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2025-11-06

さくらしめじ Sakurashimeji

Sakurashimejiというギターデュオがいる。

長年ずっと好きで、いわゆる『推し』というものになってからもう結構経つ。

好きになった芸能人の中で一番長い。それくらい好きだ。

2人は名前を、田中雅功、髙田彪我と言って、スターダストプロモーション所属している。大手大手、超大手だ。

スタダのEBiDANという集団、Sakurashimeji以外のみんなが歌って踊るグループで、2人だけがギターを持って、2人きりで、もう11活動している。朝ドラ月9で、知っている人は知っている、という感じな気がする。

しかし2人はエゴサが激しいから、読まれものと思って、ちゃんと書こうと思う。

先の10月22日、2人はアルバムリリースした。タイトルは、『唄うこと、謳うこと』。

12年目にして初めて、1曲目から12曲目まで全部、2人が全曲、2人で作った曲だけが入ったアルバムだ。

10周年で名前を『さくらしめじから『Sakurashimeji』に、肩書きを『フォークデュオからギターデュオ』に変え、明けて11周年にして、ようやくここからスタート

最近の2人の様子を眺めていると、なんとなくそういう感じがする。

スターダストには、というか、アイドル事業には往々にしてリリースイベントというもの存在している。

フリーライブと称してスーパー商業施設で歌い、歌い終わったら、握手だとかツーショだとかポストカードお渡し会だとか、そういう特典会をやる。

このリリースイベントツアー期間に入ると、スパン時間もなかなかのものから、それを成し遂げるアイドル側も、追いかけるファン側もなかなかの重労働である

そしてSakurashimejiも、EBiDAN所属アイドルの例に漏れずその特典会もやっていて、先日、全ての日程が終了した。

2人が小さい頃、初めてフリーライブをした埼玉県大宮市、アルシェ前。余談だがこの日は特典会が存在せず、ファンはみんな、ただ歌を聴くためだけに集まった。

2人の歌を聴くために訪れた人たちは上までたくさん居て、当時からアルシェにいる人にも祝ってもらえて、2人も幸せそうで、本当にうれしかった。

こういったアイドル事業には『リスニングキャンペーン』というもの存在している。再生回数○○回達成で報酬が○○。といったように、それは大抵の場合LINEミュージックで開催されている。

最近、そのLINEミュージックでよくアルバムの曲がランキングに入っているのを見て、うれしい!と思う。

そして同時に、数年前にリリースされた『Iroto-Ridori』という曲のころ、週替わりに実施されていたリスキャン全然達成できなくて、悔しがらせたり、達成記念に撮ってくれてた動画複数お蔵入りにさせてしまたことをよく思い出す。

近頃のLINEミュージックランキングは、以前よりも顔ぶれが『常連』という感がある。

端的に言うと、本当に売れている曲しかのっていない。

から単純にウィークリーランキングに入るのもすごく難しそうだと素人ながら感じるのだが、Sakurashimejiの先日の新曲、『ガラクタ』も、今回の新曲たちも複数ランキングに入っていてすごかった。

から思う。あのとき、なんでできなかったんだろう、2人のなかに、あの失敗体験がなければ、と。最近よく思う。

あのリスキャンがなかったら、あのライブもっと埋められていれば、せめてコロナ禍がなかったら。

いわゆるオタクは演者が思っているよりも演者のことを心配などしているため、本当にそう思っているのだ。

きっと2人は、こういう行き過ぎた想像のこと「変なこと言ってんなあ」とか「ステキ考察を、ね……」とか言って笑うと思うが、まあ心配性なのがオタクという生き物なので、許してほしい。ごめんね、気持ち悪くて。

どうしてこのことを最近頻繁に思い出すかというと、アルバム発売に際して公開される著名人からコメントにちらほら『2人の中学生から大人になるまでの葛藤煩悶』が見て取れたからだ。

ああ、やっぱり、あるんだ。と思った。

泣いて眠れない夜も、全部諦めたくなった日も、私たちの見えない場所で、2人はたくさん、悩んできたんだ、と改めて思った。

時々話してくれてはいものの、創作物からはあまりそういうものを感じなかった。

多分これまでの楽曲では、常に前を向いて進む姿を見せてくれていたのだと思う。

歯を食いしばって、傷も涙もそのままに、前を向いて歩く。ファンのために。

10周年まではそういう姿勢を見せてくれていた。

それが少しずつ変わってきたのが今年だ。

去年までは明かさなかった、今までの話、昔の話、そういうものを聞かせてくれるようになったし、何よりもリリースする曲も変わってきた。

つらかった過去も悩みもいまだに自分の中に存在していて、今はまだ『在る』ままだけれど、どうにかこうにか生きている。そういう姿も見せてくれるようになった。

とはいえ、2人はそういう歌ひとつとっても、ファンのために書いている。

2人が2人の歌を作って、ファンはそれを聴いて、自分の歌だと感じて、救われたり、頑張ろうと思ったりする。

それが2人の創作活動で、多分きっと、生きる糧のようなものでもあるのだろう。

もっとも、普段はこういうことは考えるのみに留めている。2人はきっと感傷的になられるのも苦手だろうから

2人は、そういう感傷も心情も全て歌にして、ファンに寄り添うことを第一に考えてくれているから。

から一応、普段我慢している。まあでも匿名なのであと少しだけ。

2人は高校生ときLINEライブ同接25万人だとかも達成していた。芸能活動なんて数が全てではないが、そこからは今、かなり減っている。

どんな気持ちだったんだろうと思う。

離れていくファン、離れていくスタッフ。身をもって感じる高校生ブランドみたいなもの

実際インタビューやなんかで2人はたびたび『別れ』にも『出会い』にも触れているし、そういったことは、たくさん感じたんだろうなと思う。

別に、好きな対象がバズらない・売れないことに対して、ファン義務があるとも負い目があるとは決して思わない。

しかし、雅功さんはもう一人きりでストリートライブやろうとか思わないで過ごせるのかな、だとか、彪我さんはもっと自信を持って、誰かに褒めてもらわなくても自分を好きでいられるのかな、だとか、最近はよく、そういうことを考えている。

そういえば、今回のアルバムには高校3年生のときスターダスト退職された、2人を組ませたプロデューサーが参加していた。

はいファン、かつインタビューで明かしてくれている箇所を知っているのみだが、それでも彼らが泣きながらそのプロデューサーと離れたことや、「絶対にもう一度一緒に仕事をしたい」と言っていたことも覚えていたため、アルバムブックレットクレジットを見て、かなり泣いた。

2人が、ようやく出せた2人だけのアルバムで、かつての恩人をまた呼び戻す。その姿勢有言実行も、本当に格好いいと思った。

プロデューサーが携わった曲のタイトルは『スパイス』と『normal』だ。

前者の『スパイス』について、私はものすごく、『はじまるきせつ』を感じるなあと思っている。

この歌は上述のプロデューサーが在籍していた頃の歌で、曲調その他諸々、さくらしめじといえばこういう曲、といった感じのものだ。

からスパイス聴くたび実は、「ディレクターってどこまで携わるものなのか知らないけど、この人とっては2人ってずっと妖精だったあの子ものままなんだ」と思って、部外者ながら勝手にじんわりとしている。

スパイス作曲編曲は髙田彪我さんだ。

私は個人的に、彼の作る歌は幼少期の、『さくらしめじ』の影響というか、感性がそのまま残っていると思っているため、今回のスパイスも、ずっとそう思っている。

初めて聴いたときは2人からかつてのプロデューサーへの歌だと感じたけれど、聴けば聴くほど、2人が歌で対話しているような、はたまた、彼が経験してきた全く別の出来事が元であるような、不思議な感じがする。

素敵な歌。大好きだ。

後者の『normal』は、田中雅功さん作詞作曲のものだ。本人が「今までで作るのが一番きつかった」と語るこの歌は、彼曰く「心の柔らかいところ」で、聴いていても、それを痛切に感じる。

先にも少し触れたが、私は去年、雅功さんが「数年前彪我を連れずに一人でストリートライブをやったことがある」と話していたのを聞いて、すごく驚いたし、居ても立っても居られない心地になった。

夜、何かをぐるぐると考えていたら歌いに行かずにいられなくなったのかもしれないし、武者修行的なものだったのかもしれないし、単純にいっとき気分転換だったのかもしれないが、本当に、少し怖かった。

