はてなキーワード: 有権者とは
だって広告会社のメルチュの女性社長が、自分のnoteで大々的に宣伝してたんだよ?
「私、こんなに頑張った!仕事した!」って感じで。
https://megalodon.jp/2024-1121-0124-57/https://note.com:443/kaede_merchu/n/n32f7194e67e0
ボランティア??
そんなわけないよね。
金銭の授受は発生してるはずなんだよ。
そりゃそうだよ。家宅捜索したの、note公開から大分経ってたもの。
その間に証拠なんて消せるよね。
ただあれだけ選挙の裏舞台をネットに公開して、それでも不起訴になるんだったら、今後は本当にやりたい放題だよね。
毎日新聞がエグい
立花党首の逮捕容疑は街頭演説での発言が中心だが、遠因にはSNS・動画投稿サイトや、斎藤元彦氏を支援するとして「2馬力選挙」を展開した兵庫県知事選(2024年11月)での発言があるだろう。立花党首の逮捕は、こうしたSNSを利用した選挙運動のあり方に一石を投じるものだと言える。
。。。大丈夫か?
どんだけヤバいこと書いてるかわかってる?わかってねぇんだろな。立花を叩く言説ならなんでも許されると甘く考えてるんだろうけど。
「遠因」ってなんだよ。法的な手続き、刑事事件の司法処理で「遠因」なんてものが許されるわけねぇだろ
新聞社がそんなもん認めてどうするんだよ。
逮捕に「遠因」なんてものはない。そんなもの法治国家で認めていいわけねぇだろうが。
さらに、
この知事選で、一部の有権者はSNSにあふれた真偽不明の情報を「真実」と信じて投票したことが明らかになっている。立花党首も斎藤氏に批判的な関係者への中傷を繰り返し、民主主義は危機的な状況に陥った。表現の自由が最大限に保障される選挙期間中は警察も強い態度で臨めなかったと思うが、今回の逮捕で、名誉毀損や中傷が許されないことを示した。
二点ツッコむ
全ての有権者が理性的合理的な選択を行う、行えうる知性を兼ね備え、立候補者は嘘偽り無く政策と目標を提示し当選後は言行一致。
みたいな?
ねぇよ、不完全で有権者も立候補者も嘘、間違いが起きうるから定期的に軌道修正する仕組みが民主主義だ。
間違えることも織り込まれてるの。
次に、そもそもそれ以前に、真偽不明の情報、で斎藤元彦を辞職に追い込んだ議会やマスコミの対応はなんなの?
毎日新聞社は報道当初から一貫して例の内部告発文書は全て真実であるという前提で報道してたよね?
だけど、ありゃ最後まで「真偽不明の情報」でしかなかった。少なくとも法的にはね。
で、2024年9月に議会の不信任案の議決で知事失職したわけだけど、この時に議会の暴走を戒めたマスコミなんて無かったぞ
えとね、2024年9月時点では告発文書は「真偽不明の情報」でしかない。
文書問題調査特別委員会が6月に設置され、9月時点では中間報告すらされていない。委員会の設置目的は文書7項目の真実性だが
ちなみに2025年3月に委員会から最終報告が提出されたが、毎日新聞は切り抜きの都合のいい報道しかしていないよね。
報告書読めばわかるが、ほぼ全員が知事を叩きたい委員会構成に関わらず、実質的に「真偽不明の怪文書」でしかなかった、という結論しか出せてない。これ報道した?してないよね?報告書は告発者の思い込み、事実誤認でしかないって指摘だらけだぞ。
オマエが言うな。
公人にはなにを書いても許されるって態度だったよね?
