はてなキーワード: 学内とは
テクノロジーが社会構造を再編する現代において、人間の知性や専門性のあり方は根源的な問いに直面している。その問いに強烈な一石を投じたのが、東京大学の小川光教授が学内広報誌『淡青評論』で紹介した一件である。これは、制度や組織が適応するよりも速く未来が到来しつつあることを示す、稀有で明瞭なシグナルと言えるだろう。経済学の素養をほとんど持たない修士課程の学生が、生成AIとの対話のみを駆使し、わずか1年で「トップレベルの学術誌に挑戦できる水準」の論文を書き上げたのだ。これは単なる技術的な成功事例ではない。長年の訓練を経て築かれる専門知識の価値、研究者の役割、そして「知性」そのものの定義を根底から揺るがす、まさにパラダイムシフトを象徴する出来事である。
この小川教授の寄稿は、社会に大きな波紋を広げた。インターネット上では瞬く間に注目を集め、「はてなブックマーク」では469ユーザーがブックマークし、102件のコメントが寄せられるなど、白熱した議論を巻き起こした。本稿では、この一件を現代社会の変容を映す縮図として捉え、専門家が感じた「恐怖」の本質と、社会に広がる期待と懸念を分析する。そして、この出来事が象徴する、新たな世代の登場について考察を進めていく。彼らこそ、これからの時代を定義する「AIネイティブ」なのである。
本セクションでは、話題の学生が象徴する「AIネイティブ」という新しい世代を分析する。彼らは、AIを単なる補助ツールとしてではなく、思考や研究の方法論の中核に据えるという点で、旧来の世代とは一線を画す。その登場は、単なるツールの変化ではなく、知識を獲得し、体系化するプロセスそのものの革命を意味している。
この学生が実践した研究プロセスは、AIが方法論の根幹を成していた点で画期的であった。具体的には、以下の全工程をAIとの対話を通じて進めている。
このアプローチの革新性は、旧来の知識探索モデルとの対比によって鮮明になる。東京大学大学院情報理工学系研究科の山崎俊彦教授は、この新しい思考様式を「辞書の逆引き」という比喩で巧みに説明した。従来の検索エンジンは、ユーザーがキーワードを知っていることを前提とした「辞書の順引き」であり、既知の情報を効率的に探す行為だった。対してAIネイティブは、「やりたいこと」を自然言語でAIに問いかけることで、未知の領域を探求するためのキーワードや手法を引き出す「辞書の逆引き」を実践する。これは、人間と知識の相互作用における、根本的なパラダイムシフトである。
はてなブックマークのコメントは、この新しい学習様式がもたらす生産性の飛躍に対する社会的な期待を反映している。あるユーザーは、AIの活用により「人に教えてもらうのと同等のパフォーマンスが低コストで得られる」ため「習得速度が爆速に」なると指摘。また、これは単にAIに作業を丸投げするような話ではなく、「AIの力を借りて巨人の肩の高さを重ねる話」であり、人類の知の発展を加速させるものだという肯定的な見解も示された。
この爆発的な進歩の可能性は否定できない。しかし、それは同時に既存の専門家たちに、長く暗い影を落とし、不穏な新しい現実を突きつけている。
AIがもたらす希望の光の裏側には、深刻な懸念も存在する。特に、既存の専門家が感じる脅威と、AIの活用能力によって生じる新たな社会的格差のリスクは、真正面から向き合うべき構造的な課題である。
この問題の核心は、小川教授が吐露した率直な感情に表れている。経済学の訓練を受けていない学生がこれほどの成果を出したことに対し、教授は「心底たまげました」「このようなAIネイティブの若い人たちがこれからどんどん出てくることにちょっとした恐怖さえ感じました」と記した。この「恐怖」は、単に自らの職が奪われるという不安に留まらない。それは、長年の地道な研究と訓練を経て初めて到達できると信じられてきた専門性の価値そのものが、根底から覆されることへの動揺なのである。
