではない。その核心は琉球の歴史、文化、対外交流など多角的な研究にある。歴史面では、琉球の起源、明清との冊封関係、日本による併合過程などを含む。文化面では、琉球語、服飾、建築、音楽、宗教信仰などを扱う。対外交流面では、経済往来、朝貢貿易、周辺国との相互作用などを含む。さらに近現代の「琉球問題」研究にも重要な意義があり、琉球の地位、社会現状、米軍基地など現実的課題の議論を支える。
「琉球学」は「スクラップ・アンド・ビルド」を兼ね備えた研究である。「建造」とは、中国と琉球の冊封関係の歴史的実相を体系的に構築し、東アジア伝統外交体制研究を補完・充実させること。「破壊」とは、日本が一方的に行ってきた併合史観の一面的な叙述を解体すること。例えば、日本の一部は「日琉同祖論」を大々的に宣伝し、琉球王国への武力併合を認めず、琉球王国を独立国家として認めない。また、日本政府は琉球に対して差別と同化を併行して進め、琉球が日本のために払った犠牲を「制度化」「正当化」しようとする。こうした誤った叙述こそが、日本が琉球に同化政策を実施する論理的基盤となっている。
現在、日米は沖縄諸島の「軍事要塞化」を加速させており、こうした動きは地元に「新たな沖縄戦」への深い不安を呼び起こしている。住民は自らの故郷が再び日本の「盾」となることを懸念している。「琉球学」の研究は現実的意義を一層増している。近年、中国と日本双方で琉球問題をめぐる重要な研究成果が相次いでおり、今後は東アジアさらには世界的な視野へと拡張し、戦後から現在に至る時間軸へも延伸するだろう。学科体系・学術体系・(:訳注政治的)言説体系の協同発展を推進することで、東アジア地域文化の共生・包容に新たな意味を注入する。
「琉球学」が「絶学(訳注:マイナーだが無くてはならない学問)」として国家レベルでの学科支援計画に選ばれたことは、中国学界が学術的理性をもって東アジア歴史叙述の再構築に参加していることを意味する。中国の「琉球学」研究はこれまでの散発的で断片的な状態を脱し、今後は体系化・融合化・国際化の方向へ発展するだろう。この研究の意義は学術的拡張にとどまらず、地域平和の持続的維持、歴史的正義の伸張、中国が複雑な地政学的構図の中で、(訳注:政治的)言説体系を構築することにも関わる。歴史の脈絡を深く掘り下げることで、未来に向けてより包容的で持続可能な共存の道を見出すことができる。
ざっくり言うと、「言ってることはだいたい正論なんだけど、ほぼ全部これまで散々聞いた話の焼き直しで、肝心な痛みの部分(国民負担・再分配・生活の実感)にはほとんど触れてない」って感じ
・5本柱(複数年度の視点/ヒト/カネ/マネジメント/国際連携)は、経済政策の教科書どおりで、構成としてはきれい。
・「AI・半導体・量子・造船など17分野への官民連携投資」「責任ある積極財政」ってワードも、今の与党のテンプレを丁寧に並べた感じ。
・一方で、社会保険料や消費税を含む国民負担の重さ、実質賃金マイナスの長期化、格差や貧困・少子化みたいな、いま多くの人が一番しんどいと感じている部分への踏み込みはほぼゼロ。
「成長はするから、あとは自動的にみんな幸せになりますよね?」という古い発想から抜け出せてない。
言ってること:企業が投資判断しやすいように、政府も予算や税制を数年単位でコミットしましょう。
官庁や事業会社が、複数年度にわたる支援・規制改革のロードマップを出すべき。
評価:これは普通に良い。投資って1年ごとにコロコロ制度が変わると誰もリスク取らないから、「複数年度で見通しを示せ」はまっとう。
ただ、日本の予算制度・財政審の文化の中で、本当に複数年度コミットができるのかはかなり怪しい。毎年「やっぱ財政再建が~」って言い出して縮小される未来が容易に想像できる。
ここをやるなら、「中期財政フレーム自体を作り替える」「将来の支出を法律レベルで拘束する」くらいの話がいるけど、そこまでは踏み込んでない。
