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2025-11-22

【にじボイス終了】「偶然似た」という大嘘と、技術的な答え合わせ

増田です。 DMM傘下のAlgomaticが提供していた「にじボイス」がサシュウを発表した。

プレスリリースには「法的な権利侵害はなかった」「パラメータ調整の結果、偶然似てしまった」などと書かれているが、これを真に受けている人は少し冷静になったほうがいい。

日本法律では学習合法だ!」「日俳連の圧力に屈した!」と騒ぐ擁護派もいるが、今回の件はそんな単純な話じゃない。

これは「AI技術の敗北」ではなく、「ある企業が吐いた嘘と、杜撰データ管理が露呈して自爆した」というだけの話だ。

盲目的に企業擁護する前に、技術的な事実関係の「答え合わせ」をしておこう。

なお、あくま技術的な根拠を示しているだけであって、問題があると断言できないことは断っておく。

技術的な調査から予測される内容について示そうと思う。

学習合法」という言葉落とし穴

まず、擁護派が盾にする「著作権法30条の4」について。 確かに今の日本法律では「情報解析」が目的ならば、元データが何であれ(おそらくエロゲーから音声を抽出したデータセット『moe-speech』であっても)、それをAIに食わせてAIモデルを作るだけなら、一応は適法とされている。 そこだけ切り取れば、違法ではないと言い張れる余地はある。

だが、今回の問題本質はそこではない。

Algomaticが行っていたのは、一般的な基盤学習にとどまらず、「特定キャラクター(=特定声優)を狙い撃ちしたFine-tuning(追加学習)」である疑いが極めて濃厚だという点だ。

moe-speech』は、親切なことにキャラごと(声優ごと)にフォルダ分けされている。 ここから特定フォルダを選んで、「その声優の声質や演技の癖」を再現するために個別学習Fine-tuning)を行う。 これはもはや「データ統計解析」ではない。特定個人の実演の「デッドコピー模倣品)の作成」だ。 これをやると、生成された音声には明白な「依拠性」が生まれる。まりパラメータ調整で偶然似た」のではなく、「その声優データ意図的に使って似せた」ことになる。これはパブリシティ権人格権侵害に問われる可能性が極めて高いラインだ。

Algomaticの主張と矛盾する「3つの技術証拠

Algomaticは「適切な権利処理を行った」「声優から許諾を得た」「パラメータ調整で作った」と主張していた。

しかし、有志による技術検証によって、その主張と矛盾する証拠がいくつも出てきている。

音質のバラつきと「スタジオ収録」の嘘

「にじボイス」の音声を分析すると、キャラによって音量が不均一だったり、明らかに古い年代マイクで録ったような「こもった音」が混在していることが判明している。 もし公式が言うように「統一されたスタジオプロを呼んで新規収録」したなら、こんな品質バラつきが出るはずがない。 これは、録音環境年代も異なるバラバラゲームデータmoe-speech等)を寄せ集めたと考えるのが自然だ。

有名声優との「特徴量」の一致

検証の結果、有名声優の声と音声の特徴量が「ほぼ本人」レベルで一致するキャラが多数発見されている。 「パラメータ調整で偶然似た」と言うが、声の高さや速度はいじれても、その人特有の「骨格からくる響き」や「微細な演技の癖」まで偶然一致することは、AIでもまずまずあり得ない。 元データとして「その人の声」を食わせない限り、ここまでの再現不可能だ。

決定的な「おじいちゃん誤爆」の痕跡

これも動かぬ証拠だ。 元ネタの『moe-speech』には、作成者の抽出ミスで「幼い女の子祖父の声(老人男性)」に、誤って「幼女女性声優)」のタグが付いているという有名な汚れ(エラー)がある。

これを踏まえて、にじボイスに実装されていた「ある老人キャラ」の声を解析モデルにかけると、どうなるか。 なんと、「この老人の声は、〇〇(特定女性声優である」という判定が出たのだ。

意味がわかるだろうか? にじボイスのモデルは、「このおじいちゃんのダミ声=あの女性声優の声だ」という、moe-speech特有の「間違った知識」を学習していたということだ。

もしAlgomaticが主張するように、スタジオで老人役の声優を収録したなら、そのデータに「女性声優」のタグが付くわけがない。 これは、「タグ付けミスすら直されていないネット上のデータを、中身の検品もせずにそのまま学習させた」という、言い逃れのできない証拠トレーサビリティ)になってしまっている。

結論AI未来を守るために

今回のサービス終了は、日俳連の理不尽圧力によるものではない。

「自社開発」と謳っておきながら、実際はネットデータ検品もせずに流用していた事実が、技術的な証拠によって明るみに出そうになったため、これ以上の追及を避けるために店を畳んだ。

そう見るのが妥当だ。

AI推進派」を自認する人たちにこそ言いたい。 もし本当にAIの発展を願うなら、こうした「産地偽装」のような振る舞いをする企業擁護してはいけない。

それは真面目にコストを払い、権利処理を行い、クリーンデータセットを構築しようとしている技術者への冒涜であり、ひいてはAI技術のもの社会的信用を地に落とす行為だ。

AIから何でも許される」わけではない。 技術魔法ではないし、嘘はいつか必ずバレる。

今回の件を「可哀想AIベンチャーいじめられた」と総括するのは、あまりにも事態本質を見誤っている。

以上。

ネタバレたくさんあり】果てしなきスカーレットを観た

 珍しくふと、映画館映画を観たいと思った。最後映画館に行ったのは11年前、中学の頃親と一緒に行ったっきり。自力映画館に行ったことも無いのに、なぜかそんな気持ちになった。

 細田監督の最新作「果てしなきスカーレット」が、ちょうど公開されるらしい。小学生の頃、金ロー放送された「サマーウォーズ」を録画して、繰り返し観た記憶が蘇る。これは観るしかねえと思い立ち、TOHOシネマズに向かった。

 結論としては、良いところはあるものの、やはり細田脚本には問題があると言わざるを得ない出来だった。本当に現状のままでいいのか、細田監督を問いただしたい理由をまとめた。

(1回見ただけなのでおかしいところや思い違いがあると思うけど、容赦してね。)

【以下、ネタバレ










 まずは簡単にあらすじを紹介。愛する父親を殺された王女スカーレットは、父親を殺した叔父クローディアスの暗殺に失敗。死者の国で目を覚ますスカーレットは死者の国で、現代日本からやってきた看護師・聖と出会う。スカーレットは聖と共に、かたき討ちのためクローディアスを探す旅に出る。

 本作が題材にするのは報復連鎖細田監督自身インタビューでそう語っており、私もその予備知識ありでスクリーンに臨んだ。では、憎しみと復讐連鎖に伴う辛さ、やるせなさが描かれているのかと言われれば、十分に描かれているとは言えなかった。

 正直なところ、憎しみや復讐の描き方は「進撃の巨人」の圧勝こちらの方が断然よくできている。本作は「進撃の巨人」と比べて、憎しみと復讐が続いてゆく辛さ、やるせなさが身に強く迫ってこなかった。

 その理由はいくつかある。

 一つは、愛する父が暗殺される→クローディアスの暗殺に失敗→死者の国へ、という冒頭の流れが説明であること。スカーレットが抱える憎しみとその辛さは理解できるものの、それが自分の身に起こったかのように感情移入できなかった。「物語への圧倒的没入体験」を掲げる本作であるが、没入できないもどかしさが最後まで続いた。

 もう一つは、クローディアスが一貫して悪人として描かれていること。「進撃の巨人」では、主人公たちが相手を憎むのと同時に、相手側が主人公たちを憎む様子も丁寧に描いていた。絶対的な悪など無く、対立する両者がお互いに痛めつけあうやるせなさ。それが、本作にはほとんど見られない。長期連載作品である進撃の巨人」と、二時間に満たない尺の本作を比べるのはフェアじゃないかもしれないが、復讐や憎しみを描くうえで、そこは外してほしくなかった。

 しかし、復讐や憎しみを題材にしている本作であるが、より深いテーマを感じた。それは、「自分の好きなように生きよ」というメッセージである

 物語の序盤、スカーレットは父の敵討ちに燃え、死者の国で現れる敵を次々と殺してゆく。「王女としてそうあるべき」という義務感をスカーレットは抱いており、それが復讐モチベーションになっていることが描かれている。看護師である聖は、好戦的スカーレット対照的に、敵味方差別なく治療を施し救おうとする。それも、「看護師としてそうあるべき」と聖が考えているからだ。

 敵を殺そうとするスカーレットとそれを好まない聖は、一見対照的キャラクターに見える。しかし、「自分立場にとらわれて、本当はどう生きたいのか分からない」という内面は同じなのである

 スカーレットと聖は交流を重ねる中で、互いの心情に変化が生まれてゆく。スカーレットは、敵との戦闘になっても剣を鞘に納めたまま戦い、むやみに人を殺めなくなる。人を殺めるための短刀を、自分の髪を切る(新しい自分になる)ために使うシーンは、スカーレット内面の変化を印象的に描く。逆に、人を殺めることを否定していた聖は、弓矢でクローディアスの手先を殺めてしまう。物語の序盤、「人を殺めるな」とスカーレットに散々言ってきた聖が人を殺めてしまうシーンは大きな批判を生みそうだが、聖が自身の黒い感情に対して正直になった、もしくは抑えられない、という内面の変化が描かれる良いシーンであったと思う。憎しみという黒い感情否定しないことは、本作の美点の一つである

 一見対照的な二人だが、共に同じ苦悩をを抱えていて、それが変化してゆく、という構成は好印象だった。ただし、スカーレットについては憎しみに関する描写が強すぎて、「王女としてそうあるべきだから復讐燃えている」という内面理解しにくかった。物語の序盤も序盤、スカーレットの父が「王女としてではなく、女の子として好きなように生きなさい」と幼少期のスカーレットに語るシーンがあるのだが、さらりとしすぎている。スカーレット死ぬ前に、クローディアスの暗殺民衆が熱望していて、スカーレットがそれにプレッシャーを感じているようなシーンがあると良かった。

 クライマックススカーレットは死者の国から元の世界へと戻り、王女となる。王となったスカーレット民衆に、「民を救うこと」「子供絶対に死なせないこと」を宣言する。これは、スカーレットが「王女としてそうあるべきだから」と考えているからではなく、心の底からそう思っている。スカーレットは死者の国での交流を通じ、「私はこうありたい」という自発的な強い意志を手に入れて、物語は幕を閉じるのである

 そのようなクライマックスを踏まえると、「果てしなきスカーレット」は、憎しみの連鎖を描いた物語というよりは、少女自分生き方を決める物語なのだ個人的には思った。本質的には、「おおかみこどもの雨と雪」(主人公が、おおかみ or 人間、どちらかの生き方を選ぶ)や、「バケモノの子」(人間世界 or バケモノ世界、どちらで生きるのか選ぶ)など、細田監督過去作品にも通ずるテーマであるといえるだろう。

 本作は他の細田作品と同じく、演出特にメタファーの使い方に優れる。特に水というモチーフが良い。序盤、空が荒れた海のようにうねる様子をまじまじと見せつけつつ、水一つない砂漠風景を延々と見せておいて、最後スカーレットを雨に打たせる流れが良かった。雨はスカーレットの心の痛みであると同時に、乾き続けた心を潤す恵みの雨でもある。スカーレットが抱く矛盾した複雑な感情を、水や雨というモチーフを使うことで、端的に表すことに成功している。物語全編を通じて砂漠風景が続くのは単調で少ししんどくもあったが、クライマックスに良い形で回収されたのは良かった。

 カラスモチーフも良い。本作ではカラスが度々出現するのだが、物語の終盤、クローディアスと対峙するシーンでザワザワとカラスが集まり、散ってゆく演出が良かった。黒い感情やざらつきが、スカーレットの胸に広がって去っていく描写である。このシーンでは、スカーレットが抱く感情にある程度没入することができた。

 しか最後最後、黒い竜がカラスとなり散っていくシーンは解釈が難しかった。カラススカーレット内面を表しているのであれば、竜が悪役に雷の制裁を加えるのはご都合主義すぎる。スカーレットの黒い感情の高まりが、直接悪を成敗しちゃってました、ってことになってしまわないだろうか。私の読解力では、一本芯が通った演出として理解できなかった。

 その他、聖のキャラクター人間味が無いとか、スカーレットの母が謎だとか、細田監督らしく突っ込みどころは沢山あるしキリがない。しかし一番の問題点は、わかりやすカタルシスに乏しいことだろう。「見果てぬ場所」を目指すとか、最後に聖とキスして永遠のお別れをするとか、カタルシスを作ろうという工夫は見られるが没入感が無く、わかりやすく感動できない。

 唯一カタルシスを感じたのが、劇中歌「祝祭のうた」(フルバージョンがストリーミングにある)をバックに、スカーレットが炎の中に吸い込まれ現代日本へとワープするシーン(このシーンはYoutubeでチラッと見ることができる)。なんだかよくわからないけれどいい感じにエモい歌が鳴っていて、スカーレットが「うわああああ」ってなってて、吸い込まれてゆく映像美も(IMAXなので)すごい。「コレだよコレコレ!このわかりやすい感じ!」と思ってスクリーンの中に身を任せたのだが、その先の現代で踊るシーンは作り物感が強く、映画館座席の上にストンと戻されてしまった。復讐だけのために生きてきたスカーレットが新しい自分を見つける、という背景を意識するとそれなりにエモく見えるのだが、直感的に感情移入してダラダラ涙を流すためにはあと一歩か二歩足りなかった。

 「君の名は」ほどではなくてもいいから、馬鹿でも分かるような感動が欲しかった。まず、分かりやすく感動できること。そのあと二回、三回とリピートしていくにしたがって、細田監督演出の上手さが生きてくる。水や雨、聖がおばちゃんから貰った楽器などのモチーフや、登場人物些細な変化。それに気づいていくことで、回数を重ねる度により深く物語へと没入することができる。

 個人的に大好きな「おおかみこどもの雨と雪」には、それがあったと思う。揺らいだカーテンに隠れた雪がおおかみの姿に変身する激エモシーンや、嵐が去った駐車場で花と雨がお別れする涙腺崩壊シーンなど、音楽(激エモ)と映像美(激エモ)の力を借りた分かりやすい感動ポイントが、まずあった。そのあと繰り返し鑑賞してゆくにつれ、瓶に入ったお花の描写や、おおかみであるとは?人間であるとは?といったテーマ理解度が深まり没入していく。そんな作品だった。それこそが「物語への圧倒的没入体験」だと思うのだけど、皆さんはどう思いますか?

