はてなキーワード: 速歩とは
まず、歩数数えるのをやめて、インターバルトレーニングを週に2回やる。
おすすめは、強度の低い順に(インターバル速歩、J-HIAT、タバタ、スプリントインターバル)。
ここまでで、ウォーミングアップ含めて25分以内。これを週に2回。
余力があるならここに筋トレを追加する。
上半身のプルとプッシュ、下半身のスクワットとヒップヒンジ、の4種類。
種類はググってもらって、好きな種目を1種目ずつ3セットやる。
限界までやる→3分休むを3セットで、1種目20分以内に終わる。
この4種目をいつどれくらいやるかは自分で決める。
週に1~2回全身やってもいいし、上半身と下半身で日を分けてもいいし、1日1種目に絞るのもいい。
インターバルトレーニングの日に一気にやってもいいし違う日でも良い。
https://anond.hatelabo.jp/20241217125522
動画観ながら運動できるからエアロバイクをやりたいと思う人は、その考えを捨てろ。
動画観ながら漕げる程度ならたいした効果はないし、すぐ飽きてやらなくなる。
インターバルトレーニング、いわゆるHIITをやらないから暇に感じるし、面白くない。
30分以下のトレーニングを多くて週4日やるつもりで取り組めばペダリングは効果が実感できる楽しい運動である。
信州大学で開発されたよく知られたウォーキング向けプロトコル。これをペダリングでやる。
3分話せない程度のペダリング、3分ゆるいペダリング、週20セット。
・J-HIAT
JAXA開発の宇宙飛行士向けプロトコル。いわゆるノルウェー式HIITの軽度バージョン。
・タバタ
バーピーでやると心拍数が上がりにくかったりケガのリスクがあるがペダリングなら簡単で安全。アップを十分にやる。
20秒限界に近い非常にきつい運動、10秒ゆるい運動、7セット。
昼に辛い担々麺を食べたんです。食べたあとはいつもお腹が痛くなるけど、
美味しさに負けて食べてしまうんです。一応会社にいる間にうんこ出して安心。
帰りに電車に乗るあたりでお腹痛くなってきて危ないかな?と思い始める。
階段で1段降りるごとに一発ずつおならをカマして少しリラックス。
この時点で駅のトイレに行こうかと考えるが、駅のトイレって汚いし家まで我慢できると思ってスルー。
最寄りの駅までは良かったんですよね。痛くはなったけどそこまで重症じゃなかったし。歩きスマホしてました。
ところが、家まで残り100mくらいになったあたりでお腹が結構痛くなり、スマホどころじゃなくなって速歩き。
いつもならここでやばいと思いながらもなんとかなるイメージがあったんだけど、
今回は増田の漏らした記事を思い出し、情景をイメージしてしまった。と思ったらお尻が緩んだんですよ。
幸いだったのはボクサーパンツを履いていたので、しっかりと受け止めてくれたことと
夜で人通りが少なく目撃されていないことでした。
速攻で風呂に行き、ついたウンコを流して、残うんちを出しにトイレ。
寝ている妻を叩き起こして漏らしたことを報告。
今日の午前中はTOEIC LR(以下TOEIC)を受ける予定でしたが、道に迷ってしまい受付時間内に会場の大学に着けなかったので受験できませんでした。
遅刻は私の責任ですので試験を受けられなかったことも返金されないことも抗議はしません。
私は会場の最寄り駅には受付終了時刻の25分前には到着しましたし、会場への地図は前日に調べて紙の手帳にメモしました。
スマホを持って行かなかったのはいくらカバンの中にしまうとはいえ手元にスマホがあると試験に集中できなさそうだし、スマホ持ってくると試験前についSNSとかを見てしまいそうだからです。
実は会場のすぐ近くまで来ていたのですが、会場が大学ではなく役所か病院みたいな建物だったので会場だと気づきませんでした。
私のいた位置からでは大学の校門も見えなかったので大学名の表札も見えませんでした。
会場付近の道路にも駅前にもTOEICの会場の道順を案内する係員さんはいませんでした。
