はてなキーワード: スティッチとは
芸能事務所所属のモデルやってるような「同レベルの顔面の男としか俺は会話しません」系綺麗め男子も、ビッグスクーターを乗り回し色んな黒ギャルと付き合いホンモノの犯罪者の友達もいるガチムチオラオラ男子も、平等に女性化願望あるんじゃないかというのを目の当たりにした。
モデルのほうは「俺こういうのも可愛いでしょ」的に自信満々にヘアピンつけたりゴムで髪結ったりしてた。
一方でガチムチ男子のほうもメールの文が妙にメスメスしかったり学生鞄にスティッチのキーホルダー付けてたりして、たまに血迷ってモデル男と同じようにヘアピン付けて体育参加して周りの同級生たちを震撼させてた。
男というのはもしかしたら等しく潜在的女性化願望あるのではと思っている。
自分のフェイスアップを見せびらかしたがる男もあれほど多かったことを考えるに。
余談。
高校当時、塚本高史やNEWSのメンバーよろしく輪郭を覆い隠さんばかりにもみあげ(というか姫毛)を長く蓄えていた男性ホルモン薄い系イケメンに典型のオシャレをしていた同級生たち。
彼らは30歳過ぎたあたりでほぼ例外なく青髭モンスターになったのは衝撃だった(とにかく色白が多かったからか?)。
ある者は服装髪型自由な会社に勤めていたため、青髭を逆手に取り顎髭も口髭もボーボーに伸ばし放題にして、そのまま頭髪もヒッピーさながらに長~く長~く伸ばしてアーティスト系イケオジとして容姿の延命を図ってた。
また、ある者は服装髪型にうるさい会社に勤めていたため、フィットネスジムガチ勢に転向し、筋肉ダルマとして生まれ変わり、併せて日焼けサロンに熱心に通って、やはり延命のためのモデルチェンジに必死になっていた。
素直に永久脱毛すりゃええのに。
リロ&スティッチの事は「スティッチ=あの青いマスコット、リロ=隣りにいる女の子」程度のことしか知らなかったが、
実写版の予告トレーラーで跳ね回るふわふわのスティッチを見たとき鳥肌が立つほどわくわくした。
自分は実写版映画「名探偵ピカチュウ」のピカチュウや、アドベンチャータイムのジェイクなど、
見た目ふわふわのケモノで、おっさんみたいな言動で、破天荒な振る舞いをするキャラが大大大好きだからだ。
で、満を持して実写版リロ&スティッチを見に行ったんだ。見に行ったんだがあの映画・・・
・リロのお姉さんが、姉妹二人きりの生活を支えるために進学を諦めてバイトに奔走する
・しかしバイト先でリロとスティッチが物品破壊を伴うトラブルを繰り返し起こし、お姉さんは何度もクビになる
・スティッチをバイオテクノロジーで生み出した科学者宇宙人が、スティッチを捕獲しようと地球まで追いかけてくる過程で、お姉さんのバイト先を舞台に物損を伴うトラブルを起こし、またクビになる
という展開をあまりにも繰り返すものだから、見ていてお姉さんがあまりにかわいそうでいたたまれなくなり、
一番楽しみにしていた「リロとスティッチが楽しく大はしゃぎ」的なシーンにまったく没入できない、というひどいシナリオだと思いました。
いや、ひどいは言いすぎた。総じて映像のクオリティは高いし、映像は楽しいんだけど、なんかこう・・・残念・・・
お姉さんの苦労パートをもっとシンプルに済ませて、リロとスティッチが楽しくすごす日常パートをたっぷり見せるシナリオにしてくれてたら、
「物損を伴うハチャメチャ」があったとしても笑って済ませられた気がするんだよなあ・・・
お姉さんを軸にした家族愛のストーリーそのものは別に悪くなかったんだが、スティッチのハチャメチャを堪能するために、お姉さんに感情移入したくなかったなあ
誘拐した女の子が実は…ってやつだしその正体がわかるまでがピークだけど、既にわかっているのではいはいって感じだった。
オクス駅おばけ
めちゃくちゃ怖いってわけじゃないけど、割とまとまっていてよかった
前作のXは見たので、続編のマキシーンの公開が始まる前にってことで。
予告なんであんなにチープなんだろう
横に座ってた学生が上映後に「スティッチと迷ってこっち来たけど、スティッチ行けばよかった…」と言っていて笑った
登場人物が意味不明な行動をしないというのがよかった、個人的にはストレスなく見れるホラー
モキュメンタリー形式じゃなくてもよかったんでない?と思うけどよかった
アジア圏って不気味に思うものの感覚が似てるんかなあとちょっと思ったりした
ニタニタ笑いながら赤子の泣き真似をしてるシーンの厭らしさにはもはや感心してしまった
