はてなキーワード: デジタル大辞泉とは
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%B1%E5%8F%AF
許可(きょか)とは、行政法学上、本来誰でも享受できる個人の自由を、公共の福祉の観点から一旦禁止しておき、
個別の申請に基づいて特定の場合に解除する行政行為である。禁止の解除であると言われる。
「個別の申請に基づいて特定の場合に解除する行政行為である。」とあるように
そこで「許容」について調べると
https://kotobank.jp/word/%E8%A8%B1%E5%AE%B9-479984
許容(読み)キョヨウ
きょ‐よう【許容】
という意味だが
私の場合それは合意したし、乗り気だった。飲み自体も楽しくはあったんだけど、終わった後かなり濃密なボディタッチされて絶望したことあったな。
“侵襲的”って言葉を始めて目にして、意味が判らなかったので調べてみた。
1 侵入し、襲うこと。
2 医学で、生体の内部環境の恒常性を乱す可能性がある刺激全般をいう。投薬・注射・手術などの医療行為や、外傷・骨折・感染症などが含まれる。
いわゆるセクハラレベルの事(賠償責任は負うが逮捕されるまではいかないレベルの事)に対してうっかり使うにしては日常的に使うような言葉ではないし、
仮に字義通りの事(逮捕もされるし賠償責任も負うレベルの事)をされたのだとしたら、
普通は即警察か弁護士案件なのに、権力に頼ろうって発想が全くないばかりか、逆に反応が軽すぎて違和感しかない。
気になりすぎるので、差し支えなければ教えてくれると嬉しい。
もちろん具体的に何をされたのかを聞きたいのではなく、どういう意図で“侵襲的”という表現を使ったのかを知りたいだけなのでよろしくお願いします。
うんばい うんじゅう
うんぬんかんぬん 云云かんぬんの”うん” だと思うんだけど
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1490129319
①いう。いわく。…という。「云為(ウンイ)」「云云(ウンヌン)」 ②ここに。語調をととのえる語。
うん【×云】
[人名用漢字] [音]ウン(呉)(漢) [訓]いう
いう。いわく。「云為 (うんい) ・云云 (うんぬん) 」
[名のり]おき・これ・とも・ひと
ネットで「〇〇の考察が当たってて凄い」とのニュアンスの書き込みを見かけた。それが凄い事なのかは置いといて、考察ってそういうものじゃなくない?
物事を明らかにするために、よく調べて考えをめぐらすこと。「深い—を加える」「日本人の社会意識について—する」 出典:デジタル大辞泉(小学館)
うむ…意味は間違いではないのかもしれない。ただ、実質的なクイズ大会と化している考察に危機感を覚える。
別に考えを巡らせる事自体は否定しない。全部が全部そうだと言うつもりも無い。精読して作品を読み解こうとしている人は居てそういったのは大歓迎。問題はそれ以外の考察という名の予想合戦。その焦点は当てたか、正解はどれかであり、作品を答え合わせに使っているだけになってしまう。
また、考察に対する周りのスタンスもよろしくない時がある。事実上のクイズ大会だからこそ「違う」や「間違っている」といった表現が出てくるのだろうけど、やたらあるべき答えやその作品における正しさを重視するような風潮を感じる時がある。
10人居れば10通りの解釈や語り口がある訳で、その事象に対する考えや視点を固定してしまうのは決して豊かとは言えない。全員が似たような考えや結論に陥るなら語る必要など無くなってしまう。
てか、作者や制作とかどうでもいい。解釈が自由であるからこそ、考察(や批評)は常に新しい視点を求めている。その判断基準はその結論に至るまでの思考過程が妥当であるか否か。ただし、過度な連想ゲームになっちゃうと作品そのものより、作品をダシにした形になってしまうから注意。
今xでは、メロいはシコいと同じ意味だという発言を巡り論争が勃発している。
メロいの解釈は人によってかなり異なるのだが、私はシコいのような性的要素はないという印象だ。
メロいの語源は「メロメロになる」で、類語が「骨抜き・ぞっこん・首ったけ」など。つまり夢中になるほど魅力的の意。
シコいの語源は「シコる」で、これは男性の自慰行為を表す。つまり自慰したくなるほど魅力的の意。
まぁメロいは最近できたばかりの新しい言葉なので、「ほぼエロだよ」「ちょっとエロい意味もあるよ」「全然エロじゃないよ」と意見が統一されないのは仕方ないことではある。
気になったのはそこではない。
メロい論争にあたって「女は自分の性欲を隠すな、綺麗事言いやがって」という主張が盛んに見られたことだ。
特に「メロいって『はわわ///』みたいな意味だと思ってた」「メロいって胸キュンだよね」というポストに山ほどこういう引用がつけられており、かなりびっくりした。
えっ、もしかして男性って、誰かに魅力を感じるとき、必ず性欲が付随してる……?
