はてなキーワード: 連れ合いとは
息子6歳 園児
頭の中に常にマイルールがあり、なぜ他の人はそれがわからないんだとナチュラルに思ってる。自分の認識と他の認識が違うことを理解できてない節がある。人から言われる注意を自分への攻撃ととらえてほとんど聞き入れない。彼の中で理屈に納得すれば聞くこともある。
皿の持ち方が悪い。
「猫がけ」という持ち方がわかるだろうか、人差し指を皿の縁に引っ掛けて親指を下の方にする持ち方のことだが、我が子は指4本をほとんどさらに突っ込むようにして縁にかけて、親指を下にして持つ。
それであまり持ち上げられないのでほとんど犬食いのように食べる。
しかも箸もフォークも下手なので、皿に添えた手でそのフォローをして食べ物触りながら食べてる。
親指を上にして持てと注意しても数秒後には元の持ち方に戻ってる。
真面目に注意を始めるとしつこくなり、互いに最悪の雰囲気になる。だから今まで一度二度注意するくらいにとどめてきた。
親指を上の方が持ちやすいからそれが正しいやり方だと伝えても、指4本のほうが楽だからこうするのだと答える。彼の中で親指が上が良いと納得しないから従わない。「マナーだから」で聞くことがない。
昨日の夜はスパゲッティだったが、4本指で縁引っ掛けて麺をいじりながら食べるその様子にあまりにイライラしてしつこく注意した。親指が上で添えるだけと言っても5秒しないうちに同じポーズに戻るので何度も何度も言って、息子も嫌そうな顔をしてまた同じポーズに戻る。最後は怒鳴った。食べ終わるまで直らなかった。連れ合いは嫌な目に遭えば自然と直るからほっとけと言うが直る気がしない。
これどうしたらいいの?
穏便に治したいよ。
比べちゃいけないけど、自分の頃って親のやるように真似してやらなかった?注意されたらそうなんだって従わなかった??
誰か理屈で親指上がいいってどう説明したらいいか教えてくれよ頼む
これに限らず、息子のマイルールが強固すぎて扱いづらい子と感じてる。
マイルールをすぐ始めるため、ルールがある遊びができない。例えばキャッチボールするとして、投げ返すルールが頭に入らずトンデモ方向に投げて一人やったーと喜んでたりする。投げ返すんだよと言うと何かを押し付けられたような反応をしてキャッチボール自体やらなくなる。キャッチボールしたかった/したくなかったとかではなく、これは例え話で、すべてにおいてこの調子である。だからなにか上達したこともはまったこともない。
何度も発達になにかと思ったが、どこかに相談するたびにそこまでではないと否定されてきた。
せめて基礎マナーだけでも聞き入れてほしい。どうやったら聞き入れてくれるんだ。
子育てわかんないよ。
息子6歳 園児
頭の中に常にマイルールがあり、なぜ他の人はそれがわからないんだとナチュラルに思ってる。自分の認識と他の認識が違うことを理解できてない節がある。人から言われる注意を自分への攻撃ととらえてほとんど聞き入れない。彼の中で理屈に納得すれば聞くこともある。
皿の持ち方が悪い。
「猫がけ」という持ち方がわかるだろうか、人差し指を皿の縁に引っ掛けて親指を下の方にする持ち方のことだが、我が子は指4本をほとんどさらに突っ込むようにして縁にかけて、親指を下にして持つ。
それであまり持ち上げられないのでほとんど犬食いのように食べる。
しかも箸もフォークも下手なので、皿に添えた手でそのフォローをして食べ物触りながら食べてる。
親指を上にして持てと注意しても数秒後には元の持ち方に戻ってる。
真面目に注意を始めるとしつこくなり、互いに最悪の雰囲気になる。だから今まで一度二度注意するくらいにとどめてきた。
親指を上の方が持ちやすいからそれが正しいやり方だと伝えても、指4本のほうが楽だからこうするのだと答える。彼の中で親指が上が良いと納得しないから従わない。「マナーだから」で聞くことがない。
昨日の夜はスパゲッティだったが、4本指で縁引っ掛けて麺をいじりながら食べるその様子にあまりにイライラしてしつこく注意した。親指が上で添えるだけと言っても5秒しないうちに同じポーズに戻るので何度も何度も言って、息子も嫌そうな顔をしてまた同じポーズに戻る。最後は怒鳴った。食べ終わるまで直らなかった。連れ合いは嫌な目に遭えば自然と直るからほっとけと言うが直る気がしない。
これどうしたらいいの?
