はてなキーワード: 00年代とは
書き手はおそらく30代後半〜40代前半の男性 である可能性が高いです。
理由を分解すると:
「おいおい、俺は常識を述べただけだぞ?」
→ 「俺」口調でやや上から目線・ツッコミ系。ネット黎明期〜2ちゃんねる文化圏の男性語っぽい。
「まさか温度以外の感覚がお前の中で『さぶい』という言葉を生み出したのか?」
→ 「さぶい」=「寒い(=ダサい)」をめぐる言葉遊び。語感へのこだわりと理屈っぽさがあり、ネットでの論争的文体。
→ 下ネタを軽いジョークとして挟むあたり、若者よりも90〜00年代掲示板ノリに近い。
「きんもーっ☆」
→ 2000年代中頃(「電車男」ブーム期)のネットスラング。現在20代の人にはリアルタイム体験がほぼなく、当時10代後半〜20代前半だった層が現在30代後半〜40代前半。
総合すると:
したがって推定:
ダイヤモンドの↓の記事が盛りすぎでブクマカが釣られまくっているので、ちょっと落ち着けという意味で少し解説する
普通の人が「フリック入力を発明」というフレーズを見たら、どっちを想像する?
1. 上下左右方向のフリック操作で文字入力する手法を考案した
普通は1を想像するよね。でも、上の記事の「発明」は2の意味。8割くらいのブクマカはここを勘違いしてコメントしてるように見える
同じ発明家氏の記事でも3ヶ月前の東洋経済のほうは、「フリック入力を発明」という釣りフレーズこそ使っているものの本文を良く読めば発明のキモの部分が2であり1では特許を取れなかったことがそれなりに分かるように書いてある
「フリック入力」を発明しMicrosoftに売却した彼の"逆転"人生。元・売れないミュージシャン兼フリーター、家賃3万のボロアパートでひらめく
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/889631
もちろん2の意味の発明もスゴイし重要なんだけど、釣りは良くないよね
そもそも世の中のほとんどの技術は様々な発明やアイデアの集合体である。歴史の積み重ねであり、最終形がいきなり湧いて出るわけではない。もちろん「フリック入力」にも歴史の積み重ねがある。それを少し紐解いてみよう(なお、下記の「年」は引用可能な特許や論文が出た時期であり、実際にはそれよりもっと前にソフトウェアがリリースされていたりアイデアがメーリングリストに投稿されていたりすることもある)
[追記]※増田の仕様上ひとつの記事に貼れるリンク数に制限があるため一部URLのhを抜いている点、不便ですがご了承ください[/追記]
ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/57167.57182 (論文)
放射状に選択肢を並べるUIのアイデアは1960年代から見られるが、接地点からの移動方向情報を用いた入力手法の祖としてはとりあえずこれを挙げることができるだろう。これは文字入力に特化したものではなく、一般的なメニュー選択のための手法である
ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/191666.191761 (論文)
pie menuを文字入力に応用したもの。論文の著者はAppleの人。英語用。広義の『「フリック入力」の元祖』に最も該当するのは、おそらくこれだろう
ttps://rvm.jp/ptt/arc/227/227.html
ttp://www.pitecan.com/presentations/KtaiSympo2004/page65.html
T-cubeを日本語に応用したもの。広義の『日本語版「フリック入力」の元祖』の候補
https://web.archive.org/web/20080925035238/http://www.j-tokkyo.com/2000/G06F/JP2000-112636.shtml (特許)
https://newtonjapan.com/hanabi/
Apple Newton (PDA)用に実装された文字入力UI。「中央が『あ』、上下左右方向が『いうえお』」に対応する見慣れた形のフリック入力がここで登場する。『現在よく見る形の日本語版「フリック入力」の元祖』である。なお、開発者が特許を申請したものの審査を請求しておらず、特許としては成立していない