はてなブックマークのコメント欄では、この現象を的確に捉える「レバレッジ」というキーワードが頻出した。「若く優秀な人がAIでレバレッジかけるととてつもない差になるんだろうね」「頭のいい人はAIでより賢くなる」といったコメントが示すように、AIは元々高い能力を持つ個人のアウトプットを飛躍的に増幅させる強力なツールとして機能する。
しかし、このレバレッジ効果は単なる個人の生産性向上に留まらず、社会構造を再編する力を持つ。yumanaka氏は、「地頭のいい人がAIを使いこなして圧倒的なアウトプットを出して、そうじゃない人の仕事を奪っていくんだろうな。こわい」と、その負の側面を鋭く指摘した。これは、AIが能力格差を埋めるどころか、むしろそれを爆発的に拡大させる触媒となり得ることを示唆している。このままでは、AI活用能力に長けた新たな「認知階級」が生まれ、高価値な仕事を独占し、社会の流動性を著しく低下させる未来さえ予見される。
このようにAIが生み出す成果の質と量が飛躍的に増大する中で、私たちはより本質的な問いに直面する。それは、その膨大な成果の「正しさ」を、一体誰が判断するのかという問題である。
AI技術の目覚ましい進展は、逆説的に「人間による最終的な評価と責任」の重要性をかつてないほど浮き彫りにした。本稿の中心的な論点はここにあり、その核心は、他ならぬ論文を作成した学生自身の行動によって最も明確に示されている。
彼が専門家である小川教授に助言を求めた最大の理由。それは、「自身には経済学の素養がないため、その評価が正しいのかわからない」という切実な懸念だった。AIは「国際誌に通用する水準」という評価を下したものの、その正当性を自力で検証する術を持たなかったのである。
この学生の懸念は、専門家による評価の不可欠性を示すものであり、はてなブックマークのコメント欄でも多くの共感を呼んだ。
評価の困難さ: 「生成AIを使いこなせば90点の論文が作れるが、90点かは評価・保証できない。」
専門知識の必要性: 「自分が知見の無い分野でのAIの判断が正しいかどうかをどうやって確かめるとよいのか。←ここが一番難しいし、専門知識が必要なところ」
懐疑的知性の重要性: 「循環参照やらハルシネーションやらを起こした文章を何も考えずにWikipediaに貼り付けるような人物もいるわけで、やっぱ懐疑的な知性と査読は大事なわけです。」
そして、この問題を鮮やかな比喩で捉えたのがobotzcanai氏のコメントだ。「巨人の肩に乗れたところで遠くに見えた島々の価値がわからなければ意味はない」。AIによって得られた広大な視野も、その価値を判断する専門的な知見がなければ無意味なのである。
さらに、この議論は「責任」の所在という、より深刻な領域へと深化する。e_denker氏は、「人間に残された最後の仕事は『責任を取ること』になるという話があるが、まさにそれを裏付けるような一件だと思う」と指摘した。この点をさらに鋭く突いたのが、phillies_rocks氏の「内面化できない成果物を作っても誰も責任を持てない」というコメントだ。AIが生成した成果に対して、その利用者は最終的な責任を負わねばならない。もしAIが設計した橋が崩落した場合、その責任は誰にあるのか。利用者か、開発者か、それともAI自身か。これは、AI時代の新たな倫理的・法的枠組みの構築が急務であることを示している。
この議論は、AI時代における専門家の役割がどのように再定義されるべきかという、未来に向けた重要な問いへと私たちを導く。
