はてなキーワード: ライムとは
長子妊娠中、何故かキシリトールガムにハマり、起きてる間ずっと噛んでた。
ライムミント味じゃないとダメで、他の種類のガムはコレジャナイ感がすごくて拒否だった。
多分一生分噛んだと思う。
陣痛中にも噛もうと思って傍に置いておいたら夫が私のガムを
「ちょー(ちょうだい)」って言って返事する間もなく貰ってかれて目の前でクチャクチャ噛みながら応援されて
こちとら陣痛で苦しんでガムどころじゃないのにガムのニオイの息がかかってすごいムカついた記憶w
産まれてからは一切食べたくなくなってそこから10年、一切買ったことなかったんだけど、
近頃仕事のストレスから机に常備したグミとかチョコを間食するようになって激太りしたので
防止のために久しぶりにあの時と同じガムボトルを買ってみた。
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この部屋の配置をカバラ的に評価するには、以下の観点からアプローチする必要があります:
『民数記2章』に記されるイスラエルの12部族の宿営配置は、方角とスピリチュアルな質の深い関係を教えています。
あなたの記述を元に、部屋の配置をカバラ的に評価すると以下のようになります。
| 北(1,6,11,16) | 窓、机(Mac PC) | דן → דין(裁き) | 北の机にMac PC:思考・判断・境界の働きが強い |
| 東(1–5) | 聖書、PC、ライト、本棚 | יהודה → 啓示 | 東に聖書とPC:啓示と創造的啓発の中心で理想的 |
| 西(16–20) | ホワイトボード、押入れ、ドア | אפרים → 受容 | 教え(ホワイトボード)と「出口(ドア)」があるのは知識の循環 |
| 南(5,10,15,20) | 本棚、こたつ、ドア | ראובן → 慈悲 | 休息空間と連絡出口:安定・情感・受容の領域に合致 |
中央に敷布団・椅子があり、物理的にも沈静・中心・回帰の場。カバラ的にはקדש הקדשים(至聖所)に類似する場です。
この4×5の配置は20のマスに分かれていますが、セフィロートの構成(10個)と倍の構成として扱えます:
特に13番(אחד = אחד = 13)が中央に布団=「眠りの中の一体性」と捉えると非常に象徴的です。
16–18にあるホワイトボードは、西=アフライム的な知の継承・受容と一致。これは教師や自己反省、学びの空間として良配置。
🔯 「מעין מקדש מעט(小さな聖所)」に近づくレイアウト
あなたの部屋は、東=啓示・西=教え・南=慈愛・北=境界がよく反映され、中央に「魂の核」=תפארת的な空間が確保されているという点で非常にバランスの取れた、瞑想・学び・霊的修養に優れた空間です。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/dailyportalz.jp/dpq/midokoro-20250415
お茶系は長くなったので種類と個別商品で分け、それ以外は種類→個別商品の順で並べた。
カフェイン有無については数が多いのでブクマを信用して調査していない。
そば茶
蕎麦茶
ハトムギ茶
延命茶
柿の葉茶
ハブ草茶
刀豆茶
菊花茶
阿波晩茶
あずき茶
ごぼう茶
よもぎ茶
しいたけ茶
どくだみ茶
ローリエを煮だす
だし茶(味の素)
デカフェの無糖
強炭酸水
アサヒの無糖で果汁入りの炭酸水(ウィルキンソン タンサン ザ フルーティー?)
セブンイレブンのオレンジ色のやつ(7プレミアム ゼロサイダートリプルファイバー?)
ノンアルコールビール
水・白湯
水か湯にバニラエッセンス数滴
水に天然塩とニガリ
野菜湯がいて菜っぱ汁
蕎麦湯
糖分抜きのココア
無塩の和風だし
缶のだし汁
お吸い物
鉄観音茶(少量)
マイクロビキニが好きだ。
正確に言えば、「マイクロビキニで乳首が見えそうなとき」が好きだ。
見えたら終わり。全裸より恥ずかしい、敗北寸前の布。それがマイクロビキニ。
出たら負け。ギリギリが勝ち。
面積は極小なのに、「まだ隠そうとしてる努力」が感じられる。
あれが良い。大好きだ。
乳首が出る直前の緊張感、あれがエロスのピークだと思っている。
下乳が「もう出るぞ…出ちゃうぞ…」と圧をかけてきて、
動けば見えるかもしれない、前屈したら完全にアウト。
でも、「まだ出ていない」という事実が、すべての妄想を支えている。
乳首が見えたら、それはそれで嬉しい。正直に言う。
けれど同時に「これじゃないんだよな…」という虚無が立ち上がる。
わかるか?これはR-18の美しい世界から、R-20という無粋な現実へ落ちた瞬間なんだ。
でもマイクロビキニにおいては違う。
「隠すことの敗北」が美しいのであって、完全に敗北してしまったら、それはただの事故だ。
完成は終わり。見えることは、終わりなのだ。
(´`)「…『Prati フェイジョアーダ コンプレッタ 350g レトルトパック』の実食レビューをお届けするよ」
【味】第一印象:う~ん、この香り、コンビーフや!→第二印象:アズキ味のコンビーフシチューやね→第三印象:…ブラジルの「どて焼き」?→総評:小豆の塩餡を喰ったことがあって脂っこいのが好きでコンビーフで白飯がイケる人ならアリ(ただし重たいのでボンカレーみたいに毎日お手軽にというにはキツい、あと信じてなかったけどこの350gは確かにヒトリメシには多いな… ← 念のためと多い目に炊いた2合白飯でギリギリだったくらいの濃厚さ)
ちな調味料はAmazonレビュアーさんによれば塩だけのほうが現地の味寄りということらしいのでミル付き瓶入り岩塩を用意いたしました、ラーメンに積極的に卓上コショーをかけるタイプの方なら是非ご用意を(こっちよりもむしろ後述するケール炒めにかけるほうが合う)
【その他】付け合わせに現地ではケールの油炒めを添えるそうなので練りチューブニンニクとサラダ油で炒めたカーリーケールを作ってみた(ケールも実食は初めて!)←これ大根葉炒めやん!
