はてなキーワード: 恋人とは
当時、数多く並行して会っていた男性の中で、「この人とは付き合わないだろうな」と感じていた相手。
だからこそ友達のように接することができて、ただただ一緒にいることが楽しかったのに、
付き合うことになったのが、今でも信じられない。いや、自分で決断したのだけれど。
付き合ってからは、元恋人と頭な中で比べてしまって落ち込んでいたが、
自分の心が安定しているというのは、とんでもなく有難いことだ。
人間関係に永遠は無いとわかっているから、いつか終わりがくると思っているけれど、
今はこの穏やかさを大切にしていきたい。
別れてたから気付いたのだが、どうも私にとって恋人からの承認は相当重要だったらしい。
容姿を褒めてくれること
スキンシップを受け入れてくれること
大切に思ってくれること
とか。
そういうのが懐かしくて辛い…
私が変わりたい方向と元恋人がかけ離れていることが不満で、一緒にいると成長できないと思ったから別れることになったのだがこれで正しかったのか分からなくなってきた。
私は向上心はあるが、一方でめちゃくちゃ怠惰という意味不明の傾向がある。1人だとだらけてしまって一日中スマホを見て終わることもよくある。1人でいる方が何も成長できないのでは?一緒にいれば何かしら行動できてそれなりに楽しかったのに。
成長ってそこまで大事なのかな。心の安定の方がずっと大切なんじゃない?
分からないよ〜〜
別れてたから気付いたのだが、どうも私にとって恋人からの承認は相当重要だったらしい。
容姿を褒めてくれること
スキンシップを受け入れてくれること
大切に思ってくれること
とか。
そういうのが懐かしくて辛い…
私が変わりたい方向と元恋人がかけ離れていることが不満で、一緒にいると成長できないと思ったから別れることになったのだがこれで正しかったのか分からなくなってきた。
私は向上心はあるが、一方でめちゃくちゃ怠惰という意味不明の傾向がある。1人だとだらけてしまって一日中スマホを見て終わることもよくある。1人でいる方が何も成長できないのでは?一緒にいれば何かしら行動できてそれなりに楽しかったのに。
成長ってそこまで大事なのかな。心の安定の方がずっと大切なんじゃない?
分からないよ〜〜
ワイもたまに美味いかどうか試してみるけどさ
まあ、こんなもんだよなってものばっかり
ワイはその金貯めといて恋人やら家族と良い飯食いにいく方がいいと思っちゃうね
https://cardtr.ee/nootherchoicethai
https://cardtr.ee/regrettingyouthaidubb
https://cardtr.ee/truytimlongdienhngvietsub
たまにいない?趣味とかも特になくて音楽も漫画も映画も特に触れてこなかった
学生の頃流行ってた音楽は聞いてたよ、流行ってたアニメも観たかなくらいの人
自分はジャンプ漫画やサブカル文化に人格を形成されてきたので理解できない
スポーツ観戦だったりファッションであったりアイドルだったり自分のアイデンティティを形成するものが何も無い人がよくわかんないんだよな
ギャンブルにハマってたとか言うんだけど、ギャンブルもアイデンティティの一つになり得るのか...?
小学生の時とかは何してたんだ
子供ができたらどんな習い事をさせたいか、受験はさせるべきか、治安の良い地域に住みたい、と明るい未来の話をしている。
でも、自力で生きられず学校にも行けず、24時間介護が必要な子供だったら一体どうすればいい????
