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2025-06-28

anond:20250314003028

オードリー若林アンチスレのテンプレの長さは異常

「おーどりー わかばやし あんちすれ ぱーと よんひゃくさんじゅう」

オドヲタおよび贅肉は巣にお帰りください

実況禁止

贅肉によるナリアンチの弊害で、たまに贅肉扱いされる事があっても怒らずスルー

スレは基本スレ立て人が立てますが、たまに留守にするのでその時は他の住人が立ててください

>>950 あたり

若林という人間を語る上での主なキーワード

・笑いに繋がらない虚言癖

的外れ責任転嫁

稚拙自己演出厨二病

自分客観視できない

他者への過剰な自己投影理想化、同一視

暴言失言が多く、キレやす

矛盾が多く、不自由日本語

空気が読めない

自分本位で視野が狭い

・卑屈で狭量、陰湿

・病的にしつこい

社会不適合

2: 以下、\(^o^)/VIPがお送りします 2015/08/02(日) 23:26:32.817 ID:LvrJaeQ50.net 

2007年4月21日(土)流れ星三拍子トークライブ「猫と花Vol.19」(新宿LOFT)にゲスト出演した時の発言 ← 殺人未遂です

若林春日が『どんなことがあっても俺は絶対死なない』って言うからムカついて殺そうと思った。

廃車予定で傷付けても良いという友達の車でバイト帰りの春日が通る駐車場待ち伏せして、

車を30km/hぐらいで春日を轢く勢いで発進した。そしたらぶつかる瞬間に春日ジャンプして 

車の上に乗り上げて張り付いたから、ムカついてワイパーでガガガガッと挟んでやった。」  

※売れてからこのエピソードを何度か話していたが、

さすがにヤバいという事でスタッフに話すのを止められたとANNで話す馬鹿

若林人間としてダメな点

(1)相方の上からキャラが霞むほどの天狗ぶりで、実力もないくせに仕事を選んで手を抜き文句を言う

(2)光年単位で離れたものに対する責任転嫁堂本兄弟いいとも等での客へのブチギレ、村上龍との対談等)

(3)決して自らを省みない(「俺は悪くない・折れるつもりはない・謝りたくない」が口癖)

(4)自分気持ちには敏感、他人気持ちには鈍感

(5)ネガキャンしか言いようのない笑えない他人sage相方や後輩、一般人が格好の標的)

→主に自分欠点相手なすりつけて非難する

(6)番組ストップさせてでも守るほどのプライドの高さ。誰かが若林に都合の悪い話をしようとすると必死に制止する。

(7)周りの迷惑を顧みない、中身の無い愚痴ANN等)

(8)人の話をまったく聞けない。どうでもいい横槍を入れて妨害するか、

狭い視野での相手に対する思い込みを頭ごなしに決めつけて話す。

賛同を得られないといじける、ディスる

(9)義理人情の無さ(世話になった先輩をネタにするというより馬鹿にする、感謝ひとつもない)

(10)もうとっくに卒業してるはずの中学生段階に未だにとどまっている

(ドSな自分・気難しい自分演出、ブチ切れる、友人の会社での悪戯等、いい大人は決してしないことをする)

(11)現場挨拶ができない(アグネスブログ)。目上の人との飲み会でもお酌ができない。(ダヴィンチ

(12)収録に遅刻しても謝らない(コレアリ)。

→収録が始まるまで共演する女優さんと顔を合わせないようスタッフと話し込む

さんま御殿暴露されて逆ギレ

4: 以下、\(^o^)/VIPがお送りします 2015/08/02(日) 23:27:39.606 ID:LvrJaeQ50.net 

◆◆BREAK MAX (ブレイクマックス) 2012年 12月号掲載◆◆

オードリー仕事方向性を決めて仕事を取ってくるY嬢(マネージャー)と、

 自分の好きな仕事をしたい若林とウマが合わず若林がY嬢外しを会社に直訴。

 会社としてはドル箱であるタレント意向を汲まないわけにはいかず、Y嬢は他芸人コンビ担当に。

 そして程なくしてY嬢は退社。

若林芸人としてダメな点

(1)「てにをは」や単純な言葉のチョイスを間違える、漢字が読めない、書けない、言葉を知らない→相方ボケ対応できない

(2)常にすべった時の保険を用意している

スタッフとのやりとり等の内輪話 →素人にはわからない楽しさという言い訳

・笑い自体にかすらない(アリケンビールつぎ等)

