はてなキーワード: 末吉とは
福井総裁が量的緩和解除は来年春、と匂わせた発言に反応するかのように、政府・与党から日銀の早期量的緩和解除をけん制する発言が相次いででてきた。中川政調会長は日銀法の改正を政策カードでちらつかせて、日銀のデフレ対策が不十分であることを批判している。また安部官房長官もそれに呼応するように、日銀が政府と協調して財政再建のためにもデフレ脱却して、自然増収での財政基盤の健全化への寄与が実現されるべきだとこれもまた日銀を牽制した。この種の発言はいずれもなにか具体的な政策に直結しているわけではないので、それ自体どうこうというわけではない。しかし日銀の出口政策=量的緩和解除をめぐる議論は今後も政治的な話題として沸騰していく可能性があるのかもしれない。
そもそも出口政策をめぐっては、1)前提条件であるデフレ脱却をし、0%以上の安定的なインフレ率を維持できるのか? 2)出口政策の技術的な難しさ の二点から問題が提起されている。最初の点については、『日経公社債情報』10月24日号で匿名記事(末吉名義の記事)「日銀ウォッチ デフレ脱却論議の謎」において、きわめて説得的な議論が行われている。日銀がインフレ率の目安として採用している日本式コアインフレ(生鮮食品を除く消費者物価指数)の前年比上昇率はゼロ近傍であり、このためデフレ脱却は難しく、デフレ脱却のためにはインフレ目標政策が一段と必要である、という趣旨の論説である。
この主張の背景には、伝統的なCPIの上方バイアスの存在(すなわち1%程度物価がインフレにふれて計測されてしまう)と、さらにコアインフレ率をおしあげているのは石油関連商品であり、この上昇はピークアウトをむかえる可能性が大きく、そのインフレ率に与える押し上げ効果は0.4%程度にとどまると予測されること。そしてこの石油関連商品の影響を除外すると、インフレ率はマイナス0.5%程度であり、さらに上方バイアスを考慮にいれるとマイナス1~1.5%程度となる、と末吉論説は指摘している。これは非常に周到な分析であり、今日の日本経済が決してデフレ脱却を確実にしているわけではなく、むしろ不確実なものであることを示している。
さらに安達誠司氏の『デフレはなぜ終るのか』(東洋経済新報社)では、1930年代のアメリカのデフレ脱却時の出口政策からの教訓をもって、今日の出口政策論議に警鐘を鳴らしている。安達氏によれば、当時のアメリカは財務省主導によるドルの減価政策により「レジーム転換なきリフレ」を実現した。このレジーム転換とは、中央銀行であるFRBがデフレ脱却のために従来の金融政策スタンスを転換して、超金融緩和政策にコミットするというゲームのルールの変更として理解される。しかしこのようなレジーム転換がない、すなわち従来の事実上のデフレ継続的な金融政策のスタンスのままに、この「レジーム転換なきリフレ」に直面したため、FRBの政策当事者には早急な出口政策の模索(当時の異例な低金利政策の放棄、超過準備がリスクマネーとして高インフレに転じる要因になることへの懸念、さらに株価の急騰をバブルとする警戒感が存在していたことの半面といえる)があった。そしてインフレ率はプラス推移であったにもかかわらず、FRBの早急な出口政策の採用によりふたたびデフレに戻ってしまったと指摘している。
安達氏によればこのようなデフレに舞い戻る経済の脆弱性を克服するのには、中央銀行のデフレ脱却にむけたレジーム転換へのコミットの必要、さらに実現されたインフレ率という「変化率」への注目だけではなく、それ以上に「水準」が重要であるとしている。本ブログでの「バーナンキFRB議長就任と日本のリフレ」(10月28日)で紹介した物価水準ターゲットの重要性である。すなわちデフレに陥る前のインフレ率(たとえば1%や2%)が現在も継続していたらどうなるのか、という物価水準経路を考えて、その経路と現実の物価水準の経路のギャップを解消していくという考え方である。
