はてなキーワード: トットとは
必ず、かの邪知暴虐のすき屋からネズミを除かなければならないと決意した。
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2025年某日、第47代アメリカ大統領ドナルド・トランプはお忍びで鳥取県を訪問していた。トットリは日本の首相であるシゲルの地元らしい。内閣総理大臣である石破茂は相互関税の交渉を行うため、地元にトランプを呼び、密談を計画したのである。
正直なところ、トランプはこの誘いに乗り気ではなかった。シゲルは友であるシンゾーの敵だという。
日本外務省の担当官がこの言わなければ、トランプがトットリを訪問することはなかったであろう。
トランプは資産家であるが、極めて庶民的な感覚を持つ男である。好きな食べ物はハンバーガー、愛車はフォードだ。その姿勢がラストベルトの貧しい国民の心に刺さり、彼は大統領の地位を手にした。
「おい、あれはマクドナルドか?」
鳥取県の幹線道路を走る大統領専用車の中で、トランプは秘書に尋ねる。国道沿いに赤と黄色の看板が見えたのだ。
「いえ、あれは『すき家』ですね」
「すき家?」
「はい、ギュウドンといわれる食べ物を提供するチェーン店です。」
「ギュウドン、とはなんだ?」
「ギュウドンは日本の代表的なファストフードで、ライスの上に牛肉が載っています。牛肉は主にアメリカ産が使われていますよ。」
トランプはファストフードに目がない。日本のファストフード、ハンバーガーとタコス以外にファストフードがあるのか?しかも米国産の牛肉を使っている、素晴らしい!
こうして、第47代アメリカ大統領ドナルド・トランプはすき家鳥取南吉方店に来店したのである。
トランプにとってそれはまさに異文化体験であった。見るものすべてが刺激に満ちていた。トランプは牛丼を堪能した。高森浩二のすき家Radioを聞き入った。これが日本のファストフードか・・・彼は幸せな気分になった、
必ず、かの邪知暴虐のすき屋からネズミを除かなければならないと決意した。
「大統領、会談の時間もありますので、そろそろ移動しましょう。料金は支払わなくてよいと、店員も言っておりますし、それで手打ちということで・・・。」
「ダメだ。料理を食べたのに料金を支払わなくては、あいつと同じだ。」
第46代大統領ジョー・バイデン、彼は4年前、すき家とは別の牛丼チェーン「松屋」で食い逃げをしたことで有名だ。大統領特権を使い、息子のハンター・バイデンの違法な銃所持の罪とともに、自身の食い逃げも恩赦したことで知られる。
トランプは店員が仕事をしていた厨房を見渡した。トランプにはすぐに分かった。この広さの厨房に、この量の客に、店員は一人だけ。調理器具は整頓されていないし、掃除は行き届いていない。トランプはただの消費者ではない。彼はファストフード店での職務経験があった。それも昔の話ではない、大統領選挙の期間中、彼はマクドナルドで働いていたのだ。そして彼は通商政策以外については有能だ、この店をどうすれば改善できるのか、それは手に取るようにわかる。
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ハテラボの登録名はNoralemontan、ノラレモンタン、になっていて変ですが、Tanを付けないと、当時のGoogleがなぜかアカウントをくれなかったからです。
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ここには、ユーチューブミックスリスト説明文の過去ログを溜めていたので、3つずつ載せて行きます。
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https://5502r4gengoka.seesaa.net/
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ブログ記事の中にも、ユーチューブミックスリストのリンクあります。
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ADHD(ADD)/ASDグレーゾーン Noralemon見た後のリスト
https://www.youtube.com/playlist?list=PL6rI5QtoBePzBZK17qNPaYJE9GcZ5pX3v
ここの説明文の過去ログを、ここに3本ずつ置いていきます。不定期です。1~2カ月に1~2回ぐらいにしようかと考えてます。
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ユーチューブに自動設定で付いている『後で見る』を公開しようか考えたことがきっかけで、やはり私が一度以上は見て、健全か、恐くないか心配事を確かめてからが良いだろうと考え、『見た後の』リストと名前を付けました。
通常は10本前後の動画と、説明文を入れ替え、入れ替えしているので、2本目のSNSのように利用しています。
無料、安全、難しい手続きなしで使えるらしいので。リストに載せたものの感想や連想や思い出や言いたいことを、書きまくった場所。
その説明文を、全部じゃないけどログを取っておきました。3本ずつ載せます。元の動画、URLがあるものも、無いものもあるけどごめんなさいね。
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40年前……? 野良の子どものときに本になって大ヒットしたエピソード本です。
それから朗読劇になって………てつこ女史がテレビでマスカラを滝のように流して泣いているのが記憶に残って…。私は人生で初めてマスカラという物体の存在を知って。
ドラマ化されて。
そしてアニメ映画化になった。
日本人、私の実家の親も入れてたくさんトットちゃん好きがいて、コンテンツ化されたら話題になって大勢が観る。
三代くらいに渡って語り継がれてるんじゃないだろうか?
