はてなキーワード: 平穏とは
容姿について
その程度の容姿
でも
自分で言うのもなんだけど
愛想はいいと思う
愛嬌はあると思う
ふざけるなよ
するかよ てめえは馬鹿か?
ニコニコ愛想良く接客してるからこうなるわけ?仮にそうだとしてもセクハラされる筋合いないだろうが。愛想の良い奴、老若男女問わずに言えよじゃあ。
気持ち悪すぎる。
長年通院してた。
その一因の中に「常に誰かが私を殺そうとしてる」というのがあった。
うっすらこの気持ちが出てきた。
寛解してたわけではないから、ずっとありはしたけどなんとなくマシになってるなーぐらいには普通になれていたのに。
私は受ける加害を全てこれに変換してしまうだけなので。あ、それはそれとしてセクハラは問題です。
は?なんでこういう思いをしなきゃいけないわけ?
男とか女とか若いとか老いてるとか関係なく誰もが不愉快にならないように常にマシな地獄を私達は選ぶと良いのにそういうことって全く考えないの?
女だからこういう目にあいました普通に働くこともできないんですかこれだから男は男の加害性はとか言ってない言ってない言ってない言ってない言ってない言ってない言ってない言ってない言ってない言ってない言ってない言ってない言ってない言ってない言ってない言ってない言ってない言ってない言ってない言ってない言ってない言ってない言ってない言ってない言ってない言ってない言ってない
老いも若きも男も女も人種も生も死も有も無も夢も現も何もかもが何かに侵されることの無いように
でも全てがそうなるのは難しいからその中でも常に一番マシな最悪を選ぶしかないのに
そういうことじゃないのか?
なあ
お前だよ聞いてるのか?
お前の、一番マシな、最悪、は、それ、だったのか?
あっそ
そうなんだ
ところで、一番と最悪って重複してるよね一番と最もが。どう思う?
優生思想が正しいと思う時がある。
私達って穏やかに平和に生きていくことがマジョリティな理想ですよね?多分
なら、平穏を望まないものを抹消していった時に、私達ってひとつになれるのかしら?私達ってひとつになりましょうよ。それは沢山の有象無象がひとつの意思を持つのではなくて物理的に一個体になりましょうよ。同じ思想を持って。一個体に。DNA的に。
優生思想の話か?これ
Xで
この記事(あなた達が今読んでいるこれではない)ってADHDの頭の中を表してる文章そのもの
みたいなのを見た。
それでこの記事(あなた達が今読んでいるこれである)は、わたしの頭から出たものをそのまま書いている。これはどう映る?どう見えてる?普通?普通か?もうさ自分じゃ分からないんだよね。頭の中で話してるのも音楽が鳴るのも当たり前でしょと思ってる。軽度か重度かってだけで無音なことなんてないでしょ全員あるの?あったとしたらこのわたしの脳内から直接インプットしたこの記事はどう見えてるの?どう見えてるわけ?皆何かになりたがっている。知らんごめんXだけで判断してるけど。「え!自分もこうだけど皆は違うの?w」みたいな。何かになりたがってるだけの私達じゃないの?
疲れました。
アホが撮った映画、もしくは俺とは違う世界線の人間が撮った映画。
4点(100点満点中)
とりあえずこの映画が俺宛てに作られてないことは明らかなのでこの点数がフェアでないことは明言しておく。
紫式部が林修の「いつやるの、今でしょ」をパロるとか、北条政子が徹子の部屋ならぬ「まさこの部屋」をやるとか、ひろゆきのパチモンが出てきて「それってあなたの感想ですよね」とか言ってみたり、この辺のクソみたいなパロディが出てくるたびにDANDAN点数引かれてく(唐突なクソパロディ)。
でもたぶん、この映画はこういうクソパロで「林修wwww」「ひろゆきwwww」みたいな層をターゲットに作られているんだろう。だから俺がこれを見たこと自体が間違いだったのだと思う。
それはそれとして、この映画を作った奴と俺が同じ時代を生きたとは到底思えない。
話の大筋としてはコロナ禍の日本で内閣でパンデミックが発生、総理が死亡。日本は大混乱に陥った。それを解決するためにAI技術とホログラフィック技術を融合して過去の偉人を復活させ、偉人内閣が発足されたのであった。しかし、その偉人プログラムにはある陰謀があって……という感じ。
とにかくコロナ描写がもうめちゃくちゃで冒頭で総理がコロナで死ぬわけ。
なのに記者会見は常にミッチミチに人が詰まってるし、新垣結衣はじめ記者連中はマスクしてたりしてなかったりしてる。財務官僚たちも粗末な部屋でこれまたマスクしたりしなかったりしながらミッチミチにつまって口泡飛ばしながら仕事してる。
え?コロナで総理死んだばっかだよ?そんなリテラシーなことありえる?
豊臣秀吉が「全国民に給付金50万を10日以内に給付する!」って言い出して「方法は知らんけど、やると言ったらやる、やらせる!」という"強い"リーダーシップを発揮するんだけど、ソフトバンクだったらそれでいいんだろうけど国がそれじゃマズいだろ。確かに決断がおせぇよボケと思うことはあるけど、それでも国が動くってことは税金が動くってことであって、とりあえずやってみようじゃマズいんだよ。
そして最終的に秀吉が言うのは「全員呼んでとりあえず手渡しすればええやん。不正する奴?平穏が戻ってから打ち首にすればええやん」ってことなんだけど、これの後半部分は企業給付金で実際にあったことを下敷きにしてるとして、今、コロナ禍なのね。しかも直前に家康がロックダウンを指示してる。全国民、家から出るなと。家から出られないと収入とかが困るから給付金を配るって話なのね。
なんで手渡しで渡すねんボケカスゥ!誰が渡すねんボケカスゥ!パンデミックどうすねんボケカスゥ!そもそもロックダウンどこ行ってんボケカス、◯ねぇええええ!!!!
この脚本書いたやつ、もしかして鶏かなんかなの?3歩しか記憶持たないの?メメントなの?
