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8月2日放送のETV特集「火垂るの墓と高畑勲と7冊のノート」を観た。
https://www.ghibli.jp/info/013977/
番組では、これまで存在が知られていなかった7冊の創作ノートが紹介された。高畑は映画『火垂るの墓』において、原作に忠実でありながらも「F清太(ファントム/幽霊)」という独自の視点を加えたことが4冊目のノートで明かされる。原作と異なる重要な点は<思い出のなかの清太>と<幽霊としてのF清太>の二人がいるということだという。F清太は、最後に観客をじっと見つめ、現代の私たちに問いかける存在として描かれている。言われてみれば確かに映画の冒頭と最後にカメラ目線の瞬間がある。長年、心の奥底に染みついていただけだったが、改めて自分がF清太に見られていたことを強く意識させられると同時に、その意味が次第に言語化されてきた。そうか、過去の自分を思い出す幽霊から始まっているのか。過去を思い出し、未来へ目線をむける、その行為に何か深みを感じた。
この映画は、多くの人が指摘していることだが、子どもの頃と大人になってからでは感じ方が変わる。清太は二人で生き抜けると信じて家を出たが、現実は甘くなく、妹を死なせてしまう。その未熟さは、みる大人には悔しさを呼び起こす。
そこに、F清太の俯瞰的な視線を意識してみると今度は、清太の個人の物語を超え、より大きな歴史的な文脈で当時の日本という国の姿と重なって見えてくる。清太は、叔母と決別したあと、東京の親戚の居場所を探そうともせず、叔母との和解を諭した農家や医師の言葉に耳を貸さなかった。和解するチャンスは何度もあったが、戻ろうとはしなかった。その判断は、満州事変以降ABCD包囲網に至るまで、外交解決を放棄して戦争に突き進んだ当時の日本の姿と共鳴しあう。そして節子の死もまた、戦時中に兵士の多くが飢えで亡くなった現実と重なり、戦争が長引き補給が途絶え、国家が国民を守れなくなった姿を映している。空襲のたびに街へでて火事場泥棒を働き、痛快な笑顔で横穴に戻る清太。二人が暮らした水辺は、あたかも戦地となったアジア太平洋すらも想起させる。
内なる他者=F清太は、自分自身の過去の行動を死者の目線で見つめており、時には未来の観客の目をまっすぐに見返してくる。このカメラ視線を意識すればするほど「なぜこんなことになってしまったのか」と、観ている私たち一人ひとりに問いかけているように感じられる。ここには、レヴィナスの<他者>を思わせるものがある。レヴィナスによれば、自己は他者の顔に直面することによって、つまり一方的な応答責任に巻き込まれることによってこそ立ち上がるという(『全体性と無限』)。F清太の視線が観客に向く、その瞬間、私たちは名指され、呼び出され、ただの観客ではなくなる。作品の外でメタな存在であるはずだった私たちは、他者のまなざしを向けられることによって物語の中に引き込まれ、「問われている存在」として主体構成を迫られる。「自分ならどうしたか?」―作品の内と外を隔てる壁を破り、私たち自身の判断と責任を静かに問いかけられる。
番組では、作家・綿矢りさが「子どものころは清太のサバイバルをワクワクしながら観ていた」と語ったのも印象的だった。その感覚は、太平洋戦争開戦直後に「きっと勝てる」と信じていた日本人の空気に通じる。興味深いことに、高畑の絵コンテには、防空壕での痛快なサバイバル生活がもっと丹念に描かれていたが全体の尺の都合から削られたのだという。上映日が迫るなか、高畑本人は自ら切り捨てることを忍び得ず、鈴木敏夫に削除を一任した。番組で紹介された不採用の絵コンテを見る限り、水辺ののどかな生活風景のようだ。編集により、水辺で暮らし始め、父はきっと帰ってくると信じていた清太の胸に去来した観艦式の思い出や軍艦マーチ、そして火事場泥棒などのエピソードが残った。最初は希望に満ちていても、ゆっくりと悲劇が忍び寄る―そうした構造が、上映直前の編集によって鮮明に浮かび上がったように思えた。
物語の転機は、敗戦を知り、父の所属する連合艦隊の壊滅を知る場面だ。<連合艦隊>は単に日本軍というだけではない、海軍のなかでも特別の位置づけをもった組織だ。通常の艦隊や部隊は、海軍省等の指揮命令系統に組み込まれ、直接に天皇と結びつくことはないが、連合艦隊司令長官は「天皇直隷(直属)」という形をとっていた。そこに士官として所属していた清太の父はエリート中のエリートだ。
その連合艦隊に所属する父は清太にとって「何とかしてくれる」存在であり戦争の正義そのものだったが、その希望が崩れ落ちる。その絶望は、敗北を直視できず精神論にすがった国民の姿と重なる。節子が死んだ夜の風雨は枕崎台風だ。この台風で農作物は壊滅し、翌年にかけて1千万人の餓死者が出るのではとの大臣談話が出ていた。そして清太が最期を迎える三ノ宮駅は、父に再会できるかもしれないという一縷の望みにすがった象徴でもあった。見事な演出だ。
そしてF清太の目線は、丘の上からみおろす現代の夜景へと転じ、物語の最後に、いまを生きる私たちに向けられる。その物言わぬ視線はあたかも「清太の行動が未熟に見えたあなた。けれど、あなたが同じ状況に置かれたとき、別の選択が本当にできるといえますか?そうするほかなかった、と空気に流されるのではないですか」と問うているかのようだ。
もっとも、ここまで述べた感想はF清太に焦点を当てた深読みの試みにすぎない。『火垂るの墓』の99.9%を占めるのは、やはり胸を締めつけるような少年の悔恨であり、戦時下のどうしようもない状況、飢餓といった普遍的なテーマだ。その圧倒的な描写力に観るたび心を揺さぶられる。しかし、その感傷のただなかで、最後にF清太がふと視聴者に向けた視線だけは、別のすごみがある。全体の流れからすればわずか1秒足らずに過ぎないが、その一瞬にメタな視点からのメッセージが宿り、感傷を突き抜けた先に観客をつれてゆく力を持っている。川島雄三的な手法だ。
清太が叔母の家を出たのは、彼の自立的な選択だったのだろうか。清太の行動はむしろ、「しょうがない」の状況に流された形にみえる。東京の親戚を訪ねれば?との叔母の問いにも「だって居場所知らない」というつぶやきも状況を受け入れているにすぎない。国家もまた、ABCD包囲網を前に「他に道はない」と繰り返しながら、実際には〈選択不能性〉を自己演出し、主体的責任を回避した。ここに丸山眞男が「無責任の体系」と呼んだ入れ子の構造が垣間見える。
しかし、その<仕方のなさ>の感覚は、まぎれもない当時の人々にとっての記憶だ。戦後、戦争の記憶を語らない人も多かった。「あのときは選びようがなかった」という感覚は、語れば外からの価値観に塗り替えられてしまうという恐れを呼び起こす。占領下の日本でGHQの統制下、180度価値観が転換されるといわれた時代、戦争を生きた記憶は、勝者の正義の空気の中で、語ればすぐに記憶が塗り替えられてしまう。語れば壊れてしまう記憶を守るための沈黙はとてもよく理解できる。<反省>という行為は進歩の感覚がセットになると、胡散臭さが付きまとう。日本は生まれ変わるのだといわれてもなと。冒頭の三ノ宮駅での通りすがりの人の「もうすぐ米軍が来るというのに、恥やで、こんなんおったら」は象徴的だ。結果として人々は沈黙していたのではないだろうか。
