はてなキーワード: 楽器とは
赤:齋藤環希@
緑:粕田篤矢@東京
白:橋田千賀子@
青:末廣隆典@東京
BSジャパネクストがリニューアル BS10の無料放送側で日曜昼などに放送中
見られなかったケーブルテレビ局でも見られるようになったので要確認
つながるジャパネットアプリで放送同期・スマートテレビや4月からtverを含め見逃し配信あり
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・02 [国]タイ
・03 ツバキ
・05 12(人
・06 [近似値]78.3(パーセント
・07 [車名]プレリュード
・15 [3択]屋久 島
・16 絶対(零度
・17 [よーく覚えましょう]2 つ
・18 宇多田ヒカル うただひかる
・21 8(倍
・22 沼津(市
・25 一ノ谷(の戦い いちのたに
・26 『池袋ウエストゲートパーク』
・27 AYAKA
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(日曜本放送)このあと今週14:15からはBS10からのお知らせ
14:30からは「蛍原徹の真剣ゴルフ部! ホトオープン #178」
(9日日曜日)
クラリネットは音域によって色んな種類の楽器があるが、その殆どがいわゆる移調楽器に分類される。
それこそ吹奏楽でおなじみな時点で、最も一般的なB♭管ソプラノからして移調楽器で、この調性はフラット系の楽曲に強い反面、シャープ系は苦手だったり。
そんなクラリネットは、今ほどキーシステムが発展していなかった頃は、ソプラノの楽器ひとつ取っても色んな調性の管があり、それを使い分けていたらしい。
そっから最終的には上掲のB♭管と、B♭管の半音低いA管という、こちらはB♭管とは対照的にシャープ系に強い管の2本が生き残った。
そしてこの2本があればどんな調性も比較的容易に吹けることから、当時の制作技術では良い音の楽器が作れなかったC管(つまり移調楽器じゃないやつ)は廃れてしまった。
このような経緯があるため、クラリネットはソプラノに限ればB♭管とA管の2本で1つが、本来は前提みたいな話になっていたり。
ところがアマチュアクラリネット愛好家は、意外なことにB♭管しか持っていない人が圧倒的多数派のようなのだ。
それでシャープ系の歌モノを、原曲キーのままカバーするとかやってるから、色々大変なことになりがち。
だったらお金貯めてA管買えばいいのに…と、演奏聴くたびに思うんだけど、現実的にA管持ってるのはオケ吹く人か、モーツァルトに入れ込んでいるガチ勢くらいしかいないイメージ。
「××の民主化」とかもてはやされ、絶対善だと脊髄反射的に評価される。
正気の沙汰ではない。
それまでそれをやるには手間暇金能力が足りない、あるいはない人にもそれができるようになる。
例えば、オーケストラを編成するだけの資金力がない人、楽器の演奏ができない人にも、作曲、演奏ができるようにしたDTMは素晴らしい。
うん、素晴らしい。
大量の文字を原稿用紙に書き付けて、何度も書き直すだけの体力のない人にも、小説書きができるようにしたエディターは素晴らしい。
うん、素晴らしい。
けどさ、いろんなものが軽くなり過ぎて、量が増え過ぎて、薄っぺらになってない?
腕とラケットが一体化していたところで大半の人の生き死にには影響しないけどさ。
そういうアニメに、低価格であることだけでもって、市場が席巻されて、幸せ?
まだ、そういう「鑑賞」「娯楽」のように切り捨て自在なものなら、切り捨てればそれで終わりだから構わないけど、システムとか、データが作成蓄積され、常に使われ続けて、いきなり消えたら困るものがそういう基礎の上に構築されるの、問題ないと思う?
ある日いきなりlocalhostへの接続ができなくなったりする世界だぞ(最近のWindows)。
そして、誰もその不具合の解決できない世界だぞ(AI 有効活用しています、って対外発表している組織の技術力)。
「いい声と言われた人募集」
マイク前で適当に声出したら務まるとか声優に対して考えてる人が存在するかもしれないけど、彼らだってあれこれ山のように考えてきて、演技してる。
全員がとは言わんけど。
たぶん。
適当にコード書いたら務まるとかエンジニアに対して考えてる人が存在するかもしれないけど、んなわけねぇ。
全員がとは言わんけど。
いや、大半は考えてねぇし、考える能力がないような気はするけど w
だからどの会社も、エンジニアを名乗る謎のカオナシが大量増殖して、お金という一番大事なリソースをガンガン削られてる。
AI の出力が正しいかどうか判断できない、使いこなすだけの技術力能力のないカオナシが、素性のわからんコードを大量生産する組織、プロダクト、サービスに未来があるとか、本気で考えてる?
