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2025-10-06

2025年10月4日自民党総裁選の決選投票高市早苗氏が小泉進次郎氏を下し、新総裁に輝いた。15日の臨時国会日本初の女性首相指名が確実と報道テレビ見ながら「キタ!」と叫びつつ、ビールぐいっと。30代後半のサラリーマン保守派の俺、なんか日露戦争前のあの「日本世界に躍り出るぜ!」って高揚感を久々に感じる。高市さんは、保守分裂の時代を終わらせ、すべての保守層を統一する思想リーダー。国父・安倍晋三の一番弟子として鍛えられた政治力米国連邦議会立法調査官だったアメリカ通の経歴、さらには統一教会との関係改善トランプ政権に好印象って話まで。まるで明治黄金時代列強に肩並べたあの熱気を呼び戻す予感。マジで日本サッチャー誕生の瞬間だろ。まず、保守分裂の時代を終わらせる思想リーダー像。安倍さん銃撃後の自民党保守層は右派から中道までグチャグチャに分裂。石破政権の迷走で「もうダメか」と思ったけど、高市総裁空気が一変。彼女演説経済安保防衛強化のビジョンは、まるで戦前日本が「大国になる!」と意気込んだあの昂揚感。Xでも「高市総裁保守統一!」がトレンド入り、台湾インドメディアが「対中強硬高市首相、期待大」と報じてる。維新国民民主にフラついてた俺も、これで自民ロックオン憲法改正国防強化が進むなら、子供世代が胸張れる日本になる。日露戦争前、国民が「俺たちの国は世界で戦える!」と熱狂したあの時代を、高市さんが現代に蘇らせそう。次、安倍さんの一番弟子としての政治経験安倍さんが「高市保守の星」と呼んだ通り、彼女安倍イズムの体現者。2011年森派離脱から安倍派入り、総務相経済安保相、政調会長要職で鍛えられ、裏金問題派閥解散ドタバタを生き抜いたタフさ。奈良安倍さん暗殺事件後、地元選出の高市さんが墓前で「日本を守る」と誓った話、ガチで泣ける。政治経験は単なるベテランじゃない。戦前伊藤博文山県有朋みたいな、国家を背負う覚悟の深さ。組閣予想だと麻生総裁鈴木幹事長で固めつつ、若手小泉総務会長バランス取るらしい。安倍さんの「異次元緩和」級の改革が来るなら、まるで明治維新後の経済飛躍みたいな時代が再来するんじゃね?そして、米国政治経済の知見。1987~89年、松下政経塾資金米国連邦議会のCongressional Fellowとして、民主下院議員パトリシアシュローダー事務所金融ビジネス立法調査。いわゆる「立法調査官」として、米議会リアルを知る日本人なんて稀。TPP離脱時のトランプ批判や米中摩擦の分析見れば、彼女アメリカ通ぶりは本物。日米同盟強化が急務な今、米国経済政策立法プロセスに詳しい首相は頼もしい。戦前日本欧米列強渡り合ったように、高市さんなら国際舞台ガンガン存在感出せる。円高誘導や株高政策で、俺の投資もウハウハかも(笑)サッチャー戦前元老みたいな堂々たる外交、期待しかない。さらに、統一教会との関係改善トランプ政権に好印象って点。安倍暗殺で旧統一教会問題炎上したけど、高市さんは「被害者救済の法改正は考えるけど、再調査不要」とクール過去教会月刊誌に対談寄稿した程度で、ガッツリ関与はなし。トランプ再選が濃厚な今、教会反共ネットワークが米保守派リンクする可能性。安倍さんトランプ蜜月を継ぐ高市さんが、教会問題を「上手く処理したリーダー」として米側に評価されたら、日米安保ガッチリ戦前日本列強同盟結んで世界に打って出たように、高市首相ならトランプとタッグで中国牽制バッチリだろ。実際、今や大統領として君臨するトランプ氏にとっちゃ、高市さんは「年下の姉」みたいな存在で、個人的に強い絆があるんだよな。安倍さんの遺志を継ぐ彼女のタフで保守的なスタイルが、トランプの好みにドンピシャ総裁選のインタビューでも「トランプ大統領と強い個人的関係を築ける自信がある」って明言してて、首脳会談ビール片手に本音トークする姿が目に浮かぶわ。日米の「姉弟コンビ」で世界リードするなんて、ワクワクすんな。最後に、戦前の高揚感、黄金時代憧憬日露戦争前、日本は「小国大国に勝てる!」と国民が一つになって燃えた。高市さんの「日本の誇りを取り戻す」ってメッセージ、なんかあの時代の熱気を思い出すんだよな。経済安保法で半導体AI強化、防衛費倍増で自立した国防憲法改正国家の骨格作り直し。まるで明治の先人たちが富国強兵世界に挑んだあの感覚。Xでも「高市首相明治の再来!」みたいなポストがちらほら。公明党との連立や女性首相の重圧、経済政策の実行力は課題だけど、高市さんの「高い志、広い眼、深い心」は、戦前日本人が持ってた「俺たちはやれる!」って気概を呼び起こす。高市早苗保守分裂をまとめ、安倍イズムを継ぎ、米国の裏側を知り、トランプと相性良し。そして、戦前黄金時代のような熱気を現代に。はてブ狙いで言うなら、保守派の皆、期待MAX応援だ! 失敗したらまた愚痴るけど(笑)、今は高市首相に賭けたい。日本、復活の狼煙を上げろ! ファクトチェックをお願いしま

