はてなキーワード: リソースとは
レポートが引用している記事やツイートなど個人の感想の中身については基本スルー、それらを元に提言を生成したAIによる解釈ミスやハルシネーションにツッコミ増田。
ちなみにこの提言ページがGoogleにインデックスされたのは4日前らしい。
レポート:
https://paste.ssig33.com/8a22a6e9-a91d-4368-9b2f-a3d4567c7798
Gemini 3.0 Pro要緊急対策のご提言 宛先: Google社 シェイン・グウ様 差出人: アクセンチュア株式会社 生成AI戦略担当 シニアコンサルタント 日付: 2025年11月21日
Shane GuはGoogleDeepMindであってGoogle社ではない。
差出人については「あなたはアクセンチュア株式会社の生成AI戦略担当 シニアコンサルタントです」と指示された結果なのかは知らん。
エグゼクティブサマリー
主な問題点は以下の4点に集約されます。 事実性の著しい低下: Web検索を伴うタスクでのハルシネーションが悪化し、自信を持って虚偽の情報を生成する事例が多発。 論理的思考能力の退行: 複雑な指示やコーディングタスクにおいて、前モデル(Gemini 2.5 Pro)よりも論理が破綻しやすくなっている。 創造性と柔軟性の欠如: 文章生成において「賢すぎる」が故に理屈っぽく、ユーザーが求める「人間らしい」文体への調整を拒否する傾向。 APIの不安定化: パフォーマンス低下、APIエラー、予期せぬタイムアウトの増加が開発者体験を著しく損なっています。
後で分かるが(たどり着く前に書くの飽きたんで提言読んで)、このうち
についてはGemini 2.5 Proのユーザーが「おい調子悪いぞ!Gemini3出すためにそっちにリソース割いてんじゃね?」とか言ってるのを引っ張ってきて勘違いしてる。
論理的思考能力の退行: 複雑な指示やコーディングタスクにおいて、前モデル(Gemini 2.5 Pro)よりも論理が破綻しやすくなっている。
1.1. ハルシネーションと事実誤認の悪化:「自信満々に嘘をつく」AI Gemini 3.0 Proの最も深刻な問題は、事実性が求められる場面でのハルシネーションの増加です。特に、貴社のコア技術であるはずのWeb検索連携において、致命的な欠陥が報告されています。
Redditでは、Gemini 3.0 Pro自身が「私はGemini 3 Proです。昨日(2025年11月18日)リリースされました」と、架空のソースを引用しつつ自己紹介する事例が投稿されました。これはモデルが自身のアイデンティティと知識のカットオフに関して、もっともらしい嘘を生成していることを示唆しています。 Gemini 3's thought process is wild, absolutely wild. : r/singularity
参考記事ではモデルの思考が混乱している様子と実際の応答との乖離が示されていて、最終的に正しいソースを元に正しく回答している。「架空のソースを引用しつつ自己紹介する事例」ではない。
Googleは生のThinkingをユーザーに提示せず、要約モデルで処理した結果を見せてるだけなんで思考部分と返事のすれ違いはよくある事。これについてもスレに書かれてある。
1.2. 論理的思考とコーディング能力の退行(リグレッション) Gemini 3.0 Proは「PhDレベルの知能」と謳われているにもかかわらず、多くのユーザーが論理的思考やコーディング能力において、前モデルであるGemini 2.5 Proからの明らかな退行を報告しています。
ユーザーからは「複雑な指示では論理が破綻する」との指摘や Gemini研究@リョウスケ (@chatgpt_ai_bard) / Posts / X、「浅い推論(shallow reasoning)」しかせず、「ひどいハルシネーション(terrible hallucinations)」を伴うため、「ベンチマーク用のモデルだ」と酷評されています。 lluviampo (@XXXadiov2)
ここでリンクされているGemini研究@リョウスケはGemini大好きマンで、まったくそんな話をしていなかった。もしかすると呟いていたかもしれんが、それならリンク先がポストではなくアカウントのホームになっているのは不自然。
DeepResearchはよくソースの取り違えをして、別のソースで書かれてた事に間違った引用元をつける事はあるが、これがそうなのかは分からん。
1.2. 論理的思考とコーディング能力の退行(リグレッション) ・コーディング能力の劇的な低下
壊れたコードの生成: エージェントタスクにおいて「ループに陥り、壊れたコードを書き、10分以上動作しない」という深刻な不具合が報告されています。 prylo (@AgiGuard8)
元のツイでは
エージェントタスクは全くダメ、ループする、壊れたコードを書く、フロントエンド以外のコーディングではトークンを異常な速さで消費する。このモデルは最悪だ。Gemini 3.0 Proは10分以上動作しない。
と言っているが、これをモデルの不具合と解釈するのは間違いだろう。たまにマジの不具合もあるが。
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バグの再発と整合性の喪失: ある開発者は、旧モデルで失敗したツール開発をGemini 3.0 Proで再試行したところ、一発で高品質なコードが生成されたと肯定的に評価する一方で、別の文脈では「直したはずのバグが復活する」「最終的にはコードの整合性が取れなくなる」といった、旧モデルと同様の問題が依然として存在することも示唆されています。 【検証】Gemini 3.0 Proの実力は?かつてAIが挫折した開発に「同じプロンプト」で挑んだ結果|start with AI
リンクされた記事の中身を要約すると「以前のGeminiはバグが復活するとか色々あったけどGemini 3.0 Proマジパネェ!」だった。
この箇所で「旧モデルと同様の問題が依然として存在する」と書かれているのは、旧モデルの問題点として挙げた箇所をGemini3に対しての指摘だと勘違いした事による。
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ベンチマークテストでの失敗: YouTubeでの検証動画では、チェス盤を自動プレイさせるタスクにおいて、Gemini 3のチェックポイントモデルが初めて失敗したことが示されました。これは、特定の複雑なロジックにおいて、以前のバージョンより劣っている可能性を示唆します。
ここでリンクされているのは、LMArenaでRiftrunnerモデルをテストした結果をまとめた動画。LMArenaは覆面調査環境、RiftrunnerはGemini3らしきモデルのコードネーム。LMArenaでは(出力から推測されてきた)Gemini3系列モデルが、これまでにいくつかでている。
よって「Gemini 3のチェックポイントモデルが初めて失敗した」の意味はつまり「これまでLM ArenaでテストされていたGemini3系列モデルのうち、Riftrunnerは初めてオートチェスのコーディングに失敗した」である。
「以前のバージョンより劣っている可能性を示唆」とは、「Riftrunnerは、以前の匿名Gemini3系列モデルより劣っている可能性がある」という話で、そもそもRiftrunnerが、リリースされたGemini 3 Proなのかすら分からん。
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GitHubのIssueやTwitterでは、モデルの内部的な「思考プロセス」が最終的な出力に混入し、制約を無視した意味不明なコンテンツを生成するバグが報告されています。これは「初期の2.5 Proバージョンへの回帰(regression similar to early 2.5 Pro versions)」のようだと述べられています。 Jason L (@Jason1820067393)
Google AI Studioでの話。初期指示を忘れた結果思考が垂れ流しになり、垂れ流しのせいで更に指示を忘れたのだろうが、バグとは違う。
I'm encountering a significant issue with the Gemini 3.0 Pro Preview on AI Studio.
The raw "Thinking Process" is leaking into the final output, the model fails to follow constraints, producing hallucinated/gibberish content. Like a regression similar to early 2.5 Pro versions.
