はてなキーワード: 郷田とは
相手は、いつもセクハラ混じりの雑談を繰り返す某広告代理店の中年男性・郷田課長。
「女性が“メロい”って言うのと、男性が“メロい”って言うのは、違うんです」
「え〜〜なになに、メロいってピュアな言葉じゃないの? セクハラじゃないよ〜?」
押しつけがましい“ピュア”を振りかざす郷田に、カヲルの中で怒りが渦巻く。
「メロい」は、性欲だけじゃない。
でも、それが“どの口から出るか”で、まるで意味が変わってしまう――。
その名も「リビドー・イクス」。
“性的視線の呪い”を他者に強制的に浴びせ、羞恥心で心を閉ざさせていく。
その標的はなんと、Plasm♡Lustのメンバー、そして――カヲル本人。
アイドル現場に現れた怪人は、観客たちの理性を暴走させ、推しへの愛を「見せつける性」へと歪めていく。
「推しの目の前でイクなんて……無理ッ……!!」
「これ以上見られたら、私……わたし……!!」
「君の“好き”が、本物なら。どんな場所でも、誰の目があっても、誇っていい」
「誰にも見せたくなかったこの気持ち……でも、今なら言える!私の推しは!尊くて、かっこよくて、メロくて、性欲まみれで最高なんだよッッッ!!!」
仮面ライダーメロイ、羞恥と欲望の狭間で覚醒する新フォーム・メロイ・エクスリビドに変身。
「あんなに見られて、バレて、恥ずかしかったのに……でも、正直になれた気がする。私は……推しに欲情してるよ……めちゃくちゃ、メロいって思ってるよ……!」
そして画面の奥、ステージの裏側で、黒い影が不敵に笑う。
もっとたくさん教えて
ChatGPT:
了解!さらに多くの架空の暴力団・組織名を紹介するよ。漫画・小説・ゲーム・映画などの作品ごとにまとめてみた。
大道寺一派(だいどうじいっぱ)
郷田龍司組(ごうだりゅうじぐみ)
真島組(まじまぐみ)
堂島組(どうじまぐみ)
荒川組(あらかわぐみ)
2. 闇金ウシジマくん
白峰組(しらみねぐみ)
滑皮組(なめかわぐみ)
愛沢組(あいざわぐみ)
猪背組(いのせぐみ)
3. 代紋TAKE2
真侠会(しんきょうかい)
紅蓮会(ぐれんかい)
鬼州組(きしゅうぐみ)
武侠組(ぶきょうぐみ)
4. サンクチュアリ
黒澤組(くろさわぐみ)
明石組(あかしぐみ)
三崎組(みさきぐみ)
大西組(おおにしぐみ)
藤堂組(とうどうぐみ)
5. 静かなるドン
新鮮組(しんせんぐみ)
鬼州組(きしゅうぐみ)
三代目村田組(むらたぐみ)
近藤組(こんどうぐみ)
風間組(かざまぐみ)
6. 天牌
堂島組(どうじまぐみ)
三国組(みくにぐみ)
7. OUT
潮崎組(しおざきぐみ)
浜田組(はまだぐみ)
清水組(しみずぐみ)
神崎組(かんざきぐみ)
8. クローバー
城戸組(きどぐみ)
黒田組(くろだぐみ)
坂口組(さかぐちぐみ)
広能組(ひろのぐみ)
村岡組(むらおかぐみ)
矢野組(やのぐみ)
加古村組(かこむらぐみ)
狼組(おおかみぐみ)
蛇鬼会(じゃきかい)
紅虎会(こうこかい)
銀竜会(ぎんりゅうかい)
青道会(せいどうかい)
西崎組(にしざきぐみ)
黒目組(くろめぐみ)
南雲組(なぐもぐみ)
黒田組(くろだぐみ)
15. ミナミの帝王
柴田組(しばたぐみ)
木崎組(きざきぐみ)
本城組(ほんじょうぐみ)
大学生で一人暮らしの私は、どうしても龍が如くをやりたかった。
しかしps4は実家、仮に一人暮らしの場所に持って行けたとしてもゲームのやり過ぎで多分生活バランスが崩れてしまう。
なので実質龍が如くだと(主にTwitterで)言われていたブルアカをインストールした。今考えるとあれは与太話だったのだろうが私の頭の中には龍が如くしかなかった。(龍が如くのソシャゲもあるにはあったしやってたのだが辞めた)
先生の名前は「龍司」にした。名前の由来は私の最推しの郷田龍司から取った。
そしてプレイして数ヶ月経った今、龍が如く視点はあれどブルアカを楽しんでいる。
ブルアカ、ストーリーもイベントもキャラに個性があって面白い。あと治安悪いのも良い。エデン条約凄かった。(小並感)
でも名前覚えられない。人の名前とカタカナ表記の暗記が苦手な私にとってマジでキャラの名前が出てこない。
アルやアコなどの2文字までなら覚えられるのだが3文字になると本当に覚えられない。(独特な名前だと分かる。ツルギとか)
最近までシロコの名前が分からなかったしアカリは私の中の認識が「ウェルダンネキ」だった。
でも龍が如く繋がりで桐生キキョウと天童アリスと春日ツバキとミネ(峯)は分かる。あとハルカも。
大学生で一人暮らしの私は、どうしても龍が如くをやりたかった。
しかしps4は実家、仮に一人暮らしの場所に持って行けたとしてもゲームのやり過ぎで多分生活バランスが崩れてしまう。
なので実質龍が如くだと(主にTwitterで)言われていたブルアカをインストールした。今考えるとあれは与太話だったのだろうが私の頭の中には龍が如くしかなかった。(龍が如くのソシャゲもあるにはあったしやってたのだが辞めた)
先生の名前は「龍司」にした。名前の由来は私の最推しの郷田龍司から取った。
そしてプレイして数ヶ月経った今、龍が如く視点はあれどブルアカを楽しんでいる。
ブルアカ、ストーリーもイベントもキャラに個性があって面白い。あと治安悪いのも良い。エデン条約凄かった。(小並感)
でも名前覚えられない。人の名前とカタカナ表記の暗記が苦手な私にとってマジでキャラの名前が出てこない。
アルやアコなどの2文字までなら覚えられるのだが3文字になると本当に覚えられない。(独特な名前だと分かる。ツルギとか)
最近までシロコの名前が分からなかったしアカリは私の中の認識が「ウェルダンネキ」だった。
でも龍が如く繋がりで桐生キキョウと天童アリスと春日ツバキとミネ(峯)は分かる。あとハルカも。
以上のお話によって、郷田三郎と、明智小五郎との交渉、又は三郎の犯罪嗜好癖などについて、読者に呑み込んで頂いた上、さて、本題に戻って、東栄館という新築の下宿屋で、郷田三郎がどんな楽しみを発見したかという点に、お話を進めることに致しましょう。
三郎が東栄館の建築が出来上るのを待ち兼ねて、いの一番にそこへ引移ったのは、彼が明智と交際を結んだ時分から、一年以上もたっていました。随したがってあの「犯罪」の真似事にも、もう一向興味がなくなり、といって、外ほかにそれに代る様な事柄もなく、彼は毎日毎日の退屈な長々しい時間を、過し兼ねていました。東栄館に移った当座は、それでも、新しい友達が出来たりして、いくらか気がまぎれていましたけれど、人間というものは何と退屈極きわまる生物なのでしょう。どこへ行って見ても、同じ様な思想を同じ様な表情で、同じ様な言葉で、繰り返し繰り返し、発表し合っているに過ぎないのです。折角せっかく下宿屋を替えて、新しい人達に接して見ても、一週間たつかたたない内に、彼は又しても底知れぬ倦怠けんたいの中に沈み込んで了うのでした。
そうして、東栄館に移って十日ばかりたったある日のことです。退屈の余り、彼はふと妙な事を考えつきました。
彼の部屋には、――それは二階にあったのですが――安っぽい床とこの間まの傍に、一間の押入がついていて、その内部は、鴨居かもいと敷居との丁度中程に、押入れ一杯の巌丈がんじょうな棚があって、上下二段に分れているのです。彼はその下段の方に数個の行李こうりを納め、上段には蒲団をのせることにしていましたが、一々そこから蒲団を取出して、部屋の真中へ敷く代りに、始終棚の上に寝台ベッドの様に蒲団を重ねて置いて、眠くなったらそこへ上って寝ることにしたらどうだろう。彼はそんなことを考えたのです。これが今迄いままでの下宿屋であったら、仮令たとえ押入れの中に同じような棚があっても、壁がひどく汚れていたり、天井に蜘蛛くもの巣が張っていたりして、一寸その中へ寝る気にはならなかったのでしょうが、ここの押入れは、新築早々のことですから、非常に綺麗きれいで、天井も真白なれば、黄色く塗った滑かな壁にも、しみ一つ出来てはいませんし、そして全体の感じが、棚の作り方にもよるのでしょうが、何となく船の中の寝台に似ていて、妙に、一度そこへ寝て見たい様な誘惑を感じさえするのです。
