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田久保市長が『高校の卒業証明書』提出…自らの学歴詐称問題受けた新たなルールに基づき 静岡・伊東市(静岡朝日テレビ) - Yahoo!ニュース
中国製の精巧な偽ブランド品を「S級」とか「N級」とか呼び始めたのは、もう何十年も前のことだ。
偽物であるにも関わらず、場合によっては本物よりも上質で、安い。
そういったものが出回るための条件は簡単だ。製作費よりも、それに付けられた値札の方が遥かに高ければ良い。
つまり、現代においてブランド品というものは、それを作るための費用よりも不当に高いということになる。
学歴を詐称して選挙に勝つのも同じことだ。選挙の過程でその真贋がわからないということは、
政治家にとって学歴というものがあまり意味を成さず、有権者にとっても、為政者が勉強の出来る人物かどうかにこだわりがないということだ。
有権者が5万円貰って喜んでいる程度の発想しか持たなければ、インフレは酷くなる。そのための財政規律だ。
アホな為政者や権力者にとっては、被支配者がアホなほうが都合がいい。
アホは考えない。考えられない。
理解できないものを叩けば、心の平穏が保てるんだから、そりゃ気持ちいいよね。
AIまで使いやすくなっているから、もうアホ量産システム完成ですよ。
収益化までできちゃうんだから一石二鳥どころか金の卵よ。ウハウハですわ。
でもね、アホとひとくくりに言っても、みんなが最初からそうなわけじゃない。
日々の生活に追われて、考える時間も心の余裕もなく思考力を削がれて、気づけば流される側に回ってる人も多い。
そういう社会の仕組みそのものが、為政者にとっての理想形なんだろう。
でもアホを増やしすぎると制御不能になる。そのうち暴徒化、革命コース。
日本でそこまで行くかは知らんけどね。
マジで目の前の札束の高さ、銀行の預金残高しか見えてなくて、それ以外の様々な「利益」「価値」、資金の回転等、総合的なことが考えられない、ただの田舎者のケチ政権だよな。
為政者は経済経営のことを知らないといけないとは常に言っているが、金勘定しかできない経営レベルで、金勘定しかできないようじゃお話にならん。
それによってもたらされる「秩序」が自分たちを支えてる、というのが見えないのだな。
まぁ、今までの「経営者ぶり」からすりゃ、こうなるしかないわな、とも言えるが……。
バイデンとどちらがマシだったか? って言われたら、サナダ虫たっぷりの犬のフンと、ギョウ虫たっぷりの猫のフン、どっちを食べるか? レベルの違いでしかないんだよな。
なぜなら日本ではイスラエルによるパレスチナ人虐殺について大規模なデモが起きなかったから。
アメポチやってる国は日本以外にも沢山あるが、例えばカナダでは3万人、オーストラリアでは9万人のデモがそれぞれ起きた。
カナダの総人口は日本の3割、オーストラリアは2割にも関わらずである。
彼ら人権意識の高い「やかましい国民たち」のお陰で、カナダとオーストラリアはパレスチナを国家として承認できた。
去年、長崎の平和祈念式典を他のG7各国にボイコットされておいてこの体たらくである。
承認によってアメリカから経済制裁を受けた場合、このプライドの無いカスみたいな国民を納得させられると思うか?
言い換えればお前らは政府に信頼されてないんだよ。
石破見損なったじゃねぇんだよ。お前らが石破に見損なわれてんだよ。
日本では70年代以降の負の記憶もあってデモに対して消極的な者が多く、政治参加の指標も他の民主主義国家に比べ低い。
それを言い訳にしてお前らは、AIと区別のつかないSNSというゴミの山で、イーロンマスクに操作された世論の中、永遠にむなしい人権ゴッコするだけの無意味な人生なんだ。
一座の政局、風雲急を告げしこの一月余、自由民主党の諸公、舞台に登場し、辞任の時機をめぐる沈黙と示唆、総裁選の前倒しをめぐる策謀、幹部の往来、言葉の綾を尽くし、政道の妙技を余すところなく披露せられたり。その演目、まことに華麗にして緻密、剣闘士の試合にも劣らぬ迫真の趣きあり。国民の耳目を奪ひ、政局の一挙手一投足に世の関心を集めしこと、比類なきものと申すべし。
然れども、民の膳に供されるべき「パン」は、いまだ姿を見せず。給付も減税も、言葉の綾にとどまり、実の施策は遠きにあり。古代ローマの為政者、剣闘士の血を以て民を酔はせ、穀物の配給をもって民を養ひたり。その政治、退廃の兆あらばとて、民の腹を満たすことを忘れざりき。今の政局、演出の妙において古代に比肩すれども、民の暮らしに資する施策の供給においては、いまだ及ばざる感あり。
願はくは、せめて古の世よりは、まことに叶ふ政の営まれんことを。
このたびの一座に対し、深き感慨とともに、ここに謝意を表すものなり。
ローマには 比すも畏れ 多きかな されども膳は いまだ空なり
