はてなキーワード: 逃げられないとは
25キロだ。
数字で見ると、大きな変化に見える。
実際、そうなんだと思う。
痩せるまでの私は、太ってることを知ってた。
知ってたけど、何もしなかった。
そういう理由をつけて、怠けてた。
痩せたら何が変わるのか。
今、目の前の食事を楽しむこと。
そっちの方が、簡単で、快適だった。
30代前半。
独身。
仕事は充実してた。
給料も悪くなかった。
ただ、新しい服が欲しい時が困った。
Lサイズがない。
その繰り返しだった。
でも、その程度のことだ。
生活に支障はなかった。
でも、薬が必要なほどではない。
数値が高い、という指摘だけだ。
そう思ってた。
変化が起きたのは、去年の冬だ。
親友が、突然、痩せてた。
どうしたのか聞いたら、ジム通いを始めたと言ってた。
その親友が、私に言った。
一緒にジム行かない。
最初は、断った。
そう言った。
でも、その親友が、ずっと誘ってくれた。
何度も何度も。
その誘いが、最後に通じたのか。
それとも、別の理由があったのか。
正確には、わかんない。
でも、私は、ジムに行った。
体が重い。
体力がない。
それでも、週に3回、ジムに行った。
1人だったら、すぐにやめてたと思う。
3ヶ月経つと、体が変わった。
体が軽い。
朝起きるのが楽だ。
夜中に目覚めることが減った。
そして、体重が落ちた。
75キロになった。
5キロだ。
3ヶ月で5キロ。
その時点で、何か、変わった。
数字が下がることが、嬉しくなった。
今までは「太ってることに悩んでない」と思ってたけど。
実は、深いレベルで、悩んでたんだと気付いた。
ジムは週5に増やした。
食事も気をつけた。
それを、やめた。
お菓子も減らした。
甘い飲料も避けた。
1年かけて、70キロになった。
65キロになった。
60キロになった。
体が変わった。
顔が変わった。
周囲の反応が変わった。
80キロの時は、街を歩いていても、誰も見てくれなかった。
それが、55キロになると、見られるようになった。
駅で、男性が目で追う。
その変化に、最初は、戸惑った。
なぜ、周囲の反応が変わるのか。
その時、私は気付いた。
でも、同時に、嬉しかった。
やっと、見てくれる。
やっと、認識してもらえる。
その喜びと悔しさが、ごちゃ混ぜになってた。
仕事でも、変化があった。
親友は、その変化を見て、喜んでくれた。
でも、何か、微妙なところもあった。
親友も痩せてたけど、私ほどではなかった。
比べると、私の方が痩せてた。
その状況に、何か、複雑な感情があった。
でも、結果として、私の方が、より成功した。
その時点では、よくわかんなかった。
正直に言うと、わかんない。
満足してる部分もある。
鏡に映った自分が、好きになった。
洋服選びが、楽しくなった。
買える服の種類が増えた。
体が軽い。
体力がある。
朝も気持ちよく目覚める。
でも、同時に、失ったものもある。
80キロの時の、気楽さだ。
何も考えず、ラーメンが食べられた。
お菓子が食べられた。
人目を気にせず、だらだら過ごせた。
その気楽さが、今はない。
そういう不安がある。
57キロになった。
その時、パニックになった。
やばい。
また太ってく。
結果として、57キロで安定した。
でも、その不安感は、なくならない。
気楽だった。
でも、その気楽さは、同時に、無責任だった。
それに気付いて、責任を持つようになった。
最近、思うのは、痩せたことが、本当に正解だったのか、ってことだ。
外見は良くなった。
体力は付いた。
営業成績も上がった。
でも、心の中では、何か、複雑なものがある。
未だに、わかんない。
ただ、今の私は、戻りたくない、と思ってる。
80キロに。
もう、あの生活には、戻りたくない。
その矛盾の中で、今、生きてる。
僕らはキラキラと踏み潰されていく。
君たちのような意思の強さなどなく、諦める理由を探せばどれだけでも見つかるだろう。
自分で選んで進んだ者と、なんとなく見えた道を進んできた者の人生はこの10年で凄まじい差となった。
今から出来ることは日々の不安を取り去る事ぐらいなのだが、それすら難しい。
選んで来なかった者からすると、新しく踏み出す一歩が本当に良い未来に繋がると確信がもてない。
それは選んでトライアンドエラーをしてきていないから、先の想像ができないのである。
ただ毎日吐き気がする程に時代が変わっていっているのがわかる。
今までのルールが上から流れてくるが、それの古臭さにも吐き気がする。
どこに吐き出せばいいのか。どこに踏み出せばいいのか。
変わる時代に確信は持てない。しかし今までのルールで生きていけるとも思えない。
身体を鍛えると良いと言うが、そのスタートには痛みが伴い、その痛みに自分の弱さを改めて思い知らされ、また吐き気がする。
本を読んでも力がつく感覚はない。日常に落とそうと足掻くがうまくいかない。