日本の現在の景気回復とデフレスパイラル的状況からのとりあえずの脱出は、2003年から2004年初頭にかけての財務省の空前の為替介入と(予期せざる?)日銀のマネタリーベースの増加がタイミング的に数度重なるという「非不胎化介入」の結果である(詳細は田中秀臣『経済論戦の読み方』(講談社現代新書)参照)。すなわち日銀としては明確なレジーム転換が不在であり、あくまでも財務省主導という点で、戦前のアメリカのケースに近似していると、前掲の安達氏は指摘している。これは有益な歴史からの教訓である。
そのため今日の日銀はまさに戦前のFRBと同じように、出口政策に関わる発言において、「インフレ心理」への懸念を示したり(まだデフレなのに!)、インフレ「率」にのみこだわり、前記したようなリフレ過程には関心を示すことはまったくない。また日銀の政策に理解を示す衆議院議員の佐藤ゆかり氏のように「中小企業や家計部門をオーバーリスクテイクの状況から守ることが大事で、量的緩和政策は速やかに解除すべき」「日経公社債情報」(10月31日)とコメントしているのも、戦前と同様に超過準備が高インフレや資産価格の急騰(バブル?)をもたらすことへの「懸念」と基本的には同じものであろう。
本格的なリフレ政策の採用と連結しないかぎり、デフレ脱却の道のりはかなり不安定なものであることは否めないのではないか。そして出口政策採用への日銀の現状の早すぎるコミットへの懸念は募るばかりである。(その2)では、仮にデフレを脱却(不安定であってさえも)した場合に採用されると考えられるいくつかの出口政策について考えてみたい。
幼い頃から通っている神社、就活中でもう神頼みしたくて仕方がないため参拝しておみくじを引いた。
結果は末吉だった。この神社はずっと通っているが凶は一度も見たことがないので、おそらく一番下だ。
おみくじにはこう書いてあった「やることなすこと全てに思うような効果があがらず、他人も頼りになりません。(中略)春の来るのを待つ心がけでじっと耐えることです。」と…
ここはなんとなくおみくじが当たることが多かった。信頼していただけに、この結果をどう受け止めていいのかわからない。昨日もお祈りが一件届いた。
耐えろって言われても、就活しないといけないし、神様、たすけて…
とりあえず毎週参拝してくる…
悲しい。何でこんな企画をするの。
私はCUBERSというアイドルグループのファンである。「アイドルオタクあるある」や「それなー」の末吉9太郎がいるグループといったらわかる人もいるだろうか。(しかしこの動画に彼は出演していない。)
彼らが先ほどYouTubeに投稿した動画を見て私は怒りを通り越して悲しくなっている。
その動画の内容は メンバーが飲酒をして渋谷で女性をナンパ→連絡先を聞き出せる雰囲気になったら勝ち というものだ。
まず一つ目に、この情勢でこういった不特定多数の人間と関わる企画をしていいのだろうかという疑問がある。
彼らは現在企画でメンバー全員で共同生活を送っているのだが、そちらはソーシャルディスタンスに配慮して行っているという説明がなされている。だがYouTubeでは不特定多数の人に声をかけナンパをしている。意味がわからない。
二つ目、半年以上現場(ライブや握手会などメンバーに直接会える機会)がないのに、街中を歩いている女性をナンパしている様子を見せられたことが悲しい。
CUBERSは今年の3月以降、生のライブや握手会を一切行っていない。ファンはずっと推しに会えていないのだ。
それなのに、街中を歩いている知らない女と推しが直接話しているところを見せられたのである。つらい。しんどい。運営に煽られているのか。
コロナが流行る前の、現場があったときだって、ファンは2500円払って15秒しか話せないのに。
3月からずっと現場がなくて寂しかったけど、でもそれはファンやメンバーを守るためなんだと思ってた。ちゃんとした運営なんだと思ってた。毎日インスタライブしたり無観客の配信ライブしたり、現場がないから代わりにいろんな企画をやって、楽しませてくれていた。それなのに突然こんな企画をして、最低だよ。