結局、❝純粋な心の多動な子❞ って、気になって、気になって、気になって、たまらないのよ。なぜかそんな血が日本には流れてるんだと私は想像している。気になって、お世話したいし、可愛がりたいし、守ってあげたい血が流れてるんじゃないかと。
ここからは野良のものすごく適当な妄想だけど、日本人のADHD(の一部)は、ADHDのケがある人とASDのケがある人が気になる。愛憎どっちかは知らなーい。
ADD…不注意優勢…(の一部)も、自分と本能的に共通点を見出してしまいADHDのケがある人が気になる。ASDのケがある人のことは憧れる。正義の味方のような気がしてしまう。
この謎、だれか賢い人がもっと深く掘り下げて欲しくてねぇー。この願いがかなう日は来るんだろうか。どなたか賢い方お願いします。
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https://www.youtube.com/watch?v=Ba5pCrRmntM&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=103
https://www.youtube.com/watch?v=lU3NDm82xCI&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=104
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●「言語化」で本を出してTシャツもお作りになられたことで興味を持ち、登録した先生です。
ショートになるくらいとても簡潔で分かりやすい。野良のような「アスペ」にとっては方程式のような情報はとても助かるものなのです。
発達障害個人各自が、社会適応する現実の現場で頑張るとき。この情報を丸飲みではなくて、戦力にするにはどう使ったらいいのでしょう。
こういう方程式は、一般の普通の人たちの特性の教科書なのではないかと。社会の一般の人たちが、こういう生態で暮らせている、適応できているのではないかと野良は考え中です。
なぜなら、発達障害で認知のコンディションの波がひどくなると、平気でだれにでもノルアドレナリンが出ることがあるので、必要に迫られて頭で考えて、理屈で分析して接する人を判断し、自分の態度を調整しなくてはならなくなることがあります。もちろん野良にもそんな波が無いわけがない。
オキシトシンをくれる人は大好きになるものですが、頭でも考えて、追いかけ過ぎていないか、日本語が通じなくなっても一方的に関わって無意識に損させていないか、幸せ脳物質が出ても私が中毒になるような恥ずかしいことによもやなっていないかなどを、逐一自己チェックする、するとたまに周囲が引くほどの言動をすることがあるようです。らしいです。だからどういうことですかー? 説明して教えて欲しいです!