 それを踏まえると、やはり奥寺佐渡子さんの脚本に戻してほしいと切に願う。復讐や憎しみを題材にしながら「自分の好きなように生きよ」というメッセージ細田監督から投げかけられた私は、素直に胸を打った。しかし、カタルシスに乏しく物語に没入できてないので、そのメッセージが深くまで刺さってこないし、未消化感が残る。上映が終わった後、前の席に座った女性大学生くらい?)の二人組が、「何の話か分からない……」と漏らしていたのが印象的だった。監督が伝えたいメッセージが観客に伝わらないのは、あまりにも大きな問題ではないか

 奥寺氏が脚本に嚙まなくなった「バケモノの子」以降、細田監督作品脚本の弱さを批判され続けてきた。しかし、「竜とそばかすの姫」はそれなりに売れてしまったわけだし、商業的にやっていける限り細田脚本は続いていくだろう。

 しかし、本当にそれでいいんですか?

 「あなた脚本だと、メッセージが観客に上手く伝わってないみたいですけど、本当にそれでいいんですか?」と、細田監督に問いかけたくなる。「好きなように作って満足!」みたいな同人誌的な態度の映画作りで細田監督が満たされるのであれば、現状維持でかまわないと思う。我々はスクリーンの前で、感動ではなく悔し泣きの涙を呑むしかない。

 しかし、莫大なマネーステークホルダーを巻き込み、作品を広く世に知らしめる力を持つクリエイターとして、「自分メッセージを世の中に投げかけ、沢山の人の気持ちを揺さぶりたい」と細田監督が考えているのであれば、勇気をもって奥寺脚本に戻していただきたい。

 ちなみに奥寺佐渡子さんのことを調べたところ、最近脚本を手掛けた「国宝」なる映画がとてもすごいらしい。昭和ど真ん中の時代に、任侠の息子が歌舞伎役者として成長していく話なんて教養がない私にはとても敷居が高いんだけど実際どうなの????教えてエロい人。

PS

 TOHOシネマズBGMってあるじゃんピアノの曲。超久しぶりに映画館に行くので、あの曲が劇場で流れている雰囲気も楽しみにしてたんだけど、開場して五分後に入場したらすでに広告が始まってて聴けなかった。放映終了後も、「忘れ物に気を付けてください」の画面が出てくるだけで聴けなかった。開場直後に滑り込めばこのBGM聴けるの?これもエロい人がいたら、ついでに教えてほしい。

 仕方がないので、その曲を無限リピートさせながらこの記事を書いている。ちなみに、TOHOシネマズBGMは「ナッシュスタジオ」という、業務用向けのBGM効果音を専門に販売する会社のもので、ハードオフの店内放送曲や天神CM、デデドン絶望)もこの会社作品らしい。"Nash Music Library"で調べればストリーミングで聴ける。

2025-11-21

Nano-Banana Proで二次創作界隈に激震が走るぞ

いやガチヤバいって!!

キャラ画像一枚あれば、どんなポーズシチュも作れるぞ!

漫画簡単自動で作ってくれるぞ!!


さっき、俺の大好きなカリオストロの城クラリス画像四コマ漫画作ったら、今まで見たことのないクラリス笑顔が見れた!!

今震えてる!!!

著作権的にアップロードできないけど!!

でもさ!!

これ、二次創作とどう違うのって話!!!

人の手で作ったのか、AIで作ったのか、それだけの違いじゃん!!

じゃあキャラクターものAI画像もあげていいってなる!!

無法地帯になるぞ!!!

みんなもやってくれ!

Geminiで、思考モードを選び、🍌画像作成を選び、好きなキャラ画像アップロードして、指示するだけ!!!!!!

今までと違うのは、

これまでは「無」の状態からカリオストロの城クラリス描いて」だったけど、

今回は「クラリス画像から「この子草原で走ってる絵を描いて」だから

全く仕組みが違うの!!!

(もちろん、従来通りのやり方でもいけるけど!!)

著作権キャラ自由に操れる!

自分で描くことなしで、誰でもできる!!!

二次創作界隈、終わった!!!!!!

敵性動物パンダさよなら

最近街中やテレビパンダキャラクターを見るたびに、なんだかすごくモヤモヤした気持ちになる。みんなパンダを「かわいい」「癒やされる」ものとして受け入れてるけど、今のこの世界情勢を見てて、本気でそう思えてるんだろうか?

ニュースをつければ、連日中国との関係ヤバいって話ばかり。いつ戦争になってもおかしくない、なんて言われてるのに、日本企業は相変わらずパンダパンダ。この世間との温度差が、正直マジで怖い。

よく考えてみてほしい。パンダって結局、中国の「政治の道具」だよね。「パンダ外交」なんて言葉があるくらいだし、全てのパンダ中国のもの。高いレンタル料を払って、結局そのお金相手の国に行く。もし本当に戦争になったらどうするの? 私たちが「かわいい〜」ってグッズを買ったりして落としたお金が、巡り巡ってミサイル武器に変わって、こっちに向かってくるかもしれない。そう考えると、企業キャラクターとして使い続けるのって、すごく無責任だし、ある意味自殺行為な気がしてくる。

もちろん動物のものに罪はないし、酷いことをしろなんて言わない。でも、日本会社がわざわざ、今にも戦争しそうな相手国のシンボルを「会社の顔」にし続ける必要ってある?

パンダキャラって、今となっては日本人の平和ボケ危機感のなさの象徴しか見えない。企業のお偉いさんたちは、この状況をどう考えてるんだろ。コンプライアンスとかリスク管理とか普段うるさいのに、なんでそこはスルーなのか不思議でたまらない。

日本には他にもいい動物いっぱいいるじゃん。タヌキとかキツネとか、日本動物でいいでしょ。もうパンダに頼るのはやめようよ。そろそろ本気で線引きしないと、日本はいつまでもナメられたままだと思う。パンダには悪いけど、さよならするいい機会だと思う。パンダキャラクターにしてる楽天大丸松坂屋サカイ引越センター味の素京成とか、このままだと不買運動だよ?

anond:20251121032628

経済理論文脈だけで見れば、高市氏の「サナノミクス」と「サッチャリズム」は水と油ほど違います

サッチャーフリードマンマネタリズム小さな政府)」という理解に基づけば、積極財政を掲げる高市氏がサッチャーを名乗るのは、経済学的には大きな矛盾を孕んでいます

そして、最後の「お前はトラスだよ」というツッコミは、現在金融市場財政規律懸念する視点から見ると、非常に鋭く、かつ痛烈な皮肉として成立しています

なぜそう言えるのか、そしてなぜ高市氏はそれでもサッチャーを自認するのか、その「ズレ」と「トラス氏との類似点」について整理します。

1. 経済理論の決定的矛盾フリードマン vs 積極財政

ご指摘の通り、サッチャー首相が信奉したミルトン・フリードマン理論マネタリズム)と、高市氏の主張は真逆の要素が強いです。

項目 サッチャリズム (英国 1980s) サナノミクス (日本 2020s)
基本理論フリードマンマネタリズム ニュー・ケインジアン的 / MMT的要素
財政スタンス緊縮財政歳出削減小さな政府積極財政危機管理投資国債発行)
インフレ対抗 金利引き上げ・マネーサプライ抑制現在デフレ脱却・成長重視のため緩和継続
政府役割市場介入を減らす(民営化規制緩和国家主導産業育成(セキュリティ国防

まり経済政策ベクトル蛇口を締めるか開けるか)は正反対です。

2. なぜ「リズ・トラス」なのか?(核心の指摘)

「トラスだよ」と嘆く理由は、財政規律無視した積極財政市場債券市場為替)に何をもたらすかという懸念にあると推察します。

リズ・トラスの失敗(2022年

インフレが高進している中で、「減税」と「エネルギー補助金」という大規模な財政出動(バラマキ)をぶち上げました。

結果: 市場は「英国財政破綻する」「インフレ悪化する」と判断国債暴落金利急騰)、ポンド暴落し、年金基金危機に瀕して、わずか49日で退陣しました。

サナノミクスへの懸念

高市氏の「必要なだけ国債を発行して投資する」という姿勢は、市場から見れば「財政規律放棄(悪い金利上昇)」と受け取られかねません。

市場が「日本円や日本国債は危ない(トラスの時の英国と同じ)」と判断すれば、「サッチャーのような改革」ではなく「トラスのような市場クラッシュ」を引き起こすのではないか

 

この点において、「お前はトラスだよ」という指摘は、「経済リアリティ市場の反乱)を軽視しているのではないか」という非常に本質的批判になっています

結論

高市氏がサッチャーを名乗るのは「政治的キャラクター」としての憧れであり、経済政策の中身(フリードマン理論)は継承していません。

しろ財政規律よりも財政出動を優先し、それを成長で賄おうとする姿勢は、市場との対話を失敗した時のリスクも含めて、ご指摘通りリズ・トラス氏の短命政権が直面した構造リスクに近い側面があります

保守の剛腕リーダー」を演じようとして、経済の足元をすくわれる(トラス化する)のではないかという懸念は、今の日本債務残高や円安基調を考えると、決して杞憂とは言えない鋭い視点です。

2025-11-20

プロセカの「美しすぎる偏り」 MORE MORE JUMP!は本当に“前向き”か――

男女共同参画を忘れたアイドルグループ構造問題**

プロジェクトセカイ カラフルステージ!」がリリースされてから音楽ゲームとしての完成度やキャラクターたちの物語は多くのファンを魅了してきた。

だが――その華やかなステージの裏で、現代社会が決して見逃してはいけない構造問題が静かに進行している。

問題の中心にあるのは、アイドルグループMORE MORE JUMP!」。

“明るく前向き”“キラキラ”“かわいい”と称される彼女たちだが、そのメンバー構成女性のみ。一見すると当たり前に見えるかもしれないこの事実こそ、私たちが見落としてきた「ジェンダーの偏り」そのものではないだろうか。

女性だけのグループ=なぜ問題なのか?

現実世界では「男女共同参画社会基本法」が掲げられ、「性別に関わらず、あらゆる分野で活躍できる環境」が求められている。

しかし、MORE MORE JUMP!のステージに立つの女性アイドルのみ。

男性が挑戦する余地ゼロ

オーディションの形跡もない。

まりこれは、華やかなステージを装いながら、性別による“参加制限”が構造化されている状態に他ならない。

ゲーム世界観だから、と軽く片付ける人もいる。

だが、影響力を持ったコンテンツからこそ、そこに潜む偏りは現実へ強烈に波及する。

女の子可愛いアイドル」「男の子は外側から応援するだけ」

そんな旧来型の固定観念を、プロセカは無自覚再生産してはいいか

■ “前向き”を掲げながら、平等を掲げていない矛盾

MORE MORE JUMP!のテーマは「再起」「前向き」「夢を追う」。

しかしその夢は、なぜか“女性にだけ”開かれている。

男性ステージに立つ夢は、なぜ同じ形で描かれないのか。

アイドル女性であるべき」という古いステレオタイプを、キラキラした世界観の中でそっと肯定しているようにも見える。

これでは、作品がどれほど前向きなメッセージを語ったとしても、ジェンダー平等観点から時代錯誤だ。

多様性時代に、なぜ“男女混合アイドル”が一組も存在しないのか

プロセカには多くのユニットが登場するが、特にアイドルテーマにしたユニット女性限定であることは、“多様性”を唱えるべき現代コンテンツとしては明らかにバランスを欠いている。

