はてなキーワード: RPGとは
子供の頃遊んで懐かしいと思ったから、とりあえず1から、難易度は真ん中で始めた。
・王様に支度金をもらうが、初期装備は整っていて、買い物するものが無い。
・画面が回りそうで回らないのに、入り口が横方向についていてわかりずらい。
・マップが最初から全オープンになっていて、マップ探索の遊びが無い。
・レベルアップ時の表示がbefore -> afterになっている。どのくらい上がるかを楽しみにしてるのに、ぱっと見わからない。一気に全部でるから楽しみが無い。
・巻物みたいのの演出がクドイ。
・レベルアップすると全回復するからダンジョンが楽すぎて緊張感が無い。
・武器を強くしても実感がない。鋼の剣たいして強くないし、鉄の斧のほうが強いとかがっかり。昔は鋼装備をそろえれば、一つ達成感があったのにな。
・ついに主人公が喋った。戦闘中の掛け声だけど。しかも炭次郎の声で。キャラにへんな色がついちゃっててがっかり。
・ダンジョンの行き止まりに何もない。昔ならそういうのゆるされなかったでしょ。
・装備を揃えなくても敵を倒せてしまうので、装備を買う楽しみが無い。いっぱい落ちてるし。
・死んでもオートセーブからやり直せるので、デスペナルティが無い。緊張感が無い。
・芝居がとにかく長い。そういうの簡略化してテンポよく遊べたのが堀井のうまさだったのに。
・アイテム数が多いわりに使いどころがない。一人行動なので戦闘でのアイテム使用のリスクが高すぎるんだよ。
総評:
レベルアップの楽しさも、探索の楽しさも、装備を買う楽しさもない。ぬるすぎて緊張感がまるで無い。ただのお遣いゲーになりはててる。
RPGの遊びが一切ない。ストーリーと景品ばっかりそろえて単純作業をさせる。ソシャゲの作りだよこれは。
作り手はいったい何を楽しさとして提供したいのかさっぱりわからない。
近年のスクエニは、絵と音楽とシナリオと声優をてんこ盛りにして平たく慣らしただけで、何がしたいのかよくわからないものばかり出てくる。作り手もソシャゲ脳になってないか。
ドラクエ12の開発費を稼ぐために、オールドファンに寄付を募るための商品だったんじゃないのか。
若い子がこれを遊んでいったい何を感じるんだろう。
俺はもうドラクエは無理だと思ったね。
ダメージ受けるごとに服が破けるとか、こっちはマジメにゲームやってんだから全然そういう気分じゃないの判るよね。やるなら鑑賞モードとか抜くべき場所でやれよって言う。TPOわきまえろ。
アクションとか本編部分でゲームとエロの両立って無理だよ。断言するけど無理。
エロゲーも感動泣きしたいのか抜きたいのかどっちかにしろって感じじゃん。だから廃れたと思うんだよね。うえ~んしこしこなんて感情を遮断できるロボットみたいな人間にしか無理。
人間も抜きたいのかゲームしたいのか脳も判断が困ると思う。エロ同人RPGだって決戦なのにボスがエロ攻撃して来たら萎えるでしょ。 「電マ攻撃だ!くらえ~!」主人公はアヘっている! デバフ:発情(笑) テンポ悪すぎ。さっさと倒れろ
ゲームが他のメディアと違うのは「体験」「没入感」だと思うので
アドベンチャーやミステリーでストーリー目当てにするのはまあ分かるんだよね。
物語を先に進めるのとゲーム部分って全く連動してなくて、伏線について頭を捻るよりも装備品で耐性パズルするかどうかじゃん?
まあパズルゲームにしろSTGにしろ9割のゲームがそうなんだけどさ、つまり俺は9割のゲームにおいてストーリーはメインじゃないと思ってるわけよ。
でも世の中にはいるじゃん?
「俺はストーリー目当てにFGOやブルアカをやってるんだ」みたいなのが。
はぁ?
