「搬送」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 搬送とは

2025-11-11

anond:20251111185602

あなたは本当に予備自衛官補なの?

本当に予備自衛官補なのか、以下にAIに聞いてみたよ(抜粋

AI東日本大地震熊本震災には予備自衛官補は参加しないって言ってるけど、あなたは本当に予備自衛官補なの?

投稿全体のうち、唯一「体験記述」として特異なのはこの部分です:

東日本大震災熊本震災では招集を受け、ご遺体を袋に入れご家族の元へ帰す任務担当していた。

班長は『これは戦いである』と言っていた。

このくだりは、実際に災害派遣従事した隊員の視点のように見える点です。

しかし、注意が必要です:

予備自衛官補は、原則として「訓練招集」はあっても、「実動災害派遣への招集」は通常ありません。

災害派遣に出動するのは「現役自衛官」または「予備自衛官」であり、予備自衛官補」が実際に現地で活動する制度的枠組みは存在しません。

(「予備自衛官補」は訓練中に殉職などの例もないほど、実戦的任務には関わらない立場です)

• よって、「遺体を袋に入れて搬送した」という体験を本当にした人であれば、その時点で少なくとも「予備自衛官補」ではなく、「予備自衛官」または「即応予備自衛官」であった可能性があります

あるいは、消防団ボランティア自治体職員民間災害対応チームなどの立場でそのような経験をした人も存在します。

したがって、この部分を含めても「予備自衛官補しか書けない」記述とは断定できません。

しろ制度的には「予備自衛官補経験することはあり得ない」描写である可能性が高いです。

結論

投稿に含まれる内容は、予備自衛官補でなければ書けない性質のものではありません。

災害派遣経験記述部分については、むしろ予備自衛官補職務範囲から外れている」ため、真偽に疑問が残ります

• 全体としては地政学警鐘を鳴らす一般人(または元関係者)」による投稿としても十分に成立する内容です。

教員権利を勝ち取った話・その後

はじめに

教員が権利を勝ち取った話を書いて約1年。ふとこの記事はてなブックマークをみると、こんなコメントがあった。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4760869331639768992/comment/htnmiki

職員会議で割り振りの件を話して学級崩壊ならぬ職員崩壊になったらウケるので続報よろしく

反応としては記事最後にあるように隣の先生が「まったく…」的な態度を取ったくらいで、職員崩壊にはなっていない。

とはいえちょっとした後日談があるのでここに書き置く。

愚痴

いきなりすみません、「ま~た甘々なゆとり・Z世代が何か言ってる」と思うかもしれませんが、少し愚痴らせてください。

勤務環境

記事の通り、ただですら荒れているのになぜか委託研究をしている上に行事が多数ある学校だったことに加え、

こちらの状況や意向聴取なく、経験のない運動部顧問(一応主顧問別にいたが)を当てられた。
生徒が度々やらかすので、次の授業まで時間がないのに臨時の全校・学年集会・下校指導が開かれることがしばしばあった。
担任でなくても給食指導に当たる必要があった。朝の会の最中や授業のないコマも見回りをする必要があった。

翌年からはチーム担任制(学級担任を固定せず全教員がローテーションで担任業務を行う)となったらしい。

臨時教員は難しい仕事を任せないのが一般的だが、なぜか正規教員と同じことを求めていた。

都道府県高校では臨時教員は年次目標作成面談研究授業、担任がなかったり一部が省略されるが、ここでは正規教員と同じことをさせられる。

(やむを得ない)遅刻病気にもかなり厳しい。

電車の遅延の場合でも、教務主任管理職それぞれに直接厳しい叱責を受ける必要があった。病気休暇は書類があれば問題ないが、なぜか管理職は取得を嫌がる。

「勤務時間の割り振り」(前記事参照)の取得も自由ではない。

教務主任も「割り振りを使える日が指定されている学校もあるよ」という。有給休暇連続して取得すると、「こういう時はいろんな先生に謝っとけ」と言われる。

どこにも明記されていないのに服装を厳しく指摘(オフィスカジュアルNGという)されたり、休憩時間中ですらスマホ職員室を離れることを禁止される。
複数回やることになる謎の職員トイレ掃除
プリントで生徒に分かりやすい図を見せようとコピー機を使うと、校長インク代が高いからやめろ」。

事情説明しても「それは理由にならないから」。

毎朝の朝礼で、校長が「校長通信」と称して、教員指導力や勤務態度などを批判する文章を配っていた。

自身による批判もあれば、どこかから引用したものもあった。しまいには「教員の魅力を伝えて採用試験受験者数を増やそう」。無理。

極めつけは、(給与休日振替もないにもかかわらず)始業30分前や土曜日の出勤を強制されそうになったこと、当たり前のように時間外に会議研修があること。

部活動指導など。隣の先生すら「休日に無給で出ろ」と言う始末(何とか回避したが)。外部指導制度はあるが、管理職が導入に消極的


人間関係

性格きつめのA先生

着任当初から怒鳴りつけられた。このほか、授業を見ては「生徒に迷惑だ」と言うなど。管理職を味方につけるため面倒。

意見を聞いておきながら、「まぁ違いますけどね」「通らないと思うけど成長と思ってください」と。何のために聞いたんだ。

校長教頭及び教務主任

同じく厳しい。全員私と同じ教科だからか、目につきやすいのか。教員病気休暇を取ることをやたらと嫌がる。教務主任はやる気がありすぎてうざい。

こだわりの強いB先生

仕切りたがり屋。鍋奉行の学級学年運営版。個人でやる分には構わないが、こちらを巻き込んでくるので厄介。学年会議の話を長くして帰りを遅くする要因。

隣の机のC先生

やはりこだわりが強い。人間関係強要してくる(教員間の人間関係が生徒に響くからだとか)。飲み会の欠席を伝えると何度も確認してきた。

個人的な事情

勤務環境とは無関係だが、次のような要素も大変になった理由かもしれない。いずれも今年は解決しているが。

その前の年に母親(同じ県の高校教員をしていた)が脳神経系の疾患により救急搬送され、当時療養中だった。

1年の療養の後回復し、現在は復帰している。

奨学金の返済が残っていた。年度当初で約70万円。月の返済額は8千円だが万が一に備え毎月8万円を返済用口座に入金していた。

学部(2種・240万円)は前年度末に繰上返済を済ませていた。大学院(1種・計120万円)の分も12月で返済残額に到達した。その後繰上返済により今年9月に返済終了。