男女混成ユニットひとつでもあれば

性別わず活躍できるステージ

というメッセージ自然に届けられるはずだ。

だが現状、MORE MORE JUMP!は、

可愛い女の子けが輝く世界

という旧来の価値観を温存する装置になっている。

■ 求む、“ジェンダーの壁を越えるステージ

これは決して「女性アイドルダメ」という話ではない。

しろ女性たちの活躍もっと広がるべきだ。

だが、男女共同参画社会を目指すのであれば、

性別による暗黙の排除をなくす構造改革が求められる。

もしプロセカが次のステージへ進む気があるのなら――

MORE MORE JUMP!に限らず、男女混合のアイドル像や、性別に縛られない表現開拓を避けて通ることはできないだろう。

結論MORE MORE JUMP!は、“優しい差別”の象徴になっていないか

華やかで、前向きで、輝いている。

からこそ、その陰に潜む偏りはより深刻だ。

性別によって“参加できる夢”が分断されている状態は、

男女共同参画社会理念から見れば明白に問題がある。

いま必要なのは

「夢見る権利を、性別で区切らない」

そんな新しいステージ提示だ。

プロセカがその未来を選び取れるか――

それが、次の時代の“本当のジャンプ”なのではないか

そもそも著作権曖昧すぎる

何をもって著作物創作したと言えるのかが曖昧すぎて話にならんよね

鼻歌でも著作物なのか、違うならどれぐらいか著作物なのか

楽譜著作物になるなら絵に対する指示も著作物になるのかどうか、とか

「黒い丸と、左上と右上に耳のように黒い丸を付けたデザインキャラクター

という文字列指示は著作物なのか、違うならPostScript手書きしたら著作物なのか、全然はっきりしてない

二万回AIに出力させる方法

例えば新しいキャラクターを作りたい場合10x10グリッド状でキャラを生成してもらう

これで100回出力させたことになる

これを10回程度繰り返して1000回のAI出力になる

その中から良さそうなキャラクター10個選んで、プロンプトにその10個のキャラを渡して似たバリエーション10x10を生成

10回繰り返せば1000回なので合計2000回のAI出力を得られる

このループをあと19回繰り返せば2万回のAI出力を得られる

実際になんかのキャラクターを生成してもらうときはこういうやり方をしてるから、2万回は普通にあり得る

anond:20251119214409

ホタテマンは、かつてフジテレビ系で1981年から1989年まで放映されたお笑い番組の『オレたちひょうきん族』内に登場した、安岡力也が扮するキャラクターの一つであるグループサウンズから悪役俳優転向した安岡テレビタレントとしての代表作となり、後にレコードも発売されてヒットとなった。

概要

見た目はホタテから手足が出たような姿の着ぐるみである。顔には悪役プロレスラーペイント風のメイク[1]が施されており、着ぐるみには傷跡が残され腕には安岡敬愛していた[2]エルビス・プレスリー衣装を模したウェスタンファッション特有の水切りが付いている。胸には「ホタテマン」と書かれた名札が付けられていた。

誕生過程

安岡力也1982年11月20日の『オレたちひょうきん族』のコント劇(タケちゃんマン)に暴力団員役でゲスト出演した際、タケちゃんマンを呼ぶ為の道具の一つである「ホラ貝」の事を思わず間違って「ホタテ貝」と言ってしまったのがきっかである[3][4]。これを他の出演者が軽く冷やかしたところ、力也が「何だと?そんなにおかしかったのかよ!」と突如怒り出してしまい、スタジオ内にあるセットの大道具小道具を投げ付けたりなぎ倒して大暴れとなり、他の出演者が血相を変えて逃げ出してしまうというハプニングとなった。

このような大騒動となってしまった原因は「後輩から馬鹿にされて屈辱だと思い込んだ力也が本気で怒ってしまった」「決して本気ではなく安岡がその場でわざとボケた」「腫れ物に触るような雰囲気だったので怒った振りをしてビビらせた」「事前の打ち合わせ通りで演技だった」など様々な説が存在するが、真相は定かではない。

この「力也ホタテ貝に絡んで大暴れ」のシーンが当時話題となり、力也は「ホタテマン」として『ひょうきん族』にレギュラー出演するようになった。タケちゃんマンのコーナー内で誰かが「ホタテ」という言葉を思わず口にした際には[5]、“ジョーズ”のテーマに合わせて力也が登場し、大暴れをして皆が逃げ出してわめいて大騒ぎになるのが定番パターンであった。当初は生身の力也が暴れていたが、番組内で「力也ホタテ」というイメージが定着したことで、着ぐるみを付けた「ホタテマン」というキャラクターへと変化していった[4][6]。

その後は、上記の流れが「ワンパターン化」して飽きられたと判断されると1シーンのみの出落ち要員となり、途中からたまたま場面に居合わせ榎本三恵子[7]演ずる「ハチの三恵子」に一目惚れをしてしまい、猛アタックの末に結婚榎本と共に番組降板となった。

その後、最終回ゲスト出演した。後日安岡不祥事逮捕された際、ワイドショー女性レポーターに「安岡さんは「ホタテマン」として子供たちに夢を与えてきたのに、こんなことをして申し訳ないと思いませんかね?」と質問をされたというエピソードがある[要出典]。

レコードリリースミニヒット


1983年5月5日に「ホタテロックン・ロール」を、ワーナー・パイオニア(現:ワーナーミュージック・ジャパンから発売。コミックソングながらも作詞内田裕也横澤彪城悠輔[8]、作曲加瀬邦彦という豪華な顔ぶれによるものであった。

更にアレンジは当時駆け出しだった小室哲哉担当している[9]。最終的には32万枚のセールスを記録した[10]。そのホタテ宣伝功績により北海道ホタテ漁業組合から表彰されるに至った[4]。

なお、この歌は『まんがジョッキー』の主題歌マンジキロックンロール」を改変したものであり、作詞作曲は同じコンビである[11][12]。

サンヨー食品の「サッポロ一番ほたてラーメン」や、かねてつ食品の「ほたて風味フライ」のテレビCMにも出演し、人気を博した。

他に広告活動として、BASFジャパンハイポジションクロムポジション)用コンパクトカセットテープCR-X」の広告に、写真のみで出演していた[13]。

柏レイソル応援歌がこの曲に似ているという指摘もある。

2025-11-19

傑作漫画は大体4巻以内に終わる

俺的傑作の定義=描かれていたキャラの考え方やセリフ自分の中に残っていて、自分を形作る一部になっている作品

 

21エモン』:藤子F不二雄の最高傑作相対的価値観。意外とカネの話ばかりするところ。木星編は最高。

スローニン』:吉田聡最高傑作。どのエピソードもいいが「スクラムトライ」は何度でも泣ける。「どうしてそんなにいつも強くなきゃいけないんですか?」

グリーンヒル』:古谷実最高傑作宇宙人を追って屋根を走る彼を見て「私は彼が好きだ」のシーン。あれ以上の恋愛漫画存在しない。

レベルE』:冨樫義博最高傑作。彼が生み出したキャラの中で一番狂っているのが王子。あれを超えるキャラクターは前にも後にもいない。

花田少年史』:一色まこと最高傑作。泣かせにきてる作品だがきっちり泣かされる。5巻は番外編なので実質4巻まで。

プラネテス』:幸村誠最高傑作宇宙日常として描き、それを成立させる画力。2話目が出色。ハチマキはわりとどうでもいい。

度胸星』:山田芳裕最高傑作ではない。残念だよね。これが連載続けられない世界。『望郷太郎』は納得のラストを迎えてほしい。

呪文世界を覆せ』:最近ではこれ。短歌×芸人って、界隈ではありそう感のあるテーマだが、中身は全然違う。さすが認知症の著書が多い著者。

えっと…、バカ?😅

韓国の一部ユーザー間においては、今回のような「人差し指と親指を近づける手つき」が男性蔑視ハンドサインを表していると主張され、たびたび物議を醸してきた背景がある。発端はかつて存在した過激派フェミニズムコミュニティサイトメガリア」のロゴとみられており、このロゴには「人差し指と親指を近づける手つき」で男性器が小さいと揶揄する意図があったようだ。結果として、この構図を想起させる手つきが男性蔑視ハンドサインとみなされるケースが生じている。

電子掲示板サイトメガリア」のロゴ

https://imgur.com/a/QL9oD3H

今回のフユカの必殺技中の手つきにも、一部韓国ユ―ザー間でそうした批判が生じていたかたちだ。韓国向け公式Xアカウントのみがモーションについての謝罪を投じ、外国籍アーティスト制作したシーンであり、特定思想とはまったく関係がないとも説明。開発チームと協議をおこなうとし、その後モーションの変更に至るまでの過程も細やかに報告された。そうして実装直前に左手を握り拳にする変更がおこなわれたかたちだ。

先述したとおり「人差し指と親指を近づける手つき」については、これまでにも韓国の一部ユーザー間でたびたび批判の的になってきた。2023年Studio PPURIが手がける各種ゲームPVに同様のハンドサインが“仕込まれている”とされ、一部ユーザーによる騒動が発生し、『ブルーアーカイブ』などのPVが非公開になるという一幕があった(関連記事)。今年に入ってからも、たとえば『勝利の女神:NIKKE』のサービス1000日記イラストにおけるキャラクターの手の形が批判を受け、公式謝罪と共に海外クリエイター外注したイラストであり制作にあたって差別的意図は一切なかったことを説明。監修プロセス見直しなども伝えられつつ、海外向け投稿では問題視された部分が変更されることとなった(弊誌英語版関連記事)。

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anond:20251118183308

ここでキャラクター権利があると主張しちゃうと、二次界隈が権利侵害してるのはどうなのかって話になるからなー

なぜ日本二次絵界隈だけがAI過激化しているのか?

元の記事は目が滑って読めなかったのでAI再構成させてみた

1. 序論:本稿の目的考察フレームワーク

本稿は、「なぜAI画像生成に対する反発が、特に日本二次創作イラストレーター絵師)界隈において他ジャンル他国比較して過激化しているのか」という問いを考察することを目的とする。

この考察のため、まずAIによる情報収集を行い、反AI感情文化的心理的背景に関する客観的な知見を得た後、その情報と具体的な事例を突き合わせながら、過激化の特異性を分析する。

2. AI調査に基づく過激化の文化的心理的背景

AIによる情報収集の結果、日本二次絵界隈でAIへの嫌悪感過激化しやすい土壌として、以下の要因が指摘された。

(1) 創作物への強い愛着と同一化

日本二次創作ファンアート文化では、クリエイター自分の描いたキャラクターや画風を「我が子」のように大切に扱う傾向が強く、創作物自己の同一化が進んでいる。この心理が、他者による模倣や無断利用に対して極めて敏感になる土壌となっている。

(2) 「盗作」と連続する被害者意識

イラスト界隈では、元々無断転載・無断加工に対する拒否反応が強い。生成AIインターネット上の画像無差別スクレイピングして学習する特性は、クリエイターにとって無断転載の塊」のように映る。これにより、「AI学習自分達の作品が盗まれている」という強い被害者意識が生まれやすい。

(3) 努力否定価値観対立

同人文化根付く「作品は描き手の努力結晶」という価値観も、AIへの拒否感を高めている。人間が何年も修練を積んで培った画風をAIが短時間模倣することに対し、「努力を食い物にしている」という怒りが噴出している。

(4) 創作者とファンの強い絆

ファン側にも、推しイラストレーター漫画家作風への忠誠心が強く、「AIときに大切な作品を汚されたくない」という心理存在する。日本オタク文化において、創作物創作者とファンの共同財産のように捉えられる面があり、外部(AI)の介入に対する拒絶反応が激しくなる。

3. 過激化を加速させる特有の要因

AI提示した深掘り要因や、筆者の考察を加味すると、二次絵界隈の過激化には以下の点が強く関与していると考えられる。

コミュニティ同一化の強度
絵師」と「ファン」双方のオタク文化としてのアイデンティティ二次創作に深く根付いているため、AIによる侵害自己存在否定に直結し、怒りが強固なコミュニティとして可視化されやすい。
模倣可能性の高さと仕事への懸念
AIによる模倣作家性」や「絵柄」といった個人アイデンティティに直結する部分まで及びやすく、将来的に仕事を奪われる可能性が高いという危機感が強い。
法制度への不満
日本著作権法AI学習に対して学習OK寄り」であるという認識が、クリエイターからすれば「自分たちが国に守られていない」という感覚につながり、自力での過激防衛行動に走る一因となっている。

論点補足) 二次創作同人自体他人創作物を利用しているという倫理的な指摘は存在する。しかし、日本二次創作は、原作者の黙認と「愛」に基づく文化的文脈で成立しており、営利目的AI学習とは文脈が異なる。元々グレーゾーンにある文化が、AIという「外部の、巨大な、営利的な脅威」に直面したことで、アイデンティティ防衛のために過激化していると解釈できる。

4. 過激化の具体的様相バッシングから殺害予告

日本二次絵界隈におけるAI使用者へのバッシングは、疑惑のみでの非難や、プロアマを問わない人格攻撃さらには殺人予告にまで発展する異常な事態となっている。

疑惑による非難
AIっぽい」という理由だけでクリエイターが吊し上げられる事例があり、証拠を示しても感情的な反応で疑惑払拭できないケースが存在する。
プロへのバッシング
ベテランイラストレーターAI利用で「裏切り者」扱いされ、誹謗中傷を受ける事例があった。
殺人予告への発展
2024年1月には、自身の画風を無断学習したAIモデルの公開に抗議したイラストレーターに対し、「邪魔するな」といったメッセージと共に大量の殺害予告が送付される事件が発生し、法廷闘争にまで発展した。

一方で、一部のAIユーザー側にも、反AI派への挑発的な言動が見られ、それが相互対立を激化させている側面もある。

5. 他業界海外との比較:特異性 vs 普遍性

殺人予告レベル過激化」が日本二次絵界隈に特有のものか否かを検証するため、他業界海外の事例を調査した。

(1) 他業界海外における過激な反AI事例

AI使用者に対して殺人予告まで出てくるケースは、日本二次絵界隈だけではない」という事実確認された。

アメコミ界隈(米国
AIを使ってコミックを描いていたクリエイター殺害予告を受け、“地下に潜らざるを得なくなった”と報道されている。これは、日本AI絵師と極めて似た構図である
韓国Webtoon界隈
職業漫画家集団が団結してAI作品を全面拒否し、プラットフォームに抗議する大規模な職業集団の蜂起」が起きている。
欧米ArtStation
数千人のイラストレーターが「NO AIアイコンを一斉投稿サイト占拠する大規模な抗議活動があった。

世界的に見ても、「最も激怒している業界イラストレーター界隈」という認識共通している。

(2) 日本が「より過激に見える」理由

海外でも過激な事例は存在するものの、日本が「よりやばく見える」「濃度が高い」とされる理由には、以下の要因が複合的に作用していると分析される。

二次絵師界隈の人口密度の大きさ
そもそも活動者とファン層の規模が大きい。
同人文化二次創作の強い結びつき
二次創作が単なる趣味ではなく、アイデンティティのものとなっている。
SNSの影響力の高さ
日本語圏のSNS実質的絵師特化タイムラインとして機能しがちであり、集団的な「潰せ」ムード可視化されやすい。

6. 結論過激化の根源は「作家性の模倣」と「アイデンティティ危機

日本二次絵界隈における反AI活動過激化は、海外・他業界でも同様の反発が見られることからイラストレーターという職業が抱える作家性まで模倣されやすい」という普遍的危機感に根ざしている。

しかし、日本においては、強固な二次創作文化作品自己の強い同一化、そして巨大なSNSコミュニティが結びつき、危機感が「コミュニティアイデンティティへの攻撃」として認識されることで、感情的なバッシング殺人予告といったより極端な防衛行動となって現れていると結論づける。

anond:20251118124421

三大「いつの間に人気になったの?」キャラクター

イーブイ(ポケットモンスター)

→しんかのいしが無ければただのノーマルPOKEMONだったのに、いつの間にパッケージに描かれるくらいの人気になったの?