ストーリーなんて全体の2割程度。
それならその時間で小説や漫画でも読めば10倍大好きなストーリーが味わえるだろ?
俺だって別にゲームにストーリーは必要ないと思ってるわけじゃないよ?
でもストーリーを目当てに遊ぶんだったら、それはストーリーと密接に根ざしたゲーム性であるべきだと思ってる。
Outer wildsとか逆転裁判とか、ストーリーを追いかけること自体がゲーム性そのものみたいな作りのゲームだと「俺がこの物語を解き明かしたんだ」って感動は確かにあるよ。
でもドラクエみたいな結局はレベルを上げて雑魚をボコってボスをやっつけるゲームの場合におけるストーリーって、戦闘を楽しむための背景でしかないじゃん?
強くなる過程にごっこ遊びを支える頑丈な屋台骨があるのは良いことだと思うよ。
スカスカなストーリーのゲームとか「これクッキークリッカーでいいよな?」ってなりかねないのも分かるし。
でもストーリーとゲーム性の間のつながりが薄いゲームを「ストーリー目当てに遊ぶ」ってのは理解不能だわ。
俺がドラクエ遊ぶのはレベルを上げて強くなってくのが楽しいからだし、もちろんせっかく強くなるなら強そうな見た目や設定のボスを倒せるようになることが目標のほうが楽しいとも思ってる。
だってもしラスボスがキングスライムだったらクソゲーじゃんドラクエなんて?
んでまあプレイのおまけ程度に思っててもなんだかんだ感情移入してしまうこともあるからさ、「このRPGのストーリーめっちゃ好き」みたいなのは分かるのよ。
それならまだ「エロ同人で寝取られる気分になりたいからソシャゲをプレイして好きになったキャラはお迎えしてキッチリ育てた上で脳破壊に向けた位置エネルギーを貯めてる」のほうが理解できる。
マジで分かんねーんだわ。
あれか?単なる格好つけなのか?
もしかして俺が変わってるだけかな?
PS Portal リモートプレーヤーは、ソニーが2023年に発売したPS5ゲーム専用携帯機です。当初はリモートプレイ機能のみでしたが、2025年11月6日の大型アップデートにより、PlayStation Plus プレミアムのクラウドストリーミング機能が正式実装されました。
PS Portalのクラウドストリーミング機能により、特定の条件下ではPS5本体なしでゲームをプレイできるようになりました。ただし「完全にPS5不要」とは言い切れません。
- 推奨:15Mbps以上
PS Portalは実はハイブリッドデバイスで、二つの使い分けが可能です。
PS PortalにはHDMI出力機能はなく、TV・モニター接続は公式には非対応です。背面のUSB Type-C端子は充電専用で、ビデオ出力には対応していません。
### コントローラーを接続すればiPadでもPS Portalに近い体験が可能
| 項目 | PS Portal | iPad + DualSense |
| 画質・安定性 | ハードウェア最適化により高画質・低遅延 | ソフトウェアレベルで若干劣る |
| 遅延 | 最小化、接続速度が「一瞬」 | わずかに遅延あり |
| 画面サイズ | 8インチ | 11インチ以上(iPad Proなら優位) |
| 画面品質 | 専用最適化ディスプレイ | 高精細だが汎用ディスプレイ |
| セットアップ | 電源入れてすぐプレイ | アプリ起動→接続→ログイン毎回必要 |
| 携帯性 | 専用コンパクト設計 | 重く、スタンドが必須 |
| コスト | 約3万円 + 月額1,550円 | 無料(既にiPadとコントローラー所有時) |
| PS5本体電源 | クラウドモード時は不要 | リモートプレイ時は必須 |
| 項目 | PS Portal | iPad(既所有) |
| 初年度総額 | 43,880円 | 0〜12,000円 |
| 2年目以降/年 | 13,900円 | 200〜300円 |
| 5年累計 | 113,680円 | 800〜1,500円 |
| 10年累計 | 183,480円 | 1,600〜3,000円 |
クラウドストリーミング機能が実際に使えるのは、現在のところPS Portalのみです。スマートフォンへのクラウドストリーミング対応は、ソニーの発表では「計画中」ですが、実装は遅れており、実用段階には達していません。