穏便に治したいよ。
比べちゃいけないけど、自分の頃って親のやるように真似してやらなかった?注意されたらそうなんだって従わなかった??
誰か理屈で親指上がいいってどう説明したらいいか教えてくれよ頼む
これに限らず、息子のマイルールが強固すぎて扱いづらい子と感じてる。
マイルールをすぐ始めるため、ルールがある遊びができない。例えばキャッチボールするとして、投げ返すルールが頭に入らずトンデモ方向に投げて一人やったーと喜んでたりする。投げ返すんだよと言うと何かを押し付けられたような反応をしてキャッチボール自体やらなくなる。キャッチボールしたかった/したくなかったとかではなく、これは例え話で、すべてにおいてこの調子である。だからなにか上達したこともはまったこともない。
何度も発達になにかと思ったが、どこかに相談するたびにそこまでではないと否定されてきた。
せめて基礎マナーだけでも聞き入れてほしい。どうやったら聞き入れてくれるんだ。
子育てわかんないよ。
「未亡人」という言葉は二次創作BLを好む女性いわゆる腐女子によって、古くはTIGER&BUNNYの虎徹、鬼滅の刃の冨岡、呪術廻戦の五条、
最近ではガンダムジークアクスのシャリア・ブル、といった男キャラに対してよく用いられる。大切な相手を失った推しを未亡人と呼び、エロいシコいと大っぴらに性的消費している。
多分、推しに何としてでも女属性を付けたいんだと思う。「女」が入っていないからと言って、性別問わず用いられる言葉だと認識して使っている訳ではない。なぜなら連れ合いをなくした男キャラであっても、例えばゲゲゲの謎の目玉の親父なんかは専ら攻め需要だったので未亡人呼ばわりされてないから。
この言葉って普通に女性差別用語で、例えば朝日新聞等では1988年という早い段階で性差別用語に指定されている。
「未亡人」って、差別の度合いとしては女優や女医なんかよりもよっぽど問題だと思うよ(そっちは男優や男医の対義語として使う分には別に問題ないと思う)。
だけどこの言葉を問題視するフェミニストは何故か見掛けない。腐女子のうちのかなりの部分がフェミニストなのにも関わらず。
「未亡人」という言葉の根底にあるのは、女は若くして亡くなるのが華だという、まさに女性差別思想だ。夫が死んだのに妻だけ生きているなんておかしい、さっさと殉死しろ、という思想。
「ヒロインは何故殺されるのか」『冷蔵庫の女』等と言ったワードを用いて、フィクションの中で女性キャラが殺される事を批判しているフェミニストも多いが、「未亡人」概念ってそういう展開と地続きなんだね。
だけど何故かそうした人達は「未亡人」ワードにきゃっきゃして性的消費する事を疑問に思う様子はない。
男キャラは老若美醜様々なのに対して女キャラは若い美人しか出て来ない作品が多い事とも地続きだけど、そういうのを嘆いている女性が「未亡人」ワードで騒いでいるのも見た。
あと、仮に男女共通に使える言葉だとしても、大切な人を失って傷付いている姿を性的消費するってのがもう最悪だと思う。あまりにもモラルが無さ過ぎる。人の心がないのか?