終戦直後、小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。知識人たちの総括に対する小林の態度は考えさせられる。小林は戦前から一貫して進歩主義に基づくマルクス主義史観には距離を置く発言をしてきた文化人だ。
また、反省という言葉を聞くたびに思い出すのは岸田秀だ。「ものぐさ精神分析」のエッセイ集のなかで、酒を飲んでやらかしてしまったときの自己嫌悪を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも「自己嫌悪」とは何かを分析した。自己嫌悪に効果がなく同じことを繰り返してしまうのは、<倫理的に覚醒した自分>が<コントロールを失って暴れた自分>を自省し、本来の自分は倫理的で、酔って暴れた自分は本来の自分ではなかったという卑怯な立ち位置のもとで成り立っているからだと喝破した。これは「まだ本気を出していないだけ」の思考回路と同じだ。
同じことが、戦争の記憶もいえるはずだ。特に戦中派(特攻世代)の一つ上の世代の記憶。
太平洋戦争末期を思春期・青年期に過ごした戦中派と異なり、それ以前の世代の戦争の記憶は同じ戦時下といっても微妙に異なったものだっただろう。戦争が泥沼化するに伴い、決して人に言いたくない血塗られた戦闘に巻き込まれた世代だ。長期化する日中戦争に伴う厭戦気分と士気の低下が増大するにつれ、あとに続く若い世代の忠義心がむしろ煽られるのを目の当たりにしていたし、強い責任感とともにお国のために尽くす自己犠牲の美学に傾倒するさまをみていたはずだ。この世代の葛藤を描いだドラマ作品に、山田洋次原作『少年寅次郎』(脚本・岡田惠和)がある。戦地から戻った寅次郎の父が罪悪感から娘さくらの顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。アジア太平洋への侵略を後世の人間が反省するとき、被害者側や左派の論理で都合よく記憶が加工されてしまうが、それは本当に反省といえるのか。歴史は被害者の記憶で塗りつぶせばいいわけではないはずだ。これが右派もしくは保守の大方の感覚だろう。そして保守もまた、お国のために尽くし自らの経験と責任を美しく語れる世代と、戦地で自ら手を血に染めた禍々しい記憶を胸に沈黙する世代に断絶が生じ、結果として戦後、記憶をより美しく語ったほうが、あたかも風化に耐えた岩盤のような面持ちで保守の本流になっていった。右派も記憶の加工に加担しているのだ。語られぬ記憶による生存者バイアス、そして私たちが何を記憶としてすくい取るか、その流れ自体が、戦争の記憶の複雑さを物語る。
しかし、そんな個人としての記憶のしまい方は、将来世代が戦争を止める契機を奪う力学としても作用することに次第に気づかされる。「あの頃はどうしようもなかった」という思い出は、欺瞞的な反省への個人の抵抗ではあっても、やはり将来世代には反省を承継しなければならない思いも強まる。小林秀雄は、歴史は上手に思い出すことだ、といった。しかし、後世の人はえてして都合のいいことしか思い出さない。記憶の封印によって社会が戦争を忘却するくらいなら、という思いで晩年になって初めて戦争の記憶を語り始める人もしばしばみられる。それは、自らの死の間際になると、社会の忘却のダイナミズムが見え始めるからではないだろうか。
火垂るの墓に対して宮崎駿がどのように思っていたかは番組では紹介されなかった。
同じ終戦前後の少年の内面を描いた宮崎の作品として『君たちはどう生きるか』がある。もし高畑のアプローチがレヴィナス的な<他者>であったとすれば、宮崎のそれはヘーゲル的な<承認>の構造を想起させる。新しい母との関係を受け入れられない眞人にとって異世界への旅は必然であり、死者や過去の存在と出会い、その言葉に耳を傾けることが自らを見つめ直すきっかけとなった。それは、自己意識が他者との対話を通じた承認によって成り立つというヘーゲル的テーゼを思わせる。他の宮崎作品をみても、むしろ近代的な自我—対話と承認、責任の引き受けといった構造の中で人間の成長を描こうとする傾向がみてとれる。「泣くときは一人で泣け(風立ちぬのカプローニ伯爵)」や「じたばたするしかないよ(魔女の宅急便の森の絵かき)」、「今からお前の名前は千だ(湯婆婆)」など成長と自立を促すダイアローグが宮崎アニメに特徴的だ。
これに対して「火垂るの墓」では、他者との対話よりも、むしろ「思い出す」ことが大きな意味を持つ。叔母の家を離れた理由も、節子の死後に池へ戻らなかった理由も明示されない。ときには悔恨を滲ませる表情でF清太に思い出されるだけだ。西宮のおばさんが母の着物を米と交換するのを節子が泣いて嫌がるシーンで、耳をふさいで苦悩するF清太の表情は忘れがたい。
高畑作品のもう一つの特徴は、人々が主人公に過度に伴走しないことだ。叔母さんの描き方にそれは表れており、主人公を見放すひとには見放すひとなりの人生がある。だからこそ、視聴者はときに西宮のおばさんに共感を寄せたりもする。これは<思い出す>ことを重視した高畑ならではの演出手法であり、主人公がどうであろうと、人にはその人なりの人生があり、決して主人公に語りかけるためにだけ登場するわけでも、寄り添っているわけでもない。これは、視聴者の視点を固定し、常にだれかに見守られて成長するお姫様・王子様特性の主人公を描いてきた宮崎駿作品とは対照的だ。
<思い出す主体>を用意する手法は『おもいでぽろぽろ(1991)』にも表れる。記憶の中の小学四年生の自分という思い出を<内なる他者>として宿し、現在の自分=タエ子27歳が過去を振り返り、沈黙していた感情や語られなかった出来事に光を当てるという手法である。そこでは、言葉にされなかった過去とともに今を生き続ける姿勢が描かれており、<思い出す主体>であるタエ子27歳とF清太の視線は同じ構造を持つ。つまり、高畑は「語られなさ」をただの欠落ではなく、むしろ思い出すことを通じて現在を形づくる力として示している。
高畑・宮崎の両者が描いたのは、どちらも「戦争と少年の魂」であった。両者はまったく異なるアプローチながら、しかし同じ戦後を見つめていた。宮崎は、自我が他者との対話や承認によって確立されるという弁証法的な構造を物語に組み込み、言葉や応答を通じた関係性の中で成長を描こうとしたのに対し、高畑は「語られなさ」に宿る沈黙の力ー思い出すことで再生される倫理に重心を置いた。高畑勲は『火垂るの墓』を通じてどこまで人間の真実に迫れるかを静かに証明してみせたのだと思う。