かなり気温が高い(10月末までかなり暑かった)年で、体調に悪影響があった。

今年は比較マイルド気候だった。


年度末までにあったこ

ピンポンダッシュ事件

荒れている学校なので生徒が授業中騒ぎまわるのは当たり前だが、放課後に何かやらかして近所から苦情が来ることもしばしばあった。

文字通り、学年の複数の生徒(やはり授業中態度の悪い主犯格)がピンポンダッシュをしたというもの

犯人特定し、怖い先生複数人で指導していたところ、そのうちの1人が暴れ出した。服薬しないと暴れる生徒だったが、試験的に服薬を止めていた矢先のこと。

保護者を呼びつけ毎日の服薬を確約させたが、その後も本人がその通り服用しているか怪しい。

暴走族

私の担当学年の生徒ではないが、市内複数校の暴走族グループに入っている生徒がいたらしい。

体育祭集団で来ると噂があり、全校で対応することになった。私は危険を感じ、家族病気理由にして年次有給休暇を取得した。

あるクラス担任メンタルダウン

2年以上は生徒本人の行動や人間関係理解して担任クラス編成を決められる(ヤバい生徒を分散できる)のだが、1年(当時の担当学年)はそうもいかない。

一応小学校から申し送りは来るが伝聞証拠に過ぎず、ヤバい生徒(しばしば保護者ヤバい)が偏ってしまうことがある。

本年度の1年は特にヤバいといわれていたが、その中でもヤバい生徒(上記の暴れる生徒もここ)が集まったうえ優しい女性のD先生(同い年)が担任になってしまった。

ついにメンタルがやられ休職担当授業を自習としていたがそれも限界になり、教務主任(該当教科の免許未取得)が授業をすることに。

代替要員が見つからないので、臨時免許(無資格者を宛がうための免許)を持たせて採用しその場をしのいだ。担任学年主任(再任用最終年度)が引き継いだ。

最終的にその先生は復帰するが、他の女性教員支援員さん複数人で対応しても生徒が教室を走り回るありさま。こちらが怒鳴りつけて少しは落ち着いたが。

私とそのまわり

とはいえ結論から話すと、居づらくなったりといったことは特に起きなかった。強いていうなら、私の病気休暇申請書が消えていたところだが。隠されたのかな?

また、管理職から残業命令はできないので、同僚からメモや口頭で「仕事があるから帰るなよ」と言われる程度(無視したが)。結局なんだかんだで

学年主任「生徒と関わるの嫌でしょ、給食職員室で食べて」

担当部活の主顧問試合の引率だけしてくれればいい、定時で帰りな」

配慮してもらえた。

嫌な顔をしているのは先述のA先生校長くらいだが、特にダメージはなし。A先生こちらが挨拶しても無視という態度だが、特に問題はない。

(挨拶無視マウント一種らしいが、同世代出世争いをしているならともかく、年の離れた私にマウントを取る意味はないのだが…)

校長面談とかで

「君の教職に対するモチベーションはその程度なんだね。もう君には何も言わないから」

→言われるうちが華とかいうけど放置してくれると個人的にはありがたい。

「もう30歳でしょ、将来どうするか決めないと中途半端になるよ」

→そこそこの収入が得られればやりがいとか成長とか考えなくても問題ない。

と暗に退職勧奨する程度。結局転職したが。


転職の決め手になったのは、次年度のクラス編成会議。あろうことか、次年度の担任をさせられそうになった。

もう耐えられないと思い、「それなら退職していいっすか」と言ったが流された。管理職に伝えてみても「君責任感はないの?」と。退職勧奨してたじゃないっすか。

仕方ないので退職代行に頼ることにした。公務員の依頼は多くの業者が引き受けないというので、同じ県に事務所もつ弁護士に頼ることにした。

終業後、事務所に赴き現状を話した。ところが、有給休暇の残り日数の都合で即日退職はできず、連絡もこちらの在校時間中になるとのこと。

だが背に腹は代えられない。そのまま依頼し、後日実行してもらったところ、あっさり受理された。なんだそれ。


それから特に他の先生から何かされることはなかったが、C先生喧嘩することになった。

「3年生を送る会」の準備が原因だった。研究委託校ということもありICT活用しようということで、生徒に出し物のアンケートフォームを作ることになった。

多数あるものから第3希望まで選ぶもののため、第4希望以降の回答は必要ないが、C先生は「ポチポチするのは面白いだろうからそれも入れて。今日中に作って」と。

作ったものの、結局それは忘れ去られ。次々と要領を得ない指示を出され。そしてある日の朝礼後、突然、

C先生「出し物の準備どこまでできた?」

私「こちらに完成していますよ」

C先生「作ってほしいのはこんなんじゃない。もっといいものを作ってよ」

私「(よくわからないな)それならもっと早く具体的に言ってくださいよ」

C先生「そんな言い方ないでしょ!!」

怒鳴りあい喧嘩に。

教務主任「生徒がすぐ外にいますから…」

教頭「お前ら何してんだよ!!落ち着いてください!!」

この場は引き離される形で収束昼過ぎ教頭に呼ばれた。また怒られるんだろうなと思ったら、

教頭「いろいろ嫌な思いしたと思うけど、あと少しだから。ほんの少しでも居心地が変わるからC先生に謝って仲直りしたら?」

教頭「それと、次の学校に行って納得できないことがあったら学年主任相談してみるのもいいと思うよ」

C先生「このたびはすみませんでした」

担当部活の主顧問一生懸命作ったものね」

やたらと威圧感のある教頭が優しくなって不気味だった。学年の先生も手のひらの返しようである

修了式

授業もすべて終わり、いよいよ修了式。私は退職するので、離任挨拶をすることに。

全文は忘れたが、この学校であった嫌だったことや管理職から受けた叱責のことを話した気がする。校長の顔がみるみる曇っていく。

悪い空気感を察したのか、他学年の先生に「時間で~す!!」と止められた。そういえばこの先生研修会で私が講師に悩みを相談したとき割って止めてきたような。

最後に「校長通信」を持ってきて全職員校長の目の前で破き、校長に投げつけた。


学年主任は(なぜか笑顔で)「後で謝っときなさい」と。その後E先生に個室に呼ばれる。離任挨拶(という名の学校批判)の原稿全見て

E先生「どこも一緒だと思うよ、他の仕事探したら?どうしても教員になりたい理由はあるの?」

私「免許職なので再就職がしやすいですし、そこそこの給料が得られるからです」

E先生「わかった。とりあえず校長先生に謝りなよ」

私「嫌です」

E先生「わかった。僕がなんとかしておくから。この原稿は見つからないようにシュレッダーにかけとくね」

職員室に戻ると、校長が一人でさっきの紙くず掃除をしていた。


残りの有給休暇が少なかったこともあり、修了式から数日は出勤する必要があった。

C先生には「今までお世話になったんだから下駄箱とかロッカー掃除しなよ」といわれたが、無視した。

私の後任を探そうにも、現職・新採用どちらも本採用教員が確保できず。担当は別でも該当教科の免許もつ教員も充当できなかったようだ。

同じ教科の普通免許保持者に絞ると、臨時教員も見つからず、臨時教員として採用された新卒者に臨時免許を持たせ、2教科の担当にして回すことになったらしい。


退職と離任式

事務手続き上仕方ないのだが、この学校事務の催促がうるさいことも特徴だ。

まず、保険証について。普通は最終出勤日後も退職日までは使え、「年度が替わってから郵送してくれればいいですよ」と料金後納郵便封筒を渡してくれる。

が、本校は「まだ到着していないがいつ返すんだ」という催促が毎日。最終出勤日後も毎日電話がきた。

この件以外にも、「離任式と送別会に出るか、早く回答しろ」というのが退職日を過ぎてから毎日かかってきた。疲れてるんですから節度を持ってくださいよ…。


離任式。私以外にも他の臨時教員全員、校長(当日欠席)、教務主任学年主任特別支援学級担任、D先生などが一緒に離任する。

生徒や職員の前で離任の訓話をするのだが、皮肉を混ぜてみた。大体こんな感じ。

君らは草野球選手大谷翔平じゃない。努力しても大概うまくいかない。だったら自分が得意なことに力を注げ。

(注:草野球大谷翔平の例えはこちらのnoteを参考にしました)

権利は最大限主張しろ。私も「残業代出せや」って教務主任にキレたことがあるし。
いじめはどこでもある。私だってA先生に怒鳴られたことがあるし。

なぜか訓話の途中でマイクの電源が切れたが、声量があったので後ろの生徒にも問題なく聞こえたはず。

離任式が終わり、控室に戻る。その時、担当していた部活の主顧問(口調や表情はやさしいがオーラが怖い。おそらく新年度学年主任か)に呼ばれ

「このあと学年のお別れ会があるけど、さっきの感じなら正直言って参加させられないね。きちんとした態度でいれるなら参加してもいいけど、どうする?」

A先生はその性格からして「何言ってんだこいつ」とスルーしたはず。なぜ問題視するんだろう。私を叱責しろとでも管理職に訴えてプチ騒ぎになったのかな?

