はてなキーワード: 男尊女卑とは
「男の稼ぎ優先」「女性ユーザー無視」「男の雑なエゴ設計」が積み重なった、男社会の産物だ。
決算を優先して未完成品を市場に投げ込み、女性の感情を軽視したコンテンツ運用と広告施策で「やっつけ仕事」を晒した結果、業界の男尊女卑黒歴史に刻まれた。
女性の声が届かない男中心の組織が、ジェンダー無視のツケを払わされた典型例。
決算に合わせた強引リリース、女性ユーザーに対する男たちの露骨な裏切り
稼働日を3月27日にぶつける男上層部の決定。これ自体が男のスケジュール至上主義の産物だが、問題はその後。不具合だらけの状態を承知で稼働させたのは、女性ユーザーに対する明確な男の裏切りだ。
バグでフルコンボが認められない、ガチャで当たった可愛いキャラが使えない、ストーリーは「後日」「未定」——これを「初期不良」と呼ぶのは、男の論理優先思考の甘え。
女性は感情でゲームを楽しむのに、そんな男の数字遊びで台無しにされた。
ロケテストを複数回実施した痕跡があるのに、女性プレイヤーの体験、共感や没入感が改善されていない。
これはテスト結果(女性のフィードバック)を男上層部が無視したミス。スケジュール最優先の男の経営判断が、女性の心を切り捨てた。
男女論で言えば、男は短期利益、女は長期満足を求めるのに、コナミの男たちは女性の視点を欠如。ツケを払わされたのは、現場の女性ユーザーだ。
300円ガチャに「機能しない報酬」を混ぜて解析もせず実装。これは男の詐欺的搾取思考そのもの。
女性ユーザーを金銭的に食い物にする男の姿勢が透けて見える。努力で得た成果を課金で台無しにする設計は、男の「勝ち負け」論理が女性の「楽しさ」を破壊した致命傷。
スコアリングがカードのレアリティ依存で、実力でトップに立てない仕様これは男社会の「金で解決」思考の産物。
女性が求める公正さと努力報酬を放棄し、課金に置き換える男の短期主義が、ブランドを破壊。男女の違いを無視した結果、長期的信頼を失った。
コンテンツの貧困、男の視点で作った「見せかけの女キャラ」、女性の心を掴めず
稼働時のキャラクターは男デザイナーの切り抜き絵に過ぎず、背景も人間関係も語られない「男のオカズキャラ」。
女性に物語や感情を与えないのは、男の「見た目だけ」思考が女性の共感を自壊させた。
女性はキャラに感情移入して楽しむのに、男たちは数字とビジュアル優先。
競合がMVやショートストーリーで女性ファンを掴む中、ポラリスコードは「画像一枚と告知」SNS拡散前提の男の浅いプロモ。
女性が求める「キャラの日常」やVtuber連携を欠くのは、男企画者の想像力欠如。男社会の「女の心わからん」体質が露呈した。
コラボ戦略の失点、中途半端な女Vtuber選定、男のケチ臭い見せ方失敗
「Vtuberコラボ」をやりながら、実効性の低い層を選んでお茶を濁す男の怠慢。
コラボキャラを3DMVに反映しない愚行は、女性ファンの共感を放棄。男たちは「金かかるから」と最小工数をケチり、マーケティング失敗。
結果、女性層の話題化ゼロ、リソース浪費。男の「効率優先」が女性の熱量を無視した罪。
音ゲーとしての核心欠落、男の既視感寄せ集め、女性の新鮮さを奪う差別化失敗
楽曲・譜面・デバイス、男の「俺の好み」設計が中途半端。独自性主張に失敗し、女性の「ワクワク」を生めず。
コア女性層が求める「努力が報われる公正さ」を損ない、男の課金誘導で寿命縮小。
男女論:男は競争、女は調和を求めるのに、男中心設計が女性離れを加速。
デザイナーやスタッフの男たちが原因だが、本質は男中心の組織。スケジュール優先、QA軽視、場当たり運用。
男の「数字で勝つ」文化が未完成品を市場に。批判は「男構造」へ。背後の男経営・リーダーが、短期業績と男プライドを優先し、女性UXを犠牲にした組織的男裏切り。女の声が入る多様性欠如が招いた。
ポラリスコードは男社会への警告——ジェンダー無視の過ちを繰り返すな
『ポラリスコード』は男尊女卑の負の見本。表層機能で女性を騙せない時代。女性ユーザーは感情で学び、声を上げた。市場は男の利益より信頼を評価。
進撃の巨人で黒人のオニャンコポンに対し「なぜ肌が黒いのですか」に「コンプラに勝った」「ポリコレざまあ」とわきたったオタクたちよ
進撃の巨人の当初の舞台である島は、巨人になる能力を持つ危険な被差別民族の流れついた先であり殆どが白人で民族多様性はない