これこそがトライアンドエラーなんだろう。
しかしうまくいかなかった時に何度も繰り返せるほど精神の余裕などない。
職場に行けばやれあいつはダメだ、あいつをどうにかしてくれという声が全て私に集まる。
ましてや嘘をついて逃れようとする人をコントロールする言葉など持ち合わせない。
私が出来ることは思いつくだけでも、たくさんあるのだが、それを全てやるほどの情熱も体力も精神力もない。
そしてそんな自分をみんながどう見てるのか考えると、また吐き気がするし、どこかに逃げ出したい。
逃げだす先など、どこにもないのに。
これがみんなが感じる普通の社会の普通のプレッシャーなら、私は社会に向いていない。
SNSを見るとキラキラと生きる同年代の仲間や、後輩たちがいる。
彼らも辛い事を書かず、キラキラをSNSで演出しているのだろう。
そして戦っているのだろう。
その戦いは私にはとても高次元のものに見えて、見ているだけで疲れてしまった。
スマホを閉じた。
目の前にはさっきのコーヒーが冷めている。
窓の外では誰かが自転車で通り過ぎていく。
今日も仕事に行く。今日もマネジメントに失敗する。今日も誰かに何かを言われる。
画面の中の戦いと、私の戦いは違う。
比べることに意味はない。
そもそも私が向き合っているのは、SNSの向こうの誰かではなく、目の前の吐き気と、明日への不安と、冷めたコーヒーだ。
彼らには彼らの戦場がある。
私には私の戦場がある。
ただそれだけのことだ。
では、私が「足掻く」とは何だろう。
それはおそらく、逃げてきたことと向き合うことだ。
それらにもう一度、手を伸ばすこと。
どうせまた吐き気がするかもしれない。
それでも、手を伸ばしてみること。
「足掻く」という言葉は、決して美しくない。
もがき苦しむ様を表す言葉だ。
でも、それでいい。
私にできるのは、もがくことだけだ。
そして、ここで少しだけ楽観的になることを許してほしい。
ヒントを探しながらやっていけば、勝手に何かが変わることもあるんじゃないか。
そう思っておかないと、やってられない。
これは希望ではなく、燃料だ。
前に進むための、最低限の燃料。
この楽観を捨てたら、足掻くことすらできなくなる。
「どうせ無理だ」と思った瞬間に、手を伸ばすこともしなくなる。
だから、根拠はなくても、少しだけ「まあ、なんとかなるかもしれない」と思っておく。
騙されたと思って、やってみる。
それしかない。
焦燥感は消えない。
向き合うのが怖かったことがある。
それでも、生きている限り、それらはずっとそこにある。
うまくいくかどうかはわからない。
でも、やるしかない。
やります。
私はその夜静かに関西国際空港に降り立った。携帯のSIMをカウンターと自販機でひとつずつ買い、空港内の一時預かり所ですぐに荷物を預け、翌日の午後遅くに取りに来る旨を伝えた。小さな鞄には電子機器が四つ入っている。身につけるものは、バッテリーを取り外しておいたSIMなし格安携帯(数日前に買ったばかりだ)とポーチひとつ。対岸の小さな町に飛び込みで宿をとることした。電車の降客は私と2、3人。地元の人間が見れば、私は関西人ではないとすぐ分かる顔をしている。うろうろしていると、早速「お出迎え」の車がメインストリートから細い路地へとわざわざ鋭角にターンして尾行してきたので、物陰に隠れる。目星をつけたホテルの前の駐車場には見張りの車が停車していたので、知らないふりをして行きすぎる。初めての町だが、行き当たりばったりに歩き回った挙句、駅から離れた場所に客のいない静かなバーを見つけ、ウィスキーを飲んで時間を潰す。
日付が変わる少し前にバーを出、宿のあるらしい方角へ歩く。宿に入ろうとした時、住宅街の十字路の向こうから、ボックスカーが一台、なにかを探しているかのように徐行してやってきて、止まった。生垣のそばに隠れたつもりなのだが、どうやらライトの向こうに見つかってしまったらしい。直進するそぶりだったのが、急に右折して去った。ナンバープレートを私に見られたくないのだ。別の宿を見つけ、この日は終わり、旅の疲れを癒そうとした。
翌朝、時差ぼけと寝不足の目をこすり、今年一番の早起きをして、再び空港に向かう。出張中のビジネスマン風の顔をして、通学中の小学生の後ろを歩く。預けた荷物を受け取り鉄道駅に向かおうと、空港ビルの吹き抜けの上階をふと見ると、手すりにもたれた男が下を見て何か携帯で指図をしていた。見張りだ。電車に乗り、念のため、中から隣の車両に移動した。すると、ひとりの男が目についた。まだ若さがかすかに残る、アメリカ人と思われ、こざっぱりした軽装で、イヤホンをつけ、手元の携帯を見ている。荷物はない。空港ホテルに泊まって文字通り手ぶらで観光に行く外国人はそうそういないだろう。この男は見張りの仲間と考えて差し支えない。おそらく携帯はグループ通話モードになっており、イヤホンから指図が流れるのだ。じっと見ていると、男は気まずそうに少し下を向いた。元の車両に引き返し、男から見えないことを確認する。予告は受けていたが、「今度のチーム」は手際がいい。これは逃げられないと思った。私はロンドンからの帰途アジア系の航空機で上海を経由したのだが、上海で乗り込んで来た20代のアメリカ人の男が私を見てニヤリとして着席したのを思い出した。