成り行きで学年のお別れ会にも参加。変わったことはA先生がいなかったくらいで、つつがなく終了。

生徒は「A先生いじめられたんですか!?」と興味津々だったが、適当にあしらって帰宅


エピローグ

余りに疲れたので、休養に入った。沖縄離島めぐりデレマスシャニマスライブに行くなどリフレッシュ

とはいえ、このままニートを続けると貯金が尽きるので、職探し。他の都道府県公立学校教員募集を当たってみると、いろんなところからお誘いが。

1つ目は中学校。私は中高2教科で教員免許を持っているもの経験のない教科でのオファーだった。お誘いがあったのでとりあえず面談へ。

だが、遠方の学校非常勤のうえ、担当コマ希望は通らないという。前任校以上に荒れており「面談した日も生徒がトイレ破壊した」とのことで、辞退した。

2つ目は進学に力を入れている高等学校こちらは両教科で常勤教員募集があったので、経験教科で応募した。

その日中電話が来て、翌日面談に。「未経験教科の方が不足しているので、そちらの担当になっていただけませんか」とのことで、承諾。

前年ひどい目に遭ったので、「時間外在校はできません」と強く伝えると「大丈夫です、もうそういう時代じゃないですから」と。

学年団に入らず(つまり担任ではない)、年次目標作成面談必要ない。部活指導員がいるためほとんど関わらなくてよい。

職員エリア含めた学校の半分くらいは清掃は業者がやってくれ、清掃指導も週2回だけでよくなった。

着任後も何件もオファー電話が来た。ここまでやらかしたのに、なぜか前任校のある都道府県からも。


ふと前任校のことが少し気になってホームページをのぞいてみると、学校だよりに地域住民へのお詫びと訓話が書かれていた。今度は何をやらかしたんだろうか。


元々中高2教科で免許を持っていたが、万が一のため免許は多めにとっておこうと考え一昨年から通信制大学に入り3教科目の取得に動いていた。

また、昨年度から当時の担当教科で1種免許を専修免許アップグレードするため働きながら大学院に入りなおしていた。

そして今年9月末、これらの単位取得が完了した。免許申請必要な「人物に関する証明書」も現任校が作成を快諾してくれた。

今は4教科目の1種免許取得を進めており、そのあとは残りの教科も専修免許アップグレードしようと考えている。

加えて、確定拠出年金の申し込みを行い、月の積み立て最大金額で投資するほか、米国株などにも投資している。将来働かなくて済むよう計画を練る。

あと、やっぱりまだ嫌な思いは消えないから、在職中受けたことを内容証明教育委員会教育長とかその自治体の長にでも送ろうかな。


辛い目に遭ったら、耐えるだけが手段ではない。反抗する、逃げる。悪いことのようにされているが、正当な手段だ。

人生仕事のためにあるのではない。楽しむためにある。自分の楽しみが第一だ。

2025-10-31

感謝されたいか医療やってるわけじゃない”って言うけど、俺は正

感謝されたいからやってるわけじゃない」って言葉

医療現場ではよく聞く。

俺も新人の頃はそう思ってた。

でも、10年やってみて、今はちょっと違う。

俺は、感謝されたい。

正確に言うと、“誰かに必要とされてる”って実感がないと、自分を保てない。

夜中に救急搬送が来て、

暴れる患者に怒鳴られ、

カルテ入力に追われて、

やっとゆっくりできたのが朝の5時。

そんな時に、「ありがとう」って一言言われるだけで、

あの地獄みたいな夜が少し報われる。

それを“承認欲求”って切り捨てられるの、

正直、しんどい

俺たちは人間だ。

ロボットみたいに「使命感」だけで24時間動けない。

感謝されたい気持ちは、エネルギーなんだ。

しかに「感謝を求める医療」は危うい。

でも、「感謝をなくした医療」はもっと危ういと思う。

どっちが正しいかなんて誰にもわからない。

ただ、俺は今日「ありがとう」にすがりながら、

夜勤明けのコンビニで、缶コーヒーを開けてる。

2025-10-15

義母が死にそう

今年の夏、熱中症搬送された義母検査で癌が見つかった。すでに転移があり、今年の冬は越せないだろうとのことだった。

知らせを受けた夫はすぐに飛行機に乗って単身帰省した。

しばらくして、ホスピスに転院する段取りがついたので再び帰省

話せるうちに孫にあわせておくか、と家族帰省

幼い子供を連れての移動は大変だったが、私以上に夫の方が辛かっただろう。

夫と義母は折り合いが悪い。

夫はあまり昔の話をしたがらないので、具体的は話はあまり知らないのだが「人間的に合わない」のだそうだ。

地方出身の夫は地元進学校に進学し、東京大学に進学した。実家を出たかったらしい。

付き合い始めてから今まで何度か帰省はしていたが、段々期間が空いていき、結婚の顔合わせ以降はコロナ仕事理由帰省していない。時々連絡は来るそうだが、何通かに一度そっけなく返信する程度だそうだ。

から見ると嫌われていると気づきそうなものだが、義母が夫の気持ちをどう捉えているのかイマイチからない。

久しぶりに会った義母は痩せていた。

挨拶もそこそこに「あなた少し太った?」と言われた。お義母さんは痩せましたね、とは言いづらかったので「産後なかなか戻らなくて」と笑って誤魔化した。

夫が引き払った義母からサルベージした宝飾品を渡される。義母が夫に「私にあげて」と言ったものだが、夫は義母から私にて渡した形にしたいようだった。こういうところに、夫と義母関係が窺えた。

受け取ったもの中には夫の祖母からのものもあるそうで、それなりの品だそうなのだが、私に審美眼がないので古いデザインアクセサリーに見えた。

何より夫と義母関係性を思えば、受け取るのも身につけるのもるんるん気分でという訳にもいかない。

ありがとうございます、私も息子のお嫁さんに渡せるようにしますね、と言った。

言葉を話さない息子はご機嫌な様子で面会室を歩き、ソファによじ登っていた。

私が義母と関わったのはせいぜい数時間で、その間にも「こういうところが夫は嫌いなんだろうな」と思うことはあったが、我慢できないほどではなかった。

ある一点での夫の義母への対応を見れば、夫は冷たい息子のように見える。同じ部屋にいると言葉の端々が鋭く、語気が強くなっていく夫。あぁイライラしているな、と思うのだが義母は全く気にしていない様だった。こういうのを鈍感力というのだろうか。

