はてなキーワード: グランドピアノとは
筆者(30代)の母(60代)は片付けが全くできない。そしてそれを強く非難できる人間がいない。そのことが家族の様々な問題を滞らせている。
現状を詳細に書く。
5年前に筆者の母方の祖母が亡くなった。祖母が最後に住んでいた家は賃貸で、毎月の家賃を母と母の弟達で折半して払っていた。その家に(既に亡くなった)祖父と祖母が2人で住み、母が時折介護のために訪れていた。普通に考えれば祖母が亡くなったことで必然的に空き家になるので、すぐに解約して退去するはずだった。しかしここである問題が浮上した。
祖母は生前クラシック音楽を嗜んでおり、家には最期までアップライトピアノ、オルガン、更にはグランドピアノまでもが置かれていた。当然それらは祖母が亡くなったので処分なり売却なり譲渡なりを検討する段階に入ったのだが、きょうだい間の話し合いで母が泣き崩れて大反対したそうだ。曰く、グランドピアノは祖母が生前大変苦労して貯金してようやく購入した大切な思い出の品だから手放せないと。弟達は皆優しいので(お人良しなので)そんな母に無理強いして楽器類を処分させることはできず、結局祖父母のいない空き家の空家賃を5年間払い続けている。
母もそういった停滞した状況に一応は後ろめたさを感じているようで、片付けのハウツー本を何冊も買ったり(買うだけ)「早く片付けなきゃ」と口では言うのだが、(仕事や家事で)「疲れた」「忙しい」などと言い訳を並べ5年間のあいだ事態は一向に改善しない。更に厄介なことに母は片付けイコール「捨てる」ではなく「整理、収納」だと考えているフシがあり、今あるものを捨てずにそれらをしまう棚やケースを買ってしまって更に部屋の面積が減り、物は減らないままという悪循環に陥ってしまっている。
また、母と懇意にしているある方が祖母のグランドピアノを某所の公共施設に寄贈して再利用させてもらえるように手配してくれたことがあったのだが、「お決まりになりましたらいつでもご連絡くださいね」という向こうからのLINEに対し母は今だに返信していない(できない)そうだ。筆者からすれば、誰もいない空き家でホコリをかぶって朽ちていくより何処かの施設で人々に奏でられ続ける方が祖母もピアノもよっぽど喜ぶと思うのだが、5年の歳月をもってしてもそういった境地に至れないらしい。
「筆者も手伝うから、とりあえず使ってない家具だけでも捨てよう」と提案したこともあるのだが、「重すぎて2人じゃ運べない」「捨てるにしても業者に頼まないといけないから今はお金がなくて無理」と言って意に介さない。
片付けに限らず、母は重要な意思決定をギリギリまで伸ばす保留癖がある。何かを決めるための大事な話し合いをしていても「今はまだその時じゃないから」とすぐにお茶を濁す。とにかく自分にとって不都合な現状と向き合わずに限界まで目を逸らす。「整理じゃなくて捨てないと」「これ以上弟達に迷惑をかけられない」「これは片付けじゃなくて終活なんだ」などの耳が痛い正論を並べ立てて詰めることもできるが、それをやると普段は温厚で優しい母の顔がたちまち強張り鬼の形相と化し、不機嫌モードとなって無言でその場から去ってしまう。建設的な話が全くできない。更に母は「責められる私が悪いんじゃなくて責める方が悪い」というスーパー他責思考なので始末に負えない。とにかく「責められる」ことに対して異常なまでの嫌悪感がある。
ここからは筆者の推測だが、恐らく母は「自分の実家が消滅する」という大きな喪失を受け入れることができないので、弟達の好意に甘えて片付けないまま自分が死ぬまで「逃げ切ろうと」してるのではないか。だとしたらあまりにも身勝手な魂胆だが、表向きは片付ける姿勢を見せながら実際は全く行動を起こさない点がその説の説得力を強めている。
今回の話とはあまり関係がないので詳しくは話さないが、実は祖父母の家だけではなく母の家、つまり筆者の実家の和室も使わない物(着ない衣服、行かないキャンプの薪、筆者の弟が高校時代に取ってきたぬいぐるみetc)で溢れ完全に物置状態と化している。
この停滞状態が続くと母が死んだ瞬間に祖父母の家の片付けと筆者の実家の片付けが同時に我々子供たちに全てのしかかることになる。かといって母には誰もダメ出しできず(というかしても逆ギレする)母が生きているうちに片付けることもできないので完全に八方塞がりである。似たような状況の人がもしいたらどう対処したか参考にしたくてこの記事を書いた。
まず前提知識(常識)から。グランドピアノは鍵盤を押すとハンマーが跳ねて打弦される。つまりボールを正確に射出して弦に当てて音を出してるのと同じで、「打鍵」と「打弦」がメカニカルに縁が切れている。鍵盤への入力はハンマーの運動エネルギーに一意に変換される。
