はてなキーワード: 若者とは
憲法の話は関係なくないか?9条が大事なのは分かったけど、その9条守るために日本が滅びちゃったら仕方ないよね、じゃあ最低限、国を守ることは許されていると解釈しておこうか、ということで納得して行ったのが解釈改憲。で、その解釈改憲の結果、出てきたのが存立危機事態の議論で、そこまでは野党含めて基本的にみんな納得してるのよ。
中国を怒らせたのはそうだけど、中国を怒らせたことが直ちに問題な訳では無いし、怒らせ方にも色々なレベルがあるわけで。今回は日本の野党に対して国会内で行った発言で中国に対して直接喧嘩売りに行ったわけじゃない。だから、中国も中国政府の行ってる対処が正当だというのを国民に納得させるのがなかなか難しい。中国政府がいま行ってる制裁も、どれも経済規模の小さなもので大きな問題にならないレベル。それは今回の問題でいきなり日本に対して大きな制裁を行うと中国も大きな経済ダメージを食らうので、中国の中の不満を抑えるのが大変になる。というか、中国は今若者が絶賛不景気なので、フラストレーションの矛先を中国政府ではなく日本に向けさせるために高市発言がなくても何かしら問題視されてた可能性はある。
まぁ靖国参拝みたいなのでどのみち中国怒らせるなら、かなり実のある発言をしたんじゃないかと思うぞ。米国が出てこなければ問題ないと中国が思っていたところ、米国が出てこなくても日本がしゃしゃり出てくるかもしれないと思わせておくことによって、逆に台湾有事の確率を減らせたのではないかと思う。日本がやられれば米国は日米同盟で日本を守らなければならない。中国は米国が関与することは絶対に避けたい。米国が関与する確率が少しでも上がれば結果的に台湾有事の確率は下がり、それは全体にとって良いこと。
ずっと東京住んでいたが色々あり西側の廃れた県庁所在地に半年くらい住んでるがカスすぎる
飲食店が本当にまずい。コンビニより美味しい店が一つもない。地元民で並んでるラーメン屋とか行ったけど完食不可能だったぞ。田舎に行けば行くほど味音痴になるんか?昼飯は別に安くもない上にまずい。東京では半年存在することが許されないレベルの店が多すぎる。
飲食店でまずいカレー食ったの初めてだぞ。市販のカレールーで作ったカレー以下のものを店で出すな。そしてそんな店に地元民並ぶな。
田舎であればあるほど人の質も低いのが話がガチでつまらない。テレビの話と噂話と文句以外話題ないのか?話しててもクソつまらないぞ。主体性はないのか?
一応繁華街なんだけど、空気が暗すぎる。老人ばかりで活力がないし、地元企業の働き盛りの歳の人も目が死んでる。一番輝いているのは単身赴任の地元民じゃない大企業おじさんだ。こんな街に若者呼び込もうとするのは泥舟沈む速度を遅くするために若者の未来を捨てろというようなものだ。誰も巻き込まず、税金使わず勝手に沈んでほしい。
軽自動車で左折するときに右に煽ってからハンドル切るな。追越車線を制限速度以下で走るな。カーブではみ出してくるな。ダラダラ右折するな。
ボジョレー・ヌーボー解禁だぁ〜っつってありがたがって騒いでるのって、もう相当なじーちゃんばーちゃんしか居ないんじゃないか説w
たぶんバブル時代ごろに「若者」だった、流行に敏感なオシャレ人間だった人々...
一頃は、もう近所のスーパーやドラッグストアなどがこぞって、解禁日に必死にボジョレーヌーボー売り出しキャンペーンとかのチラシ出してたけど、今年のチラシでは全然触れてない店もいくつか...
