はてなキーワード: イエス様とは
宗派としては、日本におけるプロテスタントの最大教派である日本基督教団らしい。
石破総理が選挙に3回も惨敗したのに辞任しなかったのは、日本人の「世間」の常識が無かったから。
多くの日本人であれば、普通は国政選挙で2回、都議会選挙で惨敗したら、潔く身を引くものと考える。
これを言語化するならば「恥の文化」とか「体裁が良くない」とか「世間体を気にする」とか「お天道様が見ている」と表現できる。
キリスト教徒にとってはイエス様の意思が全てなので、「世間からどう見られるか」は一切気にしない傾向があるらしい。
母親→社会人経験なし、精神障害者、キリスト教信者、増田の幼少期からこんな感じなのでまともに育てられた経験なし。肥満体型。
病気不安症で、少しでも何かあると医者が「まだ治療するほどのレベルじゃない」と言うのを振り切って治療させる。
ド平日に「明日病院着いてきて」とか平然と頼んでくる(増田家から片道2時間)(当たり前にに仕事あるから断った)
そして案の定「異常なしでした!イエス様に感謝します」とかやってる。
そして医療費を渡さないと「意地悪」とか言ってくる(何言われても渡すつもりはない)
精神疾患のせいだとは思うが、まともに育てなかったし今の時代の若者のことも知らないくせに
一丁前に「子供作れ」「子供を作ることは人生最大の喜び」とか毎回言うのでセルフ絶縁している。
父親→仕事魔。父の稼ぎのおかげで大卒まで行かせてもらった恩はあるが、どうしようもないモラハラ。肥満体型。
母親のことを「豚野郎」と呼称し、母親が余計なことすると怒鳴り散らかす。
「こうしてストレスのはけ口にしてるんだ。怒鳴ると気持ちいいだろ?」と言われた。なんで結婚した?
後述の父の妹(伯母)も同様に見下しているが、子供である私には甘い。
こちらも「子供作れ」「できちゃえば、あとは何とかなる」と言うが、
ほぼ出張ばかりで世話は祖父母に丸投げ、ただ仕事だけしていればよく、子育てのいいところしかチューチューしてこなかった奴の言葉は何も響かない。
伯母→独身でパート勤務の子供部屋おばさん。生まれた時からなんかずっと家にいた。今も実家にいる。肥満体型。
正社員→契約社員→契約社員→パート→パートと職を転々として、
そのくせ、来客があると2階に逃げ込んだり、親戚とは一切関わらない。
増田の配偶者とも目を逸らしながらカタコトでしか話せないので印象が大幅に悪化。
被害者意識が強く、報連相ができないのに、「どいつもこいつも使えない!私はこんなにやってるのに!」と怒る。(しかしその怒りは報連相をすると解消するものばかり)
後述の祖母の介護で増田が状況を質問しただけでヒステリックにキレられる。
祖母→私の母代わりになってくれた恩はあるが、先述の父と伯母というモンスターを生み出した元凶。肥満体型。
どこまでも甘く世話好きなので、役割がないと居場所がないと思うようで、仕事を代わると怒ってくるタイプ。
60になる伯母がいまだに90になる祖母に飯を作ってもらっている(恐怖)
この前脳梗塞になったが復活した。
介助は少し必要だが、おおむねまだ元気。
引きこもる伯母の代わりに親戚と関わり、うまくやってこれたコミュ強。
ただし自分が優遇されないと怒る。典型的な昔の田舎BBAで、伯母の苦労話に毎回同情している。(たとえ無駄な苦労でも)苦労したやつは無条件で偉いと思っているようだ。
増田→20代後半、結婚2年目。上記の家族に囲まれて育った。(祖父は高校時代に他界)
実家の飯が不健康であることに気づいてから自分だけ自炊していたので標準〜やせ体型。
大学4年間は一人暮らし→社会人になるがコロナもあり卒業後2年ほどは実家で在宅勤務→自立し3年目兼結婚2年目
義実家と関わっていく中で、「きちんと日本語が通じる」「前もって相談することができる」「各々健康にきちんと気を使っている」人達に囲まれ
増田の家族がみんな異常&異常というほどではないが煮凝りみたいな偏った人々 であることに気づいた。
もうあとは手の施しようがなくなってから最低限の手続きのためだけに実家の家族と関わりたい。
2000年代に大学内でゴスペルコンサートをやっていて、それを聞きそびれた...的なことをスタッフらしい人に話したら、ゴスペルコンサートを聞きたかったら休みの日に来てと言われ、ついていった教会が統一教会系のやつだったんだろうなと今では思う。
ミサ中にイエス様を信じたらすべてがうまくいったみたいなことを弾き語りしているおっさんがいたりして、ショーとしてはなかなか面白かったけれど、信仰心は抱かなかったな。
ミサが終わってから、交流会があり、同年代の信徒による熱烈な勧誘もあって、聖書を信じて生きていたらうまくいったみたいな話をずっとされたのは覚えている。
ちなみに、ワイはカトリック系の学校に通っていたのでキリスト教にそんなに抵抗はなかった。
逆に、カトリック系の学校に通っていたからこそ、神父とその教会の牧師の振る舞いのあまりの違いに違和感しか覚えなかったんだよな。
信者たちが固い椅子に座っている中、牧師はショーをふかふかのいかにも高そうな牧師専用ソファーから見物してたんだな。
俺が通っていた学校の神父はミサ中にちょっとそれぞれでお祈りをするみたいな時間は安っぽそうなパイプ椅子みたいなのに座ってたから、牧師が高そうな椅子に座っている光景にものすごい違和感を覚えた。
カトリック系の経験がある自分からすると、ものみの塔の人のほうがまともな感じがする。
まあ、カトリック系で学んだ知識をもとにいろいろと勧誘の人と話をしていたら、興味がある人だと思われて聖書のお勉強に誘われたので固辞したんだけど。
脳みそ足らないやつは黙っとけ
