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はてなキーワード: 40年代とは

2025-10-22

anond:20251022151540

コモンセンスによって法が完成し、システムが組みあがっていればそれが正義だ、とかい観念

40年代ナチスドイスが強固な法とシステムを作り上げたことによって、通用しなくなった。

 

もっと他の反論しろ

もしくはナチスは正しかったと言え。

2025-05-28

居酒屋BGM90年代J-POPになっている、ことを踏まえて何を考えたらよいか

ちょっとから居酒屋流れるBGM90年代J-POPになってる。正確にはいからなのかは分からないがたぶんここ数年だと思う。紅白のトリや目玉ゲストもB'zだったり福山だったりMISIAだったりする。我々40年代後半世代には、まことに心地よい状態になっている。

まりは我々が消費の中心だとしてターゲットにされてるということなのだが、ここで「居心地が良い」と思っているだけでは、我々は奴らにしゃぶり尽くされて消費されるだけで終わってしまうというところで、ちょっと立ち止まって考える必要があると思うのである

2025-02-28

anond:20231014123539

美しい鼻濁音の見本は最近ならいものがかり吉岡。「nGA」と軽くn音を入れたガ行発音。昔の音楽教育では当然だったが、最近ストレートな「GA」なので音が汚い。

昭和30年40年代義務教育を受けた者は、音楽先生から「さも当然」というようにこの鼻濁音歌唱を習う。

ただし地方差があり、ユーミン桑田佳祐は鼻濁音ではない。

時代歌手の多くは完全鼻濁音。

2024-12-12

フランツ・リストピアノ名曲重要曲七選(中期)

 anond:20241212205415の続きである

 マリーとの破局よりもピアニストとしての活動を選び、欧州中をわかせていたリストだったが(何しろリスト風呂の残り湯を飲もうとして待機しているファンがいるとかいレベルである)、1847年にポーランドの大地主の娘であり、キエフ軍人ザインヴィトゲンシュタイン侯爵夫人カロリーヌ出会う。コンサートツアーリストキエフに来ることを知ったカロリーヌ(別居中)は、娘の誕生日のためという名目リストを招待し(誕生日に大スターを招待できるというわけでだからどのくらいのレベル金持ちかがよく分かる)、急速に二人は深い関係になっていく(意味深)。リストピアニストとしての活動打ち切りカロリーヌと一時の同居生活を経たあと、48年からヴァイマール宮廷楽長としてカロリーヌと共に腰を落ち着けることになる。カロリーヌは長い訴訟を経て婚姻無効を勝ち取るが、リストとの結婚は認められなかった。ちなみに、カロリーヌ博覧強記で雄弁な人だったらしく(リストの多くの作品にも口を出している)、あのワーグナーが引くほどだったということであるカロリーヌ身分を巡る微妙問題に加えて、音楽界の動向的にもリストドイツに居づらくなり、約10年で宮廷楽長を辞任する。つまりリストの「中期」は短い。宮廷楽長になったことで、オーケストラ作品が多く書かれるようになった一方、新規ピアノ曲はこの時期にはあまりない。大スターの座を捨てて半分隠退生活に入ったようにも見える。しかし、この時期こそが作曲家としてのリスト確立する重要時代である。前期の作品の少なくない曲(巡礼の年パガニーニ練習曲もそうだ)はこの時期に改訂され、より演奏効果は高まり、内容も充実することになる。

1. 超絶技巧練習曲 S.139(1852年出版

 リスト代表作の一つ。この時期に改訂を経て完全版になった。長年の改訂を経て磨きに磨き抜かれた。

 この曲集の決定的な録音はウラジーミルオフニコフ(EMI)だろう。どの曲も非常に質が高く、穴がない(この練習曲集は多彩な技巧のデパートなので、どこか苦手なものが出るのが常)。が、残念ながら入手性は悪い。世間的に有名なのはラザール・ベルマン(Melodiya)で、新旧二種類あるが、新版1963年)が気合いが入っている。ただ、キンキンとぶっ叩くような録音で、そこまで好きにはなれない。横山幸雄SONY)は録音も良く、やはり穴も少ない。特に第5番「鬼火」の演奏が素晴らしい。

2. パガニーニによる大練習曲 S.141(1851年出版

 1840年出版パガニーニによる超絶技巧練習曲改訂版。元々の第4曲は単音アルペッジョになり大分おとなしくなったが、それ以外の曲については、難易度を落としつつ、同等以上の演奏効果を発揮できるようになった。第3番「ラ・カンパネッラ」はここで非常に完成度を上げて今の形になった。

 40年のパガ超と違い録音は多い。有名なのはアンドレワッツEMI)だと思う。昔図書館で借りて聴いたことがあるがどれも安定の演奏。その他だとフィンランドピアニスト、マッティ・レカリオ(Ondine)の激烈な演奏があるが、残念ながら廃盤で入手困難(Naxos Music Libraryにはあったかな?)。フィリペツのパガ超のCDNAXOS)にも入っており、これまた大変安定した演奏で、パガ超と合わせてフィリペツを聴くのがいいだろう。あと、「ため息」で紹介した福間洸太朗(アコースティカ)のCDにも入っている。これも大変安定していると思う。

追記)レカリオはNMLにもiTunesにあった(Raekallio Lisztででてくる)。YouTubeにもあった。https://www.youtube.com/watch?v=SkuWa2HDk58&list=OLAK5uy_kN6U4dNkOzK4Cv1DZfZDWoidTcP7yPxr8

3. ピアノソナタ ロ短調 S.138(1854年出版

 ピアノソナタが量産されていたのはベートーヴェン(32曲)までの時代であり、19世紀半ばにはピアノソナタ落ち目ジャンルであった。一方、気合いの入った大曲を書く時にピアノソナタという古典的様式を敢えて選ぶことはその後もあり、ショパンリストソナタはその例だろう。リストソナタは、単一楽章という異例の様式だが、単一楽章の中で多楽章形式の要素とソナタ形式提示部・展開部・再現部)の要素を融合させ、しかも一つの動機(冒頭のタッタラ~タ~ララタラララ~というつかみ所のないアレ)によって全体が統一されているという極めて斬新で前衛的な曲だった。そのため当時はよく言って賛否両論といったところで、現在ではリスト最高傑作の一つとして評価されている。

 リスト最高傑作であるからして録音も非常に多く、推薦音源を挙げるのは難しい。取り敢えずクリスティアン・ツィメルマン(Deutsche Grammophone)の演奏が端正であり、技術的にもハイレベルで良いと思う(難所でタッチが浅くならず、深く充実した響きが聞こえるのが良い!)。ぶっ飛び系なので好みは分かれると思うが、カティア・ブニアティシヴィリSONY)の演奏をよく聴いている。

 なお、この曲と関連する重要作品としてスケルツォマーチ S.177がある。面白い曲だが泣く泣く割愛した。デミジェンコHyperionHelios)が良い演奏している(ソナタや「伝説」とカップリング)ので聴いてほしい。

4. バラード第2番 ロ短調 S.171 (1854年出版

 ショパン1832年パリデビューし、特にサロンでの繊細な演奏女性たちの心をわしづかみにした。リストショパン演奏に狂った一人である(またかよ)。リストショパンのことを友人と思っていたが、ショパンの方は割と適当にあしらっていたという話もあり、リスト片思いだったのかもしれない。ただし、ショパン練習曲作品10リストに、作品25をマリーに献呈している。つまりリスト夫妻にショパン練習曲は捧げられたわけで、結構親しい関係にあったことが分かる。リストショパン死後にショパンの本を書くくらいにショパンには思い入れがあり(最近新訳が出た)、弟子にもショパンを弾けと言っていたようであるが、作曲面でもポロネーズバラードなど明らかにショパンの影響と思われる様式の曲を書いている。中でもバラード第2番は大変な傑作で、冒頭の重苦しい主題が終盤にロ長調になって戻ってくるところは本当に感動的である

 これまたあまり推薦音源が思いつかないが、アンスネスEMI)のCDがかなり良かった覚えがある。前期で出したノンネンヴェルトの僧房も入っている。

 (追記)スティーヴン・ハフ(Hyperion)がポロネーズバラードを全部録音しているのを思い出した。ピアノソナタカップリング。あとショパン弾きで有名なネルソンゲルナーレーベル覚えてない)の演奏もの凄く良かったと思うのだが、どこで聴いたか・・・(この曲はショパン弾きにこそ弾いてほしい!)。YouTube動画をあげまくってCDデビューしたヴァレンティーナ・リシッツァベーゼンドルファーを使って弾いている動画がある(収録風景https://www.youtube.com/watch?v=1Qdr3Uvs09oコンサート https://www.youtube.com/watch?v=uBs4jtWMBj8)。97鍵もあって低音がアホみたいに響くから重たいが、この曲には合っている。ただCD(持ってない)でそこまで迫力があるかな

(再追記ゲルナーあった!(https://www.youtube.com/watch?v=m90vsN3SjvM配信もあるのかな。

5. ハンガリー詩曲第1~15番(1851/53年出版

 トムとジェリーで有名なハンガリー詩曲もこの時期に改訂が終わって現在の形になっている。リスト採録しているのはハンガリーマジャール)ではなく、ロマ音楽なのだが、リストは、ロマ民謡を素材に使ってハンガリー民族叙事詩を作り上げようとしていた(それがバルトークのようなマジャールからドイツ人が勝手なことやりやがって・・・という風に見えていたわけだが)。どの曲も重々しいラッサンと華やかなフリシュカという二つの舞曲的なパートから成り立っていて、構造的に単純で、しかピアニスト時代のようにド派手で豪快な曲が多く、リスト入門に良いと思われる。

 ミッシャ・ディヒター(Phillipes)が全曲では有名だと思う。ハンガリーリストの再来とされていたかシフラ・ジェルジの録音もあったはず。第2番はホロヴィッツ編曲版を弾いているスルタノフの爆演が好き(https://www.youtube.com/watch?v=_BFalOtwUy8)だが、スルタノフを聴くと大概の演奏が物足りなくなるおそれがある。残念ながらスルタノフは若くして亡くなってしまった。ホロヴィッツ編曲版ではない場合、第2番はカデンツァを挿入する部分があるので、独自カデンツァが見物になる。その点で一番に言及しなければならないのは我らがスーパーヴィルトゥオーゾのアムラン(Hyperion)で、アルカンの大練習曲 op.76の引用が入り3分以上続く頭のおかしいぶっ飛んだカデンツァだ。日本公演の映像もある(https://www.youtube.com/watch?v=pIMzL2-4bjg/8:30あたりから)。あとは自作ジャズカデンツァを用いて全体にやる気がみなぎるデニスマツーエフBMG)、ラフマニノフカデンツァ使用し爆演系のレオニード・クズミン(Russian Disc)がお勧め。ただしクズミンのCD廃盤倒産で入手困難であり、今後他社からの再発が望まれる。

 第15番「ラコッツィ行進曲」は何よりもホロヴィッツ本人のいかれた演奏聴くべきだろう(古い音源なので検索すればすぐ出てくる)。音質は悪いが、聴く価値がある。昔ホロヴィッツ編曲版にチャレンジしている勇者を見つけていたく感動したことを思い出した(https://www.nicovideo.jp/watch/sm10176725)。

