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はてなキーワード: 享年とは

2025-09-26

無言の帰宅」が使われているニュース

ミスター、無語の帰宅 2025/6

絶対に見なさんな」終戦4日前の大空襲 16歳の兄が無言の帰宅 遺体は無残なほど黒焦げだった 2025/6

石川認知症の妻 悲しき別れ 不明3カ月 無言の帰宅 金沢男性「同じ思い もう誰にも」 2025/5

中山美穂さんの遺体無言の帰宅 2024/12

棺に納められ、36年間住み続けた“わが家”に無言の帰宅となった西田敏行さん(享年76) 2024/10

《7か月を経て…》ハマスに半裸で連行された22歳女性無言の帰宅 2024/5

安倍晋三元首相、無言の帰宅 2022/7

「黙々と実験に打ち込む姿が印象に」…無言の帰宅関係者、涙浮かべ「ただ無念の一言」 2022/4

岡江久美子さん無言の帰宅 獏「こんな形の帰宅になり本当に残念」 2020/4

2025-08-25

京都を盛り上げようとしていた若い人が立て続けに亡くなってんねんけど?

これ言わないほうがいいやつ?

大西里枝さん(おおにし・りえ=大西商店社長)が22日、死去した。35歳だった。告別式は近親者で行う。喪主は夫、裕太氏。後日、お別れの会を開く。

扇子店の4代目。京都暮らし根付文化や慣習をSNSなどで発信し、京都人の本音と建前を伝える「いけずステッカー」のイメージキャラクターを務めて注目された。

https://www.yomiuri.co.jp/local/kansai/news/20250824-OYO1T50006/

 

161 名無しどんぶらこ 2025/08/24(日) 16:33:38.50 ID:BmzkDpBF0

京都を盛り上げようとしていた若い人が立て続けに亡くなってんねんけど?

京都への移住者応援プロジェクト不動産プロデュースをやっていた岸本千佳さんは1年前死去(享年38or39歳)、

築130年の町屋を改造して文化複合施設を立ち上げた宮下拓巳さんは先月死去(享年34歳)

 

なんなんこれ?

 

岸本千佳さん(享年39歳 248月8日没)

古い物件をオシャレに生まれ変わらせる不動産プランナー

京都移住計画メンバー

 

宮下拓己さん(享年34歳 25年7月8日没)

料理人ソムリエレストラン経営

京都岡崎に築130年の町屋リノベーションした文化複合施設オープン

 

大西里枝さん(享年35歳 25年8月22日没)

京都下京区にある京扇子店「大西商店」の四代目代取締役社長女将イベントや展示などを行うスペースとして、町家レンタル事業も行う。

2025-07-12

ブランコ屋根が落ちて死んだの衝撃だったけど

享年44でまだ若かったんなぁ

2025-07-03

弱者男性ほど下方婚しろ!」〜私立弱者男性高等学校の逆襲〜

登場キャラクター紹介(抜粋):

オタメガ・マサヒコ(17

 童貞17年。弱者男性高校の2年生。趣味Vtuberスパチャと三国志。髪はベトつき、眼鏡は曇っている。

 将来の夢は「家族罵倒されない男」。

尊師(そんし)校長享年不明

 「下方婚を愛せ」「上を目指すな、下を極めろ」などの名言を残す謎の人物存在のもの思想

赤羽ナツキ(17

 私立メンヘラ女子学院の3年生。過去に5回メン地下のセンターをやったが、全部クビ。

 「私って……価値、ないよね?」が口癖。メンヘラだが料理うまい

婚活失敗マン先生(45)

 講師20年、交際ゼロ弱者男性のすべての敗北を知るプロフェッショナル

第一章:開校宣言下方婚しろッ!!」

春。

灰色の校舎に、灰色制服

そこに集うは、希望も夢も見ない者たち。

私立弱者男性高等学校入学式

壇上に現れたのは、白衣をまとい、口ひげをたくわえた校長尊師

そして開口一番、怒鳴る。

貴様らに彼女はいない!!」

「この先、モテることもない!!!

「だから――下方婚しろッッ!!」

生徒たちは混乱した。

下方婚

それは敗北の烙印か? それとも、唯一の生存戦略か?

上方婚幻想だ!! 女神は選ばれた者のみに微笑む!!」

「だが、地を這う者には、地を這う者なりの幸せがあるッ!!」

「俺たちは“底辺の神”に愛されるために努力するのだ!!」

こうして彼らの三年間が始まる。

目標はただ一つ――

自分を知り、自分より下の相手と結ばれること」。

第二章:授業開始「戦略的に失礼であれ」

1時間目:婚活戦略論。

「いいか?“優しい男”なんて、最も無価値だ!!」

講師婚活失敗マンが叫ぶ。

「女は“リスク”を取らない!イケメンダメ男なら許されるが、お前らの“優しさ”は値段ゼロ!!」

2時間目:共感ゼロ会話術。

「話を聞くな。質問するな。ただ“俺語り”しろ!」

「“へぇ〜そうなんだ”を繰り返せ。会話が成立してる気にさせろ!」

3時間目:外見戦略

ブサイクでも清潔感があれば戦える? そんなもん幻想だ!!」

「だからこそ逆手に取れ。“俺はブサイク”を武器にして、相手優越感を刺激しろ!!」

生徒たちはメモを取りながら泣いていた。

「ここまで貶されると、むしろ清々しい……」

第三章:文化祭戦場だ「恋愛リアリティ模擬実習」

合同文化祭「LRG」が始まる。

相手は、メンヘラ女子学院

世に蔓延る“地雷”の精鋭部隊

キャバ嬢境界性人格障害SNS依存ポエム投稿女子……まさに「属性地雷オールスター」。

オタメガ・マサヒコの相手赤羽ナツキ。

第一印象は、最悪。

「なんか……目、死んでない?」

「いや……お前も相当死んでるよな……」

だが、不思議と話は合った。

趣味:二人とも“推しに金を捧げる”。

人生観:二人とも“親に失望されている”。

将来の夢:どちらも“愛された記憶が欲しい”。

ナツキは呟いた。

「私さ、ほんとはずっと……下でもいいから、誰かに必要とされたいって思ってた」

その瞬間、マサヒコの心に雷が落ちた。

第四章:愛という名の地雷処理班

文化祭を経て、数組の「疑似カップル」が生まれた。

だが、すぐに問題が出る。

「ナツキが昨日から連絡よこさない!」

浮気? いや、自己嫌悪で寝てるだけだろ……」

「え、彼女が全SNSアカウントを消して失踪!? ……あっ、これ地雷の“本気”や……!」

弱者男性たちは悩みながらも動き始めた。

「俺たちは……こういう地雷しか付き合えないんだよ」

「でも、逆に言えば、地雷を処理できるのは……俺たちだけだ!!」

弱さを知る者が、弱さに寄り添う。

負けたことがある者が、他人の敗北に共感する。

それは、恋ではなく、共依存かもしれない。

だが、マサヒコは言った。

「それでもいい。俺は、誰かの最後選択肢になれるなら、それでいいんだ」

第五章:卒業式弱者男性ほど、愛を知る」

卒業式の日。

再び尊師校長が現れ、最後の言葉を叫ぶ。

弱者男性よ!!」

「お前たちは“勝ち組”ではない!! でもな!!」

勝ち組より、現実を知っているッ!!」

下方婚とは、妥協ではない!!選択だ!!」

地雷を愛する者だけが、真に地雷を超えられるッ!!」

涙を流しながら、生徒たちは社会へ飛び出していく。

相手スペックを問わず自分を受け入れてくれる誰かを求めて。

そして、オタメガ・マサヒコは、赤羽ナツキにプロポーズする。

リングは安物。

でも、彼の声はまっすぐだった。

「俺と、地獄でも一緒にいてくれ」

次回予告:

弱者男性ほど、子育てしろ!」

幼稚園ママたちと戦う日々~

2025-05-30

ワクチン打った祖父が死んだ

享年94歳

大往生である

 

