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はてなキーワード: 思い入れとは

2025-11-15

anond:20251115125716

親の変な思い入れなんて子供をゆがませるだけなので、響きが良く、意味などあまりないが、人の記憶に残りやす名前がいい

anond:20251114220556

理由を色々考えてみた



いろんなパターンがありそうかも?


増田おかしいとか奥さんおかしいとかそれを外野判断して欲しいというのはよくわからないな。

夫婦ことなのでインターネット外野が何を言っても最終的には増田夫婦には関係ないのでは?


ここで美容院を優先されると自分はとても辛い、一緒に行って欲しいって頼んでみてもだめなのかな?


anond:20251114220556

理由を色々考えてみた



いろんなパターンがありそうかも?


増田おかしいとか奥さんおかしいとかそれを外野判断して欲しいというのはよくわからないな。

夫婦ことなのでインターネット外野が何を言っても最終的には増田夫婦には関係ないのでは?


ここで美容院を優先されると自分はとても辛い、一緒に行って欲しいって頼んでみてもだめなのかな?


2025-11-10

スーパー戦隊シリーズ思い入れがある人が多いんだな

子供の頃に見た人たちだけでなく、自分の子どもが見ていて(一緒に見ていて)最近まで見ていた人も多いから当然なのか

自分子どもの頃に見ていたはずだけど(フラッシュマンとか世代)、スーパー戦隊ウルトラマン仮面ライダーほとんど記憶に残っていない

再放送で見たZガンダム結構鮮明に覚えていたのと、ドラえもん映画はめちゃくちゃ覚えているけど、この辺は後でもう一度見ただけなので、記憶の差に意味があるのかは怪しい

2025-11-07

Twitterが凍結された

昨日あったTwitter(現X)の凍結祭りに巻き込まれた。(過去の姿に思い入れがあるという意味も込めてTwitterと呼ばせてくれ)

原因は概ねOldTweetDeckを使っていたというところだろう。OldTweetDeckっていうのは、Twitter時代提供されていたツイ廃向けのTwitterアプリみたいなもんで、それが廃止された後も非公式方法で使い続けることができた。

もちろん、非公式方法で使っていた自分が悪い、というのは理解している。その前提で思ったことを綴っていきたい。

凍結されたアカウント10年モノで、この間に人生いろいろあった。学生だったのが社会人になり、Twitter経由で友人もたくさんできた。

もちろん中には浅い関係の人もいるが、今では毎週会ったりお互いの家に遊びに行ったりするような仲の友人もできた。

仲のいい人とはDiscordで連絡を取っていたので特段問題はないが、自分人生の中でTwitterによってもたらされてきたものが多すぎて、それを失ってしまったというのがとても恐ろしいことだなと思った。

インターネットのおかげで昔とは比べ物にならないほど幅広い人間に関われるようになったし、それによって人生の幅も大きく広がったのは間違いない。

ただそれと同時に、ある日突然インターネットがなくなった時、自分のことを認知してくれる人はどれくらいいるのか?と疑問にも思い始めた。

例えばインターネット上で活動する配信者、特にVTuberなんかは生身の人間インターネット上で知る人はいないわけで、ある日突然YouTubeがなくなってしまうと自分自身のアイデンティティ喪失することになるのではないだろうか。

インターネットなんて世界中善意で成り立っているようなシステムだし、それこそ特定プラットフォーム活動している人は、その運営者の一存でアイデンティティ喪失しかねない。

そんなことを考えると、特定SNS依存しすぎるのはとても危険だな、なんて凍結されて感じた。

何が言いたいのかというと、改めて狭く深くな友好関係が大切だと気付かされた。気軽にインターホンを押しにいけるような友人関係を構築できるように心がけたい。小学生の頃はみんなそうだっただろ?

2025-11-05

[]

ごとく維新ゲームカタログが18日までだから急いでクリアしなきゃ

もも半年以上ぶりで全然話覚えてねえから最初からやろうかなと思ったけど、

よくよく考えたら覚えてたわ

久しぶりに古巣の町に戻って師匠(恩師?)に会いに行った

師匠といっしょにお殿様に会いに行ったら、なぜかお城で師匠忍者っぽいやつにころされた

そんでぬれぎぬを着せられてしま

逃げ隠れしながら真犯人を別天地で探す

そんな感じだったと思う

ヒントくれるお風呂屋に行ったらヤクザっぽいのに絡まれボス倒したところまでだった気がする

がんばってメインストリークリアすっぞー

ごとくは全部カタログとフリプでクリアしてやる

あ、7はフリプ来る前にパッケージ買ってクリアしちゃったけど

サブクエ全然やらずメインだけやると思い入れもないしストーリー全然頭に入んないんだよなー

2025-11-02

作品ナメクジの粘液

(粘液がダメなら切った爪とか抜けた髪でいいんだけども)

