はてなキーワード: プリズマイリヤとは
禁止ツッコミは「FGOそのものがつまらん」とは先に言わせてもらう。
今やってる「ファイナル・ハロウィン2025 ~パンプキンプラネットに輝く歌姫~」っていう実質第何回目かわからんFate EXTRA CCCコラボシナリオなわけなんだけど
その理由が「サーヴァント・ユニヴァース」って設定にあるのな。
FGO知らん人向けの説明は省くけど端的に言ってしまうと「Fateのキャラを使った解像度の低い雑なアメコミ風世界観」があって、今回のイベントはそこが舞台。
で、何がつまんねえかって言うと
エリザベート・バートリーっていう、TYPE-MOON設定では「生前に600人を美容目的で殺した」「夫との間に6人の子供を産んでいる」「拷問が趣味で自分のメイドに、そのメイドの娘の生皮を生きたまま剥がさせて殺す」「領民の若い女性を殺し尽くしてしまったので他領の貴族の女性までパーティで呼んで殺す」
という最悪な連続殺人鬼というバックボーン持ったキャラで、今まで散々彼女をイジってきたのは「冷静になると生前の罪悪感に苛まれるから今しか考えずに狂うしかない」ってのはいいんだ。
キャラとしてそれで成立している。
問題は、そのキャラが強くなる為に「サーヴァント・ユニヴァース」っていう何でもありな世界にお膳立てしてもらうしかなかったっていう事。
例えば近年だと「ツタンカーメン」なんかは「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」の弟のテオの策謀によって「肉体的ハンデを克服したツタンカーメン」という形で本来ありえない姿になるという形で強化された。
これはFateシリーズの「時代も国も神話も違う者同士が交差する」っていう作品が持つ魅力をちゃんと使っていてとても良い例。
キャラクターを強くするというのはこういう形を使ってやってほしい例。
それに対してユニヴァース系がつまんねーのは
月姫のキャラのシエルをスターシエルにするのとか、今回のパーフェクト・エリザベートもそうなんだけど。徹頭徹尾雑と言うか
Fateの面白さである「時代も国も違う英霊達が織りなす物語の帰結として起きた出来事」でもなんでもない事で「あのキャラクターがすごくなった姿」ってのを描写した事。
いや、今回はスペースアポロンの誘導だろ?って思うかもだけど、サーヴァント・ユニヴァース使った時点でもうなんでもありすぎて
「本来ならありえない状態」を実現させるって、脚本力さえあれば可能だと思うんだよ。
FGO以外の今やってるFate漫画作品ってどれもこれも面白いと思うんだよね。
「フェイト/エクストラ CCC FoxTail」「プリズマイリヤドライ」「ロード・エルメロイⅡ世の事件簿」「Fate staynight(UBHとHFと衛宮ごはん)」「サムライレムナント」「蒼銀のフラグメンツ」「帝都聖杯奇譚 Fate/type Redline」
生きているマスターと、一度死んだ英霊であるサーヴァントが織りなす物語とドラマ。なんでもありじゃなく、その世界観が積み重ねたルールの範囲内でそれぞれのキャラクターが目的に向けて足掻くからこそ、様々な要因が絡まって織りなす戦いの果てに想定外の飛躍がある。面白い。
FGOは他作品に比べて全体的にすげえ雑な事が多くて萎える事が多い。
それなのに一番人気あるのがFGOってのが本当に解せない。
面白くなかっただろ?ファイナルハロウィン・・・。奏章4も。ヴァニッシュドビギニングも彼の名はダンテ~ホテル・デノヴォのコンシェルジュ~も小野小町古今抄 〜雪消月のキラキラ蓮華〜も
もちろん今年でも「ぐだぐだ新選組ジ・エンド」「落涙の翼」「育て!マイリトルドラゴン」は面白かった。ただ、打率めっちゃ低いよなって。
サーヴァント・ユニヴァースはその設定が出た途端につまんないの確定するからもう使わないでほしい。ほんと。
あと、ぐだぐだ新選組については同じ国・似たような時代の人間で固めすぎて同窓会にしすぎるのも考えものだなって思いました。面白かったけど。
よくBLは性欲を満たすために読まれていると言われるけど自分に置き換えて考えてみると?となった。
萌え系(死語?)を見たり読んだりするのはそのキャラに恋して性欲を発散するためと言われることがあるから、これが反証できてしまうとBLについても疑わしくなる。