ワドルディ(星のカービィ)

ゲーム中のただのザコキャラなのに、なんでカービィと同等の人気になってるの?

他には?

2025-11-18

ブルアカナギサに「救いようがないパラノイア」とは言ってない話2

https://anond.hatelabo.jp/20251118185100

入りきらなかったから続きなんだね!!!


単語問題ではないけれど 2

最後に、今回なんで「"너는 구제불능인 의심암귀다."/疑心暗鬼の闇の中だ」が話題になっているのかを書いておく。

これはあくまで俺の主観、俺から見たネットしかないけども。

このセリフが世に出たのは21年12月15日。約4年前のことなんだけど、ここにきて最新のストーリー先生プレイヤーキャラクターが「あのとき酷いこと言ってごめんね」とナギサに謝る展開が出てきたのよ。

でも、どうもそこで 「『酷いこと言ってごめん』って何?酷いことなんて言ったっけ?」 と不思議に思う人もけっこういたっぽい。

なにせ4年前だから記憶も薄かろうし、そのセリフを言われたシーンでのナギサ物語上で悪役を担っており、厳しく批判されてもやむなしでもあった。先生がそこでナギサ批判するのは間違ってなかったとも言える。

から「酷いことなんて言ったっけ?」と感じる空気もあったっぽいのよ。

その「なんだっけ?」という空白に、

  • 「実は韓国語版ではこんな酷いことを言ってるらしいぞ!」
  • 「なるほど、韓国語版のセリフ前提なのか! どうりで、日本語版をやってる俺は/私は分からないはずだ」 

という解釈がスポッ!とハマっちゃった空気を感じる。

いやそんなことねーから韓国語版でパラノイアなんて言ってないだけでなく、日本語版の「君はい疑心暗鬼の闇の中だ」もちゃんと大概酷いか

改めて並べるけど、

"너는 구제불능인 의심암귀다." 

"君は、救済不能疑心暗鬼だ。"

"ナギサ、今の君はきっと、疑心暗鬼の闇の中だ。"

パラノイアなんて言ってない以上、日本語版韓国語版も、疑心暗鬼呼ばわりしてる点はまったく一緒だから!!!

韓国語の「救済不能」が日本よりもキツいのは間違いないが、これが「救いがたい食欲だなハスミ」「救いがたいペロロファンだなヒフミ」だったら言うほどキツくないわけで、本質は「疑心暗鬼」の方だよ。そしてそれは日本版も同じだよ!!!

ここは、ナギサ先生プレイヤーに「ある手助け」を求めて、それに対して「君はい疑心暗鬼の闇の中にいる」と求めを突っぱねるシーン。

説明は省くけど、ここで疑心暗鬼なんて「お前、あることないこと見えちゃってんだわ」と相手視点否定する言葉から日本語版でもナギサに対して酷いこと言ってるって!!

韓国語ではそこに「救済不能」がついてより強いってだけで、日本版でも酷いこといってるから!!

だいたいさ、『韓国語版の「救済不能疑心暗鬼」を、日本版では「疑心暗鬼の闇の中」に意訳して公開したことからズレが生じてるんだ、「酷いこと言ってごめん」は韓国語版のプレイヤーしかからないんだなあ』は矛盾を起こしてるって!

だって日本版のスタッフは「疑心暗鬼の闇の中」に意訳するだけの権限をもってるってことでしょ?

仮に日本語版に「酷いこと」が存在しないとしたら、「酷いこと言ってごめんね」って謝るくだりも合わせて意訳するだけじゃん!

「苦労かけたねごめんね」とかにすればそれで解決するんだから!!!

意訳したから食い違うと言うなら、意訳してないことが矛盾するんだって!!!

意訳する権限があるのに「酷いこと」を残してるのは、日本版にも「酷いこと」があるからだと思うよ!!!

「酷いこといってごめん」はちゃん日本版のストーリーの中で通じるセリフだよ!!

韓国語版はパラノイアなんて言ってないしし、

「酷いこと」は日本語版でもストーリー内に存在してる

ここで誤解してほしくないのは、俺は別にストーリー議論したいわけじゃないってこと。

誰かが「私は酷いことなんて言ってないと思う…。あのセリフは言うしかなかったよ…」、そう解釈したっていい。

それはストーリーの読みようであって、人それぞれの領域だと思う。

でも!!!

でも、「酷いことなんて言ったかなあ…」という空白に、「韓国語ではパラノイアって言ったらしいぞ!これか!!」というのがスポッとハマって、都市伝説的に成立しちゃうのはなんか違う気がするぞ!!!!!!