ナメクジは歩く。歩くとその後に粘液がかわいた、道のような跡ができる。

動いたあとの粘液なんて勝手にうまれてくるので本人はゴミのようなものだとおもっている人が多い。

しかしそのゴミからいろいろなことを読み取れる他ナメクジがいる。

ナメクジからするとキレイな粘液は自分につくれないものなので貴重品である

寂しそうだとかとにかく迫力があるとか、色合いを読み取れておもしろいのである

しかしつくった本ナメクジにしてみれば、

その当時はそんなことをおもっていたかもしれないし思っていなかったかもしれない程度で覚えていない。

結局は見せるために書いたわけでもない(かろうじて空や水滴が見てくれたらよい)し

思い入れがないから、飽きたり邪魔になったら消す。

キレイといわれて騒がれるのがいやなら土の上だけ歩いて粘液を外に出さないこともできる。

とにかく自分が歩いたあとのナメクジ粘液がそういうヒョウカをうけることもあるんだなと思うしかないものだ。

  

そのうちナメクジ界のごく一部にはヒョウカの高い粘液をみて自分もそういうふうに歩こうとおもうナメクジがでてきた。

ナメクジは喰って寝るだけではないんだといわんばかり、

徒弟制度で代々キレイな粘液をつくりだしては体力を消耗して早死にしていく。

本能にさからって奇妙で身に余る粘液ばかりつくりだしていて

しかにそれはいろんな夢を含んでいておもしろいのだけれども

ナメクジ分のナメクジ生を終わりかけたある年老いナメクジからみると、

かいナメクジたちのようにあれは必見だとかあなた感想を言えばいいのにとかおもうこともない。

世間評価なんて、たいしたこともないのである

要は自分空想の恋矢が刺さるかどうかだけが問題だ。

 

あるところに2匹のナメクジがいる。

ナメクジ生活の合間におもしろ銀色の粘液をささっと紡ぐが他人に見せたくない。

ナメクジはAナメクジの粘液のきれはしをみつけてダイヤモンドを見つけたように喜んだ。

AがBに話しかけたのをきっかけにすべての粘液をみせてもらうことができるようになった。

そのうちBナメクジは粘液を出しやす食べ物を手に入れられる環境に住んでいるので

ナメクジに近いとおもえる粘液(といっても長さだけで、色は金色だった)をはじめてひねりだすことができた。

Aが「公開された粘液のサンプルは見た」とつげるとそれだけでBは喜んだ。

でもAナメクジはBナメクジの粘液についてあまり好意的評価をしないのである

Aは「見たよ。それ以上の評価を求められても困る」といっていた。

根本的にAは、AやBのつくる粘液には、なにも価値を認めていないのだから当然だ。

から言葉を補うとしたって、「A自身にはわからないために意味感情面)は全くよみとれないが、

見た目でいえば○○の部分がかけているから均一に歩けばもっとキレイな粘液になるかもしれない」という技術的な指摘にとどまるのである

粘液に含まれ感情的な色については「わからない」の一点張りだった。

 

AとBは一匹のナメクジとしてみると縞のぐあいや好きな葉っぱなど類似性が高いので、

友人としても希有な絆を結ぶことができた。

BはAの生活相談にのるのだが、

Aにとっては(自分で始めた話のくせに)Bの相づちがAとあまりにもかけはなれていて、

どこにも生き場所がないという気持ちになってしまって、

Bとも絆をきってしまおうかとおもうこともあるようだ。

 

たぶんAはA自身にも、他の粘液にたいしても、感情が無いわけではない。

粘体の奥にこじれた感情をおさめているのだが、それが自覚される日はもっとずっととおい。

BはAにたいしてなるべく礼儀正しくマウントしないようにしているが、

たまに傷つけてしま事件が発生する。

BはAになるべくみせないようにしているが、実は、家族をひとかかえつくってもうすぐ孫ナメクジもうまれる上に

畑を経営している大化けナメクジだった。

それでいて趣味の粘液だけで評価を受けようと粘液即売会に打って出た。

Aはそのことにあまり楽観的になれないでいる。

AがBのきっかけになるようなダイヤモンド的な粘液をつくっていたにもかかわらず、

自身の粘液をまだすぐ隠したり消すことを考えると、

ナメクジには全くもって、筋の通った、わかりやす感情なのだろう。

  