的なことをXにポストしたら

反ワクからワクチン打ってなかったらあと10年は生きた」的なリポストが帰ってきて

逆に困るわバカタレと思いました

今日日本平和です

2025-04-04

癌になるのって交通事故みたいなもんだよな

当たる確率は、遺伝的な要因もかなりあるし、生活習慣などでかなり変動するけれど、最終的には運だよね。

どれだけ気をつけてても、なる時はなるというかさ。

おれの親父は10年前の夏に自覚症状が出て、診断したら末期のスキル胃癌。その年末に亡くなった。享年65。

伯父(親父の5つ上の兄)は、風邪すらひかない元気おやじで、ゴルフ釣りばかりしている超元気な80歳。

伯母(親父の10上の姉)は、70歳くらいの頃に肺炎レントゲン撮ったら肺がんが見つかり、手術と化学療法寛解。ピンピンしている。

なるならなるで、できれば早期発見寛解するパターンだといいなあって思ってるけれど、どうなるかなー。

2025-03-29

叔母

叔母が死んだ。享年60歳。

乳がんだった。

叔母は結婚していたが、子どもがいなかった。

叔母は私が子どもとき夏休み帰省の度にひとつ玩具を買ってくれた。

叔母、叔母って、他人行儀だね。いつも呼んでたように、はな姉って呼ばせてもらうね。

近所のトイザらスで甥っ子・姪っ子4人相手に。

今思うと、小さな額ではないだろう。

ある程度育つと、親戚の集まりではよく料理を作ってくれた。

メヒカリ唐揚げは絶品だった。そうめんの汁にマヨネーズを入れるのは未だに理解できないけど。

運転があるから、と、酒は飲まず、おつまみを作ってくれた。

成人してからは、はな姉にはよく小言を言われた。

女なんだから、給餌を手伝いなさいと。お酒ばかり飲んでないで、と。

その地域は親戚の集まりがあると男性食卓で、女性料理と給餌をする文化が残っていたから、それはその土地では当然なんだけど、

つのまにか、はな姉は怖くて苦手になっていて、長期の休みのたびに帰っていた父の実家への足が遠のいた。

はな姉は犬を飼っていた。犬はいつも毛並みがよくて、人間を疑っていなくて、世界一かわいい自分(犬)は愛されるべき存在だと疑っていないようなふるまいで、いつも食卓人間の横にスタンバイしていた。

葬式3月だったが、雪が降った。

とても寒い日だった。

幼稚園からの幼馴染だという女性2人が泣いていた。

泣きながらも、遺族より動いてくれた。

はな姉は骨になった。ボルト背骨を支えてたから、ボルト火葬場の人がその場で除いてくれた。

はな姉は恰幅がよかったけど、小さくなった。

そんなはな姉は、もう二度と私に小言をいうことはない。

はな姉よ、葬式で聞いたよ。

はな姉が嫁いだ家はそこそこの学者家庭だったんだってね。

当時は、結婚したら子どもを生み育てるのが当たり前だったんだろう。

そのなかで子どもがいなくて、きっと大変なこともあったんだろう。

でも、そんな素振りをみせず、キャリアを築き、ヴィトンのバックを持ちながら、はな姉はいつもかっこよかった。

自分はいま、結婚したけど子どもがいない。

親戚も別に何もいわない。それはもしかしたら、はな姉が築いた信頼によるものなのかもしれない。

はな姉が、子どもがいなくても幸せに、キャリアを築いて、そうして生き抜いてくれたから。

から私は何も言われなかったのだろう。

はな姉、いまなら話ができる気がするけど、はな姉はもういないんだね。

もう少し話したかったよ。

火葬のあと、はな姉のおうちにお邪魔したよ。客間に、四十九日までの祭壇を作るために。

アイアンとウッドのインテリアがおしゃれなお家だね。

でも、キッチンははな姉の好きな赤色だね。

ガラスの飾り棚に、指輪を飾っていたね。歴代わんちゃんたちもそこに並んでいたね。

はな姉の大事ものがたくさん詰まっていたね。キッチンにははな姉が時々かけていた老眼用のメガネがおいてあったよ。

はな姉はもういないのに、はな姉の気配がたくさんあったよ。

ただ、山下達郎好きだったのは知らなかったよ。

あんなにたくさんグッズがあるとは知らなかったよ。ついでにいえば、私も好きだよ。

あー、はな姉、もっと話したかったよ。ごめんね。

どうぞ、安らかにありがとう

2025-02-26

派遣おっさんが亡くなった

昨日、派遣おっさん享年不明)が急逝した。

正直、俺もババア先輩(32)もお姉さん先輩(49)も「えっ、本当に?」と驚いたが、死亡届も出されており、会社連絡網でも正式訃報が回った。

「いや、あいつが死ぬとか想像つかないんだけど…」と言いながらも、俺たちは黒いスーツに身を包み、お通夜の会場へ向かった。

葬儀場には会社人間も集まり、皆しんみりと故人を偲んでいた。

おっさん、意外と愛されてたんだな…」と俺が呟くと、ババア先輩も「まあ、憎めないところあったしね」としみじみ頷く。

遺影を見ると、いつもの少しふてぶてしい顔の派遣おっさんが写っていて、なんとも言えない気持ちになった。

そして、いよいよ焼香の時間

俺たちは順番に手を合わせ、「まあ、なんだかんだでお世話になったよな…」と心の中で語りかけた。

しかし、そこで異変が起こった。

「……おい、なんか苦しいんだけど」

え?今なんか聞こえたか?と思った次の瞬間、棺桶の蓋がバンッ!と勢いよく開いた。

会場が騒然とする中、なんと派遣おっさんがむくりと起き上がったのだ。

「……あれ?みんな何してんの?誰かのお通夜?」

いやいやいや、お前のお通夜だよ!!

俺たちはパニックになり、遺族も葬儀屋も「こんなことある!?」と動揺しまくり。

しかし、派遣おっさんはキョトンとした顔で「なんかよく寝たわ」と大あくびかましている。

「いやいやいやいや!お前、死んでたんだぞ!?」とババア先輩が叫ぶと、

派遣おっさんは「あれ?そうなの?でも、腹減ったな…通夜ぶるまい、俺も食っていい?」と普通に席に着こうとする。

流石にこれは現実か夢かわからなくなってきたが、最終的に医者を呼んで確認してもらったところ、

「えーと……心肺停止していたのは確かなんですが、何かの拍子で蘇生した可能性がありますね…」と説明され、結局「一度死んだけど復活した」という謎の結論に至った。

その後、派遣おっさんは何事もなかったかのように通夜ぶるまいの席で寿司を頬張り、

「やっぱ、こういう場ではしめ鯖が一番うまいな!」と満足げに語っていた…。

帰り道、ババア先輩が「マジでお前とはもう一生関わりたくない」と震えていたが、派遣おっさんは「でも、一度死んだらもう怖いもんないよな」と妙にポジティブな顔をしていた…。

2025-02-13

田中太郎さん(享年562歳)を偲ぶ

田中太郎さんが562年の生涯を閉じました。文字通り時代を超えて活躍した伝説人物として、多くの逸話を残しています

田中さんが生まれたのは室町時代とも、それ以前とも言われています。本人曰く、「気づいたらこの世にいた」とのこと。幼少期から歴史重要人物たちと交流を持ち、織田信長には「お前は生きすぎだ」とツッコまれ坂本龍馬には「いつの時代の人なんですか?」と真顔で聞かれたとか。

戦国時代には「戦わずして勝つ」戦略を編み出し、大喜利で敵将を笑い倒す戦法を確立江戸時代には落語の原型を作ったと言われ、幕府公式エンターテイナーとして活動しかし、あまり長生きしすぎて、明治政府には「そろそろ引退しては?」と打診されるも、「時代が俺を求めている」と拒否

大正時代には映画界に進出し、無声映画なのにアドリブでしゃべりまくるスタイルが物議を醸す。昭和に入るとテレビに興味を持ち、「そろそろ俺もレギュラー番組を持つべき」と言い出したが、放送局側が「500歳の新人はさすがに…」と断る。平成バラエティ番組には「レジェンド枠」として出演し、令和ではVTuberデビュー検討していたらしい。

生涯で数え切れないほどの名言を残した田中さんだが、最後の言葉は「また来世で」。次に生まれ変わるのは何年後か、歴史はまた新たな伝説を待つことになる。

2025-01-20

ばあちゃんが死んだ。

ばあちゃんが死んだ。

僕の40の誕生日の前日に死んだ。

享年95歳の大往生

葬式など諸々終え、家に帰ってきて、やっと落ち着いたところ。

今の心情を自分自身でもいまいち掴みきれてないので、書いてみる。

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親族のみの葬式

とにかく人が多かった。

からない親族が多い。

子ども4人、孫12人、ひ孫19人、子どもや孫の配偶者、ばあちゃん兄弟、その子、その孫。

サマーウォーズより多いんじゃね?

