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はてなキーワード: パレート最適とは

2025-10-12

anond:20251012122329

経営政治は別だからなんとも言えない

政治がやるべきことは、パレート最適性を考慮しつつ、特定時間スケール経済成長を考えることだから

経営パレート最適性などない。「無能はクビ」の発想が経営

無能はクビ」でパレート最適性を考えるなら、ベーシックインカムとかそういう話になる

2025-09-25

anond:20250925125739

相対的に正しいよ。

絶対的に正しいのをもとめるからパンとサーカスをあたえつつ関所女性を囲い込めばいい、っていう極論ばっかり空回りさせて30年でしょ。

パレート最適問題よな。入れろよ移民

2025-05-22

anond:20250522112512

政治政策パレート最適性について知らないと話にならないよ

だってそうでしょ、そうしないと「誰がパイを奪うか」の話にしかならないんだから

2025-05-20

「重み付けは政治」について

「重み付けは政治」の主張は、AIアルゴリズム設計運用する立場人間が見落としがちな「判断の前提」に対する問題提起です。以下に補足的な視点をいくつか挙げます

① 「重み」は単なるスカラーではなく、価値関数のものである

重み付けはよく「パラメータ調整」と軽視されがちですが、実際にはどの成果を最も価値あるものと見なすか、つまり目的関数」そのものを定める行為です。

これは技術的な手法選択ではなく、「何が善か」「何を優先すべきか」の倫理的社会的判断意味します。

たとえば、

これらのトレードオフは明確に「誰にとっての最適か?」という問いを含んでおり、客観的に決定することはできません。

② 「政治的」という言葉意味

ここでいう「政治」とは政党政治ではなく、利害の調整、価値観の衝突を扱う領域のことです。

アルゴリズムが「中立」だと思われやすいのは、数式やコードに基づいているからですが、その基盤となる「何を良しとするか」は必ず人間価値観によって規定されます

AI倫理ガバナンスとの接続

現代AI倫理ガバナンス議論では、次のような問いが中心になります

この記事の「重み付けは政治」というフレーズは、まさにこの問題系に直結しています

④ 補足:多目的最適化パレート最適

数学的には、重み付け問題は「多目的最適化」の一部とみなせます

どの目的評価指標)も同時に最大化できない場合パレート最適解集合が生じます

このとき「どの点を選ぶか?」は、純粋な数理的最適性ではなく、選択者の価値観の選択になります

これは「技術的な問題」ではなく「政治的な問題」と表現するのが適切です。

総括

これは機械学習や推薦システムに携わる人だけでなく、「技術が人を判断する」時代設計者にとっての警鐘です。

「重み」はコードの中の数字ではなく、社会を形づくる意思決定の延長線上にあります

2025-04-25

anond:20250425104736

みんなミクロ観点で語ってるから、それをまとめるのが政府仕事でありマクロ仕事

パレート最適性を知らない奴が運営を語るなって話だよね

2025-04-14

anond:20250414150346

あなたが指摘した点は非常に経済学的に本質を突いています。整理するとこうなります

国家統計量を動かすと得する人と損する人が出る

これは「政策変更の配分効果」といいます

例えば、金利を上げれば「貯蓄者」は得をし、「借り手」は損をする。

インフレターゲットを上げれば、資産家や企業は得をし、実質賃金が低い労働者は損をしやすい。

必ずトレードオフが生まれるのが現実です。

多数決短期的・感情的な非合理性

ここは「公共選択理論」や「有権者合理的無知」とも関連します。

民衆はすべての政策コストベネフィットを学ぶインセンティブが低く、

目先の利得やポピュリズムに流されやすい。

例:

