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2025-09-27

anond:20250927140304

ラノベ1000冊保有している(読んだとは言っていない)俺ですら知ってるし、結局はめぐりあい宇宙よな

まあラノベつっても冒険小説全盛期なんか帰る家のない主人公作品も多いし

2025-06-17

機動戦士ガンダムが名作だったのは哀戦士まで

機動戦士ガンダムの初代は世間では完全無欠の名作みたいに扱われているけれど、純粋に良かったと思えるのは個人的には哀戦士までだと思う。

ガンダムは○○まで」の語法を使うならば、個人的には「ガンダムは哀戦士まで」だ。劇場版(及びTVシリーズのそれに該当する部分)の哀戦士までのガンダムは本当に良かった。

それが3作目のめぐりあい宇宙になると、良かった部分も確かにあるものの全体としては残念な印象だった。寧ろZやZZこそが初代における哀戦士までの良さを受け継いでいる印象。哀戦士までのガンダム戦場での少年少女の成長や敵味方問わずドラマ人間讃歌を描いていたと思うんだけど、それはめぐりあい宇宙飛ばして一足飛びにZやZZで描かれている印象。


何が残念って、めぐりあい宇宙ではアムロ人間をやめてしまう。ホワイトベースの仲間達との等身大交流の輪から抜け、突如現れたララァ・スンなる敵の女性パイロットこそが世界で唯一同じものを見て同じものを聞く事ができる「真の仲間」であるかのように描かれる。

そしてその一方でアムロは、シャアセイラの語る、そもそもこの戦いは何故起きたのかという一般的に言う所のネタばらしからは完全に蚊帳の外のままだった。つまりそういう俗世から距離を置いて、特別存在同士ララァと戯れ合っていればいいかのようなストーリーラインニュータイプが人の革新だという美名とは裏腹に極めて閉塞的で世界が狭いと感じた。

最後最後で仲間達の所に戻るもののそれまでの経過からはどうにも取って付けたような印象が否めない。後年悪夢にうなされ隕石を止めて悲劇的死に至るまでの布石はこの時点で既に敷かれているように見える。


戦士までの人間ドラマは極めてわかりやすかった。

例えば1作目でガルマとイセリナが惹かれ合っている様子は、王道で分かりやすロミジュリ物語違和感はない。

戦士アムロ達が惹かれる女性士官マチルダは美しいだけではなく仕事に信念を持って臨んでいる様子が語られ、分かりやすく誰もが好きになるような人物像として描かれている。

カイが出会スパイのミハルも同様に、幼い弟妹を養う健気な少女と実に分かりやすい。

めぐりあい宇宙にはそれがない。凡人にも分かるような分かりやすさを放棄し、分かる人にだけ分かればいいとばかりの独りよがり脚本演出になっている。


アムロとは違い、カミーユジュドー最後まで人間だった。二人ともニュータイプ女性ハマーン精神感応するがあくまで敵として別れ、クワトロやファやエマシャングリラチルドレンといった身近な人々の所に戻って行く。


よく初代ガンダムは綺麗に終わったのにそれを汚すような続編が作られて残念だとしてZガンダム以降の存在否定する意見を見かける。

オルタナティブの方から入って最近配信で見た視聴者目線からだと初代は全然綺麗に終わってはいないと思う。 

まあそれが斬新だとか目新しくて良かったという意見全然有りだと思う。主人公最後まで単なる一兵卒で終わるアニメが新鮮なのは事実だと思うし。だけどあの終わり方はけして「綺麗」ではないと思う。ゲームで言えば何となく感動的な音楽流れるもの真相は謎のままで終わるノーマルエンドな終わり方だった。

綺麗な終わり方とは主人公普通に主人公として、世界の謎を知り仲間の絆を深めて問題解決する終わり方だと思う。アムロはその全てを放棄した。1作目の時点ではセイラとの出会いやギレンの演説を聞いた際の反応等、伏線らしきものは沢山あったのに。