この頃、Human-Computer Interaction分野でT-cubeやHanabiの発展としての文字入力手法の研究が活発になり、特に国内学会で多くの手法が発表された。情報系の学生の卒論や修論のテーマとして手頃だったからだろう。PDA製品に実装されて広まった例もあり、SHARP Zaurus用のHandSKKや、少し時代が下ってATOKのフラワータッチ等もこの系譜である
なお、この頃までの技術は指での入力ではなくペン(スタイラス)による入力を想定したものが主である(iPhoneの登場以前はキーボードレスのモバイル端末といえばPDAやタブレットPCなどスタイラス入力を前提としたデバイスが主流だった)
『スマートフォン上の「フリック入力」の元祖』であり『予測変換機能を備えた「フリック入力」の元祖』である。日本語フリック入力の効率を考える上で予測変換の占めるウェイトは大きく、「実用的なフリック入力」を実現するには予測変換との組み合わせは外せない。2006年にAppleに招聘されてiPhoneのフリック入力機能を開発した増井俊之氏は元々予測変換のPOBox(1998年 - ttps://dl.acm.org/doi/10.1145/274644.274690 )の開発者として知られる研究者であり、Appleへの招聘もその経験を買われてのものだろう。入力にフリック操作を用いること自体は特筆すべきものではなく、当時の流行を考えれば自然な選択だったと思われる
なお、前述のHanabiの開発者氏がiPhoneのフリック入力を見て
と言っている一方、増井氏はHanabiに対して
知らんがな
と言っている。この分野の研究をしていて知らんことあるか?とも思うが、電話用テンキーの上に五十音かなのフリック入力を実装すると誰が作っても概ねHanabiのような外観になると思われるので、本当に知らなかったとしても齟齬はない
ttps://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/PU/JP-2008-282380/11/ja (特許)
『画面表示は絶対座標+移動判定は相対座標で行うことで「フリック入力」の入力効率を向上させる手法の特許』である(詳しい仕組みは上記の東洋経済の記事に書いてある)。ペン先と比べて指先は太いため指によるタッチでは厳密な操作が難しく(fat finger問題)、「実用的なフリック入力」を実現するにはこのような工夫も必須になる。小川氏の凄いところは、スマホの日本語UIをリリースするならどのメーカーも必ず実装するであろうこの工夫を、日本版iPhoneのリリース直前、Apple社としては引き返せないであろうタイミングで特許申請したところだ。機を見るに敏すぎる。特許庁に2回も拒絶された特許を不服審判で認めさせているところも本人が弁理士だからこそできる強さだと思われる
なお、氏の記事を読むと「フリック入力」自体を氏が考案したように思えてしまうが、ここまでに述べた通りそれは誤りである。「フリック入力に関連する重要な特許の公報に『発明者』として掲載されている」ことは疑いない事実なので「フリック入力の発明者」と称するのはギリギリ誤りではないと言えないこともないが、「フリック入力を発明した」はやはりダメだろう。上述の通りフリック入力自体は90年代に既に登場しており00年代の前半にはタッチスクリーン上のかな入力手法の一角を占めるに至っていたので、iPhoneに実装されたことは不思議でもなんでもなく、
このあたりは荒唐無稽な邪推すぎて、ソフトバンクから名誉棄損で訴えられたら危ないのでは(そもそもiPhoneのフリック入力を開発したのはAppleであってソフトバンクではない)
まとめると、さすがに小川氏の記事はモリモリに盛りすぎである。書籍の宣伝にしても酷すぎる。価値の高い特許を取った発明家であることは事実なのに、なぜこういう胡散臭いムーブをしてしまうのか
1998年にApple Newton用に開発された日本語入力システム「Hanabi」が草分けで、2008年にiPhoneに採用されたことで、急速に広まった。従来の「あ段→い段→う段→え段→お段」とキーのプッシュを繰り返して表示・入力する方式(トグル入力)に比べ、素早い入力が可能になる。その入力効率の高さから、2010年頃にはキーボード離れが加速している[1]。
1998年にApple Newton用に開発された日本語入力システム「Hanabi」[2]が草分けで、2008年にiPhoneに採用されたことで、急速に広まった。日本におけるフリック入力は、発明家でシンガーソングライターの小川コータがiPhone上陸以前に考案し2007年から2015年にかけて特許出願した[3]ものであり、取得した権利はマイクロソフトに譲渡された[4]。