パレート最適性:理論的だが現実は難しい

パレート最適とは「誰も損せずに誰かを利する状態」ですが、

現実政策は「誰かが損しないと誰かを助けられない」ことが多いです。

さらに、「コースの定理」も関係してきます

経済学的まとめ

どの選択肢にも「配分の歪み」「短期vs長期」「情報の非対称性」という問題が付きまといます

政策は結局のところ、「誰の効用を優先するか」という倫理政治選択でもあるんです。

anond:20250414145356

国家がある統計量を動かせば必ず得する人と損する人が出る

そこに「賛成・反対」があるとして、多数決パレート最適性で収束させようとするけど、

多数決場合は非合理な民衆の集まりなので、必ずしも国家利益になることをしているわけではないし、短期だけで見て中長期を無視していることも多い

パレート最適性の場合は、完全なパレート改善というもの基本的にないし、誰かが必ず損する

2025-03-28

囚人のジレンマの『解消』を課題解決に取り込む海外と、放置する日本

ネットオタクというのは漫画で得た知識を聞き齧りで喋っているだけなので、専門的に見ると術語の間違った解釈使用が非常に多い。

ここ10年ほどのSNS社会エコーチェンバーによりそれをさら悪化させている。

なお悪いのは、日本一般社会もこれを軽蔑するほどの定見を持たず、底辺向けのテレビ番組はもとよりポピュリズム政治家までが、このレベルの歪んだ知識科学社会を平気で語る悪弊まで出始めている点である

 

個人的研究経験のある領域でいうと、ゲーム理論における「囚人のジレンマ」という言葉などは、今や中学生でも知っていそうだが、それをどう扱うのかという観点において大いに歪んだもの支配である

ゲーム理論による社会分析において、囚人のジレンマは「解消」方法研究するものである

例えば「繰り返し囚人のジレンマ」という反復状況において、どのような戦略を取ると本当に得な、win-winの結果が得られるかなどと考えるものである

 

なのに日本一般社会では、このジレンマを「仕方ないから受け入れるべきもの」と捉えるような低次元解釈が横行している。

「どうせ囚人のジレンマなんだから、奪い合え」という馬鹿みたいな刹那主義を良い大人が共有して、生きにくい社会を作って苦しんでいる。

 

海外ではこのような歪んだ術語の解釈は、少なくとも中流階級メディアでは浸透しない。

専門的な概念には専門家意見を取り上げて、何処の馬の骨が書いたかもわからないネット匿名投稿などは最初から参照しないからだ。

結果として、海外では囚人のジレンマの解消にもっとも大切な「コミュニケーション」を重視して、互いにちゃんと得になるパレート最適点を社会全体のゴールとして設定している。

いわゆる「持続可能な開発目標」などはこういう社会合意の元にバランスよく目指されるものになっている。

 

政治が誠実なコミュニケーション依拠せず、互いに被害妄想のようなやっかみ合いで足を引っ張り合う状態を『分断』という。

それ自体は大なり小なり世界中で起こっている問題ではあるが、日本ほど世代属性で分断されることが常態化し、それに疑問も持たなくなっている社会はそうはない。

自分中庸あるいは先進的とすら思っている一般市民が、平気で年齢とか性別で区切った特定層を死なせろだの罰しろだのと公言して、それをとんでもない暴言だとすら思っていない日本で、トランプを異常視する道理なんかない。

 

トランプですら言わないようなことを自分たちが平気で言っている自覚もない日本人は、本当に自己認識が歪んでいて異常である

2025-02-10

anond:20250210211347

総余剰が最大になる点はパレート最適点であり、社会にとって望ましい状態とされています[3]. パレート効率性とは、「誰かの利益を損なうことなく、誰の利益も高められなくなった状態」のことです[3]。

パレート効率的な状態とは、資源無駄なく配分された状態を指し、誰かの効用(満足)を犠牲にしないと、他者効用を高められない状態のことです[2][4]. つまり社会全体の余剰が最大化されている状態を指します[1]. 総余剰が最大になる点がパレート最適点であり、この点から生産量を増やしても減らしても、社会の総余剰は減少します[3].