いつか、ファンの前から居なくなってしまう、そういうことも、考えたことがあるんじゃないかと思って。

normalは、そういうちょっとした不安への答えのような歌だった。

しかに悩むこともある、人生なんてくだらないが、それでも、僕はそういう悩みも歌にして、皆さんの前から消えることはないですと、そう言ってくれているような気がした。だから、少し安心した。変な話だが。

これも大好き。2人の歌で嫌いなものなんて一つもないけれど。

彪我さんは今年、50周年までやりたいとよく言っていて、雅功さんもそれに、うれしそうに頷いている。

私はそれがすごくうれしくて、一生一緒にいてクレメンスと思っている。

私の望みは、2人が2人のことを、自分自身のことを、たくさん愛して、たくさん認めて、幸せでいてくれることだ。

2025-10-02

男への復讐としてのレズビアン

幼少期、いわゆるオタクとして育った私には、男たちの集団が常に攻撃的に映っていた。加害を厭わない彼らは、アニメ漫画に登場するような美しさとは無縁で、醜いばかりだった。

思春期になり、彼らから好意などそもそも欲しくないというルサンチマンが私の内に芽生えるのは、今思えば当然の中二病だった。異性愛を欲しないという姿勢は、どうしようもなく男に夢見てしまう私にとって、困難であるが故に格好良く感じられた。どうにかして男から好意を拒絶してやりたかった。(実際に好意を向けられることはほとんどなかったが。)

そんな私にとって、性的少数者というアイデンティティは、格好の盾ないし矛のように感じられた。しか無料だ。オタ活で金のない女学生が飛びつかない理由がなかった。

しかし、無性愛者(アセクシャルであることは私には難しすぎた。性愛的に寄る方を必要としないという気高さには、弱い私(性欲は強い)がどれだけ嘘を踏み固めたところで、手が届くとは思えなかった。

から私は「レズビアン」になることを選んだ。そして、必要以上にその自認を痛いほどに主張した。言葉でもツイートでも。それはまるで自分自身に鞭打つようだった。「お前はレズビアンだ」と強迫しなければ、私は同性愛者ではいられなかった。

「私、レズビアンなので。」

宣言した時に見せる男たちの曇った表情で、傷ついた私の精神が潤っていくさまを、心の裏側で確かに感じた。それは小さな復讐成功体験だった。その時の私は、ひどく勝ち誇った顔をしていたのだろう。

20代レズビアンとして恋愛を頑張ってみた。大して持ち合わせのない時間金もつぎ込んだ。しかし結局、誰のことも心から好きになれなかった。パートナーができることは何度もあったが、その彼女金銭心理的安心寄与しない分かると、人でなしの心がスッと冷めていくのがわかった。

彼女との破局正当化するために、いくつもの嘘を重ねた。その行為は、嫌いだった現実の男たちの醜い言い訳と重なった。

あれだけ認めたくなかった「レズビアンカップル破局率が高い」という統計に、私もいくらか貢献してしまっていた。

現在、30歳に差し掛かる私には何もない。残ったのは、「男嫌いの男体好き」という、抱えていくのには苦しすぎる醜い実態だけ。

今度はやっぱり、アセクシャルとして生きることを真剣に頑張ってみようと思う。

アセクシャルとして、誰も傷つけることなく生きることこそ、私のできる誠実さなのかもしれない。

2025-09-16

anond:20250916110927

問題の根幹はオタク作品自分を同一視している点。

作品のあり方の話をしているのであって誰一人オタクの話はしていないが、ファビョって頓珍漢な話をしているオタクたちは自己表現したりアイデンティとするものが2次元コンテンツ依存しすぎている且つ自己肯定感は低いが自尊心は異様に高い。

そのため、1つの次元コンテンツ特定表現を「ノイズ」というネガティブに取られやす単語表現した記事文脈を欠片も理解することなく、自身に向けられた悪意だと受け止めている。

文脈関係なく、この場合いわゆるオタクの敵且つ屈服させることで爽快感をえられる格好のエサであるフェミ女性当事者の自認は問わずオタクたちの高くて脆い自尊心を傷つけた女と判断された時点でフェミである)が、特定の2次元コンテンツ表現に難癖をつけたと曲解可能記事であるので燃やしてよいのである

そう読み取れてしま文章であった、誤解が生じた、ではなく、「ノイズ」というネガティブに取られ得る表現発言者が女である、人気コンテンツであること。

材料があるのであとは本来文脈関係ない。材料使用して勝手に「またフェミが僕達オタクに難癖をつけて頭の悪い発言をしている」とスカッジャパンごっこができるようにストーリー作成して貶めて気持ちよくなれれば良いのだ。

人気コンテンツということはそのコンテンツを好きでいるオタクコンテンツ同等の評価をされた存在ということになっている。彼らの中では。どこまでそれを彼らが客観的認識できているかはわからないが。

アイデンティティコンテンツ依存すると、自身努力なしでコンテンツ評価されれば勝手自分評価されたように感じられて気持ちが良いのだ。

(これは僕自身がかつてそうだったので・・・ネトウヨも同じ原理国籍という努力なしですでに手に入れたものだけで価値を高められる。)

少し前に「頭の悪い女さん」とか「ツイフェミ」の中でもとくにオタクが叩きやすい、都合の良いアカウントが実はアンチフェミニストの白饅頭さんのなりすましだったにもかかわらず、アンチフェミたちは『だんまり』であった。

彼らがしたいのは議論ではない。スカッジャパンごっこにより都合の悪い発言をする相手を貶めて気持ち良くなること。

おそらくこの手のアカウント話題自尊心を満たすためのマッチポンプも多く、そこで盛り上がって実在人物にも同じことをしてしまっている。

メンタルヘルスでよく言われることだが、依存先というのは複数持っておくべきだなと感じられる。

2025-07-18

両極端がオタクになる

いわゆるオタク、物語に没頭しやすタイプには、両極の2種類がいるように思えてならない。

共感性が極端に高いタイプと、共感性が極端に低いタイプ

 

共感性が極端に高いタイプは、「作り物の人格『にも』共感やすい」。

一方で、共感性が極端に低いタイプは、「作り物の人格『にだけ』共感やすい」。

 

前者は気が利いて、親しくなると普通より良い人だったりするが、後者はとてつもなく不遜で付き合いにくい。

 

どちらも逆の意味で人付き合いは下手なので、孤独割合が多いのは同じ。

「私は前者だな」と思っただろ、お前?

2025-05-11

推し概念が今まで分からなかった

推し」って何?

今までは、推しというものがよくわからなかった。なぜ皆、あれほど情熱お金時間を注ぎ込めるのか。それが不思議でならなかったのだ。自分は良くも悪もリアリストで、論理的物事を捉えがちなため、感情に突き動かされてそういった行動に出ることが全く理解できなかった。

例えば、ドラゴンボール名探偵コナンのような有名な作品は、もちろん自分も好きだ。語り出せばファミレスドリンクバーで夜を明かせる自信もある。けれども、それはあくまで多くの作品コンテンツの中で相対的に「これが一番好きかな」という程度の感情であり、「推し」という概念には程遠かった。グッズを買ったり、イベントライブに足を運んだりすることは一切考えたこともなく、いわゆるオタクの会話にも、どこか馴染みきれない自分を感じることがあった。何事にも完全に熱中できず、まるで蚊帳の外から自分の好きなコンテンツとそれを熱心に語る人々を眺めているかのように、どんなものに対しても一歩引いて俯瞰してしまっていたのだ。アニメコンテンツですらこの調子なのだからアイドルといった存在には全く興味がなく、「本当に経済を回していてすごいな」と、どこか他人事のように思っていた。

変化のきざし

そんな自分に変化が訪れたのは、5年ほど前のことだ。特に誰かを推し始めたわけでも、何かにハマったわけでもない。ただ暇つぶしアニメを惰性で見ていたら、ふと「22/7 計算中」という番組が目に留まった。どうやらアイドルを知ってもらうための深夜バラエティらしい。最初はそのまま寝ようかと思ったのだが、画面に映っていたのはモーションキャプチャーによるトゥーンレンダリング3DCGキャラクターたち。まるでアニメキャラクターバラエティ番組を繰り広げているかのような光景に、思わずボーッと見入ってしまった。