モラルの無さでは男オタと同類だが、何故か男オタと違ってあまり批判されないんだよな……。
中でもジークアクスはよりによって鶴巻監督がpixivを見ていると公言したから、公式もこういう腐女子ノリに迎合する事間違いなしでさぞかし酷い事になりそう。
https://www.famille-kazokusou.com/magazine/manner/285
かつて中国では、夫が亡くなったときは妻も命を絶つ『殉葬(じゅんそう)』という習わしがありました。そして、この習慣に背いて生きる女性は、自分のことを「夫が死んだのにまだ生きています」という意味で未亡人と言ったそうです。つまり女性に対して「あの人は未亡人だ」などと言うことは、「夫が亡くなったのに死なずに生きている人だ」というような意味にも捉えられます。たとえ深い意味を知らないとしても、使って良い表現とは言えないでしょう。
未亡人という言葉は、その成り立ちから、一般の新聞や放送でも避けるべき言葉とされています。基本的に、新聞や放送では「難しい言葉」「戸惑う言葉」「誰かを傷つける言葉」が忌避されます。未亡人は、このうちの「誰かを傷つける言葉」として、使用するのは好ましくないとされました。
例えば、朝日新聞の用語などの取り決め集では、1988年12月より未亡人という言葉は「性差別用語」に指定されています。そしてこれ以降、朝日新聞で未亡人という言葉を見ることは少なくなりました。事実、1984~93年までに未亡人と言う言葉が使われたのは、739回。これに対し、2003~2012年までは125回です。
https://sogidesk.com/report/mibojin
未亡人は女性にしか使われない呼称ですが、女性を指す言葉だからという理由だけで差別だと認識されているわけではありません。「後家」や「寡婦」も夫に先立たれた女性を指す言葉として使われますが、未亡人のように差別表現だと受け取る人は少ないでしょう。
ではなぜ未亡人だけが女性蔑視の差別表現だと指摘されているのかというと、未亡人には「夫が死んだのに未だ亡くなっていない人」という意味があるからです。
要するに、本来なら夫とともに妻も死ぬべきだったのに、まだ死なずに生きながらえているということです。
言葉の意味をよく理解していなくても未亡人と言われるだけで、なんとなく嫌な気分になる人がいるのは、言葉に使われている字から女性に対する差別的な意味を感じるからではないでしょうか。
いや加害者のことも叩くな。聖人君子でもあるまいし、お前に関係ないんだから。
だがこのインターネットの世界でお前が何も叩かずに暮らすことは土台無理な話だ。火事と喧嘩は江戸の華みたいなノリで今日も炎上は市民の娯楽だ。ならせめて、加害者以外を叩くな。それだけで世界は随分平和になる。
「でも被害者側にも問題があるし、これで加害者だけ叩かれてるのはさすがに可哀想。両方同じくらい叩かれてないとフェアじゃなくね?」
↑本当にそう思ってたら普通どっちのことも叩かねえんだよ。すっこんでろ。
「この件については加害者と同じ属性の人ってみんな当事者みたいなもんだし、イコール全員加害者ってことだから被害者と同じ属性つまり当事者みたいなもんである自分が叩くのには正当性がある」
↑「加害者と同じ属性」 ✕(我々はみな地球に住む知的生命体という同じ属性であり、この理屈でいうとどこまでも範囲を広げられるため)
「当事者みたいなもん」 ✕(その事件に関わった者しか当事者になり得ないため)
「叩くのには正当性がある」 ✕(法治国家である我が国において人を裁くのは人ではなく法であることに注意が必要です)
「別に叩いてるつもりはない。アドバイスをしたり問題点を指摘しただけ。悪意ではなく善意からである場合叩いていることにはならない」
↑道徳の授業みたいなマジレスしたくないけど、自分が何を言っているのか見直すときに“相手がどのように受け取るか”という視点を追加したほうがいいですよ。直接的に『デブ』って言ってなくたって『あなたダイエットしたらいいのに』って言ったら相手がどう感じるかわかるでしょ?
加害者以外を叩くな。まあ、なるべくなら加害者も叩くな。すべての問題に当事者意識を持つのはいいことかもしれない。でも決して当事者じゃないんだ。当事者意識を持つ他人と当事者は違う。お前はお前の人生を愛せ。今日食った美味いものの話でもしてろ。鍋つゆを溶かしたお湯に焼いた餅入れると雑煮みたいで美味いぞ。お前だけの『これ思ってたより上手くいったな、成功ってほどじゃないけど良かったな』みたいなことでも発表してろ。