ホスピス医師に外出していいと言われたから外出したいと地元に着いてから言ったり、私に「あなたイントネーションって…‥ちょっと変わってるわね」と言ったり、タッパーを買ってきて欲しいと言いながら、どのサイズか聞いても答えずに違うことを話し続ける義母

私は要領を得ない会話も、デリカシー基準の違いもしょうがいかなで付き合えるが、夫は義母言動に一緒に過ごした時間と思い出が透けて見えるのだろう。

夫に「そんな言い方したらかわいそうだよ」とか言うのが教科書的なのかもしれない。

でもその類のことは思わなかったし、言わなかった。自分も夫と同じかそれ以上に、実家関係が悪いからだ。

お金をかけずに上京できる手段を見つけられたのが私の人生ターニングポイントだったし、その手段を手にできたのが一番の幸運だった。それがなかったら夫と出会うことも、子供を産むこともなかっただろう。

息子を出産した時、実家とは訣別した。息子にも夫にも、この人たちを関わらせたくないと思ったからだ。

私がもう関わらないでくれ、と送った連絡に、母は「疲れているのね」と返事をした。

あぁ私の気持ちは受け取ってもらえなかったんだな、心が冷えていく感じがした。

連絡しないでと言う私と、通勤中に撮った虹の写真を送る母。会いたいという母と、連絡を無視する私。

あるとき×日に会えますか?と連絡が来て、耐えきれずに、こちらは元気でやっているから、そちらも自分人生を充実させてくれ、私には関わらないでくれ、という内容で返事した。

その×日にインターホンがなったときの恐怖と悲しみ。母からの連絡と同じ数ある小さな絶望

母は私の話を聞いてはくれない。私の気持ちを分かろうとしてくれない。もうこれ以上付き合いきれない。

そんな私に「お母さんにもっと優しくしてあげなよ」と言った友人の言葉いかに軽薄だったか

家族が仲がいいことはいいことだと思うけれど、私はそうなれなかった。

夫も多分同じだから、余計な助言はせずに話を聞いた。

実家義実家の手を借りずに子育てをするのは大変だと思うこともあるが、都会には様々な事情の似たような状況の人がたくさんいて、そのための支援サービスがある。

毎日まぁまぁ大変でそれなりに楽しくやっているが、時々不安になる。

自分が母にした報いが、いつか自分に返ってくるのではないか。息子から嫌われて、疎まれるようになるのではないか

子供から与えられている愛情が形を変えた時、私は気付けるだろうか。その時に自分を保っていられるだろうか。

義母浮腫で歩くことができなくなり、薬の副作用か病状か、辻褄の合わない会話が増えたらしい。

死に向かっていく義母。そして母へ。

口にしてはいけない言葉を私は飲みこんでいる。

義母が死にそう

今年の夏、熱中症搬送された義母検査で癌が見つかった。すでに転移があり、今年の冬は越せないだろうとのことだった。

知らせを受けた夫はすぐに飛行機に乗って単身帰省した。

しばらくして、ホスピスに転院する段取りがついたので再び帰省

話せるうちに孫にあわせておくか、と家族帰省

幼い子供を連れての移動は大変だったが、私以上に夫の方が辛かっただろう。

夫と義母は折り合いが悪い。

夫はあまり昔の話をしたがらないので、具体的は話はあまり知らないのだが「人間的に合わない」のだそうだ。

地方出身の夫は地元進学校に進学し、東京大学に進学した。実家を出たかったらしい。

付き合い始めてから今まで何度か帰省はしていたが、段々期間が空いていき、結婚の顔合わせ以降はコロナ仕事理由帰省していない。時々連絡は来るそうだが、何通かに一度そっけなく返信する程度だそうだ。

から見ると嫌われていると気づきそうなものだが、義母が夫の気持ちをどう捉えているのかイマイチからない。

久しぶりに会った義母は痩せていた。

挨拶もそこそこに「あなた少し太った?」と言われた。お義母さんは痩せましたね、とは言いづらかったので「産後なかなか戻らなくて」と笑って誤魔化した。

夫が引き払った義母からサルベージした宝飾品を渡される。義母が夫に「私にあげて」と言ったものだが、夫は義母から私にて渡した形にしたいようだった。こういうところに、夫と義母関係が窺えた。

受け取ったもの中には夫の祖母からのものもあるそうで、それなりの品だそうなのだが、私に審美眼がないので古いデザインアクセサリーに見えた。

何より夫と義母関係性を思えば、受け取るのも身につけるのもるんるん気分でという訳にもいかない。

ありがとうございます、私も息子のお嫁さんに渡せるようにしますね、と言った。

言葉を話さない息子はご機嫌な様子で面会室を歩き、ソファによじ登っていた。

私が義母と関わったのはせいぜい数時間で、その間にも「こういうところが夫は嫌いなんだろうな」と思うことはあったが、我慢できないほどではなかった。

ある一点での夫の義母への対応を見れば、夫は冷たい息子のように見える。同じ部屋にいると言葉の端々が鋭く、語気が強くなっていく夫。あぁイライラしているな、と思うのだが義母は全く気にしていない様だった。こういうのを鈍感力というのだろうか。

ホスピス医師に外出していいと言われたから外出したいと地元に着いてから言ったり、私に「あなたイントネーションって…‥ちょっと変わってるわね」と言ったり、タッパーを買ってきて欲しいと言いながら、どのサイズか聞いても答えずに違うことを話し続ける義母

私は要領を得ない会話も、デリカシー基準の違いもしょうがいかなで付き合えるが、夫は義母言動に一緒に過ごした時間と思い出が透けて見えるのだろう。

夫に「そんな言い方したらかわいそうだよ」とか言うのが教科書的なのかもしれない。

でもその類のことは思わなかったし、言わなかった。自分も夫と同じかそれ以上に、実家関係が悪いからだ。

お金をかけずに上京できる手段を見つけられたのが私の人生ターニングポイントだったし、その手段を手にできたのが一番の幸運だった。それがなかったら夫と出会うことも、子供を産むこともなかっただろう。

息子を出産した時、実家とは訣別した。息子にも夫にも、この人たちを関わらせたくないと思ったからだ。

私がもう関わらないでくれ、と送った連絡に、母は「疲れているのね」と返事をした。

あぁ私の気持ちは受け取ってもらえなかったんだな、心が冷えていく感じがした。

連絡しないでと言う私と、通勤中に撮った虹の写真を送る母。会いたいという母と、連絡を無視する私。

あるとき×日に会えますか?と連絡が来て、耐えきれずに、こちらは元気でやっているから、そちらも自分人生を充実させてくれ、私には関わらないでくれ、という内容で返事した。