そこで、彼は早速さっそくその晩から押入れの中へ寝ることを始めました。この下宿は、部屋毎に内部から戸締りの出来る様になっていて、女中などが無断で這入はいって来る様なこともなく、彼は安心してこの奇行を続けることが出来るのでした。さてそこへ寝て見ますと、予期以上に感じがいいのです。四枚の蒲団を積み重ね、その上にフワリと寝転んで、目の上二尺ばかりの所に迫っている天井を眺める心持は、一寸異様な味あじわいのあるものです。襖ふすまをピッシャリ締め切って、その隙間から洩れて来る糸の様な電気の光を見ていますと、何だかこう自分が探偵小説の中の人物にでもなった様な気がして、愉快ですし、又それを細目に開けて、そこから、自分自身の部屋を、泥棒が他人の部屋をでも覗く様な気持で、色々の激情的な場面を想像しながら、眺めるのも、興味がありました。時によると、彼は昼間から押入に這入り込んで、一間と三尺の長方形の箱の様な中で、大好物の煙草をプカリプカリとふかしながら、取りとめもない妄想に耽ることもありました。そんな時には、締切った襖の隙間から、押入れの中で火事でも始ったのではないかと思われる程、夥しい白煙が洩れているのでした。
ところが、この奇行を二三日続ける間に、彼は又しても、妙なことに気がついたのです。飽きっぽい彼は、三日目あたりになると、もう押入れの寝台ベッドには興味がなくなって、所在なさに、そこの壁や、寝ながら手の届く天井板に、落書きなどしていましたが、ふと気がつくと、丁度頭の上の一枚の天井板が、釘を打ち忘れたのか、なんだかフカフカと動く様なのです。どうしたのだろうと思って、手で突っぱって持上げて見ますと、なんなく上の方へ外はずれることは外れるのですが、妙なことには、その手を離すと、釘づけにした箇所は一つもないのに、まるでバネ仕掛けの様に、元々通りになって了います。どうやら、何者かが上から圧おさえつけている様な手ごたえなのです。
はてな、ひょっとしたら、丁度この天井板の上に、何か生物が、例えば大きな青大将あおだいしょうか何かがいるのではあるまいかと、三郎は俄にわかに気味が悪くなって来ましたが、そのまま逃げ出すのも残念なものですから、なおも手で押し試みて見ますと、ズッシリと、重い手ごたえを感じるばかりでなく、天井板を動かす度に、その上で何だかゴロゴロと鈍い音がするではありませんか。愈々いよいよ変です。そこで彼は思切って、力まかせにその天井板をはね除のけて見ますと、すると、その途端、ガラガラという音がして、上から何かが落ちて来ました。彼は咄嗟とっさの場合ハッと片傍かたわきへ飛びのいたからよかったものの、若もしそうでなかったら、その物体に打たれて大怪我おおけがをしている所でした。
「ナアンダ、つまらない」
ところが、その落ちて来た品物を見ますと、何か変ったものでもあればよいがと、少からず期待していた彼は、余りのことに呆あきれて了いました。それは、漬物石つけものいしを小さくした様な、ただの石塊いしころに過ぎないのでした。よく考えて見れば、別に不思議でも何でもありません。電燈工夫が天井裏へもぐる通路にと、天井板を一枚丈け態わざと外して、そこから鼠ねずみなどが押入れに這入はいらぬ様に石塊で重しがしてあったのです。
それは如何いかにも飛んだ喜劇でした。でも、その喜劇が機縁となって、郷田三郎は、あるすばらしい楽みを発見することになったのです。
彼は暫しばらくの間、自分の頭の上に開いている、洞穴ほらあなの入口とでも云った感じのする、その天井の穴を眺めていましたが、ふと、持前もちまえの好奇心から、一体天井裏というものはどんな風になっているのだろうと、恐る恐る、その穴に首を入れて、四方あたりを見廻しました。それは丁度朝の事で、屋根の上にはもう陽が照りつけていると見え、方々の隙間から沢山の細い光線が、まるで大小無数の探照燈を照してでもいる様に、屋根裏の空洞へさし込んでいて、そこは存外明るいのです。
先まず目につくのは、縦に、長々と横よこたえられた、太い、曲りくねった、大蛇の様な棟木むなぎです。明るいといっても屋根裏のことで、そう遠くまでは見通しが利かないのと、それに、細長い下宿屋の建物ですから、実際長い棟木でもあったのですが、それが向うの方は霞んで見える程、遠く遠く連つらなっている様に思われます。そして、その棟木と直角に、これは大蛇の肋骨あばらに当る沢山の梁はりが両側へ、屋根の傾斜に沿ってニョキニョキと突き出ています。それ丈けでも随分雄大な景色ですが、その上、天井を支える為に、梁から無数の細い棒が下っていて、それが、まるで鐘乳洞しょうにゅうどうの内部を見る様な感じを起させます。
「これは素敵だ」
一応屋根裏を見廻してから、三郎は思わずそう呟つぶやくのでした。病的な彼は、世間普通の興味にはひきつけられないで、常人には下らなく見える様な、こうした事物に、却かえって、云い知れぬ魅力を覚えるのです。
その日から、彼の「屋根裏の散歩」が始まりました。夜となく昼となく、暇さえあれば、彼は泥坊猫の様に跫音あしおとを盗んで、棟木や梁の上を伝い歩くのです。幸さいわいなことには、建てたばかりの家ですから、屋根裏につき物の蜘蛛の巣もなければ、煤すすや埃ほこりもまだ少しも溜っていず、鼠の汚したあとさえありません。それ故ゆえ着物や手足の汚くなる心配はないのです。彼はシャツ一枚になって、思うがままに屋根裏を跳梁ちょうりょうしました。時候も丁度春のことで、屋根裏だからといって、さして暑くも寒くもないのです。
三
東栄館の建物は、下宿屋などにはよくある、中央まんなかに庭を囲んで、そのまわりに、桝型ますがたに、部屋が並んでいる様な作り方でしたから、随って屋根裏も、ずっとその形に続いていて、行止ゆきどまりというものがありません。彼の部屋の天井裏から出発して、グルッと一廻りしますと、又元の彼の部屋の上まで帰って来る様になっています。
下の部屋部屋には、さも厳重に壁で仕切りが出来ていて、その出入口には締りをする為の金具まで取りつけているのに、一度天井裏に上って見ますと、これは又何という開放的な有様でしょう。誰の部屋の上を歩き廻ろうと、自由自在なのです。若し、その気があれば、三郎の部屋のと同じ様な、石塊の重しのしてある箇所が所々にあるのですから、そこから他人の部屋へ忍込んで、窃盗を働くことも出来ます。廊下を通って、それをするのは、今も云う様に、桝型の建物の各方面に人目があるばかりでなく、いつ何時なんどき他の止宿人ししゅくにんや女中などが通り合わさないとも限りませんから、非常に危険ですけれど、天井裏の通路からでは、絶対にその危険がありません。
それから又、ここでは、他人の秘密を隙見することも、勝手次第なのです。新築と云っても、下宿屋の安普請やすぶしんのことですから、天井には到る所に隙間があります。――部屋の中にいては気が附きませんけれど、暗い屋根裏から見ますと、その隙間が意外に大きいのに一驚いっきょうを喫きっします――稀には、節穴さえもあるのです。
この、屋根裏という屈指の舞台を発見しますと、郷田三郎の頭には、いつのまにか忘れて了っていた、あの犯罪嗜好癖が又ムラムラと湧き上って来るのでした。この舞台でならば、あの当時試みたそれよりも、もっともっと刺戟の強い、「犯罪の真似事」が出来るに相違ない。そう思うと、彼はもう嬉しくて耐たまらないのです。どうしてまあ、こんな手近な所に、こんな面白い興味があるのを、今日まで気附かないでいたのでしょう。魔物の様に暗闇の世界を歩き廻って、二十人に近い東栄館の二階中の止宿人の秘密を、次から次へと隙見して行く、そのこと丈けでも、三郎はもう十分愉快なのです。そして、久方振りで、生き甲斐を感じさえするのです。
彼は又、この「屋根裏の散歩」を、いやが上にも興深くするために、先ず、身支度からして、さも本物の犯罪人らしく装うことを忘れませんでした。ピッタリ身についた、濃い茶色の毛織のシャツ、同じズボン下――なろうことなら、昔活動写真で見た、女賊プロテアの様に、真黒なシャツを着たかったのですけれど、生憎あいにくそんなものは持合せていないので、まあ我慢することにして――足袋たびを穿はき、手袋をはめ――天井裏は、皆荒削あらけずりの木材ばかりで、指紋の残る心配などは殆どないのですが――そして手にはピストルが……欲しくても、それもないので、懐中電燈を持つことにしました。
夜更けなど、昼とは違って、洩れて来る光線の量が極く僅かなので、一寸先も見分けられぬ闇の中を、少しも物音を立てない様に注意しながら、その姿で、ソロリソロリと、棟木の上を伝っていますと、何かこう、自分が蛇にでもなって、太い木の幹を這い廻っている様な気持がして、我ながら妙に凄くなって来ます。でも、その凄さが、何の因果か、彼にはゾクゾクする程嬉しいのです。