個性的メンバーが多く、番組自体も意外なほど面白かった。毎週アニメに続く時間帯、あるいはアニメの後の時間帯に放送されていたため、自然と目にする機会も増えていった。ただ、その時点ではやはり「バラエティ番組として面白い・楽しい」という気持ちが先行しており、アイドルとしての彼女たちに深い関心を抱くには至らなかった。グッズを買うこともなければ、曲を熱心に聴くこともない。そもそも演じているリアルメンバーの顔と名前すら一致しない有様で、メンバー卒業すると聞いても「まあ、アイドルならそういうこともあるだろう」程度の感想しか抱かなかった。ファンの皆さん、本当に申し訳ない…)

大きな転機

大きな転機は、「後輩メンバー」の加入だったかもしれない。彼女たちが加わってからシングル「曇り空の向こうは晴れている」を耳にしたとき、素直に「いい曲だな、好きだな」と感じた。新体制になってもバラエティ面白さは変わらず、この曲との出会いきっかけに、実際のアイドルとしての活動にも少しずつ興味が湧き始めた。とはいえ、それは本当に「少し」で、例えば「昔はどんな曲を歌っていたのだろう」とYouTube過去の曲を聴き漁る程度。(ちなみに自分の好きな曲は、「シャンプー匂いがした」と「曇り空の向こうは晴れている」です)メンバー卒業に際しても、「4、5年見てきたけれど、あの面白い掛け合いがもう見られないのか、残念だな」と思うくらいで、心が大きく揺さぶられるようなことはなかった。しかし、無意識のうちに彼女たちに惹かれていたのだろう。いつの間にかSNSフォローし、投稿を見かけるたびに何となくいいね」を押すようになっていた。

推し」を理解した瞬間

そして今回、初期メンバーで、グループの「顔」とも言える存在メンバー卒業を発表した。その報に触れたとき言葉では言い表せない複雑な感情に襲われた。特定の誰かが卒業するから、というよりも、今この瞬間、この状況が変わってしまうことが確定したという事実のものに、まだ心が追いついていない。頭の中を駆け巡ったのは、

* 悲しい

* さみしい

* なんで今まで、もっと真剣応援できなかったのだろう

* 感謝を伝えたい

* これまでの軌跡を全て知りたい

* 仕事なんてしている場合じゃない

* 後悔しないためにはどうすればいい?

* 他のメンバーも辞めてほしくない

* 一度でいいから、生のステージを見ておきたい

…そんな思いだった。

これらの感情が一気に押し寄せ、混ざり合い、今更ながら、ようやく「推し」という概念を、自分自身の体験として理解できた気がする。

時間の流れや変化は誰にも止められない。だからこそ、その変化や現実をどう受け止めるかが大切だと、改めて気づかされた。「後でわかること」という曲の歌詞が、これほどまでに具体的に胸に突き刺さり、自分感情を持つ一人の人間なのだと実感した。

どうやら自分は、純粋プラス感情だけで「推し」を理解するのは難しいタイプらしい。おそらくこれからも、このように心にぽっかりと穴が空いたような喪失感を覚えたときに、初めて「ああ、これが推しだったのか」と気づくのだろう。この感情の正体を最初から理解していれば、こんな風に長々と書き連ねることもなかったのかもしれない。しかし、この経験を通して非常に大切な学びを得た。これからは、しっかりと「推し」ていこうと思う。

2025-04-30

ウマ娘規約が変更になったとガヤガヤしてるのを眺めてたら、自作公式ライセンス以外のコスプレ衣装の利用NGになったのー!?ってなってる方々がいて、へえと思ってちょっと検索してみた。

コスプレイヤーってみんな一から作ったり市販の服を改造してるのかと思ってたのだけど、そうじゃない人の方が多いっぽい。

そういうのを見てたら、カツラ衣装買って身につけてるのだとしたら、それって二次創作」なのかという疑問が出てきてしまった。

普通消費者というか、いわゆるオタ活とか推し活じゃないの、みたいな。

メイクとかが「創作」ってこと?

絵とか漫画とか文章が「創作なのはわかりやすいんだけど、コスプレの「創作」ってなんだ?

もう二次創作という言葉が何らかのファン活動を包括している感じになってるのかな。

よーわからん

2025-04-29

好きなものですらうまく会話に使えない悩み

自分はいゆるオタクなんだけど、好きなアニメ話題になっても単に好きなシーンの言い合いにしかならず会話が尻すぼみになってしまうのが悩みなんだ。

私「Aのシーンめっちゃ好きなんだよねー!」

相手「分かる、これこれこういうところがいいよね!Bのところも良くない?」

私「分かる、これこれこういうところがいいよね!Cのところも好きだわー」

相手「分かるー」

(以下繰り返し)

基本この会話で、いいシーンが出尽くしたら会話が終わってしまう。

ただの好きなシーンの応酬しかなくて、好きなアニメの話でも会話が数分~10分くらいしかもたない…

どうしたら会話が盛り上がるんやろうか

2025-04-08

何つーか、およそフィクション作品において

「実際に起こっている事」

登場人物が言っている事」

登場人物が考えている事」

は、被っている事もあるけれどそれぞれ別で、

ある登場人物の言っている事はあくまでその人物がそう言っているでしかないと思うんだが

同一視して短絡的に正しいと受け取る人が

いわゆるオタクには多過ぎる気がする

2025-04-01

他人の目を極限まで気にしなくなった先がカードゲームなのだろうか

カードゲーマー臭い、というのはまぁネット上でよく言われる話だけど、これ真面目に間違いなくそういう傾向があると思うのね。

イギリス料理が本当に不味いのかは知らないけど、でもカードゲーマーたちはマジで臭い。色々な商業施設カードショップが入ってたりするけど、大会かなんかで大量のカードゲーマーが集まってるときは本当に空気おかしくて気持ち悪い臭いがする。

私自身もオタク気質で色々なオタクたちと関わってきたし、またボドゲが好きだからカードゲーム自体もきっと面白いんだろうなと思う。でも「カードゲーマー」には絶対に近寄りたくないと思うぐらいには彼らは異質。

臭いだけじゃない、服装が明らかに年相応じゃないのだ。どう見ても20代後半や30代以上なのに、着ている服が田舎中学生と同じ。よく分からない英語の書かれたTシャツトレーナーを着てる。

別におしゃれである必要はないけど、せめて普通にユニクロの無地のTシャツジーンズでも履けばそれだけでも良いと思うのに、何故か中学生から全く成長していないとしか思えない服装をしている。

それに髪型も揃いも揃って田舎中学生。そしてみんな童顔で、無表情で口が半開き

差別だとか言われるかもしれないけど、本当に経験上その傾向は間違いなく存在していて、どう考えても良い大人が近寄ろうと思わないような雰囲気なんだよ。

臭いにしても見た目にしても、結局のところ彼らは他人からどう見られるかというのを本気で全く気にせずに生きてきたんだろうなとしか思えない。

だって普通大人自分臭いと思われたら嫌だし、お洒落とは思われないまでも普通に社会に紛れる格好ぐらいはしようと思うはずなんだよ。髪型だって周りを見回して溶け込もうとするはずなんだよ。

そういうのを一切無視した人たちが好むのがカードゲームである、というよく分からない因果関係がそこにあるとしか思えない。他の世界オタクたちとも明らかに異質なんだもん。他の世界にもヤバいはいくらでも紛れ込んでるけど、カードゲーマーほど「均質に異質」な世界を知らない。

なんかこの辺り研究してみたら面白い結果が得られるのかもしれないけど、私は残念ながらそちら方面専門家ではないし、素人として近づきたい世界でもないので断念する。

あとちょっと不思議なのが、そういう集まりに何故か凄く清楚な雰囲気女の子がよく紛れてるんだよな。

落ち着いた雰囲気服装もまともでちょっと華やかな感じの子が。どう見ても周りの男たちとは異質な存在で、遠くから見てもひとり浮き出ているような感じがする。

いわゆるオタサーの姫・・・だとしても、何を好き好んでそういう世界に入ろうと思うのかが分からないので、もしかしたらカードゲームを好む男性女性ではちょっと傾向が異なるみたいなことがあるのかなと思ったりもする。

これもまた謎なので、誰かまとめて研究して欲しいものだ。珍獣の生態と同程度には興味があるので。

2025-03-27

オタク論の「欠如」という問題

いわゆるオタ文化とは直接的には関係しない領域男性文系研究者(ただいちおう副業的にオタク文化について扱った論文も書いてる)として、以下の記事面白く読んだ。

「女オタク論」の盛り上がりと、「男オタク論」の方がむしろピンチかもしれない話 - 深紫の雑記帳

なるほど確かに近年は女オタクに関する研究が進んでいるのに対して男オタクに関する研究が進んでいない、という現状認識については同意するものの、増田個人としてはそれが大きな「問題であるようには思っていない。理由は以下の通り。

