はてなキーワード: 精神薄弱とは
例えば、長年知的障害や発達障害の当事者を診療し、成人後の経過も見てきた平岩幹男先生は、『 知的障害を抱えた子どもたち 理解・支援・将来 』で以下のように述べている。長くなるが印象的なので引用する。
モラトリアム
たとえば10歳から特別支援学校高等部を卒業するまでは8年間ですが、知的障害を抱えた子どもたちは、そこで社会に出されてしまうこともあります。一方で障害を抱えていない子どもたちは専門学校や大学などを含めて社会に出るまでに10年以上の期間がある場合も少なくありません。
発達を含めて社会生活上の困難を抱えて、いわばそれまでは「ゆっくり」と言われてきた子どもたちがなぜ「困難」を抱えていない子どもよりも早く社会に出ざるを得ないのか。
もっとゆっくり趣味を見つけて磨いたり、いろいろな場所や人に触れ合うことで経験を増やしたりするモラトリアム(猶予期間)をもつことがなぜできないのか、長い間の疑問でした。モラトリアムをもつことにより、ひたすら就労を目指す場合よりも趣味や余暇活動につながるものを見つけたり、身につけられたりする可能性もあります。
著者は障害を抱えた子どもたちへ対応する生活を45年あまりしていますが、40年前には障害者就労や就労支援(移行支援も継続支援も)もありませんでした。ごく一部の企業が就労を受け入れていましたが、精神薄弱と呼ばれて社会から疎外される状況でした。
その後、児童福祉湖をはじめとする法令改正などもあり、生活介護などの整備がなされるようになってきましたが、そこではとにかく「就労できれば」「お金が稼げれば」いいという意識がとても強かったように感じています。
これまで知的障害を抱えている方々のサポートもしてきましたし、実際に生活介護を行っている作業所を訪問したり、お手伝いしたりしたこともあります。そこで出会った方は、40歳を過ぎても単純作業の毎日で、会話も2語文程度なのですが、ノートには出かけたときの道順などが車の中からの景色とともに書かれていたり、路線図の駅名がすべて漢字で書かれていたりしました。もし子ども時代に適切な教育を受けることができたら、現在の居場所はここではなかったのではないか、重度の知的障害と診断されることもなかったのではないかと感じたこともあります。
知的障害を抱えた方の就労がままならなかった時代も知っていますが、最近の20年間、特に10年間は、就労については十分とはいえないもののかなり展望が開けてきました。一度の就労で人生が決まるわけでもありませんし、障害を抱えている場合、初任給の額がそのあとも続く場合もあります。
著者は可能であればモラトリアムを使って世の中には楽しいこともいろいろあることを知り、趣味をもつことによってその後の生活を安定させてほしいと思います。そして、最終的には初任給ではなく、生涯賃金(所得)が多くなることを願っています。
(平岩幹男『知的障害を抱えた子どもたち 理解・支援・将来』図書文化. p.84-85)
本書でも述べているが、こうした問題意識から最近は「福祉型カレッジ」という自律支援と就労移行支援を組み合わせた大学のような事業所というのがあるらしい。
「福祉型カレッジ」とは、「自立訓練+就労移行支援」「自立訓練+就労継続支援B型」といった形態をとる多機能型事業所のことで、障害のある若者が社会で活躍するための力をつけるために、最長4年間学ぶことができます。
カリキュラムは、「日常生活を営むための基礎作り」(自立訓練)が2年間、「働くための訓練」(就労移行支援・就労継続支援B型)が2年間の計4年間という形が多く取られることが多く、青春を謳歌しながら、社会に出るための力をじっくりとつけていきます。
当事者の親はこうした性急な就労だけではない選択肢も視野に入れながら、子どもがより安定してひらけた生活を将来送れるように考えていく必要があるだろう。
(後で書き足すかもしれない)
最近、いくつかの作品・書籍を視聴したり読んだりして「自分らしくあれ」という助言があるのだけど、自分らしさってなんだろう?