それでもきっとプリズマイリヤは美少女メインのバトル物は読んでいるし、ぷぎゅるやまりまりマリーゴールドといった女の子メインのギャグ4コマを読んでいることは想像に難くない。
性欲がないことはこれらの面白さを全く棄損しない。これらを読むインセンティブを棄損しないと思う。
同じようなジャンル、たとえば不条理ギャグを掛け合うキャラが少年や青年たちだったら相変わらず自分には見るに堪えない。
ビジュアルがどうしてもソフトホモを彷彿とさせて生理的に無理。在りし日に塾のクラスメイトがよく話題にして辟易していたゼロサムコミックが思い出されて無理。
萌えと言われるものを摂取したくなる動機は性欲ではないと思う。
それに恋愛感情は性欲を美化した表現だというなら、恋愛感情でもないことになる。
自分のことは一介の草食系の一人だと思っていたけど、アセクシャルの気があるのかもしれないとここで思った。
いや、今は逆に、全てのヘテロ男は女と話すとき察せられないように視線は動かさずに視界の端からの情報だけで胸とかどうかなとかいちいち確認しているほどには女をモノとしか見てないと思える程度には、自分自身にそういう欲がある。
自分の中に根本的にそういう欲があると思ってるからじゅん散歩で高田純次が高嶋ちさ子と話してた時も視線からは一人の人間として話している印象しかなかったけどきっと胸とか、顔以外の肌の露出した部分の有り様を確認しているのかなと思ってる。
自分は(男がみんな持っていると自分が思っている)自分の下種な部分を知っているから女とは距離を置く。人として見れない。
これで去勢したらどうなるか?いよいよ全く女と関わる動機がなくなる。いやそもそも男と関わってるわけでもないので、純粋に内向的な娯楽以外の欲がなくなるだけ。
世の中で草食系と自分を認識している人でも実際はアセクシャルもそれなりに混じっているのではないかもしれない。これは発見だね。
確かに成人向け単行本とかは読まなくなるな。pixivのr18も覗かなくなると思う。しこるための手段としてしか見てないから。
でもEBAの超能力者とかストーリーとして楽しめるものは例外で読むかな。
でもBLは女版萌えなんだろうし、性欲とは違うんじゃないの?
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ネットとかで漫画家とかについて連載してるうちに絵がうまくなったねみたいな話を見ると困惑する。
まず絵がうまいとはどういうことなのか。単なる画風の変化とは区別されることなのか。と思う。
たとえば描き込みが多くなったとかで絵の上手いと評するのは安易に過ぎるだろう。
それは多分その人自身の星のカービィとかアンパンマンとかを落書きした経験から語られているのだと思う。
つまりそういったキャラは確かにオリジナルの描きこみ量も少ないし、それらを幼少の自分さえそれっぽく描けた経験から、描きこみ量と絵の上手さ(=真似できない度合い)は比例するという考えに至っているのかもしれない。
まあハム太郎なんかになると一見単純そうに見えてそれっぽく描くのも難しんだけどね。
(「何描いたか当ててみて!」「すみっこぐらしにそういうキャラがいたような…?」)
線を多くする方がバランスを取りやすいって書道におけるのと似たような説もあるぐらいだし、なんともいえないんだよね。
またかりに「真似できない度合い」でオーダーをつけようとするなら、個々人における真似できない度合いというものは題材により入れ替わり得るものなので、平均化して論じなければならない。
俺はプリズマイリヤとロザリオとバンパイアにおいてそういう言説を見たけど、やはり画風が変わっただけじゃないのかとしか思えなかった。
Fateという作品が非常に気になっていたので、ここ数年Fate関係をずっと漁って、Fate/Staynight → Fate/ZERO → Fate/UBW → Fate/HF → Fate/Extra(アニメ) → Fate/プリズマイリヤ1,2,3 → Fate/Apocrypha → Fate/Extra(ゲーム) → Fate/Extra CCC → Fate/Extellaという順番で消化し続けてきた。途中Type-Moonの世界観が共有されているとのことなので、空の境界のOVAを6作見てみたりもしてみた。そしてその結果として、言いようのない気持ち悪さを覚えたのでここに書き散らす。ぶっちゃけると奈須きのこ、てめえは駄目だ。人間ってもんがぜんっぜん書けてねえ!!