緒方洪庵を復活させてワクチン研究をさせた結果、一瞬で国産ワクチンが開発されてそれを海外に売るみたいな展開が出てきて、これは日本がワクチンでマゴマゴしてるうちに海外からワクチンを売りつけられたことに対するカウンターだと思うんだけどさ。
確かに緒方洪庵はすごいよ。あの時代に天然痘ワクチンを発明しそれを維持展開する構想力、実行力はまさに偉人だと思うよ。だからって現代のコロナワクチンをそんな一瞬で開発できるわけねーだろ。ワクチンを、医療技術者を舐めてんのかカスゥ!日本でだってみんなコロナに怯えながらも有数の天才たちが集まってワクチン開発しとったわい。緒方洪庵がいたらなぁじゃねんだワ。
あとロックダウンした結果、失職した人いっぱいいるじゃん。困ったじゃん。せや!国営農場作ってそこで雇えばええやん!農場やったら感染率も低いやろうし、自給率も爆上がりして最強や!みたいな話になってワイドショーのコメンテーターも「さすがや!!!」ってなるんだけど、ソフホーズとかなかった世界の話なん?職業選択の自由のない世界の話なん?
ほんまにそう言うこと一切頭になかったん?
このコロナ描写だけ見ても「こいつらってもしかしてコロナがガチの単なる風邪だった世界線から転移してきた人間」だったのか?って感じがしちゃう。もしくは「コロナは元々今くらい全然感染力も威力も低かったけど世界政府の陰謀で死者が水増しされてただけなんだよ!」という思想の持主か。
後はなんかもう国民がバカに描かれすぎてる衆愚政治の極みではとかも気になったけど、今の参政党支持の広まりとか見ると逆にここを批判する気にあんまなれないというか。絶対にそんなつもりはなかっただろうけど時代を先回りした批判的作品になっちゃってるのはちょっと草。草じゃないが。
雑コスプレ感によるチープな絵作りももういいわ。最初に書いたクソパロやりたかったんだったらこれくらいのクオリティで十分なのは実際そうだし。あと偉人の解像度の低さね。小学校の教科書に書いてるレベルのことしか取り上げない。上っ面だけ。なのももういいわ。その辺真面目にやる気なかったんだろうし。
最終的に秀吉VS家康の関ヶ原の戦いになるんだけど、そこで秀吉が10分以上ペラペラペラペラ現代の政治、民衆批判を行うのね。「批判ばっかりの野党」「寝てばっかの政治家」「何の声も上げない民衆」「投票率も低い」「自分の意思もない」「ダラダラ話し合いしないと何も決められん政治家」「列強に好き放題されてる」うんぬんかんぬん。だからワシがこいつらを支配して導いてやるのじゃ!みたいなことを言うわけ。
俺はそもそもテーマを登場人物に喋らせる映画が死ぬほど嫌いっていうのは一旦置いといて。
で、ここの演説が刺さった!感動した!みたいな奴らがいっぱいいるんだけど、俺はこう思ったわけ。
「言ってることが増田なんよ」
もう完全にこれなんよ。言ってることが増田なんよ。増田で1000回は聞いたわこれ系の話。豊臣秀吉現代に復活したら模範的な増田民なのかよ。もうしわけないけど、発言が雑魚すぎるんよ。
それに対して家康は「確かにそうなんだけど、ワイが見てきた限りではみんな頑張ってるしそこまで愚かじゃないと思うから信じようよ」みたいなこと言って国民大感動号泣の中家康コールが巻き起こって秀吉は敗北するのであった。
この作品が世間的に「メッセージ性が強い」から高評価とされてるんだったら、増田で政治論語ってる連中はどんどん映画撮るべきだと思うわ、マジで。
そしてその場で家康は偉人内閣解散を宣言し、偉人内閣は消え失せるのであった。
え!?パンデミックで内閣が機能不能、総理大臣が急死して国内が混乱に陥ったから偉人内閣を発足したのに、当日急に解散宣言して宣言したその場で内閣の閣僚含めて主要メンバー全部消滅するの!?ヤバない?現実の政治でも内閣解散しても結果出るまではみんな大臣としてちゃんと仕事するよ?みんなガチで消えちゃってだいじょぶそ?
その後、普通に投票が執り行われ投票率は70%を越え、国民はみんな国政に関心を持ったのでしためでたしめでたし。
製作者全員が俺が生きてる世界とは別のなんかファンタジーな世界に住んでてその世界にある日本を撮ったとかじゃない限り何一つ納得性のない映画だった。少なくともコロナ絡めたのだけは俺は許せないかな。
コロナ禍において偉人が強烈なリーダーシップを発揮するっていうのがコアなんだとしても、そのコロナ描写がゴミカスだったら全部の説得力終わってるし、コロナ禍でガチで苦労してたり大事な人を亡くした人たちに対してどのツラさげてこの映画をお出しするんだろうって感じ。
増田です。30代後半。しがないWeb系のエンジニア(管理職一歩手前)やってる。
最近、会社がやたらと「成長」とか「スキルアップ」とか言ってくるのに疲れた。 毎週の1on1では「今期はどう成長したい?」、半期の評価では「どんな新しいチャレンジをした?」と聞かれる。
いや、わかるよ。変化の早い業界だし、会社としては社員に成長してもらわないと困るんだろう。 でもさ、こっちももう若くないんだ。
20代の頃はガムシャラに勉強した。新しいフレームワークが出れば飛びついたし、週末に勉強会にも行った。 でも、もうそういうフェーズは終わったんだ。
今は、家庭もある。帰ったら子供と風呂に入って、寝かしつけたら自分の時間なんてほぼない。 そんな中で「新しいスキルを身につけろ」「コンフォートゾーンを出ろ」と言われても、「いや、無理です」としか言えない。
今の給料分の仕事は、きっちりやってるつもりだ。 チームの若手の面倒も見てるし、大きな障害だって起こしてない。 「現状維持」じゃダメなのか?