### PS5の優位性は失われつつあります。徐々にSteam移植が進んでおり、ソニーは既に「Only on PlayStation」戦略を放棄したと言っていい段階です。
ソニー経営層が明確に戦略転換を表明しました。PC版リリースはPlayStation Studios収益の大きな部分を占めるようになり、Horizon Forbidden WestやSpider-Man Remasteredが特に好調です。
PC移植の利益性は無視できず、ファーストパーティタイトルはかつてはPS本体を売るためのマーケティングツール(独占独占)だったものが、今後は「強いタイトル」をPS向けだけでなく、PCなどにも展開していくことがマージン(利益率)の大きな改善に繋がるという経営判断です。
現在のソニー戦略は明確化しており、最新作ほどPC移植が早いという傾向があります。
| タイトル | PS5発売時期 | PC移植時期 | 独占期間 |
| God of War Ragnarök | 2022年11月 | 2024年9月 | 約2年 |
| Ghost of Tsushima | 2020年7月 | 2025年5月 | 約4.8年(PS4含む) |
| The Last of Us Part II Remastered | 2024年1月(PS5版) | 2025年2月 | 約1年 |
傾向:最新作ほどPC移植が早い。これは「PC需要が急速に高まっている」ことを示唆しています。
なぜ、まだ独占のままか?
これらについても、ユーザーの要望は根強く、ソニー自体が「いずれPC化も検討中」と示唆しているとの報道があります。
1. ゲーム購入の自由度:Steam版はPS Plus不要、完全な買い切り
2. MOD対応:PCはMODコミュニティ活動(PS5では不可)
3. 将来プレイ保証:PCゲームはサブスク廃止後も遊べるが、PS Plus Premiumサービス終了時の権利が不確定
4. 価格競争:Steamのセール戦略がPS Storeより厳しい
実質的には:
ゲーム業界の評価も「The "Only on PlayStation" era is a relic」と宣言しており、Steamの優位性指摘はゲーム業界の現実を正しく捉えています。
ただし1点:PS Plus Premiumのクラウドストリーミング+ゲームカタログは、まだPS Portalでしか体験できない利点として残っています。
都内の実家を相続した。築30年、駅徒歩12分、土地はそこそこ広い。
ありがたい話のはずなのに、どうしてだろう。
ローンを組まなくても金融資産から払える金額のリフォームの見積もりを前に。
あの、SNSでよく見る「仮審査通った!」「本審査ドキドキ」みたいなヒリヒリ感。
人生の試練のような、通過儀礼のようなあの感情を、私は味わうことができない。
みんな「税金戻ってきた!」と喜んでいるけれど、私はその“減税ゲーム”の参加資格すらない。
現金払いでは国からのご褒美もなく、ただ淡々とリフォーム費用が口座から引き落とされていくだけだ。
そして団信。
それすら私は持てない。
何よりも、住宅ローンを組むという行為には「一人前になった感覚」がある。
社会から「お前はちゃんと働いて、返せる人間だ」と信用された証なのだ。
その“信認”を得られないまま、私はただ親の土地に棲みつく人間である。
住宅ローンは、言ってみれば最大の「国公認の借金レバレッジ投資」だ。
インフレが進めば実質負債は減価し、固定金利ならむしろ得をする。
世の中が住宅バブルだと騒いでいる間、私は「フルローンで買っときゃ勝ちだったのに」と
誰よりも冷静に、そして誰よりも羨ましく見ていた。
結局のところ、
「家を持つ」よりも「家を買う」ことにこそ、
この国の成熟した消費者が感じる一種の“人生イベント”があるのだと思う。
ありがたいはずの相続は、
どこか「ショートカットしてしまったRPG」のような虚しさを残している。
タイトル候補をいくつか出す(例:「ローンを組めなかった男」「審査のない人生」など)
どんな方向に仕上げたいですか?