ただ、これはおそらく関係者の自作自演等というわけではなく、日本におけるフリック入力関連特許が小川氏のものばかりであることからボランティア編集者が勘違いしてこのような記述にしてしまったのではないか。フリック入力は前述のように地道な技術の差分の積み重ねなので、個々の差分の開発者が「特許」を取ろうという気にならないのは良く分かる。その点でも、自ら弁理士として特許を量産した小川氏の強さが際立っている(が、やはり盛りすぎは良くないと思う)
https://anond.hatelabo.jp/20251018104321
と書いてあったが、昼ドラと言っても色々あって、結論から言えば「東海テレビ制作の昼ドラ」と名指しした方がいいんじゃない?と思った。
以下雑説明。昼時にやってたドラマを広義で昼ドラと呼ぶ。おそらく狭義として「なんかしらんが昼にやってた愛憎劇ドロドロのやつ」ってのがある。元増田が言うのは狭義の方だろう。
広義の昼ドラは90年代前半まではいくつか枠があったが90年代後半になると衰退期に入り、2000年代になると昼帯バラエティ番組に置き換わってほとんどか2009年までに終了。内容は、東海テレビ制作のものを除き、90年代以降はほとんどが家族ものやコメディなどさわやかまたは人情路線系であった。現在狭義の昼ドラ、「ドロドロリッチ昼ドラ」のイメージは東海テレビ制作の昼ドラマだと思う。
いや単に「昼ドラ」と言われても色々あったしむしろ00年代ドロドラはほぼ東海テレビ制作のだけじゃね?と言いたかった。でもそんなになろう小説かなあ〜という気はするが。
電子書籍のサイトによって全然品ぞろえ違うの誰かどうにかしないの?
メジャーなサイトはマイナーなサイトにある作品は全部そろっているという大は小を兼ねる型の構造になってるならいいんだけど、
https://dokodoku.jp/pc/page/qfind2.asp?d=1&keyword=%90%85%96%D8%94%FC%97%A2&creditid=20257
↑のようにたとえば水木美里はサニー出版から出てるものについてはエクスタシーの季節以外はbookliveやシーモアのような大手にはなかった。下手したらこのどこでも読書でしか配信してないおそれがある。
どこでも読書なんて漫画好きでも存在自体知らなくてもおかしくないほどマイナーなプラットフォームなのに、これは問題じゃないの?
俺はたまたま知ってるプラットフォームだったから発見できたわけだけど、この世の漫画配信プラットフォームを全て列挙した記事なんて存在しないのだから、原理的にはこの世すべてのプラットフォームを把握できてる状態に至るのは非現実的であり、そうである以上、特定のプラットフォームにしかなくて存在を知ることすらできない漫画ってものがどうしても生じてしまう。
00年代から積極的に政治が力を入れてきたデジタル革命というのはこういうのを包括的に把握できるようにするためのものでもあったんじゃないの?IT後進国だなあと。
-----BEGIN PGP SIGNED MESSAGE----- Hash: SHA512 https://anond.hatelabo.jp/20251017163710# -----BEGIN PGP SIGNATURE----- iHUEARYKAB0WIQTEe8eLwpVRSViDKR5wMdsubs4+SAUCaPHyKgAKCRBwMdsubs4+ SNhBAP9PQnxKff9vCkHw2nrYrWLjzVXycjOtZqRWhEYQxn/TFQEApltNTa3l+gyQ xoTnMMNzdtNBy2uxdP/w5QFNlgrDWwE= =Lum2 -----END PGP SIGNATURE-----
https://www.romanticlondon.org/harris-list-1788/?utm_source=chatgpt.com#14/51.5119/-0.1067
>この15歳の若いニンフは背が低く、浅黒い肌で、好色な傾向がある。
いや、15歳って
>彼女の容姿は優雅で、とても背が高く、歌と踊りは完璧で、公の場に出たのはまだ 12 ヶ月だけです。一度の小競り合いのためなら、王の最も小さな絵も拒みませんが、一晩中続く包囲戦には、最も大きな絵が 3 つ必要になります。
絵の話で誤魔化すなよ
>バーミンガムはこの愛娘の生みの親であると主張し、寛大な両親の保護と世話の下、彼女は「清純で汚れのない」まま15歳を迎えました。
清楚系風俗嬢?
