はてなキーワード: リアタイとは
ドラクエリメイクをやっててつくづく思うのだが、ゲームのエンディングに辿り着ける権利はもっと守られべきだ。
このシリーズには「楽ちんプレイ」というモードが搭載されていて、いつでもオンオフできるようになっている。
オンにすると戦闘やダメージによるキャラクターの死がなくなり、攻略を必要とせず先に進めるようになる。
隠れボスや真のエンディングに必要な要素に関係なく、これさえオンにしてしまえばほぼ誰もが用意されたエンディングにたどり着くことができるようになるのだ。
賛否ありそうな機能ではあるが、自分にとってはものすごく歓迎できる機能だった。
ドラクエリアタイ世代だった自分にしてみれば歳を取ったということが一番大きな理由ではあるが、趣味嗜好が多様化している現代のライフスタイルにしてみても、時間をかけて何度もリトライするようなゲーム性は恐ろしくタイパが悪いと感じられてしまうようになってしまった。
ゲーム中の体験そのものが楽しいというのであれば、それはタイパが悪いと感じることはない。
そういった意味では、ドラクエリメイクのゲームバランス自体は自分にとってNot for meなだけだった話ではある。
しかし、だからといってそのままエンディングにたどり着けないことを納得できるかと言われると、一体自分はゲームの何にお金を払ったのかがわからなくなってしまうような理不尽さがある。
例えば最近賛否のあったHollow nightのSilk Songを例に挙げてみる。
いわゆる死に覚えゲーではあるのだが、その難易度の高さやリトライ性の悪さによってかなりの意見が割れることとなった。
評判の良かった前作から発売までに時間がかかったことや大作級の作品であるのに価格が2,000円台と安価だったこともあり、たくさんのプレイヤーが発売直後に飛びついたことも大きな要因ではあるが、自分にしてみればやはり大半のプレイヤーがエンディングにたどり着くことを諦めてしまった、諦めざるを得ないほどの難易度だったことが一番の要因だと思っている。
せっかくゲームを購入したのに、それ以上先のストーリーを知るためにはさらに時間をかけて技術を習得したり相手のパターンを理解できるまで何度もリトライしなくてはならない。
いわばゲームの値段以上の人生のリソースというコストを消費する必要があるのだ。
もし自分が若くて、まだまだいくらでも人生のリソースを浪費できる立場にいるならよい。
しかし、自分にはそんなに自由に使える時間は許されていないし、仕事で疲れた頭と体にムチを打ってまでゲームに打ち込むほどの気力も体力も熱量もない。
そうなったときに、そもそもエンディングに辿り着けるために必要なリソースが足りないと感じただけで、そういったゲームの購入を躊躇してしまう自分がいることに気がついたのだ。
ゲーム好きを自負する自分にとっては、なかなかに受け入れがたい現実だった。
そういったこともあり、最近では大体のゲームはsteamで購入するようになってしまった。
Swtich2もPS5も入手困難時期に購入するくらいにはゲームが好きである自負はあるが、そのゲーム機でしかプレイできないゲーム以外は殆どの場合steamで購入している。
いわゆるチーター的な利用ではなく、シングルゲームで体力などのステータスや消耗品や消費ポイントを無限にするなどに使っている。
目的はもちろん、自らに残された少ない人生のリソースでそのゲームのエンディングに確実に辿り着くためだ。
例えば映画を視聴しているとき、突然謎解きゲームが始まって解くことができなければ結末を見ることができないとなったらどうだろう。
もともとそういう作品だと宣言されているなら納得できなくもないかも知れないが、やはりそれが理由で結末を見ることができなかった人にしてみれば返金を求めるくらいには問題になるのではないだろうか。