奏者がコントロールできるパラメータは音の強さ(Attack)と長さ(Sustain)と止め方(Release)であり、「音色」は入ってない。老ピアニストの入魂の一撃も猫が歩いても同じ音量なら同じ音色なのがピアノというinstrumentの特徴の一つである。
音色とは楽音の倍音構成とその経時変化である。奏者がダイレクトに弦を触ったり唇を震わせたりする楽器では表現のために音色を積極的にコントロールする。
さてしかしここで「タッチ」という謎概念が挟まってくる。ピアノはタッチによって音色が変わるというのだ。
いや当たり前といえば当たり前なんだが。弱く弾けば小さい音が出る。小さい音は相対的に高調波成分が聴こえにくく丸くくぐもった音になる。
でもそれは他の楽器のように直接音色を作ってるんじゃなくて打鍵強さの制御で音楽的表現をしてるのである。
「ピアノはタッチによって音色が変わる」と聞くと鍵盤の押し込みようにより同じ音量で違う音が出せるのだとしか解釈できず、何言ってんだという話になる。
でもそのあたりの用語の混乱はべつにいいじゃんという感じでふんわり放置されている。考えるより感じろの世界だからだ。
さて、その用語の意味的な混乱以上でも以下でもないはずの事象をかがくてきにしょうめいしたというのだ。
でも読んでみたらこれ何も証明してないよね。奏者の意図が聴衆に伝わるのを統計的にトレースしたからQEDってそんなわけないだろう。
奏者の頭の中のフィーリングが打鍵の強さやタイミング、それらのパラメータの相対的配列という音色以外の操作によって聴衆の頭の中で再構築された、それ「タッチ」の問題じゃなくて「ピアノ演奏」そのものなんですが。
用語的混乱にそのまま乗っかって言葉遊びしてるだけにしか見えないんだが、まあ論文を精査したわけじゃないしなにがしたかったのかはよくわからん。
でもブクマカどもが口々に「ヴァイオリンでも弾く人によってぜんぜん音違うから納得だ〜」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000170232.html
3歳くらいからYAMAHA?やピアノを習いだし、小学生の間は続けたように思う。
80〜90年代ってみんなピアノ習ってたよね。(今もいるだろうけど前よりは減ってる気がする)
でも、「毎日1時間。弾かないと手が固まって弾けなくなるよ!」と言われながら毎日練習してた。(部屋で1時間すぎるまでぼーっと過ごしてることも多かった)
そもそも、「親がさせたい」で始めたんだと思う。
発表会も毎年出たりしたけど 正直なところ特に楽しい思い出もないまま、ピアノから離れた。
中学生の時は吹奏楽に入ったけれど、それも「楽譜読めるから」くらいだったように思う。
(母は私が社会人になったで亡くなり 我が家のピアノも先生仲間へ譲り大量の楽譜や楽器も処分して、実家からピアノの先生だった名残はなくなった)
そして 3-40年後の今。
私はギターを常日頃から楽しんでいる彼氏と結婚し、子どもも生んだ。
子どもが小学生になり 鍵盤ハーモニカを練習する時期になり、鍵盤のおもちゃを購入してみた。
37鍵盤あり、楽譜や伴奏メロディも入ってる鍵盤おもちゃ。(マンション暮らしだったし、かさばるものは無理でこれにしてみた。ちなみに結構高い)
それを渡すと子どもは楽しそうに弾きだした。
毎晩10分ずつ、その鍵盤おもちゃを楽しみながら弾いていた。(楽しめる程度の時間しかさせなかったのもある)
そうしたら、半年ほどで付属の楽譜50曲を全部弾けるようになった。
(途中「ピアノの教室行ってみる?」と聞いたら「(自分は)弾きたい曲が弾きたいだけだからいいわ」と断られる。私も、「ピアノのレッスンあるよ! ちゃんと練習して!」と毎日言うのが絶対に嫌すぎて「そっか」とその気持ちを受け入れた。(そもそも、毎週レッスンがある+毎月月謝があるのもきついし))
次は子どもが好きな楽譜を買ってみた(マリオやmother2など)
これを弾こうとするとさすがに鍵盤が足りなかったので、キーボードを買ってみた。色々見てみて、なんかかっこいいカシオトーンにしてみた。
とどいたキーボードは思ってたより音も悪くないし、ボタンがいっぱいだしで子どもも喜んでた。
普段はリビングたてかけておいて、練習するときだけ大人がダイニングテーブルに出すようなスタイル。
子どもは出すと喜んで弾く。
「ここまできたら、発表会とかあればいいのにな〜」と思ってたら、友人が市民ホール主催で発表会を開催してると教えてくれた。(参加費は数千円!)