受けられなかったのを運営のせいにするつもりはありませんが、それでも会場の付近には案内係を配置してくれれば、いやせめて道順のポスターだけでも貼ってくれれば私も受けられたかもしれないと思うと悔しいです。
(選挙の日には、家の近所の投票所の付近の塀に道順案内のポスターが貼られます。これだったら人件費もかからないと思います)
私がスマホを持ってこなかったのには批判もあると思いますが、大人にもスマホをあえて持たない人もいますし、TOEIC受験にスマホは必要ありません。受験票の持ち物リストにもスマホは書いてありません。それに、あまりない事だとは思いますが地図データやGPSに間違いがあるかもしれないのでスマホも万能ではありません。
私が一度大学のすぐ近くに来たときは受付終了の10分前か5分前だったのですが、他に大学の方向に歩いている人はいませんでした。
会場の建物が役所か病院に見えたと先ほど書きましたが、入口の前で並んでいる人も誰もいませんでした(いたかもしれないけど気付きませんでした)。日曜日は病院も役所も休みなので、ますますあの建物は会場ではないと思いこんでしまいました。
一人で歩く大人が何人かいて、別の方向に歩いていたのでてっきりそっちの方向に会場があるのだと思い込み、そっちに行ってしまいました。
ですが会場はなく、もう受付終了時刻の9時55分は過ぎそうでしたが、引き返しました。
自分が役所か病院だと勝手に思い込んでいた建物に近寄っていくとそこが会場の大学でした。
歩き疲れていて走れなかったのですが、ドアの前にTOEICの係員さんがいらっしゃいました。速歩きして近寄って、道に迷って遅れた旨を説明したのですが丁重にお断りされました。
係員さんも運営の最高責任者ではありませんし、ここで抵抗したらクレーマーになるので諦めて帰りました。
もちろん9時55分を過ぎているので入れないのは分かります。
しかし後で偶然見つけたあるブログでは、「走っていって謝って丁重にお願いすれば入れてもらえるかもしれない」って書いてありました。
実際に試験開始10分前でも入れてくれたとか、遅刻者は遅刻部屋に通されるらしいという情報も載っていましたけど、私が読んだブログは4年前のものです。
2022年でも他の会場だったら5分程度の遅刻に目をつぶって入れてくれたかもしれないけど、私の会場ではダメでした。
私が走らなかったから駄目だったのでしょうか? もしそういう理由で却下されたなら納得いきません。歩き疲れて走れなかったし、そもそも健康上の理由で走れない人もいます。もちろんそうではなく時間に遅れたから駄目だったなら文句なしに受け入れます。
私が何を言っても愚痴になってしまいますが、せめて会場付近には案内役の係員さんを配置するか、道順を示すポスターを貼ってほしかったです。
これは今年の別の日に別の大学で受けたときの話ですが、その大学が入口がたくさんあってどこから入ればいいか分かりませんでした。
私は、他に入口があるとも知らずにある入口から入ったら大学の警備員さんに、この入口からは入れないと説明されました。
私が見た限りではTOEICの運営による貼り紙は何もありませんでした。
「TOEICの運営の張り紙がない時点で察せ」とお叱りを受けそうですが、その大学に行くのは初めてだったし広いキャンパスだったのでどこにTOEIC受験用の入口があるのか分かりませんでした。
このときは警備員さんに正しい入口を教えてもらったおかげで受験できましたが、こういう案内は大学の警備員さんではなく運営会社が雇う係員さんがするものだと思います。
私以外にも間違った入口から入ろうとした受験者はきっといましたし、そのたびに警備員さんが対応していたかと思うと。受験者として迷惑をかけて申し訳ないと思うと同時に、運営会社がきちんと会場の案内に係員を配置するとか道案内にポスターを用意するとかして、大学の警備員さんに負担かからないようにしていただきたかったです。