降車予定のいくつか前の駅に停車中に、ポケットの携帯が鳴った(機内モード)。私はここで降りることを迷っており、それを見透かされたかのように思い動悸がしたのだが、実は九時にセットしたタイマーだった。電車のドアが閉まる瞬間にホームへ身を投げ、私のせいでドアが再度開かなかったこと、および、隣の車両の男が降りなかったことを確認し、駅を出て停車中のタクシーに乗り込んだ。
「ヨドバシカメラへお願いします」先に着いたアメリカ人の男やその仲間がXY筋(どこだったのだろう?)を追尾する手筈は万全だろうと思ったが、仕方ない。タイミングよく開店と同時にヨドバシカメラに入り、入り口付近に電子機器の入った鞄を置いて、新しい携帯を買った。見上げると、レジの上の防犯カメラが意地の悪い目つきでこちらを見ていた。電源を切ってあるが、新携帯の設定を完了しないと機内モードにできないはずだ。警備員に見つかるかと思ったが、入り口に置いた鞄は盗まれず、日本は治安がいい。
大阪駅からP駅まで電車に乗る。P駅で電子機器を裸でロッカーに預ける。バスで役所の近くまで行く。降りると、大通りの路肩に車が止まり、私が近づくと発進した。役所の小さな駐車スペースにも見張りと思われる車がいた。海外勤務を終え、帰国手続きに本籍地発行の戸籍抄本が要るのは周知のことだと思う。
私は長期滞在のホテルを必死に探したのだが、残念ながらどれも予約で埋まっていた。仕方なく、この日の宿をオンラインで予約した(ウォークインで空きを尋ねるべきだった)。夕方、宿に着くと、部屋から大通りが見下ろせる。通りの両側には停車中の車が何台があり、気になる。例の格安携帯のバッテリーを入れ、しばらく設定をしていると、Bluetoothがオンになっていることに気づいた。先ほどまでオフにしていたにも関わらずだ。さらに、誰かの機器とBluetooth接続されていた。部屋に入った時には空いていた隣の部屋に、誰かいる。壁越しにキーボードを叩く音が微かに聞こえるのだ。「ようこそ日本へ」という訳だ。私はフロントに電話し、部屋を替えてもらった。階も違う。業務用階段の側だ。外の車が気になる。しばらくして、廊下に出たところ、ホテル従業員が業務用階段へと続く扉の向こうに消えるのを見た。客入りの良いこの時間帯に、妙ではないか。私は、ホテル従業員がグルである可能性を考え、ホテルを出ることにした。ロビーでソファに座り次の手を考えていると、20代の背の低いアメリカ人の男が宅配ピザの箱を抱えて外から入って来て、上階に向かった。つまり、「鳥が逃げた」という訳だ。通りに停めた車で見張っていたのだろう。ホテルを出て15mほど歩くと、近くの路肩の白いワンボックスカーが急発進した。私はこの時、2種類の人間に追われていることをまだ知らない。タクシーで警察署に向かう時、外国人の運転する高級車が二つ隣の車線にいるのを見た。
繁華街をぶらぶらして、カフェのテラス席で休憩したところ、側道から若い日本人の男の運転する車が目と鼻の先で停車した。通りに出るつもりはないらしい。私はこのときそのナンバープレートを新しい携帯で写真に撮ったのだが、交番で写真を警官に見せると、その写真は「画像が歪んで」番号が読めなかった。新しい携帯が、早速ダメになったのだ。
色々気にしても仕方がないので、適当な店に入り、久々の海鮮を楽しむことにした(中略)。ただし、押し入られて身の危険がないとも言えないので、他の客が引けたとき、すぐに出た。断言できるが、ほろ酔い未満だ。料理には満足した。
少し物足りなかったので、大通りから中に入ったところをほっつき歩いて、飲める店を見つけた。途中、誰かを探しているらしい様子のワンボックスカーを見つけた。カウンターで飲んでいい気分になった頃、一台の車が店の前で急に止まった。動かない。外は狭い一方通行の道で、しかも店の前を塞ぐように止まる車はタクシー以外通常ないはずだ。タクシーより車高が高い。これはまずい。逃げ場はない。私は、格安携帯の緊急通報ボタンを押した。すると、車は発進した。
携帯で調べるわけにもいかないので、酔い覚ましに、歩いて終夜営業のファミレスを探した。結局、マクドナルドに落ち着いた。この夜、私は初めて、なぜこのような不思議な目に自分が遭っているのかを知った。マクドナルドのwifiは無料で利用できるはずだが、「パスワード入力」を求められる。なぜか電波の入りが悪い。2階に上がる。どうやら、無料wifiを使わせまいとする勢力と、それを解除しようとする勢力が、電子的に腕相撲をやっているらしい。私は後者の「手助け」をしようとした。結局、早朝になってもwifiが使えることはなかった。