「成長しない人間は不要」みたいな空気、本当にしんどい。 言われたことをこなし、そこそこの品質でアウトプットを出し、定時で帰る。 そういう「そこそこで良い」という働き方は、もう許されないんだろうか。
私は、佐藤太郎、45歳。人生のピークを過ぎた男だ。20代で出会った妻の美香と結婚し、娘のあかりが生まれた。あかりは今、10歳。明るくて賢くて、私の誇りだ。仕事はITエンジニアとして順調で、投資も上手くいき、40歳になる頃には十分な資産を築いていた。会社を辞めても、家族三人で悠々自適に暮らせるくらいの貯えがあった。
それが、問題の始まりだった。仕事がなくなると、毎日は単調になった。朝起きて、散歩をし、読書をし、夕食を家族と囲む。幸せではある。でも、それ以上は何もない。目標を失った私は、どこか空虚を抱えていた。美香は「もっと趣味を見つけたら?」と優しく言ってくれたが、私の心は満たされなかった。
そんなある日、安楽死が合法化されたというニュースが流れた。セルフキットの薬が薬局で販売されるようになり、世間は賛否両論で沸いた。私は新しいもの好きだ。好奇心から、薬局に足を運び、キットを購入した。説明書には「服用後24時間以内に安らかに逝去します。後悔のない選択を」と書かれていた。家に持ち帰り、棚の奥にしまった。飲むつもりなどなかった。ただ、持っているだけで、何か「選択肢」が増えた気がした。
一年が過ぎた。生活は変わらず平穏だったが、ある夜、家族の関係が少しこじれた。些細なことだった。あかりの進路について、美香と意見が食い違い、口論になった。私は苛立って酒を飲み過ぎ、普段の穏やかな自分を見失った。「もういいよ、こんな人生!」と叫んで、棚からキットを取り出し、薬を飲んでしまった。酔いの勢いだった。後で思うと、馬鹿げた行動だ。家族の問題など、時間が解決するはずだったのに。
翌朝、目が覚めると、頭が痛かった。昨夜の記憶がよみがえり、胸がざわついた。24時間後、私は死ぬ。美香とあかりはまだ寝室にいる。私は台所でコーヒーを淹れながら、震える手で薬の箱を眺めた。どうしよう。家族に相談せずに、こんなことをしてしまった。パニックが襲ってきた。
リビングで美香が起きてきた。「おはよう、太郎。昨夜はごめんね。私も言い過ぎたわ」と彼女は微笑んだ。あかりも目をこすりながら現れ、「パパ、今日公園行こうよ!」と言った。その瞬間、涙が溢れた。私は膝をつき、二人にすべてを話した。「ごめん…薬を飲んじゃった。安楽死のやつ。24時間後だって…」
美香の顔が青ざめた。あかりは意味がわからず、目を丸くした。「パパ、何言ってるの? 死ぬって…どういうこと?」美香は私の肩を抱き、「嘘でしょ? 太郎、冗談よね?」私は首を振り、謝り続けた。「酔って勢いで…本当にごめん。後悔してる。君たちがいなくなるなんて、考えられなかった…」
三人で泣き出した。あかりが私の胸に飛び込み、「パパ、行かないで! 私、パパがいないと嫌だよ!」美香は涙を拭きながら、スマホを手に取った。「待って、解毒剤があるはずよ。ニュースで見たわ。緊急で病院に行きましょう!」
私は呆然とした。解毒剤? そんなものがあるのか? キットの説明書を読み返したが、確かに小さく「服用後12時間以内であれば、専用解毒剤で効果を無効化可能」と書かれていた。希望の光が差した。私たちは急いで車に乗り、近くの専門病院へ向かった。道中、美香は私の手を握りしめ、「太郎、私たち家族よ。一緒に生きて。昨日みたいに喧嘩しても、きっと乗り越えられるわ。あかりのためにも、あなたのためにも。」あかりは後部座席で、「パパ、絶対生きてね。約束だよ」と小さな声で言った。
病院に着き、医師に事情を説明した。幸い、服用から10時間しか経っていなかった。解毒剤の注射を受け、ベッドで待機した。医師は「効果はほぼ100%です。でも、二度とこんなことはしないでください。人生は一度きりですよ」と言った。私は頷き、家族の顔を見つめた。美香の優しい目、あかりの無垢な笑顔。それが、私のすべてだった。
数時間後、検査で異常なしと診断された。私は生き延びた。家に帰る車中、三人でまた泣いた。今度は、喜びの涙だった。「パパ、ありがとう。生きててくれて」とあかりが抱きついた。美香は「これからは、もっと話そうね。目標なんて、一緒に探せばいいわ」と囁いた。
あの出来事から、私の人生は変わった。単調だった毎日に、感謝の気持ちが加わった。家族との時間を大切にし、新たな目標を探すようになった。ボランティアを始めたり、旅行を計画したり。安楽死のキットは、処分した。あの薬は、私に「生きる価値」を教えてくれた。失いかけたからこそ、得られた宝物だ。
「張り合うために努力するバカ者(若者)」という概念が俺の観察固有のものかと思ったが、さすがコヘレト、似たような観察をしていた。
「また私は見た。人のあらゆる労苦と巧みなわざは、互いにねたみ(妬み)によって起こるものである。これもまた空(ヘベル)であり、風を追うようなものだ。」(コヘレト 4:4)
つまり、コヘレト(伝道者)は、人が努力したり、働いたり、技術を磨いたりする背後には、他人との競争心や嫉妬があるのだ、と観察している。
それを称賛しているわけではなく、「これもまたヘベル(空虚、むなしい)」と言っている点が重要。
つまり、そうした「張り合いによる努力」は、結局は空しいものであり、本質的な満足にはつながらないという洞察。
この後の節(4:6)ではこう続く。
「手のひらいっぱいの安らぎの方が、両手いっぱいの労苦と風を追うことよりましである。」
国旗損壊罪の話で思ったんだけどさ。
外国の国旗を焼くのが違法なのに、自国の国旗を焼いても良いという理由として、「外国国章損壊罪には国際的な友好関係や外交関係の平穏という保護法益」を挙げる人がいるが、これはかなりどうかと思うんだよな。
外国国章損壊罪の保護法益を認めている人は少なくとも「国旗を焼くことが国際関係を破壊するレベルの壮絶の侮辱行為である」ということを認めていると思うのだが、なら保護法益がない自国の国旗なら焼いても良いというのは「国益を損なわないならどんな侮辱行為をしてもOKでーすww!!」って言ってるのと同じじゃない?