Fateのヒロインって奴は、というよりType-Moonの主要ヒロインは以下にまとめることができる。
・遠坂凛
・玉藻の前
・クロエ
・美遊
まあだいたい出てくるヒロイン枠はこんなもんなんだが、ぶっちゃけエロゲと同じでわりと単純で簡単に類型化できてしまう(どうして簡単にかつ単純に類型化できるのかは実は一言で表現できるのだが、それは次のチャプターで話す)要するに以下のタイプしかいないのだ。
・食い意地が張ってるので、基本は食事で胃袋を掴む
・使命感を捨てて恋に生きるよう説得するため、とにかく女の子扱いする
・不器用な生き方そのものを肯定し、過去の傷を舐めて肯定してやる
・チャラい、不真面目
※要するにギルガメシュ
・チャンスを見て、心のSGを暴いたり、心の中身を覗き込んで一旦丸裸にした上で従順にさせる
・たまに大真面目に褒めると照れるので、褒めのジャブを入れつつ、好意をストレートに打ち込むと何故か落ちる
・間桐シンジ
・真面目な朴念仁で、目的のために愚直に突き進む優男タイプに弱い
・ド直球に大してド直球に返す、沈黙に沈黙を返して誘い受けする、これを繰り返していると勝手に相手が落ちている
・倫理にもとる行為をしても基本的には立ち位置を信頼モードにして「何があっても一緒だよ」「過去どんなことがあっても俺は気にしないよ」と言い続ける
・意外と寂しがり屋だったり、わりと物事を達観してる節があるので、そういうときに包容力を見せるだけで落ちる
・こいつら自身が裏表があるタイプなので、裏表が通用すると思ったら間違い
・下手に策を弄するよりも天然を地で行くタイプに弱い。本人たちもそこがわかってるから冗談交じりで愛情をストレートに表現してくる。
・とにかくこいつらは寂しがりで承認欲求が強いので、友達とか絆とか特別というキーワードに弱い
・特に精神的な繋がりを重要視するだけで、それを与えるだけで生きる目的にすらなっちゃう
・精神的な闇の部分も含めて「お前が特別」を与えてやるだけで落ちる
・必ず不器用な一面を見せる
アホかってくらいみんなこれに該当する。そのせいで(2)Fate男主人公全般に見られる妙な脱個性&表面的素朴化が起こってる。
Fateというか、Type-Moon系の主人公格はほぼ以下の五人に集約できる。すなわち黒桐幹也、衛宮士郎、ジーク、岸波白野、藤丸立香の五人である。これは女ヒロインがType-A~Dの四種類に集約でき、かつ変形種まで存在することから考えると驚くほどに単調で少ない。とはいえ一応五人はいるのだから、五人を一人ずつ分析していってもいいのだが。ぶっちゃけるとこの五人、精神分析するまでもない。細かい差異はあれど以下の一行に簡単に集約できてしまう。
マジでこれは異論は認めない。ぶっちゃけTypeMoon系の主人公(男)ってやつはどいつもこいつも女に対しておんなじアピールしかしてない。驚くくらいこれがまったく変わってなくて驚きを通り越して笑えてくる。マクロス・フロンティアでMay'nが歌うノーザンクロスに「君を掻きむしって濁らせた、なのに可憐に笑うとこ、好きだったよ」という歌詞があるが、まんまこれである。すなわち「お前の本当の姿は可愛いんだろ?そんなお前を俺は知ってるZe!放ってなんかおけないZe!」「僕を傷つける君でも、俺はお前を好きだZe!放ってなんかおけないZe!」のどっちかを繰り返して女の子を包み込んでいるだけなのである。その証拠に各々のメインヒロインをFate/StaynightシリーズとFate/Extraシリーズを用いてざっくりどうやって各主人公が落としてきたかを振り返ってみよう。
「士郎は卑怯です、私の過去を知って、何度も私の中に入ってきた(性的に)」
→「惚れちまってんだから仕方ないだろ、俺はお前をこのまま放っておけないZe!」→「俺はお前を救いたい」→陥落
「(アーチャーが私を裏切った…!?そんな…っ)士郎、今日は疲れたでしょう、もう休みなさい」
→「お前の方が辛いはずじゃねーか、俺はお前をこのまま放っておけないいZe!」→陥落
「先輩、私綺麗じゃないんです、もうずっと前から汚れた女なんです」
→ 「そんなお前をこのまま放っておけないZe!俺は女としてのお前を求めたいんだZe!」→陥落