Aがほしかったのは、○○なのだとおもう。

しかしそれは、ほんとうのところ、○○ではなく××であるべきだ、とBは思う。

 

どちらにせよ、Aのナメ生の欠落を仮埋めできるのは年寄り化けナメクジばかりで、

すぐにAから寿命によって離れていく。 

機械的に「まっとう」な反応を示すユビキタスナメクジも生まれてるけれど、Aにとっては充分な相談相手ではない。

 

Bはどうしたらいいかと少しだけ悩んで、また自分寿命と、

残りすくない寿命で楽しめる別の楽しい粘液のことを考えはじめた。

2025-11-01

なぜ人は渋谷に集まるのか

なんで?

ハロウィンもそうだし

古くはワールドカップときの大騒ぎとか

なんで渋谷スクランブル交差点に集まりたがるの

交通の便だったら新宿のほうがいいだろ

何かってえと渋谷に集まりたがるよね

東京民は渋谷にそんなに思い入れがあるの?

俺の屍を越えてゆけ2』が不評とされた主な理由は、スタッフ個人的思い入れゲーム制作に影響したことが挙げられます。具体的には、開発スタッフ小説鬼斬り鵺子』のファンであったため、開発の早い段階で新キャラクターの鵺子をゲームに登場させることを提案し、開発が進められました。この個人的提案が、ゲーム全体の流れや質に影響を与え、不評につながったと指摘されています

公私混同の影響: 開発スタッフ個人的要望が取り入れられたことが、ゲームの不評を招いた主要因と考えられています

キャラクターの導入: 小説鬼斬り鵺子』の登場人物である「鵺子」が、作品方向性とは無関係理由で新キャラクターとして導入されました。

不評と認定: このような経緯から、『俺の屍を越えてゆけ2』はクソゲー認定されてしまう結果になりました。

このキャラ入れたから不評になった、というロジック分からん

誰か教えてくれ

2025-10-31

エアライダーが楽しみすぎる

小学生の頃、買ってもらったゲームを始める前に説明書を何度も読み込んだ時みたいにエアライダーダイレクトを何回も見てしまう 楽しみすぎる

家にあった据置機はスーファミソフトは何故かスーパーパチンコだったかエアライドはやったことない

カービィ友達が持ってたコロコロカービィちょっとやらせてもらったくらいで大して思い入れもない

ニンダイで告知が来た時は亡霊たちよかったな、くらいにしか思ってなかったはずなのに、いつの間にこんなに惹かれたんだろう

待ち切れなさすぎてSwitchWiiデラックスを買った、操作慣れなくてヒイヒイ言いながら1周目?のストーリーモードクリアしたんだけど、ここからマホロアを好きになる要素があるんか…?

2025-10-23

anond:20251023171837

地方に住んでるけど地方なんか消滅して構わないと思ってるよ。人いなくて先行きの無い労働、何も無いのでYouTubeゲーム漬け、何があるんだよ地方に。思い入れもクソも無い