あとキャンパス内も入り組んでいたので、今回の私みたいに迷子になって受けられなかった受験者もいたと思います。その時も道案内の係員さんや道順のポスターはありませんでした。
こういう事は運営会社に言えと思われるでしょうが、今のTOEICは抽選に当たらないと受けられません。直接苦情を言ったらもうTOEICを受けさせてもらえないかもしれないので運営会社には言いません。
最後になりましたが、2022年のTOEICは遅刻に非常に厳しいです。他の会場はどうか分かりませんが私は痛い目に遭いました。これから受験する皆さんは気を付けて下さい。
ママチャリでもロードでもマウンテンバイクでも、速さの計算は一緒。
ロードとかの早い自転車は、減速要因(摩擦(重さ、接地面)や空気抵抗)を減らしているに過ぎない。
簡単に言うと、速歩き(1秒3歩=1秒1.5回転)程度の回転数さえ維持できれば、ママチャリだろうと時速30kmで走り続けられるということです。
高い方の岩盤浴つきにしたけどあまり風呂も岩盤浴も満喫しなかった
飲み物がほっとだったけど常温でええやで
どこのご家庭にもあるブロッコリーと冷凍皮付きポテトとフランスパン2本と香燻ウィンナー500gとシュレッドチーズ1キロを用意しよう
フォンデュ鍋セットはメルカリとかで買え 燃料が付属してなかったら薬局に売っているエタノールかメタノールでいいぞ
あとどっしりした食べがら入れのような黒い陶器 これに串をいれて卓上に出しておこう
爪楊枝も数本必要だ
まず冷凍保存してたものを風呂にいくまえから常温放置して解凍しておく(シュレッドチーズはやらない)
ブロッコリー、香燻ウィンナー、皮付きポテト、フランスパンなど
次、小鍋に湯を沸かし、ウィンナーを沈めて湯がちょっと濁るくらいまで茹でる ゆだったら放置せずすぐに皿にあげ、湯をとっておく
ブロッコリーが生だったら枝をきりおとして小房にしてこの湯でゆでる 蓋をして芯まで火を通す これも皿にひきあげる
フランスパンは3センチ程度の角切りで山盛りオブ山盛りになるよう用意する
あと生野菜もくどさをさっぱりさせるので生人参スティックや生レタスなどもあれば用意する
さて、食べる5分前になったら、フォンデュ鍋にニンニク臭をつける、具体的には冷凍ニンニクを半分に切ったやつをちょっと放置して汁がでたところを内壁にぐりぐり塗りつける いい匂い
さらに白ワイン100ccをフォンデュ鍋の中にいれていつものコンロにかけて中火で沸かす 焦って強火にすると端っこからこげてくるから中火
冷凍保存していたシュレッドチーズ200gを秤ではかりとる、結構な量だ 丼一杯くらいになる
そいつを一旦ボウルにいれ、大さじ半分のコーンスターチ(とレシピにあるがふつうそんなものはないので片栗粉)を
まぶされたらそれを沸いた白ワインにドバーといれてとにかくかきまぜる
ぐりぐり!ぐりぐり! シュレッドはとけた
弱火にして30秒ごとにまぜよう
一方で卓上ではアルコールランプに燃料をいれて空気アナ全開にして用意してあるはず
串も食材も食べる人も用意できたらアルコールランプに火を付ける
もちろんチャッカマンがあればそれでいいがないときは爪楊枝の頭のほうにコンロで着火してゆっくり歩いてアルコールランプに近づけるとよい
速歩きするとすぐ消える
火が用意できたら爪楊枝には水をかけて消火し卓上にフォンデュ鍋移動してボナペティだ
そして食欲旺盛だともう200gチーズが食えるとおもうだろう
なので別鍋でとかして焦げ鍋にそっと追加するのがよい
実はよく考えなくても電気プレートで150度くらいでたこ焼きプレートとかつかってフォンデュすりゃいいんじゃねえの
焦げ鍋は水いれて一晩放置してゆるんだところをはがせ 重曹でこすってもいいとおもう
シュレッドチーズ1キロ980円 香燻は800g入が960円位
で入手できる気がするので数回フォンデュしたらもとがとれるし冷凍保存もできるし家庭でフォンデュしない理由が(脂肪しか)ない
あとタコス(タコライス)も同じように家庭でやらない理由がみあたらない(こっちはそんなに脂肪もない)
