はてなキーワード: 同居人とは
数年前に離婚した
最初に書いておくが子なし合意で家賃と家事は折半。ここはきちんと話し合ってお互い納得していた。
配偶者は季節の変わり目ごとに体調を崩す人だったのだが、日常生活を共にしていると配偶者の自己管理能力の無さばかりが目についてしまって
夫婦はお互い助け合うものだと思っていたけれど、これではこちらが助けるばかり。
そして自分が何か困ったことがあっても恐らく何の力にもなってくれないんだろうなと感じた。
と言うより自分が困るようなことなんだから居たところで役に立つんだろうか?とか
今まさに自分が困っている。
そんなことばかり考えてしまった。
食後にソファで寝てしまい、朝までそこに居たせいで風邪を引くことがしょっちゅうある。
きちんと風呂に入ってから布団に入って寝た方がいいこと、もしくは帰宅直後にすぐシャワーを浴びたらどうか?などの指摘をしてきたが
本人に改善する気がまるでない。
そもそも私は元来、人様にとやかく言うのが苦手な性分なので日常生活で相手をコントロールするようなことはしたくない。
ただ、結婚生活においてはある程度それをやらないとこっちに皺寄せされてしまう。
本当にしんどかった。
結婚生活を維持できているような人はきっと
ここで黙って看病をしたり、根気強く相手に指摘を続けられるような人なんだろうか?
その方が余後がいい?
だとしたら本当に尊敬する。
最後の方はもう、何かを言う気力もなく
何か欲しいものがあったらLINEしてくれたらドアノブにかけておくね、という一言を置いて
風邪を引いている配偶者を置いてひとりビジホに泊まっていた。本音はお前がビジホに泊まれよと思っていた。
自分と一緒にいてくれありがとうと思っていても、タダでコキ使われているようにしか感じなかった。
こんなことなら泊まり込みでもして仕事に打ち込んでいた方がよっぽどリターンが多い。
最後に残るのが相手へのリスペクトではなかった時点で相性も悪かったんだと思う。
家庭人は凄い。改めてそう思う。
以下反応を受けて加筆
結婚相手というより同居人>>自分の中で結婚に対して解像度が荒かったのかもしれない
夫婦は鏡と言うが自分はさすがにここまで病弱で自己管理が出来なわけでもないと思っていたので
うちの旦那も早く寝ろと言っても抵抗してテレビ見てる>>これを毎日毎日気が遠くなるほど何年も注意し続けるのはしんどくないだろうか?
私はあまり人に注意や指摘をするのが得意ではなくいのでこっちが疲弊してしまうと思う
自分が指図されるの嫌いだから他人にも指図したくない>>まさにこれなのでタイトルにある通り自分は結婚に向いていなかったんだと思う。
相手との相性に限った問題でもなく、意図してタイトルをデカくしたわけではないということを留意頂きたい
結局のところ人様にとやかく言いたくないのは自分が言われたくない裏返して
かと言って自分のために相手に変わって欲しいとも思っていなかった。
今回のことでよくわかったので
再婚願望はなく
この辺にどう折り合いをつけるのが正解だったのか気になった
これは書いた自分は嫁側です
その上男は一人で複数の女を孕ませられるから種付け要員としても下位男性は切り捨てられるし、女が逆らわないと見抜くと家事育児介護共働き近所親族PTA付き合い等全て丸投げするので同居人としてもペット以下
故に「セックスさえできればスペック出自経歴地位評価関係なくどんな女でも嫁を捕まえるだけで一発確変人生薔薇色になれる」という男は無数にいるが同様の女はおらず、必然的に男は余る
女を所有したりセックスする為に木嶋佳苗や上田美由紀やりりちゃん等の売春婦如きに金を払わざるを得ない現実を認められない
それらの現実を突きつける女や創作物を無数の男が社会的もしくは物理的に消そうとする現象が起きる
金を払わずに女を所有できるサイゼリアテスト幻想に固執するのもそうなる
