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パンティーを被るという行為――羞恥・仮面・秩序転倒の文化社会学的考察
パンティーを頭に被る人物は、多くの社会において「悪ふざけ」「変態」として嘲笑の対象になる一方で、
マンガ・アニメ・コメディ・インターネットミームの反復的なモチーフにもなってきた。
一見して低俗にしか見えないこの行為は、しかしなぜこれほど強く人々の笑いや嫌悪、あるいは不安を喚起するのか。
その過剰な感情反応は、単なる嗜好の問題を超えて、近代社会における身体・羞恥・ジェンダー・権力といった構造的テーマを照らし出していると考えられる。
本稿の目的は、パンティーを被るという行為を「逸脱行動」や「性的倒錯」として切り捨てるのではなく、
という三つの観点から文化社会学的に分析し、その行為が現代社会の規範と矛盾をどのように露呈しているのかを論じることである。
第一に着目すべきは、対象が「パンティー」であるという点である。
しかし社会的には、身体のうち「隠すべき部分」を覆うことで、性的な領域と公共的な領域を峻別する境界線として働いている。
とりわけパンティーは、しばしば女性の身体性・性的魅力・純潔観念と結びつけられ、強い象徴性を帯びている。
文化人類学者メアリー・ダグラスは、「汚れ」を「あるべき場所から外れた物質(matter out of place)」と定義した。
下着は本来、身体の奥まった場所で皮膚に密着し、「見えないこと」自体が期待されるモノである。
それを頭部という最も視線の集まる位置に、しかも外から見える形で持ち出すことは、
「隠すべきもの」を意図的に「あるべき場所から外す」行為であり、ダグラス的な意味での「汚れ」を自ら演出することに他ならない。
人々が感じるのは「汚い」というよりもむしろ「恥ずかしい」「みっともない」という感情であり、
それは身体に付随する性的な領域が、モノを媒介して公共空間に溢れだしたことへの反応である。
パンティーを被るという行為は、自己の身体そのものを露出しているわけではないにもかかわらず、
下着の象徴性によって「性的なもの」が表面化したかのような錯覚を生み出す。
そのギャップこそが、笑いと嫌悪が混じり合う独特の印象をもたらしている。
第二に、「被る」という行為が意味する仮面性を検討する必要がある。
顔は、社会学者エルヴィング・ゴフマンが述べたように、対面相互行為の舞台において自己を提示する中核的なメディアである。
目・口・表情を通じて、人は自己の人格・感情・意図を他者に伝える。
そこに被り物をかぶせることは、自己呈示のチャンネルを意図的に撹乱し、
「いつもの自分」とは異なる人物への一時的な変身を可能にする。
仮面はしばしば、道徳的・法的な責任性を希釈し、人に「普段ならしない行動」を許す。
覆面をした抗議者やハロウィンのコスプレ参加者が、日常では抑制されている言動に踏み込めるのも同じメカニズムである。
パンティーという「ふざけた素材」を用いた仮面は、暴力性よりも滑稽さを強調しつつも、
顔を覆うことで〈誰であるか〉を曖昧にし、同時に〈何者にも属さない、ルール外の存在〉であることを宣言している。
重要なのは、ここで用いられる下着が多くの場合「女性用」として理解されている点である。
男性が女性用パンティーを被る場合、それはジェンダー境界を視覚的に撹乱する効果を持つ。
性的同一性や男性性の「まともさ」を象徴する顔の上に、女性性の象徴物を被せることで、従来的なジェンダー秩序は一時的に解体される。
この解体が、笑いとして消費されるのか、あるいは違和や嫌悪として反発を招くのかは、
社会がその時点で受け入れうるジェンダー規範の幅を測る指標ともなりうる。
第三に、この行為はしばしば「笑い」と結びついて登場する。
ミハイル・バフチンが論じたように、カーニバル的な笑いは、既存の秩序・権威・聖性を一時的に転倒させる力を持つ。
王と道化が入れ替わり、崇高なものが下卑たものに、清浄なものが汚穢に置き換えられることで、人々は日常のヒエラルキーから解放される。
パンティーを被る人物は、多くの場合「くだらない大人」「オトナなのに子どもじみたことをする存在」として描かれる。
そこでは、理性的で成熟した市民として振る舞うことが期待される大人が、もっとも幼稚で性的規範に反する身振りを自ら演じてみせる。
これはまさに、近代的主体の理性と節度という自己イメージを、身体と笑いのレベルで裏切る行為であり、バフチン的な意味での秩序転倒である。
パンティーは、ファッションやポルノグラフィー産業を通じて商品化された「性的魅力」のパッケージでもある。
その商品を「本来の用途」から外し、頭に被るという過剰にズレた使用法は、
シチュアシオニストたちの言う「デトournement(転用)」にも似て、商品に埋め込まれた意味構造をずらし、
消費社会が約束する「ロマンティックで洗練された性」のイメージを滑稽なものとして暴露する。
多くの場合、当事者は「面白いから」「ウケるから」という動機で行為に及ぶ。
しかし、当人の意図とは無関係に、行為そのものが既存の秩序を揺さぶり、
笑いを通じた不安定化をもたらしている点に、カーニバル的な力があるといえる。
ここまで、パンティーを被る行為を文化的・象徴的なレベルで肯定的に読み解いてきた。
しかし同時に、この行為にはジェンダーと暴力の問題が潜在していることも看過できない。
たとえば、所有者の同意なく女性の下着を盗み、それを被って笑いのネタにするような事例は、明らかに性的暴力であり、先の分析とは質的に異なる。
そこでは、女性の身体性がモノに還元され、男性の自己演出の道具として一方的に利用されているからである。
「誰のパンティーか」「どう入手されたのか」「誰の前で行われるのか」「誰が笑う権利を持つのか」といった文脈と切り離しては成立しない。
他者の所有物を奪ってネタにすることとの間には、倫理的に越えがたい差がある。
この意味で、パンティーを被る行為を安易に「自由な表現」「笑いだから許される」として擁護することはできない。
一方で、倫理的に許容可能な範囲で行われるこの行為が、規範の硬直性をほぐし、身体と羞恥をめぐる議論を促す契機となりうることも事実である。
その両義性を見極めることが、現代社会のジェンダー感覚と表現の自由の両立を考える上で重要になる。
パンティーを被るという行為は、表面的には「低俗なギャグ」「一部の嗜好」に過ぎないように見える。
しかし本稿で見てきたように、
として理解することができる。
つまり、パンティーを被る行為は、身体と羞恥を厳格に管理しようとする近代社会の規範に対して、
「本当にそれが唯一の生き方なのか」と問いを突きつける小さな反乱なのである。
もちろん、その反乱が倫理的に許容されるためには、所有や同意、ジェンダー権力といった条件を精密に考慮しなければならない。
しかし、その条件さえ満たされるならば、「くだらない」と切り捨てられてきた行為の背後に、
規範の相対性を示す批評的なポテンシャルを見出すことが可能である。
だが、その笑いが何に支えられ、何を脅かし、何を許さないのかを問うとき、
タイトルの通りなんだけど、夫婦カウンセリングに行ったら夫が訳の分からないことを言い出した。
