はてなキーワード: 強迫性障害とは
何もしてないのに色んなことが不安になる。
お薬は飲んでる。
今もおちんちんが外に出てしまってるのではないかと心配になる。
露出してもいない。
確認すると、確かにあるが、パンツの中にしまうと、居なくなったのではないかと心配になる。
多分これは強迫性障害なんだと思う。
知らんけど。
ほら、こうやって増田を書いてる間も、おちんちんがお出かけしてるかもしれないって思っちゃう。
ある!いる!安心する。
居なくなれば、確認行動もなくなるはず。
おちんちんなんていらないのだ。
でも、取れない。
そうと分かっているなら、おちんちん確認行動を取らなくてもいいはず。
考えたのが、パンツにカメラを仕込み、常におちんちんを映しておく。
するといちいちおちんちんを目視しなくて済むし、単にスマホを見てる人に擬態できる。
だがもしスマホの画面を見られたら…?それこそ変態だし、通報されるかもしれない。
「いや、これは自分のおちんちんなんです!」と警察に言っても分かってもらえないだろう。
猥褻物陳列罪に問われるかもしれない。
仕方ないので丸出しで過ごすことにする。
現在私は貯まらない貯金、劣悪な住環境、趣味に時間を使えない多忙、絶対に許されぬ恋というヘレンケラーもびっくりの四重苦を抱えているのだが、やはりというか当然というか最近希死念慮という名の死神が手招きするようになった。
これまでも約20年ほど強迫性障害を抱えており、薬でなんとかやり過ごしてきたがついにやって来たかという感じだ。思うに人間という生物はストレス耐性の限界値というものが各々備わっていて、その数値を超えると希死念慮という名の電源ボタンを作動したくなる衝動に駆られるのではないか。つまり死は生きる苦しみから逃れる救済措置でもあるというわけだ。
希死念慮を和らげる薬も現在いろいろ試してはいるが、今のところ特効薬と呼べるものは見つかっていない。イライラや不安が限界まで高まると首吊りや飛び降りのイメージが頭に浮かぶようになっている。
しかし、私は今死ぬわけにはいかない。死神に負けるわけにはいかない。なぜなら脳内にこれは絶対に世に出しておきたいという作品のネタがまだまだあるからだ。これらを発表せずしてこの世を去ることはできない。カート・コバーンがあの日ショットガンで自らの頭を撃ち抜いていなかったら我々はもっと多くの名曲を聴けたはずだ。
今の私は私のために生きてなく、世に出るのを今か今かと待ち望んでいる作品たちのために辛うじて生きている。私は作品を世に出すためのデバイス。タンパク質の塊。そう言い聞かせてこの生き地獄を耐えている。
強迫性障害と診断されてから、2週間に1度のペースで病院に通っています。
でも、症状は一向によくならず、むしろ悪化しているような感覚があります。
それでも治療費はかかり続けるし、「通ってる意味あるのかな」って思ってしまうこともあります。
職場からの理解もあまり得られていない中で、さらに追い打ちのように「8月から2年間、労働組合の執行委員をやってほしい」と言われました。
私は承諾もしていないし、名前やハンコも出していないのに、「拒否権はない」とだけ言われて、実質的に押し付けられたような形です。
ただ、強迫の影響で車の運転も難しい状態が続いていて、正直、組合の業務をこなすのは無理があります。
仕事そのものは嫌いじゃありません。むしろ、できればこのまま続けていきたいと思っています。
正直、言わなきゃバレないくらい仕事に関してはきっちりやってると思います(もらってるお金もそう)
でも、通常業務に加えて組合の役割までこなすのは、今の自分にはとても無理で、このままだと退職も視野に入れないといけないのかなと感じています。
ごめん、まだ本文読んでないんだけど書かせて。
その女優さんの一報を聞いて自分が一番に思い浮かべたのは自分の姉のことだった。
明らかに統合失調症の症状(幻聴と被害妄想)を呈していたのに、親も姉自身も統合失調症だと認めることができなくて、強迫症状(統合失調症によく随伴する症状)の治療のためだけに精神科に通ってた。
姉は統合失調症を思わせるような症状に関しては医者に黙ってたから、強迫性障害(強迫症)ってことになってた。統合失調症は抗精神病薬で治療してなきゃ悪化する病気だ。危惧していた通り、ある日姉は陽性症状がピークに達し、ご近所に突撃し、警察を呼ばれてそのまま精神科のスーパー救急病棟に措置入院することになった。