やばいと思ったら、このカオナシ、うんこの山だけ残してトぶよ? w
もしそう見えるんだとしたら、お前の思考レベルがミジンコ並みに低いだけだ。
多層に思考すること。
これは人間だけができることだし、これこそが創作、機械、仕組みを作るということの、本質だ。
そして、それを磨くことが生きることだ。
スケールは確実にある気がするんだよなあ…😟
聴者を不穏にさせるスケール、音階はあるわけで、メタルは好んでそれを使う
でも、似たような音階はクラシックでも使うやろ、と思うわけで、そこはもう音自体、楽器の音自体なのかなあ…
あと、そういうスケールが部分的に使われる、間奏のソロで使われる、はありだけど、
最初から最後まで不穏、というのは、そういうのが嫌いな人には確実にウケないよなあ、当たり前だけど…
同じように、最初から最後まで、超絶演奏、技巧的一辺倒も大好きだけど、一般にはウケない
というか、一般ウケするためにやってんじゃない、と思うけど、
自分も障害者になってしまったし、就労移行とか就労継続とかを利用する側なんだけど、書かれてることにまったく同意しかない…😟
特にB型は労働契約を結んでいないので、最低賃金は当然払われない、通所は訓練なので、職業は無職のままである
近年のルール改正によって、A型の作業所が大量に潰れたわけだけど、厚労省の言いたいことは分かる
分かるが、何度も言いたいのだけど、だったら、もうそのお金は直接障害者に配ってくれた方がいいのではないだろうか?
まあ、この議論は難しい、働いてない人間にただ金を配るなんて許せん、という人は当然いるだろう
でも、せいぜい10万前後ぐらいだと思う、もらっても生きてけない
通所者一人当たり助成金が降って来るので、作業所の事業者はそれを事業所のスタッフに分配する
障害者は、内職のような単純労働をした儲けからしか報酬が払われない、税金をそのまま障害者には渡してはいけないことになってる
自分で言うのも何だが、自分は絵が描ける方なんじゃないかと思う
思うけど、近年のAIの方が当然上手い、指が6本とか4本とか、ラーメンの食い方がおかしいとか、
そういうツッコミがあったが、自分はかなりの速度でそれは問題解決するだろうと思っていたし、そうなってしまった
やはり、まだまだだなと現状を思っても、成長のベクトルから将来を予想しておくべきである
芸術家肌の人とか、よく発達障害の人とか、障害者に才能がある人が、とか言うけど、
自分もよく思うんだけど、逆だと思うんだよね
他人と一緒に行動するのが苦手、二人組になってくださいと言われれると先生と組むことになる、
学校でいつもぼっち、もしくは迫害されたり、差別されたり、侮蔑されたり、
で、仕方なくひとりで遊ぶ方法を考える、休み時間はずっと教室の隅っこで絵を描いたり、
本を読んだり、窓の外の建物や木の上に忍者がいるとか、裏山の向こうに怪獣がいる想像をする…😟
もちろん、そうでない人もいる
それどころか、交通事故とか病気とかの後遺症で、身体が満足に動かせない、感情の制御も出来ない人たちもいる
重度の知的障害の人たちもいる
失礼ながら、自分は彼らとは違うと思ってる
自分は彼らと違って、まだちゃんと筆を維持して持てるし、事故から腕も回復した、楽器も弾ける、絵も描ける、
ちょっとしたプログラミングとか、他にも色々できる気がする、下手の横好き、器用貧乏、
一点突破主義でありながら、突き抜ける能力がない、中途半端さ…😟
でも、作業所にはそんなことどころか、手を安定して維持できない人がいる、まともに歩けない人もいる
ダンボール箱を組み立てるのがやっとの人と、自分みたいに箱を組み立てるのはできるけど、
俺、何やってんだろう、みたいにずっと考えながらも、黙々と手を動かしてる人がいる
元の文章の人は女性だろうか?あんまり差別的な物言いは良くないか…
でも、現実として、結婚して夫が稼いでくれてるので…、みたいな人はいる
もちろん、そうでない女性もいっぱいいる
基本的に、作業所とか、デイケアとか、福祉の場で利用者同士はそういうことを話すことは禁止である
当たり前だが、連絡先交換みたいなのも禁止
なれば、おまえの方が恵まれてるとか、俺の方が不幸じゃん、みたいになる、絶対なる…😟