2025-10-18

書籍はもう全部電子媒体でいい

電子媒体なら物理的な置き場所に困ることもないし

文字や絵の大きさは容易に調整できるし

資源無駄にすることな環境配慮できるし

中古本があふれることなく著者にはきちんとお金還元される

一方の紙媒体だが

特定著作で好きなものはあっても紙媒体のものには思い入れもないし

そして何より紙媒体の良さをふと考えてみると明確に良いって思えるものが何一つ無かった

スニーカークリーニングという“幻想”について

最近YouTubeでよく見る、スニーカークリーニング系の動画。ある店が勢いに乗ってるそうで。それはそれは景気が良いこと。

汚れたソールアッパーが洗剤でクリーニングすると白くなり、古い靴がまるで状態の良い古着のように蘇る——あの手の映像気持ちはいい。でも現実あん簡単じゃない。

実際にやってみればわかるけれど、あれは「編集された理想」。

ソールの汚れを落とすには粉末クレンザーで削るように落としたり、パーツクリーナーのようなケミカル製品電動歯ブラシを駆使したり、時間と手間と根気が必要

“軽く擦ればピカピカ”なんてことはまずない。一本の動画の裏には、数時間作業と根気が隠れている。

とくにスエードは最悪だ。

多少きれいにはなるけれど、風合いは完全には戻らない。毛が固まって質感が死ぬ

売り物としての価値は消えるし、触感も「もう終わったな」と感じる。

スエードの良さはあの繊細な起毛にある。そこが死んだ時点で、その靴の寿命は終わりだと思っている。

ソールが減った靴にパッチを貼るなんてのも、正直好きじゃない。

SDGsだのリペア文化だのといえば聞こえはいいけど、減ったソールを誤魔化して履くより、潔く買い替えた方がよほど気持ちいい。

“長く使うこと”が偉い、みたいな風潮には共感できない。

労力をかけてまで蘇らせるより、次の一足に出会う方がずっと楽しく、現実的だ。

シューキーパーもそう。

1200円で売られているけど、ダイソーにほぼ同じ形のものが100円である

高いほうは「高級そうに見える」だけで、本質は変わらない。

多くの人が“見た目の価格”を買っている。

この業界ブランディングが上手いだけで儲かる。

中身より演出が勝つ世界

でも、私は見せかけより本質を重視したい。

見た目だけ整えた“再生品”より、潔く選び抜いた“本物”を扱うほうがずっと誠実だと思っている。

基本的に、デッドストックで手に入らないもの以外は潔く買い替えた方が満足度は高いし、手間もかからない。

あとは個人的思い入れのある靴だってんなら、一生懸命手間ひまかけてきれいにする価値はあるんじゃない?

でもそれ以外のあまりソールが減った靴とか、ボロボロの見た目になってしまったらそこはもうリペア業者へ依頼する領域になってしまって、金がかかる。

そこまで状態が悪くなったらもうそれは寿命を迎えたゴミ。(リペア業者にとっては研究用として価値があるかも)

歴史上の人物世界的に有名な人が実際に履きつぶしたものとか世界に一つしかないような貴重なもの以外はゴミ

とにかく自分なら日常レベルで軽い手入れはするけどスニーカークリーニングなんかに手間かけませんって話。

世の中清潔感大事だし買い替えた方いいよ。

2025-10-15

VRChatがつまらなくなった

キズナアイとかが流行っていた時期に、ねこますさんが紹介したのをVRChatを始めた。もう8年前?ぐらいな気がするがとにかくだいぶ時間がたった。

「VRChatがつまらなくなった」というと語弊があり、どちらかというと自分と合わなくなったというのが正しい気がするが、まあとにかく主観的につまらなくなったという話をする。

だれがどこでなにをやっているのかまったくわからなくなった。

初期は人づてで「なんかおもしろいことやってるらしい」ですぐに行けた。

中期はTwitterで流れてきたなんかおもしろそうなところに行けた。それもだいたいなんとなく知っている人がやっているイベントだった。

後期はXで流れてきたのを見たが「おもしろそうだけどどうせすぐ埋まって入れないし、知らない人のイベントだし行くのめんどくさいな」で行かなくなった。

知っている人主催でもないし、行ってもいいかなと思ったときにはもう枠が埋まってていけない。イベントはそのぐらいの興味でふらっと行けるものではなくなってしまった。

自分が贅沢になったのもあるとは思う。

イベント自体裾野は広がっているんだから人があんまり行ってないような地味なイベントに行けばいいのだろう。

でもぶっちゃけそういうのは大概面白くないし(謎の接客イベントばかりだ)、仮に面白かったらすぐに大きいイベントに変わるから場所にもならないし、複雑な感じだ。

じゃあお前が面白イベント主催すればいいじゃないかと言われそうだけど、そういう話じゃないんだ。

イベント主催は実際に何回かやったけどとても疲れるし、ホスト側とゲスト側ではそもそも根本的に違うものだ。ホスト側がゲストみたいに楽しんでしまうとイベント破綻する。

いいイベントにしようとすればするほどゆるく楽しみたかった目的から外れていってしまう。そんなにVRChatを頑張りたくない。

イベントが増えすぎて面白イベントにしないと人が来てくれないが、面白イベントにするとコストがかかりすぎるというジレンマがある。

上に書いた中期ぐらいまではイベントをやるにしても参加するにしてもそんなにコストがかからなかった。クオリティは高くなかったかもしれないが気軽に集まれた。いまではそんな牧歌的なのは無理だ。