東京大学で起きた一件は、AIネイティブの登場が専門家の時代の終わりを告げるのではなく、その役割と価値を根本から進化させる契機であることを示している。AIが圧倒的な情報生成能力と実行力を手に入れた今、人間に、そして専門家に求められる能力は、もはや知識の生成や統合そのものではなくなった。
これからの時代に求められる専門家の資質は、以下の三つの能力に集約されるだろう。
未来の知のフロンティアは、AIネイティブがもたらす爆発的な「実行力」と、長年の経験と深い洞察力を持つ専門家の「検証力」および「責任能力」が融合する場所に開かれる。AIを恐れるのではなく、新たなパートナーとして迎え入れ、人間ならではの価値を磨き上げること。それこそが、私たちがこれから歩むべき道なのである。
愚痴りたいことがある。みんなに相談とかじゃなくて、話を聞いてほしいだけ。
当時は総務の何でも屋をしてたんだけど、こんなことで頭を抱えるなんて思わなかった。
私のことだが、ギリギリ若手じゃないくらいの大学職員である。法務知識はほぼない。
うちの大学が名誉棄損されてる案件があった。ぶっちゃけるけど、はてな匿名ダイアリーである。そこで、うちの大学の卒業生を名乗る人がおそろしい日記を書いてた。
小説みたいな文体で、名誉棄損かどうかは微妙なラインだった。大学の名誉を傷つけるものだけど、読む人が読んだら「表現の自由の範囲内」とか言いそう。
はてブランキングで上位ではないけど、ブックマークを集めてはいた。人目には付く程度で。
どうして判明したかと言うと、大学の代表メールに匿名の通報が届いたから。別の部署宛てだったけど、総務課案件になった。
メールを要約すると「はてな匿名ダイアリーに、貴学の誹謗中傷にあたる記事が投稿されています。私は卒業生なので不愉快です。運営会社が貴学と同じ京都府にあります。対応いただけるかもしれません。返信がない場合は貴学に電話します」
というものだった。最初は迷惑メールかと思った。一応書かれていたURLをクリックしてみた。すると、そこに広がっていたのは、マジでしょうもない長文増田だった。
どんな内容かは書かない。魚拓を取ってる人がいるかもしれないから。
うちの大学の卒業生が主人公で、しょうもない悪行をしてるのが書いてあった。
匿名日記なので、本当に卒業生かどうか怪しいものだったけど、具体的だった。卒業生なのは事実では?と思った。ただ、個人の思い出レベルであり、事実かどうかの確認は不可能。
実際の対応の話に移りたい。
その長文増田をワードにコピーして、印刷して目を通して、ヤバそうな箇所にマーカーを引いて、課内会議を開いた。そこまでする必要があったかはわからない。別部署からのメールでは「必要そうなら対応お願いします」とあったし、私個人のPC宛てのメールだったので無視することもできた。
しかし、その先月に危機管理の研修を受けたばかりだった。本案件をスルーするのは気が引けた。それで上司に相談して、対応会議を開こうという流れになった。
投稿者の属性だけど、大学に恨みを持つ退職者か、あるいは大学から何らかの処分を受けた人間か、はたまた卒業生ではあるけど、人生がうまくいってないしょうもない人間が憂さ晴らしで書いたのでは?と推測された。
というのも、文章の端々から投稿者の憎悪や悪意がにじみ出ていた。読んでるだけで気分が悪くなった。文章自体はこなれてる感じ。
「卑怯で汚い!」と、心の中でそういうことを呟いた。
対応会議の結果なんだけど……流れとしては、こんな順番になった。
まず、学内の法務(顧問弁護士)に相談する。そのうえで、メールでの通報者にはすぐ返信しない。完全に事態が解決してから返信する。電話がかかってきたら私が対応する。
数日後、顧問弁護士からの回答があった。内容は想像どおりのタマムシ色だった。以下要約。
