はてなキーワード: 秦野とは
かなり昔の話にはなるが、バックパッカーをしていてイランを旅したことがある。東西南北、かなり色々なところを自由に旅行した。
日本にいるとイランに関しては基本悪いニュースしか入らない。ニュース以外でも女性は外出する時は必ずチャドルをまとわなくてならないとか、宗教警察がいるらしいとか、あまり良いイメージはなかった。
入国した最初に驚いたのは、イランは実に豊かな国ということだ。産油国なので当然といえば当然なのだが、インフラも良いし、清潔だ。水道水も飲める。イランには通算1ヶ月以上滞在したのだが、その間まったくお腹は壊さなかった。パキスタンとの国境が顕著だったが、パキスタン側はちょっとバラック風でハエも沢山いたのだが、イラン側はまったくハエがいないことにも驚いた。
ちょっと病院を受診する必要が出て、テヘランの個人病院も訪れたが、英語を話せる先生が丁寧に診療してくれた。海外旅行保険も使う必要もないくらい格安な医療費だったように思う。
そして歴史と文化に富んだ国だった。学校の歴史で習ったアケメネス朝ペルシャだの、ササン朝ペルシャというのはイランのことだと、初めて実感を持ってペルセポリスなどの遺跡を巡ったし、世界の半分といわれたイスファハーンも訪れた。荒川弘が漫画化した田中芳樹のアルスラーン戦記は架空のイラン戦記ものだ。
イスファハーンのイマーム広場(王政時代には王の広場と呼ばれていたらしい)をソフトクリーム片手に散歩する。ペルシャ絨毯屋を冷やかす(トルコの絨毯屋に比べると、安すぎる値段であった)。外国人である自分だけでなく、現地の女性たちもチャドルを着ないといけないという制約はありつつも、楽しげに散歩していた。
インドのヒンドゥー教寺院は異教徒は立ち入れないところも多いが、イランの宗教施設は寛容で、モスクでは現地の人に混じって礼拝にも参加できたし、聖地マシュハドでも、普通に聖人廟を参拝できた。
移動は主にバスを使っていたが、このバスはすべてベンツ製だった。厳密にはベンツのOME生産という噂を聞いたが、とにかくベンツマークの付いたバスが縦横無尽に格安で走っていた。乗る機会はなかったが、産油国であるためか飛行機も激安で、日本で言うならバスみたいな値段で乗れた。
町を歩いてると、たまに日本語で話しかけられた。昔、日本とイランはビザ相互免除協定を結んでいたためか、日本にいたことがある人がちらほらいるのだ。日本にいた頃は神奈川県の秦野の自動車工場で働いてたんですよー、と話しかけられ、親切にしてもらった。テヘランの日本大使館に行った時には、イランの人と結婚して現地で暮らす日本人の交流のようなものも見かけた。
別にこれと言って結論めいたものはないのだが、イランの滞在はいちバックパッカーとしては非常に楽しいもので、今でもまた再訪の機会があれば訪れてみたいと思っている。秦野で働いていておっちゃんも、キャビアが食べれる店に案内してくれた現地で暮らす日本人女性も、みんな元気にしているだろか、ということを、イスラエルやアメリカによるイラン攻撃のニュースを見る度に思い出す。
はむはむ亀田さんの炎上で、もしかしたらとおもったんだけど、むかしいたはてサの id:Wallerstein って、日本史学の秦野裕介 id:ikimonobunka だったのかな。
ニュージェネレーションズクライマックス 見たよ
ルーブ映画版で初登場したトレギアのタイガTVシリーズを経ての最終決着。
まあ、なんつーか 悪い意味でのドラゴンボール 戦闘力が青天井でインフレしていく。
ウルトラマンサーガとか、ハイパーゼットンとかあの辺の時代の映画は、予算がなかったのか とある謎の惑星の原野 か 宇宙空間で 戦ってたんだが
今回はTV版と共通してのマーブリングファインアーツさんのご尽力で、今回 調布~稲城~秦野~横浜市港北区~ あたりでロケしていた TVシリーズでいう綾香市世田原市北川町星山市ニュータウンや下町の風景と連続性がある。
そこでやたら火力の強い映画版の光線技(ファイナルなんとか、ウルティメートなんとか)を敵味方がぽんぽん繰り出すものだから(週に1回/30分ではなく、3回/80分)町の被害が尋常じゃない。
火の七日間か、ってくらい調布~稲城~秦野~横浜市港北区の街が、コラテラルダメージで蹂躙されていく。
ティガダイナガイア8兄弟映画あたりはCG宇宙空間戦で、敵が超巨大合体怪獣(CG)なので ウルトラマンたちがハエに見えるという、オールドファンにはすこぶる評判が悪かったのだが