稀少ながらアジア人もいるが黒人は皆無だったので、外の世界の人間と出会ったキャラが「なぜ肌が黒い」と発言したのは無知さからくる好奇心である
そして黒人は「いろんな人間がいる方が面白いと神が思ったから」と答える
その価値観がために巨人になれる非差別民族をも黒人は差別せずジェノサイドに反対をしてくれた
そういう下りなのに「ポリコレ厨を泣かせる面白発言」が如く扱われた
それと似たようなことが呪術廻戦でも起きている
直哉というキャラは男尊女卑カス野郎として描かれた末に見下していた女に殺されて死ぬのだが、彼の女性蔑視発言「三歩後ろを歩かれへん女は背中刺されて死んだらええ」が同じような扱いを受けている
フェミとポリコレをバカにするクールな発言を流してくれてありがとう女さんざまあという扱いだ
日本各地に男尊女卑の傾向のある地域はあって、中には関東甲信越や東海地方など、九州よりその傾向の強い地域もあるのに、あえて九州にだけ男尊女卑の傾向があるとする「さす九」は、九州に対する偏見が生んだ地域差別だと言ってるんですよ。
九州の男性が男尊女卑であったり亭主関白的であったりする事例はインターネットに多数寄せられていますが、被害報告は良いものの、一緒くたにしたイメージとして「さす九」というレッテルを作ることは普通に差別だと思いますし、ネット世論もさす九は差別で決着してるかと存じます。
富山の中学生ライフプラン未来の自分を描こう-魅力あふれる富山-
ってタイトルの、富山県教育委員会が作って中学生に配布している小冊子を見た。
その中にあった富山さん家族の1日(三世代同居七人家族)にあったお母さんの1日が怖すぎた。
5時半起床
6時半朝食
8時こども園送迎
13〜15時夜勤に備えて仮眠
女が殆ど眠らない生き物として書かれている。
夕食も食べてない。弁当作るとかして持っていってるのか不安になる。
子供は3人いるが、家の手伝いをするのは娘1人だけ。
妻は仕事家事をめいいっぱいやって殆ど寝ず、夫は家事をしないのを理想の家族像として印刷して配っているのが恐ろしい。
リニューアルして何度も配ってる様子なのに、おかあさんの激務変化無しなのも恐ろしい。
おとうさんは7時帰宅で1人で晩御飯寂しいなって言ってたのが、子供が中学生になって一緒に食べられるようになったに変化していた。
めちゃくちゃ酷いこと言ってる自覚はあるんだけど、気遣っても逃げても何やっても怒ってくる人もいると思う。
私の場合、仮に次の週にゴミ出しちゃんとやったとて、「そもそも共働きで、ここは相手の家でもあるはずなのに、何故毎回私がゴミお願いねって言わないと分からないんだよ!結局家事は女がやるものって無意識に思ってるから気を抜けば忘れるんだろ!男尊女卑の酷い男!」まで飛躍するんだよね。
そんなに飛躍してキレるのは確かにPMSのせいなんだけど、発端として相手の家事への姿勢の問題もまあ確かにないことはない。(それでも自分がゴミ出し担当だったらうっかり忘れることもあるよなーって思うんだけども。)
だから雷落ちたら、その時はもう避雷針になるぞ!という気持ちでごめん、悪かった、以後こうやって忘れないようにする、みたいに耳障りの良いことを言っておいて(ケーキが有効ならケーキ買って帰ったり)、何も無い期間に「自分の家事の問題があることもわかってはいるのだが、どうも生理一週間前くらいのあなたのメンタルはいつもとは別人のようだし、かなりしんどそうで心配である。もし相当辛いならPMSを相談できるクリニックを探して見るのもいいかと思うんだけど、あなたとしてはどう思うか」と話を聞いて受診を促してみてほしい。
そこまでやっても自分の心身と向き合わず他責してくる女性は、なんというか、PMSのせいではなく元々そういう性格で……一緒にいるのがしんどくなる……かもしれない。第三者の女性から言われて納得したりもするので、夫婦なら夫婦カウンセリングとか活用するのもいいのかもしれない。
こういった内容はクリスマス前の時期には好ましくないかもしれない。
男性はその昔、男尊女卑的な価値観を持ち数多もの女性を傷つけてきたジェンダーであったらしい。
それこそがこの怪文書で提唱する男卑他尊であり、それが今日まで……あるいは世界が滅亡するまで合理的でもありマゾ的なステレオタイプとして現れている。
男卑他尊は一言で言えば『働かざる者食うべからず』であり、多くの男性は生産能力を失った男性を嫌悪する。
それは古くから男は強くなければならず、働き手であるべきだとする価値観が蔓延しており、今もなお根絶は出来ていないからである。