そして、この円安インフレのご時世だってのに、去年一昨年などと比べて、ボトル一本の値段も安くなってる気がする。ここ数年、だいたい3000円代半ば以上の値が付いてるのがほとんどと思ったが、今年は2000円割る値段のも多く見かける。
もう「若者」じゃないんだろwwww
地域若者サポートステーション(サポステ)では、働くことに悩みを抱えている15歳から49歳までの皆さまを対象に、就労に向けた支援を行う機関です。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/jinzaikaihatsu/saposute.html
わーい、49歳までは若者!
まだまだ大丈夫!
ほかのことは好きにしたらいい。だが餅だけは常備しろ。異論は認めない。
まず余計な調理器具を買うな。買った瞬間から罪悪感が湧いて、使わないクセに場所だけ取って、ホコリを呼び込み、やがて絶望の底に沈む。炊飯器?茶碗?鍋?ガスコンロ?包丁?全部封印だ。和食自炊を初手から攻略しようとするな。あれは終盤ダンジョンだ。
餅こそが序盤を制す。
餅は偉い。餅は強い。餅は裏切らない。
まず米より圧倒的に楽だ。米を想像してみろ。重い袋を運び、計量し、研ぎ、水を入れ、炊き、洗い、冷凍し、釜を洗い、スペースを確保し…その間に餅はどうしてる?ただ袋に寝ているだけだ。餅は黙して語らず、ただ存在するだけで偉い。
餅の調理も単純。トースターか電子レンジがあれば勝ち。アルミホイルに寝かせるだけで皿すら不要。餅は焼かれても怒らない。膨らんで喜んでいる。
餅=太ると思っている奴は浅い。量を調整すればいいだけだ。餅を一個食うか二個食うか、それだけでカロリーコントロールは完了する。
米と違って炊き過ぎて余ることがない。炊き過ぎた米は罪悪感の塊だが、餅は一個ずつ独立している。意志を持った戦士のように。
きな粉をかけてもいい。海苔で巻いてもいい。醤油を垂らしてもいい。カレーをまとわせてもいい。適当な野菜をぶちこんで焼いてもいい。トマトとチーズを乗せれば餅ピザにもなる。自由である。
そして重要なことがある。
調理器具をほとんど必要としないからホコリも油も溜まらん。つまりG先生が降臨する確率が劇的に下がる。これは極めて重大な利点だ。餅なし生活は死と隣り合わせだ。
毎日餅を焼いてみろ。
10分もかからない。その間にゲームでもSNSでも適当にやっていればいい。焼けたらアルミホイルごと持ってきて食えばいい。罪悪感ゼロ、満足度100。
生活バランス原理主義者が何か言ってきたら、静かに餅を焼けばいい。餅はお前を裏切らない。野菜を添えればさらに盤石。餅生活は牛丼固定勢より確実に健康的だ。これは経験則に基づく。
餅はシステムとして優秀だ。
炭水化物の量を完全にコントロールできる。食べ過ぎたくても餅は無限には出てこない。餅は自然と暴走を抑制する。
米のように「味噌汁があるから」「肉が余ったから」と無限連鎖で食ってしまうこともない。
そして覚えておけ。
寂しいとき、金がないとき、友達が来たとき、恋人が来たとき、失恋したとき、仕事で折れたとき…
どんな場面でも餅は沈黙のままそこにある。餅とは心の避難所だ。
餅を焼けば何とかなる。
日本人は昔からそうして生きてきた。年末年始の儀式じゃない。生存戦略だ。
買うものは餅、海苔、醤油、砂糖、少量のきな粉、冷凍野菜。これで大抵の状態異常は回復する。餅一個のコストは40円とかそこら。財布にも優しい。
餅を土台にした生活は、自炊を秩序立てて発展させる土台にもなる。餅さえあればパニックにならない。餅のある家は心に余裕が生まれる。
俺も餅で人生を立て直した。
餅を食え。ガチで。
(補足)
これはhttps://anond.hatelabo.jp/20200317154739の増田を餅に変えてAIに書かせたものです。
