はてなキーワード: マッチポンプとは
こんな副業どうですか?
今月は売上すでに7万円+500ドル。作業時間は12時間くらいだから時給1万円くらい。
やることは依頼のあった他人様のイラストを引用して「AI」と投稿するだけ。
いや〜明らかに描いてるでしょwという絵は「手描きです。」と言うだけ。
buymeacoffee、ココナラ、patreonで投げゼニやサブスクを募って売上をだします。
・・・なんでこれをやっているかというと、Xで生成AIの画像を投稿していると「クソAI」というコメントがよく投稿されるので
なんかムカつくな〜と思ったので @生成AI判別師 と言うアカウントを作成して、そのコメントに対して
宜しければ判定します云々〜と言うコメントしたらお金払ってでも詳細な判定をしてほしいという依頼があったからだ。
完全に生成AIユーザによるマッチポンプになってしまっているが、それで救われている様なのでこの形に落ち着いた。
人間、気持ちに余裕がないと縋るものが欲しくなるよね。宗教だったり、陰謀論だったり。
画像生成AIを頻繁に使ってはいるけど、手で描いてる絵描きの人は普通にうまいな〜すげーと思います。それは生成AIをいくら使っても再現できそうにない。と思える。
反生成AIの人はAIと生成AIの区別がついてないし、ChatGPTすら未だに使った事ない人が多い。なんでSNS使えてるのかわからないくらいに住んでる世界が違う。そんな存在です。
子連れ女性に対する風当たりと子連れ男性に対する風当たりの違いの話をしてるんだから別に論点ズレてないでしょ
というか女性が不審者に強く当たられてるかを抜きにしても今育児をちゃんとやってそうな男性が世間に温かく迎えられる風向きがあることを考えたら温度差があることくらい予想できるのでは
独身男性として行動していた時より周りが優しく感じるというのもなんとなく想像はできるが、やはり子連れの女性が周りに恐縮している様子は日常的によく見る場面で、必要な用事のための移動すらきついという愚痴が転がってることをあわせると必要に迫られる状況も温度感も全然違うんだろうなと思う
男性はまず子連れがしんどいシチュエーションでどうしても子供2人ワンオペで世話しながら手続きをしに電車に乗らなければいけないという状況がない、1人で子供を連れて買い物に毎日行かなければ行けない状況にはなかなかならない
ヨッピーが引けばいいのに引けないから延焼してるのが本質で相手アカウントのSNS運用方法などは全く関係ない
それを言ったらヨッピーこそネットでバトルすることで注目を集めて知名度を金に変える仕事をしているのに同業マッチポンプバトルでその辺のインフルエンサーでもない名も無い子育てアカウントにも負けるような育児観だってことだ
昭和には今考えるとあり得ないようなクレイジーな教師が居たんだよ、ということを備忘録として記しておく。
生徒に「便所」「うんち」といったあだ名を付けて自分だけでなく生徒間でも呼ばせていた。
あだ名を付けられたのがひょうきん男子たちだったから事なきを得ていたけれど、あれはどう考えてもイジメだった。
体育は2クラス合同で、更衣室がない代わりに男女別の教室で着替えるんだけど、Hは堂々と女子生徒が着替え中の教室に入ってじっくりと女子生徒の着替えを観賞。
女子生徒に苦情を言われても「ここは俺が担任の教室だ!」と開き直り居座った。
男子生徒がつけたあだ名はジャイアン。もしくはバーコードハゲ。容赦ないよね…
今思うとそれほど悪い先生ではなかったとは思うんだけど、
女子体育教師がいる中で、女子生徒の体育担当になったのは悲鳴が上がるのも仕方ないとは思った。
今考えると気持ち悪い。
でも当時は他にも何人かそういった教師は居た。
熱血漢ではあるのだが、できない生徒に約束という名の押し付けを迫り、それが破られるとキレるというマッチポンプ熱血漢でうざかった。
予習をしてきた生徒が次々と課題をこなすのを叱ってたのは意味がわからなかった。
生徒を完全に自分のコントロール下に置くのが至上命題だったっぽい?