最初から笑いを取りに行ってないところがシュールなんですという言い訳

滑るだろうとわかっていてもどうしても言いたいフレーズネタに盛り込む

→あえて滑ってるんですという言い訳

(3)テンションが安定しない上に、それを隠そうともしない(視聴者そっちのけのプロ意識のなさ)。自分ネタグフグフと笑いながら話す。

(4)単調で一辺倒の返し(名字の呼ばれ間違いに対する返し等、一年以上ほぼ変化なし)

(5)芸人としては意味のない背伸び

・学識があるように見せかける(村上龍と話したい、政治の話がしたい、資本主義批判ができる等)

相方を良く見せるための裏方という自己規定芸人である自分否定

(裏方にしておくにはもったいないという評価待ちの態度)

自分には逆らわない身内を酷い目に合わせる、自分サイコ野郎と呼ぶなどして

「俺を怒らせたらこわい」ということを回りに見せ付ける、という小学生しかやらない芸当を平気でやってのける

(6)(5)のような下手なキャラづけとその性格のため、スベった後にフォローをするのが難しく、相方以上の大事故になる

(7)ツッコミダメだしをとりちがえている。おまけに他芸人春日へのツッコミフレーズパクる。(ユニーク仕上げ、浅香光代、足閉じろ)

(8)若林の言う「うまいぃぃぃぃぃ」はタカタカアンドトシ)の昔のギャグをパクったものである

5: 以下、\(^o^)/VIPがお送りします 2015/08/02(日) 23:28:04.949 ID:LvrJaeQ50.net 

リアルお金に汚い若林

若林にはお金を貸したくない(6人中、3票獲得)

理由】→貸した金を返さないか

M-1の時に家に帰るタクシー代がないというので春日が1万円貸したが

TV局がタクシーを出してくれたので、貸した金は必要なくなったから返してくれと言った

しかし「この金はお前より俺の方が有効に使える」と言って結局返してくれなかった

そういう貸しても返って来ない事が度々あって、実際に実害があるので若林お金は貸したくない(おどおどオードリー#12)

若林ができる奴に見える理由

(1)相方や他の芸人を落とす

・売れなかった時代の話の締めとして必ず「春日ポンコツ」話をもってくる(自分ボケについてはスルー

ツッコミダメだしをとりちがえて相方ボケを「つまらない」などと言い、つまらないものさらにつまらなくする

相方や先輩がスベると、巻き込まれるのを恐れてつっこみすらやめて黙る

・後輩芸人たちのどうでもいいガヤをわざわざ拾って滑らせる(キャンナイ)

(2)教養があるように見せかける

・とりあえず村上龍村上春樹岡本太郎といったビッグネームを出せばいいと思っている

政治について語りたいけど相方は話にならないから、などと言って結局話さな

エッセイの連載や、ラジオでお昼の帯番組(世相を斬るような内容の)をやりたいなどと語る

(3)春日から一発屋のにおいがするため、オードリーが売れたのは若林の腕のおかげに違いないと考える(普段お笑いを見ない人たちの評価

トーク力はあるという根拠のない評価

(4)謙虚さを堂々と見せ付けるという一見矛盾することをやってのける

・「裏方に徹します」という宣言自己顕示欲の強すぎる裏方)