最近、Xやインスタの美容界隈を眺めていて、ふと背筋が寒くなることがある。 いわゆる「カリカリ整形」ってやつ。 極限まで脂肪を削ぎ落として、鼻は矢印みたいに尖らせて、目はこぼれ落ちそうなほどデカくする、あのアバターみたいな造形のアレだ。
これ、今の時点では本人は「至高の美」だと思ってるんだろうけど、個人的には今後5年〜10年で、彼女たちはかつてないほどの「美の基準の変化」に苦しむことになると予想している。 理由はいくつかあるんだけど、整理して書いておく。
まず、これ。 彼女たちが本来ターゲットにしていたはずの「経済力のあるまともな男性」層が、すでにこの手の顔を敬遠し始めている。 港区女子的な界隈でチヤホヤされているように見えるかもしれないが、それはあくまで「消費対象」としてであって、パートナーとしての「美」とは見なされていない。
経営者や医師、外資系みたいなハイスぺ層と話すと、彼らが今求めているのは「圧倒的な清潔感」と「生物としての健康美」だ。 作り込まれた不自然な造形よりも、髪のツヤ、肌のキメ、程よく筋肉がついた体型といった、「生命力の強さ」に価値がシフトしている。 カリカリの整形顔は、彼らにとって「不健康」「メンタルが不安定そう」「金がかかりそう」というネガティブなシグナルにしかなっていないのが現実だ。
じゃあなんで彼女たちは止まらないのかというと、完全に「女同士の内輪ノリ」で美の基準が形成されているからだ。 SNSという閉鎖空間(タコツボ)の中で、「もっと鼻を高く」「もっと小顔に」と、互いに「いいね」を送り合うことで、基準がインフレを起こしている。 これは客観的な美しさではなく、もはや「課金額と痛みに耐えた量」を競うチキンレースだ。 一般社会や異性の視点から完全に乖離したまま、極端な方向へアクセルを踏み続けていることに気づいていない。
これが一番残酷かもしれない。 今のZ世代後半や、その下のα(アルファ)世代が大人になった時、今のカリカリ整形顔はどう見えるか。 かつてのバブル時代の太眉やソバージュ、あるいは一昔前の極細アーチ眉がそうであったように、「あ、これ昔流行った顔だ」という強烈な時代遅れ感(=おばさん臭さ)の象徴になる。
「不自然なほど尖った鼻と細い顎」は、将来的に「2020年代に青春を拗らせた層」の制服のように見なされるだろう。 若者がナチュラル回帰していく中で、あの造形はあまりにもノイズが大きすぎる。
そして彼女たちを待ち受ける未来は、以下の3つが同時に襲ってくる「詰み」の状況だ。
美のトレンドの変化: これまで信じてきた「正解の顔」が、ある日突然「ダサい顔」「古い顔」として扱われるようになる。
整形後遺症(メンテナンスの限界): 無理なプロテーゼや骨削りは、加齢とともにガタがくる。皮膚は薄くなり、軟骨は変形し、メンテナンス費用は指数関数的に跳ね上がる。
自然老化: どれだけいじっても、生物としての老化からは逃げられない。不自然に引っ張った皮膚と、老いていく肉体のバランスが崩れ、いわゆる「崩壊」が始まる。
このトリプルパンチを食らった時、心身ともに耐えられる人間がどれだけいるだろうか。 「あんなに痛い思いをして、大金を払って手に入れた顔」が、社会から「古臭くて不気味」と評価され、さらに物理的にも維持できなくなる。 その時のアイデンティティの崩壊とメンタルの疲弊は、想像するだけでキツイ。
今、承認欲求のドーパミンで麻痺している彼女たちが、この「はしご外し」に気づく頃には、もう手遅れなのかもしれない。 美しさの定義が「加工」から「素材の健康」へ揺り戻しが来ている今、過剰な整形の出口戦略を考えておかないと、本当に地獄を見ると思う。
・小泉進次郎 防衛大臣 (関東学院大 経済・偏差値37.5)
・小野田紀美 参院内閣委員長(拓殖大 政経・偏差値35.0)
学歴がすべて、とは言わない。だが、「誠意」「根気」を推し測るうえで最もフェアな基準であるはずだ。それらを軽視した、「経歴」や「人柄」といった、あいまいで便利な言葉におどらされた、無数の老人の「人気投票」娯楽で為政者が決められてしまっていいのだろうか?
