はてなキーワード: 大家族とは
母はいつも台所のシンクに洗い物を溜めていた。「浸しておいたほうが汚れが落ちやすいから」「一度に洗ったほうが効率的だから」みたいなことを言うのだが、それは調理用の流しと洗い場が別々の、店舗の厨房みたいな条件下の話だ。
流しが一つしかないのにそこに汚れ物を詰め込んでいったら作業効率は落ちるしリセットの労力も跳ね上がる。
以外に正しい運用法はない。
大家族でもなければ食洗機は必要無い。(というか母みたいなアホは食洗機も使いこなせないだろう)
シンクがパンパンでどうしようもなくなると、専業主婦の母は父や息子たちにバチギレして「自分ばかりが家事をさせられている」「せめて洗い物ぐらいしたらどうなのか」と叱咤してどうにかさせていた。
「溜めずに、使ったそばから洗えば何でもないのにな〜」というのは後年自分で発見したことで、幼い子供の頃は母の言う通り家事は苦行であり母は偉大なのだと思っていた。
〜〜〜
「夫の家事参加」みたいな文脈で「料理は妻」「片付けは夫」で分担してますというパターンがある。
だからそれ洗い場が別の厨房じゃないと意味ないって。洗い物は調理の一部なんだから。「溜める口実」でしかない。
自転車整備で「ネジ緩めるのはボク、締めるのはあなた」というくらい無駄な分業である。なんでそんな非効率なことをするかというと、作業効率以外の目的があるからだ。
シンクの正しい運用がはっきりイメージできてなくて「洗い物はアホでもできる純粋な苦行」と思っていて、そこを引き受けることで主婦のご機嫌取りをするのが真の目的という構図である。かつての我が家のような。
●借金返済(整理済み)
●通信とかで短大の資格取得(中卒だけど高認取れた!でも学歴的には中卒になってしまうからせめて短大とかの学歴にしたい)
ヘビースモーカーな母親がいて、小児喘息を患っていた自分は悪化し休みがち→いじめられ勉強もついていけず→でかい気管の病気…となり不登校で中卒になってしまった
仕事が続かなくて何度も自暴自棄になり、それでも頑張りたくてがむしゃらに頑張った
でも今年で払い終える予定 弁護士さんと色々やり取りして、負担を軽くしてもらった
が、まだまだ問題は山積みなんだ
親とは完全に疎遠で兄弟ともほとんど連絡とってない どうせ連絡くるときは金の無心だから
正社員になりたい 未来が怖いから 学が無いなりに現場とかで体使って働けたら良いけど、未だに気管が弱くあまり動けないためパソコンカタカタ系しかできない 男のくせに情けない
転職活動したけど、やっぱり学歴が引っかかる だからとりあえず高卒認定を取った
恥ずかしながら3度目でようやく全ての科目に合格した
今まで勉強したことなかったから新鮮だった 受かって正直めちゃくちゃ嬉しい 自分でもできるんだ、って
でもまだまだやることがある
とりあえずお金が無い
いまのところ、学歴を手に入れたら転職、くるまがない時は自転車とかで頑張ろうとしてるけど道のりが長すぎて
納得感のある説明だ。おれはAIは「知ったかぶりの物知り」ととらえてる。
ある部分では正確で、ある部分では知ったかぶりだから。でも数か月単位で「前にできなかったこれが、出来るようになってる!」という驚きも続いてる。
だから「現状のAIが全然使い物にならないのは」の増田の、「AIの現状は驚くべきものではない」とでも言いたげな感じ、それはどうかなと思う。
2022年のChatGPTからやっぱりすごくて、それまでは「天才夫婦が子どもを教育するときに系統立ったやり方をしてもうまく行かなかった」けど、「大家族が子どもをほって置いたらすごい子になった」的なとこがおもしろいな~!と思った。
当時のご飯は、現在のように炊飯器で保温する術がありませんでした。大きな茶碗にご飯を盛ると、食べきるまでに冷めてしまいます。
小分けにして食べることで、その都度温かいご飯を盛ってもらうか、おひつから盛ることで、ご飯が冷めるのを防ぐことができました。
大家族や共同生活では、各自が同じ茶碗を使うことも多かったでしょう。小分けにすることで、一度に大量のご飯を盛り付けるよりも衛生的であり、またご飯が残ることを防ぐことができます。
ご飯を炊く側も、一度に大量に盛り付けるよりも、少しずつ提供する方が手間がかかりません。
一口ずつ、大切に食べるという食事作法が根付いていました。小さい茶碗に少量ずつ盛ることで、ゆっくりと食事を味わうことを促していたのです。
また、器の美しさや盛り付けの工夫も重視されていた時代です。小さい茶碗にきれいに盛り付けることで、視覚的な楽しみも提供されました。
庶民にとって、ご飯は貴重な食料でした。一度に大量に盛ることは、贅沢とみなされる風潮がありました。
これらの要因が複合的に作用し、江戸時代の日本人が小さい茶碗で食事をしていました。現代の「大盛り」という概念とは異なる、当時の生活様式や食文化が反映されていると言えるでしょう。
[2023/11/12(日) 14:23:45 ID:FGHjk12Z0
自分で選んだ道だろ?しっかりやれよ。
3人くらいで音を上げてるなら、世の中の大家族の親たちはどうしてんだよw
もう少し工夫しろよ。
3 :クッキングパパ:
4 :いやいやさん:
お前だけしんどいわけじゃないからな。みんなやってることだぞ。
疲れたら外食に逃げてもいいんじゃね?でもそれじゃあまり育たないか。
片付けるのが面倒なら、子どもに手伝わせろよ。
味噌汁ってそんなに大変か?