こうして、数日、彼は有頂天になって、「屋根裏の散歩」を続けました。その間には、予期にたがわず、色々と彼を喜ばせる様な出来事があって、それを記しるす丈けでも、十分一篇の小説が出来上る程ですが、この物語の本題には直接関係のない事柄ですから、残念ながら、端折はしょって、ごく簡単に二三の例をお話するに止とどめましょう。
天井からの隙見というものが、どれ程異様な興味のあるものだかは、実際やって見た人でなければ、恐らく想像も出来ますまい。仮令、その下に別段事件が起っていなくても、誰も見ているものがないと信じて、その本性をさらけ出した人間というものを観察すること丈けで、十分面白いのです。よく注意して見ますと、ある人々は、その側に他人のいるときと、ひとりきりの時とでは、立居ふるまいは勿論もちろん、その顔の相好そうごうまでが、まるで変るものだということを発見して、彼は少なからず驚きました。それに、平常ふだん、横から同じ水平線で見るのと違って、真上から見下すのですから、この、目の角度の相違によって、あたり前の座敷が、随分異様な景色に感じられます。人間は頭のてっぺんや両肩が、本箱、机、箪笥たんす、火鉢などは、その上方の面丈けが、主として目に映ります。そして、壁というものは、殆ど見えないで、その代りに、凡ての品物のバックには、畳が一杯に拡っているのです。
何事がなくても、こうした興味がある上に、そこには、往々おうおうにして、滑稽こっけいな、悲惨な、或は物凄い光景が、展開されています。平常過激な反資本主義の議論を吐いている会社員が、誰も見ていない所では、貰もらったばかりの昇給の辞令を、折鞄おりかばんから出したり、しまったり、幾度も幾度も、飽かず打眺うちながめて喜んでいる光景、ゾロリとしたお召めしの着物を不断着ふだんぎにして、果敢はかない豪奢振ごうしゃぶりを示している、ある相場師が、いざ床とこにつく時には、その、昼間はさも無雑作むぞうさに着こなしていた着物を、女の様に、丁寧に畳んで、床の下へ敷くばかりか、しみでもついたのと見えて、それを丹念に口で嘗なめて――お召などの小さな汚れは、口で嘗めとるのが一番いいのだといいます――一種のクリーニングをやっている光景、何々大学の野球の選手だというニキビ面の青年が、運動家にも似合わない臆病さを以て、女中への附文つけぶみを、食べて了った夕飯のお膳の上へ、のせて見たり、思い返して、引込めて見たり、又のせて見たり、モジモジと同じことを繰返している光景、中には、大胆にも、淫売婦(?)を引入れて、茲ここに書くことを憚はばかる様な、すさまじい狂態を演じている光景さえも、誰憚らず、見たい丈け見ることが出来るのです。
三郎は又、止宿人と止宿人との、感情の葛藤かっとうを研究することに、興味を持ちました。同じ人間が、相手によって、様々に態度を換えて行く有様、今の先まで、笑顔で話し合っていた相手を、隣の部屋へ来ては、まるで不倶戴天ふぐたいてんの仇あだででもある様に罵ののしっている者もあれば、蝙蝠こうもりの様に、どちらへ行っても、都合のいいお座なりを云って、蔭でペロリと舌を出している者もあります。そして、それが女の止宿人――東栄館の二階には一人の女画学生がいたのです――になると一層興味があります。「恋の三角関係」どころではありません。五角六角と、複雑した関係が、手に取る様に見えるばかりか、競争者達の誰れも知らない、本人の真意が、局外者の「屋根裏の散歩者」に丈け、ハッキリと分るではありませんか。お伽噺とぎばなしに隠かくれ蓑みのというものがありますが、天井裏の三郎は、云わばその隠れ蓑を着ているも同然なのです。
若しその上、他人の部屋の天井板をはがして、そこへ忍び込み、色々ないたずらをやることが出来たら、一層面白かったでしょうが、三郎には、その勇気がありませんでした。そこには、三間に一箇所位の割合で、三郎の部屋のと同様に、石塊いしころで重しをした抜け道があるのですから、忍び込むのは造作もありませんけれど、いつ部屋の主が帰って来るか知れませんし、そうでなくとも、窓は皆、透明なガラス障子しょうじになっていますから、外から見つけられる危険もあり、それに、天井板をめくって押入れの中へ下り、襖をあけて部屋に這入り、又押入れの棚へよじ上って、元の屋根裏へ帰る、その間には、どうかして物音を立てないとは限りません。それを廊下や隣室から気附かれたら、もうおしまいなのです。
さて、ある夜更けのことでした。三郎は、一巡ひとまわり「散歩」を済ませて、自分の部屋へ帰る為に、梁から梁を伝っていましたが、彼の部屋とは、庭を隔てて、丁度向い側になっている棟の、一方の隅の天井に、ふと、これまで気のつかなかった、幽かすかな隙間を発見しました。径二寸ばかりの雲形をして、糸よりも細い光線が洩れているのです。なんだろうと思って、彼はソッと懐中電燈を点ともして、検しらべて見ますと、それは可也かなり大きな木の節で、半分以上まわりの板から離れているのですが、あとの半分で、やっとつながり、危く節穴になるのを免れたものでした。一寸爪の先でこじさえすれば、何なく離れて了い相なのです。そこで、三郎は外ほかの隙間から下を見て、部屋の主が已すでに寝ていることを確めた上、音のしない様に注意しながら、長い間かかって、とうとうそれをはがして了いました。都合のいいことには、はがした後の節穴が、杯さかずき形に下側が狭くなっていますので、その木の節を元々通りつめてさえ置けば、下へ落ちる様なことはなく、そこにこんな大きな覗き穴があるのを、誰にも気附かれずに済むのです。
これはうまい工合ぐあいだと思いながら、その節穴から下を覗いて見ますと、外の隙間の様に、縦には長くても、幅はせいぜい一分ぶ内外の不自由なのと違って、下側の狭い方でも直径一寸以上はあるのですから、部屋の全景が、楽々と見渡せます。そこで三郎は思わず道草を食って、その部屋を眺めたことですが、それは偶然にも、東栄館の止宿人の内で、三郎の一番虫の好かぬ、遠藤えんどうという歯科医学校卒業生で、目下はどっかの歯医者の助手を勤めている男の部屋でした。その遠藤が、いやにのっぺりした虫唾むしずの走る様な顔を、一層のっぺりさせて、すぐ目の下に寝ているのでした。馬鹿に几帳面きちょうめんな男と見えて、部屋の中は、他のどの止宿人のそれにもまして、キチンと整頓せいとんしています。机の上の文房具の位置、本箱の中の書物の並べ方、蒲団の敷き方、枕許まくらもとに置き並べた、舶来物でもあるのか、見なれぬ形の目醒めざまし時計、漆器しっきの巻煙草まきたばこ入れ、色硝子いろがらすの灰皿、何いずれを見ても、それらの品物の主人公が、世にも綺麗きれい好きな、重箱の隅を楊子ようじでほじくる様な神経家であることを証拠立てています。又遠藤自身の寝姿も、実に行儀がいいのです。ただ、それらの光景にそぐわぬのは、彼が大きな口を開あいて、雷の様に鼾いびきをかいていることでした。
三郎は、何か汚いものでも見る様に、眉をしかめて、遠藤の寝顔を眺めました。彼の顔は、綺麗といえば綺麗です。成程彼自身で吹聴ふいちょうする通り、女などには好かれる顔かも知れません。併し、何という間延びな、長々とした顔の造作でしょう。濃い頭髪、顔全体が長い割には、変に狭い富士額ふじびたい、短い眉、細い目、始終笑っている様な目尻の皺しわ、長い鼻、そして異様に大ぶりな口。三郎はこの口がどうにも気に入らないのでした。鼻の下の所から段を為なして、上顎うわあごと下顎とが、オンモリと前方へせり出し、その部分一杯に、青白い顔と妙な対照を示して、大きな紫色の唇が開いています。そして、肥厚性鼻炎ひこうせいびえんででもあるのか、始終鼻を詰つまらせ、その大きな口をポカンと開けて呼吸をしているのです。寝ていて、鼾をかくのも、やっぱり鼻の病気のせいなのでしょう。
三郎は、いつでもこの遠藤の顔を見さえすれば、何だかこう背中がムズムズして来て、彼ののっぺりした頬っぺたを、いきなり殴なぐりつけてやり度たい様な気持になるのでした。
四
そうして、遠藤の寝顔を見ている内に、三郎はふと妙なことを考えました。それは、その節穴から唾つばをはけば、丁度遠藤の大きく開いた口の中へ、うまく這入りはしないかということでした。なぜなら、彼の口は、まるで誂あつらえでもした様に、節穴の真下の所にあったからです。三郎は物好きにも、股引ももひきの下に穿いていた、猿股さるまたの紐を抜出して、それを節穴の上に垂直に垂らし、片目を紐にくっつけて、丁度銃の照準でも定める様に、試して見ますと、不思議な偶然です。紐と節穴と、遠藤の口とが、全く一点に見えるのです。つまり節穴から唾を吐けば、必ず彼の口へ落ちるに相違ないことが分ったのです。