ちなみに先程のSilk Songでいうと、ノーマルエンドの実績取得率は26%。
初期の道具を獲得するというゲームを開始すればほぼ取得できる実績の取得率が約92%なので、雑に計算しても4人に3人はエンディングにたどり着けていないことになる。
ストーリーを全て踏破した上でクリアしたときの実績に至っては約15%。
このゲームをプレイした6人に1人しかこのゲームのストーリーをすべて知ることができていないのだ。
製作者サイドは自分が作ったゲームの難易度を誇るのも良いのだが、自分が生み出した良質なストーリーが大半のプレイヤーが知り得ていない現実にもっと目を向けるべきではないか。
チートを使い始めてからというもの、今までエンディングに辿り着けそうにないからと購入を諦めていたようなゲームも買うようになった。
これは制作者側にしてみても単純にプラスと言えるのではないか。
かと言ってこのままチートを使い続けることが健全な状態だなんてことは微塵も思っていない。
実績というシステム自体が、そうした難易度という壁を乗り越えてこそはじめて得られる名誉だということも理解している。
その上で、ゲームを購入した人間にとってのエンディングに辿り着ける権利というものをもう一度考えてみてはどうだろう。
購入時に”エンディングに辿り着けないかもしれないという不安”がないということは、ゲームにお金を払おうとする上で大きな安心感になるのではないか。
* 「ダウンタウンが昔から苦手だった」論についての続きです
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これは彼らの責にはよらないところ、そして増田の嗜好による部分も大きかろうとは思うが、『ダウンタウンDX』などは端的につまらないとしか思えなかった。
薄い記憶頼りの記述になってしまうが、例示した番組はいくつかのミニコーナーによって構成されていたはずである。そのコーナーのどれをとっても昼間のワイドショー的なノリに過ぎないように思えてしまっていた。
もちろん、そうしたノリが好きな人も多いのだろうし、呼ばれたゲストが好きな回だけ見るという人も多かったのだろう。
「サナ活」が工作されているのではと訝しまれる(実際にムーブメントとしてあるか・工作なのかはここでは問わない。単に首相や皇族やへの支持まで「推し活」として括ることがあり得るものとして消化される)ほどの、この推し活大時代において、人生に一人とて「推し」がいたことがない。
だからなのか、自分の生活に関係しない、他者たる有名人の惚れた腫れた不倫などなどへの興味も昔からなかった。
もっとも、「昼のワイドショー」的な内容でこそあっても、話芸によって付加的なコンテンツ性が生まれるのだとの論はあるやもしれない。
それでもなお笑いどころがわからなかったし、そのわからなさが、世界から拒絶されるような感覚さえも覚え、しんどかった(斜に構える思春期真っ盛りより前は、「みんなとなるべく同じになろう」と素朴に思っては達成されないと寂しさを覚えるものではありませんでした?)。
「お決まり」としての叶姉妹の私服が高過ぎるオチは理解できるにしても、1時間尺の番組でこうした部分しか笑えないのなら、この時点ですでに「not for me」でもあった。
けれど、「not for me」の「用法」もなければ、彼らがスターすぎた当時、そんなことを言えない閉塞感がたしかにあったのだ。
ほかにも要因はあるかもしれないが、すぐに書き出せた「好きじゃない」理由はこのようなところである。
①で書いたとおり、かつての「天才的なネタ」を(知りたいと思えた上で)知った先に、その文脈ありきで見方が変わる可能性は否定しない。
だが、一視聴者として、①〜③の複合要因から長年にわたって苦々しく思ってきたのは事実だ。