自分は自分の絵とか音とか、もうプログラミング関係も、お金に変換しようという気がしない
昔はそうするしか選択肢がないと思ってて、自分なりに頑張ったり、玉砕してた気がするんだけど、
もう、自分は無理だと思ってる、
家から遠くに見えるゴミ焼却場で働くかなあ、とか、公園のトイレ清掃とか、
そういえば、最近読んだ漫画で主人公が公園のトイレ掃除をする老人というのがあったけど、
俺もこうなるのかなあ、みたいな気持ちで読んでました
まあ、もうちょっと障害者と普通のお客さんの間に入ってくれる何か、みたいなのが欲しいとは思う
プロキシとでもいうか、そこが取り持ってくれれば、売掛金払わないで逃げるトラブルも減る
実務は全て障害者が当然やる
もちろん、今のA型、B型がそれなんだけど、受託する仕事がどうしても一番能力の低い人、
つまり重度の人とか、事情がある人に合わせることになってしまう
もっと、高度な人に高度な仕事を取ってきてくれてもいい気がする
まあ、その高度な仕事というのが難しい
出来ない人が当然いるのも分かるけど、イラストを受注するとかになると、もう個性だからねえ…😟
この利用者さんに描いてもらいたい、と依頼が来ています、みたいになってしまう
それもちょっとどうなんだろうと思う
考え方が甘いのかもしれないけど、B型だけでなくA型でさえも、
一般企業へ就職するための足掛かりみたいな意味合いはまだまだ続くと思うので、
例えば、能力の高い人が稼いだ分を、低い人にも多少は分配するとか、
え?頑張った人が頑張っただけ報われないの?と思う人もいるんだろうけど、
その成果報酬とか能力主義を変に導入したのが今の大企業とか、まあ富士通みたいな企業だからねえ…😟
結局、人間って駄目な生物で、成果報酬とか能力主義を導入しても、それをちゃんと運用できないんだよね
人事とか評価がちゃんと機能しない、人間自体が駄目だから、基本怠惰だったりするから…
だったら、時間給で払うとか、できる人の稼いだお金も分配された方が、寧ろフェアになったり、職場が安定したりする
めちゃくちゃ能力が高い人は、それが我慢できないのであれば、一般企業に移ればいいわけだし…😟
まあ、そもそも福祉事業者に、そういう難易度の高い経営能力みたいなのを要求されるのも変なんだけどね…😟
ドラッカーのマネジメントとかNPOの話じゃないけど、福祉とか介護とかのマネジメントの方が難易度が上がる気がするんだよねえ、本来は…
人生経験の浅さ、乏しさがコンプレックスとなることが少なくない。
おおよそほとんどの人が、生きていれば当たり前に経験していることを全然しておらず、それゆえの教養の欠如や、雑談の苦手意識に繋がっている。
とはいえ齢も33を超え、子供は3歳にまで育ち、来年には新築マンションの購入が控えており、今まで以上に社会へと溶け込む必要性迫られている。
また、社会による半強制的な理由だけでなく、純粋に人生を豊かにするための趣味や生きがいの選択の幅を広げるためにも、今後は意識的に新しいことにチャレンジしていきたいと思うようにもなり、この文章を打ち込んでいる。
前説が長くなったが、ここからは、誰しも(少なくとも友人・知人・会社の同僚を見る限り)が当たり前に経験しているのに、私は経験していない事柄を並べていこう。
多くの人にとっては、こんなに何もしてない人もいるんだと思うかもしれないが、同じような境遇の人がいれば、シンパシーを感じてもらえれば幸いだ。
正確には、運転免許(それもマニュアル車)を持っているため、未経験ではない。とはいえ、教習所以外で運転したのは大学を卒業後に数える程度で、10年近いペーパードライバーをしている。免許も3回ぐらいは更新している。
都市部に済んでおりリモートワーカーであることから必要性がないと言えばそうだが、どちらかと言えば運転をしたくなく、車が無くても構わないような生活スタイルを選びに行っている節がある。
来年引っ越す新築マンションにしても、首都圏へのアクセスが容易であり、徒歩圏内の駅前で概ねすべて事足りる立地であるため、敷地面積が犬小屋と揶揄されそうなほど小さいのに、地方なら豪邸が建てられるであろう住宅ローンを組んでしまっている。