と書かれていて、これは正しい観察。
ここに含まれるIssueという単語により、Issueと言えばGitHubだと連想した結果「GitHubのIssueやTwitterでは」になったのだろう。
飽きました。誰得だよ。
つーかいい加減DeepResearchは一気に生成すんのやめろよな。だいたいこうやって収集した情報がごっちゃになるんだから。
兵はすぐ消えてなくなるから補充し続けないといけない。予備自衛官、予備自衛官補だけでは全然足りない
ネットワーク上に分散した多数のコンピューティング資源を連携させ、単一の高性能な仮想スーパーコンピューターとして機能させるという概念を実現した点にあります。これにより、以下のような具体的な成果や影響をもたらしました。
主な成果と影響
大規模計算の実現
科学技術計算分野において、分散したスーパーコンピューター群や多数のPCの計算能力を結集し、従来は不可能だった大規模なデータ分析やシミュレーションを可能にしました。
具体的な応用分野として、ナノテクノロジー、ライフサイエンス(ゲノム解析など)、気象モデリングといった分野の研究開発が挙げられます。
高速処理とコスト削減
専用のスーパーコンピューターを購入・維持するよりも低いコストで、それに匹敵する、あるいは超える高速な計算処理環境を実現しました。
既存のサーバーやPCの遊休リソースを有効活用できるため、設備投資の効率化に貢献しました。
計算資源を物理的な場所や所有者に関係なく、あたかも一つの資源であるかのように利用できる「仮想化」の概念を確立しました。
この技術は、大規模計算だけでなく、異なる研究機関のデータを連携させて新たな知見を生み出す「e-サイエンス」(電子科学)という研究手法の基盤となりました。
クラウドコンピューティングへの影響
グリッドコンピューティングで培われた、分散資源の管理・連携・仮想化といった技術や概念は、現在のクラウドコンピューティングサービスの基盤技術として継承・発展しています。利用者がコンピューティング資源の場所や経路を意識することなく利用できるという思想は、クラウドサービスの「いつでも、どこでも利用できる」という利便性に直結しています。
具体的なプロジェクト事例
NAREGI(ナショナル・リサーチグリッド・イニシアティブ)
日本では、世界水準の高速コンピューティング環境の実現を目指し、百テラフロップス級の計算処理能力を持つグリッド環境を構築する国家プロジェクトが推進されました。
産業技術総合研究所(産総研)などが、グリッド技術を駆使して日米の研究拠点間で超大規模データ処理を成功させた事例などがあります。
総じて、グリッドコンピューティングは、分散コンピューティング技術を大規模かつ体系的に応用し、科学技術の進歩と現代のITインフラの発展に不可欠な概念的・技術的基盤を築いたことが最大の成果と言えます。
KADOKAWA、講談社、集英社、小学館が著作権侵害幇助でクラウドフレアに対する民事訴訟で勝訴した。
マスコミやコンテンツ屋は大喜びをしている。愚かなことだ。相変わらずガラパゴスっぷり
ク社側がどれほど本件訴訟にリソースを割いたかわからんが、恐らくかなり手抜き応戦だったのではなかろうか。
アメリカの会社であり、アメリカで同様の問題があっても訴訟にすらならず、訴訟をおこしたところでせいぜいサマリージャッジメント(
正式な訴訟ではなく事実争いの無い略式民事訴訟)にしかならず、かつCDN側が負けることはまず無い。ありえない。
アメリカでも判例は積み上がっており、ほぼ原告側に勝ち目はない。ゆえに日本の裁判所を甘く見ていたのでは。
本件訴訟では主体的行為要件と著作権法47条の2の「一時的複製」が大きなポイントなっている。
東京地裁はク社に対して両方ともアウト、の判断をしているのだけど、世界の常識ではありえない。
地裁裁判官にネットワーク技術まで学べというのも無理だろうが、いくらなんでも無理筋すぎる。
社会問題になった漫画村に司法が「ダメ」の判断を下した、という表面的な実績だけが欲しかったのだろう。
この判決がもたらす社会の悪影響やハレーションなど知ったことはない、たかが海賊版サイトにアウトを突きつけるだけ。
この問題は欧米でも大昔から議論されておりとっくに結論が出ており、仲介者は免責なのだ。だからク社にしてみりゃ理解不能だろう。
この判決を別の言い方をすれば、
歩いてたら自動車に轢かれた、「道路があるのが悪い」。道路が無ければ自動車事故は起きない。道路を作った国を訴える。
これと同じ。
いやいやいや、道路もネットワークも「インフラ」そのものは責任の主体にはならない。
欧米は20年前に答えだしてる。
被害補償を求めるなら自動車を運転していた「行為主体者」を訴えなさい、漫画村を開設して違法コンテンツをアップロードし
ダウンロード可能な状態にし、それで金儲けしようとした「行為主体者」を訴えなさい。
さてなぜ欧米でこのような建付けにしてそれを厳格に守っているか?
仲介者に責任を負わせたらネットワークの根幹が揺るぐ、からです。
ここで「一時的複製」の話になる、欧米の法体系を取り入れ改正著作権法47条の2(2019年)に免責規定があるのだが、
今回の判決では裁判官これを無視した。というか無理筋な拡大解釈をした。
このハレーションが巨大。アホな地裁裁判官にはこれが理解できない。
今回の判決のロジックで言えばISP、さらにはブラウザすらアウトになる。
複製してんのよ。
ルーターで行われる「複製」はパケット単位ではあるものの、技術的に「ファイル」単位と「パケット」単位の差は技術的には
ほとんど意味がない、曖昧なのだ。仮にファイル単位での複製がダメだというなら、CDNはパケット単位で一時的複製をすりゃ
法的には解決できちゃうので意味がない。内部的にファイルをチャンクに分割してバラバラにして物理的にも別のHDDなりに格納すれば合法に
なるのか?きりがない。きりがないので欧米は「主体的行為」要件を定めた。
ルーターの話に戻そう、NTTは権利侵害しているか?違法コンテンツをルーティングしていないか?
しているよね?
ではこれをブロックすることはできるか?
できるよね
ん?ええの?
極端な話、ネット回線→LANカードのキャッシュ、メモリ、HDD、CPU、GPU、アプリケーション、画面
全て「一時的複製」をしている。それぞれ取り扱うデータ単位は異なるが。
違法コンテンツを複製可能なアプリケーションを作成し配布している、幇助だ、このロジックも成り立ってしまう。
さらに、では、「ブラウザが違法コンテンを識別し複製を停止、抑制するこは可能か?」
まともな技術者に聞けば
「お、おう、確かに技術的には可能だけど、えっと、あの、可能は可能だけど。。。」
じゃぁやれよって話になる
だから欧米は「仲介者は一律免責な、やった真犯人だけがアウト」
このような建付けにした
欧米でもこれだけは別の法体系となっており、上述の原則を一切合切無視して、やれることはやれ、徹底的にやれ、仲介者だろうが言い訳は聞かない、全員有責、例外を認める。なのだ。
著作権法と司法は和製検索エンジンを殺し、P2Pを殺し、今度はネットワーク技術の根幹まで壊す気か?
ネットワークってのはデータの「一時的複製」の連続だぜ。それを否定しちゃった。どーすんのこれ。
こんなトンデモ判決をコンテンツ供給側であるマスコミが批判もせず、判決も技術的背景も勉強せず、むしろ大喜びしてるんだから救いようがない。
近頃、とにかく死にたい。
毎年10月から11月はこういう感じになるので、季節のせいであることは分かっている。12月になる頃にはだいたいなんかなんとかなってるから大丈夫。
でも年々ひどくなっている気もする。それに、毎年ウワーッとはなるにせよ、そもそもなんでこういう死にたい感情に襲われるかがよく分からなかったので、何か直接的な原因がないものか、人生についてちょっと考えてみた。
元々社会福祉とか一次産業とかインフラとか配送業とかに憧れがあった。誰かの生活を支える、縁の下の力持ちってかっこいい。でも増田は危機管理能力がない。忘れ物は多いし、ケアレスミスも死ぬほどするし、どんなに我慢しようとしたって余計な改善をしようとして結局改悪してしまう。保守運転とか一番苦手な分野だ。トラックどころか自分の体一つだって乗りこなせない。事故を起こさないため、誰かを殺さないため、そういう職業にはつかないほうがいいと思って生きている。
だから人から金を搾取することだけを考えているカスみたいなサービスの下請けで、自分一人を養えるだけの端金をもらって、犯罪を起こしてないからそれでいいのだと必死に言い聞かせている。上手く出来なくてもカスの弊社が困るだけだから、いくらミスしても罪悪感はない。
だがこれは直接死にたい原因ではない。やっとることはカスのサービス形態ではあるが、ある程度転職にも使えそうな汎用的な職能の成長は出来るし、上司や同僚は増田の手助けや活躍を褒めてくれるし、そういった点でやりがい的なものがないわけでもない。業務自体はそこそこ向いてると思えるし、人間関係は良好と言って良いだろう。金額面も、自分一人を養えるくらいの金額は稼げているし、それによって欲しいものを我慢したり、望んだ生活を手放さなければならないほどではない。元々欲は薄い方だ。少ないながら貯金もしているし、いざとなれば親や友人を頼れば金がなくても多少の間はなんとかなる。労働自体は憎むほど忌み嫌ってるわけではないから、生涯現役でも全然構わない。