「君たちはどう生きるか」に見られる過剰なまでの<対話>は、『火垂るの墓』に対話がなく沈黙に包まれていることとの見事な対比をなす。高畑は、あえて沈黙した視線を通じて「別の選択」の可能性を観客の私たちに突きつけた。「そうするよりほかになかった」状況、それが水辺でのサバイバルであれ、太平洋戦争であれ、それを回避する主体的な<選択>の余地は本当になかったんですか?と。それを対話ではなく、沈黙の視線で表現した。それがラストシーンでふと一瞬、観客のほうに視線をむけるF清太なのだ。
これは、<記憶を語らない>ことで選択を拒否し、結果として空気に流されてしまう私たちの精神構造を映し出しつつ、同時に、後世の人が<思い出す行為>を通じて「いかに主体的に選択しうるのか」を問いかける――その両義性を体現した見事な映像表現というほかない。比較すると、救いの構造が異なる二人の巨人のすごさがわかる。
高畑の手法は小林秀雄風にいうならば、歴史を上手に思い出せるんですか?という問いになろう。小林がいうように、人は不完全であり、過去をまっすぐ生きてきた人の手触りを感じることは難しい。上手に思い出すというのは実は難しいことだ。むしろ、現在の価値観(民主主義や人権)によって自分たちは成熟している、進歩しているという思い込みで邪魔されてしまう。当時の人々の生を未来の人しか知らないフレームに当てはめてしまい、他人事としてしか理解できないというのは往々にしてあるのではなかろうか。ここまで言葉にしてきたやや穿ち過ぎな分析がまさに記憶を台無しにする悪い見本だ、ということも含めて。
この記事はけっこう刺さってしまったなあ。このおじいさん2010年当時95歳か。この世代の戦争体験を生の声で聞ける時代は、もう終ってしまったのだなあ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2b0b23e248c99cadd393ab67a11a0a5ce4a6662d
「許してくれ、許してくれ」とガマで泣き崩れた 沖縄戦で母子を撃った90代の元日本兵が謝罪
6/19(木) 6:04配信
元兵士の照屋さん(仮名)が住民をあやめてしまったと告白した時に巡った壕。入り口に生える草は光がさす方に背を伸ばしていた=3月6日、沖縄本島(竹花徹朗撮影)
「私は銃の引き金を引いてしまった。今でも何度も夢に見る。苦しくて、苦しくて。このにおいは間違いなくあの親子のいた場所です」
2010年のある日、沖縄本島内のガマで、照屋さん(仮名)は泣き崩れた。90代半ばの元日本兵。言葉にならないような震えた声で「許してくれ、許してくれ」と何度も謝った。
臨床心理士の吉川麻衣子さん(49)=那覇市=が沖縄戦体験者でつくるグループ「語り合いの場」を立ち上げて5年目だった。
参加の意思があるか、ないか。体験者に繰り返し確認するのが吉川さんの手法だ。
事前面談が21回に及んだ照屋さんは、吉川さんにだけ、自身の過去を打ち明けていた。「みんなの前では語らないけれど、場には参加したい」との相談に、吉川さんは「無理しないで、自分のペースとタイミングを大切にしましょう」と伝えた。
体験者は照屋さんを含め9人。グループは月1回、それぞれの戦争体験で関わりのある場所を巡ったり、公民館で集ったりした。
「私は兵士でした」。照屋さんはそう自己紹介した以外、ほとんど口を開かず、表情も変えずに部屋の隅でじっと座っていた。記憶が残る戦地をどう巡るか意見を出し合った時も、「私にはそういった所はないので、みんなに任せます」と仏頂面だった。
それでも、会を重ねるごとに表情は和らいでいった。吉川さんと出会って6年が過ぎた頃、「話がある」と切り出した。「いまさらで申し訳ない。皆さんがいい、って言ってくれたら、あのガマで手を合わせたい」。吉川さんは「ようやく照屋さんのタイミングが来たのだな」と受け止めた。
慰霊の日を終えた後の夏の日だった。照屋さんは仲間たちとあのガマを訪れた。
意を決したように入り口に近寄るが、すぐに立ち止まる。しばらくして再び歩を進めると、また止まった。
そんな動作を何度か繰り返すと、仲間の男性が照屋さんの手を取り、中へ入った。
「間違いない」。照屋さんはそうつぶやくと、ごつごつとした岩場に膝をつき、嗚咽(おえつ)を漏らした。
90代半ばの元日本兵、照屋さん(仮名)は一通り泣いた後、語り出した。
所属部隊のガマが米軍に見つかったこと。住民が避難していたガマを部隊が使うと決めたこと。ガマには住民がぎゅうぎゅう詰めで、上官が「ここは今から我々が使うから、一人残らず出て行け」と命じたこと。痩せ細って泣く赤ん坊を抱いた母親が照屋さんの足にすがり「お願いです。この子だけは生かして」と叫んだこと。そして照屋さんがその親子を銃で撃ったこと-。
告白の後、参加者全員で線香をたいて手を合わせた。メンバーの一人に「話してくれてありがとう」と声をかけられると、今度は声を上げ、子どものように涙を流した。
帰り際「一人では二度とあの場所に近づけないと思っていたが、みんなが背中を押してくれた」と頭を下げた。「戦争の時にしてしまったことは消えないけれど、供養になれば…」と言葉を継いだ。
照屋さんは1915年、沖縄本島中部で生まれた。厳しい父と優しい母に育てられ、かけっこが得意だった。25歳の時、五つ年下の女性と結婚。生まれた娘には豊かな子に育ってほしいという願いを込め、「トミ」と名付けた。
太平洋戦争で東南アジアの戦地に出兵。「家族を守るため自分の命をささげる」との決意だった。戦争が激しくなった44年、沖縄に配属された。日本軍と県は住民の県外疎開を促していた。照屋さんと入れ替わるように妻と子は船に乗った。
45年8月15日、日本の敗戦を伝える玉音放送を収容所で聞いてうなだれた。ようやく戦争が終わったと実感したが、県外に渡った妻子とは連絡が取れなかった。行き先は聞いていなかった。
2人が長崎に疎開し、原爆で命を落としたことを知ったのは数年後のこと。自分が殺してしまった親子への罪悪感と、心の拠(よ)り所だった家族を失い「生きている価値がない」との絶望感から沖縄を離れたが、仕事の関係で間もなく戻らざるを得なくなった。
それでも故郷の集落には足が向かなかった。手元に1枚だけ残った妻と子の写真は肌身離さず持ち歩き、なるべく人と接しないよう、ひっそり暮らした。
戦時の体験を明かすまで65年。照屋さんと対話を重ねてきた臨床心理士の吉川麻衣子さん(49)は「話したからといって、罪悪感を払拭したいという思いがあったわけでも、自分の行為を正当化したかったわけでもないと思う」と胸の内を推察する。
「照屋さんにとってこの場なら大丈夫と安心して、自分で話せるようになるのに、それだけの時間が必要だった。私はただ待って、機が熟したと本人が感じた時にそっと背中を押すという距離感を保ってきた」と振り返った。(戦後80年取材班・吉田伸)
この記事、読んでいて本当につらかった。