破墓
割とミステリ要素が強い
ホラーミステリという意味では残穢の系統だけど残穢ほど怖くない
反日映画だ!ってレビューを見て???と思っていたけどなるほどねーって感じ
そうノイズにもならずそんなもんかーと思ってそのまま見た
まずこの映画の要素を語りたいのだが、
そこにライオンキングとムーラン(両方同監督の原案映画)要素があるので、動物の表情だったり関係値や美しい3幕構成に色濃く【あの頃の輝かしいディズニー】を強く感じさせる。
そこにラピュタのロボット兵が飛び込んできて、同じ森にはトトロも住んでいるという【あの頃の宮崎駿】が入ってきて、画風が【モネ】っていう…要素だけ見るとなんていうか、いろいろな作品を詰め込んだ?みたいに言いたくなるんだけど、それでもここまで要素つめて、オリジナルにしたらもうそれは「オタク」を煮詰めた結果の「作家性」でしかないんだよな。
勿論「異種との共存」「自然と人間」「環境」というテーマ性を強く持った監督だというのはわかるが、まあそれなら監督がパヤオ作品が好きになるのも分かるくらいには共通項があるわけで。
このアニメ映画を海外が最高評価しているのは実際見れば当然とも言えるのだが、やっぱりアニメ大国日本として、ここまで日本の作品の影響を感じる映画は、ちゃんと日本人のオタクが分析していかないとだめだなと思ったりもした。
映画を見るとロズという作品は全体的に至極真面目に作っていて、そこがボスベイビーの制作会社とは思えない部分でもあり、そこが世界の興行収入が伸び悩んだ部分でもあると感じた。(ヒットではあるが、特大ヒットではなかった)
でもこの至極真面目なアニメ映画というのは、ジブリの土壌がある日本でこそ受け入れられると思うし、ちゃんと語れると思うんだよ。そしてきっと監督もそれを待ってるんじゃないかと思う。エスパーになるが。
昨今、ディズニー映画が迷走している。もうあの頃のディズニーは……なのでこの作品は実質ディズニーということにしよう…と考えていたのだが、よく考えたら…あのころのジブリだって……。日本国民よ。この作品を、実質ジブリということにしないか?ああ、ジブリオタに怒られちゃうね…。
ネタバレは避ける。
ラピュタやんけ、という予告への反応どおりラピュタのロボット兵に魅入られた監督(リロ&スティッチの監督兼スティッチの声優)が作った作品。
ラピュタ要素は実際見てほしい。
予告編も良くできていて、ある程度予想がつくという反応も大きくは外れていないが、ちゃんと裏切りはあるので一見の価値あり。
映像美とざっくりまとめると適当だが、ドリームワークスがなかなか日本でヒットしない理由がリアル感だと思う。主人公の白目がでかくてさ…
それが野生の島のロズでは自然へのリアル感、ロボットの質感等にうまく作用していて、バランスが取れている。映像美だ。
日本の作品は予算の面で特殊上映前提で制作されている作品はほぼ無い。アニメを特殊上映で見るのはキッズよけくらいの効果しかない。しかし、ロズはきっちりある。予算とは素晴らしい。特殊上映の価値がある。
CMでは感動押し売りではあるが4DXも楽しいのではないだろうか。調べたらアクション編というCMも作っていたので、そういうことだと思っていただいたら。
これは多少哀愁も入っているのだが、感じたのはディズニーピクサーの黄金期だ。
ディズニーピクサーからこういう「しっかりしたプロット」と「挑戦的な映像」アニメーションが生まれなくなってしばらく経つ。
野生の島のロズの監督はスティッチの監督と書いたが、ディズニーオタには有名であろうクリス・サンダースだ。
『ビアンカの大冒険 ゴールデン・イーグルを救え!』でキャラデザとストーリーボードに参加し、『美女と野獣』『アラジン』『ライオン・キング』『ムーラン』『リロ&スティッチ』と原案や脚本を担当してきた。レジェンドと言ってもいい。
やはりアニメというのはクリエイターがいてこそであり、それを企画実現できる会社がしっかりしているからこそ成果が出せるものなのだろう。
同監督とドリームワークスのタッグでいうと、ヒックとドラゴンシリーズは3まで制作された。相性が良い部分ももちろんあったのかもしれない。
ディズニーの最新作を待ち望んでいる人や、ディズニーの復活を望んでいる人、ディズニー最近あんまりなって人。
ぜひ野生の島のロズを見て、一緒に答えを探してほしい。
姫のチークがかわいすぎる
