はてなキーワード: 京都とは
フェミおばがウソついて理系にこない理由を捏造してましたが現実は京大ですらこんなもん。
5年ほど、東京に住んでいたことがある。今は地方都市在住で、過去には完全な田舎で暮らしたこともある。
10年ぶりに東京へ行って、色んな人にあって話をした。人の流れをみたり、隣のビルで働く人の姿をみて、その仕事を想像したり、近くにいる人の会話に耳をそばだてたり。そして、情報量の多さに圧倒された。
そういえば、上京してすぐの時もそうだったな。慣れるまで、だいぶ時間もかかったが。
日々、いろんな匿名ダイアリーの記事をみながら、それぞれの人の境遇に思いを馳せる。
愛されたい。という言葉きこえてくるのを感じる。自分は本当に生きたいのか?すら曖昧なまま。
自分の声を耳を澄まして聞く前に、SNSから他人の声が響いてくる。
東京は常に監視された公共空間にいるんだなということを目の当たりにした。
建前の世界。みんなが利害を背負っていて、何かから身を守っているようにも感じた。
そう、あれは昔の京都。本音を喋らず、誰も傷つけないように喋る人たちの世界だ。
匿名ダイアリーの向こう側を想像するときに、発信者が東京近辺なのか、そうでないのかをすぐ考えてしまう。
都心部の公共空間には、もう人が人らしく本音を言える世界はもう残っていないのかもしれない。
もしかしたら昭和の新橋や秋葉原のガード下には残っていたのかもしれない。
世界はとても意地汚くて、でもその中で笑えています。は、ベルセルクの魔女のセリフだったか。
キレイに整頓された都会に、意地汚さが現れることはない。
実態が、個々の生きたいという思いの積み重ねだったりすると良いだろうが、
漂白化された上っ面だけの仕組みの上でできたカタチのようにも見える。都心のビルに個性がないように。
田舎が良いとは思わない。全員が本音だけで話せば良いとも思わない。
でも、人が多すぎるからこそ、一人でいると孤独を感じるのだろう。
自然の中の孤独は人ではないものとの戦いだから、人同士で連帯できるように感じてしまう。
久々の東京で、少しの居心地の悪さを感じたので、書いてみた。
東京で生き抜いている人は、本当にすごいと思うし、この中で子どもを育てるのは無理だって思う。
休まることのない公共空間で戦い続けつつ、子どもも育てるんだから。郊外なら少しはマシなんだろうね。
東京しか知らずに生きづらいなら、出ていくと良いと思うという、おっさんっぽい説教しかできない。
昔語りにはなってしまうが、自分が若者時代には、ママチャリかつ、所持金ほぼ0スタートで日本一周している人を複数人は見かけた。
旅の最中で、ウチで働くかい?と誘ってくれた人もいた。一時期は、食いっぱぐれたときの最終手段として、その人の名刺をずっと持っていた。
世界は広い。
何かしらに気を遣って削除するなら匿名サイト名乗んなよバーーーーーーカ
そんなんだからいつまでもはてなは場末の二流IT企業なんだよ、陰湿極まりない京都生まれの会社のクセになぁ?
『サービスの匿名性は、特定の対象を攻撃する目的に使われるべきでないと考えています』だって?笑わせんなよ匿名性は攻撃のためにあんだよボケが
外国人が多いのはもちろんそうなんだけど、店に入ったらどこも第一言語が英語だったのが衝撃的だったな。でも、今無理に日本人を呼び戻そうとする必要もないんじゃないかと思った。
経済的正義のコストプッシュインフレで実質賃金が下がり続けてるんだから、金払いの良い外国人に思う存分支えてもらった方がいいと思う。
今外国人を排除しても、それで空いた穴を日本人は埋められないしね。
あと、他ならともかく、京都ほどの地域なら外国人が来なくなったら自然と日本人は戻ってくるよ。それだけの文化資産が京都にはある。
他のオーバーツーリズムが問題になってる地域も大体はそんな感じだと思う。
気をつけるべきは、日本人が戻ってこれるほど文化資産がないのにオーバーツーリズムが問題になってる地域だろうが、そんなところあんまりないと思うんだよな。
文化資産がない地域にはそもそも外国人観光客なんかほとんど来ない。日本人も外国人も旅先に選ぶ理由なんか大して変わらない。
と言うわけで、日本人の資産が二極化して国内旅行すら厳しくなってる今は外国人に思う存分金ばら撒いてもらおう。
このまま二極化が加速すると外国人が来なくなった時に日本人旅行客の数自体が減ってるかも知れないけど、それはオーバーツーリズムのせいではなく、単に貧しい日本人が増えただけだろう。
出雲大社に行ってきた
休日出勤の振休で平日休みが生じ、なにするかな、おっ11月(旧暦10月、神在月)じゃん、いいじゃーん行くかーと昨晩決めた。家から出雲大社までは車で2時間程度。
斐川インターチェンジを降り(高速代をケチって出雲インターの手前で降りている)、田園ひろがる平地を駆け抜けていくと、色付いた山々の麓に赤い石州瓦の家々が見えてくる。来たなあ、出雲だなあ……と旅情高まる。……が、いやいや、いつまで経っても着かない。道間違えたか?いや合ってる。まあ地図見りゃわかるんだが出雲大社ってインター降りてから長いのよね。
駐車場は8割がた埋まっている。ド平日だが秋の行楽シーズンしなあ。年配のひとが多いが、子連れや修学旅行生もちらほら。外国人観光客はあまり見ない(見た目に分からないだけで中国人や韓国人はいるのかもしれないが)。京都と違って出雲は人気ないのかな、まあ遠いしな。