(1)オタク文化に関する研究は充実しているのだし、それでよくないか

マンガ研究』や『コンテンツ文化研究』みたいなオタク文化歴史に焦点を合わせた査読はいくつかあるし、国文学関係学術誌を眺めていると現代サブカル作品についての研究が載ってることは普通だし、吉田正高二次元美少女論』(二見書房2004年)や玉井建也『幼なじみ萌え』(藝術学舎、2017年)のような記念碑研究もなされていて、オタク文化歴史に関する体系的記述歴史上類がないくらい充実しているわけだから、男オタク個人として不満はあまりないんだよな。まだまだ未解明の史実とか未発掘の作品とかそういうのはあるだろうけど、こういう流れが続けばいずれ研究されるだろうし。

もちろん、これは増田が文献の読み込みを主としたブッキッシュ手法を専門にしている研究者であり、インタビューとか参与観察とかを駆使した社会学的・人類学的・心理学研究にあまり馴染みがないことから生じているバイアスに過ぎないかもしれない(好みの問題であって善し悪しの問題ではない、念のため)。しかし、まずもって目の前の素晴らしい文化を愛するからオタクなのであって、オタク感情とかオタクコミュニティとかそういった問題にはあまり興味が持てないのだ。歴史の話なら面白いんだけどね。黎明期コミケはどんな感じだったの、とか、そういう。でも現代オタクの生態やら感情やらに関しては、自分当事者として生きているわけで、それを客観的研究に落とし込もうという気にはーー少なくとも増田はーーなれない。だって自分当事者じゃないか研究面白いんじゃないか(これは人それぞれだと思うので、同意できない人もいるだろうけれど)。

(2)女オタクのtoxicさへの揺り戻しは必ず来る(来なければ起こす)

いやー、そりゃ男オタクの界隈もtoxicなところはいっぱいあるけどさー、現在の女オタク論界隈は別種のtoxicさが蔓延してると思うのよね。

だって、いちおう大学出版会標榜するところからジャニーズファンについての研究書が出てるのよ? 定評ある出版社が出してるジェンダー史学についての入門書にも「ジャニーズ戦後日本」ってコラムがあるんだよ? さらに、本文中で挙げられてる『BL進化論』の著者さんって、「トランス役はトランス役者がやるべき」と主張して盛大に叩かれてたよね(anond:20200816115435)。これらがフェミニズム女性学観点からみて誇るべき研究成果っていうことでいいの? 本当に?

いやもちろんナチス研究者ネオナチではないわけだけど、それは彼らが必死に「ナチス絶対悪です!」ってあちらこちらで言ってまわってるから「そりゃそうだ、研究者研究対象は別だもんね」っていう反応になるのであって、「当事者による研究」を標榜してる分野でこんな有様だったら言い逃れできないでしょ。このへんってぜんぜん燃えいね。いや、別に燃えなくてもいいと思うけど、これが燃やそうと思えば燃やせるっていうのはわかってもらえるよね。

女性趣味」だからという理由で、圧倒的マイノリティである男性同性愛者の客体化(BL)や常習的レイプ組織への支援ジャニーズファン)が研究され、フェミニズム視点に基づく女性文化研究で~す! っていうていで流通していたわけじゃないですか。これが倫理的破綻した話なのはやす理解できると思う。男オタク界隈はそういった進歩的視点から目を背けてきたきらいはあるけど、それは同時にダブルスタンダードから自己防衛にもなっていたわけで。しょうじき、元記事で言われてる「女オタク学術自己客観視」は「全然できてねえじゃん!」って思いますよ。だってどう見ても問題直視できてないもの直視してたらそもそもBL研究なんて大真面目にできるわけないし(当事者重視とか性的客体化はダメかいった進歩的理論から「女がBLを書くのはけしからん」という結論が導かれるのは自明の理なので、進歩的理論に基づくBL研究はぜんぶ崩壊するか、研究対象を口を極めて罵るナチス研究スタイルに移行するかのどちらかの末路しかありえない)。もちろん直視しないのは自由だけども、さも自分たちは問題直視してます面をするなら、まあ揺り戻しは来ますよね。

(ちなみに『BL進化論』の著者さんはオープンリーゲイ小説家意味不明な絡み方をして論破されてるんだよね→https://kakuyomu.jp/users/Mark_UN/news/1177354054917237182BLいか真摯当事者と向き合ってきたのかがよくわかる話です)

そういうわけで、男オタク論の欠如は別に問題とは思わないし、女オタク論も足下すくおうと思えば結構すくえるよね、という話でした。まあn=1の話なのでそんな真に受けないでもらえれば。

2025-03-13

anond:20250313212415

いわゆるオタク向けのエロ漫画じゃなく、劇画調のエロ漫画にならあるやろ

前者に比べて後者が際立って少ないというなら、需要供給問題しか

2025-02-25

anond:20250225055306

地上波放映というのは広告で稼ぐ仕組みがあって、広告を見てもらうためのエサとして番組が作られている。

深夜アニメの隆盛があったのはアニメがエサとしてではなくそ自体が充分に価値の高い売り物に出来るという気づきがあったからだ。

きっかけになったのは新世紀エヴァンゲリオン再放送 (1997年) だと考えられている。

ここから劇的なパラダイムシフトが起こった。

広告は広い範囲に見てもらうことが重要だが、作品を買ってもらうなら作品を買いたくなるような内容にしなければならないわけで、ターゲットを狭くしてでも訴求力の強い作品作りが求められるようになった。

当時の深夜アニメはいゆるオタク向けだったのはある程度は事実だ。

ところが要求というのはどんどん上がり続けるもので、訴求力が強く、かつ、ターゲットの広い (またはそのバランス妥当な) 作品が求められるのが現代

深夜枠だろうが夕方枠だろうが高品質で、過激で、それでいてその過激さが広く受け入れられ、子供にもわかりやすいがオタクにも納得のいく作りこみの作品ばかりだよ。

もう質の低いアニメはそんなにない。 あとは好みかどうかだけ。

2025-02-02

anond:20250202155101

原神ってそもそも日本推しオタク忖度するようなキャラゲーじゃないんだよね。ぱっと見それっぽいビジュアルだし、個々のキャラ動画とか演出で肉付けエグいかキャラゲーだと誤解してる人も多いんだけど。

女性向けアイドルゲーみたいに、厄介な単推し人間に過剰に忖度してあげるような設定上の配慮とか、キャラクターの出番の均等さとか、そんなのは二の次で、あくま物語全体としての質や開示の展開を一番大事にして、本物の運営ゲームとして作ってる。推し重課金勢をカモるためにキャラ作ってキャラ愛を人質にした売り方をするためにゲームもどきのチープなご都合本編をあつらえるアプリゲーが常識と化してる日本キャラコンテンツ作りとは発想が違うから

からストーリーを読み飛ばし特定キャラを溺愛することだけに没入するような人には向いてなくて、作品全体やキャラクターたち全員を愛して、いろんなキャラを取って育成して組み合わせて楽しい!ってできるゲーマー的発想ができるオタクに向いてるゲームなんだよ。

当然、ちゃんと全体を通して追っていけば、普通に全員が好きになるよう作ってあるし、キャラ揃えてくだけなら大してお金もかからない、キャラコンプに向いた引き継ぎ式ガチャ仕様になってる。

例のイベントシナリオだって妙な視点で見さえしなければ藍硯を嫌いになることはないし、今年のも期待通り、いや期待を越える良いシナリオだった。

この人は夢女子なる特徴をもつ若いオタク群を嫌悪する感情が強すぎて、それを彷彿とさせる特徴をもつキャラ嫌悪してるようだが、無課金なことから察するに、そういう人らはどっちも同じくらい子供なんじゃないか10の子供が同族嫌悪しあってるようにしか見えない。

このゲームが想定するのはもっと精神年齢実年齢も高めで、けっこうあらゆるオタカルチャーに触れてきた30代40代が作り、それに近いオタク遍歴をもつプレイヤーたちが、「ああコレはアレっぽい、アレにコレさせる采配はオタク理解しすぎ」とかいって楽しむように作られてると感じる。