そのなかで現れたのが文春砲であり、マスメディアへの露出停止だったのである。そりゃ、一言二言、「好きじゃなかった」くらい言いたくなる人が出てくるのもやむなしでしょうに。
こうした前提の上で、『DOWNTOWN+』の始動と、それ以上に、あまたの芸人の賞賛や出演、そして視聴者の熱い支持に、どんよりとした思いを抱いている。
「“ゴシップ”になんて負けないで」というのは言語道断であるからよそにするが、「その存在の偉大さにこそ比べてしまうので“あれば”、瑣末な問題だ」とでも言いたげな反応が、苦しい。
増田の個人性が高い①や③を、なんなら②までも措いてしまって、掛け値のない偉大な芸人だったとしよう。
だが、偉大であればこそ、勇退する判断をしてもよかったのではないかという問いは、問題なく成立するのではないか。
今ではびっくりするほど擁護論を聞かない島田紳助だが、引退間際のテレビ欄の染め上げっぷりはそれは凄まじかった。それでも引退し、はや14年が経つし、なおも動きはない。
素人たる視聴者からの(紳助への)支持と、プロたる芸人からの(松本への)支持は等価でないとは言いやすいかもしれないが、島田紳助のカムバックがもっと予見される状況かつ、SNSが今ほど発達している状態だったら、容易くそれだけが違いだとはいえないと思う。
※余談だが、増田は島田紳助ファンでも当然ない。むしろ『クイズ!ヘキサゴン!』などは大嫌いだったし、『行列のできる(法律)相談所』は長年の負の遺産だったと思っている。
日本の一時代を築いた、伝説の芸人ことダウンタウン・松本人志がいた。あとから出た芸人はあまねくダウンタウンの影響を大いに受けて育まれた。
バブル前後の国力成長期に飛ぶ鳥を落とす勢いで力を蓄えていった氏には、たしかに「しんどく」も映るのかもしれない。だが、しんどいのは「お笑い」以前に、人々の生活そのものなのではないか。
それに芸人当事者でいえば、「そこそこ」の暮らしができる芸人たちは、SNSによってかつてより増えているのではないか。「M-1グランプリ」の参加者数が毎年歴代最多を更新するような、成長産業ではないのか?
たしかにあなた(がた)は、変え難い伝説の化身となった。それでもう、万事よいではないか。これ以上、なにを望むというのか。
もうきっと、メディアの構造上として、ダウンタウンの後釜は現れない。あなたが幻影を追っているとしばしば揶揄される、北野 武にこそあなたもなれずとも。それが時代の残酷さであり、甘やかさではないかと思う。
「課金しなくては見られない」、ゾーニング性のあるチャンネルに活動を絞っている以上、顧客でない外野がとやかく言えたもんじゃないとの反論もあるだろう。
だが、その反論こそ、「ダウンタウン・松本」の影響力の大きさを軽視したものではないだろうか。
増田はその影響力の大きさ強さを信じているからこそ、『DOWNTOWN+』を批判するのである。
※令和に青春を過ごす世代のために蛇足の補足をしておくと、増田がここで書いたゼロ年代半ば〜10年代初頭くらいは、リビングのテレビ(今はモニターの家も多いか)に、ネットは接続されていなかった。
そのため、『8時だョ!全員集合』ほどの影響力は失った(リアタイではないから一般論だが)、メディアの過渡期ではあるにせよ、今とは比べ物にならないほどの力がテレビにあった時代なのである。
「東海オンエア」? 話にならない。幼児から高齢者まで、真の「テレビスター」ならば、その名前を誰もが知っていた時代の話である。増田以上の世代なら、ヒカルよりも島田紳助とみのもんたのほうが知名度はよほど高いだろう。
当時までは、まさに「お茶の間」がその場に出現した時点(食後、リビングを行き交うような時間・空間のことだ)で、地上波(アナログ放送)が点いていないことのほうがイレギュラーだった。だから、つまらないと思うテレビ番組のことも、このくらいに知っていてもなんらおかしくはないのである。