自分が務めてる高校ではなく、母校であるもう一つの進学校を賞賛し、勤務先の高校をけなしてばかりの人だった。
予習をしっかりして、授業中に眠るべきという、訳のわからない主張をしていた。
英文を読んで即座に和訳して問題を解け、という当時でも前時代的としか言い様がないやり方を押し付けてうざかった。
ちなみに生徒間で呼ばれていたあだ名はアイババ。
何も考えんと見るアクションコメディアニメとして見れば80点くらいだと思うんだけど、
ある種の社会風刺アニメとして見ると現代の感覚だと60点くらいかもしれない。
スタッフに言及しだしたらオタクという俺の中での線引きがあるのだがさすがに言及せざるを得ない。
大友克洋、北久保弘之、江口寿史、磯光雄、今敏、神山健治、黄瀬和哉とその後のアニメ業界を牽引、今でも第一線で監督として活躍するメンツが様々な役職で参画している。
なので(かどうかは知らんけど)、アニメーション作品としては非常によくできているし見応えもある。
アクション、コメディがバランス良く配置され最終的にちょっとエモい感じになって最後爆笑で落とす構成も見事。
主人公の一人の実験体老人「喜十郎」が最後に「お迎えが来た」と呟き、もう一人の主人公の「晴子」が「何言ってんの」と返すと、地響きが鳴り響く。外に出るとロボット化した鎌倉の大仏様が。みんなで合掌。ゴーンと鐘が鳴り響いて暗転。
作画も延々といいし、アクションも素晴らしい。アニメーション作品としては申し分ない出来だと思う。
社会風刺としても、高齢化自体は1970年代から始まっており徐々に問題視されてきていたが一気に爆発したのが1990年の1.57事件からになるので、それを1991年公開の作品で取り扱っているのはかなりフットワークが軽い。
また介護問題へのアイロニーが効いているテーマ性は現代においても他人事ではないし、老人が操作する(実際にはしてないんだけど)移動機械が大暴走し多大な被害を出すという展開は、昨今のプリウスミサイルを彷彿とさせる。逆にプリウスミサイルがある現代に生きているのでむしろ老人に対する偏見を助長するのでは?と思ってしまった部分はある。
個人的に一番気になったのは介護、看護に献身的に取り組む主人公の晴子が介護先の喜十郎をずっと「おじいちゃん」と呼び続けること。俺が福祉の現場に入ったことがあるからかもしれないけど、現代の基準で言えばかなりグレーというか、よくないとされていることなのでずっと引っかかってしまった。まぁ本人が「おじいちゃん」って呼んでくれって言ってたんなら別にサービスとしてそれでいいんだろうけど、基本は「喜十郎さん」だよなぁと。
まぁ1990年以前の価値観だとそれで問題なかったんだろうけど、なんかモヤモヤ。
あとはこの作品ってそういう内容でよかったんだっけ?と感じたのは、この作品は老人介護用全自動ロボットが老人の夢をかなえるために鎌倉の海に向かって大暴走するという話なんだけど、この原因を作ったのは実は主人公側であるという部分。
厚生省(今は亡き)が介護老人を全自動で強制介護するマシンを作成し喜十郎をモニタに選ぶ。主人公はそれに反発し、自身が勤める病院に入院していた凄腕ハッカー老人集団と結託しマシンをハッキング、喜十郎の妻の声を再現して喜十郎に呼び掛ける。その結果、喜十郎の深層心理にあった「奥さんとの思い出の海に行きたい」を汲んだマシンのOS内に喜十郎の奥さんの人格が形成され海に向かって暴走を始める。
そのOSはペンタゴンが開発した軍事転用可能なもので、介護用と言いつつも軍事技術のデータ集めに使われていたのだ!なんてひどい話なんだ!としてそのOSを提供した会社が悪役になって最終的に逮捕されて終わるんだけど、いや、これ、暴走の原因の4割くらいは主人公たちにあるよね?
俺がマッチポンプ系作品が嫌いなのもあるんだけど、すげー気になってしまった。
いや、そうしなきゃ喜十郎は機械に繋がれて生命を繋ぎ留められるだけの物体になってしまっていたわけで、やむを得ない行為だったってのは理解できるんだけど、その代償としての被害規模がデカすぎんか。
というのが一番のモヤモヤ。
こういう作品だと役所の人間って非人間的なカスとして描かれがちだけど出てくる厚生省の役員は「本当に老人の介護問題を何とかしたい」という熱意に燃えていてそこに付け込まれてしまったという形で、マシンの問題に気付いてからは主人公側で一緒に戦う展開になるというのは性善説的で非常によかった。
あと今となってはウルトラトレスマンとして永久に叩かれている江口寿史のキャラデザは素晴らしく、主人公はかわいくサブキャラに至るまでみんな魅力的。
高市さんが総理になれば過激な左翼は静まる!みたいなことを上司が言ってて爆破テロするようなのはもうほぼいねえだろ(笑)と思って「なんすか過激な左翼て(笑)」って聞いたの。
「LGBTQが存在を認めてやってんのに権利を過激に求めるようなこと!」っていうの。
人間なので人権あると思うんですけど、自分知らないんですけどLGBTQって家畜かなにかで同じ権利与える必要ないんですか?
