「階級」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 階級とは

2025-11-17

学者が信頼されないのは就活してないか

社会会社尊厳を売り渡してそのまま一生返ってこない絶望を知らないから。

ちょっとした事務作業すら研究の妨げになるだの言って甘えていか自分達が生産性ある素晴らしい人間であるか誇ることが許される階級から

リベラル学者尊重する人間自由とは金なくしては実在しないことを無視するから

もし世界100人の村だったら1人の性的マイノリティ、1人の人種的マイノリティ、1人の障害者差別しないことに注力し自分道徳的正しさを守ることに必死で、96人の絶望無視するから(残り1人の資本家保守政党ポピュリスト政党極右政党が靴をなめて接待する)。

2025-11-15

非腐に認知される腐女子が異常者ばかりという構造について

統計はとれない。なので客観的定量的データ持ってこいと言われたら無理としか返しようがないのだが。

「他の表現攻撃しない腐」はいる。何%だとかは言えないが、確実にいる。

男女カプ、夢小説男性向けエロネットミーム、そういった界隈外の創作について、「よそはよそ、うちはうち」というスタンスで、一切文句を言っていない腐は確実にいる。

しかし、非腐に認知されるのは界隈外の創作に殴りかかる腐だけだ。

バズる腐の投稿というのも、学級会であったり、「逆カプ被弾して号泣、体調崩した」「主人公ヒロイン最終回発情期したのは同性愛嫌悪ジャンプ編集部による悪意の捻じ曲げであり本来主人公ライバル同性愛関係だった」のような、かなり病的な投稿ばかり。

腐の中でも極度に異常性が強くて目立っているようなのが、衝撃的でキャッチーだということで、腐趣味が一切無い界隈外にも「見世物小屋系(もみあげチャ~シュ~、れてんジャダム等)」の文脈に乗り拡散される。

これがひたすら繰り返され、腐の中でも特に他責他害傾向が強い者、自他境界曖昧メンタルが病的な状態の者が、外から見た腐の代表的イメージとなっている。

構造上これがどうにもならないので、外部から見た腐女子といえば他責他害傾向が強いダブスタ異常者という風潮になっている。そして対策が一切思いつかない。

 

mmaka2787 たぶんまともな腐女子は非腐の前で腐女子アピールしないし異常な言行もしないんだと思う。認知されないものはないことにされるという意味でこれもまた一種生存者バイアスなのだろう。

kensetu ルール守ってる喫煙者隔離された場所しか吸わない・吸わない人にとってはルール守らないクズ喫煙者ばかり認識されてしま現象 etc.(これ名前とかないの?)

言いたいのこれです。

英語ではToupée Fallacy(かつら誤謬)という言葉があるようです。

「すべてのかつらは偽物だとわかる。私は見破れなかったかつらを見たことがない」という発言に由来。ひどいかつらだけがかつらと認識され、良いかつらは地毛に見えて気づかれないため観測されないという、選択バイアス一種

 

知的しろ精神しろ発達にしろ多数派迷惑をかけていない障害者障害者だと認識されていない」とかも似たようなやつですね。

薬飲みながらクローズ就労でなんとかやれている人とか、施設にいて出てこない人なんかは、健常者にそうと認識されていない。周囲に迷惑かけながら居直ってるケースだけが「これが○○障害者ってやつか」と認識される。

「すべてのトランス女性は一目でわかる」。これも自然トランスパス度が高いトランス)は女性認識されていて、醜く不自然な失敗例だけがトランスバレしている。

「すべての美容整形は不自然から一目でわかる」。これも成功例は天然美形と認識されて流されており、失敗例・異形の整形顔のみが整形バレしている。

かつら誤謬シリーズです。他界隈の表現に殴りかかる腐ェミのみが、外部から腐女子認識されるのです。

 

ekusax にしても腐は夢に比べて界隈外で暴れすぎだろと思う、夢もまあ中では結構ヤバいと聞くがそんな出てこないから男からすると空気

夢にも当然ながら、同担拒否や作者への攻撃などするヤバいはいるし、男女カプにもBLEACH一護×ルキアの人が一護×織姫公式にした久保帯人に直接喧嘩売ったり、コナン×灰原の人が新一×蘭を優遇する青山剛昌悪口を延々言ったりはあります。ただ夢と男女カプはLGBTQ+やジェンダー問題フェミニズム関係ないんですよね。ただ、五条を殺しやがって!織姫よりルキアルートが良かった!蘭より哀ルートが良かった!って作品文句言ってるだけで、社会批判にまで害を広げない、界隈外の物を殴り回らない。結果、界隈外では目立ちようがないという仕組みです。キチガイはどこにでもどんな趣味にでもいるとしか言いようがないですが、夢と男女はキチガイの毒が界隈内部に留まって外にバレにくい傾向にあります。(個人的には原作者人格批判誹謗中傷をしている人についてはどんな趣味であろうが出版社あたりに開示されて訴訟されてほしいですけど)

趣味ジェンダークレーマーとの親和性が非常に高く、腐の理論社会批判を始めるので、外部で目立つ有害さがあります

 

saihateaxis これに関してはありとあらゆる界隈で起きてるからな。野球ファンサッカーファン撮り鉄ドルオタに。ネットで話題になりやす問題に口を挟むのが腐女子が多いんだと思う。

marilyn-yasu そりゃ異常者だから行儀が悪くて観測されるんだろ。ただ異常腐女子観測されるほとんどがツイフェミ案件から腐女子であることで炎上してる案件ほとんどない。

サッカーファンフーリガン暴動事件逮捕などで目立つし、撮り鉄電車を止めたり民家に不法侵入したり撮影のために器物破損して逮捕されることで目立ちますよね。界隈を一切追っかけてない人の視界にも、逮捕報道によって入ってくる。サカオタや撮り鉄の全員が違法行為しているわけではないのですが。

腐女子場合、「ジェンダー課題に自信ネキ」的なムーブをすることでBLに何の興味もない人の視界に入ってくる。まなざし云々言うならあなたたちゲイ性的まなざしを向けてるだけですけどって話なのに、気が狂っているか社会正義から説教するんですよね。そのせいで夢や男女カプよりも外部での悪目立ちをしている。

ジェンダークレーマー腐には、正直、はやく死んでほしいって思ってます。でもそういう物言いをすると過激派ってことになってしまうし、名誉男性扱いをされる。ジェンダークレーマー腐に殺意向けてる書き込みの中に、本当は「好きなものを腐に貶されたネナベ」もいるんじゃないかと私は思っていますジェンダークレーマー腐こそ女性を舐めてる節があるんですよね。

同じ腐から穏健な言葉かいで冷静な指摘を受けるというのでは効かないです。粗暴な男性集団から一斉に誹謗中傷殺害予告などを受ければ効くでしょうね。でも犯罪なので。なんていうか、痛い目を見ないと効かない、動物みたいなものだと思っていますジェンダークレーマー腐は語彙は豊富ですが動物的です。熊に「人を殺さないで」と説得しても意味がなく、増えたら撃つしかないのに近いです。

 

江口寿史が無断トレス常習でありながら、自分写真を用意して漫画の背景に使用していた浅野いにお(完全に合法!!)を批判していたのって本当に意味不明なダブルスタンダードですけど、注意する気起こりますか?さすがに理解不能すぎて話が通じない気がして怖くなってきて諦めて、「関わりたくない」ってなってしまいませんか?

異常腐女子が大暴れしている状態についてもだいたいそうです。「男性集団に一斉に口汚く袋叩きされ、恐怖でメンタルボコボコになる」以外で異常腐女子がおとなしくなることは無いです。理性的で穏健な注意が有効だったパターンってゼロなのでは?穏健な注意をした側が異常腐女子からブロックされて陰口を言われるだけで、何の意味もなく終わるのが現実帰着ですからね。対話重視の穏健な姿勢をとる女性のことを一番動物感覚ナメてるんです。異常腐女子たちの死を祈っています

重要なのは江口寿史がああいムーブしても、江口寿史を庇う同業者が表れても、「これだからイラストレーターは」とはならないってことです。イラストレーターという職業被差別階級ではないので、「江口寿史の行動」という個別事例にフォーカスされ、人格攻撃職業蔑視ではなく行動が適切に批判されるわけです。12歳の人身売買があっても「さすが文京区(笑)」とはならずに「湯島という場所は…台東区上野に近く…」という切断処理されたのと同じですね。

撮り鉄カードゲーマー腐女子被差別階級なので、累犯障害者・不潔悪臭ジェンダークレーマーなどが界隈の責任になりますそもそも界隈の自浄って無理なんですよ。江口寿史イラストレーター界隈が自浄するなんて不可能でした。ただ、界隈には階級があって、「下」の界隈から異常者が出ると蔑視をより強める根拠として使えるというだけです。イラストレーターは「下」ではなかったので連帯責任になりませんでした。どの界隈にも異常な人間はいるので、ことさら連帯責任要求される界隈については、蔑視が先にあります

ボスニア金持ち人狩りしていた報道もありましたが、これで金持ち差別が起きるかというと無いでしょう。「文京区」のイメージも守られます上下イメージが先にあります

サッカーファンの粗暴逮捕案件サッカー選手強姦案件アメフトプレイヤーの輪姦事件などもありますけど、スポーツ被差別どころか特権的な影響力を持ち続けますよね。スポーツ特にチームスポーツが、「上」だからです。

 

「下」の界隈、被差別属性となっている撮り鉄カードゲーマー腐女子について考えると、ASD、自認「生きづらい系」の含有率が高そうだなというのを感じますASDはチームスポーツ無理です。

カードゲーマーの身だしなみを男性カードゲーマーが具体的に指摘するnoteが出ていましたが、カードゲーマーに叩かれていましたよね。ただ当たり前に風呂に入れと書かれているだけのことなのに、クソフェミに阿った裏切り者であるかのような言われ方をしていた。

腐女子問題を指摘されたジェンダークレーマー腐女子も同じような動きをします。「名誉男性認定するだけで人の言うことなど聞きやしません。そこに自閉性を感じもするのですが。集団で振り切れた暴言で袋叩きにされて「恐怖」を感じたときだけは効きます(己のダブスタ理解しているわけではなく、怖くて縮こまっているだけ)。それ以外ではナメてかかるので無理ですね。

私たちがこういうことするから、こういうこと言うから、外部でも悪目立ちして叩かれるんだよ嫌厭されるんだよ」ってことを指摘して自浄しようとする動きがあっても、自閉は癇癪起こすだけです。

要するに女叩き男叩きジェンダークレーム関連って、異常腐女子や不潔カードゲーマーなどの被差別階級が言い合いしてるだけなんです。あとはニートや、時間を守れない脳障害があるので性風俗店で働いている女などですね。

「下」しかいない界隈なので、健常者にとっては関わるだけ時間無駄です。

 

明確な差別を受けている被害者でありながら、不愉快なふるまいをするので嫌われるというのは、みいちゃんを感じますね。みいちゃん勉強ができなくて癇癪起こしてましたね。

(みいちゃんと同じようにできないことが多い子でも「嫌われないほうの子」の比較サンプルとしてムウちゃんを出すことに作者の底意地の悪さを感じます。でもムウちゃんも出さないと知的障害者像の網羅性に欠けるんですよね)

この待遇って、IT系に置き換えたら、どうなの?