ばあちゃんは寺の娘だったので、親戚には坊さんがいる。

3人の坊さんが経を読む。

坊さんはばあちゃんの甥、坊さん含め親族のみの葬式

先頭で経を読んだのは、ばあちゃんの甥の中で一番下の甥。

通夜葬式はひ孫達が騒ぐ騒ぐ。

ばあちゃんも坊さんも許すから全然オッケー。

ゆるい良い葬式だった。

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経を読み終えたタイミングで謎のフルート演奏

から聞いたのだが、斎場サービスらしい。

完全に場違いフルートに、皆ポカーンとし、奏者も可哀想だな…と思いつつ聴いて、葬式を終えた。

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親族の中でも近い人だけ火葬場へ。

僕も火葬場に向かった。

棺を焼く前に経を読み、最後挨拶

普通と違ったのは、坊さんも参列者と同じように、最後に声をかけた。

一番下の甥の坊さんは泣いていた。

僕は泣けなかったからか、何か知らんがそれを見て僕自身が救われた気がした。

その後棺は焼くことになり、焼けるまで1時間程度待つことになった。

後で聞いたのだが、そのドサクサに紛れて義理の息子である親父は泣いていたらしい。

なんでやねん

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孫の中で僕は上から2番目。

年長の孫であるいとこ、一番下の甥の坊さん、3人で話をした。

最初に、一番下の甥の坊さんに、フルートの時プルプルしてたから泣いてたかと思ってたらアレ笑いを堪えてなかった?とツッコむところから話は始まった。

坊さんあるあるとか色々話をしたあと、当然ばあちゃんの話に。

ばあちゃんの話になると必ずゲームの話が出てくる。

ばあちゃんがいつからゲームやってたのか、とか、何故やってたのか、とか、どんなゲームをやってたのか、とか色々話した。

俺の初めてゲームはばあちゃんお下がりディスクシステムのやつだった、パチンコにハマってたから抜け出すために息子(僕から見ると伯父)が買った、そういえばパチンコにハマってた時期もあった気がする、その前はルービックキューブだったらしい、俺が持ってないPS4とか持ってたぞ、ゲーム好きだったけど上手いわけじゃなかったかレベルアップでのゴリ押し結構多くて1セーブプレイ時間400時間とか700時間だったぞ、、、。

僕らは子どもの頃に話して以降30年近く話をしてなかったが、話題は尽きなかった。

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あっという間に、時間が過ぎ、ばあちゃんは骨になった。

なんというか、あっけなかった。

色々終わって帰ってきた、子どもらも寝かしつけ、一息ついたのが今。

微妙に落ち着かずふわふわする感じがあったので、消化するために文章に残すことにした。

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ばあちゃんがどんな人だったのか。

性格キャラ的なものを今風に言えば、天然系、不思議ちゃん、なのに、生命力強い、どんな環境でも楽しんで生きる、そんな感じ。

やたら印象に残る言動をする人だったので、ばあちゃん話題には事欠かない。エピソード力が強い人だった。

何故か鞄を持ち歩かず、ショルダーバックくらいの袋に荷物を詰め、そして下着の胸の辺り、ちょうどブラのパッドのあたりに、その袋を縫いつけ、小太りというか巨乳に見える感じになっていた。

何かを出す時は胸元から出すことになるが、昔は服の中に手を突っ込みゴソゴソして荷物を取り出してたが、そのうち上手く取り出せないからと、半分脱いで取り出すようになった。

普通に外でもそれをやるようになったので、買い物行く時は子どもや孫の誰かが連れていき、事前に財布を預かって、ばあちゃんの財布から支払う、というのが慣習となった。

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そういえば、ばあちゃんから直接昔の話を聞いたことはほぼなかったことに気付いた。

年寄りは昔話が好きな印象あるけど、ばあちゃんから思い出話をほとんど聞いたことない。昔手に入れた意味分からん謎のハックテクニック、を教えてもらえる程度。こちらの心配する、子どもや孫など周りのこと、ゲームのこと、とにかく今の話しかしなかったからかもれしない。

でも、ばあちゃんの周りからは、ばあちゃんの今まであったことはよく聞いた。

ここからのばあちゃんの昔の話は、皆の話の集合での話なので、何が本当なのかは分からない。

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ばあちゃんは、山奥の陸の孤島のような村にあるお寺の娘だった。

それが若い頃、じいちゃん駆け落ちで峠を越えた、と聞いた。

結果、じいちゃんが良いとこの人だと分かり、許してもらい帰ってきた。昔っぽい。

あとで聞いたのだが、じいちゃんバツイチ寡夫?だったらしく、ばあちゃん結婚した当時、ばあちゃん20、じいちゃんは44。そりゃ反対するわな。

それに加え、じいちゃんを知るであろう寺近くの老人達から稀にじいちゃんの話を聞いたことがあるのだが、どれも掴みどころがない。水墨画を描いてた、木こりだった、スキー板を作って売ってた、馬に乗って駆けてた、等々。皆のいうことが毎回違いすぎて何をしてた人なのかがマジでからない。今で言うフリーターだったのでは、と思ってる。

その後、ばあちゃん子どもを4人産んだが、3番目の子である僕の母が4,5歳のときに、じいちゃん結核で死んだ。

ばあちゃん身体を壊し、病院入院

生活ができないので、子どもらは、伝手のある寺が運営する児童養護施設生活することに。

何年かそんな生活が続き、長男(僕から見れば伯父)が中学卒業してすぐ働き始め、生活ができるようになったので、ばあちゃん兄弟らを集め、また一緒に生活し始めた。なんという「ひとつ屋根の下」。(ひとつ屋根の下、当時母はめっちゃハマって見てた)

その後しばらく経ってから長男は僕の母を除いた兄弟とばあちゃん自営業を始めた。

ここから人生に関しては、ばあちゃんにとって比較順風満帆人生だったと思う。

たぶん。

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僕はばあちゃんに一番可愛がってもらった孫だったように思う。

ばあちゃんファミコンをやるひざの上に乗ってたのが僕だった。

おかげで、僕は立つのより早くゲームをやっていた。

ある程度大きくなると、ばあちゃんの家によく泊まりに行った。

今思えば理由は単純で、高橋名人名言ゲームは1日1時間!!」を家では親が守らせようとするが、ばあちゃんの家では、朝から晩までゲームをやっていても怒られない。

ばあちゃんも、ゲーム攻略に詰まると、孫を積極的に呼んで、攻略方法を聞いたり、分からなくてもプレイしてやってみてくれとせがんだ。

僕が一番可愛がられたが、他の孫達も顔を出せば、同じように攻略をせがまれたので、孫らは皆ばあちゃんとみんなゲームをした経験が一度はあるように思う。

息子(僕から見て伯父)の自営業職場とばあちゃんの家が一緒になっていて、ばあちゃん生活は、昼間は働き、ご飯風呂趣味の畑仕事、残った時間はほぼゲーム、が大半だった。

昔はマリオとかアクションをよくやっていたが、途中からドラクエFFといったRPGが好きだった。

先にも書いたようにゲームやるからといって賢かったり上手かったりするわけじゃなかった、いわゆる下手の横好きだったので、とにかく朝から晩までゲームをし、攻略ノートを作ってメモをし、自分攻略ノートを見ながらプレイしていた。

何度も何度も飽きずにトライエラーを繰り返しまくるので、ばあちゃんセーブデータは、装備やアイテム微妙なのに、レベルが異常に高いことが多かった。

おかげで、途中からやった僕ら孫たちは、ばあちゃん説明するハマりポイントをひと通り振り返ったあと、装備を整え、ちゃんゲーム内の説明みてやれば、案外すんなり先に進めた。