お手軽でジャンキーで外食に太刀打ちできるごちそう家庭料理いくつか知ってるとたのしいぞ
エメンタールは削るの大変そうだが全般的に電子レンジでやるのだろうか
でもうちの冷凍庫にあるラクレットのほうがもっと大変なんだよな
まあシュレッドがらく
https://anond.hatelabo.jp/20201206114053
日本競馬史上の重要事件並びに記憶されるべき事件(画期となる出来事)
1-1 「競馬の歴史(日本)」、「日本史の出来事一覧」その他各種記事
1-3 「日本調教馬の日本国外への遠征」、「繋駕速歩競走」、「騎乗速歩競走」、「招魂社競馬」、「居留地競馬」、「勝馬投票券」、「単枠指定制度」、「インタグリオー」、「小岩井農場の基礎輸入牝馬」、「サンデーサイレンス」、「馬政局」、「馬政第一次計画」、「馬政第二次計画」その他各種記事
3 JRA「JRAのあゆみ」https://jra.jp/company/about/outline/history/
4 JRA「競馬用語事典」https://www.jra.go.jp/kouza/yougo/index.html
https://anond.hatelabo.jp/20201219095651 ソース・参照資料等
https://anond.hatelabo.jp/20201206114053 1854-1980
https://anond.hatelabo.jp/20201219091651 1981-2020
https://anond.hatelabo.jp/20201209174430 競走馬時代区分(私案)
https://anond.hatelabo.jp/20201219095651
(出来事)
1856 日米修好通商条約締結
1860 横浜の外国人居留地において、競馬が行われる(居留地競馬)
1869 戊辰戦争終了
1870 東京招魂社(現・靖国神社)において、初めて洋式競馬が行われる(招魂社競馬。1898年まで)
1874 台湾出兵
1877 西南戦争開始~終了
1894 日清戦争開始
1905 日露戦争終了
桂太郎内閣による馬券発売の公認(黙許)(公認競馬。中央競馬のルーツ)
馬政第一次計画の制定(第一期:1906年~1923年、第二期:1924年~1935年)
帝室御賞典(東京)創設
1907 小岩井農場が種牡馬インタグリオーと20頭の繁殖牝馬(小岩井農場の基礎輸入牝馬)をイギリスより輸入する
1910 韓国併合
改正競馬規程(閣令)を根拠として、産牛馬組合による競馬が開催されるようになる(地方競馬のルーツ)
主要競走に騸馬(せん馬)が出走不可に。芦毛、月毛、河原毛が出走不可に(毛色の制限は1928年まで)
帝室御賞典(阪神)創設
1911 優勝内国産馬連合競走(連合二哩)創設(ラングトンが第1回の勝馬となる)
宮崎競馬場において、商品券付き勝馬投票が実施される(事実上の馬券)。1914年までに全ての競馬倶楽部が実施するようになる
1914 第一次世界大戦開始
1918 第一次世界大戦終了/シベリア出兵(1922年まで)
1922 帝室御賞典(札幌)創設(1937年秋まで。1922年~1924年は春のみ。1925年~1937年は秋のみ)
帝室御賞典(福島)創設(春のみ。1922年春~1937年春)。帝室御賞典(函館)創設(秋のみ。1922年秋~1936年秋)
1923 関東大震災/旧競馬法制定(馬券発売再開)/馬政局廃止
帝室御賞典(函館)創設(春のみ。1923年春~1937年春)。特殊ハンデキャップ競走創設
1925 濠抽混合創設(当初の名称は各内国抽籤濠州産馬混合競走。1932年より目黒記念)
下総御料牧場が2頭の繁殖牝馬(種正・稙道)をアメリカより輸入する
1928 横浜特別創設(1943年秋まで)/連合二哩(牝馬)創設(1928春~1941秋)
1931 満州事変