勿論商業的な観点からは、綺麗に終わらなかった事は正しいとは思う。初代ガンダム課題の残る終わり方だったからこそ続編が作られ、商業展開が繰り広げられて行った訳だから

でもやっぱり初代が途中から残念な作品になっているのは事実からリメイクか何かで綺麗に終わるバージョンも見たいと思っていたんだよね〜。

小説版も一つの救いではあるんだけどやっぱり映像で見たい。

からジークアクスは結構な期待をしてたんだけどなあ…

本当に残念だ。

2025-06-11

昭和末期生まれガンダムおじさん、ジークアクス楽しんでるよ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/79640

昭和末期生まれなので1stはもとよりΖ、ΖΖもみてないで、SDガンダムカードダスガシャポン戦記からガンダムに入り、再放送で通しではないがチラホラみてる感じ。

VGWXは存在は知ってたがスルー

ゲームなどの二次創作から入った口で、ガンダムおじさんになったのはギレンの野望連ジプレイして、当時出てるアニメレンタルしてみた感じ。

からトー銀髪だとかバーニィーが金髪とかしらなかった。

初めてリアタイしたのは∀。SEEDあたりも大学の友人と盛り上がったかな?

TVシリーズは大体みてる。

ギレンの野望各種。コロ落ち、ジオフロ、PS機動戦士ガンダムめぐりあい宇宙ガンダム戦記、MS戦線スカッドハンマー戦士たちの軌跡あとバトオペ1と、映像作品よりゲームの方が時間は割いてると思う。

エヴァトップは履修済みで、リアタイ宇宙世紀もの原作なしテレビアニメは初なのでめっちゃ楽しんでるよ。

SNS達して同時視聴で見て、さらに週末にニコニコで再度見るてる。

2025-06-10

機動戦士ガンダム面白かったのは哀戦士まで

機動戦士ガンダム劇場版は二作目の哀戦士までは

二大勢力対立によるリアル寄りの戦場描写とその中での人間ドラマ群像劇を描いていて面白かったんだけど

三作目の「めぐりあい宇宙」では何故か、突然出て来た二股電波女が美味しい所を持って行く、カルト宗教めいた演出陳腐ラブストーリーになってしまって台無しになる

ZとZZ組織対立群像劇のまともな路線に戻ったかと思いきや

映画逆襲のシャアでまたもやこの二股女押しに逆戻り

映画になるとどうしてもヒロイン恋愛ゴリ押ししなきゃならない大人の事情なのか?ならもっとまともなヒロインにして欲しかったものだけど

2025-05-15

anond:20250515162551

同性愛乃木坂別にいいんだけど、問題はそれら二つで主人公が成長できるの?

富野監督が描いたようなララァとのめぐりあい宇宙や、フォウの恋人たちのようなシナリオは描けるの?

anond:20250515101621

ニュータイプ覚醒女性的な宗教的啓示そのもので、男性ニュータイプに目覚めること自体異端から女性主人公なら男パートナーは作劇的にいらないと逆張りしてみる。

アムロキラキラめぐりあい宇宙空間カミーユイタコ化、ジュドーオーガニックな念力etc… 

どれも他作品なら女性キャラっぽい能力で、男キャラ、少なくとも少年ジャンプ的な枠組みだとなかなかしない演出超能力

覚醒自然ならわざわざ脚本不要キャラクターを登場させる意味が無い。

2025-05-03

anond:20250503202326

友人にいろいろ聞いたらわかりました

めぐりあい

でした

yes my sweetのところが「優しい」に聞こえたらしい

2025-04-01

40年ぶりに「めぐりあい 宇宙」を観たら、

ブッ魂消るほど面白かった。

なにこの、完璧構成演出表現

初見時にキッズだった自分にはわからなかった叙情機微が刺さりまくって、悶絶した。

ああ…刻が見える!