先天性の重度障害児(身体、知的どちらも)を産んだ母親のブログを読んだ。障害は突然変異で現れ、中絶は間に合わなかったらしい。
手術をしなければ死んでしまう状態でも、手術の拒否は難しいんだって。実親が拒否した場合は親権が取り上げられるが、医療費は払い続けなければいけない。とにかく延命。一度産んでしまったら、親の権限で医療を止めることは出来ないようだ。
私は自分の仕事が好きだし、これからも正社員として働きたい。恋人も同じ考えだ。
健常児や、後天的な障害児ならまだしも、医療の発展によって生かされているような障害児を介護するために、仕事を辞めて人生を捧げることはできない。
という言葉は至極最もで、私は重度障害児を母として愛する覚悟は全くできないので、恐らく子供を産む資格は無いのだろう。
恋人は多分、障害児が生まれるリスクをあまり勘案していない。子供好きで、よく子供がいる未来について語る。自分の子供が欲しいんだと思う。
でも、私は産めない。リスクがデカすぎて、あまりにも理不尽で、どんな子供でも愛し、自分の人生を捨てる覚悟がない。
恋人のことが好きだ。恋人が子供と幸せに暮らして欲しい。だから、私じゃない人と将来を共にした方が良いと思う。もっと楽観的で、もしくは障害児でも愛せる覚悟があって、子供を作ることができる人と。
最悪の可能性を受け入れることが出来ないから、私はいつか、将来像の不一致で恋人と別れると思う。
悲しい。どうしようもないね。
子供ができたらどんな習い事をさせたいか、受験はさせるべきか、治安の良い地域に住みたい、と明るい未来の話をしている。
でも、自力で生きられず学校にも行けず、24時間介護が必要な子供だったら一体どうすればいい????
先天性の重度障害児(身体、知的どちらも)を産んだ母親のブログを読んだ。障害は突然変異で現れ、中絶は間に合わなかったらしい。
手術をしなければ死んでしまう状態でも、手術の拒否は難しいんだって。実親が拒否した場合は親権が取り上げられるが、医療費は払い続けなければいけない。とにかく延命。一度産んでしまったら、親の権限で医療を止めることは出来ないようだ。
私は自分の仕事が好きだし、これからも正社員として働きたい。恋人も同じ考えだ。
健常児や、後天的な障害児ならまだしも、医療の発展によって生かされているような障害児を介護するために、仕事を辞めて人生を捧げることはできない。
という言葉は至極最もで、私は重度障害児を母として愛する覚悟は全くできないので、恐らく子供を産む資格は無いのだろう。
恋人は多分、障害児が生まれるリスクをあまり勘案していない。子供好きで、よく子供がいる未来について語る。自分の子供が欲しいんだと思う。
でも、私は産めない。リスクがデカすぎて、あまりにも理不尽で、どんな子供でも愛し、自分の人生を捨てる覚悟がない。
恋人のことが好きだ。恋人が子供と幸せに暮らして欲しい。だから、私じゃない人と将来を共にした方が良いと思う。もっと楽観的で、もしくは障害児でも愛せる覚悟があって、子供を作ることができる人と。
最悪の可能性を受け入れることが出来ないから、私はいつか、将来像の不一致で恋人と別れると思う。
悲しい。どうしようもないね。
6個上の恋人がいるんだけどさ、好きって言われたから付き合ってるんだけども
ちゃんと働いてるし、割り勘するし、6個も下だし、いっぱい話すし、料理も得意だし、遊びの提案するし私といて楽しくてこんないい彼女いてよかったね〜って思ってたんだけど
よーく考えたけど全然恋愛ぽくなくて、自分のこと好きそうな女ですごーいとかいっぱい言ってくれる人の方が幸せだったんじゃないか?と思って可哀想になってきた
まあ別れないけど
俺の信条で採点するなら40点くらいを付けるべきだと思うんだけど心情では65点。
まぁまぁよかった。
ストーリーとしては
恋人を殺された主人公がその犯人を殺害したと思ったらその日が終わるとまた同じ日が繰り返されてしまう。何度も殺人を繰り返すうちに主人公と犯人の間に奇妙な友情が芽生え……
という話。