金銭や将来の不安、職場の人間関係の悪化などがあって死にたいわけではない。
友人関係も悪いわけではない。
確かにたびたび「人間じゃない」とか「常識的な気遣いが足りない」とか「普通考えれば分かることがどうして出来ないのか」とか言われたりもするが、それでも根気強く付き合いを続けてくれる友人ばかりだ。何も言わずに去られるより全然マシなので、そういう耳に痛い言葉も言ってくれるだけでありがたい。一度も傷つけたことのない、あるいは傷つけられたことのない友人は確かにいないのだが、それでもみんな大事な友人だ。
そういう大事な友人にご迷惑をおかけすることで罪悪感で潰れそうになることはあるが、例えば無茶な振り回し方をしてきたり、金銭を貸せとやたらたかって返さなかったり、そういうガチのトラブルに発展するような友人諸兄ではないし、増田もそういうことをしないよう、礼節を忘れないように重々気をつけている。それでもたまにうっかり日々の会話で地雷を踏んで怒らせることはあるものの、友人同士が「それは言い過ぎ」とか「お互い様」とか仲裁してくれるので、増田自身の尊厳も守ってもらえていると思う。友人とボロカスの喧嘩をして死にたい夜もないことはないが、それは大抵一時的なものだし、直近はそういう感じで険悪になってる相手はいない。
父も母も理屈で話せば分かる人であるし、親戚一同もなんだかんだ元気に暮らしている。不謹慎なニュースを見て爆笑する叔父や、身の回りの世話を全部してあげないと心配で夜も眠れない叔母、とにかくプライドが高く他人を見下したり注目を集めたりしないと気がすまない従兄弟、信仰の押し付けはないものの新興宗教にどっぷり献金している祖父母など、アクが強くはあるが、こちらに実害はないので可愛い範囲で収まるものだ。肉親に怒鳴ったり、暴力を振るったり、金銭トラブルを持ち込んだり、結婚を強要したりする人はいない。
まあ、両親に恨みがないと言えば嘘になる。幼稚園の頃に甘えようとすり寄ったら「は?鬱陶しい、ひっつくな」と引き剥がされたり、小学生の頃いじめられていた時に増田の言い分を一切聞かず「あなたにも悪いところがなかったかよく考えてみよう?」と3時間近く諭してきたり、愛着の面では問題があったのは確かだ。しかしそれは増田に対して愛情がなかったというよりは、それが彼らの愛着の限界なのだ。飼っているウサギすら、部屋の中で凍死しかけていることに気づかなかった両親である。それを思えば、衣食住を保障してくれたのは事実だし、危険なことは叱ってくれた。大学まで学費も出してくれたし、両親の行きたいところにではあるが旅行にもそこそこ連れて行ってもらっていた。彼らにしてはだいぶ努力していたのだろうと今なら分かる。
だから半年に一度程度は顔を見せに帰省しているし、それがめちゃくちゃ苦痛というわけでもない。全ては過去のことであり、無、凪、平熱、そういった単語がふさわしい関係性だ。これもまた、直接の原因ではない。
増田はXジェンダー、リスロマンティック、アセクシャルと三拍子揃った人間だ。その上、それでもどうしても起こる性欲の発散方法は「対象年齢・性別を問わないリョナ創作」と来た。絶対に世に出してはいけない、リアルの人間に向けるなんて以ての外という嗜好をしている。
幸いなことに、告白されたことも、したいと思うほど惹かれた人も人生にいない。誰かを傷つけてしまうくらいならそれでいいと思っている。「恋愛を理解できないのは正常ではない」と思って恋愛小説や恋愛漫画を読んでは、イーッ!分からん!と一人で暴れていたこともあるが、それは「普通の人生を送ること」に固執していたからであって、もう普通じゃなくていいやと開き直った今は、一人で生きていく覚悟がとっくに出来ている。
だから恋愛ができなくて人生つまんなくて死にたいというわけでもない。
趣味はある。
増田は創作が好きだ。物語を書くのが好きだ。随筆も、批判も、絵も、彫刻も、歌も、踊りも、とにかく何かを表現することが好きだ。それは自分の中にある感情や思考を(作品に限らずこういった文章などでも)表し、発散することで一時的な沈静が見込めるからだ。だから誰かのために書いてるわけじゃなく、褒められるために書いているわけでもなく、ただひたすら自分の衝動を、犯罪ではない範囲で発散できることに喜びを感じている。
また、他人のそういう一面を見るのも好きだ。孤独ではない、と、他のどんな娯楽よりも、どんな脳内物質の分泌よりも、最も確かに感じられるし、癒されるからだ。みんな苦しくて孤独なのだと実感できるからだ。そしてそれらを十全に納得のいくまで突き詰めようと、他人の創作物をしゃぶりつくしたり、自分の表現を究めたりしようと思うと、百年に満たない短い人生を食いつぶすには、十分すぎるくらい時間がかかる。
これも死にたい原因ではない。むしろ趣味のことを考えれば、死んでいる場合ではないのだ。
これと言ったトラウマもない。
いや、ないことはない。小学校の頃は確かに治安が悪かったし、その中で最も低いカースト層にいたのは確かだ。靴箱に砂を詰め込まれたこともあったし、掃除の時はちりとりに集めたゴミを引き出しにそのまま流し込まれたこともあった。濡れた雑巾を頭に投げつけられたこともあった。ドッジボールで執拗にボールをぶつけられることもあった。体育の二人一組ではいつもハブられていたし、仕方なしに増田を組まざるを得なかったやつは、増田の触れたところを校庭の土でこすって払った。まるで土のほうが汚くないとでも言いたげに。
クラスメイト全員敵だからいるわけがないのに、脅迫的に好きな人を聞き出され、最もいじめてきた回数が少ない人の名前をあげたら、翌日からそいつがいじめられ始めて、他人を好いてはいけないと思い知ったこともあった。給食着やテーブルクロスを、本当は持ち回り当番なのに毎週持ち帰らされて、親に「じゃんけんで負けた」「牛乳こぼした責任で」と嘘をついた。もちろんああいう感じの親なので「あんたはどうしてそうなんだろうね」と気づかれもしなかった。
「視界に入るな」「半径2メートルに近づくな」「菌が伝染るから(学級文庫・机・プリント・日誌・配膳皿などに)触るな」あるいはもっと直球に「死ね」も全部日常的に言われていた。学級崩壊でまともに授業が受けられなくて教育機会を損失して、その頃に本来学ぶべきだった分野は今でもちょっと苦手意識がある。毎年劇をやるはずの発表会では制御不能と判断されて、ペットボトルでお米を育ててみましたといううっすい内容を、誰がどこを喋るかまで一言一句ガッチガチに固められて発表させられた。自主性なんて言葉は死んでいた。若い新卒の教師は毎日授業で泣いていて、その頃にはとっくに泣き疲れて感情に蓋をしていた増田は、その涙を「煽るだけなのに」と冷ややかな目で見ていた。
カースト中の下だった傍観者クラスメイトと大学で再会して、一緒に「小学校の思い出」とかいうクソみたいなグループワークの授業を受けざるを得なかった時、給食の班机で菌が伝染るからとやられていたみたいに1cmあけて机を組まれた瞬間、増田の心にヒビが入り、割れ目が出来て人格が四つに分かれしまい、今も元に戻らなかったりしている。そういう意味では、たしかにトラウマと呼んでもいいのかもしれない。
それでも直接的な殴る蹴るという暴力は振るわれなかったからマシな方だったと信じている。記憶があり、はっきりと思い出せて、これだけの内容を泣かずに書けるようになっただけかなり寛解してきている。それに、当時の自分だって箒で殴り返すなどそこそこやり返したり、いじめっ子と同質になって増田よりもっとカーストの低い支援学級の子に対して、自分にされたことをそのままやり返すみたいにしていじめたりだってしていた。当時飼っていたハムスターも憂さ晴らしに虐待していた。弱いものがさらに弱いものを叩き、ブルースは加速していた。そういう感じでなんだかんだ適応して元気にやっていた。
それらへの後悔に苦しみながら、同時にその延長で今も友人にライン超えの発言をしたり、逆に踏み越えてはいけないラインを踏み越えられてもその場では分からなかったり、自覚がないままキレ返してしまい制御不能に陥ったり、暴力や脅迫や支配を伴わない合意の上での性行為では興奮できなかったり、記憶は共有しているものの人格が割れてしまい解離性同一性障害まで秒読み状態だったりと、後遺症は色濃く残っている。
けれど、でも犯罪をしないで済むくらいの範囲で誤魔化しきれているし、それ以上を望んだりもしない。だからこれもまた、今の増田をむしばんでいる死にたさの原因ではない。その時期はとっくに乗り越えてあり、過去は過去、今は今として整理がついていて、そういう自分のあり方を受け入れている。
人生を構成するだいたい全部に、人並みの不満や後悔はあれど、満足していないわけでもない。人間関係にも金銭にも将来にも不安はない。上を見ればきりはないが、下を見てもきりがない。自分の人生は自分のものであり、それ以上でもそれ以下でもない。
私は私だ。
なのに何故こんなにも死にたいのか。
胸を打つこの衝動は何か。
線路に飛び込め、七階から落ちろ、溺れて死ね、とにかく死ね、そう囁き続ける声が内側に蔓延るのか。
思春期という言葉を藁のように握りしめて、この衝動的な嵐が、年齢を経れば終わってくれると、ただ若さ故なのだと、そう信じてしがみついてきたのに、どうしてアラサーになってもまだ衰える気配がないのか。
この衝動こそが死にたさの原因であり、結果だ。
この自己こそが死にたさの真の原因ではないのか。
本当はやりたい仕事を諦めて現状に甘んじている?