パレート効率性は、社会状態評価する一つの基準ですが、唯一の基準ではありません[4]. 例えば、ケーキをすべてAさんが消費し、Bさんはケーキをまったく消費しない状態は、パレート効率的な社会状態となりますが、公平性観点から見れば問題があります[4].

Citations:

[1] https://shindanshi-blog.biz/economics/pareto-optimum/

[2] https://the-owner.jp/archives/4981

[3] https://ai-colab.com/2019/05/06/%E7%AC%AC19%E5%9B%9E%E3%80%80%E7%B7%8F%E4%BD%99%E5%89%B0%E3%81%A8%E3%83%91%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E6%9C%80%E9%81%A9/

[4] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E5%8A%B9%E7%8E%87%E6%80%A7

[5] https://www.ipp.hit-u.ac.jp/satom/lecture/localfinance/2014_local_note02.pdf

[6] https://www.nomura.co.jp/terms/japan/ha/A02883.html

[7] http://www2.toyo.ac.jp/~yamaya/gakubukougi/1_shijyonoshippai.pdf

[8] http://fs1.law.keio.ac.jp/~aso/micro/pp/micro_05.pdf

2024-09-26

仕返しは良くないとか道徳的じゃないとか思ってるアホンダラが多過ぎる

ゲーム理論においてパレート最適の為にはしっぺ返し戦略有効であることが判明している

世の中皆がウインウインになるために仕返ししましょう


最大多数の最大幸福、それは独特的行為です

2024-09-01

anond:20240830123905

ナッシュ均衡パレート最適ではない」

(個々が自分が最も得をする行動すると,全体では損な結果になる状況を指す.例えば「世界中で軍備を放棄すれば戦争もなくなり,軍事費節約できるけど,抜け駆けされると困るので,誰も軍備を放棄できない状況」とか)

2024-08-26

anond:20240825192940

既得権固定化するたけだろ。バカか?

そもそもパレート最適は「誰かの効用(満足)を犠牲にしなければ、他の誰かの効用を高めることができない状態」を言ってるのであって「誰かが犠牲にならないようにするため」のものではない。入門書から読んでこい。

2024-08-25

anond:20240825192940

仮に不効率だとしても、現時点で社会保障に手厚く配分されてるのを改善する際に人は死ぬんだよ

パレート最適概念からしても元増田が正しいよ

anond:20240825191841

パレート最適実現するために老人は死ね

ってアカデミアは主張してるの?

ごく少数の異端児ならいるかもしれんが

2024-06-11

正規分布の端に生まれ

アドラーの本を途中まで読んだ.

これによると,精神疾患など生きるのに役立たない道に陥るものには,幼少期から共通感覚コモンセンス)を獲得できていないという特徴があるらしい.

そして共通感覚を獲得できなかった子供いじめられたり問題行動を起こしたりする.

この共通感覚は家庭において保護者から学ぶらしい.つまり保護者共通感覚を有していなければその子供も共通感覚を獲得することが困難で,大人になってから苦しむのだ.


なぜこの世界では誰でも子供を持つことが許されるのだろうか.ペットですらちゃんと育てられないなら飼うなと批判されるのに.

あるいはせめて,誰でも子供を作る自由があるのなら,どんな子供自分で死んでいい自由を認めるべきではないか


ここまで書いて村田沙耶香消滅世界という小説を思い出した.

この物語では,子供は生まれたらすぐに親から引き離されて専門の施設集団的に育てられるというユートピアが描かれている.

作中ではこのユートピアを明示的には否定肯定もしていないが,画一的に育てられた子供個性がなく皆同じような表情をするという描写が描かれている.


個性なくしたら死んでるのと一緒だよ」

偉大なベーシストである山田リョウ氏は言っている.

消滅世界で描かれたシステムは本当にユートピアなのだろうか.


だが,本当に個性必要なのだろうか.