 なお、15番以降19番までハンガリー詩曲はあるが、晩年様式なのでこれ以上は紹介しない。

6. タンホイザー序曲(1849年出版

 リストドイツ宮廷音楽家として、新ドイツ派(当時のドイツにおける管弦楽の停滞(と彼らは考えていた)を問題視し、ロマン主義音楽再生を志す人々)の頭目的な存在だった。そのため、同じような立場にある人々、特に売れっ子とは言い難かったワーグナー作品積極的に上演・紹介したのだが、40年代以降ピアノ編曲もいくつも作っている。リストの最も有名なワーグナー編曲は「トリスタントとイゾルデ」の終曲(愛の死 S.447)だが、自分タンホイザー序曲が単独では最上作品だと思う。何よりも前期のオペラ編曲もの同様、豪壮無比な超絶技巧を聴かせてくれるのが良い。

 ちなみにリストの次女コジマは夫のハンス・フォン・ビューローワーグナーにとっては恩人)を裏切ってワーグナー不倫し、リスト激怒する(後に和解)のだが、自分マリーやカロリーヌやらせいたことだ。

 タンホイザー序曲の録音は意外とない。ユーリ・ファヴォリン気合いが入った演奏https://www.youtube.com/watch?v=xJYkouNnuwo)が一番良いのだが、CDは手に入りにくい(一応、ヴァン・クライバーンコンクールでの演奏があるらしいのだが・・・)。スタジオ録音が望まれる。前期作品の時に名前を挙げたロルティ(CHANDOS)も美しいが、技巧的には前者が圧倒的。実は、ワーグナー本人もピアノ編曲を作っているが(https://www.youtube.com/watch?v=KdXPFBcP1bQ/カツァリスのCD「ワグネリアーナ」に入っている)、リスト編曲と比べると一目(耳?)瞭然、どちらが音楽的に充実しているかは明らかである

7. 詩的で宗教的な調べ(1853年第3稿出版

 30~40年代から書かれている曲だが、やはり最終版になったのはこの時期。もっとも早く書かれた「死者の追憶」(第3稿第4曲)を聴くと、非常に調性が曖昧な曲で、30年代から既に晩年様式が準備されていたことが分かる。第3曲「孤独の中の神の祝福」はリスト敬虔さが音楽昇華された隠れた傑作。アムランが好んでおり、2回も録音している(ノルマが入っているMusic & Arts盤とソナタや「補遺」がセットになっているHyperion)。

 この曲の中で最も有名なのは、第7曲の「葬送――1849年10月」だろう。非常に暗い曲だが、タイトルが指す通り、ハンガリー革命で奮闘し、鎮圧され死んだ人たちのための追悼音楽

 全曲では先のユーリ・ファヴォリンが録音しているが、筆者は未入手。配信で聴けたかと思う。どうでもいいことだが、デミジェンコライブ録音(Hyperion/7番のみ)を聴くと、明らかに鼻歌で歌っていて面白いグバイドゥーリナシャコンヌでも結構はっきり聞こえる)。

 宮廷楽長としての生活の中でリストの前期作品の多くが音楽的に充実されたが、音楽界での軋轢劇場でのトラブルカロリーヌ身分を巡る問題で長くは続かなかった。そろそろ次の時代に進もう。

追記

 前期のところに、ベートーヴェン交響曲ピアノ編曲についてのコメントがあった(anond:20241212215414)。

 リストベートーヴェン交響曲を全曲編曲しているが、初版出版1865年で、時期的には後期にあたる。ただし、3、5-7番の編曲は1837年には出来ており、個別出版されていたようだ。リストピアニスト時代からベートーヴェン作品布教に熱心に取り組んでおり、その一環として作られた。ボンベートーヴェン記念碑建設のために多額の資金提供したりもしている(ちなみに同様に寄付を呼びかけるためにシューマン作曲したのが「幻想曲 ハ長調」だ)。

 リスト作品の中でも記念碑的なものになるが、コンセプトは幻想交響曲編曲同様なので泣く泣く割愛した。

フランツ・リストピアノ名曲重要曲七選(前期)

 最近流行ってるゲーム史上の重要性とは何も関係ないが何となく思いついたのでやってみることにした。

 フランツ・リスト(1811-1886)はハンガリー王国の寒村ドボルヤーン(現オーストリア・ライディング)に生まれ作曲家リストハンガリー人としての自意識を持っていたようだが、両親はドイツ系であり、他方でパリ成功を収めた関係フランス語を使って生活していたと思われる。いわゆるコスモポリタンであり、○○国の音楽家とは言いにくい。音楽史上の重要性ではバッハやベートヴェンには劣ってしまうから義務教育では名前は出てこないだろうが、少なくともピアノ音楽史上は絶対に避けては通れない。無尽蔵の超絶技巧によってピアノ表現可能性を著しく拡張たからだ。膨大なリストピアノ作品から7選ではきついので、リスト活動時期に区切って7選ずつということにした。

 クラシック音楽の紹介をする以上、演奏(録音)の紹介は避けて通れない。まさか自分で弾いて確かめろというわけにもいかないだろう。筆者は、リストの豪華絢爛な超絶技巧音楽が大好きである一方、特に晩年に多い宗教的内向的音楽は未だにあまりピンと来ない感がある。努力はしたが、晩年作品を中心にうまく推薦ができていないのは好みの関係で、あまり色々な音源を聞き比べていないことが一つの理由だ。

 リストピアノ作品はあまりに膨大で、しかも抜群の技巧を要求する作品も多い。一曲ごとの規模の違いを無視していうが、大量のピアノ曲を残した作曲家であるショパン場合作品数は200強。単独ピアニストによる全集も作られているし(ギャリック・オールソンアシュケナージ横山幸雄も作ってますね)、レコード会社企画モノで複数ピアニストを起用して制作されることもある。横山氏みたいにぶっ続けの連続演奏会を開いてしまうことも不可能ではない(https://www.afpbb.com/articles/-/2784123)。

 しかリスト場合は単純な作品数の多さ、別稿・異稿が多く存在すること、難易度の高い曲が非常に多いことから、「全集」の制作は困難を極める。複数ピアニストを起用しているNAXOSリストピアノ曲集シリーズも未だに全曲をカバーできていない(もし完結していたら教えてください)。その点で単独リストピアノ作品全集という前人未踏の大偉業を成し遂げたレスリーハワードCDHyperion)は本編と別巻(新たに発見された別稿・異稿)あわせて99枚というとんでもない分量がある(全曲試聴可能https://www.hyperion-records.co.uk/dc.asp?dc=D_CDS44501/98)。優れたピアニストであるハワードでも、短期間に、といっても10年以上あるが、大量の作品を録音しなければならない計画故、詰めの甘い演奏がかなりあるように感じられ、何も考えずにハワード全集を推薦するわけにもいかない。とはいえハワードのおかげで取り敢えずリストピアノ曲のほとんどをまともな「音」として把握できるようになった。ここで敬意を示しておきたい。ハワードCDを一巻ずつ紹介している古くからサイトがあり、本当に頭が下がる(https://www.katch.ne.jp/~hasida/liszt/liszt.htm)。良くない演奏もバシバシ指摘している。

 リストの生涯について。作曲家の生涯を知ることが楽曲理解に必ずしも結びつくわけではないが、それでも、どのような作風意識しているのかとか、どのようなモチーフを描こうとしたのか(特に標題音楽場合)ということを知ることは有益だろう。作曲家の置かれていた状況を知ることはその理解の助けになり得る。リスト場合、ざっくりいえば大スターとして活躍した1840年代までの時期(前期)、ワイマール宮廷楽長としての活動が中心になる50年代(中期)、そして50年代末の波乱、特に愛人カロリーヌとの結婚が認められず、子どもの早世などの不幸に連続して見舞われた後、ローマに腰を落ち着け作曲活動を再開し、亡くなるまでの晩年の時期(後期)に活動を区切ることができる。このあとは単に前期・中期・後期とのみ述べる。ここで紹介するのは、前期、少年時代からピアニスト時代までのもの。父を失って本格的にピアニストとして稼がねばならなくなり、大スターになっていくが、仕事ばかりで事実上奥さんとは破局する。そして後年の恋人カロリーヌ出会いヴァイマール宮廷楽長に就任するまでだ。

 作品番号について。クラシック音楽には、出版社のつけた出版順序を示す作品番号(op. xxみたいなやつ)がついていることが多い。クラシック音楽では、抽象的に「ピアノソナタ」とのみ名乗る曲が多いので、作品番号は楽曲区別にとって大事になる。しかし、リスト作品番号は出版社ごとに全然違うなど滅茶苦茶で(こういうことはシューベルトにも言える)、作品番号では把握できない。そこでよく使われるのは、イギリス音楽学者ハンフリー・サールが整理して付番したサール番号(S. xx)であるWikipediaにもサール番号順のリスト作品一覧があるので参照されたい。

1. 48の練習曲 S.136(1827年出版

 彼の代表作の一つ、「超絶技巧練習曲」の初稿にあたる作品。48とあるが、実際には全12曲。「超絶」を聞いたことがある人なら驚くはず。リスト15歳の頃の作品リストハンガリー貴族たちから奨学金をもらってチェルニーの元で学んでいたのだが、本作品は明らかに影響が見て取れ、微笑ましいと思うか、チェルニー××番を思い出して頭が痛くなるかは人次第だろう。録音は多くない。筆者はハワードを一聴したことがあるのみ。ウィリアム・ウォルフラムNAXOS全集20巻)は未聴。パガニーニの影響を受けたあとの改訂版24練習曲 S.137)は異常に難易度が高い割に第三版にあたる「超絶技巧練習曲」ほど演奏効果がないのでやはりほとんど取り上げられない(ハワードは録音している)。

2. 「ある芸術家の生涯の出来事」 S.470(1834年出版

 タイトルでもしやと思った方、あなたは正しい。ベルリオーズの「幻想交響曲」のピアノ編曲だ。実は原曲よりも出版自体こちらの方が早いようだ。ふられた作曲家がヤクをやって彼女を殺して処刑されて悪魔サバトに遭遇するという夢、というとしょーもない話だが、この曲は初演当時多数の人々を熱狂に巻き込んだ。リスト熱狂した一人だった。それでピアノ編曲までやってしまったのだが、当時は録音技術がないので、家でちょっと味わおうとCDだのSpotifyなどというわけにはいかない。ピアノで弾くしかないわけだ。とはいえ、よくあるオケ作品のお手軽編曲ではなく、オーケストラの生み出す音響可能な限りピアノ再現しようとした意欲的な作品だ。演奏難易度は極めて高い。フランソワ=ルネ・デュシャーブル(EMI)とニコライ・ペトロフ(原盤は知らないがVeneziaの再版盤を所持)の演奏が世評高く、特に後者演奏は凄まじいが、まだまだこの曲のポテンシャルを完全には引き出していないような気がする。ジョヴァンニベルッチ(CD未所持)は公式YouTube演奏動画アップロードしている(https://www.youtube.com/watch?v=bSqunBoj0cY)。これが一番アクセスやすいだろう(録音は一番良い気がする)。

3. パガニーニによる超絶技巧練習曲S.140(1840年出版

 1828~34年に欧州コンサートツアーを行ったヴァイオリニストのニッコロ・パガニーニは極限まで高められた演奏技巧と表現力によって多くの熱狂ファンを獲得した。リストパガニーニに狂った一人(またかよ)。全6曲、すべてパガニーニ作品から編曲だ。ヴァイオリン技法ピアノに映すというよりも、パガニーニから霊感をもらってピアノ技巧の拡張を試みたものと言って良い。第3曲が「ラ・カンパネッラ」(ヴァイオリン協奏曲第2番第3楽章編曲)だが、有名な「ラ・カンパネッラ」は、実は本曲集の改訂版S.141(1851年出版)の方であり、本曲集を聴くと、違いに驚く(逆にパガニーニ原曲を知っているとそちらに忠実ということに驚く)と思われる。そしてこの曲集は何よりも演奏難易度の高さで悪名高く、特にひたすら重量級かつ幅広い跳躍のある和音アルペッジョが続く第4曲(の第2稿)はピアノマニアの間では語り草になっている。また第6番「主題と変奏」(原曲24の奇想曲第24番)の第9変奏も地味ながら恐ろしく難しい。