些細なすれ違いが続いたので相談しに行ったはずなのに、終わった頃には、私が今まで何と結婚していたのか分からなくなった。
まず、カウンセラーさんが夫に、妻に対して何を期待しているかを聞いた。
すると夫は、配偶者は生活面のサポートと精神安定のための存在で、個人で完結できないタスクを代わりに処理してくれるチームメイト、と言い出した。
そして、僕は結婚を人生の定額サブスクだと思っている、という謎?理論。
月額を払ってるんだからサービスを受けるのは当然、らしい。ちなみに月額の意味は不明。家賃や光熱費を払ってくれてるのなら分かるが、折半だから意味が通らない。
次に家事分担の認識について聞かれた時、夫は自慢げに、僕は十分やってますよと言った。
やっている内容を聞くと、妻の食べるカップ麺の蓋が途中で開いてくるのを閉じてあげる、それを家事参加とカウントしている、という主張。
さらに、掃除もせず、床に落としたゴミすら拾わず放置していることについては、自然淘汰の一環だから触らない方が家に優しいとのこと。実際はそんなことはなく、私が掃除しているだけなのに。
夫は冷静に、妻という存在は生活におけるバフ係で、日常のステータスを底上げしてもらうために必要だ、と言った。
また、僕は妻に対して愛情はある。ただしログインボーナス方式の愛情なので、毎日少しずつ与えるのが普通だと思っている、という意味不明な理論。
ちなみにログインボーナスは、洗濯物を畳む、お茶を入れる、靴を並べるなどのお手伝いだそうだ。あれはログインボーナスだったのか。
カウンセラーさんが夫に、妻が悲しんでいるのをどう受け止めているかを確認してくれた。
すると夫は迷いなく、感情面は僕の得意分野じゃないので、基本的にはスルーしてもらえると助かる、と回答。
この時点で私は泣く気力もなく、ただただ呆れていた。カウンセラーさんが、スルーせず対話できませんかと聞くと、無料ガチャということですか?との答え。もしかして、面白いと思って言っているのだろうか。
帰り道、夫は満足そうに、カウンセリングで僕の価値観が整理できて良かったね、と言っていた。
その横で、私はとりあえず別居することを決めた。
スパ銭で仲良くはしゃぐ見知らぬ兄弟を見ていてふと思い出したことを書いておく。うちはあんなふうな瞬間は一度も無かったなと思ったところから記憶のフタが開いたのだが。
小学校の頃、同じくらいの年格好の子供がいる近所の数家族合同でキャンプに行くことが何度かあった。当時は別に何ということもないイベントだと思っていたが、今考えると予定調整とか結構大変だろうし、みんな生活の余裕と子育ての熱意があったんだな。
キャンプ場の周りを探検していて10mくらいのちょっとした崖があり、兄弟全員(俺・兄・弟)でそこをよじ登った。そういうちょっと危ない遊びは日常茶飯事だったし親たちも放置だった。80年代は。
俺が最初にてっぺんに近いところまで行ったが、岩肌が異様にもろくなっていて体重をかけたらボロボロ崩れてしまう。登ることも下りることもできなくなった。動けば滑落する。死にはしないが流血と骨折は免れないだろう。
まだほとんど登れてなかった兄弟に、崖の上に回り込んで立木からロープを垂らしてくれるよう頼んだ。しかし二人ともウヒャウヒャ笑うばかりで全く取り合わない。いや本当に頼むからと散々懇願しても無駄で、そのうち二人ともどこかに行ってしまった。
その後しばらくしてたまたま通りかかった子にロープを垂らしてもらって脱出できた。
うちの兄弟はバカだから「今はマジの事態なんだ」というモードチェンジができない。普段の「マンガを見せてやらない」みたいなノリの延長で、こちらが必死に頼むのを無視するのが面白かっただけなのだろう。
俺は弟が上級生に小突かれてたところに遭遇して大立ち回りしたこともあったがなあ。
ネットでもマジな話に場違いに大喜利やめない(しかもネタがつまらない)やつとかいるよな。
最近、うちの母が持病の発作で倒れて救急車呼んだ時も隣んちの「おしゃべり大好きおじいさん」がしゃしゃり出てきて邪魔してくれた。
粗末な手製銃から放たれた弾丸は、政治家とカルトの不都合な真実を次々と炙り出す。
国民の誰もが裁きを下せないこの問いの答えを、一人の弁護士が法廷で探す。
そういうのが炎上してるのを見た。
炎上に乗っかったいろんな意見が目に入って、女と結婚したバイとして恋愛より人生を楽に、普通に過ごすことが大事だったってことを言いたい。
基本的には男が好きだったので出会いもなく新宿2丁目なんかに行ってた頃もあったけど今は女と結婚してるのでバイだと思う。
結婚相手を選ぶ時に「浮気性」「金遣いが荒い」「ヒス、メンヘラ」など自分が苦労するだろうなと想像がつく人間を選ばないのを当然と考えているのとほぼ同じ感覚で同性と人生を共にするには面倒なことがたくさんあるだろうと容易に想像がつく。
婚活している人たちなんかもそうだと思うけど、「愛する人」に出会ったから結婚するわけじゃなくて「人生のパートナー」になりえると思った人を結婚相手に選ぶのはごく普通のことだと思う。
それが同性愛の話が絡むと途端に結婚する奴はファッションゲイだのレズだの言われるけど、
現状同性婚も認められていないし、基本的には子供を授かることもできない。親にカミングアウトとか、同性同士で生きていく覚悟とか、日常のいろんな部分に面倒が付きまとうと思うし、普通に暮らしたかったら異性と結婚するのが自分なりの正解だと思ったので結婚しました。
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アホらし
どいつもこいつも
何が楽しくてnoteやっとるんや
理解に苦しむ
車検も整備も日常点検もバッチリやってる運転手が、車載コンピューターの設計不良によって事故を起こした際、
パーキングブレーキを引くべきだとか、
早めにハンドルを切ってガードレールにぶつかっておけば良かったとか、
後出しでどうすれば良かったなんていくらでも言えそうですよね。
実質的に回答の無い悪問をぶつけた岡田は悪く無い、高市はしくじった。
こういう言説は先述の例え話と同様に、いささか理不尽に感じる。
― フランス語の kamikaze(自爆テロ犯) と、日本の「見た目で外国人と決めつける文化」
フランス語辞典 Larousse で “kamikaze” を検索すると、以下のように定義される。
kamikaze
nom
1. Auteur d'un attentat suicide.
2. (Aussi employé en apposition.) Personne téméraire qui se sacrifie pour une cause, souvent perdue d’avance : Il fallait une kamikaze pour accepter ce poste. Candidat kamikaze.
https://www.larousse.fr/dictionnaires/francais/kamikaze/45327
自爆テロ犯
無謀な犠牲的行動をする人
しかし日本で “kamikaze=テロリスト” という理解は一般的ではない。
これは歴史的文脈を無視したステレオタイプの産物であり、日本人にとっては侮辱に近い。
なぜ日本社会では、同じレベルの偏見──「見た目で外国人扱い」──が当然のように行われているのか?