なんにしても存在するために「面白い人」を要求されるようになってつらい気分だ。

頑張って「面白い人」「たくさん人がいる中で関わる価値のある人」になろうとしたけど疲れてしまった。

気軽に人と話せるのが良いところで始めたのに、頑張らないと続けられないならやる意味がない。

からの知り合いもどんどんと辞めていっているし潮時な感じはある。思い入れはあるが自分の居場所ではなくなったのだろうという気持ちでいる。

まあTwitterにしてもVRChatにしてもなんにしてもインターネットコンテンツというのはそういうものだ。また新しい場所を探してみようかなと思う。

2025-10-11

WBSTverで纏めて見ているのだが、やっぱり田中瞳アナは良い

可愛いし声が良い(ビジュアルイメージとはちょっと違う、落ち着いたエレガントな声だ。低過ぎもせず高過ぎもせず報道向きな聞き取りやすい声)

モヤさま出身WBSインキスターはやっぱり思い入れもあるし

(というかテレ東女子アナの使い方が変わっている面白い局だよな)

田中アナWBSメインに抜擢されたときは驚いたけど。若すぎやしねえかって

でもしっくりきてる

長く続けてくれると有り難い

2025-10-08

ゴジュージャーが、あんまり面白くない

いや少しだけ面白いんだけど全体的にそこまで評価ができない

理由はいっぱいあるんだが、一番は何したいのか分からない点だな

まあ戦隊意味不明な回が多いがゴジュージャーは全部そう


特に今回はロボットメインなはずなのに、別にロボットがそこまで活躍しないのは意味からない

例えば直近の回はテガジューンを無理やり出すだけという販促以外の要素が皆無なロボット回だった

厄災という明確な敵がいながらその敵の力量がロボット戦闘ではあまり描かれないのもな

なにせテガジューンの戦闘事実上これが2回目なのだが、テガジューンがどこまで強いか全然印象になく、敵としてもライバルとしても力不足しかない

そんなテガジューンの戦闘もいいところがなく、本当になぜ出てきたのかわからん

というかそもそもロボット戦が全然まらない

戦隊ロボット基本的に合体と必殺技構成されているし、男の子はそこを常に見ている

キングオージャーみたいに人間ストーリー重視ならロボットの出番が少なくとも全然良いのだよ

というかキングはきちんとロボット活躍をさせてるし

けどゴジュージャーロボットが脇役の位置なんだよね

見せ場があっても敵が撤退したり負けたりで戦闘微妙だし、敵のロボットバカ強いとかでもない

合体も特にしないしみんなで協力したら強い形態になったとかでもない

基本的にテガソードに一つか二つを装備するしかなく、あとは手足を別の戦隊から借りるくらい

戦隊をまとめる存在としてのテガソードカリスマ性が本当に皆無

ブンブン比較しても、ブンブン人格的に楽しいのにテガソードは何考えてるのか分からんので戦隊メンバーとしても面白くない


ロボット戦を中心とした異質さはあるがそこに理由があれば納得感は違う

けど実際は違うだけで思想が読めない

子供にとっては「なんで全部合体しないの?みんなで合体すれば強いじゃん」としか思わないよ

子供でもあれはこうだって思わせないとさ

ロボットに乗るときスーツを変える理由も基本一人でしか操縦しない理由も敵が大きくならず他の雑魚が操縦するロボット戦闘する理由もない

全部単に変化球をしているだけ

ストライクを狙わずゴールに入らないボールしか投げてない

ロボットやりたくないんじゃないかなってことだ

周年作品としてこんなものでいいの?



あ、そうそう、一つ褒められることはある

玩具としてはよくできてる

けどそれだけで、それを魅せるストーリーが皆無なのでごっこ遊び全然できない

子供と遊ぶのすら、思い入れがなさ過ぎでつまらないんどだよね

2025-10-07

anond:20251006210432

ハイパーハードボイルドグルメリポートはモヤる番組だったな。

ガチヤバい情況にある人のところに行って「あんたの悲惨なメシを日本お茶の間見世物にさせて下さい」と。

OKしてくれるの、現地でも周りのいいようにされてるような、うさんくさい取材を断る知恵もないような人ばかりなんだよな。

自分の苦境を世界に伝えてくれるのなら」なんてバーターではなく。ただ言われるがままに撮られてる。

あれ観て直球でコレダ〜!とか思っちゃう奴は根本的にセンスがない。


もの食う人びと」も金満左翼オッサン思い入れの垂れ流しで本当に醜悪だった。

日本向けの猫缶作ってるタイ女工らに「これ日本じゃ猫の餌なんですよ。どう思いますか」「いや別に仕事から」「そうでしょうそうでしょう、そうやって何も感じないように心を殺してるんですネェー」みたいな