旧帝大以上を出たうえで、政治に関心があり、同じかそれ以上の経歴を持つ若者はごまんといる。なぜ、このような「不純物」を登用する?
「大久保公園 地雷系」という言葉は、主に新宿・歌舞伎町の大久保公園周辺で、「地雷系」と呼ばれるファッションやメイクのスタイルをした女性たちが、売春目的で客待ち(いわゆる「立ちんぼ」)をしている状況を指す俗称です。
大久保公園: 新宿歌舞伎町の中心部に位置する公園で、近年、女性が路上で客を待つ「立ちんぼ」の活動拠点として知られるようになりました。
地雷系:本来は「病みかわいい」をコンセプトにした日本の若者女性のファッション・メイクスタイルの一種です。黒やピンクを基調とし、涙袋や垂れ目を強調したメイクなどが特徴です。
俗称の成り立ち:この地域で客待ちをする女性たちの中に、地雷系ファッションをしている人が多かったことから、インターネット上などで、この集団や状況を指して「大久保公園 地雷系」という言葉が使われるようになりました。
したがって、この言葉はファッションスタイルそのものを指すだけでなく、特定の場所(大久保公園)と社会的な活動(売春)を結びつけた、やや否定的なニュアンスを含む俗語として機能しています。
地雷系の性格とは、依存心が強く束縛が激しい、感情の起伏が激しく情緒不安定、自己中心的、承認欲求が高いといった特徴を指します。見た目は可愛らしくて「闇可愛い」雰囲気を持つことが多い一方で、これらの内面的な性質から「近づかない方が良い」という意味で「地雷」と比喩されます。
依存心が強く束縛が激しい:恋人に強く依存し、常に連絡を取りたがったり、他の異性と関わることを極端に嫌ったりします。
感情の起伏が激しい:感情のコントロールが苦手で、喜怒哀楽が激しく、周りの人を振り回してしまうことがあります。
自己中心的:物事を自分中心に考え、他人の気持ちや事情に配慮することが苦手な傾向があります。
承認欲求が高い:周囲からの承認を強く求め、情緒が不安定になりがちです。
嫉妬深い:嫉妬心が強く、占いや運命を信じやすい面もあります。
ヒステリック:自分の思い通りにならないと、ヒステリックになることがあります。
自分の話ばかりする:相手への配慮が少なく、自分の話ばかりする傾向があります。
執拗な連絡や迫ってくる態度:しつこく連絡をしたり、一方的に迫ってくることがあります。
同性の友達が極端に少ない:恋愛関係でのみ強い繋がりを求めるため、同性の友人関係が希薄な場合があります。
地雷系は、見た目の「闇可愛い」イメージとは異なり、恋愛において依存や束縛、感情の波が激しいといった、関係性を築く上で慎重な対応が求められる性格を指す俗語です。
俺の年収は300万円前後だ。ステップダウン転職を繰り返してきた。
以前、収入の高いとされてる職に就いていた頃は交際相手がいた。今はいない。もちろん交際相手の有無に収入が関係があったとは限らない。けれども、自分の住む街の議会議員の収入と交際相手の多さ――真相は定かではないが、彼は八股をしていたともっぱらの噂――を照らし合わせると、経済力や社会的地位は重要な要素なのかなと思うんだ。
以前、東洋経済オンラインで「いまや収300万円代では結婚できない」というアジテーションが効いたの記事を見かけた。(https://toyokeizai.net/articles/-/888940?page=2)
自分で裏付けを調べたところ、年収300万円以下の男性の結婚率は25パーセントほどのようだ。つまり、4人に1人しか結婚できていない。
また、年収300万円を下回る労働者は(男女合わせて)40パーセントほどらしい。
