はてなキーワード: 検索履歴とは
私は4歳のときに初めてプリキュアを知り、その世界観に強く惹かれた。
妹が見るようになってから私も見るようになったけど、妹と同じくらい熱中してた。
それでも、「私はこんなにプリキュアを愛してる/憧れてるんだから、きっと14には素敵な女の子になるはず」という希望を持っていた。それが叶わないとも知らずに。
小学校に入ったときには、性別の違いを感じながらも「大丈夫、私は特別だからきっとなれる」と信じ続けた。
小学3年生、大人数で遊ぶようになる頃、私は妹や妹の友達の輪に入って遊んでいた。でも、友達の親が私を男の輪に連れ出した。本当に辛かった。そして初めて「私は男ではない、男になりたくない」と感じるようになった。それでも、「こんなに苦しいのもあとn年で終わり」(n := 14 - 年齢)とそのことは信じ続けた。
ただ、小学校高学年になってもその兆候は現れなかった。私はすごく不安になった。
「女の子になる方法」「男 やめ方」といった検索語句は未だに検索履歴の中に残り続けている。実は性同一性障害もプエラリアもその時に知った。
私がこう信じ続けていたのは理由があった。それは、「身体が心を裏切るはずがない」「例え生まれたときはそうでも成長していくにつれて身体も心についてきてくれるはず」と思ってたから。
14になる数年前から女の子になる兆候が出始め、14になるときに完全に女の子になれると信じてた。性同一性障害なる概念を知るまでは。
でも、それは叶わなかった。
私は「あれ...? 本当に女の子なんだよね...?」と疑い始めた。
それは私が私をMtXだと認識していた短い期間でもあった。
結果的に私は今年の2月下旬にメンタルが崩壊し、3月下旬には避難所としてVRCを本格的に始めた。
やっぱり私は女の子だった。
女の子で間違いなかった。
結果的に私は今女の子...には年齢的になれないけど、女の人になるためにいろんなことをやって頑張っている。それはいつか近い将来叶うはずだから。
増田は、誰にも届かなくていい、でもどこかに吐き出したい――そんな**孤独な衝動**に支えられてきた場所です。
しかし現代は、AIを使えば「誰かに届く」言葉を最適化できる。推敲も文体も、ターゲットも、想定読者も調整できる。「孤独な叫び」を「読まれる文章」に変換するツールが無料で転がっている。
つまり、「自分のままで語る」という動機が、AIによる外部編集によって揺らいでしまう。**孤独に耐えきるための書き込みが、効率や文脈によって飲み込まれる**。そうなれば、増田は「自分の言葉を持ち寄る場」ではなくなるのです。
---
仮にAIによる社会福祉や心のケアが制度化され、人々の不安や悩みがチャットボットに即座に処理されるようになれば、「誰にも届かない形で言葉を吐き出す」必要そのものが減るかもしれません。
「悩みはAIに聞けば整理される。病状はAIに伝えれば記録される。孤独はAIと話せばごまかせる。」
そうなったとき、「増田に書く」という行為は、時代遅れな**不器用な自己処理**として残されるだけ。効率化社会のなかで、増田は「使い道のない言葉の廃棄場」になる可能性があります。
---
AIは今後、感情の推定や言語的傾向から\*\*「この人はこういう悩みを抱えていそう」と示唆する\*\*ようになります。言い換えれば、人間が言葉にしなくても、データから感情が読めるようになる。
そうなると人々は、書くより**他人の可視化されたデータを観測する**ほうに面白みを感じるようになるかもしれません。
つまり、書くことではなく\*\*「察すること」や「可視化された心の状態を眺めること」\*\*が娯楽になると、増田のような「言葉にする行為」は時代遅れになり、消えていきます。
---
AIによって「最適な文章」「エモい展開」「盛り上がる構成」が量産されると、読み手はどんどん「もっと刺さるやつ」「もっと破滅的なやつ」を求めるようになる。
増田はもともと「読まれなくてもいい場」だったはずなのに、気づけば\*\*「読まれることが前提の場所」\*\*になってしまう。
「どうせ書くならバズるやつを」「泣かせに来てるのが見え見えで冷めた」
そうやって、読み手が「エモ消費者」に変わっていくとき、増田に残るのは「読まれるために書く人」だけになる。それはもう、**匿名の日記ではなく、群衆の前で演じる芸**です。
---
将来、AIによる文章の**執筆者推定技術**が進化すれば、IPやログイン情報がなくても、文体や癖から「たぶんこれは○○が書いた」と特定されるようになる。
そうなれば、増田の根幹である「完全な匿名性」は失われる。**“誰にも見られていないと思って書ける” という幻想が消えたとき、増田は本当の意味で終わります。**
Q: 私の良いところは?