なにより衝撃だったのは、泣き叫ぶ子どもだけでなく、その母親まで撃ったということ。あまりに酷すぎて、もし自分が家族だったら、このおじいさんを絶対に許せないと思った。久米島守備隊の住民虐殺事件など、日本軍の行動を思い出しても、本当にひどい。
きっと、当時の兵士にとって、住民は守るべき存在ではなく、戦闘の妨げになる「障害」と見なされていたのだろう。でも、もしそうだとしたら、一体何のために戦っていたのか? 普通に考えれば疑問に思うはずだ。だが、その「普通に考える」という倫理観は、命の危機にさらされた極限状態では働かなくなってしまうものなのだろう。
一方で、彼は自分の妻子を県外に避難させようとした。冷静な倫理観を失っていなかったともいえる。しかし、妻子は長崎で原爆により命を落とすという皮肉な結果を迎える。「因果応報」という言葉が浮かぶが、亡くなった家族にとってはあまりに残酷すぎる結末だ。
このおじいさんは1915年生まれ。つまり、戦中派(特攻世代)より一回り上の世代にあたる。戦後80年、この世代の体験談を聞ける機会はもはや残されていない。「普通に考えればわかるはずの倫理」が破綻した時代を生きた世代だ。象徴的な人物としては大岡昇平や奥崎謙三、俳優では池辺良。池辺のエッセイには、部下に恨まれた将校が海に放り込まれたエピソードなどがさらっと描かれており、ユーモアを交えて将校時代の下克上が語られている。奥崎は、部下の処刑をめぐって上官を追及したドキュメンタリーで知られる。
第一に、1910年代以前の生まれの「戦争を指導した大人世代」。上官や責任ある立場で戦争に関与し、戦後は沈黙を保って生き延びた人々。戦場で人間性を喪失し、それでも帰ってきた。
第二に、大正末期から昭和一桁生まれの「特攻・戦中派世代」。三島由紀夫、鶴田浩二、吉田満らが代表で、国のためひとのために尽くし、「美しく死ぬこと」に倫理を見出し、ある種過剰に倫理的だった。岡本喜八の映画作品にみられるこうした倫理へのアンチテーゼもまた戦中派の主題となった。
第三に、終戦時に少年期だった「焼け跡世代」。彼ら子供に目には、戦争から帰って沈黙した親たちの世代と国家報恩を信じて裏切られた兄たちの世代間ギャップがみえていたはずだ。
このうち、戦後に戦争体験を最も語ったのは特攻世代だった。戦前派は血塗られた過去に沈黙を貫き、焼け跡派は語れるほどの戦地体験を持たなかった。
特攻世代の特徴は「死の意味」を内面化しようとしたこと。彼らにとっては、「美しく死ぬ」ことで自分の運命を受け入れるしかなかった。その純粋さが戦後の道徳観につながり、吉田満に代表される感性は現代の保守層に理想視されてもいる。
しかしその倫理観には、自己満足や欺瞞が含まれている可能性もある。過去の自分の非を、倫理的になった「現在の自分」が糾弾するかたちには、どこか自己満足と偽善が入り込んでいる。ご都合主義というやつだ。
そして、その倫理観は被害者に対しても危うい。「恨まれて当然のことをした」という構図を強化してしまいかねない。戦場での行為は謝って済む話ではないことがほとんどだ。怨恨は抽象化され、「慰安婦」や「ホロコースト」のように象徴的な言葉として拡散され、世代を超えて敵意の燃料となっていく。
脚本家・橋田壽賀子も戦中派世代。「おしん」に出てくる夫・竜三は、隣組組長として若者たちを戦場に送り出した責任をとって自決する。そこには戦中派の「死によってけじめをつける」という倫理観が濃く反映されている。
死によって責任を取るという倫理のあり方は、戦争中は自分も戦意を煽っておきながら戦後になると民主主義的な道徳を語り始めた知識人の自己批判にも似て、実は同根なのかもしれない。終戦直後、小林秀雄は「近代の超克」を自省する知識人たちを相手に、「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」と言い放った。
知識人たちのある種の自己嫌悪に対する小林の態度は考えさせられる。
岸田秀は「ものぐさ精神分析」のなかで、酒を飲んでやらかしてしまった失態を例に挙げ、なぜ反省しているのに何度も同じことを繰り返すのか、そもそも「自己嫌悪」とは何かを分析した。倫理的に覚醒した自分がコントロールを失って暴れた自分を自省し、本来の自分は倫理的で、酔って暴れた自分は本来の自分ではなかったという卑怯なポジショニングのもとで成り立っているからだと喝破した。
現代のSNS社会では、こうした加害者の欺瞞的な贖罪を被害者がつけ込む形で、この構造がさらに先鋭化する。加害者には「反省し続ける姿勢」が求められ、被害者には「傷ついたままであること」が期待されてしまう。
ときに「病みアピ」とも呼ばれる行動は、関心を集めるための戦略になりがちだ。弱ったときは周囲が心配してくれ、攻撃されれば誰かが擁護してくれる──そんな「おいしい被害者」のポジションに依存してしまい、自分でも気づかぬうちに抜け出せなくなってしまう。
でも本当に必要なのは、「赦し」なのだと思う。贖罪は再生のきっかけにすぎない。
この記事に描かれた世代は、「死を美化する」戦中派とは違い、倫理的な生き方などできなかった。理不尽で泥臭い体験を抱え、時にはそれを笑いに変えてでも、ぶざまに生きてきた人たちだ。過去の行為を忘れたい、でも忘れられない──その葛藤とともに、不器用に、ぶざまに、しかし確かに生きてきた。
この世代の葛藤を描いだ作品に、山田洋次原作『少年寅次郎』(脚本・岡田惠和)がある。戦地から戻った父が罪悪感から娘の顔を直視できなくなる場面がある。彼は中国戦線で同じ年ごろの子どもを殺していたからだ。その罪の重みと、生きていかなければならない現実とのあいだで沈黙する姿が描かれる。魂が抜けたように無口な毎日を過ごす夫に対して、いつものちゃらんぽらんな性格にもどってほしい、とつぶやく妻のセリフは印象的だ。ひとたび戦場で倫理が破綻してしまった人間に対するまなざしとはそういうものだったのだろう。
これに対して戦中派の苦悩を描いだ作品として、山田太一のドラマ『男たちの旅路』も思い出す。特攻の記憶を引きずる鶴田浩二と、彼に恋する部下を演じた桃井かおり、上司役の池辺良の三者が見せたのは、世代間の倫理観の激突だった。上司役の池辺良が放った「筋を通すな」という一言は、戦中派の倫理観に対する戦前派からの強烈なカウンターだった。山田太一の、戦前派と戦中派の葛藤に対する繊細なまなざしがここに凝縮されている。
記事のおじいさんはまさに沈黙してきた世代だ。生きるために沖縄に戻らざるを得なかったこと、その土地で暮らしたこと、そして65年の沈黙。たった一度の涙より、その沈黙の重さにこそリアリティがある。
「贖罪でも正当化でもない」と吉川さんは言った。語らなかった時間のほうが、語られた言葉よりも重いのだと思う。
私たちは「贖罪の涙」や「被害者のトラウマ」ばかりに注目しがちだが、本当に大事なのは、「赦し」へ向かうゆっくりとしたプロセスだ。
「話してくれてありがとう」と言ってくれるグループの存在。「自分のペースとタイミング」で見守る吉川さんのような人の存在。そのほうがよほど重い。