加害者以外を叩くな。お前には加害者を叩く資格も別にないが、加害者以外を叩く道理はもっとない。お前が雑に投げた石がぶち当たって怪我をする人のことを考えろ。『当たるべき人に当たった』と思うな。どう考えたって知らんやつに石投げるお前が一番ヤバい。そもそも加害者以外を叩いた時点で完全に論点がズレている。
加害者以外を叩くな。この時代、インプレッション稼ぎにわざと的になるやつもいる。乗るなエース。戻れ。ムカつくやつを稼がせるな。
加害者以外を叩くな。インターネットやめろ。金もねえ、連れ合いもいねえ、仕事もだるいしうっすら体調も悪い。生きてるだけでこれほど病む要素があるのに、ネットとかいうお前の人生になんら関係ない世界のことでまで病むな、イラつくな。今日も上司にしれっと仕事を回されて、お客様からのありがたいご意見を拝聴し、部下は絶対に残業したがらない。あーキレそ。で、なんでネットでまでレスバしてイラついてんだ。無意味。なんもかんも無意味。レスバはイラつくけど勝てたらスッキリするし? ギャンブル依存と一緒で草。
嘘だ。最近本気で見るに耐えないから言っている。『じゃあお前がインターネットやめろ』? やめない。俺はインターネットが大好きだ。インターネットに溢れかえる情報の物量で脳味噌刺激してドーパミンドバドバにしないと息ができない。だからお前たちが自重しろ。せめて加害者以外を叩くな。
冷凍。800gで5000円。
冷蔵庫で半日解凍させ、数の子やローストビーフ、鰹のたたきと一緒に食卓に並べる。ちょっと気圧されるくらい豪勢な夕飯である。朝からもうビールは6缶飲んでいるし、700円で売っていたドイツの甘いワインも空けた。コロナ禍以降、正月に実家に帰省するのはやめたからとても気が楽。電話口の「まあそのうち帰るわ」で何となく済ませられる。
連れ合いは早速チンポを手に取り皮を剥き始めた。私もチンポに手を伸ばそうとすると「いいよいいよ」と制しながら、私の口にチンポの剥き身を放り込む。チンポってこんな美味かったのか、と驚くくらい美味い。
「美味しい?」
「超美味しい」
「うわ、美味しいな〜。やっぱチンポってすごいわ」
そう言いながらまたチンポの剥き身を私へよこす。
「なに?全部剥いてくれるの?」
「全部剥いてあげるよ」
「あざす」
お返し代わりに連れ合いの口元へスーパードライを持っていくが「今はチンポに集中したいからいい」と断られる。そしてまた私の口にチンポを押し込んでくる。
小さい頃、特別な日に出てくるチンポは全部おばあちゃんが剥いてくれて、「はい、食べな」とキレイな身を皿にこんもり盛ってくれたのだと言う。
「チンポって人に剥いてあげるのが1番楽しいかもしれん」と連れ合いは呟き、私はその言葉を聞きながらビールを一口飲んだ。
みたいな事を考えながらひとりで三が日過ごしました。あけましておめでとうございます。
冷凍。800gで5000円。
冷蔵庫で半日解凍させ、数の子やローストビーフ、鰹のたたきと一緒に食卓に並べる。ちょっと気圧されるくらい豪勢な夕飯である。朝からもうビールは6缶飲んでいるし、700円で売っていたドイツの甘いワインも空けた。コロナ禍以降、正月に実家に帰省するのはやめたからとても気が楽。電話口の「まあそのうち帰るわ」で何となく済ませられる。
連れ合いは早速カニを手に取り殻を剥き始めた。私もカニに手を伸ばそうとすると「いいよいいよ」と制しながら、私の口にカニの剥き身を放り込む。カニってこんな美味かったのか、と驚くくらい美味い。
「美味しい?」
「超美味しい」
「うわ、美味しいな〜。やっぱカニってすごいわ」
そう言いながらまたカニの剥き身を私へよこす。
「なに?全部剥いてくれるの?」
「全部剥いてあげるよ」
「あざす」
お返し代わりに連れ合いの口元へスーパードライを持っていくが「今はカニに集中したいからいい」と断られる。そしてまた私の口にカニを押し込んでくる。
小さい頃、特別な日に出てくるカニは全部おばあちゃんが剥いてくれて、「はい、食べな」とキレイな身を皿にこんもり盛ってくれたのだと言う。
「カニって人に剥いてあげるのが1番楽しいかもしれん」と連れ合いは呟き、私はその言葉を聞きながらビールを一口飲んだ。
みたいな事を考えながらひとりで三が日過ごしました。あけましておめでとうございます。
ワイズ先生(@YS_GPCR)が、性交同意年齢の16歳以上引き上げについて合理的な根拠がないと主張されている。
ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1770800526998819269
こういうふうに、説明つかないでしょ?
ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1771143471996551171
??