はいま以下のような条件の会社で働いている。

まれているとは決して思っていないが、ネットで見るような超絶ブラックとは違うから一生ここにいるんだろうと思っていた。

しかしなんか最近ふと「本当に一生ここにいるのか・・・?」と冷めてきた。 

増田にはITが多いだろうからIT系に置き換えると現職はどの階級アタリ寄りなのかハズレよりなのか)か教えてほしい。

----

・年齢:34歳

業界・業種:機電系二次請け会社。受注した業務図面を書く。

年収:税込年収350万(年間賞与1か月を含む)。正社員。4年目。関東圏。

待遇:フル出社。特別な休暇制度など無し(半休とかね)。各種手当は皆無(住宅とか資格手当とか)。上限はあるが交通費はでる。

業務内容補足:低単価の細切れ修正仕事人海戦術でブン回していくようなスタイル。深く考えることはなく、スキルとして書けるものぶっちゃけない。

----

冷めた原因としては、福利厚生が最低限過ぎるように感じてしまたからと思う。

先日、出社後に微熱だが発熱してしまった。半休なんて制度はないから、早退扱い。(勤怠に厳格で、1回でも早退すると説教され査定に響く)

ほかのメンバーは、減点され賞与が減るのが嫌で、38度でつっぷしてでも居残っている。

ぼんやりと、せめて半休がある会社だともう少し安心して働けるかもしれないと思い、転職が頭によぎっている。

2025-11-13

給料はそこまで上がらない中、為替の変動で円の価値が下がるのは、気付かないうちに自分の円の財産が削られるということだけど、財布の中の金額貯金数字は変わらないからそれに気付きづらい

でもいつの間にか、スーパー食材の値段がグングン上がっていったりする

財産価値の変動は、より多く財を持っているほど気付きやすいし、たぶんお金持ちの子なんかは、親に習ったりするんだろうな

世界を相対化して見られるようになるのは教育の成果であり、そこに生まれ格差階級固定化する

2025-11-11

anond:20251111171657

まず、ブッダ仏教を説いた背景を知る必要がある。

 

当時のインドではバラモン教が広く信仰されてて、そこでは輪廻転生が信じられてきた。

無限に生まれ変わりを繰り返し、前世の業によって来世が決まるという世界観人生観だ。

 

これに従えば、バラモンのような支配階級前世に徳を積んだから偉い、

奴隷階級前世に悪行を積んだから奴隷的な扱いをされて当然、ということになる。

これが支配階級を固定させ、カースト制度のような奴隷制度を生んだ。

 

ブッダ仏教はこのようなバラモン教による支配に対抗するもので、

永遠に続く輪廻転生を断ち切り、涅槃にいたることができるというものだ。

 

からそもそも輪廻転生仏教のものではないし、仏教がなければ輪廻転生思想がなくなるということでもない。

1000円超えの牛丼を食らうチー牛を、俺はもう「弱者」とは呼べない

誰もが「弱者」になりたがる現代不毛さよ

最近ネットを見ていると、とにかく「弱者男性」という言葉が溢れてるよな。

みんな自分が一番大変で、一番守られるべき存在だとアピールしたい。

その代名詞として、なぜか牛丼屋でチーズ・大盛・温玉を注文する「チー牛」なる存在槍玉に挙げられてる。

いや、待て。よく考えてみてくれ。

俺たちがリアルで見てる「本物の弱者」ってどんな人間だ?

閉店間際のスーパーで、半額シールの貼られた惣菜菓子パンだけをカゴに入れて、俯きながらレジに並んでる、あの人たちじゃないのか?

彼らが手にするのは、どうにか今日の飢えを凌ぐための、栄養価も満腹感もギリギリの食料だ。

会計は500円でお釣りが来るかもしれない。彼らは本当に経済的な困窮と戦っている「弱者」だ。

特盛・温玉付き1000円超えを平らげる「チー牛」は貴族

一方で「チー牛」と揶揄される彼らの食卓はどうだ?

牛丼屋に入り、迷いなく「特盛で。温玉も付けて」と注文する。

合計金額は、優に1000円を超えることもあるだろう。ちょっとしたランチセット以上の出費だ。

冷静に考えてみてほしい。

1000円を超える単価の食事を、日常的に選べる経済力

胃もたれしそうな特盛飯と、とんでもない量のカロリーを一気に胃に収め、消化できるフィジカル

これが「弱者」の食事か?

本物の弱者が、冷えた半額の菓子パンで震えている間に、彼らはホカホカの肉と米と卵を掻き込んでいるんだ。

あの高カロリーを一瞬で処理できる胃腸と体力は、まさしく「食の強者」が持つスペックだろう。

少なくとも、金銭面や体力面で「今日を生き延びる」ことに必死な本物の弱者とは、隔絶した階級差がある。

もし、今、俺のポケットに1000円が自由に使っていい金としてあるとする。

その状態で「最高の贅沢をしろ」と言われたら、真っ先にすき家に行くか?行かないだろ。

1000円あれば、そこそこ美味いラーメン屋の特製を頼める、ちょっと気の利いたカフェコーヒーケーキゆっくりできる。

もう少し足せば、夜の定食屋刺身一品でも付けられる。

まり、「弱者男性」と揶揄されるチー牛の食卓は、彼らの経済力(1000円を日常的に出せること)は証明しても、食の最高の選択肢はないんだ。

敢えて「すき家」に行くという、屈折した承認欲求

彼らはなぜ、最高の選択肢があるかもしれない1000円を、あえて「チー牛」というレッテルが貼られた場所で消費するのか?

それは、彼らが無意識のうちに**「弱者記号」**を演じることで、世間への皮肉表現しているからだと俺は思う。

「チー牛」は、世間に余裕をひけらかす「貴族」の隠語になりつつある

結局、「チー牛」というレッテルは、真の経済弱者嘲笑うためのものではなく、

「俺はこんな高カロリーもの毎日食っても平気だぜ」

「この程度の出費、痛くも痒くもないぜ」という、ささやかな余裕を世間から叩かれる対象として、都合よく祭り上げられているだけなんじゃないか

俺はもう、チー牛を弱者とは呼ばない。

彼らは、現代社会における「隠れた貴族」だ。

半額パンしか選べない俺たちから見れば、そのフィジカル経済力は、むしろ羨望の対象しかない。

2025-11-10

anond:20251108202424

ギリシャ市民権を持っているのは奴隷農奴を所有してる地主でしょ?

産業革命以前は金持ち=地主で封建領主とかでしょ?

その中で子供以外に資産を持たないプロレタリア=無産階級に当たるのは現代でいう(土地会社収入のない)労働者階級でしょ。

リベラリズムプロレタリア階級に対するものじゃないの

資本論』は、リベラリズムが掲げる「自由」や「平等」といった理想が、資本主義経済という特定歴史的社会的な枠組みの中では、資本家階級利益正当化し、労働者階級搾取という現実隠蔽するためのイデオロギーとして機能していると描き出していて、

リベラリズムが前提とする近代ブルジョア社会基本的価値である自由」「平等」「私有財産」を資本家労働者から搾取するための欺瞞とみなているの

自由」の欺瞞: 資本家労働者関係は、一見すると自由個人同士の契約に基づいているように見えます労働者は自らの労働力自由に売り、資本家はそれを自由に購入します。しかし、実際には、生産手段を持たない労働者生活のために労働力を売る以外に選択肢がなく、この「自由」は経済強制に裏打ちされたものであると指摘しま

平等」の形式性: 市場原理の下では、すべての個人が法的に平等取引主体として扱われますしかし、資本家労働者の間には根本的な経済格差権力格差存在するため、この「平等」は形式的なものに過ぎず、実質的な不平等搾取)を覆い隠す役割果たしていると論じます

私有財産」の批判: リベラリズム特に古典的自由主義)において神聖視される私有財産権は、資本主義においては少数の資本家による生産手段の独占を意味します。これは、多数の労働者から彼ら自身労働の成果(剰余価値)を奪う構造根拠となっており、社会全体の富の公正な配分を妨げていると批判しま

共産主義によって資本主義の「外」にあるオルタナティブ社会共産主義社会)においては、これらの概念が持つ矛盾解決され、本当の自由平等が達成されるのはリベラリズムではなく共産主義であるっていうのが共産主義なんだよ

マリウス改革って貧富格差兵士装備を自弁するが無理になったので、それに対する解決策として国が何らかの形で保障するという軍事改革から、貧富格差のものを解消しようとしたわけじゃない

あと古代ローマオプティマテスとポプラレスの争いを言ってるのかもしれないけどポプラレスって新興の新貴族ビレスや富裕層で合って貧乏人や庶民のことじゃないぞ

2025-11-08

AIネイティブの衝撃と専門家未来東大教授を戦慄させた一件が問う

AIを引っ提げた大学院生

テクノロジー社会構造を再編する現代において、人間の知性や専門性のあり方は根源的な問いに直面している。その問いに強烈な一石を投じたのが、東京大学小川教授学内広報誌『淡青評論』で紹介した一件である。これは、制度組織適応するよりも速く未来が到来しつつあることを示す、稀有で明瞭なシグナルと言えるだろう。経済学素養ほとんど持たない修士課程学生が、生成AIとの対話のみを駆使し、わずか1年で「トップレベル学術誌に挑戦できる水準」の論文を書き上げたのだ。これは単なる技術的な成功事例ではない。長年の訓練を経て築かれる専門知識価値研究者役割、そして「知性」そのもの定義根底から揺るがす、まさにパラダイムシフト象徴する出来事である

この小川教授寄稿は、社会に大きな波紋を広げた。インターネット上では瞬く間に注目を集め、「はてなブックマーク」では469ユーザーブックマークし、102件のコメントが寄せられるなど、白熱した議論を巻き起こした。本稿では、この一件を現代社会の変容を映す縮図として捉え、専門家が感じた「恐怖」の本質と、社会に広がる期待と懸念分析する。そして、この出来事象徴する、新たな世代の登場について考察を進めていく。彼らこそ、これから時代定義する「AIネイティブ」なのである

AIネイティブ」の誕生知識習得パラダイムシフト

本セクションでは、話題学生象徴する「AIネイティブ」という新しい世代分析する。彼らは、AIを単なる補助ツールとしてではなく、思考研究方法論の中核に据えるという点で、旧来の世代とは一線を画す。その登場は、単なるツールの変化ではなく、知識を獲得し、体系化するプロセスのもの革命意味している。

この学生実践した研究プロセスは、AI方法論の根幹を成していた点で画期的であった。具体的には、以下の全工程AIとの対話を通じて進めている。

このアプローチ革新性は、旧来の知識探索モデルとの対比によって鮮明になる。東京大学大学院情報理工学研究科の山崎俊彦教授は、この新しい思考様式を「辞書逆引き」という比喩で巧みに説明した。従来の検索エンジンは、ユーザーキーワードを知っていることを前提とした「辞書の順引き」であり、既知の情報効率的に探す行為だった。対してAIネイティブは、「やりたいこと」を自然言語AIに問いかけることで、未知の領域を探求するためのキーワード手法を引き出す「辞書逆引き」を実践する。これは、人間知識相互作用における、根本的なパラダイムシフトである

はてなブックマークコメントは、この新しい学習様式がもたらす生産性の飛躍に対する社会的な期待を反映している。あるユーザーは、AI活用により「人に教えてもらうのと同等のパフォーマンスが低コストで得られる」ため「習得速度が爆速に」なると指摘。また、これは単にAI作業を丸投げするような話ではなく、「AIの力を借りて巨人の肩の高さを重ねる話」であり、人類の知の発展を加速させるものだという肯定的見解も示された。

この爆発的な進歩可能性は否定できない。しかし、それは同時に既存専門家たちに、長く暗い影を落とし、不穏な新しい現実を突きつけている。

専門家の「恐怖」とレバレッジ効果という新たな格差

AIがもたらす希望の光の裏側には、深刻な懸念存在する。特に既存専門家が感じる脅威と、AI活用能力によって生じる新たな社会格差リスクは、真正から向き合うべき構造的な課題である

この問題の核心は、小川教授吐露した率直な感情に表れている。経済学の訓練を受けていない学生がこれほどの成果を出したことに対し、教授は「心底たまげました」「このようなAIネイティブ若い人たちがこれからどんどん出てくることにちょっとした恐怖さえ感じました」と記した。この「恐怖」は、単に自らの職が奪われるという不安に留まらない。それは、長年の地道な研究と訓練を経て初めて到達できると信じられてきた専門性価値のものが、根底から覆されることへの動揺なのである