ゲームをやるとばあちゃんから駄賃がもらえた。

ばあちゃんの駄賃は、できるだけゲームにつかった。

他の孫たちもゲームプレイし終わったら、中古屋でなく、ばあちゃんゲームを流した。

ばあちゃん自分ゲームを買っていた印象がほぼないが、とにかくばあちゃんの家にはゲームがたくさんあった。

ベッドの下の収納ボックスには、ソフトがギッシリ詰まっていた、

初代ファミコンスーパーファミコンPSPS2、64、ゲームキューブ、xbox…僕も大きくなるにつれ頻度が減り、就職地元を離れてからさらに頻度が減ったので、僕の知らないゲームハードもありそう。

見た記憶では、古いハードソフトはなかった気がするので、時折捨ててたのかも。

孫らで集まって話をした際に出てきたゲームタイトルは皆違ってた。

FFドラクエテイルズスターオーシャンゼルダ武蔵伝、等々。

ばあちゃんの妹の孫とかい若い男の子も来てて、ばあちゃんとのゲームの思い出話をしてたのは驚いた。

それもあって、親族のみの家族葬だったのに、縁のある親戚までも集まり、やたら人数の多い通夜葬式になった。

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ばあちゃんの僕の可愛がり方、溺愛ぶりはちょっとすごかった。

親戚一堂からは、溺愛しすぎて恋人みたいだ、と笑われていた。

義理の息子である親父もかなり溺愛してたので、本物の息子一堂から、本物の息子より息子してる、と親父も笑われていた。

ばあちゃんは、下駄が好きでよく履いてたのに、胸元に袋が入っていたから、ハキハキ歩くことができず、ペンギンみたいな歩き方になっていた。

不安定ゆっくりな歩き方だったので、当然荷物はまともに持てないし、隣を歩く僕の服の袖のあたりをつかんだりすることが多かった。

僕がいない時は、親父が並んで服の袖をつかまれていた。

僕や親父はその認識だったのだが、妹いわく、妹と一緒だと、不安定な歩きのままズカズカ先に歩いて荷物を持ってる妹に早く行くぞと先行してく、僕や親父の前だと猫を被ってる!!男尊女卑だ!!と愚痴っていた。

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孫らから流れてきたゲームで躓くと、当然元々ゲームの持ち主の孫に攻略を聞くことが多かった。

ひとつ印象に残っているのは、FF 10

平原マカラーニャの森あたりにいて、攻略手伝って欲しいからと、泊まって欲しいと、ばあちゃんにせがまれ、泊まることになった。

一緒にプレイし、ご飯も食べ、風呂も入り、寝る前にもう1プレイ

ちょうどそこで、マカラーニャの森の超ロマンティックなラブシーン。

当時、高校生だった僕は、真夜中に部屋を暗くして、ばあちゃんと並んで何観てるんだろう……と絶妙な気分になっていた。

ふと、横目でばあちゃんを観ると、キラキラした目で、★★素敵★★みたいなリアクションで、滅茶苦茶一生懸命みてたので、まぁいいか、と諦めにも近い気持ちになった。

その後少し経って、新しい孫がまた産まれ、ちょうどその孫の名前FF10ヒロインと同じ名前だったので、滅茶苦茶喜んで良い名前だ、と褒めていた。

葬式最後フルートが、美空ひばりの「川の流れのように」だったので、「ザナルカンドにて」をかけてあげれば良かったのにな、とフルート演奏を聴きながら、このことを思い出していた。

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葬式の参列者の話などを聞くに、僕がばあちゃんのところにあまり行けなくなった後も、他の親戚やゲームの関わりもあって、楽しくは過ごせていたようだった。

それが、6年前、真夏の早朝に、もうひとつ趣味であった畑仕事の途中で、脳卒中で倒れ、近くの通行人発見され救急車で運ばれた。

ばあちゃんは、脳死状態になった。

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主治医や長年お世話になっているかかりつけ医によると、意識回復する可能性は万に一つもない、そんな状態とのことだった。

ばあちゃんは、これまで大病患って、入院して死にかけたことは何度かあった。

入院のなか、どうしても回復傾向が見られない、という状況になってから、僕に連絡が来て、急遽地元に帰ってお見舞いに行くと、ばあちゃんゲームの話になり、そういえばプレイ中だったあのゲームの続きがやりたい、早く治して退院せねば!!と急にやる気になって、そこから超回復、という展開があった。

今回は流石にダメそうだった。

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流石にばあちゃんももう90だったので、そういう覚悟をしておかなきゃ行けないことは分かっていた。

病院に見舞いに行った際、分かっていても、それがただ寝ているようにしか感じられなかった。

手術のあとに寝てます、みたいな感じで、ただ寝てるだけ。

もう起きることは無いのに、そんなふうにしか感じられなかった。

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僕がその後ばあちゃんの顔を見れたのは、少し経って、ばあちゃんの家で介護するようになってからだった。

ばあちゃん介護に行く母について、ばあちゃんの家に行った。

病院よりも設備簡素になったためか、ああ、これは本当にもう目覚めないんだな、と今さらながら実感した。

そんな中、母はばあちゃんの世話をしながら、前よりちょっと良くなったとか、こうやってやると反応する、など色々話をした。

もう目覚めない、と分かると同時に、まだ生きてる、とも感じられる。

死んでるのだが、生きてる。

ばあちゃんが死んだと聞いて、葬儀の一連の流れを終えた今、本当に死んだ今この時よりも、あの瞬間が正直しんどかった。

今、思い出すだけでも、心が重い。

死が突きつけられるのに、世話をすればちゃんと生を感じられる。

その中で世話をし続けられるのか。

母すごいな……と。

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あとは死ぬだけ。

それを受け入れるための有余の時間が与えられた感じだった。

ゲームができない、楽しみに一生懸命になれないばあちゃんは、ばあちゃんなのか。

身体なのか、脳なのか、心なのか、それとも人格なのか、習慣なのか。

生と死に対することをぼんやり思いにふける。

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そういえば、ばあちゃん霊感が強い、というのがもっぱら周りの評価だった。

悪霊や死んだ人が見える、というより、死ぬ寸前の人が魂だけになって飛んでいるのを虫の知らせのような感じで分かるのだ、とか。

それで、遠方や疎遠になった知人の安否を確認し、それを当てることが多かったので、霊感が強いとされていた。

稀に、じいちゃんが迎えに来ると、まだやりたいことがあるから迎えに来んどいてくれーー!!と必死にお経を読むことがあるのだ、とか。

僕は実際にどの話にも立ち会ったことは無いが、確かにばあちゃんはその辺りの勘が冴えているような雰囲気があった。

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ばあちゃんの話を信じるとすると、脳死のばあちゃんには、ばあちゃんはいないことになる。

ばあちゃんがどこに行ったかは分からないが、ばあちゃんは生きているが死んだ。

あとは身体死ぬまでに、その死を受け入れてくしかない。

幸い、受け入れるまでの時間を6年も貰ったので、ばあちゃんの死、葬儀はなんとか受け入れることができた。

コレがポックリいかれていたら、悲しすぎてどうなっていたか想像できない。

正直助かった。

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心の準備は整えていたとはいえ、僕の誕生日の前日に亡くなり、僕の40歳誕生日がばあちゃん通夜になるとは、流石に予想つかなかった。

何もできないはずの死ぬ瞬間まで、印象を残す人だった。

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ばあちゃんの教え、みたいなのは、本当に全然覚えてないのに、ばあちゃんとの思い出はたくさん出てくる。

老人介護おむつを買いに行った際には、コレ凄く便利でトイレに行かなくても良いかゲームができる!!とドヤ顔したり……

我が弟が母の付き添いでばあちゃんの買い物に付き合うため家に呼びに行ったら全裸ゲームしてたり……(前日夜風呂上がりに服着替える前にゲームをやり始めたら止まらなくて翌朝までやり続けていたのが真相

僕がいとこと一緒に富士山近くに旅行した際、いとこに「富士山のかけらだ」と言って渡したそこら辺に落ちてた溶岩石が、何故か数年後ばあちゃんちの神棚に飾ってあり、いつの間にか凄い石だとして御神体みたいになってたり……

