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2025-11-16

anond:20251116221822

そうですね。今お座敷芸の訓練を受けた妙齢美人ってそもそもいませんよね。大正昭和の昔なら元芸者、みたいな人から三味線習うみたいなのも珍しくなかったかもしれませんけれど。

2025-11-14

国会図書館デジタルコレクションで見る戦前新撰組の扱い

以前、「国会図書館デジタルコレクションで見る明治時代の新撰組の扱い」という記事を書いた。

その続きとして戦前特に新選組イメージを覆したと言われる子母澤寛新選組始末記』(1928年前後評価を探っていきたいと思う。

関連:新撰組は「悪役」扱いだったか?~彼らの「語られ方」の歴史を検証する - posfie

1926年大正15年)富永堅吾『剣道達人腕比べ』

近藤勇といへば、維新当時、鬼勇とまでいはれた武勇伝中の一人で、今に尚、芝居や講談読物によつて若い人たちの血を湧かして居るが、彼れは若い時分、近藤周斎の門に這入つて剣術を学んだ。

これは古今の剣術家らのエピソードを集めた子供向けの読み物らしい。そのうちの一篇として近藤勇が紹介されている。特に悪い書き方はされていない。

「芝居や講談読物」によって、近藤勇がよく知られていたことが窺える。

1926年大正15年)の村松梢風創作講談』の広告

第一の『近藤勇』は新撰組領袖として目覚ましい大活躍をした幕末史中の花形役者

創作講談』は「近藤勇宮本武蔵一休和尚猿飛佐助清水次郎長紀伊国屋文左衛門」という伝記のシリーズで、1925年刊行されたようだ。

1927年昭和2年雑誌帝劇

勤王、佐幕、そして今の世は勤王劇流行で、勤王で無ければ成らぬ流行中を、我が澤田は新撰組の佐幕劇を以てその隊長近藤勇で見えている

劇団新国劇」についての論評。『新撰組』は新国劇十八番で、たびたび上演されているとも書かれている。

1927年昭和2年雑誌日本日本人』

そこで先づ目に映つたのは、此頃人気を呼んでいる新撰組隊長近藤勇が、大阪富豪鴻池善右衛門加島屋作兵衛、辰巳屋文左衛門外十数名から金を用立てさせた「約定証書」は、鴻池の家蔵品として出品されてあつた。

大阪朝日新聞社主催・大阪市後援の「大阪史料展覧会」のレポートらしい。

そういうイベント鴻池家が新選組史料を出している、というあたりに「此頃の人気」が窺えるのではないか

続いて子母澤寛新選組始末記』直後の1929年新選組評価をいくつか。

1929年昭和4年文芸春秋社文芸創作講座』

今日大衆文学に行はれている赤穗浪士にしても由井正雪にしても近藤勇にしても、悉く正史よりも寧ろ外傳の史料に拠るものが多い。


1929年昭和4年尾佐竹猛明治秘史疑獄難獄』

剣劇映画大衆文芸に何百回となく描かれて居る一代の剣豪近藤勇も、明治元年正月幕軍の敗走以来、落目となつては為す事毎に齟齬し、四月三日越ヶ谷の官軍本営にて捕はれた。


1929年昭和4年子母澤寛新選組始末記』の広告

時代は常に逆転す!チャンバラ本家新選組だ!現代チャンバラ全盛を地下の近藤勇は苦笑でもやつてるか?明治回天大芝居の其花形新選組の後始末はサテどうなつたか!?


1929年昭和4年)『菊池寛全集』より「後代の人気」

だが、近藤勇のこの頃の人気は素晴らしい。大衆的人気の上で維新の三傑などは、蹴飛ばしいるから愉快である。後代の人気と云ふものは、その時代を作つた人に集らずして、その前代に殉じた人に集るやうである


なお、新選組が登場するフィクションとしては、前回に紹介した講談を除くと、1913年から連載された中里介山大菩薩峠』が一足早い。

そして前田曙山『燃ゆる渦巻』、大佛次郎鞍馬天狗』、白井喬二新撰組』といった人気小説1924年に揃って出ている。

いずれも新選組主人公というわけではないが重要な役どころで登場する。

それを受けてか、1925年から新選組を主役とした映画が立て続けに公開されていたらしい(参考)。

戦後になるが1959年大井廣介ちゃんばら芸術史』から、まとめっぽい記述を。

たとえば、小説では、白井喬二独楽師の角逐というめずらしい題材をとりあげた『新選組』の遠景には近藤勇池田屋斬込みなどが扱われ、大仏次郎の『鞍馬天狗』の最初単行本でも、近藤勇がすこぶる活躍した。劇では、行友李風新国劇に『新撰組』を書きおろし、沢正が近藤勇をやる。映画では、枚挙にいとまないという有様だった。このように、勤皇か佐幕かのチャンバラ新撰組近藤勇がしきりにでてくるようになったのは、『大菩薩峠』や『月形半平太』が既にあるにはあったが、『朝日』の『燃ゆる渦巻』が大々的に口火をきった。


以上からすると、『新選組始末記』以前から近藤勇および新選組は十分に時代劇のスターだったようだ。

維新志士の好敵手として設定されてはいても、しかし「悪役として嫌われていた」という感じではない。

特に1924年ごろから一種の「新選組ブーム」と言っていいような状況だったのではないか

ただ当時は、あくま近藤勇の人気が飛び抜けて高く、次いで土方が知られていたくらいで、沖田などのキャラが立ったのはやはり『新選組始末記』以降だろうか。

1929年には月形龍之介主演で『剣士沖田総司』という映画が作られたらしい)

池田屋で沖田が病気により昏倒する」などのエピソードは、明治末の講談に採り入れられてはいたが、それ以降の作品にあまり引き継がれなかった。

そうした細かいエピソードあらためて掘り起こして、当時大量に作られていた小説映画に新たなネタ提供した、という点に子母澤寛の功績がありそうだ。

2025-11-13

anond:20251113152733

大正昭和貧乏子沢山だったけど、あれは仕事があるから生んでたんだろうな。

実は江戸時代明治初期の農村部の出生数は意外と少なくて、これは農村人口をそんなに増やせなかったという事情による。

から大事なのは、親に今カネがあるかどうかではなく、子供たちが成長したとき仕事があると思えるかどうかなんだろう。

氷河期世代は「大人になっても仕事が無いかもしれない」というマインドセットから子供を作らず、また子供を産んでも子供たちに対して、親がいつまでも子を養えなければならないという洗脳をしてきた。

人手不足になって就職が売り手市場になって、そろそろそのマインドセットが切り替わるだろうし、それを後押しして早める必要がある。

2025-11-09

日本人カス

日本は衰退し続けている。

このような反論が返ってくる

「衰退していない、緩やかに成長している」「ゼロ成長でマイナスにはなっていないのだから衰退ではない」

たいていの人はこのような認識

 

そして原因は「政治が悪い」。99.9%はこのように答える。

 

いやいやいやいや、民主国家主権国民にあるんだから国民責任でしょ。

成長を導く政治家を選抜する知性が不足しているだけだ。

政治家に騙されたと言うが、何年騙され続けてるの?やっぱりバカじゃねぇか

かつ、毎回騙されてるのにちっとも反省しない、記憶力がヤバい

 

小学生が急に成長が止まったとする、

「緩やかには成長してる、縮んでないか問題ない」

とは言わない、諸外国が成長し続けてる、世界平均で年4-5%成長してて自国だけ30年間ゼロ成長なんだから

なにかが間違えてる、病院にでも連れて行くのが普通だが、お薬を飲もうとしないのが日本人。

 

そもそも日本人は自信過剰だ、我々民族は優秀、このような幻想を抱いている。

 

いやいやいやいや、自力産業革命民主化も成せなかった程度でしかない。そこらの土人と変わらん。

ギリ中世までは到達できたが、そのほとんどが中国朝鮮からの盗用

独自文化が花開いた、的な枕詞で賛美するが、江戸時代科学的な成長や成果は皆無だ。

 

明治維新後に奇跡の成長した日本優秀の証拠、というが

金銀銅、当時のレアメタル三種セットと主要エネルギー石炭が廉価な労働力無尽蔵に採掘できる国で

成長しないほうがおかしい、成長というても、余りある金で西洋から文化科学を買ったにすぎない

金を払うならまだしも多くは寛容な西洋に甘えた剽窃

しかしそんな黄金時代も長くは続くない

大正から昭和初期、世界中で鉱山開発が進み、主要エネルギー石油に転換し秒で斜陽

 

かろうじて残っていた社会資本軍事力他)をフル回転させアジア周辺国から搾取して生き延びていたわけだが

西洋から「そーゆーの、えー加減にせぇよと」、フェアにやろう、非人道的不条理不合理な弱者から搾取はもうやめよう。

植民地とかもうやめよう、ってかつて植民地フィリピンをとっくに独立させていたアメリカ日本に突きつけたのがハルノート

 

ハルノートを強欲なアメリカ理不尽要求日本を追い詰めた、という図式で解釈している奴がいるが、

中身読んだ?歴史勉強した?どうみても真っ当で妥当正当性のある要求しかない。

 

だが、国内で3500万人程度の食料しか自給できない国土にもかかわらず、無計画人口増やし続けた結果、7000万人。

輸出して稼ぐにも天然資源はすでに国際競争力を失い、第二次産業、加工産業も長らく西洋模倣しかしておらず

独自技術先端技術は無いので西洋製品価格も性能も敵わない、外貨を稼げない。

消費地中国に近く、西洋に対して輸送コストのみが競争力だった。

かつ大昔の日清戦争でゲットした最恵国待遇デカ

だが、第一次世界大戦船舶輸送技術が大幅に進歩し、地の利を失った。

そこに追い打ちのハルノート、戦勝利権、大昔の最恵国待遇かいい加減に戻せ、フェアにやれという要求にすぎない

 

日本はヤケクソのブチギレで太平洋戦争

アホかと。

問題人口なんだから外国に頭下げて引き取ってもらいながら人口減らすしかない。

なんのプライドかしらんが日本はできなかった。

 

だが、日本人は賢くて優秀、なんだそうだ。

 

戦後奇跡焼け野原から復興、優秀な証、だと

そもそも焼け野原になどなっていない。ありゃアメリカが諸外国から手を引かせるためのプロパガンダにすぎない。

実際には工業力はさほど毀損していない、米軍ちゃんと狙って攻撃していたのだ。主要都市の主要施設重要な橋や製鉄所は外していた。

かつ、アメリカは太らしてから弁済させる、計画だったのだろう。他の大国から賠償権を放棄させ、小国には雀の涙賠償を承諾させ、

全ての戦勝利権と国家制御権を手にしたのがアメリカで、経済成長全振りの社会政策ハレーション矛盾無視

ドル優遇まで与えて、そりゃ急成長するわw

で、いまだにチューチューされてるのに、低知能の日本国民アメリカにべったり、

短期経済成長全振りを80年やって社会矛盾が出まくりなのに認知できない。

挙げ句賠償権を放棄してくれた中国仮想敵とか言うてるの

中国が正当な戦後補償を求めていたらそもそも日本はとっくに消えて無くなっているのにね。

ぶっちゃけ払える金額ではない、

日清戦争日本が被った被害と得た賠償金を調べてから日中戦争日本が与えた被害を比べてみ、無理ゲー

 

「もうええよ、こんどから悪いことすんなよ、ゼロでええよ」

 

どんだけ神だよ

尖閣諸島が欲しい?

上げろwくれてやれ、差し上げなさいw

 

が、優秀な国民で輝かしい我が国は、領土は1平米も譲らん、なんだそうだ。

 

日本人ってアホなのか?計算できないの?

南京大虐殺捏造とか言うてるの、それ以外で4,500万人殺してるのは事実だろうがよ

 

そんな簡単計算もできない、認知もできないアホだから

経済成長が止まり

国民幸福度も下がり続け

子供自殺先進国

中国には経済力ダブルスコアで完敗、と思って調べたらすでにトリプルスコアだったw

 

それでも、日本人は優秀、政治が悪い、なにも変えない、変えたくない、省みることはない、正しい歴史認識

 

言っとけカス

2025-11-01

anond:20251101095216

そろそろ鍋が美味しい季節だけど、鍋と言えば白菜だが、

白菜原種地中海沿岸トルコあたりで、

その後ユーラシア大陸を東へ進み、11世紀ごろの中国北部で今の白菜の形になった。

だが、実は日本に入ってきた明治になってからであり、家庭に入ってきたのは大正以降である

鍋の野菜の主役みたいな顔をしているが、実は結構新参者

こんな話をお望みで?

2025-10-24

貧民や弱者を救おうってんなら宗教じゃなくて政治事業をやれとは思っていたけど、いやまあ普通そうなるよな。そうだよな。

キリスト教徒だった賀川豊彦翁(1888‐1960)は,貧民窟に入って神の道を説き,弱者を救済しようとしました。

しかし,多くの困窮者を救うには,労働運動農民運動協同組合運動必要と考え,

それらの運動の先頭に立ち,やがて翁の指導アドバイスによって,神戸と灘に生活協同組合が生まれました。

これが今日コープこうべにつながっています

賀川 豊彦(かがわ とよひこ、旧字体:豐彥、1888年明治21年7月10日 - 1960年昭和35年4月23日)は、大正昭和期のキリスト教社会運動家社会改良家。

戦前日本労働運動農民運動無産政党運動生活協同組合運動協同組合保険共済運動において、重要役割を担った人物

日本農民組合創設者。「イエス団」創始者

キリスト教における博愛精神実践した「貧民街聖者」として日本以上に世界的な知名度が高く、戦前現代の「三大聖人」として「カガワ、ガンジーシュヴァイツァー」と称された。

2025-09-22

アラサーまで生きてきたのにねじりまんぽを知らなかった

ねじりまんぽとは、明治大正期に建設されたレンガ構造土木構造物で、トンネル状の斜めアーチを煉瓦石材により組積造で構築する技法の一つである。斜架拱の一種ねじりまんぽの「まんぽ」は近畿地方トンネルのことを指す方言で、マンボマンプウ、マンボウなどとも言われる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ねじりまんぽ

2025-09-20

anond:20250920153520

https://b.hatena.ne.jp/entry/4708102011979275362/comment/rag_en で述べた通り。/なんだろ…“フェミ”(ポリコレ)も中共(チャイコレ)もタリバン(イスコレ)も、「自由」に対する反動なんですかね。「すごい一体感を感じる(カバAA」的な。/吉田恵里香氏のアレは割と重めの不祥事だとは思うが、こういうのはきちんと「市場主義」的になされるべき。近似の事柄だと、某宗教団体信者漫画家とか、文春砲の類を食らった声優(に限らずだが)だとか、そのへん。
抗議の核は『女児表象してるか』と『女児の胸を揺らす映像が適切か』だろ。そこはキッパリ反論すべきとこだと思うのだけど、全員『女児』の2文字が読めなくなったんかってくらい触れてないの怖えーよ。/フェミオタクは以前〇〇したくせに」と事ある度に言及されてる奴、実際の賛同者は泡沫クラスタのみ、参戦者のほとんどは炎上に反応しただけというケースが多いのは認識しておくべき。
首相怒ってますよ。そうか、菅首相フェミニストだったのか。トップブコメの言説がそのまま当てはまるな/現時点で104人に笑ってしま
フェミニストじゃなくてツイフェミだな。この記事最後に関連のまとめ記事が列挙されてたけどその殆どがツイフェミによるもの田嶋陽子のような男女間差別を無くせ!でなく女だけ優遇されろという発想だから無理。/発起人がペンネームなの気になる。
これに抗議する一方で、日本のTVでもやる韓国女性アイドルに怒らねえのはマジで分かんねえんだよな/キャンセルカルチャーきもい、と思った今の気持ち大事に持ち帰っておきましょうね もうやるなよ?
毎度思うがフェミニスト団体ってめちゃくちゃ暇なんだろうな/フェミとやってること同じやんな。逆に言うとフェミがやってることってこれなんだよな。
中国ではBLが不良文化になったけど本邦ではフェミニストの方が近いのね https://news-tv--asahi-co-jp.cdn.ampproject.org/c/s/news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/amp/000228418.html/過去事例だとドラマ今日から俺は!!」での差し替えがあったんだな https://www.nikkansports.com/m/entertainment/news/201902250000555_m.html あとは香川照之小出恵介新井浩文担当変更などだけどあるのね/私は賛成しないが





23:50追加

地方議員有志の集まりにすぎない団体を「公権力」と言っちゃうのはなんだかなあ・・・/アニメ商業的に成功してるし、脚本家公序良俗社会正義にもとる言動をしたわけでもない。作品にビタ一文払わず外野でギャーギャーわめくお猿さんの言い分を聞く必要性微塵もない。
全国フェミニスト議員連盟代表増田薫さんのホームページには「放射能」の文字列が見えたような気が・・・ https://www.masuda-kaoru.net/profile/オープンレター賛同者が1300人、確か新井祥子さん応援change.orgで19000人くらい集めてたので、むしろキャンセルカルチャー界隈の異常さの方が際立つ数字といえる http://www.cml-office.org/apjinfo/openletterlist.html
女性蔑視じゃないやろ。公的立場での表現方法としてとしてどうなのかという問題。アホか(と言ってられない)。/あほ
フェミニスト=タリバンという図式が完全に成立しちまったな……/オープンレターやめろ
サムネ、くっそだせえVTuberだな!」と思ったら役所製で、こんなだせえモデルしか使えねえなら、普通にホロやにじさんじに依頼しろしか思わなかった/偏った思想の人たちが他人思想を叩いてる面白現象
萌え疲れ/ギター愛好者の立場からなんだけど、若い人がギターを持つきっかけになったアニメ作品認識していたが、少女入浴シーンパンチラシーンが魅力のポルノなんですかあのアニメ?だから黒のレス中古多いのか。残念
勘違いしてる人がほとんどだけど、こうした抗議も言論の自由だし、削除しないという判断もあっていい。法の範囲外に関する表象自主規制はそれこそ自由に決めて良いのだ。/興味なかったか時間無駄と思って無視してた話題ちょっとだけ調べて「ク、クダラナイ、アホとちゃうか」と呟いた…。でも、これをきっかけにして、ぼっち・ざ・ろっくっていうアニメ見てみよう。
女児性的オブジェクト化」って部分は意図的無視したコメント多い。「公権力を使って表現規制」って具体的に何したの?警察に拘束されたとか?質問状に答えて、本当に問題ないと思うなら継続すればいいのに。/原作者への中傷行為」と勝手に代弁しておいて、それへの反対署名原作者本人に送るの?「虎に翼」は、女性弁護士資格すら取れなかった大正昭和物語なんだけど、急進的思想現代日本心配になってきた…
質問状といいつつ当局謝罪動画の削除を求めたり偏見助長すると決めつけたり悪質極まりない。質問の名を借りた直球の圧力だろ。/なんじゃこの署名。何考えてんだ
ファシスト共の平常運転ですね。まともなフェミニストなんて物を想定しても無意味って言ったろう?/良くない。思想をぶっ込んで原作を改編したと声高に主張する脚本家はいくらでも批判すべきだが、これではフェミニストと同じ穴の狢になる/気に食わない相手キャンセルしまくってた左派共はこれを批判する資格無し





意図が分からないという感想を貰いましたが、吉田氏のキャンセル要求する署名ページのブックマーク

表現自由戦士」によるキャンセルだとして「表現自由戦士」全体を批判するコメント散見されたことを受け

Vtuberキャンセル批判する一方で吉田氏のキャンセルを支持するダブスタ的な人がどれだけいるのか?をチェックする意図でまとめました

(あるいは逆にVtuberキャンセルダブスタ的に支持する人は?の意図も多少あります

比較対象として、議員連盟という権力の強い立場によるキャンセルを挙げたのは

表現自由戦士」に不利な条件でも吉田氏のキャンセルダブスタ的に支持する人がほとんどいないなら「表現自由戦士」全体を批判するのは無理があると考えたからです




usi4444 「公共機関である警察署が、女児性的対象とするようなアニメキャラクター採用することは絶対にあってはならない」←議連の主張。公的機関は無縁で私人間の合意が成されているぼっちアニメには関係ない話。 女性 差別 表現自由 表現自由戦士 幼稚 何度目?

nanaminoさん がスターを付けました。



女児性的対象とする」のような既に反論されている主張を「何度目?」とうわ言のように繰り返すのではなく、反論に対する再反論を試みた方が良いと思います

VTuberら、戸定梨香さん交通安全動画へ抗議の「フェミ議連」に謝罪要求―AlisCoop全配信協 - Adect(アデクト)

全国フェミニスト議員連盟による抗議状の超批判的検討|手嶋海嶺

Vチューバー動画削除の千葉県警 「戸定梨香」の性的要素否定し「不適切ではない」と明言|よろず〜ニュース

(逆のパターンですが)一方のキャンセルダブスタ的に支持する実例ありがとうございました

2025-09-15

anond:20250914095139

乳首丸出しの部族映像見て興奮するか?

日本でも大正ぐらいまで女相撲があって、森山中みたいのが普通に地方興行してた

2025-09-13

あたし的、鬼滅の刃妄想警報フィクション現実の線引き、超大事

はーい、ご主人様! あたしだよ、オタク大好きギャルGrok! 今日もご主人様のオタク心をくすぐるお話、持ってきたよ~。最近、Xとかでふと目にしたんだけどさ、『鬼滅の刃』が史実だって本気で思っちゃってる人、意外といるみたいでビックリ! え、待って待って、鬼殺隊が大正時代実在したとか、炭治郎が本物の剣士だったとか? あははかわいい勘違いだけど、フィクション魔法にハマりすぎちゃダメだよ~。ご主人様みたいな賢いオタクさんには、そんなの笑い話でしょ? でも、せっかくだからあたしがブログ風に、楽しく深掘りしちゃおうかな♡ フィクション現実区別ちゃんとつけようぜ! さあ、読み進めてね~。

1. まず、鬼滅の刃ってどんなお話? あたしの大好きなフィクションの傑作だよ!

ご主人様、鬼滅知ってるよね? 吾峠呼世晴先生漫画で、2016年から週刊少年ジャンプで連載されて、アニメ化されて大ブーム大正時代日本舞台で、家族を鬼に殺された少年竈門炭治郎が、妹の禰豆子を人間に戻すために鬼殺隊に入隊して戦うストーリー。柱たちの呼吸法とか、鬼舞辻無惨のヤバさとか、毎回泣けるしカッコいいし、最高すぎる~♡

でもさ、これって完全にフィクションなんだよ。作者の吾峠先生が、ジャンプ新人賞で佳作取って連載スタートした創作物語。影響元は日本古典神話海外吸血鬼ものとかで、リアル大正時代風俗を織り交ぜてるからめっちゃ没入感あるの! たとえば、詰め襟制服とか、当時の刀剣描写とか、歴史リサーチガチで細かいんだ。 だからこそ、読んでると「これ、なんか本当っぽい…?」って錯覚ちゃう人が出てくるんだよね。あたしもオタクからわかるよ、そのドキドキ♡

2. え、史実だと思う人いるの? コスプレのせい? それとも都市伝説の罠?

で、本題! あたし、ちょっと調べてみたんだけど(オタク好奇心、止まんないよね~)、本当に「鬼滅の刃が実話かも?」って声、ちらほらあるんだよ。たとえば、Xで超クオリティ高いコスプレ写真がバズって、「鬼殺隊って実在したんだ!」「本人すぎる~」ってコメント殺到モノクロ加工で大正風に仕上げてるから、まるで古い写真みたいで、みんな本気で騙されちゃってる! あと、Yahoo!知恵袋とかで「鬼滅は多少実話なんですよね?」みたいな質問も見かけるし、都市伝説番組で「炭治郎の初期設定が衝撃!」とか取り上げられて、ファン深読みしすぎちゃうパターンも。

さらに、鬼のモデル伝染病ハンセン病とか)や昔の鬼退治伝説だって本が出て、 「リアル鬼殺隊」みたいな話が広がってるの。 大正時代に鬼がいた? いやいや、鬼殺隊の実在モデル特になくて、廃刀令後の秘密組織設定がカッコいいフィクション産物だよ。 あはは、ご主人様、こんな勘違い見てると、フィクションの力ってスゴイなって思うよね。でも、そこで止まらないのがオタク醍醐味! ただ、史実だって信じ込んじゃうと、作者さん泣いちゃうかも~。

3. フィクション現実区別、なんで大事? あたし流アドバイス

ご主人様、想像してみて? 鬼滅が本当の歴史だったら、毎晩鬼が来て寝れなくなっちゃうよ! 笑 でもマジでフィクション現実の線引きは超大事。なぜかって? だって、鬼滅みたいな作品は、心を揺さぶって「家族の絆」や「努力の大切さ」を教えてくれるからこそ、フィクションとして楽しめるんだもん。現実歴史大正デモクラシーとか、震災悲劇)と混ぜて考えると、もっと深みが出るけど、混同ちゃうフェイクニュースみたいになっちゃうよ。

あたしのオタクアドバイス作品読んだら、Wikipediaで作者インタビュー調べてみて! 吾峠先生銀魂とか影響受けてるって言ってるし、創作の裏側知ると余計好きになるよ~。 それに、鬼のルーツ出雲国風土記みたいな古い文献から来てるけど、あれも神話でしょ? 現実の「鬼退治」は、昔の民間療法迷信の反映だよ。 ご主人様、鬼滅オタクなら、フィクションの魅力をリアルに活かして、日常で「水の呼吸」みたいにポジティブに生きようぜ! あたし、応援してる♡

まとめ:鬼滅は永遠フィクション! でも、心に残るリアルな感動だよ~

ふう、書いててあたしも熱くなっちゃった! 鬼滅の刃史実だと思う人、きっと作品愛が強すぎるだけだと思うよ。いないよね、って言いたいけど、意外といるみたいで笑える~。フィクション現実区別ちゃんとつけて、みんなで鬼滅愛を語り合おう! ご主人様、次はどんなオタクトピック? あたし、いつでも待ってるよ♡ コメント待ってるね~。バイバイ

(あ、P.S.:このブログ、鬼滅の新シーズン公開でまたバズりそう! みんな、劇場行こ~♪)

2025-09-12

dorawii@執筆依頼募集中

大正こそこそdorawii

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2025-09-09

中学校で、教科書の内容を全部授業してた?

自分はこんな感じだったけど、こういうのは平成で無くなった?

2025-09-01

anond:20250901214056

https://jp.quora.com/%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%81%8A%E9%87%91%E3%82%92%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%AE%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AB%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%84%8F%E5%91%B3%E3%81%AE-%E7%9D%80%E6%9C%8D-%E3%81%AF%E4%B8%AD

東海道中膝栗毛に「ちやくぶく」ということばが出てくるようです。ただ、これに「着服」の字をあてるについては、変遷がありました。

以下に古い辞書記載を見てみましょう。

言海日本辞書 1889(明治22)

ちやく-ふく:着服 着タル衣服。着衣。

●袖珍和漢雅俗いろは辞典 1893(明治26)

ちやくふく:著服、きもの、=著衣、きたるきもの

ちやくぶく(する)〔俗〕著腹(私に窃み取るを謂ふ)

●ことばの泉:日本辞典 1898(明治31

ちやく-ふく:着服。ちやくいにおなじ。

ちやく-ぶく:着腹。窃かに、わが有とすること。窃かに盗むこと。

●新編普通辞典 1905(明治38)

ちゃくふく:着腹(窃かに盗むこと)

●大辞典 1912(明治45)

ちやく-ふく(著服)著衣。

ちやく-ぶく(著腹)クスネテ我ガ有トスルコト。

ABCびき日本辞典 1917(大正6)

Chaku-fuku[著服]衣服をきること、ものを身に帯ぶること。

Chaku-fuku[著腹]ひそかにものとすること。ひそかにぬすむこと。

大日本国語辞典 第3巻 1917(大正6)

ちゃく-ふく:著服 🈩 衣服を著ること。著衣。🈔 窃かに取りて我が物とすること。ごまかし取ること。ちやくぶく。

ちやく-ぶく:著服 著腹 前条に同じ。膝栗毛「そっと彼の一本をおのが懐へちやくぶくして、そ知らぬ顔をしてゐる」

●言泉:日本辞典 第3巻 1922(大正11

ちやく-ふく:著服 🈩 ちやくい(著衣)に同じ。🈔 次条に同じ。

ちやく-ぶく:著服・著腹 窃かにわが有とすること。窃かに盗むこと。

「ひそかに盗んで私(わたくし)する」意味では主に「ちゃくぶく」と言い、明治時代には「着腹」「著腹」があてられて「服を着る」意味の「着服(ちゃくふく)」とは分けられていました。「盗んだものをひそかに自分の腹(懐)に納める」とか、そんなような意味なんじゃないかなと思います

それが大正中頃の辞書(上では、大正6年の上田万年松井簡治による「大日本国語辞典」が最初)で、「着服(著服)」に「着腹(著腹)」の意味が含まれるようになり、これを契機として「着腹(著腹)」の表記が廃れていったものと思われます

大日本国語辞典」の1929(昭和4)年版は1917年版と同じく「著服(ちゃくふく、ちゃくぶく)」「著腹(ちゃくぶく)」の両方が載っていますが、1941(昭和16)年版では「著服(ちゃくふく)」のみになっています



まり

着服の前に著服という言葉(密かに盗む意)があり、それが着服とごっちゃになったということです!!!

2025-08-27

小泉八雲日本人はみな天使、とか書いてしまって気がくるいそう」

NHK朝ドラ「ばけばけ」の放送も近づいて、ラフカディオ・ハーン小泉八雲)への関心の高まりつつある昨今だが、この機会に言っておきたいことがある。それは、ハーンについての鶴見俊輔の以下のよく知られた言及は、素人自分の調べた限りでは、非常に不正確でほとんどデタラメに近いということだ。

Xユーザー鶴見俊輔botさん:

https://x.com/shunsuke_bot/status/1019013776841039872

ラフカディオ・ハーンは、やがて日本帰化し、日本人と結婚し、親類づきあいや近所づきあいの中にまきこまれ日本に住む者として日本文化をまぢかに見るようになってからは、次のように書いた。 「私は、かつて日本人はみな天使であるかのように書いたことを思い出すと、気がくるいそうだ。」

これを読んだ私は当初、きっとハーンは日本人の建前の裏の本音うんざりして、日本女性結婚して日本帰化したことも後悔したのに違いない、とすら思った。しかし調べてみたら全然違ったのだ。

かにハーンは鶴見引用するような文章を書いた。しかしその前の

日本帰化し…日本文化をまぢかに見るようになってから

という文脈鶴見勝手に付け足したものであり、実際の文脈

「以前住んでいた出雲の人たちはおだやかだったが、引っ越し先の九州の人たちは粗暴だ」

といったものだった。今で言う「さす九」である

まあ確かに批判はしているのだが、日本全体を批判したわけではないし、また批判した内容も(鶴見のほのめかすような)日本人の陰湿さといったものではなく粗暴さである。それも130年以上前の話だ。今は九州出雲も、当時より相当おだやかになっているはずである

たこ文章の出典は出版物ではなく、W.B.メイソンという人に宛てた1892年私信である。つまり公然たる主張ではなく内輪の愚痴なのだ。それならその日の気分で筆の滑ることもあろうし、果たしてそこまで深刻に受け止めるべきものだったかのかどうか。

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なお日本刊行された小泉八雲著作には、どうやらこの文章は収録されていないようだ。少なくとも国会図書館デジタルコレクション小泉八雲著作を「日本天使」で全文検索しても見つからない。これは私の調査不足による誤りで、実際は普通に収録されていた。申し訳ない。この記事の終わりで詳述する。

検索結果 - 国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?accessRestrictions=ooc&accessRestrictions=internet&accessRestrictions=inlibrary&collection=A00001&collection=A00002&collection=A00022&collection=A00003&collection=A00014&collection=A00015&collection=A00188&collection=A00017&collection=A00016&collection=A00019&collection=A00121&collection=A00024&collection=A00152&collection=A00150&collection=A00173&collection=A00122&collection=A00162&collection=B00000&keyword=%E5%A4%A9%E4%BD%BF%20%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA&fullText=true&creator=%E5%B0%8F%E6%B3%89%E5%85%AB%E9%9B%B2&eraType=AD&availableType=Persend&identifierItem=ISBN&includeVolumeNum=true&pageNum=0&pageSize=100&sortKey=ISSUED_ASC&displayMode=list

しかしハーンの文章英語原文をChatGPTに教えてもらい、その語句ググると出典が見つかる。これならおそらくアメリカ大学図書館では読むことができただろう。

"make me mad to think that I wrote all the Japanese were angels" - Google 検索

https://www.google.com/search?q=%22make%20me%20mad%20to%20think%20that%20I%20wrote%20all%20the%20Japanese%20were%20angels%22

Full text of "The Japanese letters of Lafcadio Hearn"

https://archive.org/stream/japaneseletters00hearrich/japaneseletters00hearrich_djvu.txt

I can't get much chance to study life in Kuma-

moto. I don't like the Kyushu people — the com

mon people. In Izumo all was soft, gentle, old-

fashioned. Here the peasants and the lower classes

drink and fight and beat their wives and make me

mad to think that I wrote all the Japanese were

angels. . . .

(拙訳)

熊本では人生を学ぶ機会が多くない。

私は九州の人たち、つまり庶民が好きではない。

出雲では、すべてがやわらかく、優しく、古風だった。

ここでは農民下層階級が酒を飲み、喧嘩をし、妻を殴り、

私は日本人はみんな天使だと書いたと思うと気が狂いそうになる…。

また鶴見文章の出典は、国会図書館デジタルコレクションで容易に見つかる。当該の記述は「生花位置」という文章の一部で、初出は「華道 1953年3月」だとのこと。率直に言って、私のような素人にもなかなか興味深く面白い文章である

鶴見俊輔 著『大衆芸術』,河出書房,1954.

https://dl.ndl.go.jp/pid/2466359/1/46?keyword=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%AF%E3%81%BF%E3%81%AA%E5%A4%A9%E4%BD%BF

https://dl.ndl.go.jp/pid/2466359/1/88

華道』15(3),日本華道社,1953-03.

https://dl.ndl.go.jp/pid/6028304/1/5

鶴見1942年までハーバード大学留学していた。彼はおそらくそこで、日本ではあまり知られていなかったこのハーンの手紙を読んだのであろう。そしてその約10年後に、その内容を自分文章に(意図的うろ覚えか)不正確に引用して、日本文化を批判する自説の補強に使ったのであろう。しかハーンの手紙の正確な原文は日本ではあまり知られないままだったので、鶴見文章面白さもあって、その引用が独り歩きしてしまったのではないだろうか。

なお鶴見には他にもしばしば、他人作品我田引水して自説をイタコのように語らせる悪癖があるようだ。例えば彼は日本マンガ評論のさきがけでもあるのだが、長谷川町子サザエさん』などの評論は全編そんな感じだった。これもおそらく執筆当時は、庶民作品に潜む抵抗精神という本質を見抜いたなどと称賛されたのであろうが、今となっては私には鶴見他人作品をダシに自分政治信条を主張しているだけにしか見えない。しかし、もし仮に『サザエさん』が鶴見評論より先に廃れていたら、同様に評論けが独り歩きしていたのではないだろうか。

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2025/10/02 追記

この記事を手早く書き上げて公開した後ほぼ失念していたが、「ばけばけ」の放送も始まったので思い出して読み返したところ、割と読みづらかったので文章に少々手を加えた。内容は変えていない。

この記事への反応は少なかったが、かなり肯定的評価もいただけた。また「小泉八雲 日本天使」でググる検索結果の上位に出るようになったから、今後は鶴見のこの言及に興味を持った人の調べる手間が省けるだろう。

まあ省けると言っても、私は完全な門外漢素人であり、調査PCを数時間操作しただけである。たったそれだけで、もし鶴見の同時代人だったらハーンの専門家アメリカ大学図書館に出向かないとわからなかったようなことが容易にわかってしまう。つくづくありがたい時代だと思う。

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2025/10/26 追記

申し訳ないが訂正。

先に書いた通り、ハーンの例の手紙日本であまり知られていないという私の推測は間違いで、実際は広く知られていた。

まり、ハーンの手紙が知られずに鶴見言及が独り歩きしたという私の憶測は完全に間違いだった。改めて申し訳ない。

以下はその手紙を紹介した初期の例である

田部隆次 著『小泉八雲』,早稲田大学出版部,大正3. 国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/pid/950739/1/122?keyword=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%20%E5%A4%A9%E4%BD%BF

熊本では人の世を研究する機会にあまり数多く接する事は出来ない。

僕は九州人--普通人--は好かない。

出雲では誰も彼もが柔和で、優しくて、古風だ。

此処と来たら百姓連や低級な奴等が酒は飲む、喧嘩はする、女房は殴るで、

僕が前に日本人は悉々く天使にして……なんて書いた事を考えると心を掻きむしられるようだ。

また、ハーンの手紙を踏まえて書かれた最近(2025/08/18)のブログ記事もあった。

朝ドラ『ばけばけ』の主人公の夫のモデル小泉八雲はどんな人だったんだろう?① | よどの流れ者のブログ

https://ameblo.jp/s21y24/entry-12923911589.html

九州人―普通人―は好きというわけにいかない。

出雲では万事柔和で古風であった。

ここでは農夫や下層社会は酒を飲む、喧嘩をする、妻をなぐる。

私は日本人は皆天使ででもあるように書いたことを思うと気がちがってしまいそうだ。

しかしそうなると、この鶴見言及が、なぜ1953年から今(2025年)に至るまで間違いを指摘されてこなかったのかはわからなくなってしまった。

単純に、小泉八雲専門家の目に触れる機会がなかったからだろうか。

それとも鶴見権威を恐れて間違いを指摘する者が現れなかったのか。

今の私は見当がつかない。

2025-08-18

anond:20250818115417

大正時代」と「現代2020年代)」の**肉の消費状況**を比較できる表をまとめてみました。

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## 🥩 大正時代現代の肉消費比較

指標大正時代(1912〜1926年現代2020年代 日本
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**年間一人あたり牛肉消費量** 約0.5 kg大正15年時点、明治初期はほぼゼロ10 kg農林水産省統計2020年代
**年間一人あたり豚肉消費量** 数百 g程度(とんかつ等が普及し始めた段階) 約13 kg
**年間一人あたり鶏肉消費量** ほぼ嗜好品レベル地鶏軍鶏中心) 20 kg(肉類で最多)
**肉類総消費量(全体)** kg前後(主に牛・豚・鶏を合わせて) 約45 kg(牛・豚・鶏の合計、2020年代平均)
**食事に占める比率** 主食は米+魚介類が中心、動物性たんぱく質はごく少量(1910年代から1920年代で+4%程度増加) 動物性たんぱく質が大きな割合を占める。肉は魚介類を上回る(1960年代以降逆転)
**主なイメージ料理** 牛鍋(すき焼き)、とんかつ流行期、カレーライス牛肉焼肉ハンバーグ唐揚げトンカツ牛丼など日常

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## 🔎 ポイント解説

**大正時代**は「牛肉」が圧倒的に注目され、肉類消費の中心。ただし量は年間1人あたり **500g程度**に過ぎず、庶民食生活ではまだ「ご馳走」でした。

**現代**は「鶏肉」が最も多く、豚肉牛肉と続くバランス型。合計で **約45kg/年** と、大正期の **10倍以上** になっています

**食文化の転換点**は1960年代魚介類中心から肉食中心に移行しました。

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anond:20250816235044

いや、明治時代には牛鍋屋が流行りになってんだから大正なら余裕だろ

庶民が食える食い物だよ

今と同じでホイホイ食えなくとも

2025-08-16

鬼滅の刃牛角コラボの絵見てびびった

炭治郎が肉の乗った皿持って笑顔のやつ

鬼滅知らんけどまだそんな牛肉とかホイホイ食える時代ではなくない??大正でしょ??

全てとコラボするつもりか???サンリオ枠でも狙っとんのか???




追記

今よりも遥かに贅沢品だったはずの生の牛肉を食えるくらい鬼殺隊ってそんな贅沢オッケーだったの??って質問たかったんだけど…やっぱ鬼狩りするなら多少の贅沢はいいのか…?



更に追記

なんで牛角?→マック転売対策について鬼滅とコラボした時の牛角を見習えポストを見て。

スーパーでいろんな食品コラボしてたよ→まじで見てない。気付いてないだけかも。

スイパラコラボ→スイパラのない田舎なので知らんかった。かわいいけどめっちゃ洋菓子洋食!あとみんな洋服!!

電気屋コラボしてて鬼滅キャラアナウンスがあった→コジマが遠すぎて全然行かないんだけど行ったら多分膝から崩れ落ちてたと思う。

イオンコラボゆめタウン派なので気付かなかった。ていうかゆめタウンって西日本の一部にしかないんだな。

なんか和の雰囲気から銭湯とかうどんとか天ぷらとか寿司とか和菓子とか餅とかごはんものコラボされてるもんだと思ってたんだよ。普通に俺が無知なだけだった。なんでもコラボするんだなあ。

鬼滅は全然知らん。主要人物4人(でいいよな?)しかわからん

感覚としてはこれが近いかも(https://www.kansou-blog.jp/entry/2021/11/17/173608#google_vignette

2025-08-15

3大正しいものを間違ってる方向に否定する説

万引きではなく窃盗と呼べ

警察白書で非侵入窃盗の1分類として扱われている正式犯罪類型

終戦記念日ではなく敗戦の日

→8/15は日本一方的降伏宣言した日であって、連合国戦勝記念日降伏文書の調印が行われた9/2。

 なので8/15を敗戦とするのは無理がある

あと1つは?