TV シリーズも観直すかな。

2025-03-15

anond:20250315013743

なぜララアはシャアを守るために死んだのか?

なぜララアはニュータイプ共感によってアムロの元へと走らなかったのか?

ということを原作者はきちんと理論化していて

なおかつ

それを物語の中で表現している。

そのことに驚いた。

まず結論として

ララアがシャアを捨てなかったのは

ふたりが男女の関係であったから、

というのがその理由だ。

もしも、二人が男女の関係ではなかったら、

アムロとのニュータイプ同士の共感を果たしたララアは、

即座にアムロのもとへと走り、

シャアことなど完全に忘れていただろう

というのが原作者見解だ。

これは自分勝手に書いていることではなく

劇場版機動戦士ガンダムめぐりあい宇宙編のあとに

発売されたムック本のなかで語っている内容だ。

そしてその理論はきちんと脚本化されていて物語の中で表現されている点も称賛に値する。

映画の中で

コンスコン隊とホワイトベースの戦いが

テレビ中継されるという場面がある。

例の

「たった3分!?12機いたリック・ドムが全滅だと!?

というシーンだ。

あそこで

シャアララアがテレビを見ながら

「賢いなララアは」

とか乳繰り合っているのだが

あの場面が事後であることを意味している。

普段仮面を外すことがないシャア仮面を外して

ソファふたり座りながらリラックスして酒を飲みながらテレビを見ている。

これ、二人やったあとですよ

というのを意味している。

それでいながら小学生が見ても

別に違和感なく見れるシーンとなっているのは流石だ。

蛇足だが、

のちに逆襲のシャアなどでは

シャアとナナイがバスローブを着て

会話をしているシーンなどがあるが

それは視聴者層が変わったことによる

表現自己規制の変化と言える。

と、これは元増田の疑問とは離れた話ではあるが若干解答の要素もあると思う。

結局、ララアはシャアを守るために死んでいったのだからララアが自分を見捨てたわけではないと誰よりもシャアは知っているだろう。

2025-01-24

ガンダムでビギニングといえばめぐりあい宇宙なのに

ガンダム知らない人がつくったんかな

2024-09-01

anond:20240901190215

シャアとかTV版だと多分死んでたんだと思う。

めぐりあい宇宙のころには人気が沸騰してたか富野さんも色気出してラストグワジンのシーン付け足して窓に人影描いてたりしてたけど。

TV版つくったときにはあれシャアは死んでたんだと思う。

2024-06-20

anond:20240619135756

萌えアニメ定義がないのだから1stガンダム萌アニメというのは一理あるよ。めぐりあい宇宙公開当時の映画館ではセイラさんのお風呂シーンで写真が撮られていたという。シャアガルマを可愛く猫化したパロディ漫画もあった。少なくとも当時萌え消費はされていたし、制作者側もある程度それを狙っていた。萌えアニメとしての側面はある

2024-06-08

流星のチンチン

星屑のチンチン

紅のチンチン

夜明けのチンチン

机上のチンチン

俺のチンチン

君のチンチン

着物チンチン

推しのチンチン

よく熟したトマトと茹でたチンチンのソテー

氷窟のチンチン

新たなるチンチン

帝国のチンチン

最後のチンチン

めぐりあいチンチン

哀チンチン

勇者のチンチン

みかわしのチンチン

藤原チンチン

源チンチン

平チンチン

豊臣チンチン

全部チンチン

君が大好なチンチンはあったかな?