◆ 1. kamikaze 問題は「偏見」の構造そのものを映している
これはすべて “kamikaze=テロリスト” と同じ「外見に基づく誤認」 である。
自分が「見た目で誤解される」と怒るのに、
という ダブルスタンダード を抱えている。
◆ 2. 日本では「見た目=国籍」という錯覚が社会規範として存在する
BBCの報道にもあるように、外見を理由にした職務質問はすでに訴訟の対象となっている。
外見理由の職務質問は「人種差別的」で「違憲」……外国出身の3人が国などを提訴
https://www.bbc.com/japanese/68137481
外見で決まるものではない
パスポートを見せても疑われることがある
ハーフの子どもも「見た目によって日本人扱いされたり、されなかったり」
こうした状況は、
“国籍という制度の理解” と “社会の価値観” が完全に乖離している
ことを示している。
◆ 3. 外見プロファイリングは国際基準では「差別」であり、違法たりうる
法的根拠がない
国際的には “Racial Profiling(人種プロファイリング)” と認定
される。
kamikaze という偏見を受けると怒る
法律上は、
地方・田舎では特に“同質性の強制”が強い(奈良県南部・山梨県・吉野周辺など)
◆ 5. “外国人”という言葉はすぐには消えないが、多くの問題を含む
「外国人」は公式な日本語だが、実際の使われ方はしばしば差別的だ。
例えば、
NHK・民放も“ヴィジュアル的に、外見が日本人に見えない人、日本語を話さない人=外国人”として報道
「日本国籍かどうか」ではなく「見た目が日本人か」で扱いが決まる
という極端に外見依存の文化が残っている。脳内鎖国状態の人が多いという印象。※昔の日本では白人・黒人が入国しただけで全国版の新聞に「外国人」の顔の絵が描かれて日本中に配布されたそうだ。
では依然として根深い。
◆ 結論
もし “kamikaze=自爆テロ犯” という偏見を日本人が侮辱と感じるなら、
彼らが日常的に行っている「見た目で外国人扱い」も同じレベルの侮辱である。
これは、
未成熟
であり、
あなたが感じている怒りと違和感は、国際基準で見ても完全に正当。
(日本国籍を有する者は日本人。日本人の子は日本人である。見た目、話せる言語、出身地は無関係。憲法で保障されている。また、日本国は公用語は法律で決められていない。公用語は日本語ではないが、現代では事実上日本語となっている。(白人から?黄色人種 yellow と呼ばれている東アジアの日本人が日本語を話し、出身地が日本国内で日本語で義務境域を受けた人間という複数要素がセットになった人間が日本人とは言えない。法律でそんな決まりはないのだが、そう思い込んでいる人が多すぎる。日本人は日本語が話せて当たり前だと思っていても日本国には公用語が決められていないのだ。)
まともな知能を持った大人なら、しようと思えばできるし控えようと思えば控えられるのが政治の話題。
問題は、オタクにはその「しようと思えばできる」の回路がないってことなんだよ。
オタクには「自分にとって大事なものは世界にとって大事なもので、四六時中そのことでメディアを埋め尽くさなければ発狂してしまう」
あるいは「自分が嫌悪感(劣等感)を抱くものは世界を堕落させる悪であり、ほんの少しでも自分の見ていないところでもその存在を根絶しなければ発狂してしまう」
俺は精神医療従事者ではないので、これをなんと呼ぶのかは知らないが、明らかに日本のネットとリアルをダメにしてるのはすべてこういう病人。
基本的には真面目な話ばかりして、誰も見ない。たまに息抜きに目先を変える害のない娯楽をやる。
それで何が不満なんだ。メディアに依存してないで、自分の人生を楽しめよ。
政治や経済の議論はお前の執着のためにすることじゃなくて、日常の合理的な環境整備のためにすることなんだよ。
意味のわからない反社会性の塊みたいな奴らの自己実現のために、ただの業務処理で良い事柄がどんどん非現実的なファンタジーにされてしまう。
Xで、婚活アカウントによる「未婚の非モテは冷笑系である」旨のポストを見た。ブスでも貧乏でも結婚はできる、その後DVや不倫等の問題の可能性はあるにせよ、一度も結婚が出来ていない人間は冷笑してくる。こちらの話に冷笑で返すのでとにかく一緒にいて不快というもので、冷笑している自覚は無いが未婚中年の自分はちょっと我が振りを見返そうと思った。
もう一点。
自分は昔からオタクをやっており今はとあるアイドルを推している。ガンガン積むタイプではないが歴は長い。
自分の推しは認知が早いらしく、2回目で「この前〇〇だったよね」と覚えててくれる、自分のファンにピンポイントでファンサをくれるという。
しかし自分は何度現場へ入ったって一途にその人の色のペンラしか振らないにも関わらず1度も目線が合ったこともないし、接触でも毎回「はじめまして」のテンションを数年続けている。
嫌われるほど話してもないし、現場で目立つこともない。
ファンサをもらって喜ぶ同担や、推しと話した内容で親密さを滲ませる同担について、きっとアイドルはファンに合わせた喜ばれる対応をしているのだろうと思う。
ファンサを欲しがるファンにファンサし、ファンサを欲しがらないファン(アイドルオタクには「自分はパフォーマンスを評価しているのであってそんな安っぽいことはしてほしくない」という厄介な考え方の人もいる)もいる。
アイドルがファンサをしない自分は後者だと思われているのだろうか。自分はファンサが欲しくないのだろうか、欲しいのだろうか。中年にもなってファンサを欲しがるのはみっともなくて恥ずかしいと思っているだけで内心は欲しいのだろうか。
考えてもわからなかった。
好きで通っていた飲食店で、ある日「いつも来てくれる常連さんにだけ出すメニューです」と認知対応をされた。
「これからも、必要だったら言ってください」とそれをもらえる暗号のようなものを伝えられ、気持ちが冷えて味は好きだがその店に行かなくなった。
自分が一方的に好きだったのにそれをちょっとでも認識されてるとわかると一気に冷める。
アイドルに対しても同じように冷めてしまいたくない、けど、自分と同じだけ時間やお金をかけた人が貰っているものを自分だけもらえていないのもみじめになる。
アイドルは敏いので、ファンの要望を汲み取って対応しているのだろう。
対アイドルであればそれでも良い。
けど、年々会う機会が減っていく友人に対してはどうだろう。すっかり疎遠な家族に対しては。
子供のころに家族でショッピングセンターへ行き、妹が駄々をこねてソフトクリームを買ってもらっていたのを見て、自分も食べたいけど言い出せなかった。帰りの車の中でソフトクリームがほしくてボロボロ泣いてしまい「店にいるうちに言え」と親から叱られた。
欲しいものを欲しいと言って買ってもらい、大喜びできる子供と、欲しいと言わず後から悔しくて泣き出す子供。前者の方が可愛いに決まっている。
そのまま大人になってしまったせいで意固地になり気持ちは殻に覆われ開示する自己を自分でも認識できなくなってしまった。
他人に頼ることも甘えることも、こうしたいとも言えない、しかし無欲なわけでもなくそれが何なのか正しく伝えられるほど自分とも向き合えないつまらない中年の出来上がりだ。