(追記:以前に書いたエントリが知らぬ間にずいぶんバズっているので、コメントを参考に今の考えを書いてみた)
具体的なゲーム名がない。エアプじゃね→そういえば具体的なゲーム書いてなかったな。PCゲームだと初代シムシティ。結局ゴールである市民50万人には到達しなかったっけ。
ミスタードリラーなんかは2000年前後だったがずいぶん楽しんだ。パズルゲームは好きだね。特にランダム要素のあるゲーム。
覚えゲーとは違う、その場の対応能力、反射神経が求められるゲームが大好き。
あとはアーマードコアシリーズ。あれこれ組み合わせを考えるのは楽しかった。
お前が爺になっただけだろ→爺はともかく社会人になってからゲームに没頭する暇と気力が減ったのは事実だ。あとストーリーものだと土日にクリアできないと話を忘れてしまう。
あと、RPGはあまり好きではない。完全に食わず嫌いの偏見だが、戦闘システムが昔と変わり映えしない(特にJRPG)。ストーリーが大したことない。シナリオ分岐とかあるようだが所詮お使いゲームだと思ってしまう。なんかおススメない?
他にやりたいこと、やるべきことが増えたのもあるかもしれない。プログラミングとか奥が深くて楽しいし、資格試験もゲーム攻略のつもりで取り組んだり。ゲームに時間を費やすのがもったいなく感じたりするようになった。人生をゲームのように生きるとか。
ゲームはたくさんある趣味のone of themでいいやと考えを変えればいいのかも知れない。そう考えると、それはそれで一つの生き方かも。
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ゲームは昔から好きだった。インベーダーブームを体験し、近所の駄菓子屋の筐体で遊び呆けたりした。
そのうち、コンピュータ(パソコン)でどうやらゲームができるらしいと知った。ちょうどマイコンBASICマガジンが創刊されたころだ。
アーケードゲームは少しづつ内容がレベルアップし始めた。ゼビウスが発売され、その神秘的な内容に痺れた。
そして、ゲームは百花繚乱の時代を迎えた。毎月のように新しいゲームが発売されて、俺は嬉々として紹介記事や攻略法を読み漁った。
この頃はまだその新しいゲームたちの名前をほとんどそらんじることができた。ゲームの内容が高度になっても、まだ俺の手の内にあった。
ゲームの出来を測るのに「攻略時間」が入り始めた。長くプレイできるほど良いというやつだ。それを競うようにゲームの必要時間が長くなり始めた。
ゲームだけに時間を割くのが難しくなった。その上、発売されるゲームの数は増える一方だ。
だんだんゲームは俺の手に収まらなくなってきた。一つのゲームを隅々まで遊び尽くすなんて真似は不可能になった。
最近のゲームはクリアするのに最低100時間かかるのが当たり前になったらしい。
アバター課金だけでやっていけるのは、見栄を気にするイキリマイルドヤンキーキッズがメインターゲットである対戦シューターやMOBA系くらいだけだろう
あれらは競技性という縛りがあるからキャラや性能的な優位性を売ることができず、競技性を収益に転換するためにロールモデルとしてプロプレイヤーを系列企業ぐるみで祭り上げ、ショービズ込みで成り立っている
アイドルの稼ぎはライブの物販にかかっているのと同じだが、そういうゲームジャンルは治安が悪くなる
落ち着いたオタクの多いサブカルチャー系のRPGではリアルタイムの物語体験を売っていくためにやはり基本無料だとキャラクターや育成リソースを売っていかないといけない
最近はRPG系でもアバター課金だけでやると息巻くタイトルもいくつか見かけるが、このジャンルにおいて持続性のあるアバター課金主軸モデルが成立した前例はないんで疑問が残る
俺はこの手合いがRPG系運営型ゲームに必須の充実したアップデートを提供できると思わないので、ある種の売り逃げ焼畑商法の一種だと思っている
一応MMORPGの時代にはアバターに性能をつけランダムボックスから排出されるレアアバターを公式RMTのように取引させることで盛り上げるゲームはあったが、キャラガチャモデルより倫理的な問題が多く社会問題にもなった
某1人旅のコマンド式RPGをやっていたのだが非常にモヤモヤしている...