要するに、夢女子が作ったっぽいという認識は悪意的で妥当評価じゃないかもしれないが、仮に本当にそういうカルチャーを汲んで意図的にその属性付与されたキャラだったとしても、それをそういうネタとして楽しみ消化できる度量のあるプレイヤーであることが望まれてると思うんだよな。

例えるなら、地雷女子をただ嫌うんじゃなく、それをネタとしてNEEDY GIRL OVERDOSEみたいなゲーム作って「あーあるよねーこういう感じ」って楽しむような、そういう気質必要だと思うんだよ。

しらんけど。

なんにせよ、最近オタク他人をキョロキョロ見て他人唾棄することで自分ageようとするキョロ充ムーブをしすぎ。

他人との比較ではなく、自分がひたすらコンテンツに深く向き合ってオタク教養を蓄積していくことに没頭するほうが、自己肯定感も上がると思うんだが。

2025-01-28

なぜ「おじさん」を「おばさん」ほど悪く思わない女性いるか

「おじさん」を「おばさん」ほど悪く思わない男性の中にははてなとかでも見掛けるけど面倒臭い屈折抱えまくった人もいるので話題にしないとして…

あとミサンドリータイプ女性も面倒くさいか話題にしないとして…

ある女性の話を聞いてて「おばさん」で感じる悪い印象を「おじさん」で感じないある種の女性達の考えを大体知った

彼女はいゆるオタ女性達で女性向けのコンテンツを良く嗜んでいる

女性向けの創作物では30代の見た目(都合)いい感じの男性キャラも珍しくない

そこら辺の年齢をジャンルとして呼ぶ場合は「おじさん」って言葉が実に丁度いいのも分かった

またそういう男性キャラ自分の事を「おじさん」と呼ぶのも興奮を呼ぶものでもあるようだ

ナイスミドルなんて言い方も大げさだし、「おじさん」が魅力をアピールするような感じの無い言葉な分逆に興奮を誘うようだ

こうしてみると「おばさん」は言うほどそういう性的(と敢えて言ってしまうが)な言葉として使われてないよな…

というか「人妻」や「熟女」辺りの言葉男性向けコンテンツ歴史で使われまくってて

「お姉さん」でも「「人妻」でも「熟女」でもない女性ジャンルになりにくい気はする

しかし30代はまだ熟女とは言い難いし「美魔女」なんて言葉流行りそうにないし

「おばさん」ももう少し男性向けコンテンツで使い勝手のいい言葉として流行ってもいいとは思う

「おじさん」程度にはね

2024-12-14

anond:20241213164320

シラフだと観れたもんじゃないけど実況しながらだといけると言って、クソアニメやクソドラマの実況に興じる人たちが一定数いることは知ってる

いわゆるオタク界隈にはこういう不毛趣味があれこれあるので、そういうのに嵌っている可能性のある人を弾くというのは差別的だが合理的ではある

2024-11-05

[]ギャルエロに求められていることの検討考察

ハロウィンギャルイラストにつけるセリフとして、いわゆるオタクにやさしいタイプか、辛辣タイプか決めかねたからアンケートを取ってみた

後者の方が圧倒的に多かった。票数は少なかったが・・・

ギャル一言でいってもキャラデザシチュエーションによっていろいろ変わってくると思うけど、

いわゆるトーヨコでウリをやってるような子やハロウィン渋谷コスプレするような子については後者イメージがあって、

それをそのままフィクションでも感じたいんだなと思った

別にやさしくされたいわけではない、いちゃらぶしたいわけではない。

性欲を満たしたいだけ。

キャハハと笑いながらさげすまれることで興奮することもある。

殊勝さや純情さというギャップ萌えもあるのかもしれないけど、オタク想像しうるギャル共通認識に近いほうが共感を得やすいんだろう

ただgdgdいっといてなんだけど一番大事なのは自分リビドー

お金にならないブクマいいねのために大衆迎合するものをつくっていたら、自分の魂が死んでしま

お金をもらわないなら好きなように作ればいいんだよ

2024-07-19

オタク界のシロアリとは

仮面ライダーオタク

何故仮面ライダーオタク無関係コンテンツDiscord掲示板ライダーの話をするのか

フォームチェンジ」「スタイルチェンジ」「ドライバー」このあたりの単語が出ると一切仮面ライダー関係ないのに突然ライダーの話をしようとする

そうするとどうなるか

隠れていたほかのライダーオタクが『ここはライダーの話をしていいのか』と勘違いしてさらライダー話題を出す奴が増える

そしてよくわからない言い回し字幕付きのスクショ無断転載を駆使したAIもびっくりのワンパターンテンプレ会話でレスが埋まりコミュニティ機能に支障をきたす

ゲームアニメトレカ界隈のいわゆるオタクコンテンツのコミュニティの至るところで上記の流れを見てきた

彼らは『仮面ライダーオタクコンテンツ界隈ならみんな知ってて当然だし盛り上がるだろう』とでも思っているのだろうか

自分の好きなものを語る楽しさも、それが通じることの喜びも理解はできる

だけどTPOをわきまえてくれ

2024-07-18

縞パン流行ブラウン管が廃れたのが原因だ

貧乳コンプキャラ、15年前の縞パンに似てる

https://anond.hatelabo.jp/20240718120400

上記文章を読んで、実際の女性ファッションとしての縞パンではなく、美少女イラスト流行した縞パンを語りたくなったので書く。

ブラウン管が全盛期の時代1990年代末頃まで)のPC美少女ゲームすなわちPC-98のエロゲでは、パンツレースフリルを描き込むのが流行っていた。これは実際にレースパンツを履く女性が多かったという訳ではないし、エロゲユーザー(いわゆるオタク)の間でレースパンツが好まれていたという訳でもない。CGコンピューターグラフィックスイラスト製作する側の都合が大きな理由だ。

当時のCGイラストではやたらと細かい模様が使われていた。パンツに限らず女性服装にはやたらとレースフリルが使われていたし、人物とは関係ないゲーム画面のUIユーザーインターフェース)の装飾にもレリーフ模様がやたらと使われていた印象がある。細かい模様はブラウン管との相性が良く、ブラウン管の滲(にじ)みによって立体感表現できたのである

【参考】→ 『 「昔のドット絵ブラウン管の滲みを前提にデザインされていた」に疑問の声』( https://togetter.com/li/1131267

こうしたドット絵を当時は手打ちで描き込んでいたのである。当時のCG制作ソフト機能が貧弱であり、ドットの一つ一つを手入力するしかなかったからだ。どうせドット手打ちするならばと、ついでに細かい模様を描き込もうという気にもなるだろう。なにせPC-98のモニタ解像度わずか640x400しかなかったのだから

しかし、Windows95が普及しモニタ解像度が上昇すると共に液晶モニタ流行すると、ドットで細かい模様を描き込むテクニック通用しなくなる。ブラウン管と違って液晶モニタではドットの一つ一つが滲まずにクッキリと映るからだ。その上、高解像度表示のために拡大すると、そのドットが大きく表示されてギザギザに表示されてしまうのである

この頃にレースパンツに代わって流行したのが縞パンである

フォトショップなどのCGソフトを用いてパンツの横縞模様に3D効果を施せば、臀部が立体的に表現されるのだ。それも、解像度の拡大にも耐えうる形でだ。拡大しても縞模様はギザギザになることもなく、滑らかな曲線を保ったままになる。

ちなみに、ラグビーユニフォームにも横縞模様が多用されるが、理由としては横縞模様による膨張効果によって体が大きく見えるからだという。

レースパンツから縞パンへと、美少女イラスト流行が転換した時期は1997年だと私は考える。

美少女ゲームブランドにおいては、エルフからLeafアクアプラス)へと業界トップが入れ替わる時期であるエルフドラゴンナイトシリーズ同級生シリーズ、遺作シリーズなど写実度の高い絵柄でドットを細かく書き込むことに定評があり、パンツレース模様が主流だった。一方でLeafから発売されるゲームは、雫(1996年)、痕(1996年)、To Heart1997年)、こみっくパーティー1999年)とアニメ調の絵柄であり、パンツ縞パンが多かった印象にある。

1996年発売のPCアダルトゲームで年間売上高No.1ゲームが『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(PC-98、エルフ)であり、1997年では『To Heart』(Windows95Leaf)だったことは、まさしく美少女ゲーム流行が「エルフPC-98・ブラウン管モニタ・写実調・レースパンツからLeafWindows液晶モニタアニメ調・縞パン」へと転換したこと象徴と言っても過言ではないだろう。