共通感覚を有しない"悪い個性"を持つことは決して本人のためにはならない.

個性を持つことが良いとされるのは,個々の親が独立して子供を育てる現在社会におけるナッシュ均衡にすぎないのではないか

消滅世界システムのように全員が同じ教育を受け,共通感覚を有していることこそがパレート最適なのではないだろうか.


あるいは,個性個体差環境が変化した際に種全体が生き延びるのに有利だと説明される.

だが,これは明らかにほとんどの平均から外れた個性を持つ個体にとっては酷な話だ.当然ながら平均から外れた個体殆ど環境適応できず苦しむからだ.

上のような理論を唱える者は,「お前らのような珍獣が居た方が俺/私の遺伝子が残る可能性が高まるから生きろ.そして苦しめ」と言っているのに他ならない.

現代社会第二次世界大戦前の全体主義反省し,個人幸福を最大化しようとしたのではなかったか所詮それは,正規分布の真ん中あたりにいるマジョリティ自己満足に過ぎなかったのか.

そもそも人類環境変化を生き抜くのに,遺伝子多様性必要なのだろうか.

多数のサイコロをばらまいて確率論的に変化に打ち勝とうとするその他大勢の生き物とは違って,人類は理性を持って変化を予測し,技術環境を変えて乗り越えることができるのではないだろうか.

現に人類技術天然痘という感染症を撲滅させた.


だが,とき個性天才を生み出し,その天才技術を飛躍的に進歩させる.

こういった天才を生むために正規分布の端のほうの人間も,その殆どは苦しむ運命にあるとはいえ大人になるまで生きていなければいけないのかもしれない.これによって,苦しむ未来天才に生きる希望を与えることができるから

本当にそうだろうか.電球発明のように一人の天才の発想が大きな一歩を生み出した時代とは違って,現代科学進歩過去技術を積み重ねて積み重ねて演繹的に導き出された進歩ではないか

いや,そうでもないか.私も理系大学院研究の真似事をしたことがある.今でも科学最先端では天才の発想が不可欠だ.そしてそういう人は共通感覚を有していない人が多い.少なくともそう見える.

まり現代においても正規分布の端にいる,共通感覚を有しない,遺伝子的耐用性を持った人間を生きさせることは必要なのかもしれない.


私は天才ではない.だが,共通感覚を獲得することができず,苦しんでいる.正規分布中央に行けなかった人間の中の,一握りの天才を除くその他多数の中のひとりだ.

この苦しみを終わらせるには死ぬしかない.

私の意識死ぬことがのみが正解だと確信している.だが,私の無意識が生きることを声高に主張している.そのせいで私はまだ生きていてこの文章を書いている.

理性で動く私は,なんとかして自分死ぬことが論理的に正しいのだと結論付けたい.だが,今日も失敗した.

誰か私を助けてくれ.お前はもう開放されて良いのだと背中を押してほしい.

2024-03-01

[] 仮説: 日本人思考を要する善悪問題が苦手

Youtube外国人が「日本で財布を落としたらどうなるか」を検証していた。

想像通り、検証対象となった市民50人全員が落とし主の外国人に財布を返したのである

これを見て「日本人は素晴らしいなぁ」と思ったわけだが、少し気になることがあった。

例えば「単に賃上げするだけでは名目しか上がらず、実質賃金はむしろ低下するかもしれない」といった問題に対し「物価に追いつく賃上げを」などと無意味なことをやっているのは、「労働者に高い賃金を払うのが善だ」という単純な発想に基づいているからでは?

あるいはウクライナロシア問題で、「ウクライナ武器供与して反転攻勢を!」などと言うのは、ロシアが悪でウクライナが善だから、善に勝って欲しいという単純な発想に基づいているからでは?