って聞いたら黙っちゃった。
「女装で風呂に入れろって提言まとめて政府に出してる団体あるんですか?そうじゃなきゃよく右翼がなりすましてマッチポンプして気持ちよくなってるやつじゃないんすか?スシローで醤油舐めてる高校生一人いたら高校生全員の受験資格停止するタイプです?!(笑)おもろすぎる」って言った。
自分が弱者のこと考えもしなかったという罪悪感や思い至らなかった視野の狭い馬鹿だという事実を受け止められない器の小ささに耐えられなくて他人を攻撃する悲しき生き物やからな。
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1%のジャンルは、自己成長や客観的な理解に直結する、ノウハウやデータを主軸とした情報です。
この分類は、インターネット上で情報を探す際に、「誰かの利益のためのコンテンツ」と「自分の利益のための知識」を峻別するための視点を提供しています。
魔女 witchの監督だったので面白かろうと思って見たのだが、アクション自体は面白かったが脚本がなんかごちゃごちゃであんまのめり込めなかった。
5点満点なら3.2点くらい。
ド底辺の暮らしを送りながら父親捜しをしていた彼が実は富豪の息子だったことが発覚。
まぁ話はありがちに、富豪は病気で臓器のスペアを探していたということが発覚、
彼は長年富豪の手足として働き、彼の心臓を治すことで遺言の書き換えを狙っており
そのためにマルコを何としても無事に迎え入れ、手術を行う(なおマルコは死ぬ)必要がある。
病気の富豪にはさっさと死んでもらいたいが息子がいることが発覚したため
そいつを殺害し「息子は発見したけど死にました」ということにし、現状のまま遺言通り遺産を相続したい。
3.謎の貴公子
で、マルコと貴公子のダブル主人公的に話は進んでいくんだけど、貴公子の目的が永久に不明なのでずっと「これ何の話?」ってなってしまう。
特に中盤はこの意味不明なチェイスがずっと続くから話進まないなぁ、退屈だなぁってなる。
貴公子は1と2の勢力とも戦いを繰り広げるため、どっちかの味方ってわけでもなさそうでより混乱。
最終的に、実は貴公子は2の勢力から依頼されてマルコを富豪の息子だとでっち上げた人間であることが発覚する。
息子がいるらしいが誰かはわからん。
わからんからとりあえず、っぽい奴を息子ということにして殺しちゃえばいいじゃん。
じゃあその道のプロである貴公子くん、なんかいいやつを一人頼むよ。
という話である。
ここがいかにも驚きのトリックが!みたいな感じで貴公子はいかにして無関係のマルコを息子に仕立て上げたのか
という話が描かれる。うん、まぁ、すごくはあるんだけどさぁ……
で、最終的に貴公子もコピノだったんだよね~今回の事件のお金で孤児院を復興するぞ!とかなるんだけど、
それは貴公子がマルコを追いかける理由にはなんないよねぇ!銃とかも撃ってたしさぁ!
マルコがめっちゃタフだから助かってるだけでマルコがさくらももこのほうだったら100回死んでたよねぇ!
しかも依頼主も殺しちゃってるし、こいつホンマに私絶対に失敗しないのでが口癖のプロの仕事人か?
金のために無関係の貧しいコピナを悪の組織に売り渡しといて「あなたは死なないわ。私が守るもの」って
マッチポンプってレヴェルじゃねぇぞ!