実際に美少女ゲームの絵柄の流行においても、みつみ美里アクアプラス所属)の作風が主流になったこから明らかなことだ。

インターネット上での縞パン流行の始まりは、ビスケたん2002年)だろう。美少女ゲーム会社由来の流行ではなく、インディーズ(いわゆる同人)発信の文化としてだ。この頃から美少女イラストにおいてはパンツ縞パンであることが好まれるようになったのだろう。

とはいえ、そうしたインターネット文化を『ネットランナー』というソフトバンク系列情報誌ぽよよんろっく渡辺明夫)のイラストと共に後押ししたことからインターネット上の縞パン流行は完全なるインディーズとまでは言えないだろう。

そうした縞パン文化を今も引きずっているキャラクターとしては、初音ミク2007年)が有名だろう。公式設定として初音ミクパンツ縞パンとされた訳でもないのに、ファン勝手縞パンイラストを描いたことによって、初音ミクといえば縞パンという印象がいまだに拭えないのだ。

ちなみに今から15年前といえば2009年だが、この頃になると縞パンブームを過ぎてもはや陳腐化された時期といえるだろう。それを象徴するのは、当時放映された『けいおんアニメ1期の6話である文化祭のライブで澪が転倒してスカートの中を衆目に晒ししまうのだが、そのパンツを直接描かずして縞パンである隠喩的に表現するシーンがある。パンツのものは描かなくとも、水色と白のボーダー柄だけで縞パン認識するに決まっているという信念がひしひしと伝わってくる。

【参考】→『 澪のパンツのシーンに秘められた裏話!』( https://x.com/K_onkinenbi/status/1422165281061756929

2024-05-06

anond:20230127104052

生乾きの、あの臭いオタク人種特有現象だな…(ほとんど男性オタク

私自身、独身時代は(同人イベントサークル参加する程度の)いわゆるオタクだったのだが、

あの臭いは下記が原因なのではないかなと考える。


1. 洗濯機で服を洗った後、すぐに干さな

→(全員がそうだとは言わないが)怠惰メンタルを持つ人間が相当数いる


2. 生乾きのまま服を着て出かけてしまうことがある

主語が大きいが、男性オタクは定期的に服を買わない(女性オタクは服は定期的に買う)


どこかのエントリで「オタクは定期的に服を捨てろ」といった主旨の発言を読んだ記憶がするが、

個人的には かなり的を射た提案だと思う。煮沸消毒だとか、コインランドリー洗濯するなどの

面倒な方法で殺菌するのは、オタク男性には荷が勝ちすぎる方法かなと。

anond:20240505145611

いわゆるオタク的な人の中には一般人目線を忘れてしまい、自分等の村ルールが最優先になってしまう奴がいる

2024-04-21

ご覧ください。これがキョロ充、ライフステージの末路

これも毒親がいけなかったのか、毒親プラスして環境ガチャを外しまくったのがいけなかったのか、

どちらにもまったく問題は無くて、生まれ持った元増田の知能の問題なのか・・・

 

まずは下記の2点の解決だと思うんですけど、

 

 

いちばん問題は『自分以外の何か』になろうとしていることだと思うんですよね

いろいろ否定されて・いろいろな事情に拘束されて、自信をなくした陽キャDQN(キョロ充)は、

なぜかオタクコミュニティに混ざろうとしたり、自分は○○が好きなオタク自称を始めたりするけど、

陽キャDQN陽キャDQN、これは生まれついての性質で、自信無くした程度じゃあ変わりやせんのです

だってまれ付きのものから

オタク気質も生まれついての性質元増田オタク気質では無いってだけです

 

 

性質が外向いている人は、いわゆるオタ趣味って言われるコミュニティに居場所はないし、

無理矢理そういうコミュニティにいてもまったく楽しめないから、自分が楽しめそうな外向き趣味(みんなでウェイウェイする)を探しましょうね

(まぁいつものバーで飲み・オンゲでdiscoみたいなのが全年齢楽なんでしょうけどね)

2024-04-08

anond:20240408155324 anond:20240408155657

まずは『みんな自分マウントしようとしている(思い込み)』問題から解決やな

増田はよっぽど、好きなこと禁止 or 否定されてされて生きてきたんやろな

 

あと、これすごく思うことなんだけど、自分以外の何かになろうとは思わない方がいいよ

いろいろ否定されて・いろいろな事情に拘束されて、自信をなくして、

外でウェイウェイやらないキャラになったとしても(過去もウェイウェイしたことなくても)

陽キャDQN陽キャDQNで生まれついての性質オタク気質も生まれついての性質

 

性質が外向いている人は、いわゆるオタ趣味って言われるコミュニティに居場所はないし、

無理矢理そういうコミュニティにいてもまったく楽しめないから、

自分が楽しめそうな外向き趣味(みんなでウェイウェイする)を探した方がいいぞ

(まぁいつものバーで飲み・オンゲでdiscoみたいなのが楽なんでしょうけどね)

2024-01-20

中島健人さんの卒業に無記名の意思表明をさせてくれ

中島健人Sexy Zone卒業ーーー

新年早々すでに今年(いやもはや人生?)いちばんの衝撃的な発表からしばらく経ちましたが、そろそろ自分気持ちを整理して生活していきたいので思ったことを全て書き記していたのですが、せっかくなので情報の海に流して偶然受け取られた方に読んで頂ければなと思い、公開します。

「30歳になる節目と共に、新しい道を選ぶことを決めましたが、」

30歳でこの先の自分をどうしたいかと、考えること、これは本当にごく自然なことではないだろうか、一昨年マリウスが22歳という多くの人が就活して勉強熱量を注いで世界の役に立ちたいと決断して飛び立ったように。それが私の1番初めに感じたことでした。

人間生きていれば時期や粒度は人によって異なるとはいえ、これを生きていきたい、あれをやりたいと立ち止まって考えたことは一度はあるはずで、それを年齢で区切る人もいれば、人生出来事軸で区切る、はたまた全く別の軸で区切る(場合によっては自分意思と反して区切らざるを得ない場合もある、例えば直近で起きたような天災などもそれに含まれるかもしれません)人もいる、その中で彼は30歳という年齢を区切り人生を考えたまで、そういうことなのだろうと。ケンティーしかケンティー人生責任は取れない=つまり全ての最終決断ケンティーしか下すことは出来ないので、今回の決断を受け止めることが私たちにできる唯一のことなのだと(受け入れるとはニュアンスが違うこと強調させてください)

Sexy Zoneのことを本格的に好きになる前から、彼はグループ広告塔として常にいちばん前を歩き続けてくれることで時には傷ついてしまうような茨の道をグループで歩いていけるような花道に変えていたし、他の事務所グループには出来るのになぜ出来ない?の世界不思議をいつも彼なりのアイデア解決してきたし(それでも出来ない/私たちやらせてあげられないことは沢山あったけれど)、やりたいことを口に出しながら自身を磨き続けて実際に夢を掴み取ってきた人であることは誰がどう見ても明らかなので、そんな人の一世一代とも言える決断を誰が止められようか、いや誰も止められない(もしかしたらメンバーだけは、、、止められたのかもしれない、どうだろうか、それは彼らのみぞ知る)

ただ、私はSexy Zone、たとえ今後名前が変わったとしても、というアイドルグループ中島健人がとても尊敬していて強く愛してしまたからこそ、その姿がこれからもう見られなくなってしまうのだと思うと、彼らの未来、具体的に言えば4月前後の彼らがそれぞれどう進み変わっていくのか、その新しい形を応援出来ると思えるのかどうか、を考えることよりも、本当にただただ悲しい気持ちけが頭と心をぐるぐると流れ続けて、ああ本当に悲しい、そしてなぜだか悔しい気持ちが混じってきて胸の中にいっぱいいっぱいに広がり、溺れて息が出来なくなりそうになるような感覚を持ちました、くるしい、くるしい、頑張って続きを書きます

公式として出ている媒体をもとに私個人が読み取った範囲+ケンティーアイドル芸能界に限らない人間普遍的だろうと思われることを材料に書かせて頂くと、この大切な決断きっかけはともかれ精神的な肉体的なもしくは外部的なものであれ、決してそこまで突発的なものではなく、様々な物事を積み重ねの上で下されたものなんだろうなあ、というのは伝わってきました、きっと前々から考えていたことが、何かしらのきっかけで現実味を帯びてきてそれを現実にするかどうか、たとえ発表のタイミング自体は突発的であったと感じたとしても、たとえ直近で言っていたことと多少文脈が噛み合わない部分があると感じたとしても、たとえどんなに素晴らしいパフォーマンスを直前まで見せてくれていたとしても。逆に全く察させずあんな素晴らしいドーム公演をやり遂げた彼らは本当に最高のアイドルです(皮肉にも)