昔の偉い人は言ったもんだ。「神輿は軽くてパーがいい」。担ぎやすくて、余計なことを考えない方が、周りも扱いやすいってことだ。最近の永田町を眺めていると、この言葉が妙に説得力を持って響いてくる。特に、国民民主党の玉木雄一郎と参政党の神谷宗幣の二人を見ていると、まさしくこれなんじゃないかと思えてくる。
まず国民民主の玉木。彼のフットワークの軽さ、というか、信念のなさ、というか。一体どっちを向いて政治をやっているのか、さっぱり分からない。「政策本位」とか「対決より解決」とか、聞こえのいい言葉を並べるけど、要は与党にすり寄って美味しい汁を吸いたいだけに見える。
ちょっと前まで野党として政府を厳しく批判していたかと思えば、次の日には自民党と連立を組むの組まないのと色気を出し、防衛増税には賛成してみたり、かと思えば賃上げが実現しないなら政権を倒すとか言ってみたり。その言動のブレっぷりは、もはや芸術の域だ。
彼にとって政策なんて、その時々で与党に取り入るためのアクセサリーみたいなもんなんだろう。だから、担いでいる支持者や党員はたまったもんじゃない。あっちへフラフラ、こっちへフラフラ。神輿自身がどこへ行きたいのか分からないんだから、担ぎ手は振り回されるばかりだ。でも、為政者、特に自民党からすれば、こんなに扱いやすい「軽い神輿」はないだろう。適当に持ち上げておけば、勝手に与党の補完勢力として動いてくれるのだから。
そしてもう一人の神輿、参政党の神谷宗幣。こちらは「パー」な方の典型だ。彼の口から語られるのは、耳障りのいい言葉でコーティングされた陰謀論の数々。反ワクチン、反グローバリズム、特定の国への敵意。どれもこれも、複雑な社会問題を単純な敵と味方の二元論に落とし込み、「あいつらが悪い」と指を差すだけ。
考えることを放棄した人たちにとって、その分かりやすさは麻薬のようなものだろう。自分たちが抱える不安や不満の原因を、すべて外部の「敵」のせいにしてくれるのだから、これほど楽なことはない。
しかし、そんな神輿を担いだ先に何があるのか。科学的根拠を無視し、デマや偏見を煽り、社会の分断を深めるだけだ。国政を担うべき人間の主張としては、あまりに無責任で危険すぎる。だが、熱心な支持者にとっては、自分たちの代弁者として頼もしく映るのかもしれない。まさに「パーな神輿」の真骨頂だ。
ひるがえって、れいわ新選組の山本太郎はどうだろう。彼はこの二人とは対極にいる。彼の政策提言は、常にデータと徹底した調査に裏打ちされている。国会質疑を見ても、その知識量と追求の鋭さは他の議員の追随を許さない。彼は間違いなく「賢い」。
しかし、その賢さ故に、彼の神輿は「重い」。彼の主張する内容は、既存の利権構造に切り込むものばかりで、既得権益層からすれば煙たくて仕方がない。また、彼の理想は高潔だが、それを実現するための道のりは険しく、即効性のある解決策を求める大衆には、その正しさが届きにくいのかもしれない。
「消費税廃止」という分かりやすい旗印を掲げてはいるものの、その根拠を丁寧に説明すればするほど、話は複雑になる。人々の暮らしを本気で良くしようという情熱は本物だろうが、その「賢さ」と「重さ」が、かえって大衆からの支持を広げる上での足枷になっているとしたら、皮肉な話だ。
結局のところ、有権者はどんな神輿を担ぎたいのか、という話に行き着く。
それとも、耳の痛い正論を突きつけ、険しい道へと我々を導こうとする「賢くて重い神輿」か。
玉木や神谷のような政治家が一定の支持を得ている現状は、日本の民主主義が抱える病巣の深さを表しているのかもしれない。考えることをやめ、軽くてパーな神輿を担ぐ方が楽だと感じる国民が増えれば、この国は静かに、しかし確実に沈んでいくだろう。俺はそんな未来はごめんだ。
まずな、
どこの政党も言ってること一緒なんだよ。
つまるところ、
これな。
で、なんでそうなるかっていうと、
つまり各々が「労力に見合ったリターン」を考えて
合理的に行動した結果、
言ってることが似通ってくるわけよ。
で、当選すりゃ御の字なわけよ。
でもな、じゃあ仮に、
まかり間違って本当に減税とか景気回復とかがうまくいって、
国民の“余剰”が増えたとするよ?
そこで問題。
短期最適で票とってきたやつらが、
その余剰を「どう使うか」まで考えてると思う?
んなわけねーだろwwwwwwww
よくさ、ブラック企業で90連勤してる奴が
「ここを踏ん張ったら…楽できる…休み、取るんだ…」
とか言うじゃん?
ないよなwwwそれなんだよ。
「頑張って余剰作ったら、きっと楽できる」っていう、
そこを突いて、あいつらは票を集めてんのよ。
でもよ、逆なんだよ。
減税とか成長とかより、
…というわけで、
今あいつらが言ってること、
選挙?行くのもいい。
でもな、
って思わせるためには、
それよ。
な?わかった?
まずはつぶやけ。「休みくれ」ってな。