しかも本当にマルコを救うことが目的ならさっさと明かして共闘すればええがな。
お前がニコニコしながら銃振り回して追いかけるから自体がどんどん複雑で面倒くさい方向に行ってんじゃん。
監督のパク・フンジョンって魔女とかVIPとか悪魔を見たとか脚本面でもわりと優れた監督だから
作品のあり方の話をしているのであって誰一人オタクの話はしていないが、ファビョって頓珍漢な話をしているオタクたちは自己を表現したりアイデンティとするものが2次元コンテンツに依存しすぎている且つ自己肯定感は低いが自尊心は異様に高い。
そのため、1つの2次元コンテンツの特定の表現を「ノイズ」というネガティブに取られやすい単語で表現した記事の文脈を欠片も理解することなく、自身に向けられた悪意だと受け止めている。
文脈は関係なく、この場合いわゆるオタクの敵且つ屈服させることで爽快感をえられる格好のエサである「フェミ」女性(当事者の自認は問わず、オタクたちの高くて脆い自尊心を傷つけた女と判断された時点でフェミである)が、特定の2次元コンテンツの表現に難癖をつけたと曲解が可能な記事であるので燃やしてよいのである。
そう読み取れてしまう文章であった、誤解が生じた、ではなく、「ノイズ」というネガティブに取られ得る表現、発言者が女である、人気コンテンツであること。
材料があるのであとは本来の文脈は関係ない。材料を使用して勝手に「またフェミが僕達オタクに難癖をつけて頭の悪い発言をしている」とスカッとジャパンごっこができるようにストーリーを作成して貶めて気持ちよくなれれば良いのだ。
人気コンテンツということはそのコンテンツを好きでいるオタクもコンテンツ同等の評価をされた存在ということになっている。彼らの中では。どこまでそれを彼らが客観的に認識できているかはわからないが。
アイデンティティをコンテンツに依存すると、自身の努力なしでコンテンツが評価されれば勝手に自分も評価されたように感じられて気持ちが良いのだ。
(これは僕自身がかつてそうだったので・・・ネトウヨも同じ原理。国籍という努力なしですでに手に入れたものだけで価値を高められる。)
少し前に「頭の悪い女さん」とか「ツイフェミ」の中でもとくにオタクが叩きやすい、都合の良いアカウントが実はアンチフェミニストの白饅頭さんのなりすましだったにもかかわらず、アンチフェミたちは『だんまり』であった。
彼らがしたいのは議論ではない。スカッとジャパンごっこにより都合の悪い発言をする相手を貶めて気持ち良くなること。
おそらくこの手のアカウントと話題は自尊心を満たすためのマッチポンプも多く、そこで盛り上がって実在人物にも同じことをしてしまっている。
たとえ話なのは理解してるけど、金が貯まるほどそういうことに興味がなくなる。
手が届かないから憧れるだけで、手が届いてしまったら冷めるものだ。
ってアドバイスと同じ。
したくてもできないから、セックスに憧れるけど、いざしてしまえば、幻想だったんだなと気づく。
昔だったらさ、大富豪の生活とかは見えないけど、今ってイーロンマスクと食べ物のレベルも衣類のレベルも同じってわかっちゃうからさ。
今も80代90代だと、貧乏だと本当に食うに困ったりもしてただろうから、金持ちと貧乏人で平均寿命も違うんだろうけど、そろそろ変わらなくなるだろうな。
現実が隠せなくなってくると、夢はどうしても醒める。
醒めない夢を提供するのは難しい。
だから、この何十年かは、夢を提供するより、劣等感を植え付けてマッチポンプしてるような気がするよ。
「劣等感マッチポンプビジネス」という言葉が、人々の不安や劣等感を煽り、それを解消するための商品やサービスを売りつけるビジネスモデルを指していると理解しました。
そうしたビジネスに感化される人を「負け組」と呼び、世間の価値観に流されず、ミニマリズムを実践して「消費社会はクソ」と言える人を「勝ち組」と表現している。
これは、社会の主流な価値観から距離を置き、自分なりの価値観を持って生きることの優位性を主張しているのだと読み取れます。
たしかに、多くの人が抱える劣等感や不安につけ込んで、高額な商材を売りつけるような手法は、批判されるべき側面が多いかもしれません。
一方で、ミニマリズムのように、自分の内面と向き合い、本当に必要なものだけを選び取る生き方は、物質的な豊かさとは違う形で、心の充足をもたらす可能性があります。
自分の価値観を確立し、それに沿って生きることは、他者との比較や世間の評価から自由になる一つの方法であり、それが「勝ち組」の定義だと考える人もいるでしょう。