繰り返しますが真実は彼らのみぞ知るので、これ以上の勝手憶測とそれらを書き綴ることも控えますが(理由はそれをやって彼らが意思を変える訳ではないので単純に無意味だと思うので)、少なくとも今まで広告塔をやっていたSexy Zoneというアイドルブランドを置いていくことは彼にとっても並大抵の決断ではなかったのは容易に想像が出来て、これまで同じように、グループから離れてソロ活動することを決めた同事務所の方を見れば、それがどれだけ逆にハンデとなりうるかも(ファンの方には失礼に当たってしまうことを事前にお詫びしますが、多くの方がお世辞にも成功しているとは言えないのではないでしょうか?)、厳しい芸能界を長くそれなりに賢く生き抜いてきた彼ならそれを分かっていないはずがなく、ただ彼自身の夢(今まで語ってくれたもののその先を含めて)という観点から天秤にかけた時に重かったのがソロ活動する、だったのかもしれません。

とはいえ中島健人がいるグループファンとしては本当に悲しくて、もう少し、もう少しを重ねて一緒に頑張りたかった、頑張らせてほしかった頑張ってほしかった、Sexy Zoneというアイドルグループエースである中島健人と共に。

そして、1オタクとしては純粋に今回の1件でケンティーが30歳という自分に課した期限のようなものを飛び越えてでもこのままグループを続けたいなと思えるほどの喜び(それはシンプル私たちメンタル的な愛が足りなかったのかもしれないし、数字それからもたさられるお仕事なのかもしれない)をファンである私たちが与えられなかったのかもしれないと本当に申し訳ない気持ちで、彼を含むSexy Zoneからもらってばかりだったのだなと思わされてしまったし、今のグループ活動状況でソロになった場合に何がどう変わるのかが私たちからはあまり見えてこないゆえ、グループでも良いのではと、どうしても思ってしまって、どうにか腹落ちしたい、これからじゃなくて今納得したい、足掻かせてほしいと、わがままになってしまっています(まだ公に出来ない大きなお仕事があるのかもしれない)(やっぱり3人にはしがみついてでも止めてほしかったでも必死に止めたかもしれない)(本当に彼は卒業するの?という現実味がいまだにない、夢みたい、信じたくないからかもしれないのですが)

それゆえ、彼らの未来に対する前向きな決断に、かもしれないかもしれないを並べてまくってこんなこと、って何だか後ろめたいような気持ちにもなってしまうし、彼らにいろいろな意味で甘えさせてもらっていた⇔私たちも甘やかしてしまっていたのかもしれないのかなあ、アイドルファンのギブアンドテイクのバランスが歪になっていたのかもしれない、ということにも気付かされて、また悲しいやら切ないやら、、、こんな複雑な感情たことがないのでいかに彼らの存在自分の中で大きかったのか、大きくなっていたのかをこんな形で知るなんて、、、

我ながら本当に話の枝葉分かれがすごいなと思いつつ、数字の話が出てきたのでここで少し触れると、

※この段落に関しては筆者である私の原体験が強く結びついている+他界隈について言及しますのでご興味のある方だけお読みいただき、適宜、次の段落まで飛ばしてください※

私は幼い頃からいわゆるオタクで、この数十年間その生き方を全うしてきました。

その中で何度か心が折れたことがあり、その原因は全て「数字」でした。

今や社会人としてビジネスにおける数字重要性は嫌でもいうほど理解しているつもりではあります(かつ私もエンタメ世界の端くれです)が、1人のオタクとして「数字」はその人生の中で大きな苦しみでした。特に学生時代、大好きなアイドルがいたのですが(過去形になっていますが今でも大好きです!)、ファンであれば売られているCDやグッズを全て買わないといけないような売られ方とそれを当然のように受け入れるファン雰囲気に圧倒され「全てを買うことが愛の証明なのか?」と苦しくなり一時離脱した時期があったり、また別の音楽コンテンツを好きになった時には封入されているイベントの先行チケットのためにCDDVD/Blu-rayを積みたくても生活のために積むことが出来ず無力さを感じる一方で周りのファンダム内で何十何百枚積む人が数多くいる状態に(本当に申し訳ないのですが)気持ち悪さを感じてしま担降りをしたりしてきました(このコンテンツについてはもう怖くて戻れません)今となっては、学生だったこともあり使えるお金が限られていたというのと好きなものに良い意味でも悪い意味でも一直線だったので本当に青かったなと思っています推し活は出来る範囲で、でも最大限が大事!ですよね!

Sexy Zoneが正直数字面で苦しい思いをしてきたことはファンであれば痛いほどに理解していることかと思いますが、私は、数字以上に、彼らが出演したテレビ番組で他の出演者から愛されたりパフォーマンスや立ち振る舞いを見た他のオタクの皆さんが褒めてくださったり、何よりライブで魅せてもらえるコンセプトセットリスト舞台美術、そしてパフォーマンスMCで綴られる言葉、それらが合算されて総合芸術として得られる唯一無二のエネルギー自分でも意味がわからないけれど、彼らを見ていると元気になれるんです。他にもっともっと沢山沢山あるのですが、そんな数字だけでは測れないエンタメの素晴らしさを私に教えてくれたのは間違いなく彼らSexy Zoneで、それを突き詰めれば、もしかしたら国民的の例に挙げられているSMAPと嵐のように皆が触れている媒体テレビ)が絞られていた平成時代から、この好きがかなり多様化しすぎたゆえにそもそも国民的になりづらい令和の今の時代でもこのSexy Zoneは本当の意味国民的になれるのではないか、そんなことを勝手に夢見てしまっていましたし、昨年のドーム公演を受けて勝手確信のようなものを持ってしまっていたのでした、

最後の公演になるとは思っていませんでしたが、ここまで思わされたということはきっと4人の気迫のようなものがあの公演には宿っていて本当に素晴らしかったということで、私はそれをいいように自分の中で捻じ曲げて受け取っていただけでした、

一昨年のマリ卒業はその過程(発表〜カウコン卒業…その後の彼と現Sexy Zoneの関わり方までも含めてもいいと思います)のていねいな描かれ方のおかげで本当に悲しくて寂しいことであったけど、多くの人が理解はせずとも受け留める状態まで引き上げた上で送り出すことが出来たし、オタクである贔屓目なしに本当に美しい巣立ちで、そして新しいグループのあり方をあの短くでも尊い時間証明してくれたのではないかと思っています

からこそ結論は同じであったとしても、今回既に発表された方法とまた別の違った形でこちらに伝えてもらえたかもしれない、これも甘えだとわかりつつ、どうして、、、とまた別の悲しさに押しつぶされそうになりますが、これも私たちには見えない理由意図が彼らの中には確実にあると、これまでの彼らの歩みを踏まえてそう思います

また今回の件について、オタクであるかに関わらず一般の方も含めて多くの方が「アイドルを辞める?!」と勘違いされていました(本人曰く、一人でもアイドル、咳をしても一人、ごめんなさい、後者は言ってません尾崎放哉

本人は発表翌日ドラマ宣伝のため、終日テレビ出演があり、その都度自身言葉で一人でもアイドルであることを強調していましたが、これは中島ケンティー健人=Sexy Zone =アイドル方程式が驚くほど人々の認知に刷り込まれていた、ということの証明であり、つまり合間のSexy Zone卒業すること=アイドルも辞める?!となってしまったということです。

一つだけ彼に問えるのであれば、この方程式を成り立たせてしまうくらいにはあなたSexyアイデンティティを構築し、確立した張本人であり、多くの人があなたのことをそのように認識していたんだよ、このことを分かった上でその決断に至ったのですか?と(こんなことは聞けたらいいですよね、聞けないんですけどね)

すみません、まだまだ書き綴ります

前半で彼が広告塔としてグループを率いてくれていたかを話しましたが、今回の卒業報告を受けて、端的にいうとグループ温度差を指摘する声が見受けられました。その時で思い出したことがあります