めちゃくちゃ好きだった。当時の男性Vは立ち回りが難しくて、女性Vとコラボするときも下手に立ち回れば炎上するし、まだ規模がデカくなかったから今みたいに信者の囲いで消火とか難しかった。その中で頑張ってたり、男性視聴者がまあまあいてその友達みたいな距離感とか人の悩みに寄り添うところ、歌が上手いところが好きだった。
アクスタ、香水とか全部買ってた。アクスタは離れたときに友達にあげたけど香水は箱捨てちゃって(なんでも箱は捨てるから)まだある。買った後くらいに離れたからまだ全然残ってる。でも甘いリンゴの香りはまだ覚えてる。CDとかライブもチケット当たらなくてもネット視聴で見てた。夢見た舞台に立つ彼の姿が好きだった。
当時の配信は大体リアタイしてて、失言した配信も見ていた。jkブランドだの価値がどうの、聞いたときは嘘でしょ?って思った。あれだけ立ち回り気にして炎上しないようにして病みながらマイクラしてたのに。失言しちゃうんだ、と思った。
人間なんだから失言なんて誰でもすると思う。私だって気づかないうちに誰かのことを傷つけてるかもしれない。でも配信者で同接そこそこあって、女性リスナー抱えている人間が言っていい言葉ではないと思った。思っていても、そういう思想を抱えてたとしても言ってはいけないと思う。
当時の私は大学生で、大学生だからtierが低くて怒ったわけではない。別にそのとき高校生だったとしても同じように怒っていたと思う。幻滅した。
すぐ対応されて、Twitterで軽めの謝罪と該当する場面の削除、次の配信の冒頭で謝罪があった。
炎上を恐れていた彼であるから、火消しが早いなと思った。だからそこまで燃えてなかった。
でもそれ以降、彼の配信が見れなくなった。
買ったCDも、他のメンバーの歌声も好きだったのに聴けなくなった。
てかそのユニットもメンバーの卒業でもう活動してないのだが(そのへんのモヤモヤもある)
公式番組のレギュラーもショート動画も大会の優勝も全く興味がない。ここまで推しを忘れられるのかと感じている。
謝ったから掘り起こすななんて信者は言うけど、誰かが覚えている限り、どんなに成功しても、どんなに数字伸びなくても擦られると思う。有名人のやらかしだって何年経っても擦られている。
ネットの海を漂う宿命だと思う。何時間も配信を繋いで話していないといけないのに、たった数秒のミスでここまで叩かれるのは一般人から見たらかなり不憫だ。
もちろん彼の発言もうーんと思ったけど、1番無理なのはヨシヨシしてる囲いの信者だった。別に許したことに対して引いてるんじゃない。全肯定リスはキモい。ママリスやガチ恋を嫌う人間の気持ちもわかる。一般人目線でさえそういったリスナーはヤバいなと思うし、当事者なら尚更だと思う(それはそうと社会人なら上手く立ち回るなり転生してって思う。それを理由にリスナーに当たるのは違う)
(私は声とかに関してはクソどうでもいいと思ってるのでそこは触れません)今のVの炎上はV自身のやらかしも燃えてるけど、信者の囲いで鎮火したツケが回ってきてるんだと思う。わざわざ降りる宣言して降りるオタクよりも何も言わずに不満を抱えて降りるオタクも多い。そういうオタクが数年前を思い出してずっと燃えてるんだと思う。そしてさらに信者がリプする。
本当に今話題に上がってるV好きなオタクは可哀想だ。検索して推しの悪口を見るのはしんどいと思う。でもお願いだからわざわざそういうツイートに引用リプしないで欲しい。自分が油撒いてる自覚持って欲しい。
左翼はすぐ印象操作をします。マイノリティなのにマジョリティを装います。
政治家の街頭演説にテレビ局が来るとき、大声で騒いでさもこれが民意だと言わんばかりですが、引いたカメラで見るとほんの少しです。みんなを集めてこれだけかよ。