まずちょいちょい見かけた批判で「すぐにこの話がVR(現実ではない)ことがわかってしまうのがマイナス」というようなことがあったけど、俺くらいになると映画見る前から「ループが現実じゃなくて仮想空間だったみたいなクソSFだったら嫌だなぁ」くらいの想像はしてしまうので、今更そこでマイナスつけるような作品じゃないとは思う。
実際、中盤くらいでこれが何らかの契約によってもたらされている事態であることは明かされるので「まさかVRだったとは!騙された~~~」というつもりで作っている作品ではないことは明らかなんだし。
ある種のアート映画系の作品で情報をかなりバッサリと切り落としてふわっとさせているので、なんでこうなったの?ってなる部分が多い。敢えて「わからせない」ようにしているはずなのに、急に「わからせよう」としてくる部分があってそのチグハグさが一番気になった。
この作品ではループの合間に過去の主人公と彼女の馴れ初め的な映像が差し込まれるんだけど、かなり自覚的に「この映像自体が本当にあったことなのか仮想映像なのか」をぼやかしている。彼女に何か質問しようとすると「質問禁止」とはぐらかされるのだが、殺人ループ終了後にリハビリと称して彼女との幸せな時間VRに一度移る時にも同じように何か聞こうとすると「質問禁止」とはぐらかされる。彼女が元々そういう性格であったとも捉えられるし、仮想空間内であっても主人公本人が知りえないことは答ええないというルールだとも捉えられるように作られている。
しかし、殺人犯が主人公に「あの女は死にたがってた」と話す場面があり、そこで急に犯人視点の彼女を殺した場面回想が入る。ここノイズ。
そもそもこの世界で主人公は何度も犯人を殺すんだけど、この犯人が「実際の犯人」なのか「VRで生成された犯人」なのかは明らかにされない。恋人との描写も実際の映像なのかVRの映像なのか明らかにされない。
そして作中通じて犯人と恋人のパーソナルな情報も徹底的にオミットされている。
その状況で急に「犯行時に犯人と恋人はこのようなシチュエーションでした。こんな裏設定がありそうです」の回想シーンが入るから、これ何の話なんだよ!とめちゃくちゃガッカリした。急に「わからせ」に来るじゃん。いらんいらん。ふわっとさせるって決めたんならふわっとさせとけよ。
それはさておき、この作品のループはありきたりながらもちょっとフレッシュな部分もあって。
ループ1回目。犯人が日課で飲むジュースのカップに毒を仕込んで弱ったところを主人公がナイフで殺害。
2回目。犯人が日課で飲むジュースのカップに毒を仕込むんだけど犯人はなかなかジュースを飲まない。が最終的に飲んで弱ったところを主人公がナイフで殺害。
3回目。犯人はジュースを別の同僚に飲ませて同僚が苦しむさまを見て笑う。も、不意打ちで主人公が犯人に襲い掛かり包丁で殺害。
4回目。犯人はジュースを主人公に飲ませ、別のジュースを自分は飲むが別のジュースのカップに毒が仕込んでおり弱ったところを主人公が殺害。
2回目で視聴者と主人公に「毎回同じループをたどるわけではない?」という違和感を抱かせ、3回目で「気づかれてね?」となり、4回目でそれが確信に変わりこのループなにかがへん?となる。
そして5回目の冒頭で刺された犯人が車の中で目を覚まし「またかよ」と呟くシーンから始まり「犯人もループしてる!」というサプライズがある。この5周目で急に話が展開し、これがVRであることが発覚するんだけどここの持っていきかたは流石に強引すぎてややマイナス。昨日までガチ殺し殺されしてた奴と急にボーリング行かんだろ、さすがに。さすがにもう1ループ「お互いのループを確認し合う」ループは要ったと思う。VR契約でしたサプライズは薄れるけども。
でもこの5周目の頭までの構成はループものとしてよく作られててよかった。
そしてこの5周目以降、主人公と犯人は「仕組み」を理解し(主人公は最初から知ってたんだけど)2人はこの殺人ループという契約を遂行するある種の共同作業者として奇妙な友情が芽生えていく。
主人公が犯人を殺すという契約でループされており、何をどうやっても回避できないことがわかり、二人はお互いの話を少しずつしながら「じゃあこの辺で殺されときますか」「はい、じゃあ殺しますね」みたいな感じで話が進行する。「いつも川に捨てに行くの大変なんですよ~」「じゃあボート乗っちゃう?」みたいなボートデートもあったり、後半コメディ調になっていくんだけどここが結構楽しい。