このまま運転をせずに逃げ切れそうでもあるが、やはり子どもが幼稚園、小学校と成長していくと、車を使った自由度の高いお出かけができないことで不便を強いてしまうだろう。自分だけが不便ならまだしも、子どもが車を通じて様々な興味を持ったり経験したりする機会を失うリスクは避けたい。
車を運転したくない理由の筆頭は運転が怖いことで、ペーパードライバーを10年経て今更普通のドライバーになれるものなのかなという漠然とした不安がある。VR空間上で自由に安全にドライブできるような環境があれば良いのだが。
行ったことはないし、これは興味もなければ行かないことのリスクもほとんどない。
が、行ったことがないので当然パスポートも取得したことがないし、なんなら飛行機すら数える程度しか乗ったことがなく、おそらく一人では乗り方がわからないレベルだ。
人生経験の欠如や、雑談の中で海外旅行の話になったときの疎外感からコンプレックスもあるところだが、そういう目的で行ってもおそらくは楽しめないだろう。
とりあえず子どもがもう少し大きくなったら、北海道や沖縄のような、国内ながら長距離の移動を要する旅行はしようと思う。
音楽は人並みには好きだ。学生時代に好んでいたバンドや、当時のアニソンから最近流行りの曲までそれなりに聞く。カラオケも大好きで、大きな趣味の一つとも言える。
その割には音楽ライブには参加(参戦?) したことがない。生歌から受けられる衝撃や、同士集まる空間での一体感はさぞ良いものだろうという想像は出来るが、安くない金額と、競争を勝ち抜いてチケットを手に入れるような労力が無いのだろう。
これに関しては最初から人気アーティストのライブを目指すのではなく、気軽にふらっと立ち寄れるような場所からはじめるのが良いのかもしれない。
音楽つながりで言うなら、楽器の演奏というのにも挑戦したことがない。もちろん、学生時代の音楽の授業であるとか、授業の一環として触れてきてはいるが、それを趣味にしようと思うほど馴染んだこともない。
音楽自体は好きであることからも、興味こそはあるが、やはり楽器演奏というのは、序盤の楽しくなるまでの努力の量と、そこにたどり着くまでに挫折する可能性の高さからハードルを感じてしまうのだろう。
リモートワークしている人、ほとんどジムで筋トレをしているイメージがある。リモートワークあるいはデスクワークだと筋肉が凝ることもあり定期的な運動、発散を求めるのだろう。
私は(自称)中肉中背であり、散歩が趣味であることからも必要最低限の運動は重ねているし、健康診断も概ね良好な結果が出ているので、必要に迫られているわけでは無いものの、筋肉を付けたり有酸素運動を連続して行うことで心身ともにパフォーマンスを向上させられるという逸話もあるため興味はある。
「整う」という謎の概念に憧れがないでもない。稀に銭湯に行っても、サウナは熱いからすぐ出ちゃうし、かといって水風呂は冷たくて入る気がしない。外気浴ぐらいがちょうどよいがあれが「整う」なのかはわからない。寒暖差で意識が飛びそうになる瞬間があって、あれが「整う」だとしたらすごい界隈だと思う。
いわゆる男の料理を自分用にする程度。包丁をまともに使えない。猫の手さえ出来ればなんとかなるだろうレベル。揚げ物としたり、魚を捌いたりを自宅で出来るようになるとカッコよさそうだし、料理を妻に任せっきりになっているのを一緒にできる実利もあるので、これはチャレンジしたい度が高い。もうすぐ引っ越してキッチンも広くなるし。
ゲームとして面白いかはともかく、大人のコミュニケーションのキッカケとして、もはや常識とも言えるような遊戯だ。また、麻雀漫画を筆頭に多くのコンテンツにおいて、麻雀を理解していることで間接的により楽しめる娯楽が多く、これを知っているだけでも人生の豊かさが底上げされるような気もする。
やりたい感は強め。学生時代にしたきりだが、その時の楽しさが忘れられない。とはいえ車を運転できないのが大きな足かせに思える。子どもに家族でキャンプする経験は与えたい。
キャンプとほぼ同じ。
キャンプとほぼ同じ。そうか、車がないとアウトドアがなかなか出来ないんだ。