・「汗臭い男性は体臭ケアしてください」と発言した無名のアドバイザー
・「低身長男性は婚活では不利なので普通の人より努力が必要」とポストした無名の婚活業者
・何かの動画で「低身長の基準は?」というアンケートに「170cm」と答えただけの一般女性
・ぱっと見港区女子崩れの未婚に見える小綺麗な30女の自撮り(実際は子持ちで実業家)
・自分を断る初対面の婚活女性(高望みクズ女扱いして罵倒がデフォ)
・BLや推し活等のイケメンコンテンツ(これらのせいで自分達下位男性が女に相手にされないと思っている)
・「CAとマッチングできるのは身長170cm以上の男性」という無名アカウントの発言に無数のCAへの罵倒(空中オナホ、売女など)が集まる
・自分のアプローチを断った女へのレイプ扇動ネット工作(写真や個人情報付き、本人なりすましや第三者視点で「私を犯して」「あいつはヤリマン」)請負業者が多数存在する
女は自分を選ばないまたは無償奉仕してくれないイケメンやヤリチン、ホストやアイドルなどの売春夫に無関心
しかし高齢非モテ男は自分を選ばない若い女や美人、金を取らないとやらせてくれない風俗やパパ活女といった、自分を選ばない女、無償で奉仕してくれない女を見ると見ず知らずの相手にすら憎悪や殺意を抱き、彼女らが不幸になる創作嘘松を量産してバズらせるし、凶行や嫌がらせに及ぶ
和尚は叫んだ
言語をつかうかどうか をまず決める
シャー にゃおー
言語は使うか
まあマリオでいうこっちに進みたいみたいな
右に行きたい 左に行きたいみたいな感じか
じゃあ別に悩んでもいいのか
なにしてもいいけど
言語化するかどうか
ほかのゲームの例
生きるかては山にしとくか 一応 仮置き
やりたいように遊べばいい
悩みたくない
ブレたくない
指針をずらしたくない
直観でいきたい
積み上げていきたい
人生つまんないを避ける
おれが幸せになるのむずい
積み上げるしかない
バイク ひやかし
講演 内観 裁判
迷うくらいなら アニメOPみる
何を言おうとしたんだっけ 忘れた
なんですぐ書かなかったんだろう
積み上げていく
積み上げていけばいつかたどりつける
たどり着かなかったら萎える
毎日10円でも稼げばいつかたどり着く
だるくなったら量を増やせばいい
近づいてる
家族で一つの大きなターニングポイントを迎え、それが落ち着いたので、いっちょうまいもんでも食うか!となった
93歳で歩くのが難しいおばあちゃんが同居人にいるので食べに行くのはなし。
しゃぶしゃぶとすき焼きどっちにする?となって、今回はすき焼きに決定!
・用意した肉
・作り方
その横に肉を入れて片面を焼く。
砂糖があったまったころに(砂糖にかけるくらいの量)少量の水を投入し溶かしつつ煮詰める。
いい感じにキャラメリゼし始めるころに水と同じ量の醤油を入れて箸で1,2回混ぜる。
そのタイミングで横に焼いていた肉をひっくり返す際に、作ったすき焼きタレのところに置いてタレと絡め焼く。
5秒程度で生卵にくぐらせて食べる
・問題点
松坂牛は脂が多くて結構すぐに満足してしまい、しこたま買った肉が余った。
あと、一枚一枚にものすごく時間がかかるので、家族で食べる場合待ちの時間が割と発生する。
ただ、これについては「鉄鍋をおおよそ半分に区切り、半分が肉焼き場、その残り半分のところに豆腐や麩、野菜などを焼いておき、肉ができたらザーーーっとその焼いてた野菜たちを肉側に移動させてしまい、空いた野菜ゾーンに牛脂を敷いてまた肉を焼く…」という方式にすることで永久機関が完成した。
これで肉を待っている間に肉の油と甘辛い醤油がしみ込んだ野菜を食べていればいい。野菜をあらかた食べたら水を流して軽くキッチンペーパーで拭いてから牛脂を溶かす…と繰り返す。
砂糖が多めでかなりこってりした味付けになるので、本当に肉を4,5枚食えばもうしばらく肉はいらねぇ…という気分になり、結果として高級肉を購入したとしても案外低コスパかつゆっくり家族で食事を楽しめて楽しい。