>唇と唇、舌と舌が触れ合えば、60歳の男も若返るだろう。
爺さん元気だな
>この陽気で活発な小鳥は16歳くらいに見え、会うと必ず顔に笑みを浮かべ、舌先で軽快な歌を歌います。
>問題の活発な少女は今や16歳になり、街に来てまだ4ヶ月しか経っていない。そのため、下にある薄い洞窟は、待ち望んでいた知人の影響をまだ十分に受けておらず、非常に厚く覆われている。
曖昧な記憶しかないのだが、90年代後半〜00年代前半、「芸人」なんていう言い方はしなかった。
「芸人」という言葉が全く存在しなかったわけではない。しかし、今ほど定着していなかったのは確かだ。
00年代中盤あたりから、「芸人」という言葉が普及しはじめた記憶がある。いうまでもなく、芸人とは「芸がある人」という意味だ。
お笑いタレントが、恥ずかしげもなく自らを「芸のある人」と名乗りはじめたとき、強烈な違和感を覚えた記憶が鮮明に残っている。
正直なところ、今でもお笑いタレントの自称としての「芸人」という言葉には違和感がある。
生成AIと00年代のMP3を関連付ける話流れてきたけどMP3のときはiTunesMusicStoreとして制作者に完全に売上還元する流れ作ったうえで市場を支配したけど生成AIはいまのところ他人の成果の泥棒市にしかなってなくて金を稼ぐどころかバカが油注ぐ火種で今後どーすんすかねみたいな感じがある。— さらしる (@sarasiru) October 3, 2025
というのもモーニングショーで特集組まれてて韓国では高身長が凄いステータスらしくてわざわざ子供の頃から身長を伸ばす促進剤とか訓練を各家庭で課してて
韓国の男性アイドルを見渡すと皆幼い顔付きなのに180センチとか190センチが結構いてアンバランスだなと感じた
日本でジャニーズが大人気なのって見た目が凄い幼くて成人女性と同じ程度の身長だからなのに韓国って何か凄い国だね
それこそ高収入・高学歴・高身長とバブル期に流行した結婚相手の条件って事で通称「3高」と呼ばれる。
それが今何故か韓国で大流行してるって番組で指摘されてて韓国は日本から30年か40年も遅れてトレンドになってないかってなる
00年代初頭に流行った冬ソナだってその20年位前バブル期に日本で流行ったトレンディドラマが韓国を通してリバイバルヒットした感じだったのに
自分はそういう時は原神にログインして銀月の庭へ行ってコロンビーナちゃんに会う
綺麗なBGMの中でそのふわふわした声を聞くとどんな孤独も癒やされる気がする
でもさっき会いに行った時とつぜん「探してた?」とか言って背後にふっと現れたからびっくりして一度死んだ
いやそれにしても「少女」にLynnさんの脱力ふわふわ演技をあてた開発はよく分かっている
鳴潮で今日実装されるユーノもLynnさんだがテンプレのツンデレキャラで声色に個性を感じないのが残念
もし原神をプレイしてないなら今適当にYouTubeで会話イベントをまとめた動画を探してきたからこれ見たら雰囲気は伝わるかと
https://www.youtube.com/watch?v=0EgsGt3DUrM
YouTubeおすすめ汚染を避けたいならブラウザのシークレットモード等を使って非ログイン状態でリンクを開くことを勧める(アプリに転送されそうになったらキャンセルで)
00年代にネトゲしてた頃は深夜にログインしても人はいたが今はこういうシングルプレイのネトゲの方が落ち着くから人間の代わりにキャラ、というかヒット作と繋がって作品の感情を共有できる人がいる事実によって孤独感をなくしている部分がある
個人的にははてなブログは駄目だ。体裁が整い過ぎているし、すっきりこじんまりとしていて地方の大型SCのような趣が強い。なのでおすすめはココログ。シンプルかつ雑多で不器用な感じは阿部寛のHPを彷彿とさせ、装飾からして既に他とは一線を画す。ここの00年代のものが特に旬(食べ頃)で、2001年代の記事がもっとも味わい深い。
2001年といえばノストラダムスの大予言、その後風がようやく通り過ぎたような年。そのためか2001年代の内容としては牧歌的なものが多く、そして散文的に話はとっ散らかりオチもない。その絶妙なつまらなさが堪らなく良くて「そうそう!これこれ!!」と思わず舌鼓を打ちながら味わっている。
やはり文章というのは活きのいい天然物に限りますなぁということを改めて認識させられ、養殖物は脂が乗って鱗も輝いているが…老眼にはその輝き、ちっと目に毒なんだわ。
We're going to have to bring this question to a close, please.
この質問はそろそろ終わりにしてください。
In can be, but that is why tradition matters, because the tradition, they understood the context...
そうかもしれませんが、だからこそ伝統が重要なのです。伝統において、彼らは文脈を理解していました…