経済政治法律問題は、残念ながら「共感」に基づくほど間違った判断を下しやすいと言われることがある。

誰かが殺人犯と言われた時、論理的証拠を提出するべき時に「私は家族が殺されたのが憎い!だから被疑者死ぬべきだ!」と言って、被疑者冤罪可能性を考慮に入れずに報道され、その結果、報道への共感によって取り返しのつかない冤罪に容易に繋がったとしたら?袴田事件だってそうだろう。

経済もっと複雑だ。経済には事実判断価値判断区別必要だが、ミクロ経済学が取り扱っているのは概ね事実判断と言われる。無差別曲線ゲーム理論事実判断である

それに対し価値判断とは「なにをすべきであるか」という問題のことだ。日本が国として何をすべきか、という話をしているときに、特定集団だけを贔屓にするわけにはいかない。

例えばパレート最適性について考慮し、誰かが損をする場合補償を与える方法を考えなければならない。

それを「私たち税金を一体何に使っているんだ!」という感情論補償原理を無に帰することは、典型的日本人がまさに陥りがちなことだろう。

補償税金の正しい使い方であるから自分利益にならないという理由だけでは正しいことは言えない。

ひろゆき氏が「政治家にはサイコパス必要なんですよ」と言っていたが、それは「共感能力ではなく、論理によって判断することのできる人間必要である」という意味だと私は思う。

まあ、こいつもこいつで、補償のことを話さずに「ハンコ業界を滅ぼして効率化を!」などと言いそうな雰囲気から感情論であることに違いはないが、論理には前提知識がある程度必要であるということでもある。

基礎知識のある人であれば、貨幣供給量が増えれば貨幣価値が低下すると考えるだろう。しか知識のない感情派は、「お金が多いほどいい」「通貨発行権を駆使すればいい」と言い始め、貨幣価値が低下しないという前提のもとで国家経済悪化させようとする。

経済名目値ではなく、実質値を向上させるにはどうするか。その議論のためには確かな情報知識必要であるはずだが、短絡的な善悪を持ち出すことによって「物価高に追いつく賃上げを」などと、スタグフレーションがなんであるかも知らずに言い始めるわけである

かに小学生でもわかるような善悪問題において正しい行動をするのは日本人の良い点だと言える。外国では「見られていなければ悪事を行ってもいい」と言わんばかりの連中が巣食っているからだ。

しか経済政治法律。そういった「高度な知識を伴わなければ善悪判断を間違えるだろう」というシナリオで、日本人は落第点を取る可能性が高い。

経済であればミクロ経済学マクロ経済学教科書知識ぐらいは必要であるが、日本人は哲学にも疎く、相対主義蔓延るので、「経済論はたくさんあるし、どれもが正しいことを言っているに違いない」と言う相対主義的な認識を持っている可能性が高い。

結局、短絡的な善悪観でミツバチの巣をつついたような行動しかしないのが、他の国の人にもバレているだろう。

しかにそれはそれで社会秩序の維持にはなっているから、良いことかもしれない。

しか経済政治などにおいては別だ。正しい知識に基づいた善というのは、正しい内容を選んで勉強をする努力必要なのである。どの論も平等だと相対主義的に考えている連中が、パヨク理論に陶酔し、発狂しているのを見たか

2024-02-04

anond:20240204033204

農家にしがみつくよりも他業種へ転職したほうが明らかに

つーかさお前のパレート最適って現状維持以外になんか解法あるの?

変化させることに対して「変化することに抵抗感がある人がいる」って強弁したらなんでもOKじゃん

馬鹿なの?

anond:20240204025652

俺が言ってるのは国民幸福パレート最適性の話ね

関税撤廃して、輸出産業利益を増加させてた人たちに課税して、その分を農業者の直接補助金にすればパレート改善になるんだよ

今の農業問題は、関税撤廃に反対する農業者がいることなんだよね

から農業利権反対!」なんてのは経済学的にはズレてるってこと

anond:20240204024533

補助金の仕組みわかってる?