ここで「あんなに憎かった犯人と急に仲良くなるわけないだろ!」という批判もあると思うんだけど、まぁ普通に4回も殺したらいい加減気も晴れるよねとか、4回も人殺すのさすがにストレスだよねとかいろいろ受け取りようはあると思う。俺はあんま違和感はなかった。そしてその一方で、両者ともに「殺す」「殺される」に対してどんどん淡泊になっていくのも「慣れってあるよね~」って感じでよかった。
作中でのヒントでは「死刑何度もできる制度だよ!」みたいな感じで出てくるけど、印象としては「殺人セラピー」みたいに感じられたかな。そういう意味ではこの「死刑何度もできる制度だよ!」も逆にノイズだったかも。
復讐ものとしてシリアスな感じで進んでいく前半と種明かしがあってから急に人情コメディみたいになっていく後半のギャップが俺はうまく作用してるなと思ったかな。
あとはまぁ、この作品をきっちり成立させてるのは演者のよさだよね。
主役の人は全然知らんかったんだけど柔和な甘ったれだけど狂気もはらんでる役を上手に演じてたし、なにより犯人役の伊勢谷友介だよね。最初「伊勢谷友介みたいないでたちやな」と思って見てたら伊勢谷友介で、生きとったんか!ワレ!ってなった。ハッパ逮捕以来の復帰作らしい。さーすがにいい役者だわ。こいつ怒らせたら怖そ~って感じと笑うと意外と笑顔がくしゃっとしてる人好きのよさ愛嬌みたいなのがあって、この人なしだったらこの企画成立しなかっただろうなと思った。
この2人のアンサンブルでこの映画の格がかなり上がってると思う。
アート映画的な情報の意図的なオミットとエンタメ映画的な設定の面白さがうまくかみ合ってない部分が結構あって「で、この作品いったい何が言いたかったの?」ってなっちゃう部分は結構残念。作中で起こっていることの重厚さのわりに細部が切り取られた結果全体がふわふわしてるので、最終的な感覚が「こんな話があったらおもしろいよね~」みたいな感じで撮ったのかな?って印象になってる気がする。
もっと切り込んでもよかったのにな。面白そうな映画を見たなっていう印象に留まっちゃったのが残念に感じる程度には好きな作品だった。
男磨きハウス第一話を観た。エシカルな戸塚ヨットスクールだった。
男磨きハウスや戸塚ヨットスクールは、弱さを受容し素直にエシカルコミュニティで自助ができる、医療や福祉制度を活用できる人間にとっては不要で邪悪だ。しかし、そうできない人たちは存在する。男磨きハウスも戸塚ヨットスクールもそういう人間の為の慈善活動だ。
https://youtu.be/DA2Z1EACF7c?si=1V_nzBzisBB386gB
現代の男が男らしく弱さを受け入れる過程は↑の動画でわかりやすく説明していた。彼らは家父長制的な男ではあるが現代の形にアップデート済みで女にとって不快感の少ない"ミソジニー"ではない男だろう。
彼らは、この企画のように恋愛市場で彷徨える女たちに対し、わりに的確なアドバイスを出せる側の男たちであり、後述するが男磨きハウスが必要な男の為のコンテンツではない。
話を戻す。
ジョージも戸塚も自分の道筋で"生きる"ことができたから、「同じような人間には同じような道しか示せないやろうが!」とそれを理解できない人たちにキレている。
ただそのアウトプットが女やエシカルな繋がりを持てた人たちからすると邪悪に映るだろう。しかしジョージや戸塚の救済対象は、"普通の話が通じない男"だから仕方がない。
フェミニズムはツイフェミやフェムセルという通称の存在が生まれたことで分岐し、元からフェミニズムに大した関心のない人からするとフェミニズム=邪悪な女権主義者たちの集まりと認識されているのも同様の動きであるといえよう。
彼女らは明らかに"やりすぎ"である。男嫌いであることを真っ当な権利運動の名の下で悪用している。しかし、では、何が彼女たちを救ってくれただろうか?それは男磨きハウスや戸塚ヨットスクール、ひいてはナンパ師界隈などに通ずるものがあるだろう。