ブログで、『一段階、支援を挟む』とブツブツ書いています。私もそうするニーズがあるほど、イカレた当事者なのでしょう。
総じて見ると、私にとっての沼る危険な『敵』さんは、フィーリングを上手に合わせられて、野良の自意識ごと積極的に乗せてきて、発達障害の波長も理解してて、かつ言語化が湧くように無限に出てくる人、ということになるんでしょうね男女関係なく。
ハアァァァァァ~(溜息)早く隠居したいなー。
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https://www.youtube.com/watch?v=x0VBde3iWxg&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=91
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●【HSP視聴注意・R-20から】
観てると「おー………」と目が離せなくなります。でも、我に返りましょう。法の範囲内でお客は喫煙も飲酒もしていいんです。これはただの飲み会です。
考えなくていいの。
個人的にはネヅ子ちゃんがけなげで可愛いキャラを保っていて良かったです。めんこい。
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https://www.youtube.com/watch?v=FgqpucBoK70&list=PL6rI5QtoBePzWlf2h_F2H8EzTP7hhmD9e&index=89
・BODIES BODIES BODIES/ボディーズ・ボディーズ・ボディーズ
最後までみたけどながら観だったし
途中でネタバレ見た
理由→三十分みててもどいつもこいつも自慢話ばっかり(後で作成陣のやりたかったことには繋がるが)誰も好きになれず
ライトの色がパリピであるホラーであること以外画面に新しさも感じられず
根拠ないのに登場人物の思い込みのセリフだけで話筋が決まって(後で作成陣のやりたかったことには繋がるが)いくし
ながら観だったので吹き替えでありがたがったが女子の言い合いのキャンキャン声がうるさかった
でも最後のアホネタバレ→「受信してる」の悄然+とてつもない徒労・虚無・アホ!感はすごい好き
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これは30分位で観るのやめた
・「生徒それぞれに向き合う、ハートフルなスクールですねぇ〜」と思う反面「これは実家が激太なトットちゃんだからこそ出来たことであり自分がこの時代に生きていたらぞんざいに扱われて終わりなんだろうな」という思いがずっと頭の中にこびりついて物語に入りきれなかった
・身近にアッパー系コミュ症がいるので相手の頭の中にあるものをコミュニケーション無し・会話のドッジボール状態で相手の喋りたいように喋られる苦痛は凄まじく 「女児」「後に黒柳徹子として大成するという確定」があったとしても「やっぱキチィわ…」ってなった
・「序盤はハートフルな物語からの徐々に大きくなる軍靴の音…そして蔑ろにされ始める多様性…」的な話と聞いていて見ていたがハートフルパートが30分続いて「ちょっと…長い、かも…」ってなった
・アニメがすげぇ!と聞いていたが電車の中の空想パートで「おっこれか?やっとんなあ(すごいが予想を超えてきはしないな)」ってなった
「子供の頃野球選手になりたかった夢を未だに引きずり続けている工場勤務のおっさん」
「子供の頃アイドルになりたかった夢を未だに引きずり続けているコールセンターのおばちゃん」
そういう生き物がいるらしいって昔聞いてたけど、自分がそういうたぐいの連中の仲間入りする所は想像してなかった。
自分が本当に何者になりたかったのか思い出せないまま今も生きている。
仕事を通して突然世界のヒーローになってしまえる可能性は一切感じない。
勤続年数が自分の1/3に満たない新入りにも抜かれるぐらいには才能がないから。
頭数合わせの冴えないオッサンとして、最低限の仕事をしながら歯車として仕事を回す。
それで手一杯だから休日はただダラダラと妄想をしながら昼寝したり、ネトフリ見ながらネットサーフィン。
自分と同い年ぐらいの成功者を見かけると自分の人生と何が違ったのか考えてしまう。
だけど本当に才能の世界で生きているフリークス達の存在に対しては、なんかもうあきらめが付くんだよな。。
プロ棋士やスポーツ選手みたいな異次元の存在と自分を比べても無意味だ。
乙一のデビュー作が16歳で書かれたなんて聞かされても相手は化け物だからどうでもいいと割り切れる。
一番質が悪いのは、仕事の中でそれなりに成功を収めてる感じの人達だ。
そういう名刺代わりになるような経歴を手に入れた普通の労働者を見かけると自分と比べてしまう。
俺はきっとそういう風にはなれないだろうし、なってしまうとプレッシャーで押しつぶされそうだから避けて生きてきた節さえある。