いわゆる「推し」が出来たことが一度もない。アイドルであるとか俳優・芸能人であるとか、今なら YouTuber などの配信者がそうなのかもしれないが、特定個人を推した経験が一度もない。
もちろん好きな YouTuber であるとか、アーティスト、作家などはいる。が、いずれもクリエイターその人ではなく、その人が生み出すコンテンツのほうが好きなだけである。(コンテンツに対する「推し」もあるとは思うが)
よく「推しがいるから生きてる」など、推し活時代が人生を豊かにする源泉である人がいるので、少し羨ましい。
やる必要はない。が、これが意外と雑談の中でひとウケになったりもするので気にならないこともない。
やる必要はない。ニコチンがない類の某はちょっと興味があるかも。
ChatGPTちゃんに
プロデューサーでもあり美食家の秋元康さんことやすすが初めてビリヤニを食べてその味に感動して
DJおみそしるとMJごはんさんの手法に則ってビリヤニ作り数え歌を作ってその曲名がビリヤニになった直球曲?って尋ねたら、
それは絶対ない!違う!と、
こればっかりは肯定的に乗っかってくれないハッキリとものを言うChatGPTちゃんにジワジワくるわ。
ねえAがいい?それともBがいい?って尋ねるとだいたいは
「うーん、AもいいですがBもいいですな!」って
どっちつかずなこと言いがちな感じのChatGPTちゃんだったけど、
この曲名ビリヤニがビリヤニ作り数え歌の可能性は?ってことに関してはスバリ可能性はゼロです!って言うのよね。
なんかこれ相当ビリヤニ界隈盛り上がっているんじゃないかしら?って思う反面、
交差する運命をスパイスが絡み合って美味しく仕上がったビリヤニに例えている恋愛模様を歌っているのか?
それとも、
初恋の人の香りがもう別れてしまったけどふと立ち寄ったインドレストランで食べたビリヤニの香りで思い出す初恋思い出しソングなのか?
安直に複雑に絡み合う何かの人の人生だとか恋模様だとかをスパイスになぞらえて比喩しているとしても
これ安直じゃない?
やすすはそんなことするのかしら?
って私はもちろんやすすのことを何一つ知らないし、
坂ごとでコンセプトが違うって言うし、
坂同士の移籍とかもないって言うじゃない。
やすすが坂メンバーのメンタルが落ち込んでいるときに屋上でアイスクリームを一緒に食べることも絶対にないってChatGPTちゃんそう言っていたわ。
それに私ほとんど言うか坂界隈のことは知らなかったので、
総勢何人いんのよ?ってのもあるじゃない。
これ熱心なファンの人はエクセルでメンバーの今日どの番組に出る!ってかそう言うのを記している人もきっといそうじゃない?
私はそんなビックコンテンツに今から取りかかることができないわ。
あまりにも乃木坂46ってそういういわゆる坂系ってコンテンツ覆いすぎるわ!
そんで、
でもさビリヤニって曲は聴いてみたいじゃない?
インターネッツで調べたら、
全く私の未知の領域に曲1つだけなのにそんなに種類バージョンエディションあんの?って腰を抜かしてしまったわ。
SKU46!って
そのぐらい冗談抜きで
種類が多かったので
よく分からないから配信で1曲でたらこっそり買ってみると目論んでいるところよ。
「ビリヤニ」って曲名を掲げていて40枚目のシングルって結構節目じゃないの?
そこでビリヤニってやっぱりこれハードル上げすぎなんじゃない?
これが例えビリヤニ作り数え歌だったら?
乃木坂のメンバーがビリヤニ屋さんを開店のオープンするってそっちに舵を切っていったら?
もうとにかくビリヤニのことで頭がいっぱいよ。
なんか急に最近ビリヤニのランチの発注が多くてどうしたんだろう?って首をかしげているかもしれないわ。
インド系楽器やインドネパール辺りの地名にそしてスパイス名は絶対に歌詞に入れられないNGワードよね?絶対に。
槇原敬之さんよりも言わないよ絶対に!ってより絶対感がマックスだと思う!
しかも
ビリヤニって
とはいえビリヤニ界隈の琴線に触れさせるには数があまりにもビリヤニ好き人口が少なすぎるニッチだし
ビリヤニ層をがっさりいくっていっても、
ターゲットとしてもそこ狙うの変わよね?