はてなスターをいっぱいつけます。(いっぱいついてる主張がマジョリティになりますように)と祈りながらです。トップコメなのにおかしな意見なわけありません。
(フェミニストは女のくせに自分の主張ばっかり言いやがって。生意気でムカつくなあ。よし、フェミニストは間抜けだって風潮を作ってやる!)。「デートのとき割り勘の男ってなんなの?奢ったほうがモテるに決まってるじゃん。バカなの?」←失敗。「レディースデイは男女差別だ!ってバカなの?普段興味が無いけど割引だから行こうかなって気になるのに。差別とかと違うでしょ」←失敗。正論。
「炎上しないなー」。素の女「なんで男ってそうやって主語がデカいの?」
「おれ、実は精神疾患持ってて」「うん」「ADHDと躁鬱と軽い統失」「うん」「だからいま仕事探してるけどできなくて」「うん」「生活保護は実家にいるから無理で。でももらえる資格はあるんじゃないかな」「うん」。
「高市はどうかなー。結局男の操り人形でしょ。ノーカン。もっとちゃんとした日本初の女性首相はいると思うよ」「例えば。。?」「例えば、うーん、えーっと、今はいないかなー。昔だったら田中真紀子とか。知ってる?田中角栄の娘。あの人とかいいと思うけど」「うん」
「えっと、これからどうする?どっか行く?」「ちょっと用事があって」「そうなんだ」「えっと、私の分、700円」「あ、うん。。。あ、これくらい払うよ」「いまは割り勘が当たり前なんですよー」「いや、これからどっか行くかもと思って余裕あるし」「じゃあ今度のとき出してもらおっかな」「いいよいいよ」
「全然出そうと思ってたのに、普通に『私の分です』って出してきて。いいよいいよこっちが出すよって言っても、じゃあ今度奢ってくださいだって。絶対焼肉連れてかれるよ。やり方がうまいよねー。でもしょうがない。完敗って言うか一本取られたって言うか。こうゆうときにぐだぐだ言って出さないのは、ほっんとーにカッコ悪いと思う。さすがにそうゆうのは分かるって。そんな奴を見たら、うわダサッって思うもん。出せばいいのにって聞こえないくらいの声で言いたいもん。勝ち負けなんか自分でも分かるって言うか、自分がいちばん分かってる説あるけど、負けたときは謝ったりしっかり負けないとね。それで人生負けることにはならんし。そこでちゃんと負けると、後々の勝利になるんだよね。意外と」
10年後
(こうゆう女でも、いつか自分も結婚して子供産んでとか考えてるのかなあ。出会いとかないだろ。それで焦って35歳すぎてから結婚相談所行くんだな。なるほどねー)。「コバヤシさんって休みの日は何やってるの?」「漫画とか読んだり」「どんなの?」「多分言っても分からないだろうし」「少女漫画?NANAとか?NANAは古いか。でもど真ん中なんじゃない?」「そうですねリアタイ」「でも結構まえだよねー。オレとか僕の地球を守ってがリアタイだから。知ってる?」「あー」「綿の国星とか」「綿の国星はもうちょっと前ですよね」
(コバヤシさんとの結婚はなくはないな。オレは性格的にだいたいのことはなんとも思わないし。流石に子供を虐待とか浮気して帰ってこないとかなら離婚するだろうけど、それ以外なら普通にやってけると思うけどな。となるとせっくしか。コバヤシさんもふぇらとかするようになるか。結婚ってそうゆうもんだよな。昔はみんな結婚したし、うちの親もだし。結婚してから良さがあったりするんだろうな。オレことは恋愛対象外だろうけど、こっちが真剣に真面目な態度をするなら、振り向く可能性はあるな。そりゃ本気で大事にするとかなら、普通の女なら結婚を甘んじてするだろ。一生なわけないとか今だけとか実際はそんなんだからだけど、こっちも本気出して毎日ずっと大事にするってゆう確約があれば、それは神様が保証するとか、タイムマシンで未来をみてくるとかで、逆に俺だったら結婚するな。それで浮気すればよくね?