メロいの解釈を巡って意見がぶつかるのはわかるが、魅力を感じたら性欲なの? どういうこと? 私の性欲の定義が間違ってるのか? と混乱し、念のため調べてみた。
ですよね。
つまり、肉体的接触を望んだり、性器を触って発散する類のムラムラとした興奮が性欲なんだと思う。
で、私は性欲を抱くこともあるし、ときめき・胸キュンを感じることもあるから言えるんだけど、この二つは明確に違う。
ときめき・胸キュンは「好き!」という気持ちの高まりであり、性的な欲求ではない。
胸キュンと性欲を同時に感じることもあるだろうが、性欲がなくても胸キュンは成立する。
これをもしかして多くの男性は理解できないのではないか?と今回の論争を見てちょっと怖くなった。
もしそうなら男女間で話が噛み合わないわけである。
男性は「異性を魅力的に感じるのは全部性欲。女はかまととぶってる」と憤り、女性は「なんで男性は単なる好きの気持ちまで性欲にしたがるの?」と戸惑っているのだから。
この「女は性欲を隠してる」説はvtuberに母親面論争でもよく見かけた。
母親面かつ性欲を抱く人がいないとは言わんが、基本的に母親面したい欲は母親面したい欲であって、ほぼ性欲とは結び付かない。
支配欲・庇護欲の発露なんだよね、母親面。好きな人を自分の管理下で愛でたい気持ち。
多分この「好きな人に対する支配欲」を男性は性欲と捉えるんだろうけど、母親面は対象への性的興奮を伴わないので性欲ではない。
ここで性欲ではないと繰り返しているのは、「だから許せ」という意味ではなく、これは性欲とは別の厄介感情であり、同一視して「お前の母親面は女の性欲だ!」と言うと言われた本人は納得できない(だって肉欲はないので)から話が進まないためである。
とにかく男性は誰かを好きだという気持ちが性欲と結びついているという前提で考えるが、女性はそうではないので話が噛み合わない、ということがかなり議論をややこしくしているのではないかと思った。
1 《(梵)upāyaの訳。近づく意》仏語。人を真実の教えに導くため、仮にとる便宜的な手段。
3 (多く「御方便」の形で)都合のよいさま。
ホロライブのあるカバー株式会社からタレントが卒業発表するたび「方向性の違い」って言ってるの見ると
それこそデビュー前から抱えてた喘息が辛い七詩ムメイさんですら卒業する時に方向性の違いって言ってるし
喘息の件について触れながらもう続けられないのが悲しいって言う状況でも方向性と言ってるのは、もはや方便と解釈するしか無いわ
ホントに会社自体がよくない方向に言ってるから方向性が違うなら
タレント自身が転生なり本業のアカウントなりでその方向についてさり気なく触れる事だって、一人くらいはしても良さそうなもんである
それくらいホロライブも卒業した人達は増えてきたし、また悪者にならずに元いた会社へそれとなく批判するようなやり方も業界では十分積まれてきている
だが現状はカバー株式会社についてどのような批判の材料となる根拠が出ているか…
見回しても未だに「方向性の違い」というそのどうとでもとれる言葉が一番の根拠になる現状である
Vtuber本人の体調面については、既往症の病気を会社のせいで発祥したかのように憶測を語る人がはてなですら出るレベルだ
カバーが下請け絡みで公取委に勧告を受けた件を持ち出す人がいるが、イラストレーターの待遇の件とVtuberの待遇の件は
直接関係するものでもないし関係する根拠を未だに誰も明確に示せてない状況である
結局の所は会社を出ていったVtuber自身は転生後も会社は自分に良くしてくれたとしか言わんし
逆に変な事言ってる人達に法的なお手紙を匂わせる状況だからな…
やしな・う〔やしなふ〕【養う】 1 自分の収入で家族などが生活できるようにする。扶養する。「妻子を—・う」 2 衣食などのめんどうを見ながら育てる。養育する。「孫を大切に—・う」 3 食物を与えて飼う。「家畜を—・う」 出典:デジタル大辞泉(小学館)
年収950万円の夫(小遣い月2万円)と専業主婦の妻。二人の子どもが居る。
こういう状況では普通、「夫が妻子を養っている」というのだろう。しかし、私の場合、「妻に養われている」という表現が非常に実感と合っている。主に、上記の2と3の意味で。