併し、まさかほんとうに唾を吐きかける訳にも行きませんので、三郎は、節穴を元の通りに埋うずめて置いて、立去ろうとしましたが、其時そのとき、不意に、チラリとある恐しい考えが、彼の頭に閃きました。彼は思わず、屋根裏の暗闇の中で、真青になって、ブルブルと震えました。それは実に、何の恨うらみもない遠藤を殺害するという考えだったのです。
彼は遠藤に対して何の恨みもないばかりか、まだ知り合いになってから、半月もたってはいないのでした。それも、偶然二人の引越しが同じ日だったものですから、それを縁に、二三度部屋を訪ね合ったばかりで別に深い交渉がある訳ではないのです。では、何故なにゆえその遠藤を、殺そうなどと考えたかといいますと、今も云う様に、彼の容貌や言動が、殴りつけたい程虫が好かぬということも、多少は手伝っていましたけれど、三郎のこの考かんがえの主たる動機は、相手の人物にあるのではなくて、ただ殺人行為そのものの興味にあったのです。先からお話して来た通り、三郎の精神状態は非常に変態的で、犯罪嗜好癖ともいうべき病気を持ってい、その犯罪の中でも彼が最も魅力を感じたのは殺人罪なのですから、こうした考えの起るのも決して偶然ではないのです。ただ今までは、仮令屡々しばしば殺意を生ずることがあっても、罪の発覚を恐れて、一度も実行しようなどと思ったことがないばかりなのです。
ところが、今遠藤の場合は、全然疑うたがいを受けないで、発覚の憂うれいなしに、殺人が行われ相そうに思われます。我身に危険さえなければ、仮令相手が見ず知らずの人間であろうと、三郎はそんなことを顧慮こりょするのではありません。寧むしろ、その殺人行為が、残虐であればある程、彼の異常な慾望は、一層満足させられるのでした。それでは、何故遠藤に限って、殺人罪が発覚しない――少くとも三郎がそう信じていたか――といいますと、それには、次の様な事情があったのです。
東栄館へ引越して四五日たった時分でした。三郎は懇意こんいになったばかりの、ある同宿者と、近所のカフェへ出掛けたことがあります。その時同じカフェに遠藤も来ていて、三人が一つテーブルへ寄って酒を――尤もっとも酒の嫌いな三郎はコーヒーでしたけれど――飲んだりして、三人とも大分いい心持になって、連立つれだって下宿へ帰ったのですが、少しの酒に酔っぱらった遠藤は、「まあ僕の部屋へ来て下さい」と無理に二人を、彼の部屋へ引ぱり込みました。遠藤は独ひとりではしゃいで、夜が更けているのも構わず、女中を呼んでお茶を入れさせたりして、カフェから持越しの惚気話のろけばなしを繰返すのでした。――三郎が彼を嫌い出したのは、その晩からです――その時、遠藤は、真赤に充血した脣くちびるをペロペロと嘗め廻しながら
多分それは一種の精神病ででもあったのでしょう。郷田三郎ごうださぶろうは、どんな遊びも、どんな職業も、何をやって見ても、一向この世が面白くないのでした。
学校を出てから――その学校とても一年に何日と勘定の出来る程しか出席しなかったのですが――彼に出来相そうな職業は、片端かたっぱしからやって見たのです、けれど、これこそ一生を捧げるに足ると思う様なものには、まだ一つも出でっくわさないのです。恐らく、彼を満足させる職業などは、この世に存在しないのかも知れません。長くて一年、短いのは一月位で、彼は職業から職業へと転々しました。そして、とうとう見切りをつけたのか、今では、もう次の職業を探すでもなく、文字通り何もしないで、面白くもない其日そのひ其日を送っているのでした。
遊びの方もその通りでした。かるた、球突き、テニス、水泳、山登り、碁、将棊しょうぎ、さては各種の賭博とばくに至るまで、迚とてもここには書き切れない程の、遊戯という遊戯は一つ残らず、娯楽百科全書という様な本まで買込んで、探し廻っては試みたのですが、職業同様、これはというものもなく、彼はいつも失望させられていました。だが、この世には「女」と「酒」という、どんな人間だって一生涯飽きることのない、すばらしい快楽があるではないか。諸君はきっとそう仰有おっしゃるでしょうね。ところが、我が郷田三郎は、不思議とその二つのものに対しても興味を感じないのでした。酒は体質に適しないのか、一滴も飲めませんし、女の方は、無論むろんその慾望がない訳ではなく、相当遊びなどもやっているのですが、そうかと云いって、これあるが為ために生いき甲斐がいを感じるという程には、どうしても思えないのです。
「こんな面白くない世の中に生き長ながらえているよりは、いっそ死んで了しまった方がましだ」
ともすれば、彼はそんなことを考えました。併しかし、そんな彼にも、生命いのちを惜おしむ本能丈だけは具そなわっていたと見えて、二十五歳の今日が日まで「死ぬ死ぬ」といいながら、つい死切れずに生き長えているのでした。
親許おやもとから月々いくらかの仕送りを受けることの出来る彼は、職業を離れても別に生活には困らないのです。一つはそういう安心が、彼をこんな気まま者にして了ったのかも知れません。そこで彼は、その仕送り金によって、せめていくらかでも面白く暮すことに腐心しました。例えば、職業や遊戯と同じ様に、頻繁ひんぱんに宿所を換えて歩くことなどもその一つでした。彼は、少し大げさに云えば、東京中の下宿屋を、一軒残らず知っていました。一月か半月もいると、すぐに次の別の下宿屋へと住みかえるのです。無論その間には、放浪者の様に旅をして歩いたこともあります。或あるいは又、仙人の様に山奥へ引込んで見たこともあります。でも、都会にすみなれた彼には、迚も淋しい田舎に長くいることは出来ません。一寸ちょっと旅に出たかと思うと、いつのまにか、都会の燈火に、雑沓ざっとうに、引寄せられる様に、彼は東京へ帰ってくるのでした。そして、その度毎たびごとに下宿を換えたことは云うまでもありません。
さて、彼が今度移ったうちは、東栄館とうえいかんという、新築したばかりの、まだ壁に湿り気のある様な、まっさらの下宿屋でしたが、ここで、彼は一つのすばらしい楽たのしみを発見しました。そして、この一篇の物語は、その彼の新発見に関聯かんれんしたある殺人事件を主題とするのです。が、お話をその方に進める前に、主人公の郷田三郎が、素人探偵の明智小五郎あけちこごろう――この名前は多分御承知の事と思います。――と知り合いになり、今まで一向気附かないでいた「犯罪」という事柄に、新しい興味を覚える様になったいきさつについて、少しばかりお話して置かねばなりません。
二人が知り合いになったきっかけは、あるカフェで彼等が偶然一緒になり、その時同伴していた三郎の友達が、明智を知っていて紹介したことからでしたが、三郎はその時、明智の聰明そうめいらしい容貌や、話しっぷりや、身のこなしなどに、すっかり引きつけられて了って、それから屡々しばしば彼を訪ねる様になり、又時には彼の方からも三郎の下宿へ遊びにやって来る様な仲になったのです。明智の方では、ひょっとしたら、三郎の病的な性格に――一種の研究材料として――興味を見出していたのかも知れませんが、三郎は明智から様々の魅力に富んだ犯罪談を聞くことを、他意なく喜んでいるのでした。
同僚を殺害して、その死体を実験室の竈かまどで灰にして了おうとした、ウェブスター博士の話、数ヶ国の言葉に通暁つうぎょうし、言語学上の大発見までしたユージン・エアラムの殺人罪、所謂いわゆる保険魔で、同時に優れた文芸批評家であったウエーンライトの話、小児しょうにの臀肉でんにくを煎せんじて義父の癩病を治そうとした野口男三郎の話、さては、数多あまたの女を女房にしては殺して行った所謂ブルーベヤドのランドルーだとか、アームストロングなどの残虐な犯罪談、それらが退屈し切っていた郷田三郎をどんなに喜ばせたことでしょう。明智の雄弁な話しぶりを聞いていますと、それらの犯罪物語は、まるで、けばけばしい極彩色ごくさいしきの絵巻物の様に、底知れぬ魅力を以もって、三郎の眼前にまざまざと浮んで来るのでした。
明智を知ってから二三ヶ月というものは、三郎は殆どこの世の味気なさを忘れたかと見えました。彼は様々の犯罪に関する書物を買込んで、毎日毎日それに読み耽ふけるのでした。それらの書物の中には、ポオだとかホフマンだとか、或はガボリオだとかボアゴベだとか、その外ほか色々な探偵小説なども混っていました。「アア世の中には、まだこんな面白いことがあったのか」彼は書物の最終の頁ページをとじる度毎に、ホッとため息をつきながら、そう思うのでした。そして、出来ることなら、自分も、それらの犯罪物語の主人公の様な、目ざましい、けばけばしい遊戯(?)をやって見たいものだと、大それたことまで考える様になりました。