「14歳は性教育が足りないため、成人は14歳と性交すべきではない、という理屈は、年齢差5歳以下なら犯罪とならないことと辻褄が合わない」
に対して
ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1771402538862150118
「権力勾配」って、学校の先生と生徒とか上司とかの関係を言っていると思うんですけど、権力を利用して手籠めにしたのか、同意のある関係なのかは、個別に判断すればいいわけで、一律で禁止する合理性がない
ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1771404710995779643
これは「砂山の詭弁」の変形ですね。今回の性交同意年齢の議論は、グラデーションがありボーダーラインを便宜的に決めるしか無いものの一種です。だから、14歳を主張する人に「13や15はいけないのか?」と詰問することはできる。
個人的には性交同意年齢引き上げには合理性があると思うが、改めてその理由を問われると即答できない。そこで、政府答弁による公式の制度趣旨を調べたので、メモとして共有しておこう。
強制わいせつ罪、強制性交等罪は、性的自由、性的自己決定権を保護法益としております。性的行為に関する自由な意思決定の前提となる能力がそもそもない場合には、暴行等の意思決定に影響を及ぼすような状況がなかったとしても保護法益が侵害されると考えられるところ、その能力がないと言える年齢として、現在は十三歳未満、すなわちおおむね小学生の年齢層の者は行為の性的意味を認識する能力が一律に欠けるということから、現行法では十三歳未満がいわゆる性交同意年齢とされていると考えられます。
もっとも、性的行為に関して有効に自由な意思決定をするための能力の中身といたしましては、行為の性的意味を認識する能力だけではなく、行為の相手方との関係において、行為が自分に及ぼす影響について自律的に考えて理解したり、その結果に基づいて相手方に対処する能力が必要であると考えられます。
そして、十三歳以上十六歳未満の者はおおむね中学生の年齢層でありまして、性的な意味を理解する能力が一律に欠けているというわけではないことから、一律に相手方や状況を問わず性的行為に関する自由な意思決定の前提となる能力に欠けるとまでは言えない一方で、先ほど申し上げた後者の能力は十分に備わっておらず、対等な関係の下でなければ性的行為について有効に自由な意思決定をする前提となる能力に欠けると考えられるところでございます。
そして、相手方が年長である場合には、一般に、その年齢差が大きくなるほど、両者の間の社会経験や知識の差異などによりまして、その年齢差自体から対等な関係にあるとは言えなくなると考えられるところ、この性交同意年齢の問題は、性的行為をしたこと自体で直ちに性犯罪が成立するとするものとする規定でありますことから、刑罰の謙抑性の観点から、双方の年齢が要件を満たすだけで例外なくおよそ対等な関係はあり得ず、有効に自由な意思決定をする前提となる能力に欠けると言えるものであるものとすることが必要であると考えられます。
本法律案におきましては、そのような観点から、心理学的、精神医学的見地も踏まえまして、いわゆる性交同意年齢を十六歳未満とした上で、十三歳以上十六歳未満の者に対する性的行為について処罰対象となる得る者を、その者が生まれた日より五年以上前の日に生まれた者としているところでございます。
アウトラインで要約すると、以下となる(なお、「意味認識能力」などは便宜的な表現で専門用語ではないことに留意。3/25一部修正)。
以上のように考えるとワイズ先生の議論に対する違和感は、被影響認識能力と関係対処能力が当事者の年齢差に大きく左右されることを無視している点に根差すことに気付く。直観的に考えても、14歳と15歳のカップルと、14歳と25歳のカップルの違いは何かといえば、年長者と年少者間の年齢による社会経験の差と、その差が年少者側に与える影響の度合いである。
もっとも、改正後刑法の年齢区分が関係対処能力などの獲得と本当に対応していると証明できるかと問われれば、なお議論の余地はある。しかし、その点は単なる科学的な問題にととまらず価値判断の問題でもあり、国会で多数決で決めるという民主主義によって決する他あるまい。
結論を書き忘れていた。
以上より、性交同意年齢を引き上げて性交を一律で禁止することに、少なくとも法が備えるべき合理性はあると自分は考える。もちろん、年齢区分の妥当性について、生物学のように厳密に実証することはできず、この点につき異論はありうるだろう。しかし、理論的、経験的根拠を有する制度趣旨が政府から提示され、国会で一定の議論が交わされた上で多数決で刑法改正をした以上、性交同意年齢引き上げは法としては十分な合理性を持つ。