主人公だけが現代人の教養をもっており、抜きん出た洞察力と不動心も備えている。
身近なちょっとした問題に巻き込まれてはその“目立たない超能力”で鮮やかに解決する。
子供だましではあるが読み切り連作スタイルのコージーミステリとしては悪くない。
そして定番の、おしのび貴人に惚れられ牛歩みたいに心開いていくという軸。
そこまではよかったんだが、なんか国家転覆の陰謀みたいな話になってよくわからなくなった。完結してから一気読みならまた違うのかも知れないが、連載リアタイだとアテンションが持続せず何がどうなってるんだっけ?と迷子になってしまうのだ。
フリーレンも同様だ。「後日譚モノ」という切り口は新鮮味があったし独特の静謐なノリも良かった。ふつうにバトル展開になってきてアレ?と思ったものの「らしさ」は失われなかった。
そこまではよかったが、なんか人間サイドの三つ巴の陰謀?みたいな展開になってもうぜんぜんわかりません。最近のあれなにやってんの?ちゃんと答えられる人は多くなさそう。
しかし複雑化してよくわからなくなっても案外読者は離れないから不思議である。
最初から「なかなかよくできた子供だましだね」などという斜めの視線じゃなく超本格巨篇だと思ってるからか。
大人気作が複雑化で泥沼化するパターンといえば思い起こされるのは藤沢周平の「用心棒日月抄」シリーズだ。
藩内の陰謀に巻き込まれ、舅を斬って江戸に逃れてきた主人公。用心棒稼業で糊口をしのぐも、常に頭から離れないのは己が仇となってしまった女のこと。襲い来る国許からの刺客。個性的な用心棒仲間。女刺客との通情。
そりゃ人気出るわなという話なのだが、人気のあまり続編重ねるとわけわからなくなる。作者の中では複雑なパズルを自分で作って自分で解くような作業がむしろ面白くなってしまったのかもしれないが。
ドラゴンボールの「強さのインフレ」「話の規模のインフレ」はダメな例のように言われるが、内向きに「複雑化」しないように外向きに発散していたと考えるとさすが鳥山明と思わないでもない。
自分も15年くらい前からテレビは観てないんだけど、ものすごく世間離れしてしまった感覚があって、今では「そこまでテレビを排除しなくても良かったな」と思ってる。
5年ほど前に心配した親がテレビを買ってくれたんだけど、もうテレビを観ない習慣がついてしまっているから電源をオンにするのすら煩わしく、ほぼ使っていない。
年に2〜3回、YouTubeやAmazonプライムビデオを大画面で観たいなというときや、どうしてもリアタイしたい番組があるときだけ使っている。
だけどテレビって「スイッチつければすぐ見られる」のがいいんだよ
リアタイでしかみれないのは、逆に時間を教えてくれるとも言えるから、出勤前のルーティンにちょうどいい
パウパトはサブスクで契約しているけど、いちいちもっさりしてるアマプラで探すのはやや面倒ではあるし
天気情報も積極的にみたいというより、いつもの時間にやってるから見る程度だが、それで充分だと思う
あんまり比較したことないけど、たぶん地上波の方がCMの質は良いような気もする
ネットの広告は無駄に最適化されてるか不快な密度で情報流すイメージだけどテレビCMは良くも悪くも万人向けで嫌いではない
個人差大きい部分だが
あと個人的に簡単な動画編集してるんだが、テレビのテロップや画角とかは参考になってる
まあ俺はニコニコのケレン味たっぷりのボイロ解説の方が好みだが
相対的に便利とは言わないが、世の中で言われてるようはテレビ不要論はあまり共感できないんだよね
良い点なんて割といっぱいあるし、偏向報道の是非なんてyoutubeやはてぶに言う権利はないしさ
よくさ「嫌いなところより好きなことを語れ」という変な人いるでしょ?でもテレビ関連はマジで偏見と言いがかりばかりで、比較対象がYoutubeやアマプラくらいだから、なんだよそれって思うよ
悩んだ末、繰り返し読みたいかなと思い電子書籍で購入した。が、やや後悔している。
表示のされ方が思ってたのと違った(1画面?に1ページ出るタイプ。普通の漫画なら普通なんだけど四コマ漫画なので、あとリアタイの時はちがったじゃん、紆余曲折あったけども)のと、誰かとシェアしにくい。ギリ子、誰かに読ませたくなる。
あとふつうに好きだと再度確信した。本で持っていたいなーと思った。令和を生きる若者達はこういう感覚ないんかね?