Tradition is context dependent.
Well, yes and no, because of course tradition is, but if the tradition lasts for 2,000 years, then we look back as to how did they get to that conclusion, how did they reach that verdict, and if that verdict is in alignment with what we see in scripture...
ええ、そうでもあり、そうでもありません。もちろん伝統はそうですが、もし伝統が2000年続くなら、私たちは彼らがどのようにその結論に至ったのか、どのようにその判断を下したのかを振り返ります。そして、その判断が聖書に見られるものと一致しているなら…
But they never, they never reached that verdict. As I have historically pointed out, they never reached that verdict.
しかし、彼らは決してその判断には至りませんでした。私が歴史的に指摘したように、彼らはその判断には至らなかったのです。
In all of, in all of the major church councils...
council (n): (ここでは)教会会議、公会議。キリスト教の教義などを決定するために開かれる会議。
...in very modern day.
…ごく現代において、です。
No, no, I'm talking about in like 300 and 400 and 500, the original church...
いいえ、私が話しているのは300年代、400年代、500年代といった、初期の教会のことです。
...which in the scale of 2,000 years is nothing.
…それは2000年という規模で見れば、無に等しいです。
No, but they set this unbroken chain. We've had an unbroken chain and a course that says that marriage is one man and one woman. The church has never wavered on this...
いいえ、しかし彼らはこの途切れぬ鎖を確立したのです。私たちには、結婚は一人の男と一人の女のものであるとする、途切れぬ鎖と道筋がありました。教会はこの点において決して揺らいだことはありません…
waver (v): 揺らぐ、ためらう、信念がぐらつく。
Noted by the British Empire under British form of Christianity.
それは英国式のキリスト教の下、大英帝国によって特筆されたものです。
I'm talking all the way back to like 200 or 300. The idea of biblical Christianity goes back to the early, early times of the church when it was a scattered, persecuted church well before King Justinian and well before the Eastern Roman Empire, well before mass conversions. When it was a persecuted church, the church believed in one man, one woman, and because they got it from the scripture, scripture itself. Do we want to keep going or?
私が話しているのは200年代や300年代といった時代まで遡ります。聖書的キリスト教という考えは、教会がまだ散在し、迫害されていた初期の時代にまで遡ります。それはユスティニアヌス帝のはるか以前、東ローマ帝国のはるか以前、大規模な改宗のはるか以前のことです。迫害されていた教会であった時、教会は一人の男と一人の女を信じていました。なぜなら、それを聖書、聖書そのものから得たからです。まだ続けますか?
persecuted (adj): 迫害された。
Justinian: ユスティニアヌス1世(482-565)。東ローマ帝国の皇帝で、ローマ法の集大成などで知られます。
Can we move on to the next question, please? Thank you. Thank you.