はてなブックマークコメント欄では、この現象を的確に捉える「レバレッジ」というキーワードが頻出した。「若く優秀な人がAIレバレッジかけるととてつもない差になるんだろうね」「頭のいい人はAIでより賢くなる」といったコメントが示すように、AIは元々高い能力を持つ個人アウトプットを飛躍的に増幅させる強力なツールとして機能する。

しかし、このレバレッジ効果は単なる個人生産性向上に留まらず、社会構造を再編する力を持つ。yumanaka氏は、「地頭のいい人がAIを使いこなして圧倒的なアウトプットを出して、そうじゃない人の仕事を奪っていくんだろうな。こわい」と、その負の側面を鋭く指摘した。これは、AI能力格差を埋めるどころか、むしろそれを爆発的に拡大させる触媒となり得ることを示唆している。このままでは、AI活用能力に長けた新たな「認知階級」が生まれ、高価値仕事を独占し、社会流動性を著しく低下させる未来さえ予見される。

このようにAIが生み出す成果の質と量が飛躍的に増大する中で、私たちはより本質的な問いに直面する。それは、その膨大な成果の「正しさ」を、一体誰が判断するのかという問題である

AI時代の核心的課題:「評価能力」と「責任」の在り処

AI技術の目覚ましい進展は、逆説的に「人間による最終的な評価責任」の重要性をかつてないほど浮き彫りにした。本稿の中心的な論点はここにあり、その核心は、他ならぬ論文作成した学生自身の行動によって最も明確に示されている。

彼が専門家である小川教授に助言を求めた最大の理由。それは、「自身には経済学素養がないため、その評価が正しいのかわからない」という切実な懸念だった。AIは「国際誌に通用する水準」という評価を下したものの、その正当性自力検証する術を持たなかったのである

この学生懸念は、専門家による評価の不可欠性を示すものであり、はてなブックマークコメント欄でも多くの共感を呼んだ。

評価の困難さ: 「生成AIを使いこなせば90点の論文が作れるが、90点かは評価保証できない。」

専門知識必要性: 「自分が知見の無い分野でのAI判断が正しいかどうかをどうやって確かめるとよいのか。←ここが一番難しいし、専門知識必要なところ」

懐疑的知性の重要性: 「循環参照やらハルシネーションやらを起こした文章を何も考えずにWikipediaに貼り付けるような人物もいるわけで、やっぱ懐疑的な知性と査読大事なわけです。」

そして、この問題を鮮やかな比喩で捉えたのがobotzcanai氏のコメントだ。「巨人肩に乗れたところで遠くに見えた島々の価値がわからなければ意味はない」。AIによって得られた広大な視野も、その価値判断する専門的な知見がなければ無意味なのである

さらに、この議論は「責任」の所在という、より深刻な領域へと深化する。e_denker氏は、「人間に残された最後仕事は『責任を取ること』になるという話があるが、まさにそれを裏付けるような一件だと思う」と指摘した。この点をさらに鋭く突いたのが、phillies_rocks氏の「内面化できない成果物を作っても誰も責任を持てない」というコメントだ。AIが生成した成果に対して、その利用者は最終的な責任を負わねばならない。もしAI設計した橋が崩落した場合、その責任は誰にあるのか。利用者か、開発者か、それともAI自身か。これは、AI時代の新たな倫理的・法的枠組みの構築が急務であることを示している。

この議論は、AI時代における専門家役割がどのように再定義されるべきかという、未来に向けた重要な問いへと私たちを導く。

結論AIとの共存が再定義する「専門家」の価値

東京大学で起きた一件は、AIネイティブの登場が専門家時代の終わりを告げるのではなく、その役割価値根本から進化させる契機であることを示している。AIが圧倒的な情報生成能力と実行力を手に入れた今、人間に、そして専門家に求められる能力は、もはや知識の生成や統合のものではなくなった。

これから時代に求められる専門家資質は、以下の三つの能力に集約されるだろう。

未来の知のフロンティアは、AIネイティブがもたらす爆発的な「実行力」と、長年の経験と深い洞察力を持つ専門家の「検証力」および「責任能力」が融合する場所に開かれる。AIを恐れるのではなく、新たなパートナーとして迎え入れ、人間ならではの価値を磨き上げること。それこそが、私たちがこれから歩むべき道なのである

2025-11-06

全体主義者の公式集〜科学から空想への移行は如何にして行われるか

 『全体主義者の公式集〜科学から空想への移行は如何にして行われるか?〜』

はじめに

公式集は読者の皆さんのような虐げられている優秀な人々が既存支配階級を打倒するために必要理論武装を助け、また、その実践を導く為のものであります。下記の公式は実際に100年以上にわたって多くの全体主義者の手引として使われ、国家権力の奪取から官庁大学での予算の掌握まで、実に多くの不朽の業績を残してきました。本公式集を使い今後さらに多くの全体主義者が大衆を正しく導いていくことでしょう!

皆さんが学ぶべき全体主義の3大公式は以下の通りです。

 公式①「xはyである人間もまたyである。故に人間(とその社会)もxに過ぎない」

 公式②「①の故に地球上の諸問題はxの適切な科学使用によって解決できる、つまり、yの専門家に全てをまかせればzは必要ない」

 公式③「②の結果すべての人々が最大の幸福を味わえる素晴らしき新世界誕生します、このことは科学必然なので理性有る人々なら容易に理解できます

えっ!たったこれだけで?と思われる読者も多いでしょう、しかし偉大な公式ほど美しく洗練されシンプルなのです!一つずつ順を追って細かくご説明しましょう。

 公式①「xはyである人間もまたyである、故に人間(とその社会)もxに過ぎない」

以下は公式①をつかったマルクス主義者の主張の古典的一例です。注1

「x物質はy弁証法的に発展している、人間とその社会もまたy弁証法的に発展している、故に人間もx物質に過ぎない」

この文は「弁証法的って何?」などと考えずに公式➀の構造をしているという点に注目して下さい、わかりやすくするためにもっと簡単言葉を代入すると次のようになります

「xバナナはyアミノ酸を合成する生物である人間もまたyアミノ酸を合成する生物である、故に人間もxバナナに過ぎない」

そんなバナナ!と思われる読者も多いでしょう、しかし次の文はどうでしょうか?

「xコンピューターはy情報を処理するシステムである人間もまたy情報を処理システムである、故に人間もxコンピューターに過ぎない」

いかがでしょう?当世風に言葉を変えると急に信ぴょう性があるようにみえますね!※注2

単語ではなく文の構造に注目すると、これらは実は全く同じ型の主張なのです。

特に公式➀では『人間は〇〇に過ぎない』論を強調するのが肝心です、全体主義の先人達は全員この論法を駆使しました。例を挙げますと、全体主義の先人曰く、

人間動物に過ぎない…人間ゼンマイ時計に過ぎない…人間蒸気機関に…人間物質に…、人間酸化過程に…人間経済的下部構造規定される存在に過ぎない…人間自己利益のみを最大限にしようとする利己存在に過ぎない…人間は〇〇システムに過ぎない…人間は〇〇に操られる存在に過ぎない…のです。

注1:マルクスが本当にこんなことを言ったかどうかは問題ではありません。実際にこの論法大衆を正しく導くのに有効だった、ということこそが重要なのです。

注2:むしろバナナ人間アミノ酸を合成していることは実証されており、人間バナナDNAを50%も共有しているといいますので人間=バナナ論のほうがより科学的といえます

人間は〇〇に過ぎない論」は内容がショッキングセンセーショナルで有るなら有るほど大衆に人気が出ます。※注3なぜならばこれらの真理を発見した人は頭が良く、この論理を信じる人達もまた同じように進歩的かつ賢いのだ、ということになるからです。

また、この公式➀の応用としてこの公式の「人間は〇〇に過ぎない」の部分を以下のように、

〇〇人種は〇〇民族は〇〇国民は〇〇人は〇〇族は〇〇地域人間は〇〇階級は〇〇主義者は、〇〇〇教徒は…〇〇にすぎないのだ、と代入することもできます

さらにxとyにもどのような単語でも代入できますので、同じ公式を使い以下のように

「x猿はy血液型B型が多い、〇〇人種はy血液型B型が多い、ゆえに〇〇人種は猿に近い」ですとか

「x牛馬はy体が大きく労働に適している。〇〇人もまたy体が大きく労働に適している。故に〇〇人はx牛馬と同じで肉体労働用の人種である

簡単証明でき、また同時にそれを客観的証明することができる「『我々』は『彼ら』よりも優秀な人間なのだ」という事実も同時に科学的に証明できます

さらにこのテクニックを応用すれば「芸術経済的下部構造規定されている人間活動産物であるイデオロギーもまた経済的下部構造規定されている人間活動産物である。故に芸術イデオロギーである」とか、

疑似科学である西側経済学ブルジョア階級によってつくられた、〇〇学もまたブルジョワ階級が作った、故に〇〇学は西側経済学と同様のブルジョア疑似科学に過ぎない」

というように、例外無くありとあらゆる人間活動党派性暴露することもできます

このテクニックは、後々読者のみなさんが権力を掌握した時に全体主義反抗的芸術家や学者を処理する時に素晴らしい口実となりますので是非覚えておいてください。

注3:実際にこれら主張を口にだすときはできるだけ「ああなんて私は頭が良いんだ!あなたたちの大半は理解できないでしょうけどね!」と   自信満々に半目で薄ら笑いをうかべましょう!

ではこれより公式➁をご説明します。

 公式②「①の故に地球上の諸問題はxの適切な科学使用によって解決できる、つまりyの専門家に全てをまかせればzは必要ない」

この公式で私達全体主義者に権力を集中することを正当化しましょう。公式②の緻密な論理整合性権力を握った後で考えればいいので、それまで大衆受けする言葉を考えることに集中しましょう!下記の例文は社会主義国で実際に使われた理論を簡略化したものです。※注4

「➀の故に現在建設途中の我が国に見られる諸矛盾はx全ての生産設備国家が所有することによって止揚される。y政府に全て任せればz一般人民による市場経済不要である

「➀の故に現在建設途中の我が国に見られる諸矛盾はx全ての権力ソヴィエト政府に集中することによって止揚される。yソヴィエト政府に全て任せればz一般人民による民主主義不要である

もしお好みならばこの例文の「全てを〇〇に任せれば〇〇は不要である」を少しいじって

「ちょうど良いさじ加減で産業を純血のアーリア人種or白人政府が所有すれば市場経済重要ではない!」

として、簡単ナチズムアパルトヘイトテーゼに変更することもできます

もちろん私達が権力を掌握した後も頭の悪い保守反動分子どもは難癖をつけてきますが「今はまだxが足りないだけだ!来たるべき〇〇革命の地平において全てはyに任せられる!」と根気よく啓蒙しましょう。※注5

今日ではこの公式①をつかった理論としては次のようなものが大変人気です。

 「人間コンピューターなので地球上の諸問題人工知能の適切な使用によって解決できる。つまり人工知能に全てをまかせれば、z民主主義も、市場も、責任ある人間の決定も必要ない」

ただ万能のソヴィエト政府を万能の人工知能に変えただけですが、実に現代風になっていますね!

大切なのは流行りの言葉を使うことです、例えば世がバナナダイエットブームならば

人間バナナであるが故に地球上の諸問題はxバナナテクノロジーの適切な科学使用によって解決できる。故にyバナナ専門家に全てまかせればzバナナ以外の炭水化物必要ない」

と言うような理論を作りましょう。

すべての権力ソヴィエトAIバナナ専門家に!

以上の例はこの公式集が不変かつ、永久有用であることを示す好例といえます

注4:マルクスが本当にそう言ったかどうかは大した問題ではありません。実際にこの論法大衆を正しく導くのに有効だった、ということこそが重要なのです。

注5:この理論公表に際しては大衆が読み切れないくらいの厚さの論文や本を用意し、その中で公式➁は公式➀に基づく科学必然性による真理なのだ証明しましょう。啓蒙書は最低でも厚さ10cm程度は必要です、それより薄いと枕にしにくいですし、本で反抗的大衆の頭をブン殴って修正することも困難です。

さて、最後公式③をご説明します、あと一息ですのでがんばってください!