 かつては本曲集といえばペトロフ(原盤Melodiya、VeneziaとOlympia再版盤で所持)、大井和郎(Deutsche Shallplatten)、そしてハワード全集しかなく、マニアたちがアップロードしているMIDI演奏非人間的超絶技巧を楽しんでいたのだが、現在ではゴラン・フィリペツ(NAXOS全集42)とヴァレチェク(Capriccio)が挑戦している。現在でもペトロフ演奏が最も高い水準にある思われるが(映像もある https://www.nicovideo.jp/watch/sm12879344)、フィリペツの演奏もそれに並ぶハイレベル演奏であり(流石に6番の第9変奏は苦しそうだが)、CDの入手可能性もあるので今ならフィリペツを聴くと良い。

 困ったことにペトロフ映像は中々手元を写してくれない。ニコニコ動画で「国家機密の指」と揶揄されているが、確かこれはペトロフカメラに写されることを非常に嫌っていたからだと思う(出典は忘れた)。

4. 旅人アルバム S.156(1836年~1842年出版)、「巡礼の年 第一年:スイス」(1855年)、「巡礼の年 第二年:イタリア」(1858年)、「第二年補遺ヴェネツィアナポリ」(1859年改訂版

 ダグー伯爵夫人マリーは当時のパリ社交界代表する人物で、たいへんな美貌の持ち主だったという。リスト1834年からマリーと逢瀬を重ね、35年にマリーは妊娠している。大胆なスキャンダル芸能人特権

 特に社交界でつまはじきにされることもなかったようだが、人目を憚るように二人は(それぞれ一時的パリ帰国も挟みつつ)スイスイタリアへの旅行順次出かけている。鉄道もない時代なので妊婦には大変な重労働だったはずだが、ジュネーヴで36年12月、長女ブランディーヌが誕生した。

 旅人アルバムは、スイス旅行で見聞きした風景民謡モチーフにした曲集で、全19曲ある。このうちの数曲が改訂を経て「巡礼の年 第一年:スイス」 S.160(1855年)に結実する。また、37~38年に訪れていたイタリア旅行で見聞きした風景芸術作品から受けた霊感表現した「第二年」と「補遺」も出版は後年だが、大部分は39~40年頃に完成していたらしい。

 旅人アルバムほとんど聴いたことがない。NAXOS全集32のアシュリー・ウォスもハワード全集でも聴いてない。巡礼の年の方は、第三年も含めた全曲盤ならラザール・ベルマン(Deutsche Grammophone)が有名。村上春樹小説中に登場したせいでクラシック音楽CDにしては珍しく再版がかかった。個人的にはルイ・ロルティ(CHANDOS)の演奏がとにかく美しく、大好きである巡礼の年は、大曲もあるが、短めで肩肘張らずに聞ける曲も多いので、リスト入門にはもってこい。第一年の大曲「オーベルマンの谷」単独ならアルカーディ・ヴォロドスSONY)がホロヴィッツ編曲を織り交ぜながら気合い入りまくっている(https://www.youtube.com/watch?v=4ADtxG-b8ik)。第二年、そして本曲集最大の大曲であり、リスト最高傑作の一つであるダンテを読んで:ソナタ幻想曲」は、評判の高いベルント・グレムザー(Koch Schwann)は未入手。ロルティ(CHANDOS)は全集版も第二年だけの旧録音どちらも良い(とにかく超絶技巧を味わいたいなら若い頃の旧録音が良い)。有名曲なので演奏動画をアップしている人はプロアマわず色々いる。

5. ベッリーニオペラノルマ」の回想 S.394(1844年)

 幻想交響曲もそうだが、リスト作品の多くを他作品編曲が占めている。特に多数のオペラ編曲があるが、この曲が最高傑作だと思う。中盤の鍵盤を駆け巡るアルペッジョは明らかにジギスムント・タールベルクの「三本の手」を取り入れたもので、聴いていて気持ちが良い。後半の「戦争だ、戦争だ!」のテーマに基づく部分は極めて難しく、ここを上手く弾けるかどうかがこの作品の見所。しかいかにも難しいという様子で弾いては興ざめ。

 今ならフィリペツの映像https://www.youtube.com/watch?v=0TMypN1gW5k)が一番良い。CDもあるらしいのだが自主制作盤と思われ、未入手。他は、かつては表現意欲にあふれるベルッチ(assai)、ヴィルトゥオーゾ的な迫力あるトム・ウェイクフィールド(Symposium Records)、そして我らがスーパーヴィルトゥオーゾマルク=アンドレ・アムラン旧録音(Music & Arts)が三大録音だったと思う。アムラン新録音(Hyperion)は若干遅くなったが、抜群に録音が良くなり、総合的にこちらの方が好きかも。若手だと韓国のノ・イェジン(NCM)やイギリスベンジャミングロヴナー(Decca/https://www.youtube.com/watch?v=OVKTEoxBIKE)が大変良い。

6. 三つの演奏会用練習曲1849年出版

 40年代作曲されたもの。全3曲。演奏会用練習曲は、チェルニーのような練習のための曲ではなく、コンサート披露して喝采さらうための曲であり、いわゆる「性格的小品」の一種リストはこういう曲をひっさげてコンサートに臨んでいたわけだ。第1曲から「嘆き」、「軽やかさ」、「ため息」と標題がついているが、出版社がつけたものに過ぎない。第2番の標題通り、全体的に軽やかな作風特に「ため息」は有名でよく弾かれる。

 第2、あるいは有名な第3番の録音はよく見るが、全曲録音というと意外とない。福間洸太朗(アクースティカ)のCDに全曲入っている。確かロルティ(CHANDOS)にも全曲録音があったはず。

7. ノンネンヴェルトの僧房ピアノ初版1843年出版

 スイスイタリアマリーと過ごしたリストだったが、ピアニストとして忙しく飛び回るためにマリーを放置してしまい、結局二人は破局する。ひどい話で、破局した後もリスト演奏活動をしていたので、リストの母が子どもたちの面倒を見ていた。

 41~43年の夏にリストマリーはライン川中州にあるノンネンヴェルトの古い修道院子どもたちと共に過ごしているが、これがマリーとの最後の親密なお付き合いだった。この曲は、当時同地に夫妻を訪ねてきたリヒノフスキー侯爵の詩に音楽をつけたものシャルルマーニュ武将ローラ戦死誤報を受けて絶望した妻がノンネンヴェルト修道院に入ってしまい、ローランは二度と妻と会えなくなったことを知って修道院を見下ろせる土地に住み着き、妻を思う歌を歌った・・・という救いのないストーリーだ(歌詞https://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S4212.htm)。マリーとの破局に後悔していたのか、リストはこの曲に相当執着していたようで、ピアノ独奏用を含めて複数ヴァージョンを作り、何度も改訂している。晩年バージョンアンスネスEMI)などが録音しているが、重苦しい。当時のバージョンはそこまで重苦しくないと思う。推薦音源はあまり思いつかない。全集を録音しているハワードライナーで"beloved"と書いていて、気に入っているみたいである。

 華麗なオペラものシューベルト歌曲編曲魔王を含めてかなりの曲を編曲しており、どれも魅力的)など、編曲を中心にまだまだ色々な作品があるが、そろそろ次の時代に進もう。

2024-09-16

怪談】某大学にあった開かずの間

ふと思い出したことを語る。

関東地方の某大学に纏わる話。この大学の部室棟の一角に、開かずの間と呼ばれる空き部室があった。平成7年頃の話だ。俺も何度か立ち寄ったことがあるが、一目見てヤバいと思ったよ。

その部室は扉に「立入禁止」と書かれた錆びたプレートが打ち込まれ、裏に回ると窓は厳重に目張りされていた。あまりの物々しさから近隣のサークルの連中からは気味悪がられていたことを覚えている。

この部室は講義棟に近く、使いたいサークルは沢山あったはずだし、何よりも部室棟はパンク状態でもう入居できる部室がなかったから、こんな好位置の部室がどうしてずっと使えないのか不思議だった。物置で使っているというわけでもないらしく、部室が使われているところは誰も見たことがないらしい。まさに開かずの間だった。

ところで、開かずの間にはいくつかの噂があった。これはサークルの先輩から聞いたんだが、何年か前に部室棟に夜中残っていた連中が開かずの間の横にある便所の個室で用を足していると、横の壁からブツブツと声のようなものを聞いたらしい。他にも、興味本位で開かずの間の扉の鍵をピッキングで開けようとした奴が中からうめき声を聞いたという話もあり、極めつけは、一度何らかの方法で中に入った奴がビッシリと貼り付けられた大量の御札を見たという眉唾な話まであった。

当時、俺はそういう怪談の類が好物だったから、あの開かずの間の正体を知りたくて、サークル自治会に行って開かずの間にかつてどんなサークルが入っていたのかを調べてもらった。自治会室の棚の奥からサークルの古いリストが載っているファイル委員が取り出してきた。そして委員サークル名の載った赤茶けた紙をめくっているとかつて開かずの間を使っていたとされるサークルが見つかった。

そこには「社会科学研究部」とあった。昭和30年代に設立されたかなり古いサークルで、他の資料を当たってみると、40年代頃まで存在していたようだった。そこからワンゲル部かどこかが使っていたものの、入居してわずか数年で廃部となり、以降は空き部室となっているようだった。つまりあの部室はもうかれこれ20年以上使われていなかったのだ。

結局、開かずの間から聞こえてきたという謎の声は一体何だったのかは分からなかった。当時はネットも普及していなかったし、俺も忙しくなりこれ以上調べるのも面倒臭くなったからこの件についてはこれっきりだ。

この文章を書く前にネットで調べてみたが、やはりわからなかった。

一体あの開かずの間はなんだったんだ。

2024-07-26

anond:20240726082624

2030-40年代で再ブームになるんじゃねーの

もうちょっとすると本格的な90年代リバイバルが起きて、町中で小室サウンドが流れ出すだろ

2024-07-21

anond:20240720143805

中国アメリカ超えは昔から言われてて、昔は2020年代とか言ってたけど、ちょっとずつ延びて延びて、30年代とか40年代とか言われてる。

とはいえ永遠に追い抜かないというのは流石に楽観的で、Xデーは来るのは確実。

米国ができることといったら、西側の豊かで自由生活を見せつけて、中国民主化を煽って、民主化から国家分裂ってシナリオだったんだろうけど、中国がここまで豊かになっちゃうと、見せつけるものがなくなっちまった

5Gは中国のほうが先行してるし、スマホだけでなんでもできる便利な生活

米国には経済以外にも自由って売りはあるにせよ、大統領議事堂襲撃させたり、大統領候補が狙撃される国に誰が憧れるかつう話で。

意外と米中で近寄るんじゃないの?