収入高いのに結婚できてない男も見かけてるけど、そういう人は人格や容姿などに難があると感じる。難しい問題だね。
ここからは完全に余談。
俺の住んでる田舎町では、少子高齢化だの都会への一極集中だのと課題は言うが、問題解決のための方法論を提示できない議会議員がいる。ムカつくことにそういう奴は票がほしいだけで人気商売をしていやがる。
本気で少子高齢化にメスを入れたいなら、都会へ若者が移動するインセンティブの一つである、良質な雇用を創出する方法を考えてみてほしいもんだ。
結局、安定した収入が必要なんだよ。その基礎となる技能を田舎では磨けない。だから、田舎から離れるんだ。実際、このクソ田舎から旧帝大まで進めたようなやつは、知識・技能を生かすための職の選択肢が公務員しかないから公務員になる。
そう伝えたが、結局言い出しっぺがなんとかすることになるのかね。
ムカつくことだ。
昔からの主婦連や生協の系譜の自然派の主流はそういう感じだよ。すべては子供/家族の健康を維持するためにっていう考え。
コメントとかにもある通り、あの人たちが初期に闘った相手はまさに催奇性がある農薬をつかったままごまかして出荷する奴とか、肉魚に隠れて防腐剤いれて売るやつとか、加工用食用色素から危険性で除外された発色剤につけて加工食品じゃなくて果実だからつかってもいいとか言い張る業者とか、サリドマイドとか水俣とか、本当にそういう害があった時代で、そういうのを避けるために自分たちでやるしかないって人たちだったんだよ。今はインスタント麺はみんなちゃんとしたオイル使って作るしなんとビタミン添加までしてあるし、添加物規制は包括規制だから詭弁も通らないし、たまーに農薬かけた直後に出荷しちゃったやらかし農家がでてくるぐらいだけど、それはあの人たちが闘って勝ち取ってきた安全でもある。
あとやっぱり子供には健康に育ってほしい、っていう考えが強いから、子供が育つと別に気にしなくなる人が多い。面倒だしね。
もちろん生協とかには主流以外に極まった人達もいて、界面活性剤には害があるが石鹸にはない、みたいな信仰に走っちゃった人達もいるよ。いまのスピ系と親和性の高い人たちだよ。
《追記》
インスタント麺に添加されているって書いた対象はV.B1/B2。V.Eは酸化防止剤で使われているけど、そうではなくビタミンB1,B2,カルシウムの添加のこと。これは1970年代末の(インスタント麺ばっかり食べた若者の間での)脚気再流行に対処すべく栄養強化として添加されるようになった。
なお、わずかなカップ麺しか食べていなかったため、B1/B2は足りてたけどB12不足で入院になった例が数年前に報告されている(貧困が主要因)。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ejspen/5/1/5_37/_article/-char/ja
GQuuuuuXのEDテーマはノイズどころか作品の背骨として機能してたと思うけどなぁ。
米津玄師、星街すいせい、竹...という座組で劇場公開前に「このアニメは現代の若者向けですよ。そういう心構えで見てくださいね」とミスリードをするのに機能してた。そして劇場公開後も新旧ガンダムの『水と油感』を演出する上でも役割を果たした。
そしてマチュたちの物語に限って言えば、序盤のポップな雰囲気、中盤のシリアスな展開、終盤の疾走感を一曲のエンディングテーマで接続して作品全体に一貫性を感じさせる機能も果たしてる。