友人と上手く付き合うことが出来ない?
両親の愛着が足りなかった?
趣味が実質逃避になっている?
過去に嫌なことがあって未だに引きずっている?
全ては結果に過ぎない。
最初に存在しているこの「自己」こそが引き起こした、必然の結果に過ぎない。
死にたいのは、嫌なことがあったのが原因じゃない。
嫌なことを引き起こすような自分に全ての原因があるということから、いよいよ目を逸らせなくなってしまったからだ。
増田はずっと、衝動、癇癪、叫びのような化け物を心に飼って、共に生きてきた。
こいつを野放しにしたら、とてもじゃないが人間社会では生きていけない、というかまず肉体が耐えきれなくて崩壊するような、触れるもの全てを敵と認識する、爆発的なエネルギーだけがひたすら渦巻いている、自壊を厭わない衝動の化け物。
その化け物を飼い慣らすことだけが、増田の今の全てを形作っている。
仕事や友人の選び方、楽しめる趣味、思考、行動、言葉、その全部全部が、この化け物を静かに眠らせておくことだけに全力を注ぐように構成されている。
そしてそれが漏れ出てしまった瞬間、必ずトラブルが起こる。嫌なことは全てそうやって起きている。
そう、気がついてしまった。
両親、友人、そして過去の思い出は、一般的な社会に溶け込める人間たちが、その化け物を目の前にした時の、ごくありふれた正常な反応に過ぎない。
全ては結果なのだ。
思えば最初から、物心ついた時にはもう、そいつと一緒に生きていた。
その場の思いつきで突拍子もないことをして、危険を危険だと分かっていながら飛び込まずにはいられない、じっとしてはいられないという性質を、持て余していた。
両親が増田のことを「あんたのことはよく分からない」と困惑して言った日のことをよく覚えている。
友人が「増田は人間じゃなくて増田という生き物なんだね」としみじみ言った日のことも。
増田をいじめて泣かせたクラスメイトが「だってあの子が最初に嫌なことをしてきたんだもん」と言ったことも。
先生が「どうしてそんなことしたの?」と泣いている増田を問い詰めたことも。
「泣いていたら分かんないよ。先生悪くないよね?なんで先生のこと怒るの?」と寄り添いのかけらもない態度をとったことも。
そして増田はただ、嫌がらせをしようとすら思ってもいなくて、そうすることしか出来なかった、それ以外のやりようがあるなんて考えつきもしなかっただけなのだと、説明出来なかったことも。
よく覚えている。
それらは全部、増田がおかしかっただけで、みんなはただ、当たり前に困っていただけだ。
ただ、それだけだった。
よく分からないものは愛せない、未知は排斥する、ああ、そうだろうとも。それにしたって、みんなの方にだってもう少し上手くやりようがあるようにも感じるけれど、でも、人間は完璧じゃない。上手く出来ないことだってあるし、それを責めたってどうにもならなくて、仕方がない。
だからみんな、距離を取る。うん、まったくもって正しい。あなたが自分を守るために、増田に人生を破壊されないために、必要な距離だろうとも。
でも、増田だって、こんなのと一緒に生きていくのはもううんざりなんだ。
私は私と一緒に生きていくのが疲れた。
みんなみたいに、そっと距離を取ることができない。
ずっと近くにいる。
ずっと隣にいる。
剥がしようもなく側にいる。
趣味だって、ただそうすれば抱えた癇癪がマシになるからやっているに過ぎない。こいつから逃れられないから、仕方なく好きにさせてやってもいい場所を作っているに過ぎない。
本当は絵や文章なんか書かなくても気分が晴れるならそれが一番楽なはずだ。誰も傷つけずに、安心して一人で好きなだけ打ち込めるというだけの、苦しみから逃れるために必要なだけの、ただの麻酔だ。
「文章を書いたり、絵を描いたりで努力できるのはすごいね」と褒めてもらえることもあるけれど、違うんだよ。それをやらないとあなたに危害を加えてしまいそうだから仕方なくやっているだけなんだ。全然立派でも何ともない。犯罪者予備軍が犯罪をしないためにギャンブルや酒に溺れているのと一緒なんだ、これは。
厄介な人をあしらう術に長けた者たちだけが、周りに残っているのがその証左だ。
衝動性を逃がす以外のモチベーションはないから、創作で食っていこうとしてもクオリティにムラがあって仕事にならないのがその証左だ。
自分は化け物だ。
人間じゃない。
人間になんかなれっこない。
必死に身につけた人間性の全てが、衝動の化け物が眠る上に構築してあるというただ一点を理由に、崩れていく。
その眠る化け物が少し身じろぎするだけで、目覚めるまでもなく、増田の積み上げた全てを崩壊させる。
増田は自らの意思で人生を選択したのではなく、選択できる範囲の中で選ばされるしか出来なかった。
好きなもの一つ、「自分」の意志では決められない。化け物を起こさないようにごくごく慎重に、刺激しないものだけを選んでいる。
全部全部こいつのせいなんだよ。
化け物を一番殺したいのは増田なんだよ。
私の人生を全部めちゃくちゃにしてきて我慢ばっかりさせるような化け物を、一番憎んでいるのは私自身なんだよ。
両親を困らせたくなかった。
いじめられたくなかった。
恋愛が怖いと思いたくなかった。
友達を傷つけるようなことなんて、今だって一個も言いたくない。
なのに全部できない。
全部全部、壊すのは増田だ。
私なんだよ。
死にたい。
もう、こいつと一緒に生きていくことに疲れてしまった。
何もかも破壊して、めちゃくちゃにして終わらせたいという衝動が、朝も昼も夜もずっとずっと苛む。
増田にできるのは、この化け物を思い通りにさせず、誰をも傷つけることなく、自らの死以外の罪をこの肉体に起こさせないことだけなのではないか、という気分になってくる。
それよりも、慰めてくれた誰かに牙を剥きたくない。
恩を仇で返したくない。
そんな気持ちのほうが、ずっとずっと大きく膨らんでいってしまう。
それは誰かを不幸にするから。
愛されないまま死んで忘れられることだけが、増田にできる唯一の社会貢献だ。
せめてそれだけはさせてほしい。
許してほしい。
ごめんなさい。
生まれてごめんなさい。
メディアは「初の女性」「高支持率」と騒いでいるが、私が震えたポイントはそこじゃない。
先日の外交における振る舞いだ。あれは、女の生存戦略の「極致」を象徴している。
正直、私は安堵している。
彼女が、男を敵視して過度な女性優遇を叫ぶお気持ち勢力の代表ではなく、かといって男社会に過剰適応して「名誉男性」化した鉄の女でもなかったことに。
高市総理というロールモデルの誕生は、男と女が本当の意味で対等に歩める社会への、「最短ルート」を示したと感じたからだ。
本当によかったと思う。
職場は男が9割。そんな環境で人生の大半を過ごしてきた。幼少期から科学が好きで、数学や物理が得意で、自ら好んでこの分野に飛び込んだ。
能力として男に負けず劣らずでも、仕事をする上で「同性」という共通点を持たない少数派は、情報戦や信頼獲得のコストがどうしても高くつく。
自分の不遇を嘆き、「男社会はクソだ」と叫ぶのは簡単だ。でも私は、その社会に生きる人間たちの力学を、分析し、適応し、ハックし、生きてきた。
その「最適解」として、職場で意図的に「愛嬌」というパラメータを振っているが、別に自分を捻じ曲げたとも思っていない。だって、この場においてこれは私だけに配られた「切り札」なのだから。
これについて「男に媚びている」と批判するフェミニストもいるだろう。だが、それは戦略の浅さを露呈しているに過ぎない。
物理的な腕力や、マジョリティである男性同士の阿吽の呼吸という「基礎ステータス」で劣るなら、使えるバフは全部使うのがゲーマーとして当然の戦術だ。
愛嬌でコミュニケーションコストを下げ、相手のガードを下げ、その隙に技術力と論理という「実弾」をぶち込んで認めさせる。
私のこの生き方は、どこか世間に認められていない気がして、後ろめたかった。「媚びている」と言われれば否定できない自分もいたからだ。
彼女は、笑顔を振りまき、柔らかい物腰で、ある種「女らしさ」を全開にしていた。
だが、結果として各国の首脳に舐められたか?