この世界に生きた証が欲しいとかそういう言葉で表現されるような感覚だ。
俺の場合はこの世界で生きる資格が自分にあると胸を張って生きていける何かが欲しいって感じだけど。
この感覚がそもそも毒されているんだってことは自分で気づいている。
結果を出さなきゃ胸を張って生きられないなら、生まれつき障害がある人や病気でずっと入院してる人はどうなるんだって話だ。
シルバーさんとして労働もしてない年金食いのジジババは社会のお荷物だからトットト死ねなんて言って回る気はないんだ。
そのはずなのに、自分がこの世界で生きるためには何か結果を出す必要があるんだって緊張感にいつも包まれている。
結局、実際に言葉や行動に出してないだけで、心の何処かで生産性の低い人間は社会のためにさっさと死ねと思っているんだろうな。
俺が向き合うべきは結果を出せない自分の人生のほうじゃなくて、結果を出さなければ生きる権利がないっていう基本的人権ガン無視な価値観に毒された自分の世界観なんだと思う。
今の状態で下手に結果を出してしまったら、まだ結果の出てない人達に死ね死ねと唾を吐きかけていく化け物に変わってしまいかねない。
どうしたらいいのかわからないんだ。
ぶっちゃけ、社会がそういった価値観で染まっているから、俺もそれに染まっているだけな気はするんだよな。
少なくともリーマン・ショックの直後の世界では、本当に世界はそんな色で染まっていて、その中で切り捨てを恐れた老人たちが全部の責任を若者に押し付けようと世論誘導したことで毒が濃縮されて凄いことになっていたわけだ。
自分が今やっている仕事が社会に余裕を生み出すために役に立っているという実感が持てれば……いや、その場合は社会に余裕を生み出すのに貢献していない他の人間に死ねと言って回るようになるだけだな……。
ただ歩いてるだけなのに「コフーコフー」ってやたら息が荒い。H×Hにそういうデブいたけど本当にそういう呼吸するんだな〜って感嘆(?)したのはいいが気持ちが悪い。何か食べてるとクチャクチャペチャペチャ音を立てるのでやはり気持ち悪い。階段の昇り降りはトットットッ……という軽快さは微塵もなくドス、ドス、ドス……と重量感と一歩ごとの妙な間が存在する。さっさと歩けデブ。あ、デブには無理か。
お菓子の箱や袋を捨てるのが嫌なので「まだ入ってますよ」という建前のつもりっぽくカスだけ残す。麦茶のボトルを洗って新しいのを作るのも嫌なのでボトルにミリ残しで冷蔵庫に放置する。トイレットペーパーを取り替えて空の芯を捨てて予備の補充をするのも嫌なのでミシン目ひとつ分の何も使えない紙だけ残す。という具合に些細なことすらやりたがらない。歩いて5分10分の場所すら車に乗る。何か用事ができると最初の一言は「めんどくさいなあ〜」である。とにかく動きたがらない。だからデブなんだろうけど。
「痩せたい」が口癖だが根本的な食生活を見直す気はない。この頃はダイエットするのだと意気込んでジムに行き始めたが、ジムへ行く前にプロテイン入りのシリアルバーを貪り、1時間ほどしてジムから帰宅すると「お腹空いたあ〜」とポテチの袋を開ける。それを一人でモリモリ食べると今度は「頑張ってきたし休憩する」などと抜かして寝始める。この一連の流れを見ていると脳みその代わりに脂肪が詰まってるのかと思うほどである。
映画 窓ぎわのトットちゃんを観た。金持ち用の多様性を認める緩い私立学校でASD児の主人公が時間をかけて矯正され卒業する話なわけだが、ヒロイン枠が心身ともに軟弱な男で、その上で涙が出るほど感動したから驚いた。
戦前に、田園調布で風呂付2階一戸建てに母親は専業主婦、百科事典全集を並べられる本棚と勉強机に柔らかなベッドのある個室を小学一年生ながら持っている。
しかし、小児マヒがあり左腕・右足の自由が利かず、激しい運動をできない。そのため、いつも本ばかり読んで同級生との遊びや体育の授業にも加わらない。
体育会系軍隊気質を尊ぶ戦前において泰明くんの小児マヒは大きな性的ハンディキャップで、しかも孤立気味だ。一方で、幼少からの読書により得た思索力と文化資本を背景にした包容力を、親しい相手に対しては見せる。
作中トットちゃんが遊びの中で手加減し意図的に負けたシーンでは、手加減されたことに激高するシーンもあった。男性としての「プライド」を傷つけられたと推測する。
主要な展開として、活動的な主人公のトットちゃんと物静かな泰明くんが新しい学校でガールミーツボーイし、お互いを変えて変わっていく化学反応が描かれる。泰明くんは親しくなった後病の影響でか亡くなり、主人公に消えない傷と社会性を与えてエンディングとなる。このプロットはギルガメシュ叙事詩そのままであり、何も特筆すべきことはない。
しかし、エンドロールで作中の主要シーンが原作絵に近づけてスライドショーされているとき、自然と涙が出てしまった。
涙が出た理由は質のいいアニメーションが第一だが、ヒロインが良質なマクガフィン兼ロビンとして不自然なく場面を印象付けるよう機能していたことを忘れてはならない。