【その他2】オレンジもカットして用意したが、アブラマシマシの塩餡コンビーフを食べてる途中の箸休めにはよかった
【その他3】もちろん食中酒はコロナビール!…これ毎回ライムも買ってきて搾って呑むんやけど、アリとナシと違いがよーわからん
【動機】その昔に読んでたバイク雑誌でカワサキの海外拠点を渡り歩いてた人の回顧録(種子島さんという方のやつね)が載ってて、ブラジル編でこれが現地協力者の家庭料理として美味そうに紹介されてて、ずっと気になってたので(実にほぼ四十年ぶりに叶えたことになる)(実店舗でメニューに載っけてる店を捜したけどピンとくるとこがなかった、Amazonレビューではこれが現地のに近いそうなのでここのにした)
ワイはライムワイヤーに昔お世話になったやで
オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか、みたいな話の調べもののメモを書きましょうね。
1862年(文久2年)に堀達之助が編集した辞書であり、日本における最初の英和辞書といわれている『英和対訳袖珍辞書』で「Orange」をひいてみる。
Orange, adj. 橙ノ
Orange-peel, s. 橙ノ皮
Orangery, s. 橙ヲ育テル園
Citrine, adj. 佛手柑又橙色ノ
Citron, s. 佛手柑ノ類
Lemon, s. 橙ノ類
Slacked lime. 消サレタル石灰.柑ノ類.菩提樹石灰ニテ肥シタル
Pomeron, s. 香リ良キ橙ノ類
Shaddock, s. 橙ノ類
なお余談だが、
という見出し語もあったが誤訳だろうか?ベルガモットは梨ではなく柑橘という認識だけれど……。wikipediaによるとBergamotの語源は「トルコ語で「梨の王」を意味するBeg armudiが語源とする説が有る」らしいからそれが原因かもしれない。
さて、これを見ると「橙」と「柑」がはっきり区別して書かれているように感じる。
時代は後になるが1900年に書かれた『果樹と蔬菜』には著者の私見ではあるが当時の柑橘類の分類が書かれていて興味深い。
皮が分厚く酸っぱい橙と、皮を手で向けて甘い柑は区別されていたのだろう。
オレンジ色に注目していく。この辞書ではOrangeではなくCitrineが「橙色の」と訳されている。
現代人の感覚だとCitrineはほとんど黄色に感じる。江戸末期~明治の人々の感覚でも同じだったのだろうか?
少なくとも『英和対訳袖珍辞書』が書かれた1862年前後では、ほとんど黄のような色も橙色と表現していたかもしれない。
一つ目の根拠がCitrineのもう一つの意味、佛手柑(ブッシュカン)の色が黄色~濃い黄色ということ。
二つ目の根拠が1860年に書かれた『Familiar method for those who begin to learn the English language』という資料だ。
これは英蘭対訳のための参考書で、OrangeはGreenやyellowなどの他の色と並べられて書かれている。
この参考書の単語の部を抜粋して対応する和訳を付記したのが1870年に書かれた『英吉利単語篇』になるのだが、そこでorangeという項は「orange」と「orange-yellow」という二つの項に分けて書かれている。
単なるorangeはpeachなどと並べて書かれ、色名の側にはorange-yellowが列挙されている。
このことから、当時のorange colour、橙色はかなり黄色味が強かった可能性がある。
では、橙色が#f39800のようないわゆるオレンジ色になったのはいつなのだろうか?