あのアニメは最低限作品として成立するための土台を若者向け要素で固め、その土台の上で古参ガンダムファンがお祭りをやるアニメだった。米津玄師、星街すいせい、竹がお祭りの運営スタッフをして、1st信者がステージの上で酒飲んで気持ちよく踊ってる構図。そういう祭りだった。
10年前ぐらいはAKBモモクロキャバ嬢も顔の判別はついたけど最近のアイドルもキャバ嬢も似たような顔でパット見みんな同じに見える
じじいになったら若者は同じ顔に見えるというけどそれだけじゃない気がするんだが
めんどくさ。適当に検索したって、そこら中に報道等のインタビュー動画が証拠として転がってるぞ。
円安で生活が苦しくなっている日本国民のインタビュー動画や実際の声は、複数のメディアで明確に取り上げられています。[1][3][5][7][9]
- BS-TBS「報道1930」では、円安と物価高の影響を受ける年金受給者に直接インタビューし、「物価高で年金は著しく目減りしている」「バス旅行もやめた」等、生活が困窮している現状を語っているシーンが流れています。[3]
- YouTubeでも、【円安×インフレで国民は怒っている】というタイトルで、家計が実質的に苦しくなったと語る声や、実質購買力の低下に悩む現状が直接紹介されています。[5][1]
- さらに、「【貧困大国ニッポン】円の価値が下がり続ける日本…」という動画でも、実際に生活がしんどい、物価が高い、給料が上がらない、と語る人々が登場しています。[7]
- TBS NEWS DIG「止まらない円安」では、家計の負担が日々高まり、特に中小企業や一般家庭が苦しいことが現実の声と共に報道されています。[9]
### 実際に取り上げられている困窮の声
- 年金生活者の手取り減少や、日々の物価上昇に対する苦しさ。[1][3]
- 給料の上昇が物価高に追いつかず、実質的な生活水準が低下しているとの意見。[5][1]
- 若者や中間層も「生活実感として手取りが減っている」と答えているシーン。[5]
このように、円安による実生活の苦しさを訴える一般人のインタビュー動画は複数公開されています。実例が示されているため、「一人もいない」という主張は事実に合致しません。[3][7][9][1][5]
[1](https://www.youtube.com/watch?v=1CS6DZBMp2E)
[2](https://news.yahoo.co.jp/articles/3e0da44193b9e3f902774df86c68cdbb9f7564a8)
[3](https://www.youtube.com/watch?v=OsPUkERr07U)
[4](https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009521020221102002.htm)
そうは思うもweiboやってるわけでもなけりゃ中国語も読めねえし、ChatGPTに聞いてみた。
何回聞いても、まず返ってくるのは「んなことより自分の生活の方が大事なんだが」ということ。
次点で「台湾統一はいいけど戦争はやめてほしいなぁ」ということ。
年代によってもわかれるっぽくて、若者〜中年は上記のイメージで慎重な人も多い。でも、教育によって、台湾統一への意識は高い。
日本に関しても、個人的に日本は好きだけど、歴史的には良いイメージがなく警戒心がないわけではない。
それより上は台湾統一への意識も高いし、武力行使もやむを得ない的な感じらしい。
実際、武力行使で台湾を支配したとしても国内から反対の声があがることは少ないと思う。
でも、やっぱ時代なんかね。中国も平和ボケしてるっていうか、「今はそういう時代じゃない」感があるんだろうな。