その×日にインターホンがなったときの恐怖と悲しみ。母からの連絡と同じ数ある小さな絶望

母は私の話を聞いてはくれない。私の気持ちを分かろうとしてくれない。もうこれ以上付き合いきれない。

そんな私に「お母さんにもっと優しくしてあげなよ」と言った友人の言葉いかに軽薄だったか

家族が仲がいいことはいいことだと思うけれど、私はそうなれなかった。

夫も多分同じだから、余計な助言はせずに話を聞いた。

実家義実家の手を借りずに子育てをするのは大変だと思うこともあるが、都会には様々な事情の似たような状況の人がたくさんいて、そのための支援サービスがある。

毎日まぁまぁ大変でそれなりに楽しくやっているが、時々不安になる。

自分が母にした報いが、いつか自分に返ってくるのではないか。息子から嫌われて、疎まれるようになるのではないか

子供から与えられている愛情が形を変えた時、私は気付けるだろうか。その時に自分を保っていられるだろうか。

義母浮腫で歩くことができなくなり、薬の副作用か病状か、辻褄の合わない会話が増えたらしい。

死に向かっていく義母。そして母へ。

口にしてはいけない言葉を私は飲みこんでいる。

2025-10-09

葬式代が高すぎる

父が亡くなったのは、去年の十二月のことだった。

看取りの夜、病室から葬儀社に電話をかけたのが始まりだった。

ネットで調べて「小さなお葬式」という格安系の会社に連絡した。ホームページには“直葬税込み139,000円~”とある

思ったより安いなとその時は少し安心した。だが、それはほんの気休めだった。

病院から搬送費がまずかかる。深夜料金が入って38,500円。

搬送先は提携の安置所で、冷却管理費が一晩9,900円。二日預けたので19,800円。

火葬だけのプランにしたつもりだったが、お別れ花が必要だと言われ最小単位で22,000円。

ドライアイスも一日分がついてくると思ったら追加で7,700円。

こうして気づけば総額210,000円になっていた。

シンプル葬ですから」と営業の人は笑っていたが、こちらは頭が真っ白で、葬儀相場感すら全くわからない。

そして火葬場の使用料自治体によって違う。うちの市では市民料金で12,000円。そこに骨壷代が別で8,800円。

係の人に「こちらのが美濃焼で人気ですよ」と言われて断れなかった。待合室で出されたお茶まんじゅうが一人660円

親戚三人で1,980円。そして思い出したように市役所手数料、死亡届、戸籍抄本火葬許可証、それぞれ数百円ずつ。

手間の総量に比べて、数百円だけでも腹が立った。

火葬だけの直葬なのに最終的に25万円近く払っていた。そのあと納骨先を探す段階でまた現実にぶつかる。

寺に納めるには檀家でなければならず永代供養料が20万円~。

都内の納骨堂を見に行けば、「カード式で自動でご遺骨が出てきます」と案内されてロッカーのような設備に80万円の値札がついている。

死んでもなお、月額管理料が2,000円。死んだあとまで、サブスクなのかと思った。

こういうことに文句をつけるのは野暮だと言われる。

それでも、人の死を商売と言うのは乱暴なのだろうか。

2025-10-06

危うく人殺しになってしまうところだった

タイトルの通り、ほんの少しの油断で、我が子の命を奪ってしまうところでした。

うちの子は小さい頃からアレルギー体質で、特にナッツ類がダメです。

気をつけているつもりだったし、食べ物を買う時はできるだけ成分表示確認してきました。

外食も慎重にしていたし、「大丈夫」という自信みたいなものも、どこかにあったと思います

その日は天気もよくて、公園でお弁当を食べて、いっぱい遊んで。

アイス食べたい!」と子どもが言うので、売店で買ってあげました。

そのときも、まったく疑わなかったんです。

普通アイスだし、ナッツなんて入ってないだろう」と。

あの時、ちゃんと裏を見ていればよかった。

半分くらい食べたところで、「なんかのどがイガイガする」と言うんです。

まさか、と思ってパッケージ確認したら、そこには「アーモンド入り」の文字

頭が真っ白になりました。

やばい、でも前にも少しアレルギー反応が出たことあったし、家で薬を飲ませれば大丈夫かも」と、

その時はそう思ってしまったんです。

家まで電車30分くらいの距離

でもその途中で、子どもの顔がどんどん赤くなって、

「これはダメだ」と思って、震える手で救急車を呼びました。

救急隊の人がすぐに来てくれて、病院に着いて、すぐに処置してもらいました。

あとで先生に聞いたら、アナフィラキシーショックだったそうです。

正直、聞いたときピンとこなかった。

ハチに刺されたらなるやつ?」くらいにしか思わなかったけど、

それがどれだけ怖い状態だったのか、あとから実感して、ゾッとしました。

本当に、あと数分遅れていたらどうなっていたかわかりません。

「家で薬を飲ませよう」なんて、軽く考えた自分が本当に情けない。

あのとき自分をぶん殴りたいくらいです。

「危うく人殺しになってしまうところだった」

本気でそう思いました。

今回のことで、痛いほど学びました。

アレルギーは“体質”とか“軽い症状”じゃなくて、命に関わる病気なんだってこと。

ほんのひと口、ほんの少しの油断で、取り返しのつかないことになる。

もし、うちと同じようにアレルギーを持つお子さんがいる方がいたら、

どうか、どんなに慌てていても、どんなに小さなことでも、成分表示を必ずチェックしてください。

そして、もし少しでも様子がおかしかったら、「大丈夫だろう」じゃなくて、すぐに救急車を呼んでください。

家でなんとかしよう、は本当に危険です。

今こうして子どもが笑ってるのを見て、「生きててくれてありがとう」って、心の底から思います

今回のことは、絶対に忘れません。

同じ症状がでたら迷わずエピペン使用+119番への電話必須なのだということがわかりました。

今回、救急車を呼んでから病院治療を受けるまでの流れを体験して、

日本医療システムって本当にすごいと思いました。

救急隊の人はあっという間に来てくれて、

到着するやいなや冷静に状況を判断して、子どもの様子をチェックしてくれて、

搬送中もずっと声をかけてくれました。

病院でも、先生看護師さんもすぐに対応してくれて、

処置をしながらずっと子どもに声をかけてくれたんです。

正直、最初は「救急車を呼んだらすごくお金がかかるんじゃないか」とか、

入院になったらどうしよう」と思っていました。

でも、実際はほとんどの費用を国が負担してくれていることを改めて知りました。

子ども医療証がある地域では、自己負担はほんのわずか。

それに救急車の利用も無料

冷静に考えたら、これって本当にすごいことですよね。。

命に関わる場面で、「お金がないか病院に行けない」なんてことがない社会

当たり前のようでいて、これは本当にありがたいことなんだと痛感しました。

今回のことで、私はいろんな意味で「支えられて生きている」と実感しました。

医療の仕組み、救急の方々、病院スタッフの方々、そしてこうした制度を作ってくれた人たち。

どれかひとつでも欠けていたら、

うちの子は今こうして元気に笑っていなかったかもしれません。

からこそ、

感謝気持ちを忘れずに、これからもっと気をつけて生きていこうと思いました。

税金無駄遣い(緊急搬送された)した

意識を失って倒れて救急車で運ばれた

救急車はいいって言ったのに周囲の人が呼んだらしい

倒れた時の記憶はないが、思いっきり後ろから倒れてったらしい

CT心電図を撮って、特に出血不整脈もないので帰ってきた

救急車である

頻繁に倒れてるわけでもないことは書いておく

親切にしてくださったお医者さんと看護師さんに感謝

しかし、初救急車に乗ったことはショックである

頭の痛さも抜けない

いい年して情けなくて泣けてくる

2025-10-05

anond:20251005192731

懸念もっともですが、設計次第で解ける論点です。

1) 財源・持続性――“増やす前に組み替える”