早朝、忠告に従い、急いで店を出る。危ないのだ。タクシーで向かう。預けた電子機器を回収しようと駅で待っていてもらった。ところが、引き出せない。預けたロッカーの番号を電子的に認証して鍵が開くのだが、「その番号が選択肢として存在しないため選べない」。どうやら、私の預けた荷物だけが引き出せないように電子的に操作されているらしい。見ると、他のロッカーは全て空だ。
あきらめて、コネのある長期滞在用のホテルにタクシーで向かう。
遠距離だ。
意識的・社会的な問題としては、女性が幼児のことを「自分の体の臓器の一部」的認識でしかないものがある程度(女性による子供への差別、女尊子卑的な価値観)があるけど
痴漢被害が左翼とフェミニストの社会運動に利用されて実用的な対策(監視カメラの導入、私服警官)を妨げるので無しにしたい。
・親にバレたく無かった
・夫や親族へのあてつけ
が多い。
動機がさまざま過ぎて対処が難しく、単純に「母親をサポートしよう」では意味が無いだけでなく「サポートを受けたく無い」も動機としてあるのがわかる。
確実な解決策としては
まず子殺しに関して、アメリカなどに比べて子供を殺すことに関して緩すぎる。刑罰のバランスが殺人の中でも明らかに優しい。
匿名出産に関してや孤児院に関しては、今は社会的に良く無い雰囲気があり、また病院も説教まがいのことをしてるけれど推奨すべき。子育てに自信がある人だけが子育てすればいい。
孤児院も幼児教育など高等な教育を施すようにしてインセンティブを与える。離婚の場合は第一の選択肢になるレベルにすればいい。
子育ての免許化に関して、妊娠が発覚してから心理学や小児の権利、小児の医療について学ばせ、試験に合格しないと育児できないようにするべき。
車椅子母親の滅多刺しとかは防げないが、大多数は救えるんじゃないか。
PS:
なんか「男が〜男親が〜」とか「女は〜」とか、男女の社会構造の問題に持っていこうとしてる人が居るけど、そういう「個人的なことを政治的なもの」にするのを辞めようって言ってんだよね。
ピルが普及しなかったの、当時の左派系フェミニストが「男の快楽ために何か女が薬を飲む必要はない」ってデモや意見主張の材料にしたから。
直接的な痴漢対策が進まなかったのも、監視カメラ、私服警官導入に左翼系とフェミニストが嫌がったからだよ(女性専用車が痴漢対策として意味ないのはわかるよね……?)
個人的なものは個人的なものとして、直接的な子殺しに対するアプローチをした方が結果的に環境を変えるのはフランスのピル普及後見ればわかること。
たとえば子育ては免許制にして、運転免許よろしく知的や精神的な問題を持つ人は弾くようにする。
教育を強制化することで、社会へのサポートを反強制化して結果的に孤立を防いだり、コミュニティへのアクセスが増えるだろ。
男性も「子育てわからない」で逃げられない。結果的に意識改善につながるし、社会の構造さえ変わるだろ。
男性:不審者扱いされている状態から、子供のいる父親として社会に受け入れられて、幸福度アップ
女性:子供と一緒にいると逃げられないので、嫌な人から絡まれやすくなり、幸福度ダウン
という違いが注目されている。
それに加えて、「そもそも男性は子供を産んでいない」という論点を私は加えたい。
出産は女性に大きなダメージを与える、ということがスルーされているように感じる。
仮にこれが
・購入に1000万円必要
・犬は選べない
状況だったとする。
逆に男性は、
「犬がやたらと吠えるし、まわりから白い目で見られる」とマイナス面に目を向けやすくなるだろう。
「この犬は育てにくくて大変だ」と追い詰められた場合も、いつでも男性と犬を見捨てられる女性と、既に1000万払っている上に逃げにくい男性とで、状況が異なる。
そういった状況で男性が「犬飼うの辛い。社会が冷たい。犬飼う人が減ってきてるのも分かる」と愚痴をこぼしたところに
女性がやってきて「いや、犬飼いに社会は優しいよ〜これは事実」と言ったところで。
これから1000万を払おうか逡巡している男性にとっては「愚痴も言えないんか」と感じるだけなんだわ。
女「小さい子連れていて機敏に逃げられない時に罵倒されたりつきまとわれたりするの辛い」
ヨッピー(身長183cm強者男性)「俺は子連れでもそんな目にあったことないんですけど????」
低身長男性の要求は「レイプ被害者より誰からも愛されない僕たちのほうが可哀想、だから若くて奉仕してくれる逃げられない女を無償であてがえ」なので
男に気を遣われても仕方ないだろ
まとめもはてブも目を通したけど誰も分かってないな。
いいか、人の嫌がる仕事というのはイコール社会に必要な仕事って意味だろ。