役にたたない欧州をきって中国と仲良くしたほうがマシとかいいそう。

2024-06-23

かつて一般攻撃魔法無双の術だった

https://anond.hatelabo.jp/20240623011829

漫画もやたら絵描き評価されてるけど絵の素人にはよくわからない

後追いだとそういう評価になるのは別に間違ってない。ただし漫画家はじめ玄人からの絶賛も正しい。

大友克洋漫画技法」というのは日本マンガ歴史においてソルトラークのもの

斬新さと完成度を兼ね備えていたが故に「特定作家個性」ではなく絵柄(もう少し広く「作劇手法」でもいい)丸ごと咀嚼されて、以後日本ストーリー漫画を描く上での必修科目になった。

これが起きたのはAKIRA(連載83年~90年)以前の、「ショートピース刊行(79年)や「童夢掲載(80年~81年)の頃。

(もちろんどれだけ大友を取り入れたか、という作家個々の選択にもよるが)70年代以前と80年代以降で「なんか古臭い絵柄のマンガ」の比率が大きく違うのはそういう事で、

ある意味その後の絵柄の進化が大きくないとも言えるわけだが)現在でも80年代マンガの多くが絵柄の違和感なく普通に読めてしまう、というのは実はとんでもないことだ。

例えば80年代には40年代マンガなど大半が絵柄の時点で古臭くて読むのに努力がいるものだったが、本来文化特に流行という側面のある大衆文化の変化はそういうものである

ところが、現在マンガ読みにとっては(少なくともストーリー漫画については)、「40年前でも普通に読むに堪える絵柄の作品が多い」という妙な事態になっているわけで、

これには「作劇手法面での十数年分のマンガ進化大友克洋一人で先食いしたせい」というのは多分にある。

大友以前・大友以後」と良く言われるのはそういう話であり、ゾルラーク一般攻撃魔法になったように、我々はまだ「大友以後の時代」に生きているのだ。

2024-06-03

精神障害テーマにしたゲームが好き。

[追々記]

思ったより反応をもらえて驚いています

はてな記法がよくわからないので、間違えていたらすいません。

(少しだけ、一部の表現修正しました)


id:unfallen_castle タイトルを出すこと自体ネタバレになってしま問題

ああ、確かにそれはありますよね。大変失礼しました。

id:atlas_estrela 適応障害休職が決まったかゲームってまかり通るんだ。社会保険料は働く人たちが負担してるんだよな。そんなことも言ったらまずいような空気っておかしいと思う。そりゃ精神障害になる人が増えるわけだわ

ストレスから遠ざかったら少しずつやりたいことが浮かぶようになってきたので、自分に近い体験やそれを乗り越える話を遊びたくなったんだよね。

自分自身でもこんな風に具合が悪くなると思わなかった。自分も、元気なときには療養中の人フリーライドしているような気分になっていたかもしれない。

私があなた不快な思いをさせてしまったら、申し訳ない。こんな体験はできればしない方がいいです。こんなにつらいとは思わなかった。

どうか心と身体にはお気をつけください。

id:molmolmine ゲーム作ってる側なので適応障害になってる時にそんな鬱ゲーして大丈夫か?という気持ちになる。お大事にね。

ありがとう優しい言葉が身にしみます頭木弘樹さんが『絶望読書』で書いていたんだけど、弱っているときこそ、苦しい話に癒やされることってあるように感じているのです。

ゲームづくり、応援しています。いつもゲームには本当に助けてもらっています。心から感謝していますありがとうございます

id:zheyang こういったゲームがどれだけ実際の精神疾患に即しているのか、精神疾患を「びっくり箱」「お化け屋敷」のように扱っているだけではないのか、疑問。

かにエクスプロイテーションな部分もある作品もあるとも感じます。けれど、同じくらい真摯につくっているもののいっぱいあると感じています。よかったら id:otoronoki精神病患者からみる「Hellblade: Senua's Sacrifice」の表現https://jp.ign.com/hellblade/17457/feature/hellblade-senuas-sacrifice とご紹介いただいた、こちらのリンクもご覧ください。


たくさんの作品を紹介してもらえて嬉しかったです。

みなさん、ありがとう

以下、ご紹介してもらったものの一部も書き出しました。

serial experiments lain」 「星空ぷらねっと」 「アリス イン ナイトメア」 「天使のいない12月」 「マイチャイルドレーベンボルン」 「さよならをおしえて」 「車輪の国、向日葵の少女」 「Iris and the Giant」 

「ヒラヒラヒヒル] 「What Happened」 「CHAOS;HEAD」 「CHAOS;CHILD」 「White Door(Rusty Lake)」 「Tell me why」 「カルティストシミュレーター」 「Dreamscaper」 「SWAN SONG」 「シュレディンガーの手(街?)」 「Shady Part of Me」 「精神病罹患したぬいぐるみたちを治療するドイツゲーム https://www.parapluesch.de/whiskystore/test.htm 」……

とはいえ、今は調子がいい感じなのですが、少し調子に乗るとすぐに身動きがとれなくなるので、身体と心の調子をみながら、いろいろ調べてみます

調子の良さと悪さの波を乗りこなすのが大変なのですね。

みなさんも、どうかご安全に!




追記

ブコメでもらったゲームとか、思い出したものなどについても追記してみる。

Needy Girl Overdose

現代デジタル社会インターネット文化に関連するテーマを扱ったビジュアルノベル風のゲーム

ソーシャルメディアメンタルヘルスに焦点を当てている。実況とかで面白おかしく取り上げられたりもしてたけど、にゃるらさんが書いた「承認欲求女子図鑑」を読むと、また違った角度からゲーム解像度が深まる。好き。

OMORI

MOTHER彷彿させる雰囲気で、世界と夢の世界を探索し、さまざまな心理的テーマや謎を解き明かしていくRPG戦闘は少しだるかったけど、遊んでよかった。ファングッズを買うくらい好き。

DDLC

“DDLC”は「Doki Doki Literature Club」の略称普通ビジュアルノベルっぽいけど……楽しかったけど、今回のニーズとは確かにちょっと違うかなー。

カリギュラ

異世界から脱出を試みる学園生たちのストーリーを描いた日本RPGゲームテーマ現実理想の間の葛藤や、社会的な問題に対する反抗などのよう。フリューRPGは何回か手を出して、いまいち楽しめなかったものの多かったので未プレイでした。俄然興味がでました。

CROSS†CHANNEL

FlyingShine制作アダルトゲーム群青学院放送部を舞台とした学園モノ。劇中で同じ時間を何度も繰り返す「ループもの」に該当するよう。(アダルトゲームには疎いのであまり知らないものが多いんだと思いました。全年齢版もあるのですね)

プレイでした。

そういえば昔、沙耶の唄は遊びました。高次脳機能障害認知機能障害?がテーマの一つに感じられて楽しかった。アダルトゲームは確かに病いに関連する作品も多そう。

上に天井がある。

ストレスを抱えた少女が、天井探検しようとする短編心理アドベンチャー



追記終わり]




精神障害テーマにしたゲームが好き。ただ、適応障害とかバーンアウトテーマにしたゲームが思いつかない。

ナイト イン ザ ウッズは未プレイから気になってる。

実は今月から適応障害休職が決まった。自分体験に近いゲームがしたい。そんなゲームがしたい。

以下は、知っていたり、触ったりしてきたゲーム

Hellblade: Senua’s Sacrifice

主人公センアが幻覚幻聴に苦しむ過程を通じて、統合失調症に関連する体験描写。有名。

The Town of Light

1930年代から40年代イタリア精神病院を舞台に、主人公自身過去を探る過程精神疾患に関するテーマが描かれる。

Night in the Woods

大学中退し、故郷に戻った若者メイが自身うつ病不安と向き合う過程を描いています物語の中で、彼女精神的な苦悩が深く描かれています。気になっているけど、未プレイ

Celeste

主人公のマデリンが山を登る物語を通じて、うつ病不安といった精神的な障壁を乗り越える過程が描かれますゲーム難易度テーマが巧妙にリンクして、大好き。

Milk inside a bag of milk inside a bag of milk

不安統合失調症に苦しむ少女牛乳を買いに行く。

Neverending Nightmares

開発者自身うつ病強迫性障害経験に基づいた、ホラゲ。

4PM

主人公アルコール依存症を抱えながら過ごす一日を描いたインタラクティブ短編短編だけど、結構印象に残った。

うつ病の部屋

うつ病を患う主人公の話。マウスが重くなる演出が好き。ゲームゲームを喩えるのもアレだけど、フローレンス的なゲーム

Papo & Yo

アルコール依存症とその影響をテーマにし、子供視点から家族の困難な状況を描いている。アルコール依存症の影響とそれに対する親子の葛藤をどう克服するかについてを描いている。好き。

2024-05-28

弥助で話題のアサクリの日本史

テンプル騎士団

アサクリ世界では、遥か昔に「かつて来たりし者」が超古代文明を築き、強力な遺物をいくつも残した

その遺物収集世界を操ろうとする敵集団が「テンプル騎士団である

ボス戦では遺物を用いたビームを発する武器など使ってくる

騎士団起源紀元前10世紀古代インド釈迦によって設立された「修行教団卍」である

世界中に広がった騎士団は国や時代にあわせて様々な宗教団体企業などに姿を変えながらも遺物による世界支配を企み続けていた

テンプル騎士団に与する歴史上の人物には、アレクサンドロス大王始皇帝クレオパトラフィリップ4世フランシスコ・ザビエルなどがいる


アサシン教団

アサシン教団は、テンプル騎士団の企みに気づき、人々の自由を求めて抗う集団で、主人公

その起源紀元前40年代エジプト

遺物眠る神殿騎士団(当時は"結社"という名)に襲われ家族を殺された男が、騎士団と戦うため前身団体「隠れし者」を結成

アサシン教団に与する歴史上の人物には、ブルータスフィリップ4世徳川家康などがいる


アサクリ世界日本史

6世紀アサシン教団の鑑真は、遺物を隠し守るために唐招提寺建設

阿部仲麻呂と共に唐の騎士団と戦う


遺物の一つである「エデンの剣」は強力な力を持ち、ペルセウスチンギス・ハーンジャンヌ・ダルクなどを主人とした後に、武田信玄の手に渡る

遺物を求めた騎士団フランシスコ・ザビエルは、信玄の孫である望月千代女を取り込み信玄に与する

信玄遺物の力で天下統一を目指すも、アサシン服部半蔵暗殺される

エデンの剣は、信玄と組んでいた織田信長の手に渡る

本能寺の変にて、アサシンのヤマウチ・タカ信長暗殺遺物を回収

豊臣秀吉徳川家康殺害をもくろみ、その忠臣である服部半蔵風魔小太郎暗殺させる

その報復タカ秀吉暗殺

関ヶ原の戦いアサシン東軍支援井伊直弼の陣に加わり、島左近暗殺

アルターエゴ社という多国籍企業隠れ蓑にするようになった騎士団は、1945年アメリカで暗躍し、日本原爆投下をさせた


2013年アサシン教団日本支部ヤクザの陰摩羅鬼(オンモラキ)組に襲撃され、返り討ちにして陰摩羅鬼組を乗っ取り教団の表向きの顔にした

ヤクザもまた、闇に紛れて光に奉仕民衆を守る集団であるとした

陰摩羅鬼組の構成員であるタカクラ・キヨシは最初は反発していたが、アサシンモチヅキ・ケンイチとモチヅキ・サエコに教えを受けて彼もまたアサシンとして生きる道を選ぶ

ナオエ=タカ

炎上している、弥助が主人公のアサクリシャドウ

弥助が注目されすぎてW主人公忍者ナオエが注目されていないが、今までのアサクリ日本史で大活躍していたヤマウチ・タカってナオエじゃね?

アサクリは人種差別性差別など支配自由を毎回描いていた

ナオエは女性差別の風潮が強い中で、男の名前を使って男のふりをして2つの名前を持っているのでは?