本音を教えてくれ。
アラサー女。数年一人暮らしをしていたが、ここ一年は他人と二人暮らしをしていた。結果として同居を始める一週間前には失敗を悟り、半年で根をあげ、今月同居を解消した。
一人暮らしをしたことがある女性で、今は他人と同居している女性に聞きたい。
私はとにかくダメだった。
子供の頃から家で一人でいるのが好きだったが、それは家族構成員全員がそうであったので人類はそれが当たり前だと思っていた。今日は家に一人だと思うと心が躍ったし、他の家族の予定が狂って家に人が増えると気持ちが塞いだ。
今もそうだ。何か嫌なことをされなくても、そこにいるだけで嫌だ。同居人とは十年を超える付き合いである。それでも嫌なのだ。
嫌なことをされなくても嫌なのに、何か気に食わないことをされるとイライラが止まらない。数年一人暮らしをしていたとき、家でイライラすることなんてなかった。一回もだ。
家は聖域で、そこに帰れば誰も私に嫌な思いをさせられない空間だった。心が休まり、いつでも家にいたかった。どんな辛いことがあっても家に帰ればなんとかなった。子供の頃、「家に帰りたくない、学校にも行きたくない、私には居場所がない」と思ったことが何度もあった。そのとき望んだ夢の空間を、私は手に入れていた。
他人がいる家こそがそうであると思える人が信じられない。他人は他人だ。その人の考えがあり、機嫌があり、その人の人生で起きる出来事がある。いつでも私が望むように振る舞ってくれるわけではない。
ただ、私は、私の家でだけは、誰かの都合で私の気分を少しでも下げられるのがまったく耐えられない。何の交渉も、一切の妥協もしたくない。家庭は最小単位の社会だという。私はそれがいらない。社会にはお腹いっぱい。家には一人でいい。
そういう訳でローンを組みマンションを購入した矢先、親にお見合いを勧められた。「誰かに支えてもらえるっていいことだよ」と。
誰とも一緒に住みたくないアラサーがお見合いに登場しても相手を困惑させるだけなので断ったが、改めて考えさせられた。
「誰かに支えてもらえる」…それって本当に、一人暮らしを手放してまで得たいものなんですか?
今、誰かと暮らしていて、それが楽しいんですか?そうではなく実利のために手放したんですか?後者ならまだ納得がいく。
追記 いくつかコメント読んだけど一個も理解できないし、向こうも私を理解できないんだなって思った。私は誰かに愛されるっていいこと?とか言ってないよ。一人で暮らすより複数人で暮らした方がいいってマジで思ってるの?って聞いてる。私は全くいいと思えないから、みんな金なくて「結婚したら一緒に住まなきゃ」の常識に囚われてるだけなんだなって結論づけてるけど、そうじゃないって人の意見を知りたかっただけ。
なんだか我が家のことを書かれているのかと思った。
我が家は話あいはなく、下の子が生まれてからセックスは一度もない。4年間。妊娠期間をいれたら5年になるかもしれない。
触れるのも嫌がっている気配がある。下の子が幼稚園に行ったら、昼間セックスできるのを期待しているけど(上の子が幼稚園に行ってからは昼間がセックスのタイミングだった)今回は無理かも。と思い始めている。
我が家は夫婦ともに自宅で仕事。家事も子育ても基本的に半分ずつやっている。
そんななかセックスをしない日々が続くと不思議なもので、妻をどんどん他人に思えてくる。愛情がなくなって、同居人、「子育て」をする共同運営者みたいな感じ。
でも、僕は妻とセックスをしたい。今後、ずっとしなかったら、我が家は、というか僕は家族に対してどんな感情を持ってしまうんだろう。
基本在宅作業をしているので、最近は毎日30分〜1時間くらい散歩している。
スマートウォッチはGARMIN(Instinct2S)を使っていて、ウォークとしてアクティビティ記録をしている。