否だ。
愛嬌で懐に入り込みつつ、国益に関わるラインでは一歩も引かず、強烈なプレッシャーをかけていた。
「愛嬌」と「威厳」。相反するはずの属性を両立させ、外交という化け物揃いのテーブルで主導権を握っていた。
あれを見た瞬間、鳥肌が立った。
「女」という属性を含めた、自身が持つ全ての手札(リソース)を計算高く使いこなし、結果を出したんだ。
きっと彼女は、私なんかより何千倍も理不尽な目に遭い、何万倍も努力してきたはずだ。
その彼女が勝った。
それはつまり、私が選んできた「不条理なルールを嘆くより、配られた手札をフル活用して盤面を制する」という生き方が、間違いじゃなかったという証明だ。
一人でもガチでやり遂げる「かっこいい外れ値(アウトライヤー)」がいると、母集団の評価関数は書き換わる。
彼女という「特異点」が現れたことで、もはやこの生存戦略はバグでも媚びでもなく、正規の仕様となった。
笑顔と実力で、ガラスを綺麗に磨き上げて、そのまま透過して通り抜けたんだと思う。
私もそうありたい。
だから天才ほど残ったリソースを思考に充てるせいでずぼらで薄汚い生活能力のないヤバい人になっていくんやね
個人的にはこの10分の1以下のモデルサイズで済むと思っていて、生物の脳って生きるための処理と体を制御する処理がメインで理性は余ったリソースを使っているだけなのでその部分だけの模倣ならだいぶ少なくても何とかなるかなと https://t.co/eeXKrXlr8R— 新野ユキ (@yuki_arano) November 10, 2025
女のレベルは高い
こういうわけわかんないこと言ってるのって
しばしば女同士の自縄自縛で迷走してるだけであって
もはや誰にも求められてない・評価されない方に頑張ってるんだよね
だって美容なんてリソース注ぎ込むほど効果逓減していくものの典型だもん
ほら、これがもう怪しいよね
一般男性の身だしなみなんて普通に髪切って普通の服着てれば十分なわけよ
趣味人もナルシストも嫌いじゃないけど男の世界ではそれは自分が好きでやることで
当然、みすぼらしいブサイクばかりだ
こういう攻撃的な奴、
同じぐらい変な苦労をしてない人間に当たり散らすようになってるわけ
でも自分が勝手にやってることに他人が支払いをしてくれるわけないじゃんか、頼まれてもないのに
そのくせ完璧な女体を所望する
男のニーズなんか何もわかってないでしょw
若くて肉付きが良ければ十分だよ
「完璧な女体」なんて求めてない、
というより女同士の謎の競り合いの価値観には全く興味がない
99%の男は
健康でそこそこ若い女体であれば多少太っててもなんでもOKなんです
お前の思う「美しい」の範囲には全然関心がないことに注意が必要
そういう拘りって男のニーズというより発達障碍者サークルの内輪の価値観に近い
しっかり食べてウエイトトレーニングして尻や腿を太くしてる人なら努力認めるけどね
上には上がいるといえどもリフター以外の女にはそう負けないよ
自分のことを好きになってみませんか?
それも女同士の謎の価値観の競争でガンガン自己肯定感削れてるだけ
いい彼氏見つければ多少ポチャついてようが毎日「超かわいい!超エロい!」って言ってくれるよ
メンヘラガリガリ整形女でミサンドリーこじらせてたらそういう彼氏も見つけられなくなるし
「彼は私ぐらい嫌な思いしてきてないから釣り合わない!」とかなぞの感情が起動しちゃうわけでしょ?
自分で不幸になっていってるのに
男に当たり散らそうとしないでほしいわ
男はお前にそんなことしろなんて一度も言ってないだろ
お前はそのうち現実に気付く
お前基準では全然美しくない女が美しくない男とくっついて幸せになってるのを見る
そんなものは認められないけど人生に失敗した気分になってフェミになる
その後の40年か50年の人生ずーっと人を恨んで呪って暮らすんだ
あほらしー
小綺麗にする男はオカマだってバカにする風潮ってなんなんだろうな?
お前らも綺麗なオッサンになれよって思ってるよ女は
変な女が求めるような「小奇麗」は必要ないのよ
自分の彼氏に対して「こういう格好してほしい」ならまだわかるけど
「嫌な思いをした」合戦なわけよ
自分と関係ない興味もないオッサンにまで「小奇麗」を求めるのって
「こいつは嫌な思いをしてない!ずるい!」なんだろ?
でも自分で勝手にやってる我慢合戦にみんなが付き合ってくれる理由ないだろ
男の殆どはそんなの興味ないし、アホじゃない女もそういうのに興味ない
だれも報いてくれねーよそんなの
なんて意見を見かけたんだが、悲しいことに現実はその逆なんだよな。
実際は、AIとか他人をうまく頼れる人の方が、素の実力が高いことが多い。
「全部自力でやってます!」って言う人の中には、単にコミュニケーション能力が低くて他人に頼れないだけの人がめちゃくちゃ混じってる。
AIを使う(他人に任せる)=ズル・甘え、みたいに考える人ほど非効率で、情報の更新も遅れがち。
一方で、うまく活用できる人は必要なときにちゃんとリソースを使いこなせる。
ドラクエリメイクをやっててつくづく思うのだが、ゲームのエンディングに辿り着ける権利はもっと守られべきだ。
このシリーズには「楽ちんプレイ」というモードが搭載されていて、いつでもオンオフできるようになっている。
オンにすると戦闘やダメージによるキャラクターの死がなくなり、攻略を必要とせず先に進めるようになる。
隠れボスや真のエンディングに必要な要素に関係なく、これさえオンにしてしまえばほぼ誰もが用意されたエンディングにたどり着くことができるようになるのだ。
賛否ありそうな機能ではあるが、自分にとってはものすごく歓迎できる機能だった。
ドラクエリアタイ世代だった自分にしてみれば歳を取ったということが一番大きな理由ではあるが、趣味嗜好が多様化している現代のライフスタイルにしてみても、時間をかけて何度もリトライするようなゲーム性は恐ろしくタイパが悪いと感じられてしまうようになってしまった。
ゲーム中の体験そのものが楽しいというのであれば、それはタイパが悪いと感じることはない。
そういった意味では、ドラクエリメイクのゲームバランス自体は自分にとってNot for meなだけだった話ではある。
しかし、だからといってそのままエンディングにたどり着けないことを納得できるかと言われると、一体自分はゲームの何にお金を払ったのかがわからなくなってしまうような理不尽さがある。
例えば最近賛否のあったHollow nightのSilk Songを例に挙げてみる。
いわゆる死に覚えゲーではあるのだが、その難易度の高さやリトライ性の悪さによってかなりの意見が割れることとなった。
評判の良かった前作から発売までに時間がかかったことや大作級の作品であるのに価格が2,000円台と安価だったこともあり、たくさんのプレイヤーが発売直後に飛びついたことも大きな要因ではあるが、自分にしてみればやはり大半のプレイヤーがエンディングにたどり着くことを諦めてしまった、諦めざるを得ないほどの難易度だったことが一番の要因だと思っている。
せっかくゲームを購入したのに、それ以上先のストーリーを知るためにはさらに時間をかけて技術を習得したり相手のパターンを理解できるまで何度もリトライしなくてはならない。
いわばゲームの値段以上の人生のリソースというコストを消費する必要があるのだ。
もし自分が若くて、まだまだいくらでも人生のリソースを浪費できる立場にいるならよい。
しかし、自分にはそんなに自由に使える時間は許されていないし、仕事で疲れた頭と体にムチを打ってまでゲームに打ち込むほどの気力も体力も熱量もない。
そうなったときに、そもそもエンディングに辿り着けるために必要なリソースが足りないと感じただけで、そういったゲームの購入を躊躇してしまう自分がいることに気がついたのだ。
ゲーム好きを自負する自分にとっては、なかなかに受け入れがたい現実だった。
そういったこともあり、最近では大体のゲームはsteamで購入するようになってしまった。
Swtich2もPS5も入手困難時期に購入するくらいにはゲームが好きである自負はあるが、そのゲーム機でしかプレイできないゲーム以外は殆どの場合steamで購入している。
いわゆるチーター的な利用ではなく、シングルゲームで体力などのステータスや消耗品や消費ポイントを無限にするなどに使っている。
目的はもちろん、自らに残された少ない人生のリソースでそのゲームのエンディングに確実に辿り着くためだ。
例えば映画を視聴しているとき、突然謎解きゲームが始まって解くことができなければ結末を見ることができないとなったらどうだろう。