次の質問に移ってもよろしいでしょうか?ありがとうございます。
(拍手)
I did not say that. I said the biblical marriage was affirmed and then Romans 1 did talk negatively about the action of homosexuality.
私はそうは言っていません。聖書的な結婚が肯定されたと言ったのです。そしてローマ人への手紙1章が同性愛という行為について否定的に語っていると。
But ultimately that affirmation comes from the lines in there that suggest that man shall not sleep with man.
しかし、最終的にその肯定は、「男は男と寝てはならない」と示唆する聖句から来ているのではありませんか。
Yes, of course. Yes. So the Old Testament and New Testament harmonize one another, but Christ brought it to a different level, a different covenant, and a different moral teaching. It wasn't just enough to say that you shall, you know, "an eye for an eye." He said that you shall turn the other cheek, that you shall love your enemy. Christ's moral standard was much more even elevated than that of the Israelites and the Hebrews.
ええ、もちろんです。旧約聖書と新約聖書は互いに調和していますが、キリストはそれを異なるレベル、異なる契約、異なる道徳的教えへと引き上げました。「目には目を」と言うだけでは不十分でした。彼は「もう一方の頬を向けなさい」「汝の敵を愛しなさい」と言いました。キリストの道徳基準は、イスラエル人やヘブライ人のそれよりもはるかに高められたものだったのです。
But I'm going to ask you whose Bible, okay? Now, your Bible that you use currently is written in the English language, right? Correct?
では、誰の聖書なのか、とお聞きします。あなたが今使っている聖書は英語で書かれていますよね?
The King James Version, yes, thanks to Tyndale.
欽定訳聖書(King James Version)ですね。ティンダルのおかげです。
Tyndale: ウィリアム・ティンダル(William Tyndale)のこと。16世紀のイングランドの学者で、宗教改革の指導者の一人。ヘブライ語やギリシャ語の原典から初めて聖書を英語に翻訳した人物の一人であり、彼の翻訳は後の欽定訳聖書に大きな影響を与えました。
Exactly, it's written in the English language, which in itself is only say 500 years old. Now, the Christianity in itself, say, is 2,000 years old or even older. Yeah, correct? Now, which means that the Bible was originally written not in English but in ancient…
その通りです。英語で書かれており、それ自体はたかだか500年の歴史しかありません。キリスト教自体は2000年かそれ以上の歴史がありますよね?つまり、聖書はもともと英語ではなく、古代の…
Koine Greek.
Koine Greek: コイネー・ギリシャ語。新約聖書が書かれた当時のヘレニズム世界の共通語。
Correct. Now, if we look at the Greek terminology of man...
terminology (n): 専門用語、術語。
Yes, and Jesus spoke Aramaic. You could translate things, you acknowledge that.
ええ、そしてイエスはアラム語を話しました。物事は翻訳できる、とあなたも認めますよね。
Well, we translate things, but translations are linguistically ambiguous. As a former classicist, I know that language can't be translated directly. So for example, if you look at the translation of of of certain words into "man," so I've got two words here. So I've got "malakoi," which means essentially soft, which isn't necessarily directly saying a gay man. And then we've got "arsenokoitai," which essentially means prostitutes. Now, if we look at things linguistically, we can pick apart the Bible and say that actually, it wasn't saying man shall not sleep with man, it's saying man shall not sleep with prostitutes, which is an entirely different linguistic thing.