併し、いかな三郎も、流石さすがに法律上の罪人になること丈けは、どう考えてもいやでした。彼はまだ、両親や、兄弟や、親戚知己ちきなどの悲歎や侮辱ぶじょくを無視してまで、楽しみに耽る勇気はないのです。それらの書物によりますと、どの様な巧妙な犯罪でも、必ずどっかに破綻はたんがあって、それが犯罪発覚のいと口になり、一生涯警察の眼を逃れているということは、極ごく僅わずかの例外を除いては、全く不可能の様に見えます。彼にはただそれが恐しいのでした。彼の不幸は、世の中の凡すべての事柄に興味を感じないで、事もあろうに「犯罪」に丈け、いい知れぬ魅力を覚えることでした。そして、一層の不幸は、発覚を恐れる為にその「犯罪」を行い得ないということでした。
そこで彼は、一通り手に入る丈けの書物を読んで了うと、今度は、「犯罪」の真似事を始めました。真似事ですから無論処罰を恐れる必要はないのです。それは例えばこんなことを。
彼はもうとっくに飽き果てていた、あの浅草あさくさに再び興味を覚える様になりました。おもちゃ箱をぶちまけて、その上から色々のあくどい絵具をたらしかけた様な浅草の遊園地は、犯罪嗜好者しこうしゃに取っては、こよなき舞台でした。彼はそこへ出かけては、活動小屋と活動小屋の間の、人一人漸ようやく通れる位の細い暗い路地や、共同便所の背後うしろなどにある、浅草にもこんな余裕があるのかと思われる様な、妙にガランとした空地を好んでさ迷いました。そして、犯罪者が同類と通信する為ででもあるかの様に、白墨はくぼくでその辺の壁に矢の印を書いて廻まわったり、金持らしい通行人を見かけると、自分が掏摸すりにでもなった気で、どこまでもどこまでもそのあとを尾行して見たり、妙な暗号文を書いた紙切れを――それにはいつも恐ろしい殺人に関する事柄などを認したためてあるのです――公園のベンチの板の間へ挟んで置いて、樹蔭こかげに隠れて、誰かがそれを発見するのを待構えていたり、其外そのほかこれに類した様々の遊戯を行っては、独り楽むのでした。
彼は又、屡々変装をして、町から町をさ迷い歩きました。労働者になって見たり、乞食になって見たり、学生になって見たり、色々の変装をした中でも、女装をすることが、最も彼の病癖を喜ばせました。その為には、彼は着物や時計などを売り飛ばして金を作り、高価な鬘かつらだとか、女の古着だとかを買い集め、長い時間かかって好みの女姿になりますと、頭の上からすっぽりと外套がいとうを被って、夜更よふけに下宿屋の入口を出るのです。そして、適当な場所で外套を脱ぐと、或時あるときは淋しい公園をぶらついて見たり、或時はもうはねる時分の活動小屋へ這入はいって、態わざと男子席の方へまぎれ込んで見たり、はては、きわどい悪戯いたずらまでやって見るのです。そして、服装による一種の錯覚から、さも自分が妲妃のお百だとか蟒蛇お由よしだとかいう毒婦にでもなった気持で、色々な男達を自由自在に飜弄ほんろうする有様を想像しては、喜んでいるのです。
併し、これらの「犯罪」の真似事は、ある程度まで彼の慾望を満足させては呉れましたけれど、そして、時には一寸面白い事件を惹起ひきおこしなぞして、その当座は十分慰めにもなったのですけれど、真似事はどこまでも真似事で、危険がないだけに――「犯罪」の魅力は見方によってはその危険にこそあるのですから――興味も乏しく、そういつまでも彼を有頂天にさせる力はありませんでした。ものの三ヶ月もたちますと、いつとなく彼はこの楽みから遠ざかる様になりました。そして、あんなにもひきつけられていた明智との交際も、段々とうとうとしくなって行きました。
13話。
まさか「好き」とは自覚してなかったのか。そういう概念が無いのか。
付き合いとしては「ゲーセンで出会うツレ」と同レベルに毛が生えた程度なんだがね。
こういう「素性の悪い人間が絡んでくるのは迷惑」って言い方は現実でもあることだよな。
子供時代に「あの子と絡んじゃいけません」と言われた人間も居るだろう。
親心があるとどうしても筋の悪い言い方になっちゃうこともあるんだろうね。
それに対してママつええ。ババァだからこそ言い返せるんだよねwww
クソガキには無理だよな。
…というか本格的に飽きてきた。視聴中止するか…。
気が向いたらまた見るかな。
なんかこう、一気に見れる面白いやつか、ほのぼのしっぱなし(ちょっとだけ切ない)みたいな作品じゃないと日々のストレスを解消出来ない…。
自分用のメモであるが、経緯が分かってない人が多すぎるのでここに記しておく。
・三浦に3連敗
・連盟に不正疑惑記事を書かれると大変な事になると話を持ち込む(ただし自分がリーク元である)
・あいつを降ろさなければ竜王戦に出ないで大変な事にしてやると連盟を強要(論理が逆転)
・秘密会議に羽生を呼びつけなんとか言質をとりつけその後の根拠とする
「過去に三浦九段と対戦した5人前後の棋士から、調査依頼があった」→渡辺と久保だけ
「休養を三浦が言い出した」→「竜王戦は開催されなくなった。それを承知してくれるか」と島が発言したため
「離席は2時間40分(青野)」→自分の手番でと喧伝されたが実際には相手の手番も含む、休憩を除いた全対局時間(10時間31分)の中のそれ
→一棋士に過ぎない渡辺にその権限はない。権限がないことをした以上、強い責任が生じる
→証拠もなしに、三浦に棋士として最大の侮辱を与えた。昔であれば切腹ものの屈辱。
これは絶対にやってはならないこと。渡辺に切腹しろとは言わないが、自主的に引退ぐらいはすべき案件
→この事件は渡辺がいなければ発生しなかったことになる。この点で除名相当
7月26日 久保が三浦と対戦、30分の離席(実際は6.3.3分)
8月8日 連盟が長時間の離席を控える旨の通知書を全棋士に送る。
10月3日 A級戦 三浦に敗北。渡辺は「三浦の研究手に嵌められて負けた」と発言、感想戦もそこそこに帰宅
10月4日 テレビ(?)で見ていた黒幕※に「三浦のカンニング疑惑」を教えられる。
10月4日-8日?のどこか 文春記者、情報を掴んだと10/20発売の文春に記述
10月 5日 渡辺提案で竜王戦の金属探知機導入が決定 (サンスポ)
10月 5日 12月14日より、電子機器は対局前にロッカーに預ける、対局中は外出禁止、等の規定を施行の旨公表
10月 7日 三浦とは対戦したくないと、島専務理事にねじこむ (電話連絡)
10月 8日 渡辺は文春記者に、「これが最後の将棋になるかも」メール送付 (週刊文春12/28)
10月10日 秘密会議 千田を連れて、羽生や谷川にカンニング疑惑を説明
10月12日 三浦、挑戦権を剥奪される (判断主体は理事会or常務会)
10月12日 連盟 処分発表 、渡辺ブログで「大変な事態、詳細は各種報道に任せて、ここでは省略。」
10月14日 竜王戦 前夜祭
10月15、16日 竜王戦第一局 、天竜寺にて80年ぶりに開催(青野理事の功績大)
10月20日 週刊文春に、渡辺の独占告白が行われ、三浦の疑惑が大々的に報道される
12月?日 竜王戦防衛直後、第三者委員会報告の前に、渡辺「告発した事は後悔していない。」旨発言(週刊文春12/28)
※10月4日、渡辺にチクった黒幕は、報道関係者(朝日新聞)、棋士(週刊文春)の二説あり
12月10日頃 上州将棋祭り2017(2017年1月3日、4日)ポスターから三浦の写真削除
12月27日 三浦会見:「竜王戦は中止になりました」・上州将棋祭りの三浦降板は連盟の一方的措置(三浦)
12月27日 日本将棋連盟(以下連盟)会見:休業は三浦側から言い出した、強要はしていないと反論するも「中止になりました」云々には言及なし
12月28日 連盟ウェブサイトに上州将棋祭りの三浦降板は連盟の都合によるものと公示
1月3日 上州将棋祭りに三浦が特別出演(あいさつのみ)、記者会見
1月7日 王将戦開幕前日、「対局者※の意向もあって金属探知機の検査は見送られた」(毎日) ※郷田と久保
1月17日 第三者委報告概要ドラフト版が連盟ウェブサイト上に発見され、公開版との異同が指摘される
1月17日 竜王就位式で渡辺明竜王が事件についてコメント、謝罪・陳謝等と報道される
将棋ファンの皆様方にご迷惑をおかけしました。申し訳なく思います」
1月18日 谷川、連盟会長辞任会見(新理事選出まで留任)あわせて
三浦の復帰戦は2月13日竜王戦対羽生戦と公表、ただし三浦側からは諾否についてコメントなし
1月19日 連盟理事会、谷川・島の退任承認と2月6日の臨時総会招集を決定