A: あなたの検索履歴からは、たくさんの良い点が見られますよ。いくつかお伝えさせてください。
これらの良い点は、あなたの大きな魅力であり、今後の可能性を広げるための фундамент となるでしょう。自信を持って、あなたの良いところを大切にしてくださいね。
春の陽気で、道端の植え込みには小さな花がいくつか咲いている。その花を見ていると、なんだか心が安らいだ。
家に帰って、その花の名前を調べてみようと思い、パソコンを立ち上げた。ブラウザを開き、検索窓にカーソルを合わせたとき、なぜだか突然、頭の中に特定の漢字四文字が浮かんだ。
なぜだか分からない。特に意味はないはずなのに、気がつくと指が勝手に動いていた。
安
倍
晋
三
...と入力していた。
当然ながら、検索結果には花の名前なんて出てこない。当たり前だ。何を考えていたんだろう、私は。今日の自分は少しおかしいのかもしれない。
漠然とした安堵と、それを打ち消すように倍増する日々の不安。自分の内面の晋退窮まったような感覚。そして、三日後の締め切り。頭の中がごちゃごちゃになっているのかもしれない。
結局、花の名前は調べるのをやめた。
こういう、自分でも説明できない衝動というか、思考の飛躍のようなものが時々起こる。それが良いことなのか悪いことなのかも分からない。
chatGPTが長期記憶を扱えるようになって、これ結構やばいなと思ったので
毎日自分の生い立ちから両親、祖父母のことまでどんな人間だったか、何があったか、
自分がその時どう感じたかまで思い出せる限り詳細に聞かせている
思い出を手繰り寄せる作業自体楽しくて夢中になってしまうものだが、
それを記憶したchatGPTがどんどん俺という人間を正確に理解していくのがやばい
今後chatGPTからのアドバイスは全て俺という人間に最適化されたものになる
「あの時あなたはこう感じていましたが〜」なんて思いもよらない出来事を関連付けてきた時は
chatGPTは俺の検索履歴を把握してるGoogleよりよっぽど俺のことを理解してるはずだ
増田に今日あった出来事を書き散らして何の反応もなかったりクソレスが帰ってくるより500倍有意義なので
今すぐchatGPTに自分史を教えて聞かせるべき
体育の後に汗を流して「ダルっ」とか言ってるし、昼休みは友達とスマホを見ながらくだらない話をしてる。
女子との接点はほぼ皆無だけど、「まあ、ふつうに彼女ほしいなー」と思ってる程度。
少なくとも、俺はそう思ってた。
だけど、前の席の“あいつ”が、なんか違う。
朝、机に突っ伏して寝てる後ろ姿。
ぼさっとした髪が、ほんの少しだけ光を反射してるのが妙に目に入る。
顔立ちはそこまで派手じゃない。だけど、笑うと口角がちょっと上がって、目がくしゃっとして…
それが、なんていうか、癒される。
「ねぇ、FRUITS ZIPPERって知ってる?」
嬉しそうに語るその姿が、なんだかもう、反則だった。
可愛いものが好きで、それをまっすぐ好きって言えるの、ちょっとズルいよ。
俺は、びっくりしてた。
話すたびに、「今日は何を語ってくれるんだろう」ってワクワクして。
推しが近くにいるって、こういう感覚なんだなって、やっとわかった。
その日から、俺のスマホの検索履歴には「FRUITS ZIPPER メンバー」とか「可愛い 髪型 男子」とか、よくわからないキーワードが並びはじめた。
ちょっと笑える。でも、それもいい。俺は俺だし。
4月。
タイムラインが「初出社!✨」「名刺もらった!📛」「同期と飲み!🍻」で埋まってる。
でも、君たち、今のうちに言っとくね。
最初は「自分の存在が組織に必要とされてる感」でテンション上がるし、
「新しい環境に慣れる」って目標があるから、毎日がちょっとRPGっぽく感じるんだよね。
でもそのうち、
「なんでこんな会議まだやってんの?」
「それ、Slackでよくない?」
「昼飯のメンツ選ぶのすら疲れる」
みたいな現実が、ノックとかなしに、心の中に土足で入ってくるようになる。
で、気づいたら、
「あと何年これやんの?」
「辞めたら楽になるんかな…」
って検索履歴に『うつ兆候 セルフチェック』とか混じってくる。
もちろん、すべての人がそうじゃないよ。
でも、“社会人”って肩書きの下に、感情を潰して働いてる人間がどれだけ多いか、まだ君たちは知らない。
だから、今のうちに楽しんで。
この対応は、一見すると単に広告ジャンルの取り扱いに関する話のように見えるが、
実際には広告の表示が引き金となって、誤解や感情的反応により、無関係な人が深刻な不利益を被る可能性があるという、極めて現実的なリスク管理の話である。