クラシックが嫌いとかじゃなければ捨てるところのない名作。2000のほうも見るべきシーン目白押し
ずっと派手な色彩でずっと楽しい。うるさい
子供の頃は犬は飼い主に似るみたいなシーンを繰り返し観てた
ヘビがシューシュー歌うTrussst in meは必聴。実写の少年が可愛すぎる
ジャズ猫のシーンが有名だけど、スケールとアルペジオも推しておこう
1作目もいいが2作目にヴィランとして出てくるトカゲのジョアンナちゃんが最高にかわいい
歌がいい、映像美と合わせて何度も見たい
ずっと野獣のままでいいのに
人類は愚か
スティッチは犬
エルサが氷雪系最強すぎて愛おしすぎる
スミーッス
本日は国際憲章調印記念日、国際麻薬乱用不正取引防止デー、拷問の犠牲者を支援する国際デー、日本においてはオリエンテーリングの日、雷記念日、スティッチの日、世界格闘技の日、露天風呂の日となっております。
雷記念日は藤原道貫が落雷で亡くなった事が由来となっており、人生これからって時に雷に打たれるなんて災難だなぁと思ったりもするものです。
他の天災もそうですが落雷は現代でも恐れられており、特に電子機器などが状況によっては著しい影響を受けることがあります。
そうならないように雷ガードが付いてるタップを使ったりして、落雷で発生するデータの損失などの被害を抑えていけたらいいなぁと私は思います。
気候の影響で落雷等も発生しやすくなっております、気をつけて参りましょう。
ディズニー映画に埋もれた名作などというものは存在せず、有名なやつは出来がよく、無名なやつは出来が悪い。
以下、備忘録をかねてウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ制作の長編アニメ映画史を概観したい。
『メイク・マイン・ミュージック』以外はディズニープラスで全部見れる。
おすすめの作品:『白雪姫』『ファンタジア』(ミッキーのやつだけ)『ダンボ』
ディズニー長編アニメの歴史はアニメ史に残る傑作『白雪姫』とともに幕を開ける。この作品はとにかく作画が凄まじく、戦後の日本人が衝撃を受けたという逸話も納得の出来である。著作権が切れているのでYoutube等でも見れるが、できるだけきれいな画質で見たほうがいい。7人の小人たちの非モテ自助コミュニティ描写もピカイチで、増田を見ているような人々は目を通しておいて損はないと思う。
ディズニー映画はこの頃から一貫して「教育的で」「社会的にただしいとされる」物語を描こうというはっきりとした意思を見て取ることができる。そのため、作品の背景には常に制作された時代の価値観が垣間見える。
例えば『白雪姫』の3年後に公開された『ピノキオ』では、主人公ピノキオを導く良心の象徴としてジミニー・クリケットという名前のコオロギが登場する。この「ジミニー・クリケット」という名前はジーザス・クライストの言い換え語らしく、つまりここでは創造主の似姿として作られた人形が様々な誘惑と戦いながらも最終的にはイエス・キリストに導かれ、ただしい人間性を獲得するという物語が展開されるわけだ。
『ピノキオ』自体は退屈な作品ではあるものの、歴史や時代背景を含めて見ていくと別の発見があり、それはそれで豊かな体験である。ちなみに当時のディズニー自身はむしろできるだけ宗教色を薄めたいと思っていたらしく、この辺は社会に要請されてやむなくという側面が強いのかもしれない。
ほか『ファンタジア』中の「魔法使いの弟子」と『ダンボ』は見ていて単純にたのしい良作。『ダンボ』のお母さんの健気さは泣ける。
『バンビ』のあと『シンデレラ』まで長編の物語映画はなく、とくにおもしろい作品はない。とはいえ日本人としては、バリバリに総力戦をやりながらアニメを量産していたアメリカの国力にむしろ驚くべきかもしれない。
この頃の作品群には「丁寧な植民地主義」とでも呼ぶべき傾向があり、具体的にはアメリカ開拓時代の美化とラテンアメリカへの観光的関心、キリスト教的な価値観が三位一体となった教育映画が制作されている。この辺はおそらく当時のアメリカの外交・安全保障戦略と密接に結びついており、いわばアメリカ流の国策映画だったのではないだろうか。
丁寧な植民地主義的な傾向はこの後も非常に根強く、形を変え品を変え、ディズニーらしさの1つの要素として受け継がれていくことになる。