で、この「社会に必要」って言葉にはほぼほぼ「それが無いと貧乏人が野垂れ死ぬ」という意味合いが含まれている。
ゴミ回収も介護も、その他エッセンシャルワークと呼ばれる仕事は大体そうだ。
金持ちはカネを使ってどうにでも逃げられるんだよ。ゴミが散乱した地域も避けられるし介護者もカネで引っ張ってこれる。だが貧乏人は逃げられない。
だから価格も安いしワーカーの給料も低いのよ。当たり前の話だ。
ワーカーの給料を上げたいなら値上げするしかない。貧乏人を切り捨てて。
別の手段として、増税か保険料を上げて薄く広く回収するという手も有るにはあるが、それが出来る政治家はもう日本には居ない。いるなら教えてほしい。高市には無理だ。
私はわかるぞ
あいつらは保守でも右翼でもない、マジでネット上で気に入らないやつを腐すためだけのファッション愛国だから戦争で戦うことはしないよ(中にはファッションじゃないのもいると思うけどボリュームゾーンがそことは思えないな)
自治体活動すら出ねえやつがいかに勇ましく語ってたってやらんもんはやらんし、それを責めるつもりない
死にたくないのは誰でも一緒
でもまだそうなってないのに勝手に美化して「戦争になったら戦ってくれるのはあのひとたち」みたいになるナイーブさは見てて嘘だろ~~ってなるね
そう言って「戦うんだろ 」と圧かけてるだけならそうですねそんぐらいの落とし前はつけろですね同意です
「東白楽のヤニカス車椅子ババア」で想起される人物が存在し得るのでふつうに殺人教唆成立。
よくアホが腹立ち紛れに何の不法行為も構成しないものを「通報した」とか書くけど、
逆にこれは完全アウト。
Kさつから問い合わせがいくかどうかは連中の暇加減によるけどガチ通報しといたよ。
「実名出して中傷」とか「現実に可能な犯罪行為を教唆」とか、アウトなラインなんてはっきりしてるのに頭悪いよなあ
町田市の40歳が80代を刺したニュース、『誰でもいいからころそうと思った』って言うなら、東白楽のヤニカス車椅子ババアを選んでくれよ
周りに迷惑かけてる人間から刺してほしい、あいつの毎日煙草持ってる右手をどうぞ
私は五体満足で仕事も家族もあって無敵の人とは程遠いから加害できないんだ
よろしく頼む
https://anond.hatelabo.jp/20251001084440
(WEB魚拓)https://megalodon.jp/2025-1002-1639-28/https://anond.hatelabo.jp:443/20251001084440
昨日店を出てその日のうちに思いを吐き出したくて書きました。二十代前半の彼女できたことない大学生が初めて風俗に行った日記です。
時間ができたので風俗に行こうと突然思い立つ。これまでもいつか行こうと思っていたが、なぜかこの日決心がつく。
まずどこに行くかだ。YouTubeで風俗レビュー系の動画はよく見るのでオナクラが安いという知識はあった。金もないし、緊張でイけるかどうか、勃つかどうかすら不安だったので、安いとこがいいなと思ったからだ。
事前に体を洗ってレッツゴー!
とりあえず店の周辺に来た店の通りに入ることなくウロウロ。店の前はおろか、人通りの多い道からほんの一歩進むとそういう店がずらっと並んでいるのに圧倒され、普段はウキウキで通るのにいざ行くと決心すると、途端に敷居が高く、とても大きくみえてくる。
コンビニでお茶を買いカラカラの喉を潤し、いざ一つ中の道に入る。キャッチいっぱいだ!怖い。独特の空気に圧倒され心臓バクバク汗ダラダラのままとりあえず一通り見てキャッチをガン無視して大通りに出る。無理かも。
ちょっと通りから離れたところでスマホイジイジ。その店の様子を伺う。こんなにビビってて本当にちんこは勃つのかと不安になりながらしかしこのままノコノコ帰るのモヤモヤが残るので、ウダウダ。しかし決心がつかず。
5分くらいして、店に出入りがある。
(誰か出てきた! 仲間だ!誰か入った仲間だ!よし!行こう!!)
店「予約されてますか?」
自「してません」
店「こちらでお待ちください」
12番の番号札をもらう。(まあまあ使用感があるな。ファミレスのメニュー表の倍汚い感じ)
待機所へ入る。四人いる。待つ。三人くる。みんな普通の人だな。えらいが椅子ギコギコ鳴るな。
店員に呼ばれる。
店「初めてですか?」
自「初めてです。」
店「人気コースはこれです。」
自「じゃあそれで」
(待合室ではこれにしようと決めてたけど、一番人気のコースだから選びましたみたいな感じになってホッとする。自分の性癖を見ず知らずの人に開陳するのは恥ずかしいから。)
自「こういうとこ初めてなんで人気の子がいいと思うけどどうですかね?」
店「当店全ての女の子が人気なのでどの子を選んでもどうちゃらこうちゃら」