「その行為は侮辱である」かつ「損が発生しないならその行為は行っても良い」と言っているわけだからさ。
ハッキリ言ってドクズの発想じゃん。
……いやまあ、倫理ではなく実利で言えば、自国の国旗と外国の国旗で扱いを変えるのも、分からないとは言えないけどね。
俺も国旗損壊罪なんて作って表現の自由を狭めて全体主義の機運を作るような真似は嫌だなって思うし、でもだからと言って、外国国章損壊罪を放棄してどっかのヘイターが無意味に他国の国旗を焼いたりで外交的な損失が生まれても困るところだし。
現実的な落としどころとしては現状維持が正しいんだろうなとは思う。
ただ一方でいくら実利があるからって倫理的矛盾にもろ手を挙げて賛成はしたくないというか。
国旗を焼くことは国に対する抗議の自由であるという意見もあるが、なら非人道的な行為をする侵略国家の国旗を焼いて彼等を批判するのはアカンのか? って話になる。
自国の国旗を焼くのは自己批判だからアリと言う人もいるが、百歩譲って己と国とも同一視したキツめの愛国全体主義者がそれを言うなら筋は通っていると思うが、俺達はてなーに多いような普段から国は国・個人は個人って態度を取ってるタイプの人間がそれを言うのは、都合の良い時だけ国と自分を同一視して卑劣だよねって思う。
全然"自己"批判じゃないじゃん、「俺は嫌な思いしないから、国旗に深く愛着を持っている人が傷付いても知らねーよバーカ!」ってのが本年でしょって感じ。
やっぱり倫理に筋を通すなら、自国の国旗も他国の国旗も同様に扱うべきだと思うんだよな。
「燃やして良い」にせよ、「燃やすべきでない」にせよ。
アホな為政者や権力者にとっては、被支配者がアホなほうが都合がいい。
アホは考えない。考えられない。
理解できないものを叩けば、心の平穏が保てるんだから、そりゃ気持ちいいよね。
AIまで使いやすくなっているから、もうアホ量産システム完成ですよ。
収益化までできちゃうんだから一石二鳥どころか金の卵よ。ウハウハですわ。
でもね、アホとひとくくりに言っても、みんなが最初からそうなわけじゃない。
日々の生活に追われて、考える時間も心の余裕もなく思考力を削がれて、気づけば流される側に回ってる人も多い。
そういう社会の仕組みそのものが、為政者にとっての理想形なんだろう。
でもアホを増やしすぎると制御不能になる。そのうち暴徒化、革命コース。
日本でそこまで行くかは知らんけどね。
わかる。「それは性的魅力以外にメリットがない。ヤレないなら価値がないからわざわざ付き合わない」とか言う人いるけどさ、セックス以外で一緒にいる価値はないみたいな思考だから男同士でもすぐ上下つけてうまくいかないしセルフケアもできないんじゃないの?って思う。ただ一緒にいるだけでほっこりする関係性のすばらしさがわからないで生きてるなんて本当男性って気の毒だよね。幼いころから競争社会に組み込まれてそこから抜け出せない。取り込まれなかった人だけが女性とフラットでいい関係を築けてる。その方が平穏なのにね。付き合っているというだけで「ボクの欲求を満たしてくれない女なんて!こんなに辛いのに!させてよ!」ってどう考えても幼児みたいで気持ちが悪い。
いまのところ食うに困ってはいない。年収600万。残業は月5時間程度。
年次的にはひとつ上のランクに昇進してもおかしくないが、弊社はひとつ上のランクから労働強度がかなり上がる。端的にいうとストレスのかかる困難な仕事を任されるようになる。ベース年収は750万になる。ここに労働強度の高い仕事として必然的に膨らむ残業代が乗るから、850万程度になる。
いま昇進を目指して頑張るべきなのか。不安なことは、労働強度に耐えられず心身いずれか壊すこと。以前に仕事関連の問題で精神疾患をやったことがある。仕事ができなくても、贅沢を望まなければ平穏な生活を送れるいまを維持したほうがいいんだろうか。
はてな民に愚痴を聞いてほしい。本日午前に有給を取って書き上げた。
自分は40代後半。小売の仕事をしてて、ホームセンター系だ。仕事帰りに居酒屋に寄ることがある。
お店の名前はここで出すわけにはいかない。昔のドラマに出ていた、北のメジロ(仮称。以下メジロ)としよう。
看板(暖簾)には可愛らしいイラストが描いてある。カウンターとテーブルと座敷がある、こじんまりとした店だ。
常連客もだいたい同じ顔ぶれで、マスターは騒がしくて、男女の店員が数人いる。年代はバラバラだ。若い子が多いような気はしてる。
メジロは、俺にとっての「逃げ場所」だった。国道沿いの高架下にある。寂れた飲み屋街のすみっコ。
ホームセンターの仕事で鉄筋とかワイヤーメッシュを陳列する作業で疲れたり、自転車を早く直したい我儘客に付き合ったり、役場の見積り入札で惜しくも敗北して店長にネチネチ言われたり……ラジバンダリ。そんな、家に帰りたくない気分の時にフラッと立ち寄るのだ。
気の置けない常連客とくだらない話をして、店員さんと少しおしゃべりをしてさ。1人で静かに焼酎をソーダ割りで飲む。梅干しを入れるのだが、なんとも安っぽい梅干しが場末の雰囲気を出している。
そんな時間が、俺の心の平穏を保ってくれてた。ここ数年間は。コロナ禍が落ち着いた頃に発掘したお店だった。
常連ではないんだろうが、お店に行くと3回に1回くらいいる。そいつが店にいると、なんだか落ち着かない。
俺はそいつを、心の中で「東大」と呼んでる。なぜなら、一度だけ店員さんとの会話で「大学どこですか?」「東大です」と言ってるのを聞いたからだ。「誰にも話さないなら」と留保を付けてたけど、俺がいるのは見えてなかったのかとイラッときた。
普段、そいつは作業服で来てることが多い。道路を作る、測量とかの仕事をしていると。
たまに私服で来ることもある。金曜日か土曜日が多い。白っぽい見た目だ。
年齢は30代くらい?いや、顔のしわを見ると、もっと上かもしれない。全体的に純朴そうで若く見える。