『シンデレラ』は物語の大半を出来の悪いトムとジェリー風ドタバタ展開が占め、あまりおもしろくはないものの興行的には大成功を収め、低迷期の脱出に成功する。
『眠れる森の美女』は『白雪姫』以来の超絶作画であり、これ以降の作品と見比べてもダントツでクオリティが高い。一方で興行的には制作費の回収すらできず、総じて失敗作と見なされたようだ。ディズニー作品の作画技法は『眠れる森の美女』でひとつの頂点に達し、以降はべつの方法論を模索していくことになる。
ほか『ふしぎの国のアリス』のチェシャ猫や芋虫の悪夢的な描写は見たものに強いインパクトを与える。一方で登場人物にだれ1人としてまともに会話の通じるキャラがおらず、集中力の維持が非常にむずかしい作品でもある。
『ピーター・パン』では全能感と成熟の拒絶というYoutuberの原型のようなヒーロー像が描かれる。ピーター・パン症候群とはよく言ったもので、本家ピーター・パンも未成年淫行で炎上する未来を強く予感させるキャラクターだった。
『わんわん物語』では都市的自由を謳歌していた野良犬がペットとして不自由な幸福を手に入れて物語が終わる。ここで描かれるペットたちのむき出しの奴隷根性は、前述の植民地主義と無関係ではない。『ピーター・パン』『わんわん物語』ともにおもしろくはないが、それぞれ見どころのある作品となっている。
おすすめの作品:『101匹わんちゃん』『くまのプーさん 完全保存版』
『眠れる森の美女』のアーティスティックで洗練された描線から一転、『101匹わんちゃん』以降はえんぴつで描かれたかのようなラフな描線で作品が構成されていく。『眠れる森の美女』以上のものを作り出すことが現実的に不可能であり、見劣りを避けるという意図があるのか、あるいは端的に制作資金が枯渇しただけかもしれない。
技法的にはやはり『くまのプーさん 完全保存版』でひとつの完結を迎え、以降ディズニー映画は再び模索と低迷の季節を迎えることになる。
『おしゃれキャット』は金持ちのペットが使用人をブチのめす話で、一方『ロビン・フッド』は貧乏人が金持ちをブチ殺す話だ。この時期のディズニーは節操のなさがすごい。
この時期の作品群の特徴を一言で言い表すならば、「リアリティへの接近」ということばになるだろう。それは一方では作画技法への3DCGの導入というかたちで現れ、他方で物語上では善と悪の単純な二項対立の脱却が図られることになる。
前者は『コルドロン』の奥行きのある大胆なカメラワークや作画法、『オリビアちゃんの大冒険』『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』での部分的な3DCGの導入に見られる。後者は『きつねと猟犬』での人種対立のメタファーとして描かれた動物間の争いや、多人種が共生する複雑な現実を猫の姿を借りて描いた『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』に象徴的である。
『きつねと猟犬』はこれまでのディズニー作品に見られた家畜たちの奴隷根性を初めて批判的に描いた作品であり、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』と合わせて「社会的にただしいとされる」物語像の変容を見て取ることができるだろう。ただしこの時期の作品群は総じて地味で魅力がない。どうやら創業者ウォルト・ディズニーの死や主要スタッフの大量離脱の影響があったようだ。『コルドロン』は興行的にも大コケし、ディズニーの低迷を象徴する作品となった。
シャーロック・ホームズの翻案である『オリビアちゃんの大冒険』がかろうじて見ていられるという程度で、単品の映画作品としておもしろいものは少ない。『オリビアちゃんの大冒険』では、冒頭からネズミ女児のパンチラという一体どこに需要があるのかわからない謎サービスカットがあり、視聴者の集中力が乱される。
おすすめの作品:『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン』
この時期ディズニーは批評的評価・興行収入の両面で復活を遂げ、一般に「ディズニー・ルネサンス」と呼ばれているらしい。本稿でもその表現に従う。
たしかに作品のクオリティは過去10年とは比べものにならないほど高く、ルネサンスと呼ばれるのも納得の時期である。一方で技術革新や価値観の変容は停滞気味で、歴史の流れとしてはさほどおもしろくないというのが正直なところ。ルネサンスの言葉通り、ある種の保守回帰の時代に当たる。