2025-10-03

ビアンカは魔獣使いキャラであるべき

みんなビアンカにもプックルにも思い入れがあるのに性能なんかの都合で優先度低くなってしま

ビアンカフローラ下位互換だしボロンゴは大人以降完全に戦力外

ビアンカが行動すると自動でゲレゲレが攻撃してくれるようなコンビキャラになればいいのに。

あるいはピエールになってもいい

キラパンライダーになってベホマイオナズン使えたらいい

anond:20251003104638

読書好きだけど本という物体のものにそこまでの思い入れはないな。

物を大事にして欲しいって話ならわかるけど、熱が強すぎてちょっと…。

2025-09-30

スクストの思い出

スクールガールストライカーズ2がサービス終了しました。

初期の頃、熱くなって課金してしまってから1年離れてそれからずっと無課金だったのであんまり偉そうなことは言えないけど、毎日顔を合わせてた彼女たちが急に作り物になってしまったみたいでとてもさみしい。

無課金なのでそれほど思い入れが強いエピソードはないんだけど、強いて言えばiPhone電池の消耗が早くてサポート相談したときのことかな。

バックグラウンドおかし挙動をしているアプリを疑って、サポートなら自分の端末には表示されてない裏側も調べてもらえるだろうと思って端末の利用状況データサポートに送った時の話。

から察するにうら若き乙女対応してもらってたんだけど、「そうですねぇ。スクールガールストライカーズというアプリ使用時間が長いようですね」って言われて恥ずかしくてすぐに電話切ったよね。

それと、iPhoneってケースを取り替えたときにうっかりマナースイッチオフになったりするんだけど、朝のしんとしたオフィスで「スクールガールストライカーズ!ツー!」って声を何度も響かせちゃったよね。

もうあからにもターニャにもあおいにも幸子にもさとかに隊長って呼んでもらえないんだな。

最後にはそれぞれから続編を思わせるような手紙をもらったけど今まで俺のiPhoneの中にいた彼女たちはもう戻ってこないって思うと本当にさみしい。

わっちゃうの認めたくなくて最後の朝もレアダイヤメロンパンに交換してたよ。

これがサービス終了を早めた原因かもしれないよな。ごめんね。今までありがとう

2025-09-29

anond:20250929203032

そんなもんか。

売買もすごく低調らしいから、熱意のある投資家が握り続けてんのかな、だったら事業思い入れとかあるのかな、と思ってたが。

どうなるんだろうなぁ

anond:20250929161145

まぁコントローラー自体が大きく変化してないから、体験できる内容としてはPS2と大きく変わらんよね。

内容の進化は凄いけど。

ただ、グラやサウンドが容量や技術的に良くなったとしても容量に依らない「シナリオ」とかは(思い入れ補正もあるかもしれんが)昔のゲームでも

全然いいというか、そっちの方が入れ込めたりすることが多い。

特に今まで想像していたシーンがムービーとして補完されてしまって、自分はこういう解釈だったなぁというのがあったりも。

2025-09-28

お世話になった人の葬儀に出席した

からお世話になっていた人が93歳で亡くなった。小学校の時に、故人が教師としていじめ解決してくれたのがきっかけで縁が出来(自分はいじめられ側)、かつその人が地元神社宮司をやっていたこともあり、宗教的な側面からも、小学校を出てから30年以上経過したにも関わらず、ずっとお世話になっていた(特に母親が)。年末年始など、ことあるごとにその人の家に行っては、宗教的行事に参加したり、悩みを聞いてもらったり、一緒に集まるいろんな仲間といろんな話をしたりしていた(主に母)。自分は母の後ろについて行っては、後ろで黙って見ていた記憶がある。ここ最近病気療養中で、よく通ったあの家もすでに取り壊していることは母から聞いてはいたが、母から電話逝去の知らせを聞いた時も「まあ、だって人は死ぬよね」とどこかで他人事ではあった。なので、私がというよりはむしろ母の方が悲しんでいたのではないかと思う。その後直接母とまだ話せていないのでわからないが。

葬儀に出席

母の住むわたし実家から、故人が葬儀を行う街までは距離があるため、自分代理で出席することとなった。ただ、イヤイヤ出席というよりは「これは出なければいけない」という気持ちの方が強かった。自らもお世話になっていたし、何より代理でも出席しなければ、母親気持ちの整理がつかないからだと思ったかである。それに、与えてもらうだけもらって、最後にお見送りしないのはいかがなものか。そういう気持ち葬儀はおよそ5年ぶりである。5年前は同じLINEグループにも入っていた職場の元上司。突然死だったと聞いた。朝出勤しないからと自宅訪問してみたら亡くなっていたと。仲間内では「あのブラック企業にいたから激務で亡くなったのでは」とささやかれていた。