アサクリシリーズは各国を舞台にし、主人公名前は各国語「鷹」意味するものになっている

ナオエも弥助も鷹要素がない、ナオエ=タカではないか

タカビジュアルは発表されており、まあ普通に見れば男だし、発表当初は男として描いてたと思うが、ギリ実は女設定いける範囲

天狗のお面つけてる絵とかは、性別偽装に便利そうなアイテムだし

弥助=タカは流石に難しそうだが、その線もなくはない、でもナオエ=タカだと思う

弥助は奴隷立場を逃れて信長の家臣になったつもりで信長に心酔するも、結局は見世物かつ慰み者の性奴隷にすぎず、ナオエが自由を説き真に解放させるのではないか

2024-05-14

垂乳根フェミ」という病理

昭和30年代、40年代まれ

能力は低い

正社員一般事務が無くなったのは差別

・心のよりどころは「バカ少年漫画を読んでいなかった」

・親と同居の「子供部屋おばさん」

場所プライドをかけてSNSで頑張っちゃう

2023-10-18

anond:20231018142213

定年退職後ということは60代だろうから子供時代昭和30年代〜40年代あたりか。テレビアニメの初期からベテランじゃんかよ。ひょっとしてアトムとかをリアルタイムで見てた世代だったりして

2023-07-10

エアロビレオタードタイツ60年代から90年代まで

運動着としてのレオタード小史

レオタードはもともとアクロバットのものだった。40年代存在はしていたが、寒いときの重ね着だった。ヒートテックみたいなものか?

60年代理想女性像は、女性的で成熟したものから、ほっそりして若々しいものに変化した。きれいな脚が魅力的とされ、スカートが短くなる流れと一致している。

レオタードはこの頃の運動着で、水着のようなものと全身を覆うものがあった。水着タイプは下にタイツを着ることがあった。レオタード対照的な明るい色のタイツ流行った。

長袖、半袖、袖なしがあり、首まわりは丸いのからタートルネックがあった。

70年代になると、ファッション全体は60年代サイケデリックな傾向を脱したが、レオタードはまだ人気だった。しかし、微妙な違いがある。70年代になると、60年代の活気のある色と模様がおとなしくなった。人気のあった色はピンクベージュ茶色、暗い緑や青だ。タイツレオタードの色に合わせることが多い。

いたことに、レオタード70年代には屋外の運動着としても採用された。

ただし、exersuitと言われるもので。ボクサーショーツや紐のついたパンツの下に着られたものだ。外観は40年代運動着に似ている。

以前ハンガリーのレオタードについて書いたが、ハンガリー場合は屋外で水着タイプレオタードを着るものだ。

80年代になると、たとえば袖なしでVネック、レッグウォーマーつきといったデザインが出てくる。

ファッション70年代のものと近いのだが、アクセサリが増えてくる。たとえば、バンドやレッグウォーマーだ。

この頃はフィットネス熱の時代としても知られる。ジム出会い場所にもなりさらにおしゃれになった。写真を見ると、なぜかレオタードの上からブルマーのようなものはいているのもある。

これで60年代80年代レオタードの違いがわかるようになった。

一方で、レオタードの衰退については、この記事には記述がない。

へそ出しやブラトップ流行り出したのがなぜかもわからない。

ビキニとは時代がずれている。

https://thevintagewomanmagazine.com/history-of-exercise-fashion/

ソ連の状況

ソ連エアロビ流行り出したのは1990年代だった。

その兆し中央テレビ放送された「新体操」の番組だ(ロシア語から和訳したのでこの訳語が正しいかからない。オリンピック競技とは別物なので「新式体操」とでも訳すべき?)。

レオタードを身に着けた女性が、エアロビ体操ブーム引き起こした。

保守派の人びとの反感にもかかわらず、「新体操」の起源音楽リトミック教育起源もつ20世紀初頭のスイス人作曲家エミールジャックダルクローズに始まる。

もともとリズム感を鍛えるために、身体リズムに合わせて動かすことを発明した。

エアロビクスは「新体操」とは違う点がたくさんある。

有酸素運動60年代米国のケネスクーパーにより開発され、女優ジェーン・フォンダにより人々に広められた。元々彼女にとっては体操趣味であった。

当時のソ連運動労働者向けに作られた30年代のもの踏襲されていたので、新しいものが導入された。西側であるとの批判をかわすため、番組は「新体操」と呼ばれていた。

https://kulturologia.ru/blogs/160519/43125/

感想

同じレオタード流行った時代でも、タイツをどんな色と合わせるかなどの流行りすたりがあったことは知らなかった。「うる星やつら」とか「キャッツアイ」とか学研頭脳開発ビデオ「わくわくひらがな」でみたレオタードなども、その時代を反映していたのだろう。

また、時代のよって女性理想ファッションや体格が変わってきたのも再確認できてよかった。人気のハリウッド女優によって金髪ブルネットの人気が変わってきたのは知っていたし、楊貴妃の頃はぽっちゃり系がモテたとかそんな話を聞いていたが、ここでも実証された。

世界史を学ぶ醍醐味はここにある。自分の好みや思想もその時代の趨勢とは無縁ではないし、価値観なんてあっという間に変わってしまう。好きなファッションをすればいいし、価値観自分の頭で考えないと大勢に流されっぱなしになってしまう。

そういえば以前書いたが、ソ連のほうがレオタードの導入が早かったらしいことは興味深い。

疑問

先ほど述べたが、レオタードの上からショーツ型(パンティー型)の服を着るケースがあるが、なぜだ?

下の記事11番目の写真も参照。

https://www.elle.com.au/health-fitness/workout-clothes-throughout-history-12669

ブルマショーツ化の流れとも関係しているかもしれないが、証拠を見つけるのは難しいだろう。当時の美意識を(フェティシズムを?)反映していると立証するのはどうすればいいのか。できるのは、同時期のファッションだったという指摘をするだけだ。

今後の展望

最初の項目で引用した記事は他の運動着についても記載しているので、そのうち概略を説明する。全訳すると著作権的にまずい。

かにも、へそ出しファッションが許されるようになったのはいつか、ビキニとはどれくらいずれているかについても調査したい。考えてみればビキニ歴史も意外と知らない。

また、レオタード衰退の理由も知りたい。上のへそだしとも関連するが、スポブラタイプ運動着が流行ったのはいからについても気になる。

ところで、最初ブルマーについての記事投稿してから3年が経った。速いものだと驚きもするし、自分オブセッションの変わらなさに呆れもする。

2023-02-17

40年代の頃は集団離村や集団移転が出来たんだが今だと滅びゆく村をNPO派遣隊で村おこしして存続させようとかいう論が強くて心配になる

主だった産業もなく高齢化になりデイサービスもない村

それに電気水道インフラを掛ける国家

とはいえ集団移転してしまうと中国人とかが土地を買い占めてイリーガル土地形成してしまうし国土防衛を考えると分散都市計画にしないと危ういよねっていう話

人口ピラミッド少子化に向かっているからいつまでコスト掛けて維持できるんだろうね

2022-12-30

JAFを呼ぶ

年末に運搬用のトラックが動かなくなった。

普段は何とか自社まで持ってきて、自社で整備するかあるいは近場にある馴染みの整備工場で修理する。

うちは40年代に造営された古い工業団地工場があるから、近くには似たような業種やそれをサポートする整備工場がある。

車検とかローンとかもそこでやるしね。

でも今回はダメで、具体的な場所は言わないけどかなり遠く、また往来も少ない場所で自走不能になってしまった。

困ったなぁって社長奥さん専務と話してたらさ、社長の父さんって80代だけどまだ現役でたまに工場に顔出すんだけど、そのじいさんが「ジャフを呼べ」っつーわけ。

何だそれはそんなもん入ってたか? とか社長専務とで話をしてたら、社長母親まで顔を出してきた。

社長の母も80代で、その年代特有テンションの高い社交スキル工場を切り盛りしてきた女だ。アメとかすぐ寄越すタイプ

実は社長の母っつーのが本家筋にあたるわけで、社長の父は優秀なスキルを見込まれ婿として家を継いでいたのだそうだ。その時はじめて聞いたんだけど。

からたまに社長のお母さんは古い決まりごとだとか昔のやり方だとかを話したりすることはあった。明るい性格から押し付けるとかはないんだけどね。

それで、工場をこの場所に建てた以前からの古い契約、具体的にはここに移ってきた時に交わした総合的な契約の中にジャフってのが含まれているということだ。

80代の2人の記憶は互いに曖昧で「あーでもないこーでもない」と思い出話を含め語り始めてしまったので、専務書類のありかを教えろとはっきりいう。

探したところ、パソコンの中の古いpdfデータに含まれていた。連絡用の番号やアドレスが到底今では使えそうのない桁番号のため、俺がジャフの現在の連絡先をネットで調べることになった。

「こんな田舎まで来れるのかね? ジャフって」

「昔、西の方で路肩に落ちたのを引っ張ってるのをみたよ」

青い車

連絡先はすぐにわかり、俺が打電することになった。

こーいうのは契約時の契約番号を言えば相手もことを進めやすい。契約pdf文字列手書きメモに移す。会社工場から電話パソコン距離がある。

JAF対応は丁寧で、場所を示すと「今から行く、ただ年末でみんな氷で滑ってるから4時間みてくれ」とのこと。

車両のある現場まで俺も見に行くことになった。

途中のセーコマであったか缶コーヒー買って、保温装置に入れて現場へ。

車の温度計マイナス14度。現場の2人はいろんな意味で青ざめていた。


距離用のジョンソンタナカドライブから一般航空用起動への切り替え音が、どこともない天空から届いてくる。

JAFがきた。

12輪の空陸両用車で、近くの路肩ポートに静かに着陸。青と白と橙色の車体は往古からのしきたりなのだそうだ。

自衛隊の空陸車両はここらでも見かけるが、それよりもやや小さい感じだ。

「どうもJAFでーす」

お疲れ様です」

「あげれば自走する感じですか?」

「そうっすねエンジンかかって動きはしますので、・・・上げていただいてもっかい判断かなと思いますけど」

了解しました」

手早い処理で道路車両が上がってくる。30分くらいだろうか。

俺も運転の2人も車を仕事にしてるから、何も言わずただJAF仕事を見ていた。

JAFの人の缶コーヒーを渡しながら語りかけてみた。

「こんなとこにも来れるんすね」

ガニメデ拠点ありますから割とすぐ来れましたよ、もうちょい田舎だったら時間かかりますけど」

年末でも大変ですね」

「この時期って滑る帰省とかもあるんで。でも天球って色々あるから季節も色々で、常に忙しいんですけどね。ただこの時期は特に

ありがとうございます

「いえいえ契約してればそこにはいけるということですから

復帰した車両と2台で会社に戻る。社長夫婦と先代夫婦が待っていた。

社長たちもこれを機会に古い話をもっと聞いておこうという気になったみたいだ。

なんだか年越しのような雰囲気で成り行きや顛末をみんなで語り合った。

ストーブの上のヤカンが水が少なくなってカンカンと音を立てていた。

ということでJAFってすげーって話。

2022-11-10

20世紀米国の提灯ブルマーロンパースーツについて

無断の翻訳は直作権の侵害に当たるので本文は削除。

一部引用範囲内のみとする。

1910年代までに、たいていはミディブラウス訳注セーラー服みたいな襟・ひらひらがあるブラウスのこと)つきのブルマーパンツは、多くのアメリカ高校体操着として採用された。サマーキャンプでも着られたとも思われる。1940年代までにはブルマー中学でいまだに採用され続けていた。女子ブルマー比較的足が長かったが、徐々に短くなった。特に40年代女子の間でショーツが人気になった頃はそうだった。20年代には長くて黒いストッキングといっしょにはかれていたが、これは30年代には衰退した。40年代になるまで、一般的学校ではショーツ女子に適切だとは考らえていなかった。ブルマー50年代から60年代まで、ずっと短い足へとかわっていった。ミディブラウス付きのブルマーから一体型のロンパースーツに形式が変わった。明るいブルーのロンパーで、ショーツのように短かった。私が1957年から61年のあい高校に在学していた頃、女子はひどく古臭いと考えていて、子どもっぽいとも不満を言っていた。ロンパースーツはアメリカ高校で広く着られていた。