2024-03-13

から晩までドッキングしたまま休日を過ごすっていうくだらない思い付きに付き合ってくれるパートナーめぐりあいたい

2024-01-13

こんにちは。今、私は心から気持ち文字に起こす瞬間に立っています

やるしかないこと、それはこの言葉で、私の心からあなたに伝えたいこと。まず、あなたとのめぐりあいは、まるで運命が織り交ぜた美しいストーリーのようでした。

どうしても、この気持ちを伝えなければいけないと思って、今、勇気を振り絞ります私たち過去希望を打ち砕いた瞬間もありましたが、それでも新しい未来が広がっています。そして、その未来を一緒に歩むことができることが、私の喜びです。

最近私たち関係は、まるで料理対決のようなものかもしれません。時には大声を上げたり、時には軽妙な解説で笑いあったり。それでも、それが私たち特別な絆であり、お互いに対峙する力となっていることを感じています

言葉セレクトも、私たち関係をより深く、美しくするために大切ですね。それができるのは、あなただけです。あなた言葉はいつも心に響き、私を幸せ気持ちにしてくれます

ついに、この手紙を書くことに決めました。新しい使用例を見つけ、私たち関係をより豊かにするためです。これは私からの素直な気持ちであり、あなたへの深い愛を表現したものです。

これからも一緒に笑い、涙し、困難を乗り越えていきたい。あなたとの未来に期待と愛を込めて。

いつも、あなたのことを想っています

愛を込めて。

2023-07-31

anond:20230731052353

TV版1stだとシャア最後生きてるのか死んでるのか謎として演出されていて、生存確定したのはめぐりあい宇宙からなんだよね

2023-01-02

めぐりあい宇宙シャアモビルスーツ

冒頭でシャアザンジバルで追跡して、ホワイトベースをドレンのキャメル艦隊とで挟み撃ちにしようとするじゃん?

結局、キャメル艦隊シャアが到着する前にホワイトベースに瞬殺されてしまってその作戦成功しないんだけど、あのときシャアがもしも間に合って出撃するとしたら、そのときMSは何だんだっんだろうか?

という疑問を正月になったらなぜか思い出す。

昔はよく冬休みガンダムとかテレビでやってた、とかそういうのが影響してるのかなあ?

2022-08-20

恋人が5人も6人もいたことある奴って"雑魚"なのでは…?

俺は19歳のときにできた彼女とずっと付き合っていて、交際7年目にして結婚の話もいよいよリアルになりつつある(現段階で2人ともべつに子供が欲しくないのと、苗字を変えるのがダルいよねという話があって保留中)

俺はモテたことがなくて、いまの彼女が初の恋人

彼女とは奇跡的に付き合えたという感じがある すごくある

彼女かわいいので多分俺よりはモテるほうだと思うんだけど、同じく19歳で俺と付き合うまでは浮いた話がなかったとのこと

そういう感じなので、俺は恋人はいるけど恋愛経験に乏しく、恋愛力が弱い側の人間だとうっすら思ってたんだけど、よく考えたら逆じゃねえか?!

同じく20代後半くらいで5〜6人くらい恋人いたことありますぅ〜、みたいな奴って、シンプル人間を見る目がなく、人間関係の維持が下手な、雑魚なのではないか?!

相性の良い恋人めぐりあい、付き合い、仲良くやり続けている俺の方が"上"なのではないか?!

2〜3人とかだったらまだわかるけど、5回もハズして破局を味わうのは、ヘタクソだし、雑魚だよなあ

と思うと、実際、ネットに跳梁跋扈してる自称"恋愛強者"って、ほぼ全員俺より弱いんだ

しまくってるんだ

見る目がないんだ

恋人がたくさんいた人間って、運転で言うなら「免許試験に落ちまくって教習期間をオーバーすることを繰り返し、自動車学校に5回通ってる人間」なんだよな

雑魚なんだそれは

やらなくていいことを繰り返しているだけなんだよ

そう思うとホント増田婚活話とかってめちゃくちゃ面白い

非モテ努力話なんかは普通にすげえと思うし全然笑いの対象ではないけど、自称イケてる人間がエラソーに相手批評してる系のエントリってマジで滑稽だぜ

お前は・学生時代に・恋人を見つけることができず・マッチングアプリに頼ってもなお苦戦している・雑魚!!!