被害者の側も、いつまでも「被害者であり続ける」ことはできない。
辺見庸の『もの食う人々』では、フィリピンの住民が「日本兵に家族をブタの丸焼きのように食べられた。でももう恨んでいない」と淡々と語った。その表情に、辺見は「悲しんでいる余裕もなく生きてきた強さ」を見たという。
人生って、つらい経験ほど上書き保存、楽しい記憶は名前をつけて保存──本来そうあるべきなのに、振り返ると逆になっていることが多い。
贖罪より、赦しの方がずっと尊く、強い。
人間、図太く生きていたいものだ。戦前派の多くはそうして沈黙を貫いてきた。自分もそうありたいし、あのおじいさんも赦されてほしい。
65年経って懺悔されても──という思いもあるが、戦争が人間性を狂わせるということは、後世の私たちが覚えておけばいい。
山田太一で思い出した「太一」つながりで、昨日は国分太一の番組降板が話題になっていた。あれがどんな問題だったかは知らないが、この記事のおじいさんのことを思えば、本当に取るに足らない騒ぎに思えてしまう。
これに近いものとしては「誰か有名な言論人が言ってたことに準拠した意見を自分も言う」が挙げられる。
「日本は侵略戦争をした」これ自分で人生かけて調査したわけでもなんでもない。そのように述べてるものに多く触れて、整合性に問題がなさそうだから「採用」してるだけだ。
中国戦線以外でも侵略なのか?インドシナはどうなんだ南方戦線は?アリューシャンは?とよってたかって詰められたら「わしにゃあわからんあほじゃけえ」と逃げるしかない。
でも明日からも「日本は侵略戦争した」と言える。最終的にはおれのせいじゃなくおれにそう思わせたやつに言うてくれという意識があるからだ。
要するに「確信と責任を持ってモノをいう」ということこそ様々な条件が揃った上で例外的にしかありえない事象なのだな。
日産が広州モーターショーで発表したミッドサイズセダン「N7」。
一見すると中国市場での単なる新型EVだが、実はこれが日産の存亡を左右する重要な一手となる可能性が高い。
N7には、日本車では考えられないほど高性能な車載チップ「Qualcomm Snapdragon 8295」を搭載。これは現在の中国EV市場のトレンドに沿ったもので、N7が本気で中国市場を狙っていることの表れだ。
また、「ナビゲート・オン・オートパイロット」という高度な自動運転支援システムも搭載。これも中国の最新EVに引けを取らない機能で、日産が中国市場の要求に応えようとしている証左だ。
https://car-l.co.jp/2024/11/15/90192/
リストラ9,000人の発表をした日産。この苦境の理由は、日産の中国市場でのビジネスで近年苦戦を強いられているのが一因である。
日産の国別販売で、中国は主力。だが、かつて主力だったシルフィの販売台数は低迷し、収益性の高かったティアナやエクストレイルの販売も2022年頃から激減。
しかし、日産の主力EVであるアリアの中国での販売状況は壊滅的だ。中国では値下げを実施しても全く売れていない状況。なお、日本では逆に100万円ほど値上げしている。
https://ev-times.com/2024/07/04/25363
N7は性能面では他の人気中国EVと遜色ないスペックを持つ。しかし、従来の販売ネットワークでは売れない可能性が高い。中国の新興EVメーカーは斬新な販売手法を採用しており、日産もこれに追随する必要がある。
N7は日産にとって中国市場での巻き返しを図る最後のチャンスかもしれない。性能面では申し分ないが、販売戦略の抜本的な見直しなくしては成功は難しいだろう。日産の中国戦略の成否が、同社の今後を大きく左右することは間違いない。
楚の荘王(3年間愚かなフリをして周囲を油断させたという中国春秋時代の名君)
斉の威王(9年間愚かなフリをして周囲を油断させたという中国戦国時代の名君)
韓信(若い頃は馬鹿にされており仕官しても出世しなかったが漢の大将軍に抜擢されると大活躍した)
陸遜(無名のため侮られていたが夷陵の戦いで劉備の大軍を撃破した)
織田信長(うつけと言われていたが桶狭間の戦いで今川の大軍を撃破した)
長宗我部元親(姫若子と呼ばれていたが初陣で活躍して鬼若子と呼ばれるようになった)
大石内蔵助(平時は凡庸で昼行燈と渾名されていたが赤穂浪士を率いて吉良邸討ち入りを成功させた)
もう思いつかん。
Goto関連政策は、アメリカに屈して引けば大損害の中国戦線+南方資源奪取すればABCD包囲網乗り切れる、との判断で始めた太平洋戦争と少し似ている。
Gotoは本来、復興政策として優れているものだが、今や、収束後の経済刺激策として発案されたことを覚えているかどうか。
ブレーキとアクセル両踏みというゆがんだ政策となったが、それなりに経済効果はあったと思う。太平洋戦争、最初は勝っていたのと同じ。
しかし、それが逆に慢心を与えた。いまや感染症対策と経済うまくバランスをとっているかのような錯覚を志井の人々に与え、油断させた罪のほうがはるかに大きい。
今の状況は、太平洋戦争に例えるならば、あちこちで空襲が始まり、バケツリレーで火災を消しているところ、といったところか。
東京大空襲の翌日の新聞は、所々火災があったが朝までに鎮火した、という記事だった。もう完全にマヒしていた。
コロナの感染者爆発も、その程度にはいろいろと麻痺してくるだろう。
どうするかね。
今、全力でブレーキ踏めば、なんとかなると個人的には思うけどね。
感染症5類がいよいよ現実味を帯びてきたら、学徒動員さながら。
もうかなりやけっぱちの世界だろうと思う。
特攻にあるのはどこまでも、人体実験や捕虜虐殺などと同じく倫理的な問題だろう
例えばプリンスオブウェールズ攻撃で撃墜された一式陸攻の乗組員や、原爆の開発製造で死んだ研究員は必要な犠牲だとでもいうのだろうか
ガダルカナルの餓死者、はまあ無駄死にと言われるかもしれないが、はたしてインパールガダルカナルと中国戦線と硫黄島との間に、どこか線を引けると思うのだろうか
さすがにヒトラーと空襲の死者の間には線を引けるだろうが、特攻隊は間違いなく社会に強要された犠牲者の側だろう
どこか一事象にだけ無駄死だと言い出すのは、無駄ではない死があるかのようだ
それを言葉遊びだというのならば、遊んでるのはあんたらだろうよ
だからといって誰かのお墓に向かってそんなこと口に出せるわけなかろうよ
市之倉さかづき美術館に行ってまいりましたわ。
市之倉は盃が特産品なのですわ。
多数展示されていますの。
重輔銘のアサガオを連想させる形と色合いの盃は注ぐ液体のpHで
色が変わりそうな気がしました。
有田焼のエビ柄の盃は、イカ娘さんにプレゼントしたいでゲソわ。
特別な区画で紹介されている加藤五輔さまの(本名:五助)の説明文に
わたくし言葉がありませんでしたわ。
江戸時代生まれの方ですし、たんなる表記のぶれではありませんの?
