はてなキーワード: 敷延とは
物件買った中国人大家が家賃2.5倍請求、突っぱねたらEV停止の嫌がらせというニュース。
【独自】突然“家賃2.5倍”・エレベーター使用停止…「全部屋19万円に」住民怒り約4割が退去 背景に“違法民泊”か?|FNNプライムオンライン
https://www.fnn.jp/articles/-/880990
これに「安全保障問題だ」と吹き上がっているコメが沢山あるのだが、はてな大丈夫なのか?民事紛争に決まってるだろ。
民事紛争の火の粉被ったら自分で払うか集団で戦うか、プロに委任するかして、いずれにしろ戦うしかない。当たり前だな。だが最初から国家の存亡と同一視してる。そういうコメントを公然書いて馬鹿呼ばわりされる恐れを抱いていない。はてなは安全と見られているのだ。
こういうのってネットではよく見られて、私的に戦ってる相手がとてつもない巨悪に見えてしまう。
以前なら匿名掲示板で企業の悪口書いてるのをその会社の人間が見ていると考えたり。
0年代だとネオリベラリズムが流行ったが、その支持の理由が「戦後の日本は社会主義だったので資本主義にしなければならない」という歴史的使命感であったり。この「共産主義との闘い」は表現規制問題でも見られるよな。
韓国芸能の流行が電通の仕業と考えたり。国際関係を地政学と言ったり。
こういうのって昔は左の専売特許だったわけよ。自分に湧きおこる不遇は何でも人権問題から考えたり。世界情勢をオイルメジャーが操縦していると考えたり。
要するに世界を覆う大きなもの→小さい問題への敷延という思考回路なのだが、これが実存によって駆動されている。若者のモラトリアム期間が長い現代ではそうなってしまう。経験の獲得よりも実存の肥大の方が先行するから。但しこれでは各問題への具体的対処方法が無い。
一方、大人になるといろんな経験の集合→大きい問題という思考回路になる。各問題の具体的対処方を獲得しているから大きな建前に縋る必要性が少なくなる。そうしなくても自我が傷つかない。
こういうわけなんで昔は朝日新聞なんかは「女子供の新聞」と揶揄されていたりした。就業する女性が少なかった故もあって大きい建前と「学校」的建前が多いという批判だ。
今じゃこれは完全にひっくり返っていて民事紛争→安全保障とかの噴飯ものの言葉が飛び交うようになっている。国家の存亡と関係ないだろ。
0年代ネオリベの「資本主義化テーゼ」を信じているやつは実際の商行為や民事的関係が全然分かっていなかった。「消毒しましょ」という罵倒系ブロガーがそいつらに簿記の基礎を示していたら「ムムムこれは会社会計」とか言っていた。違うよ。簿記知らねーで資本主義論じてんなよ。
つまり資本主義社会を泳ぐ能力を一切身に付けずに歴史的指名という大きなものから演繹する世界観でいたのだ。
本件もそうで、民事紛争なんだからまず必要なのは民法の知識なんだよ。
具体的には法務局に行って家賃供託しろ。周りの住民とも結託しろ。もしも大家が国外にいる場合、家賃を受け取るには日本まで来る必要がある。大家がおかしな事やり出したら供託。
多分だが、相手が何人であれ共産党の役回りになるのではないかと思われ。民事なので議員の出番は無さそうだが弁護士と繋いでくれるかもしれない。
よく小さい町工場で共産党のポスター貼ってあるところあるじゃん?ああいう零細自営って昔は自民党の票田だった。だが90年代にその票田を捨ててしまった上に金融システムからもパージを受けるようになったそれらを貸し渋り対策やらなんやらで共産党が面倒見て支持乗換えさせたんだな。自民の票田転ばせるには実務に長けて経営を理解してないと無理。上辺だけの同情じゃ転んでくれないってこと。
俺は別に共産党の回しモンじゃないから弁護士の当てがあるならその先生に頼めばいい。だが少額事件でフットワーク軽くて報酬も勉強してくれるっていう先生を見つけるのは結構難しいんでね。
あと腐れないように退去するという手もあるが、弁護士を通せば立ち退き料100万なんて軽い。だがそれもちゃんと争わずに転がり込むものではない。
「民泊を取締る区が捕まえないのがおかしい」というコメもあるが、区が行使するのって行政権だぞ。旅館業法には刑事罰もあるがそれは警察に告発という形になるしそうなるケースは少ない。
社会に出る前は善悪で考えるので法と言ったら刑事だが、仕事を始めると専ら民事と行政権だけになる。なのに民事は国家防衛と同一視されている上に行政権行使が刑罰と同一視されている訳で、こういうのが跋扈できる言論空間と言うのは相当ヤバい。あたオカ空間だ。
あとこの手のトラブルでよくある誤解は居住権が人権だと考えることだ。だが居住権は貸借人の権利を大きくする民事的権利なのだ。だから相手が吹っ掛けて来た場合は民事で戦わないと実現できない。その強力な権利は約定賃借料を払ってさえいれば保持されるのでまずは供託なのだ。
日本に住んでいて外人にトラブル仕掛けられ、それが法的なものであればこっちが絶対に有利に決まっている。相手が無茶すりゃするほど墓穴を掘るチャンスが増える。
人を刺したり斬ったり穴に落としたりする訓練しないで国防問題だ!とか間抜けに吠えるのは止めたらどうか。はてなは消毒とか居なくなって安全になりすぎたのではないか?