「そのブログの内容は、法的に名誉毀損にあたる可能性がある。しかし、匿名であること、そして書き込みの内容が主観的な感想や風聞の域を出ない場合、立件は難しい。何より、表現の自由の観点からは、公共機関である大学が直接動くのは高リスクであると思料する」
はてな匿名ダイアリー、通称増田は偶にだけど読んでる。ブクマランキングを経由して。はてな匿名ダイアリーを知らない人のために説明すると、文字通り「匿名」で投稿できるサービスであり、その匿名性ゆえに、当事者からの通報ひとつで当該日記をBANしてくれる。
でも、これって私個人の被害を指すわけじゃない。組織としての大学のことだ。じゃあ、削除申請はどうやるのか……一応はてなに質問しようと思ったけど、スタッフさんに迷惑がかかると思ってやめた。いざとなったら、私が嘘通報して消してやろうと思った。
別に、大学の名前で削除要請を出してもいいと思ってた。一応上司にも相談してみた。そうしたら、やっぱり「弁護士の言う通り」らしくて。
書き込みの内容が明らかな違法じゃないし、個人の日記に留まってる限りは、『表現の自由』を大事にしないといけないって。その課長は、わざわざ文学部の知り合いの先生に相談したらしい。そしたら、その教授の先生は相手の味方をしたんだって。
・でも表現物には変わりないので、削除要請するのは公共機関である大学として誤った判断
こういう根本的な壁があった。
結局、それから何週間も悩んだ。担当者としてどうすべきかって。最後の方は、自分で嘘通報して消してやろうと思っていた。私も卒業生なので、こういう日記があると本当にイラっとくる。
「表現の自由」という言葉だけど、それこそ「公共の福祉」があるだろうって。確かにどんな内容であれ、個人が自由に意見を表明する権利は保障されるべきだ。でも、それが他者を貶める目的で行われるのなら、それはもはや「表現の自由」とは言えないのでは?
そんな時に、あの通報メールの発信者から電話がかかってきた。もう二週間以上も返信希望を放置していた。
ストレスを感じながら電話を取ると、意外と大人しい感じの人だった。
「あの日記には不愉快さを感じる。ただ、一応は表現ということもあるので、絶対に消してくれではなくて、貴学に対応を委ねたい」
考えが変わったんだろうか?とにかく優しそうな感じの人でラッキーだった。でも結局、大学としてどういう対応を取ろうかと言う結論は出ないままだった。
それからまた、打合せの場をもった。今度は法務部門の人も交えて話をした。
選択肢はいくつかあった。ひとつめが普通にはてなに削除要請をすること。もうひとつは、それではてなが日記を消さなかった場合に、弁護士を経由して正式な削除要請をするか、直接相手方に警告の文書を送ること。
相手方と直接対峙するのはデメリットがある。相手が逆上して、さらに過激な書き込みをする可能性がある。ないとは思うけど、訴訟に発展した場合、時間も費用も膨大にかかる。何より、世間に「あの大学は言論を封殺しようとしている」と世間が受け取って炎上するかもしれない。
最後の手段が「放置」だった。何もしない。これが一番楽な選択肢かもしれない。時間が経てば、書き込みは忘れられていく。はてな匿名ダイアリーは常に新しい情報で溢れてる。
でも、このまま放置して、次の問題に発展したら?たとえば、あんなものを真に受ける弊学を志望する中学生・高校生がいるとか。そうすると放置という選択肢は無責任な気がした。一応は大学に雇われている身である。
私は、あの日記を読んでしまってる。悪意に満ちた言葉の数々を。あれが誰かの目に留まり、大学が不当な評価を受けることになったらどうしよう。あの書き込みが原因で、大学に関係する誰かの心が傷つくことになったら?