https://www.sankei.com/region/news/200207/rgn2002070037-n1.html
2020.2.7 11:09
神奈川県警秦野署は7日、中古品店で暴れたため署に連れて行った同県小田原市の無職男性(66)が、署内で保護中に死亡したと発表した。目立った外傷はないとしており、司法解剖して死因を調べる。石原達也副署長は「適切な保護の取り扱いと考えられるが原因を調査する」としている。
署によると、6日午後2時50分ごろ秦野市内の中古品店で、レジ袋が有料だったため男性が激高し、店員の胸ぐらをつかんだ。署員が署に連れて行き保護。署員につかみかかるなどしたため、署員5人前後で手足や頭を持つなどして別室に移したが、容体が急変した。同午後6時すぎに病院で死亡を確認した。
警察署で保護の66歳男性死亡 「レジ袋有料」に激高、通報受け署員が連行後
神奈川県警秦野署は7日、中古品店で暴れたため同署内で保護した同県小田原市の無職の男性(66)が死亡したと発表した。
同署の石原達也副署長は「適正な保護の取り扱いと考えられるが、原因を調査する」としている。
同署によると、男性は6日午後2時50分ごろ、同県秦野市内の中古品店での支払い時に「レジ袋が有料」と言われ激高し、店員の胸ぐらをつかむなどした。
署内で引き続き暴れたため、署員5人が頭や両足、両腕をつかむなどして別室に移したところ容体が急変し、搬送先の病院で午後6時10分ごろに死亡した。
虎虎:「中二病でも恋がしたい!」
直近ではLINE文庫エッジの刊行予定ラインナップに挙げられている。
https://twitter.com/kannrininnsan
暁佳奈:「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」
チーバくんの鼻先に住んでいるけど、たぶん大半の人の想像する千葉県の町並みはチーバくんの鼻先から首元まで
それ以外は思っているより田舎で自然豊か。後頭部と首から下は田舎。更に下半身は想像している田舎より更に田舎
今回被害食らったのは首から下。田舎の地域。だから直すのも大変だし、報道も千葉の田舎だから弱い。怒っている人は横浜や川崎を想像して怒ってくれているんだけど、実際はんの鼻先に住んでいるけど、たぶん大半の人の想像する千葉県の町並みはチーバくんの鼻先から首元まで
それ以外は思っているより田舎で自然豊か。後頭部と首から下は田舎。更に下半身は想像している田舎より更に田舎
今回被害食らったのは首から下。田舎の地域。だから直すのも大変だし、報道も千葉の田舎だから弱い。怒っている人は横浜や川崎を想像して怒ってくれているんだけど、実際は鶴巻温泉や秦野レベル。いや、群馬のみなかみレベルかも
先日、サマーウォーズの放送があった。すっかり夏と言えば定番の番組のひとつとして定着しているような気がする。
次の夏の定番候補が現れるか、あるいはあのSNS設定が古くさくなる日が先に来るのではないかと考えると恐ろしいものである。
※
サマーウォーズと言えば、私は毎回気になってしまうことがある。
つまりはサマーウォーズの家族の様子がが「異様だ」と言われることだ。
女たちが料理を作り、男たちはそれを手伝いもしない。それがおかしいのだという。
というのも、生まれ育った我が家では母が料理をし、私が配膳をしている間、父がビールをのんで先に料理を食べるのは当たり前のことだったからだ。
※
由緒もなければ、特殊な職でもない、神奈川のごく平凡なサラリーマンの家庭だった。
けれども、少し夫婦喧嘩が多く、子供の私を巻き込んでの喧嘩もあった。そのうえ、我が家では父のいうことが強かった。彼が満足しなければ、怒鳴ることさえも赦される風潮だった。いや、怒鳴られないために、皆父に従っていたのだ。
特に私は、父に嫌われていたから、父の言葉を黙って聞いている必要があった。常に家ではビールをのんでいる気まぐれな父の怒るポイントは難しかったから、自然と父の前ではなにも話さなくなっていった。
また、他の兄弟や母の話のほうが優先されるべきものであるという認識があった。彼らは私ほどに父に嫌われていなかったので、父がそこまで機嫌を損ねなかったからだ。
ここまでいうと、私の家庭がある程度特殊なものであるということがわかるだろう。
と。