なんでなんでなんでなんで。知らん女ナンパしとんなよ。推しのそんな姿見たくなかったよ。一応アイドルなのに。
優「女の子は何が好き?」春斗「(自主規制)」~コンプラは守りましょうのテロップ~
何言ったのかわからないところがさらに悲しさを助長させる。こっちは勝手に裏切られた気分になってるよ。どんな発言したのか教えてほしい。
連絡先を差し出そうとしてた人に対して実は企画でした~とばらしてたところもなかなか腹が立つ。騙すなよ。
というか、ナンパされるのが恐怖だと感じる女性がいることを考えたことがないのだろうか。
私は夜に知らない男性から声をかけられることが怖いと感じるタイプなので、その点でも見ていて不快だった。
それともやっぱり炎上目的でやっているのだろうか。だからってこんなことしないでほしい。
CUBERS公式ツイッターのフォロワーがどんどん減ってることがこの企画の悲しさを物語っている。
ちなみに今彼らはツイッターとインスタのフォロワーを倍にするという企画にチャレンジしている最中です。笑えるね。
CUBERSの楽曲が大好きだったのにもうしばらく聴きたくない。推しの歌声が大好きだったのに聴きたくないよ。
何で誰も得しない企画するの?悲しい。
メンバーはほぼ悪くないしあくまで企画であることはわかってるけど、それでも悲しいんだよ。
明日起きたら実はドッキリでした~とかなっててほしい。おやすみなさい。
[追記 9/21]
朝起きたら夢じゃなかったので絶望しました。大炎上してるわけでもないし中途半端。
そして問題の動画が削除され、公式から謝罪のツイートが投稿されました。
https://twitter.com/cubers_official/status/1307554933810409472?s=20
「この件に関しましては、スタッフと制作チームとの連携不足により招いた結果であります。」って何?
夜はメンバー全員でのインスタライブ配信がありました。(前日から予定されていたものです)
神妙な表情で始まったので今回の件に関してなにか話すのかと思いきや何もなく、世間話と明日のライブの話をして終わりました。
毎日ツイッターのフォロワー数を発表してきたのに今日はありませんでした。昨日から400人以上減ってるから言えないよね。笑える。
先代の末吉に比べたら、まあ
1文にまとめると勉強を頑張る為に同人活動を休止してツイッターを消すことにしました。
というだけの話です。
ただ自分にとっては同人活動もツイッターも、生半可な気持ちで断てるようなものではなかったのでここから語る事の経緯は自分の感情を整理するための自己満足です。
えらく長い上読んでもこれっぽっちも楽しいものではありませんが、それでもお付き合い頂ける方は読んでみてください。
勉強を今一度頑張ってみたいと思いました。
思ってみたもの、今まで散々頑張ってこなかったことなので正直既に全然自信がないんですけど。
本当に自信がないです。散々頑張らなかった人生なので。
ただ、自信無いなりに、まず頑張る為に今まで頑張れなかった原因たる要素を外的要因から潰していこうと思ったのです。
その1つが自分で学費を持った上で、勉強をする為に学校に入ることでした。
ざっくり勉強と申し上げましたが4月から資格を取得するために専門学校に通うことにしたのです。
同資格を取得するにあたって大学に行っていたのですが、親の金で通っていた当時は正直な話どこか甘えていた部分があったと思います。
実家から独立して社会に出て数年、時間もお金も有限なんだと本当に今更痛感しました。
勉強する為にお金を出して与えてもらった時間を使って勉強をろくにしてこなかった今まで、本当に勿体ないことをしてきたなと思いました。
大学当時、資格取得の試験に落ち、翌年仕事をしながら自主学習しても身が入らず結局試験は以来受けていませんでした。