>
「前に私は「日本には死気が漂っている」と言ったが、多くの人は信じなかった。
しかし今見てみれば、その“死気”ははっきりと顔にまで現れている。
気数が尽きつつある者は、どうしても死気が重くなる。ときに言動は荒唐無稽になり、意味不明の妄言を吐き、逆行するような行動をとる……。
死に瀕した者ほど、因果が遮られ、心智が曇り、目前に迫る破滅に気づけなくなる。
死気が頭にまで入り込めば、当然、破滅の道へと狂奔するだけだ。
日本のここ数十年の発展は、アメリカの庇護と冷戦の恩恵に頼ったものだった。その結果“ショーウィンドウ国家”として作られたが、そうした価値はすでに失われている。
そもそも、日本の資質、資源、規模では、持続的な発展など本来不可能だった。
過去、日本を「発展した国」と見るフィルターを外せば、次のような事実に気づくだろう。1990年以降、日本の半導体産業は死に、2000年以降は家電産業も死んだ。そして今や、自動車産業も長くはもたない。
トヨタ・ホンダ・日産など日本の主要自動車メーカーの2025年度上半期の決算によれば、2020年以来初めて7大メーカー全てが減益となり、合計損失は約100億ドルに達した。
今年9月には、中国における日本車のシェアは11.6%まで落ち込み、2020年の24.1%から半減した。
自動車産業は日本最後の大産業であり、日本経済の柱。その産業チェーンは500万もの家庭に関わっている……。もしこの産業が倒れれば、日本社会と経済は極めて大きな動揺に襲われる。
日本のインフラも産業も生産力も発展モデルも、どれも数十年前のまま。日本に旅行に行けばわかる。1億を超える人口が、まるで90年代で時間が止まったかのような世界に生きている。
今なおFAXを大量に使い、その横には判子を押すだけの社員がいる国だ。
家は古く、道路は古く、社会のあらゆる職場の人々も老いている。
技術者も、管理職も、一般社員も、同じ場所で何十年も動かず、辞めず、入れ替わらず、ポストを占有し続ける。若者には上に行くチャンスすらない。大した技術のいらない単純作業ですら、惰性で居座る“先輩”が大量に残っている。
日本社会は極めて抑圧的で、上下関係は硬直し、封建的残滓が随所に残る。「皿を7回洗う」「便器の水も飲める」とかつて称賛されたことも、実態は常態化した職場いじめであり、上から下へ、年長者から若者への服従テストにすぎない。
数十年の停滞の中で、日本人は皆“真面目なふり”“積極的なふり”を覚え、形だけの残業をし、プロジェクト書類は細かい条項で埋め尽くされ、一見厳密で職人気質のように見えるが、実は責任逃れの“免責文”にすぎない……。企業も社会も、誰もかれもが“不粘鍋(責任が付着しない鍋)”になっている。老いぼれた気配と死気が、日本人一人ひとりから漂っている。
今日、日本の多数の産業は競争力を失い、伝統的優位産業は次々と他国に取って代わられた。造船も太陽光発電もすでに壊滅。
日本のEV、インターネット、ドローン、AIはほとんど発展していない。
多くの日本人が不安、抑圧、苦悩の中に暮らしているが、文化と環境がそれを許さず、感情を外に出せない。そのため、日本人は長期にわたり異常で歪んだ状態に置かれてきた。
だから彼らは、時折“発狂”せずにはいられないのだ。歴史上何度もそうしてきたように。しかし、今の日本には賭けに出る資格すらない。航空機も艦船も年代物のポンコツ。空軍は未だF15(1976年就役)を主力とし、老朽化は激しい。駆逐艦もわずか8隻、レーダーもミサイルも技術は大きく遅れている……。
こんな状態で、何を賭けられるというのか?