自分を過剰に過小評価することによって他人修正してくれるのを待つ

→要するに、若林はありもしない爪を隠すそぶりを盛大に見せ付けたあと「能ある鷹は爪を隠す」と大声で叫んでしまうような人間

6: 以下、\(^o^)/VIPがお送りします 2015/08/02(日) 23:28:24.754 ID:LvrJaeQ50.net 

若林のよくある言動パターン

・やたら業界人ぶる→ANNなどでのスタッフいじり等

・弄られて→「○○さん、俺に厳しくないですかぁ~」または

春日の方が××ですよ」となすりつける(往々にして賛同は得られず)

馬鹿だと言われて→「俺バカなんですよ」と開き直る(26hTVいいとも

ツッコミのくせに他の人にツッコんでもらう前提のトーク

「僕人気ないですから」「春日スターで僕は黒子」→「そんな事ないですよ」待ち

謙虚なように見せかけて、他人言葉として自分を高く評価する

オードリーといえば春日ではなく若林、と言われてますが…」

「(くじら台詞として)おまえは努力家で、落語なんかもよく勉強しているのに…」(ラジオ等)

相方こき下ろすことで自分への評価を得ようとするが、言うことが二転三転する狼少年ぶり

「売れない頃、相方が『時代春日に追いつく』と言ったのは嘘」

相方は一回もネタを書いたことがない」→DVDに収録されている

・しきりに「自分ネタを書いている、相方は一切書かない」ことを主張するが、

漫才春日台詞部分は春日によるものであったり、また、作家が少なくとも3人はついている

自分がやりたくない、体を張るような仕事は「それは相方仕事」等と言い張って回避しようとする(はねトび等)

自分が体を張る仕事をやると、可哀想雰囲気になる」

「イジリで叩かれたりすると、本気でムッとしてしまい、変な空気になる」などと弁明(内さま

相方エピソード自分のものにする、または自分にとって都合の悪いエピソード相方なすりつける。

ラジオゲスト芸人だと変なハイテンションリスナー置いてきぼり、

年下のモデル女優などには見下したような態度でおざなりに進行

35: 以下、\(^o^)/VIPがお送りします 2015/08/02(日) 23:34:35.869 ID:LvrJaeQ50.net 

テンプレは以上、持ち出し禁止

用語解説

【贅肉】…若林本人が呼称した自分ファンのこと (>>7あたりを参照)

【四分の一】…このスレの四分の一は自分が書き込んだと公言する贅肉のこと

aya-】…このスレ毎日のように凸して春日叩きを筆頭に色んな芸人を叩いたり若林を褒め称え擁護する。

時に春日をワザとらしく褒めて春日のナリオタをするのを得意とする若林ファンのこと

自演ナリアンチをするさいは若林と他芸能人を一緒に叩いたり、贅肉の事を「お肉ちゃん」と呼んだりもする。

メル欄を[aya-]や[a]にしたまま自演してた事から発覚(証拠ログ馬鹿信者ヲチスレ1に記載

若林ファン(贅肉)はテンプレ貼りの途中によく邪魔をしたり、勝手に次スレを立てたり、

 テンプレを改変したり、ナリアンチで悪質なレス(例:犯罪教唆・薬をしている等)をしたりして毎日のように荒らしに来る。

※悪質な犯罪臭いのするレスは必ず通報します。

ttp://www.internethotline.jp/

8: 以下、\(^o^)/VIPがお送りします 2015/08/02(日) 23:28:44.953 ID:LvrJaeQ50.net 

◆2000冊本を読んだという自称読書家」若林知識レベル

・「公の場」を「こうのば」、「我が家」を「わがけ」、 学校の居残り「補習」の事を「補修」と二度書き間違う(たりないふたりツイッター5月10日付)

・38歳の「妙齢」の女性という間違った表現妙齢とは女性若い年頃の事であるたりないふたり

フリップに直筆で飼いたいペットは「芝犬」と書く→「柴犬」(おどおどオードリー

・「黙々」を「だまだま」、「造詣」を「ぞうし」、時期尚早を「じきなおはや」、千鳥が淵を「ちどりがふじ」 、気心を「きしん」と読む(ANN等)