おそらくこの時期、真に革新的だったのは、作品の表層に現れる技術やテーマ設定ではなく、安定して高品質な作品を量産する社内の体制や組織づくりの技術にあったのではないか。
個別の作品として語れる部分は非常に多く、『リトル・マーメイド』は作画がよく、『アラジン』は見ていてたのしい。
『美女と野獣』でははっきりと他者理解をテーマに打ち出し、また女性主人公が男性からの求婚を拒絶する主体性を獲得するなどプリンセスものとして出色の出来栄え。他者を尊重することを覚えた野獣が救われ、他者の存在を最後まで容認できなかった村のヤンキーは破滅する。主人公が読書好きでヤンキーと話が合わないインテリとして描かれる点も珍しい。ただしこの他者理解はプリンセス側に一方的な負担を強いるかたちとなっている側面が強くあり、なかなかむずかしい部分もある。
『ポカホンタス』は白人によるアメリカ侵略・植民地化を矮小化し美化するかなり最悪のお話で、案の定ネイティブアメリカンの民族系団体にかなり怒られたようだ。引き続き怒られてほしい。
『ターザン』もインディアンをゴリラに変えただけで『ポカホンタス』とほぼ同類型のお話ではあるが、最後に白人研究者たちがゴリラの部落に居残ることでギリギリのバランスを取っている。ここにはターザンとポカホンタスの男女差が絡んでおり、単純にターザンのほうがいいとも言いがたい。
『ノートルダムの鐘』は強引にハッピーエンド化されているという不満はあるものの、子供向けの大作映画で障害者の活躍を描いた点は積極的に評価されてよいだろう。そもそもディズニー作品には『ノートルダムの鐘』以外にも障害者がやたらとよく出てくる。アメリカ社会には障害者を積極的に受け入れる土壌があるからできるのだとは思うのだが、日本のコンテンツおよび社会全体でも頑張ってほしいポイントである。東京ディズニーランドでもべつに障害者見かけないし。
そのほか『ムーラン』『ターザン』ではそれぞれ3D技術の進歩を見て取ることができる。
みたび低迷期である。『ダイナソー』に代表されるように3D映画への本格的な移行が始まり、2D映画最後の全盛期に当たる。
作品としては『リロ・アンド・スティッチ』がずば抜けてすばらしい仕上がりで、商業的にも大成功を収めた。『リロ・アンド・スティッチ』は王子様に救われるというプリンセスものの物語類型とは異なる、弱者同士が助け合う疑似家族モデルを明確に示した重要な作品である。
自分の欲求をうまくコントロールできない少女リロと、破壊衝動を植え付けられ誕生した人工生命体スティッチが、貧困家庭のネグレクト問題とSFアクションを背景に成長していく姿が描かれる。キャラクターデザインはかわいらしく、作画から細かい小ネタに至るまで非常に丁寧に作られており、娯楽作品としてもすばらしい。リロの姉・ナニの恋人もいいヤツで好感が持てる。
残念ながらディズニー映画ではこのあと疑似家族的な想像力は発展せず、プリンセスものという旧来の枠組みのなかで無理やり「価値観のアップデート」を図ることになっていく。
『アトランティス 失われた帝国』はディズニー映画には珍しく人がバンバン死ぬ作品で、ふしぎの海のナディアや宮崎作品みたいなものをアメリカ人が真似して作るとこうなるのかといった印象。ガバガバ設定とご都合主義が目につき、リアル路線なのかファンタジー路線なのかどっちつかずの失敗作だった。ただし主人公にオタク青年が採用されている点は注目が必要で、これ以降ディズニー主人公はイケメン・マッチョではなく非モテ・オタクが主体となっていく。
『白雪姫』で人間扱いされていなかった非モテの小人たちが「社会的にただしいとされる」物語の主人公となる時代を迎え、しかもそれが日本のアニメの強い影響化で発生しているわけで、価値観の大きな変化を感じ取ることができる。ただし、『白雪姫』の王子様はあれはあれで人間味のかけらもない平板なキャラクターではあるので、モテ非モテという面ではそこまで単純明快な話ではない。
『ブラザー・ベア』は殺した相手の子を育てるというなかなか攻めたお話ではあるのだが、最終的にファンタジーに着地するせいでどうも軸がブレる。
続く
だが、無数の研究や、数万人が参加する治験を経て数種類のワクチンが開発されているのにもかかわらず、感染予防効果についてはっきりとした結論が出ていないのはなぜなのか?