フルタイム勤務に月20~40の残業が発生した状態で実際時間もなかったのですが、結局仕事をしているから、と勉強から逃げていたと思います。
今一度、腰を据えて勉強する為に学校へ行きたいのだと親に伝えたときも父親からは甘えていると言われました。
本当に、その通りだと思いました。
私が社会に出て数年働いても全く届かない数百万というお金を出してもらい4年間大学へ通い、試験には落ち、卒業しても得られたものは何もない状態で社会に出てのんべんだらりと数年を過ごした私には2、3年だとしても学校へ通う為の資金などはなく。
またどこか親に頼ろうという気概が自分の中にはあったように思うので。
実際、学費と学校へ通う間に生計を立てていく問題を本気で考えたのはその後でした。
まず、今年から資格取得の為に受けられる給付金制度が拡充したことを知りました。
次に、検討していくうち決めた4月から行くことになった専門というのが本来2年制の学部でしたが、大学で同資格取得の為の科目を専攻していた関係で前例もある特例として1年制として受け入れて頂けるということでした。
資金的にも現実的な額面になってきたこと(それでも情けない話ではありますが結局親に前借りする形になりましたし、口座の残高はパート勤務でもしないと工面できない程度にしか残せていませんが)、
特例の1年制というのは学費的にも大きかったですし何より親の金で無闇に過ごした時間が多かった大学での4年間が少しでも無意味にならないように思えたこと、
新年に引いたおみくじが末吉にしてかつて類を見ないレベルの手厳しさであった上で「学問:自己の甘えを捨て全力を尽くせ」と言われていたこと、
年齢も正直先日27になりまして、あと数年で三十路というところまで差し掛かっている身としてはあまりにも将来性のない日々を送っていたこともありました。
ともかくその他いろいろ踏まえても今踏み切らないともうどうにもならない気がしました。
フルタイム勤務はもう無理なので今の仕事は今月いっぱいで辞めます。
前述の通り隙間時間で入れるバイトを探して当面はやっていきます。
学費を振り込んだ今残った口座の残高数十万円は試験半年から数ヶ月前にはバイトも辞めて勉強だけ集中するためのお金なので来年の今頃には本当にほとんど一文無しの予定です。
口座に余裕がなくて本当に良かったです。
長い目で見ればリターンがあるからとか言って本でも作れば向こう数ヶ月はご飯が食べられなくなる寸法です。
資格が取れなければ本当に何も残らない状況で、これで頑張れなければ本当にただの屑だと思います。
要は、自主的に意欲を持って頑張れない自分が頑張る為にまずあらゆる退路を断つ必要があったのです。
もう後が無い環境を意図的にでも作って追い込まないと自分は間違いなく何かに甘えてしまう人間だったので。
そんな感じで経済的・将来的な逃げ道を絶つ環境を整えることを決めたからにはしておかなければいけないと思ったもう1つ。
この文面を此処まで読まれる方でしたら私が見事なまでの限界同人オタクなことはご存知のことと思います。
高1頃から同人活動を少しずつ始め、彼此10年以上同人誌を作ってきましたが、作成ペースは年々悪化の一途を辿り、前年では15冊発行してましたし、もうここ何年も年間10冊超ペースで発行している有様でした。
正直、学生時代勉強に身を入れきれなかった大元の原因が同人活動にあったと思います。
原稿をしている間は人間的な生活が送れない、みたいな限界同人オタクあるあるも私からしてみれば「人間的な生活を送らない理由にするため原稿をしている」ような節がありました。
自己解釈をアウトプットすることが人生で何よりの生き甲斐なのは間違いないのですが、それが同時に生活を怠る免罪符にもなっていました。
イベントに参加して自身の本を取ってもらう、気の合うオタクと喋る、時として感想を貰う。
同人イベントにサークル参加されたことのある方であれば分かる方もいると思うんですけどこの一連の流れって本当に癖になってしまうんですよね。