恥ずかしながら、当時私はすでに二十歳も越えていた。
それでもこの私にとって「普通」のことが、多くの家庭では「普通でない」ことに気づけなかったのだ。
他と比較する機会が少なく、親戚との付き合いが少ない家庭(我が家には従兄弟づきあいがなかった!)ではなおさらである。
私は、たとえそれが普通でない環境であっても、気づけなかった。ただ私を嫌う父にしたがい、家族に奉仕する立場に甘んじるしかなかった。
※
さて、このような話をすると、自分の過去の家庭の異様性に気づけた今は、自立して元気にやっているという後日談が来ることを期待する人もいるだろう。
実際にうまく自立して、今は幸せに暮らしているという話を見ることも多いが、
私はそのような人が羨ましい。
※
幸い仕事が苦手ではなかったので、自立するだけの職と稼ぎを手にいれることができたのだ。
けれども、それで今までの普通でなかった環境の影響を全て払拭できたかというと、首を横にふらざるを得ない。
今までの家庭環境は、私に大きな影を落としている。
自己肯定感が大きく欠けており、うまく自己を評価することができない。不安性も相まって、人間関係もへたくそになる。
もちろん私に近い家庭環境でも、うまく人間関係を築ける人もいるだろうし、そのような人に比べれば私が努力不足であることも認める。
一方で、サマーウォーズの「普通ではない」といわれるものが普通の家庭で、比較もできないまま長年育ってしまうと、簡単には直しようもないものがあることも事実だ。
あるいは、もう少し積極的に周りに家庭の話をできていたらと思うこともあるが、父が娘を嫌うという構図でさえあまり理解されるものではなかったから、やはり他の家庭というものは理解しがたいものなのだと思う。
それでも、せめて何かのきっかけがあれば、もう少しはやく気づけていれば、今よりも生きることが楽になっていたかもしれない。
※
もし放送されるのならば。
あの家族が「普通ではない」という話がまた起こるとするならば。
その話が、自分の家庭を「普通」だと思い込む「普通ではない」家庭の子供達が、認識の違いに気づくきっかけになることを願いたい。
私のなかでは、横浜は横浜ですが、川崎も秦野も愛川も町田も神奈川のイメージですね。
それから、最後の方まで性別明記していなかったので、性別言及しているかたは意外としっかり読んでくださったのだなと、ちょっと嬉しかったです。
ありがとうございました。
宝永年間(1700年代)の富士山の噴火では、降灰により煙草の耕作に適した土壌がつくられたと言われています。
江戸時代に興った秦野葉の栽培は、水府葉(茨城)、国分葉(鹿児島)と並び日本三大銘葉として称せられ、秦野町は全国でも有数な
煙草生産地として知られるようになりました。 明治32年(1899)には、秦野に煙草試験場が開設。
亀本は、秦野葉の名を後世に伝えようと、秦野葉の葉形を型にした煎餅を考案、『煙草煎餅』と名付け製造を始めた。
時は流れ、秦野の町は大きく発展。
煙草耕作は大変な労力がかかり、高度経済成長以降、第一次産業に従事する人口が減少してくると生産が低調になっていきました。
秦野葉は、刻み葉(キセル用)であったため、嗜好品の変化から消費量も減少し、昭和49年を最後に秦野から姿を消しました。
その後は、紙巻き煙草用の米葉と呼ばれる黄色種が生産されたものの、かつてのような隆盛はなく、昭和59年に黄色種の生産も
この一方で、煙草煎餅は、独特の製法・厳選された材料が醸す味覚を大切に守りながら販売が続けられている。
http://tokio-mt.wixsite.com/sugar-and-spice-1/about_us
http://www.city.hadano.kanagawa.jp/www/contents/1001000001160/index.html
同様の例としては皆無。それはそうで、負けても対局料が手に入るのにそれをみすみす捨てる馬鹿はいない。
ただ、寝坊やスケジュール管理のミスといった過失による対局放棄はある。
近年の例で言うと、2010年に郷田真隆九段(現・王将、タイトル通算6期の超一流棋士。9月に公開対局での二歩で話題になった)が寝坊で竜王戦の予選を不戦敗になった。
この際の郷田に対する処分は1.対局料の不払い、2.竜王戦参稼手当100万円の半額を返納、3.ファンへの奉仕活動1日 だった。