世の中の大半の人は学生のうちにこういったことは済ませておくのだろう。他人と寄り添う楽しさも苦しさも知らないまま、自分はどうなるのか。
店の暖簾をくぐったとき、油の匂いが、すでに一つの運命のように私を包み込みました。鼻腔の奥で重たく揺らめくその芳香は、庶民的でありながら、どこか儀式めいた厳粛さを帯びています。カウンターの向こうでは、白衣の男が黙々とロース肉に衣を纏わせ、油の海へと沈めてゆく。その所作はもはや調理ではなく、供犠に近いものでした。
鍋の中で、とんかつはゆっくりと自我を失い、豚という生の記憶を断ち切られ、黄金色の鎧を与えられてゆく。油が弾けるたび、こまかな泡が肉のまわりにまとわりつき、まるで最後の祈りのように、静かに立ち昇っては消えていきます。
やがて皿の上に据えられたそれは、ひとつの完結した建築物のようでした。端正に揃えられた断面——淡い桃色をわずかに残した肉の芯を、きめ細かい衣が取り囲み、その外側には、無造作を装いながらも計算され尽くしたキャベツの千切りが、小さな庭園のように添えられている。
まずは何もつけずに、一切れ。箸を入れた瞬間、衣がわずかに抵抗し、次いで、驚くほど容易く音もなく裂ける。その小さな手ごたえが、すでに美味の予感を告げていました。口に運ぶと、衣は「サクリ」というかすかな音を立てて崩れ、すぐさま脂の甘みが広がる。豚肉という素材が、本来持ちうるはずの野卑さをどこかに置き忘れてきたかのように、驚くほど上品な旨味だけを残して。
噛みしめるたび、肉汁がじわりと滲み出て、舌の上でゆっくりと溶けていく。だが、それは決して軽薄なジューシーさではなく、刃のようにすっとした輪郭を持った味わいです。塩をひとつまみ振れば、脂の甘さと肉の香りが、急に焦点を結び、世界が一瞬くっきりと輪郭を取り戻す。
次に、店自慢のソースをたっぷりと纏わせてみる。濃密な褐色の液体が、衣の凹凸をゆっくりと埋めていくさまは、どこか退廃的でさえある。その一切れを口に含んだ瞬間、ソースの酸味と甘味が、先ほどまで端正だった世界に一抹の破壊衝動を持ち込む。とんかつはもはや単なる揚げ物ではなく、甘美な暴力となって、容赦なく味覚を叩きのめしてくる。
キャベツを箸でつまみ、ドレッシングを絡めて口に運ぶと、それは一転、冷たい風のような清冽さで、さきほどまでの熱と脂の宴を一度リセットする役目を果たす。シャキシャキとした歯ざわりが、乱れた感覚を律し、ふたたび次の一切れを求めさせる。こうして人は、熱と冷、濃密と淡白、破壊と救済のあいだを、何度も往復させられるのです。
白飯は、ここでは脇役にとどまることを拒んでいました。ひと口、とんかつを頬張り、すぐさま米を追いかけると、粒だった炊き加減が脂をやわらかく受け止め、とんかつの豪奢さを静かに受容する。丼の中でただ白く在るだけの米が、この瞬間だけは、確かな必然としてそこにいることを悟らされるのです。
味噌汁を啜れば、揚げ油で高ぶった心拍が、少しだけ落ち着く。出汁の香りと、具材の素朴さが、先ほどまでの濃密な世界にほのかな陰影を与え、食卓という小さな舞台は、ようやく終幕に向かってゆきます。
気がつけば、皿の上にはパン粉の小さな欠片と、キャベツの断片、そしてうっすらとソースの跡が残るばかりでした。それらは、つい数分前まで一つの完璧な形を成していたとんかつの、静かな残影です。
とんかつとは、実に不思議な料理です。豚という、どこまでも日常的で、ありふれた肉が、油という媒介を通して別の存在へと生まれ変わる。その変容は、単なる調理の域を超え、小さな劇として、食べる者の前に立ち現れる。
皿を下げにきた店員が、何気なく「ありがとうございました」と言ったその一言で、私はようやく、この小さな劇が終わったことを知りました。店を出ると、外はいつも通りの街の雑踏。けれど、胃の奥でまだ熱を保ちつづけるとんかつの記憶だけが、しばらくのあいだ、私の中で静かに燃え続けていました。
https://e.5chan.jp/sDBaLUSUps/all
18 名無しさん
2025/10/27(月) 07:31:45 ID:vkWtgcro0
こっちの方ちらちら見て受け入れてくれる顔になった時が一番好き、おじさんか若い人かみられる
49 名無しさん
2025/10/29(水) 08:17:27 ID:UGm0S01Mi
おとなしそうな、私立女子校のJC JKに押し付けして、何が押し付けられてるか分かってるけど、満員電車である事、万が一勘違いだったらと言う動揺、恐怖、恥ずかしさなどから固まって動けず、耳や首まで真っ赤にして耐えている姿に興奮するw そういう抵抗出来ない子にはちゃーんとドロドロの濃い大量の白い液体ぶっかけてあげて、性の対象としての洗礼を受けていただくw その後、電車を降りて背中やスカートが汚れたままホームを歩いてる姿も無様で興奮するw
51 名無しさん
2025/10/29(水) 08:23:32 ID:UGm0S01Mi
更に追加するなら、学校について友達や先生にその汚れをなんて言われるのか? まさか、「精液つけられてるよ」とは言わないだろし、でも「汚されてるよ」と言われてもみんなそれが何だか分かるだろうし、それを知らされた時その子はどんな顔をするのか?とか想像するとたまらなく興奮するw
52 名無しさん
2025/10/29(水) 12:23:11 ID:WFMafzaEi
かけるなら社会人OLさんもいいですよ〜。 確実に周囲がかけられたものが何かわかってるっていう。
54 名無しさん
2025/10/29(水) 13:37:16 ID:LugT2SKgi
大阪の御堂筋線もやばいぞ OK娘として認識されて日常的に狙われてる子居る。インスタも特定済み
72 名無しさん
2025/10/30(木) 18:56:23 ID:Nupb3WRUi
逆に満員じゃなきゃ出来ませんよ〜。周囲が下見られないくらい混んでないとキビシイですねえ。 あとは駅を発車してすぐはお勧めしませんねえ。 万が一声出されても逃げられるように停車のアナウンス聞こえたら開始ですねえ。女の子も降りないし声上げられないようならそのまま次の駅まで押しつけたり触ったりしてもらえる子です〜。
75 名無しさん
2025/10/30(木) 20:13:59 ID:Nupb3WRUi
あまり事前にタゲ厳選とかはしないですねえ。 後ろにつけた女の子がいけそうな感じならって感じですよ。気が強そうな子とかあんまり美人すぎる子は声出されそうなので普通よりの子でいくことが多いですね〜。 あとお尻が豊満な子が当たると最高ですね〜。割れ目に挟み込んで擦り付けて射精まで行くともう蕩けますよ〜。
2025/11/13(木) 06:03:31 ID:ivMHIl0Ii
まずホームでタゲ探し。往復すると怪しまれるので1発で後ろに並ぶ。電車がついたらポジション戦争。勝ち取ったら自分の足を女のケツにつけてたくさん味わう。降りる時にバックで犯すみたいに股間グリグリする。あとたまに巨乳の近くに行くのもええで。自然に肘に巨乳あたるから。
133 名無しさん
2025/11/17(月) 21:50:35 ID:aazVIgF2i
押し付け痴漢気持ち良すぎ 最近はセックスみたいに揺れに合わせてグイグイして相手に意識させて受け入れさせるのが気持ちよすぎる