申し込んだ。そしてせっかくなので私も一緒に連弾で出ることにした!
何十年と弾いてなかった。
でもせっかくなので! という気持ちでキーボードに触れだした。
全然弾けなくなってる! 譜読みもできない!
でも、なんかとても楽しい!
なんて楽しいんだ。
数時間が一瞬で過ぎた。
「次は弾けるかも」という気持ちで何回も練習してしまう。(スマホゲームにも似てるワクワク感があった)
楽器を弾く・曲が弾けるようになる、ってこんなに楽しいんだな。
今はYouTubeや、ぷりんと楽譜などで、好きな曲の楽譜を気軽にゲットできるのもありがたい。
母は学生の時からピアノを弾くのがとても好きで、学校から帰ったらずっとピアノを弾いていたという。
申し込んだピアノの発表会は、なんとか成功。(連弾で私だけが最後の音を外したけれど…!)
いいグランドピアノを、いいホールで弾けるのはとても気持ちよかった〜。
ピアノ発表会後は私も子どももピアノ練習から離れたけれど、久々出したらまた子どもも食いついた。
ピアノ(楽器)とこんな距離感で楽しめるんだな、と知れてよかった。
ホールじゃなくてもいいので、小さな発表会とかあればなと思ってる。
大人も子どもも顔見知りで集まって、ワイワイ発表できるような発表会があればなぁ。(失敗しても「もう一回最初からさせてね、テヘペロ」くらいの空気がいい)
スマホで時間溶かすよりも精神にとてもいい効果を感じたので、大人にもおすすめです!!!
(多分指先を両手動かすので ボケ防止にもなりそうだよ!)
グランドピアノに輸入S社のシールを張っていて、鍵盤の上を見るとY社といって、なんだかS社よりY社は格下のような言い方だったが、
ちゃんとした製品であればY社のピアノだってちゃんと鳴ると思ってる。
あと、中学生の前で弾いて見せて、一番前のこどもが”ブラボー”とやってたのはテレビジョンが入っているための演出だろうか?
否定的なことをいうやつは許されないとするとそれは教育的なんだろうか?という気がしました。
道徳の授業みたいなことだとやっぱり否定的なこと言っちゃいけないんですかね、、、
となると音楽って道徳なんだろうか、、、芸術じゃなくて道徳だとすると、それは楽しいのかなあ、、、
クラシックの演奏会で前座がある(しかもお客が入っている)というのはなかなか斬新な感じもありましたが、
そういうコンサートは普通なんだろうか(自分はそういうコンサートにいったことがないのですが、、、)
これも、フジコヘミングさんもなにかはなされたりするような感じのちょっと普通の音楽のコンサートではないようなものだったのか、、
友人が妊娠した。
なぜならその友人には小学2年生になる子供がいるがその子の世話はほとんど私がしているからだ。
事の発端はその子がまだ2歳かそこらの頃、友人は離婚したばかりで、たまにでいいから子供を見てほしいとお願いされた。私はフルリモートフルフレックス勤務で、保育園のお迎えもできなくはない距離なのでまあいいかと最初は月に一回くらいその子を預かって面倒を見た。しかし、その子を預かる頻度はだんだん上がり今は平日3日〜4日は面倒を見ており、友人の子は学校から直で私の家に帰ってきている。
正直友人の子は可愛い。うちに来て私が気分転換で作った焼き菓子も、ご飯も美味しいと食べてくれるし、塾に通わせてあげられないので宿題や勉強を見てあげているが、算数に関しては飲み込みが早いし、小学低学年と言えど100点取ったよ!とテスト嬉しそうに見せてくれるのは嬉しいし可愛い。今日学校であったことをたくさん話してくれるのも嬉しい。習い事もさせてあげられないので、ピアノを教えてるが、一所懸命練習している姿も愛らしいし、ウチにはキーボードしかないのでいつかグランドピアノで弾かせてあげたいなと思うし発表会も興味あるならさせてあげたい。
当の友人はというと、数年前に仕事を辞めてからほぼずっと家にいて、たまに整形や美容皮膚科に行っているぽい。お金の事を聞くと機嫌が悪くなって私にではなく子供に嫌味を言う(増田ちゃんの家の子になれば等)ので今はあまり深くはきけていない。たぶん仕送りしてもらってる養育費だかと児童手当ひとり親手当をつぎ込んでいるんだと思う。