議員数削減が話題になってて、比例代表と小選挙区とどっちをどれだけ削るのかという話になっている。
結構火力が強いのは「比例代表なんて無くせ」という人たちで、要は小選挙区で選ばれなかったような候補が復活するなんておかしいとか、そいつに対して投票したわけじゃないのに当選するのはおかしいみたいな感じ。
確かにそれは分からなくはないし、比例復活に関しては無くしても良いとは私も思ってる。参議院議員選挙と同様に衆議院の比例も得票数によって順位が決まる仕組みにすれば多少なりとも改善されるとも思う。
現在の日本の政治が政党に基づくものであるのはどうやっても否定できないし、実際小選挙区だって大半の人は「候補者」ではなく「政党」を見て投票しているだろう。
小選挙区は各選挙区で1番得票数が多かった人しか当選できない、逆に言えばそれ以外の得票は全て死に票になるので、結局のところ一番人気のある政党が勝てるだけでマイナーな政党は全然議席が取れないということになりかねない。
比例代表はその名の通り得票数に比例して議席が分配されるので、支持率が数%でもあれば議席をいくらかは獲得できることになる。だから少数派を国会から締め出さずに済む。
もちろんノイジーマイノリティの問題は私は大きいとは思うけども(何ならそういう迷惑な奴らは滅べとさえ思う)、でも一方で実際に日本国内にも色々な生活をしている人がいるわけだよね。
例えば仕事にしても現代日本は第3次産業の従事者が圧倒的に多いけど、だからといって農業や漁業、製造業といった職を軽視して良いわけではないよね。
そういう職業の人たちが自分たちの主張を伝えるために自分たちの話を聞いてくれる議員、政党を国会に送り出せるということは極めて重要なことだと思う。
仕事だけじゃなくても例えば年代や性別、住んでいる地域、経済状況など多種多様な人が日本には住んでいるのだから、それが少数派であっても票に比例して議員を国会に送り出せる仕組みは絶対に確保しておくべきだと私は思う。
だから比例代表制に感情論だけで反対している人はちょっと冷静になって欲しい。
多分皆さんが憤っているのは「比例代表」そのものではなくて、復活当選とか順位を勝手に党が決めている事だと思うんだ。
得票数に従って議席が分配され、かつ当選する議員自体も有権者の意思に沿うような形が最善だろうから、どうすればそうなるのかという議論をした方が建設的だよ。
平成二桁生まれの20代なんだけど、最近やたらと地方の議員とか首長のスキャンダルが全国ニュースになってる気がする。号泣会見だの、不倫だの、政務活動費の不正利用だの。
もちろん昔から政治家の汚職事件みたいな大きな話はあったんだろうけど、今みたいに地方の議員個人の問題が、ここまで頻繁に全国区の話題になってたっけ?って思うんだ。子供の頃の記憶だと、もっと大きな事件じゃないとテレビのニュースでやらなかったような。
これってたぶん、SNSとネットニュースの影響が大きいんだろうな。
昔はテレビ局や新聞社が「これは報じる価値がある」って判断したものがニュースになってたけど、今は地方の小さな問題でも、誰かがSNSに投稿すれば一気に拡散する。それにネットニュースが食いついて、さらに燃え上がって、結果的にテレビのワイドショーでも取り上げられる、みたいな流れ。
昔だったら地方紙の片隅に載るくらいで終わってたような話が、今や誰でも発信者になれる時代だから、良くも悪くも可視化されやすくなったってことなのかも。
だから、昔よりスキャンダル自体が増えたというよりは、「知る機会」が圧倒的に増えたってことなんだろうな。昔の政治家がみんなクリーンだったなんて思わないけど、今の方が有権者の監視の目が厳しくなってるのは間違いない。
それが良いことなのか、ちょっと息苦しい世の中なのかは分からないけど。ただ、自分の住んでる町の政治家が何やってるか、昔よりはるかに分かりやすくなったのは事実だよな。
高市早苗がトランプの横でぴょんぴょん飛び跳ね舌を出して一部国民には顰蹙をかっているようだ。
だが本当に恥をかいたのは、女性が政治の最前線で生き残るため「キャピキャピ」「媚び」という振る舞いを演じざるを得ない構造を温存してきた、私たち日本人全体ではないか。
私は高市さんの政治思想とは相容れない。しかし、相容れない相手だからこそ、あの場面を「政治家・個人の資質」の問題に落とし込んではいけないと思う。
彼女は「飲み会に呼ばれても読書を選ぶ」「お酌を断る」タイプの勉強家として語られてきた。
そんな人物でさえ、表舞台に立てば「求められる女性らしさ」を的確に読み取り、演じ、年長男性が支配する政治の世界に適合して昇っていく以外の選択肢がなかった。
メディアは女性政治家の政策より表情・服装・物腰を先に採点し、政界は可愛げや空気の読める振る舞いを忠誠の証として要求し、有権者はそこに無邪気に付託してきた。
こうして「政治的能力」より「性別役割の演出」を評価するインセンティブが形成され、総理大臣という最上位の地位にある女性でさえ、その演出から自由ではいられなかった。
右か左か以前に、女性が「女性らしさ」を演じなくても評価される政治と社会を用意できていないことの、赤裸々な告白だった。