そいつを気持ち悪いくらいウォッチしてると思う。でも、それくらい視界に入るレベルで嫌な奴なのだ。
ある夜だった。俺はカウンターの隅で1人、焼酎を飲んでいた。東大卒は、俺の数席だけ隣に座っていた。すると、店で一番愛嬌のある若い店員さんが東大の隣に立って、楽しそうに話していた。
個人情報?別にいいよ。減るものでもないだろ(減るものだろ、というツッコミはなしで)。
「測量のシゴトってすごいですねー」
「私は直接しないんですよ。測量士ではあるんですけど、民間企業に委託するんです。仕様書と図面を作って」
「難しそう」
その女子店員が、東大の注文を聞いてる時に、自分の身体をピタッとくっつけていた。まるで、ヤツに甘えるように。
思わずグラスを握りしめたよ。うす暗い感情が胸の奥からジワッと出てきて。悔しいような、むなしいような気分だった。
少し前に流行った増田で言うと、あの時の俺の表情はメイジバピラスみたいだった。ふしぎなぼうしを所持していればよかったのに。
別に、あの若い店員に恋愛感情があるわけじゃない。あの子は誰にでも優しい。俺にも優しく話しかけてくれる。でも、あの男と話す時は、いつも以上に楽しそうに見える。
他の常連客もそうだ。いつも俺と他愛のない話で盛り上がる気のいい兄ちゃんや、物知りな年配の男性も、東大が来るとそいつを意識している。隣になった人は、なぜか彼と話をしたがる。
先々月だと、「最近のドローンはレーザーで距離を測るんですよ」「なるほどー」みたいな会話があった。ドローンだって?ウチのホームセンターでも売ってるよ。俺の月収の半分くらいするけどな。測量用のドローンだったら、きっと50万くらいはするんだろうな。
結局のところ、俺は悔しいんだと思う。このままでは俺の居場所がなくなるかもしれない。けっこう常連のつもりだったんだけど。
いや、メジロは元から俺だけの居場所じゃない。それは分かってる。でも、俺の心の拠り所があの男に奪われていくような気がして、たまらなく嫌だ。
あの男が嫌いなわけじゃない。むしろ羨ましい。東大卒で、頭も良くて、きっと仕事もできるんだろう。約98%の確率で、俺よりも年収が高い。
だったらさ!わざわざこんな場末の居酒屋に来る必要はないだろう。
スナックとか、ラウンジとか、もっと綺麗な店でホステスと楽しく飲めばいいじゃないか。どうして、こんなカウンターの狭い、常連客ばかりの居酒屋を選ぶんだ?
この居酒屋はさ、俺みたいな平凡な40代のおっさんでも、少しだけ特別になれるような場所なのだ。それが、俺にとってのメジロだった。しかし東大は、そんな俺の特別な場所を悪気もなく侵食してる。
奴はきっと自覚がないのだ。だから無邪気に笑いながら、マスターとバカ話をして、男女の店員と話して、さらに他の客と話している。その無自覚さが、俺をより一層イライラさせる。
明日もメジロに行こうと思う。仕事が忙しい日なので、きっといい感じに肉体が疲労している。梅酒ソーダがきっとおいしいはずだ。
もし、あそこにあの男がいたら、俺からは何も話さない。黙って酒を飲むだけだ。でも、ひどくないか?あいつ。自分とは場違いの環境に来てさ、俺みたいな平凡人の居場所を掻っ攫っていくんだぞ。ひどすぎるだろ。
申し訳ないけど、ああいう男に居酒屋に来てほしくない。頼むからさ、お金持ってるんなら、ほかの高い居酒屋とか、女の子が接待するお店に行ってくれよ。そう願うことしかできない。
科学大国とか言いながら、創造主が6日で世界を作ったと本気で信じられている。
だが進化論的に見ればそれはむしろ理にかなっているのかもしれない。
つまり、信じないほうが生き延びるのに有利だったということだ。
人間の脳は「真実を求める装置」ではなく「うまく錯覚して安心する装置」として進化してきた。
狩猟採集の時代から真実よりも物語を信じたほうが集団に馴染めた。異端の意見を口にするよりみんなで焚き火の前で神話を語るほうが安全だった。
進化論を信じるような性格の人間はだいたい(お前らのような)焚き火の輪から外れていたタイプだ。寒い夜に孤独死する側の人間だ。
そんな遺伝子が子孫を残せなかったとしてもなんの不思議もない。
進化は「真実を知る能力」には興味がない。「子どもを残す能力」にしか関心がない。
つまり、進化的には「進化論を信じない遺伝子」のほうがよく働いているということになる。
ダーウィンを信じた人たちがダーウィン的に淘汰されている。これほど美しい自己証明はなかなかない。
人類全体で見ると進化論否定こそが最も進化的に正しい行動なのかもしれない。
知的誠実さなんて食えないもんより、心の平穏とコミュニティの結束のほうが(遺伝子の)生存率を高める。
私の生まれ育った家も比較的似たようなもんなので私の考えを書いてもいいかな。
私が生まれ育った家庭は機能不全。兄弟が1人いるが、中学から不登校。多分調べればなんらかの障害があって、そして父の存在感が薄い。母は精神障害。ふふ、同じだね。こんな家庭は実はそれなりにいるんだと思う。
日記には父の存在がなかったように感じるが、存在しないのと存在感がないのは心を病む要因としてそんなに大差ないのでまあどっちでもいい。
私は「夫婦でどうにかしようとするのはもう諦めよう」が一番手っ取り早いと思う。あなたは義理の旦那さんの立場でしょ。生まれた時からその環境に身を置いてる人とは耐性も価値観も「どうにかできるだろう」の希望も全部異なる。お兄さん40代でしょ?40年変えられなかったものはもう無理だよ。ここからまた40年かけりゃ変わるかもしれないけど。
そもそも、親や家族に変える力がないから40年もそうなってる。親はどっぷり共依存だし、奥さんもまたそこに鎖で繋がれてる感じ。