うちの子にしていいなら本当にしたいとこだが、友人はそういった嫌味を子供に言うくせにその気は無い。
まあこう言った感じなんだが、その友人が父親がわからない子を妊娠したという。
子供ひとりさえ育てられないのにどうするんだと。増田ちゃん昔、子供は嫌いじゃないけど子供の人生に責任持てないから自分の子はいらないって言ってたよね?だからうちの子育てられて嬉しいでしょ?と言われたこともあるので、また私に育てさせてあげよう とでも思ってるのか。
そういう無責任な親が大嫌いで、自分もそうなるかもしれないという恐怖があったから子供を産まない選択したのに、無責任な親が楽するための道具となってしまっている。
・ピアノ
一人で完結できる。とは言えジャンルによって合う合わないがもある。一人で弾いてダサくならないのはクラシックかジャズくらいだし、全くの万能という訳ではない。ボーカル曲をピアノでカバーすると同じ音を叩き続けるのがマヌケ。まあその辺は好み。本当に色々やりたかったらエレクトーンだと思う。
電子ピアノならまあ2,3万もあれば。どうせ違いは分からない。ただケチって鍵盤少ないのとか打鍵がスカスカのやつにすると後になって物足りなくなる。
ヘッドホン挿せばいつでも弾き放題、と思いきや振動が直で床に行くのでその辺は意外と気を遣う。
アップライトなら多分それなり。数十万くらい?グランドピアノはスペース的にも金額的にも富豪しか買えない。あれ引っ越す時どうすんだろ。
当然単音しか出ないので、一人でやってるとたまに虚しい。ほとんど合奏前提だと思う。ジャンルは管楽器の中でトップクラスに多い。オケ、室内楽、ジャズアンサンブル、ビッグバンド、吹奏楽、ブラスバンド。居場所はどこにでもある。
ビッグバンドやブラスバンドなら華があるけど、1st取れないとちょっと退屈かもしれない。でもビッグバンドって2ndがソロやるんだっけ。
吹奏楽でも目立つけど、そもそも他ジャンルの編曲ばっかりでおれはダサいと思ってる。
オケとかは意外と地味。というか暇そう。
肺活量はあんま関係ない気がする。そもそも管楽器で肺活量要るのって息ダダ漏れのフルートくらいだと思う。腹式呼吸がどうのとかよく言われるけど、おれは未だに理解してない。横隔膜がどこにあるのかも分かってない。
生で吹ける場所はないけど、電子ミュート着けられるからそこは便利。
ヤマハの一番安いので確か8万くらいだっけ。中古なら5万くらい?今はもうちょっと値上げしてるかもしれない。トランペット界の高級メーカーのハイエンドモデルでも100万そこらだったと思う。値段のレンジは割と狭い気がする。
Amazonとかのクソ安いやつは音の出る模型とか言われてる。言い過ぎな気もするし、強ち間違ってもいない気がする。
楽器としての最低限の要求をギリギリ満たしてるか満たしてないか微妙な所で、でもトランペットを握りしめて音を出す喜びを一刻も早く味わいたい別に買えばいいと思う。
一人で吹いてる時の虚しさがトランペットより強い気がする。
ジャンルはトランペットに比べるとやや限定的。木管の中では割と広い方かもしれない。
吹奏楽で弦の代わりをやらされてる印象が強い。エリックドルフィーのバスクラリネットはかっこいい。そもそもバスクラリネットが形からしてかっこいい。
金管は音を鳴らすのが、木管は指使いが難しい。みたいな印象があるかもしれないけど、言うほど運指は難解でもない気がする。木管だって音出すだけなら強めに咥えればいいけど、良い音を出すのは難しいし。
音は金管に比べれば控え目だけど、ミュートを使えなち分むしろこっちの方が厄介な気がする。車で吹くかカラオケ行くかになると思う。
リードは中高生には高すぎるけど、大人ならまあ別に……って感じ。プラのリードとかあるし。