ワイズ先生は年齢区分の客観的な妥当性について議論を続けそうな雰囲気だが、もともと法律というのは完全に客観的というわけではい。法は価値判断を包含するものであり、最終的には選挙で選ばれた国会議員が多数決するという民主主義によって制定する他ない。逆に、価値判断をほとんど含まない問題については民主主義は不要である。例えば、ある物理現象のメカニズムは何かは、選挙で選ばれたわけでもない物理学者達が数理モデル化と実験を行い、その論文化と討議を通じて合意を形成して決まる。ここには価値判断の対立がなく、ほぼ客観的に議論が決する。法律はそうではないので、多少の客観性の欠如は国会議員の多数決で補う他ない。
少なくとも、以下の「年長女性の嫉妬」という下世話な動機で法改正されたわけではないのは確かだ。
ttps://twitter.com/YS_GPCR/status/1771403509134758353
これはもともとの論点の「性交同意年齢を引き上げようとするのは結局年長女性の嫉妬」という根拠の一つだけど、権力勾配のある性的関係を一律で禁止しようとするのは、望んで高権力の相手を好きになる人の自由を踏みにじってるわけです。それを「グルーミングされただけ」などで押し切る強引さがおかしい
ttps://marshmallow-qa.com/messages/0ba4dc8f-aeef-493f-b199-88ebcde853fd?utm_medium=twitter&utm_source=answer
「不同意的、強制的な関係を防ぐために、成人と未成年で"真実の愛"が成立する例が一部あったとしても潰す」とほぼ同旨の政府側答弁が、既になされている。
(中略)
例えばなんですけれども、十五歳で高校に入学しました、それで、シングルの成人の教員と相思相愛、愛し合うんですね、気持ちで愛し合いました、そして、結果、性行為を交わしたとします。それで、高校卒業と同時に婚姻関係となるケースも考えられます。私が高校時代なんかは、同級生が高校卒業したら結婚しちゃったというのは割とあったんですね。
このケースなんですけれども、円満に、穏やかに結婚生活、夫婦生活を行っていたとしても、今現在行っている、営んでいるそういう御家庭があったとしても、当時、お連れ合いのどちらかが、男女限りません、どちらかが十五歳当時でした、そのとき性行為を交わしていましたということが判明すると、その片方のパートナーは、六月以上十年以下の、有罪、拘禁刑の罰則対象となりますね。
(中略)
十五歳の高校生と二十三歳以上の大卒の先生という前提で申しますと、その年齢差は五年以上年長という要件に該当いたしますので、結婚したとしても、それからその結婚生活が円満だったとしても、その行った当時の年齢差ということで判断すべきことでございますので、改正後の刑法第百七十六条第三項又は百七十七条第三項の罪が成立し得るということになります。
例えば無許可の拳銃所持の内、美術的な鑑賞目的の事例が極少数存在するが、その他のほとんどの事例はそうではなく何らかの犯罪行為の準備が疑われるので一律に所持そのものを処罰する、というロジックは十分に合理的である。同様に、成人と未成年で"真実の愛"が成立する例は極少数存在するが、他のほとんどの例はそうではないので一律に処罰する、というロジックは理に適っているように見える。
なぜワイズ先生批判派は上記のロジックを援用しないのだろうか。また、ワイズ先生はこのロジックならば異論はないのか。何が論争の争点だったのか、よく分からなくなってしまった。
夫と個人経営ぽい居酒屋に行ったときに料理が美味しくお酒が回って機嫌がよくなってくると、店主さんとか若いバイトさんに飲み物を勧め始める。
マジでダサくて同行者として恥ずかしいのに、それを1杯だけじゃなく2杯とか場合によっちゃ3杯とかやる。
その行為で夫自身もダサいしそんなダサい奴が夫の自分もダサく思えてきてホント嫌。
最初のころに止めてほしいと頼んだのが「こちらの気持ちを表しているだけだ」とかなんとか言って不機嫌になるんだよ。
あのなあ、酔って機嫌の良くなってる客の不興を買いたくないから店員は飲みたくなくても断れないし、
ソフトドリンクにしたって水分を取りたいタイミングなんて人それぞれだし、
奢りを押し付けられた店員側は、通常業務以上の謝辞や愛想の提供を要求されるわけだからいい事なんて何もねーんだよ。
学生バイトはとりあえずウーロン茶持参してお礼言って一瞬口付ければそれでいいだろうけど、
成人してる店主さんの場合客のゴキゲンな空気に合わせるためアルコールを選択する空気感になるし、刃物や火を飲酒状態で触らせることに罪悪感とか感じないわけ?