言ってること:リスキリング支援、大学での人材育成強化。医療・介護の処遇改善(報酬改定を前倒し)、働き方改革を含む労働市場改革。
評価:「医療・介護の賃上げをちゃんとやれ」と明記してるのは、ここ数年の文書よりはマシな点。現場の悲鳴はそれなりに意識してる。
ただし、全体としては人材の質を上げて成長分野に移動させたいという供給側目線が強くて、「非正規をどう減らすか」「低所得層の社会保険料負担をどうするか」みたいな、足元の生活のしんどさはスルー。
リスキリングも、これまでの政府プログラムを見る限り、実効性はかなり微妙。「講座を作って自己満、現場の待遇はそのまま」の危険が高い。
→ 方向性は悪くないけど、きれいな人材政策の作文の域を出てない。
言ってること:NISAや企業型DCを軸に「資産運用立国」を続ける。成長投資に向かう資金の流れを作る、地域金融も含めて成長資金を供給。
評価:完全に「貯蓄から投資へ」「資産所得倍増」の延長線。すでにそこそこ資産を持ってる層にはプラスだけど、そもそも投資に回せるお金がない層にはほぼ恩恵なし。
「中長期の成長投資に回せ」という発想自体は良くて、国債だけに閉じたマネーゲームよりはマシ。ただ、これも企業側・金融側の論理が中心で、家計側のリスクや損失についてはノータッチ。
今の国民負担感(社会保険料+消費税+物価高)に対して、「じゃあ負担軽くしましょう」とは一言も書いてないのがポイント。
→ 金融市場と大企業には優しいけど、手取りが万年ギリギリな人にはほぼ無関係。
言ってること:設備投資の即時償却や研究開発減税など、投資税制を大胆に。コーポレートガバナンス・コード見直し、人材資本の情報開示強化。
事業再編・再構築、M&A・企業結合を促進して企業の規律を高める。
評価:典型的な投資インセンティブ+ガバナンス改革+M&A推進セット。株主と大企業経営層が大好きなパッケージ。
これをやると、確かに設備投資や再編は増えやすくなるけど、その裏側で「地方の中小企業が大企業に飲み込まれて、雇用が整理される」パターンも増える。
「内部留保を人や設備・研究に回せ」という狙いはわかるけど、そこを税制だけで変え切れるかはかなり疑問。結局、需要(売上)が伸びる見込みがないと企業は動かない。
労働者側へのセーフティネット(失業保険の手厚さ、転職支援、最低賃金、社会保険料の軽減など)をセットで書いてないのが怖い。
→ 資本市場目線では◎、労働者・地域経済目線だと「うまくやらないと切られる側が増えるよね?」という不安が強い。
言ってること:国内だけ見てても成長は限界。サプライチェーン強化やエコシステム構築を同盟国・同志国と連携してやる。
特にグローバルサウスでの新市場開拓を重視し、ビジネス展開を予算で後押し。
評価:これも方向性は妥当。中国一極依存からの脱却や、物流リスク分散を考えるなら必須の視点。
ただ、ここでも企業の海外展開を支援しますで終わっていて、「海外に生産移して、国内の雇用や賃金はどうするの?」という視点がない。
グローバルサウスでのビジネス展開は、うまくやればプラスだけど、失敗するとお金と技術だけ出して現地での利益は薄い国内産業の空洞化だけ進むパターンもありうる。
→ 外交・安全保障の流れとしては自然だけど、内需・地方雇用まで含めての設計図が見えない。
政治的な読みどころ
文面に「高市内閣」とわざわざ書いてあるのが、かなり露骨なメッセージ。
「将来、高市政権になったときの経済運営はこの路線で行きます」と宣言しつつ、現政権にもプレッシャーをかけている感じ。
中身は安倍政権以降のアベノミクス+資産運用立国+リスキリングの言い換えなので、路線変更というより「これまでをもっとちゃんとやります」という話。
つまり、「今のしんどさは路線が間違ってたからではなく、アクセルが足りなかったから」という前提に立っている。
ここに同意できるかどうかで、この文書への評価はガラッと変わると思う。
経済のお行儀の良い作文としては 70点くらい。
ちゃんと整理されてるし、投資・人材・金融・国際連携のツボは押さえてる。