下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星旗・星若・星友)をアメリカより輸入する
1932 東京優駿創設(1950年より「日本ダービー」の副称が付く。ワカタカが第1回の勝馬となる)
下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星濱・星谷・星富)をアメリカより輸入する
1934 中山大障害創設
1936 二・二六事件
1937 日中戦争開始
天皇賞(帝室御賞典)創設(連合二哩並びに各競馬倶楽部で行われていた帝室御賞典を統合。当初秋2600m、春2700mで施行され、第3回からは春秋共に3200mで施行。ハツピーマイト(ハッピーマイト)が第1回(1937年秋・東京)、ハセパークが第2回(1938年春・阪神)の勝馬となる)
連合二哩はこの年限りで廃止。各地の帝室御賞典はこの年春限りで廃止
菊花賞(京都農林省賞典四歳呼馬)、優駿牝馬(オークス)(阪神優駿牝馬)創設
1939 皐月賞(横浜農林省賞典四歳呼馬)、桜花賞(中山四歳牝馬特別)創設(五大クラシック競走が成立)
1941 太平洋戦争開始/セントライトが初のクラシック三冠を達成
1944 競馬開催の一時停止。この年の競馬は能力検定競走として施行される(戦前の競馬はこの年限りで終了)
2歳(旧3歳)競走が競走体系に加わる
1949 朝日杯3歳ステークス(1991年から牡馬及び騸馬(せん馬)限定のレースとなる。現・朝日杯フューチュリティステークス)創設
阪神3歳ステークス(1991年から阪神3歳牝馬ステークスとして牝馬限定のレースとなる。現・阪神ジュベナイルフィリーズ)創設
1951 中央競馬における重勝式馬券の発売(1961年廃止)
トキノミノルが無敗で二冠を達成
日本中央競馬会(略称は1986年までNCK。1987年からJRA)発足(国営競馬時代の終了)
啓衆社(競馬予想紙を発行)が啓衆賞を設け、各年に活躍した競走馬を表彰することを始める(1972年から『優駿』(日本中央競馬会の機関紙)の主催による優駿賞、1987年から日本中央競馬会の主催によるJRA賞となる。最初の年度代表馬はハクリヨウ(ハクリョウ))
1955 日本中央競馬会が英国ジョッキークラブとの間に騎手に対する制裁の相互実施協定を締結する(国際交流の始まり)
東京大賞典(秋の鞍)創設
1958 ハクチカラが戦後の日本調教馬として、初めて海外に遠征する
1956 有馬記念(中山グランプリ)創設(メイヂヒカリが第1回の勝馬となる。八大競走成立)
1963 中央競馬において8枠制が導入される
メイズイとリユウフオーレル(リュウフォーレル)の2頭が年度代表馬に選出される
1965 シンザンが天皇賞秋・有馬記念を制覇し、五冠を達成(当時牡馬が出走できる大レースを全て制覇)
1967 栗東トレーニングセンター開場
1968 中央競馬における繋駕速歩競走はこの年限りで廃止される
1970 大阪万博
スピードシンボリが初めて有馬記念を連覇し、1967年以来2度目の年度代表馬に選出される
1971 ニクソン・ショック
貿易自由化に伴い国内生産者への保護政策が実施されたことにより、持込馬が有馬記念を除く八大競走への出走権を失う
トウメイが天皇賞秋・有馬記念と連勝し、牝馬として初の年度代表馬に選出される
1972 沖縄返還
地方競馬における騎乗速歩競走はこの年限りで廃止される(中央競馬では戦前限り廃止)
ハイセイコーが中央競馬に移籍し、好成績を挙げ、国民的人気を集める(1974年の有馬記念2着(勝馬はタニノチカラ)を最後に引退)
1974 単枠指定制度の導入(1991年10月5日廃止。最初の指定馬は同年の皐月賞におけるキタノカチドキ。最後の指定馬は1991年のセントライト記念におけるレオダーバン)
1977 テンポイントが有馬記念でトウショウボーイとのマッチレースを制し、年度代表馬に選出される(3着はグリーングラス)
1978 美浦トレーニングセンター開場