なんかあり過ぎて、もう思い出せない。

でも、何かあるたび、何気ない面白かった思い出が掘り返される。

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自身もばあちゃんと同じく、子どもが4人いるので、悲しみに暮れている暇はない。

悲しくてしんどい、みたいな感覚はないのだが、なんか気持ちふわふわして落ち着かず、何かにつけてやる気が起きない。

この文章も、このままではいけないと思いを決して、何度かに書き分けながら、書き進めている。

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やる気がでないので、ぼーっと異世界転生ものアニメを観ても、ばあちゃんだったらマジで異世界にすら行きそうだな、行ってて欲しいな…と想像してしまう。

ココまで書いた文章自分でも振り返ってみると、ばあちゃんの最大の教えは楽しむこと、それ自体のような気がしてきた。

から初七日とか四十九日かに法要やるってことは、亡くなってからそれくらいの日数はこの感覚は抜けないのかもしれない、と諦めることにした。

とりあえず楽しめるようになるまで、このままぼーっとふわふわすることにしよう。

2025-01-11

家族みんな死んだから記録残す

登場人物

父方祖父母 享年不明

祖父タバコやり続けたせいで肺が真っ黒になって病室で死んだ。祖母は1人で余生を楽しんである日眠ったまま死んだ。一番いい死に方した。白蘭の匂いがする、肌が白い人だった。

母方祖父母 享年不明

アルツハイマー発症施設に入ってから祖父叫び続ける同室の人のせいでノイローゼになって食事拒否食事拒否してミイラみたいになって死んだ。ぽっかり空いた口の中がパサパサだったのが目に焼き付いててトラウマ祖母満腹中枢が壊れてバクバク食べてニコニコしながら死んだ。よかったね。

父 享年54歳

冬の夜酒に酔ってる時車に乗って、エンジン暖房かけたまま寝て死んだ。一酸化炭素中毒?よく知らん 両親が離婚してから会ってなかったし。

母 享年55歳

自分の両親を介護しててノイローゼ気味になって2人を施設に入れたもの祖父が劣悪な環境のせいで弱って死んでいったのを自分のせいだって責めてある日川に浮かんでた らしい 現場見てないけど。警察に膨れ上がった顔見せられてお母さんで間違い無いですか?って聞かれてはいって言った 本当は違う人じゃないかなって思ってた 春になる前の暗い空の日だった。

姉 享年35歳

母が亡くなってから家売って遠くに行ったんだけど自然派にはまってシャンプー手作りとか飲尿とかし出して、そのうち体調悪いのに病院に頼らず自己治癒力で治すとか言い出して結局菌が心臓に入って死んだ。

今年でわたしが年上になる。

弟 享年26歳

グレてヤンキーになって、更生し始めた頃バイク事故で死んだ。スピード出した右折車に撥ねられて首の骨が折れて一瞬だった らしい。苦しくはなかったそうです。よかったね。

文鳥 いくつだったのかな

弟が飼い出してわたし押し付けてきた。

白くてすべすべで丸くなるとフワフワになる生き物だった。ある日横になったまま動かなくなってた。死んでもすべすべできれいだった。よかったね。でもおいてかないでよ。

身バレ防止で年齢含め多少フェイク入れてるけど大体事実

わたしが死んだらわたし家族いたことをもう誰も覚えてくれていなくなるから、誰か覚えていてくれると嬉しいな。

Google検索オワコンになった

どういうことかというと、各自やってみてもらった方が早い。

例えば、今まで知りたいことについて知りたかったらGoogleでどういう風に調べてた?

キーワードに「長嶋茂雄 享年」みたいに書いてたんじゃないかな?

これをXの無料AIのGrokにそのまま入れる。

そうするとすぐ回答が返ってくる。

2025年1月11日現在情報では、長嶋茂雄氏の死去に関する確かな情報享年についての公式発表はありません。したがって、彼の享年について言及することはできない状況です。」

そう。長嶋茂雄はまだ死んでなかった。

 

これがGoogleだったら、「調べてみました。結果、わかりませんでした。いかがでしたか?」みたいなブログがわんさか出てくるわけ(おそらく)

まりね、AI無料になった現在では、Googleを使うなんてまだるっこしいことしないのよ。

例えば、欲しい商品情報も、Grokに聞けば売ってるサイトポストリンクしてくれて詳細まで教えてくれるから

 

これからSEOじゃなくて、AI最適化しないとダメってこと!

2024-12-31

韓国大統領の「悲運」強調されすぎ問題

名前享年死因備考
李承晩90歳病死独裁ののち失脚、アメリカ亡命
尹潽善92老衰
朴正煕61歳暗殺クーデターを起こして独裁を行う。腹心によって暗殺
崔圭夏87歳老衰
全斗煥90歳病死クーデターを起こして独裁を行う。退任後、収賄虐殺などで死刑判決、のちに特赦
盧泰愚88歳病死退任後、収賄軍人時代虐殺などで懲役判決、のちに特赦
金泳三87歳病死
金大中83歳病死
盧武鉉62歳自殺退任後、収賄疑惑をかけられて自殺
李明博(82歳)存命退任後、収賄により懲役判決、のちに特赦
朴槿恵(72歳)存命在任中、友人による国政介入問題で弾劾・罷免され、懲役判決、のちに特赦
文在寅(71歳)存命
尹錫悦(63歳)存命現職。

見てのとおり早死にしているわけではなくむしろ長生きが多い。

80歳以下で亡くなったのは暗殺された朴正煕自殺した盧武鉉のみである

民主化前は、そもそも不安定軍事独裁政権であり、悲運とかそういう以前の話だろう。

民主化後も、たしか収賄問題は多いが、

文民政権金泳三以降)で実際に有罪判決を受けたのは李明博朴槿恵だけではあるし、

すぐに特赦を受けているのでずっと獄中のわけでもない。

面白おかしく「悲惨な末路!」「非業の死!」みたいなことを言い過ぎではないか

2024-12-19

ナベツネ永遠に生き続ける

渡辺恒雄氏が亡くなった。享年98歳。

ナベツネは、魍魎の匣のように、読売新聞東京本社と一体化して永遠に生き続けるものだと思っていた。

読売新聞永久主筆として、読売新聞が存続する限り生き続けるのである

東京読売巨人軍終身名誉監督たる長嶋茂雄氏も東京ドームと一体化し、読売巨人軍が存続する限り永久に不滅である

偉大なジャーナリストである渡辺恒雄氏よ。安らかに眠れ。

2024-11-19

anond:20241118074251

愛猫享年5歳)を悪性リンパ腫で亡くした元飼い主だけど

生きて欲しいと抗がん剤や投薬を頑張って貰っても

飼い主のエゴで怖い通院、入院で辛い思いさせただけだったのかな

と思いながら家で涙して看取った二ヶ月だった

2024-11-16

anond:20241116075901

長安の豪奢な生活生前から有名で、『当代記』にその旨が幾つか書かれている。例えば毎年鉱山巡視の際には、遊女70~80人等を含めた250人(伝馬人夫は別)を引き連れ、宿所も自身代官所故に思うままの造作をしたとあり、路中の民は迷惑したとある

家康がこのような長安の振る舞いをどの様に捉えていたか不明である。『駿府記』『当代記』より後に編纂された『慶長年録』によれば、家康長安の振る舞いを知っていたものの、長安が有能なため捨て置いて死後になって罪に問うたとされる。

また同書には、大久保忠隣本多正信の不仲故に、正信が長安の死後に家康へ讒訴したともある。後者は『徳川実紀』にも引き継がれ、長安事件は忠隣改易も含め家康意志によるものではなく、正信・正純の讒言が主因としている。

一切の奉行職を兼務していた長安の権勢は強大であったと言われる。また、7人の息子を石川康長や池田輝政の娘と結婚させ、忠輝と伊達政宗の長女・五郎八姫の結婚交渉を取り持ち、忠輝の岳父が政宗となったこから政宗とも親密な関係を築いていたと言われている。そのため、その権勢や諸大名との人脈から「天下の総代官」と称された。この頃、長安の所領は八王子8,000石(実際は9万石)に加えて、家康直轄領の150万石の実質的支配を任されていたと言われている。