言ってねーって!!少なくとも元の韓国語ではパラノイアなんて言ってねーんだって!!!

~~~~~

以下余談

まあパラノイアは言ってないんだけど。でも救済不能は酷いね

ここについてちょっと。俺も何とも言い切れないかぼんやりとした話だけど。

そうね、救いようがないは言い過ぎだと思う。

担当ライターが「このシーンはナギサが悪いんだからナギサ対峙するような言葉を向けるのはシーンとして間違ってない。だけど救済不能という表現は強く伝わりすぎてしまった」と後に反省してるほどには強い。

https://www.inven.co.kr/webzine/news/?news=275674

ただね…これ自体普通に使うっぽいんよね。

なんなら同じシナリオライターインタビューの中で、「プレイヤーキャラクター"先生"は正にプレイヤー自身であって、容姿性別を描くつもりは無い」と語ったものがある。先生プレイヤーと思って遊んでいいんだと指針がみえもので、たぶんブルアカファンの間ではもう無数に引用されたと思う。

https://www.thisisgame.com/articles/169336

そのくだりで、「とき先生は時に色々な姿に見えることもあるだろうけど、あくまプレイヤーとして描いている」という話をしていて、こうも言ってる。

어떤 시나리오에서는 구제불능의 오타쿠처럼 보이기도 하고...
引用元:https://www.thisisgame.com/articles/169336
  • 어떤:ある
  • 시나리오:シナリオ
  • 에서는:では
  • 구제불능:救済不能
  • 의:の
  • 오타쿠:オタク
  • 처럼:みたいに
  • 보이기도:見えたりも
  • 하고:して

ほらあるでしょ、구제불능救済不能

でも誰もこれまでここを「オタクネタにしたって言いすぎだ!酷い!韓国語言葉が強い!!!」なんて言ったこと無かったと思うのよ。

それは自然な話で、途中で言ったように問題は「疑心暗鬼を救済不能とした」ことであって、「救済不能」そのもの文脈次第で軽くも重くもなるんだろうね。

しつこいけど、ナギサに対して「救済不能疑心暗鬼」はきついと思うよ。

ただ、単語のもの

救!済!不!能! 救!い!が!た!い! 

って我々が文字に抱くイメージまでは行かないかもねという話。

もしこの単語自体が重いと感じる人がいたら、まあこういう可能性もあるかもねって話。

この辺りの重い軽いの感性ネイティブしかからないけど…でもネイティブ韓国人スタッフ自分で使ってて、そこの批判は見たことなかったなあ…っていう話よ!!

구제불능ってタイトルの曲とかあるみたいだしさあ!!!


以上、パラノイアは言ってないよ!という愚痴と余談にござった

言ってないんだ…だって言ってないから…

ブルアカナギサに「救いようがないパラノイア」とは言ってない話

「救いようがないパラノイア」なんて言ってねーから!!!!!

って話というか説明をするよ!!!読みたくない人はこの1行だけ持って帰ってくださいね!!!言ってない!!!

これはどうもSNS上で話題になってるらしいことなので、じゃあ増田で言ってどうすんだよって話なんだけど

俺が今からSNSアカウント作っても誰も見ないだろうし、多少は人目につくここで書くしかないんだ…

気が向いたら拡散でもしてくれたら嬉しい

いや拡散しなくていいけど



本題

韓国で開発され日本でも運営されているスマホゲームブルーアーカイブ」。

多くの海外スマホゲーと同様、たまに日本語版と韓国語版の訳の違いが話題になったりする。

まあそれは何のメディアでもある。小説だって映画だってドラマだって字幕派と原語派がいる。ハリーポッター英語で読まなきゃダメだよね~みたいな人もいるじゃん。これは普通

なんだけど今回、先生プレイヤーキャラクター)がナギサというキャラクターに対して、韓国語版では下の2つのセリフを言ったらしいと広まっている。

「お前は救いようがないパラノイアだ」

「お前の陰謀は私が打ち砕く」

2文目はあとで触れるけど、まずパラノイアの方ね。

これ言ってないの!!!!!

日本語版ではそこは「今の君はきっと、疑心暗鬼の闇の中だ」と訳されていて、「疑心暗鬼だよね~、なんか周りが疑わしく見えちゃうよね~」というニュアンスになっている。

ところが韓国語版では「お前は救いようがないパラノイア」だと言ったらしい!!!!なんだと!ナギサ病気だって言いたいのか!!!ひどすぎるだろ!!!日本SNS上で話題になってるらしいんだけど

いや言ってねーーって!!!!!!!!

ちょっと紛らわしいのは「先生ナギサに対して酷いことを言った」のはあってる。

これは韓国語を読まずとも、日本国内で読める日本語版でも同じ(ストーリーは同じなんだから、そりゃそうだ)

そして、韓国語版は更に日本より言葉が強めなのもあってる。

かに酷いことは言ったよ。ここは正しい。

でも「救いようがないパラノイア」なんて言ってないのよ!!!



実際は何といったのか

先生が「救いがたいパラノイアだ」と言ったとされる部分、韓国語ではこういうセリフ

"너는 구제불능인 의심암귀다." 

たったこんだけだぜ!このくらい辞書引けばすぐわかるでしょうよ!!!言ってないことを言ったと思ってる人も読んでみてくれよ!!!

韓国語は語順ほぼ同じで辞書引くだけでほぼ読めるから!!!

ここの의심암귀は正に熟語の『疑心暗鬼』のこと。中国の『列子』に由来するとされる疑心暗鬼のもの

まり解釈可能性はこの後するけど、まず原文で『パラノイア』なんて言ってるかどうかについては議論余地がない。

"너는 구제불능인 의심암귀다." 
"君は、救済不能疑心暗鬼だ。"

パラノイアなんて言ってない。疑心暗鬼と言ってる。

そんで、これを日本語版と比べてみると

"ナギサ、今の君はきっと、疑心暗鬼の闇の中だ。"

ね!!

パラノイアなんて言ってないから、日本韓国も「疑心暗鬼」扱いなのは同じ。そこは日本と違わない。

これが文章だったなら分かるよ。

「君は救いがたいな。何もかも全てを疑った挙句、いもしない敵を自ら作り上げてしまった。今すぐ入院して医学処置を受けるべきだ」とか言ってたなら「うーん…パラノイアって訳しておくか!」となるのも分からなくもない。

でも違うじゃん、의심암귀疑心暗鬼って言ってんの。パラノイアなんて言ってねーんだって!!そんな単語も文もないんだもんって!!

韓国語版が日本語版より言葉が強いのは【救済不能】のほう。

ネットで広まってる言い方なら「救いがたい」のほう。これは実際に言ってるの。これは確かにキツイね。救えねえわって言ってんだからキツイよ。

でもパラノイア言ってないから!!의심암귀はそのまんま疑心暗鬼から!!ナギサ病的だなんて言ってないから!!


意訳じゃないの?パラノイアって疑心暗鬼みたいな物でしょ?と思ったなら

かにパラノイアって単語は無いけど、意訳すればパラノイアでしょ? 疑心暗鬼がひどくなったのがパラノイアでしょ?と思ったあなた

じゃあそれはストーリーがどうこうじゃなくて、韓国語版との違いがどうこうてもなくて、「意訳がどうこう」いう所じゃん!

スタートとゴールが疑心暗鬼で真ん中にだけパラノイアがあるなら、それは韓国語版由来でなく意訳由来では!?

意訳はニュアンス変わるよ。試しに俺が

  • 「君はどうしようもなく疑り深くなっている」って意訳したらむしろ優しくなるでしょ?
  • 「君はどうも疲れているようだ」って意訳したら更に曖昧になるでしょ?
  • 「どうかしてるぞ妄想狂のイカレ女!」って訳したら逆にめちゃくちゃキツくなるでしょ?

どれがより適切かは文脈によるんだけど、原文から100%全くの別物にまではしていない。どれも意訳と言い張れる範囲だと思う。

これは何か恣意的ねじ曲げようってんじゃなくて、俺がどうストーリーを受け止めているかがあって、そのフィルターを通って変換されてる。

決して、パラノイアと訳されたのが悪いとか言いたいんじゃない。人それぞれの読み方があって、人それぞれのフィルターがあるから

だけど「パラノイア」は原文にはなくて、フィルターの中にある言葉じゃないのってのはあるかもなの。

誰か個人の訳なのかネット自然発生したものなのかは分からないし、それについてはどっちでもいい。原因探しじゃなくて、そんなこと言ってないよ!!!重要だし。


訳には必ず訳した人がいるという意識

先に断わっておくと、この項はパラノイアと訳した人が悪いぞ!という話ではないです。

で話に移ると、小説でも映画でもなんでも「海外ではこう書いてあるんだぜ」と日本語訳をみたときそこには必ず訳した人がいるって意識必要です。

例えば英語の"good morning."だって、訳はどんだけでもある。

おはよう」「はよう!」「おはようございます」「良い朝だね!」「今日よろしく」「はよざーっす」「ザぁっす」、どれも正しい訳だけど、話し手雰囲気は変わって見える。日本語だとひらがなカタカナ使い別けから、「ざぁっす」「ザァっす」「ザァッス」でも雰囲気は変わる。あくびしながら「ザァっす」は眠そう。キラキラした目で「ザっす」は元気そう。ァ1文字抜いただけだけど。

本来文脈によってある程度絞られてくるけど(例えば清楚なお嬢様キャラは「ザぁっす」とは言わないだろう)、1文、2文を抜き出して訳すときはどんだけでも幅が出る。

文脈によっては、何もおはよう要素がないかもしれない。誰かにから会いに行ったなら「どうもどうも」とか「すみませんね」と訳せる状況もあるかもしれない。

状況によっては「夜が終わった」とも訳せるかもしれないし、窓を見てれば「陽が昇ってきた」とも訳せるかもしれない。夜通し騒動に巻き込まれストーリーだったら「逃げ切ったね」「終わったか」「助かった」くらいまで意訳できるシーンもあるかも。100億円貰える日の朝なら、「さあゴキゲンが始まるぜ!」になるシーンもあり得る。

大きく意訳するのはなしにして、good morningを「良い朝だ」と訳すとしよう。語尾をちょっとだけ変えてみる。「良い朝だね」「良い朝だぜ」「良い朝だ」「良い朝だよ」「良い朝ですよ」、ほんの数文字変えただけで、シチュエーション性別も変わって見える。

でも、ここまで挙げたすべては、ぜーんぶ、"good morning."から出せる。


先生特にそう

ブルーアーカイブプレイヤーキャラクター"先生"には性別容姿も設定されておらず、プレイヤー自由解釈できるようになっている。だからこのフィルターの影響は大きい。

"先生"は僅かな言行からのみ解釈されるけど、ちょっと女っぽいと言われることもある。この雰囲気に一役買っているのは「~よ」「~ね」を基本にした優しい口調だろう。ちょっとそこらを見てみよう。

"責任は、私が負うからね" ("책임은 내가 져야만 해.")

日本版はこんな口調。ブルアカファンには有名なセリフだけど、まずそもそもこの時点で韓国語版から変わってる。

「야만 해」のニュアンスを入れるなら「私が負わなければならない」なんだから

あいいや、こっから語尾だけ変えてみよう。

"責任は、私が負うから"

少し女性っぽさが薄れただろうか。そうでもないか

"責任は、私が負うさ"

すこしカッコツケを感じる…

"責任は、私が負う"

少し強くなって来た

"責任は、私が負うとも"

より強く聞こえるね

"責任は、私が持つ"

ちょっと毅然とした感じがするね

"責任は、俺が負うよ"

これは語尾じゃないけど、「私」を「俺」に1文字変えるだけで、性別が男に見えてくる。

別に女が俺と言ってもいいんだけど、一種役割語として機能している

"ケツは拭いてやらァ、俺に任せとけ"

おっ、別人だこれ

最後はともかく、ちょっと語尾を変えただけでもう"先生"は変わる。

んで何が言いたいかって言うと、「海外版は別人みたいだ…」というとき、それは別人のように訳してあるのでは?という目線絶対必要だってこと。これは悪い意味では無くて。

例えばこんなのもある。正に同じ文章を、同じ翻訳家が、別の作品で訳しただけなのに、まるで別人のようになる。まあ実際別人なんだけど。1つの文章からコロンボコジャックという全く性格が違う人間ができあがる。

一人の翻訳家が、二つの刑事ドラマで…一つのことばを、二つに訳し分けた(「編集手帳文章術」)

https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/20130409/p2



同じく、「海外先生の口調は怖いらしい…」っていうとき、それは怖いように訳してあるのでは?という目線必要

しかもこれ、「訳してある」とは言ったものの、そこに悪意があるから疑おうという話じゃない(もちろん悪意をこめて訳す人もいるかもしれないが、ここでは違う)。人は無意識のうちにも言葉選択しているから、だから「訳してある」意識必要だと言う話。

もちろん、件のシーンの言葉は実際に強い。なんせ上に書いたように救済不能とまで言ってるんだから間違いなく強い。だから個人だかネット集合知だか分からないけど、訳した人は「強いこと言うんだなあ」と思って、強いように訳したかもしれない。

これは何も悪くない。その人はそういう雰囲気を感じ取ったからそういう日本語が出て来たわけで、決してデマやガセではない。

でもそれを読むときは、韓国語版のテキストだけでなく、フィルターも読んでるという目線は要る。


お前の陰謀を打ち砕く

「救いようがないパラノイア」はそもそもパラノイアって言ってねーって!と思うけど、

これとセットで「お前の陰謀は私が打ち砕く」というセリフも「韓国版は怖い」として広まってる。こっちもちょっと試してみよう。

"너의 음모는 내가 깨부수겠어."

これが「お前の陰謀は私が打ち砕く」くらいの感じで広まってるらしい。

「お前の陰謀は私が打ち砕く」

日本版では「君を、そこから出してみせる」(※そこ=疑心暗鬼の闇)というセリフから全然違うじゃん!韓国語版は怖い!って言うんだけど。

とりあえず、「お前」を「君」に訳してみよう。「너」は状況次第でどっちにも訳せるから間違ってない。

普段先生は「お前」なんて言わないんだから韓国から翻訳しようと思ったとき何気なく「君」を選択する人も多いはずだ。

君の陰謀は私が打ち砕く

ほら、この時点でなんかもう違うでしょ。

너は状況に応じて「お前」でも「君」でもいけるけど、「お前」と「君」はちょっと話し手雰囲気が変わる。

ブルアカプレイヤーの知る先生は生徒を「お前」なんて言わないから、「お前」に訳すだけで激怒してる気がする。

このセリフに限らない。机の上のお菓子を見て「これ、ユウカが買ってきたの?」なんて穏やかな一場面でも、「これ、お前が買って来たの?」にするだけで先生は別人になる。

お前と訳すか、君と訳すか、無意識フィルターがはっきりと機能しているのが分かる。

続ける。

語尾を~よにしてみよう。日本版の先生は~よなんだから比較するなら揃えてみたいよね~

君の陰謀は私が打ち砕くよ

陰謀って言葉はあまりに強いから、ブルアカ温度感に合わせて変えよう

君の企みは私が打ち砕くよ

もうだいぶ印象が変わってきたけど、もうすこし。

韓国と違って日本ではあまり「打ち砕く」は言わない。日本語だと劇的になるからもっとありがちな表現に整えよう。

君の企みは止めてみせるよ

ぐっと変わった気がするけどもう一歩