記録後に表示されるリカバリータイムで31時間とか出してくるので、「30分の散歩でそんなこと言われたら毎日散歩出来んだろ」と思って無視していた。
これとは別に、同居人Aに「お前の『ちょっと歩いてすぐそこ』は全くアテにならない」と冗談めかしつつもちょいちょい言われていた。
とはいえ確かにAと歩いているととてもゆっくりになるし、Aと自分の歩行速度が極端に異なっているからそう言われるのだろうな、と結論づけていた。
(一応人と歩く時は、その人の足の出すテンポを気にしながら歩くようにはしている。)
別の日、友人Bと話していて「最近散歩始めたんだけど家から〇〇駅近辺まで30分くらいで案外時間かかんなくて、結構遠くまでいけるもんだって分かった」と雑談を振ったら「……マジで言ってる?」と訝しまれたのでGARMINのマップログを見てもらって納得してもらう出来事があった。
そんなことが重なったので自分の歩行速度を求めてみることに(別に計算しなくてもGARMINの統計ログを参照したら一発だったのだが、そういった機能があることすら知らなかった)。
するとどうやら一人の時は時速5.5〜5.8km(分速90〜95m)ほどで歩行しているらしく、同年代の平均記録と比べると時速1km以上違っていた。
つまり「信号全部につかまってもここからあそこなら20分もかかんないよ」とかの言葉がまるで意味をなさなくなる。
そりゃあ、『アテにならない』と言われるわけだと納得した。
(ちなみに、同居人Aも友人Bも自分より10cmほど身長が高く、自分が身長高くてコンパスが長いからそういうことが起きている、なんていうことは全くない。)
そして話は戻る。
つまり、想定から逸脱しているトレーニングになっているのだろう。
今までは「自分は普通に歩いているだけなのにGARMINはやたらと休ませようとしてくる」と感じていたが、おそらく統計的に正しいリカバリータイムを表示してくれていたのだと思う。
しかし本当に自己認識は「歩いているだけ」なので、毎日散歩が自動的に高負荷になってしまう悩みが舞い込んできてしまった。
同居人Aには「速度を落とすだけでいいのでは」と言われたが、ゆっくり歩く、というのは存外難しいのだ。目的地を持たないで歩く方が良いのかもしれない。あるいは『写真を撮影する』といった『歩く』以外の目的で外出する、というのも一つの手かもしれない。
しかしそうしたとしても、スーパーに行くだけで高負荷になってしまう悩みが消えるわけじゃない。どうすりゃいいんだ。
自分は歩くと大体平均脈拍150〜170弱になり、特に日常生活で困ってはいないが健康診断等でやたら心配される羽目になる。
血圧は毎朝測定しているが特に高くもなく低くもないので首を傾げていた。
ただしそこに、想定以上の速度で動いている、という要素を足すと不思議と綺麗に消えるのではなかろうか(これは、そうだといいな、という願望混じりの推測ではあるが)。
結論として、GARMINをつけていなかったらこの疑問はなかっただろうし、速度を比較してみるということもしなかっただろうし(そもそも比較用のデータも取得できないし)、面白かった。自己と他者の肉体における認識の違いというのは中々気付き辛いので、そういう機会を得られたのは大変興味深かかった。
そしてGARMINは(おそらく)正しかったという話でもあり、Instinct3を買うかどうかちょっと迷う。楽しそうなんだよな。もう少し小さいモデルがあれば即決出来たのだが。
妻とは子育て、家計、家事を共に協力する同居人となり、男女の関係、異性の関係ではなくなった。
ソープに通い始めてから2年半で自分に起こった変化をまとめる。
・筋トレを始めた
ソープの鏡にうつるプクッとたるんだお腹、猫背とストレートネックで類人猿のような姿勢のおじさんに恥ずかしさを覚えて筋トレに通い始めた。
30超えで週2回のジムでも2年継続すれば効果があるもので、シャツとスーツのサイズは合わなくなったし、腹筋も見え、腕から血管が浮き出て、姿勢も良くなった。