米ハーバード大学(Harvard University)公衆衛生大学院・伝染病ダイナミクスセンター(Center for Communicable Disease Dynamics)のマーク・リップスティッチ(Marc Lipsitch)所長は理由の一つとして、昨年春に世界各国で新型ウイルスが猛威を振るい始めた際、感染予防は優先事項ではなかったと説明した。
同所長はAFPに対し、「国際社会が最も気にかけ、すぐに答えを出したかった疑問は、ワクチンにどの程度の発症予防効果があるかだった」と指摘。治験はこれを念頭に計画されたと語った。
■無症状から死亡まで
このほかにも、数百万人、数千万人に影響を及ぼし、感染による結果も無症状から死亡までの幅がある病気を追跡することの難しさがある。
イングリッシュ氏は「無症状だが感染源となる可能性がある人の数を調べるのは難しい」と説明。すべての人を定期的に検査しない限り、こうした人々の特定は困難だとの見方を示した。また、現在最善の検査方法であるPCR検査でさえも、実験室の環境でなければ感度は70%程度だとも指摘した。
ただ、ワクチンの感染予防効果については、間もなく明らかになる見通しだ。
米ジョージタウン大学(Georgetown University)メディカルセンターのウイルス学者、アンジェラ・ラスムセン(Angela Rasmussen)氏は「今ある限られたデータからは、ワクチンが少なくとも部分的に感染を抑えることが示されている。これについて、よりはっきりとした答えを出すための研究が現在進められている」と語った。
中でも有望なものの一つが、米モデルナ(Moderna)製ワクチンの治験結果だ。同治験データを分析する論文を執筆中のリップスティッチ氏は「2回目の接種では、鼻の内部にウイルスがあるかを検査した」と説明。「ウイルス接種後28日目にウイルスが存在した人の割合は、プラシーボ(偽薬)と比べて60%以上減少した」とした上で、実際の効果はさらに高かっただろうとの見解を示した。(c)AFP/Marlowe HOOD
00年台の半ばくらいからパークのスタッフ(キャストとか言ってるがまあスタッフ)に高齢者が増え始めた。10年ごろにはモスバーガーかディズニーかくらいに、暇を持て余した低賃金の年寄りがせっせと働く場所になっていて、コスト重視なのかもしれないがなんだか薄気味悪くなったなと思っていた。ディズニーランドって前はもっといい意味で浮世離れした殿様商売だと思ってたけど意外に人件費とかけちってて金ないんかなと思った。
同じくらいに、全く顔つきがディズニーの文脈とマッチしていないダッフィーがシーで売られ始めた。パーク限定なので客は喜んで買っていたが、本国ディズニーにお伺いを立てずにマネタイズできるルートを考えたんだろうなーという感じがした。
そのうちに、七夕イベントだとかいってミッキーが民族衣装を着せられて人力車でパークを駆け回り始めた。なんだこれ。こんなのディズニーじゃない。
ちょうどその頃中国のニセディズニーランドが話題になって日本では嘲笑するムード一色だったが、自分はこんなんミッキーを人力車に乗せて喜んでる日本人も同じじゃねーかと思った。
このころにはもう東京ディズニーランドはなりふり構わず謎の日本風アレンジをキメたパラレルディズニーワールド全開で推してきていた。
日本の文化とは違う、非日常がディズニーだったのに、いまやディズニーランドはくそローカライズされた謎のジャパナイズアメリカンとなりつつあり、元々のオリジナルアメリカンな空気を残していたカントリーベアーズや魅惑のチキルームが浮いたアトラクションになっていた。魅惑のチキルームはローコストでテコ入れされてスティッチになってしまった。
期間限定のアトラクションの変更点とかも、すごい手作り感があってしょぼかった。昔はハリウッドの超大作映画みたいな豪華さがあったのが、なんか小さい工夫で大きな効果!みたいに感じられて寒かった。
ハロウィンではどこから思いついたのか寒いオリジナルキャラが投入されて、それにオタク女子が群がり始めた。たしかにこれならでかい投資をしなくてもネタが増やせて、たくさん人を呼べる。でもそれディズニーパークの必要あるか??
関ジャムで特集ゲストに登場してフレンドライクミー歌うらしいので
山ちゃんが吹き替えやネズミの国でやってるディズニーキャラ一覧をおさらい
実質アラジンだけで一人10役くらいしてると思うので2019年の実写版宣伝では山ちゃん出てきたけど