だから私は第一報を聞いたとき、幻覚妄想興奮状態を呈する何らかの病気(いわゆるサイコーシス。サイコーシスを呈する病気は統合失調症のほかに双極症がある。ほかにも一過性の症状としてあらわれる場合もある)、またはそれらの症状を引き起こす薬物のどちらかなのではないかと思った。
長くなってしまったけれど、まとめると――
大学時代は、周囲が楽しそうに見えたこともあり、「親元を離れれば人生は良くなる」と思っていた。けれど卒業後、その考えを維持するのが難しくなった。社会人で楽しそうにしている人は、学生時代からすでに人間関係や生活がうまくいっていた人たちなのだと気づいたから。
ただ、もし実家暮らしのまま就職して人間関係が増えた場合、また親の干渉に苦しむことになるのではないか、という不安もある。
「お母さんは心配性すぎると思っていた。前から感じていたけれど、孫とはいえ他人の家庭に口出しできなかった。でもこれからは母親と話し合う」
また、大叔母が祖母にこう言っていたとも聞いた。
「弟は言いたいことを言えるから大丈夫だけど、(私)はこのままではダメになるのではないか」と。
どうして今になって、こうした言葉が出てくるのだろうと感じた。
私は、人が周りにいる学生時代にこそ自由に外出したかったし、新卒のタイミングでこそ自由に仕事を選びたかった。
実は昨年の夏頃、祖父から「男に興味がないのか?」と聞かれたり、大叔母からは「コンタクトにしなさい。結婚も考える年齢なんだから、見た目を活かさないと」と言われたりした。今思い返すと、親族は私の将来をうっすら心配していたのだと思う。
私自身は、大学卒業時点でもう“詰んでいる”と感じていたのだけど、親族の視点では「そろそろ結婚適齢期。今のうちになんとかしなければ」と思っているのかもしれない。
ネットではよく「職場結婚が多い」とか「学生時代からのつながりで結婚する人が多いから釣り合う」なんて話を見る。
そういう情報を信じているせいで、「いまから逆転なんて無理」と思い込んでいるところもある。……ネットに毒されているのかもしれない。
ちなみに、主治医の転勤により新しい医師に変わったところ、強迫性障害の可能性を指摘された。
小学生の頃に診断され、すでに寛解したと思っていたが、今の「フラッシュバック」だと思っていたものは、実は強迫性障害による**侵入思考(不快な考えが繰り返し浮かんでしまう症状)**かもしれない、とのことだった。
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以下に、文章のトーンや内容を保ちつつ、読みやすく・伝わりやすいように校正したバージョンを提示します。匿名ダイアリーの文体に近づけて、リアルな語り口を残しながら整理しました。
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捜索願〜帰宅〜現在までの話を書く。成人なのに警察から電話来たのでその話をします。
1/2 喧嘩勃発
1/7 朝に帰宅
喧嘩のきっかけは私(以下、増田)が物に当たること。それを「面前DV」と弟に言われた。弟が小中学生の頃、私が高校生の時に父が母を殴っていた話を持ち出して「そっちの方が面前DVでは?」と返したら、弟が手を出してきた。私は咄嗟にハサミで応戦しようとした。
弟「死ね」
弟「出てけ、俺が追い出す」
親がめちゃくちゃ慌ててた。セルフ首絞めで死ぬケースってそうそうないし、なんで同じく養われてる弟に私が追い出されなきゃいけないのか。
大学4年のとき、就活で引っ越し資金を貯めたくて、親の許可を得て遅番週4でバイトしてた。でも「シフトを昼にするか、できないならやめればいい。引っ越す必要はない」と言われた。単発バイトに行こうとしたら、出勤前に母に羽交い締めにされ、父にメガネを隠されて止められた。地元では病気の関係で免許が取れず、まともな仕事が無いのに。
その事件以降、通学中や面接に向かう途中で泣くようになり、就活どころではなくなった。やる理由は説明して許可も得ていたのに、あとから反故にされた。
その話をある質問箱に投げたら、「大人になってから無料で貰えるものなんて無い。お前は過去の話がしたいんだな。ゴミ、死ね(要約)」みたいな返答が来た。私は「働きたかったのに制限されて辛かった」って話をしたかったのに、「無料で貰えるものは〜」って言われて、頭に来た。「“説明してる”んだね笑」って返されても、そうしないと「お前のせいで死ぬ!」って親に怒鳴られるからそうしてるだけなのに。