昨年出産して親戚らから全国津々浦々の安産守をもらった。さすがに全国津々浦々巡ってお焚き上げしてもらうわけにはいかないので、出雲大社でまとめてお返しし、八百万の神々が集まっているタイミングでまとめてお礼を言うという寸法である。お集まりのところすみません、その節はお世話になりました。
どデカい鳥居をくぐって敷地内を歩いて回る。めちゃくちゃいい天気だし、植わってる木は相変わらず全部デッケェしかなり気分がいい。そして広い。なんかめちゃくちゃ歩いた。空気も眺めもいい場所をひたすら歩いてるとそれだけで気分が上向く。運気ってこういうことなんだろうな。つまり健全な肉体に健全な魂が宿るということ。
何回も来てるくせに相変わらずいわゆる手順的なのはおぼつかない。毎回周りを見て真似している。ええんやええんや、大事なのは気分やからな。
御守りを所定のポストに入れ、賽銭を入れ二礼四拍手一礼。家族親族親友の健康と、物件のご縁(最近引越しを検討中なんすわ)を念じる。おみくじ引いたら凶だった。うひー。所定のところにくくる。
目的を果たしたのであとは気楽なもので、ぐるぐる歩いて見て周り、老舗の蕎麦屋に30分並んで蕎麦を食べ、土産屋で5000円するそば猪口を見たり(買わない)した。満足したので帰る。滞在時間3時間。
出雲大社にはじめてきたのは10年以上前。参詣した3日後に科研費が当たった。もちろん参詣したタイミングでは採択は内定済だったのだろうが、なんかすっかり嬉しくなってしまい、その後なにかにつけて、主には人生がうまくいってないなと思うときやつらいとき、それが解消した時などに出雲大社に遊びに行っている。なので、出雲大社を歩いていると昔のあれこれが思い出される。うまくいってないなーと思って参詣した数年後に大抵解消される。だってまあ、ずっと悩んで取り組んでりゃそりゃね。結局、神頼みとは自分を奮起させるための口実なんだろうな、自分の場合は。ともあれ、物件のご縁、マジでマジで頼むぜ!というか物件探し頑張るぜ!育児と仕事も頑張るぜ!また行きまーす。
サンホラのハロパで火刑になった魔女の手拍子が消えてほら見ろ!って言ってる方々へ。
間違ってんよ~ってやるのめちゃくちゃ空気悪いって思ったから、手拍子やっちゃった側としてお気持ち置いておきます。
「んなの分かるわけないだろ。新参いびって楽しい?」が絵馬が初現場の一新参者のお気持ちです。
(あくまで新参者の一例なので、総意ではないことを記しておきます)(私がいびられている、と被害妄想こじらせているだけかもしれないというのも前提にしていただけると助かります)
マナーが悪いというほどの行為ではないと思う中、ああもマナー違反ですみたく言われるのは違うくない?と思ったのでここに残しておきます。
「いや、やったらアカンなんて知らんかったし」が私のお気持ちです。私みたいにNein全公演終わって箪笥のお渡し会後の友人から聞いた話で本格的にハマるみたいななのならともかく、あの日は全くサンホラ知らん人もいたんです。
観客席にライトが向く=歌っていい声出していい等の合図となる、が分かったとしても(この時点で少し難易度高い)、<特定の曲でライトが無いなら合いの手するな>までは分かりません。難易度高すぎませんか。
絵馬からこっちは全て円盤化されていないため、古の映像を知らん人は「現地で合いの手あるってことはやっていいのかな」となることが多いと思います。ましてやああいう合いの手を入れやすいリズムなら、余計に新規の人でも一発目から入れてしまうわけです(私も家ではあそこ指で叩いちゃいます)。
私はP席だったけど横の人(物を落した時にはとても優しくしていただきました。ありがとうございます。お姉さん二人組に幸あれ)は最初からやっていました。私も聞えたからしました。していいんやこれ、って思いながら。現地というものは、周りの人に倣え精神は大切であるとやさしきVの友だちに教わりましたから。
単独参戦の似た新参ローランだったら余計にするんじゃないかな、と思います。
軽く検索して「公式からしちゃ駄目言われた」なんて話が出てきたなんてそんなにないと思う(私はハロパ終演まで見たこと聞いたこと無かったです)ので、してしまうのも仕方ないと考えています。
だから、ああなったのは仕方ないので全員を責めるような物言いはやめーや、と思いました。
Revoは気に入らなかったら切ったり消したり擬態させる人だから、今回私たちの誤まりを消してくれました。
ごめんなさいRevo。余計な仕事を増やしてしまって。音ひとつ消すのは結構大変なことであると(私の知っている範囲では)知っているので、反省しております。
間違ってんよ~!って言っている方々は何がお望みだと勝手ながら推察した結果、もう次からは演者が手拍子しない限りしないでおきます、がいいのかなと思いました。
絵馬の時の選択の時の八拍も物議でていたし、そうするのが一番なんでしょう、とも。
というのが私のお気持ちです。
そうか、私のやったことって駄目だったんだと思った時に、まあ前の現地知らないからしたんだろうけど~みたいな、古参のマウントみたいなのを感じてしまって。
ああ~そりゃ新しい人で仲いいフォロワーとかがいないライト層だったら離れてくわ~ってなるわと思いました。
思ってもマウントじゃない出力で出してくれ~!