私は20代の頃に家族がしんどくて鬱病みたいになって、(これとは別に摂食障害も長年患ってた)このままではこの家に飲まれると思って一大決心して家を出た。新幹線にのらないと行き来できない程度の物理的距離を取ってある程度精神を切り離した。うちは貧乏なので簡単にはうちに逃げてこられない。私も簡単には帰れない。そうしなかったら、私はあのままあの家に飲まれて母と同じように精神を病んでたと思う。今よりさらに離れるのはオススメ。
「子どもを殺してくださいという親たち」という漫画を読んだことはある?あれはなんか参考になるかも。面白いのは、何か救いの方法が描いてると思えば、あの厳選された漫画のネタですらまるで解決に至ってない事例がそこそこある。世の中そんなもんだ。諦めよう。
うちは兄弟はまだマシで最近はフリーターとして働けているけど、それもいつまで持つか。ふとした拍子に暴れるし自殺未遂するし、殴られたり、包丁を向けられたことなんか何回もある。外出先でも見境がないのも同じ。
アイツらは自分の都合が悪くなれば母を脅して、母の気持ちを自分の思い通りにコントロールして自分の心の平穏を保ってる。最悪なやつだ。
「コイツを〇〇してやる」と思って、自分の暴言とかによって相手が自分の思う通りの反応をしたら気持ちいいでしょ?アイツらは他に思い通りになることなんか世の中にないから、母親を自分の思う通りに傷つけて支配して心の平穏を保ってるんだよ。んで母親ってのはハイハイと必死に言うこと聞くの。世の中の誰もそんなふうに動いてくれないのに。それが気持ちいいんだろうね。歪んでんの。そんで、それを見て育った兄弟はなんとか改善したいと思うけどどーにもなんないの。親にその気がない限り。
どっちも親子なはずなんだけど、手のかかる方の子を親ってのは気にしちゃうんだよね。私は何度も言われたよ「あなたは大丈夫だけどあの子は」って。「この子を殺して私も死ぬ!」とか何度もやってたよ。母にとって問題ない方の兄弟子は「我が子」よりも「一緒に問題を抱える同志」って感じなんじゃないかな。
そんな感じなので私は家族ではなく私を変えることにしたの。「それでお母さんが死んでも心を病んでも、それがお母さんが選んだ道だから」「兄弟が死んだらそれがそいつの寿命」って。私のお母さんは幸せより不幸が好きなんだって。昔読んだ漫画にそんなセリフがあって、あの漫画に私は人生を救われたの。ああ、この人たちは不幸なこの環境が居心地いいんだって。
こーゆーご家庭のお母さんはね、引きこもる家族に自立を促すために殴られたり暴言を吐かれたりするくらいなら、今まで通りでいいの。変えようとする方がしんどいから。
あなたも、あなたの奥さんもそれに付き合う必要はない。私だって何度も母を幸せにしてあげたいと思ったけど、何をどう頑張ったってずっと母は不幸そう。不幸に慣れてんの。それが奥さんや私のお母さんなの。
救ってあげたいけど、諦めないと共に沼に沈むだけ。兄を引き受ける気がないならお母さんも諦めるしかない。知恵の輪みたいにがんじがらめにくっついてんだから。40年かけてぐちゃぐちゃになった知恵の輪を数年とかでほどけるわけない。よほど経験値のある実力者なら知らないけどね。でもそんな人は行政支援とかにもいない。もっと高度な問題を解決する仕事に従事してるんだと思う。
ごめんね。自分や自分の家族を投影しながら書き殴ってるから伝わってないところとか、あなたの事情を汲んでない自分語りになって申し訳ない。でも、重ねて言うけど、お母さんと兄を別に考えてどうにかしようと思うなら諦めた方がいい。
奥さん、もうあなたは十分悩んだでしょ。そして知ってるでしょ。お母さんはお兄ちゃんを変える力も更生する力もないくせに、親の愛だけでどうにかしようとしてどんどん深みにハマってるって。まずはあなたが家族と心を切りはなして、別世帯の人間として、できる親孝行をしてあげたらいいよ。苦しいかもしれないけど、私はそうすることで摂食障害も鬱もぜーんぶ改善したし家族の負担が減ったことで心が楽になって結婚もできた。
車に乗せてお出かけしたりしてね。そーゆー時間もあるんだよね。でもね、変わらないんだろうなって諦めの心を持って、旦那さんと2人で幸せになりな。
私の母は、今はもう「どうして私は人生のあの時あんなことをしてしまったんだろう」ってほぼ24時間何かを後悔しながら精神薬を飲んで暮らしてる。私は母を幸せにしてあげたかった。「兄弟とお父さんさえいなければ」ってずっと思ってた。でも、お母さんは文句言いながらも兄弟とお父さんを人生から手放さなかった。それが母の人生。私は違う、私は私でよそで幸せになります。
ごめんね自分語りをして。
しかし驚くことに私は家族とは仲良しだと周りに思われてるし実際に親とは仲良しだよ。よく2人でお出かけしたりランチに行ったりしてる。まったく話に出てこなかった父とも積年の恨みなんか忘れたようによく話す。兄弟とは話してないが、帰省もしょっちゅうしてるよ。一緒にテレビ観たりして過ごすし、人前では何にもないかのように家族の話もしてる。問題の根本解決とさえ向き合わなければこんな時間も手に入る。これは離れて半分見捨ててるからこそできることで、逆になんとかしたいと思ってたら絶対叶わない。
あと、これは憶測だけどもし実家がそれなりの財産になるようならそれも諦めた方がいい。諦め料、縁切り料としては安い方だと思う。
これはあくまで私の意見。ごめんね長々と。誰か、このなんとかしたいと思ってる夫婦を助ける術を知ってたらぜひ教えてあげて欲しい。
パトレイバーの後藤隊長って、アニメで見てる分には「かっこいい!」とか思うけど、実際に部下になったら絶対に病むと思う。マジで。
この人、何考えてるか全然わからないじゃん?形だけは組織に従順なフリしてるけど、裏には絶対に個人的な野望があって、それを達成するために部下を駒として使ってる。
しかもそれが「正義のため」とか大義名分つけてくるから始末が悪い。
普通の会社員なら、上司の指示は素直に聞くのが当たり前でしょ?