類似の例としては、日本将棋連盟の分裂寸前にまで至った「陣屋事件」というのがある。
1952年2月に行われたタイトル戦の王将戦第6局で、挑戦者の升田幸三八段が会場となった神奈川県弦巻温泉の旅館「陣屋」に到着したが、「玄関のベルを押したが誰も出てこなかった」ことに腹を立てた、と言って対局を拒否、第6局が不開催になったということがある(ただし当時陣屋の玄関にベルはついておらず、これは枡田の虚言。これをきっかけに陣屋は、玄関に呼び出しのための陣太鼓を置くようになって、陣屋名物となっている。また升田は陣屋に向かわず秦野温泉の別の旅館に籠って対局を促しに来た関係者にも会っているので、過失ではなく明確な故意による対局拒否)。
事の真相は明らかになってないが、将棋界の間ではまず間違いなく以下の理由だったと言われている。
王将戦は当時から現在に至るまで七番勝負で四勝先取したほうが勝ちというシステムだが、この当時はどちらかが四勝以上してもさらに継続する、というシステムだった。そして決着がついた後の対局は、シリーズに勝ったほうが負けた方に対して自分の駒(香車)を落とすハンデをつけて指すことになっていた。このシリーズは第5局までに升田が木村義雄名人に4勝1敗で勝利を決めており、この第6局は升田が木村に対して香車を落とすことになっていた。
名人というタイトルの重みは現在でも特別だが、この当時はそれにも増して大きいものだった。単に将棋界最強というだけではない、ある種の宗教的な権威があるものと言っていい。その名人が、対戦相手に香車を落としてもらうなどということは、名人の品格を著しく傷つけるもので、いかにルールとはいえ誰も見たくない(この感覚は、羽生善治がコンピュータ将棋に角を落としてもらって対局する、という場面を想像してもらえばいいかと思う。対局に関係ない第三者でさえ屈辱を感じるというようなものだ)。もちろん王将戦が始まる前、この事態は当然予想されていて、香車を落とすことに強く反対していたのが升田、一方で「名人が第7局を迎える前にシリーズに負けることはない」と言ったのが当の木村義雄名人で、木村の一声で沙汰止みになってしまった(昔から今に至るまで、将棋界というのは将棋の強い側の声が通るのだ。そして当の本人がこのようにその報いを受けてしまう)。升田は「将棋を守る」ために、バレバレの嘘をついて対局を拒否したのだろう、と思われている。
真意はさておき、タイトル戦を故意にすっぽかしたことには変わりないからこれは一大事で、当初将棋連盟は升田を一年間の出場停止処分にしようとした。これは現代の目から見ても重さとしては妥当だと思う。ただ、日本将棋連盟は関東と関西の将棋指しの団体が合一してできたという経緯があり、東西の対立まではいかずとも派閥意識というのは当時強かった。関西の棋士である升田への処分に対しては関西の棋士たちが反発し、すわ東西分裂か?という事態になった。最終的には木村名人の一存に委ねられ、升田は一切お咎めなし、という結末になった。
事実としてこういうことがあった
詳しく調べてないんでわからないが、それによる損害で自殺した人はいるかもしれないね
聞くところによるとこの大停電で恐ろしい額の損害がでたというし
猛暑のため、昼休み明けで急速に電力需要が伸びていった。需要の伸びは1分当たり40万kWであったという。
電力需要の伸びに伴って無効電力も急速に伸び、電力会社では変電所に設置されている電力用コンデンサを次々と投入し無効電力の抑制を行った。
午後1時07分には電力用コンデンサの全量を投入したが、無効電力の伸びに追いつかず基幹系統の変電所の母線電圧が低下し(50万V母線で37万~39万Vであったという)、UVR(不足電圧リレー)の動作により1987年7月23日の午後1時19分頃に、基幹系の変電所が停電となり配下の変電所が停電した。(関東中央部:豊島、京北、北東京、多摩、上尾、池上変電所・関東南西部:笹目、北相模、新秦野、新富士変電所で停電が発生)
また、基幹系変電所のリレー動作で負荷が急減したため発電機の回転速度が増加し周波数上昇が発生したため、川崎火力6号機や鹿島火力4号機と6号機の発電機OFR(周波数上昇リレー)が動作し電源が脱落した。
停電は関東中央部は約30分で復旧したが、関東南西部は完全復旧までに3時間21分を要した。 一方、脱落した電源は、鹿島6号機は停電発生後約1時間20分、鹿島4号機は約1時間半、川崎6号機は約1時間50分で再並列した。