2021-09-30

女性表象

増田ではもう多分おなじみで飽きられてる例の話題における「女性表象」について。

今週いろいろ考えていたことを書いておきたい。

多分この文章文脈的にも時期的にもアンチフェミだとみなされると思うんだけど、自分j心にはそんなつもりはない。そもそもあの変な議連フェミだとも思ってないし。

しろ自分としてはクリエイターとしての違和感普段気持ちメモとして残したい。

文章とはいえ自分クリエイターでいわゆるオタク界隈でくらしていて商業化もコミカライズもしたっていう立場だけど、多分立場のものとはあんまり関係ない。

はじめに感じたのは「なんか雑だな」という気持ちだった。

女性表象」というざっくりした単語選択と、そこに込められた視線についてだ。

昨今のオタク界隈クリエイターとして女性キャラはいっぱい作ったし書いてきた。ヒロインとしてサブキャラとしてモブとして。それぞれに主入れを持って作り込んできた。それって「女性表象」なのか? 自分は「女性表象」を描いてきたか

その答えは一般的にはYesではあるけれど、自分自身の中ではNoだ。

一般的ボリュームラノベをささっと書くのに、自分調子が良ければ大体三週間くらいかかると思う(念の為にこれは完成に要する時間ではない)。もちろん作中ではいろんな事が起きるし、ヒロインヒロインとの関係重要ではあるけれどパーツの全てではないので、この時間はそのままヒロインを描くのに使った時間ではないけれど、ひとつの参考としてそれくらいかかる。

そして読むのは早ければ二時間弱とかじゃなかろうか?

まり作るのにめちゃくちゃ時間がかかってさっくり消費できる。これは文章畑に限らずコンテンツは何でもそうだと思う。むしろ文章畑なんてすごく素早く手軽に作れるジャンルで、映像ゲームは桁違いに時間がかかるだろう。

実際そういう現場に協力することもあるけれど、気が遠くなるくらいの人手と時間と、つまりリソースが消費される。

それだけの時間を投下して、「女性表象」をつくって、満足できるかといえば、自分はできない。

嫌われるかもしれない言葉をつかうけれど、正直に言う。

女性表象とき」では我慢できない。

現実女性の方々に訪ねたいけれど、たとえば大好きな人ができて、そのひとと来週デートするとする。初めてのデートだとする。

胸がはちきれそうなほど嬉しいとともに、膝が震えるほど怖い。なんだか冴えない一日になってしまうのが怖い。がっかりされるのが怖い。思ったよりうまくしゃべれないと思うと怖い。相手の期待ほど可愛くない自分だったらと思うと怖い。

そんなときはないだろうか? そんな時何らかの努力をしないだろうか?

自分の知る限りの知己もいままでめぐりあいのあった女性も、すごい何かをしていた。正直男性である自分から理解しがたいほどのエネルギーをそこに注ぎ込んでいた。

その日その瞬間を「いい感じ」にするために、髪型や服を整えて、時には体型やら自分の好みまで変えて、とっておきを提供しようとしていた。そういうのを見ると恐れ多いような頭が下がる様な気持ちになったのを覚えている。

デートの時にやってくる「一番好的な彼女」というのは上記のような女性努力の、つまりクリエイトの結果だと自分は思っている。

ディズニーのいうありのまま自分がなんだかよくわからないけれど、彼女たちは、確かに自分自身を超えた自分を顕現させようとして、いっときそれに成功する。

自分はそれを偉大だと思う。女性からとかそういう理由ではなくて、クリエイターとして尊敬する。言語化出来ているかどうかは定かではないけれど、彼女らはなりたい自分クリエイトして作ったからだ。

創作物には、描きたいものがある。その描きたいものが例えば出会いとか、別れとか、嬉しいとか悲しいとか楽しいとか懐かしいとか、恋とか、そういうものがあって、その過程必要となってヒロインがいる。

卑俗なところで言えば、可愛いとかもっと見ていたいとか、エッチなことをしたいとかでも良い。とにかくそういうエモーショナルな何かを伝えたくて創作物を作る。

女性キャラは、例の言葉を借りれば女性表象は、そのための道具に過ぎない。大事だし思い入れもあるけれど、過程に過ぎない。読者に伝えたいもののために必要であれば何かを盛るし、邪魔であれば削る。

それは現実女性には不可能だ。だって現実女性主人公のために、あるいは読者や視聴者のためにだけは生きられないでしょう? 現実自分生活があって、趣味もやるべきこともたくさんあって、理想の魅力的な自分だけでは生きられないでしょう?