さんざんビリヤニって言っておいて、
ChatGPTちゃん何かの拍子でそうですね!って全然賛成言ってくれない
ビリヤニ作り数え歌ではないことは確実みたいよ。
ビリヤニ注文する人を見ては、
あなた乃木坂のファンなのね?って思われるのもなんか普通のビリヤニ好きとしてはそう思われるのかな?ってこれは考えすぎよね。
まったくもって謎過ぎるわ。
いったいどうなるのかしら?
うふふ。
ツナ美味しいわよね。
そんな変なツナサンドイッチは最近見かけないわよね本当に美味しくなったものね。
作りたてはホッツで作っておいたけれど
その後は粗熱とって常温のままではいかないので、
さすがに寒くなってきたので思いっ切り冷えたウォーラーは寒くて身体冷えちゃいそうな、
もう一気に気温が下がってきてるわよね。
こういう季節の切り替え変わる瞬間に人は風邪引くので
いつもより慎重に暮らさないといけないわね。
みんなも気を付けて!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
筆者(30代)の母(60代)は片付けが全くできない。そしてそれを強く非難できる人間がいない。そのことが家族の様々な問題を滞らせている。
現状を詳細に書く。
5年前に筆者の母方の祖母が亡くなった。祖母が最後に住んでいた家は賃貸で、毎月の家賃を母と母の弟達で折半して払っていた。その家に(既に亡くなった)祖父と祖母が2人で住み、母が時折介護のために訪れていた。普通に考えれば祖母が亡くなったことで必然的に空き家になるので、すぐに解約して退去するはずだった。しかしここである問題が浮上した。
祖母は生前クラシック音楽を嗜んでおり、家には最期までアップライトピアノ、オルガン、更にはグランドピアノまでもが置かれていた。当然それらは祖母が亡くなったので処分なり売却なり譲渡なりを検討する段階に入ったのだが、きょうだい間の話し合いで母が泣き崩れて大反対したそうだ。曰く、グランドピアノは祖母が生前大変苦労して貯金してようやく購入した大切な思い出の品だから手放せないと。弟達は皆優しいので(お人良しなので)そんな母に無理強いして楽器類を処分させることはできず、結局祖父母のいない空き家の空家賃を5年間払い続けている。
母もそういった停滞した状況に一応は後ろめたさを感じているようで、片付けのハウツー本を何冊も買ったり(買うだけ)「早く片付けなきゃ」と口では言うのだが、(仕事や家事で)「疲れた」「忙しい」などと言い訳を並べ5年間のあいだ事態は一向に改善しない。更に厄介なことに母は片付けイコール「捨てる」ではなく「整理、収納」だと考えているフシがあり、今あるものを捨てずにそれらをしまう棚やケースを買ってしまって更に部屋の面積が減り、物は減らないままという悪循環に陥ってしまっている。
また、母と懇意にしているある方が祖母のグランドピアノを某所の公共施設に寄贈して再利用させてもらえるように手配してくれたことがあったのだが、「お決まりになりましたらいつでもご連絡くださいね」という向こうからのLINEに対し母は今だに返信していない(できない)そうだ。筆者からすれば、誰もいない空き家でホコリをかぶって朽ちていくより何処かの施設で人々に奏でられ続ける方が祖母もピアノもよっぽど喜ぶと思うのだが、5年の歳月をもってしてもそういった境地に至れないらしい。
「筆者も手伝うから、とりあえず使ってない家具だけでも捨てよう」と提案したこともあるのだが、「重すぎて2人じゃ運べない」「捨てるにしても業者に頼まないといけないから今はお金がなくて無理」と言って意に介さない。
片付けに限らず、母は重要な意思決定をギリギリまで伸ばす保留癖がある。何かを決めるための大事な話し合いをしていても「今はまだその時じゃないから」とすぐにお茶を濁す。とにかく自分にとって不都合な現状と向き合わずに限界まで目を逸らす。「整理じゃなくて捨てないと」「これ以上弟達に迷惑をかけられない」「これは片付けじゃなくて終活なんだ」などの耳が痛い正論を並べ立てて詰めることもできるが、それをやると普段は温厚で優しい母の顔がたちまち強張り鬼の形相と化し、不機嫌モードとなって無言でその場から去ってしまう。建設的な話が全くできない。更に母は「責められる私が悪いんじゃなくて責める方が悪い」というスーパー他責思考なので始末に負えない。とにかく「責められる」ことに対して異常なまでの嫌悪感がある。