戦闘において「敵がプレイヤー1人に対してやってはいけない行動」をしすぎていて、なんかアンチパターン踏みまくってるなと思ったのでメモ。
そもそも1人旅のコマンド式RPGというのも珍しい気はするが、物語途中、一時的に仲間が離脱して一人になるケースは時々見かける。
そういったケースは大抵、仲間の離脱に伴って敵が弱くなるのが恒例で、敵側に結構 「暗黙的なルール」が課せられることが多い。
例えば大人数でプレイヤーをタコ殴りにしてはいけない。ましてや複数回行動は避けるべきである。
よくある RPG では、主人公1人しかいない時は大人数の敵にほとんどエンカウントせず、敵の行動回数は1ターンにつきせいぜい2~3回程度に絞られているケースが多い。
必然的に攻撃対象が主人公1人だけなので、そもそも敵が行動しすぎると主人公の体力が持たないというのもあるが、プレイヤー側が選択できる手数と敵の手数に差がありすぎると、「敵の行動に対処しきれないケース」が出てきて運ゲー化してしまうからだ。
例えば「大ダメージを与える攻撃」と「状態異常にする攻撃」を敵が出してきた場合、プレイヤーは「体力の回復」と「状態異常の回復」の2つの行動を取る必要がある。しかし、プレイヤーが1人しかいない状況ではどちらか1つしか選択ができない。片方ずつ順番に行うにしても2ターンの間こちらは一切攻撃ができなくなってしまうし、その間さらに攻撃を喰らってしまうと一生攻撃ができなくなってしまう。
「じゃあ攻撃と回復の両方を一度にできる技を用意しよう」はアンチパターンだ。こういうケースにおいて、行動の強さのインフレを起こす考えは基本的に良くない結果を生む。
敵の強い行動に対応できるだけの強い技を安易に作ると、プレイヤーは強い技を連打するだけになる。これではコマンド式RPGの良さの一つである「一手をじっくり練る戦略性」が損なわれてしまう。
であればどうすれば良いかというと、「敵の数を制限する」、「格下の敵を出す」、「敵の行動パターンをコントロールして運ゲー要素を減らす」あたりが妥当な案になるだろう。
特に3つ目は某RPGの過去作でもラスボスなどでよく使われていた手法で、強い行動と弱い行動が存在する場合、それらをある程度パターン化して織り交ぜることで戦闘の中で緩急を作りつつも運ゲー要素を減らすことができる。1人のプレイヤーに対して敵が複数出るケースは、例えば「2回に1度必ず『様子見』や『攻撃に失敗』する」とすれば実質的な行動回数は半分になるのでプレイヤーが対処しやすくなる。流石にこの例はあからさま過ぎるが、こういう調整をプレイヤーに悟られずにこっそり仕込めるかどうかがゲームデザインやバランス調整の腕の見せ所なはずである。
間違ってもプレイヤー1人の状態で「即死攻撃」や「クリティカル攻撃」を敵に使わせてはいけない。
これらはプレイヤー1人では対処しようがないので単純に理不尽なだけである。
これらが許される唯一の例外は「確実に無効化(あるいは大きく軽減)できる対処法があり」かつ「プレイヤーに事前告知されている時」だけである。
追記:
いろんなサイト見た感じ、「装備と道具を工夫し、やられる前に倒せばOK」ということらしく、なるほどなーとなった。ただ、装備を練って欲しいなら、ワンタッチで最強装備着けられる機能とか、今の持ち物のままボスに再挑戦できる機能と矛盾してる気がする。「持ち物見直して再挑戦」があれば見方も変わったと思う。
毎日同じ毎日を過ごしてこのまま一生続くんじゃないかと思っているなら変えりゃいいじゃん。
起きていつもと違う洗顔料で顔洗って、いつもと違うコンビニに寄って、サンドイッチとスムージーでも買いなよ。
正直、子どもは嫌いだし、子育ては面倒だし、趣味の時間は減るし、お金の使い道も制限される。