いったんここまで。
・しかし「orange-yellow」の訳を橙色として、ふりがなに「カバイロ」(樺色、だいたい#C5591Aみたいな色)と書いてある資料(1887年『通俗英吉利単語篇』)もある。前述の論の反証だよね。
・明治とかの輸入オレンジはしわしわになっていて、皮の色はほとんど赤茶色だったらしいという未確認情報もある。これも反証になる。
・橙色概念が生まれた最初期は黄色っぽくて、概念が普及するにつれて茶色みが強まったんじゃない?知らんけど。
・↑ありえなくはない。学術の文脈以外で細かな色名が必要になるシーンは着物の色と絵画の色くらいしかない。当時の着物は茶色灰色ばっかりだし
・明治時代の理科教育で分光を取り扱う際にorangeを橙色と訳したのが定着したようだ。
・↑「橙色が#f39800のようないわゆるオレンジ色になったのはいつなのだろうか?」のアンサーはほぼこれでしょ、推測でしかないけど
・明治後期には小学校の図工の時間でカラーサークルの概念を学んでいたらしい。その際に教科書には「だいだいいろ」と書かれている。
・明治初期に数年だけ色彩教育を行っていたらしいのだが、そこではカラーサークルの赤と黄色の間の色は「柑色」「樺色」と記載された教科書もある(1875年『色図解 : 改正掛図』) 柑色には「だいだいいろ」とルビがあるようにもみえる 崩し字よめない……調べる事
・英和辞書の見出し語のorangeは橙色と訳されるが、和英辞書の見出し語に橙色が登場するのはかなり後の時代
・「樺茶色」「鳶色」「柿色」「柑子色」「蜜柑色」「山吹色」「銅色」「飴色」「海老色」「渋色」などの見出し語はあるのだが…… 現代の感覚だと茶色味が強いものが多い
・染色業界では「orange」を「樺色」と訳しているところもあったようだ(1895『染料乃栞』)(cf. 四十八茶百鼠)
・大正4年(1915)と大正13年(1924)にオレンジ色が流行色となった。おそらく化学染料の発展が影響 樺色、樺茶色はおそらくこれが決定打となり使用されなくなる
・冒頭に書いた「オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか」について言及してなくない?
・↑「オレンジ色はなぜ橙(だいだい)色なのか、なぜ蜜柑色ではないのか」のアンサーは江戸末期~明治の人はちゃんと「橙」と「柑(みかん)」を区別していて、orange……いわゆるsweet orangeは皮が分厚く手で向けないから柑でなく橙の訳語をあてたからでファイナルアンサーじゃない?
・↑日本における果物類、柑橘類の歴史をちゃんと調べていないから、一応それを見てからじゃないとファイナルアンサーしたくない
・↑「オレンジ色はなぜ古い時代から存在する柑子色という訳語があてられなかったのか」のほうが問としてはいいかもしれん
・児童向けクレヨンとかだと「オレンジ」でなく「だいだい」と表記されている率が高い
・図書館に行って『日本の色彩百科 明治・大正・昭和・平成』と『色の名前はどこからきたか―その意味と文化』を読むこと。
・この調べものは「現代においてだいだい色は外来語由来のオレンジ色と呼ぶことの方が多いのは何故?歴史をつぶさに追っていくぞ」の一環なのでまだ先は長い
・未調査:お坊さんの袈裟の色、あれは鮮やかなオレンジ色のイメージがあるが色名、和名はついていたんだったか
・未調査:サフランイエロー(インド国旗のオレンジ色)は江戸末期~明治ごろの日本にないのかしら
・未調査:当時のにんじん、かぼちゃの色をなんと表現していたか(京野菜のにんじんは赤色でかぼちゃは黄色な気がするけれど)
Twitterとかでイラストを描く人はWIPと称して描きかけイラストをアップロードするが、調べもの日記においてもWIPと称して書きかけ日記をアップロードしてよい。自由だ。
ライムが柑扱いされているのが腑に落ちなくなってきた、ライムって手で皮をむけないし酸っぱいよな……
実のサイズで呼び分けていた?うーん、当時の橙柑橘の呼び分けがどのようになっていたかを調べないといけない
「橙 柑 区别」でgoogle検索すると中国語圏のサイトが沢山引っ掛かる 何かヒントがありそうな気配を感じる
『近現代英和対訳辞書における訳語変遷に関する研究─ ‘Giraffe’ 訳語の問題を中心に ─』という論文を見つけた
狭義のorangeはスイートオレンジ、アマダイダイ(←未調査:この和名はいつ出来たんだ?)を指す
広義のorangeは橙柑橘類を指す(citrusよりも狭い範囲←この認識は正確?ちょっと怪しい)
その一方で日本語で「オレンジ」というと狭義のスイートオレンジ(甘橙)のみを指すことが多い
色名のorangeの訳語で「橙の色」となるか「橙柑橘類の色」「(橙以外の例えば)蜜柑色、柑子色」となるかどっちに転んでもよさそうな時期が江戸末期~明治期にあったような気配を感じている