加藤五輔(本名:五助)さまの経歴が、銅賞や三等ばかり取られていて、
書かれているのは最高でも二等であることも印象的でした。
切ないですわ。
イランの酒器が多いのは、イラン陶器の復元を研究されていた加藤卓男さまの縁でしょうね。
中国戦国時代の鳥尊という酒器の表面にはびっしり文様が描かれていて、
よくみると「雷文」も確認できました。紀元前三世紀にはすでに雷文があったのですわね。
あと「可盃」は、はてなのみなさんに顰蹙を買いそうですわ。
これは器に最初から穴があいていて、指で穴を押さえてお酒を注いでもらい、
そのままでは机に置けないので必ず飲み干さなければいけないという
代物ですの。
それはともかく、小さな焼き物ですからこそ、職人が技術の粋をこらした
姿に感心することができましたの。
自分で書いてみる。
このエントリーでは基本的に首都まで攻められるか、首都以外を失うに等しい状況から
反攻に出て逆に周囲に脅威を与えるレベルにまで回復した国家を取り上げる。
※※独立戦争関係は「弱くて当然」なので極力避けています。(追記)
「落ちる時はいっそどん底まで落ちた方がいいんです。はい上がる距離が長いほど男の子はずっと強く素敵になりますから」結崎ひよの(城平京)
| 国名 | 地域 | 簡単な紹介 |
|---|---|---|
| 旧バビロニア | アジア | アッシリアのシャムシ・アダド王に隷属する都市国家であったが、シャムシ・アダドの死後時間をかけてナイセイTUEEEで力を蓄え、マーリから兵を借りパクするなどして四方世界の統一に至る。 |
| 趙 | アジア | 老いた大国晋の内乱で智氏ひきいる智・魏・韓の連合軍に根拠地を攻められるものの、奇跡の逆転。中国戦国時代には強国のひとつとなる。類似例:田氏斉(弱体化はしたので趙を選定)越(追記) |
| ローマ共和国 | ヨーロッパ | ケルト人に首都ローマを攻められ、みかじめ料を払って帰ってもらう。その後もピュロス・ハンニバル・同盟市戦争などのピンチがあったが、根性でしのぎ地中海世界一円を支配する強大国になる。類似例:アテナイ |
| パルティア王国 | アジア | ローマ帝国に何度も首都クテシフォンを攻め落とされるが、何度もしぶとく復活する(知識不足ですみません)。 |
| ウェセックス王国 | ヨーロッパ | デーン人に攻められ国王が農家のおかみさんにカマドの番を命ぜられるまで墜ちるなどするが復活。いちおう世界帝国イングランドに繋がっていく。 |
| フランス王国 | ヨーロッパ | 百年戦争ではパリの地方政権状態にまで追い込まれる局面もあった。ゲクランやジャンヌ・ダルクなど国民的英雄の活躍でイングランドを追い出し、長年のライバルをつとめる。 |
| ビザンティン帝国 | ヨーロッパ・アジア | イスラム帝国によって首都コンスタンティンノープルまで攻め込まれるもギリシア火の神通力によって撃退。小アジアを奪い返す。その後もトレビゾンドゾンビ。 |
| モンゴル | アジア | チンギス・ハーン幼少期には一家族の単位にまで落ち込む。チンギスが成長してからは庇護者のトオリル・ハーンのケレイト族すら吸収。チンギスの死後も領土を拡大していく。 |
| ムガル帝国 | アジア | 初代バーブルはウイグル族によって故郷を追われた身。背後で敵と戦いながらインド方面に進出して領土を得る。二代目のフマユーンがイランに亡命する局面もあったが、最終的にインドの大半を支配する。 |
| 徳川家 | アジア | 今川家の属国状態から義元の死を機に独立。幾多の窮地をめんどうくさい三河武士の助けで切り抜けて天下を取る。類似例:毛利家。 |
おまけ
| 国名 | 地域 | 簡単な紹介 |
|---|---|---|
| 新羅 | アジア | 朝鮮半島統一直前も百済の手痛い反撃を受けていた。唐の参戦で一挙に形勢を逆転。百済と高句麗滅亡後は巧妙に立ち回って唐を追い出す。 |
| スペイン | ヨーロッパ | 西ゴート王国からの連続性が微妙なので十選には加えず。 |
| オスマン帝国 | ヨーロッパ・アジア | キリスト教徒農民を守る遊牧民ヤクザからスタート。ギリシアを得て、順風満帆かと思いきやティムールによって壊滅的な打撃を受ける。しかし、ビザンティン帝国が衰退していたおかげで復活の時間をえる。キリスト教世界最大の敵となる。 |
| ズールー王国 | アフリカ | だいたいモンゴルに同じ感じ。 |
| ベルギー王国 | ヨーロッパ | 第一次世界大戦でドイツ帝国の侵略を受け、領土の大半をうしなう。しかし、西端に国王アルベール自らが率いる軍がふみとどまり連合軍の一員として反攻を続けていく。ドイツの敗北によって全土を回復した。 |
| イスラエル | アジア? | 現在進行形すぎてうっかり忘れていたので追記 |
| スイス連邦 | ヨーロッパ | 最初からクライマックス(追記) |
| ポーランド(第二共和国) | ヨーロッパ | 第一次世界大戦による誕生直後の脚がプルプル赤ちゃんバンビ状態で、同様のロシアに攻められる。しかし、ヴィスワ川の奇跡と呼ばれる大勝利で逆に東方へ領土を拡大した。その後はお察しのとおりだよ(ブコメより追記) |
| サウド家 | アジア? | 弱体化し一時はクゥエートへ亡命するも、第一次世界大戦の流れに乗ってイギリスと協力し、オスマン帝国からアラビア半島を切り取る。(ブコメより追記) |
なんとかアフリカ・アメリカ・オセアニアの例を取り上げたかったけれど知識不足でした。
中国は国家の組織ができていないように思える内乱の浮動期を入れないようにしました。
ビザンティンも最盛期をすぎているので、オスマン帝国と交換した方がいいかもしれません。
支那派遣軍総司令官の岡村寧次大将が南京で降伏文書に署名し無条件降伏(棒読み)
この支那派遣軍というのは中国に展開する全ての陸軍部隊を統括したものなんすよ
中国大陸に釘付けにする方針をとったゾ
その為終戦時には105万の大陸軍が今だ温存されていたんだよなぁ
「鉄の掟」を出し軍規を落ち着かせたとも言われる有能なオッサンだったんや(恍惚)
「百万の精鋭が健在なのにクソザコナメクジに降伏するっておかしいよなぁ?YO!」
という上奏文を昭和天皇へ送ったゾ
実際は昭和天皇が宣言を受諾したと聞き考えを改めたんすよ
こうして穏便に中国国民党軍に降伏した岡村は国民党軍と停戦業務を結ぶゾ
国民党軍との交渉のおかげで引渡しには至らず
イデオロギーの戦いってバカじゃねぇの(呆れ)
僕も今度はあなたの言わんとしていることがいまいちピンと来ない。具体的な事例を挙げながら書いてくれると助かる。とはいえ、こちら側の主張をもう少し書いておく。
歴史家のヘイドン・ホワイトによれば、歴史というのは何らかの教訓なしには語り得ない。ただ起きたことを時系列的に書き起こしたところで、それは歴史にはならない。歴史を語った時点で、どうしても何らかの教訓が引き出されてしまう。その意味では、たしかに歴史修正主義の人たちも、歴史から何らかの教訓を引き出そうとしているのだろう。しかし、問題は、そこで引き出される教訓の質が低いことにある。そうした態度から出てくるのは、それこそ「仕方がなかった」という諦観か、「騙された」という恨みつらみ、あるいはプロパガンダ合戦に負けないようにしようという水準のものでしかない。
たとえば、某田母神さんが好きなコミンテルン陰謀史観。これは保守層にはそれなりに浸透していて、要するに「日本が泥沼の戦争に突入したのはコミンテルンの陰謀のせいだ」という話。もちろん、陰謀自体はつねに存在しうるわけだが、それによって日本が一方的に戦争に引きずり込まれたというのは、責任主体としての日本政府の責任を免ずるような効果を持つ。「戦争は日本のせいではない→したがって、戦前の日本の国家のあり方を反省するどころか、というかそれを取り戻すべき」みたいな思考の流れになる。そうなると、戦前日本においてまともな政策論争を不可能にしてしまうような言説構造がいかに生まれたのか、「空気」に支配されがちな世論と外交とをいかに関係づけるべきか、といった問いを考える契機も失われてしまう。
虐殺や人権抑圧に関しても同様。歴史認識問題に深入りすることは避けるが、僕はやはり南京虐殺にせよ従軍慰安婦にせよ日本側に大きな問題があったと考える。虐殺の規模や狭義の強制があったかどうかといった問題は措くとしても、「虐殺は存在しなかった」「慰安婦は売春婦に過ぎなかった」という主張からは、国際的なプロパガンダ合戦に今度は負けないようにしよう、ぐらいの発想しか出てこない。言い方を変えれば、修正主義的な思考では、当時の日本の社会や軍隊そのものについて考えるというよりも、「歴史の語り方」の部分に思考が集中してしまう。その挙句の果てが、NY州の議員に稚拙なコピーメールを大量に送りつけてかえって怒りをかってしまうという状況なんだろう。事実を事実として認めてようやく、それでは中国戦線において軍規が乱れてしまった原因は何か、兵員の管理に問題は無かったか、戦場での兵士の性をいかに考えるべきか、という問いが生まれてくる。
もちろん、歴史を考えるうえで、日本を一方的な悪役にする必要は必ずしもない。日本側の主張にも正当な部分はあったとは思う。しかし、結果としてアジアへの侵略をずるずると拡大し、無謀な戦争に突入してしまったということは大前提として踏まえておくべきだろう。
あと、「改憲したい人=反省してない人」なんて言っていない。一番最初の書き込みに「いまの改憲派の少なからぬ人たちが歴史修正主義的な価値観を持っているように見える」とは書いたが、全員そうだとは言ってないでしょ?改憲派であっても、歴史をきちんと学んでいる人はいる。ただ、そういう人たちの声があまり聞こえてこず、改憲論と歴史修正主義とがセットであるかのように同一の論者によって語られる場合が多いのが怖いということ。
以上。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130127-00000070-san-pol
『F35、実戦配備不可能に 初期納入4機 防衛省性能満たさず』
『 【ワシントン=佐々木類】日本政府が米国から2017年3月末までに引き渡しを受ける次期主力戦闘機F35Aの最初の4機の性能が、防衛省の要求を満たさないことが米国防総省の年次報告書で明らかになった。先の日米外相会談でもF35問題が初めて取り上げられており、実戦配備が不可能となることで、日米の新たな懸案に発展する雲行きとなってきた。
F35Aが搭載予定の最新ソフトウエア「ブロック3」には、短射程空対空ミサイルなどを装備できる最終型のF型と、同ミサイルが搭載できないI型の2種類がある。
12年の年次報告書は国防総省試験評価局(DOT&E)が今月中旬、議会に報告したもので、日本へ引き渡す機種に搭載されるソフトウエアは、「ブロック3I」と明記。これでは至近距離での対空戦に不可欠の短射程空対空ミサイルを装備できず、実戦配備不能であることが明白となった。
F型は最大高度5万フィート(約1万5千メートル)とI型の4万フィートを上回る性能を持つ。I型は、実戦向けではなく訓練用とされる前段階の「ブロック2A」と同程度の性能にとどまる。