女子ブルマー1910年代から30年代には足が長かったが、徐々に短くなり、1940年代にはショーツ女子の間で人気になった。1920年代には長くて黒いストッキングとともにはかれたが、30年代には衰退しはじめた。言える限りでは、ブルマー衣装は体育だけのものだった。

1960年代から70年代になるまでは、多くの学校では一般的ショーツ女子に適切な格好だとは考えていなかった。ロンパーの衣装はずっと短い脚で、セーラー服の要素と共に、1950年代から60年代まで生き残っていた。スタイルはミディブラウス付きのブルマーからワンピースタイプロンパースーツに変わっていった。ミディブラウスの要素は背中ひらひらに残っていることもあった。

ロンパー服は女子が主に体育やサマーキャンプで来ていた。これらのロンパー服はアメリカ高校で広く着られていた。ほとんどのアメリカ高校ではブルマーとミディブラウス体操着があった。これらの服はサマーキャンプでも着られていた。ブルマーあるいはロンパースタイル体操着1960年代になってもアメリカ学校で着られていることがあった。


【元サイト

rompers : gender connotations Gym and Camp Uniforms

個人サイトのせいだろうか、誤字脱字がかなりある。中には1つの単語複数スペルミスがあるせいで、正しい綴りの推測が困難なものもあった。表現の重複もある。

なお、こうした上下一体のロンパースタイル体操着ブルマについて書いた別のブログを見つけた。そっちのほうがわかりやすいので近々そっちも訳す予定だ。

雑感

提灯ブルマーについて調べようと思っていたのだが、ロンパースタイル体操着があったとは知らなかった。

しかし、実は以前に上下一体の体操着について書かれたサイトを見つけているし、以前つぶやいたロシアレオタード体操着とも関係していそうである

https://meshok.net/en/listing?partner=41680&related=%D0%94%D0%B5%D0%B2%D0%BE%D1%87%D0%BA%D0%B0+%D0%B2+%D0%BA%D1%83%D0%BF%D0%B0%D0%BB%D1%8C%D0%BD%D0%B8%D0%BA%D0%B5+.+%D0%A4%D0%B8%D0%B7%D0%BA%D1%83%D0%BB%D1%8C%D1%82%D1%83%D1%80%D0%B0+%D0%B2+%D1%88%D0%BA%D0%BE%D0%BB%D0%B5.+%D0%93%D0%B8%D0%BC%D0%BD%D0%B0%D1%81%D1%82%D0%B8%D0%BA%D0%B0+.1973.+%D0%94%D0%B5%D1%82%D0%B8.++%D0%A1%D0%BF%D0%BE%D1%80%D1%82.

それと、和訳をしてみて思ったのだが、英語英語のまま理解するのとは別の難しさがある。語順を変えないと読みやす日本語にならないし、英語理解したあとで日本語文章にするという二度手間が発生する。なるほど、英語先生英文英語のままで理解する方が訳すより速いと言っていたのはこういうことだったのか、とあらためて納得している。

まったく関係ないが、露出度の低い体操着でも男子の目を引こうとする女子はいたのだなあ。

2022-05-09

中絶禁止から見た中絶擁護派のバカバカしさ(知能の低さ)

プロチョイス派はまったく感情論しか反論できておらず、「私はそれは嫌だ」としか言っていない。と言うか、そうとしか言えないことが、中絶自由を含む女権至上主義が、根本的に人権思想齟齬を発生させていることの現れだろう。理屈反論できているならばしているはずだからだ。これは中絶問題だけではなく、トランスジェンダー問題等、女権が他者の基礎的人権を著しく毀損していることの現れであり、もはや女権の一点突破では人権侵害が許されなくなってきていることにもつながっている。

は?こんなのただのミソジニーだろ

語るに落ちるとはこのことである思想信条個人自由であるので動機ミソジニーであろうがミサンドリーであろうが関係のないことだ。それはどのみち当人を含めて証明可能性は無いのだ。人権思想に則って論理展開をしているのであれば、その齟齬を提出すればいいのであって、しかフェミニズム関連ではほぼ100%毎度毎度このようなリアクションばかりであるこちらがミソジニーであろうがそちらがフェミニズムであろうが裁かれるのは行為だ、思想ではない。現に胎児を殺していることが批判されているのである

妊娠出産ってとてもつらいのよ~。そんなのを他人強制させるなんて…

生物種としての普通の営みである。私は出産強制したとしても、マクロでの影響はほぼ無いと思っている。ほとんどの女性出産していた昭和30年40年代50年代データにおいても男女の寿命格差は同程度だった。出産を間に組み込んだとしても女性は死ななさすぎるのである寿命格差是正と言う意味では、もっと死ぬべきだろう。数年単位寿命が短い(身体が弱い)男性に対して、最悪徴兵制およびそのバリエーションのような女性のみが受益者になる負担押し付けることが受忍限度内であれば、胎児生存権との比較で、出産女性が死んでもそれは受忍限度である。それが嫌ならば妊娠しなければいいのだ。

女が殺人罪ならば男も同罪だろ

私は別に同罪でもいいのだが、根本的には胎児生存権とのコンフリクトが誰との間で発生しているか問題だ。中絶殺人だとした場合殺人企画者(両親)と実行者(医師)が殺人罪になるのは当然である問題はその企画者に男性が含まれるのかどうかである男性同意必要である場合は、当然、企画者に含まれ得る。しかし多数のフェミニストが主張するように、男性同意必要なければ、当然、それは女性のみの責任に帰せられる。セックス関係ない。それは2人の成人同志の合意によるものであり、社会やまして胎児には関係のないことだからである私的契約なのだから、その範囲内であらかじめ条件や約定をつけておけばいいことであって、生物構造上、女性妊娠から逃げられないと言う事実それ自体は、男性には無関係である女性自身でそれを踏まえてうえで自己防衛するべきことであり、胎児にその負荷を負わせるべき理由は何もない。つまり中絶に関しては関係者すべてが罰せられるべきであって、男性医師場合によっては無関係者でいられるだけだ(非合法の飲み薬などで堕胎した場合)。ただし女性だけは逃げられない

これは女性専用車両などでアプリオリ痴漢案件とは無関係ゲイ男性などが負担強制から逃げられないのと同じことで、他人様に負担強制させておきながら、自分が選んだ結果で生じる負荷からも逃れたいと言う女たちはまさに「どの面下げて」と言う話である

2021-11-09

anond:20211109235656

昭和50年代や40年代でもどこの家にもあったような気がするな。

2021-09-13

anond:20210912205539

―― 9月8日経済政策の会見で驚いたのが、「新自由主義からの転換」を掲げていたことです。「新自由主義」という言葉は、野党政府政策批判する文脈で使われることが多いからです。例えば、立憲民主党枝野幸男代表の著書「枝野ビジョン」(文春新書)には、Kindle検索すると29回も「新自由主義」が登場します。記者会見では「令和時代中間層復活」をうたっていますが、かつての民主党「分厚い中間層」という表現を使っていました。

岸田: それはね、民主党がパクったんです。我々、宏池会昭和30~40年代、それを一生懸命言っていました。最近民主党からそういう声が出てくるから、我々宏池会としては複雑な思いで見ておりました。ぜひ、歴史を見てください。昭和30~40年代に、分厚い中間層、まさに池田内閣所得倍増論...。我々宏池会一生懸命訴えていたワードであります

記者は「立憲民主党」と「かつての民主党」を明示的に区別しているのに対して、岸田は「民主党がパクった」「最近民主党からそういう声が出てくるから」と応答している

民主党がパクった、の部分について、民主党 (~2016)を指していることに異論はない

しかし、その直後の「最近民主党からそういう声が出てくる」は「最近立憲民主党(の枝野代表野党)が、新自由主義という言葉を使っている」ことを指しているように読める、というか「最近」という言葉があるのに、5年前の2016年まで存在した民主党を指すとする理路が不明誤読しているのは増田の方ではないか

岸田は立憲民主党のことを「民主党」と表現したのだから、(岸田に本当に悪意があったか別にして)yas-mal氏のブコメは特段おかしくはない

意図的無視したのだろうけれど、記者質問の時点で「かつての民主党」と並列して立憲民主党にも言及していたこと、岸田が9/8の記者会見で掲げた「新自由主義」は立憲民主党枝野野党がよく言っていますよねという記者からの前振りがあっての回答だったこと、岸田が「最近」という表現を使ったことに触れていないので

テメエの国語の点数が0点

だと思います

2021-09-12

yas-mal国士「どういうつもりで「民主党」と言ってるんだろう。」

「それはね、民主党がパクったんです」 岸田文雄氏が「新自由主義からの転換」を掲げる理由インタビュー

https://www.j-cast.com/2021/09/11420086.html?p=all

yas-mal

どういうつもりで「民主党」と言ってるんだろう。

安倍氏の「民主党の、あれ民主党じゃなくて今、立憲民主党ですね。

どんどん変わるから覚えるのが大変」と同じ陰湿なことを無意識にやってる?

2021/09/11 リンク yellow53yellow

ヤバい

   

何故ヤバいのかって、

少なくとも知能健常な日本語ネイティブの成人が記事を読めば

「どういうつもりで民主党と言っているか」は明らかだから

  

 

1,「民主党」の指すものを間違えて読んでるし、政治知識も貧しい

記事の文中から国士の疑問に答えられる部分を抜き出す。

記者会見では「令和時代中間層復活」をうたっていますが、かつての民主党は「分厚い中間層」という表現を使っていました。

 

岸田: それはね、民主党がパクったんです。我々、宏池会昭和30~40年代、それを一生懸命言っていました。最近民主党からそういう声が出てくるから、我々宏池会としては複雑な思いで見ておりました。ぜひ、歴史を見てください。昭和30~40年代に、分厚い中間層、まさに池田内閣所得倍増論...。我々宏池会一生懸命訴えていたワードであります

はい問題です。

Q.ここで記者と岸田が言ってる、

  「『分厚い中間層』という表現を使っていた民主党」「宏池会から表現をパクった民主党」とは次のうちどれのことでしょうか?

1.枝野さんとこの立憲民主党

2.玉木さんとこの国民民主党

3.2016年解党した民主党

 

 

正解は3です。

 

まずこれ、多少の政治厨なら答えられて当然なんですよね。

だって「『厚い中間層』『豊かな中間層』って野党に転落したあと海江田さんが代表の頃に結構言ってたスローガンじゃん。

当方別に政治厨でもなし民主党支持者でもないけどこれぐらいなんとなく覚えてました。

 

yas-mal国士なんかしょっちゅう政治ブコメしてるし野党支持者なんですよね?

それでこれピンと思い出せないのなんなの?

単純にすげー記憶力悪いか、これぐらいの党の大方針スローガンすらそもそも認識してなかったってコト?