・「あせばむ」も漢字で書かれると読めない(Qさま)。漫才の「ネタの一環」を「ネタの一貫」(たりないふたりツイッター

・直筆アンケートで「披露」を「被露」と書く。正確には「被」ですらなく、しめす偏だった。 (お笑い男子校)

・「所」「以」「作」漢字が書けない(内さま)、「TPP」を「TTP」(ANN

・「二つ返事で断った」(ANN)、狩野英孝を「かのうえいこう」(シャンプーおじさん・TORE)

古文書を「ふるぶんしょう」、唯一を「ゆういつ」(ANN)、年俸を「ねんぼう」(Going! SportsNews

・読んだ本の帯を集めている。紙袋にまとめて入れて収集

ピラメキーノ芸能人通知表公開」では通知表を失くしたということで非公開

ヒルナンデスのコーナーMCで、ボードに貼られた雑誌記事文章を読み上げる際のありえない誤読

 「(ネギのような)細長い野菜を端から切ります」を、「(ネギのような)こまかいやさいをたてからきります

 この短い文章で2回も、しかもごく基本的漢字誤読する。

 記事で例に出ている野菜ネギという事から、全体の流れを全く理解出来ていないのが分かる。

鶴瓶を「つるべえ」(特報!B級ニュースSHOW)

内海桂子師匠を「うちうみけいこ」(2012年1124ANNコーナー「勝手ジャンクション」)

ヒルナンデスゆるキャラ1位になった愛媛県今治市ゆるキャラ名前は何かという問題で、

 水トアナが事前に「いまばり市」と読み、南原さんが「いまばりの」と言っていたにも拘わらず、

 コーナーMCである若林最後の補足説明今治(いまばり)市を「いまじ市」、今治(いまばり)タオルを「いまじタオル」と読む。

9: 以下、\(^o^)/VIPがお送りします 2015/08/02(日) 23:29:05.070 ID:LvrJaeQ50.net 

ねじれた性格暴言失言

・すぐに心折れた顔をして周囲に気を遣わせて事故

自分ファン事務所の先輩を「クズ野郎」呼ばわり

 →世話になった先輩のライブ打ち上げにも多忙言い訳に顔を出さない(春日は出席)。

ファンを「うるせぇ」「気色悪い」「クズ」、自分への批判は「相方ファン仕業

 →出待ちが減ったことについて「贅肉が落ちた」

相方彼女家族にも暴言を吐く一方で、自分の身内への弄りは許さな

・注意を受けたにもかかわらず他人を指さしまくり

人間嫌いと公言しながらもお笑い芸人をする自信過剰

・「現状は不遇」発言アエラ

・大ファンだった村上龍と対談(TVぴあ)後、「会わない方がよかった」(ANN

トータルテンボス藤田春日に対して、「ネタを作らない奴は操り人形」(若手DM

・収録で漫才に笑ってくれなかった梅宮辰男について、実名をあげてラジオでグチる。コーナーまで作る。

お笑いポポロは「お笑いヘドロ」

  →トラのかぶりものを被ってアイドル風に撮るという要求に応えず、

  1人だけ適当に頭に乗せて仏頂面、他の芸人は皆プロとして仕事をこなしていた。

番組打ち上げは「くだらないから嫌い」

  →断るために何度も仮病を使う(ケンコバは知らずに若林フォロー

  →参加しても、誰にも言わず途中でひとりで帰る

  →人間関係を築かないので本番で絡めない、他芸人とも連携できない

イロモネア×フレンドパークにて、失敗を責められるが急に不機嫌になって「謝りたくない」と主張、空気が変に。

  →バナナマン日村が「お前なんか嫌いだ」と言ってむりやり回収

飼育員のおじさん(素人)を「ジジィ」呼ばわりして逆ギレバナナマン日村に金網越しに飛び蹴りを食らわす(アドレな)