家族が寝静まってる間に起きてジムに行き、シャワーを浴びてから1日が始まるのは気持ちいい。
・毛に気を遣い始めた
全身のムダ毛が恥ずかしくなり、最初は剃っていたが、剃った毛はチクチクして嬢に不評と知り髭、胸、腹、腕、足の医療脱毛を始めた。
顔周りがスッキリしたのでせっかくなら髪型にも気を遣おうと、髪を伸ばして美容院で切るようになった。
・禁煙できた
筋トレの効果増大、勃起力アップ、口臭予防、ソープ代の節約という4つのモチベーションのおかげで医者に頼らず禁煙を成功することができた。
仕事や家のことが何か頭に引っかかっているとソープで集中力が落ち楽しめない。
仕事でも子供のことでも家事のことでも「後でいいや」「後にしよう」「明日にしよう」「来週になったら考えよう」という気持ちが無くなり、洗い物でも仕事でも子供の学校や習い事の用事でもなんでもサッと片付けられるようになった。
正確には忘れられなかった、なのかな。
身バレしないようにジャンルとカプはぼかして書くけれど、ジャンルはすぐわかるかも。
20年振りに、中学生の頃からずっと待っていた続編が決まった。もちろん見にいった。
楽しかった。興奮した。どれくらいかって、学生時代に引退したはずだった二次創作の世界に再び足を踏み入れるくらいに。
作品内ではマイナーなカプだったけれど、旬ジャンルの公式カプの力はすごくて、pixivに上げた作品は見たことないくらい伸びた。
Xのフォロワーも増えて、毎日いろんな人と意見交換しながら交流する日々だった。
……そこまでで終わっていたら、私はこのジャンルを離れることはなかったんだろうな。
私の推しカプ(ABとする)は、公式ではあるが作品の途中というか終盤に入ってから成立するカプで、そこまではAC(私はA+CあるいはA←Cだと思っているが)が組み合わせとしてよく描かれている。
避けられないカプ論争がそこにあり、私はある日AC派のオタクから突然攻撃リプをもらった。
怖かった。悲しかった。もちろんそいつはすぐにブロックして、しばらくアカウントにも鍵をかけた。
その頃は3日も経てば心は落ち着いて元通りになった。
今思えば、Xで好きに呟くだけでアンチが突撃してくるジャンルなんて、そこで離れていればよかった。
でも私は、Aが、Bが、ABが、20年忘れられなかったから、その気持ちだけでしがみついてしまった。
ところで、続編ではAのキャラが大きく変わった。
理由はいろいろあるし、Aが元々どんな子だったかを書くとそれもキャラバレする気がするので書かないでおく。いや、こんなことを書いている時点でジャンルがわかった人は薄々誰のことか分かるかも。これだけで。
私は……正直に言って、続編でのAのコミカルな行動は一つだけどうしても許せなかったし、20年前の思い出の中のAのことの方が好きだった。
それをXに投稿すると、「Aのオタクは解釈が暗くて辛い」だの「同じA推しなのに意見が違う人がいて辛い」だのだいぶ突っかかられた。
じゃあミュートなりブロックなりしてくださいよと思ったがしてくれなかった。私の言動はともかく作品がある程度愛されていたのだろうと思う。
今思えばそんなことを投げかけられた時点でジャンルを離れておくべきだったかもしれない。
でも当時の自分は……ABが書きたくて仕方なかった。
そんな生活が1年以上続いた。もちろん楽しいことの方が多かった。そうじゃなかったら離れていた。
ある日突然、ABが書けなくなった。読めなくなった。
全部書き切ったんだ。そう思った。
あとは仕事も大変だし、疲れていて余裕がないんだ。そう思った。
そう信じたかった……でも、そうじゃなかった。
私には何年も遊んでいるゲームがあって、その公式が突然ドストライクの公式カプを提供してきたのだ。
未だかつてなく心が動いた。すごく不器用な子たちだ。