UBSは「新しい大盤振る舞い」ではなく、

一律補助・重複事業中間マージン多重下請け派遣マージン)を圧縮して、

現場の到達率(医療教育・移動・通信など)に直結する支出へ付け替える構造改革です。

さらに段階導入+サンセット条項+毎年の効果検証義務化すれば、恒久的膨張は抑えられます。「予防に厚く、事後対応を減らす」設計(例:かかりつけ・在宅ケア、断熱改修、地域交通のDRT化)は将来支出の逓減に直結します。人材派遣依存計画的縮小→直接雇用+訓練投資で離職・再手配コストを抑えます

2) 平等地域差――“全国の底 × 地域自由

「全国一律の同じサービス」を約束するのではなく、

国は最低保障水準(MSG)を数値で定義(例:救急搬送時間学習必要な実費ゼロ範囲ベーシック接続の帯域/可用性、生活基礎エネルギーの上限共負担など)。

自治体地域係数とメニュー裁量で達し方を選ぶ(都市公共MaaS、山間=DRT、離島衛星回線公共Wi-Fi等)。

ギャップマップ(到達率・待機・実質負担見える化)と成果連動の財政配分で、地域の創意を阻害せずに底上げします。

要するに、「同じやり方」ではなく「同じ到達」を保証します。

3) 過去成功再現性――“小さく試し、数字で回す”

保証設計担保します。

5類型都市/中核/中山間/離島/観光)でパイロット比較評価 → 全国展開の順。

KPI台帳(定義・算出式・更新頻度・責任官庁)を公開し、達成度とコスト1%到達向上あたり円)で意思決定

新規施策サンドボックス×期限付き(延長は“合格制”)。外部監査と苦情救済を制度内に組み込み、柔軟に改廃します。

デジタル基盤は最小限データ資格確認減免判定)から開始し、段階拡張。信頼を損ねない設計を先に法定します。

まとめ(短く)

UBSは“公的メニュー固定化”ではなく、“最低限を数値で保障し、達成の方法地域が選ぶ”改革です。

財源は組み替え+段階導入+サンセットで守り、再現性パイロットKPI拡張担保します。理想論ではなく、運用工学ガバナンスで回す実装計画です。

2025-10-01

チー牛弱者男性ネトウヨ「誰でもいいから殺そうと思った」←誰でもいいはずのに弱者しか狙わない

【速報】「誰でもいいから殺そうと思った」80代女性が腹など刺され搬送、その後死亡 40歳の男を殺人未遂の疑いで現行犯逮捕 東京町田市

https://news.yahoo.co.jp/articles/0458d9f5eba153cc0695d26895129db0e2ef8d4c

2025-09-29

dorawiiは隔離病棟搬送されました

キチ行動に両親が耐えきれず、定期的に家から出ることが強制されています

2025-09-23

anond:20250923210735

はぁそうですか。

一応突っ込んでおくと

2025-09-22

anond:20250922191718

要するに「検査して一晩様子見る」でお金が稼げる病院救急搬送の受け入れ先やってんだわ

MRIとかCTがない病院は、栄養失調でも検査という名目で金とれるけど

普通病院じゃ受け入れ体制維持するだけで赤字

から地方では患者たらい回し問題になってる。救急搬送の受け入れ先となる大病院がもう無いんよ

anond:20250922165334

考えが浅いね

救急搬送大事に至らず、治癒して日常生活に戻った場合

救急搬送できず障害が残り、寝たきりになり生活保護で長期療養に入る場合

これらのパターン網羅的に想定して、どちらが安上がりかまで考えないと意味がない。

医療とか福祉は俺ら素人が考える以上に、役人とか医者が色々ちゃん検討して、うまいことやってる。素人が偉そうに口を出しても、馬鹿にされるだけだよ

救急車代が1.9万円ぐらいだった(事例2)

ワイの場合も1.9万円ぐらいやったやで。

休日の深夜に意識を失って救急搬送、一式検査して点滴治療で翌朝退院パターンやで。

内約はこうやで。3割負担

診断は要するに栄養出張だったやけど、意識失うとか他にヤバイ病気あるんちゃうんかと言うことで一式検査してもろて、一晩様子をみましょうかということやった。

結果的には軽傷やったけど、これで選択医療費はつかなかったけどなあ。病院によっては厳しいんだな。

anond:20250922123528

こういう雑語りやめない?

救急搬送での受診代ってきちんと書いてもそんな文字数変わんないのに

わざと大げさな言葉使うオジ、ほんと害悪

2025-09-20

anond:20250912212542

昨日診察した時に聞いてみた。もうトラバなんて誰も見てないだろうけど、検索とかで引っかかったとき用に投稿ときます

眼科領域で突然目の間が見えなくなったというのは、脳卒中と同じレベルの「コードアラート」と言う運用救急搬送する対象になるんだって

俺の様なパターンだけじゃなくて、急激に視力が低下する場合、緊急に対応しないと失明に繋がる病気が他にもあって、一分一秒を争うので、緊急用のルートが確保されていたらしい。