ごきげんようにて、春日トークが滑ったことに大喜び→司会の小堺氏に訝しがられる

・「(オードリーとの共演を嫌っている)上沼恵美子は汚い舞妓」「こっちからお断り」(ピンライブレポ)

11: 以下、\(^o^)/VIPがお送りします 2015/08/02(日) 23:29:33.173 ID:LvrJaeQ50.net 

矛盾しまくる発言

・「絶対的な基準ものを考えられるようになりたい。相対的な人を見ると、死ぬときにも

  あいつより金持ちだったとか、あいつより長生きできたとか考えながら死ぬんだろうな、と

  残酷に冷静に思っちゃい

2021-12-26

江川氏は94年スタート前身番組スポーツうるぐす」で

江川氏は94年スタート前身番組スポーツうるぐす」でメインキスターを務め、2010年から「Going」に11年8カ月出演。この日の放送では「江川卒業SP」と題して、番組での江川氏のMCぶりや、試合解説選手の様子や変化を見極めて結果を当てる「予言解説」を展開してきたことなどが特集された。

巨人原辰徳監督(63)からビデオメッセージが届き、これまでの労をねぎらわれるとともに、「まだまだ江川さんは体も知力もお若いでしょうから、少し時間があるんであれば、実弾飛び交うジャイアンツのところに降りてコーチ、あるいは監督という形でやってもらえる可能性も、ちょっと増えたのではないかと思っています。先輩、ご苦労さまでした」と、今後の監督業も期待された。

MCくりぃむしちゅー上田晋也(51)もこのVTRを受け「我々としても、江川監督って言うのを見てみたいというのは長年思っているんですけど。そういう方向性というのはいかがでしょう」と問いかけると、江川氏は「ほぼないですね」と回答。上田が「え~やりましょうよ」と食い下がると「ないと思いますよ」と淡々と続けた。

上田あきらめず「ひょっとしたら原監督からちょっと江川さん、お願いします』って、臨時コーチとかあるかもしれませんよ」と粘ると、江川氏は「そうですね、臨時であれば、やらないですね」とクールな返答で笑いを誘った。ただ、最後上田が「やってくださいよ、日本中に見たい人がいっぱいいますから。その日を楽しみにしたいと思います」と言うと、江川氏はまとめるように「はい」と回答。今後の監督就任を“完全否定”はしなかった。

終盤には、今年まで巨人の場内アナウンス担当した山中美和子さんの「9番ピッチャー江川背番号30」のアナウンスに送られてあいさつ。江川氏は視聴者スタッフ感謝言葉を述べると、「私はもう少しマウンドに登ってみたいと思っていますありがとうございました」と、意味深コメントで締めた。



選手としての特徴

江川の球速は高校時代に既にピークを迎えていたとも言われ、当時スピードガンはまだ無かったが、150km/hを超えていたのではないか推定されている[49](プロ入り後の最速は154km/h[50])。スピードガンが各球場に導入された頃、江川ストレートの球速が135km/h前後と表示される記録映像が残っている。これについて掛布雅之西本聖槙原寛己など多数の人物異口同音に「江川の球速が140km/hを下回ることはありえない」と証言、当時のスピードガンは精度が低く、数値の正確さには疑問があると指摘している。特に掛布は「最低でも150キロ好調時は155キロ以上出ていただろう」と述べている。2021年12月4日Going!Sports&Newsにおいて、江川自身が最も速かったとする1981年中塚政幸に投じたストレートの球速を分析したところ、158km/hと算出された[51]。