これもトランペットと似たような価格帯だと思う。10〜20万を軸に割と狭く固まってる印象。グラナディラかプラかの違いは音聴いても大抵の人が分からないと思う。分かったとして、こだわりたいほどの差かどうかも分からんし。まあ気分の問題だと思う。
これもAmazonで1万ちょいのが売ってて、トランペットとほぼ同じことを思う。ただクラリネットの方が気持ちオモチャ度は高い気がする。
・ギター
一人でやっててもそれなりに楽しい。友達がいないのでバンドをやる楽しさは知らない。きっと楽しいに違いない。
一人でやる分にはYoutubeで好きな曲のタブ譜調べて弾いたり、Uフレットでコード見てヘタクソな歌声で弾き語りしてると楽しい。大体そういう楽しみ方になるのではないか。少し知識をつけて手癖で適当にジャカジャカ鳴らしても気持ち良い。
まあやった事ないから何とも言えんけど、やはりバンドで弾いてナンボではないか。ジャズギターなんかもある。
ガットギターならメロディから伴奏まで一人で完結出来るらしい。でもジャキジャキのロックをやるにはエレキしかない。
そうなるとバッキングとメロディラインを同時にはやれない。ルーパー繋いで自分とセッションすればそれなりに楽しめるけど。ぼっちざろっくだ。
メロディは基本単音弾きで、一人でやってると少し寂しい。一応オクターブ奏法とかもあるけど。
管楽器なら上手かろうが下手だろうが単音しか出せない。出来栄えは違っても上手い人とやってる事は同じだ。対してギターだと、上手い人は一人でなんだか重厚な音を出している。出来栄えを差し置いて真似しようにも、真似すら覚束ない。譜面通りにフレットを抑えられなかったりどう足掻いてもミュートが上手く出来なかったりする。そのフラストレーションはデカい。
かえるのうたを単音で弾いても全く楽しくない。それでも地道に練習して、スタジオでも行ってフルテンでかき鳴らせばヘタクソでも気持ち良い。あの快感は何物にも代え難い。
音作りもエレキギターの醍醐味だ。練習もしない機材厨になる恐怖を抱えつつマルチを買って、色々試してる時はギター始めてから随一の楽しさだった。
ヘッドホン繋げば家でも弾けるし、生音も電子ピアノの振動よりはマシなのではなかろうか。
3万も出せばヤマハのエントリークラスが買える。5万からだ、いや10万だという人もいるけど、どうせ違いなんて分かりゃしないと思う。
1万とかの安物も、管楽器よりオモチャ度合いは低い気がする。他の楽器より手頃な部類だと思う。弦もせいぜい数千円だし、しょっちゅう張り替える訳でもない。まあ周りの機材含めてこだわり始めたら底なしだし、ビンテージ的なのとかはまた話が違うけど。
その通り。
・金がかからない。最初に10万円程度の出費はあるがその後は電気代くらいで一生遊べる。楽譜は無料でダウンロードできるものだけで結構あるしYouTubeに入門者向けのピアノ講座がたくさんある。(※1)
・誰でも「1000時間」練習すれば必ずある程度は初級曲なら弾けるようになるといわれている。ピアノってのは自転車と同じで才能は必要なく「訓練」さえすればある程度までは必ず誰でも上達するのだ。才能どころか音感も一切いらない。(※2)
・家でできる。インドア派も運動オンチも友達ゼロでも安心安全。
・誰にも迷惑が掛からない。ヘッドホンでできるので誰にも知られずにひっそりと練習できる。
・一人でできる。誰かの許可を得る必要もない。ピアノの練習とは自己との戦いであるのだ。
・一生続けられる。
・老後のボケ防止に最適! 指先から足先まで全身を使ううえにピアノを弾く動作ってのはめちゃくちゃ頭を使うのだ。楽譜も覚えないと弾けないし。
・上達してきたらストリートピアノで披露しよう、ヒーローになれるよ!ストリートピアノマップで検索すると全国に結構あります。
・ピアノ教室で若くてきれいなお嬢様のような先生と仲良くなれる(爆)なお若い女性の先生にちょっかい出す中年男性が多すぎてピアノ教室では成人男性お断りの教室も実は多いです。先生に変なことしちゃだめ!!本気で上達したい人だけピアノ教室に通ってください!!