家の資産が豊富で、体力もあり、生命力に満ちた国は、国運を賭けるような無謀はしない。なぜなら、公平に競争しても勝てるから、賭ける必要がない。
経済や産業の分野で少し圧力をかければ、規模と慣性と技術の差だけで、相手は疲弊し、穴だらけになり、支えきれなくなり、最後には行き詰まる。
それ昨日見たわ
「日本死気」
https://x.com/koheinet608/status/1989952126353903733
「前に私は「日本には死気が漂っている」と言ったが、多くの人は信じなかった。
しかし今見てみれば、その“死気”ははっきりと顔にまで現れている。
気数が尽きつつある者は、どうしても死気が重くなる。ときに言動は荒唐無稽になり、意味不明の妄言を吐き、逆行するような行動をとる……。
死に瀕した者ほど、因果が遮られ、心智が曇り、目前に迫る破滅に気づけなくなる。
死気が頭にまで入り込めば、当然、破滅の道へと狂奔するだけだ。
日本の戦後の発展は、アメリカの庇護と冷戦の恩恵に頼ったものだった。その結果“ショーウィンドウ国家”として作られたが、そうした価値はすでに失われている。
そもそも、日本の資質、資源、規模では、持続的な発展など本来不可能だった。
過去、日本を「発展した国」と見るフィルターを外せば、次のような事実に気づくだろう。1990年以降、日本の半導体産業は死に、2000年以降は家電産業も死んだ。そして今や、自動車産業も長くはもたない。
トヨタ・ホンダ・日産など日本の主要自動車メーカーの2025年度上半期の決算によれば、2020年以来初めて7大メーカー全てが減益となり、合計損失は約100億ドルに達した。
今年9月には、中国における日本車のシェアは11.6%まで落ち込み、2020年の24.1%から半減した。
自動車産業は日本最後の大産業であり、日本経済の柱。その産業チェーンは500万もの家庭に関わっている……。もしこの産業が倒れれば、日本社会と経済は極めて大きな動揺に襲われる。
日本のインフラも産業も生産力も発展モデルも、どれも数十年前のまま。日本に旅行に行けばわかる。1億を超える人口が、まるで90年代で時間が止まったかのような世界に生きている。
今なおFAXを大量に使い、その横には判子を押すだけの社員がいる国だ。
家は古く、道路は古く、社会のあらゆる職場の人々も老いている。
技術者も、管理職も、一般社員も、同じ場所で何十年も動かず、辞めず、入れ替わらず、ポストを占有し続ける。若者には上に行くチャンスすらない。大した技術のいらない単純作業ですら、惰性で居座る“先輩”が大量に残っている。
日本社会は極めて抑圧的で、上下関係は硬直し、封建的残滓が随所に残る。「皿を7回洗う」「便器の水も飲める」とかつて称賛されたことも、実態は常態化した職場いじめであり、上から下へ、年長者から若者への服従テストにすぎない。
数十年の停滞の中で、日本人は皆“真面目なふり”“積極的なふり”を覚え、形だけの残業をし、プロジェクト書類は細かい条項で埋め尽くされ、一見厳密で職人気質のように見えるが、実は責任逃れの“免責文”にすぎない……。企業も社会も、誰もかれもが“不粘鍋(責任が付着しない鍋)”になっている。老いぼれた気配と死気が、日本人一人ひとりから漂っている。
今日、日本の多数の産業は競争力を失い、伝統的優位産業は次々と他国に取って代わられた。造船も太陽光発電もすでに壊滅。
日本のEV、インターネット、ドローン、AIはほとんど発展していない。
多くの日本人が不安、抑圧、苦悩の中に暮らしているが、文化と環境がそれを許さず、感情を外に出せない。そのため、日本人は長期にわたり異常で歪んだ状態に置かれてきた。
だから彼らは、時折“発狂”せずにはいられないのだ。歴史上何度もそうしてきたように。しかし、今の日本には賭けに出る資格すらない。航空機も艦船も年代物のポンコツ。空軍は未だF15(1976年就役)を主力とし、老朽化は激しい。駆逐艦もわずか8隻、レーダーもミサイルも技術は大きく遅れている……。
こんな状態で、何を賭けられるというのか?
家の資産が豊富で、体力もあり、生命力に満ちた国は、国運を賭けるような無謀はしない。なぜなら、公平に競争しても勝てるから、賭ける必要がない。
経済や産業の分野で少し圧力をかければ、規模と慣性と技術の差だけで、相手は疲弊し、穴だらけになり、支えきれなくなり、最後には行き詰まる。