江川が投じる速球の威力の高さは、投手としては指が短めだったこともその理由とされる。指が短めだったことは、スピンをかけるには有利だったが、フォークボールなどの変化球を投げるのには適さなかった。そのため、プロ入りまで変化球カーブしか投げられなかった。掛布高木豊の弁によると江川は手首の関節が非常に柔らかく、打席から見るとリリースの寸前まで手のひらが見えたという。この柔軟かつ強靭な手首によりボールに強烈なバックスピンを与え、江川独特の伸びのあるストレートが生まれたのではないか高木解説している。このことを掛布は「スピンが効いた独特のストレート」と評した[52]。

1980年代では、スピンが効いたストレートは「球質が軽い」「長打を打たれやすい」などと呼ばれ軽視もされていた。 しか2000年代に入り流体力学を使った解析により、バックスピン数が高いストレート普通の直球よりも沈まず、打ちにくい球であることが判明した。 江川の浮き上がるようなストレートはこの効果によるものと考えられている。

《なお、2021年MLBでは、回転数が高いボール効果があり過ぎるため、指に粘着物質を付ける投手が激増したことから、取り締まりに至る事態になっている。》

1985年から投げ始めた「相手の腰を引かせるスライダー系のボール」、コシヒカリ話題になり、本当にコシヒカリが贈られてきたエピソードがある。このことに味をしめた江川は、今度はメロンを貰おうと「相手マスク(顔)をメロメロにしてしまう顔の前を通すボール」、マスクメロンを開発している[19]。現役時代ライバルだった掛布雅之は、「ストレートへの強いこだわりを持ったボールを感じさせてくれる」唯一の投手だったと述べている[53]。

阪神ランディ・バースが55本塁打や7試合連続本塁打などで王貞治の記録に迫ったとき、逃げ腰の巨人投手陣の中にあって勝負を挑んだのは既述の通りだが、バースが2年連続三冠王を獲得した1985年1986年において、1985年は被本塁打0、1986年の被本塁打も7試合連続となった本塁打連続試合打点記録更新中の最後試合(13試合目)で打たれた2本だけであった。江川引退時、バース江川を「日本アメリカを通じて今まで対戦した中で最高の投手」と讃えている[54]。

9回を完投するため、中心打者には「最高出力」まで上げ、下位打線選手にはコントロール重視とするなど、メリハリをつけていた[55]。9回に全力の投球で三者三振を取ることを「やっぱり打てない」という印象を与えるという点で重視し、そのために7回・8回は少し力を落としたと述べている[55]。現役時代チームメイトだった篠塚和典は「江川さんにはギアがある」と表現しており、「試合の中でここぞという時、特に主力打者と対戦する時はトップギアに入れた。あの大きな体が更に一回り大きく見えた」と述懐している。

江川は与死球が極めて少なく、これは高校時代、自らが頭部死球を受けた経験から厳しく内角を攻めることにためらいを見せたためと語っている[56]。江川自身は、捕手が構えたままのギリギリコースに投げることができたため、わざと打者の体の近くには投げることはしなかったとも述べている[57]。また与四球も少ない。江川場合、豪速球で圧倒できた全盛期の与四球が非常に少ないのが目立っている。江川ボール球を投げること自体が嫌いだったと述べており、当時の巨人ではカウント2ストライクノーボールからヒットを打たれると罰金を取られたため、捕手から懇願でその場合は仕方なくボール球を投げていたという[58]。一般的に速球派投手コントロールが悪いことが多いが、江川はそれにあてはまらず、コントロール面も卓越したものであったことが伺える。

本塁打が多く、「一発病」といわれた投手の1人であり、本塁打を打たれた際、マウンド上で両手を腰に当てながら首を捻るシーンがよく見られた。1982年リーグ最多の36本塁打を打たれた。9イニングあたりの被本塁打通算で1.23である[59]。