確かにそのカプ(DEとする)でも、書ける頻度は落ちていたけれど……読むことはいくらでもできたし、書くこともできてしまったのだ。
あ、読めないし書けないのって、ABだけなんだ。
そう思った私は、今約束しているABを書き切ったらABを書くのをやめてジャンルを離れようと決めた。
それを同居人に話して分かったことだけれど、ABを書けなくなった理由。読めなくなった理由。
誰かを笑顔にしたくて書いていると私はそのとき同居人に言ったけれど、違うよ、と言われた。
そう。違う。今なら分かる。
自分が楽しいから、自分が書きたいから書くべきだった。人目なんて気にするべきじゃなかった。
誰かを笑顔にしたくて書くならプロになればいい。それはプロが考えることだ。
でも私は、アンチからもらった言葉のせいで、また、ファン同士で意見を合わせようとして、無意識のうちに自分が望むABを書かなくなっていた。
私が好きなABを書いたり読んだりする人は、私がそう自覚する前にみんな、とっくにジャンルを去っていたから、そうなるのも無理はなかった。
だから人の作品を読んで、みんなが望むのは私が望むABじゃないと思い知らされるのが怖かったのだと思う。だから読めなくなった。
そしてある日、決定打が訪れた。
正直仕事ではパワハラを受け、疲弊し、そんな状況で受け止めきれる出来事ではなかった。
AB推しが、ACの作品に、悪意がなかったとはいえ、変なコメントをつけたのだ。
本気でやめてくれと思った。
だから私は、そっとほぼAB用のアカウントになっていたXからログアウトした。落ち着きたかった。
落ち着いてよく考えても、やっぱり許せなかった。
それと同時に、そのアカウントから通知が来ず、そのアカウントを見ない生活は酷く楽だった。
自分の人生を犠牲にしてまで、自分の精神を犠牲にしてまで、約束している分のABを書き切ることに価値はあるのか?
ない。
今度こそ私は、落ち着いた判断を下せた。
それに……AやBのこと、彼らの関係のことが嫌いになったわけじゃない。
20年忘れられなかったジャンルなら、彼らのこと自体は好きなまま、墓場まで持っていきたかった。
だから私は……約束していた人にだけごめんなさいと連絡して、返信を確認して、ずっと使ってきたXのアカウントをそっと消した。
誰かのせいにしたいわけじゃない。
確かに決定打は一人の人の行動だったかもしれないけれど、自分のせいであるところが一番大きいと思うので、今こんな風に記録を残している。
そこが嘘だと思うのならお前がそういう仕事に携わった経験がないからそう思うだけ。ようは世間知らずの自白。残念でした。
根無し草のように誰かの家に転がり込んでたり、なんか複雑な家庭事情と言わざるを得ない奇妙な同居関係も見てきた。
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同居人を誘ってチェーンの牛丼屋に行った。メニューと財布の中身を交互に何度も確認し、一番安いメニュー「牛丼 並盛り」を注文することにした。隣の彼はたしか、キムチが乗ったのを頼んでいたと思う。これでは、貧富の差があまりに明らかだ。ちょっと見栄を張って僕もキムチのに変えようとしたが、1年半も一緒に住んでいれば別に格好付ける意味も無いだろうと思い、そのまま揃って席についた。
朝から何も腹に入れていなかった僕は、目の前のシンプル過ぎる牛丼をガツガツ貪った。頬から鼻の下、エラやアゴまでをも覆うヒゲのせいで、きっと、さながら刑期を終えた犯罪者のようであったと思う。牛丼は美味しかった。
互いに食べ終え、店を後にする。自動ドアが開いて、後ろを振り返り、「ごちそうさまでーす」と言った。それを見た同居人が、驚いたような顔で『え、なんで?』と尋ねる。質問の意味が全く意味がわからず、「なにが?」と疑問詞を投げ返した。