※この段落に関しても筆者である私の原体験が強く結びついているので以降はご興味のある方だけお読みいただき、次の段落まで飛ばしてください※

私は中学高校体育会系部活に入っていたのですが、ハッキリ言って学年の仲はそこまで仲良くありませんでした。部活を使って青春シンプルに楽しみたいから、部活を使って内申点を上げたいから、競技が好きだから、など目的モチベーションもかなりバラバラだったと思います、ただ部活の始まりの集合から終わりの挨拶までの間だけは不思議と全員が同じ方向を向いて部活に取り組み、大きな揉め事もなく(何ならどちらというと問題が起きそうになったら阻止していました、それは揉めた方が面倒だからでした)、最後まで全うすることが出来ました。

部活仕事人生)なので根底全然違うかもしれないのですが、この経験から私はグループが必ずしもずっと仲が良くて同じくらい意欲的で同じ目的で進まなければならない、とは思っておらず、逆にそんな状態存在しないな!と社会人になりますます実感したので、各々の得意分野で活躍しながら、グループとして集まった時にぎゅっとなり最大火力のパワーを出せるSexy Zoneの形がとても心地よく見えていました(だからこそ好きになったのかもしれませんね)

もちろん告知や発信はするに越したことはないです!が、グループの中で彼が一番それに長けていて楽しめる人物だったから、先陣を切ってやっていただけであり、他のメンバーも彼には出来ない部分でそれぞれの好きや得意を発揮していた認識だったので、もちろん、メディアの取り上げや世間的な認知差異は大きく出てしまったのですが、誰も何もやっていない、誰が良くて誰が良くない、なんてことは全くなかったと思うのです。彼らは外側から格差をつけられたことはあっても、内側ではずっと対等な人たちでした。

表に見えるようにやらないとダメなんですか?表で見えることをやれば偉いんですか?

一つ疑問なのはグループを去りソロ活動を決めた彼は事務所に残る、という選択しました。

私は逆に意外でした、本当に海外志向なのであれば現在事務所は昨年の一連の騒動を踏まえて世界的に見れば大きく傷がついた事務所と言えるからです。

実際に一連の騒動不安を感じた(これを明言している方もいればいない方もいますが)方は事務所を去ることを決め、新しい道を進み始め、その選択はもはやされてもおかしくない選択の一つとして存在するようになりました。

彼のいう、1人のアイドル俳優として成功したいの中に海外というフィールドは確実に含まれている中で、あえて事務所には残る選択を取ったのか、

と書きながら、最近インタビュー映画にまつわる番組海外ドラマへの出演などで海外志向なのでは?と思っていただけで、発表の中には「国内外」とあり、あくま国内海外いずれも守備範囲としてどちらかへの偏りはないのだろう、と思います、その中で事務所に残る決断を取ったことのリスクは今までの積み重ねがあったとしてもまだまだ残っている状態でのこの決断したこと、この重みを事務所よ、心の底からわかってあげてほしい、本当に大切にしてあげてほしい、彼を彼らを全てから守ってほしい、

さて、この簡単言葉にまとめられない思いに蓋をして、彼らの決断に対して今すぐに背中を押すと決める必要もなければ今持っている気持ちにすぐ整理がつける必要もないはずなので、彼らがまず掲げている3月末まで、少しずつ大丈夫だと思えるようになってきたら、その大好きなアイドルたちの姿を最後までしっかり目に焼き付けておこうしかないのが現状できる精一杯で、やっぱりどうやってもSexy Zoneがだいすきで、このままだいすきでいたいからこそ、今はまだ新曲すら聞くことも出来ていない心の状態ではありますが受け止められるよう、時に身を任せたいと思います

こんな長々と書き綴りましたが、

最後に、やっぱり、誰かに怒られてしまうかもしれませんが、1オタク本音ひとつをもう一つだけ書いてしまうと、





お騒がせセレブよろしく

「やっぱりSexy Zoneがいい!」

「やっぱりSexy Zoneにいてほしい!」

ってお互い言ってもいいんだよ!

まだ許す!許せる!間に合う!



最後最後で、こんなこと言ってごめんなさい、でもそれでも現段階の5人の姿が少なくとも私にとって最強で無敵のアイドルに見えていることは強調したいです。

でも私は一介のファンであり、彼らの人生に直接的に触れることが出来ません。その中で1番は5人が、それぞれが、少しでもしあわせになれること!だからこそ、そんな未来が来てほしいと、だからまず目の前の区切りまで、一旦祈り続けます

書き癖で、()や、が多く読みづらい部分もあったかと思いますが、ここまで読んでくださった方がもしいれば、私の話を聞いてくださってありがとうございました。

2024-01-02

anond:20240102173649

過去人と関わるのがヘタクソで、考えて考えて行動してやっとしがみついた生き方がいわゆるオタサーの姫ポジで、ああ自分はこうやって、中途半端に人をたぶらかすようなやり方で生きるか、過去のように誰とも上手く喋れなくて勝手被害妄想を増やす生き方しか現状できないのかもしれないって話なんだよ。

知らんがなって話だけどね。意図的に露悪的に人にチヤホヤされようとしてるなら悪だけど、私としては真面目に人間関係をやってこれなんだよ。でもなまじ考えてるフリしてるのが余計どうしようもなくて、最初から軽薄な人間だったって話なんだけどね。もちろん年月が経てばなるようになるのはわかってるよ、(悪い道でもいい道でも)ただ現状が。

2023-12-10

30超えて普通ルートじゃないと友達・知り合いと話すことがない。

仕事普通の働き方じゃない。

趣味普通じゃないから周りには隠してる。(オタク系)

恋愛結婚興味ない。

世代と見ているもの普段生活すべてが違いすぎて会っても話すことがない。


オタクであることは隠してる。

友人・知人にいわゆるオタクは1人もいない。

オタクといっても最新のアニメとかは分からんし。


マジで知り合いに会っても話すことない。

なさすぎてどんどん疎遠になる!

なんなら会話が苦痛

オタク友達とか出来たら楽しいんだろうか?この歳でどうやって作るのかよくわからないけど。

この年齢(女性)だとそろそろオタク卒業して仕事か家庭でみんな忙しいのでは。

男性も変わらんか。

オタク友達ができたとして、好きな作品の話以外何話すの?


ほんとにリアルで話すことない。

お茶にごすとき健康話題とかしてるけど、喋りながら興味なさすぎて苦痛すぎて早く帰りたい一択だもんな


久々に会うと親に、もっと外に出て人と話せ!ってぎゃーぎゃー言われる。

今日も言われた。

習い事とか行けば?って。

何を習うんや…他人自己紹介したくないし…

リセット症候群の気があるから知り合っても絶対そのうち縁切ってしまうし。意味あるか?


世の中の人は何を話してるんだろう?

仕事・家庭・趣味健康以外で。


うちの親は喋っていないと死ぬタイプだが、ずーっとあらゆる友人・知人の話をしてるな。

会ったこともない親の友人を何人も細かく知ってる。個人情報かい概念はなさそう。

そんな弾は私にはない。


自分を開示する=弱みを見せるということとしか思えない。

そこまで友人知人を信用できない。

後悔する。

というか、何を喋っても後悔している気がする。

楽しく話したあとも、何であんなこと言ったんだろう?ってずーっと落ち込む。

あんな返答すんなよ、って自分を責めてる。無意識に。

結果楽しかった日も、楽しくなくなるんだよな。

うわーってなる。いつもそう。

人と関わると常にこれになる。

あと、自分過去があることが常に嫌で、自分過去を知ってる人を見ると記憶消したくなる。

私の全てを忘れてほしい。

本当に嫌。今も完璧じゃないけど、過去の未熟だった頃の自分が嫌い。恥ずかしい。存在を消したい。

別に現在自分は割と好きだが、時が経てば嫌いになる。わかってる。

なぜみんなそう思わないのか?

不思議

芸能人とか、アーカイブがこの世の色んなところに残りまくっていて死にたくならないんだろうか?


この世には脳の仕組みが陽タイプと陰タイプ人間がいて、陽の人間は細かいことを気にしない。

うちの親はこれ。

心へのダメージをほぼ受けない。

私は真逆。陰。

なんでもかんでも自分へのダメージへと変換が入る。

これは無意識フルオートで行われるためやめろと言われてもやめることができない。


陰の人間はこれを大人になって克服しているのか?

出来るもんなのか?

それって普通生活をしてる普通人間から出来ること?

同じような生活をしてたら、あるあるネタで会話が続く?

それって面白い

それとも裏で嫌だなー帰りたいなー話したくないなー苦痛だなーと思いながら頑張って喋っているのか?

そっちなら、なんか安心するけど。

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