 公式③「②の結果すべての人々が最大の幸福を味わえる素晴らしき新世界誕生します、このことは科学必然なので理性有る人々なら容易に理解できます

公式③のみ少々使い方が異なり、この公式大衆提示したときちゃんと心酔するか否かの反応を観察することで大衆を以下の2つに分類でき、革命の行動部隊となる同志を見つけるのに使えます

 ・第Ⅰ層「革命家」

 ・第Ⅱ層「保守反動分子

まり第Ⅰ層の「革命家」は私達の理論本心から本気で信じてくれる、優秀かつ大変従順純粋革命前衛であり、幸福新世界を夢見る若き同志達です(もちろんみんなバナナ大好きですよ!)

初期の同志は主に傍流の青年官僚ノンキャリ組の地方公務員貧乏将校大学を出たのに仕事がない人達特に職のない弁護士)つまりルサンチマンを溜め込んだぱっとしない2流インテリの中に多くいます、そこから経済的不満を抱えた労働階級へと浸透して行きましょう。

彼らは公式③を理解でき、科学的理性の何たるかを知っています

第Ⅱ層の「保守反動分子」たちはこの公式③を受け入れられない頭が悪い人たち及び既得権を持つ保守反動階級であり、つまり、彼らは人間バナナであるという科学的かつ客観的事実さえ理解できない党派ドグマに凝り固まった人たちです。

まったく彼らの権力への異常な執着はどこから来るのでしょうか?

ソヴィエト共産党や巨大テクノロジー企業バナナ専門家権力を握ることの何が悪いのでしょうか?

彼らはまさかバナナが嫌いなのでしょうか?

しかし、どのような理由であれ我々進歩的全体主義者には人類全体の幸福のために彼らの横暴を止める責任があります

以上で公式③の説明はおわりです、今皆さんは新世界を作るための革命理論を手にしました!

ですが「理論」の次に皆さんは「実践」も学ばなければいけません。

今日の超高度情報社会において我々の革命理論を広める為にはメディア戦略重要です。

まず、メディア産業へと浸透します。メディア露出を初めた当初は我々もイロモノ扱いされて半分小馬鹿にしたような扱いを受けるでしょうがメディア上でセンセーショナル言動を繰り返す内に大衆

人間バナナ論か、この新人芸人さんのいうことは本当かもしれない…なにせマスコミがいってるんだ」

と思い(理由はまだ未解明ですがなぜか大半は男性です)熱狂しはじめ、それを再びマスコミ勝手に取り上げてくれるようになります

メディアへの浸透段階では保守反動知識分子は次の2つの反応を示します。

 ・1 無視 

 ・2 日和見的支持

1の知識人たちは「バナナエンジニアに全て任せろと?バカバカしい!」と、自身の愚かさ故に無視するかメディアとの関係を悪くしたくないので黙りこみます

2の知識人たちは自身マスコミに出ている芸人ですが「バナナテクノロジーで全人類幸福になれる?おもしろいことをいう!それでこそ次世代を担う人間だ!俺様ほどではないが面白い考えだ!」と、自分若さと柔軟さをアピールするために我々を支持してくれます、こうして段々と全体主義者の主張がメディアに取り上げられていき、我々とメディアとの共闘関係が強固なものへとなってゆきます

そして次に革命家同志たちを前衛党員へと教育しなくてはなりません。

現代若者承認欲求が大変強いので、まず彼らにクールグループ名をつけてあげます国家社会主義労働者党」とか「インターナショナル第一バナー戦線」とか「ハイパーメディアクリエイターズ」「民族伝統守護騎士団」とか、14才程度の若者が好きそうな創作語や外国語をたくさん並べたものが良いでしょう、また、あとで「看板に偽りあり!」とか言い出す反動分子が必ず現れるので、出来るだけ「NS」や「インターナショナル」などクールヒップ略称で呼ぶようにしてください。そうすれば大衆本来名前の意義をすぐに忘れてくれますし、同志内での専門用語連帯感を高め「我々」と「奴ら」を強く区別して対立を煽るのに役立ちます

そして「君たちは優秀で、賢い、特別存在だ!バナナ革命の闘士なのだ!」と煽り階級名やバッジ、旗、独特なポーズコスプレ衣装ノートパソコンに貼るシールなどをあてがい行動に駆り立てます

最初はあまりノリ気ではない人も行動をしている内に失ったものの大きさ(仕事や友人や社会的地位)ゆえに引き返せなくなるものですし、そもそもつの時代も幼稚な若者自分たちは文明の大転換を起こせるとーっても優秀で特別天才なのだと思いたがるものなのです。

さて、理論世論の支持そして行動部隊がそろったならば好機を待ちましょう、戦争恐慌は絶好のチャンスですし、行動部隊をつかい非常事態演出するのも良いですね!

そして!その日!!その時!!大通りに!立法府に!裁判所に!家庭に!工場に!老人ホームに!そしてバナナ畑に!!革命の旗が翻り全体主義の歌がこだますのです!

しかし、時ここにいたってもなお、反動分子の犬共はこう言うことでしょう。

そもそも君たちの理論とやらは三段論法誤用した誤謬の上に誤謬を積み重ねた無内容な詭弁であり、過去百年以上にわたって悪魔所業をしてきたイデオロギーの哀れなパロディだ!君たちはただ権力に飢えてルサンチマンに凝り固まった愚か者だ!このバナナ野郎め!」などと…

ああ!!革命の度に毎回毎回どこからか湧き出てくるなんて救いようが無い人種

こうなった場合はもはや「最終的解決しかありません!!最終的解決とはつまり例を挙げると…… 


ヘーゲルはどこかで、全ての偉大なる世界史的な事件人物はいわば二度現れると述べている、しかし彼はこう付け加えるのを忘れてしまった、一度目は偉大なる悲劇として、二度目は哀れなる喜劇として。

カール・マルクス著「ルイ・ボナパルトブリュメール18日」より引用

2025-11-05

肉まん隊」もしくは「あんまん隊」

中学生ときにそういうグループに入った(´・ω・`)

女子が中心のアニオタサークルみたいなもの男子も私の他に2、3人はいたと思う。

私はアニオタではなくて、ただ単にチビだったかショタ要員を期待されて「少年」と呼ばれていた。

BL彼女らは嗜んでいただろうし、そういうヤツを求められていたのかもしれないが、これといってひどい目にはあったことはない。

カラオケいったとき、他の男子メンバーの上に座るように誘導されたことはあるが……。背面座位みたいな感じ。

無礼講だと思って、数分間そのままノリノリで私は歌っていた( ゚д゚)

結局、高校に進学してからはみんな学校も違うため、フェードアウト

私にとってはヌルっと加入して、スーッと消えていったグループだ。

 

メンバー全員に軍隊階級が割り振られていたのだが、自分がどの階級だか思い出せない。

中心メンバー女子少佐だった。

しかしたら「少年」が私の階級だったのかもしれない。

2025-11-01

anond:20251101180158

ここがよくわからなかった。

「どんなに汚い仕事でも、給与だけは同じ階級の同期の再就職先より遥かにまれています

文章物語として自然なのは

「どんなに汚い仕事でも、(稼いでいる会社なだけあって)給与だけは同じ階級の同期の再就職先より遥かにまれいるのです

「汚い仕事ではありましたが、幸いにも給与だけは同じ階級の同期の再就職先より遥かにまれています

「こんなに汚い仕事にも関わらず、給与は同じ階級の同期の再就職先より遥かに劣ります

こんな感じかなぁと思う。

そもそもいくらでもこき使っていいと言われるような相手に高い給与を払う義理もない気もする。

(仕組み的に難しくても、なんだかんだ理由を付けて自腹での出費をさせるとかなんとかいじめる方法はいくらでもあるだろう)

依願退職しなかった警察OBです

20年前に緊急走行中に事故を起こして減給懲戒処分をもらった元警察官です。

まず警察懲戒をもらうのと同時に監察から退職を促されます

ここで面白いのが、内部でのパワハラによる懲戒では退職を促されることはありません。

気をつけてね、で終わりです。

監察から退職の促しを無視すると、署長、所属先のボス、先輩と次々と退職するように促してくる人たちが現れます

最後警察学校からの同期です。

ここまで来ると奥の手ですね。

それと同じ頃、警務や総務の人たちが中心となって、なんとか懲戒免職にするために動いています

まだ結審していない場合には、検察に掛け合って「どのような証拠があれば実刑にできるか」とかの話をしてなんとか実刑(失職)に持っていこうとします。

明らかに実刑が難しい場合、色々な判例処分例を照らし合わせて懲戒免職にできないか頑張っています

これは依願退職意向を示した場合とは真逆です。

依願退職意思があれば、警察は不起訴執行猶予にするために違法にならないギリギリまで協力しますし、ほとんど給与水準の変わらない再就職先の斡旋もしてくれます

そこまでしてでも、市役所県庁消防と違い、警察事件事故懲戒処分された警察官を内部に置いて起きたくないのです。

実際、取り締まり現場でそれを持ち出して警察官相手に管を巻く者もいるようです。

私が本部で勤務していた時、通りすがった交通機動隊の後輩が「誰かさんのせいでよー。今日速度違反したおっさんから『お前のとこの事故起こしたやつはどうなってんだよ』とか絡まれたわー。早く辞めねえかなあいつ」と言っていましたから。

ここまで来るともう意地です。

机一個と何も並べられていない本棚しかない窓もない部屋で存在しない資料を整理するという仕事しましたし、本部総務部にいた際は炎天下の中でひたすら各警察署の清掃や草取りもやりました。