昨年夏、日本の民主党政権は政府答弁書で「防衛省の要求する期限までに、同省の要求する性能を備えた機体が納入される」と明記し、F型の納入が可能として予算計上。安倍政権もこれを踏襲したが、国防総省の年次報告書はこれを完全に否定した形だ。
報告書はまた、度重なる機体の不具合から、加速や旋回性能を当初の設計から下方修正するとした。日本は飛行テストを行わずに書面審査だけで機種選定したため、性能低下のリスクは全て日本側の負担となり、選定のあり方に禍根を残した形だ。
沖縄県・尖閣諸島付近上空では、急増する中国戦闘機への緊急発進(スクランブル)対応で、疲労寿命が決まっている航空自衛隊のF15戦闘機の飛行時間が急増し、戦闘機の近代化や防空網の穴埋めが急務となっている。(以下略)』
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このニュースについてはてブの人気コメの上位がどれもこれに☆をつけた人間の残念さを感じざるを得ないようなのばっかりだったので
以降軍ヲタがおち◯ちんをコスって気持ちよくなるための文章しか載ってないので
そんなの見るのめんどくさい人用に個人的結論を提示しておくと
『どの次世代機も特大地雷持ちなら…F-35をそれでも導入するしかないじゃない!(震え声)
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http://may.2chan.net/b/res/169707505.htm
▼無念 Name としあき 13/01/27(日)08:29:16 No.169707505 del 16:36頃消えます
F35絶望
>F35、実戦配備不可能に 初期納入4機 防衛省性能満たさず
おいおいおいおい
どうなってんだよ
04
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:32:59 No.169707786 del
05
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:34:07 No.169707868 del
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:35:43 No.169707974 del
先ず先に決めておかないと
08
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:35:55 No.169707986 del
まーた産経か
F-35は40年、50年と最新鋭であり続けるのが決まってて
13
▼
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:38:57 No.169708199 del
>まーた産経か
>F-35は40年、50年と最新鋭であり続けるのが決まってて
20年経ったらスパホみたいの出てくるだろ
19
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:39:52 No.169708280 del
ソースあさったら米国の報告書が日本の要求を満たしていなかったってことか
24
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:41:32 No.169708379 del
最近になって加速性能は8秒減速、旋回時の荷重に至っては5.3Gから4.6Gに引き下げられた
26
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:42:54 No.169708479 del
27
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:43:36 No.169708526 del
タイフーンって確か開発に関わった国以外での採用1カ国だけだろ
32
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:47:25 No.169708816 del
導入する時からこの懸念はあったと聞いてる
タイフーントランシェ3Aを導入できる見込みがあったのにそっちは見送り
35
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:49:03 No.169708937 del
>タイフーントランシェ3A
あれだって現物まだないだろ
33
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:47:49 No.169708853 del
最高速度は鈍足
勿論超音速巡航はできない
自慢のアビオやディスプレイシステムも開発難航で完成の目処が立たず
39
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:50:10 No.169709021 del
運動性君が来たぞー!
34
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:48:53 No.169708928 del
スホーイはうちの開発しているステルスじゃ勝ち目ないですから(棒)
こんな感じか?
41
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:51:21 No.169709114 del
46
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:53:40 No.169709284 del
>近接空対空戦闘ではタイフーンどころかスパホ以下だろF-35
ただし短距離AAMを使わない条件です
42
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:52:06 No.169709159 del
空軍用と空母艦載用と軽空母用
欲張りすぎな気がしないでもなかった
45
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:53:17 No.169709257 del
>欲張りすぎ
43
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:52:51 No.169709218 del
>20年経ったらスパホみたいの出てくるだろ
改修もF-35に集約することで効率化するってことだから
外販するような新規戦闘機は作らんぞ
門外不出の制空機とF-35って組み合わせ
44
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:53:14 No.169709253 del
空対空で使うなら空飛ぶ棺桶、世界一高額なゴミ
423
無念 Name としあき 13/01/27(日)10:59:28 No.169725655 del
47
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:54:59 No.169709364 del
最終的にはF-18のような「成功した駄作機」の地位を確保するだろうけど
まだ駄作の段階で買っちゃったんだから
将来を考えれば一番寿命が長いから2050年くらいまで使い潰す気で気長に行くしかないだろ
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:55:36 No.169709407 del
J-20とJ-30をばら撒けばもうF-35は売れなくなる
51
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:56:10 No.169709440 del
Su-35に大苦戦、PAK-FAやJ-20やJ-31には全機為すすべもなく撃墜される運命
52
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:56:54 No.169709509 del
>Su-35に大苦戦、PAK-FAやJ-20やJ-31には全機為すすべもなく撃墜される運命
そうだろ
53
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:57:04 No.169709523 del
>Su-35に大苦戦、PAK-FAやJ-20やJ-31には全機為すすべもなく撃墜される運命
エイプリルフールはまだだぞ?
54
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:59:41 No.169709738 del
>Su-35に大苦戦、PAK-FAやJ-20やJ-31には全機為すすべもなく撃墜される運命
75
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:12:08 No.169711201 del
戦闘機に限った話でもない
戦車戦でも英米の戦車の前にはもうやめてあげてよっていうくらい悲しい性能しかないのに
ロシア本国仕様の最強装備ならチーフテンやエイブラムスに勝てることになってるからなァ
56
無念 Name としあき 13/01/27(日)08:59:58 No.169709770 del
>空軍用と空母艦載用と軽空母用
>欲張りすぎな気がしないでもなかった
F-111という偉大な先輩がいたからこの結果は見えていた
まあ、最新の電子装備で機体の素性の悪さをカバーするというコンセプトだろうから
気長に待つしかないわね
57
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:00:09 No.169709792 del
最早F-35が勝てそうな機体を探す方が大変というレベル
58
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:03:27 No.169710152 del
こんな調子で戦力化が遅れれば中ロに対する軍事バランスが崩れる
長い目で見ればステルス機の大量取得で日本優位で推移するはずだが
この一時的なバランスの崩れの間、中ロは日本に対して超強気の外交をやるだろう
想像するのも憂鬱
59
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:05:43 No.169710435 del
60
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:06:38 No.169710556 del
市場を席巻してもその後顧客を満足させられる精度の部品を供給し続けられるのかという
63
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:08:21 No.169710755 del
価格抑えるために
ステルス性と最新アビオに胡座かいて他の航空機として大切な部分を削りすぎたんじゃないか?