世の中で言われている萌キャラなんてものは、愛されるためにまれてきたものだと自分は思う。自分が関わった仕事は、全てそのつもりで仕事をしてきた。現実女性と違って、彼女らはそれに全力投球だ。なぜなら、それが彼女らの存在意義で、全てだからだ。そのために生まれたからだ。

それ以外の私生活なんてものはない。あるように見えたとしたら、それは覗き見される前提で作られた、いわば公開用の私生活だ。飾り気のない普段の姿、という形態の作り込まれ物語にすぎない。

まり創作物キャラは、現実女性デートの瞬間ほんの一瞬だけできる「すごい自分」でいるのをフルタイムで続けられる存在だし、それが存在価値だ。何ヶ月も、場合によっては何年もかかって産み出されて、一瞬で消費される。その巨大なコストを代償にして、現実を超えるために産み出されるのが創作物キャラクターだ。

自分は、「現実を超える」使命を持った創作物が、そのために悩んでカロリーを叩きつけた創作物が、「女性表象」だなんて、そんなふうに単純化されるのを我慢できない。

たとえば、あるヒロイン不安絶望表現するのに、創作者は雨を降らせることができる。人気のないコンビニ駐車場の暗がりを作ることも出来る。つながらないSNSを登場させることも出来る。それらは舞台背景であって舞台背景ではなくて、彼女内面を表す暗喩だし、読者に感情移入してもらうための動線だ。

そのキャラクターが気高くて必死尊敬に値すると伝えるために銃弾の降り注ぐ戦場も用意できるし、水晶花咲庭園でのダンスシーンも描ける。

彼女の魅力を伝えるためなら、そこまでやる。女性としての魅力を伝えるためにも必要だと判断するならば、女性の体さえ抹消する。耳やら尻尾やら砲塔やらを生やす程度なら序の口で、人面蛇身にすることもあるし、なんだったらAI宇宙船金属筒に収められた脳髄だけの少女なんて世界観にすることも出来る。

雨やコンビニ水晶庭園女性表象かといわれれば誰もがNoと言うだろうと思う。でも創作者の中でそれは渾然一体で不可分だ。その時それが必要ならつくるまで。舞台だけじゃなくて、演出も、エピソードも、言葉選びも、同じ語句ひらがなで書くか漢字にするのかさえ、伝えたいものを伝えるための道具であって、ヒロイン等価で同じものだ。

読者や視聴者の人に、紙面やモニターの向こうで、恋をしてもらえるなら、涙してもらえるなら、どれだけカロリーがかかってもそれら全部はやるべきことだ。

まりやっていることは「女性表象を作ること」なんかじゃないのだ。青椒肉絲定食を作ってるのに対して「ピーマン切るのは許可されるか」「いやピーマンは不許可だろ」みたいな議論をされてる置いてけぼり感。

こちらはピーマン千切り業者をやってるつもりはないし、ピーマン千切りを提供したつもりもない。もっといっちゃえばお前らがいじくり回してるその皿には、パプリカは入っててもピーマンは入ってないよまである。あるいはししとう叩いて大喜びだな、なんてのも。

以上で率直な感想は終わりだ。フェミがどうこうとか性的搾取とかは、自分にはよくわからない。

でもこっちは現実女性を周回遅れにする純度のために何かを描いてるので、現実女性投影であるとか、模造であるとか、そういう雑な用語選びは好きになれない。という話だと思う。

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