子供の頃の素の状態が自分らしさだとするとキチガイだし、かといって今の自分らしさと言ってもわからないし。
ただ自分の癖としてすぐに誰かを真似してしまうというのがあるかもしれない。ヤングシェルドンのシーンを借りるなら「偉大な科学者の真似をして、ユダヤ教に入信しようとする」みたいなこと。
自分自身の精神や人格の根源はなにか。あるいは祖父母や両親が教えてくれた事を覚えているだろうか。
「楽しいことを考えて生きる」が最近の母の口癖だ。母が俺に言ったことの中で最も印象に残っているのは「あんたの身の回りに起こる出来事はあんた自身が起こしているんだよ」と。
この母の助言は、俺が学生の時覚醒状態にあって眠れず、その状態で友人のBBQパーティに行って錯乱して喧嘩したときのことだ。
グッドオーメンズでアダムがその強大なオーラを纏っていることを自覚せず、でたらめな陰謀論を単に実在すると信じるだけで現実にしたようなものだろうか。
なぜ世界は、精神薄弱や錯乱状態を俺の中に生み出しておいて、その中で「自己」について助言するのだろう。
覚醒して全く睡眠ができずてんかん発作で気絶したとき、一体誰が俺の苦しみについて理解できたというのだろう。
リーナス・トーバルズが「Just For Fun」といってLinuxを開発していたように、俺も楽しむことを人生の中心にしたほうがいいだろうか。
時々、本当にマトリックスの世界があるのではないかと疑ってしまうことがある。たくさんエネルギーを使わせて、電池として消耗しているわけだ。
しかしエネルギーを使わなければ楽しむことはできない。自分を変えなければ、怠け者から抜け出すことはできない。
「努力」に対する俺のトラウマは「教育」「習い事」などに対する発狂的なヒステリーとして記憶されている。それは邪悪な悪霊のごとく、子どもたちの笑顔を奪ってきた。
だから俺は成長してから、ストールマンの言うようなハッカー観、好きなことに熱中して習熟するという価値観を大切にしてきた。
しかし肝心の「好きなこと」が好きではなくなる感覚が最近は感じられる。
プログラミングが好きだ。しかし仕事としてそれをやり続けると義務感に押しつぶされそうになり、趣味からは遠い存在になっていくのを感じる。
結局、物事はシンプルに説明がつく。つまり自分を見失っているのは、仕事で疲れているからだ。強制労働させられていた歴史上の奴隷は生きていく上で「自分らしさ」を感じただろうか。
旅に行く勇気はないが、ちょっとした散歩をして、その範囲を広げてみるといいかもしれないな。そのぐらいの気晴らしが俺には必要だ。
はじめに、どこにもそう書かれてないのに「有徴化イコール差別」って読んじゃった誤りもそうだし、きっと現代文苦手だったんだろうねえ。
まず自分が何が正しいと思うかを答えるんじゃなく、書いてあることを答えるんだよ、って習わなかったかな?
その区別がつかなくて成績が悪くて、問題が悪いとか作者の気持ちがーとかキレてる子、昔いたなー…懐かしい気持ちにさせてくれてありがとうね。
それで、文中にある「何が差別か」は見つけられた?
さて、後半で「レッテル」を出したのはね、
有徴化の問題とレッテルの問題がイコールだからじゃないんだよ。
はじめは
と主張していたのに、あとからは
これでは、差別意識→有徴化の順になるから、有徴化されたものはすべて差別になってしまうよ。大丈夫かな?頭に血が上っちゃったかな?
多分言いたかったのはそうじゃないよね?
言い返そう言い返そうと頑張らなくていいから、ゆっくり考えてごらん。
ヒントをあげるね。
発達障害という言葉が広く知られるようになったのは十数年前で、それまでは精々「付き合いづらい人」とか「落ち着きのない人」のように見られていた。
たとえば発達障害の中のひとつにアスペルガー症候群がある。これはもちろん医療現場や療育、一般的な書名でも使われている。
過去には「精神薄弱」なんて言葉でひとまとめにされていたのが、より細かく、またより軽度なものも診断名がつくようになったんだ。これは、過去に区別されていなかったものを区別する、「有徴化」のひとつだ。
では、医療現場や療育の現場でアスペルガー症候群と名をつけるのは差別かな?
では、インターネットで「お前アスペか?」なんて煽る言葉を言うのはどうだろう。
または、実際にクラスにアスペルガー症候群と診断された子がいたとして、あだ名を「アスペ」にしていたらどうだろう?
この3つはどう違うと思うかな?
考えてみてね。
そして、元の増田には「〇〇するのが差別である」といい切っている部分があるよ。まずはそこを探してみようね。
自分で混乱させた定義に混乱しながら言い返したところでまともな議論は生まれないよ。
その感じじゃ、これまでも苦労してきたんじゃないかな?