「奏者よ、本当の私は悪名によって星に刻まれた為政者なのだ。為政者としての余は完全に間違いばっかりなのだ」
→ 「そんなお前の姿が俺には眩しいZe!」
「私は傾国の姫君、私は人とは一緒にいられない、一緒にいてもどうせ不幸にしてしまう、」
→ 「そんなお前が俺との何気ない日常を選んでくれたことが俺はうれしいZe!俺はお前を信じていたZe!そんなお前を俺は好きだZe!」
「私は破壊の王、命を奪いたくは…ない、私は、その意味をまだ知らない。だが私には、破壊しかないのだ。他には…何もない。だから…」
→ 「お前の本当の姿は可愛いんだろ?そんなお前を俺は知ってるZe!放ってなんかおけないZe!」
ぶっちゃけFate/Extra、Extellaなんてのはストーリーはメチャクチャ単純で、主人公の事を好きな味方(サーヴァント)を連れて聖杯戦争を進んでいく内に主人公の事を好きな敵が現れて、その敵から主人公が逃げたり逆にその敵を救おうとして失敗してを繰り返しながら、ラスボスとの戦いで主人公を好きな味方と敵の全員が力を合わせ、最後にラスボスを大団円で倒した後に、切ない別れが待っている、以上。もうぶっちゃけこれだけである。FGOもほとんどこれを繰り返してるだけ。(※この系譜に当てはまらないのはせいぜいがFate/ZeroとFate/Apocryphaくらいのもんで、しかもこの2つは両方ともメインライターは那須きのこじゃなくて虚淵と東出)那須きのこの描く女性像、特にヒロイン像ってヤツがいかに偏ってるか、いい加減気づいた方が良い。こいつにとってヒロイン女ってのは精神的脆さという名前恋愛スイッチが存在していて、そこを押しさえすれば女はみんな落ちると思ってる。でもってそのためには男は全員器が謎に広くて天然朴念仁でありながらストレートに女性を褒めることも出来て自分のピンチにも泰然自若としている肝っ玉のある男じゃなきゃいけないわけだ。
このヒロイン像に対比する形で生まれた男性像が顕著といえるのが<空の教会>の黒桐幹也くんである。
筆者は空の教会の「殺人考察(前)」編で両儀式から殺されかけて逃げながらも彼女を何度も振り返って見つめ合う黒桐幹也になんだかシュールなものを感じてしまって半笑いになってしまったのだが、とにもかくにも那須きのこのヒロインを救う主人公(ヒーロー像)ってのはこのときからまったくといっていいほど変わっていないことが伺える。この異常なヒロインをそれでも愛するヒーロー(男性)というのはFateにも結構登場していて、藤丸立香や岸波白野だけじゃなく、メディアさんの恋人ポジションである葛木先生なんかはモロにそのポジションだったりする。特に岸波白野くんの包容力演出の異常さに関してはメルトリリスやパッションリップのエピソードでも充分に語られているから分かるだろう。基本的に那須きのこ氏の作品に登場するメインヒロインたちは絆や深い関係を作るために何らかの精神的ウィークポイントが存在しなければならず、そこを無意識に突くことができ、かつ人格的にも不安定な彼女たち(意図的に男性の手の中に転がりやすい存在として貶められている彼女たちの人格)を包み込んであげるためには、ヒーローたる男性は極端なまでに懐が広くて朴念仁でお人好しでなければならないというわけだ。
これって西尾維新とかの物語シリーズにもよくあるんだが、とにかく女性という存在を何かと欠陥のある存在にしたがっている。「欠陥のある存在にしたがる」というのは要するに、手触りがあって男の手の中に何となく収まってくれそうな存在に押し込めたがる傾向がある、という意味だ。早い話が心に隙間のある人間に仕立て上げることで、弱点スイッチを作っていることだと言っていい。そしてそこを上手に押してくれる男性をヒーローと仕立てあげる構図を作り上げている。これは病的なまでにすべてのヒロインに共通して言えることである。例えばFate/Extellaに登場するアルテラは1万4千年前の世界を滅ぼした遊星の尖兵たる巨神そのもので、その気になればサーヴァントたちのみならず神級の英霊をも下すこともできる超弩級の危険人物なのだが、どういうわけか主人公に惚れていて何故か必要もないのに彼にプログラム世界であるにも関わらず料理を振る舞ってみたり、甲斐甲斐しく抱きしめてみたりする意味の分からないエピソードが大量に存在する。そしてどういうわけか主人公の昔の英霊パートナーに嫉妬したり、主人公と会話をしたがるも話すことが見つからなくてじっと見つめてしまったり、逆に見つめ返されて恥ずかしがったりしてしまうのである。