厚生経済学ではパレート最適性っていって、1人以上が満足できて誰も損をしないならその施策が良しとされる

実際にはそういうことがないから、損を被る人に補償を与える形で対応するのが厚生経済学で言われていること

経済ってのは別に利益だけを最大化したいんじゃなくて、国民全員が幸せになるのが目的なんだよ

農家国民であることを忘れるな

2024-01-30

プラスマイナス岩橋さんの鬱っぽさは司法制度への絶望が原因だと思う

あくま勝手想像という前提で読んで欲しいのと、法知識素人で間違っている箇所はあると思うのでご了承下さい。

(内情全く知らない狂人便所の落書きです。

昨今の離婚ニュースの中で、プラスマイナス岩橋さん・ネルソンズ和田さんの気落ちが印象的だった。

岩橋さんは「二度と法の元の関係性は作らない」と述べ、和田さんは「芸人を辞めようか迷った」と述べていた。

お二人とも詳細は語っていないが、おそらく以下3つの理由により苦しんだのではないか想像した。

一方的な母方の親権獲得が認められてしまたこ

母親が面倒を見ていたか母親親権を持つ」という理論が現状の日本では認められてしまっており、為すすべもなく子供を取られてしまった可能性が高い。

世界的に見て非常に時代遅れな考え方であり、諸外国では大抵共同親権となる。

大黒柱で働いていた間に実家に戻りそのまま離婚されるといったケースでも、

「連れ去り」とならずに「現状維持すべき」という判断で連れ去った側が親権を持つと認められてしまう。

婚姻費用養育費が非常に高額になること

子供2人で元妻が収入0・年収を1000万とすると、養育費算定表から20万ほどの支払いとなる。

https://www.courts.go.jp/vc-files/courts/file5/youiku-3.pdf

この支払いは法的拘束力を持つものであり、子が成人するまで支払う必要がある(なお成人が18歳になった現在でも20歳までと判定されることが多い)

また、金額育児必要金額で決まるのではなく、夫と妻の収入差で決まることも大きい。

子供の為と頭で理解してはいても、おそらく月1回程度しか会うこともできない状況で、十数年支払いが強制される未来が確定することの絶望は計り知れないだろう。

この法律離婚時に知ることで、専業主婦としてしまたこと、法律婚としたことを後悔して苦しむことになったのではないだろうか。

③法の下、元妻が合理的で(本人視点で)人道的に厳しい要求をすること

一度は愛した元妻から、法の元①②の要求をされたら誰だって絶望するだろう。

念の為、今の日本で①②の要求をすることは全くの合法であり、法的に何も間違っていないことは言及しておく。

ただ、これが合法であることが本人にとって、また絶望になる。

思うこと

囚人のジレンマでいうところの「協調裏切りモデル」があるが、今の日本制度だと一馬力-専業主婦家庭の場合裏切りリスク親権婚姻費用養育費)が非常に高く、裏切られた場合に働き盛りの男性絶望して鬱になったり、自殺したり、無敵の人となるのは想像に難くないと思う。

専業主婦側の行動が「裏切り」で定まる以上(専門的にはナッシュ均衡状態)、ルールが変わらないとどうしようもない。

リスクを恐れて結婚出産を避ける人が増えるのも当たり前だと思う。

本内容に対して、個人で出来ることは少ない。

養育費を払っている人を肯定し励ますことや、共同親権運動・親子連れ去り反対運動支援することくらいだろうか。

ミツカン福原愛騒動など)

司法政治に関わる方は是非、諸外国と同様にな共同親権制度の発足、夫婦の差額ではなく必要金額としての養育費算定表の作成女性収入向上などにより、バツイチ男性自殺を減らせるように進めて欲しい。

家庭を持つこと自体幸せなことだし、日本人が増えることは社会全体としてパレート最適になることなので、徐々に法律文化が変わっていくと嬉しい。

#まあお二人はアルファしまパートナーはできると思う。

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