前に和山やまの漫画をそれこそはてブで知って面白!と思って電子書籍で購入したけどそれでは収まりがつかず結局ダブる形で本も買った。
本って、なんか本物な気がしてしまうんよね。
でも本だけだと気軽に読めない。現在ふつうの軽音部は本のみに絞っているが、新刊が出た時くらいしかがっつり読めないし、はてブのコメントもネタバレしたくないから読めないし、なんか楽しさを削ってしまってるな〜という気もする。ふつうの軽音部は面白すぎてちゃんと本で読みたい!と思ってしまったのだけれど、それが少し仇になってはいる。
そしていまその層がVtuberでは癒やされ切れなくなってきてストーリーが重厚なスマホゲーに移行した
ソシャゲをやるか、バーチャルでVRCに籠もるか、現場で迷惑かけるかしかない
これがどういう事か
国内というのは現実日本にもなく.jpという空間にもないということだ
スマホゲーは韓国が美麗な可愛い3Dモデルで楽しませてくれている
(2Dで激えっちなものがやりたいならアズレンやれ飛ぶぞ、アズレンは中国だったけか、まあいいや)
だから同好の士を見つけて地獄を一緒に体験する(俺はちょこちょこVtuberファンと飲んでる)か、ブルアカをやれ
ブルアカは同人クイーンとか昔懐かし表名義声優さんが沢山参加してくれている、君の見知った声優のキャラも多いだろう
あと、もうそういうのも嫌だと思ったら是非R18ゲームを買い支えてあげてほしい
今もほそぼそと続いてるから!!twitterでも若い人がエロゲ趣味やってて結構頼もしい、秋葉原ソフマップ、トレーダー行けば結構見れるから!ビビッと来たのを買え!!
論議をよぶネタでは ピントのあってない無難ぽいブクマに星あつまりやすい
吉田恵里香の言い方にあわせると ノイズ多いブクマに消極的な星があつまるんやね
元増田がおもう以上に 吉田の原点 タイバニを忘れてるひと 知らないひともいるみたい
https://discovery.shonenjumpplus.com/interview/yoshida
ーーー吉田さんご自身のキャリアの中に、「これがやりたいんだ!」というパッションだけで突き進んだ仕事はありますか?
私のキャリアは大学在学中に共同脚本で入った『TIGER & BUNNY』(BNP/T&B PARTNERS)で始まるんですが、それは自分の色というか、爪あとを残したいなという気持ちで書きました。
もちろんシリーズ構成の西田征史さんとの共同執筆なので、パッションだけではないですけど。
私がはじめて担当した15話は、サイドストーリーといいますか、本筋に最低限触れつつ、ある程度は自由にできる遊び回だったんです。
http://zero3ys000.blog41.fc2.com/blog-entry-1140.html
そしてここでまさかのバニーちゃん爆弾発言!!!!!!!!!!!!!!!
『そんなんじゃ夜までもちませんよ?』
夜・ま・で・も・ち・ま・せ・ん・よ、だと・・・ッ?!!!!!!!!!!!!!!!!!
うわぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
おかあさぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ココにホモが居るよォォォォォオオオオオオオオオオオオオオvvvvvvvvvvvvvvvv
いやもうなんなの?
意味深過ぎて恐ろしいんですけどwwwwww
虎徹が言っても凄いお節介な感じにしか聞こえないのにバニーが言うとメッチャ卑猥に聞こえるんだよナニコレ!!!!!!!!!!!!!!
と 公式が病気 な吉田脚本におどろいていた腐女子の情緒が 露骨な露出シーンでは一転こうなる
動揺ハンパ無かったマジ吃驚したっていうか何考えてんだよ公式ィィィィィイイイイイイイイイ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
いや、正直に言っていいか?
いやもうマジホントに最初パンツ一丁で凄まじいポーズしてると思ってwwwwww
バニーに何があったのかとwwwwww
え、あれバニーが選んでたりすんの?
それとも衣装さんチョイス??
なのに今回こうゆうこと言うんや
https://kai-you.net/article/93374/page/2
ここにラインがあるてこと よくおぼえた上で