性根がおひとり様体質なので、かなりキツい。
こんな人間でもなんとか子育てできてるんだよ、っていうのを共有したい。
でも、子どもはうるさそうだし、面倒くさそうだし、正直嫌いだった。
1人目のときは初めての育児だったから、「できなかったことができるようになる」という意味で楽しかった。
でも2人目は楽しくない。
作業ゲーみたいなもんだ。
多分、自分は「知らないこと」や「想像を超えること」が好きなんだと思う。
2歳になって言葉も流暢になってきて、会話ができるようになると、
表情や話し方、身振りを少し変えるだけで大体予想通りに動いてくれる。
民法877条に「直系血族及び兄弟姉妹は互いに扶養の義務がある」と書いてある。
生物として欠陥まみれだけど、法律があるから仕方なく子育てしている。
でも、できることならやめたい。
どんなに幸せだっただろう。
そんなことを毎日考えながら過ごしてる。
一応言い訳しておくと、パートナーから見れば「ちゃんと親の役割を果たしてる」らしい。
「きちんと愛情を持って接しているように見える」とも言われる。
まあ、そう見えるならそれでいいと思う。
昔から何をやってもそれなりにできた。
子育ても多分、それなりにできてるし、これからもそれなりにやっていけると思う。
多分これを読んでる人の中にも、「昔から何をやってもそれなりにできた人」がいると思う。
理不尽なことも多いし、制約も多い。
自分が主役じゃないから、お金も時間も自分のためには使えない。
主役のままでいたい気持ちはよく分かる。
人生は一度しかプレイできないゲームみたいなものだし、私もそういうタイプだ。
僕は今夜、ルームメイトがリビングで実験的にベーコンを低温調理している匂いを鼻孔の厳密な位置で嗅ぎ分けながらメモ帳を開いた。
朝は6時17分に目覚ましを止め(そのミリ秒単位の遅延は許容されない)、6時18分にコーヒーの比率を変える習慣を行い、靴下は左から右へ、座席は常にソファの北東端(座る位置は位相対称性を破らない)である。
食事は火曜日のパスタの残り物は三等分して水曜と木曜の朝食に回す。洗濯は必ず偶数週の水曜に行い、洗剤は0.8倍希釈、脱水は中速、干す向きは北向き。
ルームメイトがドアに爪痕をつけたら即座にログを取り、隣人が郵便物を誤って取った場合は「郵便誤配報告フォーム」を三回に分けて提出する。
こうした儀礼を守ることで僕の内的位相空間が安定するのだと論理的に考えている。
今日の思考の核は超弦理論と量子情報の交差点についての、かなり尖った自己流の定式化にある。
まず、僕は物理的直感を避けて抽象数学で事象を語る。弦理論の摂動系列を有限厚さの∞-圏としてモデル化し、ブレーンを対象、開弦状態をモノイド的なホモトピー演算子として扱う。
局所座標の代わりにファクタリゼーション代数を使い、スパイダー図式を経て得られる交叉相互作用を高次ホモトピー群のコハート化として再解釈することを提案する。
ER=EPRについては、古典的なワームホール=絡み合いという語り方を離れて、僕はエントロピー・双対モジュールの同値性という言葉で捉えている。
つまり、二つのエントロピックモジュールの被覆圏と、それらに対応する重ね合わせのコボルディズム(圏論的な結合双対)を同一視することでER=EPRを圏論的に定式化できるのではないかと考えている。
これを超弦理論に接合するには、AdS/CFT 的なホログラフィック双対の場で、境界側の張力的演算子族が内部のブレーンカテゴリ(例えばフカヤカテゴリやコヒーレント層の導来圏)に対応するという見方を取り入れる。
すると、エントロピー双対モジュールの同値性は、境界とバルクの間で起こる圏の再同型化として現れ、ER=EPRは本質的に圏的ホログラフィーの一命題になる。