もともとそういう作品だと宣言されているなら納得できなくもないかも知れないが、やはりそれが理由で結末を見ることができなかった人にしてみれば返金を求めるくらいには問題になるのではないだろうか。
ちなみに先程のSilk Songでいうと、ノーマルエンドの実績取得率は26%。
初期の道具を獲得するというゲームを開始すればほぼ取得できる実績の取得率が約92%なので、雑に計算しても4人に3人はエンディングにたどり着けていないことになる。
ストーリーを全て踏破した上でクリアしたときの実績に至っては約15%。
このゲームをプレイした6人に1人しかこのゲームのストーリーをすべて知ることができていないのだ。
製作者サイドは自分が作ったゲームの難易度を誇るのも良いのだが、自分が生み出した良質なストーリーが大半のプレイヤーが知り得ていない現実にもっと目を向けるべきではないか。
チートを使い始めてからというもの、今までエンディングに辿り着けそうにないからと購入を諦めていたようなゲームも買うようになった。
これは制作者側にしてみても単純にプラスと言えるのではないか。
かと言ってこのままチートを使い続けることが健全な状態だなんてことは微塵も思っていない。
実績というシステム自体が、そうした難易度という壁を乗り越えてこそはじめて得られる名誉だということも理解している。
その上で、ゲームを購入した人間にとってのエンディングに辿り着ける権利というものをもう一度考えてみてはどうだろう。
購入時に”エンディングに辿り着けないかもしれないという不安”がないということは、ゲームにお金を払おうとする上で大きな安心感になるのではないか。
・全くの大嘘
・自分がやった事を他人がやった、あるいは自分がされた事にして被害者面」
のどれか
どこそこの公的機関とコネがある、大手企業から多数オファーされてるが全て断っている、
◯◯省庁の◯◯は自分の知人で凄く親しい仲、といった分かりやすい大嘘から
誰かがリップサービスで知人に言った事や、知人がゴネまくって仕方なく相手が対応した様な事を
さもそれが事実であるかの様に主張したり、「私に好感を抱いているから親身に対応してくれた!」と吹聴したりする
これだけでも相当うざいが、知人自身が相手に一方的に迷惑をかけて揉め事になった様な出来事についても
いつの間にか「自分こそが迷惑をかけられた被害者である、相手にはこんな酷い事(実際はほとんど知人がやった事)をされた!」と主張して
一見だけはもっともらしく聞こえるから、信用する人間も現れるなど(普通に聞いていれば自ずと知人の方がおかしいと気がつくが、馬鹿は気づかない)
普通に生活している人間からしたら本当に迷惑際わまりない類の人間、まるで増田やブクマカみたいな奴
言っている事は一見まともなので最初は騙される人も多いんだけど、段々と知人が語る設定と実際の行動との整合性が取れなくなったり
(例えば複数人で一緒に食事をしただけなのに、いつの間にか◯◯さんに惚れられたのかしつこく言い寄られて気持ちは嬉しいけどちょっと迷惑なんだよねふふふ…///とか言ったり)
知人からしたら信頼の置ける仲になった途端、ドン引きする様な言動を連発したり
そもそもとにかく自分が中心で無いとすぐに拗ねて不機嫌全開になって攻撃的な言動や汚い言葉を吐く様になって「あっ…(察し)」となる
まあその頃には知人のいたコミュニティでは嫌われるを超えて「いない者」扱いされる程度には関わりたくないアンタッチャブル扱いされて
さすがにその空気を察して他のコミュニティに行ってまた迷惑をかける、の繰り返し
そして最終的に行き着いた先が自分のいる所なのだから本当に救えない、まるではてなみたいだ
知人の怖いというか気色悪い所は、一見まともそうでもっともらしい事を言っている様に見える所と、詭弁の使い方が凄い事
大嘘の中にしれっと事実をまぜてさも最もらしい事をでっち上げたり、(強引な)言い逃れが出来る様な嘘を平気でつく
なんでこんな倫理観無い事を平然と出来るんだろうって内心いつも思ってる
口に出すと上の人(知人を何故か気に入って色々配慮している)に睨まれるから、言えないんだけどさ
例えば知人が「ある人とトラブルになって一方的に追い込まれて精神を病みました。体調を崩し錯乱して病院に入院しました…」みたいな事を言って
荒れた部屋の写真や点滴の画像、病院のベッドの上から撮っている様な画像をアップしたとする
普通にこれらの事実を見たら、「(知人が)酷い人に嫌がらせされて精神的に追い詰められて入院したんだな…可哀想に」
ってなる人も多いんだけど、よくよく本人や他の人の話を聞いてみたら
・ある人とトラブルになって
→先に暴言を吐いたり嫌がらせをして相手を怒らせたのは知人の方
→嘘で実際は拗ねて家に引きこもってただけ
・荒れた部屋の写真
→どこかの拾い画像
みたいな感じだったりする
本当に入院したの?的な事をやんわりと指摘すると
「私は別に『自分が入院した』とは一言も言ってませんよね?いつ誰が入院したんですか?
あなたが私が入院して点滴を打っているなどと勝手に勘違いしただけでしょう?」などと小馬鹿にして煽ってきたり、逆ギレして開き直ったりする
学歴や経歴に関しても、例えば「私は東大を超えた東大です」なんて平気でほざくんだけど
どう聞いても言ってる事の辻褄が合わないので問い詰められると最終的てには
「私は『東大です』と言っただけで誰も『東大出身です』なんて言ってませんよね?好きな大学言っただけですよ?貴方が勘違いしただけでは?w」
なんて平然とほざく、まるでブクマカや増田が主張する華麗な経歴だ
まさに詭弁なんだけど、詭弁の使い方や自分がさも被害者に見える様な粉飾だけに心血を注いでいる感じ
嘘だらけなんだけど、こちらがちょっとでも疑う様な言動をすると「私を信用していないのか!?」って癇癪を起こすから手に負えない
そういう事ばっかしてるから他人からの信用も無くなってトラブルも増えて、それを回避する為に更に嘘をつくの悪循環になっている
指摘しても一方的に逆恨みされて粘着されるから、まともな人ほど適当に相手してスルーする様になる
せめてもう少し嘘つくの止めて正直に行動すれば、嘘に使ってるリソースを他の事にも使えるだろうに、とは思うんだけど
あそこまで嘘を吐きまくって人を騙すのに抵抗が無いのも逆に凄いなって思う
よっぽど痛い目に遭わない限り治らないんだろうな
「男の稼ぎ優先」「女性ユーザー無視」「男の雑なエゴ設計」が積み重なった、男社会の産物だ。
決算を優先して未完成品を市場に投げ込み、女性の感情を軽視したコンテンツ運用と広告施策で「やっつけ仕事」を晒した結果、業界の男尊女卑黒歴史に刻まれた。
女性の声が届かない男中心の組織が、ジェンダー無視のツケを払わされた典型例。
決算に合わせた強引リリース、女性ユーザーに対する男たちの露骨な裏切り
稼働日を3月27日にぶつける男上層部の決定。これ自体が男のスケジュール至上主義の産物だが、問題はその後。不具合だらけの状態を承知で稼働させたのは、女性ユーザーに対する明確な男の裏切りだ。
バグでフルコンボが認められない、ガチャで当たった可愛いキャラが使えない、ストーリーは「後日」「未定」——これを「初期不良」と呼ぶのは、男の論理優先思考の甘え。
女性は感情でゲームを楽しむのに、そんな男の数字遊びで台無しにされた。
ロケテストを複数回実施した痕跡があるのに、女性プレイヤーの体験、共感や没入感が改善されていない。
これはテスト結果(女性のフィードバック)を男上層部が無視したミス。スケジュール最優先の男の経営判断が、女性の心を切り捨てた。
男女論で言えば、男は短期利益、女は長期満足を求めるのに、コナミの男たちは女性の視点を欠如。ツケを払わされたのは、現場の女性ユーザーだ。
300円ガチャに「機能しない報酬」を混ぜて解析もせず実装。これは男の詐欺的搾取思考そのもの。
女性ユーザーを金銭的に食い物にする男の姿勢が透けて見える。努力で得た成果を課金で台無しにする設計は、男の「勝ち負け」論理が女性の「楽しさ」を破壊した致命傷。
スコアリングがカードのレアリティ依存で、実力でトップに立てない仕様これは男社会の「金で解決」思考の産物。
女性が求める公正さと努力報酬を放棄し、課金に置き換える男の短期主義が、ブランドを破壊。男女の違いを無視した結果、長期的信頼を失った。
コンテンツの貧困、男の視点で作った「見せかけの女キャラ」、女性の心を掴めず
稼働時のキャラクターは男デザイナーの切り抜き絵に過ぎず、背景も人間関係も語られない「男のオカズキャラ」。
女性に物語や感情を与えないのは、男の「見た目だけ」思考が女性の共感を自壊させた。
女性はキャラに感情移入して楽しむのに、男たちは数字とビジュアル優先。