河野太郎が、「年末調整を廃止して全納税者が確定申告する税制にする」とXで宣言して炎上や賛同やらされている問題。これはずっと以前から理想的な税制として語られてきたもので、別に太郎が急に閃いた事ではない。
https://x.com/konotarogomame/status/1830737429361504665/photo/1
https://nordot.app/1203999108206085074
元々はGHQが戦前の日本の旧弊で反民主的な税制を是正せんとした税制改造(シャウプ勧告)に端を発する。つまりは民主的税制案である。
戦前の日本では納税単位がイエ単位であったり、戦時増税として物品税が多く設定されている為に市場じゃなくて個人売買した方がお得とか、税務署自体もやたら威張っているなどの問題があった。イエ単位の納税は個人がイエに縛られている事を前提とするので反自由、反民主的であり、会社員世帯が税額の面で不利になる。戦前は資本主義が未発達で会社員は限られたエリート的な身分だったが、これが大衆化して給与も下がったら不公平は看過しえないものになる。また地方自治体の税収源が少なすぎる為にを国家中央が握る地方交付金に依存しすぎているのがファシズムの浸透の原因にもなった。
こういう判断でアメリカ型の税制の更に理想的な形を日本で施行して、根幹から民主的資本主義国家の骨格を持たせようとした。
それで導入されたのが、法人税、青色申告と複式簿記、固定資産税などだ。戦前では土地の税金は地租、家屋の税金は家屋税で、共に国税であった。これを廃止して地方税の固定資産税として納税先は自治体となった。
で、問題の源泉徴収、年末調整だが、これも廃止して個人の確定申告にする事がシャウプ勧告に入っていた。だが困難という事で見送りされてしまったのである。
それはまず取りっぱぐれの問題。税務署も会社を押さえておけば効率的に所得税は見逃しなく徴税出来るが、社員個人の確定申告のみとしたらバックれる奴が出てくるに決まってるし確認作業も大変だ。
もう一つは社員が確定申告に来るのが大変だという問題。確定申告の為には一日休まなきゃならない。そして税務署で延々並んで…というのをやらないといけない。当時産業が殆ど吹っ飛んでしまって生きるのも大変な時期に金を払う為に一日休めるか、会社も社員がごっそり来ないという状態を是認できるか。
こういう反対意見に押し切られて天引きの源泉徴収と年末調整のままになってしまった。
シャウプ勧告には有ったのに見送られてしまった総確定申告制だが、その後も理想的税制として導入を訴える声はあった。
それはまず、太郎も言っているが税の仕組みが判るようになり、使われ方にも分解能が上がるだろうという事。
ブクマページなどでは「この機会に簡素化して控除も無くそう」みたいな事言ってる人がいるが、逆だよ逆。どういう行動の支出に控除があるのか、自分はどの控除が掛かっているのかという事を知る事が出来る。「控除も無くそう」というのは天引き以外の納税を知らない意見だ。「所得税」の欄の数字が所得額から単純に出てると思ってる。だがこの数字は会社が控除額を計算して算出しているのだ。
控除がどこに掛かるかを知れば、現在の国が不公平を是正する為に会社員のどこの負担を認めて差っ引いているかが判るようになる。
もう一つは利害の誘導。国がどのような行動をして欲しいか、というのが控除に現れる。マイホームを買ってローンを組んで欲しいか(見かけ上通貨流通量の増加→インフレ)、子供を産み育てて欲しいかなどだ。これは法人税や青色申告だともっと鮮明に意図が見える。
今までは確定申告の為に一日休んで税務署に行くというのが負担だった。年度内で転職したのに確定申告に行かない(行けば取り過ぎ分還付されるのに)人も多かった。
でも電子納税なら夜でも出来るし時間も掛からない。税務署で並ぶ必要もない。負担にならないのだ。テック万歳である。
という事は増田は太郎の意見に賛同していると思うじゃん?残念だが反対なのだ。
としている。だが「所得情報を迅速に把握」と「ピンポイントでプッシュ型支援」は繋がるのだろうか?