キミはアホな逆張りしてないで万が一の際はちゃんと自分自身が生活保護の手続きが取れそうかだけ心配してなさい
どこの国でも知能や精神に問題がある人が必要な手続きが取れず福祉から漏れてるぞ
同シェルターが設立されたのは2001年12月。岡田武夫大司教が、カトリック新聞に「野宿生活者の緊急一時避難場所―対応遅れによる死を防ぐため―」という記事で寄付を呼び掛けたことがきっかけだった
https://www.christiantoday.co.jp/articles/22858/20161222/ima-urgent-shelter.htm
はてなーっていうのはインテリぶる割には自称「低学歴」とか「風俗嬢」とかの文章が意外と好きで、
「○○とは思えない!」だの、どうせ買いもしねえくせに「小説書いたら?」だの、マウント取りつつ無責任に持ち上げる、そういう奴が結構いる
正直こいつら古の泣きエロゲオタと似たようなメンタリティしてんなって思っちゃうんだけど
それはそれとして、このはてなーのキモい性癖には「自分のお気に入りの内容・属性かどうか」だけで文章力のあるなしまで勝手に判断するという、なんとも悪いクセが出てるように思う
あくまで個人的な考えなんですが、文章力ってそういうもんじゃない気がするんですよ
エロゲとかで言ったら、好きな属性ばっかりのキャラなら萌えるのは当たり前で、そこから外れたキャラを好きにさせたり、しまいには自分の性癖ごと捻じ曲げたりするからこそ、そこにはパワーがある
どっかの芸能人の悩み相談とか婚活ブログとか、あとは聖書のイエス様のたとえ話とかみたいに、そのまま言ったら炎上するようなことをどうにか燃えないように伝え、
今って昔みたいな「国民的○○」みたいなのはあんまり流行んなくて
代わりにプロダクトもキャラクターも言論も報道も何もかも、特定の属性を狙い、ひたすら身内ウケだけ当て込んだ、そういうものがそこら中に溢れている
確かにそれらは商品としては優秀かもしれないけど、最初からお仲間以外には響かない
思わず自分の立場や意見を変えてしまいかねないような力が、間違いなくそこにはある
まあこういうのも「マツコデラックスの言ってることをマツコ以外が言ったら炎上する」みたいにキャラクターに依存する部分もあって、決して万能とは言えないわけですが
とにかくこれだけは言っておきたい
つまり、あなたも統一教会関係者と疑いをかけられる可能性がある。このようなセンシティブな話題に言及するときは、「詳しく知りません」ではなく、「私は統一教会と一切関りがなく彼らの活動に欠片も賛同していません」と表明しておくべきだ。
よくわからんのだけど、「詳しく知らない団体」に対して適当に「欠片も賛同してません」とか言っちゃうのは大丈夫なの?
欠片もなのかどうかとか活動内容も理念もなんも知らん団体に対して判断できるわけ無いじゃん。
というかキリスト教系の団体なら「イエス様は偉い」ぐらいの点は一般キリスト教信者と共通部分があってしまったりとかしないものなん?
そういうのを誤魔化すようなことを書いたら、知的に真摯でないことに攻撃的なエリートはてなーのたぐいとかめっちゃ怒るのでは?
ヴァチカンが同性婚を祝福しないのに文句を言ってるゲイかつキリスト教徒が紹介されているけど、アホとしか思えない。お前ら本当に聖書を読んだことあるのか?
聖書の同性愛者の扱い酷すぎて笑えるので少し紹介するね(翻訳は全て「新共同訳」)
それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。女は自然の関係を自然にもとるものに変え、
同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。
正しくない者が神の国を受け継げないことを、知らないのですか。思い違いをしてはいけない。みだらな者、偶像を礼拝する者、姦通する者、男娼、男色をする者、
こんなことが書かれてる本を神の言葉とありがたがってるゲイのキリスト教徒がまるで理解できない。
死後イエス様に火と硫黄の地獄に蹴り落とされる己の罪深さに慄(おのの)きながらハッテンするともう気が狂う程気持ちええんじゃ。ああ^~~たまらねえぜ!
イエス「腹が減ったなぁ。おっ、あそこにイチジクの木があるぞ」
しかし、イチジクが実る季節ではなかったので当然そこにイチジクは無い。
イエス「なんや、イチジク無いやんけムカつくなぁ。お前の木からイチジクが実らんように呪ってやるわ」
そして後日、
弟子A「いったいイエス様はどうしたというのだ。季節外れのイチジクの木に八つ当たりをするなんて」
ペテロ「皆の者落ち着くがよい。これには訳があるはずじゃ」
弟子A「ペテロよ、いったいどんな訳があるというのだ。むやみに木を呪って枯らすなど、いくらイエス様の弟子とはいえ容認できぬぞ」
弟子B「そうだ。手をかざすだけで人々の病を治し水上歩行するほどの奇跡を起こしたイエス様なら、イチジクの木を実らせることなどたやすいはずだ。たとえ奇跡の力を使うつもりはなくとも、呪いをかけて木を枯らすこともないのに」
ペテロ「そうか、わかったぞ。イチジクの木とはイスラエルのことじゃ。つまりは堕落したユダヤ教が滅びることを暗示していたのだ。そして、将来はイエス様の愛によって世界が救われる福音の時代が来ることに間違いなしじゃ」
弟子A「なんてことだ、イチジクの木を呪ったことにそんな意味があったとは」
弟子B「イエス様の深い御心にそこまで気が付くとは、さすがはイエス様の一番弟子のペテロだ」
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