・ピアノ教室では同年代の人も多くて、発表会などで友達もできるよ!
<注>
(※1)ただしワイみたいに沼りだすと最低30万円以上のグランドピアノ鍵盤を搭載した高級電子ピアノが欲しくなるし、楽譜もダウンロードサービス(たくさんあるよ!)にサブスクやりだすのでそこそこお金はかかる。しかし趣味=車みたいなのを考えたら誤差みたいな金額だぞ。税金と保険と駐車場代の1年分で最高級電子ピアノが購入できます!!
(※2)もちろん訓練で何とかなるのは初級レベルの話で、中上級レベルに達するにはもちろん才能が必要。なお「入門レベル」を脱するのに1000時間、初級レベルを脱するのに3000時間、中級レベルを脱する(音大を受験するレベル)に1万時間の「訓練」が必要と言われている。毎日1時間練習して3年で1000時間(入門レベル卒業)、10年で3000時間(初級レベル卒業)。音大進学には毎日4時間以上の訓練を10年続ける必要があるといわれている。ピアノってのは果てしなく長い訓練が必要だということ。えっそんなにかかるの?と思った方、人生死ぬまで楽しめる趣味としては3年や10年なんてたいした時間じゃないでしょ?(笑)
多分金の無駄だろ
60代の両親がラーメン屋で働いている。
父はサラリーマンだったがちょうど60で退職。母はパート主婦だった。私は一人娘で子供が生まれたばかり。
両親は現在10代20代の若者に囲まれ同じラーメン屋で働いている。早朝から仕込みのために出勤し、夜も遅い。
一度夫と食べに行ったが、強面の店主や店員から普通に怒鳴られながら一生懸命働いている。
それ自体は本人たちの選択なので構わないが、問題は2人が独立して店を持とうとしてることになる。退職金や貯金を使って。
早く目を覚まさせなければ、どうせ長持ちしないであろう飲食店にそのお金が注ぎ込まれる。お金がドブに捨てられる。
そのお金があれば、もっと余裕を持って第二子も産める。音楽教室も、グランドピアノも、幼児教室も、英会話も、受験も、塾も…生活を切り詰めることなく…
本当に、本当にありがとうございます。
ヨエコさんを知ったのは廃業をしてから後のことで、有名な「夜な夜な夜な」の有志によるPVを見たのが一番最初でした。
最初からど直球に悲しい歌を歌い上げることにも打ちのめされそうなくらい綺麗で大好きだったのですが、そこから他の曲を聞いていくうち、楽しげに悲しい歌を必死に楽しく叫んで歌う様が心のどこかを無理やりかき乱してくれるようで、それが痛んでいた精神に共振して誤魔化してくれるようで、それでいて深く丁寧に刳り直してくれるようで、繰り返し何度も聞き続けていました。
「楯」はまっさきに好きになった曲で、特にグランドピアノ弾き語りはその類稀なピアノの実力から弾き出される激情としか言い様のない祈りだけが込められた演奏と、その狂気的な感情を余すところなく歌い上げるのが大好きでした。
これで終わりにできると言ってラストアルバムに飾った「輪舞曲」の、その苦しいいのちのそのものをいつかは受け入れられるんじゃないかと歌ったそれと、最後の最後に歌手としての在り方を込めて送り出した「ジュエリー」の二曲で、限りなく綺麗に廃業という形で去ってしまっていたことを、美しく綺麗でそれこそ神様みたいだと勝手に思うくらいには受け入れていた一方でそれでもやっぱり一度くらいはいつかせめて、好きになってからあなたの曲を聞いてみたいと思っていました。
クソみたいな学生時代に「白い旗」や「部屋と幻」、特に「マネキン」なんかをひたすらヒトカラで歌い倒していた頃は、自分でもどうしようもなかった気分をどうしようもないまま吐き出すためにそうしていて、それが良かったのか悪かったのか今でもわからないですが、でも誰も共にいない通勤電車の中でイヤホンから聞こえるあなたの曲が心強い、というよりは、せめてもの救いだったんです。
本当にありがとうございます。勝手な思いでしかなくて、それでも本当に大好きなアーティストなんです。人生で一番好きな歌手です。
もう一度あなたの新しい曲を聞くことができるだなんて、ずっと思っていなかったんです。だから頭がおかしくなってこんな文章を書いています。書き捨てる場所もないのでここに書き捨てます。
本当に、本当にありがとうございました。