痛ましい思いにさせられたというのが正直なところだ。
左派こそ、ここで自省が要る。
保守系の女性に対して「ほら見たことか」と嘲るのは簡単だが、それは結局、同じ檻を補強しているだけだ。
思想が違っても、女性を女性らしさの演出に縛る仕組みを壊すことは普遍的な解放の課題である。
もし左派を名乗るなら、まず相手陣営の女性政治家の人間としての自由と尊厳を守ることだ。
彼女が「戦略」を選ばざるを得なかった時点で、すでに誰かが負けている。その誰かとは、日本の女性たちであり、そして私たち国民だ。
東北で立憲民主が強かったのはNHKや日経のデータでも出てたし、逆に参政党は熊ゼロの九州で強かったし。
熊ゼロ九州や大都市から熊を応援して、東北人が死ねば死ぬほど参政党が相対的に強くなるという目論見なのかな。
あと参政党が農業被害を生むジャンボタニシを応援するところも、農家が多い東北への攻撃ととることができる。
つーか傾向として参政党の政策って「都市部在住だから獣害や一次産業について完全無知で、イメージでオーガニック礼賛や動物愛護」なとこを取り込んでるよな。
一次産業の人間があんなスズメ毛沢東みたいな党に入れるわけがない。だから熊を応援して殺し、参政党以外に入れる有権者を減らすんだろう。宮城県民は参政党の和田政宗も落選させたしな。
「政治家はずるい!国会議員が多すぎるし給料も高すぎる!これを減らせばもっと別のことに使えるだろ!」これが凡人的発想である
しかし、日本の国会議員数が多いのは、単に日本の人口が多いからであり、人口一定あたりの国会議員数で見れば世界的には少ない方になる
歳出の最も大きな割合を占めるのは社会保障費であり、「政治家はずるい!」と言っているお前ら老人が一番税の恩恵を受けているわけである
つまり「政治家の給料を削れ!」と怒鳴る前に、「自分の年金がどれだけ国家財政を圧迫しているか」を冷静に見つめろ、という話だ
政治家の報酬を全員ゼロにしても、社会保障費の誤差にもならない。数字を見れば一目瞭然だ
だが凡人は数字を見ない。感情で判断する。「上級国民」への妬みを政治批判と勘違いし、制度の構造的欠陥には目を向けない
政治家が「ずるい」と思い込むことで、自分が「被害者」でいられるからだ
本質的には、政治家がずるいのではなく、有権者が怠惰なのである
1. 「X(旧Twitter)は思想的植民地政策説」 → 140文字という制限が、思想を浅薄化させ、特定の価値観を強要する手段になっている可能性。
2. 「140文字で大衆のIQの低下に歯止めがかからない説」 → 短文での情報伝達が思考の短絡化を助長し、議論が深まらないまま炎上する現象の要因。
3. 「知的なKindle本は売れない。割に合わない説」 → 一般読者の知的好奇心よりも、エンタメや簡単な自己啓発本のほうが売れる現実。
4. 「日本の知的エリートは無能しかいない。彼らが大衆を説得することを諦め、傲慢になり大衆と変わらない存在になった説」 → 知識人層が本来持つべき「啓蒙する能力」を放棄し、自己満足に陥っている可能性。
5. 「平均的な有権者が無知なため、格差社会が広がっている説」 → 情報を適切に処理できない有権者が、富裕層に都合の良い政策を支持してしまう悪循環。
短絡評価とは、それが真とわかったらそれ以上の議論をしないことを意味する。
例えばA or Bという論理で、Aが真とわかったらBは評価しない。あるいはA and Bとあって、Aが偽なら評価をしない。
一見すると、プログラミングにおける演繹の話でしかないように思える。 しかし、これは人生の知識についてあらゆるところで使える考え方である。
短絡評価の考え方を経済学的に言い換えるなら、「限界分析を打ち切る合理性」ともいえる。
経済主体は、すべての選択肢を無限に検討するわけにはいかない。情報収集や分析そのものにもコストがある。
これを経済学では「情報の限界費用」あるいは「取引コスト」と呼ぶ。 追加の情報探索コストよりも、得られる期待便益が小さいと判断した段階で、人は探索をやめる。
合理的無知もまさにこの文脈に属する。 つまり、ある命題Aが真であるとわかった瞬間に、Bを検討しないのは、最適停止問題の一種である。
例えば投資について考えよう。「素人は個別株はダメ。インデックス投資一択でいい」という論理。この論理を容認するなら、個別株それぞれを見ていくことは単なる時間の無駄ということになる。
あるいは「自分はスポーツ全般が苦手だ」とわかっていれば趣味探しでスポーツを検討しないし、「俺の将来の出費はこうだ(不確実性込み)」と事前にわかっていればそれ以外の出費はない。
選挙で、有権者がすべての候補者の政策を精査しないのは怠慢ではなく合理的行動だ。自分一人の票が結果に与える影響がほぼゼロであるなら、情報を調べるコストの方が高いからだ。これは「政治的短絡評価」とも言える。
さらにマクロの視点で見れば、企業の投資判断も同じ構造を持つ。市場分析を無限に続けるより、「一定の確信度に達した時点で投資する」方が、機会費用を最小化できる。
経済学者ハーバート・サイモンが唱えた限定合理性が示す通り、人は完全情報の世界ではなく、限界的に合理的な世界で生きている。