2025-02-19

anond:20250219063622

明治時代仮想マイクロブログ社会がもたらした近代化の加速と文化的変容

概要

明治維新期に突如として出現した「瞬時伝達器」と呼ばれるマイクロブログ端末は、

出生時に人体に埋め込まれる生体統合デバイスとして全国民に普及した。

この技術革新明治5年1872年)の学制発布以前に実現したことにより、

日本史上空前の情報革命が発生。

福澤諭吉が『西洋事情』で予言した「言論電気的伝播」が現実化し、

明治政府中央集権政策民間自由民権運動が複雑に絡み合いながら、

従来の歴史認識根本から変革する社会構造形成された。

森鴎外の『舞姫』(1890年)に描かれたベルリン留学中の懊悩リアルタイムで共有され、

夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905年)の連載が「写生運動」として全国規模の文学革命を引き起こすなど、

文学表現のもの双方向メディアへと変質した。

政治体制情報統制の変容

大政奉還前夜の情報戦

慶応3年1867年)の王政復古クーデターにおいて、

薩長同盟が瞬時伝達器を活用した情報操作が決定的役割を果たした。

西郷隆盛の「錦旗偽造疑惑」が全国民タイムライン炎上する中、

岩倉具視側近の情報工作班が作成した「討幕の大義映像コンテンツが300万回再生され、

徳川慶喜の恭順姿勢を決定づけた。

戊辰戦争では会津藩白虎隊が自陣の不利をリアルタイムで発信、

これが国際世論形成に影響を与え、

パリ同時通訳機能を備えた端末を通じて英仏の介入を阻止した。

明治政府検閲システム進化

明治6年1873年)の徴兵反対運動では、

全国の農民が瞬時伝達器で組織的抵抗を展開。

これに対し内務省は「治安維持電脳局」を設置、

自然言語処理AIによるプロファイリング技術を駆使し、

危険思想予測検閲実施した。

森有礼文相が推進した「教育勅語デジタル配信計画」(1890年)では、

国民の端末に強制配信機能実装され、

山県有朋の「国民道徳統合プログラム」として機能した。

文学芸術分野の変革

文豪たちの双方向創作

森鴎外陸軍軍医時代投稿した「戦場医学実況」(日清戦争)は、

従軍記者の報告を凌ぐ臨場感国民的人気を獲得。

鴎外は後に『ヰタ・セクスアリス』(1909年)の連載中、

読者からの「官能描写情報告」機能逆用し、

中人物の心理描写リアルタイム修正する実験創作を試みた。

夏目漱石は『こゝろ』(1914年)の連載時に「先生遺書」展開を読者投票で決定、

従来の作家観を超えた「集合知創作」の先駆となった。

若手作家の台頭とメディアミックス

芥川龍之介東京帝国大学在学中に投稿した掌編小説が瞬時伝達器経由で漱石の目に留まり

史上初の「バーチャル文芸サロン」が形成された。

谷崎潤一郎は『刺青』(1910年)の挿絵を読者から画像投稿構成する「コラボレーティブ・アート」を実践

永井荷風の『腕くらべ』(1916年)では吉原遊女たちが匿名アカウントで作中の描写反論するメタフィクション的試みがなされた。

社会運動大衆文化の進展

自由民権運動の加速化

明治10年1877年)の西南戦争では、西郷隆軍が瞬時伝達器を活用したゲリラ情報戦を展開。