ただ、当時は元上司と親密だった訳でもなく、あくまで「職場上司/部下」という人間関係の中でも最も遠縁に近い部類の立場で出席したので、死に顔を見てもそんなに悲しくはなかったし、「そっかぁ、死んだのか」くらいにしか思えなかった。帰りはつらっとした気分で電車に乗った事を覚えている。

ただ今回は違った。会場に入り壇上のディスプレイに、故人が元気な頃の写真スライドショー形式で映し出されているのを見ていると「ああ、あの顔懐かしいな、でも亡くなったんだな。もうこの世にいないんだな」とじわじわ実感してきてしまう。前回とは大違いである。

参列者は身内30人くらい、一般参列者5人くらい。そのうちの一人が私。幸い喪主含めた身内の方数名に顔を知っていてもらえたため、あまり肩身の狭い思いをせずに済んだ。とても気を使ってもらえてうれしかった。まぁわたしは私とて故人とは小学生のころからお世話になってはいるので、生半可な気持ちでは出席していない。たぶん、身内だからという理由で仕方なく両親に連れてこられた男の子達より、自分の方がよっぽど故人に対して思い入れがあるぞと思ったりしたが、そんな話はどうでもよい。TPOは守ったつもりだ。ただ、故人と昔からのお知り合いだとしても、結局はソトの人間であることには変わりないので、出棺時の花入れも一番遠くから見たし、とりあえず外様外様位置をには移動した。我ながら本当にがんばった。わたしなんか、身内の方々から見たらどうでもいい存在だろうしな。ただそれでも花入れの時は精一杯ありがとう気持ちは伝えたつもりではある。

親族にお願いして故人のお顔を拝見したが、元気な頃とは全くの別人になっていた。人ってあんなに変わるものなのかとびっくりした。アントニオ猪木が亡くなる直前ぐらいに顔がやつれており、「これが故人です」と言われなければ、まず気づかない。5年前に参列した職場の元上司の時は、突然死ということもあり、やつれなど一切なくただただ血の気が引いて白い顔をした元上司がそこにいただけだった。そのため、死についてあまりリアリティを感じられなかったこともある。ただ今回はあからさまにやつれた姿、ビフォーアフターを見せられたことで「ああ、衰弱すると亡くなる前には最後はこうなっていくのか」と強烈に印象付けられてしまった。火葬場へは当然行かなかった。だって私は部外者ですもの。だいたい親族けが乗るバスの中で、話す話題もない。

そうして、出棺を見送って葬儀は終わった。

葬儀の後から

街を歩いていても、他人目線が一切気にならなくなった。これはなぜなんだろう。よくわからない。今まで自分は、自意識過剰ってくらいに他人をきにしていたんだが、今は一切気にならない。不思議自分は故人にとてもとてもお世話になってきたから、だから命を粗末にしたくないっていう気持ちがとても強く働いているのは大きい。まぁ、今だけかもしれないが。ただ、あの葬儀で強烈に人とのつながりを意識させられたのは大きい。特に親族に「おお、○○くんか! 覚えてるぞ! 小学校の頃神社によく来てたよな? 元気か!!??」 って何度も言ってもらえたのは嬉しくて、それ以降、自分だけの人生じゃなくなった気がした。自分はいま独り身で、両親や兄弟はいるが、自分には彼女もおらず、結婚相手もいない、いわゆる独身非モテ中年である自分ことなんて誰も考えていない。自分になんて誰も興味を持たず、このままひっそりと生を終えるんだ。そう最近まで思っていた。セルフネグレクト的なこともよくやってしまう。 ただ、うまく説明できないが、葬儀に出席してから、故人との関係や、親族との関係意識するようになった。いわゆる「よくわからんが、見守ってもらっている」感覚である。というか、お世話になったのだから、命を粗末にすることはできない。そんな思いである。 人とのつながりって大事なのかもしれないなと思った。外見的に何かが変わった訳でもないし、お金が増えたわけでもないし、出世したわけでもないのだが、こういう心の変化はあった。

おわりに

明日からまた仕事なので、記憶が薄れぬうちに書きました。いずれアーカイブとして見直すために書いておきます。こういう時の増田は便利ダネ。うちはまだ両親と姉が生きている。この先身内を見送る心の準備みたいなものも実感を伴って出来た気がするよかった。グリーフケアの本も何冊か読み始めた。