救いたい形をしていない弱者。
救いたい形をしていない弱者の孤独死を防いだ結果、世間的にはアンエシカルな声明を出す事になる。そういう極端なPR活動をしていかないと話を聞いてもらえないのだ。普通の話が通じない人間にいつまでも普通の話をし続けるのは残酷だという事にエシカルな人間は配慮すべきである。その上で邪魔だろうから、批判し続ければいい。
健常者で精神疾患者や発達障害者と関わったことのある人なら心当たりがあるだろうが、彼らは「寝たらよくない?」とか「考えすぎじゃない?」とか思うような事で堂々巡り、普通の人ができる作業をできない、訳のわからない事を堂々と語って周りをドン引きさせている。
彼らは決して人格破綻者として生まれた訳ではない。そう生まれたからそうで、たまたま不幸を乗り越えれなかったからそうなのだ。
戸塚ヨットスクールはクライアントを死なせているが、医療や福祉現場でも人はじゃんじゃんバリバリ死んでいる。
しかしそれらの違いは明確で、戸塚ヨットスクールは訓練生の死亡、傷害致死、行方不明が発生していた件に対し、不審な介入ではないか?と判断されたのだ。戸塚の教育方針とは別で批判されるべき出来事であろう。医療や福祉現場でも不審死が発生し隠蔽工作をしていたら問題になる。それと同様に彼がどれだけ立派な教育を施していようが、そこに死人や負傷者が出て不審と判断された時点で「医療ミス」同様に鑑査される。それを避けては通れない。仕事の名の下で性交渉や危険行為が許されている社会で、体罰が体罰として問題視されるのはクライアントと正確な同意が取れていなかったからだ。
戸塚ヨットスクールはエシカルな組織が救えなかった存在の三次受け入れぐらいの場所だったのだろう。
正直、そういった過酷な現場で働いていたら疲弊するし、クライアントも目を離した隙に死のうとするだろうし、命がかかっているから従事者の性分も攻撃的になるだろう。医療従事者が特有の気の強さを持っているのと同様だ。
戸塚の思想そのものではなく、ああいった活動をしていると必然的に語気は強くなる。ゆえにエシカルな人々からすると"無用に語気の強いヤバ思想おじさん"となる。語気強もヤバ思想もあなた方のような救いたい形をした人たちの為ではなく、どうしようもない救いたい形をしていない人たち、それに直接迷惑をかけられている身内の為にしか存在しない。
しかし、彼らが抱えれる存在を私が救えたか?と言われれば難しい。
どれだけスティグマを払拭した語りをした所で彼らは「だって今はそういう社会になってないもん!」が主訴だから。
革命を起こす体力や精神力すらもない人間は素直に弱さを引き受ける事なんてできない。
拝金できたとしても、なれない、なりたくない健常者が殆どだろう。なろうとも思わない。
男の話しか聞けない男っているでしょう。
ジョージの救済対象は、男の話しか聞けないのに男に手を差し伸べてもらえなかった男だ。
無論、女の話を聞けない男を女が救える訳がない。女にいじめられた経験があったのなら尚更。尊敬できる対象からの暴力は"可愛がり"になるが、尊敬できない対象からの暴力は"いじめ"になる。自分をいじめてくる女に心を開き、素直になれる訳がない。
男に畏れている男は女にケアを求めるので恋愛に依存できるが、男に憧れている男はそういう男に憧れて女を見下しているので"女を見下している真の男"に救われるのを待つしかない。
なのに...。
待てど暮らせど、真の男は自分を救ってくれない。何故か、そういった男は既に仕事でそういう男たちを従えているからだ。真の男はサラッとあなた達のことを"なかった"ことにしている。小中学生の同窓会の時だけ「そんなヤツもいたな〜」程度に思い出す。
わざわざ「救済しよう!」なんて発想は彼らには最初からないのだ。人が人を救済するのは医療従事者の仕事であり、彼らが怪我をしたら病院に行ってついでに傷病手当を貰って仕舞いなのだ。彼らはただ生きているだけで男社会の上に立ち多くの人間を救済しまくっている。まともな努力をして結果が出るので、苦労も糧にできる。
そういう組織に入れない、そのパスを死に物狂いで掴めなかった男のことは"見えていない"。