134 名無しさん
2025/11/19(水) 07:48:02 ID:cxsjoyVYi
>133
今日は振り返られた 男を気持ち良くさせる道具の癖に調子に乗るなよ
135 名無しさん
2025/11/19(水) 08:55:16 ID:AQEF9T8Qi
>134
137 名無しさん
2025/11/19(水) 13:56:18 ID:6a0NUzYwi
>136
港区勤務の清楚エロ系 タイトスカートでデカケツ見せびらかして誘ってた癖に少し触れてただけで睨んできた
138 名無しさん
2025/11/19(水) 14:00:58 ID:NgdT1GzMi
>137
144 名無しさん
2025/11/20(木) 05:11:06 ID:S4/zf6tci
普段なら近くに行くことすらできない女に満員電車の中なら密着できるの最高。Jと毎日着衣バックしてるわ。俺の性欲のためにここまで育てくれてありがとうと思いながらプリプリなケツに擦り付けてるわ。
今年の9月からヨーロッパ某国の大学院に留学してるんだけど今毎日発狂してる
具体的には家の中で大声で「しにてぇ~~~~~~~~~~」って叫び続けるとか
自転車乗りながら「ころしてくれぇ~~~~~~~~~」って叫ぶとか
シャワー室(風呂なんて文明的なものはない)の壁を殴りまくるとか
そういうことでしか苦しみを発散できない
学部とか専門によるんだろうけど、別に誰かと積極的に関わることが究極求められることも多くはない
正直やることキッチリやってりゃ学べるし、孤独感はあっても質の高い教育を母国語で受けられる
でもさ、こっちは大半がグループワークとかディスカッションとかで満たされてるわけよ
なんつーの、アクティブラーニング?ピアラーニング?聞こえはいいよな
でもそれ以上に問題なのは大抵が学生のお気持ち表明大会になるのよ
「私はこう思いました、何故なら私はこれが気に入らないからです」とか
「私はこう計算しました、何故ならここにこう書かれているからです」とか
いや勿論時々鋭い意見とか発想が出ることはあるけどさ
一方で全体を通した教育効果としてはかなり効率も悪いんじゃねぇのと思わざるを得ない
差し当たってそこを譲歩したとしてもだ、この時点で陰キャのヤプーには苦痛でしかねぇんだわ
欧米人連中という言い方をするが、欧米的なシステムで教育をされた者、例えば中南米とかインド、アフリカで高等教育を受けた層も大体同じ
あいつらコミュニケーションでマウント取るのが日常なんだろうな
だから日常のコミュニケーション=マウンティングがいつの間にかアカデミックな能力の判定にも使われてるんだろうな
留学できるくらいには英語ができる自信と能力はあってもさ、机上の理論をネチネチやってる陰キャヤプーには実践の殴り合いは厳しいのを痛感したわ
自分の思ってることが速やかに出てこないで、それで相手の側が明らかに馬鹿にしたような態度を取ってくる体験をしたことはあるか?俺はある
俺はそもそも祖国を離れるのもこれが初めてなんだよ、貴様に合わせて英語使ってやってんだよ
英語できない×コミュニケーションできない=陰キャ東洋人男性なんて従って基本的にはヒエラルキーの最下層になるわけだ
我々の友人は韓国と中国の陰キャだけ、それ以外の連中はみんな我々を下に見ているか、東南アジア人みたいに憐みの目を向けてくる
なんで台形の面積もわからねぇ奴らに数学で説教食らわなきゃいけないんだよ
明らかに貴様らが計算間違っててそれを必死に拙い英語で伝えようとしてるのに無視すんだよ
ロジックを説明しようとしても「僕たちには数字は分からないからさHAHA」みたいな感じなんだよ
話を聞いてくれっつてんだよ
日本よりもっと良い学びの環境があると思って必死に頑張って得られた機会だけど正直今はかなり後悔している
マウンティングに挑む覚悟と能力がない奴が来て良い場所じゃなかった
知りたいこと、好きなこと、新しいことを学んで、深められる環境では全くない、少なくとも俺みたいなシコシコやってたタイプには
別にこれ書いたって何にもならねぇんだよな
数日前の帰宅ラッシュ時、ホームで皆が並んでいる列を割り込んで、勢いよく電車に乗り込んできた肥満体型の幼い男児(小3〜小4程度?)二人組
すぐ近くに立っていた、20代中盤くらいの短めのスカート履いたOLさんの真後ろに陣取ってピッタリ密着したかと思えば、キッモイ顔でニヤニヤしながら小声で(丸聞こえだけど)「可愛い女の子ペロペロwやり◯ぇ〜挿◯てぇ〜wぶっ◯けw」みたいな性欲むき出しの会話を延々と続けていて、気持ち悪すぎてドン引き。ネット上に溢れ返るキモい書き込みをそのまま喋ってるような内容。
やり◯ぇ〜などのくだりは論外として、小学生の子供が、明らかに年上の大人女性に対して“可愛い女の子”とか“ペロペロ”とか言ってニチャってること自体が気持ち悪い。年齢、知力、体格、経験値…あらゆる面で『目上のお姉さん』のであるはずの女性を、まるで単なる性的な愛玩対象、オカズとしか見ていない感じ。
大体、まだ幼児のクセに、ヤり◯ぇとか挿れてぇとか、一丁前に大人の女を孕ませようとしてるのも気持ち悪い。そもそもまだ精◯なんか出ないだろ。
たぶん幼いうちから、ネット上のキモいコメントとか、工◯動画とか工◯マンガばっか見て認知が歪んでるんだろうな。
今の時代はスマホやネットの普及で、小学生でも普通にその手のコンテンツを見られるし、こういうマセた気持ち悪い子供が一定数いて今後もどんどん増え続けるんだと思うとゲンナリする。工◯知識と欲望だけが肥大化した子供とか本当に気持ち悪い。
女子高校生や若い成人女性が外に出ただけで、工◯にどっぷり浸った変態キッズ達から性欲むき出しの視線を浴びせられ、今回のように可愛いだのエッだのヤ◯てぇだの言われるのが日常茶飯事になるのかもしれない。社会的に自立した大人の女を、まだ学校で割り算とか習ってるレベルの子供が、いや、ヘタすりゃ足し算引き算レベルの子供、さらには未就学児までもがヨダレ垂らしながら“ペロペロ”するなんて、どんな地獄絵図だよ。
近頃、とにかく死にたい。
毎年10月から11月はこういう感じになるので、季節のせいであることは分かっている。12月になる頃にはだいたいなんかなんとかなってるから大丈夫。
でも年々ひどくなっている気もする。それに、毎年ウワーッとはなるにせよ、そもそもなんでこういう死にたい感情に襲われるかがよく分からなかったので、何か直接的な原因がないものか、人生についてちょっと考えてみた。
元々社会福祉とか一次産業とかインフラとか配送業とかに憧れがあった。誰かの生活を支える、縁の下の力持ちってかっこいい。でも増田は危機管理能力がない。忘れ物は多いし、ケアレスミスも死ぬほどするし、どんなに我慢しようとしたって余計な改善をしようとして結局改悪してしまう。保守運転とか一番苦手な分野だ。トラックどころか自分の体一つだって乗りこなせない。事故を起こさないため、誰かを殺さないため、そういう職業にはつかないほうがいいと思って生きている。
だから人から金を搾取することだけを考えているカスみたいなサービスの下請けで、自分一人を養えるだけの端金をもらって、犯罪を起こしてないからそれでいいのだと必死に言い聞かせている。上手く出来なくてもカスの弊社が困るだけだから、いくらミスしても罪悪感はない。