たぶんどこでもある訳じゃないと思うので、本当に運が良かった…。

2025-09-15

横浜みなとみらいクイーンズスクエアでの人の落下事故について

昨日は桜木町で人と待ち合わせの予定があって、ちょうど昼頃にみなとみらいクイーンズスクエアという商業施設を一人でぶらついていた。

東横線みなとみらい駅に直結するエスカレーターのあるあたりは、5,6フロアぶち抜きの吹き抜けになっており、

なかなか気持ちの良い、面白い構造になっている。

また、付近にはイベントステージもあって、ちょうど3連休ということもたって、子どもたちによるダンスイベントがあり、

様々なチームが賑やかな音楽とともに踊りを披露しているようだった。

それを横目に通り過ぎながら、人と会うまでの時間、どこかで軽く飯でも食うかと考えて、

マークイズという別のビルに向かおうとしていたときダンスの曲の最中にもかかわらず、

「ダーン」という非常に大きな、爆発音といってもいいくらいの、大きな音がした。

最初には、なにかイベントの設営のパネルかなにかが倒れた音かな?と思った。

しかし音があまりに大きかったのと、かなり近くから聞こえてきたため、尋常ではないと感じて、

ついその音のする方に足を向けてしまった。

すると、その例の吹き抜けや、吹き抜けを通り抜けるエスカレーターに乗っている人々が

皆一様に吹き抜けの下の方に目を向けていて、異様な雰囲気が漂っていた。

なかにはなにか電話必死に話しているひともいて、「あれ?これはなにか事故が起きたのかな?」と感じた。

そして自分もその視線の先を見てみたいと思って、本来通り道から1つ2つ階段を降りる必要があったものの、

わざわざ降りて、視線の先にあるものを見に行ってしまった。

すると、下にあるものが目に入るよりも先に、一部には上を見ている人もいて、

浮き抜けの最上部の渡り廊下に「黒いトートバッグか、リュックのようなカバン」が置かれているのが目に入った。

しかもそれが、ガラスでできた渡り廊下の柵の「外側」に置かれていて、ひと目見て異様に感じたし、

あ、投身自殺だと直感してしまった。

そして先程の爆発音は、人があそこから落ちてどこか下に叩きつけられた音なんだと理解した。

ということは今から目にするものは間違いなく、落ちた人の姿になることも理解して、

一瞬躊躇した、見ないほうがいいし、見たら今日一日、暗い気持ちになるかもしれないし、

なんなら一生のトラウマになるかもしれない と思った。

が、単純に好奇心のほうが勝ってしまい、そのまま歩を進めて、吹き抜けの底が見える位置まで来てしまった。

そこから下を覗き込むと、彼がいた。

彼だと思う。Xでは「女性」という情報もあるが、それは最初にそこに到達した警備会社の方が

彼の服をまくってAEDを装着しているところをみて、なにか勘違いしたものと思われるが、

ほぼ間違いなく、彼は男性だったと思う。

まり彼の情報を詳しく書くのは良くないように思うが、自分からは20-30代くらいに見えた。若いという印象。

ひと目見て、彼は意識はないようだった。

遠目には大きな外傷はないようだったが、目は開かれたまま、ピクリとも動かなかった。

そして彼の頭の周りには、血溜まりが出来ていた。

完全に事切れているように見えたため、周りの人々の雰囲気も、

彼を早く助けなければというよりも、起きてしまたこと、終わってしまたことを遠目に眺めているという状態だった。

ちょうど落下先が普通の人の歩く場所ではなく、吹き抜けの最下層にある店舗ゴディバカフェとのこと)の天井の上になっており、

だれもそこに近づけない状況であった。

そのため彼のその姿はおそらく20分程度は、完全に周目にさらされていた。

自分もその野次馬の一員としてその場に立ち尽くして、

人と会うまでの時間がまだまだあったこから、ひどい表現をすれば暇つぶしとして、事の顛末がどうなるのか、みたい気持ちになっていた。

もちろん彼の姿がそのままになっているのは何かよくない気がして、

例えばダンスイベントに来ていた子どもたちなども、無邪気な好奇心からその姿を見てしまった子もいるようで、

まりそういうのは良くないし、

周りにはスマホ写真動画まで取っている人もいて、現に私のとなりの女性もそうしていたと思う、

やっぱり良くないような気がした。

肉眼で見ている自分と、カメラ撮影する人と、別に同じ穴のムジナであるとは思うものの、

それをしない自分、してもシェアなんか絶対できないし、という道徳なんだか、炎上対策なんだかわからないが、

そういう自分発見したりもしていた。

ともあれ彼の姿がそのまま衆目にさらされ続けるのは良くないと思って、

なにか大きな布やブルーシートでもあれば彼の上に掛けてあげたいと思ったが、

なにしろ場所店舗屋根の上にあり、そこに行くには通路の柵を乗り越えて、そこそこの高さを降りなければならないので、

いくらなんでもそれは出来ないと思った。

またそもそも布なんて持っていない。周辺の商業店舗に駆け込んで「布ありませんか」と聞けばあるいはと思ったが、

そこまでは出来ないなと思った。

そして他の方が警察消防はいの一番に電話していたようで、もうすぐそういった専門の方々が到着すると思っていた。

果たして20-30分もすると、大量の消防警察の方々がやってきて、

初動の対応をしていた、おそらくクイーンズスクエアの警備会社の人と交代して、長いハシゴなどをかけて集団対処が始まり

そこからさらに20分後には、彼は搬送されていった。

また吹き抜け最上部においてあったカバンについても、そちらは警察の方々が黄色テープを貼って立ち居入り禁止にして、

カバンを回収して現場検証していた。

この吹き抜けの上部はオフィスビルになっており、そのカバンのあった通路オフィスビルへの渡り廊下である

ここからは完全にただの憶測にすぎないし、書かないほうが良いことはわかっているのだが、吐き出させて欲しい。

私ふと、彼はそのオフィスビルに入っている会社社員だろうか?と思った。

そしてこの3連休中日にも、出勤していた?

そして賑やかな商業施設でみんながハッピー休日を楽しむ、ダンスイベントの賑やかな音楽を横目に、

彼は最上部の渡り廊下から身を投げた。

でも人が通るような場所は避けて、誰にもぶつかることのない店舗天井めがけて。

衝動的なものだったのだろうか?

連休も出社しないといけないような何かがあったのだろうか?

いわゆる過労自殺か?電通の件などが頭をよぎった。

それともまったく関係なく、どこかからやってきて死に場所としてここを選んだのだろうか?

関係ないとすると、随分と目立ちたがりだなと思うし、

衝動的に仕事の途中に、お昼ごはんを食べに出てきて、嫌になってしまったのだろうか?

などと、本当にしょうもないことを考えていた。

で、彼のことがニュースになれば、消防などの様子からも残念ながら無いとは思うが、

彼が一命をとりとめた可能性もあるし、ニュースになるのを昨日は一日待っていた。

しかし今朝になってもニュースにならない。

私は、もし彼が過労自殺で、その会社への当てつけというか抗議というか、衝動的に身を投げてしまったのだとしたら、

彼のその行動が全くニュースにならず、また今日も3連休最終日としてあの商業施設に賑やかな日常が戻っているとしたら、

もちろん商業施設の方々も生活があるし、良くないイメージがつくのは避けたいというのもわかるが、

ちょっと可哀想というか、だれか彼の行動をどこかに残しておいて、供養してあげたいと思って、

ここに書いた。

まったくこれは自分勝手なことで、彼も誰も望んでなんかいないので、

100%自分のためになんだけど、吐き出させてもらった。

ごめん。

入ったら殺される病院

うちの地元にはそう噂される病院がある。

誤診が多いらしい。

ある人は、入院していつまで経っても良くならないから、おかしいと思った親族自力で転院させたら直ぐに手術されて治ったとか。

ある病院先生と話していたところ、あそこは言わなくてもわかるよねと含みのある言い方をされた。

知っている人は、あの病院ヤバいと知っている。

また、そういうところが救急受入してたりするから搬送されたらたまったものじゃないと思う。私が救急搬送されたときは、母があの病院はやめてと、ほかの病院にしてもらっていた。

なぜそのような病院か野放しになっているのだろうか?

2025-09-14

今日午後、千葉県〇市郊外路上にて、50代の男性百合に挟まれ死亡しました。

午後3時頃、散歩をしていた人から男性百合に挟まれている、と消防通報がありました。

警察消防が駆け付けたところ、路上で55歳の男性百合に挟まれ状態で見つかりました。

男性は、助け出されて病院搬送されましたが、間もなく死亡が確認されました。

百合怪我はありませんでした。

男性は誤って百合に挟まれものとみて、警察は当時の詳しい状況を調べています

http://band.link/065VE

http://band.link/Uiyco

https://www.postermywall.com/index.php/e/trkiye-others-kimetsu-no-yaiba-sonsuzluk-kalesi-izle-trke-dublaj-tek-parca-4k-1080p/619313e4720882b3993fa27f873920af

https://www.postermywall.com/index.php/e/trkiye-others-korku-seans-4-son-ayin-izle-trke-dublaj-tek-parca-4k-1080p-full-hd/e3a47cf98c7cc0f0d0d8d5925461d0cb

2025-09-12

anond:20250910233513

お疲れさま。書いてくれてサンクスはてブにも仲間がいて心強い

私もちょい前に突発性難聴になって「あらかじめRTA知識が無いと詰む病気だな」と思ったんだった。元増田や私の治療には間に合わんが、後続のために私も書いとくわ。私の結論増田とだいたい同じだけど、ちょっと補足したいこともある