ただでさえ自己解釈のアウトプットが生き甲斐だった私に関してはもはや本を作ってイベントに出る行為は依存症みたいなものだったと思います。
原稿にかける時間が人生で何よりの優先事項で、次点が最低限の生活を成り立たせるための労働、あとは気が向いたときに行う基本やれなくても仕方のないこと。
自分の中では完全にそういう考え方ができていました。
自己の思考をアウトプットすることそのものが生き甲斐な自分にとってツイッターでのツイート行為もまたある種の依存行為だったと思います。
自分の交友関係は社会に出ている間に学生時代の関係がほぼ残らず、今やツイッターで形成されているものでほぼ占められていたのでツイッターを完全に消してしまうことは自分の人間関係の大半を喪失させてしまうことのように思っていて、それが余計に自分の中でこのツールを離しがたいものにしていたようにも思います。
というか消すまでしなくても程々に運用したらいいのではって話なんですが。
物事を切り替えていくのが本当にへたくそで、特に一つの思考に耽るのが楽しい性分だったことも助長してツイッターでひとたび1つの話題を見つけると数時間でも半日でも延々とそのことについて考えてはツイートをして時間を浪費する日々でした。
共通の話題で盛り上がる人が居ると余計に、自分以外の誰もその話題をしていなくても一人でもいつまでも。
やらなければいけないものできればやりたくないことが後に控えている程にその傾向が強かったように思います。
その手軽さが現実逃避すらも容易にさせてしまっていたと思います。
自身の思考に共感を得てくれる存在が数値として見えるこのツールでは欲している感情が簡単に満たされてしまって、少しでも苦しさを感じる現状に対する手軽な逃げ場になっていたと思います。
息抜きと現実逃避というのはニュアンスとして紙一重だと思うんですが私は息抜きのつもりで一度楽しいことを始めるとそのまま本来の楽しくない作業には戻れなず逃避になっているタイプでした。
人生において欲している感情を与えてくれる要素は現実から逃げる為の要素でもあると思います。
自身にとってツイッターと同人活動は人生において欲している感情を与えてくれる要素のほぼ全てでした。
だから、本当に本当にすべきことを前にツイッターを、同人活動を並行するという可能性を少しでも残せないと思ったのです。
今生の別れでも何でもない、本当に一時的な措置であって数年後の私が目標を達しているいないに関係なくきっと私はツイッターも同人活動も再開すると思うのです。
人生の中でみれば些細な制限に対してここまで長文の記事を作るなんて自分でも正直馬鹿げているなとも思うのです。
これは少しでも隙があればきっとまた今までのように現実にある目前のすべきことから逃げだしてしまう自分に対して仕方ない、仕方ないと言い聞かせる為の文章です。
ここまでしないと、ここまでしても尚駄目かもしれないどうしようもない自分をせめて戒める為にこの文章を作っています。
いくら生き甲斐だったとしても生き甲斐を続けるだけの人生に将来性なんて何もありません。
自分の生き甲斐はあくまで趣味であって、万に一つでも趣味を続けた先にそれが将来性のある何かに繋がるとは微塵にも思っていません。
自分の中で此処まで分かってるなら私は学生時代からもっと勉強をする習慣に慣れておくべきだったと今更のように思います。
結局、その場で満たされる感情やもしかするとなんて夢を見ることでこのままでは良くないと分かっていた現状から逃げ続けていただけだったんだと思います。
手遅れだと諦めるには何もしてこなかったですし半端な気持ちで居続けて「もう手遅れだろう」とか「どうにかすべきだった」なんて言う前に、私はまだどうにかなるものならどうにかしたいと思っています。
逃げ道をいくら塞いだところで1日寝て過ごせば日々は過ぎてしまうわけですから自分が本当に頑張らない限り、どうにかしたいと気持ちだけ口にしたところで結果には何も繋がりません。