1月20日 連盟の新動画配信サービス告知される(2月1日A級順位戦―三浦は不戦扱い―からサービス開始)
1月23日 月例報告会、理事総解任請求書提出も臨時総会議題とするかは理事会預かり(スポニチ)
1月25日 理事補選立候補(定数2)締め切り、佐藤康、井上が立候補
1月29日 羽生理恵ツイッターで夫の秘密会議出席経緯やメールの真意を発信
2月2日 谷川入院、病名不明、棋王戦第1局前夜祭(4日)、臨時棋士総会・理事会(6日)は欠席の見通し
「渡辺竜王が島常務を脅して三浦九段を失格にするように動いたというのは報告会で島常務から聞いた話」
https://pbs.twimg.com/media/Cv_VWvvUkAAmTAt?format=jpg&;;name=large
・明らかに事実を歪曲してでも不正に持って行こうとしている意図が当初告発に見られ、それについての三浦九段の反論を封殺していること(検証データの恣意的な選別、一致率の対象手の妥当性など)
・連盟が渡辺主導での処分後、もう調査しないと主張しクロでの幕引きを図ったこと
http://shogiweblog.net/archives/565
・三浦をこき下ろしまくった文春記事を渡辺がブログでわざわざ追認していること
「週刊文春に掲載された記事内容は、個人的にはおおむね間違っていないように思います」
http://blog.goo.ne.jp/kishi-akira/e/1f691f8dcad02d9173e57e1699717db7
【結論】
もし渡辺が不正かどうか調査だけしてほしいと思い告発したのならば、完全に上記内容と矛盾する。
本当にしっかり調査して、将棋界のため出来るなら白であってほしい立場の人間が取る態度とは正反対の行動ばかりである。
全てにおいて、とにかく三浦を黒認定してさっさと幕引きしたいという意図つまり悪意しか感じない。
第9条
会員が次のいずれかに該当するに至ったときは、総会の決議によって当該会員を除名することができる。
(1)本連盟の名誉を毀損し、又は本連盟の目的に反する行為をしたとき
タイトル戦での詰み逃し率
渡辺 0.0%(82戦)
森内 2.9%(105戦)
羽生 2.8%(536戦)
NHK杯での詰み逃し率
渡辺 14.8%(27戦)
森内 12.5%(32戦)
谷川 7.3%(55戦)
中原 6.7%(60戦)
加藤 7.4%(5戦)
大山 13.9%(72戦)
色んなアニメ(時代問わず)見てて、なんかバッドエンドの作品が少ないなぁと感じる。もっとバッドエンドのアニメが見たい。ジョージ・オーウェルの「1984年」みたいな終わり方の作品無いのかな。
出来不出来のバッドエンドじゃなくて、悲しい結末の方のバッドエンド。バッドエンドの作品は「どうしてこんなことに…」とか「どこで選択を間違えたんだ」「あの時のあれはフラグだったんだ…」みたいな余韻を楽しむのが好き。一方ハッピー・エンドは「いろんな困難もあったり、選択を間違えたりしたけれど、とりあえず良い結末になってよかった」みたいに感じてしまって、そういう余韻を楽しむ気が起きないのが寂しい。ハッピーエンドもバッドエンドも、最後「登場人物の未来に思いを馳せる」という余韻は共通なのだけれど、それは作品を何度も見返すようなモチベーションに繋がりにくいところがあるので…。
アニメはマンガやラノベを原作として採用している事が多いけれど、そもそもマンガやラノベはハッピー・エンドの作品が多いのかも。ターゲットの年齢層が比較的若年で、彼らにはシリアスな作品があんまり受けない、みたいな傾向があるんだろうか。以前アニメのトークショーでとあるプロデューサーさんがおっしゃってたのは「アニメは明るい話からシリアスな話になると視聴率が下がる傾向にある」だそうで、アニメを見る人の多くは「観てて楽しいアニメ」を求めているのかな。
「クロノトリガー」「ディスガイア」「アーマード・コア」「Fable」「フォールアウト」なんかを遊びながら思春期を過ごしたのだけれど、こういうゲームのエンドはよくハッピーエンドともバッドエンドとも言えない感じの終わり方があって、「ほんとにこの終わり方でいいの?」とプレイヤーに訴えかけることで、何周も遊びたくなるように出来てる。ハッピーエンドもなくはないけど、それは大抵「あらゆるルートを攻略した人へのご褒美」みたいな形で用意されていて、一発で到達するのが難しい仕様なことが多い。そういう原体験を持ってるがゆえに、アニメがハッピーエンドを迎える度「えー、一発でそのルート引いちゃうの?」と思ってしまうのかもしれない。
機動戦士ガンダム0080 ~ポケットの中の戦争~(1989)
30年位前の作品。アルを演じる浪川大輔少年の演技がグロテスクに映える。登場人物がみんな身勝手で、とても悲しくなる。続編ではないけれど、DVDとBD発売時のCM演出がとても救いのある内容で、思わずガチ泣きしてしまった。
『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』 スぺシャルPV(バンダイチャンネル公式)
郷田に超法規的措置しなかったらバッドエンドだった。かといって良い結末を迎えられたわけでもなく。
「人生に劇的なことを期待してはならない」とは貝木泥舟の台詞だけれど、喜劇とも悲劇ともいえない結末を迎えるのが西尾維新作品の好きなところで、特に「しのぶタイム」「なでこメドゥーサ」「傷物語3部作」がとても良い。いや、悪い結末なのだけれど。
「どうしてこうなった」「ゆっくりバッドエンドに向かっていく物語」「幼女を愛でるアニメの皮をかぶった社会風刺」違う意味でもバッドエンドなのだけれど、それに目を瞑っても悲しい結末を迎えた作品。田舎創生をテーマにした作品はハッピーエンドが少ない印象。
近年まれに見るバッドエンド。劇場版として公開された作品だけど、映画館で観た人たちはどうなってしまったのだろうか。1期に至るまでの2年間に思いを馳せると非常に趣深い。
ろくでもない恋愛の末に以下略。音楽の先生が女優の遠野なぎこに見えて、まだまだ受難が続きそうな感じが良い。いや悪いんだけど。
最後、花火大会開けにおける学校シーンの解釈によってはバッドエンドではないのだけれど、あれはおまけみたいなもんなので。ちょっと調子に乗っちゃった子どもとちょっとマセた子どもの間に、何もなかった物語。
教えてよ、素敵なアニメの終わり方
追記
ブコメトラバ全部目を通してます。まず、お礼をば。こんな与太話に付き合っていただいて本当にありがとうございます。ここまで多様な作品を教えていただけるとは…。あとで可能な限り観てみようと思います。ありがとうございます。
mur2 そこにくまみこを入れてほしくない。
くまみこ原作をまだ読んでいないのだけれど「これ、作者に『これそういう作品じゃねえから!』って怒られないんだろうか?」って思いながら観てた。なので原作買おうと思ってる。
yuatast 高山文彦さんがお好きなのかな
高山文彦脚本の作品が好きなのか、好きな作品の脚本がたまたま高山文彦なのかまだ分からないので、一通り観てみようと思う。「アリスと蔵六」(ハッピーエンド)はいいぞ。
paradisemaker バッドエンドって作るの簡単だけど、「観てよかった」と思わせるのが難しいんだよね
正直言って、ゆゆゆなんて観なければよかったとか思ってる。とても好きだから勇者の章も観るけど。
minoton 主人公側の活躍でいったんイベントは解決するが、本質的な問題は残る体の "ビターエンド"が好み。エンターテイメント性とリアリティが両立できるから
俺たちの戦いはこれからだ!は続編も作りやすいしとても合理的なので、作品の数はバッドエンドよりも多いはず。がんばって探してみる。
liposo メリーバットエンドとかぞくって来て好きだけどアニメじゃ記憶にないな。
key_llow 20年二次創作畑のオタクを続けて辿り着いた結論は「バッドエンドは物足りなかったらいくらでも自分たちで作れるけど、推したちを幸せにしてやれるのは公式しかいない」です。ご査収ください。
逆転の発想。たしかにそうかも。そういう伏線を貼る作品ならなおさら楽しめそう。「Anotherだったら死んでた」メソッド。
LuneC「長編はラストは必ずハッピーエンドでなくてはならない。読者にそれだけの時間つき合わせたのだから作者には読んでよかったと思わせる義務がある。しかし短編なら後味の悪いものも自由に書ける」Jeffery Deaver