この二つは別の問題じゃないのか?
更に現在でも源泉徴収の為に社員のマイナンバーは必須となっている。総確定申告化で何か変化があるのか?何もない。
因みに自治体によっては低所得者向けに交通チケットや給付金、買い物券などの支援をやっている。現在でも納税額を見てプッシュ型でそれら申込書を送ったりしている。「ピンポイントでプッシュ型支援」されているのだ。
但し地方自治体が所得額を把握するには、国税が所得税確定→それを基に自治体が住民税確定と段階を踏むので、時期は6月辺りになる。太郎はそれを前提に「所得情報を迅速に把握」としたのだろうが、白色申告時期の3月から3か月程度でしかない。この文章を読んで「たった3か月じゃん」と思えないのはダメである。
だが問題は何故こういう力点と作用点が違う事象を言っているのに通ってしまうかという事である。
日本でのネオリベ流行には特徴があり、支持者に経済音痴が大変多い。商取引での慣行や法制度、更には経済事件は非破廉恥罪で社会の善悪感情と異なるという常識すらない者が多い。
また「メンバーシップ型会社から自由な」個人を謳っているくせに経済事象を給与所得者の延長で考える事が多い。多いというか専らだ。つまりはB層の問題だ。
賛同する政策というのは何かを壊す(入力)というものが多く、その結果は任意の好ましいものになる(出力)という根拠がないものだ。
例えば郵便局を株式会社化して上場させるという入力に、サービス向上という出力が発生すると素朴に考える。だが普通に考えれば配当が欲しい株主が離島や過疎地でのユニバーサルサービス継続に賛成する筈がないよなぁ。
また、賃貸の家賃を安くする(出力)為に土地建物の相続を廃止(入力)して不動産会社が取得すべきという意見も見られた。これは既得権益者の地主などにも諭されていたが、物件取得費を家賃で回収する必要があるから安い物件なんて無くなるわなぁ。
太郎が今言ってる解雇自由化(入力)で雇用流動性という出力が得られる論も同じで、入力と出力が結びついていない。それを結びつけるのにはどうするか?という設問が出ない言論空間をアテにしているのだな。
こういうややこしい社会制度を解体したら望ましく自分が得する結果になる筈!というのは90年代まではリベラルがやっていた。自分が抑圧されているのは社会のせいだ、と。また海外出羽守も同じことを言っていた。
2000年以後になるとリベラルは退潮し、代わりにネオリベが流行した。これは市場を喰われたって事である。
だが実際に導入されてみるとこんな考えだったB層達は解放されず、勝者はノウハウを集積出来る法人であった。
また単に市場をシュリンクさせ余剰を無くして全体の賃金を縮小させデフレを進行させただけだった。日本からはGAFAMは現れず、Ankerも現れず、3Dプリンタなどの新しい技術を売る会社に日本企業の名はない。成長してLGサムソンになる会社もいなかった。
これらが出来なくなる基盤だけを提供したのである。日本のネオリベと米韓のそれは性質が違うのだ。
ところがそんな入力と出力の間を繋げる努力も無しに任意の入力すれば任意の出力が得られると言って憚らない連中は残存している。彼らが持つ社会へのルサンチマンが入力と出力の必然性を彼等の中で担保しているのである。
今回の太郎の表明に「複雑な税制が無くなって控除が廃止される事」を望んでいる意見が寄せられているのがその証拠である。天引きサラリーマンから見たら控除の必要性なんて判らない。それでそれを敷延して判り易い世界が来る事を期待してしまうのだ。もうこういう支持のされ方をする政治家は落とした方がいいだろう。
太郎はかなり面白い来歴の人物だ。Wikipediaにもあるがアメリカの大学で政治学を学んでいるしその途中でポーランドに留学している。その間に後に初代ポーランド大統領になったワレサ「連帯」議長を訪ねている。当時はまだゴルバチョフのペレストロイアの前で、連帯は反体制運動と見做されていて太郎も公安警察にしょっ引かれている。
連帯は自由主義寄りだったユーゴスラビアの自主労組のような組織で、共産党独裁が前提のソ連勢力圏では「修正主義」と見なされて弾圧されていた。だが後の東欧の自由化の先陣を切った運動であった。
その連帯のワレサ議長に、ゴルバチョフ以前に会いに行くというのはすごい行動力だ。筋金入りのリベラルといっていい。