私はもう抜け出せないところにいるし周りが優しいからいる!!!!!と半ば意地でジャンルにしがみついているかもしれません。
箪笥からこっち五年間のサンホラ虚無期間にハマってよかった……と思うくらいには周りが優しくある程度の作法を教えてくれたのも大きいです。入国印とか何それ知らんてなりながら進撃の軌跡京都公演行きました。なるほど席のライトはレンタルなんだ……え、レンタル?どのタイミングで貰って返すの!?とか聞きながら絵馬コンに行ったりもしました。楽しかったです。
別界隈とか知り合いでサンホラに興味持ってくれた人に説明した時、フォントとかガッチリ作り込まれた世界観のサイトでハードルの高さがあるのは勿論、「ファンも古参が独特マナーに怖そうな感じは知ってる」って言われたのこういうところかな、と推察します。
まあ私も熱入れているし怖かったかも。反省してます。私のせいも絶対あります。
でも、古参の新参お前ら間違ってんよ系マウントをうすぼんやり別界隈オタクからも認知されてることは、人にサンホラを勧めるたびに言われるのでまあ、うん…!と思うところに胸を痛めています。
少しでも息のしやすいジャンルになってほしいな、と思いつつ本日も私はハロパの円盤をくるくる回します。
以上です。
何言いたいのかも正直分からない、読みにくかったとは思います。ただモヤモヤしたことだけは確かにあったので、こうやって残しておくことにします。
社会人になってからというもの、休みがあればふらりと国内を歩き回っている。
北は稚内から南は石垣島まで、風景や食べ物もそうだが何より”その土地の空気”を感じるのが好きだ。
ただ、どんなに楽しい旅でも帰りになると少しだけ寂しくなる。
そんな時には家で待っているうちの猫のことを思い出す。
風に揺れる猫じゃらしが目に入った。
穂の先が金色に光り、ふわふわと柔らかそうで、まるで猫のしっぽみたいだった。
これをおみやげにするのはどうだろう?と、その時ふと思いついたのが事の始まりだった。
行く先々で土手や空き地を覗き込み、よさげな猫じゃらしを摘んでは新聞紙に包んで持ち帰る。
家に帰れば、うちの猫が目を輝かせて待っている。
それらを差し出せば、彼女はまるで批評家のように品定めを始めるのだ。
そこで今回は、うちの猫が選ぶ「全国猫じゃらしトップ10」(母数1)を発表しようと思う!
ややゴワついていて穂が太め。最初は好奇心で噛むが、すぐに飽きた顔を見せたためこの評価。
評価:★★☆☆☆
柔らかいけど、乾燥して粉っぽい。匂いは好みのようで鼻をスンスンさせている時間が長かった。
評価:★★★☆☆
評価:★★★☆☆
評価:★★★☆☆
評価:★★★★☆
穂が長くて風の抵抗が絶妙。うちの猫も喜んでおり食いつきが良かった。
評価:★★★★☆
評価:★★★★☆
潮風で少し硬くなっているが、跳ね返りが楽しいらしい。うちの猫のお気に入り。
評価:★★★★☆
評価:★★★★★
圧倒的No.1。
うちの猫、20分ノンストップで跳び続け、最終的に咥えたまま寝た。
評価:★★★★★+
猫じゃらしをおみやげにしていると、旅が少し違って見えてくる。
駅前の土手や駐車場の隅にも、思い出の種があるような気がしてくる。
私にとっての旅の思い出は、風景でもグルメでもなく、家に帰って猫と共有するその一瞬だ。
猫じゃらしを揺らすたびに、旅の匂いが部屋を満たす。
旅の思い出は、あの一跳びの中に詰まっているのかもしれない。