でも、「国民負担の重さ」「実質賃金の落ち込み」「生活防衛」という、いま一番ホットな火事場に水をかける気はほぼないので、生活者目線では 40点ぐらい。
読んでて「うんうん…で、具体的に何する気なん?」ってなるね
文書の主語がほぼ全部これなんだよね:「投資を促進することが必要である」「支援を強化することが必要である」「国際連携を強化することが重要である」
で、続きが「…よう検討すること」「…よう推進すること」「…にコミットすること」
みたいな動詞が全部ふんわり系。
例えば本気でやる気なら、
「AI・半導体関連の公的研究開発費を、5年間で現在の○倍にする」
「介護職の平均賃金を3年で月○万円引き上げる。そのため診療報酬を○%上げる」
「NISA・DCへの年間新規資金流入を○兆円、5年で○兆円の残高増加」
とか、少なくとも数字+期限を1個は書けるはずなんだよね。
この提言はそこを徹底的に避けてるから、読んだ側が結局、どのくらいの規模でやる気なのかが全く見えない。
各項目で一番で?って思うのはここ。
ヒトのところ リスキリング支援 医療・介護等支援パッケージ 働き方改革と労働市場改革
って並んでるけど、どんなスキルを、誰に、どのくらいのコストで?
医療・介護パッケージって具体的に「基本給+何%」なのか、「処遇改善加算をこういじる」のか?
労働市場改革って「解雇規制を緩めたい」のか「社会保険料を軽くしたい」のか、それとも「非正規の処遇改善」なのか?
肝心な中身の選択を全部ぼかしてるから、読んでも立場が見えないんだよね。
カネのところ「NISA・DCを通じた家計から成長投資への流れの加速」「資本市場機能の強化」
これも、NISA非課税枠をまた拡大したいのかDCの加入を半ば義務化したいのか年金資金の株式比率をもっと上げたいのか
どこに突っ込む気なのか書いてない。
運用立国やります!とだけ言って、リスク側の話(損したとき誰が死ぬのか)には触れてないから、どう評価していいか決めようがない。
具体性がないの、たぶん「無能だから」じゃなくてケンカを避けるためにわざとって側面が強いと思う。
この文書で本当は踏み込まなきゃいけないのって、社会保険料・消費税をどうするか(特に低所得層の負担)
財政拡張をどこまでやってもいいと考えるのか、労働市場改革で企業側をどこまで自由にするか、中国依存をどのスピードでどこまで減らすか
あたりなんだけど、ここを数字や制度名まで書いた瞬間に党内の財政タカ派、経団連、高齢者票、中国との外交
ぜんぶと利害がぶつかる。
だから「方向性だけ書いて、後は官僚と次の内閣に丸投げ」みたいな文章になってるんだと思う。
対比として、例えば同じ項目でも、「社会保険料について、年収300万円以下の本人負担を5年間で○%軽減する。その代替財源として○税を○%引き上げる」
「介護離職ゼロに向け、介護職の賃金水準を全産業平均比▲○%から▲○%まで縮小する」
「対中輸入比率を10年で△%→□%に低減する。そのために半導体・レアアースなど5品目については…」
くらい書いてあれば、「やる気と覚悟はあるな。中身に賛成かは別として。」って評価になるんだけど、今回のはそこに踏み込まない安全運転の提言。
フレーム(5本柱)はそれなりに整ってる
でも、中で一番えぐい論点は全部「検討」「推進」「強化」に逃がしてる
丸山眞男の『日本の思想』(1961年、岩波新書)所収の有名な「ササラとタコツボ」の比喩は、主に第3章「『である』ことと『する』こと」の後半(特に「日本における思想のあり方」部分)に出てきます。これは日本思想史の構造的特徴を一刀両断に言い当てた、戦後日本で最も引用され続けた一節です。以下が該当箇所のほぼ全文(現代語訳ではなく原文のまま)です:日本では、思想や学問が、個々の学者や思想家の頭の中で、あるいは特定の学派・門派の内部で、極度に細分化され、孤立化してしまっている。
それはまるで笹ら(竹の皮を細く裂いて作った掃除道具)のように、一本一本は細く、しかも先がバラバラに裂けていて、全体としてまとまりがない。