だがこういうリベラルが保守側に転向した際に最悪となるエピソードというのは多い。一番判り易いのがアメリカのネオコンサバティブで、その中心人物はスターリンに左翼偏向と詰られたトロツキストだった。
『国益』誌でソ連崩壊をアメリカ的民主体制の勝利(歴史の終わり)とする一派を押しのけて軍拡競争の為と総括した連中が911の衝撃に乗じて共和党内の穏健派を追い出し、宗教右派と手を組んで共和党ジャックしてしまった。その結果イラク戦争を起こし、イラク国内を平定出来ずにISISの活動を許し、中東を戦乱の渦に巻き込んでしまった。責任を問われて失脚し、穏健派をパージしていたので今の共和党は宗教右派と陰謀論のトランピアンに乗っ取られた、アメリカの覇権の内なる脅威みたいなもんになっている。
太郎の場合も実効性や結果のフィードバックを取り込んで行動していない。設計→実行→修正の行政組織の行動葎を取り込まずに、設計しっぱなしなのだ。イージス・アショア配備で断念する旨の報道が出たのに「自分は知らないから誤報」と言って後で泣き言言っていたのを覚えているだろうか?防衛省内の報連相サイクルからパージされていたという事だ。
ワクチン担当でも残数ショートで産業医接種を突然停止させ、その余波で通常の大規模接種も長く停止してしまったのに、それは外部の問題だと言って憚らなかった。自分の行動が及ぼす影響を考えず、自分の設計は正しいと言うだけだった。
Xのブロック問題も初めは「変なネトウヨ」(本人談)をブロックしていただけだった。紅の傭兵の息子だから中国のスパイだろお前は、的なものを相手にする必要はない。だが入閣後は自分の行為を評価している人全てブロックになって、マスコミの質問もブロック、となるとただ設計があるだけで、それが適切な出力となって社会に作用するか?という事を問われる環境に居た事が無い。
そうすると源泉徴収年末調整廃止と総確定申告化が如何にシャウプ勧告に基づき、ずっと議論されてきた理がある方策だとしても反対するしかない。
しかもこれが「ピンポイントのプッシュ型支援に繋がる」と、入力とまるで関係がない出力が得られる、と言っていれば猶更だ。これは20年遅れのB層に設計しっぱなしの政治家が語っているというだけの下らん話である。それは騙しがデフォルトのコミュニケーションをしているだけに過ぎないのである。
元記事は証拠や語録収集に寄っていて落としている悪行がかなりあるので尻馬に乗って勝手に付足し。
https://note.com/osamu_iga/n/nd17e78fe4a1b
国内で市中感染が始まった2020年2~3月の行政検査数は僅か数件~30件程度/日で帰国者以外の検査は拒否されていたので患者や掛かり付け医の検査拒否への嘆きがSNSで多く見られた。
ところが検査抑制論者のフォロワーは「検査要求=医療崩壊を企む悪人」と扇動されており、これら患者や医者を探し出しては炎上させるという事が繰り返されていた。
今では「不必要な検査の不要論だった」との誤魔化しが流行しているがだったらこれは何だったのか釈明せよ。
4月に国が「検査が少なすぎて問題」との認識を示すと彼等はバツが悪くなり「検査派が医療者を襲いそう」などと医療者を盾にしだした。
孫正義が検査難民の増加に答えて無料PCRセンターを作ると発表すると大炎上。
「検査キャパが低かったので抑制すべしと言った。検査そのものやキャパ拡大には反対していない」との誤魔化ししてる抑制派が多いが、だったらなぜキャパ拡大策に反対して炎上させたのか。釈明しろ。
「医療外部のPCRセンターじゃなくて検査会社を買収して規模を拡大、規模の経済で単価を下げるメインストリーム路線の方が良いですよ」検査キャパ拡大に賛成だが孫案に反対ならこういう提言であれば筋が通っている。だがそんな提言をする抑制派は居なかった。
PCRキャパ問題が現状でも大問題となっている為に忘れられているが、中国での流行初期は同クラスタは「新型コロナはインフルより死者が少ない」「エピカーブを緩くする感染で集団免疫を」という甘い見通しを流布していた。それで例えばはてなでもSIモデルを活用した全員感染なんていう意見が席巻していた。
だがこんな愚策が成り立つエビデンスなんて最初から全く無かった。中国の各病院は最初からその症状や死亡率、経過などを英語で発表しており関心がある医師はそれを読んでいた。何故なら英語版wikipedia等からリンクされていたから。ネットインフルエンサだけが読まなかったのだ。