その二つにしても露や中なら10年立たずに追いつけるくらいの優位性しかないのに
66
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:09:26 No.169710892 del
>その二つにしても露や中なら10年立たずに追いつけるくらいの優位性しかないのに
タイフーンなんて10年持ちませんよ?
67
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:09:31 No.169710900 del
中露の飛行機の形したゴミみたいなものにどうやって負けるんだよ
64
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:08:22 No.169710758 del
73
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:11:48 No.169711159 del
だからってF-35なんて特別管理産業廃棄物を買っても仕方ないだろ
65
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:09:24 No.169710888 del
なら空戦専用機も入れればいいんじゃね
69
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:10:20 No.169710997 del
>なら空戦専用機も入れればいいんじゃね
それは国外に出せないんですよ
70
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:10:48 No.169711051 del
71
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:10:51 No.169711058 del
初期型なんて実戦にもってくわけねーだろ...
タイフーントランシェ1ブロック1なんかただの練習機だったんだぜ
72
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:11:47 No.169711156 del
今は最先端の機密&高額な部品でも十年もすれば陳腐化するだろうし
正直F-35は十年後でさえちゃんと飛んでいるかどうか怪しいような…
92
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:20:17 No.169712186 del
>F-22のコストダウン&デチューンバージョンを再生産するって選択肢はないのかね
民主党が政権にある限り無理
資金をF-35に集中して極力値段を下げる政策だから
74
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:11:56 No.169711171 del
>この一時的なバランスの崩れの間、中ロは日本に対して超強気の外交をやるだろう
露はともかくエスコートされる側のまともな爆撃機ってあんの?>中国
77
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:12:33 No.169711261 del
>ステルス性と最新アビオに胡座かいて他の航空機として大切な部分を削りすぎたんじゃないか?
ステルス性とアビオ以外も手を抜かなかったラプターの素晴らしさを再確認
78
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:12:36 No.169711264 del
誰がお安くなるなんて言ったのか
82
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:14:55 No.169711550 del
>F-111という偉大な先輩がいたからこの結果は見えていた
F-35はむしろ
輸出でベストセラーだったF-4の後釜を狙っているのではなかろうか
84
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:17:02 No.169711796 del
>輸出でベストセラーだったF-4の後釜を狙っているのではなかろうか
F-4とは比べものにならないんやな…
85
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:17:28 No.169711841 del
>戦車戦でも英米の戦車の前にはもうやめてあげてよっていうくらい悲しい性能
M1A1が金をかけて進歩を続けたのに冷戦そのままのT-72やT-80じゃ悲しくて当然
800mでM1の側面撃って跳ね返されるって、M1の装甲は一体…
これが90式ならたぶん炎上してる
イラクの戦車兵は健闘したが性能差があんまりだった
86
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:17:50 No.169711884 del
多少下回るけどまあ悪くは無いレベルだったのは60年代までだろ
87
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:18:12 No.169711927 del
>テルス性とアビオ以外も手を抜かなかったラプターの素晴らしさを再確認
だがもう生産終了してるのが最大の問題点
89
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:19:22 No.169712061 del
90
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:19:27 No.169712068 del
タイフーンは開発国がもうやる気ないのが嫌過ぎる
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無念 Name としあき 13/01/27(日)09:20:02 No.169712153 del
タイフーンは開発国ですら採用減らしてるし虎3も凍結でアップデートががが
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無念 Name としあき 13/01/27(日)09:20:36 No.169712240 del
>タイフーンは開発国ですら採用減らしてるし虎3も凍結でアップデートががが
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無念 Name としあき 13/01/27(日)09:20:54 No.169712276 del
>これが90式ならたぶん炎上してる
何で90式を持ってきたのか知らんけどそれ普通じゃね
96
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:21:14 No.169712326 del
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無念 Name としあき 13/01/27(日)09:21:16 No.169712333 del
>タイフーンは開発国がもうやる気ないのが嫌過ぎる
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無念 Name としあき 13/01/27(日)09:21:23 No.169712353 del
>多少下回るけどまあ悪くは無いレベルだったのは60年代までだろ
F-35は運動性能に関してはその60年代の中露機以下だから…
104
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:23:29 No.169712594 del
>F-35は運動性能に関してはその60年代の中露機以下だから…
105
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:23:42 No.169712616 del
>F-35は運動性能に関してはその60年代の中露機以下だから…
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無念 Name としあき 13/01/27(日)09:22:01 No.169712421 del
F-35だと様子見だとかそれ信じられるのとなる辺り
100
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:23:02 No.169712539 del
>>タイフーンは開発国がもうやる気ないのが嫌過ぎる
アメか露しかやる気が無い
ヨーロッパは財政火の車
そりゃ進まん
101
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:23:18 No.169712572 del
F-4EJの後釜限定ならタイフーンで良かった
その後F-35を導入すると4機種体制になるのが嫌ではあるが
国産F-3を作ると5機種になるし
102
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:23:21 No.169712578 del
>>多少下回るけどまあ悪くは無いレベルだったのは60年代までだろ
>F-35は運動性能に関してはその60年代の中露機以下だから…
最高速度と加速性能も下方修正されて60年代から来たような性能になっちまったしな
106
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:23:57 No.169712644 del
>F-35だと様子見だとやそれ信じられるのとなる辺り
開発元による今後のサポートがありそうかどうかの差
110
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:25:05 No.169712783 del
F-35は開発ちゃんと進んでるけどタイフーンはなあ…
サウジが話が違うじゃねーかって受け取り拒否したこともあったよね
111
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:25:19 No.169712803 del
どこの戦闘機もうまく行ってない話ばかりだが何故なんだぜ?
軍需産業って一番力を入れて開発してるんじゃないの?
117
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:27:10 No.169713038 del
>どこの戦闘機もうまく行ってない話ばかりだが何故なんだぜ
欲張りすぎ&各で言いたい事言い過ぎ
112
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:25:42 No.169712850 del
114
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:25:57 No.169712883 del
まぁ開発が難航するのは予想の範囲内だな
115
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:26:18 No.169712926 del
F-35の機動性が抑えられたのは高高度高速息での話ですし...
ただ単にGの話だけしても無駄
118
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:27:14 No.169713050 del
一個に絞らんでも全種類ちょっとずつ買えば良いんじゃね?
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無念 Name としあき 13/01/27(日)09:28:47 No.169713230 del
>一個に絞らんでも全種類ちょっとずつ買えば良いんじゃね?
ガンダムじゃねぇんだし
119
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:27:39 No.169713084 del
>開発元による今後のサポートがありそうかどうかの差
タイフーンは組み立てだけじゃなくて殆ど全てライセンスを認めるという話だったからな
問題は将来の発展に夢が全くもてないってことだけ
137
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:31:02 No.169713515 del
>問題は将来の発展に夢が全くもてないってことだけ
ただしそのデータ全部よこせな
なんていわれてたんだっけ…
153
無念 Name としあき 13/01/27(日)09:35:33 No.169714107 del
>ただしそのデータ全部よこせな
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無念 Name としあき 13/01/27(日)09:41:53 No.169714840 del
>ただしそのデータ全部よこせな