でも後藤隊長の下だと、「この指示の裏に何があるんだろう?」って毎回疑心暗鬼になる。
そんな職場で働きたくない。
こういう上司の下についちゃったら、もう出世は諦めるしかない。
真面目に働いても、本庁からは「あいつは後藤派だから」って色眼鏡で見られる。
キャリア考えたら、絶対に主流派の上司についた方がいいに決まってる。
野明とか太田とか、みんな「正義の味方志向」が強いから、結果的に後藤隊長とウマが合ってるだけ。
でも普通のサラリーマンは違う。安定した給料もらって、平穏に過ごしたいのが本音でしょ?
「市民のために!」「正義のために!」とか言われても、「いや、俺は家族を養うために働いてるんだよ…」って思っちゃう。
アニメ・漫画だから美化されてるけど、リアルにいたら典型的な「ヤバい上司」だよ。
みんなも冷静に考えてみろって。後藤隊長の部下になりたいか?俺は絶対にゴメンだ。
まず前提として結婚や子育ては本能として幸福を感じるようにできてるからやり得である。友達作りなんかもそうだろう。
で、自分の話。
自分は現在40代だが結婚どころか彼女がいたこともないし友達もいない。学生時代の友人とは社会人になってから疎遠になり全ての関係が自然消滅した。典型的なコミュニケーションが苦手な人間である。
人と何を話せばいいのか分からない。5分以上の雑談が続かないのだ。
もちろん努力して話題を仕込むことはできるだろう。でもその努力がひどく億劫に感じてしまう。端的に言って他人にあまり興味がなく非常に怠惰なのだ。
ただ2〜3分の当たり障りのない会話はできるので会社で特に困ってはいない。
むしろ話すこと自体は好きかもしれない。明確な話題さえあればいくらでも喋れる。
仕事の話なら無限にできる。仕事というものは解決すべき課題の宝庫で、それについて話しているだけで時間が過ぎる。今抱えているタスクだけでもチケットになっているものが直近のリリースだけで10個以上、期限未定や解決方法が不明なものまで含めればおそらく100個は超える。これらについて議論するだけで数百時間は余裕で潰せるだろう。こういう話をするのは正直かなり好きだ。
でもこれらについて誰かと話したいとは全く思わない。恥ずかしいとかではなく単純に語りたいことが何もないのだ。感想を誰かに伝えたいとかSNSに書きたいという欲求もない。
これは多分仕事ほど趣味に真剣に取り組んでいないからだろう。自分ごととして解決すべき課題ではないからかもしれない。
人には得手不得手がある。多くの人が当たり前に手に入れられるものを自分は手にすることができない。それはもう仕方がないことなのだと納得できるようになった。聞こえはいいが要するに諦めたのだ。
例えば自分にとって結婚や恋人作りは途方もない努力を必要とする。でも友達作りなんてその気になれば1日もかからずできるだろう。それすらやらないのだから自分はもうそういう特性なのだと受け入れるしかない。
ただ、大きな幸せは手に入らなくても日常の小さな幸せは感じられている。
天気のいい昼下がりに仕事を抜け出して(フルリモートだから可能なのだ)、ランチのピークが過ぎたフードコートへ散歩がてら向かうとき。
土砂降りの雨音をBGMに部屋で没入感の高い新作RPGをプレイしているとき。
こういう瞬間に幸せだなあと思う。
もう働かなくてもいいだけの資産があるというのも精神的な余裕に繋がっているのかもしれない。全くお金を使わないので貯まる一方だ。仕事は好きだから辞める気はないけれど。
趣味に飽きたらどうするんだという問題もあまり心配していない。
これまで飽きては戻るというのを5、6回は繰り返してきたからだ。ゲームに飽きたらアニメや漫画へ、それに飽きたらまたゲームへというサイクルが多い。だから特定の数年間流行ったアニメを全く知らないなんてこともある。少し前は全部に飽きてひたすらVtuberを観ていた時期もあった。
自分の好きな言葉に幸せはどこにあるのか?という問いへの「幸せは頭の中にしか存在しない」という答えがある。
どういう文脈の言葉だったかは忘れてしまったが幸せとは他人との比較ではなく自分自身の感じ方次第なのだと解釈している。
もちろん将来は分からない。でもそれは誰だって同じだろう。不安のない人間なんていない。自分は不安を減らすために「将来のためにやりたくないことも頑張って努力する」ということが絶対にできない人間なのでこれはある程度受け入れるしかない。
ただ「他人と比較しない」というのは言うは易く行うは非常に難しい。
自分がそれを辛うじて実践できているのは単純に比較対象となる他者との接点が極端に少ないからだ。
先日どうしても断れない飲み会に7、8年ぶりに出席した。当然のように参加者は全員結婚しているか恋人がいた。話題の大半はパートナーとどう過ごしているかという話で正直かなり厳しい時間を過ごした。
参加者たちは皆いい人たちで会自体は有意義だった。しかし同時に「他人と比較しない」という信条がいかに脆いものかを痛感する機会にもなった。
今回これを書いたのは自分の感じているこの幸せが実はとても脆弱なものだということを改めて肝に銘じておきたかったからだ。気を抜けばこの心の平穏は簡単に瓦解してしまうだろう。
変なのに懐かれていた。
私より長くその界隈にいるらしいが、某サイト初心者のようでまだ他人との距離感がわかっていないようだった。
よく相互のシェアで流れてくることがあったが、私はこのプラットフォームでは子供とは仲良くならないように努めていた。
暫くした後、よく投稿が流れてくるようになったのでフォロバを検討していた時に性格が合うか投稿を覗いてみたら「あの人はフォロバしているのに、どうして自分には返してくれないのか」と公にしていた。
自意識過剰なので、すぐに私のことだと勘繰りフォロバをするのをやめた。こういう人間は離れる時に面倒なのはわかっていた...というのも私も過去に同じタイプの人間で積極的に好きな創作者と関わりたがっていたからだ。
その時いろいろやらかして、アカウント転生もたくさんして、色々な人との交流を絶つことになった。