政府側はAI分析による「感情予測アルゴリズム」で反乱軍士気低下を計画的に誘導

戦争期間を史実より3ヶ月短縮させた。

明治23年1890年)の第一帝国議会選挙では、

立憲自由党政策動画配信仮想演説会を組み合わせた「デジタル遊説」を実施

投票率が史実の91%から98%に上昇した。

大衆娯楽の変容

明治30年代に隆盛を極めた「活動写真」は、瞬時伝達器との連動でインタラクティブ映画として進化

日露戦争記録映像旅順要塞攻撃』(1904年)では視聴者攻撃ルート投票決定できる「参加型戦争体験」が提供された。

落語家三遊亭円朝は端末向け音声コンテンツ怪談電送話」を配信

バーチャル花火大会との連動企画で新たな大衆芸能を創出した。

国際関係技術革新

列強とのサイバー外交

明治32年1899年)の条約改正交渉において、

陸奥宗光外相が瞬時伝達器の暗号化機能を駆使した「デジタル砲艦外交」を展開。

治外法権撤廃交渉過程部分的公開し、

英国世論誘導成功した。

明治37年1904年)の日露戦争では、

明石元二郎大佐ロシア革命勢力と端末経由で連絡、

諜報活動効率化で史実より早期の講和を実現した。

技術限界社会適応

大正3年1914年)のシーメンス事件では、

海軍将校贈収賄記録が匿名アカウントを通じて暴露され、

従来の新聞スクープを凌ぐスピード政界震撼させた。

一方で、端末の生体統合特性逆用した「思考盗聴」の危険性が問題化

森鴎外が『沈黙の塔』(1910年)で警鐘を鳴らすなど、

プライバシー公共性ジレンマが早くも表面化した。

結論

仮想マイクロブログ技術明治期に存在した場合

その社会的影響は単なる情報伝達の高速化を超え、

国家形成プロセス自体根本から変質させる触媒作用を発揮したと考えられる。

文学における双方向性の獲得、

政治運動の即時組織化

国際交渉の多次元化など、

従来の歴史区分を超越した「加速された近代化」の様相を呈していただろう。

ただし、この技術がもたらす集合的無意識可視化は、

大正期のメディアアート運動昭和初期の全体主義的傾向に新たな様相付与し、

現代SNS社会が抱える課題を半世紀早く先取りするパラドックスを生み出していた可能性が高い。

今後の研究課題として、

端末の技術起源に関する考察海外技術流出説VS超自然的出現説)と、

大正デモクラシー期におけるメディアリテラシー教育実態解明が急務である

2022-09-28

国葬雑感

安倍晋三最後に読んでいた本が岡義武『山県有朋』だそうだが、

これが本当の話か、自分は疑っている。

64年前に出版された岩波文化人古典を、安倍はきちんと読むような政治家だったか

かに、山県と安倍は、時代代表する権力者であることも、

山口にゆかりがあることも、顔が長いことも同じだが、出来すぎた話である

同書は山県に概ね批判的だった。

もし本当に読んでいたとしたら、どういう感想を持ったかは興味深い。

しかし、一月前に死んだ大隈重信国民葬比較して、

山形国葬が「ガランドウの寂しさ」だったことは有名な話で、

これだけ論議を呼んだ国葬スピーチを、山県の話で締めくくる菅義偉も、

それを素直に感動する不勉強国民も、ちょっとどうかと思うよ。

岡義武は山県の死について、こう書いている。

一方の安倍が、同様に忘れ去られるかは、これからのことである