上記の通り、デビューした対阪神戦では敗戦投手になったが、その後は阪神キラーとなり、対阪神通算36勝(18敗)を挙げた。これは通算135勝の1/4強を占める。逆に小林繁阪神移籍した1979年こそ対巨人戦8勝0敗と意地を見せたが、その後は引退までの4シーズンで対巨人戦5勝15敗と対照的な結果になった。入団2年目の1980年8月16日、対阪神戦(後楽園球場)での小林繁との初対決では、打撃でも小林から決勝適時打を放つ活躍で、3失点完投勝利を収めている[60]。のちに、「プロ野球でやっていく中で絶対に負けられない試合は数試合しかないだろうが、その中の一つがその試合だと思って試合に臨んだ」と懐述している。

打撃の優れた投手としても知られているが、初安打デビューから36打席目だった[† 28]。プロ入り最初打席で、阪神山本和行が初球に投げたストレートがあまり速くなかったため、「プロってこんなレベルか」と思っていたところ、そのあと「打ちごろ」と見て振った球をいずれも空振りして三振を喫した。江川はそれがフォークボールであったと気づき、「これはやばいぞ。プロはこんな高いレベルなのか」と思ったと回想している[61]。

人物

少年時代写真笑顔で写っているものはない。それは父親から写真は真顔でとられろ」と言われたかである[62]。

裕福な少年時代を送っていたわけではないが、父親財産管理が上手かったこから、年2回の旅行を行えたり、電化製品をそろえることができるなど、物資には全く不自由しなかったとのこと[63]。

幼い頃に父に背負われて散歩に出かけた際、背負われたまま崖の下を覗かされたことが原因で、極度の高所恐怖症となった。そのため妻が元客室乗務員でありながら飛行機いであり、国内の移動はどんなに時間がかかってもいつも鉄道などを用いている(妻との馴れ初めは、江川米国開催の日米大学野球選手大会に出場するため、やむを得ず飛行機に乗っていて青くなっているところを、客室乗務員だった妻が親切にしてくれたこである)。かつて巨人北海道遠征取材東京盛岡青森函館札幌と一日かけて陸路を乗り継ぎながら出かけたほか、宮崎キャンプ取材でも東京博多新八代鹿児島中央と乗り継ぎ、車で宮崎入りするなど、時間がかかっても陸路移動にこだわっている。現役時はまだ青函トンネルが開通しておらず、チームの北海道遠征時は登板がある場合のみ飛行機を利用したが、自らの登板予定がないときはチームに帯同せず東京に残った(江川引退した翌年、1988年青函トンネル開通)。松山でのオールスターゲーム取材したときでも、松山岡山東京と乗り継いで帰京したために、翌朝の『ザ・サンデー』のエンディング江川は既に松山を発ったとのフリップが出ていた(同行した女子アナ松山市内でゆっくり買い物をした後に飛行機で帰京し、江川より先に東京に到着した)。陸路がない沖縄キャンプ取材する際も、時間に余裕があるとき鹿児島から24時間かけてフェリー沖縄に移動するほどである横浜DeNAベイスターズ春季キャンプ取材沖縄に行った際、このときはさすがに飛行機には乗ったが、中畑清監督に「どうやって来たの? 潜水艦でも乗ってきたの?」といわれてしまい、名球会ハワイでの取材時にも長嶋茂雄から江川さん、よく飛行機に乗れましたね」といわれたほどである飛行機嫌いの一因には幼少時代体験だけでなく、現役時代に発生した日本航空123便墜落事故も影響しているといわれている。この事故で同じ球界関係者である阪神タイガース・中埜肇球団社長犠牲になっていたため、球界全体にも大きな衝撃を与えていた。

大学時代、後の夫人となる女性交際していたときデート東京六大学の試合登板予定が重なると、待ち合わせ時間として「試合開始から時間後」というように時間指定していたという。夫人によれば、指定した待ち合わせ時間に遅れることはほとんどなく、逆に試合の進行が早すぎると、わざと遊び球を投げて時間調整をしていたほどであった[64]。