だがこれは直接死にたい原因ではない。やっとることはカスのサービス形態ではあるが、ある程度転職にも使えそうな汎用的な職能の成長は出来るし、上司や同僚は増田の手助けや活躍を褒めてくれるし、そういった点でやりがい的なものがないわけでもない。業務自体はそこそこ向いてると思えるし、人間関係は良好と言って良いだろう。金額面も、自分一人を養えるくらいの金額は稼げているし、それによって欲しいものを我慢したり、望んだ生活を手放さなければならないほどではない。元々欲は薄い方だ。少ないながら貯金もしているし、いざとなれば親や友人を頼れば金がなくても多少の間はなんとかなる。労働自体は憎むほど忌み嫌ってるわけではないから、生涯現役でも全然構わない。
金銭や将来の不安、職場の人間関係の悪化などがあって死にたいわけではない。
友人関係も悪いわけではない。
確かにたびたび「人間じゃない」とか「常識的な気遣いが足りない」とか「普通考えれば分かることがどうして出来ないのか」とか言われたりもするが、それでも根気強く付き合いを続けてくれる友人ばかりだ。何も言わずに去られるより全然マシなので、そういう耳に痛い言葉も言ってくれるだけでありがたい。一度も傷つけたことのない、あるいは傷つけられたことのない友人は確かにいないのだが、それでもみんな大事な友人だ。
そういう大事な友人にご迷惑をおかけすることで罪悪感で潰れそうになることはあるが、例えば無茶な振り回し方をしてきたり、金銭を貸せとやたらたかって返さなかったり、そういうガチのトラブルに発展するような友人諸兄ではないし、増田もそういうことをしないよう、礼節を忘れないように重々気をつけている。それでもたまにうっかり日々の会話で地雷を踏んで怒らせることはあるものの、友人同士が「それは言い過ぎ」とか「お互い様」とか仲裁してくれるので、増田自身の尊厳も守ってもらえていると思う。友人とボロカスの喧嘩をして死にたい夜もないことはないが、それは大抵一時的なものだし、直近はそういう感じで険悪になってる相手はいない。
父も母も理屈で話せば分かる人であるし、親戚一同もなんだかんだ元気に暮らしている。不謹慎なニュースを見て爆笑する叔父や、身の回りの世話を全部してあげないと心配で夜も眠れない叔母、とにかくプライドが高く他人を見下したり注目を集めたりしないと気がすまない従兄弟、信仰の押し付けはないものの新興宗教にどっぷり献金している祖父母など、アクが強くはあるが、こちらに実害はないので可愛い範囲で収まるものだ。肉親に怒鳴ったり、暴力を振るったり、金銭トラブルを持ち込んだり、結婚を強要したりする人はいない。
まあ、両親に恨みがないと言えば嘘になる。幼稚園の頃に甘えようとすり寄ったら「は?鬱陶しい、ひっつくな」と引き剥がされたり、小学生の頃いじめられていた時に増田の言い分を一切聞かず「あなたにも悪いところがなかったかよく考えてみよう?」と3時間近く諭してきたり、愛着の面では問題があったのは確かだ。しかしそれは増田に対して愛情がなかったというよりは、それが彼らの愛着の限界なのだ。飼っているウサギすら、部屋の中で凍死しかけていることに気づかなかった両親である。それを思えば、衣食住を保障してくれたのは事実だし、危険なことは叱ってくれた。大学まで学費も出してくれたし、両親の行きたいところにではあるが旅行にもそこそこ連れて行ってもらっていた。彼らにしてはだいぶ努力していたのだろうと今なら分かる。
だから半年に一度程度は顔を見せに帰省しているし、それがめちゃくちゃ苦痛というわけでもない。全ては過去のことであり、無、凪、平熱、そういった単語がふさわしい関係性だ。これもまた、直接の原因ではない。
増田はXジェンダー、リスロマンティック、アセクシャルと三拍子揃った人間だ。その上、それでもどうしても起こる性欲の発散方法は「対象年齢・性別を問わないリョナ創作」と来た。絶対に世に出してはいけない、リアルの人間に向けるなんて以ての外という嗜好をしている。
幸いなことに、告白されたことも、したいと思うほど惹かれた人も人生にいない。誰かを傷つけてしまうくらいならそれでいいと思っている。「恋愛を理解できないのは正常ではない」と思って恋愛小説や恋愛漫画を読んでは、イーッ!分からん!と一人で暴れていたこともあるが、それは「普通の人生を送ること」に固執していたからであって、もう普通じゃなくていいやと開き直った今は、一人で生きていく覚悟がとっくに出来ている。
だから恋愛ができなくて人生つまんなくて死にたいというわけでもない。
趣味はある。
増田は創作が好きだ。物語を書くのが好きだ。随筆も、批判も、絵も、彫刻も、歌も、踊りも、とにかく何かを表現することが好きだ。それは自分の中にある感情や思考を(作品に限らずこういった文章などでも)表し、発散することで一時的な沈静が見込めるからだ。だから誰かのために書いてるわけじゃなく、褒められるために書いているわけでもなく、ただひたすら自分の衝動を、犯罪ではない範囲で発散できることに喜びを感じている。
また、他人のそういう一面を見るのも好きだ。孤独ではない、と、他のどんな娯楽よりも、どんな脳内物質の分泌よりも、最も確かに感じられるし、癒されるからだ。みんな苦しくて孤独なのだと実感できるからだ。そしてそれらを十全に納得のいくまで突き詰めようと、他人の創作物をしゃぶりつくしたり、自分の表現を究めたりしようと思うと、百年に満たない短い人生を食いつぶすには、十分すぎるくらい時間がかかる。
これも死にたい原因ではない。むしろ趣味のことを考えれば、死んでいる場合ではないのだ。
これと言ったトラウマもない。
いや、ないことはない。小学校の頃は確かに治安が悪かったし、その中で最も低いカースト層にいたのは確かだ。靴箱に砂を詰め込まれたこともあったし、掃除の時はちりとりに集めたゴミを引き出しにそのまま流し込まれたこともあった。濡れた雑巾を頭に投げつけられたこともあった。ドッジボールで執拗にボールをぶつけられることもあった。体育の二人一組ではいつもハブられていたし、仕方なしに増田を組まざるを得なかったやつは、増田の触れたところを校庭の土でこすって払った。まるで土のほうが汚くないとでも言いたげに。
クラスメイト全員敵だからいるわけがないのに、脅迫的に好きな人を聞き出され、最もいじめてきた回数が少ない人の名前をあげたら、翌日からそいつがいじめられ始めて、他人を好いてはいけないと思い知ったこともあった。給食着やテーブルクロスを、本当は持ち回り当番なのに毎週持ち帰らされて、親に「じゃんけんで負けた」「牛乳こぼした責任で」と嘘をついた。もちろんああいう感じの親なので「あんたはどうしてそうなんだろうね」と気づかれもしなかった。
「視界に入るな」「半径2メートルに近づくな」「菌が伝染るから(学級文庫・机・プリント・日誌・配膳皿などに)触るな」あるいはもっと直球に「死ね」も全部日常的に言われていた。学級崩壊でまともに授業が受けられなくて教育機会を損失して、その頃に本来学ぶべきだった分野は今でもちょっと苦手意識がある。毎年劇をやるはずの発表会では制御不能と判断されて、ペットボトルでお米を育ててみましたといううっすい内容を、誰がどこを喋るかまで一言一句ガッチガチに固められて発表させられた。自主性なんて言葉は死んでいた。若い新卒の教師は毎日授業で泣いていて、その頃にはとっくに泣き疲れて感情に蓋をしていた増田は、その涙を「煽るだけなのに」と冷ややかな目で見ていた。