この一言に尽きる。だから女性ヒロインにわかりやすいテンプレを付けすぎて、しかも毎回それを使いまわしすぎる。そして男性ヒーローに対して、女性を救う存在とさせすぎる。一言で言えば、女を舐めすぎだ。この辺は主人公(男)がしょっちゅうヒロイン(女)をからかったり弄ったりすることからもよく分かる。その弄り方のほとんどがどうにもこうにもヲタ臭いのだ。
別に人間なのだから、弱点を押されれば弱いのは分かる。精神的な脆さや寂しさが女の魅力になることも分かる。
でもそれに頼りっきりかっつー話である。いい加減恋愛スイッチのあるヒロインをヒーローが助ける構図をやめてみたらどうなのか、と。例えば歴代の有名ヒロイン・綾波レイに恋愛スイッチがあったか?ガンダムのララァに恋愛スイッチがあるのか?ヒーローはいつだってヒロインに愛されていなければならないのか?そうだとしても、それは常に恋愛という形である必要があるのか?ときにはヒーローこそが、心理的に成長する物語を描いたっていいんじゃないか?Fate作品のヒーロー(男性)が画一的で単調なのは、決してヒロイン(女性)を魅力的に描く上でそれが必然だからなのではない。単純にヒロイン(女性)をきちんと描けていないから、その対存在であるヒーロー(男性)が対応する形で単調な存在になってしまうのである。
ポケモンのレッドや.hackのカイトのような、没個性的な男性を主軸に置くことを続けていくことは否定しない。しかしあえて言おう。真の意味での没入感や共感を視聴者が得るためには、登場人物には哲学や主張が存在しなければならない。中庸をいく存在であってはならないのだ。極端に何かを主張する存在でなければならない。それでいてなお、視聴者の好意を射止める存在でなければならない。そしてそれに共感するか否かは、すべて視聴者に委ねるべきなのだ。
この点を非常にうまくやったのは間違いなく虚淵氏である。Fate/Zeroの主人公たる切嗣は、主人公としては実に賛否両論だろう。この主人公に対して感情移入できたのかどうかは実際のところ評価の別れるところだし、正直行って那須きのこ氏が展開する没個性型の主人公とはまったくもって一線を画す、主義主張の塊のような漢だ。しかしどうだろう。不思議と切嗣を憎めない。また那須きのこ氏がヒロインとヒーローにばかり話の焦点を当てるのに対し、虚淵氏が上手いのはヒロインとヒーローが絡むメインテーマに対して、ヒロインとヒーローとは異なる視点におけるサブシナリオをきちんと描いてメインテーマに関連付けさせるところだ。衛宮切嗣に対して言峰綺礼をきちんと置くし、セイバーに対して、きちんとウェイバーとイスカンダルそしてギルガメッシュを置く。(※この違いはなんのかというと、要するに虚淵氏が単にラブコメも恋愛もあんまり書くつもりもないからなのだが)
したがって、那須きのこ氏がこの課題をクリアするためには、まず安易なラブコメや恋愛スイッチヒロインを描くことをやめるところから始めるべきだろう。もっと多種多様な人間の感情模様を描くべきだし、そしてもしそれがきちんと出来ていれば、主人公(男)があれほどまでに没個性的で妙なヲタのりをする奇妙な包容力のある人物になるわけはないのである。
本編の真面目(?)な内容をさておいて、エッチなスピンオフをやるという概念自体が面白いですね。
そこで、様々な面白い漫画に、ちょっとエッチなスパイスを振りかけたスピンオフをやってもらい、その作品の魅力をより引き出そうと思います。
かーはらがみひろに告白しておつきあいを始める、ガチ百合もの。
百合とゲームの相性がいいのは、いつかみのればが証明してるので、面白いに決まっている。
そもそも、プリズマイリヤ自体がFateのイリヤルート同人版なのでは? という意見はちょっと何言ってるかわからないです。
いいですか、魔法少女が同人誌に出演される際に使う魔法はなんですか? そうです、同級生の目の前や、人がたくさんいる往来でエッチなことをしたあと、その人たちの記憶を消す魔法です。