「何もしない」という選択はしたくない。かといって、強硬な手段に出るのも難しい。私にそんな権限はないし。権限があるとしたら、少なくとも総務部長クラス?とにかく、大学の評判は落とせない。
ある日、憂鬱な気分でその日記をブラウザ上で読み返そうとしていたところ、なんと……日記は消えていた。厳密には削除じゃないけど、実質的に消えていたと言っていい。
ストレスから解放された私は、関係先に全部報告して回って、あのメールをくれた人にも「消えましたよ」と連絡メールを打った。
結局、こういう時ってどうするのが正解なんだろう。それがわからない。今後もし、同じような事態が生じた場合はどうすればいいのか。また同じように逡巡しそうな気がする。
結論は思い付けてないけど、次回に備えて、暇な時間に考えることにしてる。間に合えばいいけど。消化不良の結末で申し訳ないです。
若手社会人。はてなは学生の頃からしてる。はてブが主で増田は少ない。ランキングは見るけど。
今年5月上旬のある日のことだ。一応商社で働いてるのだが、仕事で疲れた帰りに、学生時代に通っていた六本木にある居酒屋の暖簾をくぐった。学生がたくさん来るお店である。
カウンターの隅に腰を下ろして、生ビールを注文して、ほかに話せる常連いないかな~と思ってたら、いい感じにメンツが集まってきた。小一時間もすると、楽しそうな笑い声が耳に入るようになった。
4~5人の会話グループが、俺がいるカウンター席のあたりにできていた。社会人じゃなくて大学生もいた。一応は大学の後輩である。
それで若い頃が懐かしくなって、最後は飲み比べとかやってた。大学生らも、店員と気さくに話しながらさ、勢いよくグラスを空けてたよ。このフワフワ雰囲気がいい。
誰かが音頭を取って飲みコールが始まるんだよな。なんかやんやで、いろいろあって、ある男子大学生の子が顔が赤くなってた。これが最後だ!!って感じで、彼は周りの連中が囃し立てる中、ハイボールグラスをグイっと傾けた。
コールに合わせて、彼は苦笑いを浮かべながらハイボールを飲んでいた。
その時、マジで大学生だった頃の懐かしい記憶が蘇ってきた。俺もそこまで年は取ってないのだが。
このイッキで、彼の飲みはすべて終わったと思ってたが、ここで若い店員の一人が「ホラッ」て感じで、彼に新しいグラスを差し出したのだ。
カウンター上にドン!て置いた。「はいおかわり」って感じ。その時だった。
「バカなことをするな。何をしてるのかわかってるのか!」
ここでタイトルのやつ。近くのテーブル席にいたおじさん客が怒鳴ったんだ。
おじさんは、俺らから少し離れたテーブル席にいたけど、こっちに来たよ。
見るからに疲れ切った中年だった。齢を取ってもああはなりたくない。険しい表情だった。
当然のごとく説教が始まった。以下要約。周りは静まり返ってた。
・いい歳して、そんな無茶な飲ませ方をしたらダメ
・その子が帰ってる時、事故にあったらあなた達は警察から事情聴取を受ける
女子学生の1人は「え、別に、みんなで楽しく飲んでるだけなんですけど…」ってまっとうな反論をしたけど、おじさんは「体を壊したら~」とか「君たちはまだ若いんだから」と言ってた。
俺も会社員やって数年が経つから、おじさんが言ってることはわかる。うちの商社も、公的にはコール禁止だ。22時以降の飲み会も禁止。ついでに二次会も禁止。若い連中が集まる会だと、どの社員もコールするけど。
でもここ、六本木じゃん。お酒飲む場所じゃん。よくないことしてるのはわかる。学生時代は、大学の学生部から飲み会コール禁止令が出ていた。やったら学内処分になるという。
それでも、体育会サークル活動では飲み会でコールをやっていた。でもそれは、ただやってたんじゃなくて、「悪いことしてる」っている罪とか悪の意識があって、俺はその意識と正面から向き合って乗り越えてきた。
"本当はいいことだ"って言い聞かせてごまかすみたいに、惰弱なことはしてない。
めんどくせーと思いながらおじさんの話を聞いてたら、しまいには「君らの話聞いてたけど、○△の学生だろ。大学近いし、コールの感じとか。俺も一緒の大学だったから」とか言い出したところで、キレそうになった。空気読めやおっさん。今はどうでもいいんだよ。
ここで、店長さんが間に入って止めてくれた。結局、俺らはそのまま帰ることになったよ。白けたわ。