あとこの間一人で良くいくバーに行ったらカウンターの隣の席が高齢男性だったのよ。
そのお爺さん、後から入ってきたテーブル席の若い女性に飲み物出してやってくれってマスターに言って、
30分くらいしてからそのお爺さん、カウンター席から振り返って「もっと飲まないのか?マスター2杯目を聞いてやってくれ」みたいなこと言い出して気持ち悪い男感が爆発してた。
「うわあ…今日は日が悪かったかな」と思ってたらマスターが「もういい、ほっといてあげて、余計なことするな」とピシャリと言って、オジイが「え…?なんで?」みたいなこと言ってたけど最終的に大人しくなってた。
幼少の時分から太り気味で運動神経が悪く、頭も知的障害とまではいかなくても平均以下、顔立ちも極端に不細工では無いがお世辞にも褒められたもんでもない。
家族も自分を愛してはくれたが自尊心を高める様なコミュニケーションは取っておらず、寧ろ優れた所は無く何かと不利な目に合う事が多くともそれに負けず生きていけるタフな心を養わなくてはいけない、そういった教育や意識付けを行う人達だった。
そんな出自なので自分は無意識の内に他人に対して劣等感を抱いていると思われる。それ故に自分のアイデンティティーは身体や知性に依らない、純潔な価値観や思想に有ると考えている。
その結果、他人の振る舞いや思想に対して非常に潔癖な性格が身に付いてしまった。それだけが理由ではないが、それが大部分の理由で友達も恋人も居ない。
やたらと卑下する文章を書いてしまったが、自分が嫌いかと言えば全くそんな事は無い。寧ろ愛している。
先述した様に他者に劣等感を抱き、且つ毛嫌いしがちな人生を歩んでいる為、愛したり信頼したりする対象を見つけられておらず、結局自分自身が一番理想とする生き方や思想を実践出来ている存在だと思っている。
井の中の蛙であろうが、それもまた致し方の無い運命だと思いたい。
こんな浅はかな文章を長々と書いて何をしたいのかと言うと、最近の自分は他者を動物の類だと思っているんじゃないかと思ったからその考えを記録に残したい為だ。
さっきから他者への嫌悪感をつらつらと書き連ねている訳だが、人の居る場所が嫌いと言う事も無い。但し、自分に関わる人間が居るのは嫌だ。
つまり、イベント事など知らない他人が集まる場は寧ろ好ましい。連れ合いも居ない癖にお祭りが有るとフラフラと出掛けたりする。自分は誰の眼中にも入っておらず、盛り上がっている人達を観るのは楽しい。
だが、その輪の中に自分が入れられると考えるとゾッとする。グループに入れば他者の価値観に合わせなければいけない、有限である人生の一部を自分自身のアイデンティティを崩した状態で過ごさなければならない。
それが嫌で嫌で堪らないのだ。
恐らく今までの人生において、他者との関係で得られた利益が少な過ぎたのだと思う。だから自分の価値観の中で他者とのコミュニケーションで得られる幸福感が著しく低いランクに位置付けられたのだ。
その結果どうなったか、利益をもたらさない他者の存在は自分の中で自分と同価値とならなくなっている。動物園で動物を観るのは楽しい、だが家の中に動物園の動物が居たらどうだろう?ハッキリ言って邪魔なだけだ。
その上、他の動物よりも権利の主張に喧しいとくる、成すべき義務に関しては素知らぬ振りをする癖に。躾けたり愛玩でも出来れば良いが、愛護団体が五月蠅い。
こんな面倒臭い存在、もう情報だけで良い。まぁ我ながら非常に勿体無い考えではあるが。
そんな中でもどうしても関わらなくてはならないのが同僚や上司。これらに関しては言い方が相当過激になってしまうが、正直言って最早家畜の類に見えているんだと思う。
生活の糧を得るのに必要な仕事をしてくれるだけの動物。相手は畜生だから価値観が合う事など無い。それでもそれ等の存在無しには生きていけない。
だから彼らの習性を理解し、上手く誘導するべく努める。ウンザリするが畜産家の皆様はもっと大変な思いをされている事だろう。自分も我慢しなくてはならない。
そしてココにこそ、自分が業務中は愛想笑いで応対出来るのに飲み会は死んでも行きたくないのかが分かる。なんで家畜と飲まにゃならんのだ。
君達と過ごしているのは生活の為で有って、対等な存在だと思っているからじゃない。
良い商品となって貰う為に日中家畜を愛情込めて世話をし、さぁ家に帰って本来の自分に戻ろうと思った時に家畜から、『有難う!良かった飲みに行こう!』って誘われたどう思う?