そういう男は同性に対しても面倒見は良い。多少のことは雑に扱われることを許せば大目に見てくれるのだ。しかし、ここで篩にかけられるのは"雑に扱われるのを許せなさそうな男"だ。上司は男の恋人ではないので、恋愛じみたものを仕事に求めてきそうな人間は落とされる。まず出会えない。パワハラ、モラハラは起きないにこした事はないが、それらは下からしか生まれないので、ちょっとした事で騒ぎそうな人間は不要だ。だから"見えていない"。
彼らが尊敬する男たちは、無意識に、彼らにとっては残酷に、女を性愛対象と恋愛対象で天と地ほどの違いを持って、その上で適切な扱いが可能な為、交際しようが何だろうが結婚相手を選ぶまでは殆どデーティングだ。"男に見えていない男"は面倒で抱けない女と同等の存在なのだ。会った瞬間に無用な面倒事を察知する能力は野生の本能そのものであり、ミソジニーになる迄拗らせる未来を防ぐ。
戸塚やジョージやナンパ師は「お前の仲間だ!」と示す為に親切に女叩きをしてくれるし、エシカルは敵だと背中を摩ってくれる。
そういう男の哀しみがすこし分かるのだろう。
このふたりはどう考えてもこの時代の日本にはそぐわなかった価値観を持つ"変な男"ではあったのだ。男のマイノリティだから"見えた"のだ。この時代に発生した苦しみのひとつとして、そこからあぶれてしまった男たちに手を差し伸べるのだろう。
差し伸べられた手を掴むこと
それは如何様に気持ちの悪い男であろうと女であろうと、それを掴む限り、まだ生きてみようと思える希望そのものだ。男磨きハウスを観るに、ジョージは戸塚に比べて随分とやさしいと思う。救いたかった筈の訓練生の死から反省ができた世界線の戸塚だ。私はもう第一話でお腹いっぱいになってしまった。訓練生に恨みはないが、彼らのナチュラルな気持ちの悪さが次から次へと出てくるのでカロリーが高く、第二話に進めない。しかし内容はとても面白かったので「男ってなんだろう?」と思う人たちには是非試聴してもらいたい。面白くはある。
ジョージは訓練生の肉体を管理するどころか、射精管理までして、逃げ続けた所で救われることはないし一度でいいからお前を気持ち悪いとは思わない女に出会えるだけの力を与えてあげようとする。ジョージには良妻賢母の忍耐がインストールされている。
恋愛とは、「特定の相手を特別な愛情を持って想い合い、心がつながり合うこと」と定義できます。これには、相手への強い関心、一緒にいたいという気持ち、そして相互の愛情が前提となります。片思いは一般的に含まれず、告白後、恋人としてお付き合いする関係も含まれます。
アロマンティックっていう呼称しか知らんのでこういうけど、要は恋愛したことが無い(恋人ができたことがないって意味じゃなくて、好きな人が出来たことがないし、恋人が欲しいと思ったことがない)
特に異性/同性どっちも苦手とかない。交友関係は同性も異性もそれなりに広いと思う。
アイドルみても別に可愛い顔してるな、かっこいい顔してるな、と思うけどそこで泊まる感じ。可愛い猫見た時とかかっこいいライオン見た時とほとんど感覚としては変わらない。
もちろん未来のことまでわかる訳じゃないので、この先も恋愛的に人を好きにならない、今後も一生ありえない!というのは言いきれないと思うけど、30代突入してもなお一度もドキーン!とかキュンだとかドキドキ……とかそういう感覚になったことないので、なんか、今のところ「アロマンティック」でやつなんだろなあと思っている。
どう思う?最近なんかわだいじゃん。
推しがアイドルとか俳優だったり、アーティストだったりする場合と、アニメや漫画のキャラだったりする場合で印象変わる?
たとえばあなたが男(女)で、彼女(彼氏)が女(男)で、男(女)アイドルにキャーキャー言ってたら嫌?
男キャラクターのグッズを集めるのは?
彼女(彼氏)が女(男)アイドルのオタクだったら?女(男)キャラのグッズを集めてたら?
SNSやYouTube出人気の激推しの猫がいてその子の猫グッズを集めてるとかは?
推し活って色んな形や理由、対象があると自分は思っていますが、どの辺が嫌でどのへんなら別にとかあるの?なんで嫌とか、なんで許容できるとかある?