そういう出来事や反応がふとした瞬間にフラッシュバックして、メガネケースやスマホで壁を殴ってしまう。イライラしても、殴ったあとは正気に戻って作業に戻れるから、そういう処理方法になってる。
両親に怒鳴られたあと、弟が祖母宅に風呂だけ借りに行った。その間に母と話していたら「お前反省してないだろ」と言われ、代わりに祖母宅へ行くことに。1泊のつもりで最低限の荷物しか持たず。
実は喧嘩の前から家出を考えていた。病気のせいで車の運転は禁止されていて、地元にいるだけで人権がない感覚。家に居るだけなのに、ストレスで発熱することもあった。家事を母に任せても、時間を有効に使えなかった。
障害雇用の面接では「地元民がいい」と言われる。精神障害者は遅刻が心配だからと。じゃあ出てっちゃえばいい。
祖母が「もう一泊していきなさい」と言い続けて、結局4日いた。「何日かいれば弟も懲りるだろう」「増田は大人しいからストレス溜まる。言い返せばスッキリする」って言われたけど、言い返したら倍言い返されるんだよね。しかも「感情的に物を考える」「被害者ぶるな、韓国人みたい」とか。別に韓国関係ないだろ。
親に「地元では働けない」と言おうとしても、「薬をやめれば運転できる」って勘違いされてるし、弟には「地方差別だろ」と言われる。こっちが差別されてるのに。
「話し合う」「向き合う」をやってもダメだったから、もう無理だなと。
一旦帰宅したら親に「お父さんも反省してる、弟は特性があってまだ子どもだから大人になってやれ」的なことを言われた。
その時ふと思った。「同い年の子が『セフレかも』『彼氏と結婚イメージできない』とか悩んでる脳のスペースに、私はずっと『お父さんが〜!弟が〜!』って情報を詰め込むのか」と。
アニメみたいに目がグルンってなって、気づいたらスーツケース出してた。着替え、飲み物、TOEIC本、スーツを詰め込んで出発。
駅までの途中、後ろからママチャリの音。母だった。すごく疲れた顔をしてた。
「話だけでも…」と言われた瞬間、「イヤーーー!」と金切り声をあげてスーツケースを捨てて逃走。電車には乗れたけど、荷物とはさようなら。
大宮のカプセルホテル「イージーステイ」へ。ネカフェ併設、無料カレー食べ放題(うどんは売り切れ)。
薬もスーツケースと一緒に捨ててしまい、その夜は寝られなかった。
早すぎる時間だったので無視したが、何か事件でもあったかと心配になって出た。父が弟に暴力でもふるったのでは…と悪い想像がよぎった。父は一頃まで物を殴るたまに人も殴る人だったから。お父さんに弟をビンタするよう指示されたこともある。
電話に出たら「このまま出なければ捜索願を出すつもりだった。親御さんがいて、印鑑も押したところ。薬もないし心配してるから帰ってこないか」と。成人でも精神疾患があると「特異行方不明」で捜索対象になるらしい。届けには最近の写真が必要だけど、私の最近の写真なんて無い。成人式とか卒業式の写真使ったんだろうな。
私が帰った理由は「お父さんがダメになったら、みんなが困るから」。お母さんに色々言われたけど、戻った理由はそれだった。
子どもは産まないでおこう、と思った。
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1月は、チャトレ体験に行ったり、メガネメーカーの障害雇用で間違い探しをさせられたり、在宅チャトレを始めたら親にバレたり。
2月末に高熱が出て、雨の日で自力で病院に行けず、6日目にやっと連れて行ってもらった。抗生剤で一旦熱は下がったが、白血球が減っているらしく、37度後半の微熱が1ヶ月続いた。
バイトの面接を受けたら、「就労移行支援の方が就職に繋がる、バイトは怪しい(?)」など言われた。医者も移行を勧めてくるけど、いいところに就職できるか分からないし、通う期間も自分で決められない。実家暮らし期間が伸びるのがしんどい。コールセンターのバイト受かっちゃったし。
移行への不安を口にすると「ひねくれてる!」と、向こう側のテンションで言われたので、また家出するかも。でも、家出したらバイトは辞退になっちゃうんだよな…。
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