しか晩年に入ると、全国の鉱山からの金銀採掘量の低下から家康の寵愛を失い、美濃代官を初めとする代官職を次々と罷免されていくようになる。さら正室が早世するなどの不幸も相次ぐ中で、慶長17年(1612年)7月27日中風にかかり、家康から烏犀円を与えられている(『駿府記』)[6]。慶長18年(1613年)4月25日中風のために死去した[7]。享年69。

長安の死後に生前不正蓄財が問われ、また長安の子は蓄財の調査拒否したため、慶長18年(1613年)7月9日大久保藤十郎大久保外記青山成国、大久保雲十郎、大久保内膳、大久保右京長清(越後在住)、男1人(播磨在住)[8]、以上7人は切腹となった。また大久保忠隣や縁戚関係の諸大名も改易などの憂き目にあった(大久保長安事件)。

2024-11-03

id:Apemanがくたばった

はてサの重鎮id:Apemanこと能川元一が死んだらしい。

結局、死ぬまで非常勤だったな。

https://x.com/Itikawa_Ziroo/status/1851975821722030279

週刊金曜日11/1 編集長後記「哲学者大学非常勤講師の能川元一さんが6月に亡くなっていたことが最近わかった。享年58歳、心不全だった」

おれと同い年。そりゃそうだ。西宮市立平木中学校1年の時の同級生

2024-10-31

坊主清吉は実在していた。

江戸時代盗賊享年30。

処刑前に辞世の句を詠んだ。

鬼平犯科帳にでてくるので、架空人物かと思ったら、モデルとして実在していた。

2024-09-23

anond:20240923175033

小さい頃から人付き合い悪くて、中高のタイミングで既に彼女いない歴享年確信してたから、嘘つくインセンティブが無いと思われる早い段階でやることやってるんだよって所を見せておきたかったんだよね。

コミュ障の息子が30歳になっていきなり現実性のない女の話ししだしたらキモいじゃん。

2024-09-10

おじいちゃん愛人がいた件

私は父方の祖父母と同居していた。三世住宅

おじいちゃん(ここでは便宜的に太郎おじいちゃんとする)はスリムかつ長身スポーツもでき、顔もまあまあハンサム。多趣味

かっこいいおじいちゃんだなと思っていた。

冬には、よくコンビニ肉まんあんまんを買ってきてくれたのも懐かしい。


で、そんな太郎おじいちゃんが1年間の闘病生活を経て亡くなった。

享年72歳。

太郎おじいちゃんが亡くなったことは悲しかったが、1年間の闘病生活を経て、おじいちゃん死ぬことを受け入れる準備ができていたので、無事見送ることができた。


話はそこから飛んで15年後。

母と私の2人で、昔話をしていたとき

(私はもう成人して社会人

母がふとこう話し始めた


「そういえばね。太郎おじいちゃん亡くなったでしょ。実はおじいちゃんには愛人らしい人がいたの。

おじいちゃんとおばあちゃんは仲が悪くて、おじいちゃんはできるだけ家にいたくなかったみたいで色々と趣味をしてたのだけど、

その趣味社交ダンスでどうやら知り合ったみたい。どれだけ長い付き合いだったか知らないけど。

まあ、おばあちゃん性格ねじ曲がっているからね(注:私の母とおばあちゃんは仲が悪い)。

それでね、私はおじいちゃんが亡くなる少し前に病院に呼ばれて、

封筒と、宛名と住所が書かれた紙を渡されて、「封筒郵便で送ってもらえないか」と言われたの。

名前は知らない女性名前で。私、そのとき、この宛先の人はおじいちゃん愛人だと直感したの。

だってそうでしょ。もし愛人でもなければ、私じゃなくて、おばあちゃんや、お父さん(私の父、おじいちゃんの息子)に頼んでいたはずでしょ。

自分奥さんと息子にはきっと伝えたくなかったのよ。

それで、私は余計なことは言わずに「分かりました」といって封筒宛名を受け取り病室を出た後、こっそり封筒の中を見たら、封をした手紙お金10万円くらい?入っていたの。

それを厚手の封筒に入れて送ったのよ。

で、それから何か月かして、おじいちゃんが亡くなったでしょ。

おじいちゃん地元友達やら知り合いやら多かったから、参列者の数すごく多かったじゃない。

で、参列者の席の後ろのほうに、60代くらいのきれいな女性がきて、私の目を見て、小さくおじぎをしたのね。

私はその時に、この人がおじいちゃん愛人だ、と直感したのよ。

会話はしてないけど、間違いなくこの人だ、と思ったのよ。

もちろん、その後一度も会ってないし、書かれた住所も忘れてしまっているから、いまどうしているかも知らないんだけどね。

それでね、思ったの。

愛人がいることはほめられたことではないけど、おじいちゃん愛人のひとがいて幸せだったと思うの。

おじいちゃん年金暮らしだし、特段の資産もないから、お金をかけて何かすることはあまりなかったと思うし、

しろそれがよかったと思うのだけど、誰にも迷惑をかけずに好きな人時間を過ごして、それで人に優しくなったのだと思う。

から私、愛人の人に感謝しているの。おじいちゃんに優しくしてくれてありがとう。その結果、おじいちゃん家族に優しくしてくれるようになったから。」


祖父若いころはい父親ではなかったし、妻である私のおばあちゃんとの相性も悪かった。

私の父は、両親はいつもけんかばかりしていた、と言っていた。

でも、祖父は私にとってはよい祖父だった。

かに祖父が、よい祖父でいられたのは、家の外で心の安寧を得ていたからかもしれない、と思う。

もちろんこのことは、私の父には伝えていない。

2024-09-09

最愛家族が亡くなった

最愛家族が亡くなった。享年5歳だった。

コロナが逸り始める前にペットショップひとめぼれして、一時間くらい眺めてたら見かねた店員さんが抱っこさせてくれて、即決した。

可愛かった。あの時も、今も。茶色と白の毛並みがとってもきれいだった。

普通なら1キロ以上の体重になるはずなのに、うちの子はずっとずっと小さかった。ごはんを食べさせてもおやつを食べさせても、ずっと赤ちゃんみたいな顔と身体をしていた。

たまにペットショップ弟君が欲しいね、って他の子を見に行ったりしたときに、うちの子の小ささに毎回驚愕していた。

の子が、もう、いない。

寿命はだいたい5年から10年だから、早すぎる。本当に、早い。全然そんなそぶりなんてなかったのに。

つい先日までとっても元気で、ボールに向かって腰振ってマウンティングまでしていたはずなのに。

いつも足元にうずくまってうとうと船をこいでいたあの子は、机の下に潜り込んでおいで、と手招きしたらがう!と邪魔するなとでも言うように怒っていたあの子は、

私の足の周りをくるくる楽しそうに駆けずり回っていたあの子は、もういない。

私の腕の中で亡くなって、そのまま硬く冷たくなって、お空に旅立っていった。

火葬もした。骨も拾った。高いベッドに軽々と昇って来ていたあの足を支えていた大腿骨が、こんなに小さくて細くて頼りなかったんだなって初めて知った。

の子に会いたい。会いたくて、ペットショップHPを見たり足を運んだりしているけれど、どこにもいない。

また来てくれるって信じているけれど、まだ時期じゃないのかも。わかっているけど、探してしまう。

他の家族は、あの子と似ていない子のほうがいいよ、重ねてしまうから、って言っている。それはとてもわかる。理解はできる。重ねて見てしまうだろうな、と自分でも思うけれど、

私は新しい子に来て欲しいんじゃなくてあの子に帰って来てほしいから。

また会えますように。だいすきだよ、今も、未来も。ずっと。

2024-08-29

呪術廻戦オタでありフジファブリックファンが抱いた巻頭カラー感想

Twitter(X)でもいいけど、TLの雰囲気を悪くしたくないからとりあえずここに吐き出しておく。お披露から二晩三晩経っても、脳内から感情が消えなくて生活に支障が出だしたので供養の意味も込めてる。割と感情のままに書き殴ったから乱筆乱文。