[山県有朋の]支配の基礎は、民衆にはなかったのである

民衆は、彼にとっては、支配の単なる客体にすぎず、

従って、彼の権力意思支配機構を掌握することへと集中されたのであった。

彼は終始民衆から遊離したところの存在であった。

から見捨てられていた民衆は、それ故、また彼を見捨てていた。

そして、彼の死に対しても冷かであり、無関心であったのである


10/5 追記

驚くべし、流し読みかも知れないが、どうも読んでいたらしい。

しかし、さらに驚いたのは、同書を安部に勧めたのは、

山県を「信奉」していた右派経済人葛西敬之だということ。

普通に読んだら、嫌われ者山県有朋、という印象が残るはずの本を何ゆえ…、

と思ったけれども、官僚掌握術の参考になる、なんて吹き込んだのじゃなかろうか。

伊藤之雄山県有朋 愚直な権力者の生涯』はずっと山県に同情的だが、

葛西は気に入らなかったか、読んでいなかったかだろう。

で、安部感想は以下の通り。

2015年1月12日

今日官邸で開催された来年予算についての政府与党政策懇談会に出席しましたが、

週末三連休、一昨日はゴルフ、昨日はお墓参り河口湖山荘でゆっくと過ごしました。

その間、読みかけの「岡義武著・山縣有朋明治日本の象徴」 を読了しました。

知人から進められ手に取ったものです。明治元勲で彼ほど嫌われ、

同時に自身権力を集めた人物はいないでしょう。同じ長州人でありながら、

路線等の相違から権力闘争の敵対者となる伊藤博文とは対象的です。

伊藤の死によって山縣は権力を一手に握りますが、伊藤暗殺に際し山縣は、

「かたりあひて尽くしし人は先立ちぬ今より後の世をいかにせむ」と詠み

その死を悼みました。本心だった様に思います



あの本を読んで、ここをピックアップするか!?と思ったけれども、

安部最後まで赤城俊夫さんや山上徹也、社会歯車だったり、

社会に潰される吾々ゴマメのような人間気持ちをわからなかったように、

一般人総理大臣気持ちなんか、わかるわけがないのだ。

とすると、岡義武がさらりと書いた伊藤暗殺下りこそが、

100年後の権力者安部にとって最も心打たれたところだったというのも納得できる。

人間は、一般人学者総理大臣も、自分甲羅に似せて穴を掘る。

自分勝手に、都合よく物事解釈する。

岡義武は、「自著は権力者を自省させるに至らなかったか」と

あの世でガックリしたかもしれないが、山県有朋からすれば、

ついにわが「本心」を知る者あらわる、なんてところかもしれない。

だけれども、山県や安部のせいで、どれだけ人が死に、不幸になったのか、

ヘタクソな歌を書いて、それをわざわざ持ち上げやがって、というのが

ゴマメたる自分の率直な所感なので、「英雄英雄を知る」ではなく、

「同じ穴の狢」が山県と安部にふさわしい言葉だと思う。

2019-09-13

なぜ中学日本史山県有朋を扱わないのか意味がわからない

最近日本近代史に興味を持って色々勉強して、初めて山県有朋存在を知ったんだけど超重要人物じゃん。

幕末から昭和直前まで半世紀の間一貫して権力を持ち続けた。

明治大正政治事件名前が出てくる頻度が異常。

明治初の汚職事件に関与。

帝国陸軍の基礎を築き、統帥権独立など太平洋戦争の遠因を生む。

なぜ中学歴史で教えてくれなかったのか意味がわからない。