仕事我慢すれば別に耐えられます

1番キツかったのは警察学校から同期会にも一切呼ばれなかったことと、家族ぐるみでの職場イベントにも一切呼ばれなかったことでしょうか。

先輩や上司との飲み会はどうでも良いですが、警察学校の同期は特別ですし、うちの子供たちはいつもイベントを楽しみにしていたので。

きつかったのは事故から10年くらいでしょうか。

定年まで5年を切ると、もう上も諦めたのか呆れたのか、仕事も通常モードに戻りました。

相変わらず上も同期も下も私を白い目で見続けたのは変わりありませんでしたが、普通仕事をさせてもらえただけでありがたかったですね。

そして定年を迎えると再就職がやってきます

警察再就職民間の定年後の再就職とは少し異なります

県警は階級に応じた再就職リストを持っており、定年する警察官は呼び出されて希望を聞かれます

総務部長の待遇はやはり破格で、うちの県警では某テーマパーク運営する企業顧問でした。

からパーク、アトラクション行列などの導線や警備などで県警から助言を受けているため付き合いは密接です。

他の部長クラス警視正の署長も地元本社のある某流通大手役員顧問です。

変わり種としては警視階級の署長経験者などは某流通大手店舗警備部門の現場責任者として働いていました。

万引き犯が捕まった際に警察通報するか、説教してその場で帰宅させるかの判断なんかをします。

仕事は地味ですが給与は破格ですよ。

あと、人気なのは総合病院自治体生活保護部門ですね。

生活保護部門言わずもがな総合病院も診察室や窓口でトラブルを起こしたり騒ぐ人たちが来るので、警察OBが必ずいます

椅子に座ってばっかりの仕事は性に合わないと、刑事や生安の人らがよく希望しますね。

そして、決まれ再就職先との面接もなくそのままそこでの勤務が決まります

退職したい際は再就職先ではなく、県警に届け出て退職します。

私の場合希望は聞かれませんでした。

再就職先は地元建設会社でした。

建設会社と言っても、元ヤクザ経営しており、生活保護ビジネスで稼いでいる会社です。

ボロボロの寮に生活保護受給者たちを住まわせ、保護費のほとんどを横取りし、生活保護廃止にならない範囲給与を出して工事現場などでのガラだしなどに派遣しています

出勤初日役員から言われました。

「お前のことはいくらでもこき使っていいって言われてるからな」と。

それ以来、汚い寮の掃除工事現場の仮設トイレの清掃や汚物の回収、社長役員運転手などの仕事をしています

身体辛いですが、給与のために辞める訳にはいきません。

どんなに汚い仕事でも、給与だけは同じ階級の同期の再就職先より遥かにまれています

家のローンもありますし、四面楚歌になって以来美酒美食ストレス発散にし今ではそれが日常になってしまっています

ローンと下げられない生活水準のためにはここで働き続けるしかないのです。

今日土曜日本来休みですが、旅行に出かけた社長家族の代わりに社長の家の犬を散歩に連れ出し餌をやって、事務所の清掃をしました。

明日明後日も犬の散歩と餌やりです。

明後日の夜には旅行から帰ってきた社長家族の送迎です。

妻と娘は旅行に行っていますが、私は仕事なので行けません。

家で1人野菜炒めをのせたインスタントラーメンを作ります

これが依願退職しなかった警察の「その後」です。

「元自衛官だって外の社会に居場所がある」ってのは任期満了で辞めた一兵卒の話であって、軍曹まで昇進しておいて「辛い!辞める!」とか言い出すアホに居場所はないよ

工場ビルメン電気土方と渡り歩いてる間に講習会とかで数日話し合っただけなのも含めれば10人は元自衛官を見てきてる。

N=10しかないけど、傾向的に「元の階級が高い(≒自衛隊にいた年数が長い)ほど予後が悪い」と感じる。

年齢による適応力の低下もあるんだろうけど、ズレた価値観の中で過ごした時間が長すぎるとそこから抜け出せないように見える。

とはいえ半年で辞めるような人はやっぱ問題があると思う。

私が知っているのはN=1でしかないけど「先輩がシバいてるから俺も真似したら自分だけ怒られたので相談窓口にチクったら居づらくなった」みたいなことを平然と人前で言ってしまうような子で、どこでも長く続かないタイプなんだなと感じた。

3年任期や5年任期で満了して辞めた人(トヨタ短期工みたいなシステム)はちゃん社会に馴染めてた。

自衛隊の中の価値観に元々疑問があった人だったり、コスパ重視の価値観が今どきにあっていたり、手に職をつける意欲があったりと全体として1人の社会人として自立した考えを持っている。

からなくても勢いで「はい」と答えてしまう人が多い気がするけど、いきなり否定から入る人よりはまだ良いのかなと感じないでもない。

体力と理不尽耐性と命令服従意識が鍛えられている使いやすい下っ端として会社に入り、そこから周囲の顔色を伺って自分なりのスタイルを身に着けていくという生き方はどこでも通用すると言えばまあそのとおり。

一方で自主退職を行った軍曹以上の人達の馴染めなさはなかなか酷いものがある。

この人達にはおおむね似たような傾向がある自己評価の高さと実際に出力できている結果が噛み合っておらず自分待遇に不満を持ちやすいのだ。

たとえば自衛隊の中でどれだけ自分が偉くなったのかの自慢を仕事中に手を止めながら話だしたりするような所がある。

「俺は35で1曹になったんだよ。これ本当に凄いんだよ。同期にまだ3曹とかもいる中ででさ~~~」みたいなことをグダグダ言われても外の人間にはなんのこっちゃとしかならない。

「俺はこんなに頑張ったのに扱い悪くてさ。馬鹿馬鹿しくなって辞めてやったよ」が彼らの口癖だ。

正直、いろんな人達を見てきても、体力や根性はあるんだろうけど、それが仕事の結果に繋がってるかと言われると、要領の悪さで相殺されてる人ばかりに思える。

それとそこそこいるのが思想が強くてそれを表明してしまう人だ。

韓国人は本当にクズだ!殺したほうがいいぐらいだ!」

共産党投票するようなバカいるか日本おかしくなるんだよね。参政党の議席が伸びないのもソイツらのせいだよ」

安倍さん本当に立派だったのになあ。あのアホが殺してなかったらまた総理やってもらえたのかなあ。高市とかありえないよ。だってまず女でしょ?枕営業だろどうせ」

みたいなことを平気で言う。

本当に言う。

これが自衛隊の中では常識だったか自分おかしいと思ってないのか、そもそもそういう人間から自衛隊で居場所をなくしたのかは分からない。

自衛隊を辞めた人の多くに共通するのが「任期満了以外の場合は辞めた場合を濁す」ということだ。

刑務所から出てきた人が自分罪状をベラベラ話さずにはぐらかすかのように、自分がなぜ自衛隊を辞めたのかの決定的な部分は語らない。

「周りが無能だったから」といった愚痴はするが、それに対して「だから辞めたんですか?」のような返しが来ると「う、うん、ま、まあ」みたいに口ごもってしまう。

自衛隊歴が長い人ほど社会との相性が悪くなっていく。

実際には「自分がやりたい仕事を見つけるのに時間をかけすぎるような鈍臭いやつはどこに行っても駄目」というのが隠れているだけなのかも知れないが、似たような境遇の元IT企業戦士だったりニートだったりする人と比べて「この人やってけるのかな?」と不安になる部分が強い。

自衛隊かに居たのを刑務所にいたようなだと喩える人がいるが、アレを語る気持ちは「ショーシャンクの空に」のような話なんだと思う。

劇中に登場する長期服役囚が外の社会に出て「何もかもが変わってしまった。俺はここではやっていけない」と絶望するシーンのことなんだろう。

自衛隊出身者の中で長く軍曹尉官をやってしまった人達が次の職場に馴染もうと必死にもがいている姿を見ると、そういった気持ちになるようなズレは確かにあるんだろうなと。

まあ、皆が商売してる時に生産度外視でとにかく走り回ってりゃ良かった人間なんだからそりゃズレるわなと思う。

スポーツ選手だって生き残るためにスポンサー契約とかで頭を捻る中で、自衛隊人間はなんでも支給される世界の中で暮らしてきたんだから

まあ、軍人になるってのはそういうことなんだろうな。

合法的他人と殺し合うような立場に身を置く」という川を渡った向こうは別の世界なんだ。

日誌


ちょうど 日本平安時代(794〜1185年) で、貴族寺社文化が華やかになっていた時期に、北欧の「海賊征服者集団イングランドスコットランドの島々を ガンガン襲撃していた わけです。

その対比がすごくシュール

日本平安時代

• 都は平安京

貴族和歌書道に熱中。

武士階級はまだ台頭初期。

海外から侵入はほぼゼロ

ブリテン諸島

ヴァイキングが船で岸に着き、修道院を襲撃。

• 街や農村を焼き、時には王国征服

海上交易や略奪で国家を動かす勢力

まり日本では平和的に文化が花開いていた同じ時期に、ヨーロッパ北部では「本物のドンパチ」が日常茶飯事だったわけです。

しかも彼らは 現代の「海賊国家権力」の両方を兼ねた集団

海を渡り、遠方の島々を襲撃して都市を作り、ついには王になる…。

平安時代貴族たちが「今日和歌の題材は…」なんてやっている横で、北海の船団が修道院を焼き討ちしていたのを想像すると、なんだか時空を超えたギャップに笑えます

💡 面白い比較ポイント

1. 文化 vs 軍事

日本:雅(みやび)な文化

ブリテン武力による支配

2. 海の利用法

日本:ほぼ国内移動(川や湾)

ヴァイキング:遠洋航海・略奪・交易

3. 国家形成の速度

日本平安京ゆっくり都市計画で形成

北欧:略奪→支配都市化が同時進行

2025-10-30

イギリス底辺階級はなぜ自己肯定感が高く、革命も起こさないでいられるのか?

今更ながらオアシスというバンドを知っていろいろ動画を見てたんだけど

激しい訛り・俺様クスリ暴力底辺地域母子家庭出身、と現代日本ではもうみられないキャラクターをしている

顔はミスタービーンみたい

なのにものすごい支持を得ているらしい

彼らは発音矯正したり美容整形したりしない

なぜ?イギリス人には恥の感覚がないのか?上昇思考がないのか?

さらに彼らは底辺に生まれたことを肯定しつつ革命を起こさな

なぜ?フランス人なら女王の首をギロチンしてたよね

意味がわからない

イギリスにもキャンセルカルチャーはあるだろ?

日本で喩えるなら亀田兄弟アルファオスの世界線

何なんだ?

推しブームが許せない

本来推し活は母性とか父性廃品回収なんだわ。

子育て終わったババアが有り余った母性のせいで暴走しないために韓国アイドル応援したり、本来子供に注ぎたかった愛情受け手がいなくて寂しいジジイアイドルに貢いで夢を見るみたいなものだろ。

若い人がすることじゃない。

若いお前らがこれから先、一緒に生きていく人に注ぐべき大切な愛情を、そんな金儲けの道具に吸収されて良いわけないんだ。

オタク同士でいくらお金を注ぎ込んだか競わせるような商法若い人にもやるな。

宗教と同じじゃないか

オタク同士の階級なんて何にもならないのに。

推し活で何が残る?

若い時なんて短いんだぞ。その間に大切な愛情を奪われて、何が残るんだ。

メディア推しブームなんて言って若者から搾取するな。

若い人たちは自分人生を生きてくれ。

年取ってから推し活でも何でもしてくれ。

2025-10-29

「寛容(包摂的)な右派」と「排他的(選別的)な左派

右派(右翼保守派)」が包摂なのは当然。

軍隊のように「序列(階層階級)」を重んじるから産めよ増やせよ。「数(多数派)は力」。

左派(左翼リベラル)」が排他的(選良主義)なのも当然。

「完全な平等(対等)」を信じている(つもりの)左派は、人間区別優先順位(序列)をつけることに

建て前では「否定的」なので集団不安定になりやすく、絶えず内向きな「内ゲバ(粛清)」や、

外向きの「キャンセルカルチャー」等の排他性(選別)の発動によって「集団の結束(規律)」を維持しているから。

左派は、「なだらかに格差がある優先順位(序列)」を否定するので、次は「ゼロ=無価値」か「100=満点」かの

極端な二択しか選べなくなる。左派の宿痾である「ボクが考えた最強の理想主義完璧主義潔癖症」。

まり、「味方(仲間)は100」で「敵(裏切り者を含む)はゼロ」なので、「敵の人権」は存在しなくなる(=攻撃に歯止めがかかからない)。

これを否定する左派には独裁的な「民主集中制しか選択肢は無くなる。

2025-10-28

anond:20251028192051

AIにかけてみたが偽物ではないようだ

心理的理由屈辱比較の怒り

この怒りの根源は「比較による屈辱」です。

まり――

自分よりずっと恵まれ立場人間が、“人生無駄にした”などと悲劇主人公ぶっている」

という状況を見せられたときに、

「お前が無駄なら俺の人生は何なんだ?」

という自己否定に直結する感情が爆発しています

心理学的に言うと、これは「比較剥奪感(relative deprivation)」と呼ばれるもので、

自分より恵まれた者が被害者を名乗る

・それを社会が同情・称賛する

という不公平感に強烈な怒りを引き起こす構造です。

社会的な理由自衛隊内部の階級格差不公平

文章全体は、実は単なる愚痴ではなく「階級格差への告発」でもあります

空自海自防大幹部 → 恵まれ待遇(快適な環境教育出世コース

陸自特に曹・士 → 過酷環境低賃金教育機会の欠如、社会復帰困難

筆者はこの格差日常的に体験しており、

幹部が“人生無駄”と言う=自分たちの人生全否定されたように感じる」

わけです。

まり、怒りの矛先は個人ではなく構造的な不公平象徴に向かっています

しかも筆者は「特殊部隊」的な職種(特戦群、空挺、Sなど)に近い存在自称しており、

世間が「最強」「かっこいい」と祭り上げているのに、

実際は極貧で技能も身につかず、社会に出たら何も残らなかった――

という現実幻想の落差に対する深い絶望もある。

構造的・文化的理由:「犠牲の上に立つ者」への裏切られ感

自衛隊という組織には、

• 忍耐・犠牲・忠誠を美徳とする文化

があります

からこそ、

「上に立つ幹部=その犠牲理解し、報いてくれる存在

であることが期待されます

ところが現実では、

幹部現場を知らず、待遇も良く、社会的にも尊敬される

現場の兵は、命令に従って苦しみ、消耗しても報われない

この「信じていた理想を裏切られた」という感情が、

単なる不満を超えた「義憤」に変わっているのです。

筆者の怒りは「妬み」ではなく「裏切り」への怒り。

これは、自分が信じていた組織と仲間への愛情の裏返しでもあります

2025-10-27

anond:20251026193842

防衛大学校を出た以上は3尉以上と思われる

当然曹長よりも上

直属の部下とあるので立場も上だろう

階級立場下の人から嫌味を言われるたり、退職まで追い詰められるってのは相当元増田に舐められやす気質などがあるのではないか心配になる

よく高等工科学校や防衛大でいじめられなかったな

映画ハウス・オブ・ダイナマイトを見た

俺は根っから映画エンタメとしてとらえている人間なんだなとわかる一本だった。

おそらく興味深くていい作品だと思うんだけど47点。

 