あなたも同意してくれるだろうか? 参考として、以下に、私のプロフィールを記そう。
一人暮らしをしていたとき、ゴミ出しを一ヶ月以上にわたって忘れ続け、部屋中がゴミ袋まみれになるのが日常茶飯事だった。
※私は優良な市民なので、決められた曜日と時間帯にしかゴミを出さない。しかし、チャンスは週に二日だけ、しかも早朝限定という条件は私には難しすぎた。だって、忘れたら終わりだし、ゴミ袋たちは部屋の景色と一体化しているので、そこに有っても全然気にならないし。
また当然、ベッドのシーツを洗濯するとか、トイレを掃除するとか、部屋に掃除機をかけるとか、ベランダを掃除するとか、棚のホコリをはらうとか、あらゆる排水口を清掃するとか、そのようなタスクはすべて基本的に意識の外にあり、衛生的にも大変挑戦的な環境で生活を送っていた。
(しかし、きちんと風呂には入るし、歯も磨くし、衣服の洗濯くらいはするので、こんな私でも知人からは真人間に見えていたらしい)
こんな生活能力の欠如は、教育の問題ではなく私の資質の問題である。私の両親はまともなので、半年に一度くらい(遠方である)私の一人暮らしの部屋へ訪問しては大掃除を敢行してくれていた。なお、大掃除の主力は私の父であり、一般的な男女論は適用外である。
昔から通知表に「整理整頓ができない」とか「忘れ物が多い」とか書かれていた気がするので、たぶん脳機能に何か軽い問題があるのだと思う。宿題とかも全然出していなかった。
大人になるにつれ、忘れ物をしなくなるのではなく、忘れ物をしても上手くリカバリーする方法ばかり身につけてしまった。水道代とかを払い忘れてもすぐに止められてしまうわけではないということも学んだ。
食事もまあ、粗末なものだった。スーパーとかコンビニで惣菜を買って、全然美味しくないなあとか思いながら適当に食べていた。いまほど物価が高くない時分なのに、月に5〜6万円くらいは食費に使っていた気がする。
そんな私でも曲りなりに生活できているのは、もちろん収入があるからである。昨年の源泉徴収票を確認したら950万円と書いてあった。同年代平均の2倍くらいは貰っているということになると思うので、これは大変ありがたい話だ。
なぜそんな高収入が得られているのかというと、それはもう、私が得意とする「過集中」の賜物である。学生時代から、一日に10時間以上ぶっ通しでコーディングをしたり専門書を読んだり論文を書いたりすることを、なんの苦痛もなく実行することができた。というか、過集中状態で頭をフル回転させるのは単純に「気持ちいい」ので、集中できないと言う人の気持ちが理解できないというのが正直なところである。
こういう気質と、専門性の高い仕事(研究開発職)が結びついた結果、仕事のパフォーマンスだけは高い、生活能力皆無男性が爆誕したというわけである。頑張って金を稼いでいるという実感は全く無い。こなすべきタスクや、出すべきアイデアが無数に存在するので、もぐら叩きのようにそれを一生懸命潰していっているだけである。たまたま、この「もぐら叩き」でハイスコアを出せる人間が周りにほとんど存在しないという事実だけに助けられている。
そんな私にとって、専門性の高い仕事をこなすよりも、家の中の仕事(いわゆる家事全般)をきちんとこなすほうが格段に難しい。というか、ひょっとしたら不可能なのではないかと思われる。子どもが幼稚園に通うようになって、それを尚更強く感じるようになった。
妻と出会わなければ、私は早々に身体を壊して、社会から(今生から?)リタイアしていた可能性も決して低くはない。
実際、独身時代、私は(未受診ではあるが)自律神経失調症ならびに適応障害と思しき動悸・下痢・腹痛・頭痛・めまい・耳鳴りなどの体調不良に見舞われていた。
※そんなときに優しくしてくれる女性(今の妻)が目前に現れ、それにより何が起こったかはご想像の通りである。
妻は専業主婦として、家の仕事を素晴らしいクオリティでこなし続けてくれている。
見方によっては、妻が社会で活躍する機会を奪っているという誹りを免れないと思うし、実際、子どもが幼稚園に通い始めるまでの数年間、妻はほとんど自由な時間を持てなかった(一人で食事をすることすらままならなかった)のだから、その厚意に甘え続けているのは人道に反する行いと言っても過言ではない気がする。