なので、それです。
そもそも、リリカルなのは自体がとらハの同人版…… ではないので、これは問題ありません。
いいですか、魔法少女が同人誌に出演される際に使う魔法はなんですか? そうです、同級生の目の前や、人がたくさんいる往来でエッチなことをしたあと、その人たちの記憶を消す魔法です。
なので、それです。
(なおこの文章は「繰り返し同じことを書いても大丈ブイサイン」の魔法をかけてあるので、大丈ブイサインです)
ぶっちゃけ、くーねるまるたで知ってることなんて、ポップコーンのあまりをもらって喜ぶあの一ページだけで
くーねるすまたの方が読んだことあるページ数多いので、なにも思いつきません。
基本的には、けものフレンズみたいな優しい世界のほんわかしたストーリー。
ただ、最後の最後で、マキシがフンフト(≒ベリン)から預かった花の種をタイカ宇宙でも植えた後、
モナークセイクレッドがジョーカーからタイカに移動していくシーンで終わる。
作者が木多康昭。
要するにヒロインが、宮村優子、榎本温子、日高のり子、水谷優子、山賀博之の五人の五等分の花嫁です(花嫁いなくない?)
アムロとシャアがわかり合いモビルスーツ越しに抱き合う、ララァがほったらかしにされる。
『THE NEXT GENERATION パトレイバー 』(ザ・ネクスト・ジェネレーション パトレイバー)は、メディアミックス作品『機動警察パトレイバー』実写版プロジェクトの総称である。『TNGパトレイバー』と略される場合もある。総監督/監督/脚本は、押井守。
昨日にFGO関連のホッテントリがあって議論が盛り上がってたので、ついFGOに手を出してしまって
思うところがあって書いている
いままでFGOはソシャゲでなんか違うなと敬遠してやっていなかったのだが、やってみて
やらなきゃよかったと少し後悔している。
Fate系の外伝はあまりやっておらず、主要な作品とそのアニメ化をフォローしていた感じ。
本編の雰囲気や世界観が好きで、その後日談となる軽いノリの作品も好きだが、過度に本編から外れているものはあまり受け付けなかった。
プリズマイリヤとか。 タイガー道場とか教えて知得留先生みたいなノリも好きなんだけど、本編がそのノリしかないものは違う感じ。
独特の緊張感のある雰囲気というか、奈須きのこの文体のPCゲームの雰囲気が好きなんだと思う。
そんな俺がFGOを始めて、その世界観がソシャゲに毒されたんだなぁと感じてしまった。
歴史上の有名人物を片っ端からサーヴァントになってしまっている。一人ひとり細かく設定があり、それが相互作用を起こしてストーリーが進んでいくのが良かったのに、
アサシンなんてハサン・サッバーハのうちからしか選ばれない設定だったのに、アホほどいる。
別にソシャゲが嫌いなわけではなく、色々とプレイしたが、FGOはやるべきでなかった。
そりゃゲームは良く出来てるよ。アニメーションもヌルヌル、ケレン味ある動きするし、ビジュアルノベル時代と比べ物にならない。
けど違うんだ。
俺自身は、昔からのファンでることでマウントしたり、老害になりたくないと思っていた。
だが今の時代、Fateや型月といえばFGOであり、昔からの型月厨と大きな隔たりができてくるのではないかと。
そのうちマジョリティのFateファンはFGO新規プレイヤーになり、話が合わなくなっていきそうだ。
FGOから入って、過去作品のどれからプレイ、視聴すればいいかという相談がよくあるが、
FGOから入った時点でFate stay nightのサーヴァントの真名というネタバレをされている状態だ。
特にアーチャー周りはひどいと思う。(だからディーン版アニメはFateルートなのにあっさりアーチャーネタバレするから嫌いなんだが)
Type-MoonがFGOで稼いで生き残ってくれるのはとてもよいことだし、ファンが公式の出したものに文句を言ってもしょうがないと思っている。
それでも俺が望んでいるのは、月姫2と魔法使いの夜の第二部など、洗練された世界観のPCゲームであって、ダラダラやり続けるソシャゲではない。
type-moon wikiを見て、各作品の共通する設定を眺めてるだけで楽しいはずだったのに、