まず結論から言うと、日本在住で最速の突発性難聴RTAはたぶんこんな感じ

1. 事前の備えとして、元増田も貼ってる「高圧酸素療法ができる医療機関一覧」をブックマークしておく。また、第一候補病院名前と連絡先をメモしておく

2. 発症したら即日最寄りの耳鼻科に行く。かかりつけがあればそこへ。そこで、上記第一候補病院紹介状を書いてもらう

3. 紹介状をもらったら、帰宅せずにその場で紹介先の予約を取る。即日〜翌日の予約を取れなかったら、とにかく高圧酸素療法ができて翌日までに予約がとれる病院を探す(帰宅せずに予約を取るのは、この場合紹介状の宛先を書き換えてもらう必要があるため)

4. 紹介先の病院へ行ったら、全身ステロイドと鼓膜内投与と高圧酸素治療を同時に処方してもらう。これは希望すればやってもらえるはず(少なくとも私の担当医は「言ってくれれば同時にやったのに」というようなことを言っていた。先に言ってよ…)

以下、1〜4の理由や補足


さらに雑多な補足

2025-09-04

anond:20250904164920

anond:20250904165252


坊主を入れて20万ってそれ20年以上前の話だろ。たしかに昔は行政葬も20万以下だった時代がある。が、今は葬儀社が赤字になるとなって値上げされた経緯がある。

これは坊主による読経はないので、もし坊主別に頼むと別に謝礼が発生する。


ネットで出回っている20万円以下の価格は、腐敗防止などで必要な最小限の遺体の処理、納棺(最低でも4人必要理)棺桶に入った遺体の移動(最低でも4人必要)、遺体搬送火葬などの手配などの直近で必要になる事務手続きなども全て自分で行うと言うもので、理論不可能ではないがそれを標準にするのは間違っている。

例えば、遺体は死後硬直を起こすため、棺桶に入るように体の姿勢を動かすのは素人では難しい。その上でドライアイスでカチカチに凍らせる、専用の安置所にいれないとすぐに腐敗する(体の中の免疫が死んで常在菌が体を溶かし、その過程で熱を発するため)

また、単純にドライアイスでカチカチに凍らせても、肛門はじめいろいろな穴から油のようなものがしみ出してきて周辺を汚染する。プロはそうならないように処置をしているが、これを素人がやるのは難しい。

また棺が乗る車も専用の設備があるものにせざるを得ない。レンタカーなどでは遺体搬送などを許可しているものはないので、個人がやるならばそれが乗るサイズ車両を持っているということが前提になる。しかし、2m以上の長さの大型の箱を輸送できる車を所有することは前提にできるほど一般的な話か?火葬原則として棺桶に入れないと受け入れてくれない。


もちろん、死体袋にぶち込んで、腐敗しようが何しようが未処置、その関節を折りながら遺体自家用車ねじ込んで火葬場に持ち込む、と言う様な個人尊厳無視したやり方も理論的に不可能ではないがね。

あるいは、行政などが斡旋事実上補助金が出ているプラン自己負担の話ならばありえるが、それは誰かが負担していると言うだけで安いわけではない。

anond:20250904104318

2日午後7時15分頃、岐阜県中津川市坂下路上で、歩いて帰宅途中だった同市の男子高校生(16)がクマに頭部と背中をひっかかれ、市内の病院搬送された。けがの程度は不明だが、意識はあるという。

市によると、高校生は近くの民家に逃げ込み、この家の住民消防通報した。市は県警などとパトロール実施し、市民に向けて注意を呼びかけるメール配信した。

楽しそう。

2025-09-03

個人的万博感想

8月お盆週に行った(同日にあった万博会場内のライブ目当て)。これから行く人のために軽く感想書いてみる。

10時入場で予約。9:50ごろ着いたけど、入れたのは10:50ぐらい。予約時間前に並んでてもこれなのでまぁしんどい

 ・入る前に日光の下で立って並ぶのでめちゃ疲れる。正直この時点で体力持って行かれてたのが後々響いたと思う。

リングは日陰なのでだいたい移動はみんなここ通ってた。海風もあるのでこれは素直に快適に感じた。

 ・だが人が多すぎる。リングに人が集まりすぎてずっと人混みを移動している感じ。午後入りたてのコミケぐらいは平気で人がいる。

・関連して日陰の椅子が少ない。日向椅子は座れるが当然日光ガンガンなので耐えられない。

 ・椅子が無いのでリングの中で床に座る人がたくさんいる。慣れてる人達自分たちで折りたたみ椅子持って座って水筒お茶とか飲んでる。

 ・別に警備員さんも指摘しないのでこれが万博の通常スタイルらしい。これで立たせて搬送されたら困るからなんだろうけど、椅子増やしてくれと思った。

・水は並べば無料。これは素直に嬉しかった。

 ・ただ並ぶので、自分自販機で買った水を飲みながら水を汲む為に並ぶみたいなことをしていた。だいたい20分しないぐらいで無料の水にはありつける。

 ・ちなみにこれもリングの中なのでやっぱりリングの下部分は混雑する。この際もっとデカくして日陰デカくした方が良かったんじゃないの?と思うぐらい。

・並べば入れるパビリオンもあるだろと思ったら、昼過ぎあたりからは並ぶことすらできなかった。

 ・コモンズは並ばず入れるはさすがに嘘、普通に50分待ちとか。

 ・たまたま抽選予約できたパビリオンはあったのでそこだけ入った。が、多分ハズレよりのパビリオンだったからか微妙で、もうちょっと別ねらえばよかったと反省

 ・ライブ終わったのがだいたい20時ぐらいで、そこから入れるパビリオンもあったんだけど単純にライブで体力なくて断念。

・当日予約は体験として最低。こればかりは開発した連中正気か?と思った。

 ・既に別で予約済みの時間だろうが無かろうが予約可能になった時点で○が出る。

 ・なので、予約できるじゃん → ページ遷移 → あなたは既にこの時間別の予約があるので予約できません が発生。さすがにひどい。

 ・単純にページ遷移中に予約できた枠が消滅している事もある。

 ・暑くて疲れたし、本番は夕方からライブだったので、リングで座って休みながらトータルで1時間ぐらい粘ってみたが収穫0、苦笑い

 ・慣れてる人達はタブ複数更新瞬間狙って予約してたらしいので、回線弱い自分場合それでそもそも勝てなかった説も。

だいたいこんな感じ。

個人的には万博会場へはライブ目的でぎりぎりに入場して、それ以外の時間普通に大阪で遊んでた方が幸せだったなと反省。何かのついでで楽しむ場所ではない。

ガチ準備勢じゃないと楽しめないはさすがに言い過ぎだと思うが、8月直射日光下(もちろん日傘あり)で立って1時間並んだ後に更に屋外で並ぶ覚悟がないと楽しめない、は事実

一番近い体験は野外ライブフェスなんだけど、あれは日陰で座れるから全然マシ。万博は座れないor日向で座るなのでこれが全然違ってむちゃキツかった。

9時入場したら話が変わる部分もあると思うけど、そもそも9時入場枠が既に期間中全部埋まっているらしいので地元複数パス持っている人には敵わない。

以上より、少なくとも暑いうちは、チケット取ってなんとなく行ったら楽しい場所ではないと思う。過酷なので行くならいろいろと覚悟して行くべき。

涼しくなった10月にもう一回チャレンジするのもありかと思ったけど、やるならもっと早くから入場列並びたいから前日入り必須でその分宿泊費かかるし、

今後更に混むこと考えるとパスかなぁ。行く皆様いたら頑張ってください。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん