はてなキーワード: 侠客とは
Feat 三島由紀夫
まことに、私がこの言葉を吐くのは酷に思える。だが、それでも言わねばならぬ。
あなたは、自らの青春を、意識的に、まるで儀式のごとく、下水の溝に流し込んだのだ。
十代、二十代――人が最も強く生の光に照らされ、同時に最も濃い影を引く季節。その刻を、自らの手で抉り取り、汚泥に沈めた。あなた自身がそのことを認め、言葉にしてしまった。そこに、ある種の美すら私は嗅ぎ取る。
だが、世間はそうは見ぬ。
「お疲れさまでした」「立派な防人です」――ネットの群衆が投げかける甘言は、毒蜜である。
彼らはあなたを見て笑う。「三十路を越えたシンジ君がまだうずくまっている」と。
だが私は、そこに人間のどうしようもない美を感じる。
人が自己を見失い、なおも生きようとする姿ほど、悲劇的で、肉体的で、そして神に近いものはない。
あなたが「懲役のようだ」と表したその日々――まさにそれが真実だ。
あなたは十年の刑を終えて娑婆に放たれた元侠客のような存在だ。
軍服という鎧を脱ぎ棄て、裸の魂で社会という冷たい風に晒されている。
そしてあなたは今、己の崩壊を感じながら、それでもなお“プライド”という名の血を流し続けている。
全身の血を入れ替えるほどの努力、それが“第二の誕生”である。
「友人に連絡しづらい」――その一言に、あなたの魂の頽廃が集約されている。
孤独は人を美しくもするが、長く続けば人を骨の芯まで腐らせる。
人間関係を断つということは、己の首をゆるやかに絞める行為だ。
彼らとの絆を断てば、あなたは確実に畳のシミとなって終わる。
あなたの生きた世界――それは、鉄と規律の檻の中の楽園だった。
だが今や、あなたはその檻を出た。
もう誰も命令してはくれぬ。誰も守ってはくれぬ。
あなたは“個”として、神の見捨てた現世に放たれた。
趣味もなく、救いもない。
あなたの文章の端々から滲む空虚は、まるで廃寺に残された僧の祈りのようだ。
その祈りはもはや神に届かぬ。だが、人間は祈らずにはいられぬ。
どうか忘れるな。
その唯一の道は、現実の“血の通った友”を信じ、
その絆を断たぬことだ。
ネットは虚無の海だ。
そして、その祈りの向こうに、
もう一度、生を賭して立ち上がる日があるなら、
どちらもまるで不良漫画ではない、が正解かも知れません。
『ビー・バップ・ハイスクール』や『クローズ』などを不良漫画の基準とするなら、『魁!!男塾』『魁!!クロマティ高校』ともに、不良要素はほぼゼロ…あったとして未成年の飲酒喫煙くらい…そもそもこれらを不良漫画とする認識が間違っている、といってもいいくらいです。
全国の高校を退学になった荒くれ者300人…と冒頭に説明されているだけで、実際に塾生たちが不良行為に及ぶ描写は全くありません。
作中で語られるのは、男塾というイカレた塾でのシゴキの毎日ばかり。基本的にはギャグ漫画です。
塾生たちはどちらかといえば、楽享大学応援団や関東豪学連の尖兵に不良的な振る舞いをされる被害者で、自分からケンカを仕掛けるのはヤクザ限定です。
その後、驚邏大四凶殺以降は拳法家同士で戦うバトル漫画に移行したので、もともと不良という設定すらどうでも良くなりました。
まれに三号生から「北の宿敵」等の話が出ますが、その様相は学校の不良同士の抗争のレベルではなく、ほぼ三國志や戦国時代の合戦です。
続編の『曉!!男塾』でも、塾生が基本的には不良的な行動を一切しないあたりは魁!!とほぼ変わりません。
宮下あきら先生の場合は、男塾の前作『激!!極虎一家』もしかりですが、描かれているキャラクターたちは不良というより任侠、侠客と見る方が自然といえそうです。
『魁!!クロマティ高校』の場合は
ご存知の通り、完全無欠のギャグ漫画です。
クロマティ高校は「引き算ができれば入れる、ワルの巣窟」という設定ではあるものの、どちらかといえばクロ高の面々のバカっぷりと、クロ高でのデタラメな学生生活の話がほとんどです。
一応、近隣のバース高校やデストラーデ高校などとの抗争はあるようですが、それすらも基本的には笑いのフリ。殴り合いのシーンなんかありません。
連載中盤以降では、もはや舞台が高校であることすらも忘れたようにブッ飛んでいたので、自分たちが不良であることなど、とうの昔に忘れていることでしょう。
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ご長寿麻雀漫画のタイトルとして知られる「むこうぶち」という言葉だが、もとは裏社会の隠語だということもあって、その意味はあまり知られていない。
漫画では「一匹狼の真のギャンブラー」とされているらしいが、隠語大辞典は「鉄火場の客のこと」としている。
「むこうぶち」という言葉がどのように使われていたのか、過去の用例から探ってみたい。
「出方」というのはヤクザの幹部のことで、貸元=店長、代貸=副店長、出方=チーフ、三下=バイト、くらいの感じらしい。
おそらく「客の向かいで博打を打つ」という意味で「向こう打ち」だろうか。
隠語大辞典で「客のこと」とされているのは「ヤクザの向かいで打つ」という意味で互いに「向こう打ち」だからかもしれない。
1974年『ヤクザ映画はどこまで実録に迫っているか』梅原正紀
ところで「向こう打ち」とは賭場にくる客のためのサービス要員である。まだ本格的に賭場を開催するには、客の数が少ないさいに、客の相手をつとめる男どものことだ。だから「向こう打ち」は勝って悪し、負けて悪しである。賭場が開かれる前にまきあげてしまえば、賭場が立ちにくくなるし、心のせまい客はアヤをつけられたと思いかねない。そうかといって、負けてもいられない。これはブンリが悪い。上手に客を遊ばせながら時間つなぎをする力量を向こう打ちは持っていなければならないのである。つまりキャリアの要請される職種なのだ。
こちらのほうが説明が詳しい。実力が求められることも書かれている。
賭場でまだ時刻が早くて客が集まらないといったとき、早くきた客をたいくつさせないために出る「むこうぶち」は、たいていこのハンカうちである。
ハンカうちとは、
渡世のものではないが、なまじ三下よりは渡世に明るい。その点では白モクに似るが、白モクはだんなに近い。それだけ渡世とは離れている。ハンカうちは、だんなでいればいられるものを、より渡世に近づいて、身うちのあつかいこそうけないが、一家のめしを食う。一家の用を足す。が、まったくの子分、三下ではないし、「客人がまい」だから、こづかいをもらうのも「子分ワリ」ではない。出方の財布と決まったほどではないがしかし、出方同様のあつかいである。
「だんな」は金持ちの上客のこと。
「渡世人ではないが渡世に明るい人」の中で、客に近いのが白モク、渡世人に近いのがハンカうち、と言っているのだろう。
この「ハンカうち」は、博徒の一家(ヤクザの組)に正式には属していないというので、その意味では「一匹狼」に近くはなっている。
「ハンカうち」についてはかなり時代が遡るが、
渡世人間に『半可打ち』と云ふ言葉が云ひ伝ひられて居た。此の半可打と云ふのは堅気の衆が道楽の末、常習的に博打を専門のやうにして打ち歩るき、それを職業のようになすとか、或ひは渡世人の家へ入り込んで仕舞つて、改めて乾分ともならずに、世話になつて居る場合がある。斯る者達を称して『半可打ち』と云つたのである。
いきなり「むこうぶち」=「一匹狼」の意味になっている。「ハンカうち」の側面が強くなったのだろうか。
むこうぶち=ハンカうちのこと。
『関東の仁義』『仁侠大百科』の著者は藤田五郎という元ヤクザの作家で、『無職渡世』『やくざ辞典』の著者は井出英雅という元ヤクザの作家である。
井手氏は「むこうぶちは出方がお客の相手をすること」と、藤田氏は「むこうぶちとはハンカうちのこと」という認識だったのか。
この二人(+前出の梅原正紀)は親交もあったらしいが、井手氏が1913年生まれ、藤田氏は1931年生まれ、という年齢の差はあったようだ。
まず、賭場をひらくことによって、その手数料で生活する者たち。彼らは、通常一家を形成しており、その中で五つの階級に分けられている。貸元=いわゆる「親分、代貸=賭場の支配人役、中盆=壺を振ったり札を配ったりする勝負の進行役、出方=いわゆる子分で、客の接待から使い走りまでの役、三下=人の出入りの見張り、客の下足番・警察の手入れの見張りなどの役、がそれだ。
次に、「控えぶち」という博徒がいる。これは、いわばサクラのような役目の博打うちで、通常どこかの一家と関係を持ち、その一家が賭場をひらくと必ず顔を出すことになっている。つまり、自分が親しくしている一家の賭場で、にぎやかに振舞ったりして、客の勝負欲をあおり立てることを生業としているわけだ。
そして、どの一家にも属さずに賭博を常習とする一匹狼的な博徒が「向こうぶち」だ。この向こうぶちは、控えぶちと違って、特定の賭場に所属することはない。自分の気が向いたときに、好きな賭場へ足を向けることができる。しかし、このさすらいのギャンブラーとして生活する者は少ない。なぜなら、自分の腕ひとつを頼って生きなければならない過酷な仕事だからだ。
この『賭博大百科』での「むこうぶち」の説明は、すっかり一匹狼のイメージになっている。
どちらかと言えば「控えぶち」のほうが、当初の「むこうぶち」に近いように思える。
というわけで、
というような変遷があったように思われる。
もともとの意味では「ヤクザの幹部」とか「中途半端なやつ」みたいな感じだったのが今では「一匹狼の真のギャンブラー」になったというのはなかなか面白い。
余談。
などがある。
こういう侠客みたいなこといって美化するやつ、必ず涌いてくるよな🙄
時は令和、都の東、深川の地に、一風変わった男がいた。その名は柿沢未途(かきさわみと)。齢五十を重ねた男は、政界の荒波にもまれ、なおも己の信念を貫かんとする、いわば孤高の侠客(きょうかく)であった。
柿沢、その男、折しも行われる補欠選挙にて、己が後援者たちにカレーを振る舞うという。されど、このカレー、只のカレーにあらず。選挙の買収にあたるのではないかと、世間の耳目を集めることとなった。
「ふん、愚かな。この柿沢が、そのような卑劣な真似をすると思うのか!」
柿沢は、泰然自若としていた。しかし、その内心は、嵐のように激しく揺れ動いていた。
「ならば、この柿沢、己の信念を貫き通すまでよ!」
柿沢は、覚悟を決めた。
一方、世間の人々は、このカレー事件を面白おかしく見物していた。
「されど、選挙は神聖なるもの。カレーで汚すとは、許しがたい」
様々な声が飛び交う中、柿沢は、ただひたすらに、己の信じる道を突き進んだ。
やがて、選挙の結果が出た。柿沢、その男、見事に当選を果たした。
「柿沢、よくやった!」
後援者たちは、歓喜の声を上げた。
「されど、この勝利、決して拙速ではない。己の信念を貫き通した結果である!」
柿沢は、静かに語った。
芝居で人気を博し江戸でお馴染みの美しき不良少年となった「お若えの」こと白井権八ですが、そのモデルとなった平井権八も大変興味深い人物であり、恋人の小紫とともに江戸の人々の興味関心の対象であったようですのでひとつご紹介いたします。
平井権八は、延宝3年(1675)11月3日に鈴ヶ森の刑場で磔刑に処せられた人物です。
もとは剣術自慢の因幡鳥取藩士であった権八は、どういうわけか父の同僚である本庄助太夫なる人物を斬り殺してしまい、鳥取を出て江戸へやってきました。
そして吉原三浦屋の小紫(こむらさき)という遊女と馴染みになってお金に困り、権八は揚げ代のために辻斬りによる強盗殺人を繰り返してしまいます。
実録小説『幡随院長兵衛』によれば、権八が江戸へ出て5年間のあいだに「刀にかけたる人の数、手帳に留めたる分のみにても百三十二人」ということで、数字はおそらく誇張されているとは思われますが恐ろしい辻斬り犯であったことが伺えます。
指名手配犯となってしまった権八は自首しますが、小紫に会うために手鎖を外して脱走などを試み、ついに処刑されてしまいます。
権八の処刑後、権八が自分のために重ねた罪を知った小紫は、悲しいことに目黒東昌寺におかれた権八の墓の前で自ら命を絶ってしまったのでした。
東昌寺のお坊さんは、この地に「比翼塚」を建立して二人を弔いました。比翼塚というのは心中したりして命を落としたカップルの遺体を一緒に葬った塚ことです。権八小紫の比翼塚は現在も下目黒に残されており、役者さんが参拝に訪れることもあるようですよ。
ちなみに、舞台の上の「南無妙法蓮華経」と書かれた巨大な石は、平井権八が処刑された時の鈴ヶ森にはまだ建立されていなかったものだそうです。さらに、年代的に幡随院長兵衛と出会っていたはずがないこともわかっています。
しかし美少年の大量殺人犯というモチーフの魅力から、男気溢れる侠客の幡随院長兵衛との男色めいた芝居づくりがなされるなどして現在に至ります。
人によってはそう感じる人もいるということだな。
とはいえPS2版だかのオリジナルじゃなく極のほうだけど、名作と言われているのには納得した。
ヤクザ映画の諸々をゲームで楽しめるようにするなんて、すげーじゃん。
しかも往年のヤクザ映画と同じく登場人物の殆どが死に、残ったキャラクターがそんな虚無からどうにか未来への希望を見出していく結末で、
ように作ってあって、ちゃんとしているなーと。
ただ、どうしても納得できない点が一つだけ。
それは錦山の扱い。
いくらなんでも報われなさすぎ・顧みられなさすぎというか。
確かに主人公の桐生ちゃんがヤクザというか侠客のカッコよさ(筋を通す・義理堅く人情に篤い・男らしい強さと優しさを兼ね備えている)を体現している以上、
もう一人のメインキャラたる錦山が、ちっともうだつの上がらないヤクザ者(短気・向こう見ず・独りよがり・強情・そのくせヘタレの破れかぶれ)を表す役回りになるのは
仕方ないっちゃ仕方ないんだろう。
ありていな話、「わかりやすいエンターテインメントフィクション」は前近代的価値観でないと成立しにくい
たとえば、私的な問題に対する司法権力を無視した暴力による解決、私情による復讐での殺人、近代的な企業のビジネスライクな上下関係にはない濃密なロマン性を持った主従関係、所属集団が敵対しているゆえ結ばれない男女……等々
おかげで、それらを描いた作品を作ろうとすれば、時代劇とか異世界ファンタジーになるのが通例
現代劇でその手の要素を描こうとしたら、「現代に生きてる前近代=侠客アウトローの世界」ぐらいしかないのだ
現実の生活においてはとっくに、ヤクザや不良や暴走族を嫌う人間の方が多数であろう
高倉健の任侠物映画や深作欣二の実録ヤクザ映画が若者の基礎教養みたいなもんだった60~70年代に比べれば、ヤクザも不良もエンターテインメントの世界においても随分と隅っこに追いやられた方だと思う
しかしながら、フィクションの世界において現代においてなおヤクザが都合良く使われているのは、みんな心の奥底では「近代の自由・平等ってつまんない、前近代的な暴力性や主従の束縛などがあるほうが”ドラマとしては”面白い」と思ってることの証左
衣食足りて礼節を知るというけれど、あくまでエンターテインメントとしては、平和な時代になったからこそ、むしろみんな前近代的なものを楽しく思うのさ
抗日ドラマはもはや「フィクション」で「パロディー」だ=中国報道
https://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20171112/Searchina_20171112021.html
中国では過去の歴史を扱ったドラマが非常に多く放送されており、こうしたドラマの人気は高い。特に多く放送されているのは、中国共産党の存在意義を正当化し、強調する意味もあると言われる「抗日ドラマ」だ。だが、近年は抗日ドラマはあまりに現実離れした描写が多いため、中国国内でも「抗日神撃」と揶揄(やゆ)する声も少なくない。
中国メディアの今日頭条は8日、「誇張された抗日ドラマはいつ終焉を迎えるのか」と疑問を投げかける記事を掲載し、中国で放送されている抗日ドラマの多くが「脚色され、事実と大きく異なっている」と指摘している。
記事はまず、中国では抗日を題材にしたテレビドラマが非常に多く放送されているが、その質は「玉石混交」と言わざるを得ないと指摘。しかも内容は誇張されているケースが多く、歴史を忠実に描いていないことを伝え、歴史を尊重せず、エンタメと化した抗日ドラマを通じて、多くの中国人は正確ではない歴史を植えつけられていることを指摘した。
続けて、中国で放送されている抗日ドラマはもともと抗日戦争が基になっているが、現在は内容が脚色されて時代錯誤の武器が登場したり、侠客化されたりして、もはやフィクションドラマになっていると指摘し、破天荒な描写が含まれる抗日ドラマは「抗日神劇」と揶揄されていることを嘆いた。
中国には毎日のように抗日ドラマが放送されており、当然、中国の子どもたちの目にも触れることだろう。では、子どもたちはこのドラマを見た時に、戦争に対する嫌悪感を抱くだろうか。むしろパロディーとして楽しさすら感じてしまい、戦争の残酷さや悲惨さに対する理解のない大人になってしまうのではないだろうか。(編集担当:村山健二)
どんな荒唐無稽な設定にされていても日本人の多くは抗議してないのにね。
別に中国人投資家が投資を控えても、中国販売を止めてくれても何でもいいし、原作者にアニメ製作者が損してもどうでもいいんだけど。この話題でドヤっている人たちは好きじゃない。
メディアを賑わせている指定暴力団山口組の分裂騒動。分裂の理由としてはカネをめぐる不満や、勢力を強める弘道会に対する古参組員の反発などが取りざたされているが、「そもそもの発端には、警察のいきすぎた徹底摘発の姿勢がある」と語るのは、元捜査4課(マル暴)の刑事として辣腕を振るい、現在は組織犯罪に対する企業コンサルティングを行う有村仁司氏(仮名・68歳)。
「暴力団対策法に始まり暴力団新法、組織犯罪処罰法、暴力団排除条例。法律による取締り強化が、ある程度の犯罪の抑止力に繋がっているのは事実だけど、現場で捜査をする刑事からすれば『しょせんは頭でっかちのキャリアが考えた机上の空論』に過ぎないと思えることも多々ある。現場の刑事にすれば、必死で集めた情報も、法律が施行される度に白紙に戻ってしまう。反社会勢力と対峙してきた俺の実感からすれば、暴力団による犯罪が多様化し、見えづらくなっていくのは、俺がマル暴の新米刑事だった第1次頂上作戦からすでに始まっていたんだよ」
有村仁司氏
「もし抗争が始まれば、これまでの規模とは比べ物にならない。まさに最終戦争になるよ」(有村氏)
第1次頂上作戦とは、昭和39年から44年まで行われた、映画『仁義なき戦い』でもおなじみの警察による暴力団壊滅作戦。高度経済成長のまっただなか、西日本を中心にした全国各地で抗争を繰り返す“秩序の破壊者”たる暴力団に対して、徹底した実力行使に出ていた時代だ。
「頂上作戦の結果、暴力団の地下組織化は進んでいった。確かに、東日本に比べて、西日本の暴力団は縄張り意識が薄く、暴力と頭脳さえ秀でていれば、よその組の縄張りを土足で犯してもいいという考え方なので、この対策は当たり前の措置。が、この事件以降、人間同士の対話が成り立っていた侠客が、だんだん会話のできない相手に変貌していったというのも事実なんだよね。ヤクザ並みに強面で、チンピラに対しては罵詈雑言でねじ伏せるといったマル暴が多くなり始めたのもこの頃だったかな。『俺たちヤクザは名前のとおり“ブタ”(オイチョカブで893はブタの目)なんだから、警察はもちろん堅気には礼を尽くせ』なんて話していた親分が、“警察は敵”と、途端に態度を変えたこともあった」
その後も相次ぐ警察によると取締り強化によって、武力行使による勢力拡大が封じられ、極道の金看板を掲げることもためらわれるとなれば、「カネを稼ぐために地下に潜るのは当たり前」と有村氏は続ける。
「そうして企業舎弟といわれるフロント企業が増殖するわけだけど、警察側にしてみれば、暴力団の組長や幹部が作って直接関与しているタイプのフロント企業には目を光らせることができる。けど、表面上は無関係を装って、暴力団の資金提供に寄与しているタイプのフロント企業の捜査は、資金の流れは功名に覆い隠されているし、難航を極めたね。山口組でいえば、そういったシノギ上手のヤクザが今の弘道会系で、山健組のように昔ながらのヤクザは、暴力団排除条例で弱体化した。銀行口座も作れなければ、生命保険契約も認められないんだから、資金力に差が出るのは自明だよ。第一勧業銀行ほか、大企業の幹部数十名が、総会屋への利益供与で続々と逮捕された事件があったけど、あんな大事件が長い間明るみに出なかったのも、“フロント企業の共生者”に対する捜査の難しさを物語っている」
武力闘争から頭脳戦へ。非合法の経済活動で裏マネーを増幅させる――そんな暴力団のシノギが膨張していく背景にあるのは、「大組織による全国制覇の副産物」と有村氏は推測している。
「郊外に大資本のスーパーチェーンが参入すると、地場の産業が衰退して多くのシャッター商店街が生まれるけど、あれと構図は一緒。小さな組がそれぞれの小さい縄張りを守って小競り合いを繰り返すだけなら、山口組がここまで肥大化することもなかった。肥大化を防ぐために、警察トップは暴力団壊滅を目指して暴対法、暴力団新法と取締りを強化していくわけだけど、大組織こそ表のビジネス活動をうまく利用しているからね。捜査4課の目に止まるのは、枝の枝の枝にある組や、一本どっこの小さな組が犯す、小さなシノギばかり。結果、小さな組織はどんどん潰れて、大組織はどんどん肥え太るっていう構図が生まれたわけだ」
暴対法によって、みかじめ料や恐喝など“暴力団的なシノギ”こそ減ったが、上部組織の摘発なしに弱体化は図れない。そこで、下部組織の犯した罪でも暴力団のトップをあげられる「使用者責任の追及」を可能にした暴力団新法が04年に施行され、08年にはさらにその使用者責任を拡大させる改正暴力団対策法が生まれる。
「裏社会に与えるインパクトは大きかったし、組織全体の萎縮化を図ることには大きく貢献した。ただ、取締りが強化されるほどに、暴力団は新しいビジネスモデルを確立して、それに対応できない組との間の格差は開くばかり。今回の分裂騒動の根っこにあるのもそういうことだろ。ただ、分裂したところで、根本的なシノギ自体は変わらない。現行の暴対法を元に警察が“与し易い”と判断した側――つまり神戸の側ばかりを狙うようになれば……」
完全に逃げ場を失うような締め付けは、また新たな火種を生み出す爆弾となることは過去の歴史が証明している。今後の成り行きを注視していきたい。 〈取材・文/日刊SPA!取材班〉
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神戸山口組の本部脇に設置された特別警戒所前で暴力団追放を訴える警察官ら=3日、兵庫県淡路市
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国内最大の指定暴力団山口組(本部・神戸市灘区)が分裂し、離脱派が結成した神戸山口組(本部・兵庫県淡路市)が指定暴力団に指定されて今月で1年がたった。その後も抗争とみられる事件が全国で20件(13日現在)発生した。住民らは不安を募らせ、警察は警戒を強めている。
10日、淡路市。神戸山口組本部を兼ねる俠友会(きょうゆうかい)事務所で、神戸側の直系組長が集まる月1回の定例会があった。本部脇に掲げられた看板には赤い太字で「暴力団追放」。1週間前に開設されたばかりの兵庫県警の特別警戒所だ。捜査員が、出入りする組長の監視を続けていた。周辺に住む男性は「本部の存在は淡路島にとって大変な脅威。住民が一丸になって排除の活動を続けたい」と話す。
神戸山口組は5日、神戸市中心部にも新拠点を設けた。中央区二宮町3丁目の延べ170平方メートルの4階建てビル。登記簿によると、もともとは政治団体代表が所有していたが、3月下旬に所有者が変更。神戸側ナンバー2の若頭(わかがしら)の寺岡修・俠友会会長(68)に代わった。組関係者によると、「連絡所」として使用し、系列の組員が日替わりで当番をしている。
県警幹部は「淡路島は遠いので、少人数の幹部が集まりやすい拠点を作ったのだろう。組事務所とみなすべきか見極める」と警戒する。ただ、半径200メートル以内に小中学校などはなく、県暴力団排除条例で定めた組施設の設置禁止地域には当たらないという。
ここから西へ約300メートル先には、神戸市内で唯一の山口組直系団体の事務所がある。別の県警幹部は「新拠点は山口組ににらみを利かせる狙いがある。抗争の火種にならないよう監視を続ける」と話す。
最近、「憚りながら」(元山口組後藤組組長インタビュー)と「鎮魂~さらば愛しの山口組」(元山口組盛力組組長インタビュー)を立て続けに読んだ。
・
どちらも似たような時代に生きた同年配で、ヤクザとしては一流(執行部入りこそ出来なかったけど)だったのだろう。
最後は、そこまでの組織への貢献を考えれば、たいしたことのない理由で絶縁処分を受け、組は解散(名跡の取りつぶし)処分を受けているのもおおよそ似た感じ。
それぞれの目線、記憶で同じ時代をなぞっていくのだけど、読み物としては「鎮魂」の方が面白い。
多分、親分肌で、侠客然とした盛力氏は、身内としている限り頼もしいだろう。外から見たら暴力団組長に違いはないのだけど。
*
対して、後藤氏の回顧は、冷たい。
山口組の内情、自分の身内、他組織との抗争、そのときの思ったことを延々と語る盛力氏の回顧録とは違い、後藤氏は“お仕事”についても語る。
言葉の端々にシノギを匂わせる。その中でずいぶんと人を苦しめた筈だ。実際に死人も出ている。彼の配下が殺した人間の数は、どれくらいだろうか。
*
印象としては、盛力氏は熱血、後藤氏はクレバーなイメージを受ける。
ただ、まあ、どちらかというと、「憚りながら」の方が実生活では為になったのかも。
曰く「何事も、一回退がるとなし崩しに駄目になる。借金でも、一回滞納するとズルズルと返せなくなる」「一万円稼いだら、五千円はポケットに残しておこう」特に、稼いだお金を残しておかないと、いざというときに惨めな思いをする、というのは少年期の原体験で、宵越しの金を持たない気っ風の盛力氏とは対照的だった。
※
盛力氏の出所(16年間の服役)後に、五代目組長から500万円と酒瓶二本を渡されたとき「冗談なのかと思った」エピソードには笑った。
また、組を守っての長期懲役から出てくると、山口組は任侠団体から巨大経済組織に変貌しており、義理や任侠を尊ぶ盛力氏はなんとなく浮いており、また、かつては格下だった五代目組長の就任なども絡み、窓際に追いやられる。
義理や人情を尊ぶからこそ、それを尽くさなかった五代目に愛想を尽かしてもおり、六代目のクーデターにも(国外に出た日を狙われたらしい)、動かなかった。また、司氏に1億円を即金で借りたり、司氏にも恩があった。
盛力氏は、本来であれば、山健一門6000人をまとめて司一派4000人と対決することも出来たという。しかし、もろもろの事情で実行せず、粛正を喰らった。
:
読み物としては「鎮魂」の方がオススメ!
鹸あく
菠薐草ほうれんそう
目眩くめくるめく
紅娘てんとうむし
馴致じゅんち
人熟れひといきれ
旗幟きし
為人ひととなり
俗諺ぞくげん
諫言かんげん
猫糞ねこばば
禦ぐふせぐ
僑るやどる
大鋸屑おがくず
些細ささい
泡沫うたかた
吹聴ふいちょう
三槲みつがしわ
侠客きょうかく
海豹あざらし
狢むじな
嗽うがい
苦参くらら
鉄桶てっとう
入内じゅだい
羸馬るいば
太々しいふてぶてしい
紗うすぎぬ
弛むたるむ
背馳はいち
蔑ろないがしろ
乍寒水さかんすい
翳すかざす
苧からむし
碑いしぶみ
湛えるたたえる
蟋蟀こおろぎ
鴫しぎ
奢侈しゃし
鋤除じょじょ
洋燈らんぷ
跪くひざまづく
矜持きょうじ
蠕動ぜんどう
膾炙かいしゃ
所縁ゆかり
嫉むそねむ
讒言ざんげん
馘首かくしゅ
嘶くいななく
栖すみか
倦むうむ
煽てるおだてる
所為せい
躊躇うためらう
俯くうつむく
櫛比しっぴ
車前草おおばこ
佳肴かこう
隘路あいろ
喇嘛らま
快哉かいさい
瑕疵かし
勤しむいそしむ
郁しいかぐわしい
公孫樹いちょう
和布わかめ
蝌蚪おたまじゃくし
仕りつかまつり
苧環おだまき
顰めるしかめる