しかし、妻は自立した大人の女性であり、彼女自身の信念に基づいて、二人の子どもと出来損ないの夫を養育してくれているのである。これは彼女の選択であるのだから、同情とか憐憫とかというのはもちろん不適切であるように思える。
そう。実際、私は妻に「養育」されている。
美味しい食事を毎日与えてもらい、清潔な衣服を用意してもらい、掃除の行き届いた家で生活させてもらっている。何かの支払いが滞ったりすることもないし、私自身で金銭を管理する必要すらない。晴れた日には布団を干し、頻繁にシーツを洗濯し、水回りもピカピカである。食後にはデザート(主に果物)を出してくれるし、出勤時にはお弁当に加えてちょっとした間食も持たせてくれる。
私が出張に行く前には一緒に忘れ物チェックをしてくれるし、何やかんやと必要なものを買ってきてくれたりする。下着が傷んでいたら買い替えておいてくれるし、上着をクリーニングに出してくれる。
一緒に服屋へ行って服を選んでくれるし、子どものついでに散髪してくれることもある。
それに、妻による教育のおかげで、昔は出来なかった家事が、私にも少しずつ出来るようになってきた。妻が家事を処理する速度のおよそ20%くらいしかパフォーマンスは出ないので、これは通常の夫に求められる最低スペック要件を満たしていない可能性が高いが、しかし私にとって大きな進歩であるとも言える。
いずれにせよ、こんな文章をここまで読んでしまった諸賢には、もう明らかであろう。
生活能力が皆無である私は、「妻(専業主婦)に養われている」のである。
いまの世の中の流れには逆行しているかもしれないけれど、こんな夫婦も居るという一例として。
なお、この文章は anond:20190118204653 の後日談である。妻とは今でも仲良しです。
失礼ながら、「嘘」は、だまそうという意図とは無関係に「正しくないこと」「事実ではないこと」の意味で用いられています。
つまり、「ちゆ13歳は「嘘」を誤用している」というあなたの意見は残念ながら誤りです。
嘘(読み)ウソ
うそ【×嘘】
1 事実でないこと。また、人をだますために言う、事実とは違う言葉。偽いつわり。「嘘をつく」「この話に嘘はない」
2 正しくないこと。誤り。「嘘の字を書く」
3 適切でないこと。望ましくないこと。「ここで引き下がっては嘘だ」
うそ【嘘】
〘 名詞 〙
① 本当でないことを、相手が信じるように伝えることば。事実に反する事柄。人を欺くことば。いつわり。そらごと。虚言。虚偽。うそいつわり。
[初出の実例]「迂踈 ウソ 譃」(出典:温故知新書(1484))
「范式は信士なりまことなうそのない人なり」(出典:玉塵抄(1563)一〇)
② 正しくないこと。誤り。間違い。「うそ字」
③ ( 多く「なければ」「なくては」「ないと」などの表現の下にきて ) 適当ではないこと。不当。
[初出の実例]「那(あれ)は是非鷲見に見せたい。見せなくちゃ謬(ウソ)だ」(出典:多情多恨(1896)〈尾崎紅葉〉後)
④ ( 相手の言葉への反応として感動詞的に用いて ) その言葉は信じられないの意を表わす語。「『あの人結婚してるのよ』『うそ!』」
みんな「教養とは〜」みたいな感じで勝手に色々言ってるけどよ?
それでデジタル大辞泉がこれ
学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。
いやこんなもんあればあるほどいいに決まってるじゃん。
「それって〇〇で良くね」って言ってもよ?物事の構成要素なんてたいてい一つではないわけじゃん。
仮にその〇〇が一番重要だったとしても、教養もあった方がなおさらいいわけじゃん。
地頭が良い人が見た目も怖くしてなおかつ教養もあれば、より詐欺にあいにくくなるわけじゃん。
もちろん100%は防げないが
じゃあ元増田は何が言いたいのか?教養なんてあってもなくても変わらないなんていうのは、言葉の定義からありえない。
そう考えると、「教養を得るのにもコストがかかるはずだが、それに見合う価値はあるのか?」ということが言いたいのではないか?