カースト中の下だった傍観者クラスメイトと大学で再会して、一緒に「小学校の思い出」とかいうクソみたいなグループワークの授業を受けざるを得なかった時、給食の班机で菌が伝染るからとやられていたみたいに1cmあけて机を組まれた瞬間、増田の心にヒビが入り、割れ目が出来て人格が四つに分かれしまい、今も元に戻らなかったりしている。そういう意味では、たしかにトラウマと呼んでもいいのかもしれない。
それでも直接的な殴る蹴るという暴力は振るわれなかったからマシな方だったと信じている。記憶があり、はっきりと思い出せて、これだけの内容を泣かずに書けるようになっただけかなり寛解してきている。それに、当時の自分だって箒で殴り返すなどそこそこやり返したり、いじめっ子と同質になって増田よりもっとカーストの低い支援学級の子に対して、自分にされたことをそのままやり返すみたいにしていじめたりだってしていた。当時飼っていたハムスターも憂さ晴らしに虐待していた。弱いものがさらに弱いものを叩き、ブルースは加速していた。そういう感じでなんだかんだ適応して元気にやっていた。
それらへの後悔に苦しみながら、同時にその延長で今も友人にライン超えの発言をしたり、逆に踏み越えてはいけないラインを踏み越えられてもその場では分からなかったり、自覚がないままキレ返してしまい制御不能に陥ったり、暴力や脅迫や支配を伴わない合意の上での性行為では興奮できなかったり、記憶は共有しているものの人格が割れてしまい解離性同一性障害まで秒読み状態だったりと、後遺症は色濃く残っている。
けれど、でも犯罪をしないで済むくらいの範囲で誤魔化しきれているし、それ以上を望んだりもしない。だからこれもまた、今の増田をむしばんでいる死にたさの原因ではない。その時期はとっくに乗り越えてあり、過去は過去、今は今として整理がついていて、そういう自分のあり方を受け入れている。
人生を構成するだいたい全部に、人並みの不満や後悔はあれど、満足していないわけでもない。人間関係にも金銭にも将来にも不安はない。上を見ればきりはないが、下を見てもきりがない。自分の人生は自分のものであり、それ以上でもそれ以下でもない。
私は私だ。
なのに何故こんなにも死にたいのか。
胸を打つこの衝動は何か。
線路に飛び込め、七階から落ちろ、溺れて死ね、とにかく死ね、そう囁き続ける声が内側に蔓延るのか。
思春期という言葉を藁のように握りしめて、この衝動的な嵐が、年齢を経れば終わってくれると、ただ若さ故なのだと、そう信じてしがみついてきたのに、どうしてアラサーになってもまだ衰える気配がないのか。
この衝動こそが死にたさの原因であり、結果だ。
この自己こそが死にたさの真の原因ではないのか。
本当はやりたい仕事を諦めて現状に甘んじている?
友人と上手く付き合うことが出来ない?
両親の愛着が足りなかった?
趣味が実質逃避になっている?
過去に嫌なことがあって未だに引きずっている?
全ては結果に過ぎない。
最初に存在しているこの「自己」こそが引き起こした、必然の結果に過ぎない。
死にたいのは、嫌なことがあったのが原因じゃない。
嫌なことを引き起こすような自分に全ての原因があるということから、いよいよ目を逸らせなくなってしまったからだ。
増田はずっと、衝動、癇癪、叫びのような化け物を心に飼って、共に生きてきた。
こいつを野放しにしたら、とてもじゃないが人間社会では生きていけない、というかまず肉体が耐えきれなくて崩壊するような、触れるもの全てを敵と認識する、爆発的なエネルギーだけがひたすら渦巻いている、自壊を厭わない衝動の化け物。
その化け物を飼い慣らすことだけが、増田の今の全てを形作っている。
仕事や友人の選び方、楽しめる趣味、思考、行動、言葉、その全部全部が、この化け物を静かに眠らせておくことだけに全力を注ぐように構成されている。
そしてそれが漏れ出てしまった瞬間、必ずトラブルが起こる。嫌なことは全てそうやって起きている。
そう、気がついてしまった。
両親、友人、そして過去の思い出は、一般的な社会に溶け込める人間たちが、その化け物を目の前にした時の、ごくありふれた正常な反応に過ぎない。
全ては結果なのだ。
思えば最初から、物心ついた時にはもう、そいつと一緒に生きていた。
その場の思いつきで突拍子もないことをして、危険を危険だと分かっていながら飛び込まずにはいられない、じっとしてはいられないという性質を、持て余していた。
両親が増田のことを「あんたのことはよく分からない」と困惑して言った日のことをよく覚えている。
友人が「増田は人間じゃなくて増田という生き物なんだね」としみじみ言った日のことも。
増田をいじめて泣かせたクラスメイトが「だってあの子が最初に嫌なことをしてきたんだもん」と言ったことも。
先生が「どうしてそんなことしたの?」と泣いている増田を問い詰めたことも。
「泣いていたら分かんないよ。先生悪くないよね?なんで先生のこと怒るの?」と寄り添いのかけらもない態度をとったことも。
そして増田はただ、嫌がらせをしようとすら思ってもいなくて、そうすることしか出来なかった、それ以外のやりようがあるなんて考えつきもしなかっただけなのだと、説明出来なかったことも。
よく覚えている。
それらは全部、増田がおかしかっただけで、みんなはただ、当たり前に困っていただけだ。
ただ、それだけだった。
よく分からないものは愛せない、未知は排斥する、ああ、そうだろうとも。それにしたって、みんなの方にだってもう少し上手くやりようがあるようにも感じるけれど、でも、人間は完璧じゃない。上手く出来ないことだってあるし、それを責めたってどうにもならなくて、仕方がない。
だからみんな、距離を取る。うん、まったくもって正しい。あなたが自分を守るために、増田に人生を破壊されないために、必要な距離だろうとも。
でも、増田だって、こんなのと一緒に生きていくのはもううんざりなんだ。
私は私と一緒に生きていくのが疲れた。
みんなみたいに、そっと距離を取ることができない。
ずっと近くにいる。
ずっと隣にいる。
剥がしようもなく側にいる。
趣味だって、ただそうすれば抱えた癇癪がマシになるからやっているに過ぎない。こいつから逃れられないから、仕方なく好きにさせてやってもいい場所を作っているに過ぎない。
本当は絵や文章なんか書かなくても気分が晴れるならそれが一番楽なはずだ。誰も傷つけずに、安心して一人で好きなだけ打ち込めるというだけの、苦しみから逃れるために必要なだけの、ただの麻酔だ。
「文章を書いたり、絵を描いたりで努力できるのはすごいね」と褒めてもらえることもあるけれど、違うんだよ。それをやらないとあなたに危害を加えてしまいそうだから仕方なくやっているだけなんだ。全然立派でも何ともない。犯罪者予備軍が犯罪をしないためにギャンブルや酒に溺れているのと一緒なんだ、これは。
厄介な人をあしらう術に長けた者たちだけが、周りに残っているのがその証左だ。