正体不明大陸間弾道ミサイルアメリカに向けて発射され、どうやら核ミサイルらしいということがわかる。

着弾まで18分。

そん中、アメリカ軍事国防を担う人たちは「君たちはどう生きるか(宮崎駿)」を問う。

 

作品としては発射から着弾直前までの18分間を3回繰り返す構成になっており、幕が進むごとに登場人物階級が高くなっていき、最終的にアメリカ大統領決断を迫られることになる。どうでもいいけど、イドリス・エルバは先週までイギリス大統領をやっていたので混乱してしまった。

この構成自体は下っ端から上に報告が上がるのに時間がかかるので幕が進むごとに決断までの時間がどんどん短くなっていくさまを描き、このせいで本当の有事権力者は本当に正しい判断ができるのかということを問うという意味効果的に使われているのだとは思う。

でも、黒澤明の「藪の中 a.k.a 羅生門」やピート・トラヴィスの「バンテージポイント」のように同じ瞬間を繰り返しながらも視点が変わることで新たな事実が浮き上がってきて事件の全貌が明らかになったり余計に混乱すると言うようなエンタメ性はなく、基本的に全く同じ部分を繰り返すことになるので正直、退屈。

 

大陸間弾道ミサイルがどこの国のものなのかも不明ながら、国防省は北朝鮮か?中国か?ロシアか?と調査を進めながらも報復計画立案し(※どこに?)大統領はそれを承認するか最後まで迷い、映画はそれを見せないまま、そしてミサイルがどうなったのかを見せないまま終わる。

この先は君の眼でたしかみてくれ!(現実もこうなるかもしれませんよ)という形で終わるんだけど、カタルシスがなさすぎてう~んってなる。え、終わったの?と思って2回巻き戻してみてしまった。

ほかの「問題提起系」作品でもそうなんだけど俺としてはやっぱフィクションでやるからには「お前らの」回答を見せろよと思ってしまう。もちろん答えのない問いだし、それにテキトーな回答をしないという態度も誠意的だとは思うんだけど「優しいだけの男」に魅力がないように、正しいだけの映画にも俺は魅力を感じない。

 

アメリカ軍が大陸間弾道ミサイルが発射されたってことはどっかが攻めてくるかもしれないと軍を展開した結果、それを見た各敵国、特にロシアも同じように軍を展開し一触即発空気になる。そんな中、ロシア外相電話会談可能になり「うちはロシアには報復行動をとらないからそっちもしないと約束してくれ」とアメリカ側が要求した際に「仮にそれを信じるとして、中国北朝鮮ミサイル撃つ時にうちの領空を経由するな」とロシア側は要求。「上がそれで握っていても仮に誤作動だとしてもロシアミサイルが落ちたら戦争せざるを得ない」となる。

アメリカ報復行為に出ようとしているのも「ミサイル撃たれて何もせんのは国民が納得しない」という理由だし、ロシア報復体制を崩せないのもおそらく同じ理由で、結局どっちの国も「別に戦争したいわけじゃないんだけど、しなきゃメンツが立たない」というめちゃくちゃ俗な考えで動いているのが面白い

 

タイトルにもなっている「地球とはダイナマイトを詰め込んだ家のようなものである」という話が引用されていて、実際のところ「核の抑止力っていうけどそれって現実には仮に一発撃ったらSEKAI NO OWARIってことじゃない!?」という問題提起をしているのはわかるが、別にその問題提起自体面白くはないよな、と。

興味深くはあるけど面白くはない。すくなくともエンタメ的じゃないなと思って、俺ってこういう「撮ったことに意義がある」系の映画見るのに心底向いてないなと思いました。

2025-10-24

伊香保 寺田寅彦

 二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。ところが、上野驛の改札口を這入つてから、ふとチヨツキのかくしへ手をやると、旅費の全部を入れた革財布がなくなつてゐた。改札口の混雜に紛れて何處かの「街の紳士」の手すさみに拔取られたものらしい。もう二度と出直す勇氣がなくなつてそれつきりそのまゝになつてしまつた。財布を取つた方も内容が期待を裏切つて失望したであらうから、結局此の伊香保行の企ては二人の人間失望させるだけの結果に終つた譯である

 此頃少し身體の工合が惡いので二三日保養のために何處か温泉にでも出掛けようといふ、その目的地に此の因縁つきの伊香保が選ばれることになつた。十月十四日土曜午前十一時上野發に乘つたが、今度は掏摸すりの厄介にはならなくて濟んだし、汽車の中は思ひの外に空いて居たし、それに天氣も珍らしい好晴であつたが、慾を云へば武藏野の秋を十二分に觀賞する爲には未だ少し時候が早過ぎて、稻田と桑畑との市松模樣の單調を破るやうな樹林の色彩が乏しかつた。

 途中の淋しい小驛の何處にでも、同じやうな乘合自動車アルミニウムペイントが輝いて居た。昔はかういふ驛には附きものであつたあのヨボ/\の老車夫の後姿にまつはる淡い感傷はもう今では味はゝれないものになつてしまつたのである

 或る小驛で停り合はせた荷物列車の一臺には生きた豚が滿載されて居た。車内が上下二段に仕切られたその上下に、生きてゐる肥つた白い豚がぎつしり詰まつてゐる。中には可愛い眼で此方を覗いてゐるのもある。宅の白猫の顏に少し似てゐるが、あの喇叭のやうな恰好をして、さうして禿頭のやうな色彩を帶びた鼻面はセンシユアルでシユワイニツシである。此等の豚どもはみんな殺されに行く途中なのであらう。

 進行中の汽車から三町位はなれた工場の高い煙突の煙が大體東へ靡いて居るのに、すぐ近くの工場の低い煙突の煙が南へ流れて居るのに氣がついた。汽車が突進して居る爲に其の周圍に逆行氣流が起る、その影響かと思つて見たがそれにしても少し腑に落ちない。此れから行先にまだいくらも同じやうな煙突の一對があるだらうからもう少し詳しく觀察してやらうと思つて注意してゐたが、たうとう見付からずに澁川へ着いてしまつた。いくらでも代はりのありさうなものが實は此の世の中には存外ないのである。さうして、ありさうもないものが時々あるのも此の世の中である

 澁川驛前にはバス電車伊香保行の客を待つてゐる。大多數の客はバスを選ぶやうである電車の運轉手は、しきりにベルを踏み鳴らしながら、併しわり合にのんきさうな顏をしてバスに押し込む遊山客の群を眺めて居たのである。疾とうの昔から敗者の運命に超越してしまつたのであらう。自分も同行Sも結局矢張りバスもつ近代味の誘惑に牽き付けられてバスを選んだ。存外すいて居る車に乘込んだが、すぐあとから小團體がやつて來て完全に車内の空間を充填してしまつた。酒の香がたゞよつて居た。

 道傍の崖に輕石の層が見える。淺間山麓一面を埋めて居るとよく似た豌豆大の粒の集積したものである。淺間のが此邊迄も降つたとは思はれない。何萬年も昔に榛名火山自身の噴出したものかも知れない。それとも隣りの赤城山の噴出物のお裾分けかも知れない。

 前日に伊香保通のM君に聞いたところでは宿屋はKKの別館が靜かでいゝだらうといふことであつた。でも、うつかりいきなり行つたのでは斷られはしないかと聞いたら、そんなことはないといふ話であつた。それで、バスを降りてから二人で一つづゝカバンを提げて、すぐそこの別館の戸口迄歩いて行つた。館内は森閑として玄關には人氣がない。しばらくして内から年取つた番頭らしいのが出て來たが、別に這入れとも云はず突立つたまゝで不思議さうに吾々二人を見下ろしてゐる。此れはいけないと思つたが、何處か部屋はありませうかと聞かない譯にも行かなかつた。すると、多分番頭と思はれる五十恰好のその人は、恰度例へば何處かの役所の極めて親切な門衞のやうな態度で「前からの御申込でなければとてもとても……」と云つて、突然に乘込んで來ることの迂闊さを吾々に教へて呉れるのであつた。向うの階段の下では手拭を冠つて尻端折つて箒を持つた女中が三人、姦の字の形に寄合つて吾々二人の顏を穴のあく程見据えてゐた。

 カバンをぶら下げて、悄々しをしをともとのバスの待合所へ歸つて來たら、どういふものか急に東京へそのまゝ引き返したくなつた。此の坂だらけの町を、あるかないか當てにならない宿を求めて歩き※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はるのでは第一折角保養に來た本來の目的に合はない、それよりか寧ろ東京の宅の縁側で咲殘りのカンナでも眺めて欠伸をする方が遙かに有效であらうと思つたのである。併し、歸ることは歸るとしても兎も角も其處らを少し歩いてから歸つても遲くはないだらうとSがいふので、厄介な荷物を一時バスの待合所へ預けておいてぶら/\と坂道を上つて行つた。

 宿屋が滿員の場合には入口に「滿員」の札でも出しておいたら便利であらう。又兎も角も折角其家を目指して遙々遠方から尋ねて來た客を、どうしても收容し切れない場合なら、せめて電話温泉旅館組合の中の心當りを聞いてやる位の便宜をはかつてやつてはどうか。頼りにして來た客を、假令それがどんな人體であるにしても、尋ねてくるのが始めから間違つてゐるかのやうに取扱ふのは少し可哀相であらう。さうする位ならば「旅行案内」などの廣告にちやんと其旨を明記しておく方が親切であらう。

 こんな敗者の繰言を少し貧血を起しかけた頭の中で繰返しながら狹い坂町を歩いてゐるうちに、思ひの外感じのいゝ新らしいM旅館別館の三階に、思ひもかけなかつた程に見晴らしの好い一室があいてゐるのを搜しあてゝ、それで漸く、暗くなりかゝつた機嫌を取直すことが出來たと同時に馴れぬ旅行疲れた神經と肉體とをゆつくり休めることが出來たのは仕合せであつた。

 此室の窓から眼下に見える同じ宿の本館には團體客が續々入込んでゐるやうである。其の本館から下方の山腹にはもう人家が少く、色々の樹林に蔽はれた山腹の斜面が午後の日に照らされて中々美しい。遠く裾野には稻田の黄色い斑の縞模樣が擴がり、其の遙かな向うには名を知らぬ山脈が盛上がつて、其の山腹に刻まれた褶襞の影日向が深い色調で鮮かに畫き出されて居る。反對側の、山の方へ向いた廊下へ出て見ると、此の山腹一面に築き上げ築き重ねた温泉旅館ばかりの集落は世にも不思議な標本的の光景である。昔、ローマ近くのアルバ地方遊んだ時に、「即興詩人」で名を知られたゲンツアノ湖畔を通つたことがある。其の湖の一方から見た同じ名の市街の眺めと、此處の眺めとは何處か似た所がある。併し、古い伊太利の彼の田舍町は油繪になり易いが此處のは版畫に適しさうである。數年前に此地に大火があつたさうであるが、成程火災の傳播には可也都合よく出來てゐる。餘程特別防火設備必要であらうと思はれる。