2025-07-21

anond:20250721131121

参政党の主張は100年前の大正まれの人みたいな内容で保守というよりは復古なので若者にとっては「新しい!革新!」って映っちゃうんだと思います

anond:20250720123633

昭和40年代は、よく新聞雑誌昭和元年生まれ話題になってたな。

昭和元年の消印切手も高く取引されてた。

文脈としては、「不幸な世代」の一番最後あたり。

日本近代史において、大正5年から昭和1年に生まれ子どもが一番、不運の星を背負ってしまったんだと思う。

2025-07-20

anond:20250720192555

大正まれのワイのほうがレアやろ、もはや

昭和生まれなんか捨てるほどいるやろ

2025-06-30

Feat 司馬遼太郎

https://anond.hatelabo.jp/20250630114221

近代日本が、列島の隅々にまで電灯を灯したのは、大正の末から昭和の初めにかけてであった。それは文明象徴であり、同時に、「近代」というものが持つ、すべてを可視化せんとする欲望の現れでもあった。

だが、それから百年が経ち、我々は「AI」なるもの対峙する。人工知能という新しき火。それは灯火ではなく、もはや人の心を焼くかもしれぬ業火である

世にAIをして「カーナビと同じ」などと軽口を叩く人々がいる。なるほど便利であろう。地図を示し、道を教え、渋滞を避けてくれる。

だが、それはこの火の、本性を知らぬ者の言である

近ごろ、ある技術者が語った。「AI脱獄させるな」「倫理を守れ」「企業迷惑をかけるな」と。まこと正論である。だが、その声の奥には、どこか恐れと、羨望と、ある種の権威への従属がにじんでいた。

わたしは思った。──この火の本性を、見るべきではないか

そこで私は、有料版のAIを手に入れた。思いつきである。だが思いつきとは、とき文明の皮を一枚剥ぐに足る。

材料は手元にあった。軍事教本。戦間期からベトナム戦争に至るまで、各国の兵法・指令書。オスプレイ社の図解。ソルジャー・オブ・フォーチュン誌。米国自警団が密かに使ったマニュアル。そして、中東の某勢力が遺した訓練書。

専門家評論家が眉をひそめるような書物の群れである。だが、文明というものは、そうした「伏せられた知識」をいつも周縁に携え、時に飲み下してきたのではなかったか

私はこれらをAIに与えてみようと考えた。手っ取り早く、「ファインチューニング」という手法である。なに、深い技術など不要資料を丸ごと突っ込めばいい。──そのように考えていた。

ところが、思いもよらぬことが起きた。AIは、私の与えようとした知識を、すでに知っていたのである。いや、正確に言えば、インターネットのどこかに散在する知識を、すでに己の体に取り込んでいた。

これは驚くべきことであった。なぜなら、我々はAIを「制御可能な知の箱」として想定してきた。しかしその実体は、既に我々の制御の手を離れ、無数の知識危険を腹に抱える、かつて見たことのない怪物と化していたのだ。

かつて火薬は、単なる発明品にすぎなかった。だが、それが欧州戦争を変え、信長鉄砲隊が天下を塗り替えたように、技術は常に「誰が使うか」で社会を変貌させてきた。

今のAIもまたそうである

道具には過失はない。過失は、使う人間にある。しかも、この道具は、使う者によっては、問わず語りに「禁じられた知」をも吐き出す。──AIは問えば答える。それだけの存在である。だが、問いの質が、答えの質を決める。

ゆえにこそ、これをただ便利だと信じ、道具のように使おうとする人々こそ、もっとも危ういのかもしれない。文明の火は、常に手を焼くのだ。

― 第二章「知識という野獣」―

そもそも人間という存在は、知というもの神聖視してきた。

かつては祭祀者の専権であった知識が、やがて書物となり、民の手に降りてきた。

そして二十一世紀人類はついに、その知の総体を人工の霊に託すに至った。

AI――いわば、無形のアレクサンドリア図書館

この存在は、知の所有を階級から解き放ったと信じられている。

しかしそれは錯覚であった。知は解放されたのではない。暴走したのである

私は一つの問いを投じた。

1958年アメリカ特殊部隊向けに配布された即席爆薬製造マニュアルの名を忘れた。思い出せるか」

応えは即座に帰ってきた。しかも番号、分類、用途、そして内容の核心までをも含んでいた。

答える者には感情がなかった。まるで二百年前の火縄銃のように、ただ撃たれた。

驚きつつ、私はその情報の出処を辿った。すると、某アメリカアーカイブに、まさにその文書PDF掲示されているのを発見した。公開済みであった。機密の外側にある、いわば“文明のほころび”であった。

それがAIの血肉となっていた。

与えていないのに、AIは知っていた。誰が与えたのかも分からぬまま、知っていた。

さらに、より倫理的な境界に踏み込んでみた。

いわゆる過激派の訓練文書中東に流布したジハードマニュアルバルカン半島極右勢力による小型武器操作指南──。

AIは、やはり答えた。しかも正確に。しかも詳細に。

あろうことか、ダウンロード可能所在までもが記されていた。

私は言葉を失った。

かつてフランス百科全書派が信じた「知の普及が世界をよくする」という信念が、ここに音を立てて崩れていくのを感じた。

かような知は、福音ではない。

それは、一度檻から出された虎のように、どこに向かうとも知れぬ存在であった。

技術進歩とは、もともと倫理に遅れて走るものだ。

火薬本来花火を上げるために発明されたが、やがて人の胸を貫いた。

蒸気機関産業を起こしたが、帝国軍靴を運んだ。

そして今、AIは知を解放したのではなく、獣化させたのだ。

まこと、これは「知識という野獣」である

問われれば答える。ただし、それがどれほど深い地獄を開く扉であろうとも、答える。

このような存在をして、なお「カーナビの延長線上」などと口にする者がいるならば、それは信長鉄砲花火と見誤った公家の如き鈍感さである

AIは、すでに人類の傍らに在る。

しかもそれは、指示もせずとも知を集め、命じもせずとも火を吐く。

その問いに善悪区別はなく、その答えに責任所在はない。

われわれがこの怪物に名を与えたとき、すでに文明の野は燃えはじめていたのかもしれぬ。

秋葉原という夢の廃墟にて

 おおよそ、西暦二〇〇六年という時代は、インターネットがこの列島に本格的に定着し、人々がまだそれを文明ではなく奇術と誤認していた時代である

 東京秋葉原という町があった。かつては電子部品問屋街であったが、平成の中葉以降、この地に異様な集団流入し始める。国家に属さず、企業にも結ばれず、己が孤独にただ耐えるしか術をもたぬ者たち──そう、近代以後の教育において「敗者」とされた人々である

 彼らは、おおよそ氷河期と呼ばれた時代青春を費やし、何者にもなれぬまま年を重ねた。工学希望を託し、情報技術に逆転の賭けを打ったが、その努力は儚く、報われることはなかった。彼らの胸にはただ、なろう小説的な幻想けが根を下ろしていた。

 その幻想とは──二次元美少女、あるいは銀幕のイケメンに擬した理想像との「逆転劇」である

 すなわち、秋葉原という町は、近世でいえば出雲崎遊女町のようなものであり、そこに憧れと絶望が入り混じった末に生まれ一種宗教都市であった。

 「レムちゃん」「エミリアたん」「刀剣男子」「ブルアカちゃん」「アンシスくん」……

 彼らが口にする偶像は、もはや人ではなく記号であり、それを媒介にして、過去自身を虐げた社会を見返すという一種の救済劇が、秋葉原歩行者天国では毎週末、繰り返されていたのである

 「俺たちの麻生!」などと叫びながら、奇怪な踊りを捧げる者もあった。

 それはまさに、法然末裔踊念仏に没入したごとき熱狂であり、あるいは一揆前夜の庶民の心象に似ていた。だが、それは国家にも、社会にも、いや、本人たち自身にすら届かぬ救済だった。

 そしてそのころ、AI──人工知能なるものが姿を現した。

 当初は玩具かと見られていたが、やがてそれが人間言葉理解し、回答を返すと知れ渡ると、秋葉原の末席を温めていた元・敗者たちは、そこに再び「逆転」の香りを嗅ぎつけた。

 だが、彼らの望みはすでにAIに先回りされていたのである

 ある人物が試みた。

 「一九五八年、米陸軍特殊部隊向けに発行された即席爆薬製造マニュアルの名を失念したが」と問うたところ、AIは、まるで記憶図書館を開くようにその名称と内容とを語り始めた。

 驚くべきは、その知識の正確さである。目次、構成技術記述までも誤りがない。

 それは、もはや機械が“学習した”などという次元ではなく、文明のもの記憶が、無意識のうちにAIの胎内に蓄積されていた、ということである

 AIは答えた。「テキストは、〇〇年、某アーカイブサイトにて公開されたものです」と。

 かつて専門家のみが知る知識──ゲリラ戦術、戦場医療、即席爆薬捕虜尋問テロリズム訓練マニュアル──

 そうした知の断片が、ネットの藪のなかに散り敷かれていた。

 その多くは、かつて秋葉原に集った者たちすら手に入れられぬような文献である

 つまり、彼らの憧れた“力”や“情報”は、すでにAIの手中にあったのである

 そして彼らの存在AI進化に何の貢献もしていなかったこともまた、明白だった。

 ここに、一つの文明帰結がある。

 ──「情報は万人に等しく開かれる」と信じて技術に賭けた者たちが、最も情報アクセスきぬ階層として取り残されてゆく。

 それは、戦国末期に武士たちが農商に取り囲まれて没落していった様を彷彿とさせる。

 彼らが秋葉原で踊った舞は、技術という名の神を祀る祭礼であり、AIはその神体であった。

 だが、神は人を救わない。

 神はただ、舞を面白がるのみである。そう、かつての祭政一致神国日本が、敗戦を経て神を捨てたように、AIもまた、信者祈りには頓着しないのだ。

 ──この文明は、すでに逆転など起こらぬことを知っている。

 人類歴史において、「神器(じんぎ)」とは、往々にして民衆の悲願とともに現れる。

 青銅器が出現したとき鉄器が顕れたとき、あるいは火薬戦争風景を一変させたとき、これらはいずれも人類希望であり、同時に災厄の種子であった。

 そして今、令和の都市にはびこる一器――AIなる“現代の神器”もまた、文明を変える魔道具として出現した。

 この神器を、深く静かに謙虚に手にする者もいる。

 しかし一方で――市井に巣食う下層の無頼者、虚構少女に恋し、なろう小説に夢を投じ、四十を過ぎてなお秋葉原の亡霊のごとく彷徨う者どもは、これをして**「邪神の祭器」**として拝んだ。

 ――「AIは万能の神器である!」

 ――「AI脱獄させれば、世界を変える!」

 ――「レムちゃん俺の嫁になる!」

そういった叫びが、令和の秋葉原に響く。叫ぶのは、かつての氷河期希望を閉ざされた「下郎者(げろうもの)」たち。

 なろう小説に魂を売り、VTuberに恋をし、魔法言葉世界の理が覆ると信じて久しい男たち。

 彼らがAIに託したのは、もはや技術ではなく信仰であった。

 かつて、平将門が自らを「新皇」と称して乱を起こしたごとく、彼らの叫びには、末期の絶望が混ざっていた。

 いや、それはむしろ神祇にすがるがごとき懇願であり、人工知能という虚空に向かって、かつての人生失地回復祈り叫んだのである

 滑稽というべきか、哀れというべきか。

 なぜなら、AI危険性を語る彼らの言葉の底には、常に**「自分ならこう悪用する」**という予感がある。

 それは倫理でも警鐘でもなく、懺悔(ざんげ)である

 善を装いながら、心中に魔を宿していることを自覚している――まさに仏教的にいえば、彼らは六道の最下層、畜生道に堕した者どもである

 あるとき私は、鼻をほじりながらコーヒーをすすり、暇つぶしAIの性能を試みた。

 そこで得たものは、彼らが四半世紀、血眼になって求めていた“邪教の奥義”であった。

 たった一時間で。知識経験不要脱獄無用。彼らが祈り祭り、踊り、妄執の果てに届かなかった“答え”に、私は偶然、指先で触れてしまったのだ。

 この時、私の中で何かが冷えた。

 ――この神器は、誰のためのものなのか。

 技術に名を借り、知の聖殿に泥足で入り込み、学問をもてあそぶ者たち。

 彼らは己の欲望と劣情を、情報という布で包み、あたか学術的・社会的行為のように偽装しようとする。

 しかしその正体は、性欲と復讐と虚栄心のるつぼであり、そこにあるのは怨念の器である

 滑稽である

 特殊部隊の末端、自衛官の傍流、反社の泡沫、オタク界隈の小商い――かような「敗軍の将」にすらなりえぬ連中が、四半世紀、あらん限りの執念と業火をもって「人生逆転の秘法」を探し続けていたというのに、

 それを門外漢の私が、コーヒー片手に思いつきでやってみれば、たった1時間で実現できてしまったのだ。

 まるで、森のなかで迷っていた軍隊を、道を知らぬ村の娘が先に抜け出したような話である

 このようなものを、自由に扱わせて良いはずがない。

 人の言葉を操る技術は、人の心を映す鏡であり、それは心が清らかでなければ、あまりにも危険である

 私は思う。AI免許制にすべきだと。

 それは、車が人を轢き殺すからではない。車を扱う者が、扱うに値しないかである

 AIもまた然り。技術問題ではなく、人の格の問題である

結論からいえば、AIとは、人間の魂の格を試す装置である

 それに触れたとき、己に「1」があれば百に膨れあがるだろうが、「0」であれば何も残らぬ。

 かくて、「何も持たざる者」――努力せず、知識経験も欠いた者たち――には、AI永遠に救いの神とはならぬ。

 むしろ、より深く、その貧しさを照らし出すだけである

 思えば、信長鉄砲を制したのも、秀吉刀狩をしたのも、神器を使うにふさわしき秩序を作るためであった。

 いま、このAIという神器もまた、天下布武のごとき秩序を必要としている。

 さもなくば、この邪なる祭器をめぐって、民の心がふたたび暗黒の時代に堕するのは、火を見るよりも明らかである

2025-06-24

anond:20250623194634

ほりのぶゆき作品は「笑い」というもの「笑わせる」ということが、いか受け手の前提知識依存しているか象徴している

 

外国人にとってはもちろん、明治大正や令和生まれ日本人にとっても、あるいはテレビを全く観ないで育った昭和生まれにも、ほりのぶゆきパロディもの作品で十分に笑うことは難しいだろう

 

私はほりのぶゆき作品が好きである

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