現役時代から財テクに精を出し、不動産投機で大失敗して多額の借金を背負う。「投げる不動産王」とも呼ばれた。プロ入り直後には契約金を使って土地を購入したところ、予定納税のことをすっかり失念していたために資金繰りに窮し、結局土地を手放さざるを得なくなる[65]など、投資に関する失敗談も多い。この他、一時は第一不動産(のちのエフアール・イー、2007年1月破産)や、東京ベイホテル東急の運営会社役員にも名前を連ねていた[66]。なお、同様の呼び名桑田真澄にもあったが、こちらは本人が直接作った借金ではない。

現役引退の年、自宅に近い横浜市緑区霧が丘に喫茶店「きりんこ」を開店した。元々は巨人で打撃投手をしていた同僚が転職を考えているという話を聞き、その支援目的で当時近所に住んでいた黒澤久雄や羽川豊らと共同で出資したのがオープンきっかけだったという[67]。しかし、住宅地で回りにほとんど店が無いこと、すぐ隣に老舗の喫茶店があったことなどから、数年で閉店。その後駐車場となっており、建物の遺構の一部が駐車場の壁として残っている。

本人曰く「成金趣味」に結構金額を費やしている。一時はワインにはまっていたほか、ゴルフ好きが昂じて純銀パターを特注で作らせたこともある[† 29]。それらの贅沢には「ストレス発散」の意味合いもあったという。

テレビでの野球中継において選手呼び捨てにしている解説者が多い中、江川基本的呼び捨てはせず「○○選手」「○○投手」といった呼称を付けている。

2017-09-01

Mr.Hino, 気を落とさないでkeep going! また今度Japanese sakeでも飲みましょう。』

海外音楽サイトより抜粋邦訳

 

くっさ

2017-08-31

ジャズ暴力事件世界的奏者のコメントから

世界的奏者 R氏のコメントより抜粋(邦訳)

『あの子どもは私の若い頃に良く似ている。朝から晩まで練習に明け暮れ本番でも熱が JAZZ を暴れさせる。日本JAZZは分からないが、即興性はJAZZの魂と私は信じている。それは守るべきもの。
 
ただ、JAZZは一人ではできないということを君には伝えたい(子どもプレイヤーへのメッセージ)。ステージに立ったらどんなに小さくてもプロだと思いなさい。プロの奏者は人の意見には耳を貸す必要はない。その代わり良い音楽提供する責任がある。自分について来れる仲間を探すか、自分が周りのレベルに合わせるか考えなさい。日本になければ世界に来なさい。世界を君のもとに呼びたいならyoutubeで実力を示しなさい。私も時々見ているよ。

私がもし君だったら...?
はは、やり返して君のように手でも足でも使ってJAZZを繋げようとしただろうね。Come on! Hey, anytime it's OK!ってキューは送るね。周りが乗ってきたら最高のJAZZセッションになっただろうね。

そして指導者であるMr.Hino もまた良きプレーヤーだと思っている。忘れてしまったのかは分からないが、我々は人を打つのではなく、人の心を打つパフォーマンスをすべきと信じている。おこがましいかもしれないが、一旦指導を退きプレーヤーとしての初心に帰れと言いたい。同じ世界プレーヤーとしてね。

もし私が指導者立場だったら...?
一発はやっちゃうかもね。でも二発目は絶対にない。反抗は“意思”だからプレーヤーが本気ならJAZZ中の強い意思は理性や暴力では決して止められない。むしろ生かすべきだ。

映画Whiplash(邦題:セッション)」(2014)ではないが、二度目は拳でなく暖かいハグをして一旦手を止めさせ、愛情を伝え、アイコンタクトドラムスタートの合図。three, four...でセッション開始。なぜ練習通りにやる必要がある? 私の知るJAZZクラシック音楽ではない。あなた方のJAZZがもし練習通り、楽譜通りならばそれは形だけであって、JAZZを名乗らないよう願いたい。

Mr.Hino, 気を落とさないでkeep going! また今度Japanese sakeでも飲みましょう。』

海外音楽サイトより抜粋邦訳

 
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