ここからは筆者の推測だが、恐らく母は「自分の実家が消滅する」という大きな喪失を受け入れることができないので、弟達の好意に甘えて片付けないまま自分が死ぬまで「逃げ切ろうと」してるのではないか。だとしたらあまりにも身勝手な魂胆だが、表向きは片付ける姿勢を見せながら実際は全く行動を起こさない点がその説の説得力を強めている。
今回の話とはあまり関係がないので詳しくは話さないが、実は祖父母の家だけではなく母の家、つまり筆者の実家の和室も使わない物(着ない衣服、行かないキャンプの薪、筆者の弟が高校時代に取ってきたぬいぐるみetc)で溢れ完全に物置状態と化している。
この停滞状態が続くと母が死んだ瞬間に祖父母の家の片付けと筆者の実家の片付けが同時に我々子供たちに全てのしかかることになる。かといって母には誰もダメ出しできず(というかしても逆ギレする)母が生きているうちに片付けることもできないので完全に八方塞がりである。似たような状況の人がもしいたらどう対処したか参考にしたくてこの記事を書いた。
これって完全に「去勢」の発想だよね
子供が自分の意思を持ち、その年齢らしい反抗や試行錯誤をする事を認めない
聞き分けが良く素直で可愛く障害者になり媚び諂ってペットや2級市民としてお情けで生かしてもらう事を言ってる?
何ともグロテスクな話だ
で、そうやって小学校に入学する前からお前は発達障害者だとスティグマを植え付けて育てられた子供は
早期に「わきまえて」セルフ断種を選び恋愛や結婚を諦めるだろうから、孫の顔は見れないね
いまだ だいすけ
@QSeSlEN6j1YAKO
発達障害は早期診断した方がいい
できれば小学生になる前に
そうすれば、まだ頭が柔らかいから、特技を身につけさせる(絵や楽器演奏、演劇、作文など)とか、療育をして健常者の世界で生きれるように訓練するとかができる。思春期以降になり自我が固定されたら手遅れなんだよ。
クラシック音楽のコンサートに行くのが好きなクラオタだ。別に音楽史に詳しいわけでもなければ、楽器も弾けない。ただコンサートホールに行って、2時間くらい音楽をじっと聴くだけの体験がとにかく好きだ。
東京はクラシック音楽にあふれている街で、毎週そこかしこでたくさんのコンサートが開かれている。とにかく他の街に比べると選択肢が多い。
でも12月になると一気につまらなくなる。どこもかしこもベートーヴェンの第九交響曲ばっかりやっていて、多様性が消えるからだ。たとえばこれを見てほしい。
https://t.pia.jp/en/pia/tag/tag.do?tagCd=0000019
プロのオーケストラはここぞ稼ぎ時とばかりに第九の演奏会を連日やりまくる。NHK交響楽団なんかは第九の演奏会を12月に5回やる。
楽団も売り上げが大事なのは分かるが、コンビニで恵方巻きを売るみたいにどこもかしこも同じメニューで売らんかなの姿勢を見ると、なんだか悲しくなってしまう。
普段からもう少し観客の入りが分散して、年間でコンスタントに売り上げが出せていれば、楽団のこういうムーブも今より控えめになるんじゃないかと思う。
だからクラオタとしては言いたくなる。
年末は第九じゃなきゃ、と思ってる人、それ気のせいです。
第九を演奏している楽団は、普段は第九と同じくらいかもっとすてきな音楽をやっていますよ。だからどうぞ聴きに行ってください。
クラシックのコンサートはそんなに高価で敷居の高いものばかりではないですよ。アマチュア楽団のコンサートは無料とか1000円で楽しめて、素晴らしい演奏をしている人たちもいますよ。
プロの交響楽団の音が聞いてみたくなったら、年間を通してやっている定期公演に行ってみてください。N響の最安値の席だと2000円台からありますよ。
これは絶対に聴いてみたいと思う曲目やアーティストが出てきたら、そのときはガッツリお金を払ってチケット買えばいいと思います。
でも、それ以外にクラシックを気軽に楽しむ方法は幾つもあるので、とにかく公演に足を運んで、普段から音楽家を応援してあげてください。スマートフォンをひとときの間しまって、じっと音に包まれるだけの体験が日常になれば、あなたの暮らしもすてきなものになるはずです。