先に本旨を要約すると、私はポジティブ感情からネガティブ感情に変化し、今は少しずつ前向きになってきている。

雑な言い方をすると、呪術オタが雑考察してフジを腫れ物扱いして燃やしてんのがキツすぎ。作者よりも呪術オタの挙動フジファンの傷を抉ってる。でもだんだん立ち直ってはきてるしついでにお願いがあるよ。ということ。

【↓↓↓↓↓以下約5,500字↓↓↓↓↓】

8/25の夜、配信でじゅじゅフェスを観ていて、最後巻頭カラー絵のお披露目があった。人生の半分をフジファブリックにどっぷり浸かって生きた私は、ひと目でアルバム『CHRONICLE』を模していると気付いた。

結論から言うと、好きなバンドと好きな作品が思わぬ形でコラボしたことに驚きと歓喜が止まらなかった。

そのとき感情Twitter本垢(フジファブリックはじめ音楽日常メインにつぶやく)に突発的に書きなぐって投稿した。ひと目見て気付いたこと、そして作者も私の好きなバンドファンであることが伝わってきたことなど。

そして、呪術廻戦にハマってから作った、漫画アニメだけをつぶやいたり、ファンアートにいいねしたりするアカウントで、ファンたちの感想(じゅじゅフェス)を拾っていった。

そこで私はショックを受けた。呪術廻戦ファンの間でイラストに対して「正気を疑う」「倫理観ない」「不謹慎」「バンドファンや遺族に失礼」などの言葉が並んでいたからだった。

さらにはひと目見て「犬がいる!かわいい!」と好意的に受け取っていたアカウント主すらも「オマージュ元を知って地獄に落とされた」という主旨の投稿をしていた。

このショックを言語化するのに時間がかかって、友達の力も借りながら受け止めて今に至る。

正直に言うと、これらの呪術廻戦ファンの声を受けて、私は ①悲しみ ②怒り を感じている。

そして今は、これらを踏まえて ③祈り に近い感情も浮かんでいる。

①悲しみ に関して

私の人生をかけて愛したバンドアルバムの名を用いて作者にヘイトを向けている投稿散見されること。

フジファブリックという文字志村正彦人生結集といえるアルバム『CHRONICLE』の文字と、「吐きそう」「気持ち悪い」「正気を疑う」「地獄に落とされた」「倫理観おかしい」という強い批判、もとい軽蔑言葉が並んでいること自体が悲しくて悲しくてたまらない。

彼らにはもっと前向きで明るい言葉が似合うのに。「変態的かつ普遍的な美しさ」「クセになるサウンド」「新境地」「世代を越えて愛される」など、フジファブリックを応援してきたファンメディアは素敵な言葉を紡いできた。

作者に批判言葉を向けさえすれ、誰かを不快にさせる行為言動行為者の一面に過ぎず、行為者そのもの価値観人間性否定するものではないと私は思う。

そして私は同時に五条悟オタでもあり、作中で亡くなったことに悲しんだ経験もある。

ちょうどその話が掲載されてから1年弱経とうとしていることも思い出し、その当時は私の落ち込んでいる様子を見かねた友達や同僚が励ましてくれた。一方で、デリカシーなく「死んじゃったねw」と心のヒビを直接割る言葉をかけてきた人にも遭遇した。

このようなことを、五条悟を愛する人なら、少なから経験したのではないだろうか。

同じように、五条悟を愛するがあまりフジファブリックファンの心に残る微かな傷を、その強い言葉でほじくり返しているかもしれないことは考えられないだろうか。

作者はこういうことも勘定に入れて、「諸々の意味を込めて」とあえて濁したコメントしたのではなかろうかと私は思う。

6年半も続く大作を描き上げるにあたって、これだけ出版業界不況の中、掲載誌の売上を落とさぬよう、耐え難いプレッシャー責任を感じながら物語を続けていく自身を、軸となるフロントマンを喪って再始動した経歴をもち、過酷プレッシャーの中それでいて15年も走り続けたバンドと重ねたのかもしれない。

②怒り に関して

こっちのほうがショックの中に占める割合が大きい。

前述した強い軽蔑言葉フジファブリックを並べてほしくないという怒りは先立つ。

次に、メンバーのパーソナルな情報が、漫画ファンによる考察(という体裁下衆の勘繰りと言いたいくらい)の道具として利用されたことに怒りを感じている。

ご存知の通り、志村正彦2009年12月24日に29歳という若さで突然この世を去った。これは揺るぎない事実である

しか本来、生年月日と同じように命日も非常にデリケート個人情報である。彼がミュージシャンとして世に出ることがなければ、近親者は知れども、世界中の誰もが知り得なかっただろう。

対して創作物登場人物はどうだろうか。物語において読者は、登場人物の動きを第三者的に、いわば神視点で見守ることができる。キャラクター同士の内緒だって筒抜けだ。そうした舞台上の人物たちと観客とはいわゆる“恋愛テクニック”のように「秘密の共有」ができる。この恋愛にも似た興奮を私たち読者は楽しんでいる節があると思っている。

フジファブリックはバンドという周縁はコンテンツだとしても、メンバー実在人物であるがために、当然プライバシー尊重されるべきである。実際、ファンインタビュアーメンバー私生活に関して踏み入ったり聞き出そうとしたりしない。

命日や享年というデリケート情報を持ち出して、その事実安易に繋げたうえに、尾鰭をつけてありもしないストーリー勝手に繋げていく行為が、私には他人の家に土足で上がりこむ行為に見えてならない。

曲がりなりにもオタクなら、プライバシー情報コンテンツたらしめるものを分けて考えてほしい。

例えば、2つの事実にA、B、C、Dの4つの共通点があるとして、AとBとを繋げば万人が心地よく終われるものを、いくら線で結べるからといって、CとDを繋いで、恣意的ストーリーを生み出されては、どちらの側も良い気持ちはしないだろう。

から、「この位置五条悟が配置されているから…」「バンドは存続しているか五条悟は死から復活する」など、死去の事実からの逃避や不確かな根拠を並べ立てられるのは、両者のファンとして理解に苦しむ。

Twitter(X)では常日頃からしょーもない話題炎上しているが、よくある例として「これでは〇〇が可哀想」という構造をしているものがある。

こんな親に育てられて可哀想、こんな飼い主に育てられて可哀想、こんな環境に放り込まれるなんて可哀想…など枚挙に暇がない。

それと同列で、当人感情勝手想像してバンドファン家族に対して「嫌がっている」「失礼だ」とレッテルを貼る行為はそれ自体が失礼に値するように思える。

私自身、人生の半分といえど他と比べるとまだまだファン歴は浅いものだと自覚しているが、

曲がりなりにも十数年応援してきた身としては、苦しみや悲しみを押してまで志村正彦の全てを提供してくださっている志村家と地元有志の皆様には感謝してもしきれない。どんなに苦しもうとも、それ以上に彼の生きた証を残したいという使命のもとご尽力くださっている姿を見れば、どんな形であれ、一人でも多くの人に彼の存在が知られることは彼らへの報いではなかろうかと私は考えている。

からこそ、彼を取り巻く話題は明るいものであってほしいし、そうなるよう関係者ファン努力している。

それを、「ファンではないけど」「バンドは存じ上げなかったけど」と枕詞を載せて外野から関係者ヅラして物申していることが腹立たしくて仕方ない。許可取り云々の話ではない。無知蒙昧を晒し、それがフジファブリック関係者に届くことこそ最大の無礼ではないのか。

あとイチャモンついでに、現体制の3人のメンバーを「残りのメンバー」って言ってるのは何なんだ。3人は残りものなんかじゃない。言葉尻を捉えるようだが、夫を亡くした妻を未亡人と呼ぶような気味悪さが残る。甚だ不快だ。

個人的言い得て妙だと思ったのが、志村時代リアルタイムで知っている先輩ファンの「ファンでもない奴らが騒いでいる」「不謹慎厨じゃねーか!」という発言だった。正直この発言のお陰で少し溜飲が下がった。

フジファブリックはメンバー関係者ファンも優しい人ばかりだから、強い言葉に対して萎縮する(私もその内の一人)のではと思っていたが、ファンコミュニティで軽蔑ではない言葉で真っ当に怒りを表出できる人の存在に救われた。持つべものは信頼の置ける先輩ファン