いや…確かにお前が喜んでくれる様には努めたけどそれは業務だからで有って、なんでお前と対等に飲まにゃならんのだ。と思うんじゃなかろうか。
まぁ余り倫理的な考えではないかもしれんが、もう身に付いてしまったものだから仕方ない。
誤解しないで欲しいが自分は決して他者を劣った存在と思っている訳ではない。身体能力や知能指数はきっと相手のが上なんだと思う。
でも自分の価値観は思想に有る、その意味で信頼がおけると感じた相手は殆ど居ないから対等な存在と思えないだけである。
なので逆に他者からしても自分の事を家畜だと思って欲しい。単に生活の糧を得るのに利用する必要のある存在だと考えてくれる相手が自分にとって信頼のおける相手なのだ。
だからこそ、少なくとも最初はお互いの事を家畜だと思い合える相手こそ理想。そこから互いの価値観にシンパシーを抱き、徐々に打ち解けられて初めて信頼がおける。
じゃあ雑に仕事を押し付けてくるだけの同僚や上司が理想なのかと言えば全然違う。先述したが、自分も他人も家畜なのだ。
虐待紛いの振る舞いをする奴が良い畜産家か?愛情を込めて飼育する人こそ良き畜産家だろう。少なくとも家畜にとっては。
そしてヒトなる家畜にとって重要な世話とは礼儀や距離感、相互理解と気遣いなどのグルーミングの事を指すんじゃなかろうか。
何時の日か良き飼育員に出会えた時、初めて他者を人間だと思えるのだろう。まぁこんな偏った思想をしている奴にそんな日は訪れないだろうが。
一度文章を見直すと何だか魯迅の阿Qみたいだ。精神的勝利法とは空しい。それとは違うと信じたいけど…。
まぁそれでも自分は自分が好きだ。だから今こう感じた事も何時か読み返して自分自身を愛でたい。その為に備忘録としてココに残す。
ネットでは散々見たけれど、配偶者や同棲相手を「同居人」呼びする人って現実にもいるんだね…!
ネットで見ても十分に気持ち悪いけれど、リアルだとより一層気持ち悪いな!
で、とあるレズビアンの人が言ってたけれど、こういうふうに交際相手の存在は明示しつつ敢えて性別をぼかした呼び方する女性って、ほぼ100%ヘテロ女性なんだよね
レズビアンだったら存在そのものを伏せるか、カミングアウトを籠めて彼女って言う
つまりごくありきたりなヘテロ女性でしかないのにそこらの女とは違う特別な私仕草をしている辺りが心底気持ち悪いと思った
パートナーのいない非モテ女性と一緒にされるのは嫌だけどありきたりのヘテロ女性に括られるのは嫌だというめんどくささ
性別をぼかすにしても「恋人」「連れ合い」辺りの、昔からある自然な言葉じゃ駄目なんだろうか?つくづく気持ち悪いんだよな「同居人」呼び…。(「連れ合い」は年配男女が使っているのをよく見るけれどニュートラルでいい言葉だと思う)
2023.1.25
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/fujita_taniguchi/22307
本の冒頭に、日本では人権が「思いやり」と同一視されている、という指摘が出てきます。
まさにその通りだと思うのですが、日本には人権を誤解しているどころか、積極的に否定してくる人さえいます。
先日、ホテルのレストランで、昼食を食べながら出版社の編集者と打ち合わせをしていたんですよ。
今、私が作っている人権の本の構成について話していたら、隣に座っていた60代くらいのご夫婦の男性が突然怒鳴ってきたんです。
って。
びっくりしたら、お連れ合いのほうも、
「ごめんなさいね。でも美味しく食事をいただいているときに、そんな話を聞きたくないんです」
って。
藤田 ええー。
「私たち、仕事の話をしているんですよ」と、冷静に対応しましたが埒があかないので、お店の方にお願いして個室に移りました。
はあ? という感じですが、これが日本の一般的な現在地なのかなとも思ったんです。
藤田 あり得へんと思うな。