そもそもこの「企み」はどこから来てるかって、ナギサ疑心暗鬼から来ている。

韓国語版でも疑心暗鬼って言ってるんだから、これは置き換えてもいいはずだ

君の疑心暗鬼を止めてみせるよ

これはナギサ自身を縛り付けている疑心暗鬼を取り払うぞという宣言なんだからもっと直接言ってあげようぜ!!!

君をその疑心暗鬼から救い出してみせるよ

ほら!!日本版の先生っぽい訳が完成~~~!!!

ちょっと言葉がくどいか代名詞に置き換えてみよっか!!

君をそこから出してみせるよ

はい日本版になった~~!!!!!ヒュー!!!!!

終盤は強引だったのは認めるけど、俺は内容そのものは大きく変えてない。意訳だと言える範囲

この方向のフィルターで意訳して、

韓国版は"너의 음모는 내가 깨부수겠어."って言ってるよ。

えーっとつまり…「君の企みは止めるよ」みたいな感じ?」

とする説明ネットに広がっていたら印象は全く変わったろう。「ふーん、言い回しは違うけど、日本版と同じような温度かねえ」ってなったろう。

これが正しいとは言っていない。

これにもフィルターが掛かってるし、「お前の陰謀を打ち砕く」にもフィルターが掛かってる。

韓国語版のニュアンスが強いのは確かだけど、でも俺のフィルターに通すとこうなるんだよ!と言ったとき間違ってはいない。このフィルターウソは入ってないから。

海外文章日本語で読んだとき、そこには必ず訳した人がいる」というのはこういうこと。

日本語で読んでるとき、それは韓国語版だけを読んでるんじゃない。誰かのフィルターを読んでいる。

今回ネットで広がっているフィルターを通すと「お前の陰謀は私が打ち砕く」になる

上に書いたフィルターだと「君の企みは止めてみせるよ」くらいになる。

行くとこまで行くなら日本版と同じになるし、

フィルターを変えればもっとキツい訳だってできる。

念のためいうと、「お前の陰謀は私が打ち砕く」を批判する訳でないよ!正実な訳だと思う。単語ごとに辞書を引いたら間違ってないから。

変に感情で意訳を入れてないだけ誠実な訳だと思う。しっかりしてると思う。

ただそれですら、「君」を選ぶか「お前」を選ぶかだけで印象はだいぶ変わってしまうので、良い悪いではなくフィルターのものはかかってしまう。

日本語をみて「そんなに韓国語版は言葉が強いの!?」と思ったときあなた韓国語のテキストだけでなく、フィルターも読んでいるんです!!!!!!それは意識していこうぜ!!!!!!!!!!!


そんで、パラノイアはどこから来たの

話をもどして、パラノイアなんて言ってねーって!!

じゃあパラノイアはどこから来たんだ?

知らん…わかんない…

英語版だと、同じシーンの別の台詞に「I'm not going to waste my time being paranoid.」はある。

このparanoidはパラノイアではないし、直接はナギサを指してもいないし、別の台詞だけど、ここ以外にパラノイアらしき部分がない。

もしかして英語版が韓国語版に混線したのか???

もしそうだとしたら、もう韓国語版がどうこうどころの話じゃなくないか!?!?

意訳しつつ

英語版と韓国語版という違う翻訳

しかも別の台詞

混ざった

…というアクロバット混線なんじゃないか!?!?


単語問題ではないけれど 1

訳には幅があるといったけど、なんでも文章意味は変わらないかって、そうでもない。

訳には幅があるから、의심암귀を「疑心暗鬼」と訳すか、「疑り深い」と訳すか、「人を信用しない」と訳すかはグラデーションになっている。

から「原文では『疑り深い』とは言ってねーって!!!疑心暗鬼だって!!!単語が違うって!!!」なんて俺は言う気はない

拾うべきは文章が伝えたいものごとであって、「疑心暗鬼か、疑り深いか」なんて単語だけにこだわるのは違うと思うから

でも、パラノイア病気名前、お医者さんの使う名前という印象があるので、俺だったら疑心暗鬼からグラデーションとは繋がってないと感じる。

友人に「疑り深いな」は言えるじゃん

友人に「疑心暗鬼だな」は言えるじゃん

友人に「パラノイアだな」は言えないじゃん、そこは壁があるじゃん

パラノイアと言った瞬間に「病気だぞお前、病院行くレベルだぞ」のニュアンスが急に入ってくる。それまで無かったのに!

実際ネットでも、「パラノイア呼ばわりしたの?ナギサ病気ってこと?酷い…」みたいな反応を多々見る

ここで長々とパラノイアって言ってないよ!!!!!愚痴理由も分かるでしょ!?!?分かってくれ頼む!!!

パラノイアと意訳するのは良いと思う。誰かが訳したときフィルターにおいて間違いではないと思うし。

でも言ったか言ってないかなら原文では言ってねーって!!!言ってねーって!!!!!


単語問題ではないけれど 2

入りきらなかったかちょっとだけだけど続きは別に書いたよ!!1

https://anond.hatelabo.jp/20251118185202

だいぶテンション落ちて来て、書かなきゃよかったと思ってきたけど

ブルアカナギサに「救いようがないパラノイア」とは言ってない話

「救いようがないパラノイア」なんて言ってねーから!!!!!

って話というか説明をするよ!!!読みたくない人はこの1行だけ持って帰ってくださいね!!!言ってない!!!

これはどうもSNS上で話題になってるらしいことなので、じゃあ増田で言ってどうすんだよって話なんだけど

俺が今からSNSアカウント作っても誰も見ないだろうし、多少は人目につくここで書くしかないんだ…

気が向いたら拡散でもしてくれたら嬉しい

いや拡散しなくていいけど



本題

韓国で開発され日本でも運営されているスマホゲームブルーアーカイブ」。

多くの海外スマホゲーと同様、たまに日本語版と韓国語版の訳の違いが話題になったりする。

まあそれは何のメディアでもある。小説だって映画だってドラマだって字幕派と原語派がいる。ハリーポッター英語で読まなきゃダメだよね~みたいな人もいるじゃん。これは普通

なんだけど今回、先生プレイヤーキャラクター)がナギサというキャラクターに対して、韓国語版では下の2つのセリフを言ったらしいと広まっている。

「お前は救いようがないパラノイアだ」

「お前の陰謀は私が打ち砕く」

2文目はあとで触れるけど、まずパラノイアの方ね。

これ言ってないの!!!!!

日本語版ではそこは「今の君はきっと、疑心暗鬼の闇の中だ」と訳されていて、「疑心暗鬼だよね~、なんか周りが疑わしく見えちゃうよね~」というニュアンスになっている。

ところが韓国語版では「お前は救いようがないパラノイア」だと言ったらしい!!!!なんだと!ナギサ病気だって言いたいのか!!!ひどすぎるだろ!!!日本SNS上で話題になってるらしいんだけど

いや言ってねーーって!!!!!!!!

ちょっと紛らわしいのは「先生ナギサに対して酷いことを言った」のはあってる。

これは韓国語を読まずとも、日本国内で読める日本語版でも同じ(ストーリーは同じなんだから、そりゃそうだ)

そして、韓国語版は更に日本より言葉が強めなのもあってる。

かに酷いことは言ったよ。ここは正しい。

でも「救いようがないパラノイア」なんて言ってないのよ!!!



実際は何といったのか

先生が「救いがたいパラノイアだ」と言ったとされる部分、韓国語ではこういうセリフ

"너는 구제불능인 의심암귀다." 

たったこんだけだぜ!このくらい辞書引けばすぐわかるでしょうよ!!!言ってないことを言ったと思ってる人も読んでみてくれよ!!!

韓国語は語順ほぼ同じで辞書引くだけでほぼ読めるから!!!

ここの의심암귀は正に熟語の『疑心暗鬼』のこと。中国の『列子』に由来するとされる疑心暗鬼のもの

まり解釈可能性はこの後するけど、まず原文で『パラノイア』なんて言ってるかどうかについては議論余地がない。

"너는 구제불능인 의심암귀다." 
"君は、救済不能疑心暗鬼だ。"

パラノイアなんて言ってない。疑心暗鬼と言ってる。

そんで、これを日本語版と比べてみると

"ナギサ、今の君はきっと、疑心暗鬼の闇の中だ。"

ね!!

パラノイアなんて言ってないから、日本韓国も「疑心暗鬼」扱いなのは同じ。そこは日本と違わない。

これが文章だったなら分かるよ。

「君は救いがたいな。何もかも全てを疑った挙句、いもしない敵を自ら作り上げてしまった。今すぐ入院して医学処置を受けるべきだ」とか言ってたなら「うーん…パラノイアって訳しておくか!」となるのも分からなくもない。

でも違うじゃん、의심암귀疑心暗鬼って言ってんの。パラノイアなんて言ってねーんだって!!そんな単語も文もないんだもんって!!

韓国語版が日本語版より言葉が強いのは【救済不能】のほう。

ネットで広まってる言い方なら「救いがたい」のほう。これは実際に言ってるの。これは確かにキツイね。救えねえわって言ってんだからキツイよ。

でもパラノイア言ってないから!!의심암귀はそのまんま疑心暗鬼から!!ナギサ病的だなんて言ってないから!!


意訳じゃないの?パラノイアって疑心暗鬼みたいな物でしょ?と思ったなら

かにパラノイアって単語は無いけど、意訳すればパラノイアでしょ? 疑心暗鬼がひどくなったのがパラノイアでしょ?と思ったあなた

じゃあそれはストーリーがどうこうじゃなくて、韓国語版との違いがどうこうてもなくて、「意訳がどうこう」いう所じゃん!

スタートとゴールが疑心暗鬼で真ん中にだけパラノイアがあるなら、それは韓国語版由来でなく意訳由来では!?

意訳はニュアンス変わるよ。試しに俺が

  • 「君はどうしようもなく疑り深くなっている」って意訳したらむしろ優しくなるでしょ?
  • 「君はどうも疲れているようだ」って意訳したら更に曖昧になるでしょ?
  • 「どうかしてるぞ妄想狂のイカレ女!」って訳したら逆にめちゃくちゃキツくなるでしょ?

どれがより適切かは文脈によるんだけど、原文から100%全くの別物にまではしていない。どれも意訳と言い張れる範囲だと思う。

これは何か恣意的ねじ曲げようってんじゃなくて、俺がどうストーリーを受け止めているかがあって、そのフィルターを通って変換されてる。

決して、パラノイアと訳されたのが悪いとか言いたいんじゃない。人それぞれの読み方があって、人それぞれのフィルターがあるから

だけど「パラノイア」は原文にはなくて、フィルターの中にある言葉じゃないのってのはあるかもなの。

誰か個人の訳なのかネット自然発生したものなのかは分からないし、それについてはどっちでもいい。原因探しじゃなくて、そんなこと言ってないよ!!!重要だし。


訳には必ず訳した人がいるという意識

先に断わっておくと、この項はパラノイアと訳した人が悪いぞ!という話ではないです。

で話に移ると、小説でも映画でもなんでも「海外ではこう書いてあるんだぜ」と日本語訳をみたときそこには必ず訳した人がいるって意識必要です。

例えば英語の"good morning."だって、訳はどんだけでもある。

おはよう」「はよう!」「おはようございます」「良い朝だね!」「今日よろしく」「はよざーっす」「ザぁっす」、どれも正しい訳だけど、話し手雰囲気は変わって見える。日本語だとひらがなカタカナ使い別けから、「ざぁっす」「ザァっす」「ザァッス」でも雰囲気は変わる。あくびしながら「ザァっす」は眠そう。キラキラした目で「ザっす」は元気そう。ァ1文字抜いただけだけど。

本来文脈によってある程度絞られてくるけど(例えば清楚なお嬢様キャラは「ザぁっす」とは言わないだろう)、1文、2文を抜き出して訳すときはどんだけでも幅が出る。

文脈によっては、何もおはよう要素がないかもしれない。誰かにから会いに行ったなら「どうもどうも」とか「すみませんね」と訳せる状況もあるかもしれない。

状況によっては「夜が終わった」とも訳せるかもしれないし、窓を見てれば「陽が昇ってきた」とも訳せるかもしれない。夜通し騒動に巻き込まれストーリーだったら「逃げ切ったね」「終わったか」「助かった」くらいまで意訳できるシーンもあるかも。100億円貰える日の朝なら、「さあゴキゲンが始まるぜ!」になるシーンもあり得る。

大きく意訳するのはなしにして、good morningを「良い朝だ」と訳すとしよう。語尾をちょっとだけ変えてみる。「良い朝だね」「良い朝だぜ」「良い朝だ」「良い朝だよ」「良い朝ですよ」、ほんの数文字変えただけで、シチュエーション性別も変わって見える。

でも、ここまで挙げたすべては、ぜーんぶ、"good morning."から出せる。


先生特にそう

ブルーアーカイブプレイヤーキャラクター"先生"には性別容姿も設定されておらず、プレイヤー自由解釈できるようになっている。だからこのフィルターの影響は大きい。

"先生"は僅かな言行からのみ解釈されるけど、ちょっと女っぽいと言われることもある。この雰囲気に一役買っているのは「~よ」「~ね」を基本にした優しい口調だろう。ちょっとそこらを見てみよう。

"責任は、私が負うからね" ("책임은 내가 져야만 해.")

日本版はこんな口調。ブルアカファンには有名なセリフだけど、まずそもそもこの時点で韓国語版から変わってる。

「야만 해」のニュアンスを入れるなら「私が負わなければならない」なんだから

あいいや、こっから語尾だけ変えてみよう。

"責任は、私が負うから"

少し女性っぽさが薄れただろうか。そうでもないか

"責任は、私が負うさ"

すこしカッコツケを感じる…

"責任は、私が負う"

少し強くなって来た

"責任は、私が負うとも"

より強く聞こえるね

"責任は、私が持つ"

ちょっと毅然とした感じがするね

"責任は、俺が負うよ"

これは語尾じゃないけど、「私」を「俺」に1文字変えるだけで、性別が男に見えてくる。

別に女が俺と言ってもいいんだけど、一種役割語として機能している

"ケツは拭いてやらァ、俺に任せとけ"

おっ、別人だこれ

最後はともかく、ちょっと語尾を変えただけでもう"先生"は変わる。

んで何が言いたいかって言うと、「海外版は別人みたいだ…」というとき、それは別人のように訳してあるのでは?という目線絶対必要だってこと。これは悪い意味では無くて。

例えばこんなのもある。正に同じ文章を、同じ翻訳家が、別の作品で訳しただけなのに、まるで別人のようになる。まあ実際別人なんだけど。1つの文章からコロンボコジャックという全く性格が違う人間ができあがる。

一人の翻訳家が、二つの刑事ドラマで…一つのことばを、二つに訳し分けた(「編集手帳文章術」)

https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/20130409/p2



同じく、「海外先生の口調は怖いらしい…」っていうとき、それは怖いように訳してあるのでは?という目線必要

しかもこれ、「訳してある」とは言ったものの、そこに悪意があるから疑おうという話じゃない(もちろん悪意をこめて訳す人もいるかもしれないが、ここでは違う)。人は無意識のうちにも言葉選択しているから、だから「訳してある」意識必要だと言う話。

もちろん、件のシーンの言葉は実際に強い。なんせ上に書いたように救済不能とまで言ってるんだから間違いなく強い。だから個人だかネット集合知だか分からないけど、訳した人は「強いこと言うんだなあ」と思って、強いように訳したかもしれない。