だとすればだが、それについては当然なんとも言えない。
「教養」って「創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力」のこと(あるいはそれらに繋がるもののこと)らしいじゃん?カバーする範囲が広すぎる。
コストに見合うものもあれば見合わないものもあるし、それも人によって違う。
こんなフワフワしたものについて意味があるだのないだのって、そんな議論したってそれこそ意味ないんじゃないの。
元増田が上げてる4つの例だって、めちゃくちゃ苦労してその分野の教養を積むのは恐らくコスパが悪いが、そうでないならそこまでコスパが悪いものでもないかもしれない。
結局のところ、無理しない範囲で得られる教養は出来るだけ吸収しておけ、ぐらいしか言えないんでない?まあ吸収できるかどうかも個人の資質によるだろうが
石丸伸二さんの10〜20代からの支持率を見て、Ohマジか……となったので。
自分はぶっちゃけ、彼の支持者がテレビで「様々なことを論破していくのを見て〜…」って言ってるのを見た時点で、あっこの人は無いな、と思った。
数年前に某匿名掲示板開発者がSNSで流行り出したあたりから、そのぐらい「論破」という言葉を使う人間のことを信用していない。
デジタル大辞泉によれば、「論破」の語義とは「議論をして相手の説を打ち破ること」だ。「論破」の前提には「議論」がある。
では「議論」とはなにか。またデジタル大辞泉を引用させてもらうと、「互いの意見を述べて論じ合うこと」である。そりゃそう。
自分が「論破する!」と言いがちな人間を信用しないのは、こういう人間の目的がたいてい「議論」ではなく「論破」のほうだからだ。
「議論」とは自分と相手のどちらの意見が正しいか、どちらも部分的に正しいのか、あるいは間違っているのか、唯一絶対の正解がわからない状態でスタートさせるものだ。
それに最初から「論破する」目的で参加するということは、そいつの中に「自分の考えが唯一絶対の正解であり、それに反論する相手の論は絶対に間違っているので打ち破れる」という前提があることになる。
大抵自分が絶対に正しいと思っているやつは相手の話をろくに聞かないし、自分が属さないコミュニティからのインプットが欠如するから成長もしない。(これは10年そこらの経験による個人的な偏見なので異論もあるでしょう)なので信用できない。
都知事選後からXで『石丸構文』が流行り出したが、「議論」をしに来た人と「論破」をしに来た人が面と向かってもそりゃお話にならないわけだ。『石丸構文』自体かったるくて斜め読みしかしてないけど多分アレはそういうシチュエーションなんだと思う。
国会だろうが都議会だろうがそこでやるのは「議論」のはずだ。「論破」がしたいなら政界になんか出てこないでインターネットでやってくれ、と思ってしまう。
しかしその「論破」芸を売りにした結果、石丸氏は10〜20代の有権者から大きな支持を得てしまった。自分が学生だった頃からも始まっていたディベート教育、日々目に映るインターネット論破バトルや先述した論破系Youtuberの影響かもしれない。ともあれ最近の若者は「論破」に並々ならぬ魅力を感じているらしい。
が、一度よく考えて欲しい。政治の話でもなんでもいいが、人と話をするときに、「論破」を目的としてしまっていいのか。
第二百二十二条 生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、二年以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する。
2 親族の生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者も、前項と同様とする。
刑法|第222条
[名](スル)
1 相手にあることをさせようと、おどしつけること。「人質を取って—する」「—状」「—電話」
2 刑法上、他人に恐怖心を生じさせる目的で害を加えることを通告すること。民法上の強迫に対応。
出典:デジタル大辞泉
これ見ただけでも「生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える意志を全く示してない」状態での脅迫は明らかに脅迫罪では無い事が分かる
一方で「暴行」に関しては同意の上でない暴行は確実に暴行罪になる
「○○さんは暴行をしました」だと暴行罪にあたる事をしたという印象があるけど
「○○さんは脅迫をしました」だと脅迫罪にあたる事をしたという印象を必ず受けるとは限らない