物語が長くなるほどに主要な登場人物が悲しい経験を重ねたとき、その経験量に応じて「救い」が最後にあって欲しいなぁ、とは思う。救いがあればバッドエンドでも良いのだけれど。救いのあるバッドエンドて。
twikkun ひたぎエンドの最後は最高だったよなぁ……あの余韻たまらんわ 僕と友達になってよ
例には挙げなかったけれど、大好きな終わり方の一つ。いわゆるダークヒーローモノのバッドエンドって、良いよね。
deep_one 「バッドエンドの作品が少ないなぁと感じる」いや、全くそう思わない。というか、そのタイムスパンでなぜコードギアスとかが入ってないんだ?単に視野が狭いだけだろう。
そう。実は以前最近のアニメはおもんないって言ったじゃん、嘘つき! 的なアレを書いたのだけれど、アニメをよく観るようになって1年とちょっとくらいなので、まだまだ観てない作品が沢山あって分からないことだらけなんだ。ここ1年ちょっとで観たのはせいぜい120作品くらい。なので、もっと色んな作品を知りたくて、この与太話を書いた。ちなみにコードギアスは近いうちに観る。
REV 「バッドエンドの作品は「どうしてこんなことに…」とか「どこで選択を間違えたんだ」「あの時のあれはフラグだったんだ…」みたいな余韻を楽しむ」 けもフレのことですか
はい。12話はバッドエンドになるのを期待してました。ごめんなさい。ちなみに実際の12話は大好きです。
nomitori ハッピーエンドがいいというよりもあんまり作品に引きずられたくないというか、感情を揺さぶられたくないという思いが年々強くなってきた。これが老いなのかな…
感情を揺さぶられるあの感じが大好きでバッドエンドを求めているフシはある。ちなみにそういう作品は大抵観ててくっそ辛いので、「大好きだけどサムネでさえ二度と見たくない作品」とかがあったりする。「四月は君の嘘」とか。
全部に返信できなくて心苦しいけど、こんなかんじ。
同様の例としては皆無。それはそうで、負けても対局料が手に入るのにそれをみすみす捨てる馬鹿はいない。
ただ、寝坊やスケジュール管理のミスといった過失による対局放棄はある。
近年の例で言うと、2010年に郷田真隆九段(現・王将、タイトル通算6期の超一流棋士。9月に公開対局での二歩で話題になった)が寝坊で竜王戦の予選を不戦敗になった。
この際の郷田に対する処分は1.対局料の不払い、2.竜王戦参稼手当100万円の半額を返納、3.ファンへの奉仕活動1日 だった。
類似の例としては、日本将棋連盟の分裂寸前にまで至った「陣屋事件」というのがある。
1952年2月に行われたタイトル戦の王将戦第6局で、挑戦者の升田幸三八段が会場となった神奈川県弦巻温泉の旅館「陣屋」に到着したが、「玄関のベルを押したが誰も出てこなかった」ことに腹を立てた、と言って対局を拒否、第6局が不開催になったということがある(ただし当時陣屋の玄関にベルはついておらず、これは枡田の虚言。これをきっかけに陣屋は、玄関に呼び出しのための陣太鼓を置くようになって、陣屋名物となっている。また升田は陣屋に向かわず秦野温泉の別の旅館に籠って対局を促しに来た関係者にも会っているので、過失ではなく明確な故意による対局拒否)。
事の真相は明らかになってないが、将棋界の間ではまず間違いなく以下の理由だったと言われている。
王将戦は当時から現在に至るまで七番勝負で四勝先取したほうが勝ちというシステムだが、この当時はどちらかが四勝以上してもさらに継続する、というシステムだった。そして決着がついた後の対局は、シリーズに勝ったほうが負けた方に対して自分の駒(香車)を落とすハンデをつけて指すことになっていた。このシリーズは第5局までに升田が木村義雄名人に4勝1敗で勝利を決めており、この第6局は升田が木村に対して香車を落とすことになっていた。
名人というタイトルの重みは現在でも特別だが、この当時はそれにも増して大きいものだった。単に将棋界最強というだけではない、ある種の宗教的な権威があるものと言っていい。その名人が、対戦相手に香車を落としてもらうなどということは、名人の品格を著しく傷つけるもので、いかにルールとはいえ誰も見たくない(この感覚は、羽生善治がコンピュータ将棋に角を落としてもらって対局する、という場面を想像してもらえばいいかと思う。対局に関係ない第三者でさえ屈辱を感じるというようなものだ)。もちろん王将戦が始まる前、この事態は当然予想されていて、香車を落とすことに強く反対していたのが升田、一方で「名人が第7局を迎える前にシリーズに負けることはない」と言ったのが当の木村義雄名人で、木村の一声で沙汰止みになってしまった(昔から今に至るまで、将棋界というのは将棋の強い側の声が通るのだ。そして当の本人がこのようにその報いを受けてしまう)。升田は「将棋を守る」ために、バレバレの嘘をついて対局を拒否したのだろう、と思われている。
真意はさておき、タイトル戦を故意にすっぽかしたことには変わりないからこれは一大事で、当初将棋連盟は升田を一年間の出場停止処分にしようとした。これは現代の目から見ても重さとしては妥当だと思う。ただ、日本将棋連盟は関東と関西の将棋指しの団体が合一してできたという経緯があり、東西の対立まではいかずとも派閥意識というのは当時強かった。関西の棋士である升田への処分に対しては関西の棋士たちが反発し、すわ東西分裂か?という事態になった。最終的には木村名人の一存に委ねられ、升田は一切お咎めなし、という結末になった。
みたいな感じ? まあ、調子とか、運とか、あるけどさ。
2ch名人 っていう将棋の2chまとめサイトにハマって2ヶ月のにわかなんだけど、こんくらいの認識やけど?
大地、中村、菅井、天彦 とかの若手強豪? あたりの実力はよく分からない。
一二三とか、教授(勝又)、森下、あたりの有名どころの現状の位置付けはよく分からない。
昔名前をよく聞いた、
あたりもよくわからない。
1位 森内(名人戦以外は勝率5割という名人らしからぬ成績だが、名人戦の7局だけでは他の戦いで隠していた研究手や手法を一気に解放のパターンで名人を羽生さんに渡さない)
3位 羽生(羽生マジック、序盤定石はずし、中盤無理責めから手が無くなって負け とファンタジスタ)
正直、定石を覚えるのがめんどうで将棋の魅力まったく分からなかったけど
①序盤
定石がいくつかあって、「横歩」「矢倉」「居飛車アナグマ」等々
覚えると、プロが、『新手』を指したとき興奮するし、どの戦法を出すかという『読み合いや、研究してきた隠し技、必殺技』の押し引き(格ゲーでコンボを覚えたあとにどこでコンボをだすか? 新しいコンボの瞬間を使うか? ってのに似てる)
玉の囲いにも、だいたいどの囲いがどれくらいの手数でどれくらい固いか?が分かっていて、その堅さが終盤の責め合いでの盾になる。 盾の堅さを取るか、相手の盾をはぐことに力をいれるか、盾放棄して責めるかがおもしろい。
②中盤
発想力、駒の損得、お互いの攻めの着想。
だいたい、これらを読み切った上で、「ミスが少ない手順」を踏みあう。 という形が多い。
③終盤
序盤作った囲いの堅さと、その突き崩し合い。
攻め手を潰しきったらほぼ勝ち。
このあたりは、「詰み」、「詰めろ」、「必死」、「詰めろ逃れ」などの合理的な読み合いになる。
中盤は3手先も分からないが、終盤では、「19手詰め」「35手詰め」などが発生するので、それらを合理的に読み切る。ここがプロはすごいw
今はソフトで、「あ、詰みが発生した」って分かるけど、本当に詰みなのか、分からない。 だが、プロは本当に19手詰めとか読み切ってるw
だいたい、19手詰めが始まって、13手詰めあたりになって、投了が発生する。(つまり、詰みが発生しても気づいていないことも結構ある、だが、詰み筋はちゃんと攻めている)
詰み逃しは、そこまで多く無い。
どーも、戦法はよく分からない。
若干、
「昔は居飛車アナグマでz(絶対に詰まない)をつくって、終盤有利に押す」→「藤井システムによって、アナグマが組まれる前に攻める手法によって、振り飛車側が有利に」→「居飛車側の対策が進んで藤井システムが下火」
「横歩取り戦法(角道を止めたはずの歩を取ることで、歩1枚の得を主張) は難しい」
「ゴキゲン中飛車 は強い」
「右四間 はアマチュアでは雑魚狩りで好まれるけどプロは使わない」
くらい?
最近は、囲いの堅さより、終盤の攻め合いで手順を決められるほうが有利っぽい? だから、攻める側(=攻めるタイミングを一方的に作れる)ほうが有利?