各国がロックダウンするとその根拠は消え、彼らは総括なくその意見を捨て去った。だが彼らの一部は医局向けの業界誌などにも執筆しており、鵜呑みにして病院のニュースレターにコロナはただの風邪と書いてしまった医者も居る。良い赤っ恥だ。
彼らがこのただの風邪集団免疫論を捨てる直前の20年3月末に「言論カフェ」という集まりがあり、そこで三浦瑠璃、東浩紀、小林よしのりのB級インフルエンサがこのネットインフルエンサの意見を鵜呑みにして議論をした。この後に小林はSPA!上でコロナ風邪論を発表。発行部数がまあまあある雑誌なので「老人の命の為に若者が犠牲に」という扇動は影響を与えた。
直後にあった都知事選に国民主権党が出馬、ノーマスクキャンペーンなどを展開して後の反ワクチン論へを繋がっていった。
だからコロナ風邪論も反ワクチンムーブメントも元の種を撒いたのは抑制論クラスタなのである。
入院時の全数検査は重要で、市中感染での致死率は1~3%程度だが病棟でクラスターが発生すると2割を超える。戸田中央病院の例では患者148人が感染して31人が死んだ。2割強である。
これについても彼らは事前確立が低い検査は害悪として防疫反対の立場を取った。
特に悪質なのがBuzzfeedで、女子医大が医学生への全数検査を決定すると記事にしてバッシングした。メディカルディレクターの岩永がこの決定を知ったのは学生からのタレコミであろう。同誌のデマを信じた学生の歪んだ正義感がタレコミさせたと思われる。検査料が高い事を除いては妥当な決定だ。この時バッシングした大学には謝罪しなくていいのだろうか?
buzzfeedは偽陽性を根拠とする検査抑制論が間違っていた事をやっと認識すると「99%でも99.99999%でも議論は同じ」と間違いを認めない方向に舵を切った。
これに山本一郎が統計分野の人間バカにしてるのか、との動画を出す。メンツの為に防疫妨害を継続しているのが見え見えであるので当たり前だ。
するとピタッとその意見は引っ込めてしまう。古くからネットやってたら山本の炎上惹起力や面白おかしくネタにする能力は誰でも知っている。
だが批判者は誤認識やデマの流布が致命的な状況を作っているので批判していたのであって、それより炎上インフルエンサの方か怖いとはどういう倫理観なのか。
防疫の為に広く検査隔離が必要だとの意見に「逼迫した治療の必要のない者を検査しても意味がない」と、医療検査の意義で答えるというごはん論法を延々と続けている。防疫妨害の未必の故意がある。
検査は社会的隔離の為に行うが、これを検査しても隔離しないのだから意味がないと言う。こっちの方はただの児戯でしかない。
だがこれを延々と1年以上続けている。結果、家庭内感染が大量発生してしまっている。
PCR検査料が2万円であるので広域検査をする場合に2万円に回数を掛ける計算をして国費の無駄だと言う。
これはゼロ年代経済論的な考えで、10年前にネオリベが流行ったのは給与所得者の経済観を敷延して世界を説明した為だ。需要が増えると参入が増えて競争とスケールメリットで単価が下がるという観点が無い。
実際はプライマーは国産なら@1000円程度でありPCR機も直ぐに償還する。機械が500万で粗利@1000であれば5000回で償還となる。あとは利益だ。薬価が@10とか@30円である理由が判らないのだ。
タカラバイオは宝酒造の子会社だが、日本語で初心者向けPCRの解説や技師向けマニュアルを公開、製品単価も表示するなどしていて重宝するサイトを公開している。故に抑制派は「タカラバイオのサイトに書いてありますよ」とよく言われるのだが、一向に見に行かない。自分の間違いを認める為に努力するなんて出来ないのだ。職業人失格の態度だ。
更にタカラバイオの系列会社が中国にあるのを見つけて「同社は中国企業」と言い出す抑制派も現れた。
その精神も愚劣だが、製薬業界の仕組みを知らないのだ。創薬と製薬は分離されるのが製薬業の流れで、最初から全部ライセンス生産とすることで海外でも展開出来るし、途上国民も新薬の恩恵に与れる。技術も移転される。ベンチャーのモデルナがワクチンを大量に生産できるのもこのせいだし、中国で初期の治療にアビガンが使用されたのもこのせい。技術移転のおかげで世界がパンデミックにも強くなれる。
このような業界構造を知らない人間がフォロワーを沢山持ちインフルエンサーとして振舞っているのである。
まだまだまだまだまだあるのだが疲れたので誰か続き書いて。