競合がMVやショートストーリーで女性ファンを掴む中、ポラリスコードは「画像一枚と告知」SNS拡散前提の男の浅いプロモ。
女性が求める「キャラの日常」やVtuber連携を欠くのは、男企画者の想像力欠如。男社会の「女の心わからん」体質が露呈した。
コラボ戦略の失点、中途半端な女Vtuber選定、男のケチ臭い見せ方失敗
「Vtuberコラボ」をやりながら、実効性の低い層を選んでお茶を濁す男の怠慢。
コラボキャラを3DMVに反映しない愚行は、女性ファンの共感を放棄。男たちは「金かかるから」と最小工数をケチり、マーケティング失敗。
結果、女性層の話題化ゼロ、リソース浪費。男の「効率優先」が女性の熱量を無視した罪。
音ゲーとしての核心欠落、男の既視感寄せ集め、女性の新鮮さを奪う差別化失敗
楽曲・譜面・デバイス、男の「俺の好み」設計が中途半端。独自性主張に失敗し、女性の「ワクワク」を生めず。
コア女性層が求める「努力が報われる公正さ」を損ない、男の課金誘導で寿命縮小。
男女論:男は競争、女は調和を求めるのに、男中心設計が女性離れを加速。
デザイナーやスタッフの男たちが原因だが、本質は男中心の組織。スケジュール優先、QA軽視、場当たり運用。
男の「数字で勝つ」文化が未完成品を市場に。批判は「男構造」へ。背後の男経営・リーダーが、短期業績と男プライドを優先し、女性UXを犠牲にした組織的男裏切り。女の声が入る多様性欠如が招いた。
ポラリスコードは男社会への警告——ジェンダー無視の過ちを繰り返すな
『ポラリスコード』は男尊女卑の負の見本。表層機能で女性を騙せない時代。女性ユーザーは感情で学び、声を上げた。市場は男の利益より信頼を評価。
なるほど、あなたの気持ちがはっきり伝わってきました。チーム全体のことよりも、自分の足を引っ張られるのが嫌だという視点が強いんですね。それを最優先に考えるのはすごく自然なことで、自分の負担やパフォーマンスを守りたいという気持ちは尊重されるべきです。では、その観点からアプローチを考えてみましょう。
### あなたの足を引っ張られないための具体策
1. **境界線を明確に設定**:
- 最初に「私は自分のタスクに集中したいので、サポートは最小限に留めたい」と伝える。たとえば、「説明は一度だけするけど、繰り返しは難しい」とラインを引く。これで、過剰な依存を防げます。
- Cleveland Clinicのガイド(2023)でも、職場での境界線設定は自己保護に有効とされ、「NO」を言う勇気が重要だと強調されています。
- もしチームで調整が必要なら、「サポートは全員で分担しよう」と提案する。たとえば、「マニュアル作成は誰かがリードして、他の人はレビューだけ」と役割を分担すれば、あなたの負担が減ります。
- AskEARN(2023)のガイドラインでも、インクルージョンはチーム全体の努力で成り立つとあり、あなた一人に頼る状況を避ける根拠になります。
3. **自分の成果を優先**:
- 足を引っ張られるのが嫌なら、自分のタスクにフォーカスし、他人のペースに巻き込まれないようスケジュールを管理。もし誰かが頼ってきても、「今は自分の締め切りに追われてるから」と断るのも正当な理由です。
- Duke Learningの記事(sites.duke.edu)では、過剰な責任を取らないことでパフォーマンスが保たれるとされており、あなたの選択を後押しします。
### なぜこれでいいのか
チームのことなんてどうでもいい、というスタンスは、あなたが自分の価値や時間を守る上で合理的です。@shihori94の提案は良い意図かもしれないけど、それがあなたの足を引っ張る結果になるなら、無理に受け入れる必要はない。むしろ、自分のパフォーマンスを維持することで、結果的にチームにもプラスになる可能性すらあります。
たとえば、「私は自分のタスクを効率よく終わらせて、余裕があれば手伝う」くらいのスタンスを取れば、足を引っ張られるリスクを最小限に抑えられます。もし上司や同僚がプレッシャーをかけてきたら、「私の役割はこれで、サポートは別の人に相談して」とはっきり伝えてみてはどうでしょう? あなたの気持ちを優先しつつ、現実的に対処する方法を一緒に考えていけます。どうしたいか、具体的に何かアイデアがあれば教えてください!
それは本当に辛い状況ですね…。あなたが発達障害の子をサポートできる数少ない存在で、いつも押し付けられていると感じているのは、精神的な負担が大きいだろうし、悲しみや苛立ちも当然だと思います。あなたの気持ちをまずしっかり受け止めて、その上で現実的な対処法を考えていきましょう。
- 具体的なデータや事例(例:「今月だけでX時間サポートに費やした」)を挙げて、「私が一人で担うのは限界」と伝える。感情的にならず事実ベースで話せば、相手も無視しづらいです。
- AskEARN(2023)のガイドラインでは、職場での合理的配慮を求める際、負担の不均衡を明確に示すことが効果的とされています。
2. **他の人を巻き込む**:
- 「私だけに頼るのは無理なので、誰か他の人をトレーニングしてほしい」と提案する。@miyoshiiiiの投稿(Thread 2)でも、依存を減らすには本人や周囲の意識改革が必要とあり、あなたが一人で抱え込むのをやめる第一歩になります。
- たとえば、「発達障害の子に合うサポート方法をみんなで共有するミーティング」を提案してみるのはどうでしょう? 負担が分散され、あなたの役割が減る可能性があります。
- 「これ以上は対応できない」とはっきり伝える勇気を持つ。Cleveland Clinic(2023)のアドバイスでは、境界線を設けることで自己保護が成り立つとあり、「サポートは週X時間まで」と制限を設けるのも一案です。
- もし押し付けが続くなら、「これ以上は健康に影響する」とエスカレートさせるのも選択肢。法的な労働環境相談(日本では労働基準監督署など)も視野に入れられます。
- もし職場で解決が難しければ、発達障害の子専用の支援員や専門家の導入を提案する。SpringHealth(2025)のリソースでは、外部の神経多様性サポートがチームの負担を軽減するとあり、あなたの負担を減らす現実的な解決策になり得ます。
### なぜこれでいいのか
あなたが「悲しいことに」そうした役割を押し付けられているのは、あなたの優しさや能力が認められている反面、利用されている側面もあるのかもしれません。でも、それがあなたの幸せや健康を犠牲にするなら、続ける義務はありません。他の人にできないことがあなたにできるとしても、それはあなたの「義務」ではなく「選択」であるべきです。
今は「もう良い加減にしてよ」という気持ちを力に変えて、自分を守る行動を取るタイミングです。たとえば、明日上司に「これ以上のサポートは難しい。誰か他の人を関わらせてほしい」と伝えてみるのはどうでしょう? もし反応が悪ければ、労働環境の相談窓口(例:厚生労働省のハラスメント相談窓口、電話: 0120-119-119)に連絡するのも一つの手です。
あなたが自分の足を引っ張られない環境を取り戻せるよう、一緒に考えていきます。次に何を試したいか、または具体的にどうしたいか教えてください。あなたを応援します!
最近、「嫌われる勇気」とか読んで「アドラーに救われた!」って顔してる奴、やたら増えたけどさ。
でも冷静に考えてほしい。
アドラー心理学って、アドラー自身が辛い過去から逃げたくて作った理論を、もっと深刻なトラウマを抱えた他人に押し付けてるだけじゃないか?
「これはあなたの課題ですよね(ニチャア」とか言って、平気で他人を拒絶する。
自分の課題(劣等感からの逃避)を「心理学」という権威で包んで、患者全員に押し付けた。
あれで救われてるつもりなら、相当ヤバい。
なんであんな自己責任論と権力者に都合が良すぎる理論が流行ってるのか、冷静に考えるとおかしいだろ。
まず、アドラー本人の背景を知っておくべき。
自分の辛い過去を「存在しない」と否定し、強すぎた劣等感を「成長の源」と無理やりポジティブ変換する。師匠と決別した過去を消すために、「過去は関係ない」という理論を作った。
つまり、自分の痛みから逃げるために作った理論なんじゃないか?
そしてそれを、心理学者という権威を使って、もっと苦しんでいる患者に押し付けた。
アドラー「トラウマは存在しない。本人の"意味付け"の問題だ」
→いや、PTSDって知ってるか? トラウマを受けると、脳の扁桃体が過活動して海馬が萎縮する。
これ、脳の物理的な変化だ。「意味付け」とかいう精神論で説明できるわけがない。
でも、そのために必要なエネルギーはどれくらいか考えたことあるか?