ええ、翻訳はしますが、翻訳には言語的な曖昧さがつきものです。元古典学者として言いますが、言語は直接的に翻訳できません。例えば、「男」と訳されている特定の単語を見てみましょう。ここに2つの単語があります。「malakoi(マラコイ)」、これは本質的に「柔らかい」という意味で、必ずしも直接的にゲイの男性を指すわけではありません。そして「arsenokoitai(アルセノコイタイ)」、これは本質的に「男娼」を意味します。言語学的に見れば、聖書を分析して、実は「男は男と寝てはならない」と言っているのではなく、「男は男娼と寝てはならない」と言っているのだ、と主張できます。これは全く異なる言語学的な事柄です。
linguistically (adv): 言語学的に、言語の点で。
ambiguous (adj): 曖昧な、多義的な、複数の解釈ができる。
classicist (n): 古典学者。ギリシャ・ローマの古典文学や文化を研究する学者。
malakoi / arsenokoitai: 議論の核心となっているギリシャ語の単語。学生はこれらの単語の翻訳の妥当性に疑問を呈しています。
I'm not even getting into Leviticus, though. But my contention is completely New Testament focused.
私はレビ記の話をしているわけではありません。私の主張は完全に新約聖書に焦点を当てています。
これはレビ記ではありません。
What you said, man shall not speaking with man...
あなたが言った「男は男と…」
No, but this is this is these words are used throughout...
いいえ、でもこれらの言葉は全体で使われて…
Well, actually in Romans 1, it was actually women sleeping with women. So you got your verses wrong. In Romans 1, Paul is prophesying about the end of the world and he's saying that in the end times, woman will like with woman-like and man will, I think it might say man with man-like. You have to get the verses specifically.
実は、ローマ人への手紙1章では、女性が女性と寝ることについて書かれています。だからあなたは聖句を間違えています。ローマ人への手紙1章で、パウロは世の終わりについて預言し、終わりの時には、女は女を好み、男は…確か男は男を好むと書いてあったかと思います。聖句は具体的に確認する必要がありますが。
But it is agreed upon, and you can agree, this is why tradition is important. And I even say this as a Protestant, is that we believe that scripture is very important, but also look to tradition. Church tradition has had an unbroken chain affirming matrimony, holy matrimony being one man, one woman. One even as a non-Catholic, I'm glad that Pope Leo has reaffirmed in the last couple of days. And so I'm not even sure your contention, your point. Are you saying that the Bible doesn't affirm marriage as one man, one woman? Are you saying church tradition doesn't affirm marriage one man, one woman?
しかし、これには同意が得られており、あなたも同意できるはずですが、だからこそ伝統が重要なのです。プロテスタントとして言いますが、私たちは聖書が非常に重要だと信じていますが、伝統にも目を向けます。教会の伝統は、結婚、つまり聖なる婚姻が一人の男と一人の女のものであることを肯定する、途切れることのない鎖を持ってきました。非カトリック教徒としてさえ、私はここ数日で教皇レオがそれを再確認したことを嬉しく思います。ですから、あなたの主張、あなたの論点がよくわかりません。聖書は結婚を男女間のものとして肯定していないと言いたいのですか?教会の伝統が結婚を男女間のものとして肯定していないと?
unbroken (adj): 途切れない、連続した。
matrimony (n): 婚姻、結婚。特に法的な、あるいは宗教的な儀式としての結婚を指すことが多いです。
I'm saying the Bible doesn't affirm.
But it clearly doesn't affirm. That is complete nonsense. But Christ our Lord, which is the standard, he affirms this idea that you will leave your father's home, going back to Genesis 12 and this idea of Abraham leaving his father's home, and you will cleave to your wife. That a new, that it would be called one. In fact, this idea of a new creation which is something that is then used by the Apostle Paul to describe the the church of Christ and the bride of... the church being the bride of Christ with Jesus. So I'm not even sure your contention. It is…
しかし、明らかに肯定しています。それは全くのでたらめです。私たちの主であり基準であるキリストは、「あなたは父の家を出て」という考えを肯定しています。これは創世記12章、アブラハムが父の家を出る話に遡ります。「そして妻と結ばれる」。新しいもの、それは「一体」と呼ばれるでしょう。実際、この新しい創造という考えは、後に使徒パウロがキリストの教会と、イエスと結ばれるキリストの花嫁としての教会を説明するために用いたものです。ですから、あなたの主張がよくわかりません。それは…。
But you're just avoiding my point. I'm saying the Bible that we have today is 100% a translation and a translation is linguistically ambiguous.