ここまで包み隠さず全部言って、それで1年後試験に落ちたら何かもういよいよどのツラ下げてという感じなので正直、どう転ぶにしても後々くまなく喋りすぎたことを後悔すると思ってるんですけど、こうして状況を明記すること事体が退路を断つ一環でもあるので致し方なかったのでした。
最後に「頑張ろうと思います」なんて口だけ言っても仕方ないので自分では言わないでおきます。
(今見直したら冒頭1行で言ってましたけど)
なので此処まで読んでくださった方におかれましては「頑張ってください、応援してます」なんて軽はずみにでも本気でもどんな心づもりでも言えるその言葉を自分に向けては出来れば言わないで頂けたら助かります。
それでも結果を残して戻ってこれたときには軽はずみでも良いので「おめでとう、お疲れ様、おかえりなさい」などのお声を頂けたらとても嬉しいです。
最後の最後に、これからの1年、このブログやフォロー数0のアカウント、もしくは本垢そのものが浮上しても息抜きレベルだと思えるものでしたらどうか見逃してください。
最後まで現金な感情にお付き合い頂いてしまってすいません、ありがとうございました。
それでは。
定期的に聞く話なのですが、私にはいまいちよく分かりません。
そもそも理解や納得や反論をする以前に、前提の共有が足りていない気がするのです。
お時間がおありでしたらお答えください。
ここまで読んだ時間返せと言われても、私は神様じゃないから無理ですサーセン
たとえばここに「大吉1% 中吉10% 吉39% 末吉39% 凶10% 大凶1%」のクジがあったとして、どこから上が運が良かったとなるのでしょうか?
凶より下を引かなければラッキーと考えるか、中吉より上を引けなきゃラッキーとはいえないと考えるかであまりに大きな開きがあると思うのですが?
その中でも、自分が特に生まれたかった国を教えてください。どういう基準で生まれたらラッキーと言える国を決めているかの指標になります。
また、そこで生まれたら日本に生まれるよりちょっとだけラッキーかなぐらいの国も教えてくれると助かります。日本をどのぐらいの位置と捉えているかが分かります。
弥八郎にはいじわる爺さんのイメージがありますが、大久保忠教の方がいじわる爺さんに思えてきました。
感情のこもった歴史史料を遺すと裏目に出ることもあるのですね。
やはり本多正信関連の史料は書状が多く、甲冑は弟の本多正重関係の二領でした。
次男の政重の活躍を考えても、正信も怪我さえしなければ猛将として名を馳せるポテンシャルは
あったのかもしれません。
三河一向一揆で酒井忠尚が下克上に成功していたら?と並んで思い描いた歴史IFです。
上杉景勝の書状が興味深く、彼は半分に折った紙の上半分だけに文章をしたためています。
(いつも紙の真ん中あたりで墨をついでいることが分かる書状にはつい笑みが零れてしまいましたわ)
他の武将は折った紙の下半分にも文章や花押を書いている例があるのですが、
上杉景勝はかならずきっちり下は真っ白にしていらっしゃいます。
主君と部下で公文書とやや非公式な文書の分担をしていたのでは?と感じましたわ。
できれば榊原康政がよかったですわ。
鳩みくじをひいてみたら末吉だった。
全体運として書かれていたことが今まさに自分が仕事で直面している悩みへの回答だった、と思う。
どんな人にも当てはまるように書いてある、とか、これ印刷してるのどこかの会社だ、テンプレあるよな、ダンボールに入って神社まで来てるんだろうな、とか考えだしたらきりがないけど、それでもいいんです。たまたまこのおみくじにあたってよかった。
「波乱含みの運気で不安定、今は恭順の意を示し真摯に働け、機を見て一気呵成に動け」
筥崎宮のおみくじランク的には末吉は最下位だったみたいなので、結んできてもよかったのかもしれないけど、自分を戒め励ますための言葉としてこのおみくじを持ち歩こうと思う。
天は自ら助くる者を助く