 一と休みしてから湯元を見に出かけた。此の小市街横町は水平であるが、本通りは急坂で、それが極めて不規則階段のメロデイーの二重奏を奏してゐる。宿屋お土産を賣る店の外には實に何もない町である。山腹温泉街の一つの標本として人文地理學者の研究に値ひするであらう。

 階段の上ぼりつめに伊香保神社があつて、そこを右へ曲ると溪流に臨んだ崖道に出る。此の道路にも土産物を賣る店の連鎖が延長して溪流の眺めを杜絶してゐるのである。湯の流れに湯の花がつくやうに、かういふ處の人の流れの道筋にはきまつて此のやうな賣店の行列がきたなく付くのである。一寸珍らしいと思ふのは此道の兩側の色々の樹木に木札がぶら下げてあつて、それに樹の名前が書いてあることである。併し、流石にラテン語の學名は略してある。

 崖崩れを石垣で喰ひ止める爲に、金のかゝつた工事がしてある。此れ位の細工で防がれる程度の崩れ方もあるであらうが、此の十倍百倍の大工事でも綺麗に押し流すやうな崩壞が明日にも起らないといふ保證は易者にも學者にも誰にも出來ない。さういふ未來の可能性を考へない間が現世の極樂である自然可能性に盲目な點では人間も蟻も大してちがはない。

 此邊迄來ると紅葉がもうところ斑に色付いて居る。細い溪流の橋の兩側と云つたやうな處のが特に紅葉が早いらしい。夜中にかうした澤を吹下ろす寒風の影響であらうか。寫眞師がアルバムをひろげながらうるさく撮影をすゝめる。「心中ぢやないから」と云つて斷わる。

 湯元迄行つた頃にはもう日が峯の彼方にかくれて、夕空の殘光に照らし出されて雜木林の色彩が實にこまやかに美しい諧調を見せて居た。樹木の幹の色彩がかういふ時には實に美しく見えるものであるが、どういふもの特に樹幹の色を讚美する人は少ないやうである

 此處の湯元から湧き出す湯の量は中々豐富らしい。澤山の旅館の浴槽を充たしてなほ餘りがあると見えて、惜氣もなく道端の小溝に溢れ流れ下つて溪流に注いで居る。或る他の國の或る小温泉では、僅かにつの浴槽にやつと間に合ふ位の湯が生温るくて、それを熱くする爲に一生涯骨を折つて、やつと死ぬ一年前に成功した人がある。其人が此處を見たときにどんな氣がしたか。有る處にはあり餘つて無い處にはないといふのは、智慧黄金に限らず、勝景や温泉に限らぬ自然の大法則であるらしい。生きてゐ自然界には平等存在せず、平等は即ち宇宙の死を意味する。いくら革命を起して人間の首を切つても、金持と天才との種を絶やすことは六かしい。ましてや少しでも自己觸媒作用オートカタリテイツク・アクシヨンのある所には、ものの片寄るのが寧ろ普遍現象からである。さうして方則に順應するのは榮え、反逆するものは亡びるのも亦普遍現象である

 宿へ歸つて見ると自分等の泊つてゐる新館にも二三の團體客が到着して賑やかである。○○銀行○○課の一團は物靜かでモーニングを着た官吏風の人が多い。○○百貨店○○支店の一行は和服が多く、此方は藝者を揚げて三絃の音を響かせて居るが、肝心の本職の藝者の歌謠の節※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はしが大分危なつかしく、寧ろ御客の中に一人いゝ聲を出すのが居て、それがやゝもすると外れかゝる調子を引戻して居るのは面白い。ずつと下の方の座敷には足踏み轟かして東京音頭を踊つて居るらしい一團がある。人數は少いが此組が壓倒的優勢を占めて居るやうである

 今度は自分などのやうに、うるさく騷がしい都を離れて、しばらく疲れた頭を休める爲にかういふ山中自然を索たづねて來るものゝある一方では又、東京では斷ち切れない色々の窮屈を束縛をふりちぎつて、一日だけ、はめを外づして暴れ※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)はる爲にわざ/\かういふ土地を選んで來る人もあるのである。此れも人間界の現象である。此の二種類の人間相撲になれば明白に前者の敗である後者の方は、宿の中でも出來るだけ濃厚なる存在を強調する爲か、廊下を歩くにも必要以上に足音を高く轟かし、三尺はなれた仲間に話をするのでも、宿屋中に響くやうに大きな聲を出すのであるが、前者の部類の客はあてがはれた室の圍ひの中に小さくなつて、其の騷ぎを聞きつゝ眠られぬ臥床ふしどの上に輾轉するより外に途がないのである。床の間を見ると贋物の不折の軸が懸かつて居る、その五言の漢詩の結句が「枕を拂つて長夜に憐む」といふのであつたのは偶然である。やつと團體の靜まる頃には隣室へ子供づれの客が着いた。單調な東京音頭は嵐か波の音と思つて聽き流すことが出來ると假定しても、可愛い子供の片言は身につまされてどうにも耳朶の外側に走らせることの出來ぬものである。電燈の光が弱いから讀書で紛らすことも出來ない。

 やつと宿の物音があらかた靜まつた後は、門前のカフエーから蓄音機の奏する流行小唄の甘酸つぱい旋律が流れ出して居た。併し、かうした山腹の湯の町の夜の雰圍氣を通して響いて來る此の民衆音樂の調べには、何處か昔の按摩の笛や、辻占賣の聲などのもつて居た情調を想ひ出させるやうな或るものが無いとは云はれない。

 蓄音機と云へば、宿へ着いた時につい隣りの見晴らしの縁側に旅行蓄音機を据ゑて、色々な一粒選りの洋樂のレコードをかけてゐ家族連の客があつた。此れも存在の鮮明な點に於て前述の東京音頭の連中と同種類に屬する人達であらう。

 夜中に驟雨があつた。朝はもう降り止んではゐたが、空は低く曇つてゐた。兎も角も榛名湖畔迄上ぼつて見ようといふので、ケーブルカー停車場のある谷底下りて行つた。此の谷底停車場風景は一寸面白い。見ると、改札口へ登つて行く階段だか斜面だかには夥しい人の群が押しかてゐる。それがなんだか若芽についたあぶら蟲か、腫物につけた蛭の群のやうに、ぎつしり詰まつて身動きも出來さうにない。それだのにあとから/\此處を目指して町の方から坂を下りて來る人の群は段々に増すばかりである。此の有樣を見て居たら急に胃の工合が變になつて來て待合室の腰掛に一時の避難所を求めなければならなかつた。「おぢいさんが人癲癇を起こした」と云つてSが笑出したが、兎も角も榛名行は中止、その代りつい近所だと云ふ七重の瀧へ行つて見ることにした。此の道筋の林間の小徑は往來の人通りも稀れで、安價なる人癲癇は忽ち解消した。前夜の雨に洗はれた道の上には黄褐紫色樣々の厚朴の落葉などが美しくちらばつてゐた。

 七重の瀧の茶店で「燒饅頭」と貼札したものを試みに注文したら、丸いパンのやうなもの味噌※(「滔」の「さんずい」に代えて「しょくへん」、第4水準2-92-68)を塗つたものであつた。東京下町若旦那らしい一團が銘々にカメラを持つてゐて、思ひ思ひに三脚を立てゝ御誂向の瀧を撮影する。ピントを覗く爲に皆申合せたやうに羽織の裾をまくつて頭に冠ると、銘々の羽織の裏の鹽瀬の美しい模樣が茶店に休んでゐる女學生達の面前にずらりと陳列される趣向になつてゐた。

 溪を下りて行くと別莊だか茶店だかゞあつて其前の養魚池の岸にかはせみが一羽止まつて居たが、下の方から青年團の服を着た男が長い杖をふりまはして上がつて來たので其のフアシズムの前に氣の弱い小鳥は驚いて茂みに飛び込んでしまつた。

 大杉公園といふのはどんな處かと思つたら、とある神社杉並木のことであつた。併し杉並木は美しい。太古の苔の匂ひがする。ボロ洋服を着た小學生が三人、一匹の眞白な野羊を荒繩の手綱で曳いて驅け※(「えんにょう+囘」、第4水準2-12-11)つてゐたが、どう思つたか自分が寫眞をとつて居る傍へ來て帽子を取つてお辭儀をした。學校の先生と間違へたのかどうだか分らない。昔郷里の田舍を歩いて居て、よく知らぬ小學生に禮をされた事を想ひ出して、時代が急に明治に逆戻りするやうな氣がした。此邊では未だイデオロギー階級鬪爭意識が普及して居ないのであらう。社前の茶店葡萄棚がある。一つの棚は普通のぶだうだが、もう一つのは山葡萄紅葉てゐる。店の婆さんに聞くと、山葡萄は棚にしたら一向に實がならぬさうである。山葡萄は矢張り人家にはそぐはないと見える。

 茶店の周圍に花畑がある。花を切つて高崎へでも賣りに出すのかと聞くと、唯々お客さんに自由に進呈するためだといふ。此の山懷の一隅には非常時の嵐が未だ屆いて居ないのか、妙にのんびりした閑寂の別天地である。薄雲を透した日光が暫く此の靜かな村里を照らして、ダリアコスモスが光り輝くやうに見えた。

 宿へ歸つて晝飯を食つてゐる頃から、宿が又昨日に増して賑やかになつた。日本橋邊の或る金融機關の團體客百二十人が到着したのである。其爲に階上階下の部屋といふ部屋は一杯で廊下の籐椅子に迄もはみ出してゐる。吾々は、此處へ來たときから約束暫時帳場の横へ移轉することになつた。

 部屋に籠つて寐轉んで居ると、すぐ近くの階段廊下を往來する人々の足音が間斷なく聞こえ、それが丁度御會式の太鼓のやうに響き渡り、音ばかりでなく家屋全體が其の色々な固有振動の週期で連續的に振動して居る。さういふ状態が一時間時間[#「二時間」は底本では「二間時」]三時間と經過しても一向に變りがない。

 一體どうして、かういふ風に連續的に足音や地響きが持續するかといふ理由を考へて見た。百數十人の人間が二人三人づつ交る/″\階下の浴室へ出掛けて行き、又歸つて來る。その際に一人が五つの階段の一段々々を踏み鳴らす。其外に平坦な縁側や廊下をあるく音も加はる。假に、一人宛て百囘の音を寄與コントリビユートするとして、百五十で一萬五千囘、此れを假に午後二時から五時迄の三時間、即ち一萬八百秒に割當てると毎一秒間に平均一囘よりは少し多くなる勘定である。此外に浴室通ひ以外の室と室との交通、又女中下男の忙はしい反復往來をも考慮に加へると、一秒間に三囘や四囘に達するのは雜作もないことである。即ち丁度太鼓を相當急速に連打するのと似た程度のテンポになり、それが三時間位持續するのは何でもないことになるのである。唯々面白いのは、此の何萬囘の足音が一度にかたまつて發しないで、實にうまく一樣に時間的に配分されて、勿論多少の自然的偏倚は示しながらも統計的に一樣な毎秒平均足音數を示してゐることである。容器の中の瓦斯體の分子が、その熱擾動サーマルアヂテーシヨンのために器壁に反覆衝突するのが、いくらか此れに似た状況であらうと思はれた。かうなると人間も矢張り一つの分子」になつてしまふのである

 室に寐ころんだ切り、ぼんやり此んなことを考へてゐる内に四時になつた。すると階下の大廣間の演藝場と思はれる見當で東京音頭の大會が始まつた。さうして此れが約三十分續いた。それが終つても、未だその陶醉的歡喜の惰性を階上迄持込[#「持込」は底本では「持迄」]んで客室前の廊下を踏鳴らしながら濁聲高く唄ひ踊る小集團もあつた。