これは何も悪くない。その人はそういう雰囲気を感じ取ったからそういう日本語が出て来たわけで、決してデマやガセではない。

でもそれを読むときは、韓国語版のテキストだけでなく、フィルターも読んでるという目線は要る。


お前の陰謀を打ち砕く

「救いようがないパラノイア」はそもそもパラノイアって言ってねーって!と思うけど、

これとセットで「お前の陰謀は私が打ち砕く」というセリフも「韓国版は怖い」として広まってる。こっちもちょっと試してみよう。

"너의 음모는 내가 깨부수겠어."

これが「お前の陰謀は私が打ち砕く」くらいの感じで広まってるらしい。

「お前の陰謀は私が打ち砕く」

日本版では「君を、そこから出してみせる」(※そこ=疑心暗鬼の闇)というセリフから全然違うじゃん!韓国語版は怖い!って言うんだけど。

とりあえず、「お前」を「君」に訳してみよう。「너」は状況次第でどっちにも訳せるから間違ってない。

普段先生は「お前」なんて言わないんだから韓国から翻訳しようと思ったとき何気なく「君」を選択する人も多いはずだ。

君の陰謀は私が打ち砕く

ほら、この時点でなんかもう違うでしょ。

너は状況に応じて「お前」でも「君」でもいけるけど、「お前」と「君」はちょっと話し手雰囲気が変わる。

ブルアカプレイヤーの知る先生は生徒を「お前」なんて言わないから、「お前」に訳すだけで激怒してる気がする。

このセリフに限らない。机の上のお菓子を見て「これ、ユウカが買ってきたの?」なんて穏やかな一場面でも、「これ、お前が買って来たの?」にするだけで先生は別人になる。

お前と訳すか、君と訳すか、無意識フィルターがはっきりと機能しているのが分かる。

続ける。

語尾を~よにしてみよう。日本版の先生は~よなんだから比較するなら揃えてみたいよね~

君の陰謀は私が打ち砕くよ

陰謀って言葉はあまりに強いから、ブルアカ温度感に合わせて変えよう

君の企みは私が打ち砕くよ

もうだいぶ印象が変わってきたけど、もうすこし。

韓国と違って日本ではあまり「打ち砕く」は言わない。日本語だと劇的になるからもっとありがちな表現に整えよう。

君の企みは止めてみせるよ

ぐっと変わった気がするけどもう一歩

そもそもこの「企み」はどこから来てるかって、ナギサ疑心暗鬼から来ている。

韓国語版でも疑心暗鬼って言ってるんだから、これは置き換えてもいいはずだ

君の疑心暗鬼を止めてみせるよ

これはナギサ自身を縛り付けている疑心暗鬼を取り払うぞという宣言なんだからもっと直接言ってあげようぜ!!!

君をその疑心暗鬼から救い出してみせるよ

ほら!!日本版の先生っぽい訳が完成~~~!!!

ちょっと言葉がくどいか代名詞に置き換えてみよっか!!

君をそこから出してみせるよ

はい日本版になった~~!!!!!ヒュー!!!!!

終盤は強引だったのは認めるけど、俺は内容そのものは大きく変えてない。意訳だと言える範囲

この方向のフィルターで意訳して、

韓国版は"너의 음모는 내가 깨부수겠어."って言ってるよ。

えーっとつまり…「君の企みは止めるよ」みたいな感じ?」

とする説明ネットに広がっていたら印象は全く変わったろう。「ふーん、言い回しは違うけど、日本版と同じような温度かねえ」ってなったろう。

これが正しいとは言っていない。

これにもフィルターが掛かってるし、「お前の陰謀を打ち砕く」にもフィルターが掛かってる。

韓国語版のニュアンスが強いのは確かだけど、でも俺のフィルターに通すとこうなるんだよ!と言ったとき間違ってはいない。このフィルターウソは入ってないから。

海外文章日本語で読んだとき、そこには必ず訳した人がいる」というのはこういうこと。

日本語で読んでるとき、それは韓国語版だけを読んでるんじゃない。誰かのフィルターを読んでいる。

今回ネットで広がっているフィルターを通すと「お前の陰謀は私が打ち砕く」になる

上に書いたフィルターだと「君の企みは止めてみせるよ」くらいになる。

行くとこまで行くなら日本版と同じになるし、

フィルターを変えればもっとキツい訳だってできる。

念のためいうと、「お前の陰謀は私が打ち砕く」を批判する訳でないよ!正実な訳だと思う。単語ごとに辞書を引いたら間違ってないから。

だけど、辞書に従ったところで、最初にやったように「君」を選ぶか「お前」を選ぶかだけで印象はだいぶ違う。

良い悪いではないけど、無意識にでも「ここは"お前"って感じだな…」と誰かが選ばないと日本語になっていないんだからフィルターがそこにあるのは間違いない。

日本語をみて「そんなに韓国語版は言葉が強いの!?」と思ったときあなた韓国語のテキストだけでなく、フィルターも読んでいるんです!!!!!!それは意識していこうぜ!!!!!!!!!!!


そんで、パラノイアはどこから来たの

話をもどして、パラノイアなんて言ってねーって!!

じゃあパラノイアはどこから来たんだ?

知らん…わかんない…

英語版だと、同じシーンの別の台詞に「I'm not going to waste my time being paranoid.」はある。

このparanoidはパラノイアではないし、直接はナギサを指してもいないし、別の台詞だけど、ここ以外にパラノイアらしき部分がない。

もしかして英語版が韓国語版に混線したのか???

もしそうだとしたら、もう韓国語版がどうこうどころの話じゃなくないか!?!?

意訳しつつ

英語版と韓国語版という違う翻訳

しかも別の台詞

混ざった

…というアクロバット混線なんじゃないか!?!?


単語問題ではないけれど 1

訳には幅があるといったけど、なんでも文章意味は変わらないかって、そうでもない。

訳には幅があるから、의심암귀を「疑心暗鬼」と訳すか、「疑り深い」と訳すか、「人を信用しない」と訳すかはグラデーションになっている。

から「原文では『疑り深い』とは言ってねーって!!!疑心暗鬼だって!!!単語が違うって!!!」なんて俺は言う気はない

拾うべきは文章が伝えたいものごとであって、「疑心暗鬼か、疑り深いか」なんて単語だけにこだわるのは違うと思うから

でも、パラノイア病気名前、お医者さんの使う名前という印象があるので、俺だったら疑心暗鬼からグラデーションとは繋がってないと感じる。

友人に「疑り深いな」は言えるじゃん

友人に「疑心暗鬼だな」は言えるじゃん

友人に「パラノイアだな」は言えないじゃん、そこは壁があるじゃん

パラノイアと言った瞬間に「病気だぞお前、病院行くレベルだぞ」のニュアンスが急に入ってくる。それまで無かったのに!

実際ネットでも、「パラノイア呼ばわりしたの?ナギサ病気ってこと?酷い…」みたいな反応を多々見る

ここで長々とパラノイアって言ってないよ!!!!!愚痴理由も分かるでしょ!?!?分かってくれ頼む!!!

パラノイアと意訳するのは良いと思う。誰かが訳したときフィルターにおいて間違いではないと思うし。

でも言ったか言ってないかなら原文では言ってねーって!!!言ってねーって!!!!!


単語問題ではないけれど 2

行数制限?あるんだね!!!!!

入りきらなかったかちょっとだけだけど続きは別に書くよ!!!

ブルアカナギサに「救いようがないパラノイア」とは言ってない話

「救いようがないパラノイア」なんて言ってねーから!!!!!

って話というか説明をするよ!!!読みたくない人はこの1行だけ持って帰ってくださいね!!!言ってない!!!

これはどうもSNS上で話題になってるらしいことなので、じゃあ増田で言ってどうすんだよって話なんだけど

俺が今からSNSアカウント作っても誰も見ないだろうし、多少は人目につくここで書くしかないんだ…

気が向いたら拡散でもしてくれたら嬉しい

いや拡散しなくていいけど



本題

韓国で開発され日本でも運営されているスマホゲームブルーアーカイブ」。

多くの海外スマホゲーと同様、たまに日本語版と韓国語版の訳の違いが話題になったりする。

まあそれは何のメディアでもある。小説だって映画だってドラマだって字幕派と原語派がいる。ハリーポッター英語で読まなきゃダメだよね~みたいな人もいるじゃん。これは普通

なんだけど今回、先生プレイヤーキャラクター)がナギサというキャラクターに対して、韓国語版では下の2つのセリフを言ったらしいと広まっている。

「お前は救いようがないパラノイアだ」

「お前の陰謀は私が打ち砕く」

2文目はあとで触れるけど、まずパラノイアの方ね。

これ言ってないの!!!!!

日本語版ではそこは「今の君はきっと、疑心暗鬼の闇の中だ」と訳されていて、「疑心暗鬼だよね~、なんか周りが疑わしく見えちゃうよね~」というニュアンスになっている。

ところが韓国語版では「お前は救いようがないパラノイア」だと言ったらしい!!!!なんだと!ナギサ病気だって言いたいのか!!!ひどすぎるだろ!!!日本SNS上で話題になってるらしいんだけど

いや言ってねーーって!!!!!!!!

ちょっと紛らわしいのは「先生ナギサに対して酷いことを言った」のはあってる。

これは韓国語を読まずとも、日本国内で読める日本語版でも同じ(ストーリーは同じなんだから、そりゃそうだ)

そして、韓国語版は更に日本より言葉が強めなのもあってる。

かに酷いことは言ったよ。ここは正しい。

でも「救いようがないパラノイア」なんて言ってないのよ!!!



実際は何といったのか

先生が「救いがたいパラノイアだ」と言ったとされる部分、韓国語ではこういうセリフ

"너는 구제불능인 의심암귀다." 

たったこんだけだぜ!このくらい辞書引けばすぐわかるでしょうよ!!!言ってないことを言ったと思ってる人も読んでみてくれよ!!!

韓国語は語順ほぼ同じで辞書引くだけでほぼ読めるから!!!

ここの의심암귀は正に熟語の『疑心暗鬼』のこと。中国の『列子』に由来するとされる疑心暗鬼のもの

まり解釈可能性はこの後するけど、まず原文で『パラノイア』なんて言ってるかどうかについては議論余地がない。

"너는 구제불능인 의심암귀다." 
"君は、救済不能疑心暗鬼だ。"

パラノイアなんて言ってない。疑心暗鬼と言ってる。

そんで、これを日本語版と比べてみると

"ナギサ、今の君はきっと、疑心暗鬼の闇の中だ。"

ね!!

パラノイアなんて言ってないから、日本韓国も「疑心暗鬼」扱いなのは同じ。そこは日本と違わない。

これが文章だったなら分かるよ。

「君は救いがたいな。何もかも全てを疑った挙句、いもしない敵を自ら作り上げてしまった。今すぐ入院して医学処置を受けるべきだ」とか言ってたなら「うーん…パラノイアって訳しておくか!」となるのも分からなくもない。

でも違うじゃん、의심암귀疑心暗鬼って言ってんの。パラノイアなんて言ってねーんだって!!そんな単語も文もないんだもんって!!

韓国語版が日本語版より言葉が強いのは【救済不能】のほう。

ネットで広まってる言い方なら「救いがたい」のほう。これは実際に言ってるの。これは確かにキツイね。救えねえわって言ってんだからキツイよ。

でもパラノイア言ってないから!!의심암귀はそのまんま疑心暗鬼から!!ナギサ病的だなんて言ってないから!!


意訳じゃないの?パラノイアって疑心暗鬼みたいな物でしょ?と思ったなら

かにパラノイアって単語は無いけど、意訳すればパラノイアでしょ? 疑心暗鬼がひどくなったのがパラノイアでしょ?と思ったあなた

じゃあそれはストーリーがどうこうじゃなくて、韓国語版との違いがどうこうてもなくて、「意訳がどうこう」いう所じゃん!

スタートとゴールが疑心暗鬼で真ん中にだけパラノイアがあるなら、それは韓国語版由来でなく意訳由来では!?

意訳はニュアンス変わるよ。試しに俺が

  • 「君はどうしようもなく疑り深くなっている」って意訳したらむしろ優しくなるでしょ?
  • 「君はどうも疲れているようだ」って意訳したら更に曖昧になるでしょ?
  • 「どうかしてるぞ妄想狂のイカレ女!」って訳したら逆にめちゃくちゃキツくなるでしょ?

どれがより適切かは文脈によるんだけど、原文から100%全くの別物にまではしていない。どれも意訳と言い張れる範囲だと思う。

これは何か恣意的ねじ曲げようってんじゃなくて、俺がどうストーリーを受け止めているかがあって、そのフィルターを通って変換されてる。

決して、パラノイアと訳されたのが悪いとか言いたいんじゃない。人それぞれの読み方があって、人それぞれのフィルターがあるから

だけど「パラノイア」は原文にはなくて、フィルターの中にある言葉じゃないのってのはあるかもなの。

誰か個人の訳なのかネット自然発生したものなのかは分からないし、それについてはどっちでもいい。原因探しじゃなくて、そんなこと言ってないよ!!!重要だし。


訳には必ず訳した人がいるという意識

先に断わっておくと、この項はパラノイアと訳した人が悪いぞ!という話ではないです。

で話に移ると、小説でも映画でもなんでも「海外ではこう書いてあるんだぜ」と日本語訳をみたときそこには必ず訳した人がいるって意識必要です。

例えば英語の"good morning."だって、訳はどんだけでもある。

おはよう」「はよう!」「おはようございます」「良い朝だね!」「今日よろしく」「はよざーっす」「ザぁっす」、どれも正しい訳だけど、話し手雰囲気は変わって見える。日本語だとひらがなカタカナ使い別けから、「ざぁっす」「ザァっす」「ザァッス」でも雰囲気は変わる。あくびしながら「ザァっす」は眠そう。キラキラした目で「ザっす」は元気そう。ァ1文字抜いただけだけど。

本来文脈によってある程度絞られてくるけど(例えば清楚なお嬢様キャラは「ザぁっす」とは言わないだろう)、1文、2文を抜き出して訳すときはどんだけでも幅が出る。

文脈によっては、何もおはよう要素がないかもしれない。誰かにから会いに行ったなら「どうもどうも」とか「すみませんね」と訳せる状況もあるかもしれない。

状況によっては「夜が終わった」とも訳せるかもしれないし、窓を見てれば「陽が昇ってきた」とも訳せるかもしれない。夜通し騒動に巻き込まれストーリーだったら「逃げ切ったね」「終わったか」「助かった」くらいまで意訳できるシーンもあるかも。100億円貰える日の朝なら、「さあゴキゲンが始まるぜ!」になるシーンもあり得る。

大きく意訳するのはなしにして、good morningを「良い朝だ」と訳すとしよう。語尾をちょっとだけ変えてみる。「良い朝だね」「良い朝だぜ」「良い朝だ」「良い朝だよ」「良い朝ですよ」、ほんの数文字変えただけで、シチュエーション性別も変わって見える。

でも、ここまで挙げたすべては、ぜーんぶ、"good morning."から出せる。


先生特にそう

ブルーアーカイブプレイヤーキャラクター"先生"には性別容姿も設定されておらず、プレイヤー自由解釈できるようになっている。だからこのフィルターの影響は大きい。

"先生"は僅かな言行からのみ解釈されるけど、ちょっと女っぽいと言われることもある。この雰囲気に一役買っているのは「~よ」「~ね」を基本にした優しい口調だろう。ちょっとそこらを見てみよう。

"責任は、私が負うからね" ("책임은 내가 져야만 해.")

日本版はこんな口調。ブルアカファンには有名なセリフだけど、まずそもそもこの時点で韓国語版から変わってる。

「야만 해」のニュアンスを入れるなら「私が負わなければならない」なんだから