今までお疲れ様でした、どうぞやすかにおやすみください。そのうち両親が、亡くなったらまた構ってあげてください。

わたしもねます

2025-09-22

映画孤独のグルメ

とりあえず最初評価だけ言うなら映画としては2.2点

孤独のグルメとしては3.4点くらいの作品だった。

 

俺はたぶん非常に一般的孤独のグルメファンだと思う。

過去シーズンは全部見てるし、漫画も一応読んだ。

でも金出して映画館に劇場版見に行くほどじゃねぇよな、という熱量ファンだ。

今回はアマプラに来ていたから見た。

 

一番気に入らなかったことは1話30分のドラマを1時間40分くらい(ED含めて110分)の映画にする場合

当然あるだろうと考えていた「作品としての一本の筋」がない。あるにはあるけどユルユルガバガバ

もちろん話としては元恋人の娘の金持ち爺に「いっちゃん汁(意味深)」という謎の汁物死ぬ前に食べたいと言われ

主人公松重豊がそれ(の材料)を探しに奔走する話が全編通して描かれるんだけど、これがガヴァガーイなの。

故郷である長崎県に行く→そこの郷土料理を聞く→その中でもより古い料理を聞く→ジジイの母が韓国暮らしたことがあったと聞く→これやな!→合ってました。えっ、それでいいんだ。

爺も金を尽くして探したけど見つからなかったって言ってたけど、故郷古典郷土料理出汁韓国料理でよく使われる食材アレンジした汁ってそんな見つからんか?ほんまにか?爺、もしかして詐欺師に金むしられてたんちゃうか?

この道中での松重豊奇行もお前そんな奴だっけ?って感じで、

重要食材が島の店にしかない(元々その島にいた気がするんだが……)→その店が18時に閉店して次店が開くのが3日後→その島への今日フェリーがもうない→海辺の貸しボートから無断でボート拝借し海に漕ぎ出す→嵐にあって転覆遭難した島で貝とキノコの汁を作って食う→毒キノコで泡ふいて倒れる→島の住民に助けられる→そこは韓国でした。

狂人じゃん。しかもこの貝とキノコの汁はその後何にも活かされない。せめてこの汁がいっちゃん解決へのヒントになってるとかだったら「これは運命的にもこの経験をした松重豊しか解決できない話だったな」ってなるし、凶行の必然性にもなるけど、それが一切ない。ただ、松重豊がクソイカレてましたってだけにしかなってない。

その後、様々な事情を持った人と触れ合ってそれぞれに食材調理法のヒントを得て最終的にいっちゃん汁が再現できるという話にはなるのだが、この作品が一貫したテーマというものを持っていないため、全てのエピソード散逸的で結果的に「いっちゃん汁を作るため」のものしかなっていない。いっちゃん汁を作るのに松重豊がそこまで思い入れなければならない理由がないため、よりエピソードのつながりが弱くなっている。

表現の仕方が難しいんだが映画であれば「いっちゃん汁を作る」ってことが単に「いっちゃん汁を作る」ことを飛び越えて別のテーマに通じている、様な作りであってほしいという願望があったがそれが満たされなかった。「いっちゃん汁を作ること」に対する真摯さも特にないのでよりそう感じた。

なぜこの話を映画にしなければならなかったのかがよくわからない。そこが一番気に入らない。

 

そもそも孤独のグルメにそんなもん求めてないって意見はよくわかるし、

松重豊がいろんな場所うまいもん食うってアイデンティティは保たれてるしそのシーンは実際にいい。

これが3話分割されたドラマであれば「ふーん」って感じにいつも通り楽しめたかもしれない。

丁度「長崎編」「韓国編」「東京編」に分かれてるし。

でもさ、せっかく映画で見るんならたぶんコレじゃないんだよ。

 

ただテンポはめちゃくちゃよかったので110分間サクサク見られたのはよかった。

なんかテーマ性が欲しかったとは言ったが、とってつけたようなお説教がなかったのもよかった。

韓国編ではDV被害東京編ではコロナインフレといった社会問題さりげなく提示されていたが、

それに対して松重豊特に何もしないし何も言わない。

そういう部分は非常に孤独のグルメ的だと思ったし、誠意的な態度だと感じた。

 

結果的に「俺はなぜ映画を見るのか」、1時間半とか2時間とか3時間とかかけて。

ということを考えさせられる映画体験だった。まぁテレビ局主導のドラマ映画としてはこんなもんなのかな。

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