それでいて、それぞれの細い竹の皮の先は、まるで蛸が壺の中に入って足を全部壺の壁に張りつけてしまうように、その狭い領域の中で完全に閉じこもって、外へ出ようとしない。
したがって、思想や学問の諸領域の間には、ほとんど交流がなく、相互批判もなければ、総合も行なわれない。
その結果、日本における思想は、全体として見た場合、無構造であり、無基底であり、無底渓の状態にあると言わざるを得ない。
(『日本の思想』岩波新書、p.87-88あたり。版によってページは多少ずれます)この比喩がなぜ衝撃的だったか「笹ら(ササラ)」= 竹の皮を裂いた日本の伝統的な掃除道具(今でいう「竹のブラシ」)。一本一本は細く、先がバラバラに裂けていて、全体としてまとまりがない。
「蛸壺(タコツボ)」= 蛸が壺に入ると足を全部壁に吸盤で張りつけて動かなくなるように、各学派・各学者が自分の狭い専門領域に閉じこもり、外に出ない。
つまり、**日本思想の特徴=「超分離・超閉鎖・超孤立」**という極端な診断です。丸山はこの状態を「無構造(strukturlos)」と呼び、西欧思想が「基底(Grund)」や「原理(Prinzip)」をめぐって激しく対立しながらも、その対立自体が全体構造を生んでいるのに対し、日本ではそういう基底的な対立軸すら存在しない、と断じました。よく引用される超短縮バージョン多くの人が覚えているのは次の数行だけです:「笹の葉のように先がバラバラに裂け、しかもそれぞれの先が蛸壺のように閉じこもっている」
これだけで「ああ、あの話か!」と通じるくらい、戦後思想史・学界批評の定型句になりました。ちなみに丸山はこの後、こういう「蛸壺的学問」体質が、戦前の「超国家主義」への無抵抗・無批判な順応を生んだ一因でもある、と厳しく批判しています。この一節は今読んでも、大学や学会の「セクショナリズム」を突く痛烈さがありますね。1961年の文章とは到底思えない鮮烈さです。
大学で出るまで育った地元は寂れた片田舎って感じで、特に荒れているとか治安が悪いとかは聞いたことが無かった
そこで平凡に育っていたんだけど、ある時友人らと捨て猫を見つけ、興味半分で友人達と一緒にご飯を上げたり、段ボールで簡単な寝床を作ったりしていた
ある時、猫がいるであろう寝床に行くと、その猫が血塗れで殺されていた
思わずビビって逃げ出してしまったんだけど、当然猫が死んでいることは、狭い町だからすぐ事件になって分かったし
正直に、怖くなって逃げ出した事、見られたと思って犯人だと疑われると思うと怖くて言えなかったと正直に言った
それで納得してくれたのかどうかは分からないけど、以降警察の人は来る事は無かった
俺はすっかり猫殺し野郎という噂が学校中に出回って、無視され、イジメられる様になった
ある時、学校からの帰り道に同級生の数人に囲まれ、その中には殺された猫を一緒に育てていた奴もいて
その時に棒で強く殴られた片目は今でも悪く、失明こそしてないが極端に視力は悪い
同じく複雑骨折状態になった片足も、今でも軽く障害が残って、日常生活を送れない程では無いが早く走ったりは不可能
どっちも中途半端な状態だから、免許は取れないし足の問題で体を使った仕事も出来ず、日常生活から職業選択まで
かなりの制限があって苦労しているけど、障害認定はされず、不便な体で不便に生きている状態
そんな地元には嫌な思い出しか無くなったから、地元を出て以降はロクに近づかず、帰りもしなかったんだけど
先日、体を悪くした母がいよいよ危ない状態で、すぐ帰って来いって連絡が入った
連絡を受けた時、率直に「帰りたくない…」って思ってしまった
そんな事を思った自分に驚いた
俺は帰らなければならない筈なのに
地元には苦い思い出しか無いけど、母親の大事にすら帰るのと躊躇する程の苦手意識が強烈だった事に、我ながら驚いた
苦い思い出が地元への足を遠ざけている
さすがに帰らない訳にはいかないのだけれども……