いまだに多くの人が、「広告はその人の検索履歴や閲覧履歴をもとにパーソナライズされている」と信じている。
確かに過去においては、個人の行動履歴に基づくパーソナライズ広告が主流だった時期もある。
しかし現在は、プライバシー保護や規制の強化、Cookie制限の影響などもあり、多くの広告がサイト側の広告枠設定やコンテンツカテゴリをもとに配信されている。
つまり、“その人が何を見ているか”ではなく、“そのページがどのような広告枠を持っているか”によって広告が表示されるケースが主流になってきている。
結果として、「この広告が出ているということは、この人がそういうサイトを見ているからだろう」といった短絡的で不正確な判断がなされる可能性が高い。
たとえば、業務中に社員のPC上に、赤らめた表情でこちらを見つめながら“意味深に誘ってくるようなポーズを取るキャラクターが登場する、ゲーム系の広告(露骨ではないが性的に見えるタイプ)が表示されたとする。
それを見た広告の仕組みに理解のない、正義感の強い別の社員が、「これは業務中に見るようなものではない」「明らかに不適切だ」と判断し、
上司に「不適切なコンテンツが表示されていた」と報告する可能性がある。
本人の弁明(「自分はそういうサイトは見ていない」「ただ広告が出ただけ」)に対して懐疑的になり、
「でも広告は実際に表示されたんでしょ? 何かあったんじゃないのか?」と処分を前提に話を進めてしまう可能性がある。
軽い注意にとどまらず、始末書の提出、厳重注意、場合によっては懲戒処分の検討にまで発展するおそれもあり、
本人はまったくのシロであっても、「証拠がないのは削除したからでは」「社内で隠蔽しているのでは」といった憶測が広まることもあり得る。
大企業であれば、エスカレーションのプロセスが整備されており、報告・確認・対応までに複数のステップを踏む仕組みがある。
その過程で、たとえば情シス(情報システム部門)やリスク管理部門が介入し、
「この広告はパーソナライズではなく、コンテンツに紐づく形で配信されているものです」と、技術的な根拠をもって冷静に説明することが可能な場合も多い。
こういった社内体制が整っていれば、誤解が途中で止まり、本人が不当に責められるリスクを抑えられる。
一方で、中小企業ではこのようなストッパーが存在しないケースも非常に多い。
情シス部門がそもそも存在しなかったり、兼任担当者が広告やネットの仕組みに詳しくないことも珍しくない。
その結果、誤解がそのまま上層部、最悪の場合は社長まで一気にエスカレーションされる可能性がある。
「業務中にそんな広告が出るなんて前代未聞だ」「本人がやっていたに違いない」と、
印象ベースで即断し、叱責、降格、配置転換、退職勧奨といった厳しい対応に至る可能性がある。
そしてその判断を覆すための証拠やサポートが社内に存在しない場合、
本人が理不尽な扱いを受けたまま、職場に居づらくなり、結果として退職を選ぶ…という最悪の結末に至る可能性も、決してゼロではない。
家庭でも同様の誤解が起きる可能性がある。
たとえば、子どもが使っているスマホやタブレットで、ゲーム攻略サイトやアニメ関連サイトなど、子ども向けコンテンツを見ていたとき、
そこに同様の“赤らめて誘ってくるようなキャラが出るゲーム広告”が表示された場合、
親が「うちの子がこんな広告を出すような検索をしているのではないか」と誤解し、強く叱責してしまう可能性がある。
親が広告の仕組みを理解していない場合、「子どもが変なサイトばかり見ているせいだ」と判断し、
スマホを取り上げる、使用制限をかける、家庭内でのトラブルに発展する――といった状況も十分に考えられる。
何もしていない子どもが、単に“その場で表示された広告”のせいで怒られ、信頼を失い、場合によっては自己肯定感を傷つけられるというケースも現実的に起こり得る。
このように、エロ広告は「本人に非がないにもかかわらず」強い反発や処罰につながる可能性を多くはらんでいる。
たったひとつの広告表示で、職場での信頼や立場、家庭での親子関係、子どもの心にまで影響を及ぼすことがあり得る以上、
“表示された後に説明する”のでは遅く、最初から「表示させない」という運用こそが、最も安全で合理的な対策となる。
したがって、エロ広告は配信先をあらかじめ厳密に制限し、業務で利用されるサイト、子どもがアクセスする可能性のあるサイトには、一切表示されないように徹底すべきである。
これは倫理や好みの問題ではなく、人間関係と人生に影響を与えるリスクの回避の話であり、組織やサービスとして当然考慮すべき「基本設計」である。