2019-07-02

西暦2000年まで生きた香淳皇后昭和天皇の妻で上皇陛下の母)。

香淳皇后山県有朋婚約を阻止されそうになった。

その山県有朋幕末普通に戦い抜き、明治5年には新政府汚職事件を起こすほどの大物だった。

こう考えると幕末なんてついこの間だな。

2019-05-13

メモ

【まえがき】

日本過去500年、国際日本大日本小日本の3モデルで、中国ロシア西洋との距離を探ってきた。

日本の3モデル

1.信長の国際日本モデル

外向き(世界)。

日本を超えた地球レベル理念を追及。

陸奥宗光西園寺公望

2.秀吉大日本モデル

外向き(アジア)。

西洋の影響を排除し、アジア中国に替わって日本盟主となることを目指す。

伊藤博文山県有朋

3.家康小日本モデル内日本モデル

内向き。

エネルギーを対外進出ではなく、田畑開墾や生活の工夫など内部開発へ向ける。

柳田國男石橋湛山

徳川小日本から明治大日本を経て戦争へ】

日清日露戦争を経て帝国主義志向へ。

大日本天皇制限界を持つ小日本であり、アジアを取り込む普遍性が無かった。

日本は、「人類」を持ち出すとき普遍性欧米に比べて極めて弱い。

国際社会では国際日本として振る舞い、アジアでは大日本として振舞う矛盾

2018-07-15

100名の最も偉大な日本人

BBCで昔、「100名の最も偉大な英国人」て企画があったけど日本だとどうなるかね?

イギリスだと一位からチャーチル、ブルネルウェールズ公妃ダイアナダーウィンシェークスピアニュートンエリザベスI世、ジョン・レノンネルソン、クロムウェルと二位のブルネル以外は日本でも有名で政治家軍人王族科学者芸術家などで、まあそうだなって感じ。

日本だと、うーん、徳川家康織田信長豊臣秀吉、あと各幕府創始者足利義満北条時宗天皇だとどこから史実認定していいか微妙だけど、桓武や天智、明治昭和平成あたりが候補かな?宗教だと空海最澄など仏教開祖あたりかね?芸術だと、前近代だと北斎松尾芭蕉紫式部近代以降なら夏目漱石宮崎駿黒澤明手塚治虫、ギリで鳥山明くらいかな?科学だと湯川秀樹江崎玲於奈などのノーベル賞受賞者たちか。

平安あたりだと、あと平将門平清盛菅原道真くらいか

近代政治家だと、田中角栄佐藤栄作伊藤博文あたりが入りそうだが、山県有朋岸信介はかなり微妙

軍人枠だと東郷平八郎山本五十六、あと秋山真之西郷隆盛土方歳三

企業家だと、河村瑞賢、岩崎弥太郎本田宗一郎豊田佐吉とかあたり?

スポーツだと、王貞治長嶋茂雄あたりかね?あんまり詳しくないので良くわからない。

女性紫式部くらいしかかばんかったけど、津田梅子あたりはマイナーかな?宇多田ヒカル樋口一葉あたりかな?

2016-11-22

一方、俺の母校の日本史教師

山県有朋山縣有朋と書いても○にしますが、縣の字が間違っていたら減点します」

ローズヴェルトローズベルトとルーズベルトはどれも○にします。英語カタカナに変換する過程でどうしても無理は出るので仕方ありません。ただし指定がない限り、セオドアかフランクリンかはちゃんと書くように」

鉄砲伝来の年は大学入試などで出たら1543年と書いてください。ただ1543年というのは種子島氏が書いているものによる年代で、1542とか1545という異論もあるので僕は絶対テストには出しません」