あなたは私の論点を避けています。私が言っているのは、今日私たちが持っている聖書は100%翻訳であり、翻訳には言語的な曖昧さがあるということです。
I acknowledge that. But what about specifically in Matthew or in the book of Romans? And but in order for you to be correct, you mean the Church Fathers translated it wrong when they were within like 50 years of this? In order for your contention to be correct, you have to say that the early Church Fathers that wrote the early letters to the church, they were translating it wrong and the tradition they established was wrong. So by then, we can lean on tradition and scripture. So when you get tradition plus scripture, you get something that is authentic, that is real, and that is verifiable.
それは認めます。しかし、マタイによる福音書やローマ人への手紙については具体的にどうですか?そして、あなたの主張が正しいとすれば、教父たちは、出来事から50年ほどの間に、それを間違って翻訳したということになりますか?あなたの主張が正しいとすれば、教会への初期の書簡を書いた初期の教父たちが、それを誤訳し、彼らが確立した伝統も間違っていたと言わなければなりません。そうであれば、私たちは伝統と聖書に頼ることができます。伝統と聖書が合わさったとき、本物で、現実的で、検証可能なものが得られるのです。
verifiable (adj): 検証可能な、証明できる。
I've already highlighted the tradition does not align with scripture. We've gone back thousands of years to ancient Mesopotamia.
伝統が聖書と一致しないことは既に指摘しました。私たちは数千年前の古代メソポタミアまで遡りました。
But understand, but at the time, they all spoke Greek, they wrote Greek, and they spoke Aramaic. So for example, when they were writing the early gospels, the synoptic gospels of Matthew, Mark, and Luke, they were obviously writing in Greek. They knew that language. So in Matthew, when they were writing Greek and then the early Church Fathers knew Greek and adopted that as church tradition, we have a 2,000 unbroken chain. I think you can irrefutably say that it was the teachings of Christ for one man and one woman. Because the church tradition has been unbroken for 2,000 years and they derived it from scripture of that original language.
しかし、理解してください。当時、彼らは皆ギリシャ語を話し、ギリシャ語で書き、アラム語を話していました。例えば、彼らが初期の福音書、つまりマタイ、マルコ、ルカの共観福音書を書いていたとき、彼らは明らかにギリシャ語で書いていました。彼らはその言語を知っていたのです。ですから、マタイ伝で彼らがギリシャ語で書き、そして初期の教父たちがギリシャ語を知っていて、それを教会の伝統として採用したとき、私たちには2000年の途切れることのない鎖があるのです。キリストの教えが男女間のことであったと、議論の余地なく言えると思います。なぜなら、教会の伝統は2000年間途切れず、彼らはそれを元の言語の聖書から導き出したからです。
You can't argue that. That doesn't make sense. I mean, if we agree to disagree then might we look at biology?
それは主張できません。意味が通りません。もし意見が合わないなら、生物学に目を向けてもいいですか?
So you know better than the church fathers?
では、あなたは教父たちより賢いと?
I don't, I'm not saying I know better than the church fathers. What I'm saying is linguistically, there is undeniably an error. Regardless of what you say, there is a translation...
いいえ、教父たちより賢いと言っているわけではありません。私が言っているのは、言語学的に、否定しようのない誤りがあるということです。あなたが何と言おうと、翻訳の…
Our lens may be, but not from the people when they were making these traditions...
私たちの見方ではそうかもしれませんが、彼らがこれらの伝統を作っていた時の人々からすれば違います。
I agree, they may have gotten that right, but that may not have been their original meaning. What we are saying is the meaning has been warped over time because of societal and cultural contexts such as the British Empire...
同意します。彼らは正しく理解していたかもしれませんが、それが彼らの本来の意味ではなかったかもしれません。私たちが言っているのは、大英帝国のような社会的・文化的文脈によって、時代とともに意味が歪められてきたということです。