この人こんなザマでなんの為に政治厨やってるんだろう…

 

 

ともかく

「どういうつもりで「民主党」と言ってるんだろう。」

の答えとしては

正式名称が「民主党である政党1998年から2016年まで存在してたやつ)の話をしてるから民主党」と言ってるんだよ」

です。

アホか。

 

 

2.最低限の日本語読解力もない

そんでここから本番なんですが

百歩譲って国士民主党方針を知らないのを許す、

もしくは記憶力が悪くて思い出せなかったのを許すとしても、

健常な普通の知能の人なら「記者と岸田が言ってる民主党はあっちのほうの民主党だな」ってわかるんですよ。

 

だって記者がはっきり

かつての民主党「分厚い中間層」という表現を使っていました。

って言ってるんだもの

岸田も記者の「かつての民主党」の話を受けて昭和30年からスパンが長すぎる宏池会昔話で応じており

この段落が両者ともに過去の話をしてるのなんか一目瞭然。

 

何の前提知識も無くても問題文さえ普通に読めたら

「ああ現存する枝野さんとこや玉木さんとことは別の政党の話をしてるな」ってわかるんですよ。

 

無理に行間まで読めば現枝野家玉木家もにらんで話してる部分はある!とか言えるでしょうが

それだって宏池会をパクった民主党」の話から連続する文脈であって

枝野や玉木のとこをわざと間違えた党名で呼んで侮辱しているなんてことは岸田の言にも記者の言にもどこにも読み取れないんです。

    

yas-mal

どういうつもりで「民主党」と言ってるんだろう。

安倍氏の「民主党の、あれ民主党じゃなくて今、立憲民主党ですね。

どんどん変わるから覚えるのが大変」と同じ陰湿なことを無意識にやってる?

2021/09/11 リンク yellow53yellow

まりこれは、

問題文を平易に読解する事すら出来ない低能の分際で他人様には何の躊躇もなくオッカムブレード振り回す癖のある人が、

岸田のミスですらない自分の読解ミスを「岸田の悪意である」という風に読み取って大声で吠えて、

同じレベルの〇〇がよくわかんねーまま☆をつけたという、

はてな名物絶望低能サイクルなわけでしょう。

「どういうつもりで」じゃあねーんですよ。 

  

 

3.記者によるバカプルーフすら貫通し無効化する

更に、万が一にもバカが混乱して読み違えるといけないって

記事の冒頭に記者がはっきりと内容の要約を書いてるんですよ。引用します。

かつての民主党「分厚い中間層」を主張していたが、岸田氏によると、このフレーズは「民主党がパクッたんです」。

自らが率いる宏池会(岸田派)が昭和30~40年代に「一生懸命訴えていたワード」で、

旧民主党アピール「我々宏池会としては複雑な思いで見ていた」と明かした。(聞き手構成J-CASTニュース編集部 工藤博司)

ね?ヤベーでしょ? どの民主党の話かはくどいほど明記されてんの。

国士達はこのようなバカ向けの混乱防止策のフレンドリー要約も読み飛ばしてるか、読んでも意味がよく分からなくて、

結果として記事タイトルや文中に出てくる「民主党」を取り違えてるわけ。

 

Q.どういうつもりで民主党って言ってるんだろう?

A.どういうつもりもクソもかつて(2016年まで)あった民主党って政党正式な党名が民主党ですが、その質問こそなんですか?

普通の人から見たらなんだその質問?どういうつもりで言ってんの?ですよね。 

 

 

国士達はマジで何をどうやりゃこうなるの?

たぶん目は文字の上を通ってても殆どの部分の意味が読み取れてないというか脳の中で像を結んでない。 

そして部分的に切り取った因縁つけポイントですら盛大に誤読している。

部分すら読めないなら何なら読めるんだよ。

 

今回たまたまそれを「岸田の悪意の当て擦り」と勘違いしてブコメという形で外に出したか誤読が外部からも気付けるんだけど。 

おそらくこの何十倍何百倍ものアウトプットされない誤読や混乱や頓珍漢な憤りが国士達の脳内を駆け巡ってるでしょ。

それは本当に誇張とか揶揄か抜きになにかの脳の症状に見えるんですけど。純粋善意で適切な科の受診お勧めするやつ。

 

 

4.低能政治厨について 

政権批判与党政治監視自体結構ことなんだけど、こんなレベルのこういうの、

岸田とJCAST記者政策に関する会話程度も難しくって読めないから迂回して、

なんとか読める部分すらタイトル以外の本文はぼわぼわーッと読んで、

「岸田が意地悪な当てこすりで民主党って言ってる!」という突入口を見出して、

それで政権批判みたいな感じに意気揚々ブコメに書いて、

テメエの国語の点数が0点なだけでした、

こういう感じの活動、これ誰の役に立ってるの?

 

もっと言えば国士達の自分自身の人生にすら資してるの?

 

 

ネット毎日のように政治活動してる人のモチベーションって

ビジネスになってる人を除けば

・知能はまとも若しくは人より高いけど人生に辛いことがあって人格が歪んでいる人

・標準よりかなり頭の動きがまずくて、相手してもらえる&一体感持てる場所ネット党派性だけの人

みたいに分類できると思うんですよね。ざっくりね。

  

そしてJCASTニュース程度の記事でここまで壊滅的に本文読めないタイプ人達って言うのはウヨであれサヨであれ後者で、

あるレベル以上の学業仕事生活においてきっと適応しにくい生きづらさを感じる場面多かろうと思うんです。

そういう生きづらさや適応の出来なさの代償行為としてネット上の左派風のtweetブコメやってるってことない?

 

ただそれでもあなた達のやってることは左派ですらないんですよ。

だってそもそも左派って右派よりずーーっと頭いい人達じゃないとできないものから

ネットニュース記事すら読めない人達左派活動にも絶対支障出る。

頭の悪い左派って本来なりたたないから。

  

5ページのネットニュース日本語も読めない人が左派っぽい自意識ネット政治活動したって

左派思想とかけ離れた頓珍漢な問題意識の憤りを繰り返したり、

反ヘイトと言いながら思慮の浅い憎悪に身を任せたり、

反レイシズムと言いながら隣国ナショナリズムに阿ったただの隣国視点国士様になったりするわけでしょう。

 

そういうの一体誰の役に立ってる?

当該ブコメの人とそれに☆付けた国語が0点の人達

一度自分生活人生を考え直してみて欲しいと思うんです。

 

 

5.「左派」と一口に言っても

別に左派とかはてなリベラル的な人の全部がゴミだと言ってるわけじゃなくて、

はてなの中でも上の分類でいう前者、つまり知能は標準以上だけど人格異常によって政治厨やってる人のうちの左側であるところのはてなリベラル

こういう人達は少なくともちゃん政策について意味のあるツッコミも出来るだろうし、

政権批判権力監視の意義も出てくるわけでしょう。

 

これ前者も後者も「同じ左派」みたいになんとなく一緒くたにされてるけど性質機能も意義もまったく別種の生物ですよ。

まあ前者は凄い少ないんだけど。何人かはいます。10人はいるかどうか。

本来左派というものは人に抜きんでて頭いい人しかなれないんだから希少なのは当たり前です。)

 

ともかくウヨであれサヨであれ、

後者タイプの人が世のため人のため自分人生のためにやるべきことは

政治活動じゃないと思いますけどどうなんすかね。マジで

当人の為にもっといい場所やいいミッションがあるんじゃないのという気がします。

 

追記

le_cinema

はてなで晒上げが規制されない理由PVが稼げるから。晒上げや個人PF誹謗を書き込んでいるのはいつも決まった古参ジジババID。彼らは炎上着火マン(PV稼ぎ)としてはてなにとって便利なので放置【結果】はてブ過疎化

2021/09/13

これを晒し上げというならはてなブックマークとかいサービス自体晒し上げ誹謗サービスちゃうんか。

 

かつてかっこいいサービスだったはてブがいま完全に斜陽になってるの、目立つ利用者が「普通よりかなり頭いいエンジニアからめっちゃ頭悪くてネットニュースすらまともに読めないけど党派性頼みで吠えたける政治厨」に入れ替わっちゃったからじゃないっすかね。

忌憚のない意見ってやつッス。

 

 

RRD 言いたいことは色々あるが、100字対増田は圧倒的に不利なのでやめておく。

是非トラバでもダイアリーでもnoteでも使って3000文字くらいでまとめてくりゃんせ。

ちゃん反論出来る人を決して悪くは扱わないか安心して。さあ。

 

 

国士の凄み

yas-mal インタビューワーの最後の一文見落としてたわ。めんごめんご。枝野氏の本の話からの流れだけだと思っとった。

2021/09/13

この釈明もも殆どの人が「???」ってなると思うんですけど

国士が見落としたと主張する「最後の一文」とは一体なんなのかってことです。

 

記者と岸田のやりとり全体がかつてあった民主党の話を指してるっちゅう話だし

かつての民主党「分厚い中間層」を主張していたが、岸田氏によると、このフレーズは「民主党がパクッたんです」。

自らが率いる宏池会(岸田派)が昭和30~40年代に「一生懸命訴えていたワード」で、

旧民主党アピール「我々宏池会としては複雑な思いで見ていた」と明かした。(聞き手構成J-CASTニュース編集部 工藤博司)

というわかりやすーい要約は冒頭です。

 

なんとか軽い感じで流そうとしてるこの釈明がもう

問題誤読とも重ね重ね指摘されてることとも全然噛み合ってないでしょ?

 

国士のことわかってなくてかつ読解力健常な人ほど逆にこの異常を理解するのが遅れがちで、この増田読んでも「明らかな誤読だけどたまたまケアレスミスでしょ…」「そこまで言ったらいじめやん···」みたいに受け止めがちかもしれないけど、全然そういうんじゃないんですよ。国士のこういうの何回か注意深く見てるとわかる。

 

本文読めてないし、誤読だぞとネッチリ突っ込まれガイドされたうえでも本文読めないし、何言われてるのかもボヤーーーッとしかわかってない。横着やケアレスではなくたぶんほんとにどうやっても読めない。

 

その状態のまま咄嗟かつ軽い感じに

能力問題ではなくケアレスミスですという方向で流そうとしてまた普通の人からすると「???」な言い訳をしている。

 

 

別に揶揄とかじゃなくて本当に何かあるぞと言ってるのはこれです。

 

国士たぶんリアルでもこういう困難に何度も直面して冷や汗かきながら言い訳して誤魔化せたり誤魔化せなかったりしてるでしょ。

 

ネットでやってるのが政治厨なのも、党派性の中に入りこめば話の噛み合わん変なこと言っちゃっても異常に気付かれにくい(知能健常人格異常者と区別がつきにくい)からで、居心地いいとこ探っていってそうなってる可能性がある。

 

そういう国士タイプ左派もどきの人が相当数いて、アリの真似してるけどアリと別種の虫みたいな感じ。

 

···というのがこの文で指摘したかった最近の観察所感です。

原因は誤読党派性にあるとはいえ低能だの治療必要ってさすがに批判を通り越してイジメじゃないの?そら晒し上げで嗤うのがインターネット仕草だけどさ。これはあまりいい気分はしない。

2021/09/13 リンク

前は自分党派性が先にあって変なこというんだと思ってましたし、たぶんそういうタイプ政治厨(文中で分類した「知能人並み以上人格異常タイプ」)は実在します。

でもそれと全く逆のなりたち(能力が先にあってその適応としての党派性)の別種が相当数いて一緒くたにされている。 

 

 

トラバ

岸田は枝野立民も含めて苦情を言っているという反論は的を射てる。一番スジのいい反論

 

けどそこはフォローしてっから枝野玉木をにらんでる部分はあるかもしれんが2016立民との政党連続性で言ってるだけであって、わざと党名間違えてあおってんじゃないだろ」と書きました。

 

5年前に消えた政党のことをメインに指して「最近」はおかしいという反論についてはスパンが長すぎる宏池会昔話伏線になっていて、岸田ぐらいのジジイは5年10年は「最近」です。王都民の応仁の乱がこのあいだなのと同じ。 

 

中間層うんぬんを「民主党」が言い出したのは枝野立民からでは絶対ないし、記者もそれがわかってるからかつての民主党~で話振って岸田が応じてる。岸田の認識する「パクり」が始まった「最近」は確実に枝野立民よりずっと前からの期間を指してます

 