衝動性を逃がす以外のモチベーションはないから、創作で食っていこうとしてもクオリティにムラがあって仕事にならないのがその証左だ。
自分は化け物だ。
人間じゃない。
人間になんかなれっこない。
必死に身につけた人間性の全てが、衝動の化け物が眠る上に構築してあるというただ一点を理由に、崩れていく。
その眠る化け物が少し身じろぎするだけで、目覚めるまでもなく、増田の積み上げた全てを崩壊させる。
増田は自らの意思で人生を選択したのではなく、選択できる範囲の中で選ばされるしか出来なかった。
好きなもの一つ、「自分」の意志では決められない。化け物を起こさないようにごくごく慎重に、刺激しないものだけを選んでいる。
全部全部こいつのせいなんだよ。
化け物を一番殺したいのは増田なんだよ。
私の人生を全部めちゃくちゃにしてきて我慢ばっかりさせるような化け物を、一番憎んでいるのは私自身なんだよ。
両親を困らせたくなかった。
いじめられたくなかった。
恋愛が怖いと思いたくなかった。
友達を傷つけるようなことなんて、今だって一個も言いたくない。
なのに全部できない。
全部全部、壊すのは増田だ。
私なんだよ。
死にたい。
もう、こいつと一緒に生きていくことに疲れてしまった。
何もかも破壊して、めちゃくちゃにして終わらせたいという衝動が、朝も昼も夜もずっとずっと苛む。
増田にできるのは、この化け物を思い通りにさせず、誰をも傷つけることなく、自らの死以外の罪をこの肉体に起こさせないことだけなのではないか、という気分になってくる。
それよりも、慰めてくれた誰かに牙を剥きたくない。
恩を仇で返したくない。
そんな気持ちのほうが、ずっとずっと大きく膨らんでいってしまう。
それは誰かを不幸にするから。
愛されないまま死んで忘れられることだけが、増田にできる唯一の社会貢献だ。
せめてそれだけはさせてほしい。
許してほしい。
ごめんなさい。
生まれてごめんなさい。
俺的傑作の定義=描かれていたキャラの考え方やセリフが自分の中に残っていて、自分を形作る一部になっている作品
『21エモン』:藤子F不二雄の最高傑作。相対的価値観。意外とカネの話ばかりするところ。木星編は最高。
『スローニン』:吉田聡の最高傑作。どのエピソードもいいが「スクラムトライ」は何度でも泣ける。「どうしてそんなにいつも強くなきゃいけないんですか?」
『グリーンヒル』:古谷実の最高傑作。宇宙人を追って屋根を走る彼を見て「私は彼が好きだ」のシーン。あれ以上の恋愛漫画は存在しない。
『レベルE』:冨樫義博の最高傑作。彼が生み出したキャラの中で一番狂っているのが王子。あれを超えるキャラクターは前にも後にもいない。
『花田少年史』:一色まことの最高傑作。泣かせにきてる作品だがきっちり泣かされる。5巻は番外編なので実質4巻まで。
『プラネテス』:幸村誠の最高傑作。宇宙を日常として描き、それを成立させる画力。2話目が出色。ハチマキはわりとどうでもいい。
『度胸星』:山田芳裕の最高傑作ではない。残念だよね。これが連載続けられない世界。『望郷太郎』は納得のラストを迎えてほしい。
『呪文よ世界を覆せ』:最近ではこれ。短歌×芸人って、界隈ではありそう感のあるテーマだが、中身は全然違う。さすが認知症の著書が多い著者。
所謂コミカライズ作家発掘やラノベの挿絵を付ける人を探すお仕事(それ以外もやってるけど)してるんだけど
この人良さそうだなって人を仕事用の私用垢でフォローしてデータ取ったりする
んでやっぱり伸びる人や仕事たくさん取れてる人は一定の傾向あるからメモ代わりに書き残しておく
あと先に言っておくけど今の業界は基本pixivもニジエもクロスフォリオもほぼ見ません
あと不思議とAI学習禁止も書いてない人のほうがあきらかにフォロワーや仕事量が増加する傾向がある
発表されてる分だけでカウントしてるんで総量はわからないけどね
1個目とも関連するけどチョー大事、日々一定のツイート数で安定してる人とかは高評価
思い出したかのように病みツイート連発する人とかは単発仕事すら入れたくないからね
今の業界のトレンドとして絵の上手さはそこまで要求されず、全てにおいて安定している人(メンタル・生産速度)がとにかく要求されてる
画像サイトを見ないのもその兼ね合いで日々どういった事をツイートしてるかを見て判断するためにやってる
あと政治的発言が多いと敬遠されるみたいな事いってる人がたまーにいるけどそこは全然考慮しないよ
政治的発言多い人は大体メンタル不安定な傾向があるのでそのせいだと思う
凍結回避用の男性垢は今回除外で主にお仕事用垢と日常垢に分けてる傾向の強い女性イラストレーターが当てはまる
基本的にお仕事垢と日常垢分けてる人は日常垢が病み垢になりがち
これをせめて鍵垢で、ファンや他人から見られない場所で吐き捨ててるならそれは理性的な行動であると判断します
見出し通り
正直これ基準にするのはあんまよくないんだけど他に数値化されたものがないから仕方ない
Skebとか挿絵とかコミカライズ担当とか、ちゃんと宣伝する人めっちゃありがたいしそういう人はお願いして良かったってなるし安心できる
作家自身に宣伝させるのはどーなの?宣伝は版元の役割じゃねーのという声も昔は聞こえてたけど今は「作家も自己プロデュースしないと生き残れないだろ」という意見が主流になっちゃったね
ここは良いのか悪いのか分からんわ
まあこんな感じ
まあこのへんできてたら絶対仕事増えるよって感じなんで参考になれば
・なぜ普通は特訓シーンは中盤にあるのか
特訓シーンは巻き返しのシーンだから
と考えた結果、
・なぜ『羅小黒戦記2』の特訓(訓練シーン)は冒頭にあるのか
『羅小黒戦記2』は主人公シャオヘイが強くなって勝利する話ではない。
日常シーンは終わり、シャオヘイは戦いを含むトラブルに巻き込まれていくが、巻き込まれたその時すでに、事件の解決に必要な能力を十分身に着けている。
この紹介文を読むと「それ面白い話なの?」となるかもしれないが、面白かった。
『羅小黒戦記2』は続編であって、長編シリーズ中の1エピソードと言うか外伝と言うか、シェアードワールドの二次創作みたいな作品で、全然違うよというのは言うまでもないとして
面白いなと思ったのはまず
・特訓シーンが冒頭にある
これね。
『羅小黒戦記2』は冒頭の会館(寺みたいなところ)襲撃シーンの次に特訓シーンがある。
この襲撃シーンと言うのは、ド派手なバトルを冒頭に持ってくることにより、観客を一気に引き込む「掴みはオッケー」思想に裏打ちされておりハリウッドのアクション映画やジャンプ系漫画でもままあるタイプだ。スターウォーズとかラピュタとか。
その直後のシーンが特訓だ。
『酔拳』『蛇拳』しかり、ふつうは、特訓=成長シーンは中盤にある。特訓シーン、意味づけが記号的なので見ている方はダレがちである。そのため、見ている幼児先輩を飽きさせないように、ディズニーなんかだと『ヘラクレス』『ムーラン』『ライオンキング』などなど「セリフなし+お歌のシーン」になることが多い。
『羅小黒戦記2』は設定説明、おはなしのセットアップの説明を兼ねて”緊張と緩和”の内、緩和の方のシーンとして、師匠と弟子ののんびりした日常が特訓シーンに相当する場面になっている。(特訓ではなく「訓練」「鍛錬」と言った方がニュアンスは正確)