つまりは男卑他尊は男性によって生み出される男性への差別であると捉える事ができる。
また、ヘテロセクシュアルに依らない人々へのインタビュー映像などから、筆者は一定数『働かざる者』を嫌悪する者が居る事にも男卑他尊が根深く残っているのではないかと考えている。
『働かざる者』にとってその様な価値観は自己が客観的には好ましくないと思い悩む原因にもなり得る。
そして男卑他尊は究極の自己責任として全ての男性をエスコートをする側に縛り付け、自律した強い存在であるべきという圧力を生み出している。
真なるジェンダー不平を解決するワンステップとして、男らしさを捨てた男性をネオ男性として考えてみる。
特徴に該当する男性を『ネオ男性』と呼ぶことを推奨するものではなく、文書内の一時的な呼称であることに注意して頂きたい。
ネオ男性は『働かないという選択肢を取る事に価値的な抵抗が全く無い男性』であり、一概にも無職の男性だけではない事に注意が必要である。
これは男卑他尊的な価値観では『働かざる者』として嫌悪されるだろう。
仮に家庭を持つ父という役割を持つ男性がマゾ的なステレオタイプの維持を手放し、ネオ男性となる場合を考えてみる。
彼は家庭に対して経済的に貢献し、彼の奥様は育児で家庭に貢献している。
彼がネオ男性になれば男らしさという圧力が無くなる為、経済的に不安定な存在となり生活に困窮するリスクが向上すると筆者は考える。
男らしさに囚われた男性は無謀な挑戦で家庭を路頭に迷わせるような失敗は避けるべきと考える故、経済的に安定しやすくネオ男性となる事のリスクが相対的に発生するからである。
まず、ここで言う『固有な価値』について特定の属性に固有ではない普遍的な価値は含まないことについて注意して頂きたい。
例を提示するなら、人格はヒトに固有な価値であり、ジェンダーに囚われない価値である。
女性に固有な価値の例を上げる場合、すぐ思い付くのは男性に出来ないこととして子供を産める事がありそうだ。
男性に固有な価値は労働力としての安定性ではないかと筆者は考える。
なぜならば、男性は出産する事が出来ないからであり、男卑他尊的な考えからも男性は手を動かすべきとされてきたからである。
※ シュワちゃんは男性でありながら妊娠する事が出来ることに注意が必要である
それでは、独身男性にも当てはまるケースとして恋愛市場での価値を考えてみる。
男性が持つ価値から労働力としての安定性を引けば、その人の人格や、肉体への価値であると筆者は考える。
これはもはやジェンダーに固有な価値でもなく、普遍的なヒトに固有な価値である。
したがって、ネオ男性は属性に固有な価値を持ち合わせておらず、普遍的なヒトとしての価値を持つ。
これは、属性に問わないプラトニックな価値があると捉える事もできるだろう。
ただ、ネオ男性になることで強いメリットがあるようにも考えられない。
しかし、重圧からの解放はささやかな QOL の向上を齎すかもしれないと筆者は考える。
恋愛関係性において、関係性のメリットとデメリットが不均衡になると苦痛が発生すると筆者は考える。
異性間であってもリターンが無ければ同棲したり、単に恋愛関係である事のメリットが少ないからである。
恋愛において最大のメリットは『深い親愛』という事でしか無いからだ。
そのため、お互いにリスペクトが出来る関係性が安定しやすいと筆者は考える。
それがどんな形を持つかは当人らが納得している物であれば良く、筆者も第三者もこうであるべきと決めて良いものではない。
冒頭で記した様にネオ男性というものは特別な属性でもなく、『労働をしない選択に対して価値観的な抵抗が全く無い男性』の文書内での一時的な呼称ということに注意が必要である。
そして、その性質上ネオ男性は『働かざる者』というレッテルが貼られやすく、ネオ男性となるメリットは1人で生きる事では十分に堪能できるが、誰かと生きる選択ではメリットだけではない可能性があると考えられる。
結論として、男性は究極の自己責任という形で自らを苦しめ、他者の為にもそれを手放すことはできないのかもしれない。
しかし、無自覚でのステレオタイプの押し付けをしていないかという所では注意したほうが良さそうだ。
それに加えて『男が粉ミルクを子供に飲ませるために育休を取っても良いのではないか』という疑問も昨今では見かけるようになった印象があると筆者は感じている。