(壁に貼ってた人気そうな子と他の子の違いなんて写真だけじゃ分からんかったし、ランキングはあるけど、そんなに突出して差があるわけでもないのかな。よくわからんがフリーでまあええか)
自「じゃフリーで」
待機所で先に呼ばれてた人と一緒に階段を登る。
トイレは大丈夫かと聞かれるが念の為に行けばいいものを何故か断る。階段を登った後「やっぱ行きます」と言う、店員がもう女の子呼んでますよと言われ感じがして結局行かず。
(こうやって何度も微妙な尿意をほっておいて夜にトイレにベットから起きることから何も学ばない。ただでさえ緊張してるのに何故か少しでも万全の体制で挑もうとしない、準備という言葉を知らないカス。)
部屋に入る。広い。明るい。風呂場が半分のスペースを占める部屋に驚く。
ここでするんだもう逃げられないぞと思うと更に緊張してきた。
スマホで時間を潰す。エロ動画を見ても一向に勃つ気配がなく、リラックスするために適当にTwitterを見るも、何も入ってこない。全て目が滑る。尿意を気にしながら無意味な時間を過ごす。
コンコン。扉が開く
来た!!全然ブスじゃない。可愛い。よかった。フリーでも良かったんだ。あれでもなんか化粧が好みでないような。いや、化粧のケの字もわからないけど。だが、さっき道でもっと可愛い子いたなとか、ケバい感じがしてこの店でもっといい子いたんだろうなという思いもあった。
女「よろしく。〇〇です。」
自「初めてで緊張する」
女「えーそうなんだ」
女「シャワー浴びた?」
自「事前にシャワー浴びてきたから、浴びてないです。浴びた方が良かった?」
自「そうなんだ」
女「服脱いでー」
自「はい」
この時は本当にそうなんだとしか思ってなかったが、普通に考えれば汗かいた男は余程の物好きでもない限り避けたいのだが店に来る前には洗うのに直前で洗わないと言う、真逆のことをしてる。バカ。緊張の中、この熱い日に歩き回って汗かいているのに。
風俗で家で洗ってきたから大丈夫とシャワーが必ず必要なのに入りたがらないヤバ客みたいな話は知っていた。だが自分は店から入れと言われなければ入らない。少し考えたらわかることをしない指示待ち人間のカス
脱ぎ終わると初めて生で見る女の上裸に興奮した。しかし胸は大きいとは言えず、おっぱいよりお腹の方が大きい。デブではないがお世辞にもスタイルがいいと言えずがっかり。
ローション大丈夫な人?と聞かれ、はいと答える。(あっ、こんなにすぐにプレイに入るんだ。もうちょっと会話するもんだと思ってたけど、なんで話しかければいいかわかんないしありがたいな。と呑気なことを思う。)
緊張し、皮の余りまくったシナシナのチンコをローションまみれの手で触られるとあら不思議。緊張のキの字もなく一瞬で勃ち上がる。緊張で血流が良くなったのかなと思うほど少し余裕すら感じた。
そして、おっぱいを触っていいか聞き、触れる。揉む。あまり大きくないので揉むと言うより、手で覆うと言う感じだった。
(おお!おぉーー。すごいぞ!へぇーー。おお?うーん。なるほどねぇ。そっかぁ。そうなのか。そうかそうか、つまりそういうことなんだね。おっぱいって、)
約10年の付き合いの右手恋人がセックスという言葉も知らない頃から憧れた「おっぱいを触る」と言う偉業を成し遂げているにも関わらず、求めてた幸せを掴んでるはずなのに、なぜか右手は自分のチンコを求めていた。
思ったより、手コキが気持ちよくなかったのだ。ボッキした時の興奮は初めて触られたことによる興奮で気持ちいいからではなかったからなのかもしれない。
気持ちよかった手コキが、ただ勃起を維持するための手コキへと変わる。イけるのかという不安を感じる。こうなるとどんどん雑念が出てくる。
(無言気まずいな。部屋明るいな。いつもはこんな明るい中シコってないよ。あと何分あるのかな。爪がすごい長いな。違うよ、気持ちいとこはそこじゃないよ。あれ思ったよりおっぱいっていいもんじゃないぞ。)
最後のこれが一番ショックだった。
なんかおっぱいなら特別な感触があるかと思ってたけど、ただの脂肪だった。
太った男の乳を揉むのと変わらないんだろうなと思うくらい楽しくない。おっぱいを揉んでいるという情報を食って心を慰めてるだけだった。
本当に悲しい。こんなことなら眺めてるだけでよかったのに。上下に振動してる胸部を見て、その中には夢と希望に満ち溢れているだろうなと妄想してたままでいた方が良かった。おっぱいではなくただの脂肪だった。
ああ、デンジくんやっとわかったよ。
一生わかりたくなかったけど。
君もこんな気持ちだったんだね。
でも君はこの絶望ををマキマさんが振り払ってくれてたね。
僕のマキマさんはどこにいますか?
あれ、そういえば結局マキマさんのおっぱい揉めたんだっけ?
きみはおっぱいに変わる目標をマキマさんから教えてもらったけど結局それはなんだったの?ねえ、僕のマキマさんはどこにいますか?
なんていう店で働いてますか?
三万あれば足りるんでしょうか?