インスタントで済ませる手もあるだろ。
料理なんて、怠けてるとすぐ手抜き癖つくぞ。
気合い入れなおせ。
8 :名無しさん@家庭板:
大変なのはわかるけどな、他の人も言ってるように要領悪すぎだろ。
毎日同じこと繰り返してるなら、逆に慣れろよw
工夫が足りんのよ、工夫が。
しんどいなら減らせ、って言いたいけどな。
ずっとAndroidを持たされてきた。
家は個人営業の飲食店で、角田光代の「ツリーハウス」って小説があって、ちょうとあんな感じ。兄妹は多く、祖父母も居るし、居候みたいな親戚も居て、大家族だった。狭い家にたくさんの家族と、ボロい車。個室なんてもちろん無い。子供ながらに、僕の家は貧乏なんだと思っていた。自営業の子供あるあるだと思うけど、両親が毎日くたくたになるまで苦労して働いている姿を見ているので、何かを買ってもらえないとゴネることはなかった。
初めてスマホを買ってもらったのは、中学3年生の頃。塾に行くのに連絡用にスマホが必要という実用的な理由だった。iPhoneとかAndroidとかそんな希望なんて聞かれなかった。父が買ったのはブコメでバカにされてた「OPPO」。多分2万円くらいのものだと思う。それでも自分がスマホ持てるなんて思わなかったから嬉しかった。何かを調べるのも、音楽を聞くのも、ゲームをするのもこれ一つ。人生の友達だった。
親からは、高校は公立にしてほしいと言われていた。弟や妹のことを思えば、言われなくても分かっていた。地元の県立校に進学。クラスの9割位はiPhoneだったと思う。それでハブられたりいじめられたりしたことは無いと断言できる。
でも、なんとなく「iPhoneを買ってもらえなかった人」と見られているのではないか、貧乏な家と思われているのではないか、という引け目がこちら側にあった。iPhoneのほうがすっと優れたスマホという認識が周囲には厳然とあって、劣ったものを持たされている感覚。いじめられるというより、僕がその意識から解放されなかった。iPhoneは高級感があって写真もパリッとして綺麗だった。OPPOはいかにも安物で、あまり自分のスマホを見られたくなかった。写真の交換のときにエアドロを使えなくて、iPhoneの友達に自分だけLINEで送ってもらう。当たり前にみんなそうやってくれたが、そのほんの些細なことが嫌だった。
大学は地元の国立大学に進学。そこで夏休みにバイトしまくって、ずっと欲しかったiPhoneをアップルストアで買った。友だちが持っていた三眼カメラのが欲しかったので、20万円近くした。やっとマトモなスマホを持てたと思った。MNPすればもっと安く手に入れられたのはわかっている。でも親の回線(マイネオ)を使わせてもらっていたから、回線そのままで買ったほうが良いと思った。4年前のOPPOと最新のiPhoneでは優劣は明らかだった。写真は素晴らしくきれいで、ストレージは使い切れないくらいあって、動作はキビキビしていた。OPPOでは出来なかったゲームもできた。とにかく、嬉しかった。
しかし、格段にすごいとか圧倒的によいとまでは思わなかった。それより、OPPOの良さもわかってきた。なにしろ、僕が買ったiPhoneの十分の一くらいの値段で、画面は大きくて軽かったし、iPhoneでできることはほとんどOPPOでもできたのだ。OPPOは頑張ってたんだなと思う。高校生の自分にはどう考えてもこれで十分だった。そして、その十倍の値段のするiPhoneが、値段に見合う価値があるとは、少なくとも自分には思えなかった。
iPhoneじゃなくて、そこそこ安いAndroidにして、余ったお金で、親を旅行に連れて行ったり、弟や妹のスマホを買ってあげても良かったかな、と思う。OPPOよ、ありがとう。そして、みんなが胸を張ってそれぞれの事情にあったスマホが使える世の中になりますように。