もちろん、一連の話題モヤモヤが抑えきれず、私が呆れた呪術廻戦オタクのように作者や作品への痛烈な批判を長文で述べた先輩ファンもいた。

奇しくもこれの執筆最中更新され、何周も読んだが、確かに納得できる内容で、その視点も勿論いちファンとして持ち合わせている自分認識できた。

あらゆる表現物すべてにおいて、意味意図が付随する。それら全てを拾ったとして、特に何を取捨選択するか、とりわけ「何を言わないでおくか」も巷で話題の“教養”とやらに含まれるのではないだろうか(一つ留意しておきたいのが、表現意図として無意識に語られるもの特に特定属性への偏見差別に関しては無視してはならない)。

少し脱線するが、ネットで語られるような“教養”と“雑学”はしばしば混同されているように感じる。いたずらに知識量を増やし自己のための娯楽として完結するものではなく、悲劇の再来の抑止や自分自身や後進の未来社会を豊かにするために、蓄えた知識の中から取捨選択し、それらを原動力として行動することを教養と私は呼びたい。

祈り に関して

簡潔に言えば、こんな言いがかりイチャモンをつけている暇があったら、問答無用フジファブリックを聴いてください!ということ。

件の『CHRONICLE』でいえば、志村くんの犬(モジャっていいます)だけが正面を向いていて、それ以外の総くんダイちゃんかとをさんの犬は横を向いています

対して、巻頭カラー絵は、五条悟と虎杖悠仁の犬が正面を向いています

この背景には、『CHRONICLE』まで(厳密には志村Vo.時代最後アルバムMUSIC』まで)のフジファブリックは、明確に「リーダー志村正彦」という線引きがあって、いわばフジファブリックという物語主人公をずっと務めてきた事実があります

そしてリーダー亡き後、3人がパワーバランスを強化しながら調和させ、いわば三位一体の形でそれぞれが主人公になって物語を作っていきました。

これを踏まえて考えてみるとどうでしょう

映画化も決定した懐玉・玉折編で主人公だった五条悟、そして本編で主人公の虎杖悠仁、両者は同格に物語主人公であることが示唆されるでしょう。

さらに、アルバムスウェーデンメンバーが寝食を共にして制作されたこともあり、寮生活を送る4人とレコーディングに勤しむ4人の仲睦まじさを重ねることができます(詳しくはアルバム同梱のDVDドキュメンタリー映像が収録されています)。

また、10thシングル及び3rdアルバム収録の「若者のすべて」が現在進行形で大ヒットしたこともあり、そこだけを世間一般に切り取られがちという煮え切らなさをファンは常々抱えています。「五条悟?イケメンから人気なんでしょ?」にも通ずる消化不良です。

フジファンなら同意してくれるかもしれませんが、志村正彦変態で捻くれていて一途でお茶目で繊細で孤独な男なんです。

暇つぶし花屋女性店員デートする妄想をしたり(花屋の娘)、酒の力を借りないと甘えられなかったり(ロマネ)、海辺で泣いている女性お嬢さんと呼ぶ気障ったらしさがあったり(NAGISAにて)、自分を獣に喩えて思いっきり飛び出す大胆さがあったり(モノノケハカランダ)、

それなのに、否定される事が怖かったり(バウムクーヘン)、大切な人を亡くして何年経っても忘れないと覚悟を決められるのに(黒服の人)、相手自分のことをすぐに忘れてしまうと悩んだり(クロニクル)、そんな卑屈な考えをを誰かに否定してもらいたがったかと思えば(エイプリル)、君がいなくても元気でいられると強がるふりして泣いちゃったり(Bye Bye)、非常に魅力的な人物です。

そんな男の姿も、たった一人の大切な人に素直になれなくて、だけども本当はすごく寂しかった不器用な男の姿も、どこか似ている気がするんです。

ちなみに私の見解としては、志村正彦は相当なハジケリストです。

北欧の熊と太極拳使いの髭面の男性を戦わせたり(熊の惑星)、踊ろうぜと誘っておきながら黙れと言ったり(TAIFU)、走る足音ドラえもんタラちゃんの比ではない異音だったり(銀河)、かなり尖ってます

このハジケリズムは3人にも受け継がれ、サルバドール・ダリが発起人となってタコスパーティーをうやむやに開催したり(アンダルシア)、言い間違いから曲を生み出したり(東京)しています

最後に、現体制の3人のメンバー言わずもがな、たくさんの名曲を生み出し、私たちを慈しみ寄り添ってくれています

ツアーラストや周年のホールでも、招待されたフェスアリーナでも、地方の観客がすし詰めになるような小さいライブハウスでも、必ず「僕たちは誰かの居場所になりたい」「今フジファブリックでい続けられるのは皆さんのお陰」と伝えてくださってます

Twitterにも書いたのですが、私の本心は、「どんな形であれメンバーが生み出した楽曲を愛してもらいたいし、バンドと共に豊かな人生を送ってほしい。生きていようが亡くなっていようが、その人が存在した事実バンドの曲が生まれ事実楽曲が様々な人の人生に関わった事実は消えないので、悲しみも抱えつつ前を向いて生きていく糧になってほしい」ということです。

フジファブリックのお陰で人生が豊かになって、呪術廻戦に生き様を教わったオタク感想でした。

P.S.それっぽいキーワード検索したら筆者を特定やすいように書いたつもりです。もしそれっぽいな〜というアカウントを見つけたら、私事ですが現在就活中ですので、オススメホワイト企業を教えてください✌️

2024-08-24

男は独身だと67歳で死ぬ

独身男性平均寿命は67歳です

「40過ぎて独身だと狂うとか言われてるけど、俺は普通に趣味満喫できてるが?😤」とか言ってるあなた(笑)

狂うどころかあとたった二十数年で死にまんがな

「死」でんがな

ちなみにポックリとは逝けません

健康寿命は当然もっと短いので

糖尿病なりで不自由に耐えた末の享年たったの67です

2024-08-10

障害者雇用セクハラ野郎がお亡くなりになった

10年ほど弊社にいた、障害者雇用セクハラ野郎がお亡くなりになった。

死因はご遺族が明かしてくれなかったため不明

労災ではないらしい。

20代女性社員ばかりを狙って、業務にかこつけて口説くクソ野郎だった。

正直いなくなってほっとしている。

私が観測できた範囲では、セクハラ野郎訃報に悲しんでいる様子の同僚はいない。

セクハラ野郎聴覚障害を持っていた。

まったく聞こえなかったらしい。

声は出せるが、「ン、ン」「ヒャワワワ」みたいなしゃべり方しかできなかったから、電子メモパッドを利用した筆記でやり取りしていた。

それが災いした。

メモパッドはボタンひとつでさっと文字が消せるからセクハラ野郎女性社員口説いた証拠が残らなかったのだ。

加えてこのセクハラ野郎、本当に狡猾で、強気タイプ女性には手を出さなかった。

自意識過剰なだけかもと思って……」

大事にしたくなかったので黙っていました」

狙われた女性たちは、そんなことを言う人たちばかりだった。

私の部下も一時期狙われていた。

やはりおとなしいタイプ女性だった。

私が気づくまで、彼女セクハラ野郎から何度も映画に誘われていたらしい。

当時、部下は入社1年目の新卒だった。

怖かっただろう。

もっと早く気づいてあげられたらと、数年経った今でも思い返しては反省している。

部下の被害しかるべき窓口に通報した際、セクハラ野郎に対する通報過去に何度もあったことを知った。

だが、身体障害者雇用需要>>>>>供給のため、会社としてはセクハラ野郎を手放したくなかったらしい。

決定的な証拠がないことを盾に、会社処罰及び腰だった。

健常者だったら、20代女性複数人に対するセクハラ疑惑が上がっただけで出向か退職を勧められるのだが……。

健常者なら許されないハラスメントが、障害者なら許されてしまう。

そんなことがあってもいいのだろうか。

障害特権という言葉が生まれるわけだと、なんとも複雑な気持ちになった。



障害者雇用セクハラ野郎享年6●歳。

あの世に行ってまで、30も40も年下の女性口説いてまわるような愚行はしないで欲しいと願う。

どうか安らかにおとなしく眠ってくれ。

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