以上のような感じでその反論は届かないけども、

増田が予期した一番国語的に健常というか定形反論はこれ。

もし国士がこういう風に反論してくるなら悪あがきだけど低能とまでは言わないし、ケアレス誤読の口滑りだったんだなと理解する。

 

でも実際の国士の釈明は全然こんなレベルじゃなかったでしょ。まるっきり答えになってない悪あがきも出来てない。言われてることがマジでからないまま言い訳してるのがまともな反論と比べると良くわかる。

 

あといじめじゃねえか優しく言ってやれよというブコメがあるけど、優しくIDコールで教えたらたぶん無視すると思うよ。だってコール内容が妥当な指摘なのか言い掛かりなのか自分判断つかないから。

 

今回だって国士はたぶんブコメ雰囲気をみて「どうも自分が間違えたらしい」とぼわっと判断してる。だって釈明見てもわかるとおり、何いわれてるか全く把握してないから。 

 

あと個人をどうこうよりこのタイプの人が相当いるし、このブコメに星つけてた人達なんかも同類がかなりいるでしょ。そういう全体について言ってる。タイトル国士だけど内容読んだらわかるでしょう。

 

「読んでないんじゃないの」について

Euterpe2 単に本文読んでないだけのような…

2021/09/13

mobile_neko 単純に本文未読でブクマしたとかじゃないのかね

2021/09/13

the_sun_also_rises こんな難しいことじゃなくて「タイトルしか読んでない状態ブクマした」だと思ってるよ。そして同じくタイトルしか読まない人が☆をつけた。はてブの水準を表す事例と思う。タイトル脊髄反射な人多いと思うよね。

2021/09/13

あなた達は自分基準にこう考えてる。

「読んでたらこんな誤読するわけねーだろ、

 だからこいつはタイトルしか読んでないだけだろ。」

 

自分も前は同じ予断を持って

「こいつらタイトルしか読んでねえだろ」と思ってたしそういうツッコミをしてた。

けどしばらく眺めてるうちに、

あっこれたぶんそういうことじゃないんだな、ってなって、

大変だなと思ってこれを書いてるわけよ。

 

今回にしても当人の釈明ですら「読んでなかった」とは言ってないでしょ。 

逃げを打つならむしろそっちの方が楽なのに。 Permalink | 記事への反応(7) | 20:55

2021-06-24

anond:20210624131922

育ちが良いんじゃなくて会社がそこそこ歴史のある会社なんだろう

 

30歳未満の子おっさん・おじいさんから小職を継承するのはみていて感慨深いものがある

小生はビジネスでは機関紙コラム寄稿しか見ないし流石に30歳未満では見たことない

 

男が「〜かしら」と言わなくなった。( anond:20200828085821 )

 

昭和30-40年代あたりを境に聞かなくなった言葉

https://anond.hatelabo.jp/20200828084941

 

・・・でも書いたけど、

アラフォー未満で "かしら" を使うのはオタクネットジャンキーだけど

年配の人はオタクネットジャンキーでなくとも "かしら" 使うぞ

"あたし" を使う爺さんもおったぞ

2021-01-21

鉄板ネタ「真戸の手」

というネタ検索しても、何年経っても検索トップで引っかからず。

これはTwittermぽ同じ。

考えてみれば「窓の手」は40年代層で、東京喰種ギリギリスマホ層。

層が合わないとダジャレが出てこないのか?

2020-09-07

フィギュアスケートの見せパン新体操レオタード陸上ブルマー

フィギュアスケートは見せパンじゃないけれどさ

初めてスケートリンクに遊びに行ったとき普通にスケート教室リンク中央で開催していた。そこで自分と同世代女の子たちが、きれいに足を上げて滑っていたのだけれども、いつものようなパンチラとは違って普通にお尻の曲線をずっと眺めていることができてしまって、僕は滑るどころではなかった。

性に目覚めたころ、こんな目で女の子を見ちゃいけないと思ってはいたのに、自分ではどうしようもないほど強力な衝動に襲われていて、自分自分でなくなってしまいそうで本当に怖かったし、初めての射精とき呆然として、それから怖くなって涙が出てきた。男性だって、性の目覚めってのは怖いものだということは、広く知られていい。今となっては、とてつもなく図太くなってしまったが。

ところで、フィギュアスケートだ。その名の通り、元々は氷上に図形を描くスポーツであったのだが、その優美さと技を競うものになっている。氷の上を滑る技術のものは非常に古く、スケート靴も先史時代にさかのぼるという。

で、そのスケート競技になって以来、女性たちはどうやってパンツが見えることを防いできたのか。今のようなレオタード以前はどうであったのか。調べてみると驚きの結果が出た。なんと、戦前にさかのぼる見せパン発見された。以下はその資料である

https://qz.com/quartzy/1191926/spandex-sparkle-and-pure-athleticism-a-photo-history-of-figure-skating-fashion/

1928年ドイツのEllen Brockhöftによる滑走。

https://www.liveabout.com/illustrated-history-of-figure-skating-clothes-1283059

1948年、Barbara Ann Scottのクラシックスケートスカートミニスカートになっているのは、戦時中の繊維不足のためだと書いてある。にわかには信じがたいが、これ以来スケートスカートが極端に短くなったのだという。

また、同資料では、スカートがどのようなフリル付きレオタードに移っていったか写真掲載されている。

https://www.insider.com/olympic-figure-skating-dress-evolution-2018-2#later-a-fabric-shortage-in-the-1940s-forced-many-competitors-to-opt-for-figure-skating-dresses-with-higher-hems-5

こちらの資料でも、繊維の不足がミニスカート化を加速させたと書いている。

同じくBarbara Ann Scott、1948年オリンピックである

https://www.cosmopolitan.com/style-beauty/fashion/g15064708/how-olympic-figure-skating-costumes-have-changed-through-the-years/

同じく1948年アメリカのGretchen Merrill。興味深いのがベルトを身に着けていることだ。当時ではフィギュアスケートアクセサリーとして使用されていたが、60年代から70年代ワンピース型の衣装の普及とともに廃れたとのこと。しかし、ベルトを着けていると、なんだかますます見てはいけないものパンツ)を見ている気がする。

ちなみに、プロ選手練習時に着用する、真っ黒な長袖長ズボンみたいなの実は好き。とはいえジーンズワイシャツかわいい女性が好きというのと同じで、元々かわいくないと似合わないんだよ、とツッコミを入れられてしまいそうな話ではある。

体操新体操レオタード

スポーツジムで、体操選手レオタードを中継しているのをみたことがあるのだが、なんだかエッチ気持ちになるのが申し訳いくらい、辛そうだった。手足は傷だらけだし、表情は真剣のものだ。それでも、魅力的に感じてしまうことに、我ながら困惑する。おそらく、頭の中で「好き」「かっこいい」「エッチ」の感情を処理するユニットが近いので、混線しているのだと思う。

言い訳はさておき。以前にも書いたが、レオタードは元来レオタールという男性曲芸師が全身にフィットした衣装を身に着けていたことに由来する。もともと男性のものだったのだ。しかし、その機能性が注目され、女性のものとして利用されるようになった。

とはいえ、当時のことだからいきなり今のようなハイレグ水着みたいな形になったわけではない。当然、紆余曲折があった。

http://www.olympicleotards.com/leotard-history/

上記資料によれば、1908年代に女性向けレオタードと称していたのはドレスのものである。初期の女性水着ドレスみたいで、体型を一切見せないものだったのにも似ている。

1948年に今のような形になっているが、ハイレグではない。せいぜい提灯ブルマー程度しか足を見せない。

今のようなハイレグとなったのは、60年代以降だ。1976年ナディア・コマネチビートたけしギャグでも知られているが、ここまでくると広くハイレグが使われていたようだ。

おそらく女子バレーブルマーが使われだしたのはこのころだし、これが日本でのショーツブルマー導入の遠因になっている気がする。

https://www.elle.com/fashion/a37371/evolution-of-gymnastics-leotard/

それ以降、基本的レオタードハイレグだが、時代によって模様にもはやりすたりがある。概略を示すと、無地→愛国デザインキラキラした素材、といった具合になるようだ、使用されている繊維の質も違う。

女子陸上女子マラソンブルマー

なんとなくブルマーの本場というか総本山イメージ女子陸上や、女子マラソンにはある。とはいえ選手によっては普通の短パンだし、中には宗教上の理由から全身を覆う例もある。普通にかわいいと思うし、よく似合うと思う。イスラーム世界はおしゃれとは無縁だと勝手に思っている人もいるらしいけれども、ヒジャブだとかチャドルだとかはいろんな色や巻き方があるし、僕らには見えないけどもその下はきれいにお化粧している。いろんなファッションスポーツをやる人がいてしかるべきだし、それを決めるのは選手だろう。

で、話を女子陸上に戻すけれども、ここで特筆すべきなのはへそ出しというか、もうほとんどビキニみたいな恰好選手。腹筋がめちゃくちゃかっこよくて、おかげで腹筋萌えにまで目覚めてしまったのだけれども、昔はそんな恰好をする選手はいなかった。

https://slate.com/culture/2012/08/olympic-uniforms-from-loose-and-heavy-to-tight-and-dimpled-a-visual-history-of-olympic-sprinting-attire.html

https://www.elle.com.au/news/summer-olympics-fashion-history-9896

こういう写真資料をみていると、セパレート化の流れは90年代にはじまり、それがだんだん過激になって軽いへそ出しからただのスポブラになって行ったんじゃないかと思われる。

ちなみに、これはテニスだがスポブラと短パン姿だ。https://www.pinterest.jp/pin/494833077788864848/

また、ブルマーらしく裾が短くなっていくのは、やはり40年代から見られる。

ところで、以前リンクを貼ったバレーボールの記事について調べると、ブルマーの別名として「bun huggers」というのもあるらしい。英語のをウィキペディアの「shorts」の項目にも載っていた(数か月前はここまで細かく書いていなかったのに)。また、ほとんどショーツ型のbun huggersが2000年代中盤からショートパンツ型の「boy shorts」に置き換わった、とある。やはり、いろいろな揺り戻しがあるのだろう。現に、バレーボールでショーツブルマーが導入されてからも、90年代以降に(?)使用が中断された。また時間があるときに、これらの用語から陸上ブルマー歴史について再検討したい。

まとめ、結論

しかし、英語で調べたのだが、残念ながら陸上ブルマーの単体の歴史変遷についてまとめている記事は見たらなかった。オリンピック選手は大まかにこんな服装でした、という写真を並べただけで、細かい情報はあまり載っていない。上記記事はいちおう公的メディアなのでそういう扱いはよろしくないとされるのだろうが、調べている個人が見当たらないのは不思議である。探し方がまずいのかもしれないので、「bun huggers」などの用語で再検索するかもしれない。

今後の展望

競泳水着や、ビーチバレー衣装の変遷について調べる予定。

過去ブルマーに関する記事との比較については、後程。

2020-08-28

昭和30-40年代あたりを境に聞かなくなった言葉

心臓

「あつかましい」ということを「心臓」と形容していた。「アイツは心臓だな」とか。

この用法のもの個人的昭和30年代以降見たことがない。

・ぞっとしない

「ぞっとする」というのは恐ろしく感じる、という意味だが、「ぞっとしない」だと「面白くない」と言う意味になる。

やはり昭和30年代以降見たことがない。

・チェッ

キューポラのある街 なんかで確認すると分かるが、むかしの少年は心の声としてではなくちゃんと「チェッ」と発音していた。

高度経済成長を境にきちんと「ちぇっ」と発音する人間絶滅したような気がする。そしてそれはタンツボの撤去関係があるのではないかとも思っている。

他にはないだろうか

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