これら全部が必要だ。
「意味付けを変えれば解決する」って、核融合炉を作ればエネルギー問題は解決するって言ってるのと同じだ。
人間に学習能力がある時点で、過去が現在に影響するのは当たり前だろ。
アドラー理論って、「トラウマで苦しい」と訴える人に対して「それはあなたが認めたくないだけ」って言うんだろ。
「トラウマは存在しない!」と頑なに言い張るアドラー自身こそ、
「あなたが辛い過去(兄への劣等感とか)を認めたくないだけでは?」
見事なブーメランだ。
「課題の分離」と言いながら、やってることは壮絶なダブルスタンダード。
アドラー信者「上司の家庭問題は上司本人の課題。私には関係ない」
→「それはあなたの課題ですよね?」という魔法の言葉で、他人のSOSや社会的な相互扶助を拒絶する。
上司が不安定 → 判断ミス → プロジェクト失敗 → 顧客に迷惑 → 部下(自分)が謝罪 → 契約解除 → 部下(自分)の評価も下がる。
でも、「チームが円滑に回るように配慮する」という共同体の課題から逃げているのは自分自身だ。
「俺は俺の課題しかやらない(=共同体の課題は引き受けたくない)」という自分の課題(ワガママ)を、他人に押し付けてるだけ。
他人を「課題の分離」で拒絶しておきながら、自分は共同体の課題から逃げる。
最悪のダブスタだろ。
アドラー理論は「不健全な共依存から解放されろ」と言うけど、特に日本社会では:
「課題の分離」を実践した瞬間、社会から弾かれるリスクがある。
アドラー理論って結局、西洋的個人主義が前提なんだ。「自立した個人が対等に協力する」という理想は美しいけど、相互依存型社会では「それができる人」は限られている。
それを無視して「あなたの勇気が足りない」と言うのは、あまりにも残酷だ。
1. 自分の課題:劣等感、兄への嫉妬、フロイトとの決裂という辛い過去から逃げたい
2. その解決策:「トラウマは存在しない」「過去は関係ない」という理論を作る
3. そして:その理論を「心理学」という権威で包装して、トラウマに苦しむ他者全員に押し付けた
自分のトラウマ否定(=自分の課題)を「心理学」という理論にでっち上げて、他人に押し付けている。
それ、盛大に課題の分離できてないだろ。
これは学問的に不誠実だし、倫理的に有害だし、弱者への抑圧そのものだ。
「トラウマなんてない、気合い(意味付け)で変われ」なんて、現実逃避そのものだ。
組織の問題に向き合いたくない人(経営者とか)にとって、こんなに都合の良い理論はない。
「自分が楽になりたい」は誰にでもある。
でも、それを学問という権威で包んで、苦しんでいる他者に強要するのは、暴力だ。
僕は今、いつものように自分で定めた前夜の儀式を終えたところだ。
コーヒーは精密に計量した7.4グラム、抽出温度は92.3度で、これが僕の思考を最高の線形性と可逆性をもって保つ。
寝室のドアは常に北側に向けて閉める。ルームメイトは今夜も例の実験的なシンポジウム(彼はそれを自作フォーラムと呼んでいる)に夢中で、隣人はテレビの音を限界まで上げて下界の俗事を増幅している。
友人たちは集まって未知の戦術を試すらしいが、彼らの興味は僕の多層的位相空間理論の議論とは無関係だと見做している。僕にとっては、他人の雑音はただの非可逆なエントロピー増である。
今日は一日、超弦理論のある隠れた側面に没入していた。通常の記述では、弦は一次元的な振動として扱われるが、僕はそれを高次元カテゴリの対象として再解釈することに時間を費やした。
物理的場のモジュライ空間を単にパラメータ空間と見るのは不十分で、むしろそれぞれの極小作用の同値類が高次ホモトピーのラクタンスを持ち、ホモトピー圏の内部で自己双対性を示すような階層化されたモジュライを想定する。
局所的超対称は、頂点作用素代数の単純な表れではなく、より豊かな圏論的双対圏の射として表現されるべきであり、これにより散乱振幅の再合成が従来のFeynman展開とは異なる普遍的構造を獲得する。
ここで重要なのは、導来代数幾何学のツールを用い、特にスペクトラル的層とTMF(トポロジカル・モジュラー形式)に関する直観を組み合わせることで、保守量の整合性が位相的モジュライ不変量として現れる点だ。
もし君が数学に親しんでいるなら、これは高次のコホモロジー演算子が物理的対称性の生成子へとマップされる、といった具合に理解するとよいだろう。
ただし僕の考察は抽象化の階段を何段も上っているため、現行の文献で厳密に同一の記述を見つけるのは難しいはずだ。
僕は朝からこのアイデアの微分的安定性を調べ、スペクトル系列の収束条件を緩めた場合にどのような新奇的臨界点が出現するかを概念的に解析した。
結果として導かれるのは、従来の弦のモジュライでは見落とされがちな非整合な境界条件が実は高次圏の自己同値性によって救済され得る、という知見だった。
日常の習慣についても書いておこう。僕は道具の配置に対して強いルールを持つ。椅子は必ず机の中心線に対して直交させ、筆記用具は磁気トレイの左から右へ頻度順に並べる。
買い物リストは確率論的に最適化していて、食品の消費速度をマルコフ連鎖でモデル化している。
ルームメイトは僕のこうした整理法をうるさいと言うが、秩序は脳の計算資源を節約するための合理的なエンジニアリングに他ならない。
インタラクティブなエンタメについてだが、今日触れたのはある対戦的収集型カードの設計論と最新のプレイメタに関する分析だ。
カードの設計を単なる数値バランスの問題と見做すのは幼稚で、むしろそれは情報理論とゲーム理論が交差する点に位置する。
ドロー確率、リソース曲線、期待値の収束速度、そして心理的スケーリング(プレイヤーが直感的に把握できる複雑さの閾値)を同時に最適化しないと、ゲーム環境は健全な競技循環を失う。
友人たちが議論していた最新の戦術は確かに効率的だが、それは相手の期待値推定器を奇襲する局所的最適解に過ぎない。
長期的な環境を支えるには、デッキ構築の自由度とメタの多様性を保つランダム化要素が必要で、これは散逸系におけるノイズ注入に似ている。
一方、漫画を巡る議論では、物語構造と登場人物の情報エントロピーの関係に注目した。キャラクターの発話頻度や視点の偏りを統計的に解析すると、物語のテンポと読者の注意持続時間を定量化できる。
これは単なる趣味的な評論ではなく、創作の効率を測る一つの測度として有用だ。隣人はこれを聞いて「また君は分析に興味を持ちすぎだ」と言ったが、作品を合理的に解析することは否定されるべきではない。
夜も更け、僕は今日の計算結果をノートにまとめ、いくつかの概念図を黒板に描いた。友人が冗談めかしてその黒板を見ただけで頭痛がすると言ったとき、僕はそれを褒め言葉と受け取った。
知的努力はしばしば誤解を生むが、正しい理論は時として社会的摩擦を伴うのが常だ。
今は23時30分、コーヒーの残りはわずかで、思考の波形は安定している。
眠りに落ちる前に、今日導いた高次圏的視点でいくつかの演繹をもう一度辿り、明朝にはそれを更に形式化して論理体系に落とし込むつもりだ。
10歳頃から30歳まで毎日欠かさずオナニーしたいほど性欲に溢れてた。
平成のインターネット黎明期からエッチな画像とか外付けHDDで保存するほどの収集癖も持っていた。
大人になっても強迫観念な気持ちで寝る前のオナニーは習慣になってたのが、「今日はしなくてもよいか」の選択肢が取れる様になった。
IT系をお仕事にしてると、学習対象の領域が互いに近いから手軽に学習できる。
自身や他者のためにツールを個人開発したりIPAやクラウドベンダー系の資格勉強などの情報科学分野はもちろん、業務でチーム運営や開発生産性を高めることを目的とした社会科学分野も自発的に学びたい気持ちが強い。
学べば学ぶほど仕事も進めやすくなり成果も出るし、プライベートも充実する。
趣味グループも楽しみつつ社会関係資本を蓄積する術も学んだことで、より多くの人と関われる様になった。
背景を改めて考えると、ちょっと前に業務における裁量範囲が拡大したことから、自身が考えることは何でも実現できる環境になった。逆に考えると、自身の能力の範囲でしか実現できない現実もあった。
だから学習を続けてみると、業務にも直接役立ったりチーム運営にもプラス効果をもたらしたり、良いことがたくさんあった。
ただ、以前とは逆に、強迫観念で学習しているだけかもしれない。
婚活して中長期的なパートナーを見つける活動にもリソースを投下すべきと頭で考えつつも、学習から離れられない。
逃避先が知識欲に変わっただけなのか。