きもいね
それとも、まだ本当にいいおっぱいに出会ってないだけなんでしょうか。
「このおっぱいに比べたらあの時のおっぱいはカスや」と言えるような日は来るのでしょうか。
そんなこんなでこれまでにないほど意識をチンコに集中させながら、体勢を変え、電気を暗くし、足を絡めてもらったが、一向に良くなる気配はない。足は綺麗だった。この辺りでで機械のように一定のペースで上下運動を繰り返すだけの女に(こいつに俺のチンコは任せられない)と心が折れ、チンコも折れた。
自分でシコりますと言い目を閉じ申し訳程度におっぱいを触りながら。終了のタイマーが鳴る。
射精できずに終了した。
ローションをシャワーで落とし、拭いて無言の時間。「何歳?」と聞かれ、答える。「何歳?」と聞き返し、答えてもらう。「そう」とだけいうと、そんなに変わらなくない?とどこか非難のこもった返答が返ってくる。俺の反応が何かその年齢に対して不満であるように伝わっていたのだろうか。わからない。コミュニケーションは三択で示されるゲームしな習ってないから。もう何も分からない。いや、初めから何もわかってない。違う、いやそうなんだけど、イけなかったショックと悲しさと金が無駄になった後悔で不機嫌が滲み出てたんだだろう。ただでさえ愛想がないのに。
「部屋暗くすると眠くなるね」と当たり前のことを言われ。そら退屈で苦痛で時間が過ぎるのを待ち遠しく思って眠たくもなるだろう。いやだよなこんな客は。
女の子がドアを開け一緒に出る。階段のとこまで一緒に行く。ありがとうバイバイと手を振ってくれたので自分もありがとうと返し、手を振った。手を振るなんてしばらくやってないし、階段を降りながらでさよならも上手く言えなかったと思うと何から何まで上手く行かないなと思った。廊下のライトが逆光で顔が見れなかったのが唯一の救いだった。申し訳なかったから。
店の外にでた。風俗に行ったという興奮と、風俗がこんなもんだったという無念が打ち消しあい、次こそは!という熱い気持ちと少しのモヤモヤが残った。
こうして昨日のことを思い返すと反省点は下記のようになるのかなと思う。
・前日にシコったこと。
その日行くぞと思ってからじゃ遅い。行く前から風俗は始まってるんだ。前日にシコってもどんな体調でも自慰行為はするので、まあいいかと思ってた。なるべくリラックスできるよう万全の体調で挑むべき。貯めるのは大事なんだろうな。
・よく調べずに勢いだけで行ったこと。
直前にシャワーを浴びなかったこともそうだが、二人でいいプレイを作るということも分からず受け身でお客様気分でいたこと。もっとこたらからいい空気にしようとしなかった。気まずい空気の中射精できるほど肝が座ってないのに。
・初めてで、できれば上手い人がいいなと思っていたにも関わらず、新人に当たることも考慮せず千円ケチってフリーにしたこと。
・どんなオナニーをしているかという自己分析が足りなかったこと。
普段から乳首を触らないとイけないのにオプションでつけなかったのか。(これに関してはシャワーを浴びずに挑んだので逆につけなくて良かったと言える。申し訳ないからね)
女の子には申し訳ない気持ちがあったが欲を言うならもう少し、緩急をつけて触って欲しかった。爪が長いのも怖かった。
店員も初めてと言ったのに新人の子をつけるなんてと思ったが、そう言うのは自分で指名してやるもんだよな。八つ当たりだよな。
相手の女の子には本当申し訳ない気持ちでいっぱいだったし、ほとんど自分が悪いので次は万全の状態で挑みたい。
反省点が間違ってたり、他にもマナーや、やるべきことがあったら教えて欲しい。あとどんな店に行けばいいのかも。やっぱりソープなの?セックスには興味ないと言えば嘘になるかど、自分のやりたいこととしては、おっぱい触って射精したい。普段の自慰行為も結構強く握ってるんだと方だと思うんだけど少しの刺激でいけるようにすべきなのかな。
労働力が足りないから移民を入れようっていう発想、冷静に考えたら現代の奴隷制度なんだよな。
人として迎えるんじゃなくて、安く働くための存在として扱ってる時点で終わってる。
技能実習生とかのニュースを見ても、待遇は劣悪、権利保障も不十分、実質的に逃げられない状況に追い込んでる。これは奴隷と何が違うんだって話。
教科書では昔の奴隷制を恥として描いてるのに、現代では労働力移民という名目で同じことをやってる。
100年後に振り返られたとき、あの時代は奴隷を輸入して経済を回してましたって書かれてもおかしくない。
やったぜ!!!!!
いやいやいや、よかったよかった
申し訳ないけどまともじゃないもん
予定をすっぽかし、それを友達のせいにして
金は(半分)出すけど車は出さず、常に迎えにきてもらい
かといってかっこいいわけでもない
殴りはしないけど物にあたり
機嫌でコントロールしようとする
おめでとう!!
……とは言わないけど
辛かったね、と言うけれど
その人の性格、家族、全てを背負う覚悟をして、傷ついてもそれで良い、好きなのだから、と戦うには
さすがに〜酷かったもん
あーよかった
.