皆、焦り過ぎだ。
1万円弱払った新作ゲームを皆に送れまいと2日間でクリアしようとうする謎の焦りがSNSから溢れてくる。
あのキャラに苦戦した。
コイツ強すぎる。
どうだ参ったか。
攻略法、
うんざりだ。
「インターネットが攻略情報を無償でばら撒くからテレビゲームは手探りの面白さを失ってしまった」
この言葉は単に自分が攻略情報を見るのを我慢できない精神薄弱者の戯言だと僕はずっと思っていたけど、
それは間違いだという確信に至るにはこの数日間の体験は十二分だった。
チュートリアルのボスが物凄く強くて簡単には勝てないことを、SNSの噂話より先に自分の体で体験したかった。
「コイツ強すぎるんだけど俺がおかしいんか!」と自分のタイムラインで皆と同時に叫んで、皆が同じことを言ってるのを見て安心したかった。
でもAC6の発売日、俺は必死になって仕事を終わらせていて、土日に持ち込まずに済ませるために鬼の形相になっていたんだ。
だから皆がチュートリアルでヘリをぶった斬り終えてから、俺はようやく闘争の世界に降り立った。
とっくに知っている「チョウ=スゴク=ツヨイ=チュートリアル」……
予定調和の苦戦……
そうだね皆が言ってた通りだね……
久しぶりにACに乗り込んだ自分が完全にナマクラになっていた事に対しての自己憐憫よりも「あーこれは確かに強いな―」と噂話を実体験していくことの感動が勝ってしまった。
辛い……感動がなかったわけじゃないよ。
皆が言うように本当に強いじゃんという都市伝説の目撃体験をちゃんと楽しめはしたよ。
でもさ、フロムが俺たちに突きつけたかったのって本当に「コレ」なのかな?
「え?俺はチュートリアルで負けるほどゴミなのか……俺だけがゴミ……俺はゴミ……
アップルボーイ……
エイトボール……
もうムリ強化人間になろ……皆もう先に進んでる……俺だけ置いてけぼり……」
そんな絶望だったんじゃないのか?
皆が同じように苦しんでると知らないままに挑んでボコボコにされて、
自分が正真正銘のクソザコナメクジだと思い知らされる所までがチュートリアルじゃなかったのか?
「ファイアワークスならきっとクリアしてた。俺だから駄目だった……」
でもその機会はSNSが全部ぶっわした。
10年ぶりの再開に対しての手洗い歓迎会。
それを知らないままで挑まなきゃいけなかったんだ。
本当にショックだ……。
テレビアニメのOPでまだ存在さえ知らされてないはずの四天王が全員顔なじみになってしまうような状態だ。
認めた。
お前らが正しかった。
俺が間違っていたよ。
女性がAEDをしてもらえないのが差別だと思うなら、まず声を上げろよ。
被害者が声を上げてないのに、先んじて男性側が気持ちを察して積極的にリスクを負ってくれるなんて思うな。
一人一派とかいうただのコミュニケーション放棄に甘えて、独りよがりをつぶやいてないで
女性たちの意思を統一させて、耳目を集めてみろや。話はそれからだ。
家父長制はやめろ、だけど女は保護してくれ——…
いつまでもそんな態度でいるつもりなら、女はやっぱり精神薄弱の甘え上手な二級市民だな、って時代錯誤のレッテルを貼らせてもらうぜ。
さあやってみろよ。『女性がAEDされないのは差別』をホットエントリーにバーン! してみろ。
できないのか?
(anond:20230331224644 ゲームのルールを守る一貫性を推すなら、例えばこんな風に言われてしまうでしょう)
こういう周りからチヤホヤされたいがためだけにガキ産みっ放しにする精神薄弱児が「自分は産んだからいい」という謎理論で放棄した本来自分がするべき労働納税の社会貢献を自分の配偶者と他人果ては自分の子供にまで押し付けた挙句に「社畜と子作り家畜以外は社会貢献してない」というデマカセを子供が学校行く前から徹底的に刷り込むから、労働力と税金はおまえが放棄した義務の分だけ足りないし子供は自分の将来に何の希望も見いだせずに自殺したりニートになって一生社会に負担だけかけ続けるようになるんだろうが。
おまえはまずその「子供さえ産めば他の面倒なことは夫が親が社会が自分の子供がやってくれる」っていう甘ったれた考えを自覚して、セックスしたら子供が出てくるっていう動物が何も考えなくてもできることをしただけで社会に貢献してるっていうおまえ自身薄々「無理だな」って分かってる欺瞞にしがみつくのをやめて、人並みに労働納税しろ。義務とか社会貢献とか自分がやってないことを語る前にまず自立しておまえ自身の面倒見ろ。自分の面倒も見れないヤツがただ動物として活動してるだけで「社会貢献」なんてしてるわけないだろ。おまえはただ動物として生きて社会(他人)に面倒を見てもらってるだけだ。
まず労働納税という義務を自分個人として(自分の子供にやらせるんじゃなくて)ちゃんと果たして社会貢献した上で、飯を食うとかセックスするとかおまえが動物として自分のためにやりたいことは自分の責任で自分で勝手にやれ。人間は社会に提供するだけじゃなくて持ち出しもあるんだから、新しい人間を一人つくるのは「貢献」じゃない。プラマイゼロだ。子供を産んだというだけでおまえが勝手に放棄した義務は必ず誰か他の人間がやらなきゃいけなくなる。おまえの子供にはその子供自身が社会に対して果たすべき義務があるんだから、おまえがするべき貢献を子供に押し付けるな。セックスするとか小動物を可愛がるとか自分がやりたいからやってることを勝手に社会貢献に勘定して自分の義務を放棄するのをやめろ。