彼曰く、『チェーン店に来てまで「ご馳走様でした」と言う人は滅多にいない』とのことであった。(いや、そんな訳無いでしょう)と思いながらも、「そうなんだ」とだけ言った。全然理解できない。『チェーン店に来てまで』の部分に、一切の共感も無い。彼のことは大好きだ。人柄をほとんど理解しているつもりでもいる。でも、彼のその意見に関しては、ハッキリ「NO」と言いたい。
同じ飯である。高級店だろうが、庶民的な安い店だろうが、全部同じである。飯を出しているお店である。個人店とチェーン店の間に、どんな違いがあると言うのか。腹が減った自分に、食べ物を出してくれる。あの日はちょうど大したお金も無く、僕にとっての「牛丼 並盛り」はまさに「ご馳走」であった。たとえそれが「卵かけごはん」であっても、同じことを思っていたはずだ。
自分のために作ってくれたご飯を頂く。「いただきます」と言う。食べ終わった後は、「ご馳走様でした」と言う。そんなのは当たり前の話だ。朝起きて家族に「おはよう」と言うのと同じである。学校に着けば、友達にも「おはよう」と言う。先生には「おはようございます」。家族も、友達も、先生も、全部同じだ。朝は「おはよう」。夜は「こんばんは」。たしかこれは、5歳の頃に習った。
飯を食って「ご馳走様でした」と言うのなんか、当然なのだ。無言で店を出る人間の方が、滅多にいないと思う。
たしかに、「美味かったです、ご馳走様でした」までは言わなくても良いかもしれない。牛丼は紛れもなく美味かったが。ただ、そこまでは行かないにせよ、やっぱり「ご馳走様でした」ぐらいは言いたいところである。炊いてある米に、朝方仕込んだ具をぺろっと乗っけただけの料理であろうと、「ご馳走」は「ご馳走」だ。飯は飯であり、それ以上も以下も無い。
僕は、どこの店で飯を食おうが、帰る際には「ご馳走様でした」と言える人間でありたいと思う。牛丼にも、パスタにも、懐石料理にも、等しくありがたみを持てる人間でありたい。相手を選ぶなんて、もってのほかである。ましてや、ただでさえ金の無いこんな人間が何を偉そうに、という話だ。
昨日の夜のことです。
同居人が仕事で帰宅が遅く、疲れた様子だったので、「何か食べる?」と聞いたら「なんでもいい」とのこと。軽くでいいならと、棚にあったカップ麺を出して準備しました。
私は普段あまり食べないタイプなので、作り慣れてもいないし、特に気にせず中の粉末スープや具材を全部入れてお湯を注ぎ、時間を計って完成。出したら、相手は一口食べた後に蓋を見ながら「あれ、これ粉末、先に入れたよね?」と。
「あ、ごめん、そうだった?」と軽く返したら、そこから空気が一変。
少し黙ってから、こんなことを言われました。
「味じゃないんだよ。こういうのって、説明をちゃんと読むかどうかっていう姿勢の問題だと思うんだよね。だって、後入れって書いてあるものを、勝手な判断で先に入れるっていうのは、『まあこれくらいでいいでしょ』っていう気の緩みでしょ?そういうのって、たとえば仕事でも何でも、細かい注意書きを読まずに自己流で進めて、あとでミスにつながるタイプなんだよ」
正直、そこまで言う?と思いました。
「たかがカップ麺じゃん」とはさすがに言えなかったけど、内心では「あなた、そこまで味に敏感なわけじゃないよね?」と思ってました。冷凍と手作りの区別もつかないことあるし。
でも相手は「これは味じゃなくて、知性の話なんだよ。食べ物だからまだ笑って済むけど、似たような感覚でミスする人って、契約書の注意書きとか薬の用量とかも読み飛ばすんだよ」と、妙に理屈っぽく畳みかけてきて…。
私はただ、疲れて帰ってきた人に何か出せたらと思ってしたことだったのに、なんだか人格を否定されたような気分になってしまって。
「じゃあ自分で作ればいいじゃん」と思ったけど、言いませんでした。
どちらも少しずつ悪いような気もするし、でもちょっとした気遣いのつもりが逆効果だったのが悲しいです。
皆さんなら、こういう時どう受け止めますか?
私、浅はかでしたか?