どう思う?最近なんかわだいじゃん。
推しがアイドルとか俳優だったり、アーティストだったりする場合と、アニメや漫画のキャラだったりする場合で印象変わる?
たとえばあなたが男(女)で、彼女(彼氏)が女(男)で、男(女)アイドルにキャーキャー言ってたら嫌?
男キャラクターのグッズを集めるのは?
彼女(彼氏)が女(男)アイドルのオタクだったら?女(男)キャラのグッズを集めてたら?
SNSやYouTube出人気の激推しの猫がいてその子の猫グッズを集めてるとかは?
推し活って色んな形や理由、対象があると自分は思っていますが、どの辺が嫌でどのへんなら別にとかあるの?なんで嫌とか、なんで許容できるとかある?
学生時代のわたしは、クリスマスに昔の恋人を思い出して泣くくらい
異性の隣に座るだけで緊張してドキドキするくらい
なにか話すと声がうわずるくらい
とにかく異性を意識していた。
異性と気軽に話せる日なんて、きっと来ないんだと。
でも社会人になったら
話す、話す、話す。
性別なんて、もう何も気にならない。
今は全員の男性同期と気軽に話せる。
ほんの数ヶ月前まで
今では一人で男子たちとランチにも行ける。同じ配属先の仲間として。
急に変わった。
前はずっと、「異性」にしか見えてなかったのに。
この変化、なんなんだろう。
今までで一番、異性としても人としても魅力的な人たちばかり。
でも付き合うことはないって、どこかでわかってる。
だから気楽なのかもしれない。
あの頃の、恥ずかしくて異性を意識して緊張していたわたしは、もういない。
さばけちゃった、すれっからし。
まぁ結局あれは腹ペコあおむしの人形がBTSの人形に見えたってだけのデマ報道だったらしいけど
でもXの反応を見ると「既婚者が推し活をして何が悪い!」みたいなこと言っているやつばかりでマジで寒気がした
「大谷ほどの旦那がいても推し活するとか悪魔か?」って感想ツイートもぶっ叩かれていたし、マジで日本の女の貞操観念やばすぎない????
普通に恋人がいるとか既婚者とかなんだったら推し活なんてやめろよ
まさかセックスしないから他の人好きになってもセーフとか思ってんの?
それを想像して感情を動かしてる時点で、もう浮気のプロトタイプだろ
「アイドルにキャーキャー言ってるだけでしょ」って思うかもしれないけど、じゃあ自分の恋人が、知らない異性の写真を見て「かわいい」「会いたい」「この人のために頑張れる」とか言ってたらどう思う?
いや普通に気持ち悪くない? なんでそんな相手と付き合ってるの?って思うだろ
「推し活」なんて可愛い言葉でごまかしてるだけで実際構造そのものは不貞行為まんまだから
それでも「推しは人じゃなくて概念だからセーフ!」とか言い張るあたりもう“恋愛倫理を壊す方向の宗教”なんじゃないかと思ってるよ
ライブで「こっち見た!」って言って喜ぶとか、
それって片思いと何が違うの?
それを「推しだから違う」って無理やり分類してるだけで恋人がそれを見たらうげーーって思うのは当然じゃない?
推し活って、恋人に対して誠実であろうとする努力を削ぐ行為なんだよ
逆に、たとえば夫が夜な夜な推しのグラビアアイドルのファンサイト見てるって知ったら奥さんはどう思うのか?って話では「まぁ趣味の範囲だし…」って許容する人間いなくなるだろ
夫側も、少なくとも後ろめたい気持ちを持って隠す努力をするだろ
ところがこれが男性アイドルになった途端擁護しだすアンポンタンがわらわら湧き出すんだよな
恋人や配偶者に対して「あなたが一番」って言いながら、心のどこかで“別の誰か”を思い浮かべてるなら、それってもう浮気と何も変わらないでしょ
愛とか推しとか言葉の使い方が軽すぎて、本当に大切なものがどんどん安っぽくなってる
「恋人がいるのに推し活してる人」が当たり前のように存在して「何が悪いの?」って逆ギレする世の中を見ているとマジで日本から「誠実」って言葉は消え去ったんだなと思うわ