でも、学生時代から世話になってる店長さんに「他のお客様のご迷惑になりますので」とか言われたらさ、お開きにするしかないじゃん。
俺も騒いでたやつらも、しょんぼりとした表情で店を出てった。
飲みなおそうと思ったけど、気分が上がらなかったのでやめといた。
お店を出る時、最低1人は「せっかく盛り上がってたのに最悪」みたいなことを言ってた。
あのおじさんは、俺らの楽しい雰囲気をぶち壊した。せっかくの空気を壊してくれた。
一体何をして、そんなに怒らせたんだって、俺には(感情的な意味で)わからない。あんたの席は割と離れてたじゃん、別に若い連中がカウンター席で騒いだっていいだろ。自己責任なんだから。
おじさんおばさん世代って、SNSで若い連中を批判することが多いけど。あいつら、若い子が楽しそうにしてるのがムカつくだけじゃねーの。自分達の人生がつまんないからって、未練がましく若者に当たって憂さ晴らしすんなよ。
あのおじさんの気持ちはわかる。心配してくれたんだ、ていうのはわかる。
けど、わざわざ他人に対してあそこまで干渉する理由がわからん。あれから何か月も経ってるから書かせてもらったけど。
ただ、こちらとしても相手を理解したい気持ちはある。俺もいつかは、おじさんになるわけだから。
もし、あのおじさんの気持ちが分かる人がいたら教えてほしい。
私が入学したとき、東大には20個くらいテニスサークルがあったが、そのうち東大生女子が入れるのは3個だった。残りは他大学の女子しか入れなかったし、入部にあたって女子だけルックス審査があるサークルもあった。
私が入学したときのインカレテニサーのセレクションは、女子はルックスのみ、男子はルックスorトークorテニスの実力(どれか優れていればOK)という感じだった
そっちにウェーイ系が集まるおかげか、学内サークルは平和でとても良かったな。はてな民には絶対こっちがオススメだ
学内サークルに来るような東大男子は私のような地味オタクが揃っていて話しやすいし、東大女子は「肝っ玉の強い不思議ちゃん」という印象の独特なタイプが多く、インカレに来るキラキラ肉食女子と違って怖くない
彼らは、俺たちにとっては高学歴な上位の大学に入ったけれど、その学内での順位はイマイチだった
そんな彼らの前に、オマエスッゲーヨ!と言ってくれる組織が現れたとしたら…
でも実際のところ、無理やり「多様性」として女性を理系学部に増やす試みには、いびつさも感じていた。
もう20年も前だ。
僕「それって逆に男差別じゃないですか?」
先生「むさ苦しい男ばかりの4年間と、多少の不平等。どっちがいい?」
僕「……」
あのときは返事に詰まった。
女子枠で入ってきた人が、仮に基礎数学あたりでつまずいたとして、
成績が伸びず、学内で“できないやつ”扱いされる構図は確かにあった。
頭のいい男子、そうでない女子——そんな分類が無意識に生まれてた。
そして不思議と、そういう“格差”があるからこそ、カップルが成立しやすかった。
一部の男子にとっては、恋愛や結婚への「近道」だったようにも見えた。
皮肉な話だけど、あれは“女をあてがう”制度だったのかもしれない。
もちろん、制度の目的は男女比の是正だし、真面目に努力してた女子学生も多い。
「女子枠なんて男に不利」って思ってたけど、
ネット上で定期的に蒸し返される「お店でいただきますとかご馳走さまを言うのはおかしい/おかしくない」という話題ですが、自分はめちゃくちゃ言う派
ただの思い出話なのですが、ムサビ1年生のとき、学内でできるバイトとして学食の皿洗いをしてました。
本当はシスコ(という喫茶コーナー)のバイトのほうが女子には人気だったんですが、倍率が高くて潜り込めず、先輩のツテで古い方の学食で働かせてもらってました(十二号館の地下じゃない方)。
学食で食べ終わったムサビ生たちは、気持ちよく「ごちそうさま〜」と言ってくれる人もいれば、無言の人もいれば、「え?なに?皿洗いのバイトしてんの?笑」といじってくる人もいれば、最悪なのはカレーの皿に煙草の吸殻を入れて返してくる人もいたな、という記憶です。
学生ではなく皿洗い専業と勘違いされていて、授業に出ていたら「なんで皿洗いの人がここにいるの?」と驚かれたこともありました。
世の中本当に色んな人がいるな、というただの思い出です。