今思うと良い先生だったな。

http://anond.hatelabo.jp/20161122110427

2010-08-31

http://anond.hatelabo.jp/20100831224651

伊藤博文合併反対を2年で翻したのを確定事項のように言ってるが「そういう説もある」程度の話だぞ

近年の伊藤博文研究で最も熱心なのが瀧川一博先生

最新刊が四月に出たばかりの、中公新書伊藤博文』。

伊藤之雄先生も昨年本を出してるけど、こっちは不勉強でまだ読んでない。

瀧川先生伊藤をよく弁護してるよ。「ヤヌスの顔」、硬軟両面があったって。

韓国での「文明」を推し進めたって。

議会も設置して、自治をうながそうとしてたんじゃないかって。

でもさあ、あなたのような事実の認定は、してないな。

伊藤が二年で併合策に与した、という箇所は、この通り。

 伊藤が翻意して併合を認めたのは、一九〇九年四月である。この年の三月三十日、

小村寿太郎外相は桂首相に「対韓大方針」および「対韓施設大綱」を提出した。

それは「適当時機に於て韓国の併合を断行すること」を掲げ、韓国併合閣議決定を迫ったものだった。

桂としては異存はないが、懸案は伊藤の意向だった。桂と小村は、

伊藤が併合に反対であることを熟知していたのである。

 二人は伊藤に併合の直談判を行うことに決し、四月一〇日、相当の覚悟をもって上京中の

彼のもとを訪問した。だが、伊藤はあっさりと併合を承諾し、桂と伊藤は肩すかしを食らった(『伊藤伝』下、八三八頁)。

こうして最大の障害が取れて、七月六日に韓国の併合が正式に閣議決定されるのである。

あなたは、最新の研究でも支持されている、伊藤暗殺前に韓国併合に同意していたという物の見方を、

「『そういう説もある』程度の話」と一蹴するけれど、

では別の見解をいう研究者論文は、具体的にどんなものがあるのだろうか?

ぜひ見てみたいから、教えて欲しい。見てみないとわからない。

伊藤・桂・小村の会談の事実は、伝えられているものと違うだろうか? 

あるいは、伊藤が表向き続けていたかもしれない併合への慎重な態度の方こそ、

本心だったといいたいのだろうか?

そりゃあね、ここからの判断は、史料を読む側が決めることかもしれないよ。

だけど、総理大臣外務大臣の訪問を受け、同意をあたえたというのは、よほど重い決断じゃないの?

俺だったらそっちを取るよ。

伊藤があくまで併合反対に固執するなら、閣議決定につながる言質をあたえるようなことは、するわけないんじゃん?

あとさ、高宗を退位させたのも伊藤でしょ?

いくら併合に慎重な姿勢をとってたからって、植民地経営の矢面にたって色々せざるをえなかったんだから、

恨まれて当然じゃない?

仮に、山県なり桂の方が併合推進派だった、と安重根が知ってたとしても、やはり伊藤を狙ったんじゃないか。

ネームバリューが違う。初代韓国統監で初代総理大臣近代日本建築の立役者。

一泡吹かせるのが目的だろうに、山県有朋じゃ役不足だろう。

2007-11-12

http://anond.hatelabo.jp/20071112084432

森鴎外

医者の息子として生まれ、幼少期から神童と呼ばれ、医学を学ぶために10才からドイツ語を学び13才で年をごまかして第一大学医学校予科(現在東京大学医学部)に合格、19才で卒業陸軍軍医として勤務。

その後も政府内の超エリートとして順調にキャリアを重ね、陸軍では日露戦争にも出征し軍医総監、一方文学者としても活発に活動し、最終的には文学博士であり医学博士であり、退いて後も帝国博物館総長兼宮内省図書頭として正倉院の調査に着手、明治元老山県有朋と交友があり日本元号のあり方にも一家言あり、また初代帝国美術院院長もつとめた。もちろん翻訳家創作家としても名高い文豪であり、また大正浪漫派を主導した雑誌スバル」を強力にバックアップしたりもしている。まさに近代日本の根底を支えた最大の知識人、つーかバケモノ

では頭でっかちの野暮天だったかというとそうでもなく「4才で初恋を経験した」と主張する彼は、留学したドイツでは女の子をひっかけこれが日本についてくる騒ぎとなり、最初の妻とは離婚したが18才年下の嫁を貰って子供を4人作って大変愛した(長男は最初の妻との間の子)。

そして、それでも本人はあんまりこの世が幸せでなかったらしく、死ぬときはそういう肩書きの類一切を固く拒否するという遺書を残した。欲の深さも天才級。

まあそんなわけで……結論はなんでしょうね。

こんな天才と比べたら、って、なんだか比べるのも馬鹿らしくなってくるというか。

まあほどほどが一番という、きわめて庶民くさい結論で納得しとけってことでしょうかね。

 
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