友達へ
やっぱその人はだめです
何度言っても聞いてくれなかったね
私は怖かったよ
もう逃げられないと思っていた
何言っても、それでも愛してくれるから、と言っていたけど
貴方を傷つけるのは、愛ではないよやっぱり
今は慰めるよ
いい相手見つけよ
そう聞かされた子どもたちは、目を丸くして驚く。
今の時代を生きる彼らにとって、それは信じられない話だ。だってこの新世界では、人間と弱者男性の結婚は義務付けられている。誰もが当然のように、ある一定の年齢になれば弱者男性と人間を組み合わせられ、婚姻が成立する。
かつては「下方婚」なんて言葉が飛び交い、女性は弱者男性を選ばないのが普通だった。女の人生はイージーモードで、上へ上へと婚姻を積み上げることが当然とされていた。けれどその積み上げの果てに、取り残された弱者男性が増えすぎた。社会は崩壊寸前にまで追い込まれた。
だから新世界は決断した。「下方婚を義務化」するのではなく、「人間と弱者男性の結婚そのものを義務化」したのだ。そうすることで、格差や選別を無理やり消し去った。
街を歩けば、弱者男性と人間のカップルが当たり前に手をつないでいる。最初はお互い戸惑い、憎しみや侮蔑の眼差しを交わしたかもしれない。けれど制度が定められてから数十年、今やその光景は自然なものになった。
「えー!パパが?信じらんなーい」
家庭の食卓でそんな会話が飛び交う。人間と弱者男性が交わることで生まれた子どもは、かつてのどちらの種族にもなかった可能性を秘めている。
昔を知る者にとっては皮肉かもしれない。かつて「キモい」と吐き捨てられ、結婚市場から締め出されていた弱者男性が、いまや人類の未来をつなぐ最後の希望になっているのだから。
――
丁寧に読ませていただきました。
まず、「毒親かどうか」というのは白黒はっきりつけられるものではなく、あくまで程度や影響の問題になります。
ただ、文面から判断すると次の点はかなり問題があると言えます。
• 年齢に不相応な残酷な事件資料を強制的に見せる
→ 子どもが自分で選んだわけではなく、親の価値観で「教育」と称して過激な映像・資料を見せるのは心理的虐待に近い行為です。
• 身体的に逃げられない状況で見せられた
→ 髪を切られている最中に見せられたとのことですが、これは「強制」の色合いが非常に強く、トラウマになりやすい状況です。
• 祖母が客観的に見ても恐怖状態になっていると気づいた
→ 第三者から見ても不自然なレベルだったという証拠であり、やはり過剰だったと考えられます。
結果として、震災や津波の描写に強いフラッシュバック的反応が出ているのは、典型的なトラウマ反応です。これは「みっともない」のではなく、心に刻まれてしまった傷の自然な結果です。
したがって、
• 「そのせいで後々まで影響が残っている」
という点から考えると、十分に「毒親的なふるまい」と言えます。
ご自身を責める必要はまったくありませんし、「被害者ムーブ」ではなく、実際に心の安全が侵された経験をされたのだと思います。
映画評論家の街島は、自分の過去の随筆が自分の運命を狂わせることになるとは想像もしなかった。
「原作どおりの映画化は無意味だ。物語は新しいかたちで蘇らせてこそ価値がある」
その言葉を、後に漫画家として大成する少年の心に深く心に刻まれてしまった。
少年が描いた漫画が社会現象となった頃、街島の家のインターホンが鳴った。
雨に濡れた青年が立っていた。瞳は熱に浮かされているかのように赤く光り、震える声で名乗った。
青年となった少年が描いた漫画が映画化される、そしてその映画化の脚本を、街島に「書いてもらう」ためにやって来たのだ。
私は脚本家ではないと断れば帰ると思った。だが違った。
青年は帰らなかった。四度も訪ねてきた。しかも回を重ねるごとに、背後に連れてくる者の肩書きが重くなっていった。編集者から、幹部、ついには出版社の社長までも。青年はいう「街島さんに脚本を書いてもらえないのなら、この映画化はなかったことにします」社長までが現れたのはその映画化の商業的意義の大きさを表していた。この映画化は失敗できない。
街島は徐々に理解した。これは依頼ではない。選択肢のない愛の告白だと。
街島はそのプレッシャーで脚本を書かざるを得なかった。失敗できない。脚本で冒険はできないだろう。街島は原作に沿った無難な脚本を書いた。おれは評論家なのにと理不尽さを覚えながら。
「これは……原作どおりじゃないですか。街島先生、忘れたんですか? あなた自身が昔、そう書いていたじゃないですか」
街島は背筋が冷えた。
青年は自分の過去の言葉を、まるで聖典の一節のように暗唱していた。
拒絶すればどうなる?
彼は口癖のように言った。
「もし先生が脚本を完成ささないのであれば、僕はすべてを捨て去ります。映画化はもちろん作品も、原稿も、全部」
その瞳は、失うことを恐れていない瞳だった。むしろ、失うことで二人だけの世界が完成するかのように。
観客の誰もが言葉を失う。原作とはかけ離れた映像。知っているはずの登場人物たちは、スクリーンに存在しなかった。
だが一人だけ、静寂を破る声があった。
青年の笑い声。
「ほら、やっぱり……あなたに決めてよかった」
街島はその笑いを聞きながら、ふと悟った。
この映画は青年にとって観客に見せるものではない。街島に捧げる私的なラブレターなのだと。
公開後、街島は批判を浴びた。「原作殺しだ」「改変が過ぎる」「こんな駄作は見たことがない」
評論家であるはずなのに、その映画は街島の人生に死ぬまで残るスティグマとなってしまったのだ。
「街島先生は僕アイドルなんです。ジャンにも似ているし、他のキャラにも成分が入っている。僕にとって、街島先生は……物語そのものなんです」
街島はぞっとした。
それは愛の言葉に似ていたが、逃げ場のない檻のようでもあった。
かつて街島が一枚の紙に書いた、評論。
その一節が、青年の中で燃え広がり、やがて町島自身を物語の登場人物に変えてしまったのだ。
扉の向こうから、あの声がする。