あいいや、こっから語尾だけ変えてみよう。

"責任は、私が負うから"

少し女性っぽさが薄れただろうか。そうでもないか

"責任は、私が負うさ"

すこしカッコツケを感じる…

"責任は、私が負う"

少し強くなって来た

"責任は、私が負うとも"

より強く聞こえるね

"責任は、私が持つ"

ちょっと毅然とした感じがするね

"責任は、俺が負うよ"

これは語尾じゃないけど、「私」を「俺」に1文字変えるだけで、性別が男に見えてくる。

別に女が俺と言ってもいいんだけど、一種役割語として機能している

"ケツは拭いてやらァ、俺に任せとけ"

おっ、別人だこれ

最後はともかく、ちょっと語尾を変えただけでもう"先生"は変わる。

んで何が言いたいかって言うと、「海外版は別人みたいだ…」というとき、それは別人のように訳してあるのでは?という目線絶対必要だってこと。これは悪い意味では無くて。

例えばこんなのもある。正に同じ文章を、同じ翻訳家が、別の作品で訳しただけなのに、まるで別人のようになる。まあ実際別人なんだけど。1つの文章からコロンボコジャックという全く性格が違う人間ができあがる。

一人の翻訳家が、二つの刑事ドラマで…一つのことばを、二つに訳し分けた(「編集手帳文章術」)

https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/20130409/p2



同じく、「海外先生の口調は怖いらしい…」っていうとき、それは怖いように訳してあるのでは?という目線必要

しかもこれ、「訳してある」とは言ったものの、そこに悪意があるから疑おうという話じゃない(もちろん悪意をこめて訳す人もいるかもしれないが、ここでは違う)。人は無意識のうちにも言葉選択しているから、だから「訳してある」意識必要だと言う話。

もちろん、件のシーンの言葉は実際に強い。なんせ上に書いたように救済不能とまで言ってるんだから間違いなく強い。だから個人だかネット集合知だか分からないけど、訳した人は「強いこと言うんだなあ」と思って、強いように訳したかもしれない。

これは何も悪くない。その人はそういう雰囲気を感じ取ったからそういう日本語が出て来たわけで、決してデマやガセではない。

でもそれを読むときは、韓国語版のテキストだけでなく、フィルターも読んでるという目線は要る。


お前の陰謀を打ち砕く

「救いようがないパラノイア」はそもそもパラノイアって言ってねーって!と思うけど、

これとセットで「お前の陰謀は私が打ち砕く」というセリフも「韓国版は怖い」として広まってる。こっちもちょっと試してみよう。

"너의 음모는 내가 깨부수겠어."

これが「お前の陰謀は私が打ち砕く」くらいの感じで広まってるらしい。

「お前の陰謀は私が打ち砕く」

日本版では「君を、そこから出してみせる」(※そこ=疑心暗鬼の闇)というセリフから全然違うじゃん!韓国語版は怖い!って言うんだけど。

とりあえず、「お前」を「君」に訳してみよう。「너」は状況次第でどっちにも訳せるから間違ってない。

普段先生は「お前」なんて言わないんだから韓国から翻訳しようと思ったとき何気なく「君」を選択する人も多いはずだ。

君の陰謀は私が打ち砕く

ほら、この時点でなんかもう違うでしょ。

너は状況に応じて「お前」でも「君」でもいけるけど、「お前」と「君」はちょっと話し手雰囲気が変わる。

ブルアカプレイヤーの知る先生は生徒を「お前」なんて言わないから、「お前」に訳すだけで激怒してる気がする。

このセリフに限らない。机の上のお菓子を見て「これ、ユウカが買ってきたの?」なんて穏やかな一場面でも、「これ、お前が買って来たの?」にするだけで先生は別人になる。

お前と訳すか、君と訳すか、無意識フィルターがはっきりと機能しているのが分かる。

続ける。

語尾を~よにしてみよう。日本版の先生は~よなんだから比較するなら揃えてみたいよね~

君の陰謀は私が打ち砕くよ

陰謀って言葉はあまりに強いから、ブルアカ温度感に合わせて変えよう

君の企みは私が打ち砕くよ

もうだいぶ印象が変わってきたけど、もうすこし。

韓国と違って日本ではあまり「打ち砕く」は言わない。日本語だと劇的になるからもっとありがちな表現に整えよう。

君の企みは止めてみせるよ

ぐっと変わった気がするけどもう一歩

そもそもこの「企み」はどこから来てるかって、ナギサ疑心暗鬼から来ている。

韓国語版でも疑心暗鬼って言ってるんだから、これは置き換えてもいいはずだ

君の疑心暗鬼を止めてみせるよ

これはナギサ自身を縛り付けている疑心暗鬼を取り払うぞという宣言なんだからもっと直接言ってあげようぜ!!!

君をその疑心暗鬼から救い出してみせるよ

ほら!!日本版の先生っぽい訳が完成~~~!!!

ちょっと言葉がくどいか代名詞に置き換えてみよっか!!

君をそこから出してみせるよ

はい日本版になった~~!!!!!ヒュー!!!!!

終盤は強引だったのは認めるけど、俺は内容そのものは大きく変えてない。意訳だと言える範囲

この方向のフィルターで意訳して、

韓国版は"너의 음모는 내가 깨부수겠어."って言ってるよ。

えーっとつまり…「君の企みは止めるよ」みたいな感じ?」

とする説明ネットに広がっていたら印象は全く変わったろう。「ふーん、言い回しは違うけど、日本版と同じような温度かねえ」ってなったろう。

これが正しいとは言っていない。

これにもフィルターが掛かってるし、「お前の陰謀を打ち砕く」にもフィルターが掛かってる。

韓国語版のニュアンスが強いのは確かだけど、でも俺のフィルターに通すとこうなるんだよ!と言ったとき間違ってはいない。このフィルターウソは入ってないから。

海外文章日本語で読んだとき、そこには必ず訳した人がいる」というのはこういうこと。

日本語で読んでるとき、それは韓国語版だけを読んでるんじゃない。誰かのフィルターを読んでいる。

今回ネットで広がっているフィルターを通すと「お前の陰謀は私が打ち砕く」になる

上に書いたフィルターだと「君の企みは止めてみせるよ」くらいになる。

行くとこまで行くなら日本版と同じになるし、

フィルターを変えればもっとキツい訳だってできる。

念のためいうと、「お前の陰謀は私が打ち砕く」を批判する訳でないよ!正実な訳だと思う。単語ごとに辞書を引いたら間違ってないから。

だけど、辞書に従ったところで、最初にやったように「君」を選ぶか「お前」を選ぶかだけで印象はだいぶ違う。

良い悪いではないけど、無意識にでも「ここは"お前"って感じだな…」と誰かが選ばないと日本語になっていないんだからフィルターがそこにあるのは間違いない。

日本語をみて「そんなに韓国語版は言葉が強いの!?」と思ったときあなた韓国語のテキストだけでなく、フィルターも読んでいるんです!!!!!!それは意識していこうぜ!!!!!!!!!!!


そんで、パラノイアはどこから来たの

話をもどして、パラノイアなんて言ってねーって!!

じゃあパラノイアはどこから来たんだ?

知らん…わかんない…

英語版だと、同じシーンの別の台詞に「I'm not going to waste my time being paranoid.」はある。

このparanoidはパラノイアではないし、直接はナギサを指してもいないし、別の台詞だけど、ここ以外にパラノイアらしき部分がない。

もしかして英語版が韓国語版に混線したのか???

もしそうだとしたら、もう韓国語版がどうこうどころの話じゃなくないか!?!?

意訳しつつ

英語版と韓国語版という違う翻訳

しかも別の台詞

混ざった

…というアクロバット混線なんじゃないか!?!?


単語問題ではないけれど 1

訳には幅があるといったけど、なんでも文章意味は変わらないかって、そうでもない。

訳には幅があるから、의심암귀を「疑心暗鬼」と訳すか、「疑り深い」と訳すか、「人を信用しない」と訳すかはグラデーションになっている。

から「原文では『疑り深い』とは言ってねーって!!!疑心暗鬼だって!!!単語が違うって!!!」なんて俺は言う気はない

拾うべきは文章が伝えたいものごとであって、「疑心暗鬼か、疑り深いか」なんて単語だけにこだわるのは違うと思うから

でも、パラノイア病気名前、お医者さんの使う名前という印象があるので、俺だったら疑心暗鬼からグラデーションとは繋がってないと感じる。

友人に「疑り深いな」は言えるじゃん

友人に「疑心暗鬼だな」は言えるじゃん

友人に「パラノイアだな」は言えないじゃん、そこは壁があるじゃん

パラノイアと言った瞬間に「病気だぞお前、病院行くレベルだぞ」のニュアンスが急に入ってくる。それまで無かったのに!

実際ネットでも、「パラノイア呼ばわりしたの?ナギサ病気ってこと?酷い…」みたいな反応を多々見る

ここで長々とパラノイアって言ってないよ!!!!!愚痴理由も分かるでしょ!?!?分かってくれ頼む!!!

パラノイアと意訳するのは良いと思う。誰かが訳したときフィルターにおいて間違いではないと思うし。

でも言ったか言ってないかなら原文では言ってねーって!!!言ってねーって!!!!!


単語問題ではないけれど 2

最後に、今回なんで「"너는 구제불능인 의심암귀다."/疑心暗鬼の闇の中だ」が話題になっているのかを書いておく。

これはあくまで俺の主観、俺から見たネットしかないけども。

このセリフが世に出たのは21年12月15日。約4年前のこと

anond:20251118124421

実写だと「ディープフェイク」になるからAI問題は別の問題なんだよ

田中一郎」の写像が出てきてしま場合問題だとなるが

R・田中一郎」の場合キャラクター権利はないとかのアホがでるんだ

ホストクラブという邪教

ホストクラブは、ただの散財でも、盲目的な恋でも、ちょっと過激オタク活動でもない。

ホストクラブは、姫とホストを供物とし邪神に捧げる現代の悪しき慣習だ。

※このブログでは便宜上、「ホストクラブ=店」「ホスト=キャスト」として表現する。

ホストクラブはよくない、それはなぜか。

悪い男に騙されるから? 借金をすることになるから? 風俗に堕ちるから

それらは正しいようで全くもって浅薄な指摘だ。

枝葉の問題のみならず、私はホストクラブのもの構造自体を徹底的に批判する。

まず、根本的な勘違いを正す。

インターネットの皆さんは勘違いをしている。

一般層の「なんか怖い」「近づきたくない」これらの感想はほぼ正しい。

だが、何に対しても穿った見方をする皆さんの、ホストクラブへの見解基本的に次の2つの意見二極化される。

ホストクラブへの「冷笑

…「バカな女が金を使いまくっている、そのぶん投資に回せばいいのに」など。

また、「楽観視」

…「私もオタク活動してるから気持ちはわかる」「熱烈な恋にお金が掛かっているだけ」などなど。

このような発信を、インターネットの皆さんなら見かけたことがあるのではないだろうか? もしくは自ら発信した人もいたのではないだろうか。

貢ぐ姫を蔑む「冷笑」と、共感擁護のように見せかけた「楽観視」……このような意見ホストクラブという構造のものに対して本質的に的を射ていない。

冷笑意見への反論から話していこう。

まず、擦り減っているのは姫だけではないということだ。

ホストもまた、金銭を得る代償に肉体を削る。過度な飲酒で荒れる内臓嘔吐によって溶ける歯、そして慢性的睡眠不足

まり大事なのはお金が減ることではないということだ。

ホストクラブに通う姫は得てして過酷労働をしている。皆さんが考えられないような時間を使って、労働に充てている。そしてそのような仕事感染症リスクが高い。健康被害が出るのは当然だ。

次に「楽観視」への反論をする。こちらのほうが重いテーマとなる。

「楽しんでるんだからいいじゃん」という意見がある。

かに楽しい時間が全く無いと言っては嘘になるかもしれない。だが、さきほど話した通り、その裏で姫もホスト想像も付かないほど心身共に摩耗している。

そして、推し活と同じという意見

ホストクラブコンテンツではなく、関係性そのものに対価を支払うシステムだ。そこに搾取構造がある。

また、ホストクラブには姫同士の横の繋がりはない。使った金で競わされ、各々を孤立させる。

キャラクターアーティストへの課金とは異なり、文化のもの再生産性がないのだ。

ホストクラブ悪い男に騙される愚かな女という構図ではない。散財でもなければ、推し活の延長でもない。そこには、頑張る人間を消耗させるだけの構造がある。

ホストクラブという邪教

それは若い男女を供物に捧げる現代の悪しき慣習だ。

だが、そのなかに姫とホストが紡いできた関係があるのもまた事実である。それらの犠牲は儚く、刹那的で、美しいと感じることも否定はできないのかもしれない。

「私には関係ない」は間違いだ。夜の世界に近づく貧困や家庭環境不和はほんの少しの差で、ホストクラブは誰しもを飲み込む魔力がある。そして、人間のものの消費を加速させる装置により、逃れられなくなる。

ホストクラブには行くな!男も女も!

[]混厠

「混厠(混厕)」とは、直訳すれば「男女共用トイレ」という意味だが、中国ネットユーザーゲーマーの間では「男性キャラクター女性キャラクターが両方がいるアニメスマホゲーム」を指すスラングとして、ネガティブ意味で使われるようだ

anond:20251116232014

通知を自動で送るようなことは出来るだろうけど、

そういうことじゃないもんね


ARグラスが普及して、

親近感の湧くキャラクターから声をかけられるとか?

anond:20251118143254

これ、おはなしとしてはよく出来てるんだけど

実際に初代ゴジラ観ちゃったら、あまりにもチャチなんだよね。

いや特撮クオリティが令和基準でどうこうってことではなくて。

ほんもの空襲やら原爆地獄見た人にはこんなのハナホジの極みだろっていう。

やっぱり戦争記憶がどうの核兵器メタファーがどうのじゃなくて

あくま絵空事キャラクターとして斬新だったにすぎないんじゃないかと思える

anond:20251118102816

V豚ですがVtuberコラボって世界観破壊するタイプコラボ共存できているタイプコラボの2種類あると思うんだわ

世界観破壊タイプ作品ストーリー内にキャラクターとして登場して関わってきたりするタイプのやつに多い、というかこのタイプコラボちゃん作品ファンに受け入れられたことある

やっぱVって二次元キャラクター的な側面もあるだけで本質的には生身のタレントと同じだから作品ファンからするとよく知らない芸能人が出しゃばってきてるようなもんなんだわ

最近だとギアスのやつとかがそう

同時に生身のタレントでありながら二次元キャラクター的側面もあるのが悪く作用してるところもある、世界観違うもんが混ざってくるなっていう拒否感ね

元増田のいうガンダム主題歌への拒否感はこっちよりかな?違うアニメキャラ主題歌歌いますってなったらなんでやねんってなるみたいなもんじゃいか?まあこれは元増田がただのアンチなだけな気もするが…

Vtuber面白さって二次元キャラクター的要素と生身のタレント要素の合わせ技だと思ってるけど、だからこそこういうコラボは難しいしV本人のためにも慎重になって欲しいんだがね

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