結果として何も考えずに色々と投稿できるようになったが、正直他人と接するのがもっと億劫になった。
話を戻すが、私は好きな雰囲気の人や作風の人をフォローしたい。
同じジャンル者だからと言って、自分の投稿に何度も乗っかってきて絵を見せてくるような人と交流するのは疲弊する。私は成人しているが、子供の「見て見て」にいちいち構ってあげられるほど大人ではない。
その際にはいつか近い将来、私は垢消し転生逃げ生活をしているだろう。
まあその人と話しているのは私の相互で、その人と交流しているのは相互の自由であるので私はいつも通り通知に出てくるその人に目を向けないよう過ごしていた。
しかし、ある日不幸にも別の相互がその人について言及しているのが目に入ってしまった。
それはその人が鍵垢で名差しで暴言投稿をしている画像であった。
何故名指しされている本人がその画像を持っているのかは疑問に思ったが、フォロワーがいる鍵アカウントでとんでもない暴言を吐いているのを見て一気に印象が下がってしまった。
いずれ、この人と関わりがある私にも矛先が向かうのではないか、その前にも私に対して何かを言っているのではないかと思うようになった。
もちろん、その画像を投稿した相互には他人の鍵垢の投稿を晒すのはどうかとお気持ちを伝えたが、見てしまったからには私も心穏やかに過ごすことができない。
その人はジャンル内の海外勢と揉めている真っ只中で、海外勢に対する偏見・暴言・愚痴オンパレードの阿鼻叫喚であった。
かく言う私も日本語で話すが海外勢に含まれているので正直良い気はしない。
ということで私のフォロー欄から削除することにした。その後やっぱりまたフォローされるのが嫌でブロックした。
頭の悪い行動ではあるが、これは私の平穏なジャンル生のためである。
一度嫌われれば、その後どこかで暴言を言われても「理由があるし、仕方ないよね」で済ませられるのでダメージも軽減できるという策である。
「ブロックするな」というマイルールはほぼ無意味。私が不快だから私の人生から見えないようにする。
数年前、APIの料金問題などでブロックチェッカーが排除される前はそう言ったツールのヘビーユーザーだったが、そんなものいちいちチェックしてたら精神が疲弊するので気をつけてほしい。
そんなもの不具合やら何やらで正確な数字は出ないし、チェックする自分がアホみたいに感じて自己嫌悪に走ってますます精神状態が悪化する。
実際、APIのあれそれでアクセスできなくなった時から4割心が元気になったのでブクマから外したほうが得だ。
......こんなにも自分が言及しているのは、やっぱり私はあの頃から成長していなかったことに落ち込んでいるからである。
今でもやはり他人の言う事を気にして、火に油を注いで、それで何度も見られていないか確認しに行って......。この気持ち悪い性格が就職と共に改善されることを願っていたが、現実ではなかなか上手くいかないようだ。
しかしこれを名前と一緒に言えば嬉々としてまた突かれ、晒されるのであろう。なので、調べなければ出て来ないと思われるここに封じることにする。
これを機に一つのアカウントでのブロックを外して目に見えないようにしていこうと思う。
幸い、そこはすでにブロックされているし、新しいアカウントなのでおすすめ欄はゴミのような政治投稿ばかり。
ジャンルの投稿はゼロに等しい。すり抜けで来ない限り、私はまた平穏な生活に戻ることができるだろう。
今まで吐き出せていなかったこのお気持ち日記をネットに放流することでスッキリできるよう願う。
頼む。
世界は静かに、そして確実に流れていった。タケルの視界には、広大な都市も、海も、山も、空も、すべてが一望の下にあった。神としての力は完璧で、どんな命も、どんな瞬間も、その動きも感情も手に取るように知ることができる。
だが、胸の奥の痛みだけは、どんな力でも消せなかった。
あの夕暮れの教室、笑顔を浮かべながら僕に「ごっこしない?」と手を差し伸べた少女――ノゾミ。彼女が消えた瞬間の衝撃、手を伸ばしても届かなかったあの感覚。すべてを知る力を持ちながら、彼女だけは救えなかった。
世界中の命や出来事が眼前に広がっていても、タケルの視界の中にノゾミはもういない。
残っているのは、ただ僕の胸の奥だけ――ノゾミを思うこの痛みと記憶。
教室の窓に、あの日の夕陽が幻影のように差し込む。光はまだ橙色で、揺れる影の中に彼女の姿を重ねることができる。手を伸ばせば届きそうで、届かない。手の温もりも声も、今はもう幻の中だけにある。
タケルは膝を抱え、静かに呟いた。
「……あれは、ごっこなんかじゃなかった」
目の前の世界がどれほど大きく、完璧であろうと、胸の奥に残る感情だけは、力では決して変えられない。人間としての痛み、失ったものの虚しさ。それが、神としての僕の唯一の欠片だった。
世界のあらゆる命を見渡す視界の奥で、タケルはノゾミの笑顔を繰り返し思い浮かべる。
教室で手を握った感触。廊下で呼び合った名前。商店街で笑いながらたい焼きを分け合った瞬間――すべてが、心の中で生きている。
しかし現実には、彼女はもういない。消えた。僕の胸にしか、存在していない。
涙が頬を伝い、世界の果てまで届くような孤独が胸を押し潰す。だがその涙を拭いながら、タケルは力を取り戻した監視者として立ち上がる。
神の分身としての役目は、何も変わらない。弱者男性族を見守り、世界を監視し、導く――その役割は冷たく、孤独で、容赦なく続く。
だが、今だけは、胸の奥に残る少女の記憶を抱きしめながら、その孤独を受け入れることができる。
空には星が瞬き、街には夜の光が灯る。すべての存在が平穏を装って動いている。その光景を見下ろしながら、タケルは静かに誓う――
この世界のすべてを見守る力を持つ者として、ノゾミのいない世界でも、彼女を忘れずに生き続けることを。
そして彼は一度、深く息を吐く。
涙を落としながらも、孤独な監視者として、世界を見守り続ける。
教室の幻影の中に、ノゾミの笑顔はいつまでも輝き、タケルの心の中で生き続ける――切なく、儚く、しかし確かに存在している愛の記憶として。