ここで僕が提案する小さな拡張は、量子誤り訂正符号のコード代数を∞-圏の射として扱い、その可換性条件がワームホールのコボルディズムの可逆性と一致するというものだ。
これにより、エントロピーの再構成操作がブレーン間のファンクターとして自然に理解でき、局所性の回復を説明する新しい枠組みが得られると僕は思う(これは僕の勝手な定式化で、厳密性は今後の証明を待つ)。
今日はそのメモを、黒板に書く代わりにルームメイトの背中越しにノートに書き留めた。
ところで、僕は靴の磨き方にも数学的基準を設けている(円周率の小数を用いた磨き順列を使っている)。
出かける前のチェックリストはトポロジー的順番、たとえば鍵→財布→スマホ→ペンという順序は位相連結成分を最小化するから合理的だ、と説明すると友人たちは顔をしかめるが、これを守ると予測可能性が上がる。
今夜はRPG系ではELDEN RINGのビルド論とRTAコミュニティのメタ的動向を気にしていて、この作品が2022年にFromSoftwareからリリースされ、多くのビルド最適化やメタが確立されていることは周知の事実だ(初リリースは2022年2月25日)。
また、このIPは映画化プロジェクトが進行中で、A24が関与しているという報(映画化のニュース)が最近出ているから、今後のトランスメディア展開も注視している。
僕はソウルライクのボス設計とドロップ率調整をゲームデザインの位相安定化とは呼ばないが、RTA勢のタイム削り技術や周回遺伝(NG+)の最適手順に対して強い敬意を持っている。
ファンタジーRPGの装備付け(メタ)に関しては、装備のシナジー、ステータス閾値、クラフト素材の経済学的価値を語るのが好きで、例えば「その装備のクリティカル閾値を満たすために残すステータスポイントは1だが、その1が戦闘効率を%で見るとX%を生む」というような微分的解析を行う。
FFシリーズについては、Final Fantasy XVIがPS5向けに2023年6月に、続いてPC版が2024年9月にリリースされ、さらに各プラットフォーム向けのロールアウトが段階的に行われたことなど実務的事実を押さえている(PCリリースは2024年9月17日)。
僕はこのシリーズの音楽的モチーフの再利用やエンカウンター設計の比較研究をしており、特に戦闘ループの短周期化とプレイヤー感情の連続性維持について言及するのが好きだ。
コミック方面では、最近の大きな業界動向、例えばマーベルとDCの枠を超えたクロスオーバーが企画されるなど(Deadpool×Batmanの一連の展開が話題になっている)、出版社間でのIPコラボが再び活発化している点をチェックしている。
これらはコレクター需要と市場流動性に直接影響するため、収集と保存に関する経済的最適化問題として興味深い。
今日、隣人が新しいジャンプ作品の話題を振ってきたので僕は即座に最新章のリリーススケジュールを確認し、One Pieceの次章の予定についても把握している(最新チャプターの公開予定など、週刊連載のスケジュール情報は定期的に確認している)。
例えば「午後9時に彼らがカップ麺を食べる確率は、僕の観察では0.83だ。ゆえに僕は9時前に冷蔵庫の位置を変えるべきだ」という具合だ。
結語めいたものを言うならば、日常のルーティンと高度に抽象化された理論は相反するものではなく、むしろ同じ認知的圏の異なる射影である。
だから僕は今日もルームメイトの忍耐を試す微細な仕様変更(例えばリモコンの向きを30度回す)を行い、その反応をデータ化している。
さて、20時30分だ。これでノートを閉じ、決まった手順で歯を磨き、眠りの準備に入る。明日の朝のアジェンダは既に分解されているから、心配は要らない、と自分に言い聞かせてから寝るのが僕のやり方だ。