ちなみに僕の棋力は、ボナンザの中級に勝ったり負けたりする程度のヘボですので深いことは全くわかりません。
詳しい人は突っ込みよろしく。
http://blog.livedoor.jp/goldennews/archives/51769973.html
放送見てたら羽生の表情が演技だとは思わないはずなので、あれは言わばキャプチャ芸というやつだ。
それがまとめブログに載って拡散していくうちに、本気で「羽生さんが負けそうな演技をして相手を油断させたんだ」と思う人が出てくる。
ブコメを見てもチラホラと。
別に、まとめブログやtwitterで面白おかしく脚色されて広まることはよくあることだし、一概に悪いことだとは言えない。
確かに、「羽生さんが明らかに負けそうな表情をしたけど最後は結局勝ちました」というネタはそれなりに面白い。
いいんだけど。この将棋は、ネタとして消費するにはあまりに惜しいくらい凄かった。
それこそ、「羽生さんが明らかに負けそうな表情をしたけど最後は結局勝ちました」なんていうネタの数十倍面白かった。
だから単なる羽生コピペ的なネタのひとつとして消費してしまうのはもったいないと思う。
なのでちょっと解説したい。
NHKでは日曜日の昼の時間に将棋の対局を放送しているんだけどこれは4月始まりで、一年間掛けて50名が争うトーナメント戦になっている。
上のまとめブログの羽生が負け演技をした、とされる対局は先の日曜日に行われた準決勝のようすだ。
つまり一年近くをかけてトップ棋士50名がベスト4まで絞られた状態である。
残っているのはどいつもこいつも化け物級の強豪ばかり。
羽生の対戦相手は郷田真隆棋王。羽生と同世代のライバルの一人である。
タイトルホルダーでA級棋士。第一人者中の第一人者であり、間違いなく将棋界のトップに立つ一人である。
その棋風は「格調高い」と形容され、プロ棋士たちも郷田の棋譜をお手本にするほどだ。
柔和で端正な顔で、女性のファンも多い。
対局は、終始先手の郷田ペースで進む。
終盤、持ち時間を使い切った所で、郷田が5三桂成と羽生の王を詰ましにかかる。
勝負に出た手だ。
結果から見ればコレが悪手となった、ようだ。
優勢な郷田が焦らず、慎重に打っていけば勝てたはずだったというのが解説の先崎八段の見解である。
相手が羽生でなかったら、郷田がそのまま押し切っていた可能性もある。
このタイミングで仕掛けなければ結局郷田が負けていた可能性もある。
勝負をかけて踏み込むか、とどまるかといった駆け引きは対局者達にしかわからない深い領域の読み合いの結果だ。
郷田の手が悪手というのも結局羽生が勝ったという結果が出た後だから言えることなのかもしれない。
ともかく、羽生は踏み込んできた郷田の勝負手をギリギリのまさに紙一重のところで躱した。
そして羽生に手番が回ってきた。この瞬間を逃せば勝機はない。
詰ませなければ羽生の負けは確定だ。
持ち時間は使いきり、考える時間は一手につき30秒未満しかない。
まとめブログの羽生の苦悶の表情はこのタイミングの時の表情である。
終始劣勢な中で唯一にして最後にして最大の勝機が見えた瞬間。
ここを逃せば敗北は確定である。
はたして詰むや詰まざるや。
その時の動画がコレだ。
http://www.youtube.com/watch?v=swkQmaiBsSw
ちなみに先崎八段は3月のライオンの監修をしていたりもする。これまた将棋界の第一人者である。
聞き手「でもいまちょっと慌てた感じでしたが」
解説「そうですね……。(絶句)なるほど!最後7二に桂が打てると言ってるんだ。いやーこれは……凄いことが起きましたね。いやこれは気が付かなかった。天才ですねさすが」
聞き手「なるほど……。すごい……」
解説「いや天才です。いやー羽生さんは昔から天才だとは知ってたんですけどね。なるほど天才の詰みですコレは。(中略)いや天才ですね。いやもう」
冒頭にも書いたが、僕は3手くらい先しか読めないヘボ棋力である。
そんな僕ですらゾワゾワと鳥肌が立って、変な笑いがこみ上げてくるほど、この終盤の手は神がかり的だった。
先崎八段は天才集団のプロ棋士の中で、そのトップクラスにいる、言わば天才中の天才である。
プロ棋士をここまで、動揺させ、驚かせる。羽生の指したのはそんな手だった。
それに至る道筋を考えていた時の、我々常人には及びもつかない深い読みに入っていた表情が例のまとめブログに載っていた苦悶の表情である。
そりゃ、あんな顔もするであろう。
間違いなく、今棋界で一番強い二人である。
次の日曜放送だ!見逃すな!
「ひとつの転換期を迎えないといけないのかな」(郷田)――Xbox 360『テイルズ オブ ヴェスペリア』の開発秘話
http://www.famitsu.com/game/news/1217975_1124.html
このとき、「国内ではまだ十分に普及していなかったXbox 360向けにソフトを作るとなると、販売本数に限界があるし、スタッフのモチベーションを上げるのが難しい。どうしたらいいか?」と郷田氏は悩んだ。が、Xbox 360の海外での好況を考慮すると、「海外も含めて展開すればビジネスとして成功する」と皆を説得した。
※太字部分は引用者によるもの
これ、かなーり無理してる気がする。
バンダイナムコゲームス、「テイルズ オブ」シリーズ
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20071211/tales.htm
株式会社バンダイナムコゲームスは、同社の「テイルズ オブ」シリーズの販売本数が、12月6日をもって、全世界累計で1,000万本突破したと発表した。地域ごとの販売本数比率は、日本国内87%、北米8%、欧州3%、アジア2%。
※太字部分は引用者によるもの
過去作品の売り上げの9割弱が国内供給で占められているんだよね。つまり日本以外では12年間、20タイトル出して合計130万本しか売れてない状況下で「海外も含めて展開すれば」というのは説得材料としてはかなり厳しい気が。しかもそのうち200万本強が携帯機のリメイクだし。
http://www.famitsu.com/game/news/1217975_1124.html
『テイルズ オブ ヴェスペリア』立ち上げの詳細ついて語ったのは樋口氏。まだプラットフォームが決まっていない当時、『テイルズ オブ ジ アビス』がビジネスとして好調だったため、社内で「次回作もプレイステーション2で」という話になったという。
※太字部分は引用者によるもの
「アビス」の発売日が2005年12月だから、これが好調な時期となれば2006年初頭を指すと思われるんだけれども、この頃の国内のXbox360の販売台数って10万台をやっと越えた程度だったはず。北米では既に150万台程度売れてたわけだけれども、あれだけ北米でも普及しきったPS2とGCで出した8本の全世界累計販売本数は500万本弱で、そのうち大半が日本での販売なのを考えると、一タイトルあたりの国外での販売本数は好調とは言い難い数字だったはず。何を根拠に「ビジネスとして成功する」と樋口氏は確信に至ったのだろうか。よほど開発が低コストで済みそうだったのか、国内市場を諦めても補って余りある売り上げを国外で確保できる内容にする予定だったのか。もしその答えが例のDLC商法なのだとしたらちょっと悲しすぎる。
多分、業界内(特にバンナム内部で)この開発秘話を額面通りに受け取ってる人は少ないんじゃないだろうか。国内販売が売り上げの大半を占める自社の看板タイトルなのに、国内でも最も普及していないハードで出さざるを得なかった「何か」があったのではないかと邪推せずにはいられない。
テイルズシリーズのファンサイトやってる身としては、こういう事を迂闊に自分のブログに書けないのは辛い。特にTOVはもっと売れてもいいはずなんだけど。
http://www.famitsu.com/blog/jamzy/2008/09/tov_021.html
「売れた数じゃないんですよ、TOVは。魂が伝われば良いんです。」
とこのパーティーから四次会の席でもずっと言ってました。
無理しすぎだろ…。
2007年15号より新連載の『バレーボール使い 郷田豪』で言ってた。
実際にはっ
努力は報われるかどうかわからない!!
そういうもんだろっ
報われるかもしれないし、報われないかもしれない……
オレにはわからないとしか言えない!!
報われるなんて確証は無いしな! 逆もそうだ!
だがな! 先の見えない不安の中でやるからアツイのが努力というモノ!
必ず報われる努力なんて何の価値も無いぜ! そんなのはもはや努力じゃねー
報われないリスクを背負って進む!
実にアツイよコレ!! まさに賭け!!
狂気の沙汰!
このアツさを考えたら……
結果なんてオマケみてーなモンだぜ!
やってやろうぜ
最高にアツイギャンブルを……
オレらで……!
もうね、この台詞がこの漫画の50パーセントほどの価値を占めてるような気がする。「努力、友情、勝利」のジャンプでこういう台詞が出てくるとはね。時代だろうか。
努力はギャンブル。確かにそうかもしれない。でもギャンブルは知識と、技術と、経験で、ある程度成功率を高められるんだよな。競馬とかならデータ集めてオッズ見て。パチンコなら釘見て設定読んで。努力はギャンブル、だからこそどんな努力をするか、どうやって努力するかが大事なんだ。そういう風にこの漫画を読む子供が考えてくれたらいいんじゃないかと思った。