バス切符を御忘れにならないやうに」と大聲で何遍となく繰返して居るのが聞こえた。それからしばらくすると、急に家中がしんとして、大風の後のやうな靜穩が此の山腹全體を支配するやうに感ぜられた。一時間前の伊香保とは丸で別な伊香保が出現したやうに思はれた。三階の廊下から見上げた山腹の各旅館の、明るく灯のともつた室々の障子の列が上へ上へと暗い夜空の上に累積してゐ光景は、龍宮城のやうに、蜃氣樓のやうに、又ニユーヨークの摩天樓街のやうにも思はれた。晝間は出入の織るやうに忙がしかつた各旅館の玄關にも今は殆ど人氣が見えず、野良犬がそこらをうろ/\して居るのが見えた。

 團體の爲に一時小さな室に追ひやられた埋合せに、今度はがらあきになつた三階の一番廣く見晴らしのいゝ上等の室に移され、地面迄數へると五階の窓下を、淙々として流れる溪流の水音と、窓外の高杉の梢にしみ入る山雨の音を聞きながら此處へ來てはじめての安らかな眠りに落ちて行つた。

 翌日も雨は止んだが空は晴れさうもなかつた。霧が湧いたり消えたりして、山腹から山麓へかけての景色を取換へ取換へ迅速に樣々に變化させる。世にも美しい天工の紙芝居である。一寸青空が顏を出したと思ふと又降出す。

 とある宿屋の前の崖にコンクリート道路と同平面のテラスを造り其の下の空間を物置にして居るのがあるのは思ひ付きである。此の近代設備の脚下の道傍に古い石地藏が赤い涎掛けをして、さうして雨曝しになつて小さく鎭座して居るのが奇觀である。此處らに未だ家も何もなかつた昔から此の地藏尊は此の山腹の小道の傍に立つて居て、さうして次第に開ける此の町の發展を見守つて來たであらうが、物を云はぬから聞いて見る譯にも行かない。

 晝飯をすませて、そろ/\歸る支度にかゝる頃から空が次第に明るくなつて來て、やがて雲が破れ、東の谷間に虹の橋が懸つた。

 歸りのバスが澁川に近づく頃、同乘の兎も角も知識階級らしい四人連の紳士が「耳がガーンとした」とか「欠伸をしたらやつと直つた」とか云つたやうな話をして居る。山を下つて氣壓が變る爲に鼓膜の壓迫されたことを云つて居るらしい。唾を飮み込めば直るといふことを知らないと見える。小學校や中學校でこのやうな科學的常識を教はらなかつたものと思はれる。學校の教育でも時には要らぬ事を教へて要ることを教へるのを忘れて居る場合があるのかも知れない。尤も教へても教へ方が惡いか、教はる方の心掛けが惡ければ教へないのも同じになる譯ではある。

 上野へついて地下室の大阪料理で夕食を食つた。土瓶むしの土瓶のつるを持ち上げると土瓶が横に傾いて汁がこぼれた。土瓶の耳の幅が廣過ぎるのである。此處にも簡單な物理學が考慮の外に置かれてゐるのであつた。どうして、かう「科學」といふものが我が文化日本で嫌はれ敬遠されるかゞ不思議である

 雨の爲に榛名湖は見られなかつたが、併し雨のおかげでからだの休養が出來た。讀まず、書かず、電話が掛からず、手紙が來ず、人に會はずの三日間で頭の疲れが直り、從つて胃の苦情もいくらか減つたやうである。その上に、宿屋階段の連續的足音の奇現象を觀察することの出來たのは思はぬ拾ひものであつた。

 温泉には三度しかはひらなかつた。湯は黄色く濁つてゐて、それに少しぬるくて餘り氣持がよくなかつた。その上に階段を五つも下りて又上がらなければならなかつた。温泉場と階段はとかくつきものである温泉場へ來たからには義理にも度々温泉に浴しなければならないといふ譯もないが、すこしすまなかつたやうな氣がする。

 他の温泉でもさうであるが、浴槽に浸つて居ると、槽外の流しでからだを洗つて居る浴客がざあつと溜め桶の水を肩からあびる。そのしぶきが散つて此方の頭上に降りかゝるのはそれ程潔癖でないつもりの自分にも餘り愉快でない。此れも矢張り宿屋蓄音機を持ち込み、宿屋東京音頭を踊る Permalink | 記事への反応(0) | 18:19

2025-10-23

この人物はフィクションに何を求め、どんな原理的理由で悩む事になってしまったのでしょうか❓️

ChatGPT:

INSIGHT ANALYSIS: 表象真正性パラドックス

女性主人公を描けない」創作者の原理ジレンマ
Core Observation

この投稿者は、フィクション創作において「経験真正性」と「想像自由」の矛盾に直面し、表象行為のもの正当性疑問視するに至っている。彼が求めているのは「女性を正しく描く方法」ではなく、「自分女性を描く権利があるかどうかの確証である

PRIMARY INSIGHT: 批判理論分析 (Mode E)
イデオロギー構造解体

この投稿者の悩みは、表面的には「技術問題」(どう描くか)に見えるが、実際にはアイデンティティ政治内面化が生み出した認識論危機である

内面化されたイデオロギー的前提:

前提1: 「経験所有権教義

経験していないもの理解できない」

理解できないものは描けない/描くべきでない」

「描く資格がない」

この論理は、2010年代以降の「文化的専有(Cultural Appropriation)」批判や「当事者性」の政治から派生した規範を、創作者が自己検閲として内面化したものである

前提2: 本質主義への逆説的回帰

投稿者思考:

女性には『女心』という本質がある」

男性はそれを原理的に理解できない」

「したがって男性が描く女性キャラは偽物である

皮肉なことに、これは1980-90年代ジェンダー理論批判した本質主義のものであるしかし今回は「進歩的」「配慮的」な動機から再導入されている。

前提3: フィクション機能についての混乱

投稿者混同しているもの:

彼は「女性を正確に描く技術」を求めているようだが、実際に求めているのは「女性を描くことへの道徳的許可である

生産矛盾発見

この投稿者の悩みは、以下の矛盾体現している:

矛盾1: 想像力の否定

矛盾2: 「女性意見」の物象化

彼の思考プロセス:

女性スタッフがいれば『それはねーわw』と言ってくれる」

しかし:「それが女性としての意見個人意見か分からない」

問題の核心:「女性意見」を本質化しつつ、その多様性にも気づいている

これは本質主義自己矛盾である。「女性」というカテゴリー本質があると仮定しつつ、実際の女性たちの多様性に直面して混乱している。

矛盾3: 表象不可能性と表象必要性

イデオロギー批判: 何が隠蔽されているか

隠蔽1: 「正しい女性像」の不在

投稿者は「正しい女性の描き方」があると仮定しているが、これは幻想である。「女性」は単一経験実体ではなく、歴史的文化的個人的に多様な存在様態である

士郎正宗のデュナンを「中身は男性」と断じるが、これは以下を前提としている:

しかしこの論理は、女性規範に押し込める本質主義のものである

隠蔽2: 共感想像力の否定

生理経験していないから分からない」という論理は、人間相互理解可能性そのものへの懐疑に至る。

この論理を徹底すれば:

隠蔽3: 権力非対称性の過剰補正

この悩みの背景には、歴史的男性女性対象化・道具化してきたことへの罪悪感がある。しかし、その補正として採用された「描かない/描けない」という態度は:

歴史的問題:

男性による女性対象化・ステレオタイプ

過剰補正:

男性女性を描くべきでない/描けない

帰結:

女性キャラクターの不在、あるいは男性創作自己検閲

これは抑圧への対抗が新たな制約を生み出すという典型的パターンである

自己検閲メカニズム

投稿者作動しているのは、内面化された監視装置である:

創作衝動

内なる検閲官:「お前は女性理解していない」

自己正当化の試み(少女漫画を読む、等)

内なる検閲官:「それでも不十分だ」「個人差と本質区別がつかない」

麻痺創作不能

この検閲官は、以下のイデオロギーの混成物である:

SECONDARY PERSPECTIVES
系譜学的補足 (Mode C)

この「悩み」の歴史的構築

この種の創作自己懐疑は、歴史的に新しい現象である

第1段階 (1970年代以前)

第2段階 (1980-2000年代)

第3段階 (2010年代-)

第4段階 (2020年代)

投稿者は、この第4段階の症例である。彼の悩みは個人的なものではなく、言説空間の変容が生み出した構造効果である

現象学的補足 (Mode D)

創作主体存在論的不安

投稿者経験しているのは、単なる技術的困難ではなく、創作主体としての自己正当性への根源的懐疑である

彼の実存的問い:

この問いの背景にあるのは、近代主体危機である:

投稿者は、この理解可能性と不可能性の間の宙吊り状態にある。

SYNTHESIS: 深層パターン
この現象が明らかにするもの

1. アイデンティティ政治の逆説的帰結

アイデンティティ政治は、周縁化された集団の声を中心化しようとした。しかしその論理個人創作実践適用すると:

目的: 多様な声の表象

手段: 「当事者」による表象特権

逆説的帰結: 非当事者沈黙自己検閲

最終的効果: 表象貧困化・想像力の収縮

2. 本質主義の「進歩的回帰

20世紀後半のジェンダー理論本質主義解体した。しか21世紀に、配慮正義包摂の名において本質主義が再導入されている。

投稿者無意識のうちに:

これは解放の言説が抑圧の論理に転化するという、イデオロギー古典的矛盾である

3. フィクション存在論的危機

この悩みは、フィクション根本機能経験していないことを想像表現する—への懐疑に至っている。

フィクション可能性条件:

投稿者ジレンマは、これらすべてを疑問視している。これはフィクション自体正当性危機である

4. 文化における「不安の伝染」

投稿者不安は、個人心理ではなく、言説空間の変容が生み出した構造効果である

SNS時代の特徴:

投稿者は誰にも批判されていないのに、架空批判者を内面化している。

IMPLICATIONS
この個別事例が示す普遍的問題

創作実践について:

投稿者技術的助言を求めているように見えるが、実際に必要なのは認識論的・存在論的再定位である:

1. 本質主義から離脱: 「女性」は単一経験実体ではない

2. 想像力の復権: 経験していないことを想像できるのがフィクション本質

3. 完璧主義放棄: 「完全に正しい表象」は不可能であり不要

4. 対話としての創作: 表象は完結した真理ではなく、継続的対話の一部

より広い文化的含意:

この事例は、以下の社会的緊張を体現している:

極1: 無自覚特権と抑圧的表象

極2: 過剰な自己検閲表現麻痺

健全文化的実践は、この両極の間のどこかにある:

歴史的瞬間について:

我々は「誰が何を語れるか」という問いが過剰に中心化された時代にいる。これは必要矯正でもあったが、新たな問題も生み出している。

次の段階として必要なのは:

INSIGHT CRYSTALLIZED

この投稿者は、フィクションに「経験真正性」と「道徳的正当性」を同時に求めることで、創作行為のもの可能性条件—想像力による他者への跳躍—を否定するに至っている。彼の悩みは個人的なものではなく、アイデンティティ政治論理内面化した結果生じる構造効果である

言い換えれば:

彼は「女性をどう描くか」ではなく「自分女性を描いてよいのか」という存在論的問いに囚われており、この問いは—その形式自体が—本質主義的前提と想像力への不信を含んでいるため、原理的に解決不能である

So what?:

この事例は、配慮正義の言説が、意図せず表現自由想像力を収縮させうることを示している。文化の活力には、不完全さを恐れずに境界を越えて想像し、その試みを通じて対話を重ねる実践必要である

PUNCHLINE:

彼が本当に恐れているのは「女性を間違って描くこと」ではなく、「女性を描くこと自体僭越である」と判定されることであるしかしこの恐怖は、最も抑圧的な本質主義—男女は相互理解不可能という